真奥「行くぞ芦屋、半値印証時刻だ!」 (27)
恵美「魔王が一般人に暴力を振るったですって……!?」
鎌月鈴乃からのその電話の内容に、遊佐恵美は驚愕した。
今は人間"真奥貞夫"として生活している魔王サタン。
彼を倒す使命を背負い、この日本にやってきた勇者である彼女にとって、それは見過ごせない情報だった。
いくつかの事件を経て、真奥と敵同士であるという事実は変わらないものの、
この日本で真面目な一般人として過ごす彼の姿勢だけは認めざるを得まいと思っていた矢先だ。
鈴乃「今夜、少々遅い時間に駅前のスーパーに買物に行ったときのことだ。店から出てくる魔王とアルシエルを見かけた」
鈴乃「アルシエルだけならたまにスーパーで会うことはあったが、魔王がいるのは珍しいなと思いながら店に入ると」
鈴乃「……店内には、傷つき倒れた無数の人間達の姿があったのだ」
彼らは何とか立ち上がりながら、口々に言ったという。
——くそ、"魔王"め。
——また"魔王"と"悪魔大元帥"にやられたな。
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恵美「……まさか、そんな。それが本当だとしたら……」
鈴乃「不可解な話だが、奴らはその正体をあらわにして、人間達を襲ったということになる」
不可解、と彼女が言った意味は恵美にも分かった。
彼らが——悪魔である彼らを信用するようで業腹だが——今更人を襲うはずがないということ。
仮に襲ったとして、被害者が生存していること。
そして、被害者は彼らを"魔王"、"悪魔"であると認識していること。
鈴乃「どうにも腑に落ちん話ではあるが、放っておくわけにもいかないだろう」
鈴乃「また奴らが二人揃って出かけることがあれば連絡する。共に様子を見に行ってはくれないか」
恵美「勿論よ。家で待機しておくようにするわ」
電話を切り部屋に静寂が戻ると、恵美は自分が思っている以上に動揺していることに気がついた。
恵美(……あいつらを信用なんて、していたわけじゃない。所詮あいつらは悪魔なんだから)
そう心中で嘯きながらも、何かに裏切られたような気持ちが消えることはなかった。
恵美「……ここね」
鈴乃「ああ」
数日後、鈴乃からの連絡を受け、二人が来たのは笹塚駅前のスーパー。
時刻は二十時を回っている。
この日、魔王はバイトが休みだったようで、一日家に居たという。
連れ立って歩く真奥とアルシエル——芦屋を尾行し、彼らが店に入るのを確認したが、
外から見る限り何か異常事態が起こっている様子はない。
恵美「埒があかないわね。あいつらに見つからないように、中に入りましょうか」
その提案に鈴乃も頷き、二人は店内に入った。
外の熱気から一転して、エアコンの冷気が汗をかいた身体に心地良い。
真奥達の姿を探してみれば——
恵美「——いた」
その姿は容易に見つけられた。
だが、それは違和感のあるものだった。
人がスーパーに来る理由は買い物以外にあるまい。
だが彼らは、手にカゴも持たず、製菓コーナーで適当に棚を見つつも、何も買う様子はなかった。
その姿は、
鈴乃「……まるで、何かを待っているようだな」
恵美「あいつらだけじゃないわ。……他にも数人、似たような"空気"の奴らがいる」
それは彼女達の、歴戦の勇士としての感覚によって感じ取られたものだ。
店内にいる多くの客は、そのような存在は気にもとめず、自身の買い物を済ませている。
その中にあって、真奥達を含む数人は、ただ漫然と立ち尽くしていた。
そのとき、店内の雰囲気が変わった。
従業員用の扉が開かれる。
中から出てきたのは店員と思しき男。
彼は手に何かを持ち、弁当コーナーにゆっくりと歩いて行った。
鈴乃「……半額シールを張っている、のか?」
店員は売れ残っている数個の弁当にシールを張っている。
何のことはない、珍しくもない光景だ。
弁当のような保存の効かない商品は、売れ残る気配があれば
店にも依るが十パーセントや二十パーセント、それでも売れなければ半額まで値が落ちることがある。
だのに、その普通の光景を見ながらも鈴乃が疑問の声を上げた理由。
それは真奥達の様子にあった。
先ほどまで、ただ時を待っていた様子の彼らが、真剣な目でシールを張る店員を見ている。
他に感じた数人の"同類"も、同様に。
彼らの様子からはまるで、その半額シールを貼る行為が神聖な儀式であるかのような錯覚を受けた。
やがて店員はシールを張り終え、扉に戻る。
"彼ら"の緊張は最高潮に達したようで、張り詰めた雰囲気が弁当コーナーの周りに漂う。
店員が扉の中に入り、扉が閉まったその瞬間。
弁当コーナーは戦場と化した。
店内のあちこちで待機していた数人の男女が、全速力で弁当コーナーに駆け寄る。
それは勇者である恵美の目から見ても驚嘆すべき速さだ。
とても地球の人間の運動能力とは思えなかった。
真奥「行くぞ芦屋!」
芦屋「はっ!」
見れば、真奥達も同じく、弁当コーナーに走り出していた。
恵美「なっ……」
彼女が絶句した理由は、彼らの出で立ちにあった。
真奥の頭から角が生えている。
芦屋の身体を鱗が覆っている。
かつて何度か見たような、完全な悪魔化ではない。
だが今の彼らの姿と内包する力は、人間のものではなかった。
真奥「おおおおおおっ!」
真奥が走りながら拳を振りかぶる。
それはただの拳ではなく、魔力の奔流を纏っていた。
恵美「……! やめなさい、魔王っ!」
咄嗟に上げた静止の声など届かず、真奥の拳は近くを走る男に叩きつけられた。
男はそれをまともに喰らい、実に数メートル以上吹き飛ばされ、壁に激突した。
彼はそれきり、動かなかった。
——殺した。
同じ思いが恵美と鈴乃の頭を支配していた。
仲間などではない。だが人間に危害を加えるような存在でもなくなったと、そう思っていた。
鈴乃「っ! エミリア、あれを!」
呆然としていた恵美の正気を取り戻させたのは、一足先に我に返った鈴乃の叫びだった。
彼女の指差す先を見れば、そこには信じ難い光景。
魔力を纏う真奥に対して、殴りかかる人間達の姿があった。
真奥「ちっ! やるな、てめえら!」
「悪いな……そうそう毎回あんたらに負けるつもりはないんだよ、"魔王"!」
元々仲間だったのか、即席で組むことにしたのかは分からないが、真奥と芦屋以外の人間が真奥を囲んでいた。
繰り出される拳は、蹴りは、真奥の足を止めるばかりか、ダメージすら与えているようだった。
その隙に攻撃に加わらない人間が弁当に手を逃すが、
芦屋「させるか!」
横から繰り出された芦屋の掌打——否、ごく小さな念動力が、相手を吹き飛ばした。
芦屋「魔王様、ここは私にお任せを! 弁当に急いでください!」
真奥「分かった、任せる!」
目の前の人垣をすり抜けて真奥が弁当に向かう。
それを防ごうとする彼らの前に、芦屋が立ちはだかった。
芦屋「行かせはせんぞ! 魔王様の邪魔をしたくば、この悪魔大元帥アルシエルを倒してからにしてもらおう!」
恵美「名乗るなぁぁぁぁっ!!」
戦いでテンションが上がったのか堂々と本名を名乗る芦屋に、思わず恵美が叫んだ。
その声を気に留める者はおらず、彼らは弁当コーナーに辿り着くため芦屋に攻撃を加えた。
しかし鱗に覆われた芦屋の身体はそれらを尽く弾く。
弁当を手にした真奥が叫んだ。
真奥「取ったぞ! 芦屋、お前も急げ!」
芦屋「はっ!」
芦屋が群がる人間達を念動力で吹き飛ばす。
それは軽いもので、彼らは一歩後ろに下がったに過ぎなかったが、芦屋が弁当を手に取るには十分な隙だった。
真奥「よし、よくやった芦屋!」
芦屋「お褒めに与り光栄です、魔王様」
弁当コーナーの側で部下を褒める真奥と跪く芦屋。
不思議なことに、先ほどまでの光景が嘘のように、彼らに攻撃する者はいなかった。
代わりに、未だ弁当を手にしていない者達で残りの弁当を争い戦っている。
それを尻目に、レジで二つの弁当と、漆原の分であろうどん兵衛を購入し、入り口のほうに歩く真奥が恵美と鈴乃に気づいた。
真奥「あれ、何してんのお前ら」
恵美「あなたが何してんのよぉぉぉ!?」
思わず頭を抱え絶叫する恵美だった。
隣の鈴乃も微妙な顔をしている。
凄惨な光景を想像して来てみれば、そこには魔王と互角に殴りあう人間達の姿。
それは戦闘と言うよりも、スポーツで競っているとでも形容したほうが正しいような雰囲気だった。
見れば最初に殴り飛ばされた男も起き上がり、カップ麺を買っている。
二人には何が起きたのかまったく理解できなかった。
真奥「ああ、もしかして俺が魔力を取り戻すとでも心配してたのか? だったらお前らが気にする必要はねえよ」
真奥「"腹の虫の加護"は、スーパーで腹が減ってるとき限定のものだ。持ち越せるようなもんじゃない」
真奥「半値印証時刻(ハーフプライスラベリングタイム)にならないと発動しないんだからな」
恵美「ハーフ……何?」
疑問の声を上げる恵美を手で制して真奥が言う。
真奥「説明なら帰りながらしてやるから、行こうぜ。早く夕餉にありつきたいんだ」
数日後、再び笹塚駅前のスーパーを訪れる恵美と鈴乃の姿があった。
鈴乃「……で、どうする気だ? エミリア」
恵美「……そうねぇ」
若干投げやりに答える。
先日の真奥の言葉を信じるのなら、放っておいてもいい気はしていた。
曰く、半値印証時刻……弁当に半額シールが貼られたとき、それを争う"狼"と呼ばれる人種がいるらしい。
彼らには腹の虫の加護が与えられ、人間離れした力が与えられるとか。
真奥達が魔力を取り戻したのもその作用であるようだ。
たまたまその光景を目撃した芦屋が真奥にそれを報告した結果、彼らはそれに参戦することを決めた。
真奥が夜のバイトを入れていない日のみ弁当争奪戦に参加し、半額弁当を購入しているそうだ。
こんなときでもなきゃ肉は食えないんだぞ、そう言って半額のハンバーグ弁当を
自慢げに見せつけてくる仇敵の姿に、虚しさと切なさを感じた恵美だった。
恵美「狼ねえ……」
その胡散臭い存在を思い、恵美が嘆息する。
彼らの中で一際強い者、目立つ者には二つ名が与えられることがあるらしい。
参戦以来連戦連勝の真奥達は、本人の名乗った名が定着し"魔王"、"悪魔大元帥"と狼から呼ばれていた。
恵美「まあ……もっかい様子を見てみて、言葉通りみたいなら放っときましょうか。アホらしい」
鈴乃「そうだな」
取り戻した魔力を振るえるのが弁当を買うためだけというのなら何の危険もない。
二人は真奥達が入店したスーパーに入った。
同時刻、笹塚駅に降り立つ三人の男女の姿があった。
厚底のブーツが印象的な鋭い目をした少女に、髪を後ろで括った眼鏡の少女、
そしてもう一人は中肉中背でこれといった特徴のない少年だった。
「……けど、何で笹塚なんですか? いつも合宿と言えばもっと遠くに行ってましたよね」
少年が一人目の少女に問うた。
少女が笑って答える。
「合宿というほどの大げさなものじゃない。ここに来たのは、気になる話を聞いてな」
「"毛玉"の情報だから当てにはならないが、つい先日、突然狼となり、あっという間に二つ名を得た男が二人笹塚にいるそうだ」
「曰く、角を生やして全てを蹴散らす男、"魔王"」
「そして身体が鱗に覆われておりどんな攻撃も効かない長身の男、"悪魔大元帥"、だとか」
少年が眉をひそめる。
「……なんですかそれ」
「まあ角云々は眉唾としても、相当な相手ではあるのは確かなようだ」
「彼らはその二つ名どおり、"悪魔大元帥"が"魔王"に付き従うように援護し、戦うらしい」
「……主従関係……背の高い従者が立場どおり責められるのか、それともプライベートでは逆転し……あぅっ!」
何やらニチャアとおぞましい笑いを浮かべて独り言を呟く眼鏡の少女の後ろ髪を、少年が引っ張った。
談笑しながら三人は駅を出ると、すぐ近くに見えたスーパーに入店した。
恵美「あれ、千穂ちゃん?」
千穂「遊佐さん、鈴乃さん! こんばんは〜」
恵美と鈴乃が店に入ると、意外な姿があった。
この世界の友人である佐々木千穂だ。
鈴乃「千穂殿、何故こんな遅くにスーパーに?」
千穂「えと、変に思うかも知れないんですけど、実は半額弁当を買いに……」
恵美「……え。もしかして千穂ちゃんも、狼とかいうやつなの?」
千穂「あ、知ってるんですか?」
千穂が顔を輝かせた。
真奥から聞いた話を恵美がすると、納得したように彼女は頷いた。
千穂「私はまだまだ弱くて、あんまりお弁当を取れたことがないんですけどね」
恵美「その……千穂ちゃん、危ないからやめたほうがいいんじゃない?」
彼女が心配気にそう言ったのも無理からぬことだ。
腹の虫の加護というのがどの程度のものかは分からなかったが、
先日の戦いを見る限り、あれに千穂が混ざるのは危険過ぎるように思えた。
千穂「心配してくれてありがとうございます。でも……」
そこで千穂は、製菓コーナーで立っている真奥の姿を見た。
千穂「普段の戦いで私、何もできないじゃないですか」
千穂「その私が、ここでだけは真奥さんと並んで戦える。それがすごく嬉しいんです」
恵美「……千穂ちゃん」
彼らには、度々元の世界からの刺客の魔の手が襲いかかっている。
真奥も恵美も、それに千穂を巻き込まないように考えているのは共通の思いだったが、
千穂にしてみれば友人の役に立てない自分の不甲斐なさを感じていたのかも知れない。
千穂「それに」
彼女の瞳が光った。
その表情はまるで、子供がとっておきの秘密を教えるかのよう。
千穂「傍からは馬鹿みたいに見えるかもしれないですけど、戦って勝ち取った"勝利の一味"のついたお弁当って」
千穂「信じられないほど美味しいんですよ。二人も良かったらどうですか?」
彼女の言葉に、恵美と鈴乃は顔を見合わせた。
そのとき。
千穂「……っ!」
千穂が竦んだ。
理由は恵美にも鈴乃にも分かった。
開いた入り口から感じられる、とてつもないプレッシャー。
三人の、学生服を着た男女がそこにいた。
真奥と芦屋と、そして店にいた数人の狼の目がそちらに集中する。
真奥の目が険しくなった。
畏怖するように千穂が呟く。
千穂「……"氷結の魔女"……」
恵美「魔女……?」
千穂「その二つ名だけ聞いたことがあります。……ものすごく強い狼だって」
確かに、先頭を歩く少女からは、言い知れぬ力を感じた。
まだ半値印証時刻前であり、開放されていないだろうその力は、しかし大天使のそれに匹敵しかねない圧力を滲ませていた。
鈴乃「……後ろの二人にも、その、二つ名とやらはあるのか?」
鈴乃が聞く。
魔女の後ろには、それほど目立つ力を感じない少年と少女。
千穂「……女の人のほうは知らないです。でもあの男の人は、もしかしたら魔女の後輩だっていう」
千穂がごくりと唾を飲んだ。
千穂「"変態"……!」
恵美「……"変態"?」
鈴乃「……"変態"、なのか」
三人の視線の先では、声が聞こえたのか少年こと変態が転けていた。
魔女「……ん? どうした佐藤」
変態「いえ、何でも……何でもないです」
こちらは声の届いていなかったらしい魔女が振り向くが、涙を流す変態はそれ以上何も言わなかった。
瞬間、店の空気が張り詰める。
恵美が従業員用の扉を見れば、そこには先日と同じ店員が姿を見せていた。
店員が弁当に半額シールを張り出す。
残っている弁当は、唐揚げ弁当、とんかつ弁当、鯖の味噌煮弁当の三つ。
三人の闖入者を加えて、店内の狼は十人を超える。
死闘は必至だった。
恵美「千穂ちゃん……」
千穂「……大丈夫です。行ってきます」
彼女らしからぬ勇ましい顔で、千穂が言う。
やがて店員はシールを張り終え、扉の中に戻っていった。
狼達が怒号を上げる。
全員が弁当コーナーに走り寄り、辺りは混戦の体を成した。
一際速く弁当コーナーに駆け寄り、そのままの勢いで弁当に手をかけようとする魔女の姿があった。
が、立ち止まる。迎撃のためだ。
手が届くより先に、敵の攻撃を喰らうと彼女は判断した。
真奥「っらぁ!!」
真奥が横合いから渾身の力で殴りつける。
その勢いには女性に対する思いやりも何もなかった。
当然だ。この場は、戦場なのだから。
常人ならば一撃で倒れるであろうその魔力の篭った拳を、魔女が紙一重で躱す。
そのままの勢いで身体を回転させ、逆に飛び上がりながらの回し蹴りを放った。
真奥がそれをアームブロックで防ぎ、反動で二人の距離は離れた。
魔女「……驚いた。本当に角が生えているんだな。狼にも色々いるものだ」
真奥「こっちこそ。俺の部下にならないか、あんた」
魔女「生憎だが。私にも導かなければならない後輩がいる」
互いに弁当を取られないよう牽制しつつも、二人は笑いあった。
誰もが殴り合い弁当に近づけない混戦の中で、そこだけは時が止まったような静けさがあった。
二人が示し合わせたように、互いに向けて地を駆ける。
そのまま二つの拳が交差した。
千穂は焦っていた。
先頭集団に出遅れ、彼女は混戦に巻き込まれていた。
これら全てを倒して弁当に辿り着くのは現実的ではない。
その前に、誰かが数の少ない弁当を取ってしまうだろう。
千穂「何か、手は……!」
近くにいた者の攻撃を防ぎながらも思案する。
その彼女の頭上に、影が落ちた。
千穂「えっ!?」
見上げればそこには変態の姿。
いかなる術を使ったのか、彼は高く飛び上がり、天井に足をつけていた。
まるで、魔術のように。
千穂(……いけない! あれを放置したら……)
変態「おおおおお!」
変態が天井を蹴る。
その軌道は、まっすぐ弁当コーナーに向かっていた。
しかし、
変態「うぼぉっ!?」
千穂「てやあっ!」
手近な人間を踏み台にして自らも飛んだ千穂が、変態に飛び蹴りをかます。
勢い良く吹き飛ぶ変態と千穂。
彼らはそのまま、集団を抜け弁当コーナー近くまで抜けだした。
千穂(今!)
魔女が視界に入るが、彼女は真奥と鍔迫り合いを繰り広げている。
横合いから魔女に一撃を加え、その隙に真奥と二人で弁当を取る、そう筋書きを立てる。
だが、その足は止まった。
千穂「きゃあっ!?」
変態「させるかぁぁぁっ!」
変態が千穂に抱きつくようにして押し倒した。
千穂の上に乗り、その襟首を掴んで止めの拳を振り上げる。
しかし——
変態「あ」
千穂「え」
あくまで動きを封じるためだったろう、千穂の襟首を捕まえた変態の左手は、
体勢が悪かったのか、千穂の大きな胸にふにょんと押し付けられていた。
変態の動きが止まる。
千穂「……いやあああ、変態ーっ!」
変態「ごめんわざとじゃなぐふっ!」
千穂の突き上げた拳が、変態の顔面に突き刺さった。
芦屋「くそ、何だこいつは……!」
芦屋の顔を汗が流れる。
一刻も早く真奥を助けに行かなければならないというのに、そうできない理由があった。
彼の目の前には魔女の連れていた眼鏡の少女。
大した戦闘力は感じられない——そう考え、一撃のもとに倒そうとするが、それができない。
拳も、念動力すらも、全てを霞のように躱しているのだ。
まるで死霊系の魔物を相手にしているような感覚が芦屋にはあった。
不可解なのはそれだけではない。
彼女は芦屋の攻撃を避けながら、幾度も彼に触れているのだ。
それは攻撃と呼べる強さを持たず、文字通りただ触れているだけのようだった。
だのに、触れられるたび芦屋の背に恐怖が走る。
芦屋(こいつは何をしている……いつでも倒せるのに私を嬲っているのか……!?)
焦りから、大ぶりの拳を放つ。
それを躱した少女が、芦屋の背後に回り込んだ。
ふと、耳元で囁く声があった。
地獄から響く怨霊のような声が。
少女「あなたは……攻めですか? 受けですか? 悪魔大元帥さん」
その言葉と共に、少女は芦屋の尻を深く撫でた。
芦屋「ヒィィィィ!?」
その手に呪いでもかかっていたかのように、それは芦屋に許容値を超えた恐怖を与え、彼を失神させた。
真奥「芦屋! ……ぐっ!」
芦屋の魔力が消えたことを感じた真奥が一瞬振り返った隙を逃さず、魔女が蹴りを放った。
咄嗟に身を捩り致命傷は避けたものの、真奥は大きく後ずさって膝を付いた。
その横を駆け抜ける怨霊の姿。
気づいたときには、どうやって混戦を抜けたのか、目にも留まらぬ速さで眼鏡の少女がとんかつ弁当を手にしていた。
続いて魔女も弁当に手を伸ばす。
千穂「やらせないっ!」
脇を見れば、顔を抑えてうずくまる変態を振りきって駆け寄る千穂の姿があった。
真奥「やめろ、ちーちゃんの敵う相手じゃない!」
忠告は無意味だった。
魔女が千穂の拳を容易く避けながら、その胸に掌底を放つ。
勢い良く吹き飛び、倒れ伏した千穂は起き上がれなかった。
魔女が鯖の味噌煮弁当を手にする。
魔女「あと一つだぞ、佐藤。唐揚げが食べたいと言っていただろう」
言いながら魔女は弁当コーナーを離れる。
見れば、唐揚げの単語に反応したのか、変態が起き上がろうとしていた。
彼は真奥よりも弁当コーナーに近い。
脅威はそれだけではなかった。
弁当が残り一つとなった今、最早一刻の猶予もないと判断したのか、
乱闘していた狼達が真奥の背後から弁当に向けて駆けていた。
前門の変態、後門の狼。
いかな真奥と言えど、傷ついた今、この状況を打開する術は思いつかなかった。
真奥「くそっ……!」
歯噛みする。
僅かな可能性に賭けて一番先に弁当に辿り着くべく、震える足で立ち上がろうとした瞬間——
恵美「空突閃!」
聞き慣れた声と、無数の打撃音が聞こえる。
真奥の背後の狼達を拳で一掃した恵美の姿があった。
恵美「だらしないわね、魔王」
見下ろすようにして彼女が言う。
恵美「あなたを倒すのはこの私よ。どんな戦いだろうと、それまで負けることは許さない」
毅然としたその言い分に、思わず真奥が笑みを零した。
真奥「……言われるまでもねえっつうの」
立ち上がる。
見れば変態もちょうど立ち上がったところだった。……鼻血が痛々しかったが。
真奥「よう、決着をつけようぜ、変態」
変態「それやめてくんない!? ……望むところだ、魔王!」
立っているのは真奥と変態のみ。
互いに邪魔をされる前に弁当を取れる位置ではない。
ならば……雌雄を決するだけだった。
「「うぉおおおおお!!」」
駆け寄り、残った力を振り絞り殴りあう。
ダメージは真奥の方が大きかったが、変態は何かの理由で腹の虫の加護が弱まっているのか、
結果として互いに譲らぬ打撃戦となった。
変態が攻撃のリズムをずらし、真奥の太腿に平手を放った。
真奥「っ!?」
途端、がくんと真奥の膝が崩れる。
どんな術を使ったのか、毒でも受けたように打たれた足が動かない。
その隙に変態が弁当に手を伸ばそうとするが、
真奥「……させるかよ!」
残った微かな魔力で精製した魔力弾を変態の足下に放つ。
変態「うおっ!?」
予想もしなかった牽制に変態が後ずさる。
何をされたか気にする余裕がないのか、それとも狼の中にはもっと怪しい技を使う者がいるのか、
変態は魔力弾をそれほど気にかけることもなく再び真奥と対峙する。
互いに大した力は残っていない。
次の一合が最後の勝負になる、と互いに確信した瞬間——
変態「あ」
真奥「あ?」
変態がぽかんとした顔で弁当コーナーを見る。
戦いの最中だが、つい釣られて真奥もそちらを見ると、
恵美「……ん? ああ、ごめんね。でも"争奪戦"だものね?」
笑って唐揚げ弁当を手にした恵美の姿があった。
真奥「ちくしょう、恵美のやつ……」
芦屋「申し訳ありません魔王様、私が不甲斐ないばかりに……」
千穂「負けちゃいましたねー」
三人揃って敗北の証、どん兵衛を購入した。
芦屋は屈辱のあまり涙すら流している。
あるいはそれは、恐怖の涙だったのかもしれない。
その横を、魔女達三人が通り過ぎ、店を出て行った。
一瞬、互いに視線を合わせる。
言葉は交わさない。
狼同士の交流など、拳以外に必要ない。
真奥「またあいつら来たらボコボコにしてやろうな、ちーちゃん」
千穂「はい! ボコボコです!」
彼女は意気込んで答えた。
芦屋「……しかし、少し気になっていたんですが……」
真奥「お前もか? ちーちゃんも?」
千穂「はい。あの変態さんですよね?」
三人は目を見合わせて頷いた。
真奥「なんか漆原に声が似てたな」
芦屋「ですね。まあ変態ですし」
千穂「変態さんはああいう声になるんですかね?」
揃って腕を組み、今も魔王城で無為な時間を過ごしているであろう社会不適合者の悪口を言っていると、
恵美「あ、いたいた」
鈴乃「間に合ってよかった、千穂殿」
レジを済ませた二人がやってきた。
恵美は唐揚げ弁当に惣菜、鈴乃も惣菜類を手にしている。
真奥「お前、唐揚げ弁当食った上にまだおかず食うのか? 太っても知らねえぞ」
敗北の屈辱から、少々刺のある口調で真奥が言うと、恵美が答えた。
恵美「違うわよ、あなたたちこれからアパートでご飯にするんでしょ? 千穂ちゃんも」
千穂「はい、そのつもりです」
恵美「だったら……」
そこで彼女は言いづらそうに言葉を止め、やがて仏頂面で続けた。
恵美「……私達も行くから。唐揚げ分けてあげるわよ。あんたたちにも」
真奥達を敵対視している恵美のものとは思えない言葉に、真奥と芦屋が目を丸くする。
それ以上何も言わない彼女をフォローするかのように鈴乃が言った。
鈴乃「まあ、戦果を掠め取るような勝ち方では、勇者の誇りに傷がつくものな?」
恵美「……そういうことよ。だから山分け。いいわね?」
それ以上の問答は無用、とばかりに恵美が歩き出す。
一瞬後、真奥達も互いに笑い合ってその後に続いた。
外に出る。
夜も更けてきたとはいえ、夏の暑さは変わらなかった。
恵美「……あ」
真奥「どうした?」
ふと気づいたように、レジ袋の中身を確認する恵美に真奥が問うと、
恵美「いや、この弁当の唐揚げの数、五つだなって」
五人が顔を見合わせた。
真奥「……まあ、漆原はいいか」
恵美「そうね」
あっさりと結論を出す二人に、誰からも異論は出ない。
魔王城で自堕落を極めている堕天使に、そのことを知る由もなかった。
おしまい
以上です。単純に好きなラノベを二つくっつけた話です
唐揚げ食いたいです、唐揚げ
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