雪歩「控え室」 (13)
水底に沈んだみたいに静かだった。
気を使って分けてもらったその部屋は、一人で使うにはあまりにも広かった。
エアコンの音が、やけに耳障りに思える。
鏡に映った白と黒のモノトーンの衣装を身にまとった自分の顔は、これからオーディションを受けるアイドルとは思えないほどひどい顔だった。
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憂鬱な感覚が胸に広がる。
オーディションの前はいつもこうだ。
勝って誰かの夢を自分が踏み潰すことが嫌で、負ければみんなの期待に応えられない自分が嫌で。
常々なんでアイドルを続けているんだろうと思うことがある。
勝っても負けても辛いことばかりなのに。未だに理由は分からない。
でも、この身体がそれで立ち止まることを許してはくれない。
その熱に浮かされるように、今までアイドル活動を続けてきた。
嬉し涙も悔し涙も見てきたし、流してきた。
デビューしたての時のように、それこそ人に涙を流させてしまったことに落ち込むということは無くなったのだが。
それでも同じ事務所同士の対決となると、また話は別だ。
その「涙」の価値を、理由をよく知っているからだ。
お互い様だろうけれども。
遅くまで残ってレッスンしていたことも、仕事の合間に疲れているにも関わらず時間を見つけて修正していたことも、何もかも。
相談を受けたことだってある。したこともある。
どれだけ頑張ったか知ってるから勝たせてあげたいと強く仲間のことを想う。
そしてそれと同じ、いやそれ以上に負けたくないと思う。
そして結局のところ、単純な綱引きになる。
何度も泣かしたし、泣かされたりした。
でもそれを乗り越えてきてもなお、今日この日の同門対決だけは避けたかった。
戦ったことのない相手ではない。
けれどもこのランクアップをかけた大一番だけは避けたかった。
これだけは来ないでほしいと星空に願ったことは数え切れないほどだった。
今までのみんなと何が違うのか、と問われても上手く答えることはできない。
あぁなれたらいいな、あぁなりたいなという憧れがあるからなのかもしれない。
そんな憧れの人を自分が足踏みさせたくないというのもあるのかもしれない。
じゃあ負ければいい、手を抜けばいいとはならない。
『これから先、あなたの前に何人もの挑戦者が現れることでしょう。 正面から来た者には決して手加減をしてはいけません。 ……それが礼儀というものです。 全力で倒しに行きなさい』
そうもう一人の『憧れ』に教わったからだ。
最高の自分で向かい、戦う。
そう決心したはずなのに、やはり心は憂鬱であった。
勝敗がというわけではなく、対角線上に立つこと自体が原因だと思う。
やっぱり今日こうやって競い合う日はずっと、できれば永遠にあってほしくはなかった。
ーー辛くないの?
そう聞いたことがある。
彼女は同い年の彼女と、毎日と言っていいほど競い合っていた。
勝ったり負けたり、笑ったり泣いたりの同門対決を私たちの中で誰よりもやってきた。
『そんなこと思ったことないわね』
と彼女は答えた。
あいつもきっとそう言うわよ、と添えて。
この二人なのだが別に仲が悪いわけではない。
二人でやってるラジオは好評だし、事務所ではファッションだったり化粧品だったりと仲睦まじげに話している様子をよく見かける。
デュオでしか参加できないオーディションに出たときに魅せたコンビネーションなどは群を抜いていた。
まぁその時、私は今日対角線上に立つ憧れと一緒にステージに立ち、勝ったのだけれども。
『あいつを倒すのに一番相応しいのは私だと思ってるし、私以外に負けるあいつなんて世界で一番見たくない光景よ』
私以外に勝つあいつは二番目に見たくない光景ね、とこれまたぽそっと付け足して、彼女は言った。
私はどうなのだろう。憧れが、親友が私以外に負けるところは見たいだろうか。
その問いの答えはずっと前に出ていた。
考えるまでもなかった。
どうして今まで忘れていたのか、自分でも不思議だ。
そんなのは絶対にいや。
出た答えは彼女と同じだった。
他の人にうぬぼれだと揶揄されても構わない。
私が、この萩原雪歩こそが、親友である真ちゃんを倒すには一番相応しいと思っている。
声に出して、もう一度繰り返す。
親友である真ちゃんを倒すのに相応しい私が、全力で負かしに行く。
不思議と憂鬱な気分はどこかへ消えていた。
控え室は水中のように静かだった。
一人で使うにはあまりにも広かったその部屋で良かったと思う。
もし同じ部屋ならこんな気持ちになることなんてなかっただろうから。
もしかしたら泣いてたかもしれない。
エアコンの音は、もう気にならない。
鏡に映った白と黒のモノトーンの衣装を身にまとった自分の顔は、良い顔をしていた。
プロデューサーのノックの音。時間だ。
さぁ行こう。私が勝つ。
短いですが、お読みいただきましてありがとうございました。
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