浜田まりん「と、友達の話だけど……」 (11)
浜田まりん。
なんて冗談みたいな自分の名前が正直あまり好きでは無かったけれど、親友から『はまりん』と呼ばれてみるとそう悪くなかった。
平和台高校の文芸部において部長を務める私の元には日夜部員が描いたり書いたりした作品が届き、それに目を通してアドバイスをすることが、存在意義であり存在理由だ。
ちなみに私はとっくの昔に筆を折っており、もっぱら読み専で、将来は編集者にでもなれたら良いなと思っているけど、いかんせん学力が足りず、高学歴を求められる編集者への道のりは遠い。
作家の先生方には高学歴が多く、そんな人たちに指図をするならばある程度の教養は身につけておくべきだということは理解出来るけれど、勉強は小説と違って終わりがなく、ひと休みと思って小説を読むと項をめくる手が止まらなくなり、結局最後まで読み終えた読了感に浸りながら安眠して、勉強を再開することはなかった。
ある有名なアニメ監督はこう語る。
映画は不幸な人のためのものだと。
それは小説にも当て嵌まると思う。
「と、友達の話だけど……」
顔面を真っ赤にしながら、私は親友の恋人である東司朗に相談するべく口火を切った。
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「また友達の話か」
「な、なんか文句ある!?」
うんざりした様子の東に対して喧嘩腰で吠えて見せると、彼は肩を竦めて続きを促した。
「いや、聞くだけ聞こう」
ひとまず聞いてくれる姿勢を見せた東に対して、私は内心感謝しつつ、友達の話ではなく自分自身の赤裸々な悩みを打ち明けた。
「その友達には最近、彼氏が出来て……」
「ふむ」
「なんかよくわからないけどすごく大事にされてて」
「めでたいな」
「あ、ありがと……いや、そうじゃなくて、大事にされるのは嬉しいんだけど、その子としてはもう少し距離を縮めたいなと」
「なんだそのはしたない女は」
ガンッ! と、頭をバットで叩かれたような衝撃を受ける私に、東は偉そうに説教した。
「その彼氏とやらが節度をもって接しているのはひとえに彼女のことが大切だからだろう。にも関わらず、いつになったら襲ってくれるのかなどと、よくもそんな催促が出来るものだ。手を出したら手を出したで、まだ心の準備が、なんて抜かしてお預けするのだから余計にタチが悪い。思うに、求められている自分に酔い痴れたいだけなんじゃないか?」
「ご、ごめんなさぁあああいっ!」
あんまりな東の物言いに私は泣き崩れた。
「ん? 何故部長が泣き崩れるんだ?」
「わ、私にもいろいろあるのよ!?」
鈍い東はそのはしたない女が私であると気づいておらず、キョトンと首を傾げつつも。
「とにかく、そういうタイミングは男に任せて、いざそうなったら拒まずに受け入れればいいんだ。無論、本当に嫌な時は関係を破壊してでもきちんと拒否するべきだが……」
それもう脅迫じゃん。関係は維持させてよ。
「たぶん、その子は自信がないのです」
「ふむ?」
「その子にはとても美人な親友が居て、その美人さんと比較すると月とすっぽん、豚に真珠、猫に小判と言った具合でして……」
「月とすっぽんはわからなくもないが、あとの2つは完全に誤用だろうから今後は控えたほうがいい。それにしても、自信か……」
淡々と誤用を指摘しながらも東は腕を組んで目を瞑り、何やら考え込んでいる様子。
三白眼気味の彼は伊達眼鏡を着けていて、それを外すと異常に目つきが悪くなる。
とはいえ、端正な顔立ちをしているので、こうして目を閉じれば女顔であるとわかる。
「先に言っておくが、身体を求められたからといって自信がつくとは限らんし、それで自信を持つことは健全とは言えないぞ」
「……はい」
それでもわかりやすい何かが欲しいのだ。
口では可愛いと言っても、そういう対象ではないのは寂しい。そう、私は寂しいのだ。
「そんな顔をするな」
言われて顔を上げると東と目が合った。
三白眼が眼鏡のおかげで緩和されている。
口元に優しげな微笑を浮かべた彼はまるで聖人のようで私は迷える子羊のように縋った。
「肉体関係はさておき、ひとまずはスキンシップを深めるというのはどうだろう」
「スキンシップ?」
「手を繋ぐでもいいし、腕を組むでもいい。頬を撫でてみたり、頭を撫でてみたり、とにかく身体的接触を増やしてみればいい」
なるほど。たしかにそれなら私にも出来る。
「で、でも、ベタベタして嫌じゃないかな」
「さてな。嫌がるようならやめればいい。ともかく行動あるのみだ。でなければ、一向に距離は縮まらないからな」
クイッと眼鏡を押し上げながら、東はもっともらしくそう結論づけた。大した奴だよ。
そこでふと、私は本物の親友とその恋人である東との関係性について気になり、尋ねた。
「ところで東のほうはどうなの?」
「どう、とは?」
「のぞみんと上手くいってるの?」
のぞみんこと、相沢のぞみ。私の親友で学校で一番の美人さん。東とは月とすっぽん、豚に真珠、猫に小判の凸凹カップルである。
「相沢さんとは僕なりに上手くコミュニケーションを取っているつもりだ」
「具体的には?」
「一緒に出かけた際に、相沢さんが少し席を外す時には必ず、うんこか?と尋ねている」
「なんでそんなこと言うの!?」
のぞみん、最近物憂げな表情をすることが多いと思ったら、この男のせいか。許せん。
「何故と言われても困る。これはある種の礼儀作法のようなもので……」
「無礼者! そこに直れ!!」
とりあえず東を正座させて今度は私が腕組みをして説教を開始した。とんでもない男だ。
「のぞみんはそんなことしない」
「しかし生物である以上排泄は摂理で……」
「しない!!」
「わ、わかった。僕が間違っていた」
存在そのものが間違いだ。考えを改めろ。
「仮にそれをしたとしても気づくな」
「それは無理な話だ。自慢じゃないが鼻は良いほうだから、したらすぐに気づく」
「気づくな!!」
「わ、わかった。鼻は塞いでおく」
もぎ取ってやろうか、その役立たずの鼻を。
「しかし、部長」
「あ?」
「そ、そんなに睨むな。部長も現在、カフェインと付き合っているわけだから、そうした状況に置かれる時もあるだろう?」
「それが?」
「そうまでして隠し通したいものなのか?」
私が付き合ってるカフェインこと高橋卓也くんはそもそもそんな下品なことは言わない。
「高橋くんをお前と一緒にするな」
「そうか……僕がおかしいのか」
項垂れて落ち込む東を見下していると、なんだか少し可哀想になってきた。一応、親身になって相談に乗ってくれたわけだし、ちょっと言い過ぎたかも知れない。励ましてみる。
「大丈夫だよ。ちゃんと反省すれば、のぞみんもきっと許してくれるから」
「わかった。つまり、僕は相沢さんの目の前で脱糞すればいいんだな?」
何にもわかっちゃいない。悲しくなった。
「東」
「よし、そうと決めれば善は急げ……いや、便は急げで相沢さんを呼び出して……」
「呼ぶな」
見切り発車寸前の東に現実をわからせる。
「東、お前の糞にどれほどの価値がある?」
「豚に真珠くらいは……」
「ないよね、価値なんて」
正座した東の前にしゃがんで、眼鏡の奥の三白眼と目を合わせながら、私は諭した。
「のぞみんには価値がある」
「ああ、相沢さんは僕の大切な人だ」
「大切にしてあげて。いや、大切にしろ」
噛んで含めるように辛抱強く言って聞かせると、東は納得したらしく渋々頷いた。
「わかった。僕は彼女を大切にする。今ここで脱糞することでそれを誓ってみせよう」
こいつ、ただ脱糞したいだけとしか思えん。
「東、いい加減に……」
「お? 良い具合に便意が高まってきたぞ」
「ちょ、本気なの!?」
正座していた東が重い腰を上げてうんこ座りになり、両手を握って力み出した。やばい。
「さあ! 僕の覚悟を見届けて貰おうか!!」
「きゃあああああああああああっ!?!!」
今にも出そうな東から逃げようと、教室の扉を開けると、そこには。
「おっと。浜田さん、平気?」
「た、高橋くん……?」
何故か彼氏の高橋くんが居て、勢い余ってぶつかってしまった私を優しく抱き留めた。
「カフェイン、そのまま持って帰れ」
「悪い、東。迷惑かけた」
「ふん。あまり彼女を不安にさせるなよ」
東とやり取りを交わした高橋くんが私を抱いたまま教室の扉を閉めた。なんだこの状況。
廊下は無人で、遠くで野球の声と吹奏楽部の演奏の音が聞こえる。沈黙が心地良かった。
「高橋くん……?」
「東からLINEが来て、走ってきた」
どうやらそういうことらしい。
東の妄言も時間稼ぎだったのだろう。
高橋くんを不安にさせてしまった。
「ごめんね」
「どうして謝るの?」
どうしてだろう。何故か泣けてきた。
「じ、自信がなくって……ごめんなさい」
「もっと自信を持っていいと思うよ」
「でも、のぞみんみたいに可愛くない」
「俺は相沢さんよりも可愛いと思ってる」
ああ、好きだな。幸せ。満たされていく。
「ありがとう……高橋くん」
「どういたしまして」
「ぐすっ」
マズイ。ユニフォームに鼻水がついた。
慌てて離れようとするも、離してくれない。
ジタバタもがいて、抗議の声をあげる。
「高橋くん、もう平気だから離してっ」
「俺が平気じゃないから、無理」
東は嘘をついた。拒否したって無駄だった。
「は、鼻水塗れになるよっ」
「別にいいよ。俺も試合中とか拭くし」
「そ、そういう問題じゃ」
とかなんとかいいつつ、広い背中に手を回してみたりして。離れたくないのは私も同じ。
たしかに、こうしていると私には映画も小説も必要ないと感じられて、でもそんなんじゃダメになりそうでちょっぴり怖かったから。
「お、おしっこ! おしっこがしたいの!」
「フハッ!」
た、高橋くん。まさかあなたまで、東と同じ嗜好の持ち主だとは。哄笑がこだまする。
「フハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「カフェイン、うるさい! 他所でやれ!」
ガラッと扉を開けて文句を言う東をスルーして、ひとしきり嗤ったカフェインくんが私の耳元で甘く優しく囁く。
「少し席を外そうか?」
「……それ、私の台詞」
言われてみると、のぞみんも案外悪い気はしなかったのかも知れないと、そう思った。
【私と高橋くんの大切な話】
FIN
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