二宮飛鳥「エデンの記憶」乙倉悠貴「思い出を胸にっ」 (14)

このssは以下の要素を含みます

・地の文

・若干のシリアス


また、2016年8月31日~9月8日に開催されたアイドルプロデュース アロハ!常夏の楽園 の内容に
多く触れたものとなっています。

イベント中のコミュの内容や思い出エピソード、報酬アイドルの台詞について
ある程度の予備知識があると、より楽しめるかもしれません。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1475163502

「ステージイベントのお仕事、ですかっ!?」

「ハワイから帰ってきて早々だね」

「ああ。今回のハワイ特番の宣伝も兼ねて、だ」

悠貴は目を輝かせ、飛鳥は思案するように口元に手を当てる。

プロデューサーの言葉を受けた二人の反応は一見正反対だった。

「フム……しかし、頼子さんとあやめは不在のようだけど?彼女たちだって共にあの場所に行った仲間だ」

飛鳥が気にかけていることと言えば単純で、要するにここには居ないもう二人のこと。

悠貴もそういえば、と改めて辺りを見回す。

「二人には別方面からのアプローチを頼んでいる。あやめはトークバラエティの番組に出て、そっちで番宣を。頼子には雑誌のインタビューを中心に、ハワイの文化にも深く触れた内容であることをアピールしてもらう予定だ」

「なるほど……それで、私たちはステージでのイベントなんですねっ」

「適材適所、いい響きじゃないか」

二人もまた、異なる場所でそれぞれに活躍している。

それを聞いただけで飛鳥と悠貴の目にじわりと闘志が宿る。

それを見て、プロデューサーも言葉を続けた。

「今回、規模はそこまで大きくはないが、いくつかの会場を回ってもらうことになる。内容はトークショーと、出来合いだけど歌を一曲だな」

「歌……ということはレッスンも必要になるんですか?」

「二人とも歌ったことがある曲だから、そこまで厳しいスケジュールじゃないさ。合わせのために時間も取ってある」

間に合うでしょうか、言葉とともに少し不安げに瞳を揺らす悠貴に、心配するなとプロデューサーは言う。

告げられた曲名に悠貴も、飛鳥もまた納得を得たようだった。

「ふむ、把握したよ。トークの方はやっぱりハワイの話かい?」

「そうなるな。ネタバレは程々に、土産話でオーディエンスを楽しませてくれ。さて、概要は以上だ。やれるな?」

「はいっ!アイドルユウキ、プロデューサーさんの期待に応えてみせますっ!」

「フフッ、気合十分のようだね。勿論、ボクだって悠貴に負けるつもりはないさ」

まるで鼓舞するかのような問いに、二人はしっかりと頷く。

悠貴はひたすらに元気よく、飛鳥はそんな悠貴に笑みを漏らしながら。

「はいストップ!二人とも、力強く歌えばいいってものじゃないぞ。もう一回!」

トレーナーの声がレッスンルームに響く。

やっぱり、と二人はバツが悪そうに向かい合う。

隣から聞こえてくる声に負けまいとお互いに声を張り上げ続けていたのだから、当然といえば当然だった。

再び流れるイントロに意識を集中させて、もう一度。

声量で張り合うのは確かにいけなかった。それなら……


「……言い方が悪かったか。自分を押し出すばっかりじゃなくてな。お前たちは二人で歌ってるんだから」

若干呆れ気味のトレーナーの言葉に、今度はさすがに苦笑い。

その後も何度か歌ってはみたものの、二人の歌声は調和が取りきれずバランスがちぐはぐなものになってしまっていた。



「なかなか、うまくいきませんでしたね……」

反省して、しぼんだ声音で悠貴は言う。

良いことも、悪いこともありのままを受け止めて返していく悠貴の在り方は好ましいと飛鳥は思う。

「仕方ないさ。二人で声を重ねたのは、これが最初だ」

だから少しでも気分を晴らしてやりたい、なんて傲慢に思ってしまう。

悠貴に似合うのは、きっと快活な笑顔だ。

「でも、ちょっと不安です。このままじゃ、って思っちゃって」

その不安は、程度は違えど飛鳥も持っているものだった。

もともとレッスンの回数は少なめの日程なのに、出鼻を挫かれてしまったのだから。

それをかき消すために飛鳥はふ、と不敵に笑う。

「これから合わせていけばいい。それだけの話さ」

些細な気休めに過ぎない言葉。

それでも気休めとして望まれる効果は発揮してくれたらしい。

「そう、ですね。これから、形にしていかなきゃっ」

「そう気負うことはないだろう。ほら、ハングルース、だったか」

「あ……」

もう一つ、おまけに。

ハワイで悠貴が好んで使っていたハンドサインも添えてみる。

笑顔と一緒に、とのことだけど、なかなかどうしてそっちは難しい。

アイドルとして作る笑顔とも、これはまた別のスキルが要求される気がするのだ。

やはりこれは悠貴の専売特許かな、と改めて思った。

「気楽にいこう、だろう?」

「………………」

「悠貴?」

眩しい笑顔と一緒にそのサインを返してくれるものと思っていたのだが、アテが外れたようだ。

それどころか悠貴は硬直してしまって動かないので、さすがに不安になって声をかけてみる。

すると悠貴はおもちゃのネジを回しなおしたような動きで復活した。

「っ、あ、はいっ!気楽に、頑張っていきましょうっ!」

「……?ああ、明日からもよろしく」

気楽に、その言葉に反してカレンダーを見つめたまま、ひとつふたつとレッスンの日を数えなおす悠貴が、どうも気にかかった。

「よし、今日はここまで。この前よりは良くなってきたが、まだまだ油断しないように」

「はいっ!」

トレーナーは二人の返事を聞き届けると、レッスンルームを立ち去った。

それを見届けた飛鳥は、ふむ、と鼻を鳴らす。

それは飛鳥の癖であり、考え事の合図でもある。

悠貴もなんとなくそれを理解して、ストレッチにでも励もうと床に座り込んだ。

ちらり、と。飛鳥は悠貴に目をやり、今回のレッスンを反芻する。

トレーナーには認められたそれは、しかし飛鳥からすれば不満の残る内容だった。

確かに今回は歌いやすかった。

出した声は良く響いて、思い出される情景もそのまま表現できた。

でも、隣から聞こえてくるはずのかち合わんばかりの感情は何処かになりを潜めて、ただただボクの旋律に寄り添うばかり。

それが、余りにも物足りない。

お粗末であっても、歌い辛くても、気持ちがまっすぐ響いてくるこの前の方が余程よかった。

「悠貴、今回のレッスンのことだけど……」

「今回はちゃんと、ぶつかってる感じをなくせましたねっ」

「ああ……しかし、あれじゃ上手くいってるなんて言えない」

「はいっ。もっと練習を重ねて、上手く合わせられるようにならないとっ」

その言葉に、飛鳥は表情を曇らせる。

言いたいのは、そういうことじゃなくて。

完成度を高めること、それも確かに大事だ。

だけど、その為にどちらかが身を引くのであれば、そんなものの上に立った成功なんて偽物じゃないのか。

「……そう、じゃ、ないだろう」

「えっ……?」

故に、声を荒げた。

「悠貴、ボクはキミに遠慮なんか求めちゃいない。もっと、表現できるものがあるだろう?」

「っ……でもっ……」

悠貴はびくりと身体を跳ねさせ、不安げに飛鳥を見つめる。

小動物のような仕草。

罪悪感が芽生えると同時に何かに追いかけられるような心地がして、無理やりに言葉をつなげようとする。

「キミはボクよりも長い間、あの場所に居た。ならボクよりもずっと多くの思い出を見つけてきたはずだ」

「それでも、私っ」

「キミの想いは、エデンで得た経験は、そんな簡単に押し留めてしまえるものだったのかい!?」

言い切った。言い切ってしまった。

それがきっと致命的な言葉であったことに、瞳に大粒の涙をたたえる悠貴の姿を見て、ようやく気づいた。

「……飛鳥さんには」

「飛鳥さんには、そう見えますか ……?」

悠貴はふらりと立ち上がりながら、今更のようにそんなことを問う。

いや、これは問いなんかじゃなく、確認……いや、そんな生ぬるいものでもない。

それはただの前置きだ。わかっていながら、飛鳥は不安定な心を揺らして返答する。

「っ……だから、聞いているんじゃないか!」

悠貴は歯を食いしばりながらも、どこか満足げにさえ見えた。

そして、そのすらりと長い足に、全身に、精一杯の力を込めて。

「そんなの、大間違いですっ……!」

言い放つ。

「伝えたいことなんてまだ幾つもあります!私だって1週間以上、ハワイで色んなものを見たんですからっ!!」

ああ、彼女にはこんなにも想いがある。

叫びが、表情が、仕草が。ボクを揺らす何もかもがそれを証明している。

「それならどうして……」

「それじゃダメなんですっ!がむしゃらに気持ちをぶつけるだけじゃ、何にもなってくれないって、トレーナーさんに言われたじゃないですかっ」

「時間が、ないんです……このお仕事はプロデューサーさんにお願いされた、大事な……!」

「だから、だからっ!!私はどうしてでも成功させて、プロデューサーに喜んで、頼りにしてもらわなきゃいけないんですっ!!」

だからって、そんな方法は間違っている、そう思った。

しかし、その必死さは、悲痛さは、彼女が抑え込もうとしたものの大きさは、痛々しすぎるくらいだった。

「悠貴、キミは……」

悠貴は力を失ったようにその場に座り込む。気圧されて、伝える言葉もままならず、飛鳥もまたその隣に座ることしかできなかった。

数秒の沈黙。それを破ったのは、ひどく弱々しい声の悠貴だった。

「……それに。今回のお仕事の主役は、やっぱり私じゃなくて飛鳥さんです」

「そんなことは、ない。そもそも、誰が主役なんて」

「撮影の時、飛鳥さんとプロデューサー、ずっと一緒でした」

「それは、ボクが未熟で、うまく泳げなかったからだろう。溺れかけたくらいだ」

悠貴は、悲しげに首を振る。そんなことはないのだと、確信めいたものを持っているかのような所作。

「飛鳥さんが一人で大丈夫になってからも、ずっとです。飛鳥さんが来て収録が始まってから。話す機会、めっきり減っちゃいました」

「……きっと、気を使ってくれたのさ。ボクが遅れてきたから、その埋め合わせのために。彼は、そういうヤツだよ」

悠貴は瞳をぎゅっと瞑り、それにも首を振った。

飛鳥の言葉を否定するでもなく、ただ、悠貴が内に抱えたモノを、胸を締め付ける情動を逃がしてやるために。

「だとしても……つらいです」

「私には、あの人とふたりっきりを共有した時間はありませんっ……」

悠貴は膝を抱えて顔をうずめる。

絞り出したような声に、息を呑んだ。

――ふたりきりで共有しよう……。

まさか、いや、そんな。

その言葉に浮かんだ情景は、飛鳥が最も大切に抱えるエピソード。しかしそれは悠貴が知っているはずのないもので。

だけどもし、その前提が崩れたら。

言葉にならない感情、熱を持っていたそれが急速に凍りついていく感覚が、ボクから語るべき言葉を奪っていく。

飛鳥は口を閉ざし、それ以上言葉を紡ぐことはなく。

何を伝えればいいのか、何を伝えたいのかさえ、見当がつかなくなっていた。

たぶん、その気持ちは。

淡く儚く甘やかで、それでいて痺れるような微かな痛みを与えてくるそれは。

もうひとりもまた抱えているものなんだと、何の疑いも持たずに直感した。



事務所のソファに腰掛けて、飛鳥は携帯電話を睨みつけていた。

指先は時折画面に触れるが、しかしその頻度も随分とゆっくりしたものである。

そして、ちらりと対面のソファに目を向ける。

そこには先ほど無遠慮な物言いをしてしまった相手がいて。

その表情を窺うことも叶わないような一瞬ののち、飛鳥はすぐに視線を戻した。

そうして、なるべく気取られないようにため息をつく。

再び液晶に映った文面を睨みつけるが、思考は凝り固まって進んでくれないようだった。

宛先の欄には乙倉悠貴の文字。

とどのつまり、飛鳥は目の前にいる相手にメールで謝罪の意を表そうとしているわけだ。

直接謝ることのできる距離ではあった。

だけど、悠貴のことをちゃんと知らないまま、不用意な言葉で傷つけてしまいそうで。

何かのはずみで非道いことを言ってしまうのが、怖かった。

でもきっと、ボクらは互いを理解し合える。

同じだと思うから。

奥底にある隠しきれない熱情は、その本質はボクも悠貴も同じものだと感じたから。

ボクがいない時間、悠貴がいた時間。ボクといた時間、悠貴といない時間。

互いが持ってて、互いに持たないその時間への憧憬と、嫉妬と。

そして、溢れるほどの幸福を。

二人で力を合わせて、あの楽園の全てを伝えたいんだ。

だのにそんな感情に急かされたところで、メールの文面は生まれては消されを繰り返すのみで。

想いが上手く言語化できない。

それらしいものを打ち込んでみても、何か違うような気がしてしまう。

「どうしよう……」

気取ることすら忘れた弱音も出てこようというものだ。

「飛鳥さんっ」

「っ!?な、何だい?」

そんなタイミングで話しかけられたのだから、驚くに決まっている。

気づけば悠貴はすぐ隣にいた。

さっきの、聞こえてないだろうな……と、挙動不審な視線で彼女を見る。

悠貴は困ったような様子で薄く笑みを浮かべていた。

「その……さっきは、ごめんなさいっ。私、なにがなんだかわからなくなっててっ」

言われてしまった、と。まずそう思った。

ボクが臆病に遠回りしようとしていた道を、彼女はまっすぐに進んで。

ああ、なにをやってるんだ。

ならボクだって、まっすぐに悠貴を見なきゃダメだろう。

「いや、こっちこそ……すまなかった。キミに、心ない言葉をいくつもぶつけてしまった」

違う、足りない。こんなんじゃあ。

悠貴の表情は少しだけ、でも確かに晴れたように見えた。

ボクらの関係を元に戻すことは叶うだろう。だけど。

元どおりじゃ、と。次を求めてしまう。

「悠貴っ……ええと、その……」

焦りばかりが先に行ってしまい、言葉も考え付かないままに呼びかけだけが宙に浮く。

何を伝えたい?その答えはすぐに出た。

ならなんて言えばいい?そこで、思考が止まる。

どんなに言葉を弄しても、この気持ちを伝えきれない気がして。

さっきまでメールの文面で陥った思考を繰り返そうとしていたその時。

「仲なおり、しましょうっ。だけど、その前に聞かせてほしくて」

「飛鳥さんの目標は、なんですか?」

そう問いを投げかけた悠貴は、焦燥に駆られる飛鳥と対照的に、不思議なほど落ち着いていた。

思い出を、ひとつに。そのために浮かべた情景。

夕暮れの浜辺。飛鳥さんとプロデューサーさんの、ふたりきり。

指差す先のイルカも素敵だったけど、それ以上にその場所はきらきらしている。

覗き見てしまったあの瞬間を思い返せば、流れるように表現が生まれた。

もしあそこにいるのが、私だったら。

胸がつん、と鋭いくせにどこかへんに優しい痛みに襲われる。

それも一緒に歌に乗せて、でも主張しすぎちゃわないように。

だってあそこは二人の世界だから。私は居ない場所だから。

そして、胸の痛さとは似ても似つかないくらい、幸せな風景だから。



そうやって歌ったら、思っていた何倍もうまくいって。

うまくいきすぎてしまったから、私の中で飛鳥さんがどんどん主役になって、でもそれでいいと思った。

お仕事を成功させれば、プロデューサーさんに喜んでもらえる。褒めてもらえる。

それだけでよかった。

「飛鳥さんはこのお仕事を通じて、何を目指しているんですか?」

だから、飛鳥さんのことを知るために。

それ以上に、私に最後の諦めをつけさせるために。

問うと共に、ひどいことをしていると感じた。

悠貴のために声を荒げた飛鳥に、その意志とはまるで逆の結論を出すための後押しをしてほしいと願っているのだから。

飛鳥は少し考え込むような仕草を見せる。

「あの場所を、あの場所にいたボクたちを伝えること。それが目指すべき到達地点だと、ボクは思う」

そう。だから、あなたが主役だと思ったんだよ。

「だけど、ボクが知りえない景色が……いや、感情がある。それを伝えるためには、悠貴の力も必要なんだ」

「でも、でも私はただ、プロデューサーさんに褒めてもらいたいたくて。伝えることとか、その次になっちゃってて、だから」

「それでも伝えたいことは、確かにあるんだろう?」

「…………はい」

「プロデューサーに、さ。今のボクたちを見てもらわないかい?悠貴がプロデューサーのために歌うなら、それが一番だと思うんだ」

「っ……でも、それはっ」

今の私の歌は、プロデューサーに褒めてもらえるようなものじゃ、そう言おうとして。

あれ?

触れたのは、重大な自己矛盾。

私はプロデューサーに褒めてもらうためにこうしてきたはずなのに。

なのに、これじゃ褒めてもらえないと、自分で思ってる?

嘘だ、やだ、そんな、そんなの。

「飛鳥さんっ、やっぱり、待ってください……。自信がないんですっ」

「……なら、尚更だろう?プロデューサーはボクらが困ってる時、いつだって味方でいてくれる」

「悠貴。キミは、プロデューサーのことなら理屈抜きで信じられるんじゃないかな。ボクがそうであるように」

諭すような言葉。

悠貴はプロデューサーの顔を思い浮かべる。

混乱していたはずなのにそれははっきりと脳裏に写って。

ちょっと、どきっとした。

そして、想像の上なのに不思議と安心して。

プロデューサーがくれるのは、いつだって私のための言葉なんだ、って。

そう感じることには、確かに理由なんてなかった。

「プロデューサー、さんっ……飛鳥さん、私っ……!」

悠貴は少しだけ泣きそうになりながらも、飛鳥に笑いかける。

飛鳥もそれを見て、ほっとした様子で穏やかな微笑を返した。

改めて、踏み出さないとだめなんだよね。

そうしなきゃ、前に進めるかどうかもわからないままだから。

「うう、緊張しますっ……」

「ああ、ボクも少々ばかり緊張しているよ」

がちがちに硬くなっている悠貴は、言葉に反して涼しげな飛鳥に非難の視線を向ける。

飛鳥も、全然そうは見えません、とむくれる悠貴に苦笑で返した。

しかし、トレーナーとプロデューサーがレッスンルームに入ってきたのを見て、二人とも佇まいを直す。

「さ、レッスン始めるぞ。プロデューサーが見ているからと言って、浮き足立たないように」

プロデューサーがいてもいなくても、レッスンの内容そのものは変わらない。

本格的に歌い始める前に発声練習をして、軽い柔軟運動。

そんなウォーミングアップの途中、悠貴は視線に気づいた。

自分たちに向けられた、真剣な視線。

当然のことなのに、まるで自分が見られているような気がして心臓が跳ねる。

だけどどうしてか、目が合ってしまうのが怖くなって視線を外す。

悠貴は何度か悩んだ後に、プロデューサーの前でも今の歌い方を続けようと決めた。

無理に背伸びをするより、ありのままを見てもらいたかった。

だけど、もし万に一つ、あの人にも否定されてしまったら、私はどうすればいいのだろう。どうできるのだろう。

そんな恐怖とプロデューサーを信じる気持ちがぶつかって。

おそるおそる、もう一度プロデューサーを見つめる。

プロデューサーもまた悠貴の視線に気づいたようで。

少しだけ、体が震えた。

プロデューサーは右の手を軽く掲げて、その指を折り曲げる。手の甲を悠貴の方に向け、親指と小指を広げて伸ばした形。

それは、シャカと呼ばれるハワイのハンドサインだった。


――ちゃんと元気にやってるか?頑張れよ。


その意味は激励。返すべきは、そう、そうだ。

私がハワイから持ち帰った、大事な大事な思い出。

トレーナーさんにバレないように、悠貴は片方の手をほんの少しだけ上げて、ハンドサインを形作る。

ハングルース。私なりの笑顔を添えた、私だけのサイン。


「……えへへっ、マハロ、ですっ」


胸の奥側の、ちょっと左のほうがじんわりと暖かい。

何かがすとんと落ちる心地がした。

こんな簡単に、変わっちゃうんだ。

沢山の思い出が蘇る。嬉しいことも、そうでないことも。

ぜんぶぜんぶがきらきらして見えて、大切で、抑えきれなくてっ。

そっか、この気持ちが、伝えたいってことで。

飛鳥さんとぶつかってしまうとか、仕事を成功させたい、あの時みたいに頼りになるって言ってほしい、とか。

それ以前の場所にある欲求なんだ。

思い出を歌にのせて、届けに行きたい。

この願いを大切に抱いて歩けば、きっと。


流れ始める曲のリズムに合わせながら、小さく深呼吸する。

上手くいくかなんてわからない。でもやってみたい。だから。

あの素敵で大切な8日間をぎゅっと抱きしめて……

歌が始まったその瞬間から、飛鳥は変化を直感した。

悠貴の発する歌声がまるで違う。

力強いわけでも、強い情緒を感じさせるわけでもない。しかし、確かに悠貴の歌だった。

それはそう、穏やかな期待。始まりを感じさせる歌。

曲の進みに合わせて少しずつ明るくきらめいていく悠貴の声が、無性に嬉しくなる。

今、ボクがしたい表現は、悠貴のためのものだ。

自然とそう感じて、その歌声に自分の声を同調させていく。

悠貴の思い出のその場所にボクも立っていて、混ぜこぜになった気持ちを繊細なバランスで歌にのせるような。

悠貴もこんな気持ちだったのかな、と。飛鳥はふと思い至る。

だとしたらやっぱり、ボクの指摘はひどい思い違いだ。

悠貴は悠貴なりに、ボクの歌を通じてあの楽園を表現していたというのに。

……でも、今となっては、か。

だって悠貴はこんなにも素敵な歌を手に入れたのだから。

曲が進み行くにつれ、悠貴の歌は少しずつ勢いを緩めていく。

道を譲られる感覚。

ここからは、ボクの出番ってことかい?

わかったよ、と返事代わりに歌に力を込めていく。

やりたかったことが、現実に近づいている。

その実感が飛鳥の心を熱くさせる。もっともっと叫びたくなる。

だから、それに従おう。

まずは隣で、誰より近くでボクの歌を聴く悠貴に全部が届くように。



「そうだな……いい方向に向かっていると思う。だが荒削りさは増してるぞ。お前たち、毎回歌い方を大きく変えすぎだ」

言葉の後半は呆れ混じりで、そういえば最初のレッスンでも似たような口調で怒られたと思い出す。

お互いに顔を見合わせるタイミングも同じで、おかしくなって笑ってしまう。

「折角なので、プロデューサーさんからも一言お願いします」

トレーナーの言葉に、音が聞こえる程の勢いで二人の視線が動く。

そんな食いつき具合に愉快そうに苦笑いする器用な芸当を見せながら、プロデューサーは一つ咳払いをした。

「いい歌だったよ。二人とも、自分なりに歌を作っていこうとしてるのが伝わってきた。この分なら、もっと成長を期待してもいいか?」

「もちろんですっ」「もちろんさ」

返事は同時、目の輝かせ方もよく似ている。

息が合ってきているのか、それともどこか共通点があったのか。

どちらにせよ何よりなことだ、とプロデューサーは満足げに頷いた。

「さて、それじゃあお小言の時間だ。小さなことから確実に良くしていくのも忘れるな」

トレーナーが手を叩く音が、レッスン再開の合図となった。

一つ一つのパートの粗を取り除いて完成度を上げていく。

繰り返すたびに、二つの歌が馴染んで一つに近づく。

ちゃんと前に進んでいるという実感が、そこにはあった。

「飛鳥さん、レッスンお疲れ様でしたっ。それと……ありがとうございます」

「ボクは何もしていないさ。プロデューサーから導きを得て、見つけたんだろう?」

レッスン終わり。プロデューサーもトレーナーも引き払って、そこに居るのは二人だけ。

飛鳥の返答に、悠貴は緩く首を振る。

「きっかけをくれました。それに、歌うときだって合わせてくれた」

照れ隠しの否定もすぐに見透かされて、飛鳥はふ、と小さく息を吐く。

ここまで来たら、そんな些細な隠しごとはいらないか。

「……フフッ、これからが楽しみになってきたね」

「はいっ。今日は大成功ですっ。明日だって、きっと!」

二人で高く掲げた右手をぱん、と打ち合わせてハイタッチ。

「あ……!」

手と手が一瞬だけ重なり、その瞬間に一つの景色がふわりと映る。

「そうだ。そういえば、あったじゃないか。こんな風に」

飛鳥は悠貴の手をたぐり寄せて、繋ぐように握る。

悠貴も何か心得た様子で。

「波に流されてほどけないように?」

ひとつの思い出を、言葉を区切って互い違いに。

悠貴は人差し指、中指と順に絡めるようにして繋ぎ直していく。

「そう、ボクらは手と手を取り合って」

二つの手が固く繋がれたら、ゆっくりと二人の間に動かして。

「ふたりで一緒にあの海を泳ぎました、ですよねっ?」

そして、飛鳥は悠貴の、悠貴は飛鳥の瞳を見つめる。

数秒ののち、おかしくなって笑みがこぼれてしまう。

「っ、くくっ、まさか、こんなことを忘れていたなんてね」

「ほんとにっ。ふたりの思い出、すぐ近くにあったのに……ずっと悩んでたのが嘘みたいっ」

心底に愉快で、とにかくただただ笑えた。

そう、絡まった糸がほどけるように、気づけば自然と笑いあえるようになっていた。

ほつれながらもしっかりと繋がって、二つの糸が一つになって。

きちんと結ばれたそれは端っこをあの人の小指にくくりつけることをこっそり望みながら、少しずつ太く頑丈に。

手繰り寄せてきた縁は、いつだって胸の奥で繋がっている。

「ん、メールだ。……頼子さんからだね。空いた時間ができたから、ボクたちのステージを見に来てくれるらしい」

「私の方にも、あやめさんからっ。さっきよりもいっそう気合が入っちゃいますね!」

二つめの現場へ移動する車の中で、二人は楽しげに携帯電話を交換しお互いに届いたメールの文面を読みあう。

あやめの収録も見学に行ったし、頼子のインタビューが載っている雑誌もしっかり読んだ。

彼女たちなりの経験と思い出を強く感じさせるそれは、自分たちも負けていられないという想いになって飛鳥と悠貴に跳ね返ってきた。

一つめの現場は大盛り上がりで、成功と言っても問題ないだろう。

だけど、まだ足りないから。

だから、二人が見に来るステージは全力をさらに上回る力で臨むんだ。

車が止まる。つまりそこは新たなステージだった。

ドライバーにお礼を告げながら車を降り、飛鳥と悠貴は頷き合う。

「揺り籠のような、全身を包むエメラルド……あの海を、ボクたちを、伝えに行こうか」

「はい、ハングルースっ、です!だけど、全身全霊で駆け抜けますよっ!」


おしまい

ここまでお読みいただきありがとうございました。


ハワイアイプロから早一か月、飛鳥10%ガチャチケに敗北した私が上位報酬飛鳥をお迎えできるのはいつになるやら。

アイプロを本格的に走るのは初めてレベルの新米Pでしたが、コミュにおける台詞の破壊力には目を見張るものがありました。

それに引っ張られる形で、アイドルたちのプロデューサーに対する好意はちょっと強めに書いたつもりです。伝わっているといいのですが。

ともかく、少しでもお楽しみいただけていれば幸いです。

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