咲「部長だーいすき!!」久「はあ…」 (293)

まこ「よし!ちょっと休憩じゃ」

優希「はー、疲れたじぇ…」

咲「染谷先輩が部長になってから結構スパルタだよね。もう喉がカラカラだよ~」

和「咲さん、良かったらこれ飲みますか?」

咲「ありがとう和ちゃん」

和「いえ」キラーン

和から受け取ったドリンクをごくごくと飲み干す咲。

その時和の眼光が鋭く光ったのには誰も気づかなかった。

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優希「でも今日のメニューはさすがにキツイじょ」

まこ「近々練習試合があるからな」

優希「それにしたって、メニューが殺人的って言うか…」

二人の会話を聞きながらぼうっとしていた咲だったが。

ふいにぐらりと眩暈を感じて頭を軽く振った。

まこ「咲?具合でも悪いんか?」

咲「ん……だいじょ……ぶ……で……」グラッ

優希「咲ちゃん!?」

咲「……っ」バタッ


優希「咲ちゃーーーーん!!!」

まこ「咲ーーーーーーー!!!」


2人の叫び声が部室に響き渡った。


***

咲「ん……」

ひんやりとした感触に咲の意識が浮上する。

ぼんやりと目を開けると、柔らかな手が自分の額から離れていくところだった。

その手をぼうっとたどっていくと。

久「起きた…?」

傍らに立っていたのは久だった。

ツンとした消毒液の独特な匂いが咲の鼻を霞めて、ここが保健室だと理解する。

次いで再び久を見る。

久「久々に部を覗いたら、咲が倒れて皆が騒いでたんでビックリしたわ」

咲「………」

久「ん?どうしたの?」

咲「………」

じいっと見つめてくるだけの咲を不審に思った久が顔を覗き込む。

再度額に手を当ててみるが、特に異常は感じられない。

久「熱、はないようね。まだ気分が悪いの?」

咲「…………」

久「咲?どうしたのよ?」

尚もじっと見つめてくる咲に久は眉を顰める。

すると、咲が投げ出していた腕をスッと久に向けて伸ばした。

咲「部長……」

久「ん?部長はもうまこでしょ……って、何?」

何か言いたいことがあるのか、と久は腰を折って咲に顔を近づける。

咲は近づいてきた久の顔をがしっと掴むと。

久「な…っ!?」

グイッと力任せに自分の方に引き寄せた。

久「っ!!?」


丁度その時。

保健室のドアが開いて和が姿を現した。

和「うふふ。咲さん、そろそろ目を覚まし……」

入ってきた和は目を見開いた。

何しろベッドに横たわる咲に久が覆いかぶさって、

それはそれは熱い口づけを交わしているところだったのだから。


和「いやあああああああああああ!!!!!」


和は保健室に飛びこむと光の速さで咲と久を引き離した。

和「何やってるんですか部長ーーーー!!」

こちらを射殺すような目つきで睨みつけてくる和に、

久は我にかえって必死に弁解した。

久「ち、違うわよ!!私じゃない、咲が急に!!」

和「何が違うんですか!!明らかに部長が咲さんを襲ってたじゃないですか!!」

久「襲うか!!」

吠える久を和はキっと睨みつける。

久「もう、誤解だって!!それに部長はもうまこでしょ!!」

和「いくら咲さんが可愛いからって寝込みを襲うなんてSOA!!」

久「だから私は何もしてないってば!!むしろされた方だっての!!」

和「そんなの誰が信じますか!!」

激しく口論する和と久だったが。

今まで大人しくしていた咲がぼそりと呟いた。


咲「和ちゃん。離して」


抱きしめる和の腕を拒否するように、咲がぐいぐいと腕を突っ張る。

その様子に和は首を傾げつつ抱きしめる腕を緩めると、咲は眉を顰めて和を睨んだ。


咲「もう。せっかく部長とキスしてたのに。邪魔しないでよ」


久「……………」

和「……………」

咲の発言に、久と和は動きを止めた。

和「さ、咲さん?今何て……?」

聞き間違いかもしれない、と咲に尋ねる。

すると咲は眉を顰めたまま和にはっきりと言った。


咲「私と部長のキスを邪魔しないでって言ったの」


久「…………」

和「…………」


和は言葉を失った。

ポカンと口を開け、目が点になる。


中々離れてくれない和に焦れた咲がついに行動に出た。

咲は和の身体をぐいぐいと押しのけると、ベッドを降りてぎゅっと久の腰に抱きついた。


久「は!?」

和「」

咲「ぶちょー、ぶちょー」ギュッ

久「な、なんなのよ咲!」

突然咲に抱きつかれて久はオロオロと両手を彷徨わせる。

和は悲しげな顔で咲を見つめた。

和「咲さん……どうして……」

咲「そんなの部長が好きだからに決まってるじゃない」

ぎゅうっと久に抱きつく力を強める咲。

もう久はどうしていいかわからない。

咲「好きです部長。大好きです。愛してます」

久「ど、どどどどどうしたのよ咲!?何か変なものでも食べたの!?」

その久の言葉に和ははた、と気付いた。


和「……!!!!」

和「そ、そんな……、あの薬の効果は『飲ませた人を好きになる』だったはずじゃ……」

ぼそりと呟かれた、聞き捨てならない和の言葉。

久「和!?いったいどういうことなのよ!!」

久の叫びも耳に入らない様子で和はごそごそとカバンを漁ると、

レシピを入れたA4のクリアファイルを取り出して内容を確認する。

和「この惚れ薬は『飲んだ人が一度深い眠りに落ちて、次に目が覚めた時に一番最初に見た人を好きになる』……」

久「!!?」

和「あ……ああ……っ」

がくり、と膝をつく和。

咲「部長。好きです。大好きです」

久「や、止めなさいって咲!離れて!!」

咲「もう。そんなつれないこと言わないでください」

咲は久の身体にまとわりつき、うっとりと久の顔を見つめている。

久「ねえ和……この状態は一体いつまで続くのよ……」

ふと不安になった久は恐る恐る和に尋ねる。

和「……効果には個人差があり、長いものだと1ヶ月続く、だそうです……」

久「一ヶ月!!?」

久が思わず声を上げる。

すると咲がキリッとした表情で久を見上げた。

咲「大丈夫です。部長」

久「咲……?」

咲「1ヶ月と言わず、一生ベタベタします」

久「何いってるのよー!!ちょっと和、助けなさい!!」

和「咲さん、部長になんて触っていたら手が汚れるから離れてください」

久「おいこら」

和「私にならいくらでも触ってくれていいですよ」

咲「イヤ。私は部長一筋なんだから」

和「」

咲の拒絶にショックを受け再び凍りつく和。

和にきっぱりと言い放つと、咲は久を真剣な眼差しで見つめる。

咲「安心してください。私には部長だけですから」

久「いやいやいや」


とんだ騒ぎの中、まこと優希が保健室に現れた。

まこ「おい、そろそろ門が閉まるぞ」

優希「お腹すいたしさっさと帰るじぇー」

2人は保健室の入り口から声をかける。

だが。


咲「部長愛してます。結婚してください」

久「あなたまだ15歳でしょ!ってすりすりするのをやめなさい!」

和「うう咲さん、私にもすりすりしてください……」

バタバタと逃げる久、それを追う咲。

そんな二人を見てハンカチを噛みしめる和。

まこ「………」

優希「………」

まったく状況が掴めない優希はもさもさと食べていたタコスをポトリと落としてしまい、

まこはただただ目を見開く。

久「咲!いい加減にしなさい!!」

咲「イヤです。部長がうんと言ってくれるまで私は諦めません!!」

まこ「……何の騒ぎじゃ……?」


久「誰かこの子何とかしてー!!!!」


まこのつぶやきは、久の叫びにかき消された。

つづく

書き溜めてないので投下ペースはかなり遅いですが
気長にお付き合いいただけると嬉しいです


***

すがすがしい朝。

玄関のドアを開けて、早朝の少しひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込む。

咲「おはようございます。部長」

久「…………」

直後に久の気分は一気に急降下した。

久「……咲……何をしているの……?」

先ほど吸い込んだばかりの空気をどんよりした溜息に変えて、

門扉の前に立つ咲に尋ねた。

咲「部長を迎えに来ました。一緒に学校に行きましょう」

久「…………」

にっこりと、今まで見せたことのない笑顔を浮かべる咲。

久(あ。これはまだ続いてるのね……)

昨日、和特製惚れ薬を飲んで久大好き人間になってしまった咲。

もしかしたら一晩経てば効果が消えているかもしれないと期待を抱いていたが、

その考えは脆くも崩れ去った。

久「…………」

ちらりと咲を見る。

ニコニコと見上げてくる朱色の瞳。

もともと表情の変化が乏しい咲が、ここまで愛想をふりまくのは珍しい。

正確には惚れ薬のせいなのだが。

久「………はあ」

本日すでに2度目の溜息をつくと、咲の横をすり抜けて歩き出した。

咲「あ。待ってください部長」

慌てて後を追いかける咲。

かまわず久はずんずんと早歩きで学校へと向かう。

咲は小走りになりながら久に追いつくと話しかけてきた。

咲「ね、部長。数学の課題なんですけど、あとで見てもらってもいいですか?」

久「何で私が……」

咲「そんなこと言わないでください」

ぎゅっと久の腕に自分の腕を絡める咲。

久「こら、咲。離れなさい」

咲「嫌です。部長にくっついてないと死んじゃいます」

久「バカなことを言わないで」

咲「バカじゃありません。本当です」

そう言うと咲はますます久にぎゅうっと抱きつく。

咲「部長に触ってないと不安でいてもたってもいられないんです」

久「そんなこと言われても歩きにくいでしょう」

咲「部長は私が死んじゃってもいいんですか?」

久「別にいいわよ」

咲「ひどいです!でもそんな冷たい部長も好きです!」


久「誰かこの子何とかしてー!!」


通学路に、久の心からの叫びが木霊した。


***

学校に近づいてくると、ちらほらと生徒の姿が増えてくる。

まこはその中に久の姿を見つけて声をかけた。

まこ「おはよう久……と、咲?」

近づくと同時に、久の傍らに咲の姿も見つける。

久「……おはよう……」

咲「おはようございます。染谷部長」

咲は久の腕に抱きつくように腕を絡めている。

それを見た瞬間、まこは全てを理解した。

まこ「……1日じゃ治らんかったみたいじゃな」

久「……ええ」

こそっとまこは久に耳打ちする。

久の顔は朝だというのにすでに疲弊の色が濃く現れていた。

ここに来るまでに何かしらの一悶着があったのだろう。

まこはご愁傷様、と内心呟きつつ、咲に向き直った。

まこ「……で、もしかして咲は久を迎えに行ってたんか?」

咲の家は久とは反対方向だったはず。

まこが尋ねると、咲は胸を張って答えた。

咲「はい、もちろんです。毎日の送迎は恋人としての義務ですから」

まこ「恋人!もう恋人に昇格したんか」

久「そんなものになった覚えはないわよ!」

勝手なことを言うなと久が声を荒げる。

そこへ和と優希も合流した。

和「おはようございます咲さん」

優希「部長たちおはようだじぇー」

久「……おはよう」

咲「おはよう。和ちゃんに優希ちゃん」

和「……部長。まだ咲さんにベタベタしてるんですか」

和は久とくっついている咲を見て片眉を上げる。

その言葉に久が眉間に皺をよせる。

久「好きでベタベタしているわけじゃないわよ」

咲「私は好きすぎてベタベタしてます」

和「恨めし……いや羨ましい……私も咲さんにベタベタされたいです」

久「誰のせいだと思ってるのよ和……」

まこ「じゃあわしはもう行くから」

優希「私もだじぇ」

にらみ合う和と久のやりとりに優希とまこは乾いた笑いを零し、

そそくさと学校に向けて歩き出した。

つづく

放課後。

久「まこ、用事って何よ」

まこ「わざわざすまんの。週末の練習試合のことで相談したいことがあるんじゃ」

久「ああ、なるほどね」





まことの打ち合わせが終わったのは1時間経った頃だった。

日はとっぷりと暮れ、すでに他の部員は帰ってしまっていた。

二人は部室の鍵を職員室に返すと校舎を出た。

校庭を横切って校門に向かおうと歩きだすが。

咲「お二人ともお疲れさまです」

門柱のところに立っていた咲が、

二人の姿を見つけるとトコトコと駆け寄ってくる。

まこ「咲、どうしたんじゃ?こんなところで」

咲「部長を待ってま した」

まこ「こんなところで待ってたんか?」

まこの問いに、胸を張って答える咲。

二人は驚いた。

昼間は暖かくても日が暮れると肌寒く、冷たい風が吹き始めていたのだ。

そんな中寒い外で待っていた咲に久は眉を顰めた。

咲「一緒に帰りたかったんです」

久「週末は練習試合なのよ。風邪でも引いたらどうするのよ」

咲「大丈夫です。カーデガンも着てますし」

久ははぁと肩を落とし、まこはしょうがないなと言う風に咲に近づいた。

咲の頬に触れると冷たい外気の中に長時間居たせいか氷のように冷たくなっていた。

まこ「こんなに顔を冷やして…なぁ久」

久「何よ」

まこ「おんしはコイビトを寒空 の下で待たせるようなクズだったんか?」

久「誰がコイビトよ!誰が」

まこの言葉に久が吠える。

まこはそれを物ともせずにニコニコと微笑んでみせた。

久(まこめ、絶対面白がってるわね…!)

まこ「さあ帰ろうか咲。今日はもう遅いから、久が送ってくれるそうじゃ」

咲「!!ほんとですか!?」

まこの言葉に、咲がぱあっと目を輝かせて久を見る。

その言葉に久は慌てた。

久「ちょっとまこ!勝手に決めないでよ!」

まこ「当然のことじゃろう。暗い夜の帰り道に大切なコイビトに何かあったら大変じゃ」

咲「たっ、大切だなんて…ぶちょー!そんな…っ」

久「私は一言もそんなこと言ってな いわよ…」

まこ「とにかく、きちんと咲を送っていきんさい。じゃないと勝手に付きまとわれるぞ」

久「……分かったわよ」

久は溜息をつきながら、観念して頷いた。

まこ「じゃあ咲。また明日な」

咲「はい。さようなら、染谷部長」

去っていくまこを見送る咲。

久も同様にまこを見送っていたが、しばらくして踵を返して歩き始めた。

久「じゃあ咲、行くわよ」

咲「あ。待ってください部長」

先に歩き出した久の背を、咲が慌てて追いかける。

朝と同じように、少し小走りになりながら久の横に並んだ。

咲「週末の試合、部長も人数合わせのため出てくれるんですよね?」

久「ええ」

咲「また 部長と一緒に打てるなんて嬉しいです!一緒に頑張りましょうね」

久「…ええ」

しばらく歩くとコンビニの前に差し掛かる。

久はふとコンビニの方に視線を移すと、何かを見つけてそちらに向けて歩き出した。

咲も後を追いかける。

久が向かった先は、コンビニの前の自販機が数台並んでいるコーナーだった。

久はその自販機の前に立つと、お金を入れて目的の商品のボタンを押す。

取り出し口からあたたかいココアを取り出すと。

久「はい」

咲に向かって差し出した。

咲「え…?」

ぱちくりと目を瞬かせて、久とココアの缶を交互に見る。

咲「私に…ですか?」

久「他に誰がいるのよ」

咲の問いかけに、久は眉を顰める。

だが咲は一向に久の手からココアを受け取ろうとしない。

咲「部長が、私に…?」

久「いらないの?いらないのなら捨てるわよ」

久はそう言いながら視線を自販機の横のゴミ箱に移す。

それに気付いた咲は、慌ててココアを差し出す久の手に飛びついた。

咲「い、いえ、いります!欲しいです。いただきます!」

久「…はい」

久の手からココアを受け取る。

ほこほことまだ温かいそれは、咲の冷えた手をじんわりと温めた。

嬉しい。

朝からずっと迷惑がられてばかりだったから、

こうして優しくしてくれたのがたまらなく嬉しかった。

咲「部長」

久「なに?」

咲「ありがとうございます」

ココアを手にお礼を言う。

久は一度だけ咲の方を見て、すぐに視線をそらした。

久「私のせいで風邪でも引かれたら困るし…ね」

咲「このココア、家宝にしますね」

久「大袈裟なのよ」

そっぽを向いたまま歩き出す久の頬はほんのりと赤くなっていた。

咲は小さく笑って久の背を追いかける。

追いついた咲が久の横に並ぶ。

朝と違って、咲が小走りになることはなかった。


***

つづく

数日後。

清澄高校麻雀部はこの日練習試合の為、白糸台高校を訪れていた。


誠子「部長の亦野です。今日はわざわざおいでくださってありがとうございます」

久「こちらこそ、練習試合の申し出を受けてくれてありがとう」

まこ「今日はよろしゅう頼みます」

誠子「はい。ところで竹井さんはもう引退されたんじゃ…」

まこ「うちは4人しか部員がいないんで、人数あわせの為に久にも来てもらったんです」

誠子「そうでしたか。それでは部室に案内します」


誠子の案内で、久たちは麻雀部の部室へと赴いた。

そこにはすでに白糸台麻雀部のレギュラーたちが勢ぞろいしていた。

淡「…ちょっと」

咲「えっ?」

急に声をかけられた咲はきょとんとして淡を見つめる。

淡「こないだの団体戦では負けてあげたけど、あれは本調子じゃなかったんだからね」

咲「は、はぁ…」

淡「だいたいあんたみたいなのがテルーの妹なんて、私は絶対に認めないんだから!」

和「なっ、咲さんに向かって失礼極まりない…!」

まこ「和」

思わず一歩前に踏み出した和を、まこが声で制する。

和「でも!」

まこ「試合前じゃ」

和「……っ」

和は何か言いたそうにまこを見たが、不服そうに踏み出した足を引いた。

するとそれを尻目に、今度は淡が咲の腕を掴んだ。

尭深「淡ちゃん!?」

和「なっ!!」

これには清澄サイドも、白糸台サイドも驚く。

淡「それにしてもほっそい腕だね。あんた、ちゃんと食べてんの?」

咲「あ、あの…離して…」

そのとき咲の腕を掴む淡の手首を、横から伸びてきた別の手が掴んだ。

淡「!!」

久「……悪いけど」

掴まれた手首の先では、

久が瞳を鋭く細めて淡を睨みつけていた。

久「うちの部員に気安く触らないでもらえるかしら」

淡「…あんた3年生でしょ。まだ引退してなかったの?」

久「今日は試合の為の人数あわせで参加してるだけよ」

淡「ふうん」

淡はそう言うと咲の手をパッと離した。

それを見届けて、久も淡から手を離す。

睨み合う久と淡。

一触即発の空気が辺りを包む。

淡「…あはっ」

その空気を破ったのは淡の零した笑い声だった。

淡「ま、せいぜい楽しませてよ。清澄」

和「吠え面かかせてやりますよ」

和が淡を睨みながら言う。

淡はそれを見て再度笑った。

優希「咲ちゃん大丈夫か?」

優希が咲の顔を覗き込む。

咲は先ほどからずっと俯いたまま微動だにしない。

まこ「咲?」

和「咲さん?」

俯いたまま何も言わない咲を皆心配する。

咲「……が……て…」

まこ「……咲?」

ぽつりと咲が何か呟いたのが聞こえて、まこは再度呼びかける。

すると。


咲「部長が……私を庇ってくれた……」


まこ「へ?」

久「……………」

ギギギ、と久が強張った顔で咲に振り向いた。

そんな久を、咲はキラキラした顔でうっとりと見つめる。

咲「部長が……”私の咲に触らないで”なんて……っ」

久「ちょ!誰もそんなこと言ってないわよ!勝手にセリフ変えないで!」

咲「ああ…もう私死んでもいいっ」

和「死んじゃダメですよ咲さん!!」

咲「はっ!そうだよね…死んじゃダメだよ。この喜びを1週間ぐらい噛みしめないと!!」

久「そういうことじゃないのよ!!」

咲「さっきの部長、すっごくかっこよかったです!もうあの場で抱かれたい気分でした。いえ、むしろ抱いてください!!」

久「妙なことを大声で言わないの!!」

咲「部長ほんとにかっこよすぎです。大好きです。惚れ直しました!!」

久「誰かこの子何とかしてーーーー!!」


がばりと抱きつく咲を引きはがそうとしながら久が叫ぶ。

突然のことについていけない白糸台サイドは、戸惑いながら恐る恐る声をかけた。

まこ「わしらなりのチームワークの証じゃ。気にせんでくれ」

誠子「は、はあ」

にこりと微笑んで言うまこに、誠子は何も言えなくなる。

まこ「それじゃあ始めるとしましょうか」



咲は張り切っていた。

久々に久とともに戦える事に加え、

愛する久が自分を庇ってくれた喜びが咲のやる気を最大限に増幅させていた。


咲「ツモ!嶺上開花」

咲「ロン!18000」

咲「ツモ!4000 2000」

咲「嶺上開花。32000です」


淡「」

誠子「あ、あの……」

まこ「わしらなりのチームワークの証じゃ。気にせんでくれ」

誠子「は、はあ」

にこりと微笑んで言うまこに、誠子は何も言えなくなる。

まこ「それじゃあ始めるとしましょうか」



咲は張り切っていた。

久々に久とともに戦える事に加え、

愛する久が自分を庇ってくれた喜びが咲のやる気を最大限に増幅させていた。


咲「ツモ!嶺上開花」

咲「ロン!18000」

咲「ツモ!4000 2000」

咲「嶺上開花。32000です」


淡「」


***


淡「さーき!」


練習試合終了後。

淡は咲の肩に腕を回すと、自分の傍に引き寄せた。

咲「大星さん?」

淡「あんた最高にイケてんじゃん!!何でインハイでは手加減してたのよ?」

咲「えっ?べつに手加減してたわけじゃ…」

淡「ここまでコテンパンにされると逆にすかっとするよ!あんたやっぱりテルーの妹だね!」

咲「はぁ、どうも」

淡「咲のおかげで今日は最高に楽しかったよ」

そう言うと、淡は咲に顔を近づけ。

ちゅっ。

咲「!!」

頬に軽くキスをした。

和「」

久「な、何してるのよ!!」

硬直してしまった和を置いて、

久は淡に吠えながら咲を淡から引き離す。

突然怒り出した久を淡は不思議そうに見やった。

淡「何って、こんなのただのスキンシップでしょ?」

なんでもない風に言ってのける淡を、久はギロリと睨みつける。

淡「そんな睨むほどのことじゃないでしょ?…ああ、それとも妬いてんの?」

久「そ、そんなわけないでしょ!!」

ニヤリと笑う淡に、久が再度吠える。

その様子を見て淡は笑みを深めた。

誠子「おい淡!何やってんだ、片付け手伝え」

淡「はーい」

淡は答えると、再度咲に向き直った。

咲は目をぱちくりと瞬かせて淡を見ている。

淡「じゃあね、咲」

再び淡は咲に顔を近づける。

だが今度は近づく前に、咲と淡の間に久が割り込んで入り

咲を背中に隠してしまった。

淡「………」

淡は一瞬久を睨んだが、すぐに肩を竦める。

それからひらひらと手を振って去って行った。

遠ざかっていく淡の背中を咲はぼうっと見つめる。

久「……咲」

ふいに不機嫌そうな久の声が響いてそちらに目を向けると。

声と同じく不機嫌な顔をした久が、咲を見つめていた。

久「何を呆けているのよ。そんなんだからその隙に突け入れられるのよ」

咲「……」

久「もう少し警戒心や危機感を持たないと。ましてや相手は他校のライバルなんだから」

咲「……」

久「全く、咲は気を抜きすぎよ」

咲「部長」

久「なによ」

咲「もしかして、ヤキモチやいてくれてたりします?」

久「…っ!!」

咲の言葉に、久はあからさまに動揺する。

久「ななな、なに言ってるのよ!!」

咲「安心してください。私は部長一筋ですから!」

久「ち、ちが…っ」


久「だから違うって言ってるでしょー!!」


きっぱりと言い切る咲に、久は今日一番の声を大にして言った。

つづく


***


午前7時半。

いつものように久が家を出ると、いつものように門扉のところに咲が立っていた。


咲「おはようございます。部長」

久「おはよう」


咲が和の惚れ薬を飲んで、久を好きになってから今日でちょうど一か月。

その効果は消えることなく、咲は毎朝大好きな久の家に迎えに来ていた。

慣れとは怖いもので、ここ最近では一緒に登校するのが最早通例となってしまっていた。

通学路を並んで歩きながら咲は久を見上げて言った。

咲「あの、部長。映画に行きませんか?」

久「へ?」

咲「私、見たい映画があるんです。本屋さんでもらった映画館の割引券あるんで一緒に行きましょう」

咲はそう言うと、カバンから2枚の割引券を取り出した。

その映画は今テレビで大々的に紹介されている映画で、

3Dを駆使した映像が素晴らしいと各方面から絶賛されているものだった。

久「…二人で行くの?」

咲「決まってるじゃないですか!デートです!」

久「でででデートっ!?」

咲「はい。そろそろお付き合いを初めて1ヶ月ですし、その記念にと思って」

咲の嬉々とした言葉に、久はため息をついて答える。

久「…何度も言うけど、私はあなたと恋人になった覚えはないわよ」

咲「そんな。私、こんなに毎日部長に愛を囁いてるのに。これを恋人と言わずしてなんと言うんですか」

久「咲が勝手に言ってるだけでしょ。とにかく私は受験勉強で忙しいから無理よ」

久はそう言うと歩くスピードを速め、1人でスタスタと歩いて行ってしまった。

咲「……部長」

和「おはようございます、咲さん」

がっかりと咲が肩を落としていると、後ろから和に声をかけられる。

咲「和ちゃん…おはよう」

浮かない顔をしている咲に和は首をかしげる。

和「どうかしたんですか?」

咲「…うん、部長をデートに誘ったんだけど…」

和「さささささ咲さんがデートのお誘いっ!!?」

咲の言葉に、和の顔が驚愕の色に染まる。

同時になんて羨ましいことを!とギリッと奥歯を噛みしめた。

咲「でも断られちゃった…部長と見たい映画があったんだけど…」

そう言って、しょぼんと頭を垂れる咲。

すると和はさっきの恨めしい顔から一転、チャンス!とばかりに即座に咲の手をぎゅっと握った。

和「で、では私と行きましょう!」

咲「イヤ」

和「即答ですか!」

咲「私は部長と行きたいの」

和「でも部長は行かないって言ったんですよね」

咲「…、うん」

和「咲さん、その映画見たいって前も言ってましたよね」

咲「うん……」

まだ手に持っていた割引券を目敏く指差されて、咲はこくりと頷く。

眉を下げてそれはそれは残念そうに俯いた。

そんな咲に、和は強かに揺さぶりをかける。

和「それ、かなり面白いらしいですよ」

咲「!ほんとに?」

和「はい。映画館で見たほうが迫力があって、絶対いいと思います」

咲「…………」

和「行きましょう咲さん。私がお供します」

極上の笑みを浮かべて和が言った。

確実に咲の心は揺れている。

咲「……でも……」

和「せっかく券があるのに行かないなんて勿体無いです。部長、あの様子じゃ一緒に行ってくれそうにありませんよ?」

ちらっと和が久の方を見やると、もうかなり遠くの方まで歩いて行ってしまっていた。

咲もそれを見て、次に和と割引券を交互に見た。

和「ねえ?咲さん」

咲「…………」

できれば久とこの映画を見に行きたい。

でも久は一緒に映画に行ってくれそうにない。

だがそこで一緒に行きたい久が行ってくれないからと言って、

すぐに和と行くことを決めるのは何だか後ろめたい気持ちになる。

どうしよう。

咲が思い悩んでいると、そこに和とは違う、もう一つ別の影が咲の手元に落ちた。

久「…何をしているの」

咲「!部長?」

降って来た声に驚いて咲が顔を上げると、そこにはもうかなり遠くまで歩いて行ったはずの久が立っていた。

和はあからさまにイヤそうな顔をして久を見やる。

和「何の用ですか?今私たち放課後に映画行く約束をしてたんですけど」

咲「の、和ちゃん!!」

久「………」

和の言葉に咲は慌てる。

すると久は少し眉を顰めて咲を見下ろした。

咲「あ、あの。私これ、どうしても見たくて。でも部長が行かないなら私も我慢しようと思ってたんですけど」

咲「和ちゃんが一緒に行こうって言ってくれて、面白いって言うから、私どうしても見たくて……」

咲は必死に説明するが、上手く言葉が出てこない。

一瞬だが和に心が揺れてしまったことが、咲の後ろめたい気持ちを増長させた。

そのうち久の顔を見れなくなり、ついには俯いてしまう。

するとそんな咲に、思いもよらない言葉が降って来た。

久「寄越しなさい」

咲「え?」

久の言葉に、咲は俯いていた顔を弾き上げた。

久は咲に向かって手を突き出していた。

久「割引券は二枚あるんでしょ。一枚寄越しなさい」

咲「え、でも……部長、行かないって……」

久「いいから」

ずいっと、もう一度手のひらを突き出してくる。

咲はその手と久を交互に見て、信じられないという表情をした。

咲「一緒に行ってくれるんですか?」

久「ええ。でもデートというわけではないから。そこの所勘違いしないでちょうだい」

咲「~~~ぶちょー!!」

感極まった咲は突き出された久の腕に抱きついた。

咲「初デートですね。部長」

久「だから!」

咲「楽しみにしてます」

久「……………」

久は口ごもる。

チケットを握りしめ、嬉しそうにしている咲にこれ以上何を言っても無駄だと悟ったからだ。

1人歩き出す久を咲が慌てて追いかけた。


和「ぐすん……咲さん……」


完全に忘れ去られた和の背中が哀愁を漂わせていた。


***

夕方。

様々なショップが立ち並ぶ商業ビルの一画にある映画館のロビーは

上映終了と共に多くのお客さんで混雑していた。

いい時間なので、このまま更に上階にあるレストランフロアへ向かう人が多い。

同じく映画を見終えた咲と久は、そちらに用はないので

幸運にも空いている階下へ降りるエスカレーターへ乗った。

咲「すごい迫力でしたね。映画館で見れて良かったです」

映画の興奮冷めやらぬ咲は久に話しかける。

和の話していた通り、これは映画館で見た方が断然迫力があった。

咲「ありがとうございます。部長」

久「まあ、私もちょっと見てみたかったしね」

2人がエスカレーターで階下に降りると、

見覚えのある人物が向かってきているのが目に留まった。

淡「さきー!やっと会えたっ!」

咲「大星さん!?どうしてここに…」

やって来たのは、つい先日練習試合をした白糸台の淡だった。

淡「清澄まではるばる会いに来たら、咲はここにいるって聞いたんで来ちゃった」

咲「えっ…わざわざここまで!?」

淡「だってー咲に会いたかったんだもん!」

そう言って淡は咲の腕に抱きついた。

淡「で、咲はここで何してたの?」

咲「私は部長と映画を見に来たの」

淡「へぇ……」

咲の言葉に、淡は意味ありげに久を見やる。

久も淡を見据えた。

2人の間に目に見えない火花が散る。

淡「ね、もう映画は終わったんでしょ?今度は私とデートしよーよ!」

咲「え?えっと…」

淡「さっきよさげなブティック見つけたんだ。一緒にいこ!」

そう言いながら、さりげなく咲の肩に手を回してエスコートする仕草を見せる。

戸惑う咲に淡は優しげに笑みを向けて、それから久を見やった。

勝ち誇ったような淡の顔。

その表情に、何故か無性に苛立った久はずいっと二人の間に割り込んだ。

久「……私も行くわ」

久の言葉に淡はイヤそうに顔を歪め、咲は嬉しそうに目を輝かせた。

さっさと案内して、と歩き出す久。

咲は嬉々として久を追いかけ、淡はそんな2人の後ろで小さくため息をついた。

淡「…ちぇっ。咲と2人きりになれると思ったのに…」

つづく


***

淡「ねえ、このインナー咲に似合いそう!」

咲「え、そうかな」

淡「絶対似合うって!ちょっと着てみなよ」

咲の体に服を押し当ててはしゃぐ淡。

久「咲にはこっちのインナーの方が似合うわ」

咲「え?」

久「そんなフリルがひらひら付いたものより、こっちのシンプルな方が好きでしょ」

久がそう言いながらインナーを指差して咲を見やると、咲はぽかんとした表情で久を見上げた。

久「?どうしたのよ」

咲「部長が私の好みをわかってくれてるなんて…」

頬を赤く染め、キラキラとした憧憬の眼差しを向けてくる咲。

久は自分の発言にハッと気付いて、慌てて取り繕う。

久「た、たまたまよ。たまたま、前に咲が和と話しているのを聞いていて」

咲「たまたま聞いたことを覚えててくれてるなんて…!やっぱり部長は私を…」

更に咲の眼差しの輝きが増す。

久「ち、違っ…」

咲「じゃあちょっと試着してきますね」

いそいそと試着室へと咲が歩いていく。

はあとため息をつく久に、淡がぼそりと話しかける。

淡「ねえ。あんたって咲のこと好きなの?」

久「…………は?」

淡「だってこの前私が咲に触ったら怒ったでしょ。さっきだって…」

久「この前怒ったのはあなたが私の後輩に手荒な真似をしようとしたからよ。別に咲が好きなわけじゃ…」

淡「ふーん」

それを聞いた淡がニッと口角を上げた。

淡「ま、そーゆーことなら問題ないかな」

久「なにがよ」

淡「咲、私がもらってもいいよね?」

久「…!!」

淡「だってあんたは咲を好きじゃないんでしょ?」

久「……私は」

その時、試着室から出てきた咲が振り向いて久を見た。

目が合う。

すると咲はなぜか一瞬驚いた顔をして、それから薄っすらと微笑んだ。

久「……っ」

何故だか久はとっさに目をそらしてしまう。

淡「あ、咲が私を見て笑ったー」

嬉しげにはしゃぐ淡を見てイライラとした気持ちが沸いてくる。

だいたい、咲を貰うとはどういうことだ。

別に咲は自分のものではない。

今は和のおかしな薬のせいで久に好意を寄せているが、そのうちその効果もなくなる。

だから咲が誰とどんな付き合いをしようが自分には関係ない。

そうだ、関係ない。

関係ない。

関係……。


淡「あー、早く私のものにならないかなー咲」


……いや。

淡のものになると言うのがどうも気に食わない。

そもそも咲はモノではない。

咲をそんな風に言うヤツなどに、ほいほいと渡せるか。

そう思った瞬間考えるより先に言葉が出ていた。


久「やらないわよ」


淡が驚いた顔で振り返る。

久は視線を前に向けたまま、言葉を続けた。

久「あなたに咲は渡さない」

淡「…………」

そう言い切った久を淡はしばらくじっと見つめ、それからニヤリと笑った。

淡「へぇー、なんだ。やっぱ気に入ってんじゃん」

久「い、いや!これは麻雀部としてのことであって、私個人のことじゃないのよ!」

発言を撤回しようとするが淡の耳には入らない。

それどころか淡の表情が更に生き生きとしたものになっていった。

淡「まあいいや。ライバル居た方が燃えるし」

久「だから!」

淡「つーか咲、なんでそんなとこで蹲ってんの?」

久「!!」

淡の言葉に、久がぐりん!と顔をそちらに向けると。

床に膝を抱えて蹲る咲がそこにいた。

咲「………ぶちょー。私もう死んでもいいです……」

久「はっ?!」

咲「あなたにはやらないって……私もう萌え殺されるところでした!」

顔を赤らめ、うっとりとした表情の咲。

反対に久の顔がサッと青ざめた。

久「なっ!咲、聞いていたの!?」

咲「安心してください!私は一生、部長一筋ですから!」

ドヤ顔でそう言ってのける咲。

それを見た久は軽い眩暈を覚え、淡は更に闘志を燃やすことになった。

***

淡と別れ、久と咲はいつもの通学路を2人並んで歩く。

咲「今日は楽しかったですね」

久「ん…そうね」

咲「また行きましょうね。映画」

久「…ええ」


咲の言葉にこくんと頷いてくれる久。嬉しかった。

正直久に好かれていないという自覚はあるし、これは咲の一方的な恋心だと思っている。

それでも咲が久に好意を伝えることを止めることはできない。

もしも、もしも何かがあって、明日久に好きだと伝えられなかったら。

それは咲の中で一生後悔することになるからだ。

だから、たくさんたくさん伝えたい。

久が好きだ、と。

咲「部長。明日も一緒に学校に行きましょうね」

久「……ええ」

咲は久の小指をきゅっと掴む。

今まで抱きついたり腕に絡んだことは多々あったが、

手を握ったり繋いだりしたことはなかった。

驚いた久はハッとして咲を見下ろす。

それから何も言わずに顔を前に向けた。

少し冷たい指が、久の小指を遠慮がちに握る。

振りほどかなかった理由。

それは、見下ろした咲の顔が今まで見たことないぐらい真っ赤になっていて。

不覚にも可愛いと思ってしまったから。

振りほどくことができなくなってしまった。

翌朝。

午前7時半。

久はいつものように玄関を出る。


『おはようございます。部長』


久「…………咲?」


門扉の傍。

いつも居たはずの咲の姿は、そこになかった。


***

つづく

久「はぁ、はぁっ」


校内を、久は息を切らせて走っていた。

向かった先は咲の教室。

着くや否やドアを乱暴に開け放った。

久「咲!!」

驚いて、中にいた咲のクラスメイトが顔を上げた。

クラスメイト「学生議会長?どうしたんですか?」

久「はぁっ、はぁ…っ、咲は、まだ来てないの…!?」

クラスメイト「咲ちゃんならさっき麻雀部に」

久「っ!!」

クラスメイトの言葉を最後まで聞かずに、

久は部室に向かって走り出した。

バンッ!とこれまた勢いよく部室のドアを開け放つ。

久「咲!!どこにいるの!?」

咲「え、竹井先輩…?」

その声に咲はひょっこりと顔を出した。

咲の顔を見たその瞬間、久の頭にカッと血が上る。

久「どうしたもこうしたもないわよ!なんで今朝家に来なかったの!」

咲「!?」

怒鳴る久に、咲はびくりと肩を竦ませた。

久「先に行くなら連絡の一つでも寄越すのが礼儀でしょう!いくら待っても来ないからわざわざ咲の家まで行ったのよ」

久「そしたらおじさんはもうとっくに出かけたというし、途中で事故にでもあったのかと…!!」

咲「…あの、すみません先輩。ちょっと言ってる意味がわからないんですけど…」

矢継ぎ早に捲し立てる久に気おされつつも、咲は言葉を返す。

その咲の言葉に久の顔つきが一段と険しくなった。

久「とぼけないでよ!昨日も言ってたでしょう、明日も一緒に学校に行こうって。だから私は…」

咲「え…?私、そんなことを言ったんですか…?」

久「……な、に…?」

ぱちくりと目を瞬かせる咲。

きょとんとした表情の咲に、今まで興奮していた久は違和感を覚えた。

違う。

何か違う。

昨日までの咲と、何かが……。

まこ「どうしたんじゃ?久」

久「あ……」

優希「咲ちゃんおはようだじぇー」

和「何で竹井先輩もいるんですか」

そこへまこ、優希、和がやってきた。

優希「あれー?咲ちゃん、今日は先輩に抱きついたりしないのか?」

咲「……え?どうして?」

優希「だって昨日までそーだったじぇ。先輩に会うたび抱きついたりしてたし」

優希「それに心配してもらったり優しくしてもらったら目キラキラさせて喜んでたじぇ」

その優希の言葉で、久は違和感の正体に気付いた。

そうだ。昨日までなら咲は事あるごとに抱きついて来たり、

久の一挙一動に反応して喜んだり舞い上がったりしたのに。

それなのに今日の咲は一度も久に近づいて来ていないのだ。

咲「え……私、そんなことしてたの?」

それどころか咲はとても驚いた表情で優希に尋ね返している。

それを見た一同は、ハッとあることに気付いた。

もしかして、和の惚れ薬の効果が切れている?

まこ「……咲」

咲「はい?」

まこ「久のことはどう思ってるんじゃ?」

咲「えっ?」

まこ「久のことを、好きではないんか?」

咲「私が先輩を、ですか?」

咲は動揺した顔でまこを見て、それから久を見た。

目が合った久はなぜか緊張して肩に力が入る。

咲は久をじっと見つめ、それからもう一度まこに視線を移してはっきりと言った。

咲「えっと、それはないと思います」

久「!!」

まこ「……なるほどな」

咲の言葉にまこは肩をすくめて久を見た。

まこ「だそうじゃ。久」

久「………………」

優希「あー、そっか。確か昨日でちょうど1ヶ月だったんじぇ!」

優希がぽん、と手を打った。

その言葉で久も気付いた。


和『長いものだと効果は1ヶ月続くみたいです』

咲『今日で1ヶ月ですから』


そうだ。昨日で1ヶ月だったんだ。


和「咲さああああああああああああん!!」


その途端、和ががばりと咲にしがみついた。

和「戻ったんですね咲さん!!」

咲「ちょ、どうしたの和ちゃん!?」

和「良かったです。本当に良かったですう~~!!」

咲「お、重いよ和ちゃん…」

和「ごめんなさい咲さん…、ごめんなさい…」

和は目に涙を浮かべながら咲に謝る。

そんな和を見てまこがため息交じりに釘を刺した。

まこ「和、もう変なもん作るんじゃないぞ」

和「はい。今度はちゃんと完璧なものを作ってみせますから!」

まこ「そうじゃないわ!」

全く懲りてない和にまこが突っ込みをいれる。

すると、今までなすがままになっていた咲が声を上げた。

咲「あの…、さっきから何の話だか私にはさっぱりわからないんだけど…」

咲の言葉に全員がぱちくりと目を見開いた。

優希「もしかして咲ちゃん、覚えてないのか?」

咲「うん。実はここ最近の記憶がなんだかぼんやりしてて…私、どうかしてたの?」

眠いので続きは起きてから書きます

書き溜めてきたんで一気に投下します

咲はその場に居る全員に尋ねる。

惚れ薬の効果があった1ヶ月の間の記憶が曖昧になっていた。

その中で、久を好きだったと言う事も忘れてしまっていた。







咲「そんなことになってたの…」

咲は他のメンバーから、ここ1ヶ月自分の記憶が曖昧な間に起こった話を聞いていた。

和特製の惚れ薬を飲んで倒れてしまったこと。

その惚れ薬を飲んだ所為で久の事を好きになっていたこと。

この1ヶ月、久にべったりだったことなどなど。

到底考えられないような話を皆から聞かされた。

信じられないことだが、周囲がそう言うのだからそうだったのだろう。

自分の事なのに咲には覚えがないからか、どこか他人事のような気分で聞いていた。

するとその傍らで久が部室を出ようと踵を返した。

咲「あ、竹井先輩」

久「……なに?」

咲に呼び止められ、久は不機嫌そうな顔で振り向いた。

咲「いろいろご迷惑をおかけしたようで、すみませんでした」

久「全くよ」

謝る咲に、久は溜息をつく。

その表情は不機嫌そのもので、咲はもう一度すみませんと頭を下げた。

薬の所為だとは言え、好きでもない相手に絡まれるなど気分のいいものではなかったろう。

久「しばらくはあなたの顔も見たくないわ」

咲「……本当にごめんなさい」

1ヶ月も付きまとって迷惑をかけたのだから、その言葉が出てくるのは当然だ。

咲は久の言葉に頷き、これからしばらくは久に近づくのをやめようと心に決めた。


***

その日の久の周囲はとても静かで穏やかなものだった。

ここ1ヶ月は惚れ薬を飲んだ咲のおかげで、落ち着かない日々を送っていたのだ。

休み時間のたびに、咲が用もないのに久の元へ来てはくだらない話に付き合わされるし。

昼休みには一緒に昼食を食べようと問答無用で連れ出されるし。

帰る時も、久の傍には必ず咲の姿があった。

だがそれももう終わったのだ。

薬の効果は切れ、咲は元通りになった。

しばらく向こうから話しかけたりして来ることもないだろう。

休み時間は次の授業の予習もできる。

放課後は受験勉強にも専念できるだろう。

つい1ヶ月前は当たり前のように過ごせていた日常がようやく戻って来て、久は安堵のため息を吐く。

そうして久の午前は穏やかに過ぎて行った。

そして昼休み。

久々に麻雀部の皆と学食で食べる約束になっていた。

弁当を持参してきていた久は弁当袋を手に食堂に向かった。

食堂に就くとすでにまこ、優希、和が席を取って座っていた。

久「お待たせ」

まこの隣に座り、ふとあることに気付いた。

久「………ねえ」

和「何ですか?」

久「咲はどうしたのよ」

優希「咲ちゃんなら急に委員会で呼び出しがあったから、そっちでご飯食べるっていってたじぇ」

久「そう……」

その様子を隣で見ていたまこがフッと笑みを零して言った。

まこ「咲の姿が見えないと心配か?」

久「そ!そんなわけないでしょ!」

まこの言葉に久は思わず声を荒げた。

久「馬鹿馬鹿しい。この1ヶ月さんざん付きまとわれて迷惑していたのよ」

ふんと息を巻いて、持参したお弁当に箸を伸ばす。

するとそれを聞いていた和が眉を顰めて身を乗り出した。

和「そんな言い方は酷くないですか?」

久「何がよ」

和「確かに咲さんは部長にべったりでしたけど、あれは薬の効果で、別に咲さんの本心じゃないんですよ?」

久「それがどうしたのよ。本心であろうとなかろうと、付きまとわれていた私には迷惑以外の何物でもないのよ」

和「だからって、顔も見たくないって咲さんに直接言うのは酷いって言ってるんです!」

和「咲さんだって戸惑ってたの、部長も見たでしょう?」

久「そんなもの私の知ったことじゃないわ」

和「な…っ」

ぴしゃりと言い放つ久に、とうとう怒りが頂点に達した和がガタッと席から立ち上がった。

まこ「和、座りんさい」

和「でも…」

まこ「食事中じゃ。座れ」

和「………」

和は何か言いたげにまこを見たが、それ以上は何も言わず、久を睨むだけに留まった。

まこ「今日は久々に皆と打っていかんか?」

久「………そうね」



その日、咲は部活にも来なかった。

何でも中学の体験学習のグループが学校見学に来るとかで、

図書委員の咲は図書室の案内をしなければならなくなったらしい。

朝以降咲の姿を見ていない久は、それはそれは晴れやかな気分で。

久「……………」

と言いたいところだったが、実際はそうではなかった。

それに一番戸惑っていたのは他でもない久自身だ。

何をしていても、何か物足りないのだ。

久々に麻雀を打っていても今一つ身が入らなかった。

一体何なのだろう。

この違和感というか、呆気なさというか。

胸にぽっかりと穴が空いたような、言い知れない虚無感。

久は麻雀を打ちながら必死にその理由を探したが、結局最後まで理由を見出すことはできなかった。

部室の戸締りを終えたまこと学校を出る頃には日はとっぷりと暮れていた。

今日はさっさと帰ってさっさと寝よう、と久は心に決める。

校庭を抜けて校門に差し掛かると、久はふいにまこから離れた。

まこ「おい久。どこへ行くんじゃ?」

久「どこって、家に帰るに決まってるでしょ」

門を出て、まこが向かう方とは反対方向に歩きはじめた久に、まこが声をかける。

久は怪訝な顔をして振り向いた。

まこ「ほぅ…」

まこは目を細め、口元で緩く弧を描いて笑った。

まこ「そうか。おんしの家はそっちにあるんか?」

久「…………」

まこにそう言われて、久ははたと気付いた。

そう言えばここ1ヶ月はいつも咲が一緒に居て、

その咲を家に送り届ける為に遠回りして帰っていたのだ。

そう。久が向かおうとしていたのは自分の家ではなく、咲の家の方角だったのだ。

久「!!」

気付いた久は踵を返してズカズカと早足でまこの傍に戻ってくる。

その様子を見てまこはクスクスと肩を震わせて笑った。

まこ「たった1ヶ月といえど、やっぱり寂しいもんか」

久「別に私は寂しくないわよ。むしろ清々してるわ」

まこ「そうか?」

久「当然でしょ」

そう言い放ってスタスタと歩きはじめる久。

まこはその背中にそうか、とだけ答えて、久の後を追いかけた。

少し前を歩く久の背中に向かって声をかける。

まこ「なあ久。惚れ薬には、二つの効果があるのを知っとるか?」

久「二つの効果?なんなのよそれは」

久が怪訝な顔をして振り返る。

まこは笑みを零すと言葉を続けた。

まこ「一般的には惚れ薬を飲んだ方が相手に惚れるというパターンが多い。が、その逆もあるんじゃよ」

久「逆?」

まこ「惚れ薬を飲んだ相手がとても魅力的になって、周囲が恋をしてしまうパターンじゃ」

久は目を見開いた。

初耳だ。

惚れ薬にそんな効果のあるものまであったなんて知らなかった。

まこ「惚れ薬を飲んだ咲はおんしを好きになった。和が作った惚れ薬は前者のパターンじゃろう」

まこ「じゃが、おんしの目に咲が魅力的に映ったことはなかったんか、と思うてな」

久「……どういう意味よ」

まこ「さて、どういう意味じゃろうな」

まこはそう言うと意味ありげに微笑んだ。

その夜。

家に帰った久は自室で勉強をしていた。

時計を見て、そろそろ寝ようとデスクから立ち上がった。

開けっ放しだったカーテンを閉めようと窓に近づく。

ふと、家の門扉が目に留まった。

久の部屋は2階にあり、通りに面した窓は丁度、家の門扉が見える位置にあった。


久「………」


実は毎朝、ここから久は咲が来るのを見ていたのだ。

茶色の髪を揺らして家の前の角を曲がってやってくる。

少し小走りで、息を弾ませて。

いつの間にか、それを待つのが当たり前になっていた。

咲が見えたらゆっくりと階下に降りていくのだ。

タイミング良く家を出るとまるで待っていたように気を取られるから、

そうならないように咲が待っているのを知ってて、わざと遅れて家を出た。


『おはようございます。部長』


門扉の傍で、少し息を弾ませて、滅多に見せないとびきりの笑顔でそう言う咲。

もうあの笑顔を見ることはないのだ。

あの角の向こうから、ひょこひょことやってくる茶色を、待つことはもうないのだ。


久「…………」


久はもう一度角の向こうを見つめて、それからシャッとカーテンを閉めた。


***

ちょい休憩。メシ食ってきます

翌日。

まこ「おはよう久」

久「まこ。おはよう」

登校途中でまこに出会い、二人並んで歩く。

まこ「来月半ばにまた練習試合をしようと思っとるんじゃが、どこがいいと思うか?」

そう言って久に一枚のA4サイズの用紙を差し出した。

そこにはズラッと高校の名前が並び、過去の戦績も同時に記載されている。

久はその資料を受け取って目を通した。

久「そうね…私個人の意見では大阪の名門校、姫松が良いと思うわ」

まこ「そうか。わしもそうだと思ってたわ。大会では少々苦戦させられたからな」


その時、廊下の向こうから見覚えのある茶色が息を切らせて走ってくるのが見えた。

走って来た相手も久たちに気付いたようで、あ、と軽く声を上げた。

まこ「おはよう咲」

走って来た咲に、まこは声をかける。

咲「おはようございます染谷部長、竹井先輩」

久「……………」

咲はまこを見、それから久を見上げた。

久は少し余所余所しく、おはようと小さく返す。

そんな久の態度に苦笑いしながら、まこは咲を見てまた少し笑った。

まこ「すごい寝癖じゃのう」

咲「寝坊しちゃって、きちんと直す時間がなかったんです」

これでも少し収まった方なんです、と咲は苦笑いした。

左右にはねた咲の髪をまこは両手でなんとか撫でつけようとするが、やはり治らない。

その様子を久はじっと見つめていた。

咲「?」

久の視線に気づいた咲が、久を見上げる。

瞬間、久は咲から視線を外し、まこの隣をすり抜けて歩き出した。

久「じゃあ、私は教室に行くわ」

まこ「ああ」

咲「……」

すたすたと足早に去っていく久。

その背中を咲が複雑な表情で見つめていることに気付いたまこは、そっと咲に声をかけた。

まこ「まだ上手く話せんか?」

咲は曖昧な笑みを零す。

咲「私は覚えてないので大丈夫なんですけど。先輩は、そうはいかないですよね」

そう言う咲の表情はどこか寂しそうで、まこはフッと肩をすくめた。

まこ「……まあ、あれの場合、それだけじゃないんじゃろうけどな」

咲「?」

まこの言葉の意味がわからず、首を傾げる咲。

まこはそんな咲に目を細めると、頭をぽんぽんと撫でた。

まこ「1限目が終わったら、わしのクラスに来んさい。櫛で直してやるから」

まこはそう言い残すと自分のクラスに入って行く。

丁度その時本鈴が鳴り、遅刻ギリギリだったことを思い出した咲も慌てて教室に駆け込んだ。


***

「ここで、この値をさっきの公式を当てはめるんだ。するとエックスイコール……」


教師の講義をBGMに、咲はぼんやりと窓の外を眺めていた。

惚れ薬の効果がなくなってから1週間。

薬の効果のあった期間のことを覚えていない咲は以前と変わりなく過ごしていたが、

久は咲を避けていた。

だがそれは仕方のない事だと、咲は自分の中で納得していた。

好きでもない相手に1ヶ月も付きまとわれては、そりゃ顔を見るのも嫌だろう。

だから咲は極力久に近づかないように努めていた。

会話もそこそこに、できることなら人伝いに伝えることにしていた。

久も部活を引退して今はそんなに関わることもないし、特に気にするほどではない。

………と、最初は思っていた。

咲(なんなんだろ。このモヤモヤした気分は……)

そう。気にするほどじゃなかったはずだ。

>>163 訂正です


1週間後。

まこ「おはよう久」

久「まこ。おはよう」

登校途中でまこに出会い、二人並んで歩く。

まこ「来月半ばにまた練習試合をしようと思っとるんじゃが、どこがいいと思うか?」

そう言って久に一枚のA4サイズの用紙を差し出した。

そこにはズラッと高校の名前が並び、過去の戦績も同時に記載されている。

久はその資料を受け取って目を通した。

久「そうね…私個人の意見では大阪の名門校、姫松が良いと思うわ」

まこ「そうか。わしもそうだと思ってたわ。大会では少々苦戦させられたからな」


その時、廊下の向こうから見覚えのある茶色が息を切らせて走ってくるのが見えた。

走って来た相手も久たちに気付いたようで、あ、と軽く声を上げた。

久が引退してからは1日会話を交わさなかったことなんてザラにあった。

それなのに何故か最近は久の顔を見ないと、久の声を聴かないと

すごくモヤモヤするような、イライラするような表現しきれない感情が咲の中に渦巻くのだ。

その意味がわからず、咲はここ数日寝るときまでそのことを悶々と考えていて少し寝不足気味になっていた。

その時フワリと窓から吹き込んだ風が、パラパラと開かれたノートのページを捲った。


咲「――――…!!?」


風によって開かれたページを見た瞬間、咲は硬直した。

咲「…………何、これ……」

開かれたページはまだ板書されていない真新しいページだったのだが、

そこに書かれていたものに咲は頭を抱えた。

ノートの半分のページにデカデカと所謂相合傘が書かれており、

その傘の下には『竹井久』『宮永咲』の文字。

ご丁寧に、その相合傘周辺には歪なハートマークがこれでもかと言うほど散らばっていた。

咲「…………今時、小学生でもやらないよ……こんなこと」

恥ずかしさ半分、興味半分でじっとその文字を見つめた。

書かれているのは紛れもなく咲の文字だ。

相合傘も、2人の名前も、歪なハートマークも。

ハートマークなんて、生まれてこのかた書いたことがないクセに。


咲「………私、本当に先輩のこと好きだったんだな」


咲はその相合傘を見て不思議な気持ちになった。

大きく書かれた相合傘。

二人の名前。

その相合傘の周りにたくさん飛んでいるハートマーク。

こんなにたくさんのハートを描くほど、

こんなに大きな相合傘を書くほど、

咲は確かに久を好きだったのだ。

だが、咲はそれを覚えていない。

誰かを好きだったことを忘れるなんて、普通ならあり得ないことだ。

でも咲にはその記憶がない。

薬のせいだったとしても、咲は確かに久のことが好きだったようだ。

正直な話、咲は未だ誰かを好きになったことはない。

どんな気持ちだったんだろう、と漠然と考える。

どんな気持ちで、自分はこれを書いたんだろう。

笑っていたのだろうか。

それとも照れていたのだろうか。

この時の自分の気持ちを考えても答えは出てこない。

でも胸の奥が、何故かちりちりと痛んだ。


***

本日の投下はここまで。あと少しだけ続きます。

数日後。

その日は部活が休みだったこともあって、久を交えて皆で下校していた。

和「あのっ咲さん!!」

咲「なあに?和ちゃん」

顔を赤く染めた和に話しかけられて咲が振り向く。

和「こ、ここ今度の日曜、あ、空いてますか!?」

咲「日曜日?特に予定はないけど」

和「あの、あのですね。見たい映画があるんですが、その、一緒に行きませんか…っ」

咲「何の映画?」

和「ファンタジー映画なんですけど、これ…」

和はそう言って、カバンから1枚の映画のチラシを差し出す。

それは今話題のファンタジー映画で、まだ咲に惚れ薬の効果があった頃、久と2人で見に行った映画だった。

そのことに気付いた久は、素知らぬ顔をしつつも2人の成り行きを見守る。

和(咲さんにあの時の記憶は残っていない。なのできっと断られることはないはずです…!!)

内心でドキドキしながら咲の反応を待つ和。

咲「いいよ。その映画、私も見たいと思ってたんだ」

和「ほ、ほんとですか!!」

咲「うん」

和「じゃ、じゃあ日曜日、一緒に、いいですか!?」

咲「もちろんだよ」

和(やりましたああああああああああ!!)

勇気を振り絞ったお誘いが受け入れられ、嬉しさのあまり内心でガッツポーズする和。

そこへ優希がぬうっと腕を伸ばして、和の手からチラシを奪い取った。

優希「めずらしいな。のどちゃんがこんな子供っぽい映画見るなんて」

和「この映画、映像がすごいって評判なんです」

優希「へえー」

久「…………私、用事を思い出したから帰るわ」

それだけ言い残し、久はさっさと背を向けてその場から離れる。

優希「竹井先輩、何だかイライラしてるみたいだったじぇ」

まこ「そうじゃな」

優希のカンのいい言葉にまこは苦笑いを浮かべると、去っていく久の背を見送った。

家路を歩く久は、優希の言葉通りイライラしていた。

和が誘った映画は以前に久と咲が2人で見に行った映画だ。

久「“見たかった”ですって?何をバカなことを言ってるのよ。私と一緒に見たじゃない…!」

歩きながら、久は1人ごちる。

久「私と見たいとダダをこねたくせに、なんでああもあっさり和と見に行くのよ!」

久と行きたい、と腕に縋って来たのは他の誰でもない咲だった。

それなのに2人で行ったことを忘れて、他の誰かと行くことに何故かとても苛立った。

久「だいたい何で覚えていないのよ……!」

咲を責めてはみたが、覚えていないのはあの薬の所為なので筋違いだろう。

そしてその結論に達した瞬間、久はふと冷静になった。

久「……なんで私はこんなに腹を立てているの……?」

ただ咲が和と映画を見に行くだけじゃないか。

たとえ以前に久と見に行った映画であっても、咲にはその記憶がない。

だから見たことないと言って和の誘いを受けるのに、何ら不思議なことはないはずだ。

頭ではそう理解する。

久「…………」

だが理解はしても、久の腹の底に渦巻くモヤモヤとしたものは拭い去ることが出来なかった。


***

待ちに待った日曜日。

天気は快晴。

この日のために買った新しいワンピースを着て目一杯のおしゃれをした和は、

咲との待ち合わせ場所に胸を躍らせて向かった。

が。

和「……なんで」

ひくりと綺麗な顔を歪ませる。


和「なんであなた達が居るんですかあああああああ!!」


和は叫びながらビシッと二人を指差した。

そう、待ち合わせ場所には咲の他にまこと優希も居たのだ。

優希「何か面白そうだったから着いてきたじぇ!」

まこ「うんうん」

和はがっくりと肩を落とす。

和「せっかく……せっかく咲さんとの大事なデートなのに!!」

まこ「まあいいじゃろ。大勢の方が楽しめるじゃろうし」

和「ぐぬぬ……」

ニヤニヤと笑うまこに和が拳を握りしめる。

咲「まあまあ和ちゃん。せっかくの日曜だし、皆で楽しもうよ!」

和「咲さん……」

咲「そのワンピース、とっても似合ってるね。すごく可愛いよ」

和「~~~っっ咲さああああああん!!」

ひっしと咲に抱きつく和。

優希「咲ちゃんは天然タラシの素質があるかも知れないじぇ」

まこ「くくっ、そうじゃな」



4人は揃って映画館に入った。

チケットを買って、飲み物も一緒に購入する。

館内が暗くなって咲は胸を躍らせた。

原作を読んでいた咲は、映画がどんな出来になっているのかとても楽しみにしていた。

原作は映像化不可能と言われていたものが、最新の技術を駆使して制作されたのだから楽しみで仕方ない。

最初は近日公開の他の映画のCMが流れ、いよいよ本編が始まった。

咲「……?」

だが映画が始まってしばらくして咲は違和感を覚えた。

初めて見た映画のはずなのに、どこか見たことがあるような既視感を覚えたのだ。

最初は原作を読んでるからそれと頭の中が勝手に照らし合わせているのかと思ったが、

流れてくるBGMにまで聞き覚えがあったのでいよいよ違和感が強いものになる。

どうしてだろう。

初めて見る映画なのに。

見たことがある気がする。


咲「……!!」


その時、咲の脳裏に断片的に不思議な映像が流れた。

映画を見ている自分。

その隣に誰かが座っている。

誰だろう。

誰が隣に座っているんだろう。

思わず両隣を確認する。

いま咲の右側には和が座っており、左側には優希と、その向こうにまこがいる。

でも頭に浮かんだ人物は、その3人の誰とも違った。


一体、誰が座っているんだろう。

脳裏にちらつく不思議な映像。

隣にいるのに、その人物の顔も姿も思い出せない。

咲が考えている間に映画はどんどんと進み、ついにはエンディングを迎えた。

ぱっと明かりが点いたことで、咲は現実に引き戻される。

いつのまにかエンドロールも終わっていて、他の観客がぞろぞろと出口に向かっていく。


和「面白かったですね、咲さん」

咲「…そう、だね…」

嬉々として振り向いた和に、咲は半ば生返事で答えた。

隣に居た“誰か”のことを考えていて、

2時間弱あった映画の内容のほとんどを咲は覚えていなかった。


***

つづく

翌日の月曜日。

昼休みの図書室の貸出当番となっていた咲は図書室のカウンターに座っていた。

昼休みは時間が少ないので訪れる生徒は少なく、

咲は空いた時間を利用して入荷したばかりの新刊を読んでいた。

貸出し前に新刊が読めるのは図書委員の特権だ。

と、そこへ1人の生徒が本を持ってやって来た。


久「頼むわ」

咲「竹井先輩」


やって来たのは久だった。

久はハードカバーの本を一冊、カウンターの上に置く。

咲「…はい。図書カード、お願いします」

久は胸ポケットに入れていた生徒手帳から図書カードを出すと咲に手渡す。

咲は図書カードの裏についているバーコードをスキャンした後、本のバーコードもスキャンする。

これで貸出し手続きは完了だ。

ふと久が借りた本の表紙を見ると、

それは昨日和たちと見に行った映画の原作の小説だった。

咲「珍しいですね。先輩がファンタジーを読むなんて」

久「たまにはこういうジャンルも良いと思ってね」

咲「この本、すごく面白いですよ。映画もとても良かったです」

正直映画の内容はあまり覚えていないが、映像が綺麗だったことは覚えている。

そのことを伝えると、久はぽつりと呟いて本に視線を落とした。

久「……知ってるわよ」

咲「!!映画、見たことあるんですか?」

久「……さてね」

そう言って久は小さく笑った。

その表情が今まで見たことのない寂しげな表情で、咲は思わず目を瞠った。

何かまずいことを言ってしまったのかと不安になるが、

どこがいけなかったのか咲には分からない。

微妙な沈黙が2人の間に流れる。

その時、その空気に気付いていない図書委員の先輩が咲に声をかけた。

「宮永さん」

咲「あ、はい」

「ちょっと手伝ってほしいことがあるの。当番、他の子に頼んでるからこっちに来てくれる?」

咲「わかりました」

先輩の言葉にうなずくと、咲は久に向き直った。

咲「じゃあ先輩、返却日は再来週の月曜日ですので」

久「ええ…」

咲は久に本を手渡すと、さっと立ち上がってカウンターから出る。

なんだか居心地の悪い空気から早く逃れたかった。

だから、去っていく自分の背中を久が見つめていることには気付かなかった。



先輩のところに向かうと、本棚の整理をするから上の方にある本を取ってほしいとのことだった。

咲は用具室から脚立を持ってきて、脚立の一番上に上った。

本棚から引き出した本は分厚い辞書のような本で、長い間誰も触っていない為埃が貯まっている。

咲はとりあえず引き出した1冊を下に降ろそうと、小脇に抱えて脚立に手をついた。

その時。

「きゃっ」ドンッ

咲「……あ」

脚立が揺れて、咲の足が脚立から宙に浮いた。

通路から曲がって来た生徒が、脚立があることに気付かず思い切りぶつかったのだ。


咲(あ、落ちる…――――)


浮遊感が咲を襲う。

天井の蛍光灯が嫌に眩しく見えた。


ガタ――――ン!!

ドサドサッ!!


「きゃ―――――――!!!!」


大きな悲鳴と物音が、静かな図書室に響き渡った。


久「…!!」


その声と音は既に図書室を出ていた久の耳にも聞こえてきた。

嫌な予感がした久は、すぐさま図書室へと引き返した。

乱暴にドアを開け放ち、図書室に飛び込むと奥の本棚付近に人だかりができていた。

「どうしよう、どうしよう」

「誰か!早く先生呼んできて!」


そんな声が飛び交う。

久は駆け寄り、集まりの中心を覗き込んだ瞬間思わず叫んだ。


久「咲っ!!」


人だかりの中心には脚立と、そして咲が四肢をだらりと投げ出して倒れていた。

目は固く閉じられ、消音目的の絨毯の床に茶色の髪が広がっている。

久は生徒をかき分けて咲に歩み寄ると、膝をついて顔を覗き込んだ。

久「咲、咲!!」

ぺしぺしと手の甲で軽く頬を叩いてみるが反応はない。

久「一体どうしたのよ!?」

「ご、ごめんなさい、脚立があるの知らなくて、ぶつかったの」

久が周囲の生徒を見渡すと、1人の女子生徒が涙ながらにそう言った。

「宮永さん!目を開けて!起きて!」

久「あまり揺らしては駄目!頭を打っていたら大変よ!」

先ほど咲を呼びに来た先輩がゆさゆさと咲の身体を揺さぶるのを制すると、

久は再び咲の頬を手の甲で叩いた。

久「咲…!」

咲「……ぅ…」

久「!!」

小さく反応が帰ってきて、周囲の視線が咲に集まる。

久「咲…」

久がもう一度呼ぶと、固く閉じられていた瞼がふるふると震えた。


咲(……あれ?私……)


咲のぼんやりとした視界に真っ先に見えた人影。

その正体をしっかり見ようとするが、瞼を持ち上げようとすればするほど頭がズキズキする。

痛む頭の中で、咲はふと思った。

そういえば前にもこうして倒れたことがある気がするなと。

その時も、目を開いて真っ先に見えたものがあった。

何が見えたんだっけ。

おぼろげな記憶を手繰り寄せる。

ひやりと冷たい手の感触。

ぼんやりとした視界の中、その手を辿っていくと見知った瞳と目が合った。


咲(…ああ…そうだ……“あのとき”も……)


咲は無意識に手を伸ばす。

その手を誰かがぎゅっと握り返してくれる感触がしたが。

その直後、再び頭痛の波が襲ってきて咲は意識を手放した。


***

つづく

咲が目を覚ますと、見慣れない白い天井と淡いブルーのカーテンが見えた。

咲「………?」

自宅でもなければ学校でもない場所に居て、咲は少し混乱する。

咲(ここ、どこ……?)

もっと周囲を見てみようと少し頭を動かしてみるが。

その途端くらくらと眩暈に襲われて、その気持ち悪さに思わずぎゅっと目を瞑る。

その時、咲の額にそっと誰かの手が乗せられた。

少しひんやりとしたその手が心地よくて、それと同時に不思議と眩暈が収まっていく。

覚えてる。

“あのとき”も、こうやって額に手を当ててくれていた。

その感触にとても安心して、再び眠りに落ちかけたその時。


久「…咲」


咲「!!」


すぐ傍から聞こえたクリアな声に、咲は目をぎょっと見開いた。

頭を動かすとクラクラするので目線だけを声のした方に移す。

久「気分はどう?」

咲「先輩…」

そこに居たのは久だった。

久はベッドの横のスツールに腰かけて、咲の額に手を当てていた。

久「頭が痛いとか、気分が悪いとかはない?」

咲「………」

咲は返事をせずに、ただただじっと久を見つめる。

すると返答をしない咲を不審に思った久が更に顔を近づけた。

久「どうしたの?どこか痛むの?」

スツールから腰をあげ、咲の顔を覗き込む。

間近に迫る久の顔に咲はハッとして視線を逸らせた。

咲「あ、あの、すこし眩暈がします」

久「そう、検査では異常がなかったと言っていたのだけど…」

そう言いながら、久は額に乗せていた手をするりと頭の方に移動させる。

柔らかい髪に指を通すと、不自然に膨れた場所があった。

久「ここに瘤が出来ているのよ。あの高さから落ちて、軽い脳震盪と瘤で済んで良かったわね」

久にそう言われて、咲は自分が脚立から落ちたことを思い出した。

咲「あの、ここは…?」

久「病院よ。とりあえず医師を呼んでくるから、そのまま安静にしていなさい」

咲「はい…」

久は咲の頭から手を離して病室から出ていく。

咲は久が居なくなったのを見計らって、布団を顔まで引っ張り上げた。

バクバクと煩いぐらい心臓が早鐘を打って、顔に熱が集中する。


どうしよう。どうしよう。


ぎゅっと目を瞑る。

咲の中でおぼろげだった記憶が蘇る。


映画館で、隣に居たのは。

腕を組んでいたのは……―――――


***


咲が学校に復帰したのはそれから1週間後だった。

病院には一晩だけ入院し、翌日の検査で異常は見つからなかったので退院することはできたのだが

しばらくは安静にする事との診断だったので、1週間自宅で療養することになったのだ。

咲が復帰した朝、昇降口で和が一目散に駆け寄ってきた。


和「咲さあああああああん!!」


走る勢いのまま、むぎゅっと咲に抱きつく和。

和「咲さん、会いたかったです!!」

咲「の、和ちゃん…苦しいよ…」

和「心配してたんですよ!お見舞いも行きたかったんですけど、行ったら迷惑になるって部長に言われて行けなかったんです」

咲「そっか…ごめんね和ちゃん、心配かけて」

和「咲さん…」

と、その時。

咲「あ…」

ふと咲の身体が軽くなった。

久が密着していた和を咲から引き離してくれている。

久「やめなさい和。病み上がりの人間に強引なことをしちゃ駄目よ」

久は和に注意してから手を離すと、咲に視線を移した。

久「もういいの?」

咲「は、はい。ご迷惑をおかけしました」

久「これからはちゃんと注意するのよ」

咲「はい、気をつけます…」

咲はそう答えて、ふい、と久から視線をそらした。

久「…?」

どこか居心地が悪そうな咲の余所余所しい態度に久は違和感を感じる。

と、そこへまこと優希がやってきた。

優希「咲ちゃんおはよーだじぇ!」

まこ「久しぶりじゃのう咲」

咲「おはようございます染谷部長、優希ちゃん」

まこ「身体はもう大丈夫なんか?」

咲「はい。ご心配おかけしました」

心配げに尋ねるまこに、咲は笑顔で答える。

優希「脚立から落ちたって聞いてびくりしたじぇ。でも竹井先輩がそばに居て良かったな!」

咲「え…?」

優希の言葉に咲が目を瞠る。

久「優希!」

優希が何を言おうとしているか察知した久は、

それ以上言わせないように声を張るが優希はかまわず言葉を続ける。

優希「竹井先輩の声掛けとか初期処置がすごく的確だったんだって」

咲「え……」

優希「見てた子の話だと、咲ちゃんが救急車に乗る時もずっと手を繋いで、声を掛けてたって言ってたじぇ」

咲「………」

久「手を繋いでたわけではないわよ。咲が私の手を離さなかったから…」

久「それに声かけも救急隊員に言われたから仕方なく…」

優希「照れなくていいじょ。救急車が来る前からそうしてたって知ってるじぇ!」

優希「呼びかけも手を握ったり離したりして反応を確かめて、その間もちゃんと名前を呼び続けてたんだってな」

久「~~~~あなたのその情報はどこから仕入れてきてるのよ!!」

まるで一部始終を間近で見ていたかのような優希の言葉に久は赤面しながらツッコんだ。

照れてるとからかう優希と、照れてないと言い返す久。

その隣で、いいところを全部持っていかれた!という風に悔しがる和。

ぎゃいぎゃいと騒ぐ3人を眺めていたまこだったが。

ふと、当事者の咲はどんな反応をしているのだろう、と傍らの咲に視線を移した。

だが。


まこ「……あれ?咲?」


さっきまで傍に居たと思っていた咲は、既にこつ然と姿を消していた。

まこが咲の姿を捜してきょろきょろと辺りを見回していた丁度その頃。

咲は1人黙々と校舎の廊下を歩いていた。


『手を握っていた』

『名前を呼び続けていた』


優希が言っていた言葉がぐるぐると脳内を駆け巡っていた。


咲「………っ」


頬が熱くなる。

歩きながら、胸を押さえた。

ドキドキと早鐘を打つ心臓は今にも爆発しそうなのに、

時折ぎゅうっとせつなく締め付けられる。


咲(沈まれ。沈まれ…)


咲は頭の中で呪文のように唱えながら、自分の教室に飛び込んだ。


***

つづく

これはすばらっ‥
>>1は前に淡咲書いてた?勘違いしてたらスマソ

放課後。

受験勉強のために図書室へ向かうと、咲とばったり出会った。

久「部活はどうしたの?」

咲「この本を返したら行きます」

久「そう」

咲「……」

久「……」

静かな空気に混じって何とも言えない緊張感が漂っている。

それは朝、久が感じた違和感ととてもよく似ていた。

あの時違和感を感じたのは咲の態度だ。

どこか余所余所しくて、久から距離をとっていた。

ということは、この奇妙な空気も咲が原因か、と久はちらっと咲を見やった。

すると咲も久を見ていたようで、ばっちり目が合った。

咲「!」

久と目が合った瞬間、ふいっと目を逸らす咲。

朝と同じ態度に苛立ちを感じた久は眉を顰めて咲に向き直った。

久「なんなのよ、一体?」

咲「…な、なんでもありません」

久「言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

咲「だから、なんでもありません」

久「じゃあなぜ私を見ていたのよ」

咲「見てません。気のせいです」

咲は口早にそう言うと、そそくさと出入り口に向かう。

久「ちょっと、咲」

呼び止める久を無視して、咲は図書室を飛び出すとバタバタと走り去って行った。


久「……なんなのよ」


その足音を聞きながら、久はポツリと呟いた。


***

その日から、咲が明らかに自分を避けているというのが手に取るようにわかった。

部室に顔を出すといつの間にか忽然と姿を消している。

探しにあたりをうろつき回っても捕まらない。

図書室で顔を合わせても、目があった途端すぐに逃げられる。

たまらず校門の前で待ち伏せていても、咲はこっそり裏門から下校していた。






まこ「おかしな話じゃな」

久「なにがよ」

部室を最後に出て、まこと共に家路を歩いていると。

ふいにまこがくすりと笑みを零しながら言った。

まこ「しばらく顔も見たくないと言ってたのに、おんしが今必死に咲を探し回っていることがじゃよ」

久「それは…咲が何か言いたそうにしているからよ」

まこ「じゃが咲はおんしを避けているんじゃろう?」

久「それは…そうだけど…」

まこ「ならおんしには話したくないことなんじゃないんか?」

久「じゃあ、私に話したくないのに私を見ているのはどういうことなのよ」

まこ「さあな…。でも咲が知られたくないと思っているなら、無理に聞き出す必要はないんじゃないんか?」

久「……気になるのよ」

見つめてくる咲の視線が、必死に何かを訴えているようだったからだ。

まこ「つまりおんしは、咲になんでも話してほしいと、そういうことか?」

久「そ!そういうわけじゃないわよ!」

まこ「でも、気になるんじゃろう?」

久「………」


その後久はまことは別れて、書店に寄る為に人通りの多い繁華街を歩いていた。

サラリーマンや学生、若者のグループの波に混じって歩いていると

ふと前方に見たことのある姿が目に留まった。

先日練習試合で対戦した白糸台高校の淡だ。

淡は誰かを探しているのか、キョロキョロと周囲を見渡している。

余り関わりたくない久は、なるべく気付かれないようにしようと淡から距離をとる。

だが、ふいに淡の背後に現れた人物に久は驚いて目を見開いた。

見間違えるはずがない。


久「……さ、き……?」


部活が終わると同時に足早に帰った咲が、こんなところで何をしているのだろう。

久は咲から目が離せなくなる。

咲はキョロキョロと辺りを見渡している淡に近づくと、淡の制服をくいっとひっぱった。

慌てて振り向いた淡は、それが咲の仕業だとわかると途端に笑みを浮かべる。

この!という風に咲の頭をぐしゃぐしゃと撫で回す淡。

ぷうっとむくれる咲を見て、淡は持っていた紙袋からファストフード店のドリンクコップを咲に差し出す。

すると今までむくれていた咲はパッと目の色を変えて、それを受け取ると嬉々としてストローを口に運んだ。

嬉しそうにそれを飲む咲を眺めていた淡は、ふと柔らかく笑みを浮かべて咲の髪を整えてやる。

その後、咲が淡に何かを話しかけ、それに合わせて顔を近づける淡。

内緒話をするように何か会話を交わした後、2人は雑踏の中に消えて行った。


久「…………っ」


2人が立ち去った後も、久は動くことができずその場に立ち尽くしてしまう。

淡を見る咲の表情を久はよく知っていた。

キラキラと花が綻ぶように笑う咲。

それは以前、惚れ薬を飲んでいた咲が、久にだけ見せていた笑顔だった。


***

つづく

>>229
淡咲は書いたことないです
久咲と恭咲が好きで交互に書いてます

その日、部活後の最終の戸締り当番が咲の日だった。

流石に当番から逃げることはしなかった咲は、

部室の片隅で他の部員が帰っていくのを見送りながら部誌を書くために机の上にノートを広げていた。

咲「…竹井先輩、帰らなくて良いんですか?」

久「ええ。受験勉強ならはかどってるしね」

咲「…そうですか」

部誌を書きながら咲は小さくため息をつく。

きっと一刻も早く帰りたいのだろう。

正確には、この場から離れたいに違いない。

だが久はそうさせるつもりはなかった。

静かな部屋に、こちこちと時計の音が部屋の中に響く。

そんな中、口火を切ったのは久だった。

久「昨日、白糸台の大星さんと随分仲が良さそうに歩いてたわね」

咲「!」

思わず咲が顔を上げると、久は言葉を続けた。

久「いつのまにそんなに仲良くなったのよ」

咲「昨日、偶然会ったんです。それで少し話をしました」

久「………」

咲「今度お買い物に行く約束もしちゃいました」

その言葉に久の表情が強張る。

少し嬉しそうな咲の態度に心が苛立った。

久「あまり他校の人間と仲良くするのは感心しないわね」

咲「…どうしてですか?」

久の言葉に、咲は怪訝な顔をする。

久「わからないの?仮にもライバルよ。こちらの手の内を探りに来ないとも限らない」

咲「淡ちゃんはそんなことしません」

久「わからないでしょう」

咲「淡ちゃんは純粋に誘ってくれてるだけです」

久「最近会ったばかりの人間なのに随分と信用しているのね」

咲「…いけませんか?」

久「前にも言ったと思うけど、他人の懐にほいほいと入るものじゃないわ」

咲「どういう意味ですか?」

久「相手が何を考えているかわからない以上、危機感は持っておくものよ」

咲「危機感って、そんな大げさな…」

久「ふうん、なら逆に安全だって言う保障はどこにあるのよ」

咲「何、言ってるんですか…先輩」

咲の表情が段々と険しくなる。

仲良くなった友人を、まるで危険人物のように言われては腹が立つのは当然だ。

咲は書き終えた部誌を閉じると、そそくさと立ち上がった。

咲「私、先に帰ります。明日予定があるんで」

久「それは大星さんと?」

咲「先輩には関係ありません」

咲は早くこの場から逃げたくてドアに向かう。

だが。


ガタンッ!!

咲「…痛…っ」


ギリッと掴まれた腕と背中が痛くて咲は顔を顰めた。

いつの間に近付いて来ていたのか、久はドアノブを掴みかけた咲の手を掴み

そのまま力ずくで反転させると咲の身体を乱暴に壁へと押さえつけた。

咲の脚の間に片足を滑り込ませて、更に逃げられなく拘束する。

強引なやり方に咲はキッと久を睨んだ。

咲「何するんですか?!」

久「何をしているように見える?」

咲「離してください!」

久「なら振りほどいてみなさい」

咲「っ」

久の挑発的な言葉にカッと頭に血が上る。

掴まれた腕を振りほどこうと力を込めるが、すぐに簡単に押し戻されてしまった。

咲は再度久を睨みつけるが、久は余裕の笑みを見せた。

久「例えばよ。大星さんが突然こんなことをしてきたらどうする?」

咲「淡ちゃんはそんなことしません!」

久「わからないわよ」

咲「私は今、先輩が考えていることがわかりません」

久「奇遇ね。私も咲が考えていることがわからないわ」

そう言うと、久は咲の腕を掴む手に力を込めた。

咲「もう、いい加減にしてください……っ」

咲は何とか久の手から逃げ出そうともがいた。

腕の中でもがく咲を見やりながら、

久は自分の中にふつふつと湧き上がる苛立ちを必死に抑える。

淡は咲に好意を抱いている。

以前の様子から言って、淡が咲に対してアプローチしないとは考えがたい。

あの日、街中で見た2人の雰囲気は

一般的な“友人”と称されるものと異なって見えた。

仲良く肩を寄せ合って歩く後ろ姿。

時折会話を交わすときは、お互い顔を至近距離まで寄せ合っていた。

仲睦まじい二人の姿は、そう…まるで恋人同士の様だった。

久「何でなのよ……)


なぜ淡の隣に立っているの。

なぜ淡の隣で笑っているの。

1ヶ月前は、私の隣にいたのに。


咲「…………何なんですか」


ふいに咲が動きを止め、ぽつりと言った。

咲を見やると、抵抗することを止め、頭を垂れて俯いていた。

久「……さ…」

咲「だって、先輩が言ったんですよ。顔も見たくないって」

久「それは……」


惚れ薬の効果が切れた日のことを思い出す。

確かにあの薬の効果が切れた後、そう思っていた。

でも、今は……

咲「そんなに私が嫌いなら、私のことなんか放っておけばいいじゃないですか!」

キッと久を睨みつけて、咲にしては珍しく声を荒げた。

咲「先輩は惚れ薬で私に付き纏われて迷惑だったんでしょう!だから私は先輩に近づかないようにしてたんです」

咲「なのに何でそんなに怒るんですか!私の事が嫌いなら放っておけばいいじゃないですか!」

久「………放っておけたらどんなに楽でしょうね……」

咲「え……?」

久の言葉に、咲の大きな瞳が揺れた。



付きまとわれていい迷惑だった。

なのに、いつの間にか傍に居るのが当たり前に思ってしまっていた。

視界の端でちらちらと揺れる茶色を見るたびに、安心している自分が居た。

状況を飲み込めず、目を瞠って久を見つめたまま動かない咲。

久はそんな咲に引き寄せられるように顔を近づけた。


今でも覚えている。

照れくさそうにはにかんだ笑顔も。

最後に握り返した手の感触も。

あの角を曲がってくる姿も。

全部、全部。


『惚れ薬の効果を知ってるか?』


まこに言われた言葉を思い出す。

ああ。

そうか。

そうだったのか。

惚れたのは私の方だったのね。

呆然と立ち尽くしている咲に顔を近づける。

目を見開いたまま動かない咲の、その唇に。

自分のそれをそっと重ねた。


咲「っ!!」


ぱんっ!


頬に痛みが走って、久は顔を離す。

じんじんと熱くなってくる頬に叩かれたのだと理解する。

咲を見やると、目に涙を浮かべながら手を挙げて久を睨みつけていた。

だが久は怯むことなく、今度はすぐさま咲をぎゅっと抱きすくめた。

咲は久の背中を叩いてその腕から逃れようと暴れた。

咲「離してください!」

久「いやよ」

咲「離して!」

久「離したら咲は逃げるでしょう」

咲「当たり前です!こんな、なんで……、こんなこと……っ」

わなわなと震える唇をきゅっと引き結んで、

咲は久の制服を引っ張ったり、腕を掴んで引きはがそうとしたり力を込める。

それでも久の抱きしめる腕の力は緩まない。

逆に暴れ疲れた咲が息を乱し始めた。

咲「…さっきのは、夢だとと思って忘れます。だから…っ」

久「駄目よ」


“2度”も、忘れさせてたまるか。


久「忘れちゃ駄目」

咲「え…」

久「離したらあの子のところへ行くんでしょう?」

咲「あの子って…?」

久「大星淡のところへ行くんでしょう」

咲「なんで、淡ちゃん…?」

訳がわからない咲は久を見上げようと顔を上げる。

だがそれより早く、久が再度咲を抱きしめた。

久「……行かないで」

咲「えっ…」

久「どこにも行かないで。誰の傍にも行かないで。ここに、私の傍にいて」

咲「……せんぱ……い……?」

咲が戸惑っているのが手に取るようにわかる。

当然だ。

自分でも、己のあまりにも情けない声に思わず笑ってしまう。

久「……つくづくバカげた話よね」

本当に。

バカバカしい話だ。

久「惚れ薬なんて、おとぎ話の中の話でしょう?それが現実に出来上がるだけでもおかしな話なのに…」

咲「……」

久「まったく……どうしてくれるのよ」

抱きしめていた腕を僅かに緩めて、久は咲を見つめた。

久「咲に、惚れてしまったのよ」

咲「…っ!?」


知らなければ良かった。

少しはにかんだ笑顔が可愛いなんて。

『部長』と甘ったるく呼ぶ声が、心地いいなんて。


久「咲。あなたが好きよ」

咲「…な、に…言って…るんですか…。私、冗談は嫌いです…」

久「ええ。私も冗談は好きではないわ」

すり、と茶色の髪に顔を埋める。

腕の中の細い身体が少し逃げ腰になったから、もう一度ぎゅっと抱きしめた。


久「咲が好き」


そしてもう一度、想いを告げた。


咲「…………」

久「…………」


沈黙する2人。

咲はだらんと腕を垂れ下げて、もう抵抗する気配はない。

だが久はここで逃げられてはいけないと抱きしめる腕を緩めない。

そうしてしばらく黙っていたが、ふいに咲がぽつりと口を開いた。

咲「どうして……」

久「え?」

咲「だって、惚れ薬を飲んだのは私で、先輩は嫌がってて……」

久「ええ、そうね」

咲「だって迷惑がってたじゃないですか!いつもいつも!」

久「咲…?」

咲「話しかけてもあんまり返事してくれないし、手も繋いでくれなかったし!」

久「咲、あなたまさか覚えているの?」

咲「……っ」

段々と声を荒げる咲に、久はふと違和感を覚えた。

咲の台詞は忘れているはずの1ヶ月のことを覚えているような口ぶりだ。

久の言葉に、咲はカッと顔を赤く染めて俯いた。

咲「……私だって」

頭にこびりついて離れないのは、夢の中で見た光景。

少しだけ絡めた指にドキドキしながら見上げた先で。

柔らかく微笑むその表情を見た瞬間から。

咲「先輩の事、見るたび心臓ドキドキして、顔熱くなって、緊張して……」

久「……」

咲「もうどうしたらいいか、わかんなくなっちゃって……、私だって先輩が……っ」

咲が告げようとした言葉は、再度重ねられた久の唇に飲み込まれた。

ぎゅうっと痛いくらい抱きすくめられ、何度も角度を変えて唇を塞がれる。

咲「ぅ……ふ……んん……っ」

久「咲……」

咲「ふぁ……んぅ……」

キスの合間に熱っぽく名前を呼ばれて、それに応えようとするが熱い吐息しか出てこない。

せめて、と久の背中に腕を回してぎゅっとしがみついてみると、更に深く口づけられた。

咲「せんぱ……、苦し、です……っ」

何度も何度も繰り返されるキスに苦しくなってきた咲が久に訴える。

すると今度は頬に、こめかみに、額に、髪にと顔中にキスを落とされ、

最後にぎゅっと抱きすくめられた。

久「嘘じゃないのね?」

咲「はい……」

久「また惚れ薬を飲んだ、とかじゃないわよね…?」

咲「怒りますよ」

久「……ごめんなさい」

珍しくしゅんとした声の久に、咲は物珍しく目を見開いた。

思わず小さく苦笑いを零す。

久「何を笑っているのよ」

咲「いえ。なんだか先輩が可愛いなぁと思って」

久「なっ、何言ってるのよ!」

咲「ふふ」

久「~~~っ」

真っ赤になって否定する久。

だが咲が嬉しそうに笑って抱きついてきたので、

それ以上何も言わずに黙って腕の中に閉じ込めた。

久「……ねえ」

咲「はい?」

久「大星さんと歩いてたとき、やけに嬉しそうな顔してたのは何でよ」

咲「えっ……ああ、あの時は淡ちゃんに、誰か気になる人はいないかって聞かれて……」

咲「その……竹井先輩のこと、話してたから……」

頬を染めて恥ずかしげに答える咲。

駄目だ。可愛すぎる。

久「……ああもうっ。どれだけ私を夢中にさせるのよこの子は!」

腕の中の咲を更にきつく抱きしめる。

咲も久をぎゅうと抱きしめ返す。

暫しの間、二人は無言で抱き合った。

互いの体温に包まれながら、幸せを噛み締める。

咲「あの……先輩」

久「ん?」

咲「明日も、一緒に学校に行きましょうね」


久はハッと目を見開いた。

あの夜。

そう言って別れたまま、果たされなかった約束。


久「……ええ。そうね」


窓の外。

角の向こうから曲がってくる茶色を思い浮かべた。


こみ上げる愛しさのまま、咲の顎を上向かせる。

そっと目を閉じて久を迎え入れる咲へと、久は顔を近づけていった。


カン!

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