【モバマスss】「私はママが、大嫌い」 (59)

※ アイドルの子供視点がメインのお話です。苦手な方は、ご注意を。
===
1.

 突然ですが、私はママが嫌いです。
 だってママは、パパが居なくても平気だから。

 パパのいないお家は、私と、ママの二人だけじゃとっても広くて。
 たまにママのお友達が遊びに来たときだけ、私のお家は、少しだけ、賑やかになるんです。

 ……それ以外は、いつも静か。

「あっ、お帰りなさい」

 学校から私が戻ると、ママはいつも、玄関まで迎えに来ます。
 私は、「ただいま」なんて言ってないのに、ドアの開く音で、きっと私が帰って来たことに気づくんです。

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 キッチンからエプロン姿でやって来た、ママの手にはお玉が握られていました。
 多分、お夕飯を作っている途中だったのでしょう。

「あのね、今日のご飯なんだけど、今日はいつもよりもちょっと豪華な――」

「ママ」

 ニコニコと喋り始めたママの言葉を遮ると、私は靴を脱ぎながら言いました。

「私、今から遊びに行く約束してるの。宿題は、帰ってからでもいいよね?」

 じっと見上げたママの顔が、一瞬だけ、ニコニコ笑顔から困ったような顔になる。

 だけど、すぐに元の笑顔に戻ると、

「そう……だね」

 考え込もむような、フリをする。
 でも、私にはママの次の言葉なんて、手に取るようにわかります。


「いいよ。むーちゃん、ママと違ってしっかりしてるし。お勉強は、帰ってからでも」

「……ランドセル置いたら、行ってきます」

「うん……お家に帰る時間は、大丈夫?」

「もう私、五年生だよ? いつまでも、小さいままじゃないんだから……」

「あっ、そ、そうだね」

 私は、「ごめんね」と謝るママの横を通り過ぎると、
 そのまま階段を上って、二階にある自分の部屋にやって来ました。


 学習机の上にランドセルを置くと、ふと部屋に置かれた、姿見に映った自分と目が合います。

「むぅ……」

 ……私は、ママが小さい頃にそっくりだと、よく言われて来ました。

 おじいちゃんや、おばあちゃんからもですし、
 その時に見せてもらった子供の頃のママの写真には、確かに自分そっくりの子が写っていて。

「でも……私はママと、違うから」

 そう――私は、ママとは違うんです。


 ママが恥ずかしがるからと、パパにこっそり見せてもらった写真に写っていたママは、
 大人のクセにとってもくしゃくしゃの泣き顔で。

「この写真は、パパが一番大事にしている、とっておきのママを写した写真です」

 そう言って、パパは私の写真と一緒に、ママのその写真をいつも持ち歩いていたみたいです。

 
 ……でも、とっておきの写真が、そんな泣いているところの写真だなんて、と。


 それ以来私は、カメラの前では絶対に泣かないようにしようと決めました。

 だって、泣いているところをカメラに撮られてしまうと、パパはママの分と同じように、
 私の泣き顔写真を持ち歩いてしまいそうだったから。

 きっとパパは、それらの写真をお守り代わりにでもしてたんでしょうけど……
 そんなみっともない写真を、宝物みたいに扱われるなんて……そんなの、私は嫌だと思ってました。

===

 遊びに行くための荷物を持って玄関を出ると、私は、家の近くにある公園へ。

 中には、噴水や花壇の他に、ブランコやジャングルジムなんかの遊具がいくつかあって。

 最近では、こうした昔ながらの公園は、中々に珍しいらしいです。


 言われてみれば、この公園の砂場は、ただ囲いの中にサラサラとした砂が敷いてあるだけですし、
 学校みたいに、ウサちゃんロボが定期的なお掃除をしに来るわけでもありません。

(完全な余談ですが、私はお掃除道具片手に町内を徘徊する、あのウサウサ集団が少し好きです)

 それにブランコや滑り台なんかも、
 昔の様子を再現したドラマや漫画に出てくるような、古い形の物ばかり。


「あっ、むーちゃんやっと来た!」

 私が、そんな公園の入り口に姿を見せると、既にやって来ていた、
 見知った顔の女の子がそう言って、私においでおいでと手招きしました。

「やっと来た、じゃないですよ。ミヨちゃんの来るのが、早すぎるんです」

「そうかな? 私、普通に家に帰って、そのまま出て来ただけだけど」

「私のお家より、ミヨちゃんのお家の方が、この公園に近いじゃないですか」

「ああ、そう言えば」

 じとっとした目でそう言うと、ミヨちゃん――私の、幼馴染の女の子です――は、悪びれた様子もなく頭に手をやって、

「確かに! 私のマンション、この公園からすぐ近くだもんね! 
 そりゃ、うーちゃんより着くのが早くなるはずだ!」

 ケラケラと、声を上げて笑い出しました。


 その笑顔は、うちのママなんかよりも、よっぽど笑顔らしいと思えて……
 私は、同じ笑顔なら、ママよりもミヨちゃんの笑顔の方が、好きだな……なんて、思ったりします。


「ところで、リツ君はまだ来てないんですか?」

「そーなんだよねー、今日こそ絶対に勝ってやる! なんて言ってたのに」

 ミヨちゃんはそう言うと、額に手を当てて、公園の中をキョロキョロ。

「やっぱり、無理だったんだよ。私より先に、この公園に来るなんて!」

「今日で、何敗目でしたっけ?」

「さぁ……いちいち数えてないけどさ。多分、十回は超えてるんじゃない?」

「そんなに負けてねぇよ! 何勝手なこと言ってやがる!」


 すると私たちのいるベンチの近く。

 いくつも穴の開いた、ドームみたいになっている遊具の中から、
 リツ君がその顔をひょっこりと出したんです。

「り、リツ君!」

「あんた、いつからいたの!?」

 驚く私たちに向かって、リツ君は――彼も、ミヨちゃんと同じ、私の幼馴染です――
「今日は、宣言通り俺の方がココに来るのは早かったぜ」と言って、どうだと言わんばかりに胸を張りました。

>>6訂正
×ミヨちゃんはそう言うと、額に手を当てて、公園の中をキョロキョロ。
○ミヨちゃんはそう言うと、額に手をかざして、公園の中をキョロキョロ。


「へへっ、お前らの驚く顔が見たくってさ、こっそり隠れてたんだ! ……参ったか!」

 ……何が、参ったのでしょうか? 

 不思議に思って首を捻る私とは違い、
 ミヨちゃんが、リツ君の背中を指さして言いました。

「ああっ! リツ、あんたランドセルしょったまま……もしや、家に寄らずに来たな!」

「そ、そうだけど……文句は言わせないぞ? 正攻法じゃ、ミヨより家の遠い俺は勝てないからな!」

「そんなのズルい!」

「ズルくない!」

「だったら私だって、家に帰る途中でこの公園の中横切るもん!」

「それは帰り道だろ! ノーカンだよ!」

 ミヨちゃんもリツ君も、お互いに両手を大きく振り上げたり、振り下ろしたり。
 体全体を使って自分の意見を通そうと必死に主張します。


「帰り道がダメなら、あんただってやっぱりダメじゃない! そんな、ランドセルなんてしょっちゃって!」

「俺のは、家が遠いってハンデだからいーんだよっ!」

「何よ! だったら私のが年上なんだから、年上の言うこと聞きなさいよ!」

「汚ねぇぞ! またそうやって、すぐ年上だってことを武器にするっ!」

 すると、分が悪いと思ったのか、
 リツ君が私の方を指さして言いました。


「だったら! むつ姉に決めてもらおうぜ? 三人の中で、一番年が上なんだから!」

「え、ええっ! 私ですかっ!?」

「年上ったって、私より誕生日が先ってだけじゃん」

「それでも、年上は年上だろ? ほら、早く!」

 ミヨちゃんとリツ君。二人に「さぁ、どっち?」と決断を迫られる。
 ……あぅ、これは、いつものパターンです。


「わ、私としては……そのぉ……」

「勿論、親友の私だよね!」

「いいや違うね! 俺の方だよ!」

「ふ、二人とも、今回はフェアな条件じゃなかったということで……引き分けじゃ……ダメ、かな?」

 言い終わり、ちらりと視線を上げると、
 二人はとっても難しい顔で私のことを見てました。

 ……あぁ、これは上手く、おさめられなかったかな……なんて思っていると、

「まぁ、むーちゃんがそういうなら、仕方ないね」

「確かに俺も……ちょっと強引だったかな」

 お互いに顔を見合わせて、自分たちの悪かったところを認め合う二人。


 私がぽかんとして見ていると、リツ君は照れ臭そうに頬を掻きながら、
「それに、あんまり卑怯な手を使ってたら、母ちゃんに怒られる」なんて言うんです。

「あっ、その手があった……リツのお母さん、怒るとおっかないもんね」

「な、なんだよ。そのニヤニヤ笑い……」

「べっつにー? ただ、今日のことを教えてあげたら、リツがどうなっちゃうのかなー、なんてこと、考えただけだよ」

「や、止めろよな、そういうの! ……この前みたいに、また休みの日に店の手伝いさせられちまう……!」

 リツ君がそう言って、本当に嫌そうな顔をしたものですから。

 その何とも言えない顔が面白くって、思わず私とミヨちゃんは、
 二人揃って顔を見合わせると、そのまま笑い出してしまいました。

===
2.

 とにもかくにも、三人が揃ったということで。
 私たちは公園を出ると、目的の場所に向かって街の中をテクテクと歩き出しました。

 途中、ミヨちゃんがポケットの中から、ケースに入った眼鏡型端末機を取り出して、

「それで――二人とも、アレはちゃんと持って来た?」 ……と、並んで歩く私たちに聞いて来たので、

「はい。ちゃんとこの鞄の中に」

「勿論だよ! 今日こそ俺が、アイツを参ったって言わせて見せるぜ!」

 私は手に持っていた鞄を掲げ、リツ君も元気よく答えると、
 背負っていたランドセルの中から、ミヨちゃんとは色違いの眼鏡を取り出しました。


「あんた、学校に眼鏡持ってってたの?」

 するとミヨちゃんが、顔をしかめ、問い詰めるようにリツ君を見ます。

「なに言ってんだよ。むしろ学校に眼鏡を持ってきてない、ミヨの方がおかしいっての」

「だって、ウチはお母さんがダメって言うんだもん。眼鏡なんて、外遊びにはいりませんー、なんて」

「一応、校則でも禁止されてますもんね」

「なに? ……ってことは、むつ姉も学校に眼鏡持ってきてないんだ」

「実は……そうなんです」

「はぇー……おっくれてるーっ!」


 信じられないといった顔で驚くリツ君に、ミヨちゃんが言います。

「なーにが遅れてる、よ! 生意気言って!」

「なんだよ。遅れてるヤツのこと遅れてるって言って、何が悪いんだよ」

「別に……その程度でいちいち怒ったりするほど、私も子供じゃないし、好きに言えばいいけど」

 けれど、つんと澄ました顔でそう言ったミヨちゃんが、
 次の瞬間、とっても暗い表情になって言いました。


「ただ……リツは眼鏡の噂、知らないんだなぁ、と思ってさ」

「め、眼鏡の噂?」

「な、なんです? それ……?」

 急に怖い話をするような雰囲気で喋り始めたミヨちゃんに、
 並んで歩く私たちも、少し、ドキドキしながら聞き返しました。

 するとミヨちゃんは、顔も上げずにゆっくりと、小さな声で、その噂について話し出したのです。


「それが……目も悪くない子が、普段から眼鏡で遊んでばっかりいると……」

「あ、遊んでばっかいると?」

「何処からともなく、声が聞こえて来るようになるんだって」

「こ、声が……ですか?」

「そう……何処からともなく、女の人の声でね」

 ミヨちゃんが、そこでピタリと立ち止まってしまったので、私とリツ君も、同じように立ち止まる。
 するとミヨちゃんは、今度はまるでお化けの真似をするみたいに、両手をプラプラさせながら言うんです。


「何処からともなく……『まぁまぁ眼鏡どうぞ』……『まぁまぁ眼鏡どうぞ』……って」

「め、眼鏡どうぞ?」

「も、もしその声に答えると……ど、どうなっちゃうんです?」

 ビクビクと怯えながら私がそう聞くと、
 次の瞬間にミヨちゃんは、持っていた眼鏡をケースの中から取り出して、

「それはね、むーちゃん……こーなっちゃうんだよおぉっ!!」

 そう大声で叫びながら、話を聞いていた私の顔に、勢いよく眼鏡を掛けたんです!

 だから私も、思わず「ひゃああぁっ!!?」なんて声を上げちゃって、

「謎の声に答えると、こんな風に眼鏡を掛けられて、
 一生眼鏡をつけたまま過ごさなくちゃならなくなるんだよっ!」

「あ、あう、あうぅ……!」

「ちなみに要りませんって断っても、無理やり掛けられるらしいよ? 眼鏡」

「きゅ、急に大きな声を出さないでくださいぃ! 
 び、びっくりしちゃったじゃないですかぁ!!」

 余りの驚きに、その場にへたり込んでしまった私を見下ろしながら、
 ミヨちゃんが両腕を組んで、うんうんと頷きます。


「――だから、眼鏡は学校に持ち込まない! 外遊びにも使わない! 
 寝る時もお風呂の時も、眼鏡をかけたままになりたくなかったら……私の偉大なるマザーから聞いた話は、これでお終い」

 けれど、一緒に話を聞いていたリツ君は、最初こそビックリしたような顔をしていたのに、

「な、なぁんだ。それって、『眼鏡の上条さん』じゃねぇか」

 今度はキョトンと、表紙抜けたような様子で、ミヨちゃんにそう言い返したんです。


「なに? リツも上条さんの噂、知ってたの?」

「か、上条さんの噂って言うんですか? 私は、初めて聞いたんですけど」

 地面から立ち上がり、ぱっぱっとお尻の汚れを払いながら尋ねると、リツ君が、片手を広げて答えます。

「うん。話の大筋はミヨみたいに、何処からともなく女の人の声が聞こえて来るってヤツだけど」

「だけど……違うの?」

「上条さんってのは、そんな悪霊みたいなのじゃなくてさ。
 むしろまだ眼鏡を持ってない子に、タダで眼鏡を配って回る、サンタクロースみたいな人だって聞いたけどな」


 今度は、私とミヨちゃんがキョトンとする番です。

「それ、誰から聞いた噂なんですか?」

「ウチのオヤジ。クリスマスの日にこの眼鏡を貰った時に、お前のところには上条さんが来たんだなぁって」

「え、えぇーっ? だったら、私のお母さんが言ってた上条さんは、どうなっちゃうの?」

「それは……単にミヨの母さんがさ、ミヨに眼鏡でばっか遊ばないようにって、嘘ついたんじゃねぇか?」

 ミヨちゃんに説明を求められたリツ君が、困ったようにそう返すと、
 ミヨちゃんは私の顔に掛かったままの眼鏡を見つめて言いました。


「……そういえば、私の眼鏡もクリスマスプレゼントだった」

「あの、実は……私の持ってる眼鏡もです」

「まさか、むーちゃんのも私のも、上条さんからのプレゼント?」

 そこまで言ってから、見つめ合う私とミヨちゃん。

 すると耳元で、「まぁまぁ眼鏡どうぞ」と、聞いたことのない女性の声がするような――
 そんな感覚を味わって、私たちは揃ってぶるると、寒くもないのに肩を震わせたのでした。


 ……そんな風に、謎の上条さんについての噂話で盛り上がりながら歩いていると、
 いつの間にか私たち三人は、当初の目的地へとやって来ていて。

「今日もいるかな?」

「いるんじゃね? むしろアイツが、外出歩いてるのなんて見たことねぇよ」

「あっ、私は見ますよ。たまにですけど、お買い物袋を提げて歩いてるのを」


 そこは、二階建てのアパートの一部屋。

 ウサギのイラストの入った可愛らしい表札の横にある、
 古めかしいインターホンを、ピンポンと一押しすると、

「……出ないね?」

「お留守でしょうか?」

「いやいや、居留守かも」

 ……待つこと数分。

 うんともすんとも言わない扉の前で、ひそひそと囁き合う私達。


「……よし! 仕方がないなぁ」

 するとミヨちゃんが、玄関脇に置かれていた牛乳受けを手でずらし、

「――おっとー? こんなところに、宇宙船の鍵はっけーん!」

「白々しいな、おい」

「いいじゃんいいじゃん。菜々さんだって、
 私たちなら勝手に入って待ってても良いよって、この前言ってくれてたし」

 人参のキーホルダーがついた小さな鍵を、玄関の鍵穴へと差し込みます。


 そうして、ガチャリと鍵の開く音を確認してから、ミヨちゃんはドアノブに手をやると、

「……おや?」

「どうしました?」

「何かね……コレ回んない」

 ガチャガチャと、何度かノブを回してみるミヨちゃん。

 けれどドアノブは僅かに動くだけで、
 まるで誰かに押さえつけられているかのようにびくともしません。


「こりゃあれだね。居るね、中に」

「よし、だったら俺も手伝おう」

「な、なら、私は二人を応援します!」

 着ていたパーカーの袖をまくって、リツ君がミヨちゃんを手伝い始めます。
 その様子を、私も二人の後ろから、固唾を飲んで見守って。

「んぐぐぐぅ……!!」

「ふぬぬぬぬ……っ!!」

 すると、扉の向こう側からも、微かに聞こえる苦しそうな声。

 それから急に、二人が「うわぁっ!」と声を上げたかとおもうと、
 いきなり後ろに立つ私に向かって、勢いよく倒れ込んで来たんです!


「あ、痛たたた……!」

「お、重い……! ミヨ、お前重てぇよ!」

「じょ、女子に向かって重たいとかいうな! 失礼でしょ!」

「な、何でもいいから……早く、早くどいて下さいぃ……!」

 外開きのアパートの扉は、二人に引っ張られるようにして開け放たれて、
 よろよろと立ち上がった私達と一緒に、ゆっくりと起き上がる人が一人。

「まったく……菜々さんめ。こんな子供にまで合鍵の場所を教えるなんて……防犯意識無さすぎだって」

 小学生の私たちと殆ど変わらない見た目をしたその人は、
 そう言って私たちの顔を見回すと、不機嫌そうに口に入っていた飴玉を噛み砕いたのでした。

===

「あの、じゃあお邪魔しますね」

「お邪魔するならさぁ、早めに帰って良いからねぇ」

「なら、お世話になりまーす」

「こっちにはお世話する気がないから、適当にお寛ぎくださーい」

「よいしょっと」

「おい待てそこの。せめて人の家に上がる時は、前二人みたいに何か言うのが礼儀でしょ?」

 私たちより後に玄関を上がろうとしたリツ君を、
 そう言って、先ほどの人――杏さんが呼び止めました。


 だけどリツ君は、口を尖らせるようにして
「だって杏姉ちゃん、何言ったって文句しか言わねぇもん」なんて。

 すると杏さんは、わざとらしく首を振りながら、「はぁー」と深くため息をつくと、

「最近の小学生は、親しき中にも礼儀ありって言葉を知らないのかな?」

 そう言って、リツ君を指さしながら注意しました。
 けど、リツ君もリツ君で、「うん、知らねー」だなんて、しれっとした顔で返すんです。


「こ、このガキ……! まったく、こんな風に生意気に育てた、親の顔が見てみたいよ……」

「見たいなら、ウチ来ればいいじゃん。俺の母ちゃん、いつでもいるぜ?」

「……やっぱりやめとく。どうせ会っても碌なこと言われないだろうし、それになにより面倒くさいし」

 すると杏さんは、ニタリと不敵に笑ってそう言うと、部屋の奥へと歩いて行きます。


 ……この二人のやり取りを、私はここに遊びに来るたびに、
 いつリツ君が杏さんに怒られるんじゃないかって、ハラハラしながら見守ってるのですが。

「ちぇー、なんだー。今日も杏ちゃん、怒らなかったかー」

 隣で一緒に見守っていたミヨちゃんは、
 そんな二人のやり取りをどうやら面白がり、ここに来た時の楽しみにしているようでした。


「ほんじゃ、好きなように遊びなよ。
 机の上にはいつもみたいに、菜々さんがお菓子も用意してくれてるよ」

「やった! 今日のお菓子ラインナップ、私の好きなやつー!」

「さっすがは、俺たちのウサミン星だぜっ!」

 杏さんの後について行くようにして、私達三人が畳敷きの部屋にやって来ると、
 杏さんはこれまたいつも通りに部屋の隅に鎮座する、使い古された大きなウサギのソファに座り込みました。

「それでー……今日は誰が、私と勝負するのかな?」

 そうしてゴソゴソと取り出した眼鏡を掛けながら、お菓子の山を物色する私たちに声をかけます。


「へへっ! じゃあ、まずは俺からだ!」

 リツ君が、威勢よく答えて立ち上がりました。その顔には、先ほどの眼鏡型端末機。

「レートは?」

「一試合で飴三つ! 今日こそ今まで負けた分、倍にして返してやるっ!」

「グッド!」


 二人の間の畳の上に、それぞれが三つずつ取り出した、
 合計六個の飴玉が、コロコロと並べられました。

 それから二人が眼鏡のヒンジ部分に指をやると、杏さんとリツ君の前に、
 眼鏡のレンズを通して見ることのできる、ホログラフィの『ぷちデレラ』が現れて。

「それじゃあ、ライブバトルを始めようか……!」

「望むところだぁっ!」

 小さなアパートの一室は今まさに、手に汗握り、
 小さなぷちデレラ達が歌って踊って競い合う、バーチャルライブ会場になったのです。

===
3.

「それで……今日は皆さん、どれくらい杏ちゃんに絞られたんです?」

 ……私達がウサミン星と呼ぶ、この秘密基地。

 その主でもある菜々さんが帰って来たのは、私とミヨちゃん、
 そしてリツ君合計で、三十個以上の飴を杏さんに対して支払ってから。


「いやぁ、若いってのはいいねえ。向こう見ずで、すーぐ熱くなるからさ。杏も、カモにしやすくってしやすくって」

「何言ってるんですか杏ちゃん。いい歳して、小学生相手に大人げない」

「これでもハンデはあげてるんだよ? 私はほら、相手のレベルに合わせたメンバーしか使ってないし」

「そうじゃなくて、ナナは子供相手にそこまで本気にならなくてもってことをですね」

「菜々さんは、杏に接待プレイをしろって言うの? そんな台詞、紗南が聞いたら怒るよぉ~?」

「ゲームで負かした小学生に、肩を揉ませている大人の言うことですかっ!」

 そう言って私達を見下ろしていた菜々さんは、呆れたように腰に手をやりました。

 その前には、ウサギのソファに座る杏さんと、彼女の肩を揉まされているリツ君。
 それから、杏さんの左右に座り、同じように彼女の足をマッサージする私とミヨちゃん。


 まるで王様と、その召使いのような図を見て、菜々さんが困ったように首を振ります。


「いやいやいやこれはね? この子達がさ、自主的にやってくれてることなんだよ」

「よく言いますよ。ナナだって知ってるんですからね? チップ代わりに巻き上げた、飴玉の数に応じて……」

「だって遊びに負けた方にはさ、普通罰ゲームが待ってるもんじゃん。
 だからこれは、この子達の罰ゲーム罰ゲーム……決して強制的な労働なんかじゃ、ないんだなぁ」

「……もう、杏ちゃんったら! 杏ちゃんが小学生相手にこんなことをしてるなんて、もしきらりちゃんが聞いたら、なんて言うか」


 だけど菜々さんの口から、「きらり」という単語が出た途端、杏さんは目に見えてうろたえだして。

「えっ? ……えっ!? き、きらりが来てるの? この近所……近くに?」

「買い物帰りに、たまたま会ったんですよ。向こうはまだ、お仕事中みたいでしたけど。
 ……だけどこんなことなら、少しぐらい、顔を出してもらうんでしたねぇ」

 そうして菜々さんが、杏さんに向けてスマートフォンを構えます。
 するとミヨちゃんが、マッサージしていた手を止めて、コソコソと私に耳打ちしました。


「ねぇねぇむーちゃん。菜々さんってさ、まだスマホ使ってるんだね!」

「聞こえてますよ! ミヨちゃん!」

「分かった! 分かったから写真を送るのは止めて! ほら、三人とももうマッサージはいいから!」

 慌てたように杏さんが解散命令を出したことで、ようやくこの重労働から解放される私たち。


「俺、オヤジの肩でもこんなに揉んだことねぇよ」

 手をプラプラさせながらそう言うリツ君の顔は、とってもヘロヘロ。どうやら、よっぽど堪えたようです。

「さぁさぁ、皆さん。暴君から解放されたところで、ジュースなんてどうですか? 
 労働の後の一杯は、そりゃあもう、格別なんですから!」

 するとそんな私たちを元気づけるよう、菜々さんが明るい声で言いながら、
 冷蔵庫から冷えたジュースを持って来てくれます。

 そんな菜々さんの姿を見て、「菜々さんの言い方だと、泡の出るジュースが出てきそうだね」なんて言うのは、杏さん。


「フフン。昔の私ならばいざ知らず、クラスチェンジして永遠の二十三歳となった菜々はですね、
 今なら誰の目も気にせずに、お酒だって嗜められるんですよっ!」

「菜々さん、二十三歳なんですか?」

「ええー? ウチのお母さんより断然若ーい!」

「でもよぉ、菜々さんって、俺たちの母ちゃんの同期なんだろ? だったら――」

「あ、あっ! いえね? 二十三歳と言っても、菜々のは、ウサミン星基準の数え年でですね……!」

「……歳はとっても菜々さん、こういうところは変わってないなぁ」


 それから、また数十分程たった頃。
 机の上には菜々さんが買って来た、ケーキが入っていた箱が一つ。

「ふぅ……美味しかった」

「満足だよ……満足……」

「そうですか? お口に合ったようで、なによりです」

 丸まったお腹を撫でながら転がるミヨちゃんとリツ君を、
 机の上の食器を片付けながら、優しい笑顔で眺める菜々さんは、まるでおばあちゃんみたい。


 とはいえ私も、今はお腹一杯になったせいか、
 少しだけ重たくなった瞼が閉じないよう、何とか我慢してる状態で。

 そんな私たちの目を、覚まそうと思ったのでしょう。

 菜々さんが、何かを思い出したようにポンと手を打つと、

「そうそう、実はですね……今日は皆さんに、とっても珍しいものをお見せしましょう!」

 そう言って買い物袋の中から、一通の封筒のような物を取り出しました。


「あれ……菜々さん、それって」

「あっ、杏ちゃんは分かりますよね?」

「分かるけど……フィルム写真のネガじゃん。わざわざ現像して来たの?」

「そうなんですよぉ~。杏ちゃんが『匿ってくれって』北海道から転がり込んで来た際に、
 部屋の整理をしたじゃないですか。その時、偶然荷物の中から見つけまして」

「はぁ~、あの時にねぇ。それにしても、今じゃネガを扱ってくれる写真屋さんだって、殆ど無いんじゃあ」

「そこは……昔のツテで。椿ちゃんにお願いして、ちょちょいっと」

 中に入っていたのは、いくつもの写真でした。

 それもデジタルブックのデータじゃない、ちゃんとした紙に印刷された写真です。


「これ、全部私たちのなんですよ。ほらっ、中には、皆さんのお母さんの写真もありますよぉ~」

 机の上に広げられた写真を見て、杏さんが「まるでタイムカプセルだね」と呟きます。

 確かに、杏さんの言う通り……そこには私の見覚えのある人の姿がチラホラと。

 だけどどれも、今よりずっと若い時の恰好……
 あっ、それでも杏さんと菜々さんは、すぐに見つけることが出来ました。

「なんて言うかさ……こういうの見ると、ホントにお母さんたち、アイドルだったんだなって思うよね……」

 食い入るように写真を見つめていた、ミヨちゃんが感心したように言った言葉。それには……私も同感です。


 だって小さな頃から、繰り返し聞いたママの歌。
 繰り返し見返した、ママのライブ映像。

 いつだって女の子の憧れ、アイドルというお仕事についていた、
 尊敬するべきママの姿が、その写真の束にはしっかりと写し出されてましたから。


 だけど、だからこそ……今の、すっかり輝きを失ってしまった、ママの姿が耐えられなくて。


「そういえばさ、この写真見て思ったんだけど」

 そんな時、ふとリツ君が言った一言。

「むつ姉のお母さんってさ……ほんと、むつ姉そっくりだよな」

 それは、私が小さな頃から、何度も繰り返し言われて来た言葉。

「あれ? 逆か……むつ姉が、むつ姉のお母さんそっくりなんだ」

 そして今の私が……一番、聞きたくない言葉。

「そうですねぇ。特にこの、笑った時の顔なんてママそっくりで――」

 リツ君の持った写真を覗き込んだ、菜々さんがそう言った時でした。


 私は思わずその場から立ち上がると、大声で「違うっ!」なんて、叫んでいて。

 驚いた顔で私を見上げる皆の顔を見て、我に返った私は、
「あ、いえ……違う、違い……ます」と、口の中でもごもご。

 すると杏さんが、そんな私に向けて言ったんです。


「……なに? お母さんとそっくりって言われるの、そんなに嫌なワケ?」

 ……それは私が初めて聞いた、杏さんの冷めた声でした。

 まるで、人はここまで冷たくなれるのかという程に、感情の無い、鋭いナイフのような一突き。

 気づけば私は、ポロポロと涙を流して。
 締め付けるような胸の痛みが、その傷口から広がるようで。


 そんな私を、オロオロと見上げるミヨちゃんと、リツ君。
 そして菜々さんが、私と同じように立ち上がり、

「だ、大丈夫……?」

 きゅっ、と。

 引き寄せられるままに、私の顔は、菜々さんの胸の中に収まりました。
 そうしたら、なんだか、涙が止められなくなって。

 だけど、涙を流せば流す程、
 私は、嫌いな、ま、ママと同じ……そっく、りに、なって……!!

===

 ――……私は、ママに憧れて。

 だけど私のママは、私の憧れた頃のママじゃ、とっくになくなっていて。

 写真や、映像で見るママは、とっても笑顔がキラキラしてて、いつも、誰よりも明るく笑ってた。

 そしてパパが居た頃のママも、そんな昔のママに負けないぐらいにキラキラしてて。


 だけどパパが居なくなって、それからのママの笑顔は、いつもどこか寂しくて。

 そんなママを、私は元気づけることが出来なくて。
 お家からは、笑顔も、会話も、次第に減って行って。

 夜になると、一人、しくしくと泣いているママの姿も、私は何度となく目にしました。


 だから私は……ママが嫌いです。


 寂しいのに、大人だからって無理に笑う、大丈夫だよって嘘をつくママが嫌い。

 そんなママに似てるって言われる、自分のことも、大嫌い。

 だって、私がママに似てるなら、大きくなった私は、ママみたいに寂しい笑顔の大人になる……
 そう、皆に言われてるみたいじゃ……ないですか。

===

「だから……パパが一度だけ見せてくれた、昔のママの泣いてる写真……。それが私は、堪らなく嫌でした」

 夕陽が、ウサミン星の窓から差し込んで、部屋の中を赤く照らしていました。

 ミヨちゃんと、リツ君は、遅くなるといけないからと、一足先に菜々さんのお家を後にして。
 ……ここに残ったのは、ついさっきまで、泣きじゃくりながら胸のうちを吐き出していた、私一人だけ。


「私のママは、いつだってキラキラしてて。笑顔で、優しくて……だけど、今のママは優しいけど……」

 私が話し終えると、それまで黙って聞いていた杏さんが、「……泣き虫なママなんて、ママじゃない……か」と呟きました。


「どう思う? 菜々さん」

「そうですねぇ……」

 杏さんから話を振られた菜々さんが、顎に手を当て、考え込むような仕草を見せます。

「ナナにも、なんとなく覚えがありますよ。子供の頃は、大人って……
 特に親なんて、これ以上ないぐらい、強い存在じゃないですか」

「……まぁ、そうだよね。杏も、未だに親には頭が上がらないし」

「だから彼女は……そんな強いハズのママが急に見せた、弱さに戸惑っちゃったんじゃ、ないですかね」

 そうして菜々さんに、優しく名前を呼ばれ、
 私は泣きはらし、うさぎみたいに真っ赤になった目を上げました。


「実はですね……あなたのママには、口止めされてたことなんですけど」

「まさか菜々さん。あのこと……言っちゃうつもり?」

「でも、この子の誤解を解くには、これが一番早いんじゃないかって」

「……知らないよ? 後で文句言われるの、菜々さんの役目だからね」


 杏さんが顔をしかめて、ウサギソファに座ったまま、
 自分の両耳を塞ぎ、その両目を閉じました。

 それは彼女なりの、知らんぷりの表現なんでしょう。

 そんな杏さんを見て、菜々さんはくすりと笑うと、

「……あのね、今日の写真の中に、こんな写真があるんですけど」

「……写真、ですか?」

 首を傾げる私に、机の上の写真の束から幾枚かを抜き出して、広げて見せる。
 それは、どれも私のママが写った写真。

「ママには、内緒ですよ? 私が、後から怒られちゃいますから」

 菜々さんが、写真の中のママの顔を、順番に指さしていく。

 そこには受けているレッスンが辛いのか、汗だくになりながら泣いているママもいれば、
 誰かに驚かされて、びっくりして泣いているママも、何かの罰ゲームなのか、
 泥だらけのジャージ姿で、情けなく涙するママもいて。


 それは、ある意味初めてみるママの弱さ。
 だって私のお家のアルバムには、いつも笑顔のママしか、写ってなんていなかったから。

「どうです? 案外ママって、泣き虫さんでしょう?」

「……でも、それがどうしたんですか。……ママが泣き虫なことなら……私はもう、知ってます」

 プイと、顔をそむけるようにそう言うと、菜々さんは、くすくすと可笑しそうに笑い、

「それから、今度はこっちの写真」

 再び、写真の束から何枚か抜き出しました。

 そうして私は、また泣いているママの写真を見せるのか……
 なんて思いながら、菜々さんの持つ写真を覗き込んだんです。


「……えっ?」

 それは予想通り、先ほどの泣いていたママの写真の、すぐ後に撮られたと思える写真たちでした。

 だから当然、ママは涙を流したまま……だけど、さっきの写真と明らかに違っていたのは、

「ママ……泣きながら、笑ってる……」

 どの写真も、直前までは確かに、しくしく泣いていたハズのママ。
 けれど、今菜々さんが見せてくれている写真に写るのは、幾度となく繰り返してみた、あのキラキラした笑顔のママで。


「泣いてるのに……こんなに、泣いてるのに……」

「……それから、最後にこの写真」

 菜々さんが、そう言って見せてくれたのは、いつかパパが見せてくれた、あの写真。

 キラキラとしたステージの真ん中で、沢山の仲間たちに囲まれて歌を歌っているママの写真。
 その顔は、見てるこっちが恥ずかしいぐらいにハッキリと、涙の筋が見えているのに。


「……どうです? これが、あなたのママ。この頃は本当に、何度も何度も、彼女の笑顔に元気づけられたものですよ」

「ママの、笑顔に……? こんな、みっともないぐらいに泣いてても……?」

「そうでしょうか? ナナには、どこもみっともなくなんて無い。最高の泣き笑いに見えますけどねぇ?」

「……泣き笑い? 泣いてるのに……笑顔なの?」

「ええ、それが、笑顔の魔法……ナナの覚えている限り、あなたのママは、見た人を勇気づけ、幸せにする……
 そんなキラキラした、魔法みたいな笑顔の持ち主でした」

 懐かしむような、菜々さんの横顔は、とても優しい顔をしていて、

「勿論、普段の笑顔も素敵でしたけど……こんな風に人を温かい気持ちにさせてくれる泣き笑いなんて、
 ナナは、それまで出会ったことがありませんでしたから」


 菜々さんの言う通り、古ぼけた記憶なんかじゃなくて、
 こうして鮮明に写し出された思い出の写真のママは、確かに菜々さんが言うように、
 とってもキラキラした笑顔で写っているように見えるけど。

「で、でも……今のママはこんな風に……キラキラなんて、してません……」

「……だから、最近の私たちはさ。ママみたいな笑顔で笑う女の子を見て……
 今度は彼女の代わりに、その子から元気を貰ってるんだよ」


 突然聞こえて来た声に顔を上げると、いつの間にか杏さんもソファから立ち上がり、私たちの傍までやって来ていて。


「多分ママも……そうなんじゃないかな? 笑顔の魔法は、有限だから。
 人生は長いんだしさ、時には、空っぽになっちゃうことだって、あるんだよ」

 私を見下ろす杏さんは、さっきの冷たい印象から、打って変わった優しい顔をしていました。


「そんな時には、さ。きっと誰かが、追加で魔法をかけてあげなくちゃ……例えばそう、こんな風にね」

 そうして、杏さんがニタリと笑う。
 それは笑顔というには、とっても怪しいものだったけど。

「杏ちゃん。そんな笑顔じゃ、逆に元気を吸い取っちゃいますよ!」

「でもさぁ、杏は昔っから、時折見せるこの邪心の笑みがセールスポイントだし」

「いいですか? 人を元気づける笑顔って言うのはですね、こ~んな風に……」

 そう言いながら立ち上がった菜々さんが、クルリとその場で一回転。

「ウサミン星からやって来た、歌って踊れる声優アイドル、ウサミンこと安部菜々ですっ! キャハッ☆」


 ポーズを決めた途端に「あぅっ!?」と一声、
 真っ青な顔で腰を押さえて屈みこんだ、そんな菜々さんの姿が可笑しくて。


「あっ! ああっ! こ、これは久々に……ウサミン、引退の危機っ!?」

「今回ので、数日ぶり何回目だっけ?」

「れ、冷静に数えてないで良いですから……! は、早く! 早く救助を……!」

「はいはい、菜々さん湿布どこー……って」


 そんな中、私の顔を見た杏さんが、うんうんと頷きます。
 すると杏さんに釣られるようにして、私の顔を見た菜々さんも、痛みに強張りながらも浮かべた笑顔で言いました。


「そ、そうですよ! その、笑顔です!」

「血筋かなぁ……ホント、そっくりだよ」

「ですね! ナナも、何だか急に元気が湧いて来たような……とぅっ!!」

 無理やり立ち上がった菜々さんが、再び「はぅっ!!?」と声を上げて、その場にくしゃりと沈み込む。
 そんな彼女を見て、私と杏さんは、お腹を抱えて笑い転げて。

 そしてそのうちに、菜々さんも一緒になって笑い始め、
 たちまちアパートの中は、三人分の笑い声に包み込まれたのでした。

===
4.

 菜々さんのアパートからの帰り道。

 私の足は軽く、自然と鼻歌なんかも口ずさんだりなんかして。
 曲は……勿論、ママの曲。小学校に上がる前から、何度も、何度も、繰り返し練習し、初めて覚えた、思い出の曲。


「ずっと、すまいりんぐ……しんぎんぐ……♪」

 何だか、今まで胸の中につっかえていた沢山のもやもやが、
 歌うたびに、口ずさむたびに、星の見え始めた空へと溶けていくようでした。

 けれど、お家が見えて来るにつれて、少しずつ、私の足取りは重くなって。


 ……その理由は、すぐに分かりました。

 最近の私は、パパが家を出て行ってからの私は、いつもママに素っ気ない態度ばかり。

 ……今日だって、そうです。

 私は、学校から帰るなり、ろくにママとお話もせず、そのまま外に遊びに行って。

 ドアノブに、かけた手が石のように固く。
 私は、そのままの恰好で長い間――本当は、たったの数秒だったかもしれないけれど――その場に、じっと立ち尽くしていました。


 ……ママに会って、どうしよう? 
 なんて言えばいい? ごめんなさいと、謝るのが先? 

 それとも、いつものように素っ気ない態度で……ああ、ダメ。
 それは、もうしないって、二人にも約束したのに……。

 そんなことを、グルグルと考えていた時です。

 突然、私の握っていたドアノブが、ガチャリと音を立てて回ったかと思うと、

「あれ……?」

 ぐぐいと、外へ押し出された扉の隙間から、ひょっこりと顔を出したのはリツ君のお母さん。

「おやおや? 小っちゃなしまむーのお帰りじゃない」

 それから、リツ君のお母さんと一緒に外に出てきたのは、ミヨちゃんのお母さんでした。


「卯月……むっちゃん、帰って来たよ」

「だからさ、むっちゃんだと語呂が悪いから、小さなしまむーで、ちまむーにしようって」

「未央……そうやって人の所の子供に、妙なあだ名つける癖、そろそろ直した方が良いと思うよ?」

「妙なあだ名だなんて……失礼だなぁ! しぶりんは!」

「だから、私ももう渋谷じゃないんだからしぶりんってのはさ……」

 二人の言い合いを、ポカンと見上げている間に、
 玄関の奥からパタパタと、電話を握ったママが、私のところへ駆けて来ます。


 その顔は今にも泣きだしそうで、困ったような、辛いような、そんな顔にも見えて。

「あ、ま、ママ……!」

 言いたいことが、頭の中でまとまらない。口が、思うように動かない。
 だけど、ママはどんどん、私との距離を縮めていきます。

 言わなくちゃ、言わなくちゃと思えば思う程、私の口は、貝みたいに固く閉じてしまい。

 ……玄関マットの上までやって来て、ママはようやく立ち止まりました。

 すると私の背中を優しく押すようにして、リツ君のお母さんが、私を玄関の中に招き入れます。


「た……ただい、ま……」


 それは――ゆうに一ヶ月ぶりに口にした、「ただいま」でした。

 それも顔は伏せたまま、たどたどしく、相手に届くかどうかもわからない程に小さな、「ただいま」


「……お帰り、なさい」


 だけどママは、ちゃんと私にお帰りを返してくれて。

 トンと肩を叩かれて顔を上げると、ミヨちゃんのお母さんが、ニコニコしながら前を指さします。

 その、指の先には……いつもと変わらない、寂しそうなママの笑顔。
 だけど、本当はそうじゃないことを、今の私は……知っているんです。


「た……」


 ママの笑顔は、私そっくり。私の笑顔も、ママそっくり。
 なら、私の笑顔も……誰かに魔法を、掛けられるハズだから。


「た……ただいま……ただいまっ、ママっ!」


 精一杯の、とびっきりの、私らしい、私だけの笑顔。

 思い出すのは、今日あった楽しいこと。ママに伝えたい、私が笑顔になれたこと。
 ママも笑顔になれるような、私が幸せに思ったこと。それを、全部、全部この笑顔に乗せて……――。


 すると最初はビックリしてたママの顔が、また、さっきみたいに泣き出しそうになって……だけど、今度は違ったんです。


「うん……お帰りっ」


 大人が泣くなんて、みっともないと思ってた。大人が寂しがるなんて、カッコ悪いと思ってた。

 ……だけど今のママは、全然みっともなくも、カッコ悪くも無くて。


 だって、今のママの顔はね? 

 菜々さんが言ってたみたいに最高の……最高の、最高の、とびっきりの、『泣き笑い』だったから!


※ 以下、エピローグと言う名の蛇足

===
 エピローグ
「少女の知らない、舞台裏」

 すぴすぴと、可愛い寝息を立てる我が子の寝顔を覗き込み、卯月はくすくすと微笑みながら呟く。

「ご飯を食べたら、すぐに寝ちゃって……よっぽど、遊び疲れてたのかな?」

 すると、彼女と一緒にソファに横たわる少女の顔を覗き込んでいた凛が、
「どうかな? 緊張してたのもあると思うよ」と言うと、

「だね。何せこの子にとっては、初めての経験だったろうし」と、
 少女にタオルケットを掛けていた、未央がくっくと可笑しそうに笑いながら頷いた。



 すると未央の言葉を聞いた卯月が、よく分からないといった風に眉をひそめて尋ねる。

「初めての経験って……未央ちゃん、それ、どういう意味ですか?」

「だからさ、反抗期って言うか、そんな感じの。ほら、ちまむーちゃんって、この年にしちゃ落ち着いてて、ソツがないじゃん?」

「未央、ちまむーじゃなくてむっちゃんだよ」

「今まであんまりワガママを言ったり……面と向かって親に、
 自分の気持ちを打ち明けるようなこと、無かったんじゃないかなー……なんて」

「それは……言われてみると、そうですね。ウチの子は、ミヨちゃんと比べると確かに大人しめで。
 私も、手が掛からないからって、甘えてたところ……あったかも」

「いや……ウチのミヨは、あれはあれで騒がしすぎるだけっていうか。
 今日だってしぶりんのとこの子と一緒に戻って来たと思ったら、泣きながら大声でむーちゃんが、むーちゃんがって」


 そうして「まいったまいった」と両手を広げる未央に続いて、凛が言う。

「だね。その後、未央がすぐ私のところまで飛んできて」

「そのまま、ココに直行だもん。もうね、私はとうとうミヨが、ちまむーに怪我でもさせたんじゃないかって大慌てでさぁ」

「……だけど話を聞けば、どうもウチのリツが原因作ったみたいで」

「そ、そんなことないですよ! 電話をくれた菜々さんの話だと、この子が悩んでた原因は……私自身に、あったんですから」


 三人のいるリビングが、少しだけ暗い雰囲気に包まれた。
 だが、そんな雰囲気を変えようと、未央が明るい口調で話し出す。

「で、でもでも! そんなしまむーが落ち込んでた原因もさ、今日で解消されるんだよね? 
 確か聞いてた話だと、あの人が帰って来るの、今日の予定だって言ってたし!」

「そういえば、そうだね。今回は、何処に行ってたんだっけ? 南米? シベリア? ヨーロッパ……はこの前か」


 未央と凛の二人が、そうして「エジプトかな?」「アフリカも、行ったんだっけ?」
 などとあちこちの地名を上げる中、おずおずと卯月が口にしたのは、

「うう……今回は、国じゃないんです」

「国じゃない?」

「じゃあ、どこさ」

「あの、船に乗って……新規事業の、宇宙漁業の体験を三ヶ月。それも、連絡も取れないような場所にです」

「三ヶ月のうえに、今回の行き先は宇宙ですかぁ……」

「卯月、結婚してからそんなに離れてたのって、久しぶりだったでしょ?」

「そうなんですよぉ……だからもう、毎日寂しくて寂しくてぇ……!」

 ポロポロと泣き出してしまった卯月の姿を見て、やれやれとため息をつく凛と未央。


「こりゃあ……ちまむーも心配するワケですよ」

「卯月は、ちゃんと説明してたの? お父さんは、お仕事で家を空けてるんだって」

「も、もちろんですよ! だけど、私がこんな調子だから……この子、パパが家を出て行ったと、勘違いを……」

「あー、もー……久々に当てられてるよ。忘れてた、この感覚」

「……だね。昔はもっと頻繁だったし、泣いてる卯月を慰めるのもしょっちゅうだったし」

「ち、ちひろさんも意地悪なんです! 
 もうそろそろ子供も落ち着いた頃でしょうからって、半ば無理やり、嫌がるあの人を連れ出して!」

「その隣には、やっぱりあの子も?」

「うぅ、ぐすっ……幸子ちゃん、ですか?」

「いたんだ。やっぱり」


 三人が思い出すのは、チャームポイントの外ハネが愛らしく、
 可愛らしくも逞しい、アイドル界きっての冒険家。凛が、肩をすくめて言葉を続ける。

「幸子も、今じゃベテランもいいとこなのに……未だに世界中を飛び回されて……大変だよね」

「だからって、それに人の家の旦那さんを、付き合わせることなんてないじゃないですかぁっ!」

「しょうがないよ。しまむーの旦那、昔っからさっちーも担当してたし」

「……幸子が出てる番組の方でも、半ば名物キャラクター化してたもんね。
 どんな無茶振りにも、幸子と一緒に対応するっていうさ」

「そうです! それも悪いんですっ! あの子ったら、パパが家を出て行ったのは、幸子ちゃんのところに行ったからだって!」

「ひぇっ……修羅場」

「それは、お仕事が大事なのも分かりますけど……だけど今までは、
 どんなに長くても一週間で帰って来たのに……それがいきなり、三ヶ月ですもん、三ヶ月ぅ……。
 まだ小学生のウチの子が誤解したって、おかしくもなんともないですってばぁ……!」


 そうして再び、泣き出してしまった卯月を見て、未央は降参するように両手を上げると、

「あー、もー、分かった! 分かったから! しまむーの日頃の鬱憤は、私たちがちゃんと聞いてあげるから!」

「まったく、むっちゃんは大人に一歩近づいたのに、卯月は年々幼くなってる気がするよ」

 凛もそんな未央に同意して、うんうんと頷きながらそう言うのだった。


 ――こうして旧友三人で飲み明かし、語り明かす夜は更けて。
 件の旦那さんが家に戻って来たのは、その日の日付が変わろうかという直前であったらしい。


 ちなみにこれは完全なる余談だが、ようやくの思いで我が家に戻った彼のことを、卯月はとびっきりの笑顔で出迎えたという。
「笑顔の奥に、修羅がいた。寂しんぼになっていたママを慰めるために、パパは物凄く頑張りました」とは、後に彼が病室で、長女にこぼした一言だ。

===

 以上、おしまいです。

 卯月と、彼女の笑顔をメインにしたネタっていうのは、前々から書いてみたかったんだけど……
 気づけば話の語り手が、彼女の子供になっていて。

 流石に子供が三人も出て来るし、皆「pちゃん」もどうだろうと思い、それぞれの母親に関連した名前を用意したりもしました。
 卯月の娘は、彼女に関連する駆逐艦から拝借。語感も、大体一緒ですし。

 本当に旦那は出て行ったとか、実はニュージェネ三人の旦那は同一人物で、数ヶ月ごとに持ち回りで家族してるとか、
 そういうろくでもない考えもあったんですが、やっぱり物語はハッピーエンドだろうと。

 旦那さんには(ついでに幸子にも)宇宙漁業とかいう、
 何やら怪しげな体験に出掛けてもらうことにしたのが、今回のエピローグになります。

 後、作中に出て来る眼鏡型端末は電脳コイルの眼鏡。
 ぷちデレラバトルは、メダロットみたいなイメージでした。


 それではここまで長々と、お読みいただきありがとうございました。

・都市伝説と言う名の眼鏡贈呈妖怪、上条
・冒険家(アイドル)で名を馳せる幸子
・腎虚(こづくり)で入院するP  か…

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