モバP「15年ぶりの鷺沢文香」 (45)
登場キャラ……鷺沢文香、プロデューサー
※鷺沢文香
http://i.imgur.com/hwXf0mt.jpg
http://i.imgur.com/acQrAA8.jpg
※地の文あり
※独自設定多め
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1451754190
●
――プロデューサーさんは……私をアイドルにしたこと、後悔していますか。
●
「モバPさん。最近、鷺沢文香と連絡取りました?」
ある日の仕事中、別事務所のプロデューサーと顔を合わせている時、
彼から不意に、かつての担当アイドル・鷺沢文香の名前を聞かされた。
「いいえ。鷺沢が引退して、地元の長野に戻ってから、それきりです。
10年以上は話していないですよ。鷺沢が、どうかいたしましたか」
何事か、と俺が問うと、彼は何故か得意気にペラペラ喋り出した。
「もうすぐ、古書ブームが来るでしょう。
新田次郎とか、向田邦子とか、横溝正史とか、大物がそろそろ著作権切れますから。
それに合わせて、昔に鷺沢文香が主演で当てたアレ――古書店ミステリの映画をリメイクするんです」
「その企画、部外者の私へ漏らしていい話なんですか」
「んー、大丈夫ですよね。モバPさん、口が堅いでしょうから」
「はぁ」
鷺沢文香は、俺が昔――プロデューサーとして最前線にいた頃――担当していたアイドルの一人だ。
当時、文学部の女子学生だった文香が、神保町の古書店で店番をしていたところを、
俺が直接スカウトし、担当アイドルとした。
文香は当初、ライブを中心としたアイドル活動を行っていたが、
既に勢いに乗っていた渋谷凛や神崎蘭子と比べると、人気は物足りなかった。
さて、どうしたものかと思っていたところ、俺はあるベストセラー小説の映画化の企画を知った。
その小説は、古書店の女店主が主人公であった。
「それにしても、古書店シリーズとは懐かしい。そんなもの、やらせましたね。
鷺沢は古書店の本棚が似合う珍しいアイドルだったので、ハマるかと思いまして」
古書店で実際に店番をやっていた文香なら、その主演にうってつけだ――と思った俺は、
プロダクションのツテで、女優経験のなかった文香を強引にオーディションへねじこんだ。
結果、文香は主演を勝ち取った。
演技力は未熟だったが、文香自身が役柄のイメージそのままだったのが幸いした。
映画もヒットを飛ばし、文香は一躍時の人となった。
「リメイクとなると、鷺沢版とも言うべき前の客を引っ掛けたいじゃないですか。
だから、彼女を宣伝に使おうと声をかけたんです。でも、色よい返事がもらえなくて」
「鷺沢は、芸能界を引退して随分経ちますからね」
だが、文香の芸能生活は長く続かなかった。
あの映画が、あまりに鮮やかに人々の印象に残った。
以降の文香は、どのドラマに出しても、
劇中の――物静かで清楚な古書堂の女店主――イメージから脱皮できなかった。
●
「アレは鷺沢の代表作で……取ってきた直後は、私も担当Pとして鼻高々でした。
しかし今振り返ると、アレが女優生命を縮めてしまったんじゃないか、と思います」
映画でもドラマでも、あのイメージ――素の文香――のようなニッチな役は、需要が少ない。
その上、アイドルからいきなり女優という転向で、演技の経験も不足していた。
演じられる役の幅が狭く、すぐに馬脚を露わしてしまい、仕事がどんどん減ってしまった。
「最初はステージで歌って踊るアイドルをやらせていたのに、
下積みも無しでいきなり女優にしてしまって。彼女には、苦労をかけました」
仕事が減っていくに連れて、文香の芸能活動に対する意欲も冷めていった。
無理もなかった。俺の無茶振りに付き合わされて、それに必死でついていったら、あの有様だ。
ならば、文香をアイドル路線へ戻してやれば良かったのか。
それも、なかなかできない相談だった。
アイドルから女優へ、ヨソの部門のパイを強引に荒らしてからシレッと路線を戻す……
もし文香が女優として完全に失敗していれば、そんなマネしても臆面は無かった。
が、曲がりなりにもヒットさせてしまった。女優路線ならもっとうまくいくんじゃないか。
俺を含めた文香の周囲がそう思って、『あの当たりをもう一度』と、守株に傾いてしまった。
つまりは、プロデュースする側の都合だった。
あの映画から数年後、文香は引退を申し出た。
俺は引き止めた――今思い出すと、見苦しく思えるほど――が、文香を翻意させられなかった。
『もう私は、貴方の期待に応えるのが難しいと、そう思いますから……』
この言葉から、文香が包んでくれたオブラートを剥がしたら、
『もうついて行けない』ということだろう。
文香は東京を離れ、地元・信州の大学に戻ったと聞いた。
俺が文香について知っているのは、そこまでだった。
●
「実はね、モバPさん。今更になって、鷺沢文香の話を切り出したのは訳がありまして」
彼が口にした『今更』という響きが、妙にチクチクと刺さった。
彼にとって文香は、『あの人は今』に出るような過去の存在らしい。
確かに、かなり前の話だから、一般的には彼の感覚が正しいのだろう。
「リメイク版の女店主、うちのプロダクションの子がやるんです。
だから、たった一日でもいい。鷺沢文香を長野から引っ張り出したい」
「彼女の説得を、俺にやれ、と」
俺の問いに、彼は頷いた。
「今の彼女は大学勤めで、連絡先を調べるのは簡単だったのですが、
私が交渉したら断られてしまって。そのとき、彼女から気になることを聞いたのです」
彼はしばらく黙りこくった。
なんだよ。口が軽いくせに、勿体つけて。
「彼女は『モバPさんが来てくれるなら、話だけは聞きます』って言ったんです」
オススメスレに挙がってたの読んだよ。
あんたの作品が一番好きだ。期待
●
彼との会話が終わって数日後。
俺は、文香が勤めている大学の職員名簿を調べた。
文香の肩書には『准教授』とついていた。専門分野は日本の古典文学らしい。
論文のタイトルを流し見してみた。いつの時代の日本文学かさえ分からなかった。
文香は芸能界から遠く離れた世界へ進んだのだ――その事実が、俺の内心を鈍く打ち据える。
文香にとって、俺の元でアイドルをやった経験に、何か意味はあったんだろうか。
文香の名前にくっついている肩書は、何も答えてくれない。
この教員紹介の欄だけを見た人は、まさかこの教官が元・アイドルとは思わないだろう。
俺は躊躇(ためら)った末に、文香が教鞭を執る大学へ連絡を取った。
文香と直接話すことはできなかった。俺は、自分の連絡先だけ伝えておいた。
すると半日ほど経ってから、俺の端末へメッセージが届いた。
『時間の都合がつけば、ですが――』
たったこれだけの枕詞のあとに、面会可能な日時だけが淡々と列記されていた。
文香は、俺に何か話すことがあるらしい。
そしてそれを聞くには、膝を突き合わせる必要があるようだ。
年配でもテレビ電話に抵抗がなくなった今の時代に、ゆかしいことだ。
俺は自分のスケジュールを、目を皿にして眺めた。
文香は何を話すつもりなのか。
端末越しのやり取りで日時を取り決める。
面会の日、俺は無理を利かせて仕事を切り上げ、東京から長野へ向かった。
信濃路へ向かう特急は、半世紀前のあずさ2号よりだいぶ早くなっていて、
文香とのことを思い出し切る前に、俺を長野まで届けていた。
特急を降りると、すっかり日が暮れていた。これは予定通りだ。
大学の先生は、時間に融通が利かないらしく、
文香が面会の候補に上げた時間帯は、どれも夕方か夜だった。
長野駅前には、噴水に囲まれて高々と立つ女性の立像がある。
名前は『如是姫』と言って、当地の名刹・善光寺にちなんだ像と聞いている。
『如是』は、是(これ)の如(ごと)く――望みのままこのように、という意味らしい。
文香が指定した待ち合わせ場所は、その像の前。
チョイスに皮肉めいた響きを感じるのは、
俺が文香に対して後ろめたさを背負っているせいだろうか。
●
「プロデューサーさんですね……お待たせいたしました。
お久しゅうございます。鷺沢です」
俺が像のある広場で立ち尽くしていると、背中から声をかけられた。
「文香……こちらこそ、ご無沙汰で」
「私が東京から長野へ戻って、それ以来ですから……15年ぶり、でしょうか」
15年ぶりに見た文香の姿は、一目見たところ、さほど変わっていないようだった。
髪型は黒のセミロングでストレートのまま。前髪だけは歳相応に額を出していた。
夜の薄暗い中だから判然としないが、肌は記憶にある色より生白かった。
地味なスーツにやや大きめの鞄を抱えているのを見るに、大学から直行したのだろうか。
「こちらから呼び立てておきながら、遅参して申し訳ございません……」
「仕事だったんだろう、それなら仕方ない。学生か誰かが、質問に来たりとかしたのか。
そうしたら文香の性格的に、きっちり納得するまで説明するだろうし」
文香はこちらを見つめたまま微苦笑した。
「図星かな。鷺沢先生は講義が終わるたびに、教壇に列ができる人気者だったり……。
俺の学生時代に文香みたいな先生がいたら、何も無くてもムリヤリ絡みに行ったかも知れない」
「……おかげさまで、学生にもそれなりに構ってもらっておりますよ」
「お、文香の手前味噌とは珍しい」
俺の視線を避けるように、文香はくるりと向きを変えた。
「……お忙しいプロデューサーさんに、せっかくご足労いただきましたから。
駅から少し歩きますが、いいお店をとっておきましたよ」
「では、お任せ致しますよ。鷺沢先生」
「……もう」
俺はどんな店に行くかわからなかったので、先導して歩く文香の後をただ追随した。
少し歩いて、駅前の繁華街が途切れたあたりで、文香が足を止めた。
●
文香に合わせて足を止めると、そこから古色蒼然とした日本家屋が見えた。
暖簾(のれん)がなければ、店と分からなかっただろう。
その暖簾をくぐってみると、室内では、ぼんやりとした闇と明かりが揺らめいていた。
和紙に包まれた灯明――骨董屋以外ではとうに消え失せた蝋燭の行燈が、照明に使われているらしい。
「今時、こんな店があるのか。まるで『陰翳礼讃』の世界だ」
「普段、眩しいステージをご覧じるプロデューサーさんには、物足りないかも知れませんが」
明と暗の境界が朦朧とした空間を、文香はしずしずと進む。
おそらく、彼女のお気に入りの店なのだろう。
「いや、このお店は好きになれそうだ。
最近、スポットライトの光線が網膜にきつくて、
かえってこういう趣が分かるようになってきたところなんだ」
俺も少しは繊細になったのかな、と呟くと、文香は口元を隠した。
なんだ、笑われてしまったのか。そんなに面白い諧謔だったとも思えないが。
●
書院を模した個室へ、文香と一緒に通される。
「お酒は召し上がられますか。翌日のご都合も、あるでしょうから……」
「是非ともいただこう。ただ、昔みたいにザルのマネはできないが」
文香との話が長くなると思って、俺はあらかじめ駅近くの宿をとっていた。
それで、いい雰囲気の店に連れて行ってもらったのだから、飲まない法はない。
「プロデューサーさんは、志乃さんや楓さんに酒量で張り合っておりましたね」
「最近は、もうさっぱりだ。スタドリとかで長年腎臓をいじめてきたのが祟って、
いろいろな意味で無理の利かない体になってしまったから」
若かりし頃は――文香がそばにいた頃は――俺も無茶をしてきた。
そういえば、俺はアイドル時代の文香しか知らないが、文香もその頃の俺しか知らないのだった。
あちこちガタの来てる俺の姿を見て、年食ったなぁとか思ってるんだろうか。
「プロデューサーさんは、今もご活躍のようで。詳しくは存じませんが、お噂は伺っておりますよ」
「そうかな。あの頃のように、たくさん担当して馬車馬やってた頃に比べると、大人しいもんだよ」
俺の返事に、文香は小首を傾げた。
「そうでしょうか? 私、映画リメイクを知らせてくださったあの方から、ご教示いただいたのですが。
プロデューサーさん、もうじき美城プロのアイドル部門のトップに就かれるそうですね」
俺は、映画リメイクの話を知らせてきた彼の顔を思い出した。
「美城プロの次期部門責任者を、長野くんだりまで呼びつけるなんて……だとか。
ここまで露骨な言い方ではありませんでしたが、あの方には呆れられましたよ」
「他人のことだからって、勝手にペラペラしゃべって……」
俺は、彼との付き合いを考え直すことを決めた。
●
「長野まで押しかけてきて言うのもなんだが、仕事の話はさほど重要じゃないんだ」
文香は、意外そうな目つきになった。
「貴方が、私の素っ気ない返事にもかかわらずお越しになったので……
もしかしたら、重要な案件かと思ったのですが」
「いいや。口が軽い彼は困るかもしれないけど、俺や文香が困ることは無いだろう」
文香が気を遣ってきたので、俺はその点について心配無用と断言した。
あくまで、文香はかつての映画版がヒットした時の主演女優。
宣伝する側としては、来れたら来て欲しいぐらいの勢いだろう。
「だいたいこの話は、文香も乗り気じゃないだろう。顔に『嫌だ』って書いてあるよ」
「私、そんな顔をしておりましたか……?」
文香は顔を俯けて、目だけでこちらを見上げてきた。
「顔はよく見えない。けど、文香が見せてくれないから、分かるんだよ。
業界人が懲り懲りなのか、単に俺のツラが見るに堪えないのかは知らないが、
今更、まともに顔を合わせたくないんじゃないか」
俺の言葉は、半分ハッタリで半分本気の推測だった。
文香は駅であったときからずっと、暗がりに半ば身を沈めて、まともに顔を見せてくれない。
お店の個室に入った今だって、部屋が行燈による薄暗がりのヴェールに包まれているから、
お互いの表情がなんとなく分かる程度の明るさしかない。
俺を相手するつもりがないのか。
あるいは、単に文香が谷崎潤一郎みたいな趣味になった可能性もある。
――が、文香は、俺の予想外の答えを返してきた。
「いいえ……私、貴方に含むところが……ということはございません。
ただ私、大学帰りしか時間がとれなくて、貴方に会うのに、十分な身繕いもできず……」
「――あ、いや、わかった。もういい、もういいから、文香」
「今は、明るいところで貴方の目に晒すのが、憚られるのです……」
「……すまない、忘れてくれ」
俺は心底から文香に頭を下げた。
歳歳年年人同じからず、というのはお互い様だったようだ。
●
「貴方から連絡があって、それで返信を考えている時……
貴方が来てくれれば、と思いました。来てしまったらどうしよう、とも思いました」
「面白い言い回しだな」
文香にしては、いやに引っかかる呟きだった。
文香は雄弁ではないが、言葉はしっかり選ぶ方だ。
こんな要領を得ない台詞を口にするとは、珍しい。
「お忙しい貴方が、東京から長野まで私のために来てくださる……ということは、
未だに貴方が、私のことを気にかけてくださっている証……けれども」
燭台の明かりで揺らめく書院の光闇。
俺はその向こうに、滲み出るような文香の眼差しを見た。
眼光紙背――すぐれた読書家の目は、紙の裏まで見通すというが、
今の文香の目は、俺の顔の裏側まで見通してくるようだ。
「……けれども、それがポジティブな意味かどうかは、別ですから」
「つまり、何が言いたいんだ」
俺が文香に続きを促すと、文香はおずおずと言葉を続けた。
「プロデューサーさんは……私をアイドルにしたこと、後悔していますか」
ごめんなさい中断です
話も文量もこれで折り返しです
今日の夜には終わります
>>6
ありがとうございます
自薦した甲斐があったぜ!
(再開します)
●
俺は文香の問いに、口をもごつかせることしかできなかった。
文香をアイドルにしたことは、間違いだったろうか。
俺にスカウトされた当時、文香は19歳の女子大生だった。
そこから、一生でもっとも心身の瑞々しい数年を、
芸能活動のため、文香に捧げてもらった。
「申し訳ないが……後悔は、ある」
俺がやっと絞り出した声へ、文香は静かに応じた。
「貴方と出会った当時の私は、紙魚(しみ)のように、ただ紙にかじりついている本の虫でした。
そんな私を、貴方は、ステージや銀幕へ導いてくださいました。
長くは、続けられませんでしたが……胸を張れる結果を出せたと、そう思います」
「……そうか」
「そしてその結果は、偏(ひとえ)に、貴方のプロデュースの賜物です。
それでも、貴方は……後悔しているとおっしゃるのですか」
文香の言うことは、妥当かもしれない。
鳴かず飛ばずのまま埋もれていくアイドル候補生が多い中、
文香は短い間とはいえ、芸能界の最前線で輝いていた。
「俺も、文香が東京を去って数年ぐらいは、プロデュースに成功したと自負していた」
文香の芸能活動は、商業的な成功か失敗かでいえば、確かに成功といえるだろう。
詮のない話だが、もし失敗していたら、
もっとすぐに素直に謝って、こんなにこじらせることはなかったかも知れない。
「でも、文香が大学で文学を続けてると聞いてから、
俺はもっと根本的な問題を無視してたんじゃないか、という気がしてならない」
文香が、アイドルとして成功したかどうか――それよりも。
そんな皮相的な話ではなく、もっと本質的な話。
「俺が鷺沢文香を、神保町の古書店から芸能界へ連れ出したのは、
果たして正しかったのか……そういう話だ」
●
「文香、君は活動の最後の方、明らかにやる気をなくしていた。
その原因は、俺のプロデュース方針が迷走したのもあったろうが、
『アイドルなんてやらず、きちんと大学へ通ってればよかった』と思ったからじゃないか」
文香は、芸能人として商業的には成功を収めていた。
だから、それからくる多忙さやなんやらのせいで、学業に支障があったはずだ。
「引退してからだって、例えば文筆業やるとか、出版社に勤めるとか、そういう転身だったら、
『元アイドル・女優』ってレッテルが役立ったはずだが……」
しかし文香は、文学を究めるため大学へ戻った。
芸能活動で得た知名度が、無用の長物どころか足枷になりかねない分野だ。
「俺は、文香の才能を使い倒して、一時の美味しい成功だけもらって、
そのために文香が本当にやりたかったことを、邪魔してしまったんじゃないか」
俺は今、とても情けない顔をしている。
それが、鏡も無いのに分かった。
「俺があの時、文香に声をかけたのは……文香のために、ならなかったんじゃないか、って」
行燈のぼやけた明かりが、有り難かった。
もし部屋が薄暗くなかったら、もっと酷い様を文香の目に晒していたから。
●
「……プロデューサーさんは、あの時も、今でも、本当にお優しい方ですね」
俺が言葉を詰まらせると、文香が口を開いた。
「プロデューサーさんが声をかけてくださった当時……確か、私は19歳でしたね。
学生だったとはいえ、自分の選択へ責任を持たなければならない年齢です。
……私がアイドルになって、それで人生設計がどうなったとしても、それは私の責任でしょう」
だから、俺が『それ』を気に病むことはない、と。
文香のいうことは、たぶん正論なんだろう。
少なくとも、正論に聞こえる。
「……文香、その理屈は、アイドルが言うならともかく……
アイドルの責任者たる担当プロデューサーが言っちゃあ、おしまいだ」
でも、心の底までそうやって割り切れるなら、
こちとら15年前のことなんか引きずっちゃいない。
文香は黙ってしまった。俺は沈黙に肺腑を締め上げられて、息もできない。
すぐに耐え切れなくなって、もう楽にしてくれ――と、文香に言葉を投げつける。
「逆に聞くが、文香は……アイドルになったこと、後悔していないか」
俺の問いに、文香は眉根を歪めた。
まるで、胸の病に苦しむ西施の顰(ひそ)みだった。
●
「貴方は、私に問われましたね。『アイドルになったこと、後悔していないか』と」
文香の舌は、ミステリの探偵役が推理を披瀝するように、重々しく言葉を紡いだ。
改めて『鷺沢文香はアイドルになるべきだったのか』と聞かされると、
この疑問に延々とこだわる俺が、まったくのダメプロデューサーにしか思えなくなってきた。
少なくとも、これはプロデューサーがアイドルに訊いていい質問じゃない。
でも俺はその疑問を、今日まで拭い切れていない。
だから、文香の名前を聞いて、俺の足は東京から長野まで衝き動かされた。
「プロデューサーさん。私の方を、向いてください」
文香の声に視線を引き上げられた。
文香が俺に向かって身を乗り出していたのに気づいた。
古書の紙がふわりと漂わせる、ほのかな甘さの匂いを感じた。
「15年もかかりましたが……今なら、言えます。その問いの答えを。
顔を上げて。前を向いて。貴方の目を見て」
俺と文香は、プロデューサーとアイドルだった頃より近い距離にいた。
それを実感した一瞬、俺の心臓は年甲斐も無く跳ねた。
「貴方に応えてアイドルになったこと、一片の後悔もありません、と」
俺が至近で文香の瞳を見つめ返すと、文香はハッと色を変えて、
乗り出していた身を引っ込めてしまった。どうやら、勢いで前に出てきたらしい。
「……せっかくですから、私にも思い出話をさせてください。
何から話せばいいのか、整理はついていませんが……聞いていただきたいことが、あります」
今も人前で話す職業なのに、この有様は恥ずかしい――と、文香は含羞を滲ませた。
俺はその様で、文香がアイドルになったばかりの頃を思い出した。
●
「冗長になってしまいますが……デビュー当初のことから、お話を。
当時の私は、アイドルを目指すのが正しいのか?
という核心的なことまで、考える余裕がありませんでした」
「ただ、活動そのもの……貴方とともに、アイドル・鷺沢文香の物語を綴(つづ)ること、
その物語を通して私自身が変わっていけたこと、それらに何物にも代え難い喜びを覚えていました。
古書に埋もれて、空想の世界に沈んでいた私が、アイドルですから……変わりもします。
今になっても、ステージに立った時のことを夢に見ます。失敗も、成功も。
そして、女優としては……貴方のプロデュースがあって、作品に恵まれ、
15年経っても人が覚えていてくださるほどの、身に余る実績を残すことができました」
「私は、そんな自分に満足していたんです。してしまったのです。
私が女優としてやっていけるよう貴方が東奔西走していた時に、
私はここで安住したいと思ってしまったのです。
私は、貴方の期待に応えるのが難しいと、そう思いました。
だから、私から引退を切り出しました。私だけの貴方ではありませんから……」
●
「引退してからしばらくは、まだ皆さんが覚えていてくださって……
貴方がお察しした通り、色眼鏡で見られるなど、やりにくいこともありました」
「それでも、私は私なりに、懸命に学問へ打ち込みました。
アイドル時代に負けないぐらい真剣に取り組みました。
……貴方と歩む物語を捨ててまで選んだ道。物にならなければ、私の気が済みません」
「……それも、なかなか上手く行きませんでしたが。
芸能活動が多忙だった頃、私は大学を休学していて、ただでさえほかの人より数年遅れていました。
その上、今言った通り……動機が不純でしたから。
文学は、先人の残した言葉――その意を推し量る学問なのに。
私は、自分の功名心を先人の言葉に押し付けていたのです」
「それで私は、何年か遅れて院を出ました。さて、どうしたものか」
「このご時世、文学で糊口をしのぐというのは、よほどの実績が無ければ叶いません。
私にそんなものがあるはずもなく……私は、貴方のもとで稼いだ蓄えを切り崩しながら、
大学でうだつの上がらない時間講師を続けておりました」
●
「先の見通しを立てられない状況が、とても不安でした。
芸能活動をしていた頃は、貴方が導いてくださったから、不安も乗り越えられました。
しかし、引退してからは、もう貴方は道を指し示してくれない。
そんな日々が続くと、私の心根もなんだか拗(ねじ)けてきて……
お分かりになられますか。
貴方の元を離れて何年も経って、私もいい年になったのに、
経済的にも精神的にも、過去の貴方に頼りっぱなしだったのです。
貴方に、合わせる顔がありませんでした」
文香の声も姿態も、俺が今まで見たこと無いほど痛ましく、
俺の堪え性のなくなった涙腺が、じりじりと騒ぎ出した。
「……お笑いくださっても結構です。
笑えないなら、せめて詰(なじ)っていただければ幸いです。
私の都合で、貴方に長い間、不義理を致しましたから……」
俺は口元を無理に広げようとして、表情筋を引き攣らせてしまった。
さぞ滑稽な表情だったろう。
これじゃ、笑うんじゃなくて笑わせに行ってるみたいじゃないか。
●
「……あれ、文香、ちょっと待ってくれないか」
笑うのを諦めて一呼吸置いた瞬間、俺に一つ疑問が湧いた。
「大学へ連絡取る時に気づいたんだが、今の文香って准教だから、専任だよな」
卒業以来、とんと縁のない大学について、俺の知識は心許無かったが、
確か准教授や教授は専任しかなれなかったはずだ。
「ポストを得て、研究者として道筋がついたから、俺に会う気になったということか?」
俺の疑問を聞いて、文香は少し声を高くした。
「それもあるのですが……それに付け加えて、貴方に伝えたいことがありまして」
●
「准教ポストは公募で、私より業績が上の方も応募されていたのですが、採用されたのは私でした。
それが不思議だったので、私は担当のうちのお一方に、採用してくださった理由を聞いてみたのです。
すると、その先生から、こんなお言葉をいただきました。
『先人の言葉から、それに込められた思いを汲んで、
現代人に活かしてもらう――その橋渡しが、古典文学の意義です。
しかし原文そのままでは、現代人に先人の思いが届きません。
そのギャップを埋めるためには、人にものを伝える力が必要です。
その力が一番すぐれていたのが、あなただった。それが理由です、鷺沢先生』
……と」
文香の目が笑った。それに引っ張られて、俺の頬も緩んだ。
今度は、痙攣しなかった。
「人にものを伝える力。
立ち居振る舞い、声や呼吸の使い方、視線の受け止め方、ほかにも……
私のそれは、貴方の元で教えていただいたことではありませんか?」
●
「貴方に教えていただいたことを活かして、私なりの道を拓くことができたんだ、と。
私が貴方の下で過ごした美城プロでの日々は、ただ私が楽しかっただけの徒花ではない、と。
15年も経って、初めて誰かに認めてもらいました。
それが嬉しくて、貴方に伝えたくなったのです」
本当に文香の言う通り、俺がアイドルや女優を文香へやらせたことが、
今の文香の地歩の、人生の、礎となっているのか。
そう信じられたら、そりゃあ俺だって悪い気分はしない。
ただ、なんだか、文香が俺に気を遣って、俺の功績を大袈裟に言ってる気がしなくもない。
そんな俺の内心を見通したのか、文香はさらに追撃を見舞ってきた。
「大学経由で貴方から連絡があって、それで返信を考えている時……
貴方が来てくれるか、来てくれないか……どうかなと思いながら、返事を書きました。
どちらでも構いませんでした。
来てくれないなら、御礼は私の自己満足ですから、一筆書いて済ませるつもりでした。
けれど、貴方は来てくださった。
それは貴方が、未だに私のことを、東京から長野まではるばるやってくるぐらい、気にかけてくださっているということ。
それは嬉しいのです……が、その『気にかける』というのが、
負い目とか、後ろめたさとか、おそらくそういう感情なんだろうと、
それを抱えて、貴方は長野にやってくるだろうと……そう思っていました」
鮮やかに、図星を指された。
こうまでピシャリとやられると、もう文香には敵わない気がしてくる。
文香の言い様が大袈裟だ……なんて疑問を差し挟むのが、くだらないと思えてくる。
アイドルだった頃は、俺の後ろをヒヨコみたいにくっついて歩いてたのに。
いつの間にか立派になって、俺より早く過去と向き合っていた。
「だから、そんな貴方に、15年間、申しそびれていた言葉を、改めて……
貴方の下でアイドルとして活動できたこと、本当に感謝しています」
文香の、目遣いが、首や手の角度が、吐息が、言い回しが、間が、伝えてくる。
女優であった頃の流儀を残しつつ、おそらく教壇の上でさらに磨かれた文香の所作が、伝えてくる。
文香の伝えんとする心を、俺に伝えてくる。
●
「さて、改めてお聞きいたします。
プロデューサーさんは……私をアイドルにしたこと、後悔していますか」
●
――あ……急な連絡すみません。美城プロのモバPです。
――先日伺った……例の映画で、宣伝に鷺沢を使えたら? という件です。
――昨日、長野に行って、久しぶりに鷺沢と話しました。残念ながら、断られてしまいました。
――顔色が悪い? 声もひどい?
――ああ、これは……ご心配されずに。ただの二日酔いです。
――鷺沢と会ったら昔話に花が咲いて、気分まで昔に戻って、
――つい若い頃の勢いで呑んだら、この有様ですから……。
(おしまい)
※『Bright Blue』歌:鷺沢文香(試聴)
https://www.youtube.com/watch?v=67bgK3LMkD4
CD好評発売中 みんな買おう聞こう!
あと先日募集していたjewelrysのカバーも何になるか楽しみですね
新年早々、文香Pのものすごく熱心な営業にほだされ、つい一本
書いてる途中、伝える力(性的な意味で)って電波が降りてきました
が、ほかで供給ありそうなんで無視しました
●過去作(文香) 今回とつながりはないですが、よろしければ
鷺沢文香「百薬の長でも草津の湯でも」
鷺沢文香「百薬の長でも草津の湯でも」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1426413589/)
文香「もしも美嘉さんが」志希「あたし達のおねえちゃんだったら!」
文香「もしも美嘉さんが」志希「あたし達のおねえちゃんだったら!」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1436714850/)
文香「包容力が欲しい?」志希「うん!」美嘉(えっ?)
文香「包容力が欲しい?」志希「うん!」美嘉(えっ?) - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1439724231/)
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