時子様「豚とダンス」 (40)
「プロデューサーさん」
と、初めは呼んでいた。
不躾な勧誘に苛立っていたせいか、あるいは気分が高揚してしまっていたのか、初対面の相手にも関わらず、つい私は「脳味噌は何グラム?」と、無礼な言葉を遣ってしまった。
それを反省し、事務所へ連れられて態度を改めた結果が、『プロデューサーさん』という呼称だった。
一応は年上だし、プロデューサーとアイドルという関係なのだから、指示を受ける側が多少なりとも気を遣ってやっても良いかという考えもあった。
「プロデューサー」
と、変化したのは、事務所へ出入りするようになって2日目のことだった。早い。
業界に疎い私でも名のわかる事務所に所属しているのだから、少しは有能な男かと思っていたのだけど、そうではないことに勘付いたからだ。
他の能力については知らないけれど、ともかくアイドルのプロデュースに関しては凡才。
であれば、敬称を遣う必要もなかった。
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「ねえ、そこの」
と、『プロデューサー』という単語が消えたのは、翌週のこと。
初めは気付かぬフリをしてあげていたのだけど、段々と私に対する怖気の走るような態度に我慢ができなくなってきた。
伝達ミスなどの失態を叱ると嬉しそうに笑う。
ソファでくつろいでいると「肩をお揉みしましょうか」と声をかけてくる。
なにより、初日は「財前さん」と呼んでいたくせに、今では「時子様」。
ちょうど私のプロフィールを手渡した頃からだったから、家柄を意識したのかと一瞬思ったのだけど、どうやらそうではない。諸々の行動と結びつけると見えてくるものがある。
「そこの豚」
という呼称に至る頃には、事務所に入って一ヶ月が経過していた。
あれを豚と呼ばずして何と呼ぶのだろう。
私は人間だ。だとすれば、同じ生物として認められないあれは、人間ではない。
下等生物。私の足下で「ぶひぶひ」と荒く息を吐く姿は、豚そのものだ。
豚を見下すのは些かの心地良さもあった。
生来の性根か、あるいは人を見下すことに慣れていたせいだろう。
初めは戸惑いもあったのだけど、今では癖になってしまった。
事務所の一室へ入ると「おはようございます時子様!」と豚が駆け寄ってくる。
私が「豚のくせに私より頭が高いとはどういうこと?」と返してやると、豚は笑顔でその場に跪く。
バッグから鞭(父から譲り受けた乗馬用の長鞭だ)を取り出し「褒美よ」と背中へ一振りしてやると、嬉しそうに鳴く。
日課だ。
私も戯れでアイドル業界に入っただけだから、まぁ、これはこれで満足はしている。
どうせ暇潰し。そこそこ楽しめればそれで構わない。
けれど同時に、私は思う。
私は財前時子。財前に負けは許されない。
なにより、私に勝る人間がいるだなんて、それだけで不愉快よ。
アイドルも勝負事には変わりない。
私がアイドルになってからの短い期間の中で、夢潰え消えゆくアイドルを何人もこの目で眺めてきた。
プロデューサーとアイドル。
本来の関係はビジネスパートナーだ。
ビジネスパートナーに必要なのは信頼関係。この前知り合った桐生という女も言っていた。
――しかし実態は、プロデューサーとアイドルではなく、単なる豚と、その飼い主。
家畜と主人の間には、信頼関係など結べはしない。
「時子様……」
切なげに鳴く豚に「あら豚、一丁前に人間の言葉を話すのね」と吐き捨て、そのままソファへ腰掛ける。
さて、どうしたものかしら。
私と豚の関係だけをクローズアップしてきたけれど、豚は私以外のアイドルも担当している。
とはいっても、一人だけ。椎名法子という。
しきりにドーナツを口にするよう勧めてくるドーナツ狂いなのだけど、私と豚とのやり取りを眺めて「あはは」と笑っているだけなのだから、アイドルとしての胆力は備わっているようだ。
「時子さん、絶好調だね!」なんて、私の隣に腰を下ろして声をかけてくるので、「普段通りよ」と返してやる。
すると今度は「ドーナツ食べる?」と、近所のパン屋の名が印字された紙ケースを取り出す。
私はそれを一瞥だけして目を逸らした。
意図は伝わったらしく、法子は自分でドーナツにかぶりつく。
よくできた娘だと思う。
ここで気を回せるか否かが、人と豚との違いね。
「法子。それを食べ終わったら、ラジオ収録行くぞ」
豚がすっと立ち上がり、法子へ呼びかける。
どうしてこの豚は、法子相手だとまともなプロデューサー面をするのか。不思議だわ。
「下で待ってるからな」
と、運転手役を務めるつもりなのだろう、豚は鞄を手に持ち、そのまま部屋を出て行こうとする。
――が、ドアノブに手をかける寸前で、法子がその背中へ言葉を投げかけた。
「あれ? でも今日、時子さんもオーディションですよね?」
「えっ」
ち。このドーナツ狂い。
「あ、あれ……? ホント?」
「はい。ですよね? 時子さん」
ドーナツのように目を丸くし、法子がこちらへ笑顔を向ける。
「……そうね」
「あはは、嫌そうな顔してる」
当然よ。貴女が余計なことを言わなければ、愚かな豚は私の前から消え去ってくれたのに。
というか、どうして私のスケジュールを貴女が把握しているのよ。慌てて手帳をめくっているこの豚よりも。
「あっ。ホントだ。……と、時子様……すみません……」
手帳に記された予定を認めたのだろう、豚は私の膝元へ駆け寄ってくる。
その様子があまりにも惨めで情けなかったので、「謝罪の言葉を口にするくらいなら行動で示しなさいよ、家畜風情が」と罵ってあげた。
そもそも、今回のようなことは初めてじゃない。
この豚、私の下僕なはずが、頻繁に私のスケジュールを忘れる。法子の予定は完璧に記憶しているくせに。
どういう神経をしているのか。
「貴方、やる気あるの? どれだけ腑抜ければ気が済むのかしら、この愚図。働けない豚はチャーシューにするわよ」
そう言ってやると、豚は「すみません、時子様」と立ち上がり、
「悪いな、法子。というわけだから、今日は時子様の踏み台として――」
「そういう意味で言ってんじゃないのよっ! クソ豚っ!」
鞭を振るうと、豚は嬉しそうに「ごめんなさい叱って下さい」と喚く。その後ろで法子が苦笑している。
「あはは、時子さん。あたしのことは気にしないで良いから」
そういう意味でもないわ、とばかりに睨んでやると、法子は笑顔を強くする。なに? この子も豚の一種なの?
「ともかく! あたし、もう行きますねっ! そろそろ出ないと収録に間に合わなくなっちゃいますから!」
法子はそう言うと、残ったドーナツを口の中へ放り込む。
「おう、頑張れよ」
「ちょっと待ちなさ――」
「良いから良いから。時子さんが、プロデューサーさんに連れてってもらってください」
私の言葉を封殺し、法子は素早く部屋を出て行ってしまう。
……あぁ、まったく苛々するわね。
気遣いを見せたつもりだろうけれど、ありがた迷惑以外の何物でもないわ、本当に。
――――――。
「豚ぁっ!」
「は、はい時子様!」
「……タクシー代を、渡してきなさい」
私が扉を指さしてそう言うと、豚は敬礼して「ぶひぃ」と頷いた。
財前家の寄贈したリムジンの中。
事務所を出て以来、沈黙は五分以上も続いていた。
……本当にこの豚、気が利かないわね。
今日のオーディションは、数ヶ月後にクランクインを控える映画の配役を決めるもの。
その枠は、ヒロイン、サブヒロイン、脇役から通行人Aまで多岐に渡る。
いくら私といえど、合格は確実じゃない。
ヒロイン役を勝ち取ることができれば良いけれど、この私が通行人Aなんて役を演じる羽目になる可能性だってある。
だったら担当プロデューサーとして、少しくらいはアドバイスを寄こすべきじゃない?
次第に苛立ちが募り、つい口を開いてしまう。私だって豚と会話をしたいわけじゃないのに。
「……ねえ、運転手」
「なんでしょう、時子様」
豚はハンドルを握ったまま言葉を返す。
「話の続きよ。さっきは許したけど、やっぱり追求しておくわ」
豚が少しは反省するように、いつも以上に声を冷たくする。悦ぶだけかもしれないけれど。
「貴方、私のスケジュールを忘れるの、これで何度目? プロデューサーの自覚が足りないんじゃない?」
「そ、そんなことは――」
「法子の面倒を見るのに躍起になって、私の方が疎かになるんなら、プロデューサー失格よ。これからは法子一人に専念したら? あの子も頼み込めば、貴方をなじってくれるわよ。それで私には、事務所として別の人間をよこしなさい」
「えっ。そ、それは嫌ですよ!」
慌ててこちらを振り返るので「前を見てなさいっ!」と叫ぶ。運転中だ。
「すみません……。で、でも俺は、時子様のプロデューサーでいたいんです」
「なに? それは、法子より私の方が貴方に冷たくしてくれるから? とんでもない変態ね。というか、貴方の希望なんてそもそも聞いてないわよ」
「ですよね……」
交差点を曲がり、国道へと出る。
オーディション会場は事務所から近い。もう目と鼻の先だ。
「でも、自分でも何でかわからないんですよ。時子様を疎かにしてるつもりなんてないですし」
「アァン?」
「い、いえ、あの、もしかすると、あれかもしれないです。法子はほら、まだ13歳ですし、頼りないところがあるじゃないですか。だから俺がちゃんとしてなきゃいけないっていうか。でも時子様は――」
「はあ? だから何? そんなのが理由になるわけ? 仮にも貴方はプロデューサーでしょう? 私にぶひぶひ従ってるだけで良いと思ってるの?」
「えーっと、あの……ぶ、ぶひぃ」
珍しく私が人間として相手してやってるのに、豚に戻ってしまった。どうしようもない豚ね……。
いつもなら鞭を連打しているところだけれど、運転中の相手に鞭を振るうわけにはいかない。
「あっ! 着きました! 会場に到着しましたよ、時子様!」
「……言われなくても見ればわかるわ」
停車したリムジンから降り、アスファルトを踏む。
――まぁ、ひとまずこの話は保留ね。
昨日のうちに台詞は全て頭の中へ入れておいた。
候補となる役柄全て(不本意だけど通行人A含めて)、演技も完璧に仕上げてある。
今更、慌てて準備するようなことはない。
けれど、精神が揺らいでは元も子もない。
私は財前時子。私は勝利する。
鋭い視線で会場を睨み付け、鋼の魂で戦場に臨む。
オーディションは上々に終わった。
一切のミスはなく、演技も概ね審査員から高評価だったかと思う。私なんだから、当然ね。
オーディション参加者は俳優が多かったけれど、私と同じようなアイドルも混じっていた。
映画のオーディションは不慣れなのか、みな緊張した様子だったのを覚えている。
台詞をとちるアイドルも何人かいた。
気力に緊張が勝るなんて、きっと精神力が足りていないのだろう。凡人の限界を感じるわ。
「時子様っ! オーディションどうでしたか!」
オーディション参加者用の待合室を出ると、廊下の奥から豚が小走りで駆けてきた。
私をずっと待っていたのだろう。こういうところは家畜らしくて可愛いわね。
「パーフェクトよ。安心なさい」
「さすが! さすがです時子様っ! それでこそ時子様!」
「フフ……」
褒められるのは嫌いではない。
相手が豚だとしても。
「まぁ、結果が出るのは一週間後よ。そのすぐ後にライブが一つ控えているから、ひとまず貴方もそちらに専念なさい」
「はいっ! 承知しました! あ、俺、車出してきますね!」
「ええ、外で待ってるわ。1分以上待たせたら事務所へ戻った後で鞭打ち100回よ」
「是非に!」
そう叫んで豚は地下駐車場へ続く階段の方へ去って行く。
私はそれとは反対に、受付を抜け、ロビーへと出た。
――さて、豚が来るまで3分ってところかしら。
ああは言ったものの、1分じゃ無理ね。あの豚、トロくさいから。
そう思い、ロビーのソファに腰掛ける。ここにいれば、そのうち豚も私を捜して呼びに来るでしょう。
車に戻ったら、話の続きをしてあげなければならない。
もちろん、私もあの豚に何かを期待してるわけじゃないわ。
私一人でどうにかならないことなんてないし、だからプロデューサーも必要ないと言える。
でも、この世界で上を目指すには、まだまだ足りない。
今日のオーディション、私はパーフェクトだった。
表情も台詞の抑揚も感情の乗せ方も、完璧だったわ。
けれど、そんな完璧な私の、更にその上を行くアイドルも、確かにいた。
『小心者なので私も緊張しているんですけど……ふふ、初心に返って、頑張ります』
「……ちっ」
ねえ、豚。
貴方、プロデューサーなんだから、文字通り、私をプロデュースするのが貴方の仕事よね。
……だったら、私を押し上げなさいよ。
私を、もっと輝かせなさいよ。
「おうこら、さっさと帰りやがって」
ふいに、そんな声が背後から聞こえた。
「……?」
振り返ると、長い黒髪を垂らした女がこちらを睨んでいる。胸が無駄に大きい。
――――――。
ああ、思い出したわ。この女、さっきのオーディション会場にいたわね。
妙に威勢が良かったから、記憶に残っている。
「私に何か用かしら。……早く帰りたいんだけど?」
嫌味に言ってあげても、女は少しも怯まない。
すぐ終わらせるっつうの、なんて、吐き捨てるように言う。
「なあ、アンタ、会場でずっと周りにガン飛ばしてやがったけどよ、あれ何だよ? アタシらに喧嘩、売ってたのかよ?」
「はあ? 喧嘩? そんなわけないじゃない」
下品な言葉遣いだ。無駄に膨らんだ胸と同じように。
「じゃあ、理由を教えろよ。アンタがずっと殺気放ってたせいで、みんなびびっちまって全力が出せなかったじゃねーかよ。どうしてくれんだよ、あん?」
私が殺気を放ったせいで、全力が出せなかった?
……思い起こしてみれば、なるほどね、確かにぶるぶると体を震わせていたあれは、緊張じゃなくて私を恐れていただけだったのかもしれないわね。
「はぁー」
思わずため息が出てしまう。
こんな馬鹿の相手をしている暇なんてないのに。
「あのねえ、私の眼力で怯むくらいなら、所詮その程度ってことよ。現に、貴方は全力が出せてたようじゃないの。他にもまともなのは何人かいたわよ」
私が言うと、黒髪の女は「うるせえな」と前置きして、
「アンタがアタシらを試してんじゃねーぞ。アタシらを試すのは審査員連中だ。どれだけ本気の想いがあっても、ちょっとしたことで実力を出せなくなっちまう奴もいるんだよ。他人の邪魔――アタシらの邪魔を、するんじゃねえ」
一歩足を踏み出し、正面から瞳をぶつけてくる。
……あぁ、面倒臭い。
こういう手前は本当に嫌いだわ。いくら言葉を重ねても聞きやしないから。
――他人の邪魔、ね。
アイドル活動なんて、他人を押しのけなくちゃやっていけないと思うんだけど、それをこの女に言ってもどうせ通じないわね。
……ここは、甚だ不本意だけど私が折れるしかない。
「ふう」
一息吐き出して、立ち上がる。
気分を切り替えるため、前髪を払ってから、
「悪かったわ」
そう言葉を返した。
「あの時には気付いてなかったけれど、私の配慮が足りなかったようね」
私が言うと、黒髪の女はぱっと笑顔を浮かべる。
「おう、意外と物わかりが良いな。次は気を付けてくれよ」
そして私の背中をぱんぱんと叩く。
「やめてもらえるかしら」と言ってやると、黒髪の女は「はっはっは」と笑いながら待合室の方へ戻っていった。
――さて。
嵐は去ったことだし、そろそろ豚のところへ行ってやろうかしら。
ここで待っていても現れないようだし。本当に気が利かない――、
「あら」
その豚の姿が、柱の陰に見えた。何でこそこそ隠れてるのよ、あの豚。
はあー、とため息をつき、近付く。
「……約束の1分はとっくに過ぎてるけど、まあ良いわ。行くわよ、豚」
豚の横を通り、そのまま自動ドアの方へ。ガラスごしに黒長いリムジンが見えていた。
「時子様」
背後から届く声が遠い。
「なによ?」
振り返ると、豚は未だ、柱の陰に立ち尽くしていた。
「どうして、言い返さないんですか」
「何? 貴方、見てたの?」
「どうして、俺を叱らないんですか」
「――叱って欲しいの? ホント、哀れな豚ね」
「時子様……どうしてですか?」
「……ちっ」
いつになく真剣な表情で言葉を放つ豚が、心底不快だった。
帰りの車では会話なし。
豚の言葉が、腹立たしいことに気になって、話の続きをする気になれなかった。
事務所に着き、車を降りると、私は事務所の一室へ、豚は慌てて会議室の方へ向かっていった。
そうして半刻ほどソファで寛いでいると(そして物思いに耽っていると)、法子から声がかかった。
「とーきーこーさんっ」
「アアン?」
「お疲れですか? ドーナツ食べますか?」
昼間にも食べていたのに、再び法子は例の紙ケースを手にしていた。
続けて、その中に手を突っ込み「フレンチクルーラーですかねー、それともモチモチリング?」と。
「……フレンチクルーラーをもらうわ」
「あ、本当にお疲れですね。どうぞっ」
手渡されたそれを、一口囓る。
異様に甘い。中にクリームが入ってるじゃない。
「時子さん。もしかして、何か悩みとかありますか?」
ふいにそう言って法子は私の隣へと座り、残ったモチモチリングを頬張る。
「何よ急に」
法子は口内のドーナツを飲み込み、
「だって時子さん、難しい顔してるし。いや、いつもそうなんですけど。今日は一段と眉間に皺が寄ってるというか」
「そう、私を挑発してるの。良い度胸ね。貴女にも調教が必要かしら」
「あー、あはは、ごめんなさい」
「ふん」
……相手が豚ならここで許しはしないのに、私も大概この子には甘いわね。
「悩みなんて、ないわ。そんなもの、あるわけないじゃない」
私が言うと、法子は首を大きく上下させて、
「うんうん、それが時子さんだもんね」
「はあ?」
「時子さんはそういう人だもんね」
何よそれ。
「私に悩みなんてあるわけないって? この私が、低脳だって言いたいの?」
「そうじゃないですそうじゃないです」
法子は苦笑してみせる。
「あの、でも、もし仮に、悩みができたら、あたしに話してくださいね。あたしはプロデューサーさんとは違いますけど、時子さんの相談相手くらいにはなれますから! まあ、それもプロデューサーさんにすれば良い話かもしれないですけど、でも」
「……あの豚が、私の相談相手になんてなれるわけないでしょう?」
「あれ? そうですか? あたしはよく相談に乗ってもらってますけど」
「相手が貴女だからよ。……まったく、あの豚」
「――あはは、なんとなく悩み、わかりました」
「そんなものないって言ってるんだけど?」
「時子さん。こういう時は、喋るしかないんです、きっと。プロデューサーさんと。とことん喋りましょう!」
したり顔で言う法子が気に入らない。
「嫌よ」
「ええっ! こ、この流れで?」
「流れ? まったくわからないわ。私が豚と話をするって、どうしてよ?」
法子は眉を下げる。
「うーん、あたしが間違えてるのかなあ」
「きっとそうね」
「んー、でも時子さん、プロデューサーさんのことで悩んでるんなら、直接、喋っちゃった方が良いですからね! 絶対ですよ! じゃあ、私はレッスンがあるから、またっ!」
足早に去りゆく法子に言葉を返す隙はなかった。
段々と苛立ちが募る。
――私はしばらくして、舌打ちと共に立ち上がった。
豚は部署の週間ミーティングを終えたところだった。
会議室の前で待ち伏せし、現れた豚は、私の顔を見ると驚きの表情を浮かべた。
「何よ、豚」
「いえ、あの、時子様が俺を待ってるとか、珍しいなと……」
「はあ? 待ってないわよ。ちょっと面、貸しなさい」
「あ、はい、承知しました」
四人がけの机を配備した小型の会議室へと豚を誘導する。
机の奥へ私が座り、豚は手前へと座らせた。
一応、鞭はバッグに忍ばせている。
「時子様、あの、先ほどは――」
緊張した面持ちで口火を切る豚へ、言葉を返す。
「その話なんだけど、ねえ、豚? 貴方、あの言葉はどういう意味で口にしたの?」
「あの言葉?」
「どうして言い返さないのかって。ねえ? あの女に文句を言うかどうか、決めるのは私じゃない? 貴方にどうこう言われる筋合いないでしょう? 貴方ごとき、家畜風情に」
「た、確かにそうなんですけど、あの、ただ疑問に思っただけなんです、あれは。どうして時子様が向井さんの言われるがままになってるのか」
あぁ、あの女、向井っていうのね。
「質問なら、まぁ答えてやるわ。あの女が面倒になっただけよ」
「面倒になった? でも時子様は納得されてないんですよね?」
「そりゃそうよ。どうしてこの私が雑魚に遠慮なんてしなくちゃならないのよ」
「え、じゃあどうして言い返さないんですか?」
「だから、面倒になったからって言ってるでしょ? ついにボケたの、豚? 豚は豚なりの記憶力は持ち合わせてるものと思ってたけど、買いかぶりだったようね」
「納得、されてないんですよね?」
……どうしてここまで話が嚙み合わないのよ。
「あのねえ、じゃあ豚? 貴方、妥協ってしたことないの? 面倒な相手は適当にあしらって終わりでしょう? そんなの普通のことじゃない?」
「俺はそりゃあいくらでも妥協しますけど」
あくまで、不思議そうな声色で、当たり前のような表情で、豚は言った。
「でも、時子様は、妥協なんてするはずないですよね?」
俺みたいな普通の人間とは違う、特別な方ですし。
そう、豚は続ける。
「妥協しない? 私が? そう信じてるの、貴方?」
「え、いや、信じてるというか、そうですよね。……あの、あれ、時子様?」
信じている。こいつは信じている。
私が妥協を許さない人間だと。
そして、凡人とは違う、高貴な人間、特別な人間だと。
――確かにそう、私は特別な人間、財前時子。
けれど、いくら私でも妥協くらいする。悩みもする。勝てない相手もいる。
――――。
「豚。私に、勝てない相手がいるかしら?」
「え? いやいや、いるはずないじゃないですか」
その言葉ですべての疑問が氷解していくのに気付いた。
……あぁ、理解できたわ。
この豚、本当に、心からこの私を信じ切っているのね。
誰にも負けない。妥協しない。覇道を行く。
この私がアイドルの頂点を取ることを。
「アーッハッハッハ!」
「ええっ!? と、時子様? 突然笑い出してどうされたんですか!?」
不安げに、豚が言葉を発す。
「ホント、馬鹿みたいね……この豚は」
イラつくけど、もやは晴れたわ。
スケジュールを忘れがちなのも、そういうこと。
私が完璧、至上の存在だから。自分のフォローなんて必要ないと、心底そう思っているのね。
法子の言う通り、会話をすることで見えてくるものもある。
豚の心情くらい理解しきってるものだと思ってた。
でも、なるほど、私の想像の上をいってたわけ。
「……ま、悪くないわね」
「時子様……? あの、機嫌が治ったようで、なによりです」
「ハア? 機嫌?」
「はい。さっきは目を細くしてましたけど、今は笑顔を浮かべてらっしゃるので」
「はああっ!? うるさいわね、豚ぁっ!」
鞭を振るってやると、豚は嬉しそうに鳴いた。
先日のオーディションの結果、私は件の映画でサブヒロインを演じることとなった。
メインヒロインは例の高垣というアイドル。
忌々しいけれど、あの女の方が、ヒロインの役柄に合ってたってだけね。そういうことなら譲ってやるわ。
「時子様っ! 今日は頑張ってくださいねっ!」
「豚ごときに言われるまでもないわ」
楽屋前で豚と別れ、ステージへの通路を行く。
今日は、事務所のアイドルが勢揃いするライブイベント。
当然、私の出番も用意されている。
先日、ライブに参加するアイドルのリストを眺めていると、思いがけない名前を見つけた。
しかし楽屋では会わず仕舞い。
楽屋には法子と話している間――3分程度しか滞在しなかったし、まぁ当然ではあるんだけど。
――あぁ、なんて考えていたら、あんなところに。
通路の先を行く、アイドルにしては大柄な背中。
それに、この私から声をかけてやった。まったく、光栄に思ってほしいものね。
「貴女、向井拓海だったかしら?」
「ああん? ……おぉ、財前さんか。今日は頑張ろうぜ」
そうやって笑う乳牛に向かって、私は言葉を叩きつける。
「ねえ、この前の話だけど、あれ、やっぱり私は悪くなんてないわね」
「突然なに……て、おお、オーディションの時の?」
「忘れたとは言わせないわ。ねえ、貴女は『他人の邪魔をするな』って言ってたけど、笑わせるわね、凡人風情が。この私の足を引っ張っているのは、貴女たちの方よ」
「ああ?」
笑顔を消す向井拓海へ、言葉を続ける。
「私は女王よ。凡人がそもそも適う相手じゃないの。私が他人の邪魔をして、何が悪いのよ? アイドル界、そんな甘いものじゃないでしょう? 今日のステージを統べるのもこの私、時子様。下々にこの私の邪魔はさせない。並のアイドルは、精々ステージの端でおままごとをしていると良いわ」
まくしたてて、人差し指を突き付けてやる。
「……はっはっは」
向井拓海は再び笑い声を上げたけれど、そこには怒気をはらんでいた。
「良いぜ、買ってやるぜ、その勝負。なあ、こらあ!」
「アーッハッハ! 私と対等ですらないとも気づかずに、哀れな乳牛ね!」
ねえ、豚?
こうやって、相手を挑発して、とことん殴り合って、そうしてどこまでも勝ち進んでゆくのが、財前時子なんでしょう?
そう貴方は信じているのよね。
女王様の私しか認めないなんて、傲慢な豚だわ。
自分の信じる方向に私を捻じ曲げて、私に命令を下してるのと何ら変わらない。
これじゃ、どちらが従者なのかわからないわ。
でも、これもきっと信頼の形ね。
私は女王を気取る。
貴方はそんな私へ、貪欲に傅き、妄信し、私をさらに高みへと押し上げる。
まるでピエロよ。見世物として、馬鹿みたいに踊っている。
でも、私はアイドルという道を選択した。
私はアイドルなのだから、見世物なのは当然。上等よ。
だったら私は、貴方とどこまでも踊り続けてあげるわ。
ステージの上で、頂点に至るまで。頂点に至っても。
一等特別な、豚と共に。
小汚い歓声が私を包む。
今日はあくまで事務所全体のライブイベントだから、私のファンじゃない連中も客席には混じっているでしょうね。
まあそんなもの、関係ないけれど。
ステージの上から、客席の豚共を見下ろす光景は、なかなか気持ちが良い。
一曲歌ってあげると、それこそ豚のように騒々しく汗を飛ばして声を張り上げている。
「アーッハッハッハ! 良いじゃない! 今日は最高の日だわ! あぁ、戯れに、少し訊いてみようかしら?」
私が言うと、「なんですか時子様ーっ!」と野太い返事。
楽しくて、すらすらと、頭の中から言葉が漏れ出る。
「イベントの名前に『舞踏会』なんて言葉が入っているけれど、ねえ、まさか、この中に、私とダンスを踊りたいなんて輩はいるのかしら?」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
クックック。
一斉に手を挙げる客席へ向かって私は叫ぶ。
「分を弁えなさい豚共があっ!」
おわりです。
初投稿でした。
読んでくれてた方、いるのでしょうか。
もしいたなら、ありがとうございました。
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