双葉杏「ニートのひ」 (20)

四か月ぶりなので初投稿です。

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ニートの日

杏「寒いねと君が言ったから2月10日はニート記念日。祝日なので杏は休みます」

P「言ってねえし祝日でもねえよ。ワケわかんねえこと言ってねえで早く布団から出ろ」

杏「ぎゃー! 布団を剥ぐな! 寒いって言ってんじゃん!」

P「寒いなら目が覚めるだろ。ちょうどいいな」

杏「そんなこと言って私を組み伏せる気なんでしょ。エロ同人みたいに」

P「しねーよ」

 ネタがことごとくちょっと古い。定型なんてそんなものだが。

 そしてそれらが通じてしまうのもちょっと悲しかった。

 布団から引っぺがした杏は想像通り出掛ける準備などまるでできていなかった。

 というか寝間着姿のままだ。もこもこだ。

 あったかそうなかっこしやがって。

P「寒い寒いって、そんなんで何が寒いんだよ。俺の方がよっぽど寒いわ」

杏「冷えるのはむき出しになった手足の指先からなんだよ。ほら、着替えるから後ろ向いてて」

P「ははは。その貧相な身体で何を恥じらうと言うのかね」

杏「それセクハラ。事務所に訴えまーす」

P「冗談だよ冗談。つーかここにいること自体はいいわけだ?」

杏「時間ないっしょ。何事も合理化の時代だよ」

 それはまぁ、こちらとしてはありがたいのだけれど。

 大人しく後ろを向くと、恐らく着替え始めたのだろう、衣擦れの音が時計の針の音に混じった。

 すりすり、すりすりと擦れ合う音。ただそれだけなのになんだか妙な生っぽさがある。

 変な居心地の悪さを感じた俺は、意識を逸らすために適当な話を振ることにした。

P「よくよく考えてみると変な話だよなー。ニートニートって、お前ニートじゃないじゃん」

杏「言葉の定義の話? そんなの今さらでしょ。言葉の使い方は時代とともに移り変わっていくものだよ」

P「いやいや、学生だとかそういうのを除いたとしてもだぜ。そもそも働いてるじゃん」

杏「杏は働きたくないんだよ。働かされてるだけ。プロデューサーに馬車馬のように働かされてるだけなんだよ」

P「まるで奴隷のように扱ってるみたいな言い方をするな。迎えに来てやるほど姫扱いしてやってんだろうが」

杏「あ、そういえばそれもどうかと思うんだよね。うら若き乙女の住宅に無断で入り込むとか不法侵入じゃない? 警察呼ばなきゃ」

P「まずちゃんと事務所に顔出してからそういうことは言おうな。自ら出向いたことなんて……片手で足りる程度じゃないか?」

杏「ぶぶー。7回でーす。片手じゃ足りませーん」

P「んな細かいこと覚える前に来いっつってんだよ」

杏「んもーうるさいなぁ。ほら、着替え終わったよ。事務所でも仕事場でもどこへなりとも連れてってよ」

 着替え終わったとの言葉に振り向くと、確かに着替え終わっていた。

 ただしいつもの私服姿。伸びきってしまったTシャツに、ボーダー柄のピッチリしたスパッツを着用している。

 これから仕事に向かうとはとても思えない姿だった。


P「お前……せめてもうちょっとこうさぁ、洒落っ気みたいなものをさぁ」

杏「えー。だってどうせ出先で衣装に着替えんじゃん。レッスンならレッスン着。そこに行くまでの服なんてなんでもいいでしょ」

P「だとしても寒いんじゃなかったのかよ。それ、冬に出掛ける格好じゃねえぞ」

杏「ふふん。そんなことこの私が何も考えていなかったとでも? ……このもこもこジャケットを着れば何ら問題はなぁい!」


 杏は壁に掛けてあったジャケットを両手で「ババン!」とばかりに指し示した。

 なるほど確かにあったかそうだ。ふわふわした毛がフード周りに、鬱陶しいくらいに装飾されている。

 下半身は寒くないのかと思ったが、ジャケット自体が大人用で丈が長い。杏が着ればちょうど全身すっぽり収まりそうだった。

P「なるほどなぁ……こんなもん買ってたのか。実用性重視?」

杏「や。きらりに貰った」

P「あぁそういう……丈が長いのも当然だな」

杏「そゆこと。大は小を兼ねるってよく言ったもんだよね」

P「ちょっとそれは頷きがたいけど……まぁいい。準備できたのなら行こうじゃないか」

杏「うんうん。それで? 今日のお仕事は?」

P「あーっと……今日の予定は……」


 懐に忍ばせておいたメモ帳を取り出し、今日の予定を確認する。

 そこに書かれていた数字を見て、う、と一人うめき声を漏らすのだった。

ニートの非


杏「ばーか。あほ。まぬけ。あんぽんたん」

P「……返す言葉もない」

杏「ほんと信じらんない。いくらなんでもありえなさすぎ」

P「申し訳も立たない……本当にちゃんとスケジュール確認しておくべきだった」

杏「まったくだよ。……まぁ、作詞家さんが許してくれたからいいもののさ」


 杏が激怒しているのも当然のことだった。

 俺がスケジュールを勘違いしていたのだ。今日朝一で入っていた予定は、今度収録する楽曲の作詞家への挨拶。

 それ自体は何ら問題はない。ただ、時間を勘違いしていた。一時間早かったのだ。

 杏を迎えに行っていた時点で既に約束の時刻は過ぎていた。それに気付いたのが、手帳を開いたあの時のこと。


P「あ、でもいいことも一つあったよな……遅刻したことで、いい歌詞のアイデアが浮かんだとかなんとか」

杏「怪我の功名って言いたいわけ? ……まぁ、確かにそれは良かったこととは言えるかもしれないけどね」

P「……今度からちゃんと事前に確認するよ。慢心してた。杏にも迷惑かけた。ごめん」

杏「ん。まぁ、反省してるようだしいいよ……杏だって、ちゃんと事務所に行ってればもしかしたら問題なかったかもしれないしさ」

P「そう言われればそうだな。お前がちゃんと来ないのも問題だよ。週の予定は張り出してあるんだから、自分でもスケジュール確認できるだろ」

杏「……ちょっと。それとこれとは話が違うでしょ。本当に反省してんの?」

P「いやごめん。本当にすみませんでした」


 調子に乗るな、と改めて念を押されつつ。

 杏が非難するのは当然のことなのだ。アイドルのスケジュール管理は担当プロデューサーの仕事。

 それを怠ったというのだから、非難されて当然だ。むしろ、みんなから許されるだけずっといい。


杏「まぁ……反省会を長々とやりたいわけでもないし。それより、同じ轍を踏まないようにしないと。次の仕事は?」

P「あぁ……今日残ってるのはレッスンだな。いつも通りの流れって感じで……あぁ、あともう少し先の話になるけど」

杏「先の話?」

P「今度出すCDのインタビュー。大体こんな感じの質問するから、あらかじめ答えを準備しておいてくれって」

杏「ほー、インタビュー……今度のってことは『あんきら!?狂騒曲』のことか。にしても準備って……何このリスト」

P「そんだけ質問するんだと。ありがたい話じゃないか、それだけ力を入れてくれるってことだぜ。杏もちゃんと考えとけよ」

杏「いやいや、どう見ても使えなさそうな質問も混じってるんだけど……何『アンキモは作ったことがありますか』って。ある人の方が少ないでしょ」

P「あったら意外性ってことで使えるだろ。向こうも記事にできる話を引き出そうとしてるんだから協力してやれよ」

杏「うへー……そういうのはきらりの役回りでいいよ。期限いつまで?」

P「インタビュー自体は一か月後って話だったから、まぁそれまでじゃないか? でも余裕持っておいた方がいいぞ」

杏「本当に『もう少し』じゃん……めんどくさいなぁ。っていうかさ」


 そこで杏は一旦言葉を切った。

 いったい何を言い出すのだろうかと、俺は口をつぐんで次の言葉を待つ。

杏「次のスケジュール。レッスンって、何時からなのさ」

P「何時って……うわっ!? ヤバい! ギリギリだ!」

杏「はー……そうだよね、そうだろうと思った。『いつも通りの流れ』なら大体今から向かわないと間に合わないもんね」

P「い、いや、でも本来はちゃんと余裕を持った時間設定にしてあって……! 挨拶がどれくらい掛かるか分からなかったし……」

杏「そうだね。でも結局は遅刻して、その分後ろにズレてて。……それでも間に合うんでしょ? 今からなら」

P「それは勿論……本当にギリギリだけど。時間までに戻れれば、レッスンスタジオは目と鼻の先だし」

杏「おっけー。んじゃ行こうよ。……今日はもう混乱してるから仕方ないとしてもさ。明日からは、ちゃんとしてよね」

P「……はい。杏さんの仰る通りでございます。まことに申し訳ございません……」

杏「そういうのいいから。まずはスケジュールと、あと時間まで確認する癖付けてね。困るのはプロデューサーだけじゃないんだからさ」


 普段こそだらけていても、土壇場ではしゃきっとして他人のフォローにまで回る少女、双葉杏。

 俺なんかよりよっぽどしっかりしている。彼女の言葉の重みをしっかりと噛み締め、今度こそはと胸に固く誓った。

 ……一日に二回もやらかしてる時点で、自分でも自分を信じられなくなっているけれど。

ニートの秘


杏「あー……疲れた。めちゃくちゃ疲れた」

P「お疲れ。ジュース飲むか?」

杏「冷えてる?」

P「冷えてる」

杏「ん。……おぉ、マジで冷たい。珍しく気が利くじゃん」

P「そりゃまぁ……今日は迷惑かけっぱなしだったし、これくらいは」

杏「だよねぇ。ほんと、今日みたいなことはこれっきりにしてほしいよ。こんな無駄なことで働き回りたくないんだから」

P「本当にすまない……かわりにと言っちゃなんだが、この後何か用事があれば荷物持ちくらいにはなるよ。おごれってんならおごるし」

杏「うぇー? いいよそんなこと気持ち悪い……そういうのはプロデューサーには期待してないから」

P「人が珍しく言うことをなんでも聞いてやるってのにひどい言い草だな!?」

杏「そういうことやる人じゃないでしょ。いいよいつも通りで。杏だって、普段はプロデューサーにサポートしてもらってんだからさ」

 たまにゃ失敗するくらいでちょうど釣り合い取れるってもんでしょ。

 そう語る杏の顔が、不思議といつもよりずっと大人びて見えた。

 ……いやいや。見えてどうする。俺は大人だぞ。17歳のガキにアシストされてどうすんだ。

 こんなことは、もう二度とあってはならない。立場的には俺が杏を助けて当然なのだから。そう考えると、一層気が引き締まった。


P「っていうか、ずっと思ってたんだけどさ」

杏「ん、何?」

P「『無駄なことで働き回りたくない』とかさ、やっぱお前働くのそんな嫌じゃないだろ。必要なことなら働き回るって言ってるぞそれ」

杏「……まぁ、必要なことなら仕方ないでしょ。やるべきことなら手短に、だよ」

P「朝だって、っていうかいつもそうだけど、やたら仕事行くの渋るわりには行くと決めたらよし行くぞ、みたいな感じだし」

杏「だって……行かないって言っても行かせられるんでしょ?」

P「そりゃまぁ」

杏「じゃあいいじゃん。ダメ元で粘ってるだけだよ。物わかりが悪い女じゃないんだよ杏は」

P「ダメ元って、俺に言っちゃダメな奴だろそれ」

杏「うげ。そっか。やっぱ今のなし。忘れて」

P「ははは。それはちょっと難しいかな」

杏「こいつ、人が弱み見せた途端に調子に乗りやがって……まぁいいけどさ。どっちにしたって同じだろうし」

P「なるほど。確かに物わかりは悪くない」

杏「あんだよ。そういう意味で言ってねーってのー」

  *   *   *   *   *   *   *   *


 そんな雑談を交わしてのち。

 プロデューサーと別れた杏は、はぁ、と一人嘆息した。


杏「あーもう……夕方かぁ。今からじゃどっちにしろ人いるだろうなぁ」

杏「だから休みたかったんだけどな。せめて仕事をサクサク終えられてたら良かったんだけど」


 でもまぁ、どっちにしたってレッスンがあったんだから同じか。

 実際のところ、今日はどうしても休みたかった。どうしてって、そんなん決まってんじゃん。あと四日後だもん。

 こんな理由、どうしたってプロデューサーに言えるわけなかった。私の心の中だけの秘密。

 だけど杏だって一応アイドルの端くれだし。土日なんて人目のつく日に、わざわざお店になんか行けない。

 しかも今週は土曜日が祝日。つまり、月曜日が振り替え休日になる。だから買いに行くとしたら、平日の今日が最後のチャンスだったのだ。

 通販で買おうかとも思ったけど、どうせ買うなら自分の目で実際に見てからにしたいし。そこらへんはこだわりたい。


杏「ってもなぁ、こうなるとどうしたもんか……あ」

 ぽんと、一つ思いつく。

 どうせだったら、自分の手で作ってしまえばいいのではないか。

 手作り用のチョコだったら、どこで買ったところで大して差はないだろうし。むしろその後のデコレーションでこだわれる。

 もちろんその分時間と手間は掛かっちゃうけど……それこそ幸い、土日月とお休みなのだ。仕事が入っても、いつもよりずっと時間はある。


杏「はー……仕方ないなぁ。ほんと、プロデューサーは幸せ者だよ。杏の手作りバレンタインチョコレートなんて、激レア中の激レアだって」


 SSRを優に超えた、スーパーレジェンドレアだよ。SLGだよ。シミュレーションゲームだよ。

 なんて、益体のないことを頭に浮かべつつ。

 やっぱり失敗したら嫌だから、きらりを家に呼ぼうかなんて算段を立てながら帰路に着いたのだった。


 おわり

でもチョコは、ちょっとだけ本気出したよ。
そんなお話でした。

お疲れさまでした。

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