藍子「一度目のバレンタイン」 (12)
「お疲れ様です、Pさん」
「おう、お疲れ様、藍子」
私がデビューしてもうすぐ一年。
去年は無我夢中で走り抜けてきたけど、ようやく落ち着いてきた。
「もう6時ですよ。まだお仕事してたんですか?」
「今度の藍子の単独イベントのだ」
私も今では単独でそこそこ大きなイベントをできるようになった。
活動一年以内の新人アイドルとしては成功した方だと思う。
「たぶん変更はないだろうから、先に伝えておくか。会場は500人、3回公演だ。だいたい最初の予定通りだ」
「ありがとうございます。わがままを聞いてもらって……」
「確かに人数は少ないけど、藍子はこういう方向性だから。企画を通すのはそこまで難しくなかったよ」
今回は、少人数のトーク中心のイベントだ。
本当はもっと大きな会場でライブをした方がいいれけど、よくこういったイベントをさせてもらっている。
「ファンも大きい会場でやって欲しいけどこの雰囲気を壊したくないってな。毎回アンケートで葛藤が伝わってくるよ」
「じゃあ、たまにはこういうのもいいですよね?」
「たまには、な。その分大きい仕事もしてもらうからな」
「はいっ」
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「ところで、藍子はこんな時間にどうしたんだ? 今日は昼過ぎに終わったって言ってただろ?」
「ちひろさんから連絡があったんです。どうせ仕事してるから連れて帰れって。今日は午前中で終わるんじゃなかったんですか?」
いつもお仕事を頑張りすぎるのがPさんの悪い癖だ。ちひろさんが注意しても素直にやめようとしない。
ただ、私達には甘いところがある。私に連絡が来たのも、そういうところを期待してだと思う。
「これだけは自分でやりたくてな。ちひろさんにも言ってたはずだけど?」
「そう言うと思ってたみたいです。ちひろさんの共有フォルダを見てください」
「ん? もしかして……」
「今Pさんがしてる仕事以外はあるはず、とのことです」
「……確かに、ざっと見た感じ大丈夫そうだ」
「それじゃあ、そのお仕事が終わったら帰りますよね?」
「いや、ちひろさんの方の確認もしっかりしないとな」
「帰りますよね?」
「……はい」
とりあえず、今日は諦めてくれたようだ。
「はい、Pさん。緑茶です」
「ん、ありがとう」
「すぐ終わると思いますけど、飲んじゃってください。まだ寒いですし、風邪予防になるみたいですから」
私に出来るのはしっかりアイドルをすること。あとは、これくらいしかPさんに協力できない。
私が頑張った分だけPさんはもっと頑張ってしまう。ちゃんと恩返しできているだろうか。
「なんで自分でやろうと思ったんですか? ちひろさんがこっちに投げるものもたくさんあるのにーって言ってましたよ?」
「なるべく出来るところは自分でやりたかったんだよ。ようやく落ち着いてきただろ? せっかく余裕が出来たんだから担当アイドルの案件くらいはな。あと……」
「あと?」
「……ちひろさん達に頼りっきりだったから、ちょっと負担を減らしたいところもあったり」
「それでPさんが無理したら意味がないじゃないですか。やりたい気持はわかりますけど、任せるべきところはプロに任せましょうよ」
なんでも抱え込むところは悪い癖だけど、それはPさんが真面目だから。最初はわからなかったけれど。
そんな人だから、信頼してついていける。一緒に活動できる。
「なんかちひろさんを相手にしてるみたいだ。藍子がそんなことを言うなんて」
「ちひろさん、ずいぶんたまってるみたいですよ。私にちょっと愚痴を言ってましたし」
「げ……週明けが怖いな」
「そこは、自分でなんとかしてください」
きっと、きつく注意されるんだろうな。
「よし、と。藍子、終わったぞ」
「あ、早かったですね」
「今のやつだけならこれくらいで終わるよ。今日は送って行こうか?」
「はい、お願いします」
事務所を出て、駐車場へ向かう。
私から見たらPさんの車は普通にしか見えないけど。どこかにこだわりがあるらしい。
前に聞いたらとても熱心に語られた。あんまりわからなかったけど。
「ちゃんとシートベルトを締めろよ」
「わかってますよ」
昔偉い人を乗せたときにシートベルトをしてくれなくて、警察に捕まったらしい。
それ以来、毎回こうして確認してくる。ずいぶん落ち込んでいたから、忘れるはずないのに。
「それじゃ、出発」
助手席は私の定位置。初めて車に乗ったとき。まだPさんが自分の車を持ってなくて、事務所の車を使ってたときからずっと。
この位置で、本当にたくさんの話をした。時間は部屋で話した方が多いけど、車内での会話はいつもとは違う大切な思い出。
やっぱり、アイドルの話をしたことが一番多かったと思う。それこそ、最初から。
「なあ、藍子。アイドルをしててどうだ?」
「えっ?」
「そんなに身構えなくていいから。なんというか、ざっくり聞いておきたかっただけだ」
「いえ、ちょうどここで今までお話してきたことを思い出していたので。ちょっと驚いただけです」
「ああ、それで。適当に言ってくれればいいぞ」
「そう、ですね……ずっと走ることに必死で、最近やっと振り返れるくらいの余裕ができましたから」
自分のペースで、だけど必死で駆け抜けてきた一年。今、振り返ってみると――
「でも、初めから私のなりたかったアイドルになれていました。もちろん、今も」
「そうか。みんなを笑顔にできてるか……よかった」
みんなに笑顔を届けるアイドル。それが私の目標で、アイドルを続ける理由。
「今と比べたら最初の方はとにかく必死でしたけど、それでもちゃんと笑顔になってくれる人はいました」
時には失敗もしたけど、それでも少しずつファンが増えて。
ペースはいろいろだけど、今でも応援してくれている、大切な人達だ。
「この先もっと大きくなっても、今の感じがベストなんだと思います」
「今の空気は藍子だけのものだから、そこは崩したくないよな。なんとかやってみるよ」
先のことはわからないけれど、今のみんなでつくったものを壊さないようにしていきたい。
「藍子は売れっ子になりたいって欲がないからなあ。苦労させやがって」
「わわ、やめてくださいよっ。運転に集中してくださいっ」
肩をつつかれた。Pさんはたまに子供っぽいところがある。
こんなことをしてるから、軽く見られるのに。
「私だって、勝負に負けたくないって思いますよ?」
「そこで勝ちたいって言わないのが藍子らしいんだよ」
確かに、他の人より上に行くことにこだわりはないけれど。それで苦労をかけているのは申し訳ない。
でも、どこまでも勝ちを求める私も想像できない。
だから、この活動方針が、私の唯一で最大のわがまま。
「よし、着いたぞ」
「ありがとうございました」
車の外に出る。いつものように、助手席の窓を開けてくれた。
「それと……はい、Pさん。どうぞ」
「……あー、チョコか。ありがとう」
反応が悪い。ちょっと悔しくなってしまう。
「もしかして、忘れてたんですか? せっかく初めて渡すんだからって、甘くて疲れが取れそうなのをけっこう探したのに……」
仮にもアイドルに関わる仕事をしていて、バレンタインを忘れるのはないと思う。
「い、いや。今日は人から逃げながら仕事をしてたから、ちょっと忘れただけで。昼までは覚えてたから」
「結局忘れてるじゃないですか、もう」
「悪かった。これはまた食べさせてもらうよ」
「日持ちはするので、少しずつお茶でも飲みながら食べてください」
いくら言っても仕事はしてしまうだろうから、ちょっとでも休憩をしてくれるように。
「それじゃ、おやすみ、藍子」
「おやすみなさい、Pさん」
私もいつかはアイドルを引退するときが来るだろう。
いつ、どんなきっかけでかはわからないけど。
すぐ訪れることじゃない、とは思う。
それまで、私を選んでくれて、私に付き合ってくれるこの人を信じて笑顔を届けたい。
だから、窓が閉まってしまう前に――
「二回目も、期待していてくださいねっ?」
以上です。遅刻&短い&甘くない、ですが、読んでいただきありがとうございます。
個人的に担当中の藍子ちゃんとは強い信頼はあっても恋愛までは行かないのが好みかなと。
甘いのは九度目でいつかやれたらと思います。
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