【アイマス】Venus (38)
モノローグ的な何か
元ネタあり
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『はい、秋月です。ただいま電話に出ることができません。ピーと鳴りましたらお名前とご用件をお願いします』
「ああ、律子?明日の収録のことで聞きたいことがあったんだけど……まあいいわ、事務所で聞くから」
事務所に向かう前に私たちのプロデューサー、秋月律子に電話を入れる。
別に急ぎでもなかったのだからメッセージを残さなくてもよかった気もするんだけど。
まあ、律子のことだから着信に気づいたら折り返すだろうし、その手間を省くためと思えば無駄じゃないでしょ。
その日の仕事も滞りなく終え、私はなんとなく歩きたくなった。
このところずっと忙しかったから気分転換をしたかったというのもあるけど。
風の向くまま気の向くまま、足に任せて事務所への帰路につく。
普段は通らないような裏道、その路地から幼い兄妹が駆け出してきた。
「じゃーねー」
「また明日―」
路地の奥から聞こえる元気な声。
目いっぱい手を振って声に応える兄妹。
何故だか優しい気持ちになれる光景だった。
気になって路地を覗くと、そこには黒いアスファルトをキャンパスに、不思議な世界が広がっていた。
白い線路の上を赤い電車が走る。
車窓からは笑顔の人々が手を振っている。
その周りに咲く黄色い花はヒマワリだろうか。
かと思えばそのすぐ横では怪獣が火を噴いている。
怪獣に立ち向かう青い巨人はロボットか何かだろう。
無秩序で野放図、この上なく雑然とした世界。
でもなぜか微笑みたくなるような無邪気な世界。
燃えるような夕日に照らされる路地には、そんな世界がチョークで描き出されていた。
私があの子たちくらいの時、こんなことできなかったわね。
国内有数の財閥の令嬢が、狭い路地裏で落書きに興じる。
そんなこと、考えもしなかったけど。
別に羨ましいわけでもないし、後悔があるわけでもない。
ただほんの少しだけ、もしもの世界を楽しんでみたくなった。
近所の友達と日が暮れるまで遊ぶ私。
次の約束は、また明日という言葉だけ。
泥だらけで遊んで、家で両親に怒られる。
飾り気のない、キラキラとした世界。
けれど、そんな空想も長くは続かなかった。
私は、今の私が好きだから。
騒々しくも頼もしい、夢を分かち合える仲間と出会えたから。
空想の中の私では、今にたどり着くことはできないから。
アイツがアメリカに行ってからどれくらい経っただろう。
--もっともっと、みんなの力になれる俺でありたいんだ
アイツはそう言って海を渡った。
そういえば、この1ヶ月くらい連絡がない。
この私を放っておくなんて、あのバカ、なってないんじゃないかしら。
竜宮小町のリーダーに抜擢されるまでの数ヶ月とはいえ、私のことを担当してたんじゃないの?
アイツがいなくなってから、不意に寂しさに襲われることがある。
でも、私から連絡なんて絶対にしてあげないんだから。
無駄な意地を張っている自覚はある。
でもこれは私が私に立てた誓いだから。
アイツの負担になるようなことだけは絶対にしない、そう決めたんだから。
そうか、だから律子の留守電にメッセージなんて残したのね
律子はプロデューサーだけどアイツじゃない。
アイツじゃないけど、同じプロデューサー。
私の誓いと無関係で、ほんの少し、アイツに近しいところがあるから。
滑稽。
まさにその言葉の通りだと思う。
自分で自分を縛りつけて、身動きが取れなくて。
一方で言い訳を探している。
ああ、アイツに会いたい。
声が聞きたい。
夢に出てくるだけでいい。
伊織は大丈夫だって、そう言って笑ってほしい。
でもこんなこと、口に出して言えるわけないじゃない。
アイツが担当になって最初の仕事、そのオーディションに私は落ちてしまった。
緊張と焦りからミスを連発してしまったことが原因。
完全に私のせい。
こんな結果になってごめんなさい、次こそ取り返すから。
分かっていても当時の私はそう素直に言うことができなかった。
アイツは怒りも落胆もせず、ただ前を見据えていた。
多分、私のことを信じてくれていたんだと思う。
それなのに、私はとんでもない悪態をついてしまった。
アンタ取ってくる仕事間違えたんじゃないの?
もっとこの伊織ちゃんにふさわしい仕事取ってきなさいよね。
プライドだけ一人前の、傲慢で高飛車な女。
その時の私は、即座に見限られてもおかしくなかった。
なのにアイツはまっすぐな目で語りかけてきた。
--間違っちゃいないさ。伊織は悔しいと思ってるだろ?
--失敗の原因を突き止めて、挽回しようと思ってるだろ?
--なら、何も間違っちゃいない
あんな理不尽を言われて、距離を置こうとしない大人は初めてだった。
水瀬の名前に媚を売るか、扱いづらいと触れないようにするか。
周りの大人はそのどちらかだったから。
なのにアイツは、言えなかった私の本心を汲み取ってくれた。
信じられる大人なんだって、ようやく気付くことができた。
だから少しだけ素直になれて、ごめんなさいとありがとうが言えた。
もっとも、蚊の泣くような声だったせいかアイツには届かなかったみたいだけど。
--成功も失敗も、不安も喜びも、全部自分の糧にすればいい
--無駄なことなんて何一つないんだから
--大丈夫、伊織ならできるさ
--トップアイドルとして、伊織だけの輝きを放つことができる
--一度きりのアイドル人生、立ち止まってちゃもったいないぞ
あの時のアイツの言葉は今でも鮮明に覚えてる。
私のアイドルにしてくれた言葉だから。
竜宮小町のリーダーに抜擢されて、それなりに忙しくなって。
私とアイツの接点は以前ほど多くはなくなっていった。
ねえ、喉が渇いたわ、なんかないの?
久々に事務所で顔を合わせて、いきなりそんなことを言ったのに。
アイツは嫌な顔一つせずにいつもの飲み物を用意してくれた。
俺も休憩だ、なんて言って私の向かいのソファーに腰かけながら。
アイツは私に何も言わなかった。
バレてたんだと思う。
私が悩んでいたことも、思わず甘えてしまったことも。
固くなっていた心が少しだけほぐれて、独り言のように愚痴をこぼす。
リーダーとして何をすればいいのか。
リーダーはどうあるべきなのか。
私にはあずさみたいな包容力はないし、亜美みたいなパワーもない。
春香みたいに、みんなの重心になることもできない。
……春香はすごい。
みんなが思い思いに動いているのに、春香だけはみんなから見える位置にいる。
春香が見えるならみんなとつながっているって信じられる。
私には真似できない。
私にできるのは、全力で先頭を走る姿を見せること。
そうしてみんなを引っ張っていくこと。
そう思って、リーダーとしてやってきた。
でも時々言われてしまう。
もっと周りを見て、もっと周りに気を遣いなさいって。
私なりに一生懸命頑張っているだけなのに。
じゃあ私に気を遣ってくれるのは誰なのよ。
パソコンの画面とにらめっこしたり、本を読んだり。
リーダーとはなんなのか調べてもみた。
でも、そんなものの中に答えは入っていなかった。
アイツは、聞いているのかいないのかわからない顔でコーヒーを飲んでいたっけ。
いつでも相談に乗れるように、独り言として聞き流せるように。
私はそれが無性に嬉しかった。
--竜宮のプロデューサーは律子だけど
--俺はいつでもみんなのプロデューサーだからな
アイツは答えの代わりにそんな言葉をくれた。
悩みながら自分で解決しろ、伊織ならできるだろ。
そう言われているようだった。
事務所に着いてからもずっと考え事をしていたせいか、気づいた時には外は真っ暗になっていた。
明日の午前中はオフだから、のんびり帰ることにしよう。
たまには電車で帰るのもいいかもしれない。
少しだけ、いつもと違うことがしたかった。
最寄駅について時刻表を確認すると、次の電車が最終だった。
どれだけの間考え事をしていたんだろう。
乗り込んだ車両には普段見ることのない人々がいた。
くたびれたスーツの男性、疲れて寝ているOL、酔っているらしい数人の学生。
少し離れた席に腰かけると、その上の網棚に漫画が取り残されていた。
何の気なしに手に取り、ページをめくる。
単身赴任で汗を流す夫。
家に残り子どもを育てる妻。
夫は朝早く出て夜遅く帰る生活で、妻に気を遣って電話もできない。
妻はそんな夫に気を遣って、休日に連絡を取ることができない。
そんな日々が。
確かにあったはずの愛情と信頼を削り取っていく。
話はそこで終わっていた。
特別なことは何もない、よくある話なのに。
なぜか涙が零れていた。
話がハッピーエンドになることを切に願った。
電車を降り、新堂に迎えを頼む。
流石にこれだけ遅くなると歩いて帰る気にはなれなかった。
ほどなく到着した車に乗り込むと、今日一日のことが何となく思い返される。
自分でも驚くほど、取り留めなく思考が飛んでいた。
……グゥゥ
思わず顔を上げる。
車内には新堂しかいないから、聞かれたとしても大したことはないんだけど。
それでもやっぱり恥ずかしい。
そういえばお昼を食べてから何も口にしていなかった。
そんなにも考え事に没頭していたなんて。
それもこれも、全部アイツが悪いのよ。
私を放ったらかしになんてするから。
何か食べたい、とは思うのだけど。
何となく一人で食事をする気にはなれなかった。
そういうのではなく、温かい食事が欲しかった。
いつかみんなで行ったやよいの家での食事のような。
そうだ、明日やよいに聞いてみよう。
かすみや長介、みんなと遊んで、みんなで料理して、みんなで食卓を囲んで。
仲間のみんなもできるだけ誘って、楽しくご飯を食べよう。
特別な何かじゃなく、当たり前の何か。
それが心を温めてくれる。
何となく気持ちが軽くなった私は、気づくと眠りに落ちていた。
一期一会。
最近、この言葉の意味が分かってきたような気がする。
竜宮小町はトップアイドルに名を連ねるほど有名になった。
各地のライブを追いかけてくれる熱心なファンも多数いるようだ。
でも、まったく同じライブなんて存在しない。
観に来てくれるファンも、支えてくれるスタッフも、全部が一緒なんてことはありえない。
もちろん、私たちも昨日と同じ私たちじゃない。
だからステージでは、一生に一度しかないものとして全力を届けてきた。
全力を出し切った後、ふと涙が零れることがある。
達成感とか充実感とか、言葉にできない何かが溢れてしまう。
そんな時に気づくのだ。
アイドル水瀬伊織は幸せなのだと。
私たちのステージで会場が一つになって。
交わることがなかったかもしれないファンのみんなの人生が交差して。
感動も興奮も、みんなで共有して。
そのきっかけが私たちだなんて!!
でも時々不安を覚える。
いつかこの気持ちにも慣れてしまうんじゃないかって。
キラキラと輝くステージに立つことを、当たり前に感じるようになってしまうんじゃないかって。
ファンへの感謝を忘れてしまうんじゃないかって。
もし。
もしそんな風になってしまうのなら。
その前にアイドルを辞めるべきなんじゃないだろうか。
でも私は。
それでも私は。
アイドルであり続けたい。
私一人では迷うこともあるかもしれないけど。
私には仲間がいるから。
私には、アイツがいるから。
私はアイツを、大人として信頼しているのだろうか。
私はアイツを、男性として意識しているのだろうか。
多分どっちも間違いじゃない。
アイツのお陰で私はここまで来れた。
アイツのお陰で私はこれからも前に進める。
不安も、後悔も、喜びも、悲しみも、希望も、決意も。
そのすべてが無駄にはなっていない。
アイツが魂を入れてくれた、アイドル水瀬伊織の糧となっている。
だから私は目指すことができる。
輝きの向こう側を。
後はアイツに直接確かめればいいだけ。
アイドルとしての私。
アイドルじゃない私。
一回こっきりのそれぞれの人生に、アイツがどう関わってくるのかを。
アイツに会えば、答えはきっと出るから。
それまでは、待っておいてあげる。
「覚悟しておきなさいよね、にひひっ」
今回のモチーフ
トータス松本 『明星』
https://www.youtube.com/watch?v=4PmZji52mZE
<了>
明星聞いてたら伊織の顔が浮かんだので
明星→金星→ヴィーナス→女神=伊織だから問題ないはず
……楽曲とのクロスってこんなのでいいんだろうか
依頼してきま
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