あずさ「己の限界」 (16)
「ハニー! ミキと一緒にお昼寝するのー!」
今日も朝から美希ちゃんの声が事務所に響いていた
明るい声と共に抱き着いてくる美希ちゃんにたいして、困った様な、そして若干嬉しそうな顔をしたプロデューサーさんが居る
呆れかえった顔をしながら、美希ちゃんの暴走を静止しようとしている律子さん
キツめの口調でプロデューサーさんにお説教? をしている伊織ちゃん
そのやり取りに便乗して、なにやら悪戯をしようとしている亜美ちゃんと真美ちゃん
騒ぐ皆を横目に、落ち着いた動きでお茶が入った湯呑を下げる雪歩ちゃん
然りげ無く雪歩ちゃんの手助けをする真ちゃん
喧嘩していると思ったのだろうか、やよいちゃんが二人を止めに入っている
机の上に、自分が作ってきたであろうクッキーを並べて皆のリアクションを待っている春香ちゃん
その机の上に並べられたクッキーを食べようと、忍び寄るハム蔵ちゃんを叱っている響ちゃん
雑誌を読みながらもチラチラと、美希ちゃんとプロデューサーさんのやり取り観察している千早ちゃん
ソファーに座り、お湯が注がれているであろうカップラーメンを目の前に置き、それから視線を逸らさずにじっと時を待つ貴音ちゃん
音無さんは……事務処理に追われているのかしら……涙目で律子さんとプロデューサーさんを見ている
何時もの風景
何時もの日常
そんな皆のやり取りを『あらあら』 と何時も通りのリアクションを取りながら観察しているのが私
平和な765プロ
だけど……そんな賑やかなやり取りの中、私の胸の内に秘められた想いは誰も知らない
プロデューサーさんへの恋心
嫉妬の念を抱きながらも、押さえ込み続けている私の醜い感情
裏の三浦あずさ
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.
部屋で一人プロデューサーさんの写真を眺めている私
カーテンの隙間からは月明かりと共に、車が奏でる都会的な喧騒が部屋へと流れ込んできていた
写真に映った鈍感なプロデューサーさんは、私の気持ちに気付いていないでしょう
……気付くはずもない
だって私はその感情を押し殺して生きている
全ては私のくだらないプライドのため
事務所の皆がプロデューサーさんに向ける好意を知っているからこその我慢
アイドルの中で最年長である私だからこその我慢
私は皆のお姉さん
お姉さんは我慢して、一番良い条件を皆に譲らなければならない
それが、私がずっと探し求めていた運命の人であっても……
………けれど、どんどん膨らむこの想い
我慢すればする程、プロデューサーさんに抱く想いは強くなる一方だった
美希ちゃんがプロデューサーさんに抱きつく度に胸が苦しくなる
春香ちゃんがプロデューサーさんにクッキーを渡して、頭を撫でられているのを見るだけで心臓が痛くなる
音無さんと飲みに行く約束を、笑顔で交わしているプロデューサーさんを見ているだけで涙が出そうになる
けれど、その全てを抑え込み笑顔でいる私がいる
自分でも訳が分からないプライドがそうさせる
笑顔という名の仮面を被った馬鹿な私
自己満足でお姉さんぶる馬鹿な私
分かっていても止められない馬鹿な私
一人、部屋で涙を流す馬鹿な私……
.
私の目覚めを手助けしてくれるのは小鳥の囀りではなく、プロデューサーさんの優しい声でもなく、けたたましく鳴る大量の目覚まし時計
のそのそベッドから這い出て、のそのそと朝食の準備をする
何時もの流れ
何時もの朝
朝食を済ませると、シャワーを浴びて、髪の毛を乾かし、化粧を済ませる
何時もの流れ
何時もの準備
机の上に置かれた写真立ての中で、優しい笑顔を見せているプロデューサーさんにキスをして家を出る
何時もの流れ
何時もの……我慢
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「おはようございます〜」
何時も通りの朝の挨拶を誰に向けるでもなく、事務所の扉を開けると同時に笑顔で放つ
「あ、おはようございますあずささん。 丁度良かった。 今から重大発表がありますんで集まってください」
朝一番に私を出迎えてくれたのは、嬉しそうな顔をしたプロデューサーさんでした
その顔に見惚れる時間も無いままに、プロデューサーさんは私の手を引き、社長室へと連れて行ってくれた
数秒の間だけだが、私の右手で感じるプロデューサーさんの手の温もりは、頑固な私のプライドを崩そうとしていた
しかし崩されかけたプライドは、社長室の中で待ち構えていた皆の表情を見ると、何時もの強引に作られた笑顔の仮面を被った私に戻った
.
「さて……皆揃ったようなので、これから重大発表をしたいと思う」
社長がわざとらしい咳払いをし、真剣な顔で話し始めた
しかしその真剣な表情とは裏腹に、少し上がった口角からこれから話される発表の内容は皆にとって喜ばしい事だと推測される
「実はだね……なんと! 皆のオフの予定を合わせれたので、慰安旅行に行く事が決定したのだよ!」
社長の口から発表された内容は、案の定皆にとって喜ばしいものでした
そうして、ワンテンポ遅れてやってくる皆の驚きの声
皆の嬉しそうな顔、声が社長室に響き渡る
その中に混じって喜んでいるプロデューサーさん
私も皆で揃っての旅行なんて初めてで、とても楽しみです
……今回くらいは純粋に楽しみましょう
.
「それじゃあ各自自由行動! けど遠くへ行っちゃダメよー!」
引率役の律子さんが、笑顔で皆に注意をしている
皆も律子さんの声を皮切りに、満面の笑みで海へ向かって走っていった
楽しそうな皆の声と、静かな波の音、柔らかい風の音
全てが私の心の疲れを癒してくれているようです……
「けど良かったですね。 来れたのが伊織の家のプライベートビーチで」
「そうですね。 他の人達が居たら騒ぎになりかねないですからね」
ビデオカメラを持ったプロデューサーさんと、一眼レフを持った律子さんが肩を並べて皆の様子を見ている
保護者ともとれる二人の距離感に、また胸が少し痛んだ
.
プシュ
そんな事を考えている私の横で、音無さんがビールのプルタブを開けていた
「さぁさぁ! あずささんも飲みましょう!」
このビーチに辿り着くまでの車内でも結構な量を飲んでいた音無さんは、顔を真っ赤にして完璧に出来上がっていた
「いえいえ〜、私はそんな〜」
無難な返事でその場を逃れようとする私
しかし音無さんは、片手に持っていたもう一本のビールのプルタブを開け、私に無理やり手渡してきた
右手に持ったビールの缶はキンキンに冷えており、砂浜の照り返しによって温められた私の身体を冷やしてくれていた
.
「ハニーも一緒に遊ぶのー!」
「うわ! こら美希!」
視線を缶ビールから前へ戻すと、水着姿の美希ちゃんがプロデューサーさんに抱き着いているのが見えた
……また締め付けられる私の胸
それを誤魔化すためか、私は右手に持ったビールを口に当て、一気に喉へと流し込んだ
「おぉ! あずささんもいける口ですねー!」
音無さんが楽しそうな声を出し、それが聞こえると同時に、私の胸の痛みが引いていくのが分かった
お酒を飲む事によって、私を苦しめていた痛みから解放される
……それが分かった瞬間私の右手は、再び音無さんから差し出されたビールの缶を手にとっていた
.
「近所のお寺で祭りがやってるらしいから、これから皆で行くぞ!」
プロデューサーさんはそう言っていたと思う
何故“思う”だけなのかというと……少々飲みすぎてしまったらしく、私の耳に届くプロデューサーさんの声は、少し掠れて聞こえたから
「それとな、実は旅館の女将さんのお気遣いで浴衣を貸してもらえるらしい! 各自部屋で着替えて、一時間後に玄関集合な!」
浴衣……お祭り……
あれ……音無さん、私を引っ張って何処へ連れて行くんですかー?
.
「近所のお寺で祭りがやってるらしいから、これから皆で行くぞ!」
プロデューサーさんはそう言っていたと思う
何故“思う”だけなのかというと……少々飲みすぎてしまったらしく、私の耳に届くプロデューサーさんの声は、少し掠れて聞こえたから
「それとな、実は旅館の女将さんのお気遣いで浴衣を貸してもらえるらしい! 各自部屋で着替えて、一時間後に玄関集合な!」
浴衣……お祭り……
あれ……音無さん、私を引っ張って何処へ連れて行くんですかー?
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少し意識が飛んでいました……
先程より気分も晴れ、意識もはっきりしてきましたが……
……何故私は浴衣を着て、旅館の玄関に立っているのかしら?
「お、あずささんはやっぱり浴衣似合いますね」
「あ……プロデューサーさん……」
「あれ、どうしました、あずささん? 顔色が悪いですよ?」
「い……いえ、大丈夫ですよ〜」
酔が覚めると同時に、気持ち悪さと頭痛が私を襲ってきた
けれど、何故かプロデューサーさんにそれを知られたくなく、強がってしまう私
「そうですか……具合悪かったら遠慮せずに言ってくださいね」
「は、はい」
「それじゃあ皆で祭り会場へ行きましょう」
……微かだが思い出してきた
海から旅館に戻って直ぐに、プロデューサーさんが皆で祭りに行く事を提案したんだった
私は現状を少し把握し、そのまま皆の後ろを着いて祭り会場まで向かった
.
「プロデューサーさん! りんご飴ですよ! りんご飴!」
「兄ちゃん! 亜美、あの射的やりたーい!」
「兄ちゃん兄ちゃん! 真美はあのわたあめが欲しい!」
「ハニー! 美希と一緒に焼きおにぎり食べるの!」
祭り会場である神社の参道には様々な出店が立ち並び、スピーカーから流れる祭囃子がお祭りの活気を更に盛り上げていた
その参道で皆から引っ張られ、色々な物を買わされるプロデューサーさん
……社長がもし今日来ていたなら、その役目は社長のものになっていたでしょうね
「ぷろりゅーりゃーしゃーん! あはひといっひょにのみまひょー!」
「こら、小鳥さん飲みすぎですよ! まったくもう……」
プロデューサーさんにまとわりつく音無さんは、律子さんに羽交い絞めにされていました
そんな賑やかな皆の行動を後ろで見ているだけの私
下手なプライドと具合の悪さが相まって、今私は引き攣った笑顔になっているでしょう
……少しフラフラしますし……
.
「……大丈夫ですか、あずささん?」
「あ……プロデューサーさん……」
立ち止まり、少しふらついていた私の目の前には、何時の間にかプロデューサーさんが立っていた
……こんな姿見られたくないのに……
「……具合悪いんですね?」
「……いえ、大丈夫です」
「……俺は嘘付く人が嫌いです」
「…っ」
「旅館へ帰りましょう。 俺が送っていきます」
「で、でも皆は……」
「音無さん……律子に任せるんで大丈夫です」
「でも……」
「デモも、ストもありません! 行きますよ!」
「あ……」
久しぶりに感じるこの手の温もり
プロデューサーさんの優しい手の温もり
………ずっとこうして、私の手を握っていてほしい
私の手を引くプロデューサーさんの背中を見ながら、私のくだらないプライドは少し崩れかけていた
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先程まで耳元で聞こえていた祭囃子も今じゃ私の耳元から離れ、遠くで賑やかに鳴り響いているだけだった
頭に響き、不快だったはずの祭囃子も今では心地良い音へと変わっている
その心地良い音に耳を傾けている私の手を黙って引いてくれているプロデューサーさんは、先程から一言も発する事なく前を向き続けている
何時も迷子になってしまっている私を探しに来てくれて、見付けた後に笑顔で私を事務所までエスコートしてくれる姿と被るこの状況
……けれど今回は私の手を握ってくれている
嬉しさの所為か、お酒の所為か分からないが頭がポーっとしてきた
そんな呆けている私が神社の階段を下りている最中何かに躓き、バランスを崩してしまった
現実に頭を引き戻し慌てて体勢を立て直そうとするが、地面に着こうとした右手はプロデューサーさんに握られていたため、私の身体は階段へと引き寄せられていった
目を瞑り身構えていたが、何時まで経っても私の身体に階段が触れる事はなかった
……その代わりに感じる人の温もり
「大丈夫ですかあずささん!」
目を開けると、そこにはプロデューサーさんの顔
私はプロデューサーさんに抱き締められていた
「良かった……あ、鼻緒が切れちゃってますね……」
右足に履いていた下駄が、足先でプラプラ動くのを感じ取れた
見て確認すればよかったのだろうが、私の視線はプロデューサーさんの顔から離せずにいた
「……どうしました?」
「あ……いえ……」
顔が熱くなる
今までこんな近くでプロデューサーさんの顔を見た事がなかったから……
「……けど、これじゃあ歩いて旅館に戻るのは無理ですね……」
「そう……ですね……」
プロデューサーさんは少し悩んだ表情を見せた後、いきなりしゃがみ込んで私に背を向けた
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