希「えりちのうちから、わたしに向けて」 (13)
眠りの海からこぼれ落ちたのは、
耳元すこし離れたとこで聞こえた足音のせいで、
ぼやけた両目で薄明かりを見渡して、
いつもと違う背中の寝心地や布団の感じ、
手探りで見つからない携帯の充電器、
そんな中でようやっと、
あ、えりちの家だ、
って思い出した。
なのに、えりちはいない。
ああもう、わたし、まだ覚めてないみたいね。
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まださめ切らない頭の中って、
サイダーみたいな泡がはじけて、くらくらしてる。
そんな泡の向こう側、
夢の満ち引きの沈んだ先で、
たぶんあの子はまだ、まだあんな顔をしたままだ。
真夜中ふっと目覚めてしまって、
お母さんたちも眠っていて、
ひとりだけ世界からこぼれ落ちてしまったみたいで、
寝汗のくるしい布団の中で、夜が明けるのをどうにか待っている。
その女の子ったら、
自分の腕を抱えるのが精一杯で、
頭の中ではあした誰かにどんなこと話そうって考えたりする。
今度はうまく話せるかな、ぎこちなくないかな、
って頭の中で一人芝居。
そんな夜のこと、今だって誰かに話せない。
だから今でも、しあわせな時に限って、あの子に夢で会うの。
あの女の子は、小さい頃のわたしだった。
慣れない家の慣れないベッドで、
はがしたばかりの隣の布団、
豆電球の淡い光に照らされて、まだ体温が残ってるところ。
変かもしれないけれど、手を滑らせてみたりして、
あぁ、これがえりちの熱なんだ、って。
こんなとこ、見せられないね。
でも明け方の空気は冷たくって、
カーテン越しにあの白い月が、
わずかな温もりまで
吸い取ってしまうようで、みるみる冷えてしまう。
えりち、どこいったん?
もう、女の子にさみしい思いをさせたらあかんよー?
「……起きたのね。よかった」
程なくして、
二つのマグカップを持ったえりちが部屋に帰ってくれた。
どこ行ってたん?
そんな年から深夜徘徊はあかんよ?
なんてからかって、くすくす笑ってもらう。
えりちのカップからはもう甘い香りが届いていて、
こんなもの飲んだら虫歯になっちゃうよ、なんて言っても、
「暖まるからいいでしょう。
このココア、おいしいんだから、希にも薦めたかったのよ」
って聞かなかった。
部屋の電気をぱちっと点ける。
広がった光が、夜をカーテンの外へ追いやってしまう。
うちの目もぱちっと覚めて、
あの女の子のことだって、布団に残った熱だって、
全部さっぱり光の海に流されてしまう。
「……おいしいね」
「そうでしょう?
やっぱりチョコレートはスイスかベルギーに限るわね」
「そこはロシアじゃないん?」
えりちは、希までそんなこと言うんだから、って膨れてみせる。
のどからおなかの奥まで流れていく、甘くてあったかいもの。
それはカップを持つ指の肌や、
パジャマ越しに寄り添って重ねた腕からも流れ込むみたいで、
こんなにあったかくていいのかな、ってちょっと怖いくらい。
えりちがのどを鳴らして飲み込むと、
甘いため息を浮かべたりして、
あの青い目がこちらと合って、ほほ笑みを滲ませたりする。
「……心配、だったんよ。えりちが遭難してないか、って」
作った声でむくれてやった。
わらってほしくって、あきれてくれてもいいからって。
でも、
えりちはかしこいから、そのどちらもしてくれなかった。
飲み干したカップをそこに置いて、
ばぁか、って
うちの頬をつついてみせた。
わらっちゃったの、わたしのほうだった。
「うなされてたのよ、希。やだ、さみしい、って」
あの子だ。
布団の中で、一人芝居の人形遊びで、
抱きしめたお人形さんも
だんまりで泣き出しちゃった、あの女の子の夢だった。
……聞かれたく、なかったかなぁ。
「おばあさまもね、
そんな夜に、こうやってココアをいれてくれたの」
からになったカップを指さした。
うながされるように、わたしも一口つけたら、
もうぬるいはずのココアが、やけに温かかった。
希、今日は一緒に寝ましょう。
私も、暗いのは苦手なのよ。
……って、えりちが笑ってみせた。
マグカップの温もりが、
あの女の子の冷えたほっぺたまで
あたためてくれたみたいで、
どうしよう、
わたし、
うれしくって、
どうしようもなくなってしまいそう。
◆ ◆ ◆
豆電球の薄明かり、ぽっと灯った熱のかけら、
指先はまだあたたかくて、もう大丈夫だって思えちゃった。
寝直したら、またあの子に会えるかな。
そしたら、うちから、伝えてあげなくちゃ。
大丈夫だよって。
あと七年経てば、大切な人が待っててくれるから、って。
えりちのうちから、あの頃の、わたしに向けて。
おわり。
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