ことり「ベストデザイン」 (19)
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つづき 短め
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数か月分の小遣いと手伝いで得た駄賃を手に、少女は走っていた。
息は切れ、足はもつれかけ。それでもその顔は爛々と輝き、疲労の色を見せていない。
今日、少女は服を買う。そこらで売っているちゃちなものじゃない。
少女のために作られ、少女のためだけにある服だ。
それはまだ、どんなものになるかも決まっていない。これから決まるものだけれど。
「……っ」
少女はある店の前で急停止する。小さな店だ。ガラス張りのショーケースが設置されていて、煌びやかなドレスが展示されている。
看板には『Le troisieme pas』。どんな意味かは知らないが、どことなくお洒落だ。
一つ、深呼吸。息を整え、お金を落としていないか確認。
そしてゆっくりと扉を押す。ギッと木製のそれは重い音を響かせて。
カランコロン、とベルがなった。
「ぜんっぜん駄目。舐めてるの?」
バン、とことりのデザイン案をまとめてある紙が机に叩きつけられる。
スタンドライトが僅かに宙に浮き、ティーカップのお茶が机上を汚す。
「……はぁ」
「よくこんなもので成績優良者を名乗れたものね。信じられないわ」
講師の酷評は続く。
この講師、それなりに有名な服飾デザイナーだという。日本だけでなく海外でも活躍しているとのことで、事実であれば実力は確かなものなのだろう。
ことりの通う学校……服飾について学ぶ学校で、ここの出身らしい。でなければ臨時とはいえ講師なんかやらないのだろうけど。
いや、まぁ。それにしたって。
「納得いかないって顔ね」
「別にそんなことは」
「大方、今まで褒められるだけだったんでしょう? すごいね、かわいいねって」
「……別に、そんなことは」
「ま、いいけど。とりあえずデザイナー以外の道を考えたら? あなた、絶望的に向いてないから」
どうしてここまでいわれなければならないのか。
全く以て理解不能だ。
「なにあれ」
「なんか、いやなことがあったみたい」
一心不乱にチーズケーキを食すことりを見て、真姫はため息をついた。
ホールケーキ……それもかつてアメリカのホテルで見たような大きいものだ。
あのときも思ったが、よく食べられるものだ。飽きないのだろうか。
「いやなこと?」
「たぶんね。ことりちゃん、凄い顔してたよ」
と、真姫の隣で食器を洗っている穂乃果が笑う。
負の感情を隠すのが上手いことりが、さてはていったいどんな顔をしたのやら。
見返してやる。チーズケーキを平らげた後、そう決心する。
確かに、あの講師のいうとおりだ。自分に服飾デザイナーの才能があるかどうかは、今はおいておく。
ただ天狗になっていたのは認めなければならないだろう。自身のデザインに不満を持っていなかったわけではないし、自分はまだまだだとも思っている。
それでもどこか驕りのような部分があるのは事実だ。
であれば、やることは一つ。
その驕りが認められるほどのものを作ってしまえばいい。いや、作らなければならない。そのための能力があるのだから。
紙とペンを取り出し、思いつくままに滑らせる。いつもどおりに。だけど、いつもよりも集中して。
案はいくらでもある。かつてボツにしたものをもう一度蘇らせ、幾度もの修正を重ねる。
もちろん、新しいものも忘れない。幸い、モデルは二人いる。見ているだけでアイデアが沸いて出てくる最高のモデルだ。
贅沢をいえばあと六人ほどほしいが。まぁ、仕方ない。
……と、その前に。
「穂乃果ちゃん。チーズケーキもう一個」
「まだ食べるの!?」
頭を使ったあとはお腹が減る。そのときのために、必要なのだ。
「わたしはことりちゃんのデザインかわいいと思うよ?」
「穂乃果や私にとってそうでも、他の人から見たら違うかもしれないじゃない」
そも、かわいいのとデザインとして優れているというのは別物だ。
日本人女性の使うかわいいには万の意味がある。かわいいと良いがイコールで繋がるわけではないのだ。
感性の違いと切って捨てることはできない。仕事にするのだから、マーケティングの機会を無駄にするわけにはいかないのだ。
……だからといって、あの講師のいうこと全てに納得しているわけではないが。
むしろ何様だという感じだ。わかった風な口を利いて。
「……私、ことりのそんな顔初めて見た」
「え、変な顔してた?」
「してたしてた。こんな感じに悪い顔」
と、真姫は態々物まねを披露してみせる。
……もう、知らないことなんてないように思っていたけれど。
なかなかどうしてひょうきんな感じだ。元からそうなのか、そういう風に変化したのか。
おそらくは後者。家出して穂乃果の家に居座るくらいなのだから、そういう風に変わったのだろう。
「でも、その講師のいうとおり別の道を探すのも悪くないんじゃない? 道は一つじゃないもの」
「えー? わたしはことりちゃんのデザインした服着てみたいけど」
「それはまぁ、ことり次第よ」
「そうだけどさ」
別の道。さて、はて。なにがあるだろう。
デザイナーを志したのも、服飾の仕事に興味があったからだ。それに、楽しい。
μ'sとしての経験も大きいけれど、自分がデザインした服を着て、喜んでもらえるのは物凄く嬉しい。未だ未熟の身なれど、それこそがやりがいなのだと思う。
アイドルを続けるというのも選択肢にあったけれど。それよりも服飾を、という思いがあったのは間違いない。
……思いつかない。なにがあるだろうか。
「それで、これが?」
幾つかデザインをまとめ、そのなかでも会心の出来と呼べるものを講師に見せる。
が、返ってきたのはため息のみ。講師は落胆の色を濃くしながらことりに顔を向ける。
「……あなた、やっぱり才能ないわ。服をデザインするということがどんなことかわかっていない」
「……」
「見せたいものがあるっていうから期待したけど、無駄だったみたいね」
なんなのだろう。この人は。
「わけがわからないって顔ね。理由を教えてほしければ、相応の態度があるんじゃないかしら」
「……お」
教えてください。その言葉が出なかった。
この講師のいうことは真実なのかもしれない。ことりにデザイナーの才能なんて欠片もないのかもしれない。
それでも、この物言いが気に入らない。こんな人に教わりたくない。
謗ればいい。
どうにも、この講師とは反りがあわない。
どうにもならない苛立ちを床を踏みしめる力に変える。
普段は小さな足音が少しずつ、着実に大きくなっていく。
ことりは普段、苛立ちを覚えることはない。怒ることはあっても、長引くことはないのだ。
だからこそ、どう発散すればいいのかわからない。八つ当たりに地面を蹴ってもどうにもならない。
「おっと」
「あっ」
ドン、と勢い良く人とぶつかる。転びこそしなかったものの、抱えていた紙……デザインしたものが床に散らばる。
流石に、人にあたるわけにもいかず。
「ご、ごめんなさい。よく見ていなくて」
「いえいえ。怪我はありませんでしたか?」
ぶつかったのは年老いた男性だった。背筋はピンと伸びており、そこまで老いを感じさせない。顔に出来たシワが少なければ、四十代といっても通じるだろう。
彼はぶつかったことりをいたわるばかりか、床に散らばった紙を拾い集める。
「あ、ありがとうございます」
「はい。どういたしまして。……これは、あなたが?」
「……っ。そう、です」
この人も否定するだろうか。一瞬、そんな考えが頭をよぎる。
「ははぁ……。なるほど」
老人はなにやら得心した様子で頷き、頭を下げながら紙をことりに返却する。
胸のポケットから名刺を取り出し、それをことりに差し出す。
「あの、これは?」
「私は仕立屋を営んでいるものです。興味があればいらしてください」
老人はそれだけいうと足早に去っていく。
学校にいる、ということは関係者なのだろうけれど。
……出身者だろうか。
「……来ちゃった」
何をする気にもなれず街をぶらぶらしていると、自然と足が向かってしまった。
『Spell on you』。まじないをかける、転じて、魔法をかける。店名はそういう風になっていた。
一つ深呼吸。古びた木製のドアを押せばギッと重い音が響く。
カランコロン、とベルがなる。
「いらっしゃい。……ああ、あなたでしたか」
「ど、どうも」
老人は店の奥から出てきた。人の良さそうな笑みを浮かべ、ことりを招き入れる。
幾つかのマネキンとたくさんの布の前を通り過ぎる。耳を済ませればミシンの音が聴こえてきそうだった。
「申し訳ありません。私の教え子が、無礼を働いたようで」
「……教え子?」
「ええ。あの講師です」
「そ、そうなんですか」
衝撃だ。こんな人に教わってあんな風になることが。
「まぁ、悪い奴ではないのだけはわかってやってください。何分、不器用な奴ですので」
「は、はぁ……」
「それで、話は聞かせていただきました。あなたは、ファッションデザイナーを目指している、ということでしたが」
「一応、はい」
「端的に申し上げますと、あなたにその才能がない、というのは間違いありません。ですが」
バンッ、と無意識に机を叩く。一瞬にして頭に上った血が、罵詈雑言を浴びせようとする。
……寸でのところで留まったのは、まだ話が終わっていないから。
続きがある。それを聞くまで、冷静でいなければ。
「ですが、ファッションデザイナーとしては、です。あなたは衣服を作るとはどういうことだと思いますか?」
「……例えば、その人に似合うものを作ったり」
「ええ、そうです。では、その似合うかどうかを考えるのは誰でしょう」
「顧客……。えっと、買い手、です」
「服というのは顧客が選ぶものです。自分によいものを、つまり、ベターなものを組み合わせていくわけです」
「モアベター、ですか」
「はい。あなたのデザインは、おそらく、特定の個人に向けてデザインしたものではありませんか?」
心当たりがないわけではない。むしろ、誰かにとって最高のものを作るのがことりの仕事だった。
……ああ。つまり、そういうこと。
「誰かにとって最高のものは、別の誰かにとってベターにすらならない」
良く出来ました。と老人が笑う。
「極論ですがね。あなたはどちらかというと、こっちよりの人のようですから」
「こっち、ですか?」
「仕立屋……オーダーメイドに携わる方ですよ。職人と言い換えることもできますが」
よろしければ、と老人は前置いて、ことりの手を取る。
「私の元で修行をしてみませんか?」
あの講師の当たりの強さは嫉妬だと老人は語った。
講師は仕立屋になりたかったけれど、その才能がなかった。つまり、そういうことだ。
「え、デザイナーってそういう仕事じゃなかったの?」
「流石に市場に流通するものを全部作ることはできないでしょ」
「あ、そっか」
そんな会話に耳を傾けつつ、先日の言葉を思い出す。
道は一つじゃない。デザイナー以外の道。
仕立屋。
「あ、じゃあことりちゃんにウェディングドレス作って貰えるってこと?」
「そうね。デザインだけじゃなく、最初から最後までことりが作ったものができるんじゃない」
「わたし、ことりちゃんが作ったウェディングドレス着たい!」
「まだ仕立屋になるってわけじゃないでしょうに」
……まぁ、そういうことなら。
十分に、ありだろう。
――カランコロン、とベルがなった。
妙齢の女性が店の奥から姿を現す。幾つかのマネキンとたくさんの布の前を通り過ぎ、その人の前へと到達する。
「あ、あの! わ、私っ」
緊張からか、焦りからか言葉が上手く出てこない。
女性はくすくすと上品に笑い、少女と視線を合わせる。
「落ち着いて、深呼吸して」
言葉通りに大きく深呼吸。
さて、それで。
「どんなのがいい? リボンは? アクセサリは? どうせだから、いっちばんかわいいのにしちゃお?」
了
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