北条加蓮「カフェに1人で来た日の話」 (16)
――おしゃれなカフェ――
1人で、カフェに来てみた。
――まえがき――
レンアイカフェテラスシリーズ第43.5話(その1)です。
以下の作品の続編です。こちらを読んでいただけると、さらに楽しんでいただける……筈です。
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「膝の上で」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「最初にカフェで会った時のこと」
~中略~
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「瑞雪の聖夜で」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「膝の上で よんかいめ」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「手がかじかむ日のカフェで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「寒暖のカフェで」
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藍子はカフェにすごく詳しい。
あと、知識の使い方がすごく上手い。
例えばふと食べたい物を口にしてみたとしよう。少しの間だけ温かみの感じられる白色の天井を眺めてから、こんなカフェがあるんですよ、と教えてくれる。何のメモも見ずに、どこそこにこういうカフェがあって玄関前にこういう置物があって……とすらすら並べて興味を惹かせて、これから行ってみますか? と聞いてくるまでがいつもの流れ。
その誘いはすごく魅力的だ。藍子の話を聞いているだけでも好奇心が疼くし、辿り着くまでの道中を想像すると今すぐにでも腰を上げたくなる。会話が弾んで……弾むというよりあちこちに飛ぶように話題が広がって、退屈な筈の移動時間が華やかに彩られる。
ううん。会話がなくても、一緒に歩くだけですごく楽しい。
いつもの私なら目的地に早くついてほしいって思うばかりなのに、移動時間なんて面倒くさいだけなのに、藍子といる時はずっと歩いているだけの時間が続けばいいのになんて思ってしまう。
けれどたいてい、藍子の誘いに対して私は「今日はいいや」と首を横に振る。
ここでゆっくりする時間が心地よいから。
……素直に言うのは照れちゃうし、顔に出さないように努めているのに、藍子は簡単に見抜いて笑みの種類を変えてしまう。
だから私はウソをつく。ちょっと疲れちゃったから、と。わざとらしいため息と一緒に。ウソをつくことが嫌いだって、言った後でいつも思い出して、今度は作っていないため息をついてしまう。
最初の頃、言う度に藍子は慌てて気遣いの言葉をかけてきていた。
それで、お互いにあまりいい気持ちにならないって分かった。
藍子の前ではこの類のウソをつかないようにしよう、って決めた。
最近は耐性をつけてしまったらしく、あーはいはいそうですねー、と流されることが多くなっている。
それでもたまに騙されてくれるのだから、つい反応を確かめたくなっちゃうけどね。
慣れた間柄だから取り繕うことができる、なんて、冷静に考えてみるとちょっと不思議な感じ。普通はさ、出会って間もないから、相手の出方が分からないから、体裁を保つハズなのに。
あと、もう1つ。
一緒に行くことも――藍子風に言うなら「同じ物を見る」ことも楽しい。ただそれと同じくらいに、藍子の話を「聞く」ことが好きだ。
ゆるやかな声とやわらかい口調は、絵本の文字みたい。
時に脱線して、全く違う話になったりもする。以前のことだ。入り口に竹飾りの置いてあった話を聞いていたのに、気付けば自作のヘアアレンジの話になって、いつの間にか私が藍子の髪型を整えてあげる約束が出来上がってしまった。たぶん、竹飾りから門松現象(片方を切ったらバランスが悪くなってもう片方を切ったらまた不釣り合いになって、が延々ループするアレ)の話にでもなったのだと思う。
あの時はどんなヘアアレンジにしたんだっけ。あざといくらいのツインテールにして思いっきり幼い感じにしたんだったかな? それともストレートにして物足りないからってちょこっとアレンジを加えたらものすごく大人っぽい感じになって、なんだか悔しいからくしゃくしゃにしてやった時だっけ? あのね、同い年でも精神年齢は私の方が上なんだから。絶対。そこは譲れない。
読み聞かせの傍観者になった気分を味わったり、単なるおしゃべりのように話題がころころ変わったり。
その中で時々、どきっとさせられる。言ってほしいと心の片隅で思ったことを見抜かれた時、私は藍子の隣に座りたくなる。
実際に試してみたことがあった。結局、違和感がひどくて、いつも通り藍子の対面に戻って終わった。
あの時の藍子、ずっと首を傾げっぱなしだったなぁ。だってなんにも説明してないもん。
向かい合ってずっと藍子の顔を見ているのが楽しいんだよね。
やっぱり私は、自分の言葉がどう届いているのか確かめられる方が好きだから。
あのぉ、と。
思い出し笑いをしているところに、恐縮そうな声が左側から聞こえた。
……もしかしたら私、結構危ない人っぽくなってる?
コーヒーをお願いします、と口早に告げた。口の右側が引きつっているのを見せたくない。
いつもの店員はぺこぺこと頭を下げながら、あー、あー、とさぞかし今気づいたかのように裏返った声をあげる。それから、恐縮そうに尋ねてきた。
今日は、いつもの――
そこまで言ったところで、はっ、と伝票を持っていない方の手で口を塞いだ。
タブーに触れてしまったかのような反応。胸の奥底で黒ずんだ思い出がせり上がってくる。
"腫れ物"には、触れてはならない場所がたくさんあることを、私よりも私の周りの人の方が気にしていたことを、思い出してしまったから。
目尻が下がるのが分かって、左手の人差し指と中指で自分の頬を軽くつまむ。
……うん。大丈夫。
今日はそういう気分だよー、と軽口を1つ。別にケンカした訳じゃないよ、と笑みを作ってみたら、店員は見ていて気の毒なくらいに胸を撫で下ろした。
コーヒーですね、とやや裏返った声で反復し、私が何か言う前にさっさと立ち去ってしまった。
いつもの「ごゆっくりどうぞ」という一言がない。
もしかしたらいつもの言葉は私にではなく藍子にかけられていたのではないだろうか、なんて邪推に、今度どうにかして困らせてやろうかと小さく思った。残念ながら何をすればあの店員は困ってくれるのか私は知らないし、そもそも店を出る頃には忘れてしまっているだろうけども。
さて。これにてまた、1人の時間。藍子の話を続けよっか。
藍子はすごくカフェに詳しい。
ほんの一瞬だけ、それに何かを思った。
それが私の知らないことを藍子だけが知っている事実に対する反発なのか、藍子の知っている物なら私も知りたいという従順な好奇心なのか、私だってここでダラダラするようになってからはそれなりにカフェに詳しくなったハズだという自負なのか、あるいはそれらを建前にしているだけの言語化できない"なんとなく"なのか、私にもよく分からない。嫌な気持ちだったような気もする――妬みとか、ずるい、とか。そうじゃなかったような気もする。そっか、ってだけの感想。どっちとも言えないけれど、ただ、何かを思った。
1人でカフェに来たくなった。
藍子には話していない。
お待たせしました、と店員がコーヒーを持ってきた。さっきより足取りも口調も落ち着いている。
いつも通り、添え物は何もない。少しだけ考えてミルクをお願いしますと伝えた。はい、と店員は慌てることなくカウンターの向こうへと消え、すぐに私の要望を叶えてくれた。
とくとくとく、と、柔らかな白色を注ぐ。音を立てないように混ぜる。いつもの黒色が、あっという間に塗り替えられていく。
あれはいつのことだったか。
初めてコーヒーを見た時、その黒色にびっくりした。
一口啜ってみて、底なしの苦さに思わず噎せてしまった。それから世の中にはこんな物もあるんだと、1つ世界を知った。
それほどに衝撃的だった黒色も、こうして少しかき混ぜるだけで乳白色に変化する。当たり前のことがちょっとだけ面白くて、くすっ、と笑ってしまった。それから顔を上げて――いつものように顔を上げて、あぁ、そっか、と気付く。今日は藍子はいないんだった。
会いたいなぁ。
スマフォを取り出し電話帳を開き、「藍子」と登録していたか「高森藍子」と登録していたか思い出そうとして、私はいつも送信履歴や受信履歴から藍子の名前を引っ張り出しているからどんな読み方で登録していたかなんて普段は意識もしていないことに気付いたところで、頭が幾分かの冷静さを取り戻した。そしてもはやコーヒーと呼べなくなってしまった飲み物を見て、妙な親近感を覚えた。
ついさっきまで、自分が1人でいることを意識していたのに、気付けば藍子に会いたいという気持ちに支配されている。
それはついさっきまで真っ黒だった飲み物が、小さな子供でも口に入れられるようになったのと同じことだと思う。
初めてのコーヒーに噎せた私に、お母さんは苦笑いしてミルクを混ぜてくれた。みるみるうちに別の飲み物に変貌していく様に目をまんまるにして、それから、神秘さを感じるほどに真っ黒だった物が一瞬にして消えてしまった寂しさを覚えた。その出来事が悪い意味で印象的で、コーヒーが苦いならミルクを淹れて中和すればいい、って発想が生まれなくなったんだよね。この前藍子に「コーヒーが苦ければ素直にミルクを入れればいい」って言われてびっくりしたっていうか、急に記憶が引き戻されたっていうか。
きっと、それと同じ。
10分も経たずに、藍子に会いたいという気持ちでいっぱいになりました。
ちょっとしたきっかけで、気持ちは簡単に上塗りされてしまいました。
……なんて、正直に話したら笑われてしまうだろうか。
藍子のことだから喜んでくれるかもしれない。喜んでくれそうな気がする。
カフェに誘う度に嬉しそうな返事が来る。話している中で、本当なら予定があったと聞かされることもあって、その度に邪魔してしまっただろうかと憂慮するのに、藍子の頬はいつも緩みっぱなしなのだ。
そんなに私に誘われることが嬉しかったかと尋ねてみたことがある。
はい、と即答された。
連絡が来た瞬間に、ぜんぶ書き換えられるんです。他のことが目に入らなくなっちゃうくらいに。あなたとここで会う光景を思い描いて、何のお話をしようかな、って、想像したら心が弾んじゃって、つい駆け足になっちゃうんですよ――
なんて極上の笑顔で言われて、惚れかけた。
知っていました、なんて得意げな顔をされるかもしれない。
ここに1人で来たことなんて1回しかないし、その時だってすぐに藍子を見つけて相席して、思った以上に意気投合して、それから新しい日常が始まった。
私にとってこのカフェがどんな場所なのかは自覚する必要もない。1人で訪れてどんな気持ちになるかなんて、よくよく思えば試してみるまでもなかったのだ。はたして今日の私は何をしているのだろう。答えを知っている謎解きの前で推理をするフリをして何が得られるのだろう。
乳白色にうっすらと映る鏡像が滑稽に見えてしょうがなくて、音が立つ程に荒々しくかき混ぜた。飛沫がテーブルを汚す。ぱちゃん、という音で手が止まる。あぁホント、私って何をしているんだろう。備え付けのナプキンで拭き取って四角く折りたたんで、おかしいね、と無意識のうちに口にした。
いや、だから藍子はこの場にいないんだってば。
いよいよもって世界から消えてしまいたくなった。そうしたら今度は、もしそうなったら藍子は泣いてしまうんだろうなぁ、と想像してしまうものだから、どこまでも私にとってこの場は「藍子がいる場所」なのだと認識させられてしまう。
いや、もしかしたらここがカフェじゃなくても――
はいはい、分かりました、私。
ちっぽけなプライドなんてもう粉々です。
意地っ張りなんて、どーせ長くは保ちませんよ。
ポケットに突っ込んだスマフォを再度取り出して藍子の連絡先を開く。
ふと試してみたくなって自撮りを1つ。表情が気に入らないので3度ほどやり直してから画像を添付して、メッセージを飛ばす。
今、どこにいるでしょう?
返信まで3分ほど待った。
"いつもの場所?"
うん、と打とうとして、癪なので、さあ? と打ち直す。
苦笑いのスタンプが返ってきた。それから、ほとんど直後に。
"ちょっと待っててくださいね"
そして、今から着ますとばかりに取り出されているセーターの画像。
うあー。
思わず机に突っ伏せた。今の顔は誰にも見られたくない。朧げにでも鏡像が生まれる場所にすら視線を移したくない。
笑いたくなるほどに。
っていうか、今実際に笑っている。
もうどこまでも自分が間抜けで、どうしようもないくらいに馬鹿馬鹿しい。
それ以上に。
両手両足を投げ出して叫びたくなるほど嬉しかった。言葉もいらなかったこと。今日また会えること。笑顔を見られること。それに、きっと喜んでくれること。ぜんぶが嬉しくて、身体を突き破るほど心臓が熱くなって、堪えきれなくなって足をばたばたと振り回した。膝がテーブルにぶつかって痛かった。目にちょっぴり涙が浮かんだ。
目の端を拭いながら、泣きマネでもやってみようか? と思いついた。
もし藍子が到着した時に私が泣きはらしていた(フリをしていた)らどんな反応を見せ――
うん。却下。本当に大泣きしたくなる展開になるのはヤダ。
年末年始に思い知ったことがある。藍子の家には気力を削いでいく猛毒が漂っている。毒沼だと分かってなお浸りたくなるように甘ったるいのもまたタチが悪い。帰れない道を転がり落ちる訳にはいかないのだ。私にだってプライドくらいある。
……まあ……机に突っ伏せた状態で主張しても説得力がアレなんだけど……。
思いっきり身体を起こす。私のような物を飲み干して、大きく背伸びをして。パチン、と両頬を叩いて、それからメニューを開く。
今日の藍子は何が食べたがるかな。
分かりきった問答なんてやめて、いつも通りに考える時間を始めなきゃね。
最後に、もう一度だけ。
1人でカフェに来てみました。
10分も経たず、藍子に会いたくなりました。
知り尽くした答えはりんご飴のようなべたつきがあって、お口直しがしたくなって、私はコーヒーを注文した。
それから、ふと閃いて、アップルティー、と続けて口にした。
途端に店員が太陽を見つけた顔になる。
私のだからね、と早口で付け加えた。
おしまい。
読んでいただき、ありがとうございました。
そして>>1の過去作のタイトル、1箇所訂正させてください。
誤:高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「寒暖のカフェで」
正:高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「1月のカフェで」
大変申し訳ございません。
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