志保「三麺娘とソバの話」 (26)
1.前ほどの話
例えレッスン終わりだったとして、冬の夜風は体に酷く沁みる。
コートに手袋、マフラーもして、ダメ押しに帽子を被ってても、ちょっとした衣類の隙間からびゅうびゅう沁み込んで来るんだから。
「くしゅん!」
「だ、大丈夫ですか静香さん?」
「ん、平気」
「はぅ……それならいいのですが。今日はまた一段と冷えますね」
と、続けたエミリーの口からも白い吐息。
彼女も寒さが堪えているんだろう、鼻先がすっかり赤くなっちゃってる。
それを見て、私もぐしゅっと鼻をすする。
すると前を歩いてた貴音さんが振り返って。
「二人ともよければもう少しこちらへと。……私の後ろを歩いていれば、少しは風よけにもなりましょう」
「そんな! 出来ませんよ貴音さん」
私はすぐにそう返した。
だってそうでしょ? いくらビル風を冷たく感じたって、先輩を風よけにするだなんて!
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「そうです! 恐れ多いことです!」
それはエミリーだって同じみたい。
鼻だけじゃなく頬っぺたまで赤くしながらこう答えた。
「少なくとも三尺は距離を取らせてください。……あ、でも、間に静香さんを挟めば――」
「ちょっとエミリー。私はどのポジションにいるの?」
と、私が言い返してるその途中で、
「うしゅん!」
「静香、やはり寒いのですね? さあ遠慮せずに私の腕の中に」
「は、入りません! 平気、ヘーキですからって……。そんなジュニオールを呼んだのに来なかった時の星梨花みたいな悲し気な顔しないでください」
「ではエミリーは? 入りますか?」
「たっ、貴音さま!? 私にはまだ、心の準備が……」
なんてやいやい言いながら帰る夜の街は、年の瀬って浮ついた雰囲気も手伝ってか、どこか見知った場所とは別に見える。
最寄り駅まで大した距離じゃないんだけど、だからこそ充実してるこの瞬間を、少しでも長引かせたいなんて子供みたいな気分にもなってしまう。
「あ」
その時だった。
車道を車が通り過ぎた。
ぱしゃん、と水たまりを撥ねたみたいな音。
雨なんか降ってなかったのに――って、私が不思議に思ってると、
澄ませた耳になんていうか……シューシューって鳴き声みたいなのも聞こえてきて。
すると、先頭を歩いていた貴音さんがピタッと立ち止まって、急に何かを探すみたいにキョロキョロし始めた。
「貴音さん、どうかしました?」
「しっ、静かに」
ひょっとしてそれはギャグでしょうか?
なんて勿論聞けない私だけど、彼女の視線を追ってると、最終的に道路を挟んだ向こう側の何かを捉えて静止した。
「一体どうなさったんでしょう?」なんてエミリーが小首を傾げて見せる。
私も同じ気持ちだったけれど、彼女と一緒に貴音さんが見ていた方を向いて納得。
「ああ」
「まあ!」
「はぁ……っ!」
私、エミリー、貴音さんの順番で漏らした吐息が空中で混ざり合った。
その一瞬生まれたモヤモヤより、もっと実態を持ったモヤモヤが通りの向こうで立ち昇っていた。
それは屋台。屋台が出してる煙。……あったかい空気が白くなるアレも煙と言うかはさて置いて、
道路に面した空き地の前、古びた電話ボックスの横に、まるでアイスを売ってるみたいなノリで移動屋台が営業中だった。
それで、防寒用のビニールシートのすぐ傍には小さな電飾看板が立ててあって。
「……うそば?」
思わず声に出して読んでしまった。
漢字で表記すれば浮蕎麦。
店名にしても変な名前……と、私が一人で唸ってると。
「貴音さま、静香さん、こんな所にお蕎麦のお屋台がお参上することってあるんですね!」
「エミリー、その通りです。お参上することもあるのですよ」
「ふ、二人ともちょっと落ち着きましょうか? 屋台なんてそんなに珍しくも……いや、十分珍しいわね」
実際、私も生の屋台を目撃することは滅多にない。
もっと正確に表現すれば、劇場からの帰り道で目にしたのはこれが初めてだ。
おまけにラーメンじゃなくお蕎麦だなんて、レア中のレアだと言っていいと思う。
だからってワケでもないんだけど、貴音さんたちと同じように私もどこかワクワクしてた。
……そりゃ、お蕎麦に惹かれたって面もある。
だけど同時に、寄り道するのにピッタリな口実が見つかって嬉しいっていう気持ちもあって。
スマホに時刻を表示させて寄り道が可能であることを確認する。
「えーっと……寄ってみます?」
私が言い終わらないうちにエミリーちゃんがこくこく頷いた。
彼女もスマホを取り出していて、多分、帰りが遅くなることを連絡したんだろう。
「私、この機会を逃すと一生後悔してしまうかもしれません!」
出会いにかける熱量が凄い。
「それで貴音さんは――」
「いざ、尋常に参りましょう!」
確認するまでもないことだった。
言うが早いか、ズンズンと歩き出した貴音さんに私たちもついて動く。
それから……これは単なる気のせいかもしれないけど、道路を三人で渡る時に、靴の裏がぱしゃんと音を立てた気がした。
===
「ごめんください」
「こんばんわ」
「お邪魔します」
三者三様の掛け声で中に入る。
ビニールシートによって外界と隔絶されてた店内(?)は、隙間が無いことも無いのだけど、
それでも吹きっさらしの状態に比べたら溜息が漏れる程あったかくて。
「はうぅ~~、生き返ります♪」
早速溶け始めたエミリーを真ん中にして、私たちは勧められるまま椅子に座り、目の前に広がる『ザ・屋台』な光景に暫し浸る。
カウンターがあって、什器があって、よくわからない工芸品や民芸品がチマチマ並んだ棚もあって。
お札やタペストリーなんかに飾られた小さなテレビも置いてある。
それに、何と言っても充満してるお出汁の匂い! ……く、うぅ~~……堪らないわ!
どうやらお客は私たちだけ。一種の貸し切り状態は贅沢な感じ。
「貴音さん、メニューがありますよ。……って言ってもお饅頭とか、豆板醤とか、トッピングがメインみたいですけど」
「では、軽く一杯ということで――」
貴音さんに続く形で私とエミリーも注文を済ませる。
私はコロッケを乗せたコロッケそば。
エミリーはエビ天の乗った天ぷらそば。
貴音さんは卵の入った月見そばだ。
本当はもっと試してみたいトッピングだってあったけれど、そもそもイレギュラーな寄り道なんだから、ガッツリ食べると帰り道がしんどいし。
「何より私たちは女の子で、仰る通りアイドルですから!」
と、誰に対するでもない弁明を一つ。
お蕎麦が出来上がるまでの間、私たちのことを知ってるという店主さんが面白い話を聞かせてくれることになった。
2.静香の話
それは何でも、飲食業界に古くから伝わる噂話。
あるテレビ局で実際に起きた話。登場するのは一人のアイドル、それから彼女のもとへ出前を届けたアルバイトさん。
コンコン。
ノックから遅れて数秒、「どうぞ」の声で店員さんが中に入ると、そこには険しい顔のアイドルがいた。
仮に、その子をA子さんにするけど、彼女は今でいう大食いキャラで、その日のお仕事じゃ三軒もお店を回る予定になってたの。
勿論、いくら大食いキャラで通ってても、実際のA子さんは普通の女の子。
他の人よりもちょっと食べるのが好きっていうレベルで、なのに、収録じゃそれぞれのお店で出された料理を完食するシーンを撮らなきゃいけなかった。
……もし、もしもよ? 自分がそういう仕事を取って来られたらって、想像するとゾッとするわ。
幸い、そんな無茶をプロデューサーはしないけれど。
ハンバーグだとか、丼物だとか、一つ食べるだけで充分お腹いっぱいだもの。
……えっ? ああ、お饂飩は別よ。当然じゃないの。馬鹿ね。
お饂飩は胃の中で圧縮される優れた伸縮性を持っていて――って、違うわよ! 話が脱線しちゃったじゃない!!
それでね?
A子さんから事情を聞いた店員さんは、だったらどうして出前を頼んだんだって。
そりゃあ、誰だって気になるわよね。
私が店員さんだったとしても、この岡持ちの中身は誰が食べるんですか? って口に出しちゃうと思う。
だから、店員さんも訊いちゃったの。
それで、彼女のこれからを知っちゃったの。
すると、何の巡り合わせかアルバイトさん、ポンと即座に手を打って。
「だったら丁度いい物があります!」って。
実は、店員さんはA子さんのファンをしてて、アルバイトをしてた理由も出前で彼女に会えるかもしれないって呆れた理由。
……情熱的? へぇ、そんな風に考えるんだ。アナタって意外とロマンチストね。
いたっ! なんで叩かれなくちゃいけないのよ!? ツッコミ?
あんな鋭角なツッコミがあるワケ無い――って、まあいいわ。私が大人だから折れてあげる。
それでね?
店員さんは中華料理のお店で働いていて、何とそこにはお客さん用の漢方って言うか、凄く良く効くって噂の胃薬が置いてあったんですって。
何でも店員さんにそのことを教えてくれた店長さんの話によると、ウワバミっていう大きな蛇がいるじゃないの。
……知らない? そう、実は私も詳しくないんだけど、響さんに訊けばわかるかしら?
――とにかくちっちゃな動物なら丸呑みにするような野生の蛇が、ほら、蛇って咀嚼しないじゃない。
獲物を呑みこんで張っちゃったお腹を元に戻す為に……要するに消化を助ける為に食べると言われてる薬草を、
煎じて煮込んで丸めて小瓶に詰めた中国古来の秘薬がアルバイト先のお店にあったっていう!
この縁と縁の繋がりにびっくりよね!
ただ、それを聞いたA子さんも同じ気持ちになったんだと思う。
店員さんったら、彼女にお願いされて張り切っちゃって、一旦お店に戻ってからまたすぐテレビ局までトンボ返り。
勿論今度は岡持ちの中に、例の漢方薬を忍ばせてね。
3.後ほどの話
と、ここまで話を聞いた時点で、私は出されたお蕎麦の最後の一本を呑みこんだ所だった。
不思議なことに食べ終わりのタイミングは三人同時。
エミリーも一緒に箸を置いて、貴音さんも三杯目のお出汁を飲み干しお椀を置いた。
「それで、A子さんはどうなってしまったのでしょう?」
ごくっと喉を鳴らしてから、エミリーが気になってしょうがないって風にそう尋ねた。
私も勿論聞きたかった。
彼女は無事にロケを終えることが出来たんだろうか? 伝説の漢方薬の効果のほどは?
なのに、店主さんは勿体ぶった様子で机の下に手を伸ばすと、
「あ、それって!」
思わず私は声を上げた。
コトン、とテーブルの上に置かれた小瓶。
イメージの中じゃ茶色の薬瓶を想像してたけれど、実物はコルクで栓をするような陶器製の可愛いらしい瓶で。
「まさか、これがそうなのですか?」
エミリーも思わず前のめりになった。多分、私も一緒に前のめっていた。
すると店主さんは、私たちの中で唯一お代わりをした貴音さんの前にその小瓶をちょんと移動させて。
……もしかしてサービスなんだろうか?
だけど貴音さんは、小瓶を軽く見つめただけ。
「これはこれは、そのお気遣いは真、心に沁みます。……ですが、私たちが所望するは食後の熱いお茶を一杯」
お茶を頼むにしてはキッパリとして強い口調。
その迫力に私とエミリーも思わず居住まいを正してしまった。
すると店主さんも、貴音さんには必要ないと分かったのか、その視線を今度は私たちの方へ向けて。
「あ、あの、私もお茶を一杯!」
「はっ、はい! 貴音さまと同じ物を……」
だって、こればっかりは仕方ないと思う。
貴音さんが要らないって言ってる物を、私たちが貰うのも気が引けるし。
===
それで結局、話に夢中だったせいか、お蕎麦の味はよく覚えてないんだけど……多分、悪くはなかったハズ。
むしろ印象に残ったのはお茶の方だ。
あったまって、美味しくって、ただ注文の仕方がマズかったのか、
私とエミリーにはそれぞれ余分に一つずつ、計二杯分のお茶が出されることになったけれど。
4.蛇の話。
「と、いうことがこの前あったのよ」
と、いうことがこの前あったらしい。
ご存知劇場控え室の、使い道雑多なフリートークタイム中に彼女が語った話はそんな所だった。
「え、三麺娘が仲良くお蕎麦を食べるキャッキャウフ話じゃなかったの?」
「誰もそんなこと始めから言ってないわ。意外に志保って思い込み激しいタイプ?」
静香が小首を傾げるけれど、そこはお互い様だと言っておこう。
それにしても――。
「不思議な屋台があったものね。私もあの道は通ってるけど、今まで一度も見たこと無い」
「それが、私も食べに行けたのはあの時の一度っきり。あの後もエミリーと一緒に通ることが二、三回あったけど……営業日とかSNSで呟いてないのかしら?」
「それってなんて幻の屋台?」
何だか少し不気味な話。
ツッコんで聞くことはしなかったけど、静香の言う"店主"の性別すらハッキリしないのは人によってモヤッとするポイントだろう。
まぁ、そこを聞いて「……それがよく覚えてないの」なんて想像通りの答えが返って来ても気味が悪いし。
「それに、よく覚えてないの」
思わず腰が浮いてしまった。
私は何食わぬ顔でお尻を椅子の上に戻し、
「何が?」
「話に出てた薬の名前。店主さんはそこまで教えてくれてたのに、調べたくても手掛かりが無いし。
……うぅ~……思い出せない! もしかして私、若年性痴ほう症だったり!? 今日もレッスンで使う楽譜を家に忘れて来るし、最近ちょっとついてないかも――」
「……ところで店主さんの性別は?」
「ハスキーな声の人だったわ」
それだけ覚えてたら十分よ、と返した瞬間「にゃーん」と猫の鳴き声が高く響いた。
思わず産毛がぞわわわわって逆立ったけれど、話を打ち切るタイミングとしてこれ以上のものはなかっただろう。
自然と浮いた腰を今度はそのまま持ち上げて、立ち上がった私は振り向きざまに質問した。
「誰っ!?」
「志保ー。あずささんを駅まで迎えに行くから、代わりにお前を送ってくぞ」
立っていたのはプロデューサーさん。
抱えられてた暖房代わり、こぶんが「にゃーん」ともう一度高く鳴いた。
===
「そうか、年越しそばの季節だよなぁ」
と、言うのが聞かされた静香の話をまた聞かされたプロデューサーさんの反応だった。
「知ってるか志保? 年越しそばって言うのにはな、すぐ切れる蕎麦にちなんで"悪い縁が切れる"って願掛けがあってだな」
「厄除けですか?」
「そうだけれど、一方では細く長くだとか、良縁や金運にもかかる願掛けがあるのが面白いトコだ」
「じゃあ、来年もよろしくお願いします」
なんて、やいやい言いながら歩く駅までの道は季節柄やけにスカスカだった。
仕事納めや何やらで外出自体が減ってしまい、交通量も普段に比べてずっと少ない。
ちなみに私たちが徒歩で移動しているのは、単に社用車が出払ってるという雑な理由だ。
「お」
その時だった。
車道を車が通り過ぎた。
ピロン♪ と何かが着信したみたいな音。
同時にポケットに片手を突っ込んで、すぐ元通り仕舞ったのは私の方。
プロデューサーさんは暫くスマホを操作した後で、
「……そっかー。あずささんフラフラしちゃったかぁ」
その一言で察する現実が存在する。
フリーになったプロデューサーさんは、私と駅まで一緒に歩く理由が無くなった。
「あの、私なら一人で大丈夫ですから」
つい、癖で口走った。
プロデューサーさんは一瞬キョトンとした後で、じいっと私の顔を見つめ……じぃっと私の顔を見つめ……
……じ、じぃっと私の顔を見つっ、見つ、見つめて……!!
「な、何なんですか一体……っ!?」
心臓を驚き殺す気なんだろうか!?
「あれ」
でも違った。
そう言って彼は指を差した。
私もつられて振り返った。
道路を挟んだ反対側、古びた電話ボックスの横に、まるでアイスでも売ってるように営業していたのは。
「……うそば?」
「浮蕎麦な」
こうこうと灯り続けてる電飾看板。
噂の屋台がそこにあった。
プロデューサーさんの方を見ると、彼は神妙な面持ちで屋台をジッと見つめ。
「行燈が、消えない蕎麦屋……明かりなし蕎麦」
「えっ?」
「でも、まぁ、最後はお茶を出してくれたって言うし。――志保、ちょっと食べていくか?」
「えっ」
「年越し前の厄落としだ。さっき言ったろ? 蕎麦は悪い縁も切ってくれるってさ」
そうして、ズンズン歩き出した彼に慌ててついて動く。
そりゃ、ご飯を一緒に出来るのは悪くない提案だったけれど……。
私はまだ、プロデューサーさんに答えてもらってないことがある。
「プロデューサーさん、明かりなし蕎麦って何ですか?」
ビニールシートを捲る直前、プロデューサーさんは手を止めた後で、一瞬迷ってから言った。
「大丈夫、饅頭は怖くないぞ」
「落語じゃなくて!」
===
――結局、この時食べた蕎麦の味を私はしっかり覚えてない。
ただしそれが、後から知った燈無蕎麦のせいだったのか、それとも『プロデューサーさんとご飯を食べた』という
事実が生んだ極度の緊張によるものだったのか……今となっては分からずじまい。
それでも肩を並べて飲んだお茶は、この世に無類の味わいだった。
===
以上おしまい!
怪談を一本という話から膨らんだタイムリーな蕎麦ネタで書き納め。
作中の漢方薬話は落語「蛇含草」及び「そば清」をアレンジしたものです。
では、最後までお読みいただきありがとうございました
体の代わりに食べた記憶を溶かされちまった感じかな?
乙です
>>1
エミリー(13) Da/Pr
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四条貴音(18) Vo/Fa
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>>2
最上静香(14) Vo/Fa
http://i.imgur.com/elElgN9.jpg
http://i.imgur.com/mnKtKib.jpg
>>15
北沢志保(14) Vi/Fa
http://i.imgur.com/6Bvdkdh.jpg
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