まだまだ若いつもりです、と思っている。
思うのは勝手だから、人から咎められる覚えはない。
けれど、現実はやはり現実で、アイドル各位からの
「プロデューサーさん、もうすぐ46歳なんですか?」
の後に続くであろう
「もうオジサンですね」
を否定しようのない自分がいる。
「お兄さんだろ」
と言い返せる面の皮は、幸か不幸か持っていない。
要すれば、消極的オジサンということだ。
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765プロに入ってから20数年。
担当したアイドルは50人を超えるだろうか?
いまでは『チーフ』なんて呼ばれる身分になったものの、本質的な部分は変わっていないように思える。
要すれば『イジられキャラ』ということだ。
テレビ局や制作会社からはそれなりに丁重に扱われる身分ではあるけれど、うら若い乙女諸氏にとっては絶好の『イジり』対象であるらしい。
まぁ、それで上手くいってきたワケだし、この年になって性格を変えようもないので、少しだけ自尊心を傷つけながらそれなりに恵まれた日々を過ごしている、というワケだ。
馴れ初め、という言葉が適当なのかは分からないけれど、俺と旧姓田村奈央子が出会ったのは20数年前になる。
つまり、俺が765プロに入社した時期だ。
それも当然だろう。
プロデューサーとして初めて担当したアイドルが、彼女だったんだから。
都心から離れた某市の雑居ビル。
5階建ての最上階、と言えば聞こえは良いけれど、壁も窓も染みだらけだった。
「窓にガムテープ貼りましょう!」
と言い出したのは誰だったかな?
緑のガムテープで窓に
『765プロ』
と画き終わると、誰からともなく笑い声が漏れた。
俺も彼女も笑っていた。
全てが手作りの、そんな時代だった。
「私、まだ東京怖くて」
当時16歳で北海道から出てきたばかりの彼女は、並んで街を歩くたびにそう言っていた。
「はぐれないように、シャツの裾掴んでもいいですか?」
その言葉に
「いちおうアイドルなんだから、そういうの止めろよ」
と、もっともらしいセリフを返しながら、それを望んでいる俺がいた。
当時の俺は24歳。
16歳相手に『それ以上』を望めば、業界的にも社会的にもアウトなことぐらいは分かっていた。
こんなことを延々と語るのもアレなので恥を忍んで要すれば、俺は田村奈央子を好きだった。
先方は当方のことを……。
悪くは想っていなかったんじゃないかと、勝手に決めつけていた。
社会のことも業界のことも、そして女心のことも何も分かっていなかった若僧の話だ。
適当に笑ってくれてかまわない。
先に言ってしまうと、彼女はさほど売れなかった。
関東ローカルの30分番組に、ひと月かふた月一度リポーターとして出演する。
それが彼女にとって唯一の、仕事らしい仕事だった。
「卒業したら、北海道に帰ります」
たしか高校3年生の冬休み前。
営業終わりに立ち寄った喫茶店で、そう打ち明けられた。
少しずつ売れ始めた他のアイドルたちを横目に、いつまでも足踏みをしている自分の姿を見ているのが辛くなったんだろう。
いまならば、それが分かる。
それに対する説得の仕方も知っている。
いくつかの解答を用意できる。
しかし、若僧だ。
いとも簡単に、頭の中が真っ白に染まった。
そして数分の沈黙のあと、やっと絞り出した言葉は
「ご両親に相談してみなさい」
だった。
大いに笑ってくれてかまわない。
受け入れる覚悟はある。
情けない男の情けない話は、これぐらいにしよう。
彼女は北海道に帰ることになった。
責任を放棄した俺に言えることは、何もなかった。
「したっけね、プロデューサー」
それが『さようなら』を意味する方言だと知っていながら、引き留めることもできなかった。
人生において、いつだって『if』は付きまとう。
あのときもしも…という自問。
満足できる答えなど決して得られないと知りつつも。
俺がいまだに独身なのは、その『if』のせいかもしれない。
その答えもまた、得られることはないのだろう。
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