渋谷凛「アイドルの素質」 (11)
アイドルマスターシンデレラガールズのSSです。
地の文多め、すごく短いです。
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デビューしてからはあっという間で、アイドル渋谷凛は瞬く間にスターダムを駆け上がっていった。
楚々とした嫌味のない容姿。どこまでも透き通って響く玲瓏たる歌声。早熟な立ち振る舞いから時折見せる少女らしい等身大の一面。彼女を形成するすべてはさながら太陽の光のようで、たちまち大衆の心を包み込んだ。デビューイベントは異例の大盛況を記録した。続いたセカンド、サードシングルも即日店頭から姿を消し、彼女の初めてのアルバムが発売される頃、その姿がテレビに映らない日はなかった。
男の周囲は彼を天才だと持ち上げたし、「敏腕」だとか、「一流」とかいう言葉で飾り立てた。しかし男はイカロスであった。太陽に近づきすぎたばかりに無念の死を遂げた愚者。その神話のように、彼は少女の放つ並々ならぬ輝きのなかで自分の存在価値を見いだせなくなり、ついには自信という翼までをも失ってしまった。溟渤は目鼻の先まで迫っていた。
誰よりも彼女の可能性を信じ、誰よりもそばで彼女を応援し続けたことが男の誇りであった。しかし彼の胸中に立ち昇った暗い霧は、あるいは少女のまばゆいばかりの輝きから自らの心を守るために形作られたのだろうが、ゆっくりと、確実に、彼を浸潤し、今や男は彼女の成功を素直に喜ぶことすらできなくなっていた。
限界だった。もう自分には彼女の隣にいる資格はないのだろうと男は思った。平静を装い出社する彼の胸元には、退職願の三文字が刻まれた封筒が仕舞われていた。今日の業務が終わればこれを直属の上司に提出する。それが彼の出した答えであった。
ここまでの男の葛藤を漠然と感じ取っている人物があった。ほかでもない彼の担当アイドル、凛である。彼女はかねてから男の言動にどこか違和感を覚えていたが、それでもこの日の男の様子は異常であると感じていた。もっとも、それに気づいたのは彼女を除いて他にいなかったのであるが。
夜が訪れた。収録を終え事務所へと向かう車は、凛と、男と、そして沈黙を乗せて走っていた。ほどなくして目的地に到着しても凛は助手席から降りようとしない。無音の喧騒が二人をつつんだ。
「なあ、」
それに耐えかねた男の声。遮るように凛が口をひらいた。
「プロデューサー、最近ずっとおかしいよ。何があったの?」
ふたたび静寂がおとずれる。男は先ほどまでと変わらぬ素振りでいたが、内心ひどく動揺していた。
男はこれまで周囲に悟られぬよう演技をしていた。だから今日、凛の知らぬうちに姿を消して、それですべてが丸く収まるのだと思っていた。
予想外の凛の発言に、彼は上擦りそうになる声を必死で抑えながら偽りの冷静を保ってこう返した。
「おかしいなんてひどいじゃないか。これでも一生懸命、」
ここまで言ったところで、またしても凛の声が割り込んでくる。上辺だけの言葉など聞く気はないという彼女の意思表示だった。
「ごまかさないで」
「ごまかしてなんかいないさ」
「嘘」
「嘘じゃないよ」
「...。ねぇ、プロデューサー」
凛はそう言って男に向き直る。月明かりに儚げに照らし出されたその表情は、もはや芸術的な感動を携えて男の瞳に届いていた。
『そういえば、彼女の顔をまともに見たのはいつ以来だろうか。いつから自分はこうなってしまったのだろうか』
彼は、浮かんでは消えていくこれらの感情に名前を与えることができなかった。
一瞬とも永遠ともとれる時間の後、凛はこう続けた。
「本当に何もないならいいんだけど、私にはそんな風には見えないよ」
「それは...」
「話したくないことかもしれないけど、さ。それでも私は教えてほしいんだ」凛は照れたように笑顔を浮かべる。「だって、私たちはパートナー。でしょ?」
それは凛の意図するところではなかったが、飾りのないまっすぐな言葉は今まで受けたすべての賞賛よりも遥かに多くの意味を伴って男に強く響き渡った。
たった一言が、男の抱える頑なな苦悩を簡単に取り払ってみせた。これまで考えていたことが噓のようであった。
男は心の奥深くに隔絶され輝きを失っていた情熱がふたたび温度を取り戻すのを感じると、『これからは全て、彼女のために』と固く決意した。
「パートナーか。そうだな、ありがとう。でも大丈夫。悩みは今解決したんだ」
凛は男の様子の急に変わったのを少し訝しんだが、ここ数か月彼の表情から長らく消えることのなかった緊張がこの数舜でなくなっていることに気が付くとすぐに安心したようだった。
「ふーん、そっか。へんなの」
そう言って笑う彼女。つられるように、男もまた笑った。
~
しばらく時が経った。
男が勤める事務所も随分大きなものとなり、彼は新米プロデューサーの教育係を任されていた。
「先輩。トップアイドルの素質って、なんですかね?」
「素質、か。そうだな...」そう言って男は少し悩むふりをした。視界の隅で凛が聞き耳を立てているのがわかった。
「どん底にいる人間を、たった一言で救えること...かな」
おわりです。ありがとうございました。
HTML依頼出してきます。
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