速水奏「ルージュになりたい」 (14)



※あらすじ
モバマス。奏と周子のはなし。百合風味注意
奏というとShangri-Laが有名だけど、こういう曲もありかと思う


・速水奏
http://i.imgur.com/SzJFTgg.jpg
http://i.imgur.com/ywUWIW9.jpg

・塩見周子
http://i.imgur.com/hlYblRl.jpg
http://i.imgur.com/cbzQaBf.jpg


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●01



あなたのルージュになりたい。
乾くくちびる、独り占めしたい。



●02

「ねー、奏ちゃーん。オフってどう過ごせばいいん……?」
「オフをどうやって? 珍しい悩みね」



ある日のレッスン上がり。
周子から向けられた言葉に、私はいろいろな意味で驚いた。

「実家では、休みって店を手伝う日だったんだよねー。
 しかも、あたしは東京って地元じゃないから、あんま遊び歩く場所も知らなくてさー」
「それで、私に? 確かに、私は生まれも育ちも東京だけど」

休みの過ごし方が分からない、という人間がいるとは聞いていたけれど、
まさか周子がその疑問を持っているとは、思わなかった。



「いざ、遊ぶ所、と言われるとね。周子が楽しめそうなところ、どこかしら?」
「観光名所めぐりするわけじゃないんだから、気楽でいいよー。
 あたしだって京都生まれだけど、京都の名所、全部は行ったことないし」
「地元だとそういうこと、あるわね。いつでも行ける所は、意外と行かないもの」

私は、周子がどんなところに行ったら楽しいだろうか、考えていた。
その時、私はごく自然に、私と周子が二人きりで歩いている風景を思い浮かべていた。



「どうせなら、今度いっしょにお出かけしてみる?」
「さすが奏ちゃん、話がわかる♪ ま、あたしは最初からそのつもりだったけど!」

周子の表情が、言葉とともにほころびる。私もつられて、つい頬が緩む。
大人びた澄まし顔なんて、していられない。



「オフは、奏ちゃんとデートかー。ふふーん♪」

周子がくちびるから漏らした声は、本気にも戯れにもとれた。


●03

オフの日、朝に二人で待ち合わせ。
私のプランで、午前中は映画に行くことになった。

「なんかオシャレなチョイスきたね。やっぱ奏ちゃん、こういうとこでこういうの見るの……
 これ、上映中にポップコーンとか食べていいのかな」

周子は、あまり映画を見ない方らしい。
私が贔屓にしている映画館にも、選んだフィルムにも、少し呑まれている。

「気張ることなんかないわ。あまりつまらなかったら、午後のために寝てしまってもいいのよ」
「えー、奏ちゃんがあたしに選んでくれたんだから、それはダメよ」

といっても、周子はたぶん気に入ってくれるはず。自信はある。
めぼしい新作は、既に観ているから、周子といっしょに見られそうな映画の目星はつけていた。
こういう時、東京だとスクリーンが豊富だから助かる。



ブザーが鳴って、照明が落ちていく。映写が始まる。

私は映画のスクリーンより、隣の席に顔を向けていた。
上映の反射光で、暗闇から浮かび上がったり沈んだりする周子の顔を見ていた。





「うーん、見入っちゃったーん♪」

場内に明かりが戻ってきて、気の早い観客が出口をくぐっている頃。
一本の映画が終わった後の、気怠くも満たされた余韻が、周子から漏れた。

「見た目はキレイだったりかっこよかったり、お高くとまった主人公かなーって思ってたけど、
 ヒトに見えない所でいろいろあるのを見ちゃうと、つい感情移入しちゃった!」
「様々な顔を持っているのに、他人に見せられるのは綺麗なところだけ、なのよね」

それってなんだか、アイドルに似ている。
と、私たちの感想がそこで重なった。

私が、周子に見せるのを尻込みしている顔があるように、
周子にも、私に見せていない顔が、あるんだろうか。



「このあたしが2時間近く映画見てて、ポップコーンも飲み物も空になってない! 快挙だよ!」

周子は最初の30分ぐらいは落ち着かなげにスナックをかじっていたけど、
折り返した頃には、紙コップも容器も肘掛けに放置していた。

それも私は、全部見ていた。

「確かに、途中で飲み食いするのがもったいないぐらいの映画だったけど、
 残ったのを映画館の外に持ち出すのもね。奏ちゃん、食べ切るのちょっと手伝ってー」

周子はストローをくちびるで挟んで、ドリンクを吸い上げた。
私は周子の紙カップからポップコーンをつまんでいた。



氷が溶けてすっかり薄くなったドリンクが、
上映中の映画さえ見られないほど周子に現を抜かしている私と、重なって見えた。

いっそ、そのくちびるで吸い尽くしてくれればいいのに。

●04


シネマを出た後は、妙に空が眩しい。
東京都心にしてはほどほどに賑わう街中を、二人で歩く。
時間は、そろそろお昼にしてもいいか、という具合。



「おっ! にしんそばなんて、こっちじゃ珍しいね」
「にしんそば?」

どこでランチにしようか。
あまり焦らすと、周子の胃袋が可哀相だな――なんて思っていると、
周子が不意に足を止めた。

「お蕎麦屋さんね。それにしても、にしんそばって何かしら?」
「奏ちゃん、知らないんだ。まぁ、東京にはないのかもね。
 関東と関西は、ダシもけっこう違うし」

周子は、お蕎麦屋さんの店先に掲げられたお品書きが気になったらしい。
周子の目線をなぞる。お品書きは、黒漆でつやつやした小さな木札がたくさん掛かっていて、
その一枚に『にしんそば』と書かれていた。私には、名前と値段しか分からなかった。

「そうか、奏ちゃんは知らないのか……じゃ、ここで食べてこ♪」
「花も恥じらう女子高生二人がオフで遊んでて、ランチがお蕎麦屋さん、ね」
「ふふーん、渋いでしょう?」

周子が目をつけたお蕎麦屋さんは、けっこう繁盛している様子。
うかうかしてると、二人分の空席すらなくなりそうなので、さっさと暖簾をくぐることにした。



私たちは空いてたカウンター席に並んで座り、同じにしんそばを注文した。
別のメニューを頼んで周子と分け合ってみたい、という気持ちもあったけど、
蕎麦を分け合うというのは何となく抵抗があったので、やめておいた。

にしんそばが“京都では定番だが東京では馴染みの薄い食べ物のようだ”
というところまで周子と話したところで、注文した実物が湯気をたててやってきた。

「うーん♪ これが京風だよー!
 別に関東風がキライってわけじゃないけど、あたしはこっちのが馴染んでるね」

立ち上る湯気――周子曰く、鰹ダシらしい――は、どこか優しげ。
透き通ったダシ汁に、花のような白ネギが浮かび、わずかに不揃いな手切りそばの上に、
濃いべっこう色の照りがついたにしんの甘露煮が鎮座していた。

二人並んで割り箸を割る。
私が右利き、周子が左利きなので、私の左に周子が座っている。

「できたてのかけそばはアツいぞー。でも最初からにしんに手をつけちゃうのはせっかちかな?」

私が、自分のにしんそばから周子に目線を移すと、
周子はそばを箸で持ち上げたまま、私に笑いかけてきた。

箸でつままれ、重力に引っ張れて下に伸びる蕎麦が、
冷まそうとする周子のくちびるから、吐息を浴びて微かに揺れた。
そのまま、一呼吸のうちにスルスルとすすられる。

「んまいっ! 京都育ちのあたしも太鼓判だよ!」



周子が店のにしんそばを絶賛したため、
カウンターの向こうでそばを茹でているおじさんが、明らかに上機嫌となった。
忙しいお昼時なのに、こっそりデザートまでオマケしてもらった。

「いいねこのお店、また絶対行こー!」

店を後にした直後の周子の言葉に、私は頷いた。

「そうね。私も行きたいわ」



だって、周子があんなに美味しそうに食べているのに、
周子ばかり見ていた私は、せっかくのにしんそばの味を、ろくに覚えていないのだもの。

●05

お昼を食べたあとは、街であちこちのお店を冷やかす。

「ほほー、ここが奏ちゃんコダワリのお店なんだね。
 リップの品揃えが豊富で、ディスプレイだけでも壮観だよー!」

私の行きつけを紹介してみたり、

「最近さ、アイドルやってて、普通のコが着ないような服に慣れちゃったから、
 自分のファッション感覚が大胆な方面に寄ってる気がするんだ」

あちこちはしごして、あーでもないこーでもないと試着してみたり、

「えっ“血を抜いてもいいんですか”だって。奏ちゃん、あたしたち色白で細いから、甘く見られてるよ。
 全血だっていけるいける。献血カード見てみてよっ。ホラ、あたしけっこうなベテランでしょー?
 シューコちゃんの血なんて注いだら、どんな病人でも立ちどころに回復しちゃうぞー♪」

なぜか、献血ルームで血を抜いたりした。


●06



夕方。中途半端な時間だけど、ショッピングを続けるには、少し疲れてきた。

「ねえ、周子。少し歌っていかない?」

カラオケルームがあったので、私は周子に声をかけた。
お茶をしてもいいのだけど、それなら事務所でもできる。
むしろ一部のアイドルがこだわっているせいで、下手なお店より上のお茶が飲める。

「いいね。アイドルになってからは、プライベートで歌うことってめっきり減っちゃったし。
 行こ行こっ♪ 奏ちゃんのソロライブ、あたしが独占しちゃうから!」



“どんな笑顔すれば 嘘つきじゃないのかな
 どこか宇宙舞い込んで うずく胸伝えたいけど”

“欲しいものはすべて あなたのなかすべて
 赤い血のなか 探検したい 会える度に過激になる”

“あなたの優しい言葉が途切れると グレイの気がかり目覚めてしまう
 ずるいこと 悪いこと もっと素顔からはじめさせて”



なんて歌を、歌ってるんだろうね。私ったら。
いくら面と向かって言えないからって。

表情を作るしかなくても、いつか本心に気づいてくれるでしょ――そんなワガママが、言いたい。



「いやー、最初っから飛ばすねー奏ちゃーん! シューコちゃんキュンキュンだよもー!」
「ふふ、そうかしら」

“allo allo toi toi”(君に私の声、聞こえてる?)と私がウィスパーで締めくくると、
周子は一番熱狂的なファンにも負けないぐらい賛辞を、間近から送ってくれた。

「奏ちゃんみたいなクールなコが、こんな儚げな一面をチラっ♪
 と見せたら、みんなイチコロだって!」

私が歌にしか乗せられないモノは、あなたにどこまで届いているんだろうか。



「んじゃ、しんみりしたところで次はあたしー♪ ちょっとハイな曲にしちゃおうかな。
 んんーふふふっ、いいねカラオケマイクは。ステージマイクと違ってゴマカして遊べるし」

私がマイクを手渡すと、周子は私と対照的に、うきうきと弾むようなラブソングを紡ぐ。
ただ歌うのはつまらないから……と、あなたも誰かを思って歌っているのか。

周子に握られたマイクが、少し羨ましい。
私では、あなたの吐息も歌声も、あんな近くでは感じられないだろうから。

●07

今日の締めくくりは、ダーツバーだった。
最後にここへ行くのは、最初から決めていた。

「奏ちゃん、ダーツに興味出てきたんだ♪ 嬉しいなー。手取り足取り教えちゃうから!」

ダーツは正直“いつかやってもいいかな”程度にしか思っていなかった。
でもこの間、周子と千奈美がダーツの話で盛り上がっていたのを見て、つい。

「へぇ、いいのかしら。私、自分で言うのもなんだけど、結構器用なんだから」
「いーよいーよ、シューコちゃんと勝負になるヒト、知り合いにほとんどいないんだもん。
 ダーツはやっぱり勝負だから、さ。あたしと同じくらい上手くなってくれたら、嬉しいな」

まずはフォームを覚えようか、と周子が私にダーツを握らせる。
ひんやりとした真鍮の温度。細いバレルに、金属的な硬さを感じる。

「それね、あたしのマイダーツ! 奏ちゃんだから、触らせてあげるんだよ?」
「なら、きっと上手く当たってくれるわね」



手を添えてもらったり、周子が右手を振ってフォームを見せてくれるのを見たり、
実際に投げてみたり。私は今日のなかで一番、この時を無心で楽しんでいた。
2メートルちょっと離れたダーツボードと、横に立つ周子の間で、無邪気に一喜一憂した。



「奏ちゃん、スジいいね。今まであたしが見た誰よりも、上達早いよ!」
「いや、たまたまトリプルリングに当たってしまったから……」

そろそろ帰らないといけない時間が近づいてきた頃、私は周子と勝負した。
カウントアップ――単純な点加算ゲームで、たまたま私が高得点なリングに連続して当てたものだから、
周子も本気になって、おかげで終わる頃には、かなり点差をつけられてしまった。



「奏ちゃんがこの調子だと、
 あたしの黄金の左を解放しなきゃいけなくなる日も近いかな……?」

周子は例のマイダーツを、今日はじめて左手の指に絡ませた。
ダーツボードを見据える目は、アイドルの仕事にも負けないぐらい真剣。
私は、真っ直ぐ引き結ばれた周子のくちびるに釘付けだった。

「あっ――」

不意に、周子の左腕が動き、ダーツが軽い音と共に中心円の赤い部分へ刺さった。

「どーよ? トリプルリングはともかく、調子よければブルも狙って当てちゃうんだぞ♪」

引き結ばれたくちびるが、会心の一投で解けて、屈託なく広げられた。



その夜、私はベッドに寝転んだまま自分のくちびるを指でなぞった。



くちびるが寂しいときはどうする?

実践してみたいけど、私一人ではできない。


●08

ある日事務所で、周子が机に大判の冊子を広げていた。

「あ、奏ちゃんじゃん!」
「それは、アルバムかしら?」
「そー! 見てみてっ、んーコレコレ。六歳のしゅーこちゃん、かわいーでしょ?」

周子が示した写真には、振袖姿のあどけない女の子が写っていた。
それから目を上げて、今の周子と並べてみる。

「周子は、こんな小さな頃から可愛かったのね」
「えへへ、照れちゃうじゃない! この頃のアタシの夢、なんだと思う?
 ウチの和菓子屋の看板娘だったんだー」
「いいわね、商売繁盛しそうよ」

冗談めかして言っていたが、周子は割と本気で照れていたようで、
そそくさとアルバムを閉じてしまった。惜しいことしたわ……

なんて思っていると、
“奏ちゃんの小さい頃はどうだった? 今度アルバム見せてよ! あたしだけとか恥ずかしーやん!”
と、私の昔の写真を披露するよう約束させられた。



「ま、こんな可愛かったあたしも、実家でヌクヌクしようとしたら追い出されて……
 いまや看板娘どころかアイドル……人生わかんないモンだよねー!」
「アイドルもある意味、看板娘みたいなものでしょう」
「まぁね♪ ……っと、実家といえば」

周子はアルバムをしまうと、アルバムよりもさらに大きな紙箱を机に乗せた。
和紙調の紙に包まれていて、屋号らしきくずし字が添えられている。

「じゃーん♪ 京都銘菓八つ橋だよー! 奏ちゃんも食べる? ウチの実家のだけど」
「ありがとう。いただくわ」

周子は自分のお土産だからか、凝った包装も遠慮無くバリバリと剥がした。
そしてずらりと並んだ半透明の包みの一つを、私に手渡してくる。

「あ、アンコ苦手だったりする? 一応、色んな味作ってるけど」
「いいえ、それをもらうわ。あんこが和菓子の王道でしょう」
「奏ちゃんったらわかってるじゃなーい! シューコちゃんは嬉しいよー」

生八ツ橋のやわらかい感触が、くちびるに、歯に、舌を覆ってくる。
手の中では小さくて軽かったのに、ほのかな香辛料の香りと、
黒餡特有のトゲがないしっかりとした甘さが、口内から私を占領していく。

この八つ橋と、あなたのくちびると、どちらがやわらかいかしら。



「んー、実家帰ってなかったから、なんだかんだでコレ食べるの久しぶりだな。
 いやー懐かしいわ。ちっちゃい頃から食べてたからねー」

気づけば、周子も八つ橋に舌鼓を打っていた。

今、私のくちびるに触れる柔らかさは、
私が知らなかった頃から、あなたを知ってる。



お菓子を羨ましがるなんて、私もどうかしているわね。



●09

また、ある日。東京に儚い雪がちらつく季節のこと。

周子は、白く丸い皿に並んだチョコレートを神妙な面持ちで見つめていた。
和菓子押しのイメージが強いので、洋菓子との取り合わせが新鮮に映る。

私は、黙ったままチョコとにらめっこしている周子を眺めていた。
やがて周子は、おもむろにチョコの一つを指先でつまむと、くちびるの間に差し入れた。



「……いい感じにできてるっ! これホントにあたしが作ったん?」
「それは周子が作ったのよ。私ではないわ」
「やった! シューコちゃん特製チョコレートー♪」

私は、周子の顔を見ていた。
緊張から歓喜への変遷は、劇的で鮮やかで、私は周子に魅入られてる。

「これで、バレンタインの仕事でもうまくできるわね」
「奏ちゃんのおかげだよー、奏ちゃん大好きー♪ うまくいったから、あたしの食べて食べてー!」

周子が勧めてくれた手作りのチョコは、外見は普通の甘いミルクチョコ。
口に入れると、甘さとともに、アクセントのシナモンが薫って、味を引き締める。
周子が出した、初心者なりの持ち味だ。



周子が私に相談してきたのは、バレンタインのチョコ作りについてだった。
近く本格的なバレンタイン絡みの仕事ようで、チョコを作ることになって、
周子は同時に組むアイドルに頼ろうと思っていたが、どうもてんで頼れない面子らしい。

ということで、去年のイベントで経験のある私に頼んできたそうな。
当時、練習すればなんとかなるだろうとしか考えていなかった私より、意識が高い。

「あたし……ラクしたいタイプだけど、自分がやらなきゃ! ってなったら、やるコだよ」

周子は真剣だった。

私は、チョコ作り練習の動機がアイドルの仕事関係で良かった、と安堵していた。



私は、手仕事なら最初からそれなりにこなすので、自分で器用な方だと放言している。
でも、周子の出来栄えを味わうってみると、周子も自賛して申し分ない手際だと思った。

「ところで、なんでバレンタインってチョコなんだろーね」
「チョコレートのように、甘くなって欲しいからじゃない? 二人の関係が、ね」
「……じゃあ、和菓子にもチャンスあるかもね?」

周子はキラキラとはしゃぎながら、くちびるの端に残ったチョコをぺろりと舐めた。



私のくちびるでは、あなたにそんな笑顔させられないだろうね。


●10

私たちが籍を置くCGプロダクションは、休憩室にも大きな姿見が据えてある。
理由は分からないけど……アイドルたるもの、自分がどう見えているか常に意識しろ、ということか。

その姿見の前で、周子の背中が一人立ち尽くしているのを見かけた。
私は周子に声をかけようとして――凍りついた。姿見の中の周子と、目が合ってしまった。

「……んー? あ、奏ちゃん。おつかれー♪」
「お疲れ様。周子は、鏡を見てたの?」

周子も、鏡の向こうで固まった私に気づいたらしく、こちらを振り返った。

「そうだよー。あ、見てみて!
 このルージュ、前に奏ちゃんが教えてくれたお店で見つけたんだよ♪」

周子が見せてくれたルージュは、淡く煌めいていた。
これを乗せた周子のくちびるは、どんな輝きを見せるんだろうか。



「それでは、お試しのところを邪魔してしまったかしら」
「そうかもね。なら邪魔しちゃった代わりに、奏ちゃんはあたしのリップのノリ具合を見ていくのだー!」

周子はくるりと鏡に向き直って、いつになく真剣な面持ちでルージュをくちびるに添える。



姿見の向こう側、鏡の中の世界があるなら、そこに映る私は私なのかしら。
そこで鏡面から私と見つめ合っているのは、本当にあなたなのかしら。

嘘なんじゃないか、と思ってしまう。
私が、あなたから切なくなるほど強いな眼差しを貰ったこと、今まで無かったから。



周子のくちびるにルージュが引かれる。
いっそ私の隙間を塗りつぶしてくれたら。あなたの、その色で。





私は、あなたのルージュになりたい。




(おしまい)

読んでくれた人どうも。

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