勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」 (1000)

勇者「人間界の侵略を続ける魔王軍に抗うため一人立ち上がり」

勇者「世界中を旅して魔王軍に征服されていた各国を解放し」

勇者「伝説の武具を揃えた上、この世で唯一光の精霊の加護を得て、遂には魔王を打倒した」

勇者「そんな世界の救世主、この世の伝説となった勇者が俺の親父です」

勇者「そんな偉大すぎる勇者を父に持つ俺が、今、旅立ちの報告をするために国王の元へ謁見に向かっています」

勇者「え? どこに旅立つのかって?」

勇者「勇者と名の付く人間が旅に出るっつったら魔王討伐のために決まってんだろこんちくしょう」


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国王「おお、勇者よ。よくぞ参った」

勇者「ははぁ~」

国王「おお、そうかしこまるでない。表をあげい」

勇者「お心遣い痛み入ります。本日は出立のご報告に参りました」

国王「そうか、遂に……あれからもう五年もたつのか」

勇者「月日が経つのは早いものです。私もこの日を待ち望んでいた故、なおさら」

国王「うむ…お主の父親のことは残念であった。しかしその血を継ぐお主がこのように立派に育ち、父の遺志を継ぐ……あやつも草葉の陰で喜んでいるじゃろう」

勇者「もったいなきお言葉……必ずやこの世界に平和を取り戻し、父の無念を晴らしてみせます。それでは、これにて」

国王「勇者よ。町の酒場に寄っていけ。魔王討伐の旅に同行を志願した者達を集めてある。その中からお主の目で選抜し、仲間として連れていくがよかろう。……決して、父の二の舞とならんようにな」

勇者「重ねてのお心遣い、感謝の言葉もございません。ご厚意についてはありがたく頂戴いたします」

 キィ……バタンッ!

勇者(………)

勇者( や っ て ら ん ね い Y O ! ! )

勇者(まあ簡単に今までの流れを振り返るとね、居たんですわ。何か魔王の上に大魔王ってーのが)

勇者(ほんで大魔王っちゅーのがなんか魔界とか何とかいう世界に居るっちゅーんですわ)

勇者(これに関しては目から鱗だったね。どっからあんなに魔物うじゃうじゃ沸いてくんだって思ってたからね。まさか魔界とはね。もう一個世界があったとはね)

勇者(そこで満足しとけよ!! 世界足んな~い、もう一個世界欲しい~って欲張りすぎるだろ!! 死ね!!)

勇者(まあ俺の親父もね、そう思ったんでしょう。もうぷりぷりしながら魔界に乗り込んでいったんすわ。5年前にね)

勇者(そんで、まあ……帰ってこなかったんすわ)

勇者(…………)

勇者( そ れ で な ん で 後 釜 が 俺 な ん だ よ ! ! )

勇者(おかしいよ! 息子ってだけじゃん! いや、わかるよ!? 何かを俺に期待しちゃうみんなの気持ちはわかるよ!? 理解は出来るよ!?)

勇者(でも俺なんも受け継いでないじゃ~~ん!! 光の精霊の加護とかももらってねーし伝説の武器とかも預かってねーし、それっぽい情報とかも受け継いでねえしぃ!!)

勇者(元々親父は王宮で騎士やっててその騎士隊の中でも随一の剣の使い手だったらしいけど、俺なんも教わってなかったしぃ!?)

勇者(ってか痛いのとか嫌いだから教えよう教えようとする親父とか周りの人から逃げ回ってたじゃん! みんなそれ知ってんじゃん!!)

勇者(なのに親父がどうやら死んだらしいってなってからのプレッシャー何なの!? 次はお前でしょ的プレッシャー! 特に母ちゃん!! 実の親なのに我が子を死地に送るのにスゲー積極的!! なんなの!?)

勇者(魔王討伐用に鍛えるにしてももっと下地が出来てるやつの方がいいじゃ~ん実際そんな奴いっぱい居たじゃ~ん! ってか今酒場に集まってるやつって大抵そんな奴じゃねーの!?)

勇者(なのに俺にだけすげー期待かけてアホのように修業させて……いやー思い出したくない。この5年は地獄だった。みんなの期待が重すぎるのもあって体力的にも精神的にも地獄だった)

勇者(だからまあ、実は俺自身この日を待ち望んでいたってーのはホントだったりする。ようやく俺はこのプレッシャーまみれの国から逃げ出すことが出来るんだ……)

勇者(いや、ホントきつかった……みんななんかやたら俺のこと目で追うから、やることなすこと監視されているようで……)

勇者(おかげでこの年になっても女の子とろくに手を繋いだこともねーYO!!)

勇者(きゃああああああああやってられるかあああああああああああ!!!! やりなおす!! 俺は俺の青春をこれからやり直してやるんだ!!)

勇者(というわけでパーティーは可愛い女の子で固める。ウハウハハーレムパーティーや!)

勇者(魔王討伐? 何も打倒魔王のために動いてるのはこの国だけじゃない。適当に流してりゃそのうち誰かが代わりにやってくれるさ!!)

勇者(………まあ、この5年その誰かは一人も現れてない訳なんだけど)

―――城下町

武道家「よう。無事王様への挨拶は終わったか?」

勇者「……なんだよお前こんなとこで」

武道家「お前を待っていたのさ。仲間を何人か連れていくよう、王にも言われただろう? 酒場で待っていてもよかったんだが……ぞろぞろと人が固まっている場所は好かんでな。抜け出してきたのさ」

勇者「生憎だったな、お前は連れていかんぞ。俺はウハウハハーレムパーティーで道中面白おかしく過ごすんだ。そこに貴様のような爽やかイケメンが入る余地はない」

武道家「おいおいつれないな。幼少からの古い付き合い…俺たちは所謂幼馴染ってやつだろう?」

勇者「そんな属性は貴様に必要ない。幼馴染が貴様のようないけ好かない男しかいない現実に涙が止まらんよ僕ぁ」

武道家「お前の助けになれるよう、腕を磨いてきたんだがな。残念だ。ま、気が変わったらまたいつでも声をかけてくれ」

―――酒場

酒場のママ「あらいらっしゃい勇者ちゃん。王様から話は聞いてる?」

勇者「ああ、ここに俺の仲間志願の奴が集まってるんだろ? 何人くらいいるんだ?」

酒場のママ「多いわよ~。え~っと、名簿によれば47人ね。もう奥の部屋ぎゅうぎゅうよ?」

勇者「名簿って顔の肖像ついてる?」

酒場のママ「顔はついてないけど、今の職業とこれまでの経歴は載ってるわよ」

勇者「ちょっと見せてくれ……ふぅ~む、ほんほん。おん? この名前……」

勇者「ちょっとママさん、この子呼んできてくんない?」

酒場のママ「はいは~い」



僧侶「どうか私を魔王討伐の旅に連れて行ってください、勇者様!!」

勇者「僧侶たんキタァァァーーーーーーッッ!!!!!!」

僧侶「ひえっ!?」

勇者(名前見てもしかしてと思ったらビンゴォォォォオオオ!! 普段は教会で修道女やってる僧侶たんだぁぁぁあああ!! はぁぁぁああああん!!!!)

勇者(その麗しい見た目!! 敬虔な修道女ぶり!! 前々からいいないいなと思いつつ遠くから眺めるだけだった僧侶たんがまさかのパーティー志願!!?)

勇者(ふああああああああん心臓の音やばいよおおおおおおおおおお!!!!!!)

僧侶「え、えっと、あの……」

勇者「ご、ごほん。ちなみに僧侶た…僧侶さんはどうしてこの旅に志願を?」

僧侶「は、はい! 魔王が復活し、また魔物たちの活動が活発になったことで、両親を失い、孤児となった子供の数が増えてきています。……私が身を置いている教会でも、多くの孤児となった子供たちを保護し、孤児院へ斡旋してきました……」

僧侶「もう、あんな子供たちの顔を見るのは嫌なんです!! そのためなら私、何でもします!! 命だっていらない!!」

勇者(はああああん天使だよおおおおおおお!!!! 僧侶たあああああああん!!)

僧侶「どうか、私を連れて行ってください!! お願いします、勇者様!!」

勇者(お辞儀した拍子におっぱいが盛り上がったよおおおおおおお!! 何この子完璧じゃあああああん!! 可愛い、優しい、おっぱい大きい、完璧じゃあああああん!!!!)

勇者(何でもするって言った!? 何でもするって言った!!? じゃあお嫁さんに来てくださいいいいぃぃぃぃいいいい!!!!)

僧侶「………うぅ」

勇者(めっちゃキラキラした瞳でこっち見てるぅぅぅううう!!!! 何か最初っから好感度MAXっぽいぃぃいいい!!!!! 伝説の勇者の息子効果ぁぁあああああ!!!!)

勇者(あー、こういう時だけは親父に感謝だわ、マジで)

勇者「こちらこそよろしく、僧侶ちゃん」

僧侶「ちゃ、ちゃん?」

勇者(あ、やっべつい言っちゃったキモイと思われちゃったあああああ!!!?)

勇者「ご、ごめん! 不愉快だったかな!?」

僧侶「い、いえ、少し驚いただけです! これからよろしくお願いしますね、勇者様!」

勇者(はああああああんやっぱ天使ぃぃぃぃいいいいいいい!!!!)

勇者(パーティーはやっぱ多くて4人だよなあ……宿屋とかも4人部屋とか2人部屋多いし、5人にすると確実に俺だけ1人部屋にはぶられる可能性大)

勇者(かといって6人以上にすると大所帯で色々身動きが取りづらいだろうし、下手すりゃパーティー内で3人・3人のグループに分かれかねん)

勇者(うん、やっぱ4人だな。当初は4人で旅して、もう少し人数がいると感じたらまた仲間を増やす方針でいこう)

勇者「一応確認しとくけど、僧侶ちゃんは水の加護を受けてるよね? 土と風の加護はまあ受けてないにしても、火の加護は受けてるかな?」

僧侶「ご、ごめんなさい。精霊様の加護は、水の精霊様の分しか受けていません」

勇者「いやいや謝らなくていいよ。確認しただけだから。それじゃあ僧侶ちゃんの役割は回復をメインとしたバックアップだね」

勇者「となると、土と風に特化したアタッカーがやっぱ一人は欲しいな」

※精霊の加護
瘴気をまき散らし、世界を汚染する魔物は人間だけでなく、この世界に生きる精霊たちにとっても天敵。精霊は何か生物の体を介在しなければその力を振るえないため、魔物を退治しようという人間には積極的に力を貸してくれる。
土・風・水・火の区分については、その加護の効能によって人間側が勝手に大別したもので、別に精霊が明確にその4種族に区別されるわけではない。

・土の精霊…加護を受けることによって身体能力(主に筋力・膂力)が向上する精霊の総称

・風の精霊…加護を受けることによって身体能力(主に反射・敏捷)が向上する精霊の総称

・水の精霊…加護を受けることによって傷の回復など、補助に特化した呪文を振るえるようになる精霊の総称

・火の精霊…加護を受けることによって敵の殲滅を目的とした攻撃呪文を振るえるようになる精霊の総称

ただし、精霊の加護を受けるためにはその者自身に元々ある程度の能力が求められる。これは、精霊自体の数と、精霊一体が与えられる加護の数が限られているため、精霊が加護を与える対象を慎重に選別しているものと考えられており、またこのことから精霊にも明確な意思が存在しているものと推測されている。(あくまで推測であり、精霊と意思の疎通が出来たという事例は報告されていない)
魔物を倒すためには精霊の加護は必須である。
魔物を多く倒すことで精霊の目にとまり、より多くの加護を得ることが出来る。


僧侶「あのう…勇者様」

勇者「なんだい?」

僧侶「差し出がましいようですが……もし土や風の精霊の加護を受けた『戦士』をお求めならば、奥に居る同行志願者の中に私の友人がおります。よろしければ、彼女もこの旅に同行させてはいただけないでしょうか」

勇者「彼女? ってことは女の子?」

僧侶「はい。しかし、腕は確かです」

勇者「可愛い?」

僧侶「はい?」

勇者「ごめん今のなし」

僧侶「か、可愛いかどうかと言われれば……この国で一番の美貌の持ち主であるともっぱらの評判です」

勇者「決定」

僧侶「ふえ?」

勇者「決定です。僧侶ちゃん、早速連れて来て」

僧侶「は、はい! ありがとうございます!!」

勇者(こちらこそありがとおおおおおおおおおおおお!!!!!!)

勇者(やばい! 何か順調すぎてやばい!! 美貌、という言い回しをするからにはその子はきっと綺麗系お姉さまなんでしょう!! 可愛い系おっぱい大きい僧侶たんに、綺麗系スレンダー戦士たん(想像)!! じゃああと一人はどうしましょう!? あらやだやっぱり無口系クール子たんかしら!?)

勇者(夢が広がりゅぅぅぅううううううう!!!!)

僧侶「お待たせしましたー!」

勇者(来たぁぁぁぁああああ!!!!)

僧侶「この子が私の友人の戦士です。ほら、ご挨拶して戦士!」

戦士「……戦士だ。よろしく頼む」

勇者「……あ、はい。こちらこそ」

勇者(……あれ? 何かおかしい。目がおかしい。あの子の目僧侶たんみたいに全っ然きらきらしてない。むしろなんか……汚物を見る目?)

勇者(やだ、こわい!! 確かに超美人だけど、女の子と碌に接点持ってない俺にその目はハードル高い!! 萎縮しちゃう!!)

戦士「言っておくが、私は本気で魔王を、ひいては大魔王を倒すためにここに居る……くれぐれもよろしく頼むぞ、勇者殿」

勇者(えーーーなんか釘刺されたーーー!!!! こわーいやばーーい!! 何か勇者『殿』ってのも皮肉っぽーーい!!)

勇者(なんでー!? この人俺のこと何か知ってるのーー!? こわーいやだやばーーい!!)

僧侶「もう、戦士ったら勇者様に対して失礼よ!!」

戦士「気に障ったなら、すまない。だがこれが私の偽らざる気持ちだ。覚えておいてくれ、勇者」

勇者(わーやっぱりもう呼び捨てだー。この子俺に対する好感度ひっくーい。マジで何でかわかんなーい。ヤダーおうち帰りたーい)

僧侶「もう戦士ったら……ごめんなさい勇者様。この子、本当はとってもいい子なんです。ちょっと言動がぶっきらぼうなだけで」

勇者(わーチェンジって言えなーい。僧侶たんのフォローが入っちゃったらもうチェンジって言えなーい。帰りたーい)

戦士「それで…もう出発するのか? それとも、まだ仲間を募るのか?」

僧侶「どうします? 勇者様」

勇者「仲間、ええと、はい、仲間ね! 仲間はね、もう一人は目星ついてるから! ほんじゃ、行こっか!!」

―――武道家の家

武道家「ハーレムを作るんじゃなかったのか?」

勇者「無理! 無理無理!! あの戦士さんの加入でハードル一気に上がっちった!! これにあと一人クール系美少女加えたりなんかしたら俺捌ける自信がない!!」

武道家「無理やりクール系にせんでもいいだろうが。もっととっつきやすい奴がいくらでもいたろう」

勇者「無理だよ! いざ現実に女の子二人仲間に入れたらプレッシャーすげえよ! これにあと一人女の子入れたりなんかしてみ? 俺会話に混ざれる自信ねえよ!!」

勇者「だからお前も一緒に来い! 何かこう上手いこと男女の間の緩衝材になれ!!」

武道家「やれやれ、純粋に魔王討伐の戦力として声をかけてもらいたかったもんだが…ま、よかろう。お前と共に征くという結果は変わらん」

勇者「……待て、今気づいた。何でお前そんな準備万端なん?」

武道家「それなりに付き合いも長い……お前の行動など読めるさ」

勇者(は、腹立つ!! 言外にどうせお前がハーレムなんて無理ってわかってたよプゲラって言われてる!!)

武道家「というわけで、武道家だ。勇者とはわりとガキの頃からつるんでる……よろしく頼むぜお嬢さんたち」

僧侶「よろしくお願いします!」

戦士「……よろしく」

勇者(何か思ってたのと違ーう!! 何かガチの旅になりそー!! ヤダー怖ーい帰りたーいでも帰っても居場所ないから行くしかなはーい!!)

勇者(ちくしょう! 恨むぞ親父ィ!!)


第一章  旅立ち       完

というわけで、一度はやってみたかった勇者もの
週一くらい目標でぼちぼち投下していくんで、適当に見てやってください

勇者(と、いうわけで魔王討伐の旅に出発せざるを得なくなりました。しかも、なんかガチな感じで)

勇者(伝説の勇者の息子ということでちやほやされながらハーレムパーティーできゃっきゃきゃっきゃやっていこうという当初の思惑はどこへやら)

勇者(何かやたらやる気満々でガチで鍛えまくってたアホ武道家と、この旅に真剣そのものの面持ちで臨む女戦士さんがパーティーに加入しました)

勇者(まあ女戦士さんは金色の髪がすらっと伸びてて超綺麗でスタイルは非常にバランスのいい感じで、つまり全体的に超俺の好みなんだけど、如何せん性格に遊びがなさすぎる。ぶっちゃけ超怖い)

僧侶「それではまずは北東にある第一の町を目指すべきでしょうか?」

勇者(僧侶たんだけが癒しだよふもおおおおおん!! きゃわわ!! 僧侶たんきゃわわ!!)

勇者「そだね。しばらくは親父の足跡をたどっていこうと思ってる。その途中で色々親父の話―――親父が魔王を倒すためにどんな準備をしていったのか、情報が得られるかもしれないからね。それでいいかな?」

武道家「異存はない」

戦士「私もだ」

僧侶「私もそれが良いと思います!」

勇者(きゃわわ!!)

勇者「それじゃ、出発しようか」

武道家「もしお前の父親の情報が途中で途切れたら、その時はどうする?」

勇者「そん時はそん時に考えるよ。でもまあ、その心配はないだろ」


勇者「なんせ、俺の親父は各地で語り継がれる『伝説の勇者様』だってんだからな」

勇者(はい城下町出ましたー。第一の町までは街道が整備されてるのでこれを辿っていけばいいんですがー)

 蛞蝓型魔物があらわれた!
 猪型魔物があらわれた!
 烏型魔物があらわれた!

勇者(はい早速お出ましでーす。5年前親父が魔界に消えて、程なくしてすぐ魔王が復活してー、またガンガン魔物使って侵略範囲を広げていきましたー)

勇者(結果、5年経った今ではこうやって整備された街道進んでもおかまいなしで魔物が襲ってきまーす。町の人とか外出る時は護衛必須。交易滞りまくり)

勇者(マジでこの状態から魔物たちを魔界に追い返すには所謂『勇者』を立てて敵の親玉を狙う電撃作戦しかないんだよね、実際)

勇者(わかっちゃいるけど責任重すぎ!! 頑張れ! 各国から派遣されてるはずの他の勇者たち!! 俺は何かこう、無理のない範囲でぼちぼちやる!!)

勇者(というわけでパーティーを組んでからのこの初戦闘! ビシッと見事な采配で敵を殲滅し、パーティー内での地位を確立するのだ!! 今後いい感じで旅を続けるために!!)

武道家「つあッ!!!!」


 武道家の攻撃! 猪型魔物にダメージ!


勇者(あれあれ? 僕まだ何も指示出してませんよ?)

戦士「はあッ!!!!」


 戦士の攻撃! 蛞蝓型魔物を両断!


勇者(あれあれこっちも!?)

僧侶「皆さん! 怪我をしたらすぐに私が治療しますからね!!」

勇者(僧侶たんすら自分のタイミングでやる気満々だーこれ!)

勇者(ま、まあ初戦闘だからね。ぶっちゃけ俺もパーティーの実力全然知らんし、指示の出しようないからね。今回は個々の力を見定めさせてもらおう。今後の指示出しのために、このパーティーを率いるリーダーとして!)

武道家「はッ! たぁッ! つぇりゃあ!!」


 武道家の連撃が猪型魔物を怯ませる!


勇者(武道家は拳闘をメインとした体術。蹴りも出さない訳じゃないが、相手との距離を取るためだったり、連撃の締めに繰り出して相手の体勢を崩すためだったり、その頻度は少ない)

勇者(使用している武器は『手甲』。拳から手の甲側を鱗のように節を設けた鋼で覆っている。その範囲は肘まで及び、防御の時は盾としても使える攻防一体の武具だ)

勇者(特に目を引くのは肘から飛び出した槍の穂先のような刃――肘打ちを繰り出せばちょうど相手に突き刺さるような構造となっており、『スピア』と呼ばれている)

 武道家は間断なく拳を繰り出し、猪型魔物を打ちのめす。
 猪型魔物がたまらずたたらを踏み、バランスを崩した瞬間――武道家はその肘で猪型魔物の額を打った。
 つまり――その肘から突き出たスピアが、深々と猪型魔物の額に突き刺さっている。
 武道家は何かに祈るように両目を閉じ、ズブリと魔物の頭から刃を引き抜いた。


 猪型魔物をやっつけた!


勇者(えぐい!!)

勇者(風の精霊の加護を強く受け、敏捷性に特化した武道家は反撃の間も与えない連撃で相手の体力を削ってからスピアを急所に打ち立てて一撃必殺を狙うタイプだ)

勇者(ステータスを表すならこんな感じか)


 武道家【爽やかクソイケメン】

 体力★★★★
 魔力
 筋力★★★
 敏捷★★★★★


勇者(まあ、実は武道家についてはある程度知ってたんだけどね。一緒に修業したこともあったし)

勇者(戦士は――)

戦士「はあッ!!」


 戦士の攻撃! 烏型魔物を両断!


勇者(両手持ちの大剣か。すげえ、150㎝くらい長さあんのに、すばしっこい烏型魔物に難なくついていってる)


 魔物の援軍!
 烏型魔物Aがあらわれた!
 烏型魔物Bがあらわれた!
 烏型魔物Cがあらわれた!


戦士「はああッ!!!!」

勇者(うおおマジか。マジで小枝みてえに剣振り回してる。どんだけ強い土の加護受けてんだ)

勇者(しかもただ振り回してる訳じゃない。流れるような剣の動きには確かな技が見て取れる。うお、剣の遠心力利用して体の位置入れ替えやがった)


 烏型魔物Aをやっつけた!
 烏型魔物Bをやっつけた!
 烏型魔物Cをやっつけた!


勇者(戦士さんマジで何者だよ…独力で修業してこうはならんだろ……超怖ぇよ…)

勇者(ステータス的にはこんな感じか)


 戦士【なぞびじん、ちょうこわいやばい】

 体力★★★★★
 魔力
 筋力★★★★★★
 敏捷★★★★

僧侶「戦士、武道家さん、お疲れ様でした! 今回復しますね!」

勇者(戦士も武道家もかすり傷くらいしかないから、ぶっちゃけ回復の必要ないけど、仕方ないよね! 僧侶たん優しいもんね!)

勇者(まあこんな感じで治癒呪文連発して、肝心な時に息切れしないか心配だけど……)

勇者(しょうがないよね! 僧侶たん天使だもんね!!)

勇者(僕にも治癒呪文かけて! 僧侶たんの癒しの魔力感じさせて!! 僧侶たあああああああん!!)

僧侶「……?」クビカシゲー

勇者(まあ、だよね! だって俺今の戦闘見てただけだもんね!! 僧侶たんからしたらぼーっと突っ立ってて何してんのこの人?状態だよね!!)

勇者(……やべえよ。次はマジで名誉挽回せんと…)

勇者「ッ!!」

 瞬間、勇者に電撃走る。
 勇者の目に映ったのは僧侶に忍び寄る蛞蝓型魔物の姿。
 戦士の剣によって両断されてなお、半分の体となっても未だ死なず、僧侶を目標として攻撃態勢に入っている。

勇者「僧侶たんに何さらすつもりじゃオラッ!!」


 勇者の攻撃!
 蛞蝓型魔物をやっつけた!


勇者「油断も隙もねえ……よりによって僧侶たん狙うなんざこのボケが……!」

僧侶「あ、ありがとうございます勇者様」

勇者「大丈夫? 僧侶ちゃん怪我はない? 治癒呪文で回復しても傷跡は残っちゃうからね。女の子なんだから、マジで怪我しないように気を付けないと」 

戦士「………」

僧侶「あ、あの、勇者様……さっき私のこと僧侶たんって…」

勇者「空耳だよ。俺、勇者。勇者そんなこと言わない」

僧侶「そ、そうですよね! 空耳ですよね! ごめんなさい変なこと言っちゃって!!」

勇者(マジ僧侶たん純粋! きゃわわ!!)

勇者(そんな僧侶たんのステータスはこちら!)


 僧侶たん【マジ天使】

 体力★★
 魔力★★★
 筋力★
 敏捷★


勇者(うむ、これで仲間のステータスはあらかた把握できた)

勇者(次の戦闘でこそこの勇者の智将ぶりを遺憾なく発揮してくれよう)


 兎型魔物があらわれた!
 鼠型魔物Aがあらわれた!
 鼠型魔物Bがあらわれた!
 鼠型魔物Cがあらわれた!


武道家「はあああッ!!!!」ダッ!

戦士「おおおおッ!!!!」ダッ!

勇者「ですよねー」

勇者(駄目だ! あの二人全然こっちの指示を待つ気がねえ!)

勇者(なんか、もう、いいや……)

 武道家の攻撃!
 兎型魔物をやっつけた!


勇者(基本的に戦闘はあの二人に任せよう。俺は常に僧侶たんの護衛に努める。もうそれでいいっす。問題ないっす)


 戦士の攻撃!
 鼠型魔物Aをやっつけた!
 鼠型魔物Bをやっつけた!


鼠型魔物C「キ…キィッ!!」

戦士「ちっ…一匹討ちもらしたか…だが、逃がさん!!」ダッ!

勇者「ごっつあん!!」ドスッ!

鼠型魔物C「ピギャッ!!」ブシャー

戦士「なっ…!」

勇者(もうこんな感じでいいや……俺は基本的に僧侶たんの護衛をしながら、二人がカバーしきれない分の処理をしていく。戦術的には悪くないし……)

勇者(まあ全然勇者っぽくないけど!! 俺スゲー脇役感だけど!!)

勇者「あ、なんか加護レベル上がった」テレレレッテッテッテー

戦士「………チッ」

勇者「ん?」

戦士「………」スタスタスタ…

勇者「……んん!?」


第二章  初めてのたたかい   完

今回はここまで

勇者(衝撃の戦士さん舌打ち事件から三回ほど戦闘をこなしましたところ)

勇者(このまま順調に行けば予定通り日暮れ前には第一の町に着きそうである)

勇者(であれば、そろそろこの辺で昼食も兼ねた大休憩をとってもよいのではないか)

勇者(というのも、少し街道から外れるが、ここからちょいと西の林道を進んだところに綺麗な川があるのである)

勇者(ぶっちゃけ汗と返り血でスゲー体が気持ち悪いのだ。なに? お前ろくに戦ってねーだろって?)

勇者(甘いな。俺は魔物の死体から尻尾だったり羽だったり牙だったりをはぎ取るという雑用で結構働いてるのだ。何のためかというと報奨金を得るためである)

 ※魔物を倒した証として魔物の体の一部を提示することで国から報奨金を受け取ることが出来る。基本的には該当する国境内の城まで持っていかなければならないが、大きい街には『報奨省』と呼ばれる国の出先機関がある。

勇者(甚だ勇者らしくない雑用であるが武道家も戦士さんもこの辺のことをからっきし知らんので俺がやるしかないのである)

 ※魔物の種類に応じて提示する部位と、それに対する報奨金の額は国ごとに厳格に定められている。

勇者(僧侶たんにはこんな汚れ作業させられないしね!!)

勇者「というわけでみんな、ちょっと提案なんだけど……」

武道家「ん?」

僧侶「?」

戦士「………」

勇者(休憩を提案したところ、あっさり了承されました。やっぱみんな結構不快感感じてたんだろね)

勇者「うん、この辺なら雑草も少なくていい感じだな。川からもそんなに離れてないし、ここで火を起こして昼食にしよう」

勇者「僧侶ちゃんと戦士さんは先に水浴びに行っていいよ。その間に俺と武道家で火を起こして準備進めとくから」

僧侶「そ、それじゃお言葉に甘えて……行こっ、戦士」

戦士「ああ……」

勇者「さーて、そんじゃお前は焚き木拾いじゃ。キリキリ働けーい」

武道家「了解だ…が、お前は拾わんのか?」

勇者「俺の仕事は木が集まってからじゃぼけーい」

戦士「………」

勇者「あ、あれ? 戦士さん、どうしたの?」

戦士「一応、言っておく」

勇者「わ、わっつ?」

戦士「覗いたら……殺すぞ」

勇者「さ、サー! イエッサー!!」

僧侶「わあ……!」

 僧侶の口から思わず感嘆の声が漏れる。
 正午にさしかかろうという時間帯。木々の隙間から漏れた光が揺れる水面に照り映えている。
 川の流れは穏やかで、水は澄み、青く染まった水底まで見通せる。
 川の中ほどまで進んでも深さは腰が浸かるほどで、成程勇者の言う通り、体の汚れを落とすには最適なように思えた。

僧侶「ん…しょ」

 僧侶は汚れた衣服を脱ぎ、綺麗にたたむ。
 するりと下着も外し、たたまれた衣服の上に置くと、風に飛ばされないように手のひらサイズの石を重しとした。
 ちゃぽん、と水の中に足を進め、体を馴らすようにぱしゃぱしゃと肩や胸に水をかける。
 肩のあたりで切り揃えられた水色の髪から水滴が滴り落ちる。水滴はそのまま豊満な胸へと落ち、緩やかな曲線を描いて双丘の谷間へと吸い込まれ、ほどよくくびれたウエストを流れ落ちていく。

僧侶「戦士も早くおいでよ! とっても気持ちいいよ!」

戦士「む…うむ…」

 戦士は如何にこの場に同性の僧侶しかいないとはいえ、このような開けた場所で肌を晒すことに非常に抵抗を感じる性格だった。
 念入りに周囲を見回した後、ふぅ、と決意するようにひとつ息を吐き、身に着けている鎧に手をかける。
 鎧の下に身に着けていた肌着は、最前線に立って剣を振るっていただけあって、汗と返り血でぺったりと肌に張り付いていた。
 戦士は僧侶と違い、胸用の下着を身に着けてはいない。鎧との摩擦保護のためにサラシを幾重にか巻いているだけだ。
 肌着を脱ぎ、サラシを解く。
 均整のとれたその美しい肉体が露わになる。
 ふくよかな女性らしさを持つ僧侶の肉体と対照的に、良く引き締まった贅肉の見当たらない肉体。
 胸は僧侶に比べると小ぶりだ。だが、決して小さすぎる訳ではない。戦士の胸はそこでしっかりとその存在を主張している。
 むしろ引き締まった肉体にあることで柔らかさを強調された双丘は、僧侶のそれよりも官能的であるとさえ言えた。
 もじもじと両腕で秘所を隠し、戦士も川の流れにその体を預ける。

戦士「ああ…確かに、気持ちがいいな。これは」

僧侶「ねえ、戦士……」

戦士「なんだ……?」

 僧侶の方を振り向いた戦士は言葉に詰まった。
 眉をひそめた僧侶の顔からは、自身への非難の色がありありと感じとれる。

僧侶「勇者様への態度、あれはあんまりだと思うわ」

戦士「む……」

 言われるだろう、とは思っていた。
 僧侶はかつて一度は魔王を撃退せしめた『伝説の勇者様』に心酔している。

戦士(……ま、それは私も一緒なんだが)

 自身と違うのは、僧侶はその思慕をそのまま『伝説の勇者の息子』にも無条件で寄せていること。
 そこが違う。
 自分は、あの勇者に対してどうしてもそんな感情を抱けない。

戦士(どうしても、私にはあいつがそんな大した男だとは思えないんだ)

勇者「ぶえーーっくしょい!!!!」

武道家「うわあびっくりした」

勇者「な、なんじゃ? 火も焚いて十分体あっためてるっちゅーのに」

武道家「案外、あの二人がお前の噂でもしてるのかもしれんぞ?」

勇者「いやー、無いね。あったとしても悪口だね。主に戦士さんからの」

武道家「……戦士は何故お前にあんなにきつくあたるのだろうな?」

勇者「あ、やっぱお前から見てもそう見える? ねえ俺なんかしたっけ? マジあんな嫌われる心当たりねーんだけど」

武道家「さてな……俺が合流してからは特にそんな要因は無かったと思うが。余程最悪な初対面でもしたんじゃないのか?」

勇者「ちっげーよむしろ初対面からあの虫を見るような視線を食らってたわ。なんだろ? ひょっとして俺が云々じゃなくてただドSなだけなのか?」

武道家「俺に対する当たりは普通だからそうでもないだろう」

勇者「いや…マジで何で俺だけ…ってか、流石にあの二人もう服脱いで川に浸かってるよな?」

武道家「まあ…多分な。しかし、何故そんなことを?」

勇者「よし、行くか」スクッ

武道家「えー」

戦士「私は、『伝説の勇者様』を尊敬している」

僧侶「うん」

戦士「だからといって…いいや、だからこそ。その血を引きながら修業を怠っていたあいつを好きにはなれない」

僧侶「修業を…怠っていた?」

戦士「僧侶は知らないか。王宮の中じゃ有名だった。王宮騎士団最強の剣の使い手である『伝説の勇者様』の子として生まれながら、一切の修業を拒否して遊び回っていた放蕩息子、とな」

戦士「『伝説の勇者様』がお戻りにならなかった時から、慌てて修業を開始したらしいが……元々の性根がそんな奴だ。どれだけ修業を積んだとしても、たかが知れている」

僧侶「それで、戦士は勇者様にあんな冷たい態度を?」

戦士「もちろん、それだけじゃないさ。元々好意的に見ていなかったことは認めるが、それでも現在の奴自身を見て評価はしなければならないと、最初はそう思っていた」

戦士「だが……」

僧侶「だが…?」




戦士「ぶっちゃけ、あいつ僧侶のこと見過ぎ」

僧侶「あ、あはは…た、確かに、視線はよく感じます……主に胸に」

戦士「僧侶たんとか本気できもい」

僧侶「や、やっぱり聞き間違いじゃなかったんですね、あれ」

戦士「戦闘で前線に出る気なさ過ぎ。その癖、たまに出てきて私の獲物を横からおいしいとこどりするのが気に食わない」

戦士「女の子は怪我しないように気を付けてとか私を無視して僧侶にだけ言うとか考えられない」

僧侶「あれは流石に私もどうかと思いました……」

戦士「そして何より――」




戦士「―――私のことを、どうやら全く覚えていないっていうのが気に入らない」


武道家『お前凄いな。あれだけ釘を刺されてなおそんな所業に赴くとは…いや、凄いな、マジで。いやー、マジで』

勇者(―――なんて、ドン引き顔で武道家は言ってやがったが……)

勇者(ち っ げ ー よ ! ! マジで違ぇぇぇよ!!!!)

勇者(アホか!! 俺かてわかっとるわ!! 今の好感度の状況で覗きなんてしてそれが発覚したらもうパーティー解散ですわ!!)

勇者(それにいくら俺でも僧侶たんから蔑みの目で見られたらその時点でHP0なるからね?)

勇者(いや、それ以前に戦士さんに胴体両断されるかもな。マジでそっちの方が可能性高そう)

勇者(いや、俺がね、僧侶たんと戦士さんの後を追ってるのはあくまで万が一の事を考えての事なんです)

勇者(ほら、二人今水浴びしてるじゃん。ってことは服脱ぐじゃん)

勇者(服脱ぐってことは装備外してるってことでね。もし、万が一、そこを魔物に襲われたらやばいわけじゃん)

勇者(急所剥き出しの所を刺されたり噛みつかれたりしたら、下手したら死ぬし、よくても大きな傷跡が残るかもしれない)

勇者(それはなるべく避けたいやん。二人共女の子なんだし……)

勇者(……と、二人の声が聞こえてきたな。この辺りでいいか)

戦士「……まあ、私のせいでパーティーの空気が悪くなっていることは認める。これからは改めるよ…なるべく」

僧侶「そうしてちょうだい。どうあれ、私たちは勇者様への同行を望み、勇者様はそれに応えてくださった……であるのならば、私たちは勇者様が魔王を打倒できるよう、全力で尽くすべきだわ」

戦士「わかったよ。本当に真面目だな、僧侶は……心配になるくらいだ」

戦士「もしあいつが勇者の立場を利用してセクハラしてきたらすぐに私に言うんだぞ?」

僧侶「もう! いくらなんでもそんなことありませんよ! ……たぶん」

戦士「どうかな? ひょっとしたら奴は今もそこの茂みに隠れてこっちを覗いているかもしれないぞ?」

僧侶「もう、戦士ったらそんなわけ……」クルリ

ヘビ「よう」

僧侶「」

「きゃあああああああああああああ!!!!」

勇者「ッ!?」

勇者「この声、僧侶ちゃんの、クソ! マジか!! クソ!!」

勇者(やっぱどんだけ揉めようとも俺か武道家、どっちかをすぐ傍に置いておくべきだった!! チクショウ!!)

 勇者は一心不乱に茂みをかき分け、声のした方へ駆ける。
 尖った枝葉が頬を切るが、そんな痛みにかまってはいられない。

勇者「僧侶ッ!! 戦士ッ!!」

 勇者が河原に躍り出る。
 勇者はまず二人の姿を探す。
 居た。川の中で驚いたように立ち上がり、両腕で胸を覆っている。
 素早く二人の体に目を通す。
 上から下。
 目につくのは肌色ばかり。血の赤は見られない。
 強いて言えば二人とも顔を真っ赤にしている。が、それはどうやら紅潮しているだけであるようなので今はどうでもいい。
 まだ二人とも攻撃を受けたわけではない。
 ならば敵はどこか。
 視線を二人の体からその周囲へ。
 水面の揺れに不自然な点はない。河原に自分以外の生物の姿はない。
 二人から一番近い茂みに目を凝らす。
 葉の揺れは生物的なそれではなく、風の流れによるものだ。
 おかしい。敵はどこだ?
 僧侶は何が原因であんな悲鳴を上げた?
 と、そこで勇者の視界の端に奇妙な動きが映る。
 戦士だ。戦士が左手で胸を抑えたまま、右腕を大きく振りかぶっている。
 投げた。何かを投げたのだ。
 勇者がそう理解した時には既に――

ヘビ「ヘイらっしゃい」クビスジカプー

勇者「おんぎゃーーーーーッ!!!!」



勇者「チガウンスヨ…マジデチガウンスヨ……」ボロ…

戦士「おい、僧侶……本気か? お前は本気でこの勇者に今後ついていけるのか?」

僧侶「う、う~ん……」

武道家「……なにをやっとるんだお前ら」

 この後勇者の必死の弁明と武道家のフォローにより何とかパーティー解散は免れました。

 夕暮れの中―――

勇者「おー! 見えた、第一の町だ! 何とか日没までに着くことが出来たな!」

僧侶「………」

戦士「………」

勇者(なーーんだよう!!!! なんなんだよう!! やってらんねえよう!! 俺はホントに、ホントに二人のためを思って……!!)ヒソヒソォ!

武道家(……まあ、いいじゃないか。役得もあったろう?)ヒソ…

勇者(何がだよ!! 二人の裸なんて全然覚えてねえよ!! そんな余裕無かったっつの!!)ヒソォ!

勇者(こんなことならもっとじっくり見て網膜に焼き付けてやればよかったよチックショウ!!!!)ヒッソォ!!

武道家(お前、声でか…)

戦士「…ッ!!」ドゴォ!

勇者「ふんもっふ!!!!」ズシャァッ!

武道家「アホ……」

勇者「うぐぐ……そ、僧侶ちゃん、回復して……」プルプルプル…

僧侶「知りません」プイッ

勇者「」ガーン

戦士「勇者殿」

勇者「ひゃ、ひゃい!」

勇者(な、なんだよ! 勇者『殿』ってわざわざ改めて何よッ!?)

戦士「町に着いたら話がある。出来れば夕食前にな」

勇者(あ、終わったコレ。完全に『私、実家に帰らせていただきます』だコレ)

 日没後、月明かりの下―――
 第一の町から少し離れた草原にて。

勇者「それで、お話とはなんでございましょう…」ビクビク…

戦士「ふむ、しっかり帯剣はしてきたか」

勇者「そりゃ、町の外に出るんだから当然……」

戦士「勇者よ、私は自身が女であると自覚してからこれまで、一度たりとて異性に肌を晒したことはない」

勇者「……………はい?」

戦士「肌を晒すのは伴侶となるべき男性にのみと教育されてきたし、私もそのつもりだった……今日までは」

勇者「えーと、えーと……ん?」

戦士「わかっている。わかってはいるのだ。お前の言い分を信じれば私や僧侶はお前に感謝こそすれ、恨むのは全くの筋違いなのだろう」

勇者「ア、ハイ、ソースネ。マッタクソノトオリダトオモイマス、ボクモ」

戦士「だが、そんな理屈では処理できないわだかまりが私の中にあるのだ。わかるか?」

勇者「ワカンネッス」

戦士「勇者よ、剣を抜け。お前にこれから勝負を申し込む」

勇者「ナニイッテッカゼンゼンワカンネッス」

戦士「何、これはただの憂さ晴らしだ。私の裸を見た代金と思え。これで昼間の件はチャラにしてやる」

勇者「イヤイヤイミワカンネッスマジカンベンッス」

戦士「それに……私は知る必要がある。貴様の剣の腕前を。貴様の勇者としての資質を!!」ダッ!!

勇者「だああああ!!!! ちょっと意味わかんねってもおおおおおおおおおおおお!!!!!!」ガキーン!!

 勇者の持つ剣は刃の長さ90㎝ほどの、所謂長剣である。
 大上段から振り下ろされた戦士の大剣の一撃をまともに受ければ刀身を粉砕される恐れがある。
 勇者は振り下ろされる大剣の横腹を打ち、剣の流れを逸らすことで最初の一撃をやり過ごす。

戦士「ちぃッ!!」

勇者「いや、ちょ、マジで勘弁!!」

 二撃目、三撃目。次々繰り出される刃を勇者は必死になってひたすら回避する。
 勇者は今日一日戦士の戦い方を観察してきた。
 だから、わかる。
 わかってしまう。

 今の自分ではどう足掻いても剣の腕前で戦士に勝つことはできないことがわかってしまう。

勇者(そんなでっけえ大剣でそのスピードがありえねえっつーの!!)

 通常、長剣が大剣より優れているのは小回りがきくところだ。
 というより、一撃の隙が大きいのが大剣の弱点だという方が正しいだろう。
 それ故、本来初撃をかわした段階で勇者が圧倒的有利になってしかるべきである。
 だが戦士の技量はその常識を覆す。
 150㎝もの刀身をもつ大剣を、まるで小枝のように操り、むしろ勇者よりも小回りを利かせて連撃を繰り出してくる。
 こうなると勇者にはもう打つ手がない。
 リーチも、速度も、重さも、全て劣っている。
 攻勢に転じられるわけもない。ただひたすら防御に集中しなければあっという間に体を上下か左右のどちらかに両断されるだろう。

戦士「ふっ!!」

勇者「んがああああ!!!!」

 戦士が横なぎに振るってきた一撃に刃を合わせ、荷重がかかってきたのを見計らって後ろに飛ぶ。
 からくも着地に成功し、勇者は一時的に戦士との距離を取ることに成功した。

勇者(もうやだもうやだマジでもう一回来たら逃げる町までダッシュで逃げる)

戦士「………貴様、何故私に攻撃してこない」

勇者(出来るかあああああ!!!! こちとら防御すんので手一杯じゃあああああ!!!!)

 と、言うのも悔しいのでせめて強がることにする。

勇者「………女の子に向かって剣は振れないさ」

戦士「……ッ!!」

戦士「舐めるなッ!!」ガキーン!

勇者(ほんぎゃああああああ油断したあああああああ!!!!!! ヤバイこの体勢ヤバイ!! 耐えられない剣折れちゃう頭かち割られちゃうぅぅぅううううう!!!!)ググググ…!

勇者「う、嘘でぇぇぇす!!!! ホントは防御で精一杯でしたあああああ!!!! ギブアップ!! ギブアァァァァァップゥ!!!!」

戦士「…………」

 戦士は剣を引き、勇者はその場に膝から崩れ落ちる。

勇者(た、たしゅかった……?)

戦士「防戦一方とはいえ、私の剣を凌ぎきるとはな。ほんの少しだけ認めてやろう、勇者」

戦士「とはいえ、まだまだ未熟極まりない。あの方の息子を名乗るなら、もっと精進するがいい。貴様が私を師と仰ぐなら、稽古をつけてやってもいいぞ?」

戦士「昼間のことは……約束だ、これで忘れてやる。というより、無かったことにしろ。私は誰にも裸を見られていないし、お前も誰の裸も見ていない。いいな?」

戦士「さて、食前にいい運動になった……また明日な、勇者」スタスタスタ…


勇者(…………)


勇者(…………………)




勇者(…………………………)




 宿屋、男部屋―――――

 ズドドドドドドドド……!!

武道家「ん?」

勇者「どらっしゃあああああああああああああ!!!!!!」ドアガシャーン!!

武道家「遅かったな。こっちはとっくに夕飯を終わらせたぞ」

勇者「なんっじゃあの女ッ!!!! なんっじゃああの女ぁぁぁぁああああああ!!!!!!!」

勇者「きいいいいいいいいい!!!!!! あんな高慢ちきなアバズレこっちから願い下げじゃああああああ!!!!!! 明日の朝一番に三行半突きつけたる!!!! 突きつけたんでええええええええ!!!!!」

武道家「……なんというか、余程こっぴどくやられたと見えるな」

勇者「酒じゃおらあ!! 飲まんとやってられへんわ!!!! お前付き合え!! 酒場行くぞこんにゃろう!!!!」

武道家「やれやれ……ま、付き合ってやるさ。好きなだけ愚痴を吐くがいい」

勇者「あのボケ戦士がぁぁぁああああああ!!!!!! いつか絶対風呂覗いたるからなああああああ!!!!!!」



第三章  テンプレート・ジャーニー   完

今回はここまで

勇者「王宮騎士団んんん?」

武道家「ああ、戦士は元々そこに所属していたのだとさ」

勇者「いやいや、騎士団に女の子が入れるなんて聞いたことねーぞ。なんぼ剣の腕が立とうが門前払いだろ普通」

武道家「つまり特例なわけだ。戦士は幼少の頃からお前の父親に師事していたらしくてな、入団が許されたのはお前の父親の推薦があればこそ、とのことらしい」

武道家「ともすれば世襲や家の繋がり等で入団してくる男共もいる中、純粋な剣の腕だけで入団を認められた。戦士のあのプライドの高さはその辺りから来ているのかもしれんな」

勇者「いやいやマジかよちょっと待てよ。えー? 幻滅だわ。我が親父ながら幻滅だわ」

武道家「んん?」

勇者「いやだって親父に女の子の弟子がいたなんて俺知らねーよ? 何人か弟子っぽい奴ら居たけど、女の子なんて見たことねーもん」

勇者「つまりそれはあれだろ? 他の弟子達とは別に個人的に指導してたってことだろ? 息子の目にも届かないところで個別レッスンしてたっちゅーことだろ?」

勇者「絶対なんかよこしまな気持ち持ってましたわ……ロリコン確定ですわあのクソ親父……」

武道家「お前それ戦士の前で絶対言うなよ……殺されるぞ」

勇者「ところでお前それ全部僧侶ちゃんから聞いた話だよね? 人が必死こいて剣振ってる間に何ちゃっかり仲良くなっとんじゃああああああ!!!!」

武道家「夕食がてらに談笑しただけだ。えーい揺らすな」ガックンガックン






第四章  バッドステータス・ダンス





翌朝の朝食後―――

勇者「えー、当面の行動方針を発表します」

武道家「おう」

僧侶「はい!」

戦士「ふん」

勇者「色々と町の人の話を聞いてみると、かつて親父はここから南西にある精霊の祠に向かい、そこを魔物たちから解放したようです」

勇者「みんな知っているとは思うけど一応確認。精霊の祠ってのは精霊の力を活性化させるために昔の人が作った神殿が置いてあるところで、世界各地に点在し、それは今回のように祠になってたり、人の手で建造された塔だったり、その形式は様々です」

武道家「その場所が今は魔物たちに占拠されていて、精霊の力が弱まっている」

勇者「はい武道家くん正解。魔物たちは率先してこの神殿を汚し、自分たちに対抗する力を削ごうとしています。実際、もうかなりの数の神殿が魔物たちの手に落ちている」

僧侶「そこを魔物たちから解放し、精霊様たちの力を取り戻すわけですね!」

戦士「その上、解放に成功すればその地域の精霊たちはおそらく我々に多くの加護を与えてくれる……」

勇者「二人とも大正解。そして土地の精霊の力が強くなれば相対的に魔物たちの力も半減される。そうすれば駆逐も容易になるはずだ。まあその辺りはもう国に任せるけど」

勇者「というわけで……当面は親父の足取りを追いながら、各地の神殿を解放していくことで魔物の駆逐と俺たち自身の強化を図る。そういうやり方で行きたいと思います。いいかな?」

武道家「問題ない」

僧侶「勇者様にお任せします!!」

戦士「異論はない」

勇者「ほいじゃ、そうだな……二時間後を目処に出発しようか」

戦士「今すぐではいかんのか?」

勇者「いや、色々と準備があるからさ」

戦士「そうか……」

勇者(何だコイツすっとれえな感満載の眼差しだよ! オメーが昨日無駄に喧嘩吹っかけてこなけりゃ昨日で準備終わってたかもしんないんだよ!!)

勇者(まあもう面倒くさいから言わないけど! ファック!!)

第一の町より南西の森深く―――『精霊の祠』前。

勇者「ここかー。何つーか、THE・洞窟って感じだな」

武道家「ここからでは奥まで見通せんな。かなり深いようだ」

戦士「見える範囲では剣を振るのに支障はないくらいの広さはあるが……」

僧侶「元々自然にあった洞窟なんでしょうか?」

勇者「元はそうだったんだろうね。一から穴掘るのなんてすげー大変だし。ただ、奥に神殿が建造されている以上、中はかなり人の手が入っているはずだ」

 勇者は少し洞窟の中に入り、辺りを見回す。

勇者「うん…やっぱり。上の方に、等間隔でランタンがかけてある。火種は……生きてるな。順次火を灯しながら進めば、視界にはそう苦労しなさそうだ」

 そう言いながら勇者は荷物から松明を取り出し、火を灯す。
 まだ日の光が十分入ってくるため視界は良好だが、試しにランタンに松明を近づけた。
 ランタンに火がともるのを確認し、勇者は皆の方を振り返る。

勇者「それじゃ、行ってみよう」

 勇者の言葉を合図に、戦士と武道家が率先して進み、その後に勇者、僧侶と続く。
 僧侶は不思議そうな目で勇者の背中を見つめていた。

僧侶(勇者様……今、どうやって松明に火をつけたんだろう?)

勇者「一応、今言ったので町で色々聞いて確認できた魔物は全部だ」

 勇者は朝のうちに集めておいた情報をパーティーに伝える。

勇者「結構厄介そうな奴もいるから十分警戒して進んでくれ」

戦士「ふん、無用な心配だ。何が出ても私が後れを取ることなどない」

 その後、洞窟内に住み着いていた魔物から幾度となく襲撃を受けたが、戦士はその言葉のとおり、そのほとんどを一人で切り伏せていった。

勇者「あー……戦士、ちょっと提案があるんだけど」

戦士「なんだ?」

勇者「俺たちはランタンに明かりを灯しながら進んでる。だから、俺達の位置は敵からはモロバレだ。だから、さっきからほとんど奇襲のような形で襲われ続けてる」

勇者「加えて、背後からの強襲を避けるために今まで出てきた魔物は必ず殲滅しながら進んできたけど、外に出ていた魔物が帰って来て…何てことも十分考えられる」

勇者「だから、戦士にはどっちかって言ったら背後の警戒をしてもらいたいんだけど……」

戦士「何故私が? 武道家では駄目なのか?」

勇者「いや、戦士より武道家の方が素早さは高いじゃん? だから不意打ちされた時に武道家の方が対応はしやすいだろ?」

戦士「これまでの戦闘を見てその発言なら、お前の目は節穴としか言えんな勇者」

勇者「いや、でも、万が一のことを考えたらさ……」

戦士「くどい。万に一つだろうが、この私がこの程度の魔物たちに後れを取ることなどあるものか」

 勇者はため息をつき、武道家に目を向ける。
 武道家はやれやれと言わんばかりに肩を諫めた。

勇者「……それじゃ、武道家。頼めるか?」

武道家「了解だ」

蜥蜴型魔物「キシャァー!!」

戦士「フッ!」

 戦士の振るった剣が岩壁を叩く。
 壁を這い、移動した魔物が大きく口を開いて戦士に飛びかかった。

戦士「くっ!」

 戦士は咄嗟に剣の柄で魔物の顎を跳ね上げ、怯んだところを大きく蹴り飛ばす。
 地面に落ちたところを狙おうとするが魔物は即座に体勢を立て直し、洞窟の壁や天井をまるで重力を無視するかのように這い回った。
 魔物の風体は、言うなれば巨大なトカゲ。体長は二メートル程度。大きな口には鋭い歯がびっしりと並び、四肢に生えた爪を岩に突き立てることで壁や天井を移動することを可能にしている。
 その質量に似つかわしくない俊敏さが戦士を苦しめていた。

勇者「戦士、無理するな! 後ろに流せ! 俺と武道家も応戦する!!」

戦士「くおおッ!」

 戦士は勇者たちの前に立ち塞がり、蜥蜴型魔物を押し留める形で応戦している。
 その位置関係にあり、なおかつ戦士が凄まじい勢いで大剣を振り回すので、勇者も武道家も迂闊に手を出せない状況に陥ってしまっていた。

勇者「戦士!!」

戦士「手出しなど……無用ッ!!!!」

蜥蜴型魔物「ギィッ!!?」

 裂帛の気合いを込めた戦士の一撃が遂に蜥蜴型魔物の体を捉えた。
 背を横に裂かれた魔物はどさりと壁から落ち、地面をのたうち回る。
 しばらくそのまま痙攣していたが―――やがて動かなくなった。

戦士「ふぅ……」

勇者「……」

 結局また一人で何とかしてしまった戦士だが、その姿を見る勇者の顔は苦い。
 深手こそ負っていないものの、鋭い爪や牙に何度も晒されたその体は、至る所に裂傷が出来ている。
 戦士が意地を張らずに勇者や武道家と協力していれば、ここまで傷を負わずとも倒すことが出来たはずだ。

勇者「はあ……僧侶ちゃん。戦士の傷を回復してやって」

僧侶「は、はい……『呪文・回復』」パアァ…

 僧侶の手から暖かな光が溢れ、それが触れた所から戦士の傷が癒されていく。

戦士「ありがとう、僧侶」

僧侶「もう……あまり無茶しちゃ駄目よ。戦士」

戦士「無茶なんかじゃないさ。この程度の敵、一人で何とかしなくては……」

戦士「でなきゃ、私は……いつまでたっても……」

 戦士はその後の言葉を飲み込んだ。
 僧侶も追及はしなかった。
 勇者はその先を推し量ろうとして―――どうせ無駄だとすぐに悟り、やめた。

戦士「ッ!!」

 僧侶の治療を受けていた戦士の目が見開かれる。
 倒したはずの蜥蜴型魔物がその身を引きずり、洞窟の奥へと消えようとしていた。

戦士「死んだ振りとは……小癪な真似を!!」

 蜥蜴型魔物の後を追い、戦士は駆け出す。

勇者「バ……一人で先行くな!!」

 勇者の制止の声などどこ吹く風で、戦士はどんどん先へ進む。
 ランタンの光が届かない闇の向こうへ、蜥蜴型魔物は今にも消えようとしている。
 それだけは許すわけにはいかない。
 正直、コイツは強力な魔物だった。
 だから、殺せるうちに確実に殺さなくては。
 その姿が完全に闇に溶けるその前に戦士は魔物に追いつき、そして。

蜥蜴型魔物「ギャガァァァァ!!!!」

 その脳天に大剣を深々と突き立てた。
 蜥蜴型魔物はビクビクと大きく体を揺らし、今度こそ絶命した。
 そのことを確認し、戦士は剣を引き抜く。
 奇妙な甘い香りが戦士の鼻を刺激した。
 最初は、噴き出た脳髄の匂いかと思った。
 だが、違った。

戦士「ッッッ!!!? ッ!? !!!!???」

 突如、戦士の膝が落ちる。
 体が重い。全身を異常な倦怠感が包んでいる。
 視点が定まらない。周囲の状況が全く把握できないのは、明かりがここまで届かないから、だけではない。
 眼球が高速で痙攣しているようだ。
 込み上げる吐き気を必死で飲み込む。
 そんな最悪のコンディションにありながら、戦士は意志の力のみで立ち上がり、状況の把握を試みた。
 揺れる視界の中で、いくつもの光が闇の中に輝いているのを捉え、そして―――

勇者「戦士ッ!!」

 ようやく追いついた勇者が手近なランタンに火を灯した。

勇者「―――ッ!!」

僧侶「ヒッ」

 絶句。
 壁に、天井に、びっしりと張り付いた巨大な蛾の群れ。
 それは勇者が今回最も警戒すべき敵として皆に通達していたもの。
 蛾型の魔物。
 その鱗粉は毒をもち、吸った者は激しい意識の混濁に襲われる。
 吸い過ぎれば、命にも関わる危険な毒粉。
 そして最悪なことに―――戦士は既にかなりの量を吸ってしまっているようだった。
 ランタンの光に照らされ、敵襲を感知した蛾が蠢きだす。
 羽を広げ、渦を為した群れは手近にいた戦士に襲い掛かった。

僧侶「戦士ぃッ!!!!」ダッ!

武道家「まずいぞ…!!」ダッ!

勇者「待て!! 二人とも行くな!! 迂闊に近づいたら毒で全滅だぞッ!!」

僧侶「でも、行かなきゃ、戦士が!! それに、毒なら私の治癒呪文で…ッ!!」

勇者「毒の種類もわかっていないのに、君の治癒が確実に通じる保証はあるか!? 何より、君自身が毒に侵された時、治癒呪文をまともに行使できるのか!?」

僧侶「それは…!! でも、でも……!!」

武道家「ならばどうする?」

勇者「俺が行く。俺が行って戦士を助けてくる。二人はここで待機だ。いいな?」

勇者「戦士ッ!!」

 勇者の声に、戦士の肩がピクリと反応した。

勇者(まだ意識はある!! だが急がなきゃ……!)

戦士「がああああああああああああああああ!!!!」

勇者「ッ!?」

 茫然自失の体で立ち尽くしていた戦士が、突然大剣を振り回し始めた。
 その剣が戦士の体に取りつこうとしていた蛾達を吹き飛ばす。

戦士「お、おおおおおおおおおおお!!!!」

 視界は碌と定まらない。
 戯れに揺らされている板に立っているように、平衡感覚は掴めない。
 息苦しい。体は焼けるような痛みに襲われている。
 臓物ごと吐き出してしまいそうな猛烈な吐き気は耐え難い。
 だが、剣は握れる。
 慣れ親しんだ手のひらの感覚だけは、未だある。
 ならば、ならば。

 剣を振る。二匹の蛾を両断する。
 剣を振る。見当違いに回る刀身は岩壁を叩く。
 剣を振る。左頬に激しい痛み。どうやら転倒して盛大に地面にこすり付けたようだ。

 負けるものか。
 負けるものか。
 負けるものか。

戦士「負けるものかあああああああああああああああ!!!!」

 剣を振る。剣を振る。剣を振る。
 ただ闇雲に剣を振り回す。
 目が見えないのなら、周囲の全てを切り捨てる。

武道家「凄まじい……蛾の数が目に見えて減っていくぞ」

僧侶「でも戦士は…? 戦士は大丈夫なの…!?」

 戦士の体からは至る所から血が流れている。
 転倒し、自ら負った傷だけではない。
 目が碌に見えない状況では蛾の接近を拒みきることは出来ず、鉤爪のついた足や鋭く伸びたストロー状の口を何度も突き立てられている。
 手のひらから流れ出る血は、誤って壁を叩き続けた衝撃により皮がめくれ始めているからだ。

勇者(大丈夫な訳―――ねえだろうがぁ!!!!)

 勇者は駆け出す。

勇者「戦士ぃぃぃぃいいいいいい!!!!」

戦士「来るなああああああ!!!! お前の、お前の助けなど……ッ!!!!」

勇者「うるせええええええええ!!!! 食らいやがれええええええええ!!!!」

 勇者は指さす。
 対象は戦士。
 体内で練り上げるは『火の精霊』の加護により増幅された魔力。

勇者「『呪文・睡魔』!!!!」

 戦士の体がびくりと跳ねた。
 脱力した体は剣を手放し、その場にどさりと崩れ落ちる。
 それにより、勇者はようやく戦士の傍に走り寄ることが出来た。
 蛾の群れは勇者に襲い来るわけでもなく、ただ周囲をぐるぐると舞っている。
 意図は明白。毒の鱗粉でまずは行動不能に陥れようという魂胆だ。

勇者「舐めんなッ!! 初歩的な呪文なら大抵は習得しとるわッ!!!!」

 勇者は手のひらを突き出す。
 対象は大まかに。目に見えるこの空間を。

勇者「『呪文・烈風』!!!!」

 勇者が掲げた手を中心として巻き起こる風が渦をなす。
 鱗粉は風にまかれ、蛾の群れも風にあおられ岩壁に叩き付けられていく。

勇者「武道家!! 戦士を!!」

武道家「承知!!」

 武道家が戦士を抱え上げる。

勇者「はい撤収ッ!! ダッシュで逃げるよ!! 撤収撤収ぅううううう!!!!」

 武道家はゆっくりと地面に戦士の体を横たえた。
 僧侶は戦士の体に回復と、とりあえず解毒のための治癒呪文をかけ続けている。
 勇者の姿はない。

勇者『二人はどんどん先行ってほら! 殿は俺が引き受けるから!! ほらダッシュダッシュ!!』

勇者『敵は全て殲滅してきたから可能性は低いと思うけど、帰り道で敵に出くわしても戦おうなんて思うなよ!! 素通り! 素通りが基本ね!!』

 そう言って、勇者は追撃してくる魔物たちに突っ込んでいった。

僧侶「勇者様……大丈夫でしょうか」

武道家「さてな……だが、実はさほど心配していない。奴はやる時はやる男だ」

僧侶「勇者様は……火の精霊の加護を獲得していたのですね」

武道家「ああ。お前たちには披露する機会が無かったがな。これまでの道中で奴が呪文を使ったのは焚き木の火付けぐらいだ」

僧侶「まあ……その力を披露していれば、戦士も勇者様を見直していたでしょうに」

武道家「奴は戦うのが嫌いなんだよ。痛いのが本当に嫌だってな。だから、俺や戦士に任せられるときは全部任せるんだ。まあ、信頼されてるってことで、悪い気はせんが」

 武道家の言葉から僧侶はふと考える。
 戦士も武道家も、自身の力量に対して誇りを持っているから、それが高じて勇者を若干蔑ろにしてしまっているのだと思っていた。
 戦士はそうなのだろう。だが、武道家は違う。
 武道家の場合、自分が好き勝手やっていても勇者ならうまいこと捌いてくれるだろう、という信頼が根底にあるのだ。
 それは共に修業したというこれまでの五年間で培われたものなのだろうか。
 少しその事について話を聞いてみたいと、僧侶は思った。

勇者「んなあああああああああ!!!!」

 勇者が洞窟から転がり出てきたのはそれから数分後だった。

勇者「疲れたあああああああああ!!!!!! もう一生分働いた!! もうええやろ!! もう後は隠居して可愛い嫁さん貰ってぐーたらしてええやろおおおお!!!!」

僧侶「ゆ、勇者様…?」

武道家「おい、素が出てるぞ勇者」

勇者「……ハッ!! な、なーんつってなーんつって!! そんな風に考えてる人達のためにも、一刻も早く世界を平和にしなきゃね! 僧侶ちゃん!!」

僧侶「は、はあ……あの、勇者様。お体は大丈夫ですか? よろしければ回復をいたしますが……」

勇者(僧侶ちゃんからの癒しの魔力キタコレ!!)

勇者「是非!! 是非お願いするよ!!」

勇者「是非も無し!!」

僧侶「は、はあ、それでは」

僧侶「………え?」

僧侶(勇者様……そんなに傷を負ってない?)

僧侶(いえ……衣服の損傷具合から見て、もっと多くの傷を負っていないとおかしい。これは一体、どういうこと…?)

 まじまじと勇者の体を観察し、僧侶は気づく。
 腕の所の破れた衣服の下。おそらく、魔物の爪が掠めたのだろう。
 切り裂かれた袖。そこから覗く肌。
 傷が少ないのではない。
 ―――傷は既に大半が治療されていたのだ。

僧侶(そんな……まさか……!)

 ぞくり、と僧侶の背が震えた。
 恐る恐る、といった面持ちで僧侶は勇者に問いかける。

僧侶「勇者様はもしかして……水の精霊のご加護を……?」

勇者「んあ? いや、まあ。でもちょっとだけだよ? ホントちょっとだけ」

僧侶「そんな……」

勇者「いやいや、そんなびっくりする程じゃないって。僧侶ちゃんみたいに色んな治癒や補助呪文は使えないし。初歩的な回復呪文をちょっと使えるくらい。しょっぼいしょっぼいよ」

 そう言って、たははと笑う勇者。
 僧侶はそれに対して曖昧な笑みを返すことしか出来なかった。



僧侶(水の精霊の加護を得るためには、『僧侶』として過酷な修業を積まなければならない)

僧侶(同様に、火の精霊の加護を得るためには、『魔法使い』としての修業を……)

僧侶(本来、その両立を為し得るのは不可能と言ってもいいほど困難で、だからこそそれを為し得た者は『賢者』と呼ばれ、称えられる……)

僧侶(私には無理だった。私には『僧侶』として水の精霊の加護を獲得するので精一杯だった)

僧侶(そもそも、『賢者』なんて世界にも数えるほどしか……)

僧侶(土の精霊、風の精霊の加護を得るのだって、肉体を極限まで鍛え抜かなければならない……『戦士』や『武道家』となることを目標として……)

僧侶(……『勇者』…)

武道家「さて、これからどうする? 戦士の容体も僧侶の治癒で落ち着いてはいるが、完治はしていない。やはり、神官クラスの『僧侶』に看てもらう必要があるだろう」

僧侶「ここから町までそう遠くないとは言え、眠っている戦士を運びながらでは時間もかかります。それに、戦闘面でも不安が残ります。戦士を庇いながらでは、とてもいつもの様に戦えるとは思いません」

勇者「あー、その辺は大丈夫。心配いらないよ。これを使う」

 そう言って勇者が二人の目の前に差し出したのは―――

武道家「『翼竜の羽』!? お前、こんなものをどこで…!」

僧侶「過去に足を踏み入れた地になら、その場所をイメージするだけでその場所まで使用者を飛翔させるアイテム……」

僧侶「そもそもの生産量が少ない上、魔物が跋扈するこの時代においては無二の運搬手段として各地の商会や国家が独占しており、市場に流れることは滅多になく、かなりの高値で取引されている翼竜の羽を何故勇者様が!?」

勇者「解説ありがとう。実は出発の時に国王からもらってたんだ。太っ腹なことだよ。ただ、数は三つしかないんだけど」

勇者「じゃあ早速第一の町まで戻るから、二人とももっと寄って寄って。特に僧侶ちゃん。一緒に飛ぶためには体密着させないとだから。だからほら」

武道家「そんな事実は無かろう。使用者と少しでも物理的な接触があればそれも対象と見なし、魔力のフィールドで包んで飛翔する仕組みになっていたはずだ。質量に限界はあったはずだが」

僧侶「勇者様…?」ジィー…

勇者「いや違うよ僧侶ちゃん。俺は確かに王様にそう習ったのよ。困るねーこういうプチドッキリされるの。あと武道家は後でお前覚えとけよホントお前ホントに」

 翌日―――『精霊の祠』深部。

武道家「せいやッ!!」ドゴム!

僧侶「武道家さん! 回復します!」

勇者「戦士、後方に異常はないか?」

戦士「……ああ」

 戦士はふてくされ気味ではあるが、勇者の言葉に返答する。

勇者(あ~……やっぱし昨日のことが大分応えたとみえる。何とかこの感じなら今後暴走することもなくなるかな)

 勇者はほっと息をつく。
 昨日の危機を経て、勇者がパーティーに打ちだした方針はこうだった。

勇者『これから先も基本的には戦士と武道家が前衛を務めてもらう。これは変わらない』

勇者『でも、今回の様な洞窟探検時などの、予期せぬ出来事が起こりやすい状況では武道家が前衛で様子見。戦士は後方の警戒』

勇者『初見の敵や、今回の蛾のような相手の時は呪文があることで最も対応できる状況の幅が大きい俺が前に出る』

勇者(嫌だけど。ホントはスゲー嫌だけど。でも万が一の事態を避けるためにはこうするのがベストだからしょうがない。マジで嫌だけど)

戦士「……」ブッス~

勇者「……勘違いしてほしくないんだけど」

戦士「……なんだ?」

勇者「対応力に幅があるから俺は色んな敵に有利に立ち回れるってだけで、基本的な殲滅力で言ったら戦士の方が断然上だよ」

戦士「……剣を振るしか能がないからな、私は」

勇者「捻くれて取るなよ。頼りにしてるよ、戦士」

戦士「……ふん」

武道家「勇者。開けた所に出たぞ。奥に見えるあれが神殿ってやつじゃないか?」

勇者「おお~、多分そうだな。あれ? ってことはこれで終わり? この祠は解放されたってことでいいの?」

僧侶「その割には何も変化がないような……私たちの加護も強くなった気がしませんし……」

戦士「倒し漏れた敵がいるんじゃないか?」

勇者「え~、でも分かれ道も全部潰してきたしな。もうこの洞窟内に魔物はいないはずなんだけど……」

武道家「外に出ていた魔物が中に戻ってきたから、とか?」

勇者「何それ超めんどくせえ……じゃあ帰り道で全部魔物倒せばOKなのかな。さすがに洞窟の奥の方からぽこぽこ新しい魔物が生まれてくるってことはねーだろ」

僧侶「それじゃあ引き返しますか?」

勇者「折角だから神殿掃除していこうか。もしかすると神殿が汚れてるから駄目なのかもしんないし、精霊のご機嫌取りにもなるだろうし」

 そう言って勇者が一歩神殿に向かって踏み出した時だった。

勇者「ん?」

 この祠に祭られている神殿はそれほど大きくはない。精々高さ2m、幅3mといったところだろうか。
 その神殿の裏で、黒い塊がもぞりと動いた気がした。
 遠目に見た時は、ただの影だと思っていた。
 しかし、目を凝らして、一行はそうではないことに気付く。

僧侶「ヒィッ」

 小さく声を漏らしたのは僧侶だった。
 影のように見えたそれは、黒い生き物だった。
 人間には、どうしても生理的嫌悪感を抱く対象というものが存在する。
 何故嫌いなのかはわからない。
 実害を加えられたわけでもない。
 ただ、その姿が、その行動が、動く際に発する音が、どうしようもなく嫌悪感を催すもの。
 本能的な拒絶。
 その生き物の正体は虫だ。
 もちろんただの虫ではない。
 虫としてはあまりに巨大なそれは、見紛うことなく魔物の一種であり、その姿がある虫に酷似していることは恐らくただの偶然でしかない。
 生理的嫌悪感を励起する虫。黒光りするアイツ。
 この世界にも奴は存在する。
 どの世界にも奴は存在する。
 通称、『G』。

G型魔物「キィィィィィィ!!!!」

勇者「おじゃぱあああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 G型魔物がカサカサと動き出す。

 勇者は悲鳴を上げた。

 僧侶は固まったまま動かない。

 武道家ですら及び腰だ。

 戦士は全身を青ざめさせてわなわなと震えている。

武道家「おい、おい勇者、おい」

勇者「なんだよ、おい、なんだよ!?」

武道家「征くがいい。これほど得体のしれない敵もそうはおるまい。最初の相手はお前の仕事だ。お前がそう言ったろう」

勇者「ばっかお前ばっかよく知ってんじゃんあいつのことみんな知ってんじゃん。だからもう様子見する段階じゃないよもう殲滅段階だよほらいけよその自慢のスピアーぶっさしてこいよ!!」

僧侶「あわ、あわわ、はばわわわわ」ブクブクブク…

G型魔物「キィーーーーーーーーーー!!!!」

勇者「て、撤収ぅーーーーッ!!!! 一時撤収ゥウウウウウウウウッ!!!!」

武道家「い、異議なし!!」

僧侶「うえええええええええええええん!!!!」

戦士「………」ザッ

勇者「へっ!? お、おい戦士!?」

 皆がGに背を向けて駆けだす中、戦士だけはその場に踏みとどまり、剣を構えた。

戦士「わ、わた、わたしは、逃げ、逃げ、ないぃ……!!」ガクガクガクブルブルブル

勇者「超震えてんじゃん!! 足がくがくじゃん!! 無理すんな! 何か対策考えるから今は退いとけって!!」

戦士「こここ、このていどで、にげてちゃ、ずっとおいつけない。あの人に、いつまでもおいつけない……!!」

戦士「あの人の後継者になるのは、わた、わたしだ!!」ブルブルブル…!

勇者「………ッ!!」

 その言葉を聞いて、勇者は全てを理解した。
 何故戦士が自分に対して敵意を持っているのか。
 何故事あるごとに張り合うような態度を取ってくるのか。
 何故全てを一人で成し遂げようと、意地を張るのか。

 それはきっと、一人で魔王討伐をやり遂げた、『あの男』の背を追い続けている結果で―――

勇者「……もう…」

 勇者は踏みとどまる。
 反転して、駆け出す。
 見えるのは戦士の背中。
 憧れている人がいるから、その人みたいになりたくて、恐怖に抗って、震えている、女の子の背中。
 その背を横目に、追い抜く。
 もうGはすぐ目の前に迫っている。

勇者「もう――――」






勇者「もう、超めんどくせえよマジでもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」





 全身全霊の、叫び。


 勇者の剣はG型魔物の額を一撃で貫き、絶命させた。




 神殿が輝きを放ち始める。
 どうやら今のが最後の敵だったらしい。
 汚れを払われ、神殿が力を取り戻し、精霊の力を活性化させていく。
 光に包まれ、加護の力が強まるのを実感しながら、勇者は茫然と口を開いた。

勇者「マジで…心底どうでもいいよ……誰が親父の後継者だとか、第二の伝説の勇者がどうとか……俺は俺だ…親父は親父だ……」

勇者「名乗りたきゃ好きにしろよ……俺は止めねえよ。むしろ万々歳で応援するよ。俺はそんなもん、マジで拘ってねえから……張り合われても困るんだよ……」

 目の前に迫っていたGが消えたことで、戦士は安堵からその場にぺたりと腰を下ろしていた。
 憔悴した面持ちで、うわ言のような勇者の呟きを聞いていた彼女は―――

戦士「子供の時とおんなじ事を言うんだな……お前は」

 やはり、うわ言のように呟くのだった。



第四章  バッドステータス・ダンス  完

今回はここまで

神殿は何かこう、洋風神棚っぽいイメージ






 ――――懐かしい夢をみた。




 それは、まだ十にも満たぬ年齢の時の記憶。

「お前が『あの人』の息子か?」

 そんな風に、突然声をかけてきた奴がいた。

「私の名前は『―――』だ」

 名前は覚えていない。
 あまり興味が無かったから。
 ただ、男のくせに自分のことを『私』なんて呼んで、クソ真面目な奴だと思ったことは覚えている。

「私は、お前なんかには絶対に負けない」

 そんな宣誓を一方的にされた。
 勝つとか負けるとか、そもそも何の勝負かもわからない。
 そんな風に因縁をつけられて、流石に辟易した俺は、そいつに向かって何かを言い返そうとして――――そこで、目を覚ました。

 目が覚めてから、自分が何て言ったのかを思い出そうと少しだけ努力していたが―――すぐにどうでもよくなってやめた。
 夢の中の彼は立派な騎士になれたのだろうか。
 親父は手加減を知らない馬鹿だったから―――などと、寝ぼけた頭で憂いてみた。






第五章  伝説になれなかった男




勇者(さて、あれから三つばかり精霊の祠を解放して、順調に精霊の加護レベルを上げてきた我々ですが)

勇者(次に挑もうとしている祠は随分とまあ、うっそうと茂った森の中にあるという噂です)

勇者(ですんで、今日はこれからここ『第六の町』で入念な聞き込みを行い、出来るだけ情報を集めてから出発しようというのが現在の状況です)

勇者(例のごとく戦士はいいよもうさっさと行こうぜオーラを出してましたが、押し通しました)

勇者(『伝説の勇者』の息子、迷子で全滅! とか洒落ならんからねホント)

勇者(それに、また初回の祠の時みたいな毒出す蛾とか居るかもしれんし……)

勇者(あれ以来苦戦らしい苦戦してないからなー。自信つけるのはいいんだけど、万が一のことを考えての準備はしっかりせんといかんよ、うん)

勇者「というわけで、聞き込みの定番、酒場へとレッツラゴー」

酒場の主人「いらっしゃい。おや、見ねえ顔だな」

勇者「こんちゃ、旅のもんっす。ちょいと一杯飲んでいきたいんだけど、何かオススメはあるかな?」

酒場の主人「そうさな、ここら辺は土地が肥沃な上に水はけもいいからいい麦が取れる。だから、麦酒の味には自信があるぜ」

勇者「いいね、ド定番! そんじゃまず麦酒一杯と、適当になんかつまめるもんをよろしく頼むよ」

酒場の主人「あいよ!」

勇者「結構色んなタイプの人がいるね。これ大体町の人なの?」キョロキョロ

酒場の主人「いや、ほとんどは余所の客だな」

勇者「マジでか。多くない? この町そんなに観光地として有名だっけ?」

酒場の主人「西にでっけえ森があるのは知ってるか? そこが何やら色々と曰くつきらしくてな。国の学者さんとか、結構色んな人が来るんだよ」

勇者「曰く?」

酒場の主人「何でも西の森のどこかに、あの伝説の『エルフ』の住処があるんだとさ」

勇者「眉唾だねぇ……西の森っていや、奥に精霊の祠があるって聞いたけど、おっちゃん詳しい場所知ってたりしない?」

酒場の主人「あん? 何でまた精霊の祠なんぞ……今はもう魔物の住処になってるって話だぞ?」

勇者「そうなんだけどね。そこ行って何とかしないといけないってのが俺の仕事らしいのよ、これが。嫌だけど、スゲー嫌だけど」

酒場の主人「そういや、最近『伝説の勇者』の子供が魔王討伐の旅をしてるって噂を客から聞いたな……んん!? おめえまさか!!」

勇者「あ、はい。一応、息子っす」

酒場の主人「本当かよ!! いやーこりゃたまげた!! それじゃ、これは俺の奢りだよ! ま、グーっとやってくれ!!」ダンッ!

勇者「いやいや! いいよ金は普通に払うよ!!」

酒場の主人「馬鹿言うねい!! あの『伝説の勇者』様の息子さんからお金なんて取れるかよ!!」

勇者「いやいやいや!」

酒場の主人「いやいやいやいや!!」

??「お前が『伝説の勇者』の息子だというのは本当か?」

勇者「ふえ?」

 金髪の男が勇者の背後に立っていた。
 長い金髪を後ろに流し、額にバンダナを巻いている。
 腰には剣を下げており、如何なる故か鞘の隙間からは青白い光が漏れていた。
 バンダナの下で、鋭い目がじっと勇者を見据えている。

勇者「は、はい……一応、そうです……」

 雰囲気に飲まれ、なんだかしどろもどろになって返答する勇者。
 対する男は勇者の返答を受け、大きく口を開けて笑った。

??「はっはっはっは!! 一度会ってみたいとは思っていたが、まさかこんな所で偶然会えるとはな!!」

勇者「いや、はあ…えっと……」

??「ああ、すまんすまん。初めまして。俺の名前は騎士という」

騎士「そうさな…お前が『伝説の勇者の息子』というなら、さしずめ俺は―――」





騎士「――――『伝説になれなかった騎士の息子』ってところかな」







 あるところに、一人の騎士が居た。

 騎士は自分こそが世界で一番強いと思っていたし、事実、騎士は生涯で一度も負けたことが無かった。

 だから、魔王に世界を征服された時、世界を救うのは当然自分であると思い、魔王討伐の旅に出た。

 世界を回り、騎士は更に強くなった。

 でも、魔王を倒したのは騎士ではなかった。

 魔王を倒した男は『伝説の勇者』として世界中で語り継がれ―――

 騎士の名は、『伝説の勇者』の陰に埋もれて消えた。



騎士「マージでやってらんねっつーんだよ、なあ!?」

勇者「わかるわー。マジでお前の言ってることわかるわー」

 一時間後、二人は超意気投合していた。

騎士「親父の無念とかよ~、マジで知らねーっつーんだよ。なーんで息子だからってそんなん押し付けられなきゃいけねーんだよ!!」

勇者「もう超わかる。周りの視線もよー、何か変な期待込めてこっち見てるっていうか、誰も生身の俺を見てくれないっていうかさー」

騎士「『おう騎士の息子!! 元気でやってるか!!』ってうるせーってんだよ『騎士の息子』じゃねーよ名前で呼べよ!!」

勇者「無理やり修業させてこっちがへばると『情けないぞ! それでも伝説の勇者の息子か!!』ってやかましわ!! 誰の息子でもへばるわそんなもん!!」

騎士「『お前はいいよな~、あの人の息子だからって特別扱いされて』ってうるっさいわ死ね!!」

勇者「誰もそんなもん頼んでねえっつーの死ねッ!!!!」

騎士「勇者ッ!!!!」

勇者「騎士ッ!!!!」

 感極まった二人は立ち上がり、お互いの体を抱きしめる。
 二人の間に厚い友情が芽生えた瞬間であった。

勇者「おかげでこの年まで碌に女の子と接点持てずによう……辛いよなぁ俺ら…」シクシク…

騎士「え、いや、それはないわー」

勇者「え?」

騎士「いや、そりゃ修業の合間にちょくちょく…ね?」

勇者「う、裏切者ッ!!!!」

 そんですぐにひびが入った。

騎士「それで、勇者は魔王討伐の旅を始めたばかり、と」

勇者「本当はスンゲー嫌だったけど、あのまま国に残るのもマジで嫌だったからね…だからとりあえず旅に出て、のらりくらりと行くつもりだったんだけど……」

勇者「一緒にパーティー組んだ奴らが皆志高くてね……何か予定外にマジな旅になってんすわ……」

騎士「へえ、パーティー組んでんのか」

勇者「うん。男二人に女二人」

騎士「女が二人! なら勇者お前、女の子とちょめちょめなんてすぐじゃねえか!」

勇者「ぶっちゃけ最初はそのつもりだったけどね。無理っす。もう無理っすわ。ミッションインポッシブル」

騎士「無理ってこたないだろ。いけるってやれるって」

勇者「やれねって。もうね、一人が超コンエーの。超ツンエー超コンエーの。んでもう一人と超仲良いの。手ぇ出せねって」

騎士「そんなにか……」

勇者「やばいよ。お前も見たらわかるよ」

騎士(見たらわかるの? 見た目がなんかもうゴリラなの? 何でこいつそんなゴリ女とパーティー組んでんの?)

勇者「俺のパーティーの話はもういいよ。騎士は一人で旅を?」

騎士「ああ」

勇者「やっぱりお前も魔王討伐のために旅をしてるのか?」

騎士「一応、そうだな」

勇者「一応?」

 そこで騎士は少し言いにくそうな素振りを見せる。
 が、やがて一口酒を含んで唇を濡らし、口を開き始めた。

騎士「まあぶっちゃけるとな、最初、俺は家出したんだ。もうこんな所居られるかと、国を捨てた」

騎士「しばらく自由奔放に旅を続けていたんだが、ある日、噂を聞いた」

騎士「俺の国が、魔王軍に滅ぼされたと」

勇者「ッ!?」

騎士「慌てて国に帰ってみたが、噂は本当だった。本当に国は完膚なきまでに滅ぼされていて、生き残りはゼロだった」

勇者「騎士……」

騎士「何故俺の国が魔王軍に目をつけられたのかは分からん。とにかく、それ以来俺は少しばかり真面目に魔王軍について情報を集めた。そして、俺は驚くべきことを知った」

騎士「俺の国は、たった一人の魔族によって滅ぼされたんだ」

勇者「そんな、馬鹿な…」

騎士「魔王には二人の側近が居る。巨大な虎の顔を持つ圧倒的な戦闘力の化け物、『獣王』。漆黒の鎧に身を包んだ正体不明の魔族、『暗黒騎士』」

騎士「俺の国を滅ぼしたのはその内の一人、魔王の右腕と称される『暗黒騎士』だ。多少知性のある魔族と戦う機会があって、その時に聞き出した情報だから信憑性は高い」

騎士「以来、俺は『暗黒騎士』を仕留めるために修業の旅を続けている。だから、厳密に言えば魔王討伐の旅とはちょっと違うわけだ」

勇者「もしかして、騎士がこの町にいるのは……」

騎士「ああ、目的はお前と同じだ。西の森の精霊の祠を解放するために、この町を拠点としているところさ」

勇者「……なあ、騎士。なら俺達と一緒に行かないか? 一人で挑むより、五人で挑む方が確実だろ?」

騎士「なんだ、心配してくれてんのか? ありがたい話だが、ちょっと悩むな……」

勇者「何でだ? そっちにデメリットはあんまりないだろ?」

騎士「いや、だってゴリラがいるんだろ?」

勇者「ゴリラはいねえよ。どっから出てきたゴリラ」

 翌朝―――

武道家「それで、騎士とやらはまだなのか? 勇者」

勇者「一応ここの宿屋の名前伝えて、朝に来いって言っといたんだけど……」

僧侶「新しい仲間かあ。どんな人でしょう……少し緊張しますねえ」

戦士「ふん、軟弱な男だったらお断りだぞ。勇者」

勇者「まあまあ戦士、そう言わずに……」

武道家「ちなみに、どんな男なんだ?」

勇者「なんつーか、俺みたいな奴?」

戦士「断固お断りだッ!!!!」

武道家「落ち着け戦士ッ!!」

勇者「何これ泣いていい? あと何気に僧侶ちゃんが戦士を諫めようとしないのも地味にくる」

僧侶「いや、それは……あはは」

騎士「おーい! 勇者ー!!」タタタ…

勇者「あ、来た」

騎士「悪い悪い、ちょっと遅れた」

勇者「みんな、紹介するよ。こいつが酒場で出会った騎士だ。騎士、そこに居るのが俺の仲間。武道家、僧侶ちゃん、戦士だ」

武道家「よろしく頼む」

僧侶「よろしくお願いします!」

戦士「ふん……」

騎士「……」

勇者「……騎士? どした?」

騎士「ん~……悪いな、勇者」

勇者「なにが?」




騎士「やっぱこの話ナシな。話にならんわ」



武道家「ッ!?」

僧侶「ッ!?」

戦士「……!!」

勇者「な、何でだよ!! 昨日はオッケーだって…!!」

騎士「昨日は昨日。今日は今日だ。明日は明日の風が吹く」

勇者「うるせえよ!! せめて理由を言え理由を!!」

騎士「え~? やめた方がいいと思うぜ?」

戦士「話にならん、と言ったな……まさかとは思うが、もしやそれは我々の力量のことを言っているのか?」

騎士「あ~……うん、まあ、正解だよお嬢ちゃん」

戦士「……ッ!!」

 騎士の軽薄な態度に戦士の顔色が変わる。

武道家「……どういう意味だ?」

 武道家もまた、苛立ちを隠し切れないまま騎士に問いただした。

騎士「じゃあもうぶっちゃけるけど、勇者、お前のパーティー弱すぎるよ。お前らとパーティー組んでもデメリットしかねえ」




騎士「―――弱者のお守なんて、俺はまっぴらごめんなんだよ」



 その言葉が、感情を押し留めていた堰を切った。
 戦士は背負った剣の柄に手をかける。
 武道家も、露骨な戦闘の構えこそ見せていないが明らかに臨戦態勢だ。
 自身と言うより、仲間を侮辱されたことが耐えかねたのだろう。僧侶でさえ、強い敵愾心を持った目で騎士を睨み付けている。

勇者「おおい君たちぃ!! 謝れ!! 騎士、お前謝れって!!」

騎士「言えって言うからホントのことを言ったまでだぜ?」

戦士「よく言った。ならば、その身で我らの力を試してみろ」

騎士「相手との力量差を感じ取れないってあたりが、もうね……いいよ。わかった。じゃあ、しょうがないから見せてやるよ」

騎士「――――レベルの差、ってやつを」

 言いつつ、騎士は構えない。
 騎士は無防備ともいえる体で、戦士と武道家に相対する。

勇者「ほんとやめなさいって君たち!! ああ、もう……!!」

 間に立つ勇者はオロオロだ。
 騎士がゆるりと手を伸ばし、その指を立てる。
 その指差す先は―――僧侶だ。

騎士「いいか? 俺は今から……その子のおっぱいを揉む!!」





僧侶「……へあ?」


 ――――空気が、止まった。




騎士「それじゃあ、行くぜ?」

 その場の雰囲気などお構いなしに、騎士はその身を低く屈める。

騎士「よーい……ドンッ!!!!」

 土煙だけを残し、騎士の姿が掻き消える。
 一切の小細工なし。正面から僧侶に近づき、その胸に向かって伸ばされた騎士の右手は。

 目標に到達する前にその手首を武道家によって掴み取られていた。

騎士「おお!?」

武道家「大したスピードだが捉えられん程ではない……下らん真似はこれきりにするんだな、騎士とやら」

騎士「今のに追いつけるのか! スピードに自信があるタイプなんだな!! ちょいと見縊ってたぜ!!」

 そう言って騎士は武道家に掴まれた腕を無造作に振り上げた。
 少なくとも、勇者の目にはそう映った。
 そうとしか映らなかった。

 ―――なのに、次の瞬間には武道家の体は宙高く打ち上げられていた。

武道家「な…に…!?」

 武道家本人すら、状況を把握するのに数瞬の時を要した。
 掴まれた腕を、振り上げた。
 騎士が行ったのは本当にそれだけだ。
 魔法ではない。技術でもない。
 単純明快な腕力。
 それだけで、自身の体は浮き上がり、その勢いに腕を掴んでいた指は滑り離れ、宿屋の屋根を見下ろせるような高さまで投げ出されている。

武道家「何ィィィィィーーーーーーッ!!!?」

僧侶「武道家さんッ!!」

 思わず武道家の姿を目で追っていた僧侶の胸が、もにん、と下から押し上げられた。

騎士「おお、すっげ」

 僧侶の背後に回った騎士が、その両手で僧侶の胸を優しく揉み上げている。
 もにんもにんと、騎士の指に押され僧侶の胸が形を変えた。

僧侶「―――ッ!!」

 僧侶が反射的に悲鳴を上げようと息を吸い込むよりも早く。

勇者「てめえ――――何してくれてんだコラァッ!!!!!!」

 勇者が握りしめた拳を騎士の顔目掛けて撃ち込んでいた。



 しかし勇者の拳は空を切る。

 僧侶の背後から掻き消えた騎士が再び姿を現したその先で―――間髪入れず戦士が大剣を振り下ろしていた。

 だがそれすら不発。

 戦士の剣は地面を穿ち、騎士は最初の立ち位置に戻っていた。

 体勢を整えた武道家が着地する。

 勇者、戦士、武道家、僧侶と騎士一人が相対する。


 騎士は勇者たち四人の顔を見回した。

騎士「まだやる気満々なのは……勇者と戦士くらいか」

僧侶「うぅ…」

武道家「くッ…」

勇者「おい騎士、僧侶ちゃんに土下座しろ。そうすりゃさっきの狼藉は不問にしてやる」

戦士「いーや、それくらいじゃ収まらん。貴様は世に生きる全ての女の敵だ。ここで私が成敗してやる」

騎士「どうすりゃ心折れっかな……うーん…」

 騎士は目を閉じ、顎に手を当て、顔を下に向けて思案する素振りを見せた。
 ―――まだ臨戦態勢を解いていない戦士と勇者を目の前にしながら、だ。

戦士「どこまでも―――舐めくさって!!!!」

 大地を思い切り蹴り、戦士が一瞬で騎士に肉薄する。
 そして構えた大剣を振り下ろす、その刹那――――

 騎士はぱちりと目を開き、ぼそりと呟いた。





騎士「プライド高そうだし、剥くか」




 ほんの少し、騎士は自分の体を横にずらした。
 それだけで、戦士の大剣は騎士の体を捉えられずに地面を叩く。
 地面を穿った大剣の刃を上から踏みつけ、騎士は薄く笑った。
 騎士の手には、紙や糸を切る時などに使う、ごくありふれた汎用ナイフが握られていた。
 ナイフが反射する光が揺らめいた。
 戦士は反射的に剣から手を離し、大きく後ろに跳び退る。

騎士「いい反応だ、と褒めたいところだけど」

 騎士はズボンのポケットから鞘を取り出して、ナイフの刃を差し込んだ。

騎士「もう終わってんだよね」

 パチン、と鞘に刃を仕舞う音が響く。
 同時に、戦士の鎧がするりと外れ、ごとりと音を立てて地面に落ちた。

戦士「……は?」

騎士「鎧自体は壊してねえよ。流石に一張羅を台無しにすんのは気が引けたからな。繋ぎの紐を切っただけさ、安心しな」

騎士「―――つっても、その下の服は台無しにしちゃったけど」

 戦士が身に着けていた服が千切れ飛ぶ。

戦士「な…!」

 服だけではない。露わになった下着代わりのさらしもまた、ぱらぱらと足元に落ち始めた。

戦士「ちょ…や……!」

 慌てて戦士はひらひらと千切れ飛ぶ布の欠片に手を伸ばす。
 しかしその手に掴めたのはほんの小さな布きれのみだ。
 これでは体の一部も隠すことが出来ない。
 にやにやとこちらを見て笑う騎士の姿が目に入った。

戦士「やめろ!! 見るなぁ!!」

 羞恥に顔を真っ赤に染めて、生まれたままの姿となった戦士はその場に蹲る。


 その戦士の体に―――いつの間にか傍に来ていた勇者が己のマントを巻き付けていた。

戦士「ゆ…う、しゃ……?」

勇者「見てないよ? 俺何も見てないからね?」アタフタ

騎士「……ざーんねん。あとちょっとで全部見えたのに。ほんと、いい反応してるわ勇者」

勇者「騎士……!!」

 勇者は戦士の傍で立ち上がり、騎士を睨み付けた。

騎士「……まだやる気かよ?」

勇者「………」

 勇者は内心の怒りをかみ殺し、大きく息を吐く。

勇者「……やらねえよ。俺達とお前の実力差はよーく分かった。思い知ったよ」

騎士「そりゃ良かった。じゃあ俺は行くぜ?」

 そう言って騎士は勇者たちに背を向けた。
 そうして歩み始めた直後。
 勇者の隣に蹲っていた戦士が駆けだした。
 地面を穿ち、突き立ったままだった己の剣を引き抜き、騎士に迫る。

戦士「ずああッ!!!!」

 涙に滲んだ瞳で、雄叫びを上げる。
 余りにも悔しかったのだろう。
 この一撃だってどうせ避けられることは分かっている。
 それでも、どうしてもこのまま行かすことは出来なかった。
 そうして、振り下ろされた一撃を。



 騎士は、避けなかった。


 だん、と剣を叩き付ける音がした。

武道家「馬鹿な……」

僧侶「そんな…」

勇者「は…?」

戦士「あ…あ……」

 驚愕の声は四人全員から漏れた。
 信じられない光景が目の前に広がっていたから。
 騎士は、戦士の剣を避けなかった。
 戦士の剣は、背後から騎士の肩口に叩き付けられ。


 ―――――そこで、止まっていた。


騎士「ったく……こうなるから、直接剣のやり取りはしたくなかったんだ」

 ため息交じりに呟いて、騎士は再び勇者たちの方を振り返る。
 その拍子に戦士の大剣は騎士の肩をずるりと滑り落ちて、がらんと力なく地面に転がった。

騎士「……レベルの差が大きすぎると、こうなるんだ。お前らの攻撃力は俺の防御力と比較すると余りにも小さすぎて……俺の防御を貫けない」

 騎士は、非常にばつが悪そうな顔をしていた。
 どうやら戦士の剣については本当に避けられなかったらしい。
 あれだけのことをされてなお剣を取り立ち向かってくるなど、騎士の持つ常識からすれば予想しえぬ事だったようだ。

騎士「その…なんつーか……めげんなよ、お前ら。大丈夫、頑張れ」

騎士「大丈夫だって! まだまだこれから強くなれるって! 明日の可能性は無限大だってじっちゃんも言ってた!」

騎士「勇者! 旅やめんなよ!? お前が旅やめちゃうと俺すっげえ寂しいから!!」

騎士「あーと、えーと……そ、その、今回の西の森の祠、お前たちに譲るよ!! それで少しでも俺に追いついてこい!! な!? な!?」

騎士「…………」

騎士「……んじゃ! 俺行くから! またこの世界のどこかで会おう!! 元気でな、お前ら!!」

 そうして、騎士は去っていった。
 四人はしばらく茫然とその場に留まっていたが、やがて勇者が口を開いた。

勇者「……このまま、ここでこうしてても埒が明かないし、もう一回宿とって部屋に戻ろう。戦士の鎧も修復しなきゃだから、出発は明日に延期。いいか? みんな」

 武道家と僧侶は沈痛な面持ちで頷き、歩き始めた。
 戦士はまだその場から立ち上がらない。

僧侶「戦士……」

 心配した僧侶は戦士に歩み寄り、ようやく立ち上がった戦士の腕を支えた。

勇者「……なあ、武道家~」

 ふらふらと、おぼつかない足取りで宿に戻る戦士を見届けて、勇者は隣に佇む武道家に声をかける。

武道家「……なんだ?」

勇者「今、悔しい?」

武道家「当然だ。己の不甲斐なさに、はらわたが煮えくり返る思いだ」

勇者「俺もなー、意外なことに悔しいんだわ。あんな強い奴がいるんだから、もう魔王はあいつに任せちまえ~っていつもなら小躍りしちゃいそうなのにな」

勇者「……なんか、逆にモチベーション上がった。今まで親父の遺志を継いで魔王を討伐する、とかどうやったってテンション上がんなかったけど」

勇者「少なくとも、あいつを一発ぶん殴れるくらいには強くなってやるぜ、俺は」

武道家「それでは足りんな。いずれ、俺は奴を完膚なきまでに屈服させてやる」

勇者「おほー、流石は『武道家』。野蛮なこって。……戦士は大丈夫かな?」

武道家「それはお前の方が良く分かってるんじゃないか?」

勇者「……そうだな。あの女はこれで折れるようなタマじゃねえわ。よし、そんじゃ俺らも戻るか」

武道家「ああ」

勇者「そんで、すぐロビーに全員集合な」

武道家「あ?」

勇者「この町、麦酒がすげーうめえんだよ。嫌なことは酒飲んでぱーっと騒いで忘れるに限る!! 戦士も僧侶ちゃんも今回ばかりは強制連行じゃい!!!!」

武道家「……なんというか、尊敬するな。お前のそのポジティブさは」

勇者「ネガティブやったらこの五年の修業耐え切れずに自殺しとるわ!! ぎゃっはっは!! いくぞおらーっ!!」

戦士「うあらーー!! なんなんじゃーーッ!! 世の中に居る男はあんなクソばっかかーー!!」アンギャー!

勇者「うわあやべえこの女マジで酒癖わりい」

戦士「ゆうしゃーー!! どうなんだーー!! 答えろおらーー!!」

勇者「あーはいあのですね、あんなんは極めてレアケースだと思いますよホント」

戦士「お前自分とあいつが似てるなんて言ってたなーーー!! じゃあお前もあれかーー!! レアなクソかーー!!!!」

勇者「滅相もない!! ってかくっせえ!! コイツマジで酒くっせえ!!」

戦士「お前、女の子に向かってくさいって、お前……!!」ウルウル…

勇者「泣き出したようっぜ!! 何なんだよお前怒ったり泣いたり一体何上戸なんだよ!!」

戦士「何上戸ってお前www知らねえよwwwwww」ケラケラケラ!

勇者「笑い出したよ!! 何なんだよお前上戸完全制覇か!!」

武道家「すまなかったな、守ってやれなくて……」

僧侶「いえ、あの時武道家さんが立ちはだかってくれて、私…嬉しかったです……」

勇者「うおおおおい!! 何いい雰囲気になってんだそこぉぉぉおおおおお!!!! 殺すぞ武道家ぁぁぁぁああああ!!!!」

戦士「こらおまえまだわたしがはなしてるとちゅうだろこっちむけおい」




 こうして、勇者たち一行は再び立ち上がった。

 初めての完全敗北を経験し、むしろ以前よりも強く結束した勇者一行。

 しかしこの翌日、四人の結束が今度は致命的なまでにバラバラになってしまうことを。

 当然、今の彼らは知る由もないのであった。



第五章  伝説になれなかった男  完


 ―――『第六の町』より西に広がる大森林。

勇者「くあー、最悪だ。雨降ってきやがった」

僧侶「木々が深く生い茂っているおかげでそんなに濡れないのが幸いですねえ」

勇者「そうだね。ただ、太陽が隠れちゃって方角わかりづらくなるのがきっついなあ。武道家、方角ずれてない?」

武道家「ああ、今のところは大丈夫だ。羅針盤に異常がなければ、我々は森をずっと北西の方向に進み続けてる」

戦士「しかし…日が射さんと本当に暗いな。真昼間だというのに、既に日暮れを迎えたような心地だ」

勇者「夜になったら真っ暗だろうし、何とかそれまでには祠に着きたいな……」

 二時間後―――

勇者「ふう~、何とか日が暮れる前に祠にたどり着くことが出来たな。思ったより大変だった……騎士から祠の詳細な場所の情報もらってなかったらやばかったな」

戦士「騎士…か」

僧侶「……」

武道家「ふん、あんな奴に感謝する必要などない。あいつの情報など無くともお前なら祠の場所を探り当てることが出来たさ。だろう? 勇者」

勇者「まあな。そんじゃ、騎士に一泡吹かせるためにも、ブワァーと攻略いってみようか!」

三人「「「おう!!」」」

 洞窟内―――『精霊の祠』攻略戦。

猿型魔物A「グォォォオオオオオオ!!!!」

勇者「『呪文・火炎』!!」ゴォ!

猿型魔物A「ギャオオ!?」ボォォ!

勇者「おっしゃ顔面直撃! その状態じゃ目も見えねえだろ!! 武道家ァ!!」

武道家「承知ッ!! おぉぉぉぉおおおお!!!!」ガガガガガガ!

猿型魔物A「ごっ、ぎゃ、ぎっ!!」

武道家「とどめ!!」

 武道家の装備する手甲――その肘から突き出た刃(スピア)が猿型魔物の喉笛を切り裂く!

猿型魔物A「ギィィ……」ズーン…!

 猿型魔物Aは絶命した!

戦士「はあああああああああ!!!!」ズガガガガガ!

猿型魔物B「グギギ……!!」

 戦士の圧倒的な連撃を前に、猿型魔物Bはまったく手を出せない!

勇者「『呪文・烈風』!!」

 勇者は魔力を練り上げ、猿型魔物Bの左足、その膝辺りを指差した。
 勇者の指から発射された風の塊が猿型魔物Bの足を弾き、バランスを崩させる!

戦士「今だ…その首もらうぞ!!」

 戦士が水平に振った大剣が猿型魔物Bの首にめり込む。
 切り離された首は回転しながら宙を舞い、頭を失った体は力なくその場にくずおれた。

 魔物たちは全滅した!

勇者「おし……皆ダメージは負ってないな?」

武道家「ああ」

戦士「当然だ」

僧侶「皆さんお疲れ様でした!」

勇者(いけるいける。全然やれるよ)

勇者(やっぱ強いよこのパーティー。騎士が異常に強すぎただけだ。何なんだアイツは。チートか)

勇者「よし、この調子でどんどん行こう。ただ、油断だけはしないように!! 特に戦士!!」

戦士「な…! 何故私を強調するのだ!!」

勇者「自分の胸に手を当ててよーく考えてみるんだな暴走突貫娘!!」

戦士「むぐぐ……!!」

武道家(なんというか……)

僧侶(かなり打ち解けましたねえ、二人とも……)

 精霊の祠最深部―――
 精霊の力を増幅させるために拵えられた『神殿』の前に、一匹の魔物が佇んでいた。
 風貌は、先ほど何度か撃退した猿型の魔物に酷似している。
 ただ、目の前にいる魔物はその毛色が違っていた。
 この洞窟に数多現れた猿型の魔物の色は、茶色。
 目の前の魔物の毛色は、黒。
 烏の濡れ羽を思わせるような漆黒だった。

猿型魔物「ヨクモ…我ガ同胞ヲ殺シ尽クシテクレタナ…」

武道家「喋った!?」

勇者「人語を解する程の知能を持つ魔物……まいったな、こいつは」

勇者(……強い…!!)

猿型魔物「我ガ名ハ『魔猿』……我ガ領域ヲ侵ス愚カ者共、報イヲ受ケヨ!!」

勇者「来るぞッ!!」

魔猿「ゴオオオオオオオオオオオ!!!!」

 魔猿が吠える。
 祠全体が震えているかのような威圧感。
 勇者たちは即座に戦闘隊形に移行する。
 戦士と武道家が前に。勇者はその後ろ、僧侶を庇う立ち位置に。
 僧侶は呪文を紡ぐ。
 彼女が最も強く加護を受けている精霊は『水』。
 その魔力は、人の体に働きかけることで様々な機能を向上させる。
 その端的な例が治癒力を向上させる回復系の呪文だ。
 無論、これまでの旅を経てレベルアップしてきた彼女が扱える呪文は、既にそれだけにはとどまらない。

僧侶「『呪文・攻撃強化』!!」

 僧侶の持つ武器――『杖』から溢れた魔力が向かう先は武道家だった。
 青白い光に包まれ、武道家は己の体に力が漲るのを感じる。

武道家「破ッ!!」

 パーティーの中で誰よりも素早く動ける武道家が魔猿に対し先手を打つ。
 僧侶の呪文により強化を受けた武道家の拳が魔猿の顔面に突き刺さった。

魔猿「ギャオオウッ!!!!」

 武道家の拳を受け、後ろによろめいた魔猿だったが、体勢を崩しながらも彼は既に武道家に攻撃を放っていた。

武道家「ぬっ!?」

 魔猿の尻尾が武道家に巻き付いている。
 尻尾に引かれ、連撃を繋ごうとしていた武道家の動きが止まった。
 そして。

魔猿「ゴアアッ!!!!」

武道家「ぬおあッ!!」

 そのまま尻尾を振り回し、武道家の体を投げ飛ばす。
 武道家は洞窟の岩壁に背中から叩き付けられた。
 追撃に移ろうとした魔猿の動きを遮ったのは戦士の大剣。
 眼前に迫った戦士の水平斬りを、魔猿は思い切り後ろにのけぞることでかわす。

戦士「すばしっこいな…!! 流石に猿の親玉か!!」

 水平に振るった剣の勢いを力ずくで斬り返し、今度は大上段から振り下ろす。
 魔猿は地を蹴り、体勢を戦士の方に向き直しながら跳躍。しかし今度はかわしきれず戦士の刃は魔猿の右肩を切り裂いた。

魔猿「オノレ人間風情ガッ!!」

戦士「剣の通りが浅いか……僧侶!! 私にも攻撃強化を!!」

僧侶「ええ、わかってる!! でもその前に……!」

 僧侶の杖から再び魔力が放出され、壁に叩き付けられた武道家の傷を癒す。
 武道家は何事も無かったかのように立ち上がり、拳を揺らしながら歩み始めた。

武道家「恩に着る。さて、魔猿とやら。もうさっきの大道芸は通じんぞ」

魔猿「チィィ!! 貴様ガ一番邪魔ダ、回復使イノ魔術師メッ!!」

 魔猿は戦士を無理やり押しのけ、僧侶に向かって突撃する。

戦士「行かせるかッ!!」

 戦士の一撃が魔猿の背中を裂いたが、魔猿は止まらない。

魔猿「死ネェッ!!」

僧侶「………ッ!!」

 僧侶の眼前に迫った魔猿の爪は、しかし僧侶に届かない。
 振るわれたその腕は、間に割って入った勇者の剣によって止められていた。

勇者「それだけは俺が許さねえんだよ…なぁッ!!!!」

 勇者はそのまま剣で魔猿の腕を切り払う。
 後ろに跳躍し、魔猿は勇者から距離を取った。
 勇者の剣と接触した魔猿の手のひらからは血が滴り落ちている。

勇者「思いっきり切ってやったのに、指の一本も落とせないか……」

 勇者の脳裏に蘇る、騎士の言葉。
 レベルの差が大きければ、通常与えられるべきダメージを、与えきることが出来ない。

勇者「だが、通じないほどじゃない。今回は勝てるさ…勝ってみせる…!」

戦士「当然だ!!」

 魔猿の眼前に迫った戦士が連撃を繰り出す。
 両腕を振るい、その剣を撃ち落としにかかる魔猿。

魔猿「ギェアッ!!!!」

 両腕から血を流しながらも戦士の大剣をさばき切り、魔猿は戦士の腹部に蹴りを入れる。

戦士「ぐッ……!!」

 戦士の体が吹き飛んだ。
 何とか空中で体勢を立て直し、戦士は両足で着地する。

戦士「ごふッ……!!」

 余りの衝撃に込み上げてくる吐き気を戦士は飲み込んだ。
 見れば、蹴りを受けた部分の鎧が歪に凹んでいる。

魔猿「マズハ一匹……!!」

 魔猿が追撃に移らんと戦士に向かって駆け出した。
 その視界が、突如炎の赤に染まる。

勇者「『呪文・火炎』……!!」

魔猿「ゴォ……オノレ……!!」

 顔に纏わりつく炎を振り払うように、魔猿は思い切り首を振り、その手で顔を掻き毟る。

勇者「まだまだ俺程度の魔力じゃそのまま焼き尽くすことなんて出来ないか……けど、かく乱と足止めなら、これで十分!!」

 ずぶり、と魔猿の額に刃が食い込んだ。
 武道家の肘が、魔猿の額に接触している。
 つまりは、そこから伸びた刃が、深々と魔猿の頭を貫いているということだ。

魔猿「オ…ノ、レ……!!」

武道家「……ッ!! コイツ、まだ生きて……!!」

勇者「なんて生命力……!!」

僧侶「武道家さん!! 危ない!!」

武道家「くッ…!!」

 魔猿は左手で武道家の腕を掴み、右腕を振り上げた。
 魔猿の額に突き立ったまま固定されたスピアが武道家の動きを阻害する。

魔猿「死…ネェッ!!!!」

 しかし振り下ろされた魔猿の右腕は空振りした。

魔猿「ガ…?」

 魔猿の腕はその肘から先が無くなっていた。
 何事かと魔猿はぎょろりと眼球を動かし、周りを見渡す。
 頭上で己の腕が回っているのが見えた。
 次に地面を穿つ剣の先に気付いた。
 戦士が、振り上げた魔猿の腕を、一刀両断に切り落としていた。

戦士「ゲッホ……お返しだ、この猿野郎」

 戦士が振り下ろした剣を構え直す。
 その体勢から、次は剣を横なぎに振るうつもりであることが明白に読み取れる。

魔猿「……ッ!!」

武道家「おっと、動くなよ魔猿とやら」

 武道家はスピアを突き立てたまま、空いた方の手で魔猿の首の毛に指を絡め掴み取る。
 そうすることで、魔猿の動きを阻害する。

魔猿「離セ!! オノレコノウジ虫共ガ!! ハナセェェエエエエエ!!!!」

 戦士が剣を振る。
 横なぎに振るわれた、戦士の全身全霊の一撃。
 それは魔猿の防御を易々と貫き、魔猿の体を腰元から上下に両断した。

魔猿「カ…ハ……」

 武道家は魔猿の額からスピアを引き抜く。
 どさりと音を立て、魔猿の上半身は下半身と重なりあって地面に落ちた。

勇者「今度こそ……やったか?」

武道家「だろうな……すまんが僧侶、回復を頼めるか?」

僧侶「あ、はい……ひっ!」

勇者「おま……どうしたその腕ッ!!」

武道家「最後に奴に掴まれた時にな……凄まじい力だった。今回はたまたま圧倒できたが、やはり強敵だったよ、奴は」

 武道家の腕は、魔猿に掴まれたところからぽっきりとへし折られていた。
 まるで関節が一つ増えたように、肘と手首の中間あたりで直角に腕が折れ曲がっている。

勇者「うええ…! お前痛くねーのかよそれ…」

武道家「凄まじく痛いな……実は吐きそうなのを必死で堪えている」

僧侶「す、すぐに治療しますぅ!!」

勇者「戦士、お前は大丈夫なのか? 確かまともに一撃もらってただろ」

戦士「私は鎧の上からだったから、そこまでの損傷は受けていない。回復は後回しで構わん」

勇者「痩せ我慢すんなって。ほれ俺が回復してやるから、近うよれ」

戦士「……お前、昨夜私がちょっとみっともない姿見せたからって調子にのるなよ?」

勇者「ちょっと? あれがちょっとねえ……」

戦士「う、うるさい!! 二度とあんな不覚はとらんからな!!」

勇者「……って、あれ? 神殿復活してなくね?」

僧侶「そういえば、そうですね。加護の高まりを感じられません」

武道家「まだ祠の中に魔物が残っているのか?」

勇者「え~、うそん。ちゃんとしらみつぶしにしてきたのに? ……もしかして最初の時みたいに神殿の後ろにGがいるんじゃ……」

戦士「ひぅ…」ゾワワ…!

僧侶「はわ…」ゾワワン…!

武道家「お前…思い出させるなよ……」

勇者「俺かて思い出したくないわ。君ら知らんだろうけど、俺あの時体液もろかぶりで不快度MAXだったんだかんね。あの後超ぉ~体洗ったわ。皮膚剥げるかと思うくらい洗ったわ」

勇者「実際ちょっと血ィ出たわ」

武道家「もういいわかった。じゃあ今回は俺が見てくるから……ちょっと待ってろ」

武道家「………」

武道家「何もいないな」

戦士「ということは、やはり洞窟内に討ち漏らした魔物がいるということか」

勇者「いや~、それは考えにくいんだけど……ひょっとしてそこの魔猿がまだ生きてんじゃね?」

僧侶「いや、いくらなんでもそんなまさか……」

魔猿「クク…カハハ…」ゴフッ

戦士「……ッ!!」

勇者「いやいや…おいおい、マジかよ……」

武道家「何という生命力だ……」

魔猿「ガハ…貴様ラハモウ終ワリダ…アノ方ガイラッシャッタ…」

勇者「『あの方』?」

魔猿「我ラノ主…我ラ魔獣ノ頂点、獣ノ王……貴様ラ人間如キデハ、ドウ足掻コウトモ……ガハ、クハハ……!」

魔猿「先ニ地獄デ待ッテイルゾ……グハハハ……グフッ」ガクッ

 魔猿の絶命と同時に、神殿が輝きを取り戻す―――
 勇者たちは精霊の祠を解放した!

勇者「無事に精霊の加護を受けることは出来たけど……」

武道家「何とも不気味なことを言い残して逝ったな、この魔猿とやらは」

勇者(『獣の王』……何だっけ、つい最近どこかで聞いたような……)

勇者「なーんか嫌な予感するな。みんな、長居は無用だ。さっさと帰ろうぜ」


 雨が降っている。
 洞窟を抜けたところで、勇者たちは立ち尽くしていた。
 目の前には、一匹の魔物が佇んでいる。

??「『伝説の勇者』の息子とは、貴様だな?」

 流暢に人語を話す魔物だった。
 そして、とても巨大な魔物だった。
 身の丈は三メートルをゆうに超している。勇者は、人語を話すその魔物の顔を―――巨大な虎の顔を茫然と見上げていた。

??「我の名は『獣王』。我自身に貴様との因縁など皆無だが」

 四人の中で、勇者だけが気づいた。
 思い出した。
 第六の町―――その酒場で、騎士が口にしていた言葉。


『魔王には二人の側近が居る。巨大な虎の顔を持つ圧倒的な戦闘力の化け物―――獣王』


勇者「馬鹿な…そんな、まさか…魔王の側近が、何でこんな辺境に……!」

 がたがたと勇者の体が震えだす。

獣王「その首貰い受けるぞ―――『伝説の勇者』の息子よ」

 嘘だと思いたかった。
 聞き間違いであってほしかった。






第六章  ただ____死を避けるために




獣王「さて、まずは…かつての魔王を退けた『伝説の勇者』から受け継ぎしその力を見せてもらおうか」

 獣王はそう言うと両手を広げ、勇者たちを迎え入れるかのような動作をした。

獣王「初撃、我は貴様らの攻撃を防御せん。存分に力を振るうがいい」

戦士「なに…!?」

武道家「随分と見下してくれるな獣王とやら」

獣王「おお、気分を害したならすまないな。しかし許せよ。我を脅かす強敵との仕合など久しくてな。ただ漫然と殺しあうのも勿体無いと思ったのだ」

武道家「ならばお望み通り」

戦士「我らの剣を受けてみろ。後悔するなよ、獣王!!」

勇者「ま、待て二人とも!!」

 勇者の声などお構いなしに、武道家と戦士は駆け出す。
 一瞬で獣王との距離を潰し、先に拳を振るったのは武道家。
 渾身の力を持って振るった拳は、しかし獣王の毛皮をわずかに凹ませることも出来なかった。

獣王「何やらゆっくりと歩み寄って来て何事かと思ったら、指圧によるマッサージをするつもりだったとはな。何故いきなり我を歓待する?」

武道家「な…に…?」

 戦士の振り下ろした大剣は、獣王の肩に衝突して止まった。

獣王「こちらも突然の肩たたきか。これは戸惑うばかりだ。貴様らは我ら魔王軍を倒すために旅を続けているのではなかったのか?」

戦士「馬鹿な…」

 四人の脳裏をよぎったのは、昨日の騎士との仕合の記憶。
 拭い去りたかった、圧倒的な敗北感。

獣王「意図は読めぬが褒美は取らそう。頭を―――撫でてやる」

 直後、獣王の右腕が消えて―――戦士と武道家が洞窟の入り口、その岩壁に叩き付けられた。

勇者「な…あ…?」

戦士「………」

武道家「………」

 衝突により岩壁から剥がれた石の欠片が戦士と武道家の頭に落ちる。
 が、二人とも何の反応も示さない。

勇者「は…が…ぐ…そ、僧侶ちゃん、か、回復を……」

僧侶「は、はいぃ!」

 極度の緊張によるものか、カラカラになって貼りついたようになった喉で、勇者は何とか僧侶に指示を出す。

獣王「くっはははは!! これは面白い!! 何とも秀逸なパフォーマンスよ!!」

獣王「見事な『死んだ振り』だ!! よもや貴様ら、芸で路銀を稼いでおるのか!? かっははは!!」

 獣王は腹を抱えて笑っていた。
 獣王が笑う意味を、勇者は理解できた。
 理解できてしまった。

 つまり獣王の立場からすれば。
 真剣な面持ちをしながら歩み寄って来た二人が突然マッサージを始め。
 気持ちいいと頭を撫でてやったら自ら吹っ飛んで壁に追突し、死んだ振りを始めたのだ。
 ああ、なんて滑稽な。

 そんな所業は―――まさに『道化師(ピエロ)』のそれだ。

獣王「退屈していたという我の意を汲み取って、こんな余興を買って出るとは粋な心意気よ。感服する他ない。さあ、では伝説の勇者の息子よ。貴様は我に何を見せてくれるのだ?」

勇者「う…ぐ…!!」

 勇者は焦燥の中で思考する。
 剣は駄目だ。戦士の一撃ですら通らなかった。
 それより威力の劣る自分の剣が、どうして獣王に通じようか。

勇者「『呪文・火炎』!!」

 一縷の望みをかけて、勇者は獣王に向けて炎を飛ばす。
 だけど、きっと無駄だと、勇者は初めから悟っていた。

獣王「成程、雨でぬれた我が毛皮を乾かすつもりだったか。心遣い、痛み入る」

 やはり勇者の思った通りだった。
 勇者の放った炎は獣王の毛先すらも焦げ付かせることは叶わず、ただ表面の水分を蒸発させただけだった。

獣王「敵に塩を送る……貴様ら人間の言葉でそんな物があったな。人間というものは何とも奇異なことをすると思っていたが、実際にやられてみると成程、これは中々趣深い」

 獣王は一人、見当違いな方向に納得していた。
 僧侶の治癒により、戦士と武道家が意識を取り戻し、戦線に復帰する。
 だが、勇者は。

勇者(絶対に―――勝てない)

 勇者は既にそう確信してしまっていた。
 戦士と武道家の目にはまだ闘志が漲っている。
 戦士と武道家は、自分たちが何をされて吹き飛ばされたのか把握していない。
 その後の獣王の言葉も意識を失っていた故、聞いていない。
 だから、僧侶の呪文で能力を強化すれば或いはと―――そんな希望を、まだ捨ててはいないのだ。

 どうする―――? と全員が己に問いかける。
 どうやって勝つ―――? と勇者以外の三人は思考する。

 勇者だけは違った。
 勇者の思いはたったひとつ。

勇者(どうやって―――生き延びる!?)

 ただそれだけを望み、勇者は頭を回転させる。
 だが、何の結論も出ないままに―――

獣王「さて、余興はこれまででよかろう。いよいよ命を削り、殺しあおうではないか」

 無情にも、獣王はそう宣言した。

獣王「戦時の高揚こそ我が無上の喜び。共に楽しもうぞ、伝説の勇者の息子よ!!」

 それは紛れもなく死刑の宣告。
 恐怖のあまり、勇者は無自覚に唇の端を持ち上げ、笑った。
 そして―――






 戦闘はひとつのまばたきにも満たぬ時間で決着した。




獣王「何だ……何だコレはァッ!!!!」

 響いたのは獣王の激高する声。
 武道家、戦士、僧侶、そして勇者―――四人はそれぞれ、地面に倒れ伏していた。

獣王「弱すぎるッ!! これでは我の渇きを潤すことなど出来ん!! おのれ『暗黒騎士』め、我を謀ったな!!」

獣王「何が『今日ここに現れるのは我でなくては相手が務まらぬ猛者』だ!! この様な羽虫ども、辺境攻めの雑魚どもで十分対応できようが!!」

 怒気を孕んだ獣王の雄叫びは、最上級の気付け薬となった。
 勇者は辛うじて意識を取り戻す。
 勇者は、自分が何をされたのかすら把握できていなかった。
 一瞬、獣王の姿が消えたと思ったら、地面に打ち倒され、目の前が真っ暗になった。
 察するに、獣王は何も特別なことはしていないのだろう。
 ただ近づいて、小手調べのための一撃を放った。
 それだけで、勇者たちは全滅してしまったのだ。
 勇者は獣王に気付かれないように、ゆっくりと顔を巡らす。
 戦士、武道家、僧侶―――三人とも、何とか息をしている。まだ誰も死んでいない。
 小手調べの段階で全滅したのは、不幸中の幸いといえるだろう。下手に初撃を耐え抜いていれば、続く二撃目で命を落としていた可能性が高い。

勇者(あとは、このまま死んだ振りを続けていれば……獣王のあの様子じゃ、俺達を見逃す可能性も……)

 そんな勇者の淡い希望は、しかし即座に打ち砕かれた。

獣王「チッ…彼奴にいいように使われるなどまったく癪に障るが…一応、魔王様の命令でもある……この虫共の首、持って帰らねば」

勇者(な…あ…!?)

 獣王が勇者に向かって歩み始める。

勇者(ど…どうする……!?)

 一歩。さらに一歩。
 獣王の歩みは、今の勇者にとっては殊更ゆっくりに見えた。
 しかし確実に、着実に、獣王は勇者の体に歩み寄ってくる。

勇者(どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする!!!!???)

 ―――どう考えても、結論はひとつしか出なかった。




 勇者は痛む体を引きずり、身を起こす。

 そして―――


勇者「お願いします!! 命だけは!! 命だけは助けてください!!」


 そう叫んで、恥も外聞もなく頭を地面にこすり付けた。




 だがそれでも獣王の足は止まらない。

勇者「お、お願いします!! じゅ、獣王様!! あなたを楽しませるためなら、裸踊りでも、何でもしますから!! だ、だから!!」

 獣王の足は止まらない。

勇者「ひいい! い、嫌だ、やだ…! や、やめる、やめます!! もう魔王討伐の旅なんてしません!! おねがいです、命は、命だけはぁ……!!」

 獣王は遂に勇者の目の前に。
 勇者を見下ろす獣王の眼差しは冷たい。

勇者「は…や…そ、そうだ、こんな屑野郎介錯したら、獣王様の爪が汚れちまいますよ…へ、へへ……」

 ごくり、と勇者は唾をのむ。
 獣王の腕が一瞬、ぶれた。


 そして次の瞬間には勇者の右肩から左の腰まで肉が裂け、血が噴き出していた。


勇者「あぎゃあああああああああああああああああああああ!!!!!!」

獣王「囀るな糞虫がッ!!!! 潔くせねば、骨の髄まで苦痛を味わわせてから殺してやるぞ!!」

勇者「ああああひいいいいいいいいいいい!!!! 痛い痛い、嫌だ嫌だ嫌だ!! 痛いのは嫌だ、死ぬのは嫌だあああああああああああああ!!!!!」

 勇者は腰に下げていた袋に手を入れる。
 その中に保管していたあるアイテムを掴み、即座に発動。
 魔力に包まれた勇者の体が、勢いよく空中に飛び出した。
 雨によりその姿は遮られ、勇者の姿はあっという間に獣王から見えなくなる。

獣王「『翼竜の羽』……だと…?」

 獣王は唖然とした声で呟いた。
 そして、倒れている武道家、戦士、僧侶の姿を見回す。

獣王「あの小僧……よりにもよって、仲間を捨てたのか!?」

獣王「いいのか? 殺してしまうぞ? 腹を裂いて腸を啜り、苦悶の表情で首を切り取り晒し者とするぞ?」

獣王「いや、そのためか? 自身が逃げる時間を稼ぐために、それこそが望み通りだと?」

獣王「く、は……はは!! はははははは!!!!」

 怒りを一周して、獣王に込み上げてきたのは笑いだった。
 あんな奴を相手にするために、こんな辺境までやって来て、時間を無駄にした自分が滑稽で仕方がなかった。
 獣王はこの瞬間、『伝説の勇者の息子』に対して一切の興味を失った。
 獣王は倒れ伏す戦士たちを一瞥する。
 止めを刺してやってもいいが、もうこれ以上あんな小虫のために手を煩わせるなどまっぴらごめんだと獣王は思った。

獣王「魔王様には伝説の勇者の息子など、相手にする価値なしと報告しよう。あんな小虫が命をかけて我らに挑んでくるなど……あり得ん」

 そして、獣王は去った。
 あとには、戦士、武道家、僧侶の三人だけが残される。
 しばらくの時が経ち、もぞもぞと起きあがる影があった。
 戦士だ。

戦士「勇者……」

 戦士は起きていた。
 実は戦士は勇者と同じタイミングで目覚め、ずっと窮地を打開する機会を伺っていた。
 そして、獣王が勇者に近づいていき、いよいよ玉砕覚悟で突っ込むしかないかと覚悟を決めた時。
 戦士は、勇者の命乞いを聞いた。

戦士「勇者……!!」

 戦士は最後、勇者の命を守るためにその剣を振るうつもりだった。
 驚くべきことに、結果共に二人で死ぬことになっても悪くはないかと、そんな風に思う自分も確かにいたのだ。

戦士「勇者あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 あとからあとから溢れ出す涙を、雨が洗い流していく。
 怒りなのか、悲しみなのか。
 自身の激情の中身を把握できぬまま、戦士はしばらくそこで叫び続けていた。

 少し時を遡り、勇者が獣王の眼前より飛び去った直後―――――

勇者「『呪文・火炎』」

 勇者の手の中で翼竜の羽が燃え尽きた。
 結果、浮力を失った勇者の体はその勢いのまま下降し、森の中へ突っ込んでいく。

勇者「ぐ、く……!!」

 バキバキと勇者の体が森の枝葉を突き破る。
 最終的に勇者の体は大木の幹に打ちつけられて止まった。

勇者「がはぁッ!!!!」

 その衝撃に、獣王に切り裂かれた傷が広がる。
 ずるりと地面に落ちた勇者は、息も絶え絶えに回復呪文を自らの傷に施した。
 だが、勇者の行使可能な初歩的な回復呪文では、出血を止めることすら叶わなかった。

勇者「はあ……ぎ……!!」

 激痛を訴える体を引きずり、勇者は元来た方向へ引き返していく。

勇者「これで…多分…あいつは……獣王は……やる気を無くして…帰ってくれる、はず……」

 それこそが、単身逃亡を図った勇者の真の狙いだった。

勇者「あの場から……翼竜の羽を使って皆で逃げ出すことは出来た……だけど、それじゃ駄目なんだ……」

勇者「それじゃ…多分、あいつは追ってくる……あいつから逃れるためには、あいつ自身のやる気を完膚なきまでに削いでやらなきゃ…ならなかった……」

 獣王の言動からうかがい知れる彼の性格は、強者を好む武人。
 加えて、自身の実力に裏打ちされた高い自尊心(プライド)を持っている。
 だから、もちろん全てが演技ではないが、勇者は演じた。


 ―――殺す価値もない道化を、演じきったのだ。


勇者「俺を始末するのを諦めた以上、残った三人を始末するのは、ただの憂さ晴らしにしかならない……性格上、獣王はそれはやらないはずだ……」

勇者「だけど、万が一……万が一、『そんなこと』になったら、今度こそ、全員で逃げて……また対策を考えなきゃならない…」

 だから、勇者は戻っている。
 だから、途中で翼竜の羽の効果を断ち切る必要があった。
 たとえその結果が―――今の様に、傷をさらに深くすることになっても。

勇者「急げ……! こんな無茶苦茶やって、間に合わなかったら何の意味もねえんだから……!」

 勇者は駆け出す。
 その足跡に、赤い水溜りを残しながら。

 息を殺し、茂みの中から状況を見守る。
 勇者は三分とかからず、精霊の祠の入口を見通せる場所まで戻って来ていた。
 獣王が何かを喋っているが、雨の音に紛れてよく聞こえない。
 だがこの雨は自分の気配も殺してくれているので、文句は言えない。
 勇者は目を凝らし、獣王の一挙一動に注目する。
 獣王が攻撃に移ろうとする、わずかな前兆も見逃さないように。

勇者「う…」フラリ…

 しかし傷のダメージと多量の出血が勇者を一瞬ふらつかせた。
 再び視線を洞窟入口の方に向けた時には既に―――獣王の姿が消えていた。

勇者「しまっ…!!」

 勇者は慌てて茂みから身を乗り出す。
 変わらず倒れ伏す三人の姿が目に入った。

勇者「よ…よかった……」

 安堵から、勇者は背中から茂みに倒れこむ。
 何とか―――何とか、この最大の窮地を乗り切ることが出来た。
 あとは、なけなしの魔力を振り絞って僧侶を治療し、復活した彼女に全員の傷を癒してもらうだけだ。

勇者(あ…れ…?)

 そう思って体を起こそうとして、勇者は愕然とした。

勇者(体が……動かな……)

 体が動かない、どころじゃなかった。
 視界が、周囲から徐々に黒く塗りつぶされていく。
 目蓋は開いたままなのに、勇者の世界は暗黒に落ちていく。

勇者(いや、ちょ、待……嘘だろ! オイ!!)


 勇者の傷は、はっきり言って致命傷だった。
 それも、獣王に切り裂かれたその時点で、十分に。
 そんな体で、勇者は無理をし過ぎた。
 空中からの落下で傷を広げ、さらにその体を酷使し過ぎた。
 だから―――こうなった。
 こうなるべくして、なったのだ。



勇者(死ぬ…? 死ぬのか俺……?)

勇者(………)

勇者(……)

勇者(…)

勇者()






勇者()











勇者(嫌だ)









勇者(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない)


勇者(だから嫌だって言ったんだだから痛いの嫌だって言ったんだ痛いのだけは本当に嫌なんだだって剣で切られると本当に痛いんだ涙が止まらないんだ)


勇者(ああ駄目だ眠くなる俺がいなくなるいやだやだやだやだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ)


勇者(ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ)



勇者(………)


勇者(……)


勇者(…)


勇者()




 茂みに埋もれた勇者の体に影が差す。

 興味深そうに勇者を覗き込む金髪碧眼の少女。

 その少女の長くとがった耳が、ぴょこんと揺れた。




第六章  ただ(仲間の)死を避けるために  完

今回はここまで

感想・批評お待ちしておりまんまん

勇者「……ん…」

 目を覚ました勇者は、朦朧としたまま、胡乱な目で周囲を見渡した。
 視界に映るのは木造の天井、木造の壁。
 窓から射す日差しが勇者の寝るベッドを白く照らしている。
 どうやらどこかの部屋で寝かされているらしい、と勇者はおぼろげに自身の状況を把握する。

勇者「ここは……俺は、一体…?」

 意識を失うまでの経緯を思い出し、意識が急速に覚醒する。

勇者「そうだ、俺は、獣王にやられて……俺、生きてる!?」

 慌てて勇者はかけられていたシーツを剥がし、自分の体を確認する。
 治療のために脱がせたのか、上半身は裸だった。
 獣王によって切り裂かれた傷が、痕を残しながらも既に完治している。

勇者「治ってる……一体誰が治療してくれたんだ?」

 候補として真っ先に上がるのは勿論、仲間たちが茂みに埋もれた自分を発見し、治療してくれたという可能性だろう。
 だが、それにしては今寝かされている場所に見覚えがなさ過ぎる。
 仲間たちなら、意識を失った自分を運ぶのに最寄りの町を、それも以前宿泊した宿屋を選ぶはずだ。それ以外の部屋をわざわざチョイスする理由がない。
 泊まった宿屋が一杯だった、と無理やり理由をつけることは出来るが、それを否定出来る材料が勇者にはある。
 窓から見える景色だ。見える限りが木々に覆われていて、どうもこの家が町中に立地しているとは思い難い。
 一方向しか確認出来ていないため、反対側の景色は栄えた街並み――というのも考えられなくはないが、室内に伝わる周囲の静寂さからそれもやはり可能性としては低いように思えた。
 少なくとも、前回宿泊した第六の町にはこんな林に隣接した場所はない。
 ならば、とここで勇者は先ほどの疑問に立ち返る。

勇者「一体誰が、俺をここまで運び、治療してくれたんだ?」

 ガチャリ、とドアの開く音。
 ベットが寄せられている壁から対角線の位置に拵えられたドアから、室内を覗き込む影があった。

「あ、目を覚ましたんだね」

 長い金髪をポニーテールで纏めた少女だった。
 シャツの上から薄手のジャケットを羽織り、太ももが大きく露出したショートパンツを着用している。
 動きやすさを追求した服装なのだろうが、それ故布地面積は小さく、少女のスタイルが非常に均整の取れた物であることが容易にうかがい知れた。
 しかし勇者の目を引きつけたのはそこではない。
 勇者の目は少女の――鋭く尖ったその耳の奇抜さに目を奪われていた。

勇者「ま、まさか…」

 存在するとは言われていたが、その目撃談のあまりの少なさから、もはや伝説上の生物と謳われていた種族。

 エルフ。

エルフ少女「ご飯出来てるけど……食べる元気ある?」

 そんな伝説の少女が、屈託なく勇者に笑いかけていた。





第七章  ディス・コミュニケーション



勇者(酒場で聞いた話で、ここらへんにエルフの集落があるかもしれないって話だったけど……まさか本当に存在していたなんて……)

エルフ少女「ん~? 難しい顔してどうしたの? もしかして口に合わなかった? おっかしいな~、私たちと人間の味覚ってそんなに違いが無いはずなんだけど」

勇者「あ、いえ、すいません。そんなことはないです。おいしいです、とっても…」

勇者(いや、実際飯はとんでもなく旨い。野菜と肉を煮詰めたスープみたいだけど……なんだろう、味付けが特殊なのかな?)

エルフ少女「そんなかしこまらなくていいって。敬語もいらないよ。そりゃ私の方が大分年上だとは思うけど、精神年齢はそんな変わんないと思うし。だっはっは!」

勇者「は、はあ…わかりまし…いや、わかったよ。え~と、……君のこと、なんて呼べばいいかな?」

エルフ少女「『エルフ少女』だよ。君は?」

勇者「俺は『勇者』だ。よろしく、エルフ少女」

エルフ少女「わかったよ、勇者!」

勇者「エルフか……まさか本当に存在しているなんて、思いもしなかった」

エルフ少女「まあ、極力人間に接触しないようにってお触れが出てるからね。私たちの村も、人や魔物の目に映らないよう、結界で覆って隠しているし。実際エルフに会ったって人は、そりゃなかなか居ないんじゃないかな?」

勇者「どうしてエルフは人間から身を隠すんだ?」

エルフ少女「元々私たちエルフが、多文化との交流を望まない閉鎖的な種族であるってこともあるけど……何より、エルフが基本的に人間を嫌っちゃってるってのが一番大きいかな」

勇者「な、なんで人間はエルフに嫌われてるんだ? 一体何したんだよ、俺達」

エルフ少女「人間は住処を作るのに、森を切り開いたり川の流れを好き勝手に弄繰り回したりするでしょ? いつか人間は精霊様の住処を悉く奪い尽くすって、長生きのお爺ちゃんお婆ちゃん達は危惧してるんだ」

勇者「あー、それは……成程な~、それはしゃーないわ。嫌われてもしゃーないわ」

エルフ少女「それに、私たちエルフは結界術やアイテム錬成とかの技術が人間より大分優れてて、それを人間は隙あらば盗もうとしているんだってさ。君たちの住む町には大抵魔物が寄り付かないように結界がはってあるでしょ? そのノウハウも元々はエルフが持っていたものだったのさ」

エルフ少女「だから私たちは小さいころから人間には近づくなって教えられる。人間に近づくと、さらわれて、知識も技術も何もかもを絞り尽くされて捨てられるってね」

勇者「……ひとつ、純粋に疑問なんだけど、いいかな?」

エルフ少女「なんだい?」

勇者「どうして俺を助けてくれたんだ? 俺は……正真正銘、典型的な、『人間』なんだけど」

エルフ少女「まあ、実は私はエルフの中では異端でね。人間のことがそんなに嫌いじゃない。むしろ、ある一点に関してはエルフより優れていると尊敬し、好ましく思ってさえいる」

勇者「ある一点?」

エルフ少女「恥ずかしながら……こう見えて私は呑兵衛なのさ」

勇者「は?」

エルフ少女「一度戯れに人里に降りて酒を味わってからすっかり虜になってしまった。酒が肴を、肴が酒を引き立てあう味の相乗効果! エルフは大して食に拘らないからね……人の文化に触れなければ、私は一生あの多幸感を味わうことはなかっただろう」

エルフ少女「つまりは酒を造る『醸造』の技術! それに連なる『食』の文化! その追求に関しては、私は人というものを尊敬せざるを得ない!!」

エルフ少女「ぶっちゃけ、酒をくれればエルフのアイテムのひとつやふたつくれてやってもいいと思っている!!」

勇者「は、はあ……」

勇者(あー…だからスープもあんなに美味しかったのか。『食』ってのにすげえ拘ってんだこの人)

エルフ少女「とはいえ、いくら私でも誰彼かまわず助けたりはしない。今回は特別だったんだよ、勇者」

勇者「そ、そうなのか? じゃあ、どうして俺を?」

エルフ少女「君が私たちエルフの『恩人』だからさ」

勇者「……いや、意味が分からない。エルフがいることすら今初めて知ったのに、エルフに対して何かしたことなんてないぞ? 俺」

エルフ少女「いいや、大いにあるよ、勇者……君は、あの虎の化け物をこの森から追い払ってくれた」

勇者「……ッ!!」

エルフ少女「あいつはエルフの集落を探しに来ていた。危ない所だったんだよ。私たちの村を隠している結界は、あんな桁外れの化け物の目までは誤魔化せない」

勇者(獣王の事か……? でも、あいつは俺を殺すために来たんじゃ……?)

勇者(いや、ひょっとして俺を殺すことの方が、ついでのことだった…?)

勇者(成果の上がらぬ探索に苛立ちを覚えていたから、あれ程強者との戦闘を楽しみにしていた……?)

勇者(確かにそう考えればあの時の奴の態度にも納得出来るが……いや、でも、それはつまり……)

勇者(獣王はただ漫然とあの場所で俺を待ち伏せていたのではなく―――俺が祠を訪れる日を正確に知っていたってことになる)

勇者(その情報が、奴に伝わっていたっていうことは―――)

エルフ少女「いよいよとなれば」

 勇者の思考は、エルフ少女が言葉をつづけた所で中断された。

エルフ少女「いよいよとなれば、私が奴と戦うつもりだった。こう見えても村一番の術士だからね。だから、奴の動きを追っていたんだけれど、いつの間にか奴は森から姿を消していた」

エルフ少女「そうしたら、奴の匂いが残っていた場所に、君がボロボロになって倒れていた。すぐに判ったよ。君が奴と戦い、追い払ってくれたんだとね」

勇者「……やめてくれよ。買いかぶりだ。俺はただ…」

勇者(負けて、命乞いをしただけだ。処理するのもおぞましい汚物を演じただけだ)

エルフ少女「何を言うんだ。私は治療の時に君の体を見た。あの虎に切り裂かれた傷の他にも大小様々な傷跡が君の体にはあった。特に、『今回の傷と交わるようにあった大きな傷跡』には舌を巻いたよ。君の体は間違いなく歴戦の戦士のそれだ」

勇者「本当に……買いかぶりが過ぎるよ、エルフ少女。俺の傷にかっこいいエピソードなんてひとつもない。馬鹿な親父が調子に乗った。たったそれだけの、クソくだらねえエピソードばっかりだ」

 自虐するようにそう言った後、勇者は大切なことを思い出した。

勇者「そうだ……エルフ少女、祠の前に倒れていたのは俺だけだったのか? 他に人はいなかったのか?」

エルフ少女「私がその場所に行ったときは君以外の人はいなかったよ?」

勇者(ということは、あの三人は自力で町に戻ったってことか……無事に帰り着いていてくれよ……)

エルフ少女「さてと…それじゃあ私は狩りに行ってくるけど、勇者はこれからどうする?」

勇者「俺は……」

エルフ少女「傷は癒えたとはいえ、まだ体がだるいようだったらここで休んでいてくれていいよ。ただ、注意してほしいことがある」

エルフ少女「この小屋は私が狩りの時に使ってる休憩所みたいなものでね。エルフの里からは大分離れているから、他のエルフがここを訪れることは滅多にないんだけど、それでもたまに友達や家族なんかが様子を見に来ることがあるんだ」

エルフ少女「人間を小屋にいれてるなんて御法度だから、その時は身を隠して姿を現さないこと。といっても、隠れられる場所なんてほとんどないから、最悪これを使って誤魔化してちょうだい」

勇者「……何これ?」

エルフ少女「『変化の杖』。それを持って、精神を集中して、私の姿をイメージしてみて?」

勇者「よくわからんけど、わかった」

勇者「………」

勇者「………」

エルフ少女「もういいよー」

勇者「……? なに? 何の意味があんのこれ?」

エルフ少女「はい、鏡」

勇者「あん? きったねえ自分の顔見たって何の得も……」

勇者「……」

勇者「!!!?」

勇者「んああ!? 何でエルフ少女が鏡に映ってんの!?」

エルフ少女「勇者が私の姿になってるんだよ。つまりそれが変化の杖の効果なのだ」

勇者「す、すげえ…自分じゃ何の感覚もないからわからんけど、周りから見たらそういう風に見えてるのか……催眠魔術の一種なのか?」

エルフ少女「というか、イメージを可視化して着ぐるみみたいに被ってるって感じだね。着ぐるみの中から外見を見ることは出来ないように、勇者自身には自分がどう映っているのか見ることは出来ない。うまくいったか確認するには鏡が必須ってことだね」

勇者「ほえ~……何てアイテムだ……」

エルフ少女「こういうのが作れちゃうから、エルフは人間に狙われちゃうんだねえ」

勇者「ちょっと納得……あ、わかった。エルフ少女、これ使って人里行って酒買ってんだな?」

エルフ少女「えへへ、正解!」

エルフ少女「じゃあ、行ってくるね」

勇者「なあ……本当にいいのか?」

エルフ少女「ん? 何が?」

勇者「その……俺を一人でここに置いて行っていいのか? しかもこんな大事なアイテムまで預けて…」

勇者「もしかすると、俺はこのアイテムを持ち逃げするかもしれない。それだけならまだしも、人を呼んでここに待ち伏せて、お前を捕まえようとするかもしれないんだぞ?」

エルフ少女「大丈夫。君はそんなことしないよ」

勇者「何で言い切れるんだよ、ちょっと喋ったくらいで」

エルフ少女「私は初めて見たんだ。君ほど多種多様な精霊に好かれている人間を」

エルフ少女「人の身でそれだけ多様な精霊の加護を得るには、並々ならぬ努力が必要だったはずだよ。それこそ、生活の全てを勉学と鍛錬に注がなきゃいけないほどに」

エルフ少女「それを成し遂げた誠実さ、あの虎の化け物に挑む勇気……疑う方が困難な精神性さ」

エルフ少女「勇者……君は『良い奴』だ。それも、私が君を助けた理由のひとつだよ」

勇者「………」

エルフ少女「じゃあ、今度こそ行ってくるね。別に私の帰りを待つ必要はないから、好きに出て行っちゃっていいからね? それじゃ!」バタン!

勇者「………」

勇者「………クソ…!」ギリ…

エルフ少女「あ、そうそう」ヒョイッ

勇者「おわッ!」ビックーン!

エルフ少女「変化の杖、欲しかったらあげるよ? 君が必要だというなら、何か重要な使い道があるんだろうしね。拒む理由なんてないよ。それじゃ!」バタン!

勇者「……は、はは…」

勇者「もう嫌だ…ちくしょう……」

 三時間後―――森の中。

勇者(結局―――変化の杖を持って出てきちまった)

勇者(エルフ少女が言ってたような重要な使い道なんてない……ただ、魔王軍の目を誤魔化して逃げおおせるためだけ……姑息な目的だ…)

勇者(しんどいよ……誰も彼もが俺を過大評価して…俺は、その度に現実の自分とのギャップに打ちのめされるんだ……)

勇者(今まで周囲に流されるままに、なあなあで旅を続けてきたけれど……)

勇者(もう限界だ…思い出しちまった……)

勇者(痛いのは嫌だ……死ぬのは怖いんだ……)

 第六の町―――

宿屋の主人「ああ、その三人ならウチに泊っていったよ」

勇者「ほ、本当ですか!?」

宿屋の主人「一人減ってるからおかしいなとは思ってたんだ。なんだ兄ちゃん、お仲間と喧嘩でもしたのかい?」

勇者「色々事情があるんですよ。三人がどこに向かったか心当たりは?」

宿屋の主人「いや、そこまではわからねえな。ただ、行き先については結構揉めてるみたいだったぜ」



勇者(良かった…あいつらの無事は確認できた……)

勇者(この町に留まっていないってことは……まだ魔王討伐の旅を続けるつもりなんだな)

勇者(今から急いで後を追いかければ、もしかしたら次の町で合流できるかもしれないけど……)

勇者(ごめん、みんな……俺はもう心が折れちまったよ……)

勇者(旅の無事を祈ってる……)

 三日後―――勇者の故郷、『始まりの国』

勇者「帰ってきた…は、いいけど…母さんに何て言い訳しようかな…」

勇者「ちゅーか、四人で出ていったのに一人で帰ってきたら絶対何があったのか聞かれるよな……どうしよ、何て言おう」

勇者「性格が合わなくて喧嘩別れしたことにしようか…他に言いようねーもんな……」

勇者「いや、もういっそありのままに、俺だけ諦めたことをカミングアウトした方がその後の流れまでスムーズにいくんじゃ……」

勇者「……ええい!! なるようになれだ!!」

 勇者の家―――

勇者「た、ただいまー!」

 ドタドタドタ――――!

母「勇者!? 今までどこに行ってたの!? 母さん心配してたのよ!?」

勇者「ごめんごめん―――って、ん?」

勇者(どこに行ってたの、って何かおかしくね? まるで俺が一人行方不明になっていたのを知っていたかのような……)

母「武道家さん達がこの間家を訪ねてきたのよ! 勇者がいなくなった、って!!」

勇者「ッ!? 武道家たちが…!?」

勇者(俺を…探してくれてたのか!? 俺が、まだ生きてると信じて…?)

母「武道家さんから手紙を預かっているわ」

勇者「み、見せてくれ!!」

 勇者へ


 戦士からお前が俺達を見捨てて逃げ出した、と聞いた時は耳を疑った。

 俺はどうしても信じることが出来ずに、第六の町に戻った後、町の人間に話を聞いた。

 誰に聞いても、お前が町に戻ってきたと証言する者はいなかった。

 お前を見捨てて先へ進むと主張する戦士を説き伏せ、俺達はこの『始まりの国』まで戻ってきた。

 結果、ここに至るまでお前の目撃証言はゼロ。

 俺は確信した。お前は逃げ出したのではなく、何か意図があって一時的にその場を離れただけだと。

 ただ逃げ出したのであれば、傷の治療のためにどこかの町に飛んでいたはずだからな。

 俺はここでお前が戻ってくるのを待つよう主張したが、戦士はどうしても納得しなかった。

 だが、俺はここに戻ってくる道中で確信した。

 このパーティーは、お前が居なくては成り立たない。

 お前がどれだけ陰で俺達のために色々やってくれていたのかを痛感した。

 戦士もそれを分かっているはずだ。だが、お前が居なくては何もできないということを認めたくなくて、意地になっている。

 僧侶もそれは分かっているはずだが、戦士が行けば僧侶はついていくだろう。

 やむを得ない。俺も彼女たちに同行することにする。

 なるべく旅の行程を遅らせるように仕向ける。待っているぞ、勇者。

 生きていると信じている。


 武道家

勇者「………」

 勇者は、震えていた。
 手紙から読み取れる、ある一つの真実。


 あの時、戦士は起きていた。

 あの無様な命乞いを彼女はしっかりと聞いていたのだ。


 無論、あの時発した言葉の全てが真実ではない。
 だが、結局自分はその後あの場所に戻ることが出来なかった。
 ならば戦士にとってあの時の自分の姿は真実以外の何物でもないだろう。
 処理するのがためらわれるほどの汚物―――だ。

 待っている。戻って来いと武道家の手紙には書かれている。
 だが。

勇者(……どのツラ下げて戻れっていうんだ…!!)

母「手紙にはなんて書いてあったの?」

勇者「……大したことじゃないよ。元気でやってるから心配するなってさ」

母「話はあとでゆっくり聞くわ。……疲れたでしょう。お風呂沸かすから、先に入っちゃいなさい」

 夕食。
 久しぶりに味わう母の手料理。
 エルフ少女の作った食事程美味であるとは言えないが、それでも舌に馴染んだ懐かしい味は、とても美味しく感じられる。

勇者「………」

母「………」

 だが、その食卓を囲む空気は重たい。
 母は勇者の近況を問うていたが、勇者は曖昧に誤魔化すばかりではっきりと物を言わなかった。
 母は特に仲間とはぐれた経緯についてしつこく問いただしていたが、やがてそれも収まり、今はかちゃかちゃとスプーンとフォークが食器にぶつかる音だけが食卓に響いている。
 ごくり、と殊更大きく咀嚼したものを飲み下して、勇者はいよいよ口を開いた。

勇者「あのさ、かあさ「それで」

母「それで、明日は何時に出るの?」

 意を決したつもりの勇者の発言は、母の厳しい口調によって遮られる。
 勇者は背中に冷たい汗が流れるのを感じたが、何とか口を開いた。

勇者「あ、明日は、出発しない…っていうか、もうやめようと思ってるんだ、旅……」

 しどろもどろになりながらも、最後まで言い切り、勇者はもう一度ごくりと唾をのむ。
 母はじっと勇者の言葉に耳を傾け、ゆっくりと口の中の物を飲み込んでから、かちゃりとフォークを食器に置いた。










母「何を言っているの?」





 ぶわっ、と勇者の顔に汗が噴き出した。

勇者「待ってくれよ母さん、俺がこういう結論に至ったのも、勿論事情があって……」

 勇者を見据える母の目は冷たく、苛烈でさえあった。

母「あなたが旅をやめたらこの世界はどうなるの?」

勇者「お、俺がやらなくたって、俺以外にも、魔王討伐の旅をしている奴はいる!」

母「あなたがやらなくてはならないの。わかっているの? あなたはあの『伝説の勇者』の息子なのよ?」

勇者「何だよそれ…知らねえよ!! 伝説の勇者の息子だからって『勇者』にならなきゃなんねえってことはねえだろ!!」

母「いいえ。伝説の勇者の息子として生まれた以上、『勇者』としての道を歩まなければならない。これは定められたことなの」

勇者「知らねえよ…なんだよそれ……ふざけんなよ……!!」

 勇者は立ち上がり、その場で上半身の服を脱ぎ捨てた。

勇者「見てくれよ母さん!! この傷を!! 魔王に挑むってことはこういうことなんだぞ!? たくさん、たくさん怪我をするんだ!!」

母「素晴らしいわ。それこそ世界を守る英雄の証。ひとつひとつの傷があなたの誇りとなるでしょう」

勇者「はは…何言ってんの? 母さん、あんた、息子が死んでもいいっていうの?」

母「いいえ、あなたは死なないわ」

勇者「何を根拠に…!」

母「だってあなたは、『伝説の勇者』の息子ですもの」

 ふらり、と勇者は眩暈を覚えた。
 たまらず、どさりと椅子に腰を下ろす。

勇者「はは、ふはは……母さん達にとって、伝説の勇者ってのがどんだけお偉いもんなのか知らないけどさ…俺にとっちゃただのクソ親父なんだよ…」

 勇者は傷痕を指差す。
 獣王につけられた傷ではなく、もっと昔からあった大きな傷痕を。

勇者「覚えてるだろ? まだクソ小せえガキだったころの俺に修業とか言って切りつけて……俺死にかけたじゃん。頭おかしいだろ? そんな奴を尊敬しろっての? 無理だろ」

 吐き捨てるように言う勇者を母はじっと見つめている。
 取り乱している勇者に対して、母は一貫して冷静だった。
 冷たく、静かに、勇者を見つめていた。

母「出来るはずなのよ」

勇者「はあ? だから…!!」

母「あなたなら世界を救うことが出来るはずなのよ。だってあなたはあの人の息子なんだから」

 勇者は言葉に詰まった。
 何か異様な雰囲気を母の様子から感じ取ったからだ。

母「あの人の血を継いだ者ならば、それぐらいのことは当然に出来るはずなの。『伝説の勇者』様の血筋は、それ程に高貴で他に代えがたいもの……」

勇者「は…?」

母「それが出来ないということは、つまりはあの人の血が劣化してしまったということ。それはつまり、私の血が混じることであの人の血筋を劣化させてしまったということ。その時は、私は責任を取らなくてはならない」

 勇者は絶句した。
 母の言葉はまともな人間のものであるとは思えなかった。
 息も絶え絶えに、勇者はようやくのことで口を開く。

勇者「せ、責任って…?」

母「命をもって贖うわ。もっともそれで償いきれる罪ではないけれど」

 決定的だった。

勇者「ふひ…」

 不意に笑みが込み上げてきた。
 同時に涙も込み上げてきた。

母「勇者、あらためて問うわ。あなたは、魔王を倒すことを諦めたの?」

 事ここに至り、ようやく勇者は確信した。
 ああ―――そうなのか、と。



 自分には、『伝説の勇者の息子』であること以外に価値は無いのだと。

 いや、もっとわかりやすく言い換えよう。


 『伝説の勇者の息子』として生きること以外を、俺は求められていないんだ―――――と。





 勇者は思い出していた。

 どうして忘れていたのだろう。

 幼いころ、まだ五つにも満たぬ時。

 剣を持たされ、父に斬られ、死にかけた。

 その時も、母さんは、この人は。

 一言だって、親父を責めてはいなかったじゃないか。



勇者「何を言ってるんだよ母さん。ちょっと冗談を言っただけさ」


勇者「見ていてくれよ。僕は必ず魔王を、いやさ、大魔王を打ち倒し、この世界に真の平和をもたらしてみせる」


勇者「出来るよ。どんな困難なことだって成し遂げてみせる。なんせ僕は―――――」


勇者「―――『伝説の勇者』の息子、だからね」



 勇者はそう高らかに宣言する。

 泣きながら。


 ――――笑いながら。




第七章  ディス・コミュニケーション  完

今回はここまで

 時は遡り、雨に濡れる『精霊の祠』前にて―――

武道家「う…む…」

僧侶「良かった、目を覚ました……大丈夫ですか? 武道家さん」

武道家「僧侶…回復してくれたのか、すまんな。恩に着る」

 武道家は身を起こし、辺りの状況を確認する。
 猛威を振るった虎の化け物の姿はなく、自身の傍らに僧侶が膝をつき、戦士はこちらに背を向けて立ち尽くしている。

武道家「……勇者はどこに行った?」

 武道家の問いに、僧侶は気まずそうに目を伏せた。
 背中を向けていた戦士が、そのまま振り返りもせず答えた。

戦士「勇者は逃げた。我々を捨ててな」

武道家「なに? それはどういう…」

戦士「あんな奴はもう『勇者』などではない……ただの、腰抜けのクズだ」





第八章  伝説を継ぐ者(前編)



 武道家に対し、戦士は自分の見た一部始終を説明する。
 武道家は難しい顔をして考え込んでいたが、やがて口を開いた。

武道家「信じがたい話だ……俺には奴が俺達を捨てたのだとは思えん。そこには何か考えがあったはずだ。奴なりの考えが」

戦士「随分とおめでたいことを言うんだな武道家。現実を見ろ。あれから随分と時間が経過したが、奴はここに戻ってきもしないじゃないか」

武道家「俺はお前より勇者と言う人間を知っているんだよ、戦士。ここでうだうだ言っていても始まらん。まず町まで戻ろう。話はそれからだ、いいな?」

僧侶「は、はい」

戦士「ふん…」

 町へと戻るため、森の中を駆ける三人。
 先頭を行く戦士に対し、武道家が声を張り上げた。

武道家「待て戦士! ペースが速い! 僧侶がついてこれていないぞ!!」

戦士「む…」

 言われて戦士は後ろを振り返る。
 確かに僧侶と戦士の間は40m以上も距離が開いていた。
 武道家は戦士と僧侶のちょうど中間あたりに居る。僧侶を気にしながら走っていたのだろう。
 とはいえ、戦士も僧侶のことを全く気にしていなかったわけではない。一応、僧侶に合わせてペースを落としてはいた。
 ただ、戦士の想定以上に僧侶のペースが遅かったというだけだ。

僧侶「ご、ごめんなさい、遅れてしまって……」

武道家「戦士、気を付けろ。いくら精霊の祠を解放し、この辺りの魔物の力が弱まっているからといって、隊列が伸び切った所で僧侶に集中して襲撃されたらたまらんぞ」

戦士「…以後は気を付ける。しかし、僧侶。お前もペースが速いなら速いとさっさと申告するべきだ」

僧侶「ご、ごめんなさい……」

武道家(僧侶は俺達についていくのに必死でその余裕もなかったんだろうが……まったく)

 ふと、武道家は気づいた。

武道家(……そうか、勇者は……歩く速度までしっかり考えて調節していたのか)



 数時間後―――『第六の町』

武道家「やれやれ、何とか大過なく戻ってくることが出来たな」

僧侶「これからどうしましょうか?」

武道家「二人は宿の手配をしておいてくれ。俺は勇者を探してみる」

戦士「見つけた所でどうするというのだ、あんな奴のことを」

武道家「真意を問いただす。それだけだ」

 翌日―――『第六の町』の宿屋、ロビーにて

武道家「結論から言うと、勇者はこの町に戻ってきてはいなかった」

僧侶「それは一体どういうことですか?」

武道家「勇者本人の姿が見当たらないことは勿論、その姿を目撃した者もいない。戦士の言った通り、勇者がひどい怪我をしていたというなら回復のために必ず神官の所を訪ねているはずだが、それもなかった」

武道家「血濡れの姿で町をうろつけば非常に目立つ。にもかかわらず、目撃した者がいないというのであれば、勇者はこの町に飛んだのではないと結論付けるのが妥当だろう」

戦士「それがどうした。なら他の町に飛んだというだけだろう」

武道家「瀕死の傷を負っていて、一刻も早く治療を行わなければならないのに、最寄りの町を目指さない理由があるか?」

戦士「戻ってくる我々と顔を合わせたくなかったんだろうさ」

武道家「……もしそうだとしても、『翼竜の羽』は一度訪れた場所にしか飛べん。勇者はこれまで訪れた町のどこかに飛んでいるはずだ」

戦士「まさか貴様、戻って探すと言い出すんじゃあるまいな」

武道家「……その通りだ」

戦士「ふざけるな! あんな奴のために、そんな無駄な時間を費やしてたまるものか!! 私は先へ進むぞ。戻るなら一人で戻るがいい」

僧侶「せ、戦士…!」オロオロ…

武道家「あいつ抜きで魔王を討伐できると、本気でそう思っているのか?」

戦士「出来るさ。やってみせる」

戦士「『伝説の勇者』様の伝説は―――私が受け継ぐ!!」

 戦士と僧侶は次の町へ向かうため、第六の町を後にする。
 そこには戦士と僧侶だけでなく、武道家の姿もあった。

戦士「いいのか? 私たちについてきて」

武道家「お前たちだけで行かせては何がどうなるかわからんからな」

僧侶「武道家さん…ありがとうございます」

武道家「かまわんさ」

武道家(勇者は必ず戻ってくる……今はそう信じて、このパーティーを守り抜くしかあるまい)

 草原を進む一行を遠巻きに眺める影があった。
 ひとつではない。群れだ。
 唸り声を上げ、三人の様子を伺いながら、少しずつ距離を詰めてくる。
 狼型魔物の群れ。
 戦士は背中から剣を抜く。
 武道家はその場でトントンと二度跳ねた。

武道家「初めて見る敵だな……さて、どうなる…」

 十分後、三人の周りには四体の狼型魔物が倒れ伏していた。

戦士「つあッ!!」

 裂帛の気合いと共に戦士が最後の一体を打ち倒し、魔物の群れは全滅した。

僧侶「か、回復しますね」

武道家「ああ…」

 敵の全滅を確認し、僧侶は傍らに居た武道家に回復呪文を施す。
 僧侶から回復呪文を受けながら、しかし武道家の顔色は優れなかった。
 今の戦闘で、このパーティーの雲行きのあやしさを感じ取ったからだ。
 今、自身に回復を行っている僧侶。
 その姿は、これまでの四人での戦闘時と比べて明らかに傷ついていた。
 戦士と武道家の二人が率先して敵を殲滅し、勇者が僧侶を防衛しつつ二人の援護をする。
 勇者が抜けたことでそのバランスは崩れ、これまでの戦闘とは大きく勝手が違ってしまった。
 当然、僧侶を放っておいて二人で敵に突貫することは出来ない。
 自然、戦士が敵に突っ込み、武道家が僧侶の護衛をするという形になったのだが、これがうまくなかった。
 殲滅役が二人から一人になったことで、戦士を突破し僧侶の所まで迫る魔物が増えた。
 武道家はそれらを可能な限り打ち倒したが、全てをカバーできるはずもなく、僧侶がまともに魔物の攻撃に晒される機会が少なくなかった。
 最終的には戦士も僧侶の傍に陣取り、襲い来る魔物を打ち倒す形になった。
 つまりは防戦一方。
 さらにはその場合でもこちらと敵の攻撃が渦巻く戦闘圏に僧侶を巻き込んでしまうことには変わりない。

武道家(これまでは僧侶が傷を負うことは稀だったから、いつでも僧侶は十全に呪文を奮うことが出来たが……この状態ではどうなるかわからんな)

 同じ不安を戦士も抱いたのだろう。

戦士「一度町に戻ろう。町に戻って、可能な限り薬草を買っていくんだ」

 戦士は二人に対してそんな提案をした。

 町に戻ったところで別の問題が発覚した。
 お金である。
 お金は四人で等分して持つようにしていたので、勇者が欠けても当分の間は困らないくらいの手持ちはあった。
 だが、ここで薬草を買い込もうと思えば話は別である。
 お金が足りない。
 旅の間で路銀を得る方法は大きく分けて二つある。

 ①魔物を倒し、その報奨金を得る

 ②魔物や動植物から換価価値のある部位を調達し、売る

 どちらの場合にも専門的な知識が必要だった。
 前者は報奨金の出る魔物、報奨金を得るために提示しなければならない魔物の部位が国ごとに厳格に定められているため。
 後者は言わずもがな、商品になる物並びにその調達方法(動物の解体手順など)の知識が必要なためだ。
 このパーティーは、これまで路銀調達の全てを勇者に任せており、この手の知識は現状皆無と言って差し支えなかった。

武道家(①についてはまだ何とかなるだろうが……②については一朝一夕で身に着けられる知識じゃない。諦めるしかないな…)

武道家(報奨金だけで旅の資金を賄うことが出来るものだろうか……宿の手配、武具の更新、道中の食糧、野営の道具……他にも金を使う場所はいくらでもある)

武道家(いかんな……本当にいかん。一体俺達はどれだけの事をあいつに任せっきりにしてしまっていたんだ)

 武道家は戦士の顔を盗み見る。
 眉間にしわを刻み込んで、深く考え込んでいる様子だ。
 戦士も同じことを考えているのだろうか? と、武道家は思った。

武道家「戦士、僧侶」

戦士「……なんだ?」

僧侶「なんでしょう?」

武道家「やはり一度旅路を逆走し、俺達の故郷まで戻ろう」

戦士「なに…!?」

武道家「目的は勇者を探そうってことだけじゃない。俺達三人だけで旅を続けようとするなら、戦士の提案通り薬草を出来るだけ買って僧侶の負担を軽減する方法をとるしかない」

武道家「だがそれじゃジリ貧だ。俺達だけでは安定して路銀を確保する保障がない以上、いつか破綻する恐れがある。旅を続けるのに最低限必要な金さえ都合できなくなるかもしれない」

武道家「そんな理由でこの旅が頓挫するなんて、戦士も望むところじゃないはずだ」

戦士「む……」

武道家「つまり三人での旅は厳しいというのが俺の結論だ。仲間を少なくとも一人都合する必要がある。であればそれは、俺達と故郷を同じくする人間であるほうが望ましいだろう?」

 勿論口実だ。
 武道家の真意は勇者を探し出すことのみにある。

戦士「~~~~~!!」

 随分と葛藤していた様子の戦士であったが、やがて武道家の提案に頷いた。

 幾日かの時が経ち、戦士、僧侶、武道家の三人は『第二の町』まで戻って来ていた。
 三人は現在宿を取り、その食堂で夕食の真っ最中である。

武道家「明日はいよいよ、俺達の故郷に戻ることになる」

 武道家が話し始めた。酒が入っていて、頬に赤みが差している。

武道家「これまでの町で勇者を見たって情報は無かった。ってことはまず間違いなく、あいつは故郷に居るのだろう」

戦士「……」

武道家「戦士はまだ、勇者を許すことは出来ないか?」

戦士「当然だ。あんな奴のことなど……」

武道家「だが、あいつがこれまで俺達のためにどれだけ色々なことをしてくれていたのか実感しただろう? それもそのことを誇示することもなく、ただ当たり前のこととしてあいつはやっていたんだ」

戦士「それは…」

 言いよどむ戦士。それは、戦士自身、確かに深く実感していることだったからだ。
 道中、こんな顛末があった。


武道家『暗くなる前に野営の準備に取り掛かっちまおう。ただでさえ不慣れなんだ。日が暮れちまったらテントなんて立てられないぜ』

戦士『え~と、まずは骨組となる枝を取ってこなければならないのだったな』

武道家『長さは2m前後で、最低でも四本は地面に打ち立てる必要がある。そのてっぺんを縄で結び付けて、雨除けの布を垂らす。確かそんな感じに勇者はやってたはずだ』

戦士『では私はその枝を取ってくる』

僧侶『私は焚き火用の枝を取ってきます』

武道家『頼む…』

武道家『…………』

武道家『あっ!!』

僧侶『ふあっ!?』ビクッ!

戦士『な、なんだ、どうした!?』

武道家『お前たち……着火用の道具を持っているか!?』

僧侶『あっ!?』

戦士『はっ!?』

武道家『完全に失念していた……今まで着火は勇者の呪文で全て行ってきたからな……』

僧侶『ど、どど、どうしましょう!?』

戦士『火が無ければ日没後、この辺りは完全な暗闇となる。そこを魔物に襲われてはひとたまりもないぞ』

武道家『急いで町まで引き返すしかない。日が完全に落ちるまでに何とか町の明かりが見えるとこまで戻るんだ。急げ!!』

武道家「あの時は月明かりがあったおかげで何とか無事町まで戻ることが出来た……」

戦士「………」

武道家「こんなこともあったな……」



僧侶『大変です! 食糧が足りませぇん!!』

武道家『馬鹿な! きちんと計算して買い込んだはずだろう!』

僧侶『魔物に奪われたり、日に当たり続けて傷んでしまったりで食べられなくなった食材も多くて……』

戦士『だが、これ以上食糧で荷物を増やすゆとりはないぞ!? そもそも、以前の旅の時は今より少ない量の食糧で何とかなっていたはずだ!!』

僧侶『その時は、勇者様が道中で食べられる動物や果物を調達していたから……』

戦士『くっ…』

武道家『食う量を減らして調節するしかあるまい。間違ってもその辺りの野草に手を出すんじゃないぞ。俺達には何が毒なのか全く判別がつかんのだ』



武道家「あの時は、ちゃんと飯を食わねば十全に力を発揮出来ないことを痛感したな」

戦士「……」

武道家「少なくとも俺達には、一度あいつに会ってこれまでの礼を述べる必要があるだろうさ」

僧侶「武道家さんは、勇者様を信頼しているのですね」

武道家「まあ…そうだな。そうやって言葉にされると面映ゆいが、間違ってはいない」

僧侶「お二人は幼少からの幼馴染と聞いています。良ければ、お聞かせ願えませんか? 武道家さんから見た勇者様の印象というものを…きっと、戦士も知りたいと思います」

戦士「……私は別に……そんな話をするのなら私は先に部屋に戻るぞ」

武道家「いや、待ってくれ戦士。そうだな…二人には知っておいてほしい。あいつが実際のところ、どんな人間なのか……」

武道家「俺が思う、あいつの人間性ってのを一言で言うなら……そう…」

武道家「度が過ぎた、底抜けのお人好し―――だ」

武道家「知ってのとおり、あいつは『伝説の勇者』の息子として生まれた」

武道家「勿論、当時はまだ世界的に有名な父親では無かったが、それでも国一番の剣士の息子として、あいつの身には大きな期待がかかっていた」

武道家「あいつもまた、その期待に応えようと一生懸命だったらしい。言われるがままに学を修め、剣を修業した。まだ三~四歳の子供の頃の話さ。信じられるか?」

武道家「どうした戦士。きょとんとした顔をしているな。勇者は修業から逃げた臆病者のはず? まあ、その話はここからだ」

武道家「やはり剣を扱う才能はあったのか勇者の剣は見る見るうちに上達したそうだ。五歳になるころにはもう一端に剣を振り回せていたらしい」

武道家「父親もつい修業に熱が入ってしまったのだろうな。そこで事件が起きた」

武道家「真剣による打ち合いの修業中、父親の剣が幼い勇者にまともに当たったんだ」

武道家「勇者は三日三晩、生死の境を彷徨った。命を取り留めたのは奇跡だったらしい」

武道家「当然だ。幼い子供の身が肩口からわき腹まで裂かれたんだ。本当に、よく助かったものだよ」

武道家「以来、勇者は剣の修業をぱったりとやめた。俺が勇者とよく遊ぶようになったのはこの頃からだ」

武道家「その時の俺の勇者への印象は面白いことに、戦士、お前が抱いていた印象と同じ『臆病者』だった」

武道家「勇者は―――痛みをひどく怖がる子供だったんだ」

武道家「父親の一件がトラウマになって、『痛み』に対して過度の恐怖心を感じるようになっていたらしい」

武道家「痛みを伴うような遊びには頑なに参加してこなかった。その癖、物語の冒険譚とかは大好きでな。その手の書物を読み漁っては俺にその話をしてきた」

武道家「口はうまい奴だったから、退屈はしなかったよ。奴のサバイバルの知識なんかは、そのあたりから来ているんだろう」

武道家「父親の一件を俺が勇者から聞いたのは、大分成長してからだ。それで色々と腑に落ちたよ。ああ、なるほどな、ってな」

武道家「本当に、見ててこっちが不安になるくらい痛みに対して敏感だったからな。痛ましいもんだった。いや、本当に」

武道家「そんな奴が―――父親の死を受けて、修業を再開したんだ」

武道家「信じられなかったよ。それ以上に不安になった。修業なんて痛みと苦痛に晒され続けるようなもんだ。あいつは、狂ってしまうんじゃないかと」

武道家「だけどあいつは耐え切った。涙を流し、血が出るほど歯を食いしばって、逃げ出したくなる自分を押し殺しきった」

武道家「あいつはいつも言っていた。父親がいくら偉大だからって、子供の人生が父親に引っ張られる必要なんかない」

武道家「まして子供を殺しかけるような父親だ。そんなやつのために俺が何かをしてやる義理なんてない、って、口癖のようにな」

武道家「それについては俺もその通りだと思ったし、だから勇者に聞いたんだ。お前は何でそんな思いまでして修業をするんだ? って」

武道家「なんて言ったと思う?」

武道家「『いや、母ちゃんとか騎士団の人とかの落ち込みようが尋常じゃないからさ。俺が何かやる気見せとかないと、万が一だけど、何かあの人たち死んじゃう可能性あんじゃないかって、そう思ってさ』」

武道家「そう言った」

武道家「それだけのためにあいつはトラウマを克服してまで青春の五年間を修業に費やしたんだ」

武道家「俺はその時思ったんだ。世界を救うことが出来るのはきっとこういう奴なんだろう、って」

武道家「底抜けのお人好し―――いざという時には自分の痛みより他人の幸せを優先してしまう人間性」

武道家「だから俺は信じているのさ。あいつが命惜しさに俺達を―――ましてや戦士と僧侶、お前たちを見捨てることは絶対にない、とな」

 三人の故郷―――『始まりの国』

武道家「馬鹿な…勇者が来ていないだと!?」

神官「え、ええ。間違いなく、来ておりません」

武道家「馬鹿な!? ならば勇者はどこへ飛んだというのだ!?」

神官「少なくとも、『伝説の勇者』様のご子息がご帰還されれば、それは間違いなく町の噂となるはず。故に、勇者様はこの国にお戻りになっていないと考えるのが自然です」

武道家「……戦士! 勇者が『翼竜の羽』で飛んだのは間違いないんだな!?」

戦士「……そのはずだ。『翼竜の羽』以外に勇者があの場所から飛翔できる術なんてない」

武道家「ならば、何故どの町にも勇者の姿がないんだ……くそ!」ダッ!

僧侶「武道家さん! どこへ!?」

武道家「勇者の家だ!!」


 ――『勇者の家』の前

武道家「……」トボトボ…

僧侶「武道家さん、どうでしたか?」

武道家「勇者の母親に会った。やはり勇者は戻ってきていないと言われたよ」

武道家「どういうことだ…? 『翼竜の羽』は一度訪れた場所にしか飛べない、それは間違いないはず……」

武道家「町に戻るために使ったのではないのか…? であれば、戦闘から一時離脱するために…? 『翼竜の羽』にそんな使い方が可能なのか…?」

 確かなことは勇者が翼竜の羽を使用したこと。
 そしてどの町にも勇者は飛んできていないこと。
 つまり勇者は自分たちには思いもよらぬ使い方をして戦闘を離脱した。
 そこには自分たちには想像もつかぬ意図がある。
 そうに違いないのだ。

戦士「……」ザッ…

武道家「戦士、どこへ行く?」

戦士「酒場へ。新たな仲間を探しに」

武道家「……ッ!! 戦士!!」

戦士「私たちと違ってアンタは勇者と付き合いが深い。だから、アイツのことを最後まで信じたい気持ちは理解できるけど……」

戦士「私には、勇者は無我夢中で行き先のイメージもしないまま『翼竜の羽』を使用し、結果どことも知れないところへ飛ばされた……そう考えた方がしっくり来るんだ」

武道家「……ッ!? そんな…お、お前もそう思うのか、僧侶!?」

僧侶「そ、それは、その……」

 僧侶は否定も肯定もせず、曖昧に言葉を濁した。
 だが、その態度こそが彼女の答えを言葉以上に雄弁に語っていた。

武道家「違う…それは違う……」

 武道家は立ち尽くす。
 戦士はそんな武道家を一瞥し、酒場へと足を向けた。
 僧侶はおろおろと二人の間で視線を彷徨わせていたが――やがて戦士の後についていった。

酒場のママ「あら、何だか懐かしい顔ぶれね。今日は何の用かしら?」

戦士「新しい仲間を探している」

酒場のママ「あらあら四人じゃ足りなくなったのかしら? 勇者様のお使い?」

戦士「そうではない。我々は勇者と袂を分かった。代わりに魔王討伐に志願する者を探している。出来れば、行商関係に明るい奴がいい」

酒場のママ「……へぇ~。ま、一応聞いてみるけど。期待せずに待っててちょうだい」

戦士「……?」

 ―――数分後。

酒場のママ「お待たせ~。アンタと組みたいって人はいないってさ」

戦士「な、何故だ!? この町には勇者に同行を希望する冒険者たちがたくさん居たはずだろう!!」

酒場のママ「ええ、そりゃ今でも『勇者様』に同行を希望する人たちはたくさんいるわよ? でもその人たちはあくまで『勇者様』の力になりたいわけ。わかる?」

戦士「わ、私とて『伝説の勇者』様の一番弟子だ!!」

酒場のママ「そういう事ではないのよ。それにあなた達、要は勇者様に捨てられたのでしょう? 誰がそんな連中に同行したいと思って?」

戦士「捨て…ッ!? き、貴様ッ!!」

酒場のママ「事実はどうあれ、皆そんな風にしか判断しないってことよ。ここで仲間を探すのは諦めなさい、お嬢ちゃん」

戦士「くそッ!!」バターン!

僧侶「戦士、落ち着いて」

戦士「これが落ち着いてなんていられるか!! あの女、よりにもよって捨てられたなどと……!!」

僧侶「そんな風聞が広まっている以上、この国で新しい仲間を募ることなんて不可能でしょうね……悲しいことだけど」

傭兵「お嬢ちゃんたち、仲間を探しているのかい?」

戦士「……誰だお前は」

傭兵「俺は傭兵さ。この国にゃあふらりと立ち寄っただけだが、たまたま酒場で話を聞かせてもらったよ」

傭兵「ちょうど食い扶持を探してたところさ。どうだ、俺の腕を買わねえか?」

戦士「願ってもない話だが……」

僧侶「金銭での契約を望まれるということですよね? おいくらですか?」

傭兵「そうさな…ま、ざっとこんなもんだ」ペラリ

戦士「契約書を持参しているとは周到なことだな……な、何だこの値段は!!」

僧侶「た、高すぎます!!」

傭兵「あん? お姉ちゃんたちマジかよ。こっちゃ命かけて魔物とやり合うんだぜ? これくらいもらわなきゃ割に合わねーよ」

戦士「……駄目だ。こんな金額、我々にはとても捻出できん」

傭兵「マージーかーよー? ハッキリ言ってこれ傭兵稼業の底値だぜ? これが駄目ならお嬢ちゃんたちどこ行っても人なんて雇えねーぞ?」

戦士「ぐ……」

傭兵「あほらし。じゃあな~」

戦士「……」

僧侶「戦士……」

戦士「……やむを得ない。新しい仲間は諦めるしかなかろう。路銀については私が何とか知識をつける」

戦士「だが、護衛をつけられない以上、お前には負担を強いることになる……すまないな、僧侶」

僧侶「ううん、私は、そんな……」

戦士「……出発は明朝としよう。折角故郷に戻ってきたんだ。今日は家に戻ってゆっくりしても罰はあたらないだろうさ」

僧侶「……うん。そうね、そうしましょう……今は少し、休みたいわ」

僧侶(はあ……これから私たち、どうなるのかしら)トボトボ…

僧侶(戦士はきっと旅を諦めない。きっと一人でも旅を続けようとするでしょう)

僧侶(放っておくわけにはいかない…戦士は私の一番の親友。死なせたくない……)

僧侶(それに私自身も、魔王討伐の旅を諦めたくはない……)

僧侶(でも、勇者様を欠いたままの旅を続けるというのなら、武道家さんが私たちに同行する理由もなくなる。武道家さんもパーティーを抜ける可能性は十分ある)

僧侶(そうなると、戦士と私の二人旅。とてもやっていける自信がないわ…)

傭兵「よう、おじょーちゃん」

僧侶「はい? …あ、先ほどの傭兵さん」

傭兵「あれから新しい仲間は見つけられたかい?」

僧侶「いいえ。正直、もうこの国で仲間を募るのは諦めたところです」

傭兵「そうか……なあお嬢ちゃん、ちょっと提案があるんだけどな?」

僧侶「なんでしょう?」

傭兵「お嬢ちゃんがある条件を飲んでくれたら、タダでお嬢ちゃんたちの仲間になってやってもいいぜ?」

僧侶「無料で!?」

傭兵「おう、いや勿論、道中のちょっとした小遣いくらいは要求させてもらうがよ」

僧侶「願ってもありません! して、その条件とは!?」

傭兵「実は俺な、お嬢ちゃんのことが非常ぉ~に気に入っちまったのよ。もはや一目ぼれといっても過言じゃねえ」

僧侶「は、はぁ……」

傭兵「お嬢ちゃんの事を、俺が好きな時に好きなだけ弄れる……この条件を飲んでくれたら、喜んで旅について行ってやるよ」

僧侶「いじ…?」

僧侶「……」

僧侶「……なッ!?」

僧侶「ふ、ふざけないでください!!」

傭兵「ふざけてなんていねえよ。俺は大真面目さ」

傭兵「お嬢ちゃんたち二人で旅なんて続けてみ? まず間違いなく途中で死ぬぜ?」

傭兵「お嬢ちゃんたちはもうそれを実感しているんじゃねえか? だからあんな必死に仲間を探しているんだろう?」

僧侶「そ、それは……」

傭兵「それに断言してやる。この機会を逃したらお嬢ちゃんたちに仲間が出来る機会なんて二度と来ねえ。世の中そんな甘いもんじゃねえんだぜ? お嬢ちゃん」

僧侶「う…く…」

傭兵「どうする? 俺の腕は確かだぜ? いくつもの戦場を渡り切ってきた実績がある。百戦錬磨って奴だ。お嬢ちゃんが条件を飲んでくれれば、俺は間違いなくお嬢ちゃんたちを守り抜いてみせる」

僧侶「あ、う…す、少し考えさせて」

傭兵「駄目だ。今結論を出すんだ。この機会を逃したら俺はもう町を出るぜ」

僧侶「そんな……」

傭兵「よぉ~く考えてみな。悪い条件じゃねえだろう。お嬢ちゃんがその体を差し出すだけで、お嬢ちゃんとあのお仲間の女の子の命は保障されるんだ」

傭兵「それに俺も別に変な性癖を持ってるってわけじゃねえ。お嬢ちゃんを抱くは抱くが、痛いことしたり妙ぉ~な抱き方したりはしねえよ」

傭兵「な? お互い良いことしかない契約じゃねえか」

僧侶「はぁ~…! はぁ~…!」

僧侶(いや、そんな、そんなの、でも、私たち二人だけじゃ、きっと、死ぬ。私も、戦士も、死んじゃう)

僧侶(何も為せないまま、どことも知れぬ場所で、きっと、魔物に食い殺される)

僧侶(それはいや、いや、いや……!)

傭兵「あと二十秒で決めろ」

僧侶「ひっ」

傭兵「二十、十九、十八……」

僧侶「あ、わ、は、わ」

傭兵「十、九、八、七!!」

僧侶「は、う、わ、わかり、ました……!」

傭兵「ん~? なんて?」

僧侶「わかり、ました……」ポロ…

僧侶「私の体を好きにしていいから……私たちを助けてください……」ポロ…ポロ…

傭兵「オ~ケェ~~契約成立だな。んじゃ、早速宿に行こうぜ。部屋はとってあるからよ」





武道家「おい」


傭兵「んあ?」


 武道家の拳が傭兵の顔面に叩き込まれた。




傭兵「ぶげぇ~~~ッ!!!?」

武道家「随分と脆い顔面だな。百戦錬磨が聞いて呆れる」

傭兵「て、てべえッ!!」チャッ!

武道家「剣を抜いたな? ならば俺も本気で行く。ここからは命のやり取りになるぞ」

 武道家の着ける手甲からスピアと呼ばれる刃が飛び出す。
 その切っ先が反射する光を受けて、傭兵はたじろいだ。

傭兵「く、くそ、覚えてやがれ!!」

 そう言い捨てて、傭兵は武道家たちに背を向けて駆けだした。
 その目の前に、一瞬で武道家が回り込む。

傭兵「あ、ひえッ!?」

武道家「貴様こそ覚えておけ。二度と彼女らに近づくな。もう一度でも彼女らに近づいたら、即座に命を取りに行くぞ」

傭兵「ひ、ひええ~~!!」

 傭兵は振り返りもせず、町の入口に向かって駆けていった。

僧侶「武道家さん……」

武道家「あんな輩を雇い入れても、命がかかった肝心な時には役に立たん。二度とこんな軽率な真似はするんじゃない」

僧侶「武道家さん、わたし…わたし……」

 僧侶の目から次から次に涙がこぼれ出る。

武道家「俺はまだ勇者が戻ってくると信じている。それまではしんどいだろうが、三人で何とか凌いでいくしかあるまい。あんな輩の甘言に乗るな」

僧侶「ひっく、ぶ、武道家さん、私たちに、ひく、ついてきて、ヒック、くれるんですか……?」

武道家「当然だろうが。こんな状態のお前たちを放っておけるものかよ」

僧侶「武道家さん!!」

 僧侶は感極まって武道家に抱き付いた。
 僧侶を受け止め、武道家はその頭を撫でる。

武道家(やはり、このパーティーはお前がいなくては成り立たん。今どこで何をしているんだ、勇者……!!)

 武道家は痛切な表情で空を睨む。
 彼とてまた、それ程余裕があるわけではなかった。



第八章  伝説を継ぐ者(前編)  終

今回はここまで

本当はもう少し先まで書きたかったけど時間切れ 無念

 戦士は打ち倒した狼型魔物の死体の傍らに屈みこむ。
 報奨金を得るため、狼型魔物の長く発達した犬歯を採取するためだ。
 長く伸びた犬歯の根本、歯茎にナイフを突き立てる。
 歯茎を掘り進めるようにナイフをぐりぐりと動かし、無心で肉を抉り続けた。
 やがて支えを失った犬歯が狼型魔物の口から外れ、戦士の手に落ちる。
 辺りを見回すと、武道家と僧侶も慣れない作業に悪戦苦闘していた。

戦士(確か、狼型魔物の毛皮は高く売れると聞いたことがある)

 戦士は狼型魔物の肩辺りにナイフを入れる。
 そのまま皮を剥ごうとナイフを動かし――薄く、薄くと意識して刃を入れていたつもりだったが、皮には肉と脂がびっしりこびりついてきた。
 肉をこそぎ落とそうとナイフを動かす――力加減が拙かったのだろう。ナイフはあっさりと皮を突き破ってしまった。
 もう一度、と今度は腹の辺りに刃を入れた。
 悪臭が突如鼻に付く。どうやら内臓を切り開いてしまったらしい。
 戦士は皮を剥ぐのを諦めると、はあ、と深くため息をついた。
 ふと、勇者と旅をしていた時の、最初の頃の情景が脳裏をよぎる。


戦士『早くしろ勇者! 一体何をモタモタしているんだ!!』

勇者『も、もうすぐ終わるからちょっと待っててくれよ!』

戦士『まったく…戦闘の役には立たん、作業は遅い、本当に使えん男だ』

勇者『ぐ、ぐぬぬ……!』





 鼻の奥にツンと込み上げてくる何かを必死に噛み殺して。

 戦士はもう一体の死体の傍に屈みこみ、作業を再開した。






第八章  伝説を継ぐ者(中編)




 もうすぐ日暮れを迎えようかという時間帯に、戦士、武道家、僧侶の三人は新たな町の入口に足を踏み入れていた。

武道家「何とか……日が暮れる前に着くことが出来たか」

 安堵の溜息こそ出るものの、歓喜の喝采を上げる気にはとてもならない。
 それ程までに、三人は疲労困憊していた。

僧侶「と、とにかく、まずは宿を探しましょう。今日は正直まともなベッドで眠りたいです」

武道家「同感だ。町の人間にいろいろ話を聞くのは明日に回してよかろう。それでいいな? 戦士」

戦士「ああ…」

 三人で旅を続ける中で、何か思うことがあったのだろうか。
 元々饒舌な方ではなかったが、最近特に戦士の口数は少なくなっていた。
 気にはなるが、武道家も疲れていた。
 深く追及するようなことはせず、まずは宿を探さなくてはと町並みに目を向ける。

武道家(それにしても……)

 妙に静かな町だ、と武道家は感じた。
 活気がないというか、全体的に陰鬱な印象を受ける。
 道行く人々の表情も、どこか憂いを帯びているように見えた。
 いや、或いは―――

武道家(自分たちが余りにも疲れすぎて、無意識に町の活気ある部分を見ることを拒絶しているのかもしれんな)

 そんな風に自虐的に結論付けて、武道家は今度こそ宿を探すために歩を進めた。





 第六の町より北におよそ50㎞―――『第七の町』。

 翌朝、宿に泊まり、十分にリフレッシュした状態で、武道家は昨晩の自分の印象が間違いではなかったことを知る。

武道家(やはりなんというか……暗い町だな。宿の主人も我々を全く歓待している様子ではなかったし……)

 現在、三人はそれぞれ情報収集のために自由行動中である。
 武道家は気の向くままに町を歩き、近くに精霊の祠が無いか、『伝説の勇者』がかつてここで何をしたか等、通りすがる人々に尋ねていた。
 しかし人々は口数少なく、しかもぼそぼそと呟くように喋るため、情報収集は一向に捗らなかった。

武道家(余所者に対する警戒心、というだけではないぞコレは。何故この町の人間はこんなにも何かを諦めたような顔をしているんだ?)

 ある老婆に話を聞くも、要領を得なかった。
 ある中年太りの商人に話を聞くも、今忙しいと相手にされなかった。
 肉を燻して燻製を作っていた厳つい猟師らしき男に話を聞くも、余所者に話すことは無いと邪険にされた。
 日向ぼっこをしていた老人に、この人なら暇を持て余していそうだから話を聞いてくれるだろうと声をかけたら、早くこの町を出なさいと諭された。
 幾度もそんなことを繰り返し、武道家はようやくあるひとつの違和感に気付いた。
 先ほどの日向ぼっこをしていた老人の元に戻り、武道家は尋ねた。

武道家「どうしてこの町にはこんなに若者が少ないんだ?」

 その質問に老人は目を見開き、ようやく明瞭な回答を武道家に寄越した。


 ―――近くの砦に住み着いている盗賊が、若い女をどんどん攫っていってしまうのだ、と。

老人「この町から北西に進んだところに、精霊様を奉るために造られた砦がある。そこに、昔から盗賊が住み着いていたんじゃ」

老人「盗賊は近隣の村々を荒らしまわり、暴虐の限りを尽くしていた。そこに現れたのが『伝説の勇者』様じゃ」

老人「『伝説の勇者』様は盗賊たちを懲らしめ、二度と悪事を働かないことを条件に命だけは助けてやったという。何とも慈悲深いことよ」

老人「だが、それが良くなかったのじゃ」

老人「『伝説の勇者』様がお倒れになったらしい、と噂が広まってから、盗賊たちはまた活動を再開した」

老人「近隣の村々から食糧や金品を強奪し、若い女は手当たり次第に攫っていった。反抗した若者は殺され、そうやって滅んでしまった村はひとつやふたつではない」

老人「そして盗賊の魔の手は遂にこの町にも及んだ。もう何人もの娘が連れていかれ、その伴侶や恋人だった男は反抗し、殺された。あっさりと、惨たらしく」

老人「小さな子供たちは盗賊を警戒し、外へと遊びには出してやれん。家の中でずっと息を殺すように忍んでおる」

老人「この町の次代を担う若者はもう随分と少なくなってしまった。この町も、いずれは滅んでしまうのじゃろう。儂はそれが、本当に口惜しくてならん」

老人「孫娘もとうに連れ去られた。今頃どんな目にあっているかと思うと……ぐ…く、うぅ……!!」

武道家「ご老公」

老人「…む?」

武道家「約束しよう。俺が、俺達が、その盗賊たちを何とかする」

老人「な、なんと…! し、しかし、旅のお方にそんな迷惑をかけるわけには……」

武道家「かまわんさ」

老人「お、お礼も……我々には、大した額を用意することも出来ませぬ……!」

武道家「礼など要らん。無償だ」

老人「何故…!? 何故なんの関係もない、我々のためにそこまでしてくださるのです…!?」

 拳を強く握りしめたまま、武道家は思う。
 理由などない。強いて言えば、自分のためだ。
 話を聞いて、気分が悪くなったからだ。
 その盗賊たちをぶちのめしてやりたいと、心から思ったからだ。
 これを義憤に駆られたというのならば、まあそうなんだろう。
 もっとも、そんな大層なものであるつもりはないが。

武道家「む…?」

 武道家は耳を澄ました。
 どこかから、喧騒に混じって若い女の悲鳴が聞こえた気がしたからだ。
 そのことを老人に告げると、老人は「奴らが来たに違いない」と言った。

武道家「タイミングが良い…と言うと、町の人間に悪いか。だが、鴨が葱を背負って来たようなもの……絶対に逃がさん!!」

 武道家は全力で駆け出し、まるで風のような速さでその場を後にした。

少女「いやー!! やめて!! 離して!!」

 黒髪を三つ編みにまとめた少女が、下卑た笑みを浮かべた男に腕を掴まれている。
 周りにいる町の人々は少女を助けようとはせず、目を伏せ、ただ震えていた。

出っ歯の盗賊「ケヒヒヒ!! おら、抵抗すんじゃねえ!! 痛い目にあいたいのか!!」

少女「いやあ!! やだやだ、やだあ!!」

出っ歯の盗賊「うざってんだよ、オラァ!!」

少女「うぎゅっ!」

 盗賊は躊躇なく少女の顔を殴りつけた。
 それを見て、周囲の人混みからたまらず飛び出した影があった。

少年「やめろぉ!! そいつを離しやがれクソ野郎ォ!!」

出っ歯の盗賊「ああん? 何だてめえ物騒なもん持ちやがって」

 その手に料理用の包丁を持ち、盗賊の前に躍り出た少年は少女の幼馴染だった。

少女「○○ちゃん! 駄目ぇ!!」

 少女の制止も虚しく、少年は盗賊に飛びかかる。
 その肩口に、盗賊の持つ刃が埋め込まれた。

少年「あぎ、があああああああああ!!!!」

少女「いやああああああああああああああああ!!!!」

出っ歯の盗賊「かっこつけてんじゃねえよクソ雑魚野郎がッ!! てめえみてえなのが俺ァ一番大っ嫌いなんだよッ!!」

少女「いやあ! やめてください!! ついていきます!! 私、あなたについていきますから、だから!!」

出っ歯の盗賊「うるせえ!! コイツは死刑だ!! 今俺が決めた!!」

少年「が、くぁ…」

少女「やめてえええええええええええええええええ!!!!」


 武道家がその場所に辿り着く。

 即座に状況を把握し、駆け出す武道家。

 だが、それよりも一瞬早く、盗賊に向かって飛びかかる影があった。


戦士「ぬぅあああああああああああああ!!!!!!」


 戦士だ。

 戦士が、怒りの叫びと共に盗賊の顔面に拳を叩き込んでいた。

出っ歯の盗賊「ぐわらばッ!!」

 もんどりうって倒れる盗賊。
 盗賊の手から解放された少女は、すぐに少年の元へと駆け寄った。

少女「○○!! ○○ッ!! お願い、目を開けて!!」

戦士「僧侶ッ!!」

僧侶「はいッ!!」

 人混みの中から僧侶も飛び出し、少年に回復呪文を施す。
 見る見るうちに少年の傷は塞がり、青ざめていた顔色も血色を取り戻した。

少女「あ、ありがとう! ぐす、ありがとう、ごばいまずぅぅぅううう!!」

僧侶「いいえ、お気になさらず」

 少女に一度笑みを向けた後、僧侶は目つき鋭く盗賊の方を振り返った。
 盗賊は鼻から溢れる血を拭いながら立ち上がり、敵意を剥き出しにしながら短刀を戦士に突き出していた。

出っ歯の盗賊「てめえら……何だ? 何者だ? この町の者じゃねえよな……正義の味方気取りの冒険者か。クソッタレが」

 戦士は背負っていた大剣を抜く。
 盗賊はその様子を見て、笑った。

出っ歯の盗賊「女だてらに一端の剣士の真似事か。クソが、許さねえぞ……ぼこぼこに顔面歪めた後、この町の真ん中でぐちゃぐちゃに犯してやるぜ…!」

 盗賊は短刀を突き出し、戦士に向かって駆けた。
 戦士が繰り出してきた一撃をかわし、懐に潜り込む。
 そして、喉元に短刀を突きつけてチェックメイト―――のつもりだった。

 戦士の剣が振るわれる。
 身をかわすつもりだったその一撃に、しかし盗賊は全く反応できず。
 短刀にぶち当てられた大質量に、盗賊の手からあっさり短刀は弾き飛ばされた。

出っ歯の盗賊「は、え…?」

戦士「汚物が…貴様の言葉は聞くに耐えん。……消えろ」

 戦士は剣を大上段に構えなおす。
 そのまま、盗賊の頭に剣を叩き付けようとしたところで―――

武道家「待て戦士!! 殺すな!!」

 武道家が戦士と盗賊の間に割って入った。

 戦士は鋭い目つきで武道家を睨み付ける。

戦士「……武道家。何故そんなクズを庇う」

武道家「ああ、勘違いするな。庇う気などさらさら無い」

 そう言って武道家は盗賊の方を向き直り、その顎先に横殴りで拳を叩き込んだ。

武道家「少し寝てろ」

出っ歯の盗賊「かひゅ」

 激しく頭を揺さぶられた盗賊は膝から崩れ落ち、その場に昏倒する。
 目を丸くする戦士に、武道家は説明を始めた。

武道家「どうやら俺達はそれぞれがそれぞれで情報を得て、この町が陥っている状況を理解した。そうだな?」

 確認するような武道家の問いに、戦士は頷く。

武道家「ならば恐らく、これから取るべき行動についても、俺達の意見は一致していると思う。俺達はこれから、北西にあるというこいつらのアジトに向かい、盗賊の一団を全滅させる」

戦士「そうだ。その通りだ」

武道家「だからこいつは殺さない。こいつにはこれから、アジトまで俺達を案内してもらうとしよう」

戦士「ああ、成程……」

 町を出て、戦士たちは盗賊を案内役とし、北西の砦を目指す。
 盗賊は縄で両腕を後ろ手に拘束されており、さらにそこから伸びた縄が戦士によって握られている。

戦士「ほら、キリキリ歩け」ゲシッ

出っ歯の盗賊「いって! へ、へい、すんません!!」

武道家「お前らのアジトに着くまでどれくらいかかる? それに、お前らの仲間は全員で何人いるんだ?」

出っ歯の盗賊「このペースだと3~4時間ってところでさぁ。仲間の数は勘弁してくだせえ。ペラペラ喋ったことがばれたらボスに殺されちまう」

戦士「今ここで殺してもいいんだぞ? 別に道案内が必須というわけではないんだからな」

出っ歯の盗賊「ひい! な、仲間の数は全部で5人、ボスまで入れて6人です!!」

僧侶「思ったより少ないですね」

出っ歯の盗賊「ウチは少数精鋭が売りでして……」

戦士「あの程度の腕でか? 片腹痛いな」

出っ歯の盗賊「へ、へへ、旦那方には敵いませんや」

出っ歯の盗賊(クソが……舐めくさりやがってこのボケ共……今に見てやがれ…!!)

 第七の町より北西―――元『精霊の砦』、現『盗賊のアジト』。

出っ歯の盗賊「こ、ここが俺達のアジトです」

戦士「間違いないだろうな?」

武道家「出まかせを言っていたら許さんぞ?」

出っ歯の盗賊「そ、そんなすぐバレる嘘なんてつきませんや! ささ、約束通り俺を解放してくだせえ!!」

武道家「ん? そんなことするわけないだろう。アホかお前は」

出っ歯の盗賊「なな!? や、約束が違う!!」

戦士「失礼なことを言うな。約束通り命だけは助けてやるさ。ただし、このままお前は国の警備隊に突き出すがな」

出っ歯の盗賊「んな!? そんなもん、結局死刑になるに決まってんじゃねえか!! おい、アンタ! 神に仕える身で嘘なんてついていいのかよ!!」

僧侶「神は嘘を禁じません。仮に禁じていたとしても、誰かを守るための優しい嘘であれば神は許容してくださいますでしょう」

出っ歯の盗賊「ち、ちくしょう!!」

 盗賊は足を振り上げた。
 靴に仕込んでいた刃で、戦士の手まで伸びていたロープを断ち切ると、アジトの中に向かって一目散に駆け出した。

戦士「チッ…! おい、待てッ!!」

 外壁の門を潜り、中庭に足を踏み入れた所で戦士は盗賊に追いつき、その背中に手を伸ばす。
 砦の窓から何かが放たれた。
 瞬時に気配を感じ取り、戦士は伸ばしていた手を引っ込める。
 中庭の草地に、投擲用のナイフが突き立った。
 その隙に出っ歯の盗賊は砦の中に消えていった。

僧侶「戦士、大丈夫?」

戦士「ああ、大丈夫だ。当たってはいない」

武道家「どうやらあいつの言っていた仲間とやらは砦の中にちゃんと居るらしいな」

 武道家はナイフが飛んできた窓を見るが、既にそこに人の姿はなかった。

武道家「追撃をしてこないところを見ると、中に誘っているらしいな。どうする? 戦士」

戦士「無論、行く。たとえどんな罠が仕掛けられていようが、これ以上奴らを野放しにしておくわけにはいかない」

武道家「問うまでもなかったか。では、往くぞ。くれぐれも罠には注意しろ」

 元々設えていた物なのか、それとも盗賊たちが後から付け加えたものなのか、砦の中には大小さまざまな罠が仕掛けられていた。
 落とし穴。
 火を噴く石像。
 壁から飛び出す刃。
 眠りを誘う霧。
 その悉くを、戦士、武道家、僧侶の三人はダメージを負いながらも乗り越えていく。
 やがて三人はひとつの部屋に突き当たった。
 扉を開ける。
 二階北東部に位置する大広間。
 日当たりは良く、普段はここを居住空間としているのだろう、雑多な物が床に散らばっていた。
 ナイフが飛んできた窓も、この部屋にあった。
 そこに、四人の男の姿があった。

出っ歯の盗賊「なぁにぃ!? こいつら、ここまで辿りつきやがった!!」

ノッポの盗賊「で、でで、でも、いい女だぁ~」

わし鼻の盗賊「だな。むしろ罠で台無しになっちまわなくて良かったべ。わっしゃっしゃ!!」

小太りの盗賊「しかしまあ、こんな所までノコノコやって来るたあ、馬鹿な奴らだぜ」

 盗賊たちはそれぞれ思い思いの武器を持ち、戦士たちに向き直る。
 出っ歯の盗賊は短刀を。
 ノッポの盗賊は大剣を。
 わし鼻の盗賊は投げナイフを。
 小太りの盗賊は棍棒を。

出っ歯「みんな!! 俺ぁ町でこいつらに痛ぇ目に合わされたんだ!! ただで帰すんじゃねえぞ!!」

小太り「だっせ(笑)。お前こんなお上品な坊ちゃんお嬢ちゃんに負けてんじゃねえよ」

出っ歯「う、うるせえな!!」

ノッポ「町の奴ら…に…俺達のこと…軽く…見られたかもぉ~」

わし鼻「だなあ。これ終わったら名誉挽回に行かにゃならんわ。見せしめに十人は殺しとかんといかんべ」

 戦士は剣を構える。
 武道家は拳を固く握った。
 僧侶は精神を集中し、いつでも呪文を行使できる体勢を整える。

武道家「行くぞ」

戦士「ああ」

僧侶「はい」

 短い一言でタイミングを取る。
 激情を拳(剣)に込め、武道家と戦士は盗賊に向かって駆けだした。

出っ歯「ふへへ!! 俺達はコンビネーションによって強さが何倍にも跳ね上がる!! 俺一人を倒せたからって調子に乗ってっと…」

 出っ歯の盗賊の目の前に戦士が肉薄する。
 町での一幕同様、その速さに出っ歯の盗賊はまともに反応することすら出来ない。

出っ歯「は、速すぎ…!?」

 反射的に首元を庇うように短剣を構えたまま硬直した出っ歯の盗賊だったが、戦士の狙いは首ではなかった。
 戦士は刃の部分ではなく、剣の腹の部分を思い切り出っ歯の盗賊の肩口に叩き付けた。
 凄まじい衝撃に押され、出っ歯の盗賊の体は錐揉み回転しながら吹き飛ばされる。

ノッポ「あ…?」

 吹き飛んだ先に居たのは、僧侶に狙いを定めていたノッポの盗賊だった。
 出っ歯の盗賊の体はノッポの盗賊の体に勢いよく衝突し、そのまま二人はもつれて床を転がっていく。

わし鼻「やろ…!!」

 戦士が剣を振り、硬直した一瞬を狙ってわし鼻の盗賊はナイフを投げた。
 だがそのナイフは戦士の前に躍り出た武道家によって阻まれる。
 ナイフは武道家の装着する手甲を滑り、方向を変えあらぬ方向に飛んでいく。
 ナイフの行く先を目で追う暇もなく、わし鼻の盗賊は目の前に迫った武道家の対応に追われた。
 嵐のような武道家の連撃を、わし鼻の盗賊は投擲用のナイフを手に持ち、必死で捌く。
 武道家の後ろで小太りの盗賊が棍棒を振り上げるのが見えた。
 わし鼻の盗賊は歯を食いしばり、武道家の拳をその腹に受ける。
 予想以上の衝撃に胃の中の物が一気に口の中に上ってきたが、それでもわし鼻の盗賊は必死で武道家の腕を掴み止めた。

わし鼻(今だ…!!)

小太り(死ね…!!)

 小太りの盗賊が武道家の後頭部目掛けて棍棒を振り下ろす。
 わし鼻の盗賊の腹の所で右腕を掴み取られた武道家は、身を屈め、一気にわし鼻の盗賊の体の下に潜り込んだ。
 そのまま背負い投げる形でわし鼻の盗賊の体を持ち上げる。
 小太りの盗賊が振り下ろした棍棒はわし鼻の盗賊の背中を強かに打ちつけた。

わし鼻「ゲェーーーッ!!!!」

小太り「し、しまった!!」

 痛みに悶絶し、わし鼻の盗賊は武道家の右腕を解放する。
 わし鼻の盗賊の体が地面にゆっくりと落ちる、その刹那。
 両腕の自由を取り戻した武道家が、既に攻撃の態勢に入っているのを、小太りの盗賊は見た。

小太り「うお、うおおおおおおおおお!!!?」

 叩き込まれる拳、拳、拳。
 わし鼻の盗賊の体が地面に落ちるその時には既に、小太りの盗賊もまた意識を失い、その場にがくりと崩れ落ちていた。

出っ歯「いっつつ…!! おい、ノッポ!! おい!!」

ノッポ「………」シーン…

出っ歯「だ、駄目だ、完全に伸びてやがる」

戦士「おい」

出っ歯「ひっ!!」

武道家「覚悟は決まったか?」

出っ歯「はっ!?」

わし鼻「………」シーン…

小太り「………」シーン…

出っ歯(も、もう全員やられちまったってのか…!? な、なんなんだこいつら、並みの冒険者じゃねえぞ……一体何者だ!?)

武道家「全員縛り付けたあと警備兵に突き出す。まあ死刑は免れんだろうが、自業自得だ。諦めろ」

??「なんだぁ~? なんか罠が一杯作動してんなと思ったら珍しい、お客さんかよ」

 部屋の入り口から声がした。
 そこに立っていたのは二人の男。
 無精ひげを生やし放題にした筋骨隆々な男と、どちらかと言えば小柄な赤髪の青年だった。
 二人の姿を見て、出っ歯の盗賊は歓喜の声を上げた。

出っ歯「ボぉスぅッ!!!!」

武道家「そういえば…6人いると言っていたな、確かに……」

盗賊の首領「あ~あ~全くなさけねえ。見事に全滅しちまってんじゃねえか」

赤髪の盗賊「だから言ったじゃん。取引は俺だけで行くからいいって。ボスはこなくていいってさ~」

首領「馬鹿野郎。商売ってのは信用が第一なんだぜ? たまには取引先に俺の顔を見せとかねえとよう」

赤髪「信用第一……よく言うよ。笑っちゃうね。後からお客さんを脅しまくるつもりのくせにさ」

首領「だからそれまでに信用を勝ち取っとかなきゃいけねえって話だろうが」

戦士「おい」

首領「んあ?」

戦士「貴様がこの盗賊団の首領か?」

首領「そうだぜ? んで? お嬢ちゃんたちは何者だ?」

赤髪「見たところ国が遣わした警備兵ってわけでもなさそうだけど~?」

戦士「冒険者だ。今回は故あって貴様らの討伐に来た」

赤髪「故? 冒険者がそんな躍起になって俺達を退治する理由なんてなさそうだけど?」

首領「馬鹿野郎お前、俺らが賞金首だっての忘れてんじゃねえか?」

赤髪「あ、そうだった。しかも結構値が上がってんだよね、最近」

戦士「金のためではない!! 貴様らはかつて『伝説の勇者』様に討伐され、しかし改心することを条件に命を見逃されたと聞いた。それは真実か?」

首領「お~…嫌な野郎のこと思い出させてくれるねえ。正義面した甘ちゃん野郎で、当時は随分とムカつかせてもらったもんだ」

赤髪「俺はその時は居なかったけどね~」

戦士「……何故約束を破った?」

首領「は? お前馬鹿なの? 何で俺らがそんな約束守んねえといけねえの?」

赤髪「チョーうけるwww」

戦士「……もういい、分かった。ならばあの方の伝説を継ぐ者として、やはり貴様らを捨て置くことは出来ん。ここで今度こそ成敗してくれる」

首領「なに? お嬢ちゃん『伝説の勇者』のファンかなんか?」

戦士「私はあの方から直々に剣を教わった……あの方の一番弟子だ。だから、あの方の失敗は私が雪ぐ。私にはその義務がある」

首領「へえ……」ピクッ

 盗賊の首領の顔つきが変わった。
 緊張感のない人を舐めきった態度から一転、目は据わり、戦士たちをぎょろりと睨み付けている。

首領「そりゃおもしれえ……俺ァいつか、あの野郎に一泡吹かせてやりたいと思ってたんだ」

首領「あいにく、その前にあの野郎は勝手におっ死んじまったみてえだが……嬢ちゃん、おめえがあの野郎の愛弟子だっつーんなら……」

首領「おめえをここで滅茶苦茶にして、天国であいつが悔しがることに期待させてもらうとしようか」

 首領がその手に持ったのは、その体格に見合った巨大な戦斧。

赤髪「やんの? まぁいっか……俺も、舐められんのは嫌いだし」

 赤髪の盗賊の手の中で、刃が曲線を描いた短刀がくるりと回る。

出っ歯「へ、へへ……おめえら、もうおしまいだぜ」

 出っ歯の盗賊は既に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


 ―――『第七の町』。

「あの、すいません」

老人「ん? なんじゃ?」

「私は旅の者なんですが、どうしてこの町はこんなに活気を失っているんです?」

老人「盗賊じゃよ…北西にある精霊の砦に住み着いている盗賊によって、この町は甚大な被害を受けているんじゃ」

老人「三人の冒険者が討伐に向かってくれてはおるが……正直、皆あまり期待はしておらんのじゃ」

老人「盗賊の首領は、かつて『伝説の勇者』様でさえ手こずった程の猛者だという噂じゃ。女まじりのパーティーなどでは、とてもとても……」

「……そのお話、詳しくお聞かせくださいますか?」

老人は「何故そんなことを聞く? お主は一体何者なのじゃ?」

「私は―――――」

首領「そらそらそらぁ!!!!」

戦士「ぐ…お…!」

 首領は大人二人分の重量はあろうかという巨大な戦斧を、まるで小枝のように振り回す。
 戦士は迫る戦斧に刃を合わせるが、あまりの重さに数歩分後ろに弾き飛ばされてしまった。
 速度ではまだ戦士に分があるだろう。だが、威力では完全に負けていた。
 そして、尋常ならざる重みの戦斧を受け続けたせいで腕は痺れはじめ、遂にはその速度すら劣り始めていた。

首領「思ったよりはやるがなお嬢ちゃん。その程度じゃ俺の首を取ることなぞ出来んぜ」

戦士(く…そ…! 何故だ…! 何故こんな輩がこんなにも強い精霊の加護を……!!)

首領「そらぁ!!」

 振り下ろしてきた戦斧を大剣で受け止める。
 しかし威力を受け止めきれず、戦士の剣は戦斧に押され地面を叩いた。
 戦士の持つ剣が、上から首領の戦斧で押さえつけられる形である。
 にやりと首領が笑う。戦士は咄嗟に剣から片手を離し、顔を庇った。

首領「よいしょおッ!!」

 首領の裏拳が防御お構いなしに戦士の顔に叩き付けられる。
 戦士の体が吹き飛び、床をごろごろと転がった。

首領「おお…まだ剣は離さねえか。さすがぁ」

 首領の言葉通り、戦士はまだ剣をしっかりと握りしめたまま立ち上がる。
 だが、頭部に強い衝撃をうけたことにより、平衡感覚を著しく奪われていた。
 剣を杖代わりにして何とか体を支える。
 そんな状態で首領の動きを追いきれるわけもない。
 戦斧の柄の部分で腹部を思い切り叩かれ、戦士は遂にその場に崩れ落ちた。

赤髪「そらよっと!!」

 曲刀二刀流。
 変幻自在に踊る赤髪の盗賊の剣を、しかし武道家は見事に躱しきる。

赤髪「マジか~これも避けちゃうのかよショック~。もしかして、もしかしなくても、アンタ俺より速いんじゃねえの?」

武道家「次はこちらから往くぞッ!!」

 武道家の連撃。
 赤髪の盗賊は器用に躱すが、連撃の最後、武道家の手甲から飛び出すスピアが服の腹部分を掠めた。

赤髪「だあぁやべえ!! こりゃ一対一じゃ勝てんわ。おい出っ歯! なにぼぅっとしてんだお前も働け!!」

出っ歯「あ、ああ!」ダダッ!

赤髪「馬鹿野郎が! こっち来てどうする!! あっち狙うんだよ、あっち!!」

 そう言って赤髪の盗賊が指差したのは僧侶の方だった。

武道家「貴様……!!」

赤髪「おいおいまさか卑怯とか言うなよ? 敵の弱い所狙うのは当然の戦術だぜ」

出っ歯「うらあーーーー!!」

僧侶「う、うう…!」

 迫る出っ歯の盗賊に対して、僧侶は杖を構える。

出っ歯「ぎゃはは! 隙だらけだぜ!! 接近戦はからきしかぁ~? お嬢ちゃん!!」

武道家「つぁッ!!」

出っ歯「ぶべろっぺ!!」

 一瞬で追いついた武道家が出っ歯の盗賊の後頭部に飛び蹴りをぶち込んだ。

武道家「無事か僧侶!!」

僧侶「は、はい! ありがとうございます!!」

赤髪「あ~、もうちょい時間稼げよ無能め! まあいいや、今はとにかく頭数だ」

 武道家は赤髪の盗賊の方を振り返る。
 赤髪の盗賊は倒れ伏した盗賊の手下たちの口に薬草を突っ込んでいた。

赤髪「ホレ! 起きろ無能共!!」

ノッポ「あぁ~…薬草、にがあ~~」

赤髪「てめえらがさっさと起きねえからだよ!! ほれほれほれほれ!!」

わし鼻「いた! 背中蹴るなよ! 今すげえ痛ぇんだから!!」

小太り「へへ…帰ってきたのか赤髪……頼りになるぜ、ホント」

赤髪「てめえらが雑魚過ぎんだよホント。雑魚は雑魚なりに働けよー。てめえらは全員あの女の子狙えな」

 四人の盗賊の目がギラリと光る。
 武道家の額から冷たい汗が流れ落ちた。







 ―――そして三人は全滅した。





赤髪「わし鼻くんの、処女判定のコーーナーー!!」

出っ歯「わーーーー!!」

ノッポ「ど、どんどんどんどん」

小太り「ぱふぱふぱふぱふ!!」

赤髪「はい、では女の子を攫ってきた時恒例の、わし鼻くんの気持ち悪い嗅覚による処女かどうかチェックする時間がやってきました。拍手!」

出っ歯「わー! キモーイ!」パチパチパチパチ!

わし鼻「キモイっていうな!!」

首領「まあまあ、そう邪険にしてやるな。実際、商品価値を計るのにわし鼻の能力にはすげえ助けられているんだぜ」

わし鼻「へ、へへ……」テヘペロ!

赤髪「キモイ! はい! 今回の判定対象はノッポくんによって抑えられている『僧侶』の子と、ボスに散々ぶちのめされてそこで立てなくなってる『戦士』の女の子でーす!」

戦士「やめろ……僧侶に……触るな……」モゾ…

赤髪「おお…まだ意識あんの? さっすがぁ…」

首領「………」

赤髪(あ、ボスが良い顔してる。こりゃこの子、相当ボスに気に入られちゃったな。気の毒に)

赤髪「戦士ちゃんっていうんだっけ? 安心してよ戦士ちゃん。君のお友達の僧侶ちゃん? で、合ってるのかな、名前」

赤髪「僧侶ちゃんは大した怪我してないよー。大事な商品だからね。むしろ怪我させないように意識奪うのにすげえ気ィ使いました。褒めて褒めて?」

戦士「僧侶に……触るな……」

赤髪「それはこれからの判定次第!! ではわし鼻くん、早速どうぞ!!」

 赤髪の盗賊の合図と共に、わし鼻の盗賊はその鼻先を無遠慮に僧侶の下腹部に近づけた。
 意識を失っている僧侶にそれを拒むことは出来ない。
 戦士はがりりと奥歯を噛みしめた。

わし鼻「むむむ、これは…まさか、これは~?」

赤髪「それではわし鼻くん、判定をどうぞ!!」

わし鼻「はい!! この子は処女じゃありません!!」

首領「マ~~ジかよぉ~~~!!!!」

 声を上げて崩れ落ちたのは盗賊の首領だ。

首領「この器量で、『僧侶』で、しかも処女だったらすげえ高くで売れるのにィ~~!!!! ちょ、超勿体ねええええええええ!!!!」

 しかし、血涙を流す勢いで悔しがっているのは首領だけで、他の面子はどこかにやにやしている。

赤髪「まあまあボス、抑えて抑えて。ほいじゃ、戦士ちゃんの方の判定、いってみよっか」

戦士「やめろ…触るな…!! くそ…!!」

 戦士は必死にもがくが、既にぎりぎりまで体力を削られた現状では、取り押さえてくる盗賊の腕を振り払うことは叶わない。
 無遠慮に自分の下腹部に鼻先を近づけられることに、耐え難い恥辱を覚え、戦士は唇をかむ。
 目には涙を浮かべ、顔は羞恥で真っ赤に染まっている。
 だが、どうしようもなかった。

わし鼻「判定!! この子は処女です!!」

戦士「~~~~~~!!!!」

首領「い、意味ねええええええええ!!!! 駄目だよ処女でもこの子売れねえよぉ~! だってこの子体力戻ったらお客さんぶち殺すも~~ん!! そんな子売れないよぉ~~!!」

 またも崩れ落ちる首領。周りの手下たちは腹を抱えて笑っている。

出っ歯「なあなあなあ、ボス」

 出っ歯の盗賊が笑いながら盗賊の首領にすり寄る。
 だが、その笑みの性質は先ほどまでのものとは異なっていた。
 それは、とても下卑た笑みだった。

出っ歯「こっちの『僧侶』の子さ、処女じゃないなら、オッケーだよな? 『味見』しても、おっけーだよな!?」

戦士「……ッ!? 貴様ら、ふざけ…!」

首領「あぁ~、いいよ。好きにしな。元々お前らの戦利品みてえなもんだしな」

戦士「……ッ!!」

出っ歯「いやっほぉ~~~!!!!」

小太り「おいてめえなに先走ってんだ!!」

ノッポ「じゅ、じゅんばん……決める……」

戦士「やめろ……僧侶に触るな……!!」

出っ歯「何言ってんだ!! こいつらをここまでおびき寄せたのは誰だと思ってんだ!?」

わし鼻「こうやって捕まえられたのは誰の手助けがあったからだ!?」

戦士「触るな……うぐ……くそ……」




戦士「僧侶に……触るなぁぁぁぁああああああああ!!!!!!」









武道家「そうだ……その子に、触れるな」






 倒れ伏していた武道家が跳ね起き、盗賊たちの間に割り込み僧侶を抱え、一瞬でドアの所まで回り込んだ。

赤髪「……まさかまだそんなに動けるとはねぇ~。ちゃんと止めを刺しておくべきだったな」

 武道家の顔から滴る血が僧侶の頬に落ちる。
 その拍子に、僧侶は目をゆっくりと目を開けた。

僧侶「武道家…さん……?」

武道家「……すまないな。俺では、お前たちを守ってやることが出来なかった。せめて、お前だけでもここから逃げおおせろ」

僧侶「そんな…! 駄目です、私だけ逃げるなんて、そんなこと……!!」

武道家「お前がここに残って何が出来る。頼むよ……聞き分けてくれ。お前たちが奴らに組み敷かれるなど……死ぬより辛い」

僧侶「………ッ!!」

 僧侶はぶんぶんと首を振っていたが、やがて武道家の手により部屋から押し出された。

武道家「安心しろ…戦士も俺が必ず何とかする。この命に代えてもな」

僧侶「助けを…助けを連れて必ず戻ってきます!! それまで、それまでどうか……!!」

武道家「善処する……行け」

 僧侶は駆け出した。武道家は僧侶の後姿を、笑みを浮かべて見送った。

武道家(ここに来るまでにほとんどの罠は発動させたから、帰りは安全なはずだ……達者でな、僧侶)

小太り「誰が行かすか、馬鹿たれがぁ!!!!」

 小太りの盗賊が棍棒を振りかぶり武道家に襲い掛かる。
 既に余力のない武道家はそれを躱しきれない。
 頭部への直撃を避けるのが精一杯で、棍棒は武道家の首元に叩き付けられ、その鎖骨を粉砕した。
 だが。

武道家「お、おおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 死力を振り絞り、武道家は小太りの盗賊の顔面に拳を打ち込む。
 小太りの盗賊は意識を失い、その場に前のめりに崩れ落ちた。

武道家「誰一人、一歩も通さんよ……ここから先へはな……」

 パチパチパチと、手を打ち鳴らす音。
 赤髪の盗賊が、その手を叩き、武道家に喝采を送っている。

赤髪「いやー大したもんだ。既に死に体だというのに、その気迫。もしかしたら本当に俺達はそのドアをくぐることが出来ないかもしれない」

武道家「……?」

赤髪「でもさ~、あの子の後を追うのに、別にそこ通る必要なくない?」

 赤髪の盗賊は、窓から中庭の様子を眺めている。
 その目には、正門をくぐり、外へと飛び出す僧侶の姿が映っていた。

赤髪「出っ歯。この窓から飛んであの子追っかけろ。絶対に逃がすなよ」

武道家「………ッ!?」

出っ歯「へへへ…! 分かったぜ!!」

武道家「ま、待て、オイ!!」

赤髪「ぎゃはは! 何焦ってんの? ちょっと考えりゃ分かんじゃん。馬鹿なんじゃねーの!?」

武道家「く…ッ!!」

赤髪「おっとぉ、行かせねえよ? クク、立場変わっちゃったね。この部屋からは一歩も出さねえよ? 武道家ちゃん」

武道家「ど、どけぇッ!!!!」

赤髪「はい、終わりィー」

 武道家の拳を躱し、赤髪の盗賊は武道家の腹を膝で思い切り蹴り上げた。
 それで、最後。武道家は今度こそ意識を手放し、崩れ落ちた。

赤髪「火事場の馬鹿力なんてちょいと集中力削いでやりゃ、こんなもんだよね。さて、一応小太りも回復させてやっか」

 赤髪の盗賊は再び小太りの盗賊の口に乱暴に薬草を突っ込んだ。

小太り「がはッ! 苦ッ!!」

赤髪「お前一日で何回倒されてんのよ。ダッセェな」

小太り「く…! それもこれも、このクソ野郎が!!」

 小太りの盗賊は、倒れた武道家の体を思い切り蹴り上げた。

赤髪「あ」

小太り「死ね! 死ね! クソが!! クソ野郎が!!」ゴッ!ゴッ!ゴッ!

赤髪「はいストップ」

小太り「ぬああ!?」ズダーン!

 武道家の体を蹴り続けていた小太りの盗賊の足を、赤髪の盗賊が払った。

小太り「何すんだ!!」

赤髪「何すんだじゃねえよ、殺す気か」

小太り「はあ!? 殺さねえのかよ!!」

赤髪「殺さねえよ? そっちの方が面白いからな」

小太り「どういう……ことだよ?」

赤髪「ちょっと考えりゃわかるだろ。そっちの戦士は処女で、あの僧侶は処女じゃなかった。そりゃつまり、あの僧侶の方がコイツのオキニってことだ」

赤髪「あの僧侶はすぐに捕まる。コイツがこんなに必死になって助けようとした女なんだ。コイツの目の前で犯してやった方が絶対楽しいじゃねえか」

小太り「な、なるほど……」

赤髪「分かったか? んじゃ、あの僧侶が捕まるのをのんびり待とうぜ。ノッポ、わし鼻、そいつ抱えて連れて来いよ。取りあえず地下室にでも放り込んでおこうぜ」

ノッポ「こ、ここに、お、置きっぱなしじゃ、だめ、なの…か…?」

赤髪「ちょっとは気ィ使えよ。なあ? ボス」

首領「ん?」

赤髪「今からその女で遊ぶだろ?」

首領「んっふふ……だからお前のことは好きだぜ? 赤髪」

赤髪「そりゃどーも。飽きたら俺にくれよな」

首領「約束しよう」

 大広間には、戦士と盗賊の首領の二人だけが残される。

首領「さて……」

戦士「近づくな……」

首領「そりゃ聞けねえな。待ちに待ったお楽しみタイムだぜ、お嬢ちゃん」

戦士「貴様に辱められるくらいなら……舌を噛んで死んでやる……」

首領「それすら出来ないほど弱っているくせに。このまま抱いてやるのは簡単だが、生憎俺もお人形遊びが趣味ってわけじゃねえ」

 盗賊の首領は戦士の鼻をつまんだ。
 ふが、と力なく戦士の口が開けられる。

首領「ほれ、飲みな」

戦士「もが、がぶ…!」

 戦士の口に奇妙な瓶が突っ込まれた。
 中に収められていた液体がどくどくと戦士の口内に流れ込み、抗うすべもなく戦士はその液体を飲み下す。

戦士「貴様…! 何を……!!」

首領「調子はどうだ?」

 言われて、戦士は気づく。先ほどまで全身を包んでいた痛みと倦怠感が消えている。

戦士「これは…!?」

首領「ちょっと前に商隊から強奪した一品でな。飲めば体力が全快する魔法薬らしい。体力回復したろ?」

 戦士は盗賊の首領の意図が分からず困惑する。
 盗賊の首領はその顔におぞましい笑みを浮かべていた。

首領「やっぱり女は嫌がるところを無理やり犯すに限る。特に戦士、てめえのような勝気な女はな!!」

戦士「……ッ!?」ゾクゥ…!

 戦士は盗賊の首領の体を跳ね除けようと身を反らす。
 しかし、もがくうちに巧みに両腕を頭の上で拘束された。
 両手首を片手で掴まれ、押さえつけられる形だ。

戦士「な…く……!!」

 戦士は驚愕する。
 相手は片手、こちらは両手。
 なのに、戦士は盗賊の首領の手を払いのけることが出来ない。

首領「どんな気分だい? 男に腕力で全く敵わないってのは」

戦士「ぐ…! く…!!」

首領「今まで腕力で負けたことがなかったろう? じゃなきゃ、あの調子こきっぷりは有り得ねえ」

 つつ…、と残った手の指先で、盗賊の首領は戦士の首筋をなぞる。

戦士「ひぅ…!! やめろ!! 離せぇッ!!!!」

首領「そぉだ戦士!! 俺ァそんな顔を見んのがたまんねえんだァ!!!!」

 盗賊の首領は戦士の鎧に指をかけ、腕力で無理やりはぎ取った。
 その勢いに下に着ていた肌着も千切れ、さらしに包まれた戦士の胸が露わになる。

戦士(もう…もう耐えられない……! こんな男に辱めを受けるなら…! ならばいっそ……!!)

 体力は戻っている。
 そう、舌を容易くかみ切れるほどの体力が。

首領「させませぇ~ん!!」

戦士「もが!」

 口の中に布を突っ込まれた。
 これでは舌を噛み切ることも出来ない。

戦士「もがぁ~~~~~!!!!」

首領「頼むぜ戦士!! なるべく長いこと抵抗してくれよぉ!?」

戦士(くそ、嫌だ、こんな、こんな奴に…!! 嫌だ、嫌、嫌嫌嫌……!!)

戦士(助けて……! 誰でもいい……誰か…誰か……)






戦士(誰か……? ―――――誰が?)





 誰もいない。

 武道家は倒れた。

 僧侶は今頃きっと捕まってしまっているだろう。

 町の人々が決起してこちらに向かってくるか?

 あり得ない。ならば他に誰が?

 誰もいない。自分には誰もいない。

 武道家と僧侶以外には、自分には誰も――――――

 ふと、勇者の顔が浮かんだ。

 だが即座に振り払う。

 あいつは私たちを捨てた。

 私もあいつを捨てた。

 それで終わりだ。

 私たちの関係は、そこでどうしようもなく終わってしまっている。

 戦士の目から大粒の涙が零れ落ちる。
 同時に、戦士の全身から力が抜けた。

首領「ありゃ? マジかよ~。もうギブアップ? はえーよ戦士ちゃーん」

 盗賊の首領の言葉にも、戦士は反応を示さない。
 まさしく、自棄。

首領「マジか~、ちょっと追い込み間違ったかぁ? いや、でもまさかこんな脆いなんて思わねえもんなぁ~」

 盗賊の首領はしばらくウンウンと唸っていたが、やがて気持ちを切り替えたのか、さっぱりした面持ちになって言った。

首領「ま、いいや。とりあえず続けよ。もしかしたら破瓜の痛みで我に返るかもしんないし」

 盗賊の首領は戦士のズボンに手をかけ、そして―――――


















































 






 部屋中に振動と轟音が響いた。




 何事かと盗賊の首領は首を巡らせる。
 原因はすぐに判った。
 大広間の壁、その一角が崩れている。
 壁の破片は内側に散らばっていて、つまり何かが壁をぶち破って中に入ってきたのだ、ということは容易にうかがい知れた。
 というより、既に答えは目の前に見えていた。

出っ歯「あ…が…か……」

 僧侶を追って出ていったはずの出っ歯の盗賊が破片の中に埋もれている。
 その上に、一人の男が立っていた。
 大穴の開いた壁から射す日差しを受け、風に揺られたマントがたなびいている。
 その姿を目にして、戦士は信じられないというように頭を振った。

 だって、終わってしまっていた。

 終わってしまっていたはずなのだ。



 なのに何故、アイツは今ここに居て―――


 なのに何故、私の胸はこんなにも高鳴ってしまっている―――――!?



 戦士の体からゆっくりと立ち上がり、盗賊の首領は男に問う。

首領「随分とカッコイイ登場じゃねえか……で? 誰よお前」

 男は淀みない口調で答えた。

「勇者」




勇者「『伝説の勇者』の息子―――――勇者だ」





第八章  伝説を継ぐ者(中編)  終

今回はここまで

乙。

話が前の方へ行っちゃうけど、勇者の母親って勇者が死にそうになった時どう思ってたんだろう。

勇者が生死をさ迷ったのは自分が勇者の父親の血を薄めたからとか思ってたのかな。

>>240
勇者の命の心配なんか毛ほどもしてなかった
何故なら、勇者の父がすることに間違いはないと思っていたから
死んでもかまわない、ってんじゃなくて、死ぬはずないって感じ
実際勇者が死ななかったことで、母はますます父親第一主義の考え方をこじらせていった

とか、そんな感じ?

 僧侶は涙で滲む視界の中、必死に町に向かって駆けていた。
 背後からは、出っ歯の盗賊が下品な野次を飛ばしながら追ってきている。

僧侶(どうして…! どうして、私、こんなに足が遅いの…!)

出っ歯「おらぁ!! ケツぷりぷりさせて走ってんじゃねえよ!! これ以上俺を興奮させてどうしようってんだてめえはぁ!!」

僧侶(やだ…! 捕まっちゃう…折角武道家さんが助けてくれたのに……なんにも出来ずに捕まっちゃう……!!)

出っ歯「おうらぁ!!」ガッシィ!

僧侶「いやぁ!!」

 遂に僧侶は盗賊の手に捕らえられた。
 掴まれた腕を振りほどこうと僧侶は必死で身をよじる。

出っ歯「無駄な足掻きを……してんじゃねえっ!!」

僧侶「ああっ!!」

 僧侶の体は腕力で無理やり地面に引きずり倒された。
 その上に盗賊は馬乗りになる。
 走った直後故ということもあるのだろうが、興奮状態で盛大に息を荒くする盗賊の様子は僧侶の不快感を殊更に煽った。

出っ歯「ふへへ…も、もう我慢できねえ。連れて帰る前に、一発ここでぶち込んでやるぜ…! げへ、ふへへ…!」

僧侶「い、やぁ……!!」グググ…!

出っ歯「けへへ…弱っちい抵抗だねえ。そんなもん、俺を盛り上げるスパイスにしかならねえよ僧侶ちゃあん!!」

僧侶「いやぁーーーーーーーーーーッ!!!!」

出っ歯「叫んだって誰も助けになんて来やしねえよぉ!! ぎゃははははははッ!!!!」


「―――そうでもないさ」


 いつの間に現れたのか、一人の男が盗賊を見下ろしていた。

勇者「彼女が叫んでくれたおかげで―――俺はこの場所に追いつくことが出来た」

 ――――『盗賊のアジト』に向け、天高く上空を勇者と出っ歯の盗賊は飛ぶ。

勇者「二人が居る部屋は二階北東の部屋だったな?」

出っ歯「は、はい…そうです…」

 勇者は眼下に見えてきた盗賊のアジトを睨み付ける。

勇者「ならそろそろか……『翼竜の羽』を渡せ」

出っ歯「は、はあ…」

勇者「『呪文・火炎』」

 勇者の手の中で『翼竜の羽』が燃え尽きた。

出っ歯「なああああああああああああああああ!!!?? 何考えてんだ!? 羽が無けりゃ、無事に着地するための最後の浮力が発生しねえ!!」

出っ歯「このままじゃ、この速度のまんま、アジトに突っ込んじまうじゃねえか!!!!」

出っ歯「…おい、何してんだ、離せ! おい、まさかお前!!」

出っ歯「お、俺をクッションに使うつもりか!!!?」

出っ歯「は、話が違う! 『翼竜の羽』でお前をアジトまで案内すりゃ、それで解放してやるって…!!」

出っ歯「ち、ちくしょう!! ちくしょう!! うわああああああああああああああああああああああ!!!!!!」






第八章  伝説を継ぐ者(後編)




 ―――盗賊のアジト、二階大広間。

出っ歯「あ…が……」ガラ…

首領「壁をぶち破って突っ込んで来るとはな……一体どうやったんだ?」

勇者「答える必要はない」

首領「ふーん、あっそ……まあいいや。それにしても勇者……勇者ねえ……」

 盗賊の首領の顔に獰猛な笑みが浮かぶ。

首領「あの野郎、息子が居やがったのか…!! こりゃいいぜ、積年の恨みをここでてめえ相手に晴らしてやる!!」

 盗賊の首領が戦斧を構え、勇者に向かって駆けだした。
 呼応するように勇者も剣を抜き、構える。

首領「馬鹿が…!! なまっちょろい剣ごとぶち折ってやらあ!!」

 振り下ろされる首領の一撃。
 戦士の膂力すら上回るその攻撃を―――勇者は刃を斜に構えて受けることで受け流した。
 かつての戦士との決闘の際にも使用した技術だ。

首領「おお!?」

 戦斧の一撃を流された首領はその勢いのままに前方の瓦礫の山に突進した。

出っ歯「ぐぎゃあああああ!!!!」

 押し潰された出っ歯の盗賊が断末魔の叫びを上げる。

首領「お、悪ぃ」

 首領はさして気にした風もなく、後ろを振り返った。
 首領とすれ違う形になった勇者は、いつの間にか戦士の傍に屈みこんでいた。

戦士「き、貴様…何故……」

勇者「話は後です。武道家はどこに? 僧侶さんからはこの部屋にいると聞いていましたが…」

 勇者の雰囲気にどこか違和感を覚えた戦士だったが、今は勇者に言われるがまま状況の説明を優先した。

勇者「地下に連れていかれた、か。戦士…さん、見たところ大きな怪我はないようですが、体は満足に動かせますか?」

戦士「あ、ああ」

勇者「ならば武道家の救出をお願いします。もう少しすれば、『出っ歯の盗賊に化けた僧侶さん』も戻ってくるはず。合流し、二人で行動してください」

戦士「は、はあ?」

 勇者の言葉の意味が分からず、困惑する戦士。

勇者「とにかく、砦内で出っ歯の盗賊を見かけたら攻撃しないように。戦士さんの話を聞いた限りでは武道家がすぐに殺されることはなさそうですが……それでも、今どんな目にあっているかわからない。急いでください」

戦士「お、お前はどうするつもりだ」

 戦士の問いに、勇者は笑みを浮かべた。

勇者「『伝説の勇者の息子』として為すべきことを為すだけ――――盗賊の首領を、ここで足止めします」

 そう言って微笑みを浮かべた勇者の姿に、戦士は何か言い知れぬ不安を感じたが――――今は状況を優先するしかなかった。

 戦士は砦の中を駆ける。
 階段を飛び下り、一階へ到達。地下への入口を探す。

「戦士!!」

 その途中で、突如背後から名を呼ばれた。
 振り返り、声の主の姿を確認する。
 果たして、そこに居たのは二階大広間で瓦礫に埋もれていたはずの出っ歯の盗賊であった。

戦士「ッ!!」

出っ歯の盗賊(?)「きゃあ!! 違う違う!! 私よ戦士!!」

 反射的に剣を構え、すんでの所で踏みとどまる。
 恐る恐る、戦士は目の前の人物に確認した。

戦士「僧侶…なのか…?」

僧侶「ええ!! その様子だと勇者様は間に合ったみたいね! 安心したわ!」

 戦士の目の前で出っ歯の盗賊がきゃぴきゃぴ跳ねている。
 戦士の口元がひきつった。
 中身が僧侶だというのは分かっているが、やはりどうにも落ち着かない。

戦士「いや、しかしなんだ……どういう事なんだ? その姿は……」

僧侶「『変化の杖』。勇者様から預かったアイテムよ。なりたい人物を頭の中でイメージするだけで、その人物に化けることが出来るの」

戦士「とんでもないアイテムだな……あいつ、そんなものをどこで……」

僧侶「勇者様は私たちの与り知らぬ所で冒険を続けてらした。あの時はやはり武道家さんの言う通り、何かお考えがあって戦闘を一時的に離脱したに過ぎなかったんだわ」

戦士「………」

僧侶「武道家さん…そうだわ、戦士。武道家さんは? 姿が見えないようだけど……それに、勇者様は今どこに?」

戦士「武道家は地下室に連れていかれた。勇者は盗賊の首領の足止めをしている。私は勇者の指示で、今地下への入口を探しているところだったんだ」

僧侶「なんてこと……急いで地下室を探しましょう!!」

 元々貯蔵庫としての役割を持っていた地下室である。
 特に隠ぺいされているということもなく、入口はあっさり見つかった。
 耳をすませば、地下へ降りる階段の奥から男たちの話し声が聞こえてくる。

戦士「これからどうする?」

僧侶「私がこの姿で中に入り、何とか武道家さんの傍に寄ります。そして、武道家さんを回復し、解放します」

戦士「ならばそのタイミングで私も突入し、一気に盗賊を殲滅する」

僧侶「では、戦士。頃合いを見計らって、お願いします」

戦士「気を付けろよ」

 僧侶は戦士に頷いて返すと、ごくりと喉を鳴らして地下への階段を降りる。
 陽の光は無く、灯明台によってのみ照らされた空間はぼんやりと薄暗い。
 階段を降り切った所には一畳分ほどの廊下がある。
 その先のドアが、わずかに開いていた。男たちの声は、そこから漏れていたものだった。
 意を決して、僧侶はドアの隙間に顔を寄せる。


 男たちが、思い思いに座り、杯を呷っていた。
 赤ら顔になっている者がいるあたり、中身は恐らく酒だろう。
 干し肉を齧り、陽気に笑い合う男共。
 その奥で、武道家は壁に背を預け項垂れていた。
 否、壁際に打ち捨てられていた―――そう表現した方が正しかろう。
 それほどに、武道家は酷い有様になっていた。
 僧侶と別れた時よりも更に傷は増え、ぼろぼろになっている。
 手の指などは、四方八方バラバラの向きに折れ曲がっていた。
 地下室に連れ込んだ後、男たちが更に武道家に暴行を加えたことは明白だった。


 僧侶はドアを開き、部屋の中へ踏み込んだ。

小太り「誰だぁ? おう! 出っ歯じゃねえか!!」

わし鼻「遅かったなぁ。あれ? お前なんで一人なんだよ」

ノッポ「ま、まさか、逃がし、たぁ~?」

出っ歯「馬鹿言うなよ。そんなわけあるかっつーの。ただ、あの女があんまり煩かったもんだから、ちょっと眠ってもらってんだ」

赤髪「はは、流石の出っ歯もそこまで無能じゃなかったか。で、女は?」

出っ歯「すぐそこまで引っ張って来てるよ。部屋ん中見たらおもしれえことになってたから、思わず女置いて先に入ってきちまった」

出っ歯「で? なんだコイツ。何でこんなにボロボロになってんだ?」

赤髪「そこのイケメン嫌いの方々がよぉ~、まるでこの世の理不尽に対する憤りを全てぶつけるかのようにぼっこぼこよ。もう容赦なしよ」

わし鼻「てへぺろ!」

小太り「イケメン死すべし!!」

赤髪「こら! それだと俺も死ななきゃいけないだろ!!」

出っ歯「ははは……生きてるのか?」

赤髪「おう。ギリギリな。どうせならコイツの目の前であの女犯してやろうと思ってな。今は意識失ってるけど、薬草口に突っ込みゃ目ぇ覚ますだろ」

出っ歯「そうか……」

 出っ歯の盗賊は武道家の傍に屈みこむ。
 震える指で武道家の頬に触れ、耳を口元に近づけた。
 呼吸は、ある。浅く、とても弱弱しいものであるが、確かに。

出っ歯「……るさない」

赤髪「あん? 何だって?」

出っ歯「絶対に許さないと言ったんです!! この、人でなしッ!!」

 出っ歯の盗賊は―――僧侶は、呪文を発動させる。
 青白い光が武道家の体を包み込んだ。

僧侶(絶対に死なせない―――この人だけは、絶対に死なせない!! 傷一つ残さず治してみせる!)

 強い思いは、確固たる決意は彼女の呪力を一つ上の領域へ押し上げる。

僧侶「『呪文・――――大回復』ッ!!!!」

 今まで僧侶が行使してきた回復呪文と比較して、実に三倍以上の速さで武道家の傷は治療されていく。
 腫れ上がっていた武道家の顔が、折れ曲がっていた指が、見る見るうちに元に戻っていく様子を見て、赤髪の盗賊は目を見開いた。

赤髪「何してやがる。誰だてめえ――――出っ歯じゃねえな!?」

僧侶「戦士ッ!!」

 僧侶の叫びと同時に戦士が部屋の中に飛び込んできた。
 戦士は瞬く間に扉近くに陣取っていたノッポの盗賊を打ち倒す。

赤髪「何ィ~~!? 何でお前が!? どうやってボスから逃げ出した!? くそ、さっきのでっけえ音が関係してんのか!?」

小太り「や、野郎!!」

戦士「遅いッ!!」

 慌てて立ち上がる小太りの盗賊とわし鼻の盗賊だったがしかし、戦士の攻撃に全く対応できずあっさりと斬り捨てられた。

赤髪「ち、ちくしょう……」

??「おい」

 曲刀を構え、戦士に対して向き直った赤髪の盗賊に、背後から声がかけられた。

武道家「どこを向いている。貴様の相手はこの俺だ」

 赤髪の盗賊は目を剥いた。
 出っ歯の盗賊の姿は既になく、立ち上がった武道家の傍には僧侶が佇んでいる。

赤髪「なんだそりゃ……ずりぃなあ。どんな魔法使ったんだよ」

 完調に復帰した戦士と武道家に挟まれて、赤髪の盗賊は苦笑することしか出来なかった。

武道家「そうか…勇者が……」

 盗賊たちを全滅させた後、状況の説明を受けた武道家は微笑みを浮かべた。

戦士「急ごう。悔しいがあの首領は強い。とても勇者一人で手におえる相手ではない」

武道家「そうだな。足止めをすると言った以上、防御に徹してはいるのだろうが……それでもあの首領が相手だ。何がどうなるかわからん」

僧侶「勇者様…!」

武道家「だが、大丈夫だ。俺達は四人揃った。全員が力を合わせれば、あの程度の盗賊など取るに足らん相手さ」

戦士「ふん…」

武道家「どうした、戦士。まさか、それでも俺達が負けるとでも?」

戦士「……馬鹿を言うな」

 戦士は―――笑みこそ浮かべなかったが、それでも自信の漲った声で言った。

戦士「負ける気など―――私も、していないさ」




 階段を駆け上がり、二階の大広間へ―――


 扉を開けた戦士たちの目に飛び込んできたのは――――




首領「た、頼む! 許してくれ、殺さないでくれえ!!」

 恥も外聞もなく命乞いをする盗賊の首領と。

勇者「駄目だ―――あまり動くなよ。手元が狂う」

 それを拒絶し、首領の首を斬り飛ばす勇者の姿だった。

 数分前―――二階大広間。

首領「うらぁッ!! おらッ!! とりゃあッ!!」ブンブンブン!

勇者「くっ…! ぬ、あ…!!」ギンギンギン!

 次々繰り出される盗賊の首領の攻撃を、勇者は何とか受け流す。
 一撃でもまともに受ければ先ほどの首領の宣言通り剣を叩き折られてしまうだろう。

首領「ぬああ!!!!」ダーン!

 苛立ちから殊更大きく振り下ろされた戦斧は勇者の体を捉えず、地面を叩く。
 石畳の床に大きな亀裂が走り、改めて首領の一撃の重さを勇者に実感させた。

首領「うぜえ!! うざってえ!! なんなんだてめえは、クソつまんねえ戦い方しやがって!!」

 ぎろりと勇者を睨み付け、首領は威圧するように戦斧を振り回す。

首領「防御、防御、防御、防御……たまにはてめえの方から仕掛けてきやがれってんだ!! てめえが『伝説の勇者』から受け継いだのはそんな臆病者の剣だってのかぁ!!?」

勇者「ふ、はは……」

 首領の戦斧を受け流すだけで既に満身創痍の勇者だったが、首領の罵倒を受けて思わず零れたのは笑みだった。

首領「てめえ、何を笑ってやがる」

勇者「受け継いじゃあいないよ……俺は、親父からなーんにも受け継いじゃいない」

首領「あぁ?」

勇者「俺の方こそちょっと聞きたいね。どうしてアンタ、そんなに強いんだ?」

 勇者が口にした疑問。それは、先ほど首領と相対した戦士も同様に抱いていたものだ。

勇者「精霊の加護を得るには体を極限まで鍛え抜く必要があり、精霊の加護を高めるには魔物を屠り、多くの精霊に認められる必要がある」

勇者「或いは、精霊を奉る『神殿』を汚れから解放するか……」

勇者「俺には、どうもアンタがそんな殊勝なことをする人間には見えない。それとも実は、昔は魔王討伐に燃えてた若者だったりしたのかい? だとしたら驚きだが」

首領「く、ふふふ……」

 勇者の問いに、首領からたまらずといった様子で笑みがこぼれた。

首領「かははは!! そうか、そりゃそうだ! てめえらみてえないい子ちゃん連中は知らねえかもしれねえなあ!!」

勇者「どういう意味だ?」

首領「小僧……お前、人を殺したことが無いだろう?」

勇者「……ない。だが、それがどうしたってんだ」

首領「加護持ちの人間が死んだとき、そいつが持っていた精霊の加護はどうなると思う?」

勇者「土地の精霊の元へ還る。当然だ」

首領「そう、通常、事故や病による死や魔物に殺された時などはそうなる。だが、例外は存在する」

勇者「まさか……!」

首領「そう、それが『人間に殺された時』だ。その時、加護の力は全てが土地の精霊に還るわけではなく、一部は殺した人間に移り変わる」

首領「この現象を、知る人間の間では『加護の継承』と呼んでいる。なあ、勇者よ。これが何を意味するかお前にわかるか?」

勇者「……ッ!!」

首領「いい顔だ。賢しいな。気付いたか。そうさ、精霊が加護を与える基準に、善悪など存在しない!!」

首領「誰でもいいんだよ奴らは!! こいつよりコイツの方が強いのか、ならそっちにしよう、そんなもんだ!! 頭空っぽの尻軽共、実に俺好みの性格してやがるぜ!!」

首領「だから俺はお前らが精霊様、精霊様と奴らを祭り上げる様が可笑しくってしょうがない!! 信仰など不要!! 奴らと仲良くなりたいなら簡単だ、力を示せばいい!!」

勇者「……理屈は分かった。じゃあ、アンタ……それだけの加護を得るのに加護を得た人間を一体どれだけ殺してきたんだ」

首領「覚えてねえよ、そんなもん」

勇者「加護を得るまでに己を鍛えた人間ってのは、大半が志高い人物だ。国を守るため、家族を守るため……或いは、世界を守るため、魔王討伐を志していた人間もいたかもしれない」

首領「ああ、いたな。そりゃ確かに」

勇者「……お前は、何とも思わないのか!! 魔物に侵略されているこんな世界の中で、どうしてそこまで自分勝手でいられるんだッ!!!!」

首領「世界だなんだ、周りの状況なんて知るかよ。俺はただ、俺が幸せになるために生きている。そしてそのために、お前も今からここで死ぬんだぜ、勇者ッ!!!!」

 盗賊の首領が一足飛びで勇者との距離を詰める。
 勇者の反応が遅れた。
 振り下ろされる戦斧。勇者は身をよじり、躱すことを選択する。
 胸元を掠めた刃が勇者の皮膚を裂いた。

首領「ちっ、浅かったか」

勇者「が、く……」

首領「ん…?」

勇者「いた、い…痛い……!」

 盗賊の首領は怪訝な目で勇者を見る。
 様子が変だ。
 手応え的に、それ程深いダメージが通っているとは思えない。
 にもかかわらず、勇者の顔からは汗が吹き出し、目は虚ろで、足元はがくがくと覚束なくなるほど震えていた。

首領「なんだぁ…?」

勇者「ひ…!!」

 首領が一歩勇者ににじり寄ると、勇者は飛び跳ねるように首領との距離を取った。

首領「……おいおい、その程度の傷でおたついてんじゃねえよ。ガキかてめえは」

勇者(痛い、痛い…! 痛いのは嫌だ、死ぬのは嫌だ…怖い、ああ、いやだ…!!)

 勇者は自身の胸元を手で拭う。

勇者「あ、ああ…!!」

 手に真っ赤にこびりついた血を見つめ、勇者は震えていた。涙ぐんでさえいた。
 獣王との邂逅後、生死の境を彷徨ったことで、勇者の心には幼いころのトラウマが鮮明に蘇っていた。
 許されるのならば、すぐにこの場から逃げ出したかった。

 だけど、逃げられない。

 『伝説の勇者の息子』として、絶対にこの場から逃げ出すことは許されない。


勇者(痛い痛い怖い怖い嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない!!!!)

首領「へへへ…」

 盗賊の首領は愉快そうに笑みを浮かべ、ゆっくりと勇者との距離を詰めてくる。
 勇者は震える足を叩き、零れる涙を拭って、込み上げる吐き気を飲み込んだ。

勇者(痛いのは嫌だ、怖いのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、死にたくない―――――)







勇者(死にたくないなら――――先に殺すしか、ない)






勇者「『呪文・睡魔』」

 勇者は言霊を発し、盗賊の首領を指差した。

首領「むお…!?」

 突然襲って来た眠気に盗賊の首領は必死に抗う。
 頭を大きく振り、気合を入れることで何とか盗賊の首領は眠気を吹き飛ばした。

 ―――次の瞬間首領の目に飛び込んできたのは、目の前に迫った勇者が自身の首元を狙って剣を振りかざす姿だった。

首領「うおおおお!?」

 必死に戦斧を合わせ、勇者の刃を打ち逸らす。
 切っ先が腕を掠めた。走る痛みに盗賊の首領は奥歯を噛みしめる。

首領「なんだ今の眠気は……てめえがやったのか!?」

 勇者は答えず、今度は真っ直ぐ首領に向かって駆けだした。

首領「真正面からだと…!? 舐めんな!! 叩き潰してくれる!!」

勇者「『呪文・火炎』」

 勇者の指先から放たれた火球が首領の顔を襲った。

首領「ぐおお!!」

 熱によるダメージはさほどでもない。このような初級呪文で甚大なダメージを負うほど柔な加護は受けていない。
 だが目の前に広がる炎の赤。視界を奪われた。それが致命的だった。
 やぶれかぶれで首領は戦斧を振り下ろす。が、勇者には届かない。
 手に残るのは再び石畳を叩いた感触のみ。
 太ももに強烈な痛みが走った。

首領「あ、がああああああああああ!!!!」

 ようやく効力を失った火球が首領の顔から散る。
 勇者は首領の背後側に立っていた。
 痛みがあった足を確認すると、左太ももが大きく裂かれていた。
 出血が夥しい。
 このままではまずいと首領は薬草を傷口に刷り込んだ。
 血は止まったが、機能を回復させるまでには至らない。
 この足では満足に踏ん張りがきかず、とても全力で戦斧を振り回すことなど出来そうにない。
 勇者が再び襲い来る。
 次々に繰り出される刃を、盗賊の首領は防御に徹し、ひたすら防いでいく。

首領(いつだ…!? 次は、いつ、どんな呪文が来る……!?)

 勇者の右手が剣の柄から離れた。盗賊の首領は警戒し、右手の動きに注視する。
 勇者は左手一本で突きを繰り出してきた。
 右手の動きにつられていた首領の反応は遅れ、その肩口に勇者の剣が深々と突き刺さる。

首領「ぎゃあああ!!!! ちっくしょおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 盗賊の首領は捨て身の行動に出た。
 肩に刺さった剣を左手で握りしめ固定する。
 この剣は抜かせない。抜く前に―――殺す。

首領「死ねやおらああああああああああああああああ!!!!!!」

 首領は残った右腕で戦斧を振りかぶる。
 勇者の剣は固定した。無理やり引き抜こうとしてもその間に戦斧が勇者の頭を叩く。
 逃れるには剣を離すしかない。剣を失わせることが出来れば、形勢逆転することは容易い。

勇者「『呪文・烈風』」

 風の塊が戦斧の横っ腹を叩いた。
 軌道を逸らした戦斧の刃は勇者のマントをわずかに掠めただけで、三度石畳を叩いた。

首領「は…?」

 盗賊の首領が唖然とした隙に、勇者は剣の柄を両手で持って、肩で担ぐように思い切り引っ張った。
 刃を掴んだままだった首領の手が切り裂かれ、何本かの指が地面に落ちた。

首領「あっひいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 左足に続いて、左手も機能を失った。
 この状態での勝ち目はもはやゼロに等しい。

首領「なんなんだ…!! なんなんだてめえはぁ!! 呪文も剣も使えるなんて、そんなもん反則だろぉ!!」

 勇者は答えない。
 無表情のまま、再び剣を構える。
 その冷たい眼差しに、盗賊の首領の背筋が凍った。
 思わず盗賊の首領は戦斧を放り投げ、その場に跪いていた。

首領「た、頼む!! 命だけは、命だけは助けてください!!」

 ぴくり、と勇者の肩が震えた。

首領「お、お願いします! もう二度と悪いことはしません!!」

勇者「しかしお前たちはかつて一度親父に見逃された後で、悪事を働いている」

首領「今度こそ心を入れ替えました!! それに、見てください! こんな手じゃ、もうまともに武器を振ることなんて出来ません!!」

勇者「お前の実力なら片手でも十分に戦えると思うがな」

首領「いえ、いいえ! あなた様と、あなたの父上様に懲らしめられたことでようやく悪はこの世に栄えないということを実感することが出来ました!!」

勇者「……お前がそれを実感するまでに、一体何人が犠牲になった」

首領「悔やんでも悔やみきれません。この償いは必ず行います……」

勇者「その言葉、神に誓えるか?」

首領「は、はい!!」

勇者「そうだな……確かに、その言葉を信じ、慈悲の心で許してやるのが人として正しい行いなのかもしれない」

首領「さすが、『伝説の勇者』様の息子様!! 心が広ぇや、へへへ!!」

勇者「だけど万が一……万が一、お前が心を入れ替えなかった場合の事を考えると、やはりそういうわけにはいかないんだろうな」

首領「……へ?」

勇者「もしかしたら、お前は本当に心を入れ替えてこれからは善人として人々のために生きていくのかもしれない。だけど、万が一そうじゃなかったら、また新たに犠牲となる人が増えてしまう。そういう可能性は、やっぱり残しておいちゃ駄目だと思うんだよ」

首領「ば、馬鹿な!! そ、そんな考え方!! ただ、念の為にって、そんな、そんな感じでお前は俺を殺すのか!?」

勇者「……ああ。そうか、そうだな。その通りだ」

 自分の為ではなく、誰かの為でもなく、怒りに燃えた訳でもなく、何の大義もなく。

勇者「俺は……『念の為に』お前を殺すんだ」

 ―――盗賊の首領の首が舞う。
 その返り血に染まり、勇者はぼそりと呟くように言った。

勇者「ああ…『加護の継承』…成程確かに……加護の高まりを感じるな……」

武道家「ゆ、勇者……」

勇者「武道家…無事だったのか。良かった……それにタイミングもいい。もしかしたら、精霊の加護は皆にも移っているかもしれない。……どうだ?」

武道家「む…?」

僧侶「え、あ…確かに…」

戦士「精霊の加護が強化されているな……これは一体……」

勇者「やっぱり手を下した奴以外にも移るんだな。そうだよな、土地に縛られる精霊は戦闘そのものを観察できる訳じゃない……半ば自動的にその場にいる人間に移るような仕組みになっているのかも……」ブツブツ…

武道家「どうしたんだ? 勇者。何を言っている?」

勇者「ああ、いや、すまない……何でもない。何でもないんだ…」

戦士「勇者……この盗賊はお前が一人で倒したのか?」

勇者「は、はい…」

戦士「すまんが、お前のレベルでは到底太刀打ちできる相手ではなかったはずだ。一体どうやって……」

勇者「不意打ちで呪文を使って、たまたま隙を突けただけです…本当に、大したことは何も……」

武道家「何だその敬語は。何キャラ気取りだお前は」

勇者「いや、はは…」

戦士(勇者の剣の腕前は私にすら数段劣る……それ程の差を覆すことが出来るのか。呪文というものは……)

戦士(勇者は…私との決闘の時は全然本気を出していなかったということなのか…?)

僧侶「勇者様、今回は危ない所を助けていただき、ありがとうございました!!」

勇者「いや、その、俺はただ……」

武道家「いや、本当に助かった。手紙にも書いたが、改めて痛感したよ。このパーティーはお前があってこそだ」

僧侶「はい! 勇者様、どうかこれからもよろしくお願いいたします!!」

勇者「え…? いいのか? 俺、このまままたこのパーティーに参加させてもらっても……いいのか?」

僧侶「勿論です! むしろ、こちらからお願いさせてもらうべきところです!! 勇者様、どうかこれからも私たちを旅のお供とさせてください!!」

武道家「何度も言わすな。このパーティーはお前が居なくては成り立たん。これからもよろしく頼むぞ、勇者」

勇者「あ…ああ! ま、任せろ!!」

武道家「……」ジ~…

僧侶「……」ジ~…

戦士「な、なんだよ。こっちを見るな」

僧侶「ほら、戦士も言わなきゃいけないことがあるんじゃないの?」

戦士「ふ、ふん! こ、今回の件で借りが出来たからな!! しょうがないから、お前の同行を認めてやる!!」

戦士「だがな! あれ程の醜態を晒した後なのだ! 今度無様な姿を晒したら即刻出て行ってもらうからな!!」

武道家「やれやれ、まったく強情な奴だなお前は」

僧侶「まったくもう、素直じゃないんだから戦士ったら」

戦士「な、なんだ? 何でそんな生暖かい目で私を見る? や、やめろお前ら!」

武道家「顔が赤いぞ、戦士」

僧侶「ごめんなさいね勇者様。この子なりの照れ隠しなんですよ~」

戦士「だぁ~違う!! 本気にするなよ勇者!!」

勇者「………」



 ――――少しだけ、この時の戦士の言動について擁護しておきたい。

 彼女は何も、かつての勇者の逃亡を責めるつもりがあってこんなことを言ったのではない。

 むしろ、逆。

 『変化の杖』という新たなアイテムをどこかから手に入れていたこと。自分達の窮地にしっかりと助けに来てくれたこと。

 これらのことから、戦士は勇者がただ逃亡したのではないということを既に確信していた。

 だからこそ、気軽にあんな言葉が出てきたのだ。

 勇者は戦士の言葉を受け「何を言っているんだ、俺だって苦労してたんだぞチクショウ!」といった旨の返答をし、その経緯を訥々と語り出す。

 勇者はしたり顔で戦士に礼を強要し、戦士はそれに反発する。


 そんないつもの流れになると、彼女は思っていたのだ。


勇者「ごめんなさい」

 勇者は膝をつき、地面に額をこすり付けた。

勇者「厚かましいとは思ってます。恥知らずなのは分かっています。だけど、俺にはこれしかないんです」

武道家「え…?」

僧侶「勇者……様……?」

 突然のことに、訳も分からず武道家と僧侶はただ勇者を見下ろしている。

勇者「もう二度と、あんな無様な真似はしません! 『伝説の勇者の息子』として相応しい立ち振る舞いをすることを誓います!! だから、どうか…!!」

 勇者の声は震えていた。
 勇者の瞳からは、大粒の涙がこぼれていた。

勇者「お願いします…! 何でもします…! 皆さんの為なら、命も惜しみません…!」

武道家「ま、待て…勇者、おい!」

勇者「『伝説の勇者の息子』として生きる以外に、俺には何もないんです!! この旅を続けられない俺に存在価値なんかない…だから…だから……!!」

武道家「勇者ッ!! 顔を上げろ!! 何があった!! おい!!!!」

勇者「お願いします、お願いします、お願いします、お願いします……!!」

僧侶「え……え…?」

 武道家が勇者の傍に屈みこみ、その肩を揺らしても勇者は顔を上げようとしない。
 僧侶はただおろおろと視線をあちこちに彷徨わせている。
 戦士は―――動けなかった。
 ただ唖然として、声を出すことも出来ず、蹲る勇者を眺めていた。

 耳には、嗚咽まじりの勇者の叫びがいつまでも残っていた。




第八章  伝説を継ぐ者   完

今回はここまで

 ―――とある貴族の屋敷にて。

貴族「これはこれは勇者殿。かの高名な『伝説の勇者』の息子様に訪ねていただけるとは光栄ですな」

勇者「初めまして。事前の約束も無しに突然押しかけた無礼をお許しください」

貴族「いえいえ。して、此度は何用でいらっしゃいますかな?」

勇者「ええ。互いに多忙な身故、単刀直入に参りましょう―――――ルーシー・ヴィレジノア。この名前に憶えがありますね?」

貴族「……ッ!!? な、なんのことですかな…?」

勇者「『第七の町』近辺の小さな山村を出身とする亜麻色の髪が特徴的な美しい少女……ああ、とぼけても無駄ですよ。既に彼女の身柄は保護しています」

貴族「ば、馬鹿な!! あの屋敷には衛兵を配備し、私以外誰も入れるなと厳命していたはず!!」

勇者「ええ、彼らはきちんと仕事をしていましたよ。くれぐれもお責めにならないようお願いします。さて、それはともかく」

勇者「この事実を告発すればどうなるか……この国の王は悪を許さぬ、心優しくも苛烈な『善王』。領地没収、国外追放で済めばいいが、最悪、斬首ということも考えられましょう」

勇者「『伝説の勇者』の息子たる私の証言、さらには拐かされた本人の証言もある。言い逃れは出来ますまい」

貴族「……な、何が目的だ。金か? 金が欲しいのか?」

勇者「察しが良くて助かります。ええ、告発するつもりならとっくにしている。それをせず今私がここにいるということは、私には別の目的がある。そしてその目的とは」

勇者「――――そう、金。あなたのおっしゃる通り、私は金が欲しいのですよ」






第九章  そして彼は自分を殺す






赤髪『なあ、取引をしようぜ』

勇者『取引?』

赤髪『ああ。俺は今まで攫った女をどいつに売ったかってのを全て完璧に覚えてる。後々その件で客を脅して大金をせしめるつもりだったからな』

赤髪『その情報をくれてやるよ。あんた等にとっても有益だろう?』

武道家『だから、貴様らを見逃せと?』

赤髪『そうだ。ああ、そっちでまだのびてる奴らに関してはどうにでもしてくれていいぜ? 俺だけ解放してくれりゃ、それでいい』

戦士『貴様ぬけぬけとッ!! 自分がどれだけの罪を重ねてきたのかわかっているのか!!』

僧侶『……でも、その情報があれば攫われてしまった女の子達を助けることが出来るわ。私は、どんな手を使ってでも、その子達を救うべきだと思う…!』

戦士『僧侶……』

武道家『勇者、どうする?』

勇者『…………』

勇者「あなたは―――まだ運がいい」

貴族「……なに?」

勇者「あなたは盗賊から買った少女に対して、確かに下卑た獣欲をぶつけていた。それでも、少女に別邸を用意して住まわせるなど、その待遇は決して悪いものじゃなかった」

勇者「だから私はあなたを告発しないのです。盗賊と取引関係にあった他の貴族の中には、少女をまるで物のように扱っている者も居た」

勇者「それは断じて許されることではない。そういった者には交渉する余地なく、問答無用で王へと告発している」

 勇者の冷たい目に晒されて、貴族は肩を抱えてぶるりと震えた。

勇者「今回の件は私の中に飲み込みます。私はただ、盗賊に襲われて身寄りを無くしてしまった者のための寄宿舎を建設するため、貴方に出資のお願いに来た……そういうことにしておきましょう。よろしいですね?」

貴族「は、はい……」コクコクコク…!

勇者「ではこの契約書にサインを―――言うまでもありませんが、貴方が再びこのような愚を犯すようなことがあれば……その時は、御覚悟願います」

貴族「し、しません…!! 神に誓います……!!」

勇者「よろしい。具体的な請求金額など詳細は追って連絡します。それでは」

 『第七の町』―――勇者一行がしばらくの間拠点としているその町では、盗賊を成敗し、かつ次々と攫われた者を救出してくる勇者たちを英雄として歓待していた。
 宿屋などは、無料で勇者たちに部屋を提供してくれる始末である。
 勇者たちは申し訳ないと通常通りの支払いを申し出たのだが、頑なに宿屋の主人はそれを受け取らなかった。

宿屋の主人「この町の救世主様からお代を頂戴するなんてとんでもない!! 勇者様万歳!! 『伝説の勇者』の息子、万歳!!」

 勇者は宛がわれた二階の部屋のベッドの上に座り、窓から町の様子を見下ろした。
 小さな子供たちが往来を駆け回っている。
 離れていた時を埋めるように、肩を寄せ合って歩く夫婦もいた。
 人々の顔には笑顔が目立ち、町は活気を取り戻し始めている。

「『伝説の勇者』の息子、万歳!!」

「『伝説の勇者』の息子、万歳!!」

 外でそんな風に叫ばれているのが勇者の耳に届いた。
 勇者はベッドの上に胡坐をかいたまま、こつんと壁に頭を預ける。

勇者「頑張らなきゃ…もっと、もっと、もっと、もっと……」

 勇者は立ち上がり、剣を腰に装備すると部屋を出た。
 行き先は三つ隣に用意された戦士の部屋だ。
 ここ数日日課となっている行為を行うため、勇者は戦士の部屋の扉をノックする。

勇者「戦士さん、お疲れのところ申し訳ありません。勇者です。今日もお相手を願いたいのですが」

戦士「……わかった。待っていてくれ。すぐに準備する」

 部屋の中から、戦士が固い声で返答した。

 時を前後して、僧侶もまた、武道家の部屋をノックしていた。

武道家「……誰だ?」

 部屋の中で鍛錬を行っていたのか、上半身裸で汗に濡れた武道家が顔を出す。

僧侶「はわ…! あ、あの…!!」

武道家「ああ、僧侶か。すまんな、ちょっと待っていてくれ」

僧侶「は、はいぃ…!」

 一度扉がしまり、ごそごそと物音がした後、今度はしっかり服を着て武道家は顔を出した。

武道家「悪かった。不快な物を見せたな。謝罪する」

僧侶「い、いえいえ! ソンナコトナイデスヨ!?」

武道家「それで、何か用事か?」

僧侶「は、はい! じ、実はお願いしたいことがありまして!」

武道家「わざわざ改まってどうした? そんなに大層な願いなのか?」

僧侶「私に、闘い方を教えてください!!」

武道家「……詳しく話を聞こうか。立ち話もなんだ。良ければ中に入ってくれ……少々、汗の臭いが気になるかもしれんが」

武道家「それで、なんでまたそんなことを?」

僧侶「この間の盗賊との一件で、私、痛感したんです。このパーティーで私は足手まといになっているって。私がもう少し強ければ武道家さんもあんなに傷つくことは無かった」

武道家「それは求められる役割の問題だ。僧侶は『回復・補助役』という自分の役目をしっかり果たしている。気に病む必要はない」

僧侶「それでも、私が自分自身を守れるようになれば、それはパーティー全体への貢献に繋がるはずです。戦士も武道家さんも、前衛としてもっと集中することが出来るはず」

武道家「それは、まあ、そうだが……」

僧侶「お願いします、武道家さん!! 私、もう守られるだけなのは嫌なんです!!」

武道家「……わかった。それ程の決意ならば、俺も教えるのにやぶさかでない。だが、何故他の二人ではなく俺に?」

僧侶「私が身につけるべきは、如何に敵の攻撃を逸らし、躱すかという護身の技術だと思うんです。そしてその技術は、剣を持つ戦士や勇者様より徒手空拳で闘う武道家さんの方が優れていると思います」

武道家「ふむ。まあ、正鵠を射ているな」

僧侶「それに、戦士と勇者様は最近二人で―――」

武道家「ああ……今日も、恐らくやっているんだろうな。あの二人は」

 第七の町より西に200mほど進んだ所に広がる草原にて。
 二つの金属が激しくぶつかり合う音が響く。

戦士「つああッ!!!!」

勇者「ぐ、く…!!」

 激しく攻め立てる戦士の大剣を、勇者は必死で打ち逸らしていた。

戦士「ハッ!!」

勇者(……ッ!! 今ッ!!)

 焦れたのか大降りになった戦士の横薙ぎの一撃を、勇者は受け止めると見せかけてから身を伏せ、躱す。
 あるべき抵抗が無かったことで戦士の体は剣に引っ張られ、体勢を崩した。
 その隙を狙い、勇者は一気に戦士の懐に潜り込む。
 次の瞬間、剣の柄を握りこんでいた勇者の手は戦士によって下から蹴り上げられていた。
 予想だにしていなかった衝撃に、剣は勇者の手を離れ、くるくると宙を舞う。
 唖然と剣の行方を追っていた勇者の肩に戦士の大剣がトン、と触れた。

戦士「……これで私の十二勝目だな」

 ざくりと勇者の剣が地面に突き立った。
 勇者は最後の攻防について思い返す。
 戦士の一撃が大降りになったのは、果たしてこちらの突進を誘発する誘いだったのか。
 いや、戦士の一撃を躱したところで、彼女は確かに体勢を崩していたはずだ。
 にもかかわらず、戦士はそこからこちらの手元を狙って踵で蹴り上げてきた。
 空振りする勢いを利用したというような、計算ずくの行動ではない。
 彼女はこちらの意図に気付いた瞬間、体幹を捻じりあげることで無理やり慣性をねじ伏せ、反撃に転じたのだ。
 そんな無茶苦茶な動きを可能とする戦士の体幹の強さ、高いバランス感覚―――勇者は改めて感嘆し、舌を巻く。

勇者「……参りました。まだまだですね、私も」

戦士「いや、お前も確かに強くなっているよ……なあ勇者。何故、私に剣の稽古を申し出てきた? いや、それ自体は非常に素晴らしいことだとは思うが、お前は独力で盗賊の首領を打倒した。こう言ってはなんだが、魔法を併用すればお前は既に私を上回っているんじゃないのか?」

 戦士の問いかけに、勇者は首を振った。

勇者「いえ、いいえ……盗賊の首領を倒せたのは魔法を使い、不意を突くことでたまたま一気に押し切れたからです。それまでは、首領の攻撃に圧倒されていました」

勇者「もし同様に戦士さんを相手とした時に、魔法を使用することで私が優位に立てるかというと、そうではありません。戦士さんは私が魔法を使うことを知っているため、不意を突くことが難しくなるからです」

勇者「私の戦い方では、相手が初見で魔法に面食らっているうちに大勢を決することが望ましい。そしてそのためには、そもそもの剣の地力を上げ、決定力を高めることが必要なのです」

戦士「そうか……わかった。ならばこれ以上何も言うまい」

勇者「戦士さんには私の修業に付き合わせてしまい、苦労をかけます」

戦士「気にするな。元々稽古をつけると最初に言い出したのは私なんだ……それももう随分昔のことに思えるが……だが、勇者、その……無理はするなよ?」

勇者「大丈夫ですよ。『伝説の勇者の息子』として、この程度のことでへこたれてはいられません」

戦士「いや…………そうじゃなくて、その………」

 『伝説の勇者の息子』としてじゃない。勇者は、『お前自身』は大丈夫なのか。
 そんな言葉は、もごもごと戦士の口の中で留まるばかりだった。
 そんな言葉を吐く資格が自分にあるのかと、考えてしまった。
 何故なら彼女もまた、『伝説の勇者の息子』としての振る舞いを、かつて彼に強要した内の一人だったから。

勇者「それではまた、明日もよろしくお願いいたします」

 彼の『伝説の勇者の息子』としての言葉が戦士の胸に突き刺さる。
 ほんの数日前までは見られていた、彼の『彼自身』としての言動を思い出し、戦士はたまらなくなって思わずその場にしゃがみこんでいた。

 公明正大、清廉潔白として高名な『善王』。
 先代の王が病にて逝去し、若くして王の座に就いた彼はまず乱れていた治安を正すことに注力した。
 窃盗、傷害罪の厳罰化。不当な略取の禁止。課税権を王の元に一元化。etc. etc.……
 大改革ともいえる法の施行に反発は大きかった。
 しかし彼はそれを断行し、遂にはやり遂げた。その背景には、彼の人徳の高さにより志高い兵が彼の下に集ったことや、民衆から強烈な支持を得ていたことがある。
 結果、高い水準で治安が安定した国は栄え、彼はやがて民衆や周囲の国家から『善王』と呼ばれ称えられるようになった。

 勇者たちが訪れたのは第七の町よりさらに40km北上し、山脈を越えたところでその威容を見せる、人口規模にして勇者たちの故郷『始まりの国』のおよそ三倍を誇る城下町、件の『善王』が治める『善の国』である。

 入口の関所にて、『始まりの国』の国王より賜っていた王印付きの身分証明を提示し、勇者たちは城下町に足を踏み入れた。
 まず目に入ったのは関所から城に向けてまっすぐ伸びた大通りで、その両端には露店商が所狭しと並んでいる。
 がやがやと威勢よく飛び交う声、大量の人々が打ち鳴らす雑踏に、勇者たちは思わず圧倒されていた。

武道家「これは……なんとまあ……」

僧侶「活気のある国ですねえ……」

戦士「一体何人歩いているんだ、今この道を…」

勇者「この国に限っては大丈夫だと思いますが、皆さん一応スリには気を付けてくださいね」

 一行は大通りを進みながら辺りを見回す。
 大通りからは一定の感覚ごとに脇に道が伸びていて、その先を眺めれば、道ごとに宿屋街や歓楽街などに区分けされているのが見て取れた。

武道家「景観から推測するに、碁盤目状に街は整備されているようだな」

戦士「二階建てや三階建ての建物が多いから、自分たちが今どっちの方向に歩いているのかわからなくなるな」

僧侶「うう、ま、迷いそうです……」

勇者「ある程度良い宿屋に行けばおそらく外部の人間向けの地図が置いてあるでしょう。とにかく先に宿を確保して、当初の予定通り善王の元へ謁見に向かうとしましょうか」

 宿屋にて―――

勇者「さあ、王宮に向かいましょうか」

武道家「勇者」

勇者「ん?」

武道家「見てみろ。ここの歓楽街の地図だ。宿の主人から旨い肴を出す店も教えてもらった。最近、一日も休みなくあちらこちらと駆け回って来たろう?」

武道家「今日くらい、ゆっくりと休んでも罰は当たらないんじゃないか? その…お前も色々溜まっている様子だし、酒でも飲んで一度盛大に発散するのも悪くはなかろう?」

勇者「それは出来ないよ、武道家。こうしている今も、盗賊に売られた女の人たちは辛い目に合っているかもしれない。一刻も早く、助けに行かなくては」

武道家「む……それは、まあ、そうなんだが……」

勇者「でも確かに…そうですね、皆さんにも無理を強いてしまい申し訳なく思っています。疲れが溜まっているようでしたら、武道家の言う通り、歓楽街で美味しいものでも食べて英気を養っていてください。王への謁見は私一人でも問題ありませんから」

武道家「そういうことじゃない。誰がお前一人に責務を押し付けたいと言ったか」

勇者「無理する必要はないのに」

武道家「……それはこっちの台詞だ、馬鹿野郎…」

戦士「………」

僧侶「………」

 『善の国』王宮、謁見の間にて―――

善王「おお、勇者。よくぞこの国を訪ねて来てくれた」

勇者「お初にお目にかかります。『伝説の勇者』の息子、勇者です。かの高名な善王様にお目通りいただき光栄です」

善王「あまり畏まってくれるな。光栄なのはこちらも同じだ。あの『伝説の勇者』の息子が私を訪ねて来てくれるとはな」

武道家(この人物が善王……初めて実際に姿を見たが……)

戦士(本当に若いぞ……まだ三十の半ばくらいのものじゃないのか、これは……)

僧侶(お顔立ちも本当に整っている……民衆から強烈な支持を得たというのも納得だわ)

勇者「善王様は私の父と面識が?」

善王「ああ。君と同じように魔王討伐の旅路の途中で寄ってくれたのだ。まるで昨日の事のように思い出せるよ……うむ、面影がある。似ているな、父君と」

勇者「そう、ですか………」

勇者「……………」

善王「……?」

勇者「………大変、嬉しく思います。善王様、大変厚かましく、恐縮なのですが、お願いしたいことがございます」

善王「何なりと申してみよ」

勇者「この国の守りの要となっている大神官団……その『神官長』様に、我々の旅の無事を祈っていただきたいのです」

 結界。
 かつて勇者と邂逅したエルフ少女の弁によれば、元々エルフが持っていた技術。それを流用し、人々は己の生活圏を守ってきた。
 結界は、町の周囲をぐるりと呪言で囲い、そこに魔力を輪転させることで魔物を拒絶するフィールドを枠内に構築する仕組みとなっており、呪言は城壁などに仕込まれている場合が多く、これを結界陣と呼称する。
 結界の発動には当然魔力を陣に送り込む必要があり、その役目を担った者を『神官』と呼ぶ。結界の設けられた町には必ずこの神官が配置されており、その人数は町の規模によってまちまちだ。
 町の規模によっては危険を察知した段階で結界を発動すれば事足り、一日中魔力を輪転させる必要がない。そういった場合、配置される神官の数は少数だ。
 しかし、ここ、『善の国』のように数万人が居住する程に街の規模が大きくなれば、周囲への警戒を行き届かせることなど不可能だ。故に、常に結界を発動させ続ける必要がある。
 また、陣の大きさも桁違いであるため、必要となる魔力量も大きく、並の神官では結界を維持するための魔力を提供することが出来ない。
 そのため、『善の国』には神官の中でも選りすぐりの『大神官』が集められ、『大神官団』が結成されている。
 そこに集う神官のレベルはこの世界でもトップ・クラスであることは疑いようもなく、さらにその長を務める『神官長』は世界随一の神官としてその名を轟かせているのだ。


 そしてその神官長こそが――――盗賊の顧客名簿の中の、最後の一人なのである。


神官長「勇者殿。まだまだ未熟な身で不肖なれど、私が貴殿の旅の無事を祈らせていただきます」

勇者「恐悦至極であります。神官長殿」

 勇者は片膝をつき頭を垂れながら、ちらちらと神官長を観察する。
 柔和な顔にたくわえられた豊かな白鬚。放つ威厳は確かにこの人物が稀代の傑物であることを勇者に実感させた。

勇者(だからこそ、解せない……善王からも絶対の信頼を得ているであろうこんな人物が、何故あんな盗賊と接点を持ち、かつあんな取引に乗ったのか……)

 公明正大、清廉潔白な政治で高い治安と豊かさを保っている善の国。
 その中枢たる神官長が盗賊から少女を買っていた、などと知れたらとんでもない不祥事である。
 事と次第によれば、善王の信用は地に落ち、その人徳によって高い志が保たれていた兵士たちにも動揺が走るだろう。
 かつて力で押さえつけた己の利益を優先する貴族たちが再び反乱を起こす可能性もある。そしてその時、果たしてそんな状態の善王勢力が対抗できるかどうか―――
 事の重大さを噛みしめながら、勇者はしっかりと神官長の姿をその心に刻み付けたのだった。

 後日、神官長の屋敷にて。

神官長「ふう……」

メイド「おかえりなさいませ、神官長様」

神官長「ああ……すまないがキミ、この荷物を私の部屋まで運んでくれないか?」

メイド「かしこまりました」

神官長「私は少しそこのソファに座って休んでから行くよ。少し疲れていてな」

メイド「お薬などお持ちいたしましょうか?」

神官長「それには及ばない。足腰に少しガタが来ただけだ。私ももう年かな、ははは」

メイド「ご冗談を。神官長様はまだまだ精力たくましい方でいらっしゃいますよ。それでは、先に荷物を運んでまいります」

神官長「頼むよ」

 メイドは神官長から手渡された鞄を恭しくその胸に抱え、歩き出す。
 正面玄関から入ってすぐにあるロビーの階段を上がり、二階へ。
 廊下を進み、四番目のドアを開け、メイドは部屋の中に入った。
 部屋の中には天蓋付きの大きなベッドがある。その前に置かれていた丸テーブルの上にメイドは神官長から預かった鞄を置いた。

神官長「なるほど、ここが神官長の部屋なんだな」

メイド「え?」

 背後からかけられた声にメイドは後ろを振り向く。
 いつの間に追いついたのか、神官長が部屋の中に入ってきていた。

メイド「神官長様?」

神官長「すまないな」

 神官長はそう言って、メイドの顔を指差した。

神官長「『呪文・睡魔』」

 指先から放たれた魔力を受け、メイドの体が崩れ落ちる。
 神官長はメイドの丁重に体を支え、そこにあったベッドに寝かせた。
 その時、神官長の顔から煙のような物が噴き出した。
 煙が出たところから、見る見るうちに別人の顔が現れてくる。
 やがて足先まで至ったところで煙は止み、そこには神官長ではない、全くの別人が立っていた。
 勇者である。
 その手に持っているのは、エルフ少女から頂戴した、想像した人物に変身できるアイテム、『変化の杖』だ。

勇者「とりあえず潜入は成功、か……急いで売られた少女たちの手がかりを探さないとな」

 勇者は杖を掲げ、頭の中でイメージを描く。
 やがて勇者の姿は目の前のベッドで寝息を立てるメイドの姿と寸分違わぬものとなった。

 メイドの姿となった勇者は屋敷の調査を開始した。
 神官長の部屋を捜索し、見つけた鍵の束を使って次々と部屋に入っていく。

勇者(買ってきた少女たちを監禁している部屋がある、なんてわかりやすい話はないか……そもそも、そんなんじゃ使用人にすぐばれるだろうしな……使用人全員がグルだっていうなら、話は別だけど……)

 勇者は危険を冒し、途中すれ違った別の使用人などに話を聞いてみたが、使用人連中が買収されて何か秘密を守っているような印象は見受けられなかった。

勇者(となると、何時ぞやの貴族の様に別邸を用意し、そこに少女を囲っているのか……神官長ほどの身分にある者が、そんな周囲に露見しやすい方法を取るとは思えないが……)

 と、考えながら調査を進めていると、ある部屋の前で勇者に疑問が生じた。

勇者(あれ…? この部屋、どの鍵を使っても開かない……)

 念の為鍵束をもう一周して使ってみるが、やはりどの鍵も適合しなかった。

勇者(どういうことだ…? どうして屋敷の主人すら入れない部屋が存在する?)

勇者(単純に、この鍵束とは別にこの部屋の鍵だけ別に保管してあるってことなのか…? だとすれば、この部屋の管理は特別厳重にしてあるってことで、怪しさは非常に増すけれど……)

??「キミ」

勇者「ひゃいッ!?」

 突然かけられた声に勇者の肩がびくりと震える。
 あまりに思索に没頭していたため、誰かが接近していたことに全く気付けなかった。
 勇者は恐る恐る振り返る。
 そこに居たのは年若い青年だった。

勇者(なんだ…? 誰だ…?)

青年「僕の部屋に一体何の用だい? ここには近づかないよう、使用人たちには厳命していたはずだが?」

勇者「す、すすすすいません!! 何だがぼーっとしちゃって、フラフラしてこんな所まで来てしまいましたわ!! 申し訳ありませんでした!! 失礼します!!」ドヒューン!

青年「あ、ちょっ…!」

勇者(あっぶね!! あっぶねーーーッ!! いかんいかん、もっと慎重にならなくては……!!)

勇者(にしても、あいつ誰だ? 『僕の部屋』って言っていたし、態度は雇い主側のそれだった……ってことは、神官長の家族? ……まさか、息子!?)

勇者(息子が居たのか! ならば、もしかして盗賊と取引していたのは神官長ではなく、その息子!? ……あの部屋、どうにかして中に入る必要があるな)

 勇者は踵を返し、再び先ほどの部屋の前に戻る。
 先ほどの青年の姿は消えていた。

勇者(ってことは、さっきの奴は今この部屋の中に……?)

 勇者はそっと扉に耳をつける。
 中からは何の物音も聞こえない。

勇者(……あれ? 居ないのか?)

青年「おい」

勇者「ぴょわあ!!」

 いつの間にか、また勇者の背後に青年が現れていた。

青年「人がちょっとトイレに行ってる間にまた……なんだ? どういうつもりなんだ君は」

勇者「いや、あの、えーと、そのー」

勇者(いかーん!! 焦りすぎてまた慎重さを失っていた!! どうする? 逃げても事態は進展しないし、いっそ色々突っ込んで聞いてみるか…?)

青年「……はあ、やれやれ。どうも君は僕の部屋に並々ならぬ興味を持っているようだ……こうやって何度も来られても迷惑だからね。いいよ。見たいなら中を見せてあげようか?」

勇者「え!? いいんですか!?」

青年「やっぱり僕の部屋に興味があるのか」

勇者(やべっ)

青年「まあ、いい。君の目的は知らんが、別に見られて何がどうということもない。ほら、どきたまえ。鍵を開けるから」

勇者(……いやにあっさりだな。もしかして俺の見当違い? 何にもないのか? この部屋……)

 扉が開く。
 ベッドと本棚と机があるだけの、殺風景な部屋だった。

青年「ほら、面白いものは何もないだろう?」

勇者「………」

 勇者は部屋の中を観察する。確かに、青年の言う通り特に変わった点は見当たらない。
 机の上に勉強していた形跡があることや、本棚に並べられている本の種類などから、部屋の主人が非常に真面目な人柄であることが推察される。
 本棚。
 ぴたりと勇者の目が留まった。
 影が、おかしい。
 立ち並ぶ本棚の下の影が、一部分だけ極僅かにだが壁と反対方向に伸びている。
 それはつまり、『本棚の後ろの壁側に何か光源がある』ということで―――
 勇者が一歩本棚に歩み寄る。

勇者「もが…!?」

 突然後ろから湿った布を口に突っ込まれた。

勇者(しまっ……意識が……)

 どさりと崩れ落ちた勇者の―――倒れこんだメイドの姿を見下ろして、青年は、『神官長の息子』は苛立たしげに舌を鳴らした。

青年「まさか気付くとは……洞察力の鋭い奴だ。仕方がない。君は全く僕の好みではないけれど……君も『飼って』あげるよ」

 勇者は暗闇の中で目を覚ました。

勇者(ここは……俺は一体……)

 ぼう、とする頭を振り、意識を覚醒させる。

勇者(そうだ……薬か何かであいつに眠らされて……どれくらい時間がたったんだ? 多分そんなに深く眠った感覚はないから、あまり時間はたってないとは思うけど……)

勇者(本棚に近づこうとしたところであんな真似をしてきたってことは、本棚の裏にやっぱり何かあったんだな……推測するに、隠し部屋の入口か?)

勇者(ってことは、俺は今そこに入れられている可能性が高いな……棚から牡丹餅というか、なんというか……運がいい。早速この部屋を調査しよう)

勇者(もうメイドの姿でいる必要はないな……変化の杖の力は解除しよう。よし……)

勇者「『呪文・火炎』」

 勇者は手のひらの上に小さな火球を出現させた。
 普段ならすぐに消えてしまう火球を、魔力を注ぎ込み続けることで無理やり維持させる。
 例えるならそれは貯水槽の栓を開けっ放しにするようなもので、火球の大きさの割に非常に魔力を消耗する行為だった。
 その上、火球の維持に常に神経を注がなければならず、かなりの集中力を要する。

勇者(うおおキッツイ…! まあ、燭台を見つけるまでの我慢我慢……!!)

 火球の明かりを頼りに前に進むとすぐに勇者の目の前に鉄格子が現れた。

勇者(げっ…鉄格子で閉じ込められてんのか)

 勇者は一度火球を消し、鉄格子に触れて質感を確認する。

勇者(城の牢屋で使われるような、マジック・コーティングされてる種類じゃないな。この程度の強度なら、今の俺の加護のレベルなら……)

 勇者は二本の鉄棒を両腕でそれぞれ掴み、思い切り両側に引っ張った。
 思ったより抵抗なく、鉄格子はぐにゃりと曲り、隙間が拡がった。
 鉄格子を抜けて、勇者は再び火球を出現させる。
 目の前にテーブルがあって、その上に燭台があるのが見えた。
 勇者はテーブルに歩み寄り、燭台に火を灯す。
 部屋の中が燭台の明かりで仄かに照らされた。
 勇者は火球を消し、ほっと息をつく。そしてあらためて部屋の中を見回して――――




 ――――勇者は、絶句した。



 部屋の中には、猪などの、捕らえた獲物を閉じ込めておくための檻が並べられていた。
 その中に、少女たちが入れられていた。

勇者「な…あ…?」

 ある者は生気のない目で、ある者は怯えた目で勇者を見上げている。
 見上げて―――そう、檻の広さは幅も高さも100㎝ほどしかなく、少女たちは地に伏せ、立ち上がることすら出来ない有様だった。

茶髪の少女「ぶ、ぶひい!! ぶひぶひい!!!!」

勇者「は…?」

 殊更怯えた様子で勇者を見上げていた少女が、勇者が目を合わせた途端、奇妙な叫びを上げ始めた。
 あまりの状況に勇者がぽかんとして少女を見つめていると―――

茶髪の少女「いやあ!! ごめんなさい!! もっとうまく鳴きますから、ひどいことしないで!! お願い!! ぶひぶひぃぃ!!!!」

 少女は大粒の涙をこぼしながら一心不乱に叫び出した。
 少女の入れられている檻に、札がかけられていた。
 札に記されていた文字を、勇者は読み上げる。

勇者「豚……?」

茶髪の少女「ぶひ、うう、ぐす…!! ぶひぃぃ…!」

 勇者は視線を隣に並ぶ檻に移していく。
 ある者は『犬』、ある者は『蛙』、ある者は『鶏』―――すべての檻に、何かしらの動物が記された札がかかっていた。

勇者「あいつ…あの野郎……まさか、そんな……」

黒髪の少女「ねえ」

 『犬』と記された檻の中から、黒髪の少女が勇者に声をかけてきた。

黒髪の少女「あなた、誰? そこの壊れた檻。あの男がメイド姿の女の人を入れてた檻だけど、壊れてる。あの女の人はどこにも居ない。あなたがあの女の人に化けてたってこと? あなたは一体何者なの?」

黒髪の少女「あなたは――――何をしにここに来たの?」

 勇者をじっと見据え、気丈に振る舞っているように見える少女。
 だがその声は震えていた。
 その目は何かに縋りつくように濡れていた。

勇者「……俺は『伝説の勇者』の息子、勇者だ。俺は、君たちを助けに来た!!」

メイド「う~ん……どうして私、神官長様のベッドで寝てたのかしら。神官長様が帰ってくる前に起きられて良かったわ。とんでもなく怒られるところだった」

青年「おい貴様!! 何故ここに居る!!」

メイド「ぼぼぼ、坊ちゃま!!? ち、違うのです、私にも何がなんだか…」

青年「どうやってあの檻から脱出した!! 言え!!」

メイド「へ…? 檻…?」キョトン…

青年「……? 何だその顔は。貴様、俺の部屋に侵入しようとしていたメイドだろう?」

メイド「坊ちゃまの部屋に!? めめ、滅相もない!! 坊ちゃまに固く言いつけられている故、坊ちゃまの部屋には絶対に近づかないようにしております!!」

青年「ど、どういうことだ…? 俺の部屋の前に居たメイドが、貴様ではないというのなら……」

 神官長の息子は慌てて自分の部屋に向かって駆けだした。

青年「俺は一体、『誰』を閉じ込めてしまったのだ!!?」

 神官長の息子は部屋に戻ると、本棚の前に立ち、三冊の本を抜き取った。
 抜き取った跡に表れた文字列に触れ、魔力を注入する。
 重さを失った本棚を横にずらし、壁を押す。
 壁はくるりと回り、隠し部屋―――地下室への階段が現れた。
 階段を駆け下り、地下室のドアを開け―――そこで、神官長の息子は目の前の男が発する言葉を聞いた。
 すなわち、ようやく『神官長の息子』は、自分と相対した男が『伝説の勇者の息子』であることを悟ったのだった。

青年「『伝説の勇者の息子』……か。そういえばこの前、俺の父に洗礼を受けているのを見かけたよ。面倒だから声はかけなかったがね」

勇者「『神官長の息子』……俺はお前を王に告発する」

青年「あの時とは随分様子が違うな。そっちが素か? まあいい……こうなっては俺も観念するしかないな。何しろ、こんな部屋を見られたんだ。何の言い逃れも出来まい」

勇者「随分と潔いな」

青年「足掻く無意味さを悟っただけだ。ほら、拘束でもなんでも好きにしてくれ」

 神官長の息子は両腕を揃え、勇者の前に差し出した。

勇者「……」

 怪訝に思いながらも、勇者は荷物から縄を取り出すため、神官長の息子から視線を外した。
 その瞬間、神官長の息子は勇者に向かって隠し持っていたナイフを突き出してきた。

勇者「なっ!?」

 咄嗟に身を躱すも、ナイフの刃は僅かに勇者の頬を掠め、皮膚を切り裂いた。

青年「当たったーーーッ!!!! ははッ!! 当たりやがった!! 俺の勝ちだぜ、『伝説の勇者』の息子!!」

勇者「何を…!?」

 突然勇者の視界が歪んだ。
 体力が一気に削られるのを感じる。
 毒だ。ナイフに毒が仕込まれていたのだ。

青年「この毒は強力だ。通常ならものの数分で死に至る。貴様ほど強い精霊の加護を持っていても、そう長くは耐えられん」

勇者「が、く…! その前に、お前を倒して解毒剤を手に入れる…!!」

青年「やってみろ。腐っても俺はこの国の将来を担う『神官長』の跡継ぎだ。防御にかけては一級品だぞ?」

勇者「『呪文・火炎』!!」

青年「『呪文・魔法障壁』!!」

 勇者の放った火球は神官長の息子の前に現れた光の壁によって弾かれる。

勇者「くそ…!」

青年「そもそも何故俺が裁かれねばならん!! 俺は父親の後継者として今まで身を粉にして修業してきた。多少の見返りがあって然るべきだろう!!」

勇者「ふざけるな…! その為に、他人の人生を犠牲にする資格なんて…!!」

青年「あるッ!! 何故なら俺は、何万人もの人間の人生の為に、己の人生を犠牲にした!!」

勇者「……ッ!?」

青年「勇者、お前にもわかるのではないか!? お前とて『伝説の勇者の息子』として周囲から重圧を受け続けてきたんじゃないのか!?」

青年「お前が今魔王討伐の旅を続けているのは、本当にお前の意志なのか!?」

勇者「それは……」

青年「であれば分かるはずだ。『どうして俺が』と嘆く俺の気持ちが!! そして気付け勇者!! もしお前が、俺と同様に大多数の人間の為に自分自身を犠牲にしてきたというのならば!!」

青年「お前にも有る!! あらゆる犠牲を厭わず、自身の欲求を満たす権利が!!」

勇者「………」

青年「そうだろう? 頷け、勇者。そうすれば解毒剤をくれてやる。俺達は似ている。きっといい友になれるはずだ」

勇者「………」

勇者「………」

勇者「…………そうだな」








勇者「お前の気持ちは理解できる。でも、俺は頷けないよ。『神官長の息子』」







勇者「わかるよ。本当によくわかる。どうして俺が、なんて今までの人生で何回叫んだかわかりゃしない」

勇者「誰も彼もが親父の事を通して俺を見てる。素直に俺自身を見て評価してくれる奴なんて誰もいない」

勇者「ふざけるな、やってられるか、どうして俺が……ずっと思ってきたし、今この時だって思ってる」

勇者「それでも駄目だ。駄目なんだ。俺は『伝説の勇者の息子』として、皆の期待に応えなくちゃならないんだ」

青年「何故だ、勇者。何故お前はそうやって今になっても自分を犠牲にし続けられる」

勇者「そうしなければ、俺の存在に価値なんかなくなるから……いや、違うな……もっと、根本的な問題で、俺はただ……」






勇者「俺が『伝説の勇者の息子』として、『理想の勇者』を演じなければ、悲しむ人達がいる……それを見るのが、嫌なだけなんだ」





青年「理解できんな。愚かしいし、哀れだ。俺の方が人として正常な気すらしてくる」

勇者「そうか、残念だ。やっぱり友達になるのは無理だったな、俺達」

青年「そのようだ。お前はそのまま毒で死んでいけ」

勇者「そういう訳にもいかねえよ……俺は『伝説の勇者の息子』として、魔王討伐の旅を続けなきゃならないんだ」

青年「なに…?」

勇者「『呪文・回復』、『呪文・回復』、『呪文・回復』、『呪文・回復』……」ブツブツブツブツ…

青年「なんだ…? 何をしている、勇者!!」

勇者「『呪文・火炎』!!」

 勇者の指先から小さな火球が迸る。

青年「性懲りもなく…!! 『呪文・魔法障壁』!!」

 神官長の息子は火球に備え、目の前に光り輝く壁を生み出す。
 ―――迫る火球を追い越して、勇者が目の前に肉薄していた。

青年「何ィッ!?」

勇者「魔法障壁はあくまで魔力を遮断するもの……物理的な干渉の前には無力だ」

青年「くっ…! 呪文・物理障へ…」

勇者「遅い!!」

 勇者の拳が神官長の息子の顔にめり込む。
 その勢いのまま、勇者は神官長の息子を地面に押し倒した。

青年「ぐ、ぎ…!! ば、馬鹿なぁ!! どうして、どうしてあの毒を食らいながらそんな風に動ける!!」

勇者「回復呪文を重ねがけして一瞬だけ無理やり体力を戻した……今はもうフラフラでもう一回やれって言われても無理だけどな」

青年「くっそぉ…!! 呪文・回ふ…」

勇者「させると思うか?」

 ぼきり、と音がした。
 勇者が神官長の息子の腕の骨を折ったのだ。

青年「あぎゃあああああああああああああああああああ!!!!!!」

勇者「呪文を使おうとするたびに骨を折るぞ。素早い動きは無理でも腕力はさほど衰えてはいない。大人しく意識を失っておけ」

 勇者はそう言って、神官長の息子を締め落とすため、その首に手をかける。

青年「あ、ぐ…くそぉ…! くそぉ!! 違うんだ!! 俺は全然悪くない!! あいつだ、アイツが全部悪いんだ!!」

勇者「あいつ? 神官長のことか?」

青年「違う…俺の幼馴染だ……赤い髪の盗賊で……あいつが、あいつが俺を唆したんだ!! ちょっとくらい良い思いしろよ、って!! 俺がその方法を教えてやる、って!!」

青年「俺は…それまでは本当に良い子ちゃんをやってたんだ! 皆に文句も言わなかったし、ずっと我慢だってしてきた!! あいつが俺にあんな取引を持ち掛けてこなけりゃ……!!」

勇者「そりゃそいつも悪いが、結局取引に乗ったお前も悪いだろう」

青年「知ったふうな口をきくな!! 俺が、『神官長の息子』としてどれだけ苦労してきたか知らないくせに…!!」

勇者「わかるよ。俺も『伝説の勇者の息子』だからな」

青年「~~~~ッ!!!! そうだ、お前が『伝説の勇者の息子』だっていうんなら、俺みたいな小物を相手にしている場合じゃねえだろう!! 『赤髪』だ!! あいつこそが元凶なんだ!! 俺を捕まえるより先にあいつを何とかするべきだろう!!」

勇者「そうだな、確かにお前の言う通りだ。俺も順番的にはそっちが先だと思うよ」

青年「そうだ!! 筋を通せよ!! まずそっちだ!! だから、俺を解放して……!!」

勇者「安心しろ。だから盗賊たちはちゃんと始末したよ。ちゃんと順番通りだ……盗賊と取引してた貴族連中に警戒されちゃ困るから、まだ届け出ちゃいないがな。お前が町の噂に疎くて助かったぜ」

青年「な…え…?」

勇者「連中の中に、確かに赤い髪の盗賊もいた。あいつがお前の幼馴染で間違いないだろう。確かに『赤髪』なんて呼ばれていたしな」

勇者「そいつも含めて全員始末したよ……だから、安心しな」



武道家『どうする? 勇者』

勇者『…………』

赤髪『へへへ……』

勇者『帳簿があるな』

赤髪『へ?』ギクリ

勇者『盗賊の首領と少しだけ会話したが、頭の悪い男じゃなさそうだった。もし本当に後々取引の相手を脅すつもりだったなら、その証拠をちゃんと残していたはずだ。記憶なんてあやふやなものじゃなく、もっとしっかりとした形で』

赤髪『ば、馬鹿じゃねえのか? 自分たちの犯罪の証拠なんて残すわけねえだろう』

勇者『お前たちが自分の罪を隠ぺいしようなんて柄か? もう喋らなくていいぞ。お前の反応で帳簿の存在は確信した』

勇者『武道家、戦士さん、僧侶さん。申し訳ありませんが砦内の捜索をお願いします』

赤髪『待て待て待て!! わかった、取引の内容を変えよう! 帳簿があることは認める。だが、それはちょっとやそっとじゃ見つからないところに隠してあるんだ。その場所を教えるから、俺を解放してくれ』

勇者『………』

赤髪『悪い取引じゃ、ないはずだぜ…?』

勇者『……それも嘘だな』

赤髪『ッ!?』

勇者『もしその話が本当なら、俺達がこの砦を散々捜索した後、途方に暮れてから持ち出した方がいい。その方が信憑性も高い』

勇者『そうしなかったってことは、今のタイミングで切り出さざるを得なかったってことは、すぐに帳簿が見つかる可能性があったからだ。つまり、帳簿は特に隠していない。どこかの棚にでも普通に置いてあるな?』

赤髪『ぐ、く…!』

勇者『つまり、俺達の間に取引は成立しない。残念だったな』

赤髪『ま、待て、待ってくれ!! じゃあこれは純粋な命乞いだ!! 頼む、見逃してくれ!!』

勇者『駄目だ』

赤髪『そんな…! 頼むよ、俺は他の連中と違ってあんたの親父の時にはここに居なかったんだ。他の奴らとは違う。俺は約束を破らないと誓う! だから……!!』

勇者『駄目だ』

赤髪『そんな殺生な!! 頼むよ!! この通りだ!!』

勇者『駄目だよ。お前が約束を違える可能性が万が一にもある以上、お前は見逃せない。それに……』




勇者『……一度目だから許されるなんて、そんな道理はないだろう?』



 神官長の息子の意識が完全に無くなったことを確認し、勇者はふらふらと立ち上がる。

勇者「解毒剤を探さなくては……まずい、もう時間がない……」

 いくつかの理由から、勇者は解毒剤がこの部屋にあることは確信していた。
 だが、進行した毒に体力は奪われ、視界がかすみ始めている。
 こんな状態で、解毒剤の在りかを探すことが出来るのか――――

黒髪の少女「そっち」

勇者「え?」

黒髪の少女「そっちの戸棚の上から二段目の左端。そこに解毒剤はあるはずだよ。一度そこから取り出して、またしまうのを見たから」

勇者「あ、ありがとう」

 勇者は少女の指示に従い、解毒剤を無事見つけ出し、それを飲み下した。
 途端に全身を襲っていた苦痛が薄れ、視界も明瞭さを取り戻していく。

勇者「助かったよ、ありがとう」

黒髪の少女「ううん、それはこっちの台詞……本当に、ありがとう」

 そう言って頭を下げる少女の姿を見て、しかし勇者の顔は晴れなかった。
 理由は、少女が余りにも傷だらけだったからだ。
 黒髪の少女だけではない。檻の中に閉じ込められていた少女たちは全員、体中に傷を負っていた。
 これが、勇者が解毒剤がこの部屋にあることを確信していた理由である。
 つまりは、虐待。
 少女たちを虐げることで快感を覚える、神官長の息子はそんな性的嗜好を持っていたということだ。
 であれば、神官長の息子が勇者に対して使用した毒も、元々は少女たちに対して使用するものであったことは想像に難くない。
 そして少女たちに使用する以上、目的は『殺すこと』ではなく『いたぶること』であったはずであり、そのためには解毒剤の存在が不可欠であったはずだ。

茶髪の少女「私たち、助かったの…?」

 『豚』と記された檻に閉じ込められていた少女が茫然と呟いた。

勇者「そうだ。君たちは家に帰れる。待たせてしまってすまなかった」

茶髪の少女「う、うぐ……ふえええええええええええん!!!!」

 茶髪の少女を皮切りに、檻に閉じ込められていた少女たちが一斉に泣き始めた。
 歓喜にむせび泣く少女たちを見回して、勇者はようやく頬を緩ませる。

 ―――直後に、勇者の顔が固まった。

勇者「なあ、キミ……この部屋にいる女の子は、これで全部なのか?」

 勇者の問いの真意を汲み取ったのだろう。
 少女は唇を一度固く引き結んでから、ぽつりと呟くように答えた。

黒髪の少女「……ええ、そうよ。これで全部。他には『もう』いないわ」

勇者「ぐ…く…!」

 勇者はがりりと歯を噛みしめた。
 ぼろぼろと零れる涙をこらえることが出来ない。
 部屋の中には、五人の少女が捕らわれていた。
 しかし盗賊の帳簿によれば、神官長の息子は盗賊から合わせて七人の少女を買い取っていたはずなのだ。

勇者「足りない…!!」

 足りない。居るべきはずの二人の少女が居ない。
 黒髪の少女は言った。五人で全部、『もう』いない、と。
 『豚』として扱われていた少女は、何故あんなにも怯えて、必死に豚の真似をしていたのか。

勇者「あ、ぐ、ふぅ……!!」

 あとからあとから悔恨の涙が溢れてくる。
 間に合わなかった。間に合わなかったのだ。

黒髪の少女「顔を上げて…! あなたが悪いんじゃないわ。お願い、自分を責めないで…!!」

 少女は檻の中から必死に勇者に向かって声をかける。
 それでも勇者は顔を上げることが出来ず、しばらくの間そこで泣き続けていた。

 後日、善の国にて神官長の息子の裁判が行われた。
 結果は、そのあまりに身勝手で残虐な行いに情状酌量の余地なしとして、斬首。
 その教育責任を問われ、神官長は国外追放となった。
 神官長はその裁決に「陛下のご慈悲に感謝いたします」と涙を流し、何ら反論することなく罰を受け入れたという。
 神官長の息子は最後まで口汚く父を、王を、民衆を、国を罵りつづけた。
 曰く、「俺がこうなったのはお前らのせいだ。お前らこそが罪だ。裁かれるべきなんだ」とのこと。
 勇者が心配していた善王の治世については、さほど影響なく収まった。
 善王が腹心であろうと変わらず厳しい刑を断行したこと。事件により人身売買の実態を知った善王が即座に勇者に盗賊の討伐を命じてこれを成したこと。
 それらの理由により、国民からの信用を失わずに済んだからである。
 後者の件について、国民にそう発表しようと善王に提案したのは勇者だった。
 勇者とて、自分が為したことで結果的に国が乱れることなど望んでいない。
 善王は勇者の提案を受け入れ、見返りに勇者に対して今後出来うる限りの援助を行うことを誓った。

善王「勇者よ。望みをなんなりと申してみよ」

勇者「今は特に何も。ああ、『翼竜の羽』をいくつか都合をつけていただけると助かります」

善王「すぐに準備させよう」

勇者「それと……被害者の少女たちを何とか幸せにしてあげてください。本当に、お願いします」

善王「……ああ、約束しよう」

 程なくして行われた神官長の息子の処刑は、国民に公開される形で執り行われた。
 被害者となった少女の親族を始め、処刑場には多くの民衆が集まった。
 処刑台に神官長の息子が上げられると、民衆のボルテージは一気に高まった。
 神官長の息子に対し、民衆は口々に罵詈雑言を投げかけ始める。

 勇者は、神官長の息子を見下ろしながら、じっと聴衆の声を聴いていた。




 勇者は少し気になって、事件が発表される前夜に、色々な人に神官長の息子の評判を聞いていた。


 ある主婦は言った。
 本当に良い人よ。神官長の息子としてきちんと修業してて、うちの子にも見習わせたいわ。


 ある青年は言った。
 彼はこの国の為に戦う勇者だ。我々は彼の為ならこの身を犠牲にすることすら厭わないよ。


 彼の同僚たる『大神官団』の一人が言った。
 彼は我々にとっての誇りだ。たとえどんなことがあろうとも、我々は彼を裏切らないよ。
 そうだ、そうだと周りの大神官団も同調した。







「殺せ!! さっさと首を斬れ!!」


「『大神官団』の面汚しが!!」


「神官長の息子失格だ!!」


「神官長様がおかわいそうだ!! 貴様のせいで名は汚れ、国を追い出された!!」


「神官長の息子として生まれながらこんな罪を犯すとは、穢れた魂を持って生まれてしまった突然変異の悪魔に違いない!!」


「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」




 遂に、神官長の息子の傍らに処刑人が姿を現した。
 観衆はヒートアップし、歓声はどんどん大きくなる。
 神官長の息子は涙を流し、顔を真っ赤にしながら何かを叫んでいる。
 だが、周りの歓声が大きすぎて、その内容までは聞き取れない。

勇者(目に焼き付けておけ。あいつは俺だ。失敗した俺なんだ)

勇者(どれだけ高い評判を得ていたって、すぐにそれは一転する)

勇者(例えば、俺が魔王討伐の旅を諦めたりしたら……)

 周りの観衆が神官長の息子に投げかける悪口がそのまま自分に向けられているような錯覚がして、勇者は思わず身震いした。
 処刑人の持つ斧が振り下ろされ、神官長の息子の首が落ちる。
 歓声が上がった。
 かつて『神官長の息子』として全国民から愛されていた彼。
 その死を悲しむ者は、今この処刑場に一人も居はしなかった。





第九章  そして彼は自分を殺す  完


今回はここまで

善王「約束していた翼竜の羽だ。受け取ってくれ」

勇者「ありがたく頂戴します」

善王「時に勇者よ。これから先、行く当てはあるのか?」

勇者「特には。とりあえず、かつての父の旅路を追って行こうかと思っています」

善王「ならば『武の国』を訪ねてみるのはどうだ?」

勇者「武の国…?」

善王「我が国より遥か北に位置する、『武王』の治める強国だ。魔王城に近いこともあって、近年兵力の増強に力を注いでいる」

善王「その国では、定期的に一般の者まで広く参加者を募った武闘会が開催されている。聞くところによれば、今度の大会の優勝者には何やら『特別な武器』が贈呈されるらしいのだ」

勇者(特別な武器…? 親父が手に入れたという、『伝説の武器』の類のものか…?)

善王「今日の午後に『翼竜の羽』を使った交易便が武の国に向けて出る。よければ君たちも同伴したまえ」

武道家「武の国か。まさかこんなに早いうちにここを訪れることが出来るとはな」

僧侶「有名なのですか?」

武道家「武芸者にとっては、ここで開催される武闘会で優勝することは相当な誉れだ。大会で優勝することを人生の目標としている者もいるくらいさ」

戦士「加えて、武王が抱える兵士団が強力なのも有名だ。兵士一人一人が私たちの故郷の騎士団長と同等の猛者と聞く」

武道家「武闘会で目についた者を積極的に登用しているらしいな。世界中から集まった猛者で形成された兵士団というわけだ。強いはずだ」

勇者「それじゃあ私は武闘会参加の申し込みに行ってきます。皆さんはゆっくり休んでいてください」

武道家「待て勇者。それは俺が行く。お前の方こそ、ゆっくり休んでいろ」

勇者「武道家……」

武道家「盗賊の件から善の国の件まで、お前は一人で苦労を負いすぎだ。もっと俺達を頼れ、使え」

武道家「少女たちの救出も終わって、少しばかりは時間の余裕も出来たろう。……今日くらい、ゆっくりと酒でも飲め」

勇者「いや、でも……」

武道家「でももだってもない。じゃあ、行ってくる」

僧侶「お、お気を付けて!!」

勇者(ゆっくり酒を飲めといっても……)

戦士「………」

僧侶「……え~と、その…」オロオロ

勇者(無理だよ……今の俺にはわからない。二人とどう接したらいいか、全然わからないんだ……)

僧侶「え~と……と、とりあえずお食事にでも行きましょうか! 武道家さんの言う通り、ちょっとお酒でも飲んじゃいましょうよ!!」

僧侶「美味しい酒場屋さん、探しましょ!! 色々町の人にも話を聞いて!!」

勇者(ああ…僧侶ちゃんに気を使わせちゃってる。無理してあんなに明るく振る舞って……)

戦士「………」

勇者(戦士も相当気まずそうだ…駄目だ、これ以上二人の傍に居ちゃいけない。俺が居ても二人の負担になるだけだ)

勇者(武道家の奴…だから俺が行くって言ったのに…!!)

僧侶「勇者様、何か食べたいものはありますか!?」

勇者「いや…俺、私は……」

??「あれーーー!!!! おいおいおい!!!?」

勇者「?」

僧侶「?」

戦士「?」

??「マジかよお前らとまた会えるとは思わなかったぜ!! 元気にしてたか!?」

僧侶「あッ!!」

戦士「お前は……」

勇者「騎士ッ!?」

騎士「おう! 久しぶりだな、勇者!!」

 騎士。
 金色の長髪を赤いバンダナで纏め、腰に青く輝く剣を携えた男。
 勇者を『伝説の勇者』の息子とするなら、さしずめ彼は『伝説になれなかった騎士』の息子。
 高名な父を持ち、勇者と似た境遇で青春を過ごしてきた彼は、かつて一度とある町の酒場で勇者と出会い、非常に意気投合した過去がある。
 その後、諸々のやり取りがあって、最終的には彼は勇者パーティーと物別れに終わっていたはずなのだが……

騎士「いや~まさかこんな所で会えるとはな。縁があるな~俺達」

 まるで十年来の友人のように気安く騎士は勇者たちに話しかけていた。
 どうやら騎士の方には一切そんな意識はないらしい。

僧侶「う~…!」

 僧侶は自らの胸を庇うように両腕を交差させた。

戦士「………」

 戦士は今にも掴みかからんばかりの勢いで騎士を睨み付けている。
 やはりかつて騎士から直接辱めを受けた二人は、彼に対して並々ならぬ敵意をもっているようだった。
 勇者が二人を庇うように一歩前に出る。

勇者「騎士…互いに健勝のまま再会できたことは私も嬉しく思いますが、彼女らにとっては決してそうではないようです。用があるなら後日場を改めて伺いましょう」

騎士「………は?」

 騎士は目を丸くした。
 訝しげな眼付きで、勇者の顔をためつすがめつ眺める。
 遂には騎士は勇者の周りをぐるぐる周り、その全身を舐めるように観察し始めた。

勇者「……何か?」

 困惑して問う勇者。
 騎士は元の位置に戻ると、息を大きく吸い込んだ。


 吸って、吸って、吸って――――――そして、叫んだ。










「  き  も  ッ  !  !  !  !  !  !  」













第十章  勇者と騎士




騎士「えー、なに!? なにその喋り方!? キモッ!! 何気取り!? ねえそれ何気取りなの!?」

勇者「いや、ちょ」

騎士「マジでなんなん? かっこつけ? かっこつけなの? 勇者くんなんかかっこつけてるのん?」

勇者「かっこつけ…!? 違う、私はただ…」

騎士「まだ言うか!! 君ちょっとおいで!! お嬢ちゃんたち、ちょっとコイツ借りるよ!!」

勇者「おわ、ちょ、引っ張るな!!」

騎士「キリキリ歩かんかーい!! 逃げようとしても無駄無駄無ー駄ぁー!!」

僧侶「……行っちゃった。どうする?」

戦士「……このまま放っておくわけにもいかんだろう。追うぞ、僧侶」

 ―――酒場、カウンター席。

店主「ヘイ、麦酒二杯お待ち!!」

騎士「ほい勇者! カンパーイ!!」

勇者「か、かんぱーい?」

騎士「今回は俺の奢りだ! 好きなもんじゃんじゃん頼みな!!」

勇者「ありがたい申し出ですが、私は……」

騎士「シャーラップ!!!! その言葉遣い禁止!! 素で喋れ素で!! なーんでそんな無理しとんだお前は!!」

勇者「無理を、しているわけじゃ……」

騎士「……なあ勇者、何があった?」

勇者「…え?」

騎士「いや、もっと具体的に聞こうか。勇者」



騎士「何がお前をそんなに壊した?」

勇者「………」



勇者「私は」

騎士「勇者」

勇者「………俺にだって、色々あったんだ」

騎士「話せよ。聞いてやるぜ」

 やがて勇者はぽつりぽつりと語り始めた。

勇者「今まで俺はさ、自分の立場っていうものを甘く考えていたんだ」

勇者「いくら親父が『伝説の勇者』だからって、いくら俺がその息子だからって、そんなの関係ないと思ってた」

勇者「だから、魔王討伐の旅を口実に国を出たら、あとは適当に旅をして、それなりに、俺なりに頑張ったら、それでいいと思ってた」

勇者「でも、それじゃ駄目だったんだ」

勇者「……母さんがさ、死ぬっていうんだよ。俺が、『伝説の勇者の息子』として相応しい『勇者』にならなきゃ、死ぬっていうんだ」

勇者「俺は皆が悲しむからと思って、『勇者』になるための修業も頑張ってきたけどさ、もうそんなレベルじゃなかったんだよ」

勇者「死ぬんだって。死ぬんだってさ。俺が『伝説の勇者の息子』として相応しい勇者にならなきゃ、母さん死んじゃうの」

勇者「笑えるよ…じゃあ俺はそうなるしかねえじゃん。理想的な『伝説の勇者の息子』になるしかねえじゃん。でもそれは俺じゃねえよ。じゃあ俺ってなんなの? 俺いらねえじゃん」

勇者「みんな俺を『伝説の勇者の息子』としか見てない。誰も勇者としての俺個人を見ていない」

勇者「俺の行動は全て『伝説の勇者の息子』として相応しいか否か、っていう定規で測られる。そしてそれにそぐわないと判断されたら、たちまちこう言われるんだ」

勇者「『伝説の勇者の息子のくせに』、って」

勇者「怖えよ…超怖えよ…だから、俺は演じ続けなきゃいけないんだ。一部の隙もなく、『伝説の勇者の息子』で在り続けなきゃいけないんだ」

騎士「……なるほどな。勇者、はっきり言ってお前にはびっくりだよ」

勇者「笑えるだろ。滑稽すぎて」

騎士「そういう話じゃねえよ。俺は今まで俺とお前はよく似てると思ってた。でも違った。むしろ……俺とお前は真逆なんだ」

勇者「……?」

騎士「初めて酒場で会った時にも話したけどな。本当に俺とお前の境遇は似てる。俺もよく思ってたもんだよ」

騎士「お前らは俺を『伝説になれなかった騎士』の息子としてしか見ちゃいない。本当の俺なんかどうでもいいんだ。俺なんかいらねえんだ」

騎士「そう思った俺がどういう行動に出たか話したよな? そう、俺は国を捨てた。お前らが俺をいらないって言うんなら、俺だってお前らなんかいらねえよ。俺はそう思ったんだ」

騎士「だけどお前は逆だ。周囲の状況からお前なんかいらないと突きつけられたとき、あろうことかお前は自分を殺すという選択をした」

騎士「言葉遊びじゃなく、お前がしたのは実際に究極の自殺だと思うぜ。自分じゃない誰かを演じ続けながら生きるなんて、その苦痛は俺には想像もつかん」

騎士「何故そこまでする? 捨てちまえばいいじゃねえか。周りの勝手な都合なんてほっとけほっとけ」

勇者「それは…でも…」

騎士「そう、お前にはそれが出来ない。だからお前にはびっくりだ。お前は―――優しすぎる」






騎士「だけどお前は馬鹿だ。それだけははっきり言っておいてやるぜ、勇者」



勇者「ッ!?」





騎士「お前の生き方は分かった。それを変えられないことも分かった。けどな、やり方が頭悪すぎるよお前」

勇者「なにィ…!?」

騎士「確かにお前は『伝説の勇者の息子』として相応しい行動を取らなければならないんだろう。それに相応しい振る舞いをしなくてはならないんだろう」

騎士「だがそれを……普段の生活でまで続ける必要がどこにある?」

騎士「何だ? お前の母ちゃんは神様かなんかか? 普段のお前の行動を逐一把握できる神の目でも持ってんの?」

勇者「いつ誰に見られ、噂になるかわからんだろう!!」

騎士「『私は伝説の勇者の息子です』なんて看板掲げて歩きゃしねえ限り、誰もお前が『伝説の勇者の息子』なんて気付きゃしねーよ。自惚れんなドアホ。お前にそんなオーラなんてありゃせんわ」

勇者「だ、だけど……俺のパーティーに、俺が『伝説の勇者の息子』として相応しい人間だっていうのを示し続けなきゃ……」

騎士「なんじゃそりゃ。前の町で、まだお前が演技してない時、お前らは随分仲良しに見えたぜ。本当にそれは、お前のお仲間がお前に求めてることなのか?」

騎士「前のお前を知ってる身からすりゃあ、はっきり言って今のお前の態度は『気持ち悪い』の一言だぜ。お前の仲間もそう思ってるんじゃねえの?」

勇者「そ、そんな…」

騎士「っちゅうか面倒くせえからもう直接聞こうぜ。なあお二人さん!」

勇者「へっ!?」

僧侶「ひあっ!! あ、あの、その……」

戦士「………」

勇者「そんな、二人とも、今の話を聞いて……!?」

僧侶「違うんです! 盗み聞きするつもりはなくて、あの、その……」

戦士「騎士が妙なことをしないか見張っているつもりだったんだ……」

騎士「まあ話は聞いてたんだろ? 折角だから答えてくれよ。今の演技してる勇者をどう思ってるか」

勇者「ち、違う、違うんです!! 俺は、私は、その……うぅ…!! うあぁ…!!」

勇者(知られた…! 俺の弱い本心を知られた…!! 見捨てられる…捨てられてしまう…!! あぁ、嫌だ、嫌だ…!!)

戦士「………勇者」

勇者「はぁ、はぁ、はぁ……!」ドクン、ドクン、ドクン

戦士「勇者、顔を上げてくれ」

勇者「せ、戦士……さん……」

戦士「………ずっと、お前に言わなければならないと思っていたんだ」














戦士「あの時―――――盗賊の首領から私を助けてくれて、ありがとう」








戦士「初めて精霊の祠に行った時、魔物から私を守ってくれてありがとう」



戦士「騎士に服を破られた時、私の体を隠してくれてありがとう」



戦士「いつも報奨金を得るために倒した魔物の処理をしてくれてありがとう」



戦士「いつも旅の途中で食べられるものを探してきてくれてありがとう」



戦士「いつも私たちの事を気遣いながら、痛いのを我慢して戦ってくれてありがとう」



戦士「―――獣王に襲われた時、あんな演技をしてまで私たちを助けてくれて、ありがとう」







戦士「私は―――『伝説の勇者の息子』としてじゃない、いつものお前が好きだよ」





勇者「………」ポケ~

戦士「だから、その……お前も私たちの前でくらい、無理をしないでだな……」

僧侶「せ、戦士……」

戦士「な、なんだ僧侶、そんなに顔を真っ赤にして…」

騎士「愛の告白いただきましたーーーーッ!!!! ひゅーひゅードンドンぱふぱふぱふッ!!!!」

戦士「はぁッ!!!?」

騎士「おーい聞いたか勇者!! 好きだってよ!! 好きなんだってよお前の事!! うらやまッ!! うらやまやなコイツゥ!!」

戦士「なああああああああ!!!! 違う!! あくまで比較してどっちかといえばという話だ!! おいやめろ囃し立てるな!!」

勇者「戦士……今の話はホントか……?」

戦士「ち、違う! 勘違いするなよ勇者!! わ、私は別に、お前に男女としての愛情を抱いてるわけでは…」

 戦士の言葉は途中で止まった。
 勇者の目から、ぽろぽろと涙が零れている。

勇者「俺は……俺のままでいていいのか……?」

 戦士は頬を赤くした状態から、真剣そのものの表情になって言った。

戦士「そうだ。私が仲間と認めたのは『伝説の勇者の息子』じゃない。お前自身だ、勇者」

僧侶「そうです。私たちが共に旅をしたいと思うのはあなたです。誰かの息子としてじゃない、あなた自身なんです。勇者様」

勇者「う…ぐ…ぐぅぅ…!!」ポロポロ…!

騎士「な? 俺の言った通りだったろ? 勇者。仲間の前くらい素でいていいんだよ、お前」

騎士「生き方は変えられない。ならせめてもう少しうまく生きていけ。いいじゃねえか、『伝説の勇者の息子』として生きることを強制されても、もっとお前らしくやっていけば」

騎士「猫被る時は思いっきり被って、それ以外でゲラゲラ笑ってる。そういう方が、お前らしいだろ」

勇者「ああ…! ああ…!!」

僧侶「……勇者様が元気になって、本当に良かったわね、戦士」

戦士「ああ……そうだな」

 翌朝――――

勇者「おっしゃーー!! んじゃ、いよいよ武闘会だ!! 気合入れていくぜーー!!」

勇者「あ、でもみんな怪我しないようにね。無理だと思ったら適度な所でギブアップしましょう。そん時は優勝者にすり寄って交渉する方針でいくから」

勇者「オーケイ!?」

僧侶「おーけーです!!」

戦士「あ、あぁ……」

勇者「どした戦士!! 元気ないぞ!? 寝不足!?」

戦士「な、なんでもない! そんなに顔を近づけるな…!!」

勇者「体調悪かったら大会欠場していいからな!! その分俺と武道家で頑張るから!!」

戦士(こ、こいつ…! 昨日の私の、す、好きという言葉を勘違いしていたらどうしようかと不安に思っていたが……綺麗さっぱり、ケロリと忘れてやがる…!!)

戦士(いや、いいんだけど!! それでいいんだけど…!! なんか、なんだこの納得いかない感じは……!!)

武道家「…………」

武道家「………おい、僧侶」

僧侶「はい?」

武道家「なんだ? 昨夜何があった? 何故奴は突然いつもの感じに戻ってるんだ?」

僧侶「実は昨日、騎士さんと偶然会って、かくかくしかじかな事があったんです」

武道家「そうか……騎士が……そうか……」

僧侶「あれ? 武道家さんどうしました?」

武道家「いや、何でもない。経過はどうあれ、勇者が元気になったこと自体は喜ばしいことだ。良かったよ、本当に」

僧侶(なんでしょう……なんだか、武道家さんが微妙に不機嫌なような……)

武道家「それにしても、あっさり元気を取り戻したもんだな。いや、いいことなんだが…」ブツブツ…

僧侶(もしかして……)

僧侶「武道家さん、騎士さんに妬いてます?」

武道家「……何を言っている。俺が何を話しかけても碌に反応しなかったくせになどとは、欠片も思っちゃいない。結果が全てだ。勇者が元気になったのならそれでいい。俺の方が十年以上も付き合いが長いのになどとは、ちっとも思っちゃいないさ」

僧侶(あ、完全に妬いてますコレ)

僧侶(………)

僧侶(か、かわいい…!!)キュン…!

 武闘場――――選手控室。

勇者「俺の一回戦の相手は……『狂乱の貴公子』か。すげえ名前だな。あんまり強くないことを祈るぜ」

案内人「勇者さん、試合です。闘技場の入場門へ移動をお願いします」

勇者「うえ、早速かよ」

武道家「それじゃ、俺達は観客席に上がって応援しているぞ。僧侶が席を取っているはずだからな」

戦士「私とあれだけ稽古しているんだ。あっさり負けたら承知せんぞ、勇者」

勇者「うへえ、プレッシャー……まあ、やるだけやってみるよ」

勇者「『伝説の勇者の息子』らしく……俺らしく、な」

 そう言ってニヤリと笑い、勇者は闘技場へ向かった。

 ウオオオオオオオオオオオオオ――――――!!!!!!

武道家「す、凄まじい歓声だな!!」

僧侶「あ! 勇者様が入場してきましたよ!!」

勇者(武道家たちは……駄目だ、人多すぎてわかんねー。なんか、一か所だけ屋根付きの所があるな。あそこから武王が見てんのかな?)

戦士「どうやら緊張はさほどしていないらしいな……対戦相手が入場してきたぞ……なっ!?」

武道家「はッ!?」

僧侶「ふああッ!?」

 対戦相手の姿を確認し、驚愕の声を上げる三人。
 相対する勇者はそれ以上に驚き、目を丸くして言葉を失っていた。

??「あっはっは。いや、ホントに縁があるな俺達」





騎士「それじゃ、いい勝負をしようぜ。勇者」





第十章  勇者と騎士  完

今回はここまで

 武の国。
 その城下町の人口規模はおよそ八千人。
 魔王軍が本拠地としている魔王城に近く、それ故、幾たびも魔王軍の侵攻に晒されてきた。
 にもかかわらず、国は栄え、町に住む人々には活気が溢れている。
 その理由は、何度も魔王軍の侵攻を退けてきた、確かな実力を持つ兵士団による生活の保障と―――今現在、勇者たちが参加している武闘会による集客力にある。
 おおよそ三月に一度行われるこの大会は、武の国を治める王、『武王』の計らいで優勝者に莫大な賞金と極めて貴重な宝物が賜わされる。
 それ故、参加希望者は非常に多く、やがて開催を重ねるごとに世界中から様々な武芸者が集まるようになり、大会は権威を帯びていった。
 今では世界一強い者を決める大会だと謳われるほどである。
 当然―――それ程の大会となれば観覧を希望する者も多い。開催の一週前にもなれば宿は埋まり、観光客を対象とした出店が数多く出て連日祭りの如き賑わいとなる。

武王「此度も無事開催の日を迎えることが出来た。世界中から集まりし強者共よ、今日は存分にその腕を振るうがよい。何、心配はいらん。大会中に負った傷は十全な治療を行う。心置きなく敵を討て」

武王「ただし殺すのは御法度じゃ。勝敗は降参か相手が戦闘不能に陥った時決するものとする。では、諸君らの健闘を祈る!! 大武闘会の開幕じゃ!!!!」

 武王による開会宣言。
 闘技場に集められた参加者と、それを円形に囲う観客席から地を揺らすほどの歓声が上がった。







第十一章  つわものどものカーニバル(前編)





 既に三つの試合が消化され、遂に勇者の出番を迎えた。
 闘技場に入場してきた勇者と騎士を、唯一天蓋のついた観覧席から武王が見下ろしている。

武王「ほう、これは……実に面白そうなカードじゃな。この二人、先までの参加者たちと比べて実力が突出しておる」

 武王自身も秀でた武芸者である。
 既に御年50を迎えた身であるが、年齢を感じさせぬ屈強な肉体に、豊かにたくわえた髭を撫でながら武王は言う。

武王「勇者と…狂乱の貴公子、か。狂乱の貴公子はよく聞く名前じゃな?」

 そう言って武王は傍に控えていた壮年の兵士に目を向けた。

兵士「はい。毎回この大会に参加しては初戦で消える、所謂賑やかしであったと記憶しております」

武王「一体どのような修業を詰んであれ程の力を得たのか、興味深いのう。勇者というのは?」

兵士「今回、善の国との交易便にあの『伝説の勇者』の息子が同行していたとの噂を耳にしました。もしかするとですが……」

武王「ほう! 言われてみれば、確かにあの男の面影がある!! これは面白くなってきおった!! 兵士長、この両者、お前はどちらが優位と見る?」

 兵士長と呼ばれた男は―――すなわち、世界で最も屈強であると謳われる武の国兵士団にあってさらに最強の剣の使い手である男は、静かに言った。

兵士長「……狂乱の貴公子です。間違いありませんよ。おそらく、私でも歯が立ちません」

武王「……そんなに?」

 武王は目を丸くして闘技場に立つ勇者と騎士に視線を戻した。

 観客席では勇者の対戦相手の姿を確認した武道家、戦士、僧侶の三人が息をのんでいた。
 三人の脳裏にはかつて四人がかりで騎士に攻撃をかすらせることも出来なかった記憶が蘇っている。

僧侶「で、でも、あれからみんなずっと強くなっています!! その上、あの盗賊団を倒して、勇者様は更に強くなりました。今なら、きっと……」

武道家「いや…」

 かぶりを振ったのは武道家だった。

武道家「あの時は気づかなかったが……騎士の奴、まさかこれ程の……」

僧侶「ええ!?」

 僧侶は戦士に目を向ける。
 戦士も武道家と同じものを感じ取ったのだろう。
 額に汗を浮かべ、言葉もなく騎士を睨み付けている。

僧侶「勇者様……!」

 僧侶は祈るような思いで闘技場に立つ勇者に目を向けた。

 勇者は笑っていた。

勇者「いやいや……はは、マジかよおい……」

 心中抱いた感想が思わず口をつく。
 勇者の目の前に立つ騎士。
 その男の立ち姿から感じ取れる圧倒的な重圧は、もはや笑い飛ばすしかないほどの実力差があることを勇者に予感させていた。

騎士「いやあ、成長したな勇者」

 騎士はそんな勇者の心中を知ってか知らずか、あっけらかんと口にした。

勇者「はあ?」

 騎士の持つ雰囲気に及び腰になっていた勇者からすれば、騎士のそんな言葉は嫌味にしか聞こえない。
 しかし騎士は本当に感心した様子で言葉を続けた。

騎士「積み木を10段まで積んだ者は、100段積んだ者を凄いと褒める。50段まで積んだ者は、100段積んだ者を凄いと尊敬する。その事柄についてある程度精通して初めて本当の価値を推し量ることが出来るって話さ」

 騎士はにやりと笑った。

騎士「その顔。俺の力を感じ取ったんだろう? 前に比べりゃ、マジで成長してるぜお前」

 騎士が剣を抜いた。
 勇者は目を見開く。
 騎士の持つ剣は、その刀身が青く透き通っており、その剣自体が輝きを放っているように見えた。

勇者「なんだその剣…? 金属…なのか…?」

騎士「さあ、まずは小手調べ……LEVEL1ってとこだ。行くぜ、勇者!!」

 騎士が立っていた地面が爆ぜた。
 驚異的な脚力で騎士は一歩で勇者との間にあった15mの距離を潰す。
 騎士は青く輝く剣を振り下ろした。
 ギイン、と高い金属音が響く。
 勇者とて騎士の動きに遅れていない。
 一瞬で肉薄してきた騎士に意表を突かれるとこもなく、振り下ろされた剣に刃を合わす。

騎士「やるな! まだまだいくぜぇ!!」

 騎士は次々と剣を振り下ろす。
 その剣戟は単調で、ただ我武者羅に剣を叩き付けているように見える。
 ただ、その速度と重みが桁違いだった。

勇者「ぐ、おお…!!」

 技巧も何もない、フェイントもない、ただ剣を引き、振る。
 騎士はそれを連続しているだけだ。
 だがその速度と重さが、かつて勇者と戦士を苦しめた盗賊の頭領と比較しても恐らく上。
 ギャリン、と一際大きく音が鳴った。
 騎士の剣の威力に後方に吹き飛ばされた勇者が、何とか地面に足を踏ん張って勢いを殺す。
 がりがりと地面は削れ、およそ10mに渡るまで勇者の吹き飛んだ軌跡を描いた。

「お、おお……」

「オオオオオオオオオオオオーーーーーッ!!!!!!」

 観客席から歓声が上がる。

「なんだ今のは!? 見えなかったぞ!?」

「あの相手もよくしのいでるぜ!! 普通ならもう終わっててもおかしくねえ!!」

 ふうう、と長く息をつき、勇者は剣の柄を握りなおした。

勇者(速い…重い……やっぱり騎士の奴、とんでもない強さだ。だけど……)

 勇者の眼光に強い光が宿る。

勇者(捉えきれないほどじゃ、ない!! 俺も段々あいつの速さには慣れてきてる。次はあいつの隙を突くことが出来るはず…)

 パチパチと騎士が手を打ち鳴らす音で、勇者の思考は中断した。

騎士「やるな、勇者。本当に強くなった。前のお前だったら、このLEVEL1にすらついてこれなかっただろうぜ。さあ、次だ。行くぞ」



騎士「LEVEL2だ。――――遅れずに、ついてこい」

 騎士の姿が消えた。

勇者(見え―――)

 今度こそ、勇者の目にもその姿は捉えられなかった。
 ぞくりと背筋が震え、勇者はただの勘で剣を上に向かって振った。
 ギャリイン、と刃が鳴る。
 いつの間にか勇者の眼前に跳躍し、振り下ろしてきた騎士の剣と勇者の剣が合わさった。
 勇者の足が地面に沈む。勇者の背骨が衝撃に軋む。

騎士「そらそらそらぁ!!!!」

勇者「うあああああああああ!!!!」

 地面に降りた騎士が続けざまに繰り出す五連撃。
 閃光のように右から左から襲い来る剣を、勇者は無我夢中で打ち払う。
 最後の一撃は突き。反射的に後ろに飛ぼうとした勇者は愕然とする。
 地面にめり込んでいたことで足を取られた。ぐらりと勇者の体勢が崩れる。
 一瞬の判断。勇者は体内で魔力を紡ぐ。

勇者(『呪文・―――烈風』!!)

 風の塊が生まれる。しかし狙いは騎士ではない。
 騎士の加護レベルの前では、この程度の呪文はそよ風同前。剣の軌道を変えることすら出来ないだろう。
 風の塊が仰向けに倒れかけていた勇者の腹を叩いた。
 その衝撃により、勇者はまるで誰かに引っ張られたように勢いよく地面に背中を打つ。
 騎士の突きが空を切った。
 騎士の体が勇者に覆いかぶさるように前のめりになる。
 驚きに目を見開く騎士と、勇者の視線が交錯する。

勇者「おらぁッ!!!!」

 仰向けの姿勢から左に巻き込むように繰り出した勇者の右蹴りが騎士のわき腹にめり込んだ。

騎士「ぐ…!?」

 吹き飛んだ騎士の体がごろごろと地面を転がる。

勇者「はぁ…はぁ…」

 勇者は即座に立ち上がり、騎士に向かって油断なく剣を構えた。
 対する騎士は背中を勇者に向けて倒れたまま、起きあがろうとしない。

勇者「……?」

騎士「……くっくっく」

 騎士の肩が震えだした。
 騎士は堪え切れないというように笑みを漏らし、ゆっくりと立ち上がる。

騎士「あっはっは……いや、こんなに楽しいのは久しぶりだ。どうやって最後の一撃をかわしたのかは知らねえが、まさかLEVEL2をも凌ぐとは……すげえぜ勇者。タケノコもびっくりの急成長だ」

勇者「……そりゃどうも」

騎士「なんだか俺はとことんお前とのバトルを楽しみたくなったぜ。そこで勇者、俺の提案を受け入れちゃくれねーか?」

勇者「提案?」

騎士「ああ。俺の武器とお前の武器を交換しようぜ」

勇者「はあッ!?」

 騎士はその刀身を見せつけるように、勇者に向かって剣を突き出す。

騎士「俺の剣が普通の剣じゃないってのには、薄々勘付いちゃいるんだろう?」

勇者「まあ、な」

 勇者は頷いた。
 何度か打ち合った感触から、剣の材料が金属であることは間違いないと勇者は思うがしかし、それ自体が青く輝く金属など聞いたこともない。

騎士「今回のこの武闘会。優勝者への賞品が何やら特別な武器らしいってのは聞いてるか?」

勇者「ああ」

騎士「おそらくそれは俺のこの剣と似たような武器のはずだ。武器自体が精霊の加護を宿している―――言わば『精霊装備』」

勇者「精霊装備?」

騎士「武器自体が強力な加護を宿している為、加護レベルの差を覆すことが出来る。これを使えば、小童でも固い竜の鱗を裂くことが出来るだろう」

騎士「そして非常に頑丈だ。俺くらいのレベルになってしまうと、本気で振るえば普通なら剣の方がもたないんだが、この剣なら問題なく振れる」

勇者「それを、俺の剣と交換するっていうのか? 悪いが俺の剣は何の変哲もない普通の剣なんだぜ?」

騎士「そう、つまりハンデだ。お前が俺の剣を使えば俺に問題なくダメージを通せるようになるだろう。俺がお前の剣を使えばその剣が折れない程度に力を抑えなきゃならない。そうすりゃ、ちょうど互角のいい勝負になると思うんだよ」

勇者「舐められたもんだな」

 と、言いつつ勇者は心中やぶさかでないと思っていた。
 このまま戦い続けても万に一つも勝ち目は見えない。
 だが騎士の提案に乗れば万に一つどころか、『勝てるかもしれない』と思えるほど勝率は上がる。
 元々勇者は自分の実力に誇りを持っていない。
 それ故騎士の提案は勇者にとって何ら侮辱的な意味合いを持たず、ただただ千載一遇のチャンスと勇者は受け取った。
 警戒すべきは武器の交換が騎士の罠である可能性だが―――勇者はその可能性を一蹴した。
 そもそも実力で大きく上回っている騎士がそんな姑息な手を使う必要はないし、勇者が把握している騎士の性格上、彼がそんなことをするとは考えづらかった。

勇者「乗ったぜ」

騎士「さすが。そう言ってくれると思ったぜ」

 二人は目の前の地面に己が剣を突き立てる。
 そしてゆっくりと歩み出し、すれ違った。
 勇者は騎士の剣の前に、騎士は勇者の剣の前に立つ。

勇者「せーの!」
騎士「せーの!」

 同時に剣を抜き放ち、振り返る。
 第2Rの始まりだった。

 騎士の剣を握った勇者は驚愕していた。

勇者(軽い…! まるで重さが無いみたいだ。それに凄く手に馴染む…とても今初めて握った剣だとは思えない)

 騎士の攻撃を、先ほどまでとは違い、勇者は余裕をもって受け流す。

勇者(それに、何だこの感覚は……まるで剣が俺に語りかけているような、剣が俺を導いているような…奇妙な感覚がある)

 困惑する勇者の様子を見て取って、騎士は笑って言った。

騎士「初めてその剣を握った時の俺と同じ顔してるな、勇者。そいつの声に戸惑っているんだろう?」

勇者「声…? やっぱりこれは声なのか? 俺に何かを語りかけてくるような感覚はあるが……」

騎士「明確な意思を持っている訳じゃねえがな。装備した者に情報を流すんだ。自分の力を十全に揮わせるために。自分の名前と、その能力を」

勇者「能力?」

騎士「精霊装備はおおよそ全て特殊な力を秘めているって話だ。まあ初めてその剣を握ったお前はまだ、そいつの声を確信出来ないだろう。だから俺が教えてやる」

騎士「そいつの名前は『精霊剣・湖月(コゲツ)』。力を揮う言霊は『穿つ』だ」

 騎士の言葉を聞いた途端、勇者の頭の中で取り留めなく揺蕩っていた情報がかっちりとはまった。
 その剣の名と、その能力を把握した勇者は後ろに飛んで騎士との距離を取る。
 そして、間髪入れず剣を振り、叫んだ。

勇者「穿てッ!! 『湖月』ッ!!!!」

 いつの間にか、勇者の持つ剣―――精霊剣・湖月は水色に濡れていた。
 刀身を濡らす水滴は勇者が剣を振る勢いに流され、剣先に集う。
 瞬間―――凄まじい勢いで剣先から放たれた水は槍と化し、騎士の体に向かっていた。

騎士「おっとぉッ!!」

 騎士は身を躱す。
 外れた水流は闘技場の壁に十数センチの穴を開けた後、勢いを無くして流れ落ちた。

勇者「す、すげえ……」

 自ら水流を放ったにも関わらず、ぽかんと勇者は結果を見つめている。

騎士「要は水の槍を生み出す能力ってわけだ。すげえだろ? 武器としての攻撃力も高く、道具として使っても効果がある。こんな便利な武器はちょっと無いぜ」

勇者「お前、こんな物をどこで……」

騎士「俺の場合は故郷に国宝として伝わってたんだ。精霊装備は人間に造れるものじゃない。一説にはエルフが造ったんじゃって話もあるらしいが……とにかく今の世の中、現存している精霊装備ってのはかなり貴重だ」

勇者「こりゃ是が非でも、今回の賞品を手に入れなきゃって気持ちになってきた。ってなわけで降参してくれ騎士」

騎士「やなこった。こんだけハンデくれてやってんだ。実力で掴み取ってみな勇者」

 騎士の剣と勇者の剣が再び合わさる。
 速度と重さで一気に攻める騎士の剣。変幻自在に踊る勇者の剣。
 ガガガガ、と絶え間なく響く剣戟の音に、観衆は声を出すことも忘れ見入っていた。

勇者「ふぅ…ふぅ…!」

 何度目になるかもわからない打ち合いの後、再び距離を取った勇者は考えていた。

勇者(ジリ貧だ。このまま打ち合いを続けていても勝ち目は見えない)

 勇者は騎士の様子を伺う。

騎士「どうした? もう終わりか?」

勇者(やはり全然消耗しているように見えない。当然だ。あいつはずっと軽く流して走っているようなもの。常に全力疾走な俺が先にへばるのは当然)

勇者(ここらで一発勝負に出るしかない)

 勇者は両手で握っていた剣の柄から左手を離し、その手のひらをじっと見つめた。

勇者(……呪文を使う。それで一気に決めてやる)

勇者(俺が今まで呪文を使ったのは最初の突きを躱すために使った一度きり。あえて、だ。あえてそうした)

勇者(俺は騎士の前で呪文を使ったことはない。騎士は、俺が呪文を使えることを知らない)

勇者(今ここで呪文を使えば騎士の不意を打てる。致命的な隙を生み出すことが出来るはず)

勇者(この『湖月』なら、加護レベルの差に関係なくダメージを与えられる。一度でも奴に直撃させられれば、それで決着をつけることが出来るはずだ)

勇者(問題は、どの呪文を使うか)

勇者(俺が使える風や火の初歩的な呪文じゃ、騎士にほんの少しのダメージも与えられない。それじゃ隙を生むことだって出来やしない。『睡魔』もあっさり無効化されるだろう)

勇者(……賭けるしかない、か)

勇者(呪文のレベルを上げる。練り上げる魔力が足りなければ不発に終わっちまうが、大丈夫だ。あの盗賊も倒して、俺の加護レベルは最近急激に上がった。きっと出来る。自分を信じろ!)

勇者(……よし…)

騎士「お、表情が変わったな。いい顔だ。腹をくくったな」

 騎士は勇者を追撃しようとせず、その場で迎え撃つ構えを取った。

騎士「楽しみにしてるぜ勇者。俺に、まいったと言わせてみな」

勇者「『穿て』ッ!! 『湖月』ッ!!」

 勇者の持つ精霊剣・湖月から水流が発射される。
 騎士は僅かに背を反らすだけでその一撃を躱した。

勇者「『穿て』『湖月』!! 『穿て』『穿て』『穿て』ぇッ!!!!」

 二本三本、四本五本六本。
 勇者は間断なく湖月を振り、水の槍を次々繰り出していく。
 が、その全てを騎士は事も無げに回避した。

騎士「何のつもりだ? 勇者」

勇者「最後の確認さ。これだけの量の水が出せるなら大丈夫だ」

 勇者は騎士を指差す。
 それはいつも勇者が呪文を放つ際に取るお決まりのポーズ。
 体内で練り上げた魔力を、指先に集中させる。
 それは、かつて勇者が経験したことのない規模の圧縮率だった。

勇者「いくぜ――――『呪文』」

 圧縮された魔力は指先から解放され、その魔力量に相応しい規模の事象を引き起こす。

勇者「―――――『大火炎』!!!!」

 直径三メートルにも及ぶ大火球が突如発生し、騎士に向かって発射された。

騎士「何ィィィーーーーッ!!!?」

 突然目の前に現れた火の塊に騎士は驚愕する。

騎士(なんだこりゃどういうこった、湖月の力じゃねえぞ、呪文!? まさか、勇者の奴呪文なんて使えたのか!? すげえなあいつマジかおいって、いや、そんなことは今はどうでもいい、こいつを、この火球をどう処理する!?)

 騎士は戦闘とは別の方向に飛びかけた思考を戻し、目の前の火球に向き合う。

騎士(躱すか、剣で斬り飛ばすか…!)

 じゃり、と背後で土を踏む気配がした。
 騎士はちらりと後ろに目を向ける。
 そこに、剣を構えた勇者が回り込んでいた。

騎士「野郎…!? この火球は囮か!!」

 勇者の呪文による奇襲は、騎士の判断力を少なからず奪っていた。
 騎士の加護レベルは桁が違う。これ程の火球でも、騎士には殆どダメージは与えられない。
 であれば、その加護レベルの差を無視できる騎士の剣、『湖月』による一撃こそがどうあれ勇者の本命になる。
 騎士が冷静であれば、そのことに気付き、火球の処理に思考を割く愚を犯すことはなかっただろう。
 だが、まだ間に合う。
 勇者の剣が振るわれる前に、騎士は後ろを振り返ることが出来た。
 ここからならば十分に防御が間に合う。それ程の速度差が勇者と騎士にはある。
 しかし当然その剣を騎士に向かって振るってくるものと思われた勇者は、剣を構えて微動だにせぬまま、口を開いた。

勇者「穿て『湖月』。穿って、穿って、穿ち続けろ」

騎士「な…に…?」

 湖月から次々に生み出された水流が迫る火球に撃ち込まれる。
 瞬く間に蒸発した水分は周囲に白い蒸気を大量にまき散らした。

騎士「なにぃーーーーーッ!!!!?」

 これこそが勇者の真の狙い。
 勇者とて、たとえ呪文のレベルを上げても騎士に対して大きな効果は望めないと悟っていた。
 それでも、下手すれば呪文の不発というリスクを負ってまで呪文のレベルを上げたのはこのためだった。
 精霊剣・湖月により生み出された水分を瞬時に蒸発させることにより蒸気で騎士を包み込む。
 そのために、火力が必要だった。そのために、それなりの効果範囲が必要だった。

騎士(ぐ…! 何も見えねえ…!! 煙幕のつもりか、勇者。これで俺の視界を阻害し、改めて不意を突こうと…)

 否、そうではない。

騎士「が! ごほッ!!」

 騎士は突然咳き込んだ。
 当然だ。熱された蒸気を吸い込んだのだ。
 いくら加護のレベルが高かろうが関係ない。
 それは人間として当然の防御反射だ。
 咳き込む。剣を持った敵を前にして行うには、余りにも致命的な隙。
 白い煙幕を突き破り、まさしくその瞬間を狙った勇者が騎士に向かって精霊剣・湖月を振り下ろした。

勇者(勝った!!)

 勇者は確信した。
 蒸気の被害を避けるため、自身は息を止め続けている。
 騎士はまだ剣を構えることすら出来ていない。
 勇者と騎士の目があった。
 ぴくりと剣を持った騎士の腕が反応する。
 だが無意味だ。
 間に合わない。
 今さらどんな行動を起こそうと、間に合うはずがない。









騎士「LEVEL――――3」



 ぎゃりん、と途轍もない衝撃が勇者の腕を襲った。
 勇者の意識は一瞬空白になった。
 自身の一撃を打ち払われたのだ、と気づいた時には既に次の一撃が眼前に迫っていた。

勇者(いや――ちょ――待―――だって、一撃目の衝撃がまだ―――)

 混乱。困惑。
 勇者はまだ騎士の一撃目を受け止めている。
 勇者の認識では間違いなくそうだ。
 にもかかわらず、眼前に迫る二撃目の刃。
 衝撃が勇者に伝わり切るその前に、既に次の攻撃が振るわれている。
 勇者の感覚認識速度をぶっちぎったその一撃を、当然勇者は躱せるわけもなく―――

 騎士の一撃は振り切られ、折れた刀身が離れた地面に突き刺さった。

 空振り。
 騎士の持つ勇者の剣が、根元からぽっきりと折れていた。

騎士「あ~……やっぱりLEVEL3には耐え切らんか」

 騎士は折れた剣を見つめ、ぼりぼりと頭を掻いた。
 察するに、一撃目の衝撃で刀身に罅が入り、その後の騎士の常軌を逸した速度での振り回しに耐え切れず折れてしまったのだろう。
 騎士は勇者の剣を丁重に地面に置き、懐から刃渡りにしてわずか10センチほどの小刀を取り出した。

騎士「どうする? ハンデはさらにきつくなっちまったけど……続けるか?」

 勇者は、その場にへなへなと尻餅をつき、笑った。

勇者「冗談だろ? 降参だよ。参った」

騎士「へへ、俺の勝ちぃー。楽しかったぜ、勇者」

 騎士が勝ち名乗りを上げると観客席から大歓声が巻き起こった。

僧侶「勇者様、負けちゃいましたけど、凄い、凄かったですよね!!」

 僧侶もまた、興奮気味にぴょんぴょんと跳ねている。
 武道家は右拳を左の掌にばしんと叩き付けた。

武道家「まったく……盛り上げてくれるじゃないか、勇者」

戦士「………」

 戦士は寡黙なまま一言も発しなかった。
 しかし闘技場を見つめる目が明らかに熱を帯びていることを、僧侶は見逃さなかった。

勇者「ってゆーか!! 俺の剣!! どーしてくれんだお前!!」

騎士「すまんて。ごめんて。弁償するって。優勝賞金で」

勇者「きいーーーッ!! お前の湖月寄越せコンチクショウ!!」

騎士「それはならん。ならんなぁ~、勇者。……ん?」

 闘技場を出て、控室に戻る二人の前に立ち塞がる影があった。
 大柄な体に豊かな髭をたくわえた精力漲る老人と、その横に控える壮年の兵士。

騎士「誰だ? おっさん」

勇者「……んああああ!!!? ぶ、武王様!?」

 勇者はすぐに目の前の人物の正体に気付き、驚愕の声を上げた。

騎士「ぶおう? ぶおうって何よ?」

勇者「お前マジか!? この国の王様だよ! この国で一番偉い人!!」

騎士「あぁ~、ぶおうって、武王のことね。はいはい」

武王「ふははは! このワシを前にしてその不遜な態度。やはりそこらの凡百とは一味違うのう。いや、愉快愉快」

勇者「ぶ、武王様。御自らこのような場所に降りられて、一体如何様な御用でありますでしょうか」

騎士(あ、出た。伝説の勇者の息子モード。キモッ!)

武王「実はの、ワシはお主たちを我が国の兵士団に勧誘に来たのじゃ。お主等の闘い、年甲斐もなく血が滾ったぞ。はっきり言って惚れた。給金もいい値を払おう。望むなら、この国で最も美しい妻も与える。どうだ?」

勇者「過分な評価をいただき、真にありがとうございます。しかし、私は魔王討伐という使命があるため、一つ所に留まるわけにはまいりません」

武王「そうか……残念だ。狂乱の貴公子、お主はどうだ?」

騎士「まあ、俺もやることありますし? 悪いっすけど今回はパスで」

武王「ふむ…致し方あるまい。重ねて勧誘するのも野暮というもの。あいわかった! しかしワシがお主等に惚れ込んだのは事実! この先何か困ったことがあればいつでもこの国を頼るがよい! 出来る限り力を貸すことを誓おう!!」

勇者「あ、ありがとうございます!!」

騎士「おお、ラッキー。そん時はよろしく頼むぜ、武王様」

兵士長「武王様。そろそろ次の試合が始まります。席にお戻りにならなくては」

武王「うむ。ではな、二人とも。狂乱の貴公子、お主の戦いぶり、これからも楽しみに見させてもらうぞ」

 そうして、武王と兵士長は去って行った。

勇者「……そういやお前、狂乱の貴公子って何よ?」

騎士「洒落だよ洒落。痛々しくて中々おもしれーだろ?」


 勇者、武闘会初戦敗退。

 しかし勇者の奮闘を見てモチベーションを極限まで高めた武道家、戦士は一戦目、二戦目と順調に勝ち上がっていく。

 そして迎えた三戦目。

 ―――――闘技場の中心には、武道家と戦士の二人が立っていた。

武道家「まあ、トーナメントである以上、勝ち上がっていけばこういうこともある」

戦士「そうだな」

武道家「先に言っておこう。この戦い、勝ち上がるのはお前だ。戦士」

戦士「ほう…」

武道家「さっき勇者にな、念入りに釘を刺されたよ。決してお前を傷つけぬよう立ち回り、適当な所で降参しろ、とな」

戦士「そうか……まあ、当然の戦略と言えるだろうな」

武道家「そうだ。優勝のために片方の消耗を避ける。まったく当然、常道だ。だがな戦士……」

 武道家の肉体に目に見えるほどの闘志が漲る。
 それは、八百長で降参する男が出す闘気では全くなかった。

武道家「悪いが役割を変わってくれ。俺はどうしても、この手で騎士と立ち合いたい」

戦士「それは出来んな。何故なら、私も奴とどうしてもやり合いたいからだ」

武道家「そうか。ならばしょうがないな」

戦士「ああ、まったくしょうがない」

 武道家はその場でトントンと二度、軽く跳ねた。
 戦士は背負った大剣を抜いて構える。

武道家「……折角だから、本音を言おう」

戦士「なんだ?」

武道家「実は以前から、お前とこうして立ち合ってみたいと思っていた」

戦士「私もだ。何とも気が合うことだな」

 観客席から遠巻きに見ていた勇者は、二人の様子がおかしいことに気付いた。

勇者「あれ? 何か雰囲気おかしくない? 全然和やかじゃなくない? むしろ二人ともなんか精霊の祠探検時のボス戦前みたいな緊迫感出してない?」

 武王から試合開始の声が上がった。
 駆け出し、衝突する二人の剣と拳。

武道家「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

戦士「はあああああああああああああああああ!!!!!!」

勇者「えええええええええええええええ!!!!!? なにマジでやり合ってんのーーー!!!? 馬鹿なのーーーー!!!? 二人とも馬鹿なのーーーーッ!!!!?」




第十一章  つわものどものカーニバル(前編)  終

今回はここまで

 ここで改めて、勇者と魔王討伐の旅を共にする二人、戦士と武道家の戦闘スタイルを確認しておこう。
 戦士が装備するのは両手持ちの大剣。その刀身の長さは150㎝にも及ぶ。
 戦士はそれをまるで小枝の様に振り回し、圧倒的なリーチと質量で相手を寸断する。
 武道家が装備するのは両手を覆う手甲。手の甲側を肘まで、鱗のように節を設けた鋼で覆っている。
 肘の部分からはスピアと呼ばれる槍の穂先を思わせる刃が突き出ており、相手を切り払ったり急所に突き立てたりと多彩な攻撃を可能にする。
 つまり、二人の闘いは。
 武道家が如何にして戦士の懐に飛び込むか。戦士が果たして武道家を近づけさせずに打ち倒すことが出来るか。
 結局のところ、そこが焦点となる。






第十二章  つわものどものカーニバル(後編)




武道家「つあッ!!!!」

戦士「はああああ!!!!」

 武道家が戦士に向かって飛びこむ。迎え撃つように戦士は大剣を横薙ぎに振るった。
 身を屈めた武道家の頭上を鉄塊が通り過ぎる。
 数本の髪の毛が剣を掠め、パラリと風に舞った。
 勝機と踏んで武道家は更に一歩、戦士に向かって踏み出そうとして―――自分の顔に影がかかっていることに気づいた。

武道家「なにッ!?」

 今やり過ごしたばかりのはずの戦士の剣が、高々と頭上に掲げられている。

戦士「ずぇあッ!!!!」

 全霊を持って振り下ろされる戦士の一撃。
 手甲をもって打ち逸らすことは不可能。武道家は瞬時に判断する。
 前に向かって地面を蹴ろうとしていた足を無理やり方向修正。
 足首に嫌な痛みが走ったが躊躇せず地面を横に向かって蹴りぬく。
 直後に武道家が元居た所を戦士の剣が叩いた。
 土が爆ぜ、砂埃が舞う。
 武道家は崩れた体勢を地面に手をつき、体を反転させることで即座に立て直した。
 戦士の追撃はない。
 戦士はゆっくりと武道家の方に向き直り、かちゃりとその剣を構えた。

武道家「ふぅ~…」

 武道家は額を流れる汗を拭い、ひとつ息をつく。
 観客席から歓声が上がった。

「おいおいおい!! どうなってるんだ今回の大会は!! レベルが高すぎるぜ!!」

「儂は初回からこの大会を欠かさず観戦しているが……こりゃこれまでの例にないほど当たりの回じゃわい」

僧侶「すごい! 戦士も武道家さんも…二人とも本当に凄いですね!! 勇者様!!」

勇者「……ああ。何で仲間内であんなガチの潰し合いしてんのか、全く理解に苦しむけど、確かに凄いね。二人とも、本当に強くなってる」

勇者(もし仮に、今の二人のステータスを表すとしたらこんな感じかな)


 戦士:性別 女

 体力☆☆☆☆☆★★★
 魔力
 筋力☆☆☆☆☆★
 敏捷☆☆☆☆★★★

 ※白星☆ひとつは黒星★五個分に該当

 武道家:性別 男

 体力☆☆☆☆★★
 魔力
 筋力☆☆☆☆★★★
 敏捷☆☆☆☆☆☆


勇者(ちなみに旅の最初の頃は…)


 戦士

 体力★★★★★
 魔力
 筋力★★★★★★
 敏捷★★★★


 武道家

 体力★★★★
 魔力
 筋力★★★
 敏捷★★★★★


勇者(こんな感じだったから二人とも本当に強くなってるよ、うん)

勇者(その強さを何で仲間内でぶつけあってんのかはホントに意味わからんけど!! 意味不!!)

 武道家が地を蹴る。戦士が迎え撃つ。
 既に五度に渡って繰り返されたこの激突。
 これまでは全て戦士が打ち勝ち、武道家を射程外に押しやっていた。
 しかし今回遂に転機が訪れる。
 横薙ぎに振るわれた戦士の剣。武道家はしゃがんで躱す。
 空振りした剣は即座に一周し、今度はしゃがむ武道家の足を狙う。
 跳躍。僅かに体を浮かせた武道家の足元を剣が通り過ぎていく。
 飛んだ方向は勿論前方。戦士の体に向かって。
 二人の視線が交差する。
 武道家は笑う。戦士は歯噛みする。
 戦士が剣を引きもどす。しかし、その時には武道家の体は既にお互いの手が届く距離。
 すなわち武道家の距離であった。

武道家「はぁッ!!!!」

 武道家の拳が戦士の腹部を叩いた。
 戦士は腹に鎧を纏っている。
 しかし衝撃は装甲を貫通し、戦士の内臓を激しく揺さぶった。

戦士「ぐぅ…!」

 込み上げる吐き気を必死で戦士は飲み込み、即座に反撃に出た。
 脇を締め、腕を折りたたむようにして無理やり武道家の脇の下に刃を持ってくる。
 しかしそんな体勢では満足に剣速が出る訳もなく、振るわれた刃はあっさりと武道家の手甲によって打ち払われてしまった。

戦士「くっ!」

武道家「あの騎士の奴に対抗するのに最も重要なのは速さだ。まず奴の動きについていけなければ話にならん」

武道家「戦士。こと速度に関してはお前より俺の方が上だ。奴との対戦、俺に譲ってもらうぞ!!」

 振るわれた拳を戦士は身をよじって躱そうとするが、避けきれず肩口に食らってしまう。
 その衝撃に戦士の体が後方に弾き飛ばされた。

武道家「わざと踏ん張らずに、衝撃を利用して距離を取る気か。させん!!」

 武道家が追撃に移る。
 戦士は着地し、体勢も整えぬまま僅かに開いた距離を利用して剣を振る。

武道家「碌に踏み込みも出来ぬまま振られた剣など、……ッ!?」

 手甲を用い、剣を打ち逸らそうとした武道家は、しかし戦士の意図に気付き息をのんだ。
 振るわれた剣は、切っ先がこちらを向いていなかった。
 向いていたのは、剣の腹。
 つまり戦士は武道家を斬るつもりではなく、叩くつもりで剣を振ったのだ。
 向かってくるのが鋭く研ぎ澄まされた点ならば、斜めに手甲を入れることで打ち逸らすことも出来よう。
 しかし向かってくるのが面ならば。逸らすことは出来ぬ。如何なる角度で手甲を入れようとただ叩き潰されるのみである。
 ならば躱せばよい―――今更だ。ここから回避行動に映ったとしても到底間に合わない。
 武道家に出来るのは、歯を食いしばり、次の瞬間の衝撃に耐えることのみ。

 バゴムッ!!!! と凄まじい音をまき散らし、武道家の体は武道場の地を跳ねて転がった。

武道家「が…ぐ…!!」

戦士「速度が大事だと言ったな、武道家」

 がくがくと震える足を押さえ、必死に立ち上がろうとしている武道家に、戦士は言う。

戦士「そうではない。騎士を相手にする時に必要なのは一撃の重さだ。いくら速度で追いつこうと、奴の加護を打ち破る力が無くては意味がない」

武道家「ふ……成程、違いない……」

戦士「まだ続けるか?」

武道家「いいや、参ったよ。降参だ。騎士の奴はお前に任せる。頼んだぞ、戦士」

戦士「承知した」


 武道家、敗退。
 戦士、決勝進出―――――

僧侶「お疲れ様でした、二人とも!」

戦士「ああ…」

勇者「ちょっと武道家、こっちおいでほら君こっち」

武道家「いたたた、引っ張るな。悪かった、指示を無視したのは悪かったよ」

勇者「悪かったですむかーーー!!!! 仲間を(しかも女の子を)思いっきり殴りつけるとか何考えとんじゃ貴様は!!!!」

武道家「つい熱くなってやった。今は反省している」ケロッ

勇者「やかましいおんどりゃ!!!!」

僧侶「それにしても、戦士ってやっぱり凄いのね。あの武道家さんに勝っちゃうんだもの。驚いちゃったわ」

戦士「そんなことはない。武道家は本気で私を倒しに来てはいなかった」

僧侶「え?」

戦士「武道家は一度も私の顔を狙わなかった。加えて、今の対戦で武道家はほとんどスピアを活用していない」

僧侶「それはつまり……」

戦士「私に大怪我をさせる可能性がある攻撃を避けたんだ。あいつは、なんだかんだで勇者の言う事を聞いていたのさ」

僧侶「………」

勇者「おまえホントおまえ」

武道家「すまんて」




 そして騎士もまた当然のように勝ち上がり―――決勝戦が始まる。



武王「よくぞここまで勝ち上がった。両者に惜しみない賛辞を贈ろう。志半ばに敗退した者達の思いを背負い、誇りと礼節をもって、最高の試合を我々に見せてほしい」

武王「それでは―――決勝戦、始めい!!!!」



 武王による試合開始の宣言が為され、戦士は両手で大剣を構える。
 その表情は真剣そのもの。
 対する騎士は余裕の笑みを浮かべていて、構えも――剣を抜いてこそいるものの――だらりと自然体の様子であった。

騎士「さて―――さてさて、勇者の成長は目を見張るほどのもんだったが、お嬢ちゃんはどんな感じかな?」

騎士「あんまり成長してないようじゃ、俺を興じさせることが出来ないようじゃ、ぱっぱと終わらせちまうぜ?」

 ちゃき、と騎士は青く輝きを放つ精霊剣・湖月の切っ先を戦士に向ける。

騎士「いくぜ? まずは小手調べ―――LEVEL1だ。頼むから、これで終わってくれるなよ?」

 騎士が地面を蹴る。一瞬で戦士に肉薄する。
 そして振り下ろされる剣。
 騎士曰く、小手調べ―――しかしその実、かつて戦士を圧倒した盗賊の首領よりも速く、重い一撃。


 ―――その一撃が戦士の頭に届く前に、戦士の大剣が騎士の体に横から叩き込まれていた。


戦士「ぬああああああああああああ!!!!!!」

騎士「ご…!?」メキゴキパキパキ

 戦士の全身全霊をかけたその一撃は、騎士の剣の速度を遥かに上回っていた。
 体をくの字に折り曲げて騎士は吹き飛び、その勢いで闘技場の壁を粉砕する。

「ウオオオオオオオオオオオーーーーー!!!!!!」

 観客から上がる大歓声。

僧侶「やった、やった! お二人とも! 戦士がやりました!」

 僧侶も歓喜にぴょんぴょんと飛び跳ねる。
 しかし勇者と武道家の表情は硬かった。

僧侶「どうしたんですか? お二人とも…」

勇者「相変わらず化物だな……騎士の奴」

僧侶「ど、どういうことです!?」

武道家「今、戦士は間違いなく剣の刃の部分をぶつけた。俺との戦いの時とは違ってな。にもかかわらず、騎士は両断されず『吹っ飛んだ』。それはつまり、戦士の攻撃力をもってしても未だ騎士の体に刃を食い込ませることが出来なかったということを意味している」

 がらがらと壁の破片を払いのけ、騎士が土煙の中から姿を現した。
 戦士の剣が接触したところの服は破れ、少しだが出血しているように見える。

勇者「あ…!!」

武道家「僅かながら、通っているか! ならば、勝機はあるぞ戦士…!」

 ぱんぱんと服に着いた埃を払いながら騎士は闘技場の中央に戻って来る。

騎士「いやいや、やりすぎだろ。殺しちゃ駄目ってルール忘れたの? 今の俺じゃなかったら確実に体真っ二つになって死んでたからね?」

戦士「すまないな。しかし、お前はこの程度では死なないと信じていたよ」

騎士「信頼されるって嬉しいことばっかりじゃないのね」

戦士「今の不意打ちには正直私の私怨が多分に含まれていた。謝罪しよう。そして騎士よ。私はお前に礼を言わなければならない」

騎士「礼? なんの?」

戦士「勇者を立ち直らせてくれたことだ。お前が諭してくれなければ、勇者は壊れてしまったままだった。そのことについては―――本当に、ありがとう」

 戦士の礼を受け、騎士はキョトンとした顔になる。
 戦士は改めて剣を構え、宣言した。

戦士「さあ、これで互いに過去の事は忘れることとしよう。ここからは純粋な技と力の比べ合いだ。いざ、尋常に―――来い!! 騎士!!」

 戦士の言葉を受けて、しかし騎士は構えない。

騎士「くふ…ふふ、ふはははは!!」

 それどころか、大口を開けてゲラゲラと笑い始めた。

戦士「な、何がおかしい!!」

騎士「あっはっはっは……いやあ、悪い。だってよ、勇者の件に関して俺が礼を言われる筋合いなんて全く無かったからさ。お前の見当違いのお礼がつい可笑しくなっちゃって」

戦士「な、何故だ。実際、お前は勇者を励まし、元の勇者に戻してみせたじゃないか」

騎士「いや…あいつはさ、いっそあのまま壊れて旅をやめちまってた方が、実は幸せだったんだよ、多分」

戦士「なに…?」







騎士「あいつはいずれまた壊れる。あいつが『伝説の勇者の息子』として旅を続けるのならば、いつか必ず」






騎士「しかも、あいつを一時的にでも立ち直るきっかけを与えたのがよりにもよって俺だった、ってのがまた最悪だ」

騎士「本当にあいつは運が悪い。運命とでもいうのかね? 可哀想な奴だ。まるで世界の全てがあいつをぶっ壊すために動いてるみたいだぜ」

戦士「何のことだ……騎士!! お前は何を知っている!!」

騎士「お前の知らないことをさ、戦士。さて、いつまでも突っ立って喋ってちゃギャラリーが退屈しちまう。お望み通り、互いにしがらみ抜きの勝負といこうじゃねえか」

戦士「待て、騎士! 勇者にこの先何が起こる!? 知っているのなら、それを…!」

騎士「今この場では言えない事情がある。それで納得しろ。そら、行くぞ。構えろ」

戦士「く…!」

騎士「湖月で斬られちゃ痛えじゃすまねえ。頼むから、適当な所で降参してくれよ」




 この後、二時間にもわたって繰り広げられた戦士と騎士の激闘は、武闘会史上最高の一戦として観衆の記憶に刻まれた。

 武王も、観衆も、敗れた戦士の健闘を称え、惜しみない賞賛を送った。

 武王に至っては、通常優勝者にしか与えられない賞金を、特例として戦士にも追加で与えたほどである。

 しかし、勇者と、武道家と、戦士だけはわかっていた。



 騎士はまだまだ、実力の半分も見せていない―――――と。


 武闘会翌日、早朝の城下町の入り口付近にて―――――

騎士「んじゃ、俺行くわ」

勇者「騎士……」

騎士「楽しかったぜ。またな!」

勇者「騎士……待ってくれ!!」

騎士「なんだよ。男の旅立ちを引き止めるなんて野暮は無しだぜ勇者」








勇者「いやお前、剣弁償しろよ」

騎士「ですよねー」




騎士「ほら」ズシ…

勇者「こ、これは……」

騎士「今回の武闘会の賞品――『精霊剣・炎天(エンテン)』。力を引き出す言霊は『焼き尽くす』。これをくれてやる。折れた剣の代わりとしちゃ、十分だろ」

勇者「いいのか?」

騎士「ああ。その代り約束しろよ。必ず―――魔王の所まで辿りつけ」

勇者「……ああ、約束する」

騎士「いい返事だ」

 勇者と騎士は互いに笑い合う。
 そして勇者は騎士から渡された精霊剣・炎天を装備した。










 しかし、勇者には装備できなかった!!


勇者「…………」

騎士「wwwwwwww」



勇者「わかってたよ!! でっけーんだよこれ!! 刃渡りなんぼよ!? 2m弱あんだろこれよぉ!!」

騎士「お腹いたいwwwwwあかんwwおなかいたーいwwwwww」

勇者「俺の得意武器は片手剣なの!! これ完全に両手持ちの大剣なの!! ドゥーユーアンダスタン!?」

騎士「かおwwwwこれ差し出された時のお前の顔wwwwwwくそwwwその後真顔になってやり取り続けやがってwwww卑怯モンがwwwwww」

勇者「笑ってんじゃねーよハゲ!!」

騎士「なんだよ、じゃあいらねーのかハゲ!!」

勇者「いるよハゲ!! 戦士にあげるよ!! ありがとうハゲ!!」

騎士「どういたしましてぇぇぇえええええ!!!!!!」

勇者「ハゲって言わねーのかよ!!!!」

騎士「んじゃ、今度こそ行くわ。これからも色々あるだろうけど、まあ頑張ってな」

勇者「おう……なあ、騎士」

騎士「なんだよ?」

勇者「一つだけ教えてくれ。魔王軍は……お前が追っている暗黒騎士って奴は、お前くらい強くても勝てないのか?」

騎士「ん~、どうだろうな? 案外やってみたら、あっさり勝てたりするかもしんねえ」

勇者「それでも、お前は修業の旅を続けるのか?」

騎士「やってみて、やっぱ駄目だった足りんかった~ってなっても、もうそれでお終いだろ。出来る限り力をつけてから挑むよ。自分なりに精いっぱいな」

勇者「そうか……なあ、騎士」

騎士「何だよ? 聞くのはひとつじゃなかったのか?」

勇者「これでホントに最後だ―――俺達は、まだお前と共に旅をするには不足か?」

騎士「おう。まだまだだな。LEVEL3すら超えられないようじゃ、お話にならないぜ」

勇者(……あの速度の、まだ先があるのか)

騎士「そうだな……せめて、全員分の精霊装備を揃えろ。そうすりゃ、考えてやらなくもないぜ」

勇者「言ったな?」

騎士「おう、約束してやるよ。―――また会う時を楽しみにしてるぜ、勇者」

 騎士は勇者に背を向け、街の入口へと向かう。
 名残惜しかったが、これ以上引き止めるのは確かに野暮だ。
 勇者は騎士から託された精霊剣・炎天を握りしめ、騎士の背中が見えなくなるまでその場で見送っていた。

 ――――いつか、その背中に追いついてみせる。

 朝もやに消える騎士の背中を見つめ、勇者は静かにそう決意するのだった。



勇者(…………とりあえず新しい剣どうすっかな~)

 ―――闘技場控室のある一室にて。

掃除夫「ふ~やれやれ。今回の武闘会も大盛り上がりだったな」ゴシゴシ

掃除夫「特に決勝まで来てた戦士ちゃんには惚れたぜ。ファンクラブ作っちゃおうかな~」ゴシゴシ

ロッカー「んーーー!! むーーー!!」ガッタンゴットン!

掃除夫「な、なんじゃあ!?」

 とあるロッカーの中から激しい物音と人のうめき声のようなものが聞こえる。
 掃除夫は恐る恐るロッカーのドアを開けた。

男「んぶーーーー!! んももーーーー!!」

掃除夫「んなんじゃあ!? 妙な男が口をふさがれてぐるぐる巻きに縛られてるぞ!?」

 男は長い金髪を振り乱し、掃除夫に視線で助けを求めている。
 掃除夫は涎にまみれた猿轡を解いてやった。

男「ぶはあ!! はぁーーーー!!!! 武闘会は!? 武闘会はどうなった!?」

掃除夫「そんなもんとっくに終わったよ」

男「ファッ!!?」

掃除夫(なんだコイツ…男のくせに化粧なんかして…まあ、もう汗と涎で溶けて見れたもんじゃなくなっちまってるが)

男「そんなはずはない!! この僕を抜きにして大会が始まるなんてことがあってたまるか!!」

掃除夫「はいはい。わかったからとりあえず帰ってくれ。私の仕事が終わらないよ」

男「そんな馬鹿なーーーー!! そんな馬鹿なーーーー!!!!」

掃除夫(変な奴……しかし控室に居たってことは、参加選手の一人だったってことか…? しかし今回、あんな奴出てたっけな……)



男「馬鹿なーーー!!!! この僕を、この『狂乱の貴公子』を抜きで大会が開催されたなんて、そんな馬鹿なことがあってたまるかーーー!!!!」





第十二章  つわものどものカーニバル(後編)  完

今回はここまで

書く時間なさ過ぎてやりたかった展開大幅カット

身内の闘いばっかで全然カーニバルって感じじゃなくなっちったチクショウ

5月になればもうちょい書く時間とれるはずなんで、精進します

かなり時間かかると思うけど、必ず完結まで持っていくんで、よろしくお付き合いくださいませ

 強固な外殻を纏った魔物の群れが勇者たちに襲い掛かる。
 その姿は、言うなれば二足歩行する蟹の化け物。
 魔物は先端が大きなハサミとなっている両腕を振り回して攻撃を行う。
 武道家は機敏な動作でその腕を掻い潜り、魔物の懐に飛び込んだ。

武道家「せいッ!!」

 気合の声と共に腹部に拳を叩き込む。ガイン、とまるで金属を打ち鳴らしたような音が響いた。
 魔物は武道家の攻撃を意に介さず、その腕を振りかぶった。

武道家「ちいっ!」

 慌てて飛び退り、魔物の一撃を回避する。
 同じように敵と一合切り結んだ勇者が武道家の傍まで下がってきた。

勇者「かってえなちくしょう!!」

武道家「どうも打撃は効果が薄いな。かといってスピアも奴らの装甲を通るかわからん。さて、どうするか……」

僧侶「私の呪文で攻撃力を強化しましょうか!?」

勇者「そうだな……あ、いや、どうやらそれには及ばないみたいだ」

 勇者の視線の先で、戦士が両手で持った大剣を振り回している。
 赤く煌めく刀身を持った精霊剣・炎天。剣自体に強力な精霊の加護を纏わせたその刃は、固い敵の外殻をまるで豆腐を切るかのように寸断していく。
 勇者たちに襲い掛かってきた魔物の数は四体。勇者と武道家がそれぞれ一体ずつ相手にしている間に既に戦士は二体の魔物を斬り伏せていた。
 息つく間もなく戦士は残りの二体に目を向ける。勇者たちに襲い掛かろうとしている魔物の姿を見て取った戦士はその切っ先を魔物に向け、叫んだ。

戦士「焼き尽くせ、炎天!!」

 言葉と同時、剣から炎が迸る。明確な指向性をもって、敵に真っ直ぐ向かった火炎が魔物たちを包む。
 驚愕と苦痛に足を止める魔物たち。その隙に距離を詰めた戦士が精霊剣・炎天を振り下ろす。
 その長大なリーチで二体の魔物を一撃で纏めて斬り飛ばし、魔物の群れは全滅した。

戦士「ふう……」

僧侶「お疲れ様、戦士」

戦士「ありがとう」

武道家「凄まじいな……これが精霊装備の威力なのか」

勇者「やはり全員分欲しいな、これは。当面は精霊装備の在りかについて情報を集めて回ろう」

 勇者は僧侶と談笑している戦士に目を向ける。
 勇者の視線に気づいた戦士と一度目が合ったが、戦士はふいと視線をすぐに向こうにやってしまった。

勇者(……いかん、精霊剣で呪文の真似事が出来るから、俺の存在価値が非常に小さくなってきている気がする。あかんで、このままではまた要らない子認定されかねん。なんか、色々頑張らねば……)

 武の国で調達した地図と周りの景色をしばらく矯めつ眇めつしていた勇者だったが、やがて三人に向き直って言った。

勇者「う~ん、やっぱりどう計算しても今日中には目標にしている町に着けそうにないや。ちょっとここから西に進んだ所に川が流れているはずだから、今日はそこで野営しよう」

 三人は勇者の言葉に頷いた。
 その後も何度か魔物の襲撃にあったが戦士の活躍もあって難なく撃退し、さしたる問題もないまま目的の沢に到着した。
 勇者は河原に屈みこんで水質を確認する。

勇者「うん、綺麗な川だ。周囲に魔物の気配もないし、今夜はここで野営しよう。テントと飯の準備は俺がやっとくから、三人は好きにしててくれ。ただ、あまり遠くにはいかないように」

僧侶「お手伝いしますよ、勇者様」

勇者「いんや。それには及ばないよ。大丈夫。むしろ俺にやらせて下さいお願いします」

武道家「そうか? ならお言葉に甘えるとしよう」

僧侶「それじゃ、武道家さん……今からまた少しお願いしていいですか?」

武道家「ん? ……ああ、構わんぞ」

 そう言って僧侶と武道家の二人は連れ立ってその場を離れていく。
 その空気感に二人の仲を邪推した勇者は、しばらくその背中をグギギと凝視していたが、所在なさげに立っている戦士に気が付いた。

勇者「どした? 戦士も好きにしてきていいぞ? 川の水も綺麗だから、水浴びとかしてきてもいいし……あ、今回は絶対に覗きませんから、ハイ、マジで……」

戦士「いや…その……」

勇者「?」

戦士「……なんでもない」

 戦士も結局その場を離れていった。

 一行が野営地と決めた河原から少し離れた所に開けた草地があった。
 その場所で、なんと武道家が僧侶に向かって拳を振るっている。

武道家「はっ!」

僧侶「うやぁっ!」

 顔に向かって飛んできた武道家の拳を、体を左に傾けて躱す。その勢いのまま体を回転させ、武道家の顎先に杖を突きつけた。
 あまり使われる機会はないが、僧侶の武器は杖である。呪文の命中精度を向上させる目的の武器であるためそもそも物理的な攻撃には向いていない。
 ただ、固さはそれなりにあるので、殴る、払う、突く、受け止めるなどの用途にも使えなくはないのだ。

武道家「駄目だ。動き出しが固い。まだまだ恐怖で体が固まってしまっているぞ」

僧侶「も、もう一度お願いします!」

 以前、盗賊たちとのいざこざがあってから、僧侶は武道家に稽古をつけてもらっていた。
 その内容は、僧侶自身の自衛能力の向上。自分の身を自分で守れるようになることで、仲間たちの負担を減らしたいというのが僧侶の望みである。

武道家「必要なのは反射行動の最適化だ。敵の攻撃を躱し、反撃する。或いは第二撃に備える。その時その時に必要な行動を反射的に行えるようにならなくてはならない」

武道家「恐怖に竦み、縮こまろうとする体を克服しろ。閉じようとする目蓋を見開け。見た物、聞こえる音、あらゆる情報をもって最適な行動を瞬時に判断するんだ」

僧侶「はい!!」

武道家「まだ遅い!! もう一度だ!!」

 十度の攻防を終え、その内容について論じていた所に戦士がやってきた。

武道家「三度目の時のような状況では、余り大きく躱すべきではない。体が伸び切ってしまうと、次の連撃に対応できんからな……おっと」

僧侶「どうしたの? 戦士」

戦士「あの……少し、相談があるんだ」

武道家「なんだ、改まって。どうした?」

戦士「その……勇者の為に、私に何かできることはないだろうか?」

 戦士の言葉に武道家と僧侶は目を丸くした。

武道家「……これは驚いたな。戦士が自らこんな殊勝なことを言い出すとは」

僧侶「どういう心境の変化なの? 戦士」

戦士「だ、ちが、私自身がどうこうということじゃなくてだな……実は、騎士にこんな事を言われたんだ」

 戦士は武闘会の決勝戦で騎士に言われたことを二人にも説明した。

武道家「『勇者はいずれまた壊れる』……か」

僧侶「どうしてあの方にそんなことが分かるんでしょう?」

武道家「さてな。相も変わらず得体の知れん男だ。ともあれ、言っていることを無視は出来ん。立ち直ったとはいえ、実際今も勇者は不安定なのだろう。いつ何がきっかけでまた前のような状態になるかわからん」

戦士「そうさせないために何か私たちで出来ることはないか、という話なんだ」

僧侶「そもそも勇者様があのような状態になってしまわれたのは、『伝説の勇者の息子』として以外に自分に価値を見出せなくなったその劣等感が大きな原因」

武道家「騎士の計らいで、その点に関して勇者は自信を取り戻したと思いたいが……それでも、心労が重なればまた心の均衡を崩すやもしれん」

僧侶「なるべく勇者様にストレスをかけさせないように配慮しなければいけませんね」

戦士「つまり?」

武道家「勇者にストレスが溜まらないよう気を付けて色々と手伝う。勇者のストレス発散に付き合う。そういう事をしっかりやっていかんといかんだろうな、まずは」

戦士「…………」






第十三章  スカイローリング乙女ハート




 戦士が河原に戻ってくると勇者の姿は無かった。
 既にテントは張られ、河原の石を積み上げて作った即席のかまどに火が焚いてある。
 戦士がきょろきょろと辺りを伺っていると、がさがさと川向こうの茂みが揺れ、勇者が姿を現した。

勇者「よっと!」

 10メートル以上ある川幅を、特に助走もせず勇者は一っ跳びで越えてくる。
 今の勇者たちのレベルならこの程度は造作もないことだ。戦士も全く驚いた素振りを見せない。

戦士「どこに行っていたんだ?」

勇者「ちょっと食えるもんないか見てきたんだ。いいもんが見つかったよ」

 言いながら勇者は荷物からすり鉢を取り出し、その中に手に持っていた袋の中身を転がし入れた。
 からからと直径五ミリほどの黒い球体が鉢の中を踊る。

戦士「木の実…か? それ」

勇者「いや、ライカって花の種だ。すり潰して使うと香辛料の代わりになる。ちょっと雑な辛みになるけど、塩や胡椒も貴重だからな。節約していかんと」

戦士「よく知っているな、そんなこと」

勇者「まあ、勉強したからな」

 勇者の言葉に戦士は自分を省みた。
 こういった知識には目もくれず、ただひたすらに剣の研鑽のみに邁進していた自分。
 魔王討伐の旅に出るなら、自活の知識は必須だ。そんなことにも気付かず、その習得を疎かにしたのは、今となっては愚かというしかない。

戦士「……今度、そういうのを探しに行くときは私も連れて行ってくれ」

勇者「え? いや、戦士は戦闘で疲れてるだろ? こういうのは俺に任せて、ゆっくりしててくれれば……」

戦士「いいから」

勇者「お、おお? わ、わかったよ」

勇者(な、なんだ? なんか戦士の様子がおかしくないかい?)

戦士「勇者」

勇者「ファイ!?」

戦士「夕食の準備、何か手伝えることはないか?」

勇者(ファーーーーーーーーーー!?!!??)

勇者「えーと、えーっと、そしたら今日はこの肉を使うから、焼くのを手伝ってもらおうかな」

戦士「わかった」

 勇者は1キロほどの塊肉を戦士に手渡す。そして鉄製の網を準備しようと荷物入れに手を伸ばした。

戦士「焼き尽くせ、炎天!!」

 ゴバッシオォォン!!と精霊剣・炎天から迸った大火力が塊肉を包む!

勇者「ほばあああああ!?!? 何しとんじゃキミィィィイイイイイイ!!!!!!」

 勇者は炎に包まれた塊肉を引っ掴み、川の中に突っ込んだ。
 ボシュウ、と音を立て、肉を包んでいた炎が鎮火する。
 恐る恐る勇者は肉の状態を確かめた。

勇者「ほっ…表面が炭化しただけだ。こそぎ落とせば全然食べられる」

戦士「わ、私なにか間違ったことをしたのか?」オロオロ…

勇者「おう戦士。料理の基本中の基本を教えたる。料理に精霊装備は使わねえ」

 勇者は料理用の小さなナイフで焦げ付いた肉の表面を削る。
 その後、かまどに焚いた火の上に網をかけ、その上に肉を置いた。

勇者「いいですか戦士さん。肉の下の方が焼けたら転がして別の表面を焼く。それを繰り返してじっくりとローストしてください。オーケー?」

戦士「お、おーけー」

勇者「さて…一応飲料水の補給もしておくか」

 勇者は鍋を準備し、その中に川の水を汲んだ。
 水を入れた鍋を、戦士が塊肉を焼いている網の上に置く。
 網の大きさは40センチ×30センチ程。肉を端に寄せれば十分に鍋を置くスペースは確保できる。

戦士「それは?」

勇者「飲み水用。一度沸騰させて消毒するんだ。……そんなずっと肉を見つめなくていいよ。煙で目が痛くなるぞ」

 水の沸騰を待つ間、勇者はこし器の準備に取り掛かった。
 手ごろな高さの木の枝に袋を吊るす。袋の中には大小さまざまな石と砂、炭などが詰められており、この中に水を入れれば、濾過されてゴミなどが取り除かれた水が袋の底から染み出してくるという寸法だ。
 折よく沸騰した鍋を火から上げ、袋の中に流し入れる。そして袋の底から水がしみ出してくるのをしばし待つ。
 水が落ちてくる位置に革製の水筒を置き、風などで倒れないよう石で固定した。

勇者「よし…」

 お肉だけでは寂しいので汁物の準備に取り掛かる。
 勇者は鍋に飲用の水を張り、火にかけた。その中に魚の燻製を入れる。
 煮立ったらざく切りにした根菜類と、これも先ほど調達してきた野草を放り込む。
 しばらく煮た後、味見。塩を入れて味を調える。
 適当な棒で魚の燻製をつつき、食べやすい大きさにほぐしたら完成だ。
 煮込み過ぎを避けるため、一度鍋を火からおろす。

戦士「勇者、お肉も大分焼けてきたようだぞ」

勇者「ん~? ……うん、いい感じ! 戦士、この肉をまな板に移してくれ」

戦士「わかった」

勇者「うし、あとはこの肉を食べごろの大きさにスライスしていくんだけど……やる?」

戦士「う、うむ。やってみる」

 戦士は料理用のナイフを手に取り、肉を切っていく。
 剣の扱いとはまた違う感覚に四苦八苦しながらも、戦士は塊肉のスライスを終えた。
 若干厚さに歪な差があるけれども、そこはそれ、ご愛嬌というものである。

勇者「おー、上出来上出来」

戦士「えへへ…」

 勇者は大皿に広げられた肉の出来に拍手を送り、戦士はわりとストレートに照れた。

勇者「折角だから最後まで戦士に任せよう。さっき俺が細かく砕いたライカの種を振りかけるんだ」

 勇者はすり鉢にたっぷりと仕上がったライカの粉を戦士に手渡した。

戦士「ど、どれくらいかければいいんだ?」オロオロ…

勇者「そうだな。わりと多めにかけてもいいよ」

戦士「多め…多め……」



 モサッ……



勇者「っつおおおおおおおおおおい!!!!!! 山になってしもとるやないけワレェェェエエエエエエエエ!!!!!!」

戦士「だって! だってぇ!!」




 夕食時――――――

武道家「辛ッ!! いや辛いなこの肉ッ!!!!」

勇者「だまらっしゃい!!!! 文句いう子はご飯抜きにしますよ!!!!」

戦士「………」ドヨ~ン

僧侶「わ、私これくらい辛い方が好きよ?」  ←何となく状況を察した

 観光都市エクスタ。
 マキリシ火山の麓に位置するこの街は、豊富な温泉資源を元にした観光産業に特化している。
 立ち並ぶ温泉宿、賑わう歓楽街、歓声飛び交う遊楽施設―――行き交う人の流れは絶えず、世界中から多くの観光客が集まっている。
 勇者たちが今回この街を目指したのは、津々浦々から人が集まるこの地において、精霊装備に関する情報が得られないかと期待してのことである。

勇者「まあそれはそれとして、いい宿に泊まろう」

 勇者はそんなことを提案した。

勇者「こんな所に来る機会なんて滅多にないからな。折角だから、この観光都市の真骨頂を堪能しようぜ。ほら、武闘会お疲れ様でした的な打ち上げも含めて」

僧侶「お金は大丈夫なんですか?」

勇者「無問題。盗賊討伐で善の国から十分な報酬が出たし、武闘会でも戦士が賞金を獲得したしな。実は結構余裕があるのよ」

武道家「ならば是非も無し、だな。今宵は旅の疲れを癒す慰安会と洒落込もう」

僧侶「うわあ~! 温泉、楽しみです!」

戦士「温泉…大衆浴場だろ? うむむ……」

 無邪気に跳ねる僧侶とは対照的に、戦士はやや渋い表情だ。大勢で湯浴みをする習慣に慣れていないのかもしれない。
 勇者たちは町の入口近くにある案内所を訪ね、宿の情報を聞いた。
 豪華な夕食、見晴らしのいい部屋、効能抜群の温泉―――それらの謳い文句に惹かれ、一向は今夜の宿を『極楽館』なる館に決定する。
 極楽館はエクスタの町でも高台に位置し、その景色を一望できる露天風呂が一番の売りであった。
 期待感に胸を膨らませ、一行は宿へ向かう。


 ―――――後に起こる騒動のことなど、当然今は知る由もなく。

 宿に着き、ひとしきり雰囲気を堪能した後は、各自夕食まで自由時間ということになった。
 戦士は宿を出て街を散策する。
 否応にも気分を高揚させる雰囲気の観光街に居ながら、しかし戦士は思い悩んでいた。

戦士「くっ…昨晩は勇者の手伝いをするどころか、逆に迷惑をかけてしまった……一体何をやっているんだ私は」

 色々な準備を手伝うことで勇者の負担を減らし、かかるストレスを軽減させるつもりが逆に余計なストレスを与える始末。
 戦士は結構深刻に落ち込んでいた。

戦士「僧侶は料理も出来るからこんな失敗はしなかっただろう。というか、僧侶なら何を手伝ってもあいつは鼻の下を伸ばして満足するに決まってる」

戦士「武道家はなんでもそつなくこなすからな……勇者の手伝いも難なくやってのけそうな印象がある」

戦士「私は……なんだ? 私に出来ることは何もないのか……!?」

 ともあれ、勇者にストレスを余計に与えてしまったものはもう仕方がない。
 ならば考えるべきは、与えてしまったストレスをどう解消させるかということだろう。
 しかしこの戦士、これまでの人生自身の修業にかまけてばかりで、しかも少々男を見下してきた節があった。
 故に人を喜ばすために何をすればよいのかなど、さっぱりからっきし思いつかない。

戦士「くっ…! 私はなんて使えない奴なんだ…! ……ハッ!」

 そんな時、あるものが戦士の目に留まる。
 ここは観光街。当然行商人も多く露店を構えている。
 その中に、書物を扱っている店があった。
 戦士の視線の先、木製の陳列棚に並べられた本の内の一冊。
 タイトルは―――『男を喜ばす10の方法』とあった。

商人A「精霊装備? う~ん、そんな珍しいものが最近市場に出回ったって話は聞かんなあ~」

勇者「そうですか。ありがとうございます」

商人B「酒なら最高に珍しいものが入ったんだけどな!! 『倭の国』で作られたジャポン酒だ!! 今ならお手頃価格で卸してやるぜ!?」

勇者「はは。凄く魅力的ですけど、今は持ち合わせがないんでまた出直してきますよ」

商人B「売り切れちまってもしらねえぞ~~!!」

 勇者はまずは世界各地を巡る行商人にしぼって聞き込みを行っていた。
 しかし中々有益な情報は出てこない。

勇者「ふう~。やっぱりそう簡単にはいかないか。もう日も落ちてきたし、一度宿に戻ろう」

 宿に戻った勇者は受付で夕食までまだ間があることを確認し、さてそれまで何をして時間を潰そうかと思案しながら割り当てられた部屋までの廊下を歩く。
 ちなみに部屋は二部屋、勇者・武道家と戦士・僧侶で分けてとっていた。
 勇者はガチャリとドアノブを回し、自分の部屋に入る。
 何故かそこに戦士がいた。

勇者「……?」

 勇者は一度廊下に顔を出して部屋を確認する。間違いない。ここは自分と武道家の部屋である。
 改めて中に入る。やっぱり戦士だ。見間違いじゃない。

戦士「おかえりニャさいませ、ご主人様!!」

 そう言って戦士は軽く握りしめた両手を内側にクイッと曲げた。
 同時に片膝も軽く上げており、顔に浮かべた満面の笑みと相まってきゃぴる~んとでも音が聞こえてきそうな有様である。
 勇者は固まった。
 戦士が真顔になって勇者に問う。

戦士「……どうだ?」

勇者「……何がだ?」

 戦士は部屋を出ていった。
 混乱の極みに達し、固まったまま行動不能となった勇者だけが部屋に残される。

武道家「ふぅ~。中々、精霊装備について知っている人間というのも捕まらないものだな」

 そこに勇者同様、街で情報収集をしていたらしい武道家が戻ってきた。

武道家「なんだ? そんなところでぼーっと立ってどうした?」

勇者「……ねえ。俺、戦士に何かしたっけ?」

武道家「は?」

勇者「怖いよう……怖いよう……」ガタガタ…

 ドバターン!! と、凄まじい音を立てて僧侶・戦士に割り当てられた部屋の扉が開いた。
 部屋の中に駆け込んだ戦士は購入した本をビターン!!と壁に叩き付け、ドサーッ!!とベッドに突っ込んでいた。

戦士「ふおお!! ふおおお!!!!」

 戦士は枕に顔を突っ込んでうねうね動き、うめき声を漏らしている。

戦士「騙された!! 騙されたあ!! ふああああ!!!!」

 雄叫びを上げる戦士は耳まで真っ赤だ。
 しばらくゴロゴロと悶えていた戦士だったが、やがて大きく深呼吸をすると、床に転がった書物を拾い上げた。

戦士「いや、まだそう判断するのは早計か…? それなりの値段したのだ。もう少し試してみる価値はあるはずだ……」

 もしやぼったくられただけでは―――よぎる不安を振り払い、戦士は再び書物に目を通し始めた。
 深く読み進めるにつれて、戦士の顔がぼん、と朱に染まった。
 内容が非常に性的になってきたのだ。

戦士「で、出来るかこんなこと!!」

 憤慨し、本をまた壁に投げつけようとして、思いとどまりまた読みふける。

戦士「こ、これくらいなら……何とか……」

 ぶつぶつと独り言を漏らしながらページを捲る戦士。
 その行動が勇者のストレスを加速させることに、彼女はまだ気づいていない。

 夕暮れの時間帯、僧侶は露天風呂にやってきていた。
 眼下に広がる夕暮れの町並みに、思わず感嘆の息が漏れる。

僧侶「綺麗……戦士も誘いたかったなぁ」

 僧侶はしばらく部屋で町に出た戦士を待っていたのだが、待ちきれず一人でやってきたのだ。
 存外、お風呂―――とりわけ温泉には目がない彼女である。

僧侶「さて…湯船に入る前に体を洗わないと」

 タオルを体に巻いた状態で僧侶は体を洗うための湯を溜めた湯桶に向かう。
 ここ、『極楽館』では温泉に入る時のマナーなるものが脱衣所にでかでかと掲示されていた。
 曰く、温泉内にはタオル以外は持ち込まない、湯船に浸かる前には必ず体を洗う、湯船にタオルをつけない。この三つが大原則なのだそうだ。
 僧侶はタオルをほどき、露わになった肌に湯桶から湯をすくってかける。
 それから湯桶の傍の木製棚に並べられた小瓶を手に取り、中の液体を肌に塗り込んだ。
 数種の薬草から抽出される、汚れ取りの油である。
 かなりの高級品なのだが、これがアメニティとして常備してあるのは流石に町一番の高級宿であった。
 タオルでこすり、油を広げ、湯をかぶり洗い流す。
 最後に肩まで伸びた水色の髪を絞り、僧侶は湯船へと向かった。

僧侶「髪…けっこう伸びてきたわね。これほど大きな町なら整髪師もいるでしょうし、明日寄って行こうかしら」

 僧侶はちゃぽん、と湯船に足を下ろす。

僧侶「いけない、タオルは湯船につけてはいけないのだったわ」

 再び身に巻いていたタオルをほどき、岩で作られた浴槽の縁に置いた。
 乳白色の湯に肩までつかり、僧侶は恍惚の息を漏らす。

僧侶「ほわぁ~……気持ちいい~~」

 疲れが溶けて流れ出していくような感覚にしばし僧侶は浸る。
 ふと見上げると、茜色だった空は段々と黒く染まってきており、ちらちらと星が瞬き始めていた。

僧侶「確か今日は満月……その時間帯に来ても、綺麗かもしれないわね」

 その時、ドアが開く音と共に、がやがやと話し声が聞こえてきた。

僧侶(えっ!?)

 僧侶は目を見開く。露天風呂にやってきたのは五人組の男だったのだ。

僧侶(だ、男性!? な、なに、何で…!?)

男1「あ~、やっぱ女の子は入ってないか~」

男2「当たり前だろ。混浴に夢を見過ぎなんだよ、お前」

男3「入ってたってもう女捨てちゃったお婆ちゃんだよなぁ~」

僧侶(こ、混浴!? 嘘、この露天風呂って混浴だったの!? ど、どど、どうしよう!?)

 僧侶は慌てて岩の影に隠れた。
 このまま男たちが出ていくまで隠れてやり過ごすつもりである。

僧侶(お願い、はやく出て行って―――!!)

 男たちはやがて体を洗い終え、僧侶が浸かる浴槽へと近づいてくる。
 僧侶の心臓が早鐘の様に音を鳴らす。

僧侶(き、気付かれませんように……)

男4「おー、いい湯だなこりゃ」

男5「奮発していい宿に泊まった甲斐があったなあ」

男1「男ばっかで全く華がねえけどな」

「「「ぎゃっはっは!!」」」

男2「ところで知ってるか? アマゾネスの話」

男3「あー? 何よそれ」

男2「大陸の南端にある、竜の住む霊峰ゾア。その麓のジャングルに女だけの民族が住んでいるらしいんだよ」

男1「嘘くせー。大体女ばっかでどうやって民族維持するんだよ。男がいねーと子供が作れんだろ」

男2「そこなんだよ! その民族はな、定期的に余所から男を招待するってんだよ! もちろん、子供を作るためにな!! これってスゲエ夢のある話じゃねえ!?」

男3「マジか!? ハーレム!?」

男2「ハーレムだよ!! しかも噂によるとアマゾネスは皆美人揃いだって話だしよ!!」

男4「次の目的地は決まったな」

男5「夢がひろがりゅうううううううう!!!!」

男1「嘘くせー。マジかよ」

僧侶(ああ、暑い……まずいわ……ちょっとのぼせて…)

男1「あら? 何だこのタオル」

僧侶「ッ!!?」

男1「誰かの忘れ物か…な…」ザブザブ…

 立ち上がり、タオルのある場所に歩み寄っていった男の言葉が途中で止まる。

男2「おーい、どした?」

男1「いや……先客がいたわ。それも、とびきり上玉が」

男2「マジ!?」

 男たちは口々に歓声を上げ、全員が、僧侶の体が見える位置に回り込んでくる。

男2「マージかよーー!! すげえいいよ!! 超可愛いじゃん!!」

男3「しかも超胸でかくね? やばくね?」

男4「お姉さんどこから来たの!?」

僧侶「あ…や…」

 僧侶は男たちの視線から逃れるように湯船の中で身を縮こまらせた。

僧侶「あ…の…私、もう上がります! 上がりますから!!」

 僧侶は浴槽の縁に置いていたタオルを手に取って、湯の中で体に巻き付けようとした。

男1「おっとぉ!!」

 しかし、そのタオルを男の一人に無理やり奪われてしまう。

僧侶「な、何を…!」

男1「駄目だよお嬢ちゃん。マナーは守らなきゃ。『湯船の中にタオルはつけちゃいけない』んだぜえ…?」

僧侶「う……う…」

男1「ほら、上がりたいなら……立ち上がって、それからタオルを巻いていきな」

男2「ぐひ」

男3「ふひひ……」

男4「ま・な・あ!! それ!!」

男5「ま・な・あ!! ほい!!」

武道家「やれやれ……女性の肌を断りもなく凝視するのはマナー違反じゃないのか?」

男達「「「ひょっ?」」」

 いつの間にか男達と僧侶の間に割って入った武道家が、湯船に拳を突き入れた。
 爆発的に飛び散った水滴が男たちの顔面を直撃する。

男2「ほんぎゃあ!!!!」

男3「目が、目がああああ!!!!」

男1「ちくしょう! 覚えてやがれ!!」

 慌てて男たちは浴槽を飛び出し、浴場から出ていった。

武道家「やれやれ……おい、僧侶。大丈夫か?」

 僧侶の方を見ないように背を向けたまま武道家は問いかける。
 言うまでもないことだが武道家は腰にタオルを巻いていた。
 僧侶からの返答がない。怪訝に思った武道家は悪いと思いながらも後ろを振り返った。
 僧侶は、湯船に突っ伏して気絶していた。

武道家「な…!! おい、僧侶!!」

 余りにも長時間湯船に浸かっていた僧侶は、意識を手放すほどにのぼせてしまったのである。

 僧侶が目覚めたのは自分たちに割り当てられた部屋だった。
 ベッドに寝かされ、額に冷たいタオルを乗せられている。
 傍らでは、武道家が扇で僧侶に風を送ってくれていた。

僧侶「武道家…さん…」

武道家「お、目が覚めたか。よかった」

僧侶「また、助けてくれたんですね……ありがとう、ございます」

武道家「気にするな」

僧侶「……何だか私、武道家さんに助けられてばっかりですね。ごめんなさい」

武道家「気にするな、と言っている。むしろ忘れた方がいい。特に、今回の件はな」

 少し気まずそうな仕草をする武道家に、僧侶は怪訝な目を向ける。
 武道家の言葉の真意を探ろうとして―――唐突に思い当り、瞬時に顔を真っ赤に染めた。
 バッ、と顔を起こし、自分の体を見下ろす。額のタオルがぽたりと落ちた。

僧侶「み、みみ……見ました!?」

武道家「……すまんな」

僧侶「ひやあああああああああああああ!!!!!!」

武道家「……だからな、忘れろ。俺もそうする」

 しばらくひゃああああ、ひゃああああ、と悶える僧侶を前にして、武道家は非常に気まずそうに頬をぽりぽりと掻いた。

僧侶「ふううぅぅ、ふううぅぅ……!」

武道家「悪かったよ、本当に」

僧侶「いえ、いいんです。武道家さんは私を助けるためにやってくださったんですから……いいんです……むおお…」

 それにしても、と前置きをして、僧侶は武道家にジト目を向ける。

僧侶「武道家さんのその余裕……随分と女の子の裸を見慣れてるんですね!」

武道家「まあ確かに、勇者ほど初心じゃあないさ。だが経験なんて人並みだ。人を遊び人のように言うんじゃない」

僧侶「でも、勇者様から武道家さんは随分とおモテになっていたって聞きましたよ?」

武道家「あいつの戯言を鵜呑みにするな。大体、俺の恋愛遍歴なんて聞いてもしょうがないだろう」

僧侶「気になりますよ、私」

武道家「お前こそどうなんだ? 今まで男と付き合ったことがあるのか? というか、もしかして今も故郷に恋人がいたりするのか?」

 話題を逸らすつもりで言った軽口だったが、意に反して僧侶の表情に影が落ちた。

僧侶「駄目ですよ……私なんて」

 続く言葉は武道家の胸の内に深く刻まれた。

僧侶「私は……汚れてますから」

 戦士の奇行は夕食の際にいよいよ極まった。
 「よし…やるぞ…よし…」としばらくぶつぶつ呟いていた彼女は、ぐい、と酒を勢いよく呷ると、勇者の口元に箸を突き出しこう言ったのだ。

戦士「あ、あーん」

 これには勇者だけでなく武道家と僧侶も固まった。
 もはや思考停止の域にまで達した勇者はただ言われるがままに口を開け、咀嚼するだけのマシーンと化した。

戦士「美味しいかニャ!? 美味しいかニャ!?」

 酒が入ることによって羞恥心がどこかへ行ったのか、語尾にニャが混じり出した。
 これには武道家も苦笑い。
 僧侶に至っては爆笑である。

戦士「はい、ニャーん」

 またも勇者の口元に突き出される食材。戦士が口にする言葉ももはや意味不明の響きとなっている。

戦士「勇者!!」

勇者「ハイ、ナンスカ」

戦士「お前は今、喜んでいるか!? いやさ、喜んでいるニャ!?」

勇者「ウィッス、ヨロコンデルッス。チョウタノシッス。センシサンマジパネエカワイイッス」

戦士「そ、そうか。ならいいんだ。うん」テレテレ…

勇者「お風呂行ってきまああああああす!!!!!!」

 勇者は逃げ出した!!

戦士「勇者め、ちゃんと喜んでたのか……しかも可愛いだなんて……ふふふ、やはりあの本は正しかったのだな。くふふ……」

戦士「はい、勇者。あー…あれ? 勇者は?」

武道家「風呂に行くとさ」

戦士「風呂…? そうか…遂に、遂にか……遂にこの時が来たか……」

 酒に酔ってか恥じらいに染まってか判別はつかぬが、顔を真っ赤にした戦士はふらふらと勇者の後を追うように食堂を後にする。
 残された武道家と僧侶は顔を見合わせた。

僧侶「止めます?」

武道家「止めません」

 二人そろってぐふふと笑う。何だかんだこの二人も酔っていた。

 体を洗い終えた勇者は露天風呂に浸かっていた。

勇者「ふう……極楽極楽。ここは混浴。流石に戦士もここまでは来れまい」

 既に夜も深い。露天風呂から見える景色は夕暮れ時とはまた違った味わいを醸し出している。
 何より、真上に輝く満月が素晴らしい。
 勇者はようやく心身共にリラックスすることができた。
 ガラリ、とドアが開く音がする。

勇者(ん…? 誰か入ってきたか。もう少し一人の空間を味わいたかったけど、まあ、しょうがないな)

戦士「勇者……」

 かけられた声に、ビックーン!と勇者の全身が反応した。
 戦士だ。間違いない。戦士が浴場に入ってきた。

勇者「は!? いや、戦士、えッ!?」

 意味をなさない言葉が口をつく。それ程の混乱。
 無理もない。勇者は知っている。戦士の事を知っている。
 戦士が、『異性に肌を晒すのは、伴侶となる者にのみ』というまでに強い貞操観念を持っていることを知っているのだ。
 だから、これは有り得ない。
 どれ程戦士が酒に酔おうと、これだけは絶対に超えてこない一線のはずなのだ。
 幸い、勇者は浴場の入口に背を向けていた。まだ戦士の姿は勇者の目に入っていない。

勇者「どうしたんだよ戦士! 昨日から、本当にお前おかしいぞ!? 悩みがあるなら、相談して―――」

戦士「違うんだ、勇者。私はただ―――お前に、楽になってほしいだけなんだ」

勇者「楽に…だって?」

戦士「そうだ。お前が色々と抱え込んでいることも知っている。お前がそれに潰されてしまう前に、私はお前を解放してあげたいんだ」

勇者「解放……どうやって?」

戦士「そのために、私はここに来た。勇者、大丈夫だ。何も問題はない。安心して、振り向いてくれ」

勇者「戦士……」

 勇者は緊張をほぐすため、二度、大きく深呼吸をした。
 そして、ゆっくりと振り向く。
 そこには、一糸まとわぬ姿の戦士が―――――――



 否、完全武装の戦士がそこに居た。



勇者「ふえいやほわああああああああん!!!!!?」

 じゅびじょばーん!と勇者の目と鼻と口から色んな液体が噴き出した。

 タオル以外のもの持ち込むべからず―――温泉のマナーなどガン無視だ。
 彼女は己の羞恥心を何より優先させた。
 勇者および他の客に万が一にも肌を晒さぬよう、鉄壁の鎧を着用してきたのである。
 余りにも場の雰囲気にそぐわぬその格好は、それはそれで羞恥心が喚起されるはずであるが、その辺りやはり彼女はまだ酔っていた。

戦士「ほら、勇者……早く上がれ。その、背中を……流してやるから……」

 もじもじと勇者から目を逸らしつつ戦士は言う。

勇者「お、お助けぇーーーーーーーーー!!!!!!」

戦士「は、はあ!?」

 そんな戦士に対し、勇者は何と突然命乞いを始めた。
 勇者の中で、昨日からの戦士の奇行が、変な感じでかみ合ってしまったのだ。


『俺に野営の準備の手伝いを申し出てきたのは、俺からその技能を盗むため。そうすれば俺はいよいよパーティーに不要な存在となる』


『宿に着いてから妙に俺に媚びるような態度を取っていたのは、せめて最後にいい思いをさせてやろうという情け』


『そして、今。彼女は確かに言った。楽にしてやる、解放してやる、と。ああ、それはまさに苦しみ悶える死に損ないを介錯するが如く』


勇者「だけど死にたくないんじゃぁぁぁああああああ!!!!!! お願いしまっさああああああ!!!!!!」

戦士「ちょ、ちょっと待て!! 勇者、お前何か勘違いして――――」

勇者「頑張りますからああああああ!!!!!! 俺頑張ってパーティーに貢献しますからあああああああ!!!!!!」

戦士「待てえええええええええええええええ!!!!!!!!」

勇者「はいぃ!!」ビックーン!

戦士「ちょっと待て……勇者……ちょっとやり直しさせろ。頼むから」

勇者「は、はあ……」

戦士「そこの、体洗うところ……そこで、座ってろ」

 そう言い残して、戦士は脱衣所に戻って行った。

勇者「……?」

 脱衣所に戻った戦士はまず脱衣所と廊下を繋ぐ入口につっかえ棒をあて、新しい客が入ってこれないようにした。
 そして鎧を外し、衣服棚に置く。
 下に着ていたシャツもその勢いのまま脱ごうとして―――ぴたりとその腕が止まった。
 恥ずかしい。その気持ちが戦士をためらわせる。
 その顔の赤さは、今度は間違いなく乙女の恥じらいによるものだった。

戦士(別に……こんなことしなくても……)

 戦士の脳裏に幼いころの記憶が蘇る。
 かつて戦士は勇者に勝負をふっかけたことがある。
 幼い勇者は「やだよ、痛いから」と勝負を悉く拒んだ。
 事情を知らなかった戦士は臆病者め、と吐き捨てていた。

 戦士の脳裏に獣王に体を引き裂かれ、苦悶の叫びを上げる勇者の姿が思い出される。
 それはどれ程の痛み。どれ程の恐怖だっただろう。
 なのに。それ程の苦痛を受けて、なお彼は。

 戦士の脳裏に盗賊の首領に組み敷かれていた時の情景が浮かぶ。
 立ち上がり、駆けつけてくれた。心をボロボロに壊してまで。
 自分自身が崩壊していく中にあって、なお私達を優先してくれた。

戦士(私は……そんなあいつにどれだけ報いることが出来た…?)

 戦士はぎゅっと唇を引き結ぶと、ばさりと衣服を脱ぎ捨てた。

 戦士に指定された場所に座り込んだ勇者は実にそわそわしていた。
 ガラリ、とドアの開く音。

戦士「こっちを向くな」

 思わず振り返りそうになった勇者に、戦士の制止の声が飛んだ。
 戦士は、今度は本当にタオル一枚で体を隠しているだけだった。
 大きめのタオルを巻いているので、ある程度は問題なく隠せているのだが、それでも肩と太ももが大きく露出している今の状態は、戦士からすればとても男の目に晒せるものではない。

戦士「絶対に、振り向くなよ」

 なにより、隠しているとはいえ秘所をこんな薄いタオルで覆っただけの状態なのだ。
 そんな状態で、半裸の勇者を目の前にしている。
 戦士はもう、頭が沸騰してどうにかなりそうだった。

戦士「背中を……流してやる」

 戦士は汚れ落としの油を手に取り、勇者の背中に広げていく。
 その感触に、勇者は思わず震えた。

戦士「……気持ちいいのか?」

勇者「まあ、その、正直……ハイ…」

戦士「そうか……」

 手で背中全体に油を広げた後は、それを刷り込むようにタオルでこすっていく。

勇者「なあ、戦士……なんでまた、こんなことを……?」

戦士「それはさっき言った通りだ。お前は何か変な誤解をしたようだが、さっきの言葉に嘘偽りはない」

戦士「お前は多くのものを抱え込み過ぎている。私は、それを少しでも楽にしてあげたいんだ」

戦士「……今日お前に対してしたことはな、全てある書物を参考にしたんだ。こうすれば、男は喜ぶものだと書いてあった」

 ああ、成程と勇者は納得した。

戦士「勇者……お前は今、喜んでいるか?」

 戦士の問いに、今度はしっかりと勇者は答える。

勇者「嬉しいよ……すごく」

戦士「そうか、よかった。だけどまあ、これからはあの本を参考にするのはやめておくよ。どうもこういうのは、私にはハードルが高すぎる」

勇者「そうしてくれ。俺も戦士にああいうことされるとドキッとする。心臓に悪いよ」

戦士「ほら、終わりだ」

 戦士は勇者の背に湯を流した。そして、立ち上がる。

戦士「私はもう出る。お前はもう少しゆっくりしていろ」

勇者「わかった。そうする」

戦士「今から私は脱衣所に戻るが……くれぐれも、私の体を盗み見ようとしないことだ」

勇者「わかってるよ。俺もまだ死にたくねーしな」

戦士「殺しはせんよ。ただ夫婦になるのを強要するだけだ。お前もこんな女と結婚するのは嫌だろう」

勇者「……別に、嫌じゃ……ないけどさ」

戦士「な…!」

勇者「………」

戦士「………見るなよ?」

勇者「見ないよ」

戦士「絶対だぞ!? 絶対に見るなよ!?」

勇者「見ねえって!!!!」

 翌朝―――――

武道家「昨夜はお楽しみでしたね」

勇者「どつきまわすぞ」

僧侶(ねえねえ、勇者様と何かあった?)ヒソヒソ…

戦士「な、何もない!! ないったら!! やめなさいその目!!」

武道家「冗談はさておき、これからどうする? 思ったほど情報は集まらなかったが」

勇者「ああ行くところは決めてるよ。情報は手に入らなかったが、代わりにいいもん手に入れた」

 そう言う勇者の手には、『倭の国』特産のジャポン酒の瓶が握られている。

勇者「よく考えたら、精霊装備探すならいの一番に行かなきゃいけないところがあったわ。酒好きの知り合いに、色々話聞いてみんべ」






第十三章  スカイローリング乙女ハート  完


今回はここまで

 翼竜の羽を用いて空を舞い、勇者たちは以前訪れた『第六の町』に降り立った。
 第六の町は騎士と初めて出会った場所であるし、直後の冒険でパーティーがバラバラになったこともあり、勇者たちにとっては印象深い町だ。
 とはいえ、今回は町自体に用事はない。
 目的としているのは第六の町より西に広がる大森林―――そこに住まう、かつて勇者が出会ったエルフ少女ともう一度会うことだ。

武道家「しかしあらためてとんでもない話だな。エルフが本当に存在しているというだけでも驚きなのに、まさかエルフに知己を得ているとはな」

勇者「なんだよ、疑ってんのか?」

武道家「まさか。お前が持ち帰ってきた『変化の杖』―――あれなど、まさに人の領域を超えた一品だ。お前がエルフと出会った証拠というのに、あれ以上のものなどあるまいよ」

戦士「しかし勇者。実際のところ、大丈夫なのか? エルフは大層人間嫌いと聞くが」

勇者「う~ん、確かに。俺を助けてくれたエルフ少女がマジで変わり者っていう話だったからなぁ~」

僧侶「その、エルフ少女さんをピンポイントで訪ねることが出来るんですか?」

勇者「エルフ少女が狩りの時に使ってる小屋があるんだ。そこに行けば出会える可能性が高いと思うんだけど……道順がうろ覚えなんだよな、正直」






第十四章  エルフ少女、再び




勇者「迷った」

戦士「おい!!」

武道家「小屋から一度町に帰っただけでは、流石の勇者も道順を覚えきることは出来なかったか」

勇者「いや、っていうか……何か、前来た時と森の様子が大分変ってるような気がするんだけど」

僧侶「そうですか? そういえば、今日は霧がすごく深いですね」

勇者「うん。そのせいで方向がわかりづらいってのもあるんだけど……おかしいな。なんかこの辺り、植生が他と全然違う。っちゅうか、見たことない植物がちらほらあんぞ」

戦士「それがどうかしたか?」

勇者「いや、普通同じ森の中でこんなに極端に植生が変わることなんてないはずなんだよ。気温や降雨量……気候が大して変わらない以上、森全体で同じような植物が生えるはずなんだ」

武道家「つまり、同じ森の中でありながら、この一帯だけ気候条件などが異なっているということか。言われてみれば気温も大分下がったように思えるな。肌寒さすら感じる」

僧侶「おとぎ話とかだと、森の中でいつの間にか別世界に迷い込んで――なんて、よくある話ですけどね」

勇者「まさか…な」

戦士「む…? おい勇者、これを見ろ」

勇者「これは……明らかに人の足で踏み均された道だな。取りあえず辿ってみるか」

 幾度も往来があっているのだろう、十分に踏み固められ歩きやすくなっている道を勇者たちは進む。
 突然、開けた所に出た。
 獣の侵入を防ぐためだろうか、ぐるりと円周上に立てられた柵の中に、木造の家が立ち並んでいる。
 勇者たちは息をのんだ。
 当然、大森林の中にこんな集落があるなどと、聞いたことがない。

勇者「ここ…もしかして……」

 村の周囲を囲う柵は一部途切れ、両開きの扉となっていた。
 恐らくそこが入口の門だ。勇者達は恐る恐る歩み寄り、こっそり中を覗き込む。

「うおぉ…!」

 全員の口から感動の声が漏れた。
 村の中を行き交う人々。その全ては、見目麗しく、輝く金髪と長く伸びた耳を持っていた。
 実在を知っていた勇者ですら感動を抑えきれない。残りの三人などは口も目も大きく開かれたままだ。
 その時、ある一人のエルフが、おそらくは何の気なしに村の入口に目を向けた。
 感動に固まっていた勇者たち四人とバッチリ目があった。
 ギシ、と音を立てエルフも固まった。

エルフ「に、人間だああああああああ!!!!!!!」

勇者「やべッ!!」

 エルフの叫びに呼応するように、村全体がどよめき、次々と家からエルフ達が飛び出してくる。

武道家「まずいぞ、どうする勇者」

勇者「ど、どど、どうする? どうしよう? と、とりあえずこっちに敵意が無いことを示そう!」

 勇者たちは両手を上げ、武器を持っていないことを示すとにっこりと顔に笑みを浮かべた。

エルフ男「村の場所を知られたからには生かしてはおけん!! 捕らえろ!!」

僧侶「ひええええ!!!!」

勇者「あかん!! 一時撤退!!」

 勇者たちは踵を返し、一目散に逃げ出した。

エルフ男「逃がすな!! 絶対に逃がすなーー!!」

 森の中を駆ける勇者たちの背中にエルフ達の怒号が突き刺さる。

勇者「んなああああ!!!! えらいことになってもたあああああ!!!!」

戦士「まさかここまで人間に敵意を持っているとはな」

武道家「ちっ! 速いな…追いつかれるぞ!!」

??「人間にしては中々の速度だけど―――この森の中で私から逃れられるなんて思わないことだね!!」

 一人のエルフが凄まじい速度で木を伝い、勇者たちの前に回り込んだ。

エルフ少女「個人的な恨みは全くないんだけど……これも村の掟だ。覚悟してもらうよ、人間!!」

 後ろで纏めたポニーテールをなびかせ、両手にナイフを構えたエルフの少女が踊り出る。

勇者「………」

エルフ少女「…………」

勇者・エルフ少女 「「  あ っ ! !  」」

勇者「……ひ、久しぶり」

エルフ少女(………な、なにしてんの?)ボソボソ…

勇者(いや、違うんすよ……たまたまなんす。迷ってたらたまたまエルフの村に着いちゃったんす)ボソボソ…

エルフ少女(はあ~……もう、何やってんだか)ボソォ…

武道家(……何を喋っているんだ?)

戦士(もしや、この娘が件の『エルフ少女』…?)

エルフ少女「……」クイッ、クイッ

 エルフ少女は親指を立て、自らの後ろを指し示した。

勇者(え? なに?)

エルフ少女(早く行けってことだよ! あとは私がうまく誤魔化すから!!)ボッソ!

勇者「あ、ありがとう!! 恩に着る!!」ダダッ!

エルフ少女「うわあ~強引に突破されてしまったぞう(棒)」

エルフ男「エルフ少女! 無事か!!」

エルフ少女「くそうあいつらめ~エルフ族ナンバーワンの戦士のプライドにかけて私が仕留めてやる!! あとは私に任せて、あなたたちは村に戻っていて!!」ダダッ!

エルフ男「あっ! エルフ少女!!」

勇者「エルフ少女のおかげで何とか逃げ切れそうだけど……」

武道家「このまま闇雲に走っていてはどこに着くかわからんぞ」

勇者「そうなんだよな。まあいざとなれば翼竜の羽使えばいいんだけど、まだ数に余裕があるとはいえなるべく節約したいよなあ」

戦士「というか、このまま逃げ帰っては何のためにここまで来たのかわからんぞ」

僧侶「何とかもう一度あのエルフ少女さんだけに会うことは出来ないでしょうか?」

勇者「うん…でもそのために引き返すのはリスキーだよなあ。エルフ少女以外の追っ手に出くわすかもしれないし」

エルフ少女「その必要はないよ」

勇者「うわあ!! いつの間に!!」ビックゥ!

エルフ少女「言ったでしょ? この森の中で私から逃げられる奴なんていやしないよ」フフン

武道家(この距離に接近するまで俺達に気配を気取らせないとは……)

戦士(凄まじい手練れだな、このエルフ……)

エルフ少女「私に何か話があるんでしょ? こんな場所じゃ落ち着かないな。もう少し進めば、私が狩りに使ってる休憩小屋がある。そこで話そう」

 そう言って、エルフ少女は勇者たちを先導する。
 その背中に勇者は声をかけた。

勇者「……なんでそんなに嬉しそうなんだ? エルフ少女」

エルフ少女「友人がわざわざ訪ねて来てくれたんだ。そりゃ嬉しいよ。そしてそれ以上に面白い。まさか君たちが、もう私たちの村に到達することが出来るなんてね」

エルフ少女「ジャポン酒!! これはジャポン酒じゃないか!! それもこの銘柄は一級品、滅多にお目にかかれるものじゃないよ!!」

勇者「それで、実はお願いがあって来たんだけど……」

エルフ少女「ああ聞くよ!! 何でも聞いちゃう!! 例え私の体と言われても、君になら差し出していい!!」

勇者「マジでッ!!?」

戦士「おいっ!!」

勇者「ひい!? う、嘘っす!! 冗談っす!!」

エルフ少女「なんだ、残念。それで、実際のところどうしたの?」

勇者「あ、ああ。エルフ少女、『精霊装備』って知ってるか?」

エルフ少女「そのもの自体が精霊の加護を宿している武具のことでしょう? それがどうかしたの?」

勇者「今俺達はその精霊装備を探している最中なんだ。それで、そもそも精霊装備を作ったのはエルフらしいって話を耳にしてな。その辺りを確認したかったんだ」

エルフ少女「ううん…確かに、そんな話を耳にしたことはあるね。でも、現在のエルフの村にはそんな物を扱える鍛冶屋はいない。失われた技術ってやつさ」

勇者「そ、そうなのか……」

エルフ少女「まあそう気を落とさないで、勇者。わざわざ来てもらった上、こうやって極上の酒までもらったんだ。私も出来うる限りそれに報いるよ。これから村に戻って、現存するものがないか調べてみる」

勇者「ほ、本当か!? あ、ありがとう!!」

エルフ少女「礼には及ばないよ。さて、一度村に戻るにあたってひとつ頼みがあるんだ。二人の女性陣にとっては少々酷な願いなんだけど……」

僧侶「……?」

戦士「……なんだ?」

エルフ少女「四人の髪の毛をそれぞれ一房ずつもらいたいんだ。それを君たちを仕留めた証として、村の連中を納得させる」

僧侶「かまいません」

戦士「私もだ。是非もない」

エルフ少女「ありがとう。勿論、切る髪の量は必要最小限にするからね。安心して」

武道家「ひとつ尋ねたい」

エルフ少女「なんだい?」

武道家「先ほどの『もう私たちの村に到達できるなんて』という貴方の言葉……まるで我々がエルフの村を訪ねたことそれ自体が特別な意味を持つように聞こえた。あれにはどういう意味があったんだ?」

エルフ少女「初めて会ったときに勇者には話したんだけどね……私たちの村は結界で外界から身を隠している。けれど、その結界はある程度のレベルを超えた者の目は誤魔化すことが出来ないんだ」

エルフ少女「君たちは、エルフの結界を突破した。つまり、それ相応の力をつけたということだ。私が初めて勇者と会ったあの時から、こんな短期間でこんなにも成長しているなんて……感心を通り越して尊敬さえするよ。やっぱり君は私の見込んだ通りの男だった、勇者」

勇者「か、買い被りだよ」

エルフ少女「そういう謙虚な所も好きだよ、勇者。それじゃ、私は行くよ。君たちは急いで森を出て、そうだな、第六の町の酒場で待っていてほしい。夜には私も行くよ。折角の酒だ。共に酌み交わすとしようよ」

 夜―――『第六の町』の酒場にて。

エルフ少女「待たせたね。じゃあ早速報告といこうか」

僧侶「あれ…エルフ少女さん、耳が短くなってますね」

エルフ少女「そりゃあ私がエルフなんてばれたら大騒ぎになるからね。これくらいの変装はする。変装というか、変化だけど」

勇者「あれ? 変化の杖は俺にくれたやつだけじゃないってことか?」

エルフ少女「ああ。だから君にあげたんだ。流石にひとつしかない貴重な物を行きずりの人にあげたりはしないよ」

勇者「そうだったのか……借りてるって意識だったから、今回返すつもりだったんだけど」

エルフ少女「気にしなくていいよ。それはもう君の物だ。これからも是非活用してやってほしい……さて、精霊装備の話をちゃっちゃと進めようか」

エルフ少女「今エルフの村にいる鍛冶屋にそれとなく聞いてみたんだけど、かつてほんの何点か、信頼できる人間の為に精霊装備を作った記録が残っているらしい」

 勇者はエルフ少女が仕入れてくれた情報を整理する。曰く―――

 剣は極北にある王国に。
 手甲は竜を信仰するアマゾネスという部族に。
 杖はなんと、エルフの村にひとつ現存しているという。

勇者「何とかしてエルフの村にある杖をもらうことは出来ないかな?」

エルフ少女「難しいね。人間である君たちにエルフの宝を賜わすとなると……よっぽどの信頼を得なくてはならない。そしてそのための方法なんて、現状無いと言わざるを得ない」

勇者「そうだよなあ……」

エルフ少女「エルフが皆私みたいに酒好きなら良かったんだけどねえ……」

勇者「となると、まずは残りの二つ、剣と手甲を優先するか」

僧侶「あの、勇者様……」

勇者「ん? どうした僧侶ちゃん」

僧侶「アマゾネスという部族について、私、少し耳に挟んだんですけど」

勇者「マジで!? どこに住んでるとかもわかる!?」

僧侶「は、はい…大陸の南端にある、ゾアという山の麓に居るらしいです」

勇者「流石僧侶ちゃん!! 博識ッ!!」

僧侶「いえ、その、偶々です……」

 その情報を得るに至った経緯を思い出したのだろう。
 僧侶はぽっ、と頬を赤らめ、ちらりと武道家に目を向けた。

武道家「………」

 思い切り目が合った。
 思わず、ぶん! と僧侶は思い切り目を逸らす。
 武道家は困り顔で頬を掻いた。

勇者(なんじゃこの雰囲気ッ!!!! 武道家の野郎僧侶ちゃんに何しやがったああああああん!!!!?)ギロリンコ!

武道家「近い近い勇者顔近い」

 翌朝―――

勇者「それじゃ、世話になったな。エルフ少女」

エルフ少女「行き先はまとまったのかい?」

勇者「ああ、まずはアマゾネスの集落を探す。ゾアって山の麓ってことまでわかっていれば、行き着くのはそう難しくないはずだ」

エルフ少女「アマゾネスに関する伝承が真実なら、行き着いてからが大変だろうけどね」

勇者「そうなのか?」

エルフ少女「珍しいね。博識な君がアマゾネスを知らないなんて」

勇者「生憎、アマゾネスに関わる書物とか目にしたことがなくてなー。知ってるなら教えてくれよ、エルフ少女」

エルフ少女「ふふふ、嫌だね。何も知らない方がきっと君も楽しめるよ」

勇者「楽しむとかどうでもいいんだよ。俺はただリスクを少しでも減らすためにね」

エルフ少女「ひとつだけ。アマゾネスは女だけの部族だ。そして大層な美人揃いと伝わっている」

勇者「マジでッ!!!?」

エルフ少女「マジだ」

勇者「いや、でも有り得ないだろ。女の人ばっかりでどうやって子孫残していくのよ」

エルフ少女「そうだね。子を生すには絶対に雄の存在は不可欠だ。しかし部族内に男はいない。さて、彼女たちはどうやって子種を獲得しているんだろう?」

勇者「……え? ちょっと待って。……え?」

エルフ少女「楽しみだねえ。君のリアクションが」

エルフ少女(そしてそれに対する、女性陣のリアクションが)

 エルフ少女はちらりと背後に目を向けた。
 こちらの様子を伺っていたらしい戦士が慌てて目を逸らす様子が見えた。

エルフ少女(ふくく…昨夜の彼女も実に面白かった。人の心の壁を取っ払ってくれるのも、酒の素晴らしさの一つだよね)

勇者「……え? マジで? え、そういうこと? うわうわ…うわあ……」

エルフ少女「何て顔してるんだ勇者……全く愉快な奴だなあ君は」

エルフ少女(出来れば一緒に行って君の同行を見届けたいくらいに私は君を気に入っている。でもそれは叶わない。エルフの村近辺の神殿が解放されたというのに、大森林の魔物の数は一向に減らない)

エルフ少女(こんなきな臭い状況の中、私が村を離れる訳にはいかないからね……)



 かくして勇者たちは次なる精霊装備を求め、アマゾネスの集落を目指す。

 期待と妄想に胸を膨らませる勇者。

 しかしそんな勇者の甘っちょろい期待は当然のごとく粉々に打ち砕かれ。

 心身を削る壮絶な試練が勇者を待ち構えているのだが―――――何も知らない勇者は、ただにやにやと頬を緩ませていた。

勇者「おうふドゥフフ……」

戦士(やだキモい)
僧侶(やだキモい)



第十四章  エルフ少女、再び  完

今回はここまで

やまなしおちなし繋ぎ回

次回は早めに頑張る……頑張りたい

 霊峰ゾアより北に位置する小さな村にて―――

村人「アマゾネスの集落の場所ぉ?」

勇者「ええ。御存知ないですか?」

村人「ゾアの麓にある密林のどこかにあるとは聞くけども、詳しい場所までは知らねえなあ」

村人「お兄さんたちまさかアマゾネスの集落に行くつもりかい? やめときなって。どうせあの噂を聞いてやってきたんだろうけど、絶対碌な目に合わねえぞ?」

村人「この間も六人くれえの男たちが集落の場所を聞いてこの村を出ていって、それきりだ。アマゾネスに取って食われちまったんだよ。きっとな」

勇者「そ、それは性的な意味で?」

村人「はん?」

戦士(何言ってんだこいつ)

僧侶(何言ってんだこいつ)

村人「『アマゾネスのハーレム』……お前さんのような若者が必死になるのも分かるがな。見たとこお前さん、可愛い女の子をもう連れてるじゃねえか。命をかけてまで、アマゾネスの集落に行く必要があるのかい?」

勇者「おじさん。あなたは勘違いしている。俺達はそんな下賤なハーレムなんかのためにアマゾネスの集落を目指しているんじゃない」

勇者「俺達はただ、そこに眠っていると言われる伝説の武器―――『精霊装備』を手に入れるため、そのためだけにアマゾネスの集落を目指しているんだ。ドゥフフ…」

武道家「顔に説得力が皆無だぞ、勇者」

村人「……そうか。まあ、好きに頑張れや。若者」






第十五章  アマゾネス・ハーレム




戦士「あっつい……」

 普段この手の弱音を滅多に吐かない戦士が、耐えかねたように声を漏らした。
 現在、勇者達一行は既に霊峰ゾアの麓の密林に突入し、アマゾネスの集落を目指して探索している最中である。
 常夏の気候に育まれた植物群は、勇者たちの故郷にあるそれらより一回りも二回りも大きく、またその種別も多様であった。
 常夏―――霊峰ゾアの近辺地域には冬がない。一年を通して気温が高く、また降水量も多いため、植物たちは思い思いの成長を遂げるのだ。
 そして生い茂った木々は、本来地面から蒸発し空へと抜ける水分に蓋をする。そのため、密林の中の湿気はとんでもないことになっているのである。

武道家「大丈夫か? 戦士。休憩するか?」

 武道家が気遣いの言葉を戦士に投げる。普段、こういった提案は主に勇者がするのだが、

勇者「うふ、ふひゅ、ドゥフフ……」

 周囲の熱と己の内からどうしようもなく湧き出るリビドーによって勇者の意識は混濁し、そんな余裕は一切無くなってしまっていた。
 実際、この熱気と湿度による負担が最も大きいのは勇者と戦士の二人であった。
 勇者も戦士も、重く風の通さない鎧を着込んでいるため、その中に熱がこもるのだ。
 武道家と僧侶も勿論、急所を守るための防具を身に着けてはいるが、動きやすさを追求したそれらは勇者と戦士に比べれば相当に軽装だ。
 このように、ただでさえ装備の面で暑さに弱い勇者と戦士は、さらに行く手を遮る植物を切り払ったりして頻繁に体を動かしている。
 そのため止めどなく噴き出す汗は二人の全身をしとどに濡らし、不快感を極限まで引き上げていた。勇者がトリップするのも致し方なしといえる。

戦士「そうだな……少し、休憩したい。そこの馬鹿の頭も冷やさなきゃならんだろうし」

勇者「どぅっふもふふ…むほ…むは……」ズバッ、ズバッ、

武道家「おいずんずん先に行くな止まれ勇者このアホ」

 武道家は勇者の頭に水をぶっかけた。

勇者「はっ!? こ、ここは……俺は一体……」

武道家「ようやく正気に戻ったか。どうする、勇者。ここらで一度大休憩をとるべきだと俺は思うが」

勇者「そうだな。戦士も僧侶ちゃんももう限界だね」

 お前が言うな、と全員が思った。

勇者「水場で休憩するのが理想だけど、流石にそう都合よく川には行き当らないか。とにかく水分を補給して汗まみれの服を着替えよう。それだけでも随分楽になるはずだ」

僧侶「き、着替えるって、ここでですかぁ!?」

戦士「げ、下衆め……」

勇者「はい、勘違いで先走って人を罵倒しない。僧侶ちゃんそんな目で見ないで。心に来る」

武道家(なんかアマゾネスに対して助平な反応をしてからこの手の事に関して一気に信用を失ったな、コイツ)

勇者「そもそもこんなよくわからん虫とか大量にいる所で肌を晒すなんて論外だから。一度ここにテントを立てる。着替えはその中で、それぞれ交代してするんだ」

勇者「一人が着替えている間、他の三人は周囲を見張る。着替えている間は無防備になるからね」

戦士(僧侶、勇者の見張りは任せたぞ)コソコソ…

僧侶(私の時もお願いね、戦士)コソコソ…

勇者(聞こえてるよ。耳がいい自分が嫌。泣きたい)

武道家(まあ自業自得だ。諦めろ)ポン…

勇者(何慈しむような目で人の肩に手ぇ置いてんだこの野郎…)イラッ

 全員の着替えが終わって――――

戦士「ふう……すっきりした」

僧侶「やっぱり、汗を拭いて乾いた服に変えるだけで大分違いますね」

勇者「俺が水や氷系の呪文を使えたら良かったんだけどねぇ……」

武道家「そこまで望みはせんさ」

勇者「はあ、騎士が使ってた精霊剣・湖月が恋しい……あれよく考えたらスゲエ便利じゃね? 旅先で水に困ることなくね?」

戦士「飲めるのか? あれ」

勇者「体も洗い放題じゃね?」

僧侶「体に穴が開いちゃいますぅ…」

武道家「どうする? 今日はこのままここで野営するか?」

勇者「出来れば今日中に水を確保できる場所を見つけたい所だけど……先に進んでも見つかる保証はないしな。テントを立てられるような開けた場所もそうそうあるもんじゃないし…」

 勇者はしばし勘案して、結論を出した。

勇者「よし、今日はここで野営しよう。ただ、俺はもう少しこの周辺を探索してみる」

武道家「一人で行くのか?」

勇者『うん! だって何か気まずいからね!!』

勇者(なんて勿論言えませんけどねー。まあ実際この密林全然魔物いないし、一人でも問題は無いっしょ)

 そうして、勇者は一人ジャングルの奥へと消えていった。

武道家「……さて、二人とも」

 勇者の姿が完全に見えなくなったのを確認して、武道家は戦士と僧侶に声をかける。

武道家「ちょっと最近、勇者に対してそっけなさすぎじゃないか? 勇者に対しては最大限気を遣っていこうと三人で決めたじゃないか」

戦士「む、ぐ…しかしだな…」

僧侶「そ、そうです……いくらなんでもあれは……」

勇者『むぅふ……うほほ、ドゥフフフ……!』ニマニマ…

僧侶「あれは…ちょっと……」

武道家(わからんでもない)

戦士「我々は魔王討伐のために真面目に旅をしているんだ。そこにあんな不純な思いを持ってこられてはたまったものじゃないだろう」

武道家「まあ、あんな噂を聞けば、男なら誰だってよからぬ想像をするものさ。特に勇者は色々と抑圧されて育ってきたからな。多少妄想の度が過ぎても、それは責められるもんじゃない」

戦士「要は女なら誰でもいいと思っているわけだ、勇者は。ふしだらな。そんなに見境が無い奴だとは思わなかったよ」ムス…!

僧侶「男なら誰でも……なら、武道家さんも、そういう風に想像しているってことですか?」

武道家「……まあ、多少はな」

僧侶「そのわりには勇者様と比べて、平然とされてますね。流石、女性に慣れてらっしゃる方は違いますねぇ」

戦士「なにッ!? 武道家、貴様!! 女で遊ぶような輩だったのか!!」

武道家「ば、馬鹿を言うな!!」

武道家(い、いかん! 矛先がこっちを向いた!! 面倒な!!)

 その頃、勇者は目の前の光景にあんぐりと口を開いていた。

勇者「あったよ……川…」

 勇者が一人で探索を始めてから程なくして、勇者の耳に川のせせらぎのような音が届いた。
 勇者はその音を頼りに密林の中を進んでいたのだが、まさか本当にこんなに都合よく行き当るとは思わなかった。

勇者「俺の耳の良さはもはや特技といってもいいのかもしれん……悪口を拾い上げる以外にも役に立つじゃないか」

 さて、と勇者は水辺に近づき目を凝らす。水質や魚の有無などを観察するためだ。

勇者「水質は…パッと見、そのまま飲んでも良さそうなくらい澄んでるな。魚も影がちらほら見える。こりゃあいい所見つけたな……んッ!?」

 川の中を凝視していた勇者は驚きの声を漏らした。
 魚にしては明らかに異様な影が水中を流れている。
 大きさにして人間大。色はやや浅黒い。勇者がその影から目を離せずにいると、影は見る見るうちに水面に近づいてきた。

「ぷはっ!」

 飛沫を上げて、影が水面から顔を出す。
 影の正体は少女だった。
 少女の手には槍が握られ、その先には全長三十センチ程の魚が貫かれている。
 漁をしていたのか――などと勇者が考えを巡らせていると、少女と目が合った。

「お前、誰だ?」

 凛とした高い声が響いた。

勇者「あ、えっと……俺は、勇者。君は、その、もしかして……」

 こちらに向かって泳いでくる少女に勇者は恐る恐る問いかける。
 川岸に近づいてきた少女はやがて泳ぐのを止め、水底に足をつけたようだった。
 最初は顎まで水に浸かっていたが、首、肩と徐々にその姿が現れてくる。

勇者「アマゾネぶっっほぁ!!!!?」

 勇者は言葉の途中で噴き出した。
 肩まである紫がかった髪は水に濡れて少女の首や肩に張り付いている。
 浅黒い肌は日焼けによるものなのだろう。その証拠に普段は布に覆われているであろう胸や下腹部の辺りは健康的な肌色を残していた。

 つまり少女は全裸であった。

勇者「ご、ごごご、ごめん!!」

 勇者は慌てて少女に背を向ける。
 そんな勇者に対し、少女はきょとんと小首を傾げた。

勇者(あばばば…!! 見てもうた…!! えらいもん見てもうたでえ…!!!!)

 勇者はわなわなと震え、心臓の高鳴りを抑えようと必死に深呼吸を繰り返す。
 ―――瞬間、ぞくりと勇者の背中に怖気が走った。

勇者「うおっ…!?」

 咄嗟に勇者は身を躱す。勇者の背に向かって突き出された槍が空を切る。

少女「あれ?」

勇者「な、何しやがる!!」

少女「急に背中向けたから、殺していいよってことかと思った」

勇者「んな訳あるか!! き、キミの体を直視出来なかっただけだ!!」

少女「初心なんだな。さては童貞か?」

勇者「どどど童貞ちゃうわ!! ってかうるせえよ!! んなもんお前に関係あるかはああああああん!!!!?」

少女「童貞を恥じるな。私だって処女だ」

 勇者の鼻から血が噴き出した。

少女「面白いなお前。目的は私たちの―――アマゾネスの村なんだろう? いいよ、私が案内してあげる」

 アマゾネスの村――――
 ジャングルの合間に存在する小さな村だ。家は木造で高床式の物が建てられている。
 その並びに規則性のようなものは見受けられなかったが、村の奥に、ひとつだけ明らかに位の高い家があるのに勇者は気づいた。
 村の人々は興味深そうに、少女に先導されて歩く勇者たちを見つめている。
 驚くべきことに、その全てが本当に女性であり、しかも大層美人であった。
 加えて、誰も彼もが露出が多い。胸と下半身を最低限の布で覆っているのみだ。

勇者「ここがパラダイスか……」

戦士「おい」

 周囲をキョロキョロと見回し、だらしなく鼻の下を伸ばす勇者の頭を戦士は小突いた。
 勇者たちが案内されたのは村に入ってから一際目立っていた家だった。
 全ての家が見下ろせる位置に建てられたその家は、少女によると村の長の家らしい。
 族長、と、村の皆は呼んでいるようだ。

族長「ようこそ、アマゾネスの村へ」

 一行を迎えた族長は美しかった。
 長い金髪はサイドポニーで纏められ、実に豊満なその胸は下着としか思えないような面積の布地によって押さえられている。
 男の目など気にしないとばかりに開けっ広げに胡坐をかいたその股間部から、勇者は目を逸らさざるを得なかった。

族長「私はお前達を歓迎する。特に、実に男前なそこの二人……本当に、よく来てくれた」

 族長は意味ありげな笑みを勇者と武道家の二人に向ける。
 勇者は真剣に照れてもにょりだし、武道家は居心地悪そうに頬を掻いた。

戦士「族長、来てそうそう不躾で申し訳ないが、我々は探し物があってここに来たんだ」

 焦れた戦士が本題を切り出した。
 それを受けて、族長は一転して冷やかな目を戦士に向けた。

族長「探し物?」

戦士「そうだ。昔エルフによって造られた精霊装備―――その内のひとつがこの村にあると聞いた。心当たりはないか?」

族長「心当たりも何も、それはこの村の宝として受け継がれている」

 くい、と族長は自らの背後を親指で指し示した。
 そこに設けられた神棚に、それは祭られていた。

族長「この村の安寧を司る神器―――『精霊甲・竜牙【セイレイコウ・リュウガ】』。もしやお前たちは、私たちからこれを奪うためにやってきたのか?」

 族長は目を細めた。
 案内を終えて壁際に佇んでいた少女もまた、鋭い目で勇者たちを睨み付ける。
 勇者は慌てて両手を振った。

勇者「う、奪うつもりなんて毛頭ない! 落ち着いてくれ!!」

少女「でもお前はそれが欲しいんだろ? 勇者」

勇者「そ、それはそうだけど……力で無理やり奪うなんて、そんな真似をするつもりは全くないんだ」

族長「ではここで私たちが絶対に譲るつもりはない、と言えばお前達はすごすごと引き下がるのか?」

勇者「そ、れ、は……」

武道家「……俺達は、魔王討伐のために旅をしている」

 それまで黙っていた武道家が口を開いた。

武道家「それを為すためには、精霊装備の力が絶対に必要だ。特に、そこにある精霊甲・竜牙は俺に扱える唯一の精霊装備。他に『武道家』用の武器など存在しないだろう」

武道家「だから……」

 武道家は地面に両膝をつき、真摯に頭を下げた。

武道家「頼む……その精霊装備を譲ってくれ」

 武道家に倣い、慌てて三人も頭を下げる。

勇者「お願いします…!」

僧侶「お願いします!!」

戦士「この通りだ……」

 しばらく四人を見つめていた族長は、やがて「はぁ…」とひとつため息をついた。

族長「魔王討伐、ねえ……そりゃあ大層なことだけど、正直そんなことは私たちにはあまり関係が無い」

戦士「そんなこと、だと…!!」

僧侶「戦士…!」

武道家「………」

 思わず声を荒げた戦士を僧侶が諫める。
 武道家も内心穏やかではない様子だ。
 勇者は族長の言葉に疑問を抱いていた。

勇者(関係がない…? 思えば、ゾアの密林には魔物が殆どいなかった…だからこそ俺も一人で川探しになんか出たわけだし……)

勇者(この密林は何か特別なのか…? 村の安寧を司る神器……まさか、本当に…?)

族長「勇者、と…武道家だったか? お前たちが『試練』に挑むのではないと言うなら、話はこれで終わりだな」

武道家「試練?」

族長「私たちの主となるための試練だよ。大抵の男は、それが目的でここに来るんだがね」

 勇者の耳がぴくりと反応する。

勇者「あ、あるじ…? 主ってことはそりゃつまり……」

 勇者の疑問に少女が答えた。

少女「文字通りのご主人様。試練をクリアした者を私たちは主と認め、村全体でその子種を頂戴する。そうして、私達は種を存続してきた」

勇者「ぼ、ぼくその試練受けま―――!!」

戦士「お断りだッ!!!!」

僧侶「結構ですッ!!!!」

勇者「ヒィッ」

 勇者の言葉は戦士と僧侶に物凄い剣幕で遮られた。

族長「残念……本当に残念だ。お前たちのような男前がこの村に来るなど滅多にないことなんだがなぁ…少女、四人を客人用の家に案内してやってくれ」

少女「分かった」

族長「密林を踏破するのは堪えたろう。一晩ゆっくりしていくといい。そして気が変わったらいつでも声をかけてくれ」

 客人用として案内された小屋で、勇者達は車座になってアマゾネスの少女から話を聞いていた。

勇者「しかし……本当に噂通り、美人や可愛い子しかいないんだな。しかも若い子ばっかりだ」

 そう呟く勇者の視線の先には窓からきゃいきゃいとこちらを覗き込んでいるアマゾネス達の姿がある。

少女「そうでもない。勿論集落には年老いた者も居る。余所者に興味を持ち、近づいてくるのが若者だけだというだけ」

武道家「余所から人が来るというのは余程珍しいことなのか? 随分と注目を浴びているようだが」

少女「それも、そうでもない。定期的に噂を聞きつけた奴らが村を訪れる。だけど、族長が気に入るような男が来るのは稀」

少女「私達の好みは種族全体でほぼ似通っている。族長が気に入ったのなら、アマゾネスの殆どが気に入っている。だから皆ああしてはしゃいでいるんだ……私も、お前のことが気に入っているぞ? 勇者」

勇者「うえ!? な、なんで!?」

少女「まず単純に顔が好みだ。そして言動が珍妙で面白い。そのくせ完全に不意を突いた私の槍を躱すほどの力量を持っている。興味深いぞ。本当に試練を受ける気はないのか?」

戦士「ない」

僧侶「ありません」

少女「お前らには聞いていない」

勇者「あ~、えっと……そもそも、試練ってどんなのなんだ?」

少女「簡単だ。霊峰ゾアの頂におわします我々の祖、『竜神』様に謁見し、アマゾネスの主となることを認められればいい」

僧侶「確かに、霊峰ゾアには竜神が住んでいると噂には聞きました。まさか、本当に?」

少女「ああ。太古の昔より竜神様はこの地にあられて、ある時戯れに人の似姿をとり、旅人とまぐわい子を生した。それが私達アマゾネスという種族の始まりだ」

少女「竜神様の血の強さゆえか、アマゾネスの生む子は必ず女となる。子孫を残すためには、余所から男を招く必要があった」

少女「元々霊峰ゾアを訪れるような旅人は心身ともに屈強な者ばかりで、子種の提供者としては申し分なかった。しかし、アマゾネスの存在が周囲に知れ渡るにつれて、ただ獣欲を満たすためだけに村を訪れる者が後を絶たなくなった」

少女「それ故に始まったのが竜神様の試練だ。私達は誰でも彼でも体を開くことはしない。私たちを抱くことが出来るのは、竜神様に認められた者だけだ」

少女「その代わり、試練を乗り越え主となった者に対しては誠心誠意尽くす。この村にいる18歳以下の女はほぼ全員処女だが夜伽の勉強は滅茶苦茶している。主となった者には確かな満足を与えられるはずだ」

勇者「マジでかッ!!!!!!」

戦士「食いつくな!!!!」

武道家(懲りん奴だ……)

僧侶(な、なんか凄い話ですね……)

武道家「ところで……族長の所で祭ってあった手甲。確か名を竜牙と言ったな。もしやその竜神様とやらに由来するものなのか?」

少女「鋭いな。その通りだ。その名の通り、あれはかつて竜神様より賜った牙をエルフの手により武器へと昇華させたもの。当時の族長は『武道家』としての闘いに秀でていたため、手甲という形になった」

武道家「今の族長は使っていないのか?」

少女「そもそも使うような場面がない。竜神様から直々に賜った逸品。些事には使えない」

武道家(では実質ただの置物になっているということか……それは余りに勿体無い)

勇者「そう、それ。それ聞きたかったんだよ。この密林に魔物たちが殆どいないのは何でだ? まさか本当に、あの手甲に魔よけの効果があると?」

少女「手甲というより、山にいる竜神様ご自身の加護によるものだ。竜神様の力を恐れて、魔王軍はこちらに軽々には手を出せない。実際、『前回の魔王』に地上が支配されかかった時も、この場所は静かなものだった」

勇者「マジでか…すげえな竜神様。もしかして魔王より強いのかよ」

少女「当然」

勇者「……ねえ、試練って、竜神様に認められるために何すんの?」

少女「試練の全容は私達も知らない」

勇者「アマゾネスの趣味嗜好って似通ってるんですよねえ……ということは、その祖先たる竜神様のご気性もまた、アマゾネスに似通っていると推測されるわけですよねえ……」

少女「そうかもしれない」

勇者「キミ、初対面でいきなり僕の背中刺そうとしましたよねえ…?」

少女「突いたらどうなるか好奇心がむらむらしたから」

勇者「試練に失敗した人ってどうなってんの?」

少女「知らない。何故なら、試練に失敗したってことは山から帰ってこないってことだから」

勇者(あっぶねッ!!!! あっぶねッ!!!! 出たよこれ確実に死んでるよ竜神とやらに食われてるよ!! 性的な意味じゃなくて!!)

勇者(やーらない!!!! 僕そんな試練やりませーーーん!!!! 痛いの嫌だし、死にたくないし!!!!)

武道家「少女、族長に伝えてくれ。気が変わった。俺と勇者、二人で試練に挑むとな」

勇者「ほわああああああああああああああ!!!!!???」

僧侶「ぶ、武道家さん!!!?」

戦士「お前、何を…!?」

勇者「何を言っとんじゃおんどりゃあああああ!!!! 甘言に踊らされるな、性欲に釣られるなぁぁぁああああ!!!!」

少女「……ほんき?」

武道家「本気だ。明日の朝には挑めるよう段取りを頼む」

勇者「ちょま、ちょ、ちょままま!!!! 馬鹿かオイ!! 何で俺じゃなくてお前が釣られてんだよ!! お前は大丈夫だろ女の子に餓えてねーだろ!!」

勇者「それともあれか!! お前美味しいものはいっぱいいっぱい食べたい派か!! 我慢することを覚えなさいってお母さんいつも言ってるでしょ!!」

勇者「お前みたいなやつが際限なく女の子を食べまくるから俺みたいなやつがあぶれて、うあ、うああ……!!」

武道家「落ち着け。話が脱線してるしいくらなんでも人聞きが悪すぎる。僧侶と戦士、お前らもだ。まず落ち着け。落ち着いて座れ」

僧侶「これがおち、落ち着いていられますか!!」

戦士「所詮貴様らも下半身でしか物を考えられない猿ということか!! ハッ!! 全く失望したぞ!! 全く!! 全く!!!!」

勇者「『ら』ッ!? 今貴様『ら』って言ったかい戦士さん!? そりゃ無いぜ!! 訂正してくれ!!」

戦士「やかましい!! どちらかと言えばお前の方がより猿だ!!!! 鼻の下伸ばしまくってこのドスケベ猿がッ!!!!」

勇者「ひ、酷過ぎるッ!!」

武道家「……はぁ、やれやれ」

 少女が族長に会いに小屋を出て行ってから、武道家は三人に説明を始めた。

武道家「少女の話を聞くに、あの精霊甲・竜牙には族長が言っていたような、安寧をもたらすような効果……平たく言えば、魔物を遠ざける結界を発生させるような能力はない」

武道家「にもかかわらず、連中は神器としてあの手甲を奉っている。それはひとえに、あれが連中の祖先である『竜神』所縁の物であるからだ」

武道家「裏を返せばそれは、連中にとってあの手甲の価値はただそれだけしかないと言える」

戦士「それは、つまりどういうことだ?」

武道家「つまり、あいつらは精霊装備である竜牙を、精霊装備として必要としている訳ではない。精霊甲・竜牙に実用性を求めていないんだ」

僧侶「……?」

勇者「つまり連中が求めているのは『竜神の加護を象徴する何某か』であって、それは精霊甲・竜牙である必要はない……ってことか」

武道家「流石勇者だ。理解が早いな」

勇者「それで『試練』ねえ……いや、でもよぉ~、下手したら魔王より強いってんだぞ? しかも絶対竜神の性格サディスティックだしよぉ~」

武道家「とはいえ、まさか本当に手甲を強奪するわけにもいくまい? それこそ、本格的に竜神を敵に回す羽目になるぞ」

戦士「お、おい! 二人で納得するな!!」

僧侶「私達にもしっかり説明してください!」

武道家「結論はこうだ。『俺達は何とかして竜神に接触し、竜神所縁の何某かを手に入れる』。それをもって、族長に精霊甲・竜牙との交換を交渉する」

戦士・僧侶「「 !? 」」

勇者「牙をもらえりゃ最良だけど、そう上手くはいかねえよなぁ」

武道家「その時は鱗でも何でもいいさ。最悪、試練をクリアすれば何とかなる。何しろ誠心誠意尽くすというんだ。神器のひとつやふたつ喜んで差し出してくれるだろうさ」

僧侶「だ、駄目ですよクリアしちゃ!!」

武道家「心配するな。ハーレムなんてものには興味はない。アマゾネスの連中には悪いが、子種の提供は謹んで辞退させてもらうさ」

勇者「え~、マジで?? 俺、どうしよっかな……村全体でのご奉仕……むふ、ドゥフフ……」

戦士「勇者ッ!!!!」

勇者「な、なんだよう!! な~んで戦士が怒んだよう!!」

戦士「う、うるさい!! お、お前が魔王討伐の旅の最中だというのに不埒な事ばかり言うからだ!!!!」

勇者「んだよチックショウわかったよッ!! だったら――――」






勇者「だったら、魔王なんてさっさと討伐して、またここに戻って来たらあ!!!!」









戦士「言っとくが、それやったら私は一生お前を軽蔑するからな」


勇者「はぁうッ!?」






第十五章  アマゾネス・ハーレム  完

今回はここまで

 早朝―――アマゾネスの村の最奥、霊峰ゾア登山道の入口にて

僧侶「行っちゃったわね、二人とも。……大丈夫かな」

戦士「試練そのものが不透明過ぎて何とも言えんな……まあ、何だかんだあの二人なら大丈夫だろうが」

僧侶「試練に失敗して帰ってきた人間は居ないってことは、やっぱり命に関わるものなのよね。もしかしたら、竜神様に食べられてしまったりするのかしら」

戦士「今回の目的は試練の合格ではないからな。その心配はあるまい。目的の物さえ手に入れば、あとは早々に引き返すだろう。あの二人、特に勇者は引き際を見極めるのが抜群にうまいからな」

僧侶「あら、戦士が勇者様を素直に褒めるなんて珍しいわね」

戦士「……単にすぐに逃げたがる腰抜けなだけかもしれんが」

僧侶「素直じゃないわねえ」

少女「お前達、いつまでここに居る気だ?」

 アマゾネスの少女が戦士と僧侶に声をかけてきた。

戦士「無論、二人が戻ってくるまでだが?」

少女「そういう訳にはいかないな。お前達にはすぐに村を出て行ってもらう」

戦士「……なに?」

僧侶「どういうことですか?」

少女「元々私達アマゾネスは余所の女が村に入ることを嫌う。今回は勇者と武道家、二人の従者ということで我慢していたが、それもここまでだ。二人が試練に挑んだ以上、お前達を寛容してやる理由はもうない」

 少女は戦士と僧侶に向ける目を細めた。俄かに剣呑な雰囲気が満ちる。

戦士「断ると言ったら?」

少女「その時は力尽くで出て行ってもらうことになる……が、そうまでして二人を待つ理由はもうないだろう? 二人が戻って来るということは試練に合格したということ。試練に合格したということは我々アマゾネスの主になり、この村の新たな長となるということ」

少女「そうなった時に、お前達の居場所はもうない。勇者と武道家が試練に挑んだ時点で、お前達は捨てられたようなもの。お前達を伴侶とするより、勇者と武道家は私達アマゾネスに囲まれることを選んだ」

少女「お気の毒……まあ、私達アマゾネスの魅力が高すぎるのが悪いのだけれど。ごめんね?」

戦士「勘違いも甚だしいな」

僧侶「せ、戦士!」

 声荒く反論した戦士を、僧侶が慌てて止めに入った。

戦士(な、なんだ僧侶)ヒソヒソ…

僧侶(駄目よ、勇者様と武道家さんの本当の目的を言ったら。後々交渉する時に何か悪影響を及ぼすかもしれないでしょ?)ヒソヒソ…

戦士(そ、そうか)ヒソヒソ…

少女「……? 勘違い、とはどういう意味だ?」

 アマゾネスの少女は首を傾げて戦士の次の言葉を待っている。
 戦士はしどろもどろになりながら答えた。

戦士「あ~、あれだ、その……お前達アマゾネスが私達より魅力的だというのがちゃんちゃら可笑しいということだ」

僧侶(せ、戦士!?)ヒ、ヒソォ!

戦士(だ、だって他に言いようないだろ!?)ヒソッソ!

??「聞き捨てならないな」

僧侶「ふぇ!?」

 僧侶は驚きの声を上げた。
 村の建物から次から次にアマゾネスが現れ、少女の背後に陣取ったのだ。

巨乳のアマゾネス「男を喜ばせるために日々研鑽を積んでいる私達より貴様らの方が女としての魅力が勝るだと!?」ばるん!

美尻のアマゾネス「そこまでいうなら証明してもらおうではないか!! 貴様らのどこが私達より優れているのを!!」ぶるん!

太ももアマゾネス「勝負だ余所者!!」ぱっつん!

僧侶「せ、戦士ぃ~」オロオロ…

戦士「こ、こうなった以上貫き通すしかあるまい。腹をくくれ、僧侶!」

 戦士は勇ましくアマゾネス達に相対した。

戦士「望むところだ!! お前達の思い上がりを粉砕してやる!!」

少女「では第一問。一般的に男性は陰茎を口で愛撫されることを好みます。その愛撫の内、喉奥まで深く咥えこみ、口内の空気を吸い込むことで密着度を増して陰茎をしごき上げる性技を何と呼ぶでしょう?」

戦士「ず、ずるい!! その分野で攻めてくるのはずるいぞ!!!!」






第十六章  狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】(前編)




 霊峰ゾア登山道の序盤、密林エリア。

勇者「うあ~、道なんて舗装されてねえから足場悪いったらないよ。しかもずっと上り坂だよ。しんどいよ~」

武道家「今さらこの程度、何てことなかろう。今まで何度こういった森を踏破してきたと思っている」

勇者「慣れてはいるけど辛いことに変わりはねえんだよ。あ~、くそ。汗止まんねえな。上に行くほど気温は下がるから、どっかで服変えないと……着替え足りっかな」

武道家「そういえば、こういった密林で肌を無闇に晒すことは愚の骨頂だとお前は言っていたが、アマゾネスの連中は皆露出度の高い恰好をしていたな」

勇者「現地人怖いです」

武道家「道は悪いが魔物の姿はなし。試練といってもこの程度か。何やら拍子抜けだな」

勇者「それはお前が体力馬鹿だからそんな感想になるだけで、普通に辛いわこんなん。それに、大ボスに竜神様が控えてるってんだから、道中くらいイージーにしてくんなきゃやってられんわ」


 霊峰ゾア登山道の中腹、洞窟エリア。

勇者「天然の洞穴……ここ通って行くんだろな。他に登れそうな道無かったし」

武道家「暗いな。それに随分入り組んで見える」

勇者「『呪文・火炎』―――うし、松明の準備はオッケー。ほれ武道家、お前の分」

武道家「うむ……良く見るとそこかしこに大穴が空いているな。底が見えないということは結構深いんだろう。足元も濡れて滑るし、十分気をつけろ勇者」

勇者「ああ、分かっなああぁぁぁーーーーー――――――!!!!」

武道家「勇者ーーーーッ!!!!」

勇者「いっつつ……早速落ちちまった」

武道家「おーーい!! 勇者、無事かーーー!?」

勇者「上から覗き込んでる武道家の顔が見える……どうやらそんなに深い穴じゃなかったらしいな。助かったぜ……」

勇者「おーい武道家ーー!! 今からそっちにロープ投げるから適当な所に縛り付けてくれーーー!!」

武道家「心得たーーー!!」

勇者「え~と、ロープロープ……ひっ!?」

 背負っていた荷物をおろし、中からロープを取り出そうとしゃがみ込んだ時、勇者は絶句した。
 勇者の目の前。
 岩壁に寄り掛かるようにして座り込んだ、人間の死体があった。
 恐らくは男の死体。日光を浴びず、冷涼な温度の中にあったためか、腐敗はあまり進んでいない。
 奇跡的に小動物にも食い荒らされることが無かったらしく、その死体は未だ生前の面影を保っていた。
 恐らく肩ほどまで伸びているであろう黒髪を後ろで束ねており、特徴的な衣服は和服と呼ばれる類のもので、確か『倭の国』の国民が着る独特な衣装だったはずだ、と勇者は以前書物を読んで得た知識を引っ張り出す。

勇者「倭の国から遠くこんな所まで…? 男の欲望ってのはホント、際限なしやなあ……」

 勇者がしみじみと感じ入っていると、一際目を引くものがあることに気が付いた。

勇者「……剣?」

 男は棒状の何かを抱え込んで座っていた。観察し、それが鞘に入った剣であることに勇者は気が付く。
 その剣が、ゆらりとこちらに倒れこんできて、カランと地面に転がった。

勇者「……今、風とか吹いたっけ?」

 少しぞっとしながらも、勇者は何故かその剣から目を離せずにいた。
 ちょうど柄がこちらに向けて倒れてきており、さも拾えと言わんばかりだ。
 元に戻しておこうという道徳心と、ほんの少しの好奇心で勇者は剣に手を伸ばした。
 柄を握る。驚くほど手に馴染んだ。
 無意識に勇者は剣を鞘から抜き出していた。
 その煌めく刀身に心を奪われる。

勇者「これ……相当いい剣なんじゃないか?」

 戦士の持つ精霊剣・炎天ほどではないものの、奇妙な力強さを感じる。
 勇者は悩んだ末に、その剣を頂戴することにした。
 そんなことをしても自身の慰めにしかならないとわかっているが、剣を持っていた死体に頭を下げる。
 こくりと死体の頭が動いたような錯覚を勇者は覚えた。

 武道家の助けを得て上に戻った勇者は、事の顛末を武道家に説明した。

武道家「死体を荒らしたようで気が引けるが……魔王を倒すためだ。やむを得まい。全てが終わった後にまた戻しにこよう」

 戦力の強化は最優先。この考え方は武道家も一致するものであった。
 今度こそ足元に十分注意しながら先に進む。
 いくつかの穴の底には、勇者が落ちた穴と同様に死体があるのが見えた。

勇者「単身で挑むと、こういう穴に落ちた時にリカバリーがきかないんだな」

武道家「そうだな。俺達も、一人を助けようとして二人とも落ちるなんてことにだけはならんように注意しよう」

 幾度も行き止まりに突き当たり、その度に経路を修正しながら勇者と武道家は着実に前進する。
 やがて前方から陽の光が差し込んできた。

勇者「ふう、何とか無事洞窟を抜けたか」

 洞窟の出口に立ち、勇者は一息つく。

勇者「結構登ったなあ……」

 眼下には絶景が広がっていた。
 山裾から広がる密林はやがて草原に変わり、緑の大地は海岸線を境に青い海原へと色を変える。

勇者「世界の果てってのは、どうなってるんだろうねえ……」

 遠く水平線を眺めながら勇者がそんな益体もない感想を抱いていると、背後から武道家の声が飛んだ。

武道家「勇者、危ない!!」

 声に反応し、咄嗟に身を屈める。
 何かが頭上を掠めていったのが分かった。
 側頭部に痛みが走る。触ると血で濡れていた。
 上空を何かが旋回している。

勇者「鳥…?」

武道家「鷲だ。しかもとびきりでかいぞ。体だけで2mはある。翼を広げた全長は5mくらいあるんじゃないか?」

 大鷲が再び勇者に狙いを定めて滑空してくる。
 その動きは途轍もなく速かったが、今度は始動からしっかり目で追えていたので難なく躱すことが出来た。

勇者「この場所は足場が悪い。ここで応戦するのはうまくないな」

武道家「一度洞窟内に戻るか?」

勇者「いや、それじゃ堂々巡りだ。それなりに動ける広さがある所まで進む」

武道家「それまでの攻撃はどう凌ぐ? 横は崖。こうも足場が狭い所を移動しながらとなると、回避もままならんぞ」

勇者「ちょっと牽制しとくさ」

 勇者はそう言ってまたもこちらに滑空する大鷲に指を向ける。

勇者「『呪文・―――大火炎』!!!!」

 勇者の指先から直径三メートルにも及ぶ火球が生まれた。
 まっすぐ勇者に向かっていた大鷲は為す術なくその火球に突っ込んだ。
 甲高い悲鳴が上がる。たまらず身を翻して大鷲は空へと舞い戻っていった。
 そのまま大鷲はずっと勇者たちの上空を旋回している。

武道家「多少警戒を強めた様子だが……諦める気はないらしいな」

勇者「逃げないなら迎え撃つしかないな。よし、この場所ならいいだろう」

 切り立った崖が台地のようになっている場所で、勇者と武道家は足を止める。
 そして武道家は両手の手甲を打ち鳴らし、勇者は先ほど拾った剣を抜いた。

勇者「さて……それじゃ、早速試し切りと行きますか」

 十全に動ける場所となれば、苦戦する理由は無い。
 事切れた大鷲を見下ろし、勇者は感嘆の息を吐いた。

勇者「は~、やっぱりこの剣凄いわ。普通の攻撃力じゃない」

武道家「それ程の逸品か」

勇者「騎士の持つ精霊剣・湖月や戦士の炎天に比べれば、特殊能力もないし、剣自体の攻撃力も落ちるけど……それでも十分だよ。市井にありふれてる剣とは比較にならない」

武道家「精霊剣をもう一本見つけるまでの繋ぎとしては申し分ないということか。嬉しい誤算だな。俺用の武器を得るための道中で、勇者の戦力強化を成すことが出来るとは」

 勇者はしばらく大鷲の死体を眺め、解体するかどうか考えていたが、結局打ち捨てていくことにした。

勇者「戦士達を村に待たせているし、今回は解体を見送ろう。魔物じゃないから国から報奨金は出ないし、今は資金に余裕があるしな」

武道家「しかし、こんな大きな鷲は初めて見た。世界は広いな」

勇者「竜神に守られた霊峰ゾア故の成長、ってことだろうな。ただそこに生きる動物たちでさえ、強固な精霊の加護を得ている……魔物が侵略をためらうのも納得だぜ」

 先に進もうとした二人の足が止まった。
 台地の端に肉の塊がうず高く積まれているのが目に入る。
 恐らく大鷲にやられた犠牲者たちであろう。
 大鷲に食い散らかされ、既に原型を留めてはいなかったが、そこに転がる頭の数から死体の数は六人と推察できた。
 比較的損傷の少ない頭部を見て、武道家の顔が歪んだ。

勇者「どうした?」

武道家「……少し、見覚えがある顔だ。無論、友人などではないし、知人と呼ぶにも余りに薄い接触しかしていないが」

 そこに転がっていたのは、かつて観光都市エクスタで遭遇した冒険者たちであった。
 素行が悪く、お世辞にも褒められた人格ではなかった連中だったが―――武道家は目を閉じ、黙とうを捧げた。

武道家「ここからが真の難関、ということだろうな。気を引き締めてかかるぞ、勇者」

勇者「分かってるよ。最初から油断なんてしてへんわい」

武道家「どうだか。ここで足を滑らせると致命的だぞ?」

勇者「そん時ゃ落ちてる途中で『翼竜の羽』使ってどっか飛ぶわ」

武道家「うわ、ずるいなお前」

 そして―――勇者と武道家は、奇妙なほど広く平坦な台地に辿り着いた。
 辺りを見回す。自分たちの立つ台地より上に山の影はない。
 つまりはここが霊峰ゾアの頂上だ。お誂え向きに台地を囲う岩壁の一部に洞穴が空いており、如何にも何かが住んでいますといった風情を醸し出していた。

「ほほう、久しぶりじゃな。この頂上まで辿りついた人間は」

 果たして、その洞穴の奥から声が響いた。
 空気を重々しく震わせ、荘厳な雰囲気に満ち溢れているはずのその声を聞いて、しかし勇者は違和感を覚えていた。

「嬉しいぞ。長く暇を持て余していたところじゃ―――儂は、お主等を歓迎する」

 洞穴の影からその者が姿を現す。
 初めに見えたのは褐色の足。
 足先から脛、太ももと次第にその全容が明らかになる。
 薄手の黒のワンピース。長く腰まで伸びた銀髪が揺れている。
 遂に姿を現したそいつは、切れ長の目を妖しく光らせて言った。

「我が名は竜神―――さあ、存分に戯れようぞ! 冒険者たちよ!!」

 その姿を認め、わなわなと震えた勇者は堪え切れず叫んだ。

勇者「ろ……」




勇者「ロリロリしいいいいぃぃぃーーーーーーーーッ!!!!!!」



 竜神はなんと褐色ロリだった。これには武道家も思わず苦笑い。

勇者「何か声高いと思ったーー!! 何か声高いと思ったーーーッ!!!!」

竜神「む、何がおかしい」

勇者「いやいや! 竜神様竜神様!! おかしいよ、おかしいですって!! 何ですのその姿!?」

竜神「ふん、竜神である儂にとって人間に化けることなど容易いことじゃ」

勇者「ちがーう!! それにしたって竜神様ってずっと昔からこの山に居るんでしょ!? そしたら、こう、もっと年相応の変化ってあるじゃん!?」

竜神「むッ!! お主、儂を年増扱いするか!! 万死に値するぞ!!」

勇者「いや、そんなつもりないすけど!! それにしたってロリすぎるでしょうが! あんたもう出産も経験してんでしょ!? じゃあその姿がちょっとおかしいなってのもわかるでしょ!? 常識的に考えて!!」

竜神「人間のオスはこのぐらいの年の子が一番そそると聞いた」

勇者「常識が歪められている!?」

竜神「まあ聞け。お主等がこの見てくれの年代の娘を欲情の対象としないのはその娘が実際的に生殖能力を備えていないからじゃろうが。儂は違うぞ? こう見えて中身は完全に熟れ熟れじゃ。この未熟な肢体に『女』としての機能を完備しておる。さあ、そう聞くとどうじゃ? 甘美な背徳感にそそられてこんか?」

勇者「ぬ…ぬぅ……!」

武道家「何を論破されとるか」

 武道家が勇者の頭を小突いた。勇者はハッ、と我に返る。

勇者「おい、しかしどうするよ?」

 勇者は武道家に耳打ちした。

武道家「ああ…竜神がまさかあんな姿で現れるなど予想もしなかった。牙も鱗もまったく見当たらんぞ」

勇者「髪の毛は……どうだろうなあ。勝手に切ったらめっちゃ怒りそうだなあ」

 耳打ちし合う勇者たちに構わず、竜神を名乗る褐色銀髪の少女はえっちらおっちらと洞穴から何かを抱えてきた。
 少女の脇の辺りまで、たっぷり一メートルは高さのあるそれは、巨大な砂時計だった。
 さらさらと砂が零れ落ちるのを確認して、少女は満足げに笑みを作る。

竜神「試練の内容は単純明快。この砂時計の砂が落ちきるまで生き残ること、じゃ」

勇者「……何ですと?」

竜神「では早速いくぞ? 運動不足は美容の大敵。儂の為にもくれぐれもあっさり死んでくれるなよ、冒険者共!!」

 少女の手首から先が獰猛な竜のソレに変わった。
 たん、と軽やかに跳ね、勇者に向かってその腕を振り下ろす。
 何気なくその一撃を受け止めた勇者の体が後方にぶっ飛んだ。



 その頃、アマゾネスの村では―――――

少女「第二十三問!! 本来、排便の用途でしか用いられない肛門ですが、その先には刺激することで男に快楽を与えられる場所があり、その刺激方法とは――」

戦士「うわー! うわー!! ギャーギャー!!!!」

僧侶「ひえ、ひえぇ……!!」

 凄い勢いで二人が耳年増になっていた。

 上から振り下ろされる右腕を打ち逸らす。
 そのままの勢いで回転し、飛んできた回し蹴りを思い切り仰け反ることで躱す。
 踊るように軽やかに繰り出される竜神の攻撃を武道家はひたすらに受け流す。
 すう、と竜神が大きく息を吸い込んだ。
 危機を直感した武道家は両腕を交差し、顔面を覆い隠す。
 大口を開けた竜神の口から轟音と共に大量の炎が吐き出された。
 全身を包む衝撃と熱を武道家は何とか耐え凌ぐ。
 ぱちぱちと竜神はその手を打ち鳴らした。

竜神「いやあ大したもんじゃ。今の炎を受けて灰にならんとは、相当な加護レベルじゃ。素晴らしいぞ。楽しくなってきた」

 そう言って竜神は武道家と勇者、二人の顔を見回す。

竜神「しかしお主等、何故仕掛けてこん? いくら条件が生き残ることとはいえ、防戦一方ではジリ貧じゃぞ? お主等からも攻撃した方が時間も稼げる。生存確率も飛躍的に上がろうが」

 竜神の言葉に、勇者と武道家は顔を見合わせ、やれやれと同時に肩をすくめた。

竜神「……なんじゃ?」

武道家「俺達から仕掛けろだと? 無理を言う」

竜神「なに?」

勇者「そんな可愛い姿になられちゃ、剣なんて向けられねーっての」

 二人の言葉を受けて、竜神はにっこりと笑った。

竜神「ほほう―――素晴らしい。気に入った、気に入ったぞお主等!」

 ぼんやりと、竜神の―――少女の姿が、陽炎のように揺れた。

竜神「命を狙われる最中にあってなおその気遣い……並の人間には出来ん!! お主等に敬意を表し、儂も真の姿を披露することにしよう!!」

 ボッ、と爆発的に土煙が舞う。
 突然その場に巨大な質量が現れ、空気が押しのけられた結果だ。
 やがて、竜神がその威容を現す。
 陽の光を受けて燦々と輝く銀色の鱗。
 鋭く尖った爪を持つ、太く巨大な手足。
 長く伸びる尾が地面を打つだけで大地が揺れる。
 巨大なトカゲと表すには、余りにも神々しいその姿。

竜神『すまんな。実にすまん』

 真の姿を現した竜神は、牙をむき言葉を発した。
 その声はまさしく神を名乗るにふさわしい荘厳な響きを伴っていた。

竜神『この姿で暴れることなど百年ぶりよ。高揚し過ぎて、ちとやり過ぎてしまうかもしれん』

 人間など一口で丸のみしてしまえるほど巨大な口が開く。
 発せられた雄叫びに全身がびりびりと震えるのを感じながら、

武道家「さて、ここからが本番だ」

 と、武道家は笑い、

勇者「……?」

 勇者は込み上げる違和感にただ戸惑っていた。

 先に仕掛けたのは武道家だった。
 地を蹴り、臆することなく人間でいうところのわき腹辺りに接近する。
 その場所は硬い鱗に覆われてはいない。

武道家「ぜやッ!!」

 気合の叫びと共に拳を突き込んだ。
 ドズン、と重たい音をたてて拳が皮膚にめり込む。
 しかし竜神に苦悶の様子は見られない。
 武道家の体を影が覆った。
 上空を見上げる。竜神の尾が上から迫って来ていた。

武道家「くっ!!」

 慌ててその場を飛び退る。一瞬遅れて竜神の尾が地面に叩き付けられた。
 直撃は避けたものの、その衝撃にたまらず武道家の体が吹き飛ぶ。
 空中で体を立て直し、着地―――その隙を狙って竜神が炎の息を吐く。

武道家「ぐおお!!」

 武道家の体が炎に包まれた。
 竜神の視線が武道家に向いたその隙に、勇者は竜神の背に飛び乗っていた。
 そして、鱗の隙間目掛けて剣を突き立てる。
 が、駄目。がきんと音を立て、刃は弾かれてしまう。

勇者「か、固すぎ…!」

 竜神が雄叫びを上げて立ち上がった。

勇者「おうわッ!!?」

 その拍子に勇者は竜神の背から振り落とされてしまう。
 宙を舞い、身動きが取れなくなった勇者に対し、竜神はその腕を振りかぶった。

勇者「やっべ…!!」

 無防備な今、あの質量の攻撃を受けてはひとたまりもない。
 何より、吹き飛んだ先が岩壁ならまだいいが、下手すれば崖の向こうに吹き飛ばされて真っ逆さまという可能性もある。

勇者「『呪文・烈風』!!」

 勇者はあえて自分の体に真上から風の塊を当てることで落下速度を上げた。
 タイミングのずれた竜神の腕は勇者のギリギリ上で空を切る。

勇者「んがッ!!」

 両手両足を使って着地。勇者の全身がミシミシと軋む。

武道家「無事か? 勇者」

勇者「何とかな。オメーはどうよ? 回復いるか?」

武道家「いや、まだそれには及ばん。しかしどうするかな。狙いどころがない」

勇者「鱗の一枚でも剥がしてやろーと思って頑張ってんだけどな……戦士の炎天なら多分加護を突き破ってダメージ与えられるんだろうけど……」

 無いものねだりをしてもしょうがない、と思考を切り替えたところでまたも勇者を違和感が襲った。

勇者「……? 武道家、なんか言った?」

武道家「……いいや?」

 違和感の正体は声だ。勇者の頭の中でずっと妙な声が響いている。
 勇者は耳を澄ました―――頭に響く声を聞くのに耳を澄ますというのはおかしいが、とにかく、声の正体を探ろうと集中した。





 竜だ。

 竜だ。

 竜だ。竜だ。竜だ。


 ――す。―――す。―――してやる!!


 名を呼べ。我を解放しろ。

 我が名は――――




 はっきりと分かった。
 これは、この剣が発している声だ。
 勇者は思い出す。そう、あれは武闘会で騎士の持つ精霊剣・湖月を装備した時のこと。
 まるで剣自身が語り掛けてくるように、勇者は湖月の名とその能力を把握することが出来た。

勇者(あの時は、こんなにもはっきり『剣の声』が聞こえるなんてことはなかったが……もしかしてこれは、本当に精霊剣以上の逸品なのか?)

 こちらに突進してくる竜神の姿をしっかりと見据え、勇者は期待を込めてその名を口にした。

勇者「食らい尽くせ―――『凶ツ喰【マガツバミ】』」




 ――――瞬間、勇者の視界は真っ赤に染まった。


 竜神がこちらに突進してくる様を見て、武道家はすぐさま距離を取った。
 しかし、勇者にはその場を動く気配がない。

武道家「勇者ッ!?」

 思わず、武道家は叫んでいた。
 竜神が突進の勢いそのままにその腕を振り下ろす。

勇者「がああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 勇者は迫る竜神の爪にその剣をぶち当てた。
 バギン! と凄まじい衝突音が響く。
 武道家は驚愕した。
 勇者は、竜神の一撃を受け止めていた。
 驚きは竜神にも少なからずあったのだろう。その眼が少し見開かれているように見える。

勇者「ごおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 勇者は続けざまに剣を振るった。
 いつもの勇者とは思えぬ、我武者羅な剣筋。
 しかしその剣は竜神の皮膚を切り裂き、僅かながら確かなダメージを与えていた。

竜神『ほほう…実に久しぶりじゃぞ? 儂の鱗に傷を入れられた者は……面白い!!』

 竜神はその巨体に見合わぬ俊敏さでその爪を、牙を、尾の一撃を勇者に繰り出す。
 勇者の胸板を爪が掠めた。鮮血が噴き出す。しかし同時に勇者は竜神の掌を切り裂いた。
 勇者の太ももに牙が食い込んだ。ぶちぶちと肉が千切れる音がする。しかし同時に勇者は竜神の鼻先に剣を突き立てた。
 勇者は尾の一撃に叩き潰された。しかし勇者はそのまま竜神の尾に貼りつき、その皮膚を食い破ろうと歯を立てている。
 武道家はそんな勇者の姿に違和感を覚えていた。
 明らかにいつもと様子が違う。
 勇者は基本的に痛みを避ける―――自身の被害を最小限に敵を討つ戦い方を取る。いや、そういう戦い方を取るしかない。
 それは、拭いがたい過去のトラウマの為に。
 それが今はどうだ?
 自身の負傷を厭わず、むしろそれを餌として敵に攻撃を加えている。
 まさしく捨て身。
 そんな戦い方を勇者が取るはずがない。そもそもそんな戦い方で命がもつものか。
 武道家は気づく。ぎょっと目を見開く。
 勇者の傷が、肉を抉りちぎられた太ももが見る見るうちに修復されていく。
 勇者が回復呪文を使えることは知っている。
 だが、それでこんなレベルの回復が出来るのか? そもそも、呪文を詠唱している様子はない。
 おかしいと、これは何か異常な事態が進行している―――そう武道家が判断し、勇者と竜神の間に割って入ろうした刹那。
 竜神は、突如として少女の姿に立ち戻っていた。

武道家「……え?」

 ぽかんとする武道家に、竜神は悪戯っぽく笑った。

竜神「刻限を過ぎた。―――おめでとう、合格じゃ」

 言われて、武道家は砂時計に目をやった。
 確かに、全ての砂が下の方に落ちきっている。

武道家「なんとまあ……全然意識していなかった」

竜神「まあ、全力の儂を相手にそんな余裕は無かろう。ともあれ、大したものじゃ。全力の儂とこれだけの時間戦って生き延びた人間など、それこそ儂が初めて見初めた男以来じゃぞ? これは何か、特別賞を与えねばならんのう」

武道家「おお、ちょうどいい。実は頼みたいことがあったんだ」

竜神「そうじゃ! なんと儂にも種付けできる権利をやろう!! 人の子を身ごもるのは久しぶりじゃわい!!」

武道家「いらんいらん。そうじゃなくてだな……」

 足を負傷し、膝をついていた勇者がふらふらと立ち上がってきた。
 その姿は目を背けたくなるほどに血濡れだが、その実、目立った外傷は無くなっているように見える。

勇者「……してやる」ブツブツ…

武道家「おい、勇者? 大丈夫か?」

 武道家には目もくれず、勇者は覚束ない足取りで竜神の元へ歩み寄る。

竜神「お!? なんじゃ? 早速ここで致すのか? よいよい、それもまた一興じゃ!!」

武道家「おい勇者。お前マジか、ちょっと落ち着け」

 武道家が焦って勇者の肩に手を伸ばす。


 どすり、と音を立てて。

 勇者の持つ剣が竜神の胸へと突き立てられていた。


竜神「え…?」

勇者「……してやる」

 ぼそぼそとした勇者の呟きが、事ここに至ってようやく武道家の耳に届く。




勇者「竜【ドラゴン】は――――全て、殺してやる」



 竜神の手が再び竜のソレへと変貌し、勇者の腹を裂いた。
 はらわたをまき散らし、勇者の体がゆっくりと背後に倒れる。
 ずるりと竜神の胸から勇者の持つ剣が抜けた。

武道家「勇者ッ!!!!」

 武道家は絶叫する。どう見ても致命傷だ。だが。
 勇者はゆっくりと身を起こした。
 腹から零れ落ちた内臓が、ずるずると傷の中に引き込まれていく。
 同時に、ぱっくり裂けた腹の傷そのものも、ぐじゅぐじゅと音を立てて塞がり始めていた。

勇者「殺してやる……殺して、やる……」

竜神「本気で儂の命を所望か、不届き者が」

 竜神の目から輝きが消える。
 先ほどまでの無邪気さはどこへやら。竜神が勇者に向ける目は害虫を見るソレに相違ない。

竜神「ならばお遊びは無しだ。脳髄をまき散らして死ね、人間」

勇者「ぎあああああああああああああああ!!!!!」

 意味不明の絶叫と共に、勇者が竜神に突進する。
 迎え撃つ竜神は竜と化したその手を振りかぶる。


 そして―――今度こそ、武道家の体が二人の間に割って入った。


武道家「ぐあ…!! かっ…!!」

竜神「お主……!?」

 武道家は、竜神の体を抱きかかえて飛び、勇者の剣から庇っていた。
 その結果として、勇者の剣は武道家の背を掠め―――それだけでなく、竜神の爪も突如目の前に現れた武道家の胸板を抉ってしまっていた。

竜神「な、何のつもりじゃお主!!」

武道家「た、頼む、竜神……先の奴の一撃、どうか許してやってくれ……今のあいつは、どう見ても普通じゃない……まるで何かに憑りつかれてしまったみたいだ……」

武道家「少しだけ時間をくれ……俺が、必ず奴を正気に戻してみせる……!!」

竜神「……儂はそこまで寛容ではない。もし一撃でも奴がまた儂に危害を加えるようなことがあれば、その時は容赦なく殺すぞ。邪魔立てするというならお主もろとも」

武道家「ありがとう……感謝する。なに、大船に乗ったつもりでいろ。お前は必ず俺が守り切ってみせる」

竜神「ふん、そこまで言うなら守られてやろう。人間が竜神である儂を守るか……ふふ、面白いな。人間、名は何という?」

武道家「武道家だ。忘れてくれてかまわん。むしろあいつの方をこそ覚えておくんだな、竜神」

武道家「あいつは勇者……いつか必ず、この世界を救ってみせる男さ」




 武道家は竜神の元へ向かおうとする勇者の前に立ち塞がる。

武道家「よう……ここから先にはいかさんぜ。勇者」

勇者「ぎ…! が…ぐ……!!」

武道家「辛そうだな……な~に、原因の方は大体想像がついてる。すぐに楽にしてやるよ……ほんの少し、辛抱してくれ」

 柔らかな笑みを勇者に向けて、武道家は一度目を閉じる。
 そして目を開け、憤怒の顔で勇者の手元を睨み付けた。

武道家「勇者の体を返してもらうぞ――――魔剣!!」




第十六章  狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】(前編)  終

今回はここまで

『はあ…痛い…痛ぇ…クソ、クソ……!』

 それは、幼いころの記憶。
 まだ勇者と出会って間もない頃。
 転んで擦りむいた膝を抱え、あいつはポロポロと涙を零した。

『おいおい、その程度の怪我で泣くなよ。大袈裟な奴だな』

 勇者に掛けた言葉には、多少嘲りの要素が含まれていたように思う。
 なんて弱い奴だと、情けない奴だと見下していた。

『う…うぐ…! か…おえぇ……!!』

 けれど、直後に勇者が吐瀉物を必死に口中で押し留め、飲み下しているのに気づいてからその気持ちは一変した。
 これはおかしい。尋常ではない。
 こいつの体には今、何が起こっているのだ?

『おい、勇者――――』




 そして―――武道家は勇者の抱えるトラウマを知り、以降、彼は勇者の事を無二の親友と尊敬するようになった。








第十七章  狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】(後編)




 勇者の血で濡れた姿に武道家は顔を顰めた。
 脳裏によぎる幼い頃の記憶―――痛みに怯えるかつての勇者の姿が、武道家の怒りを殊更にかきたてる。

武道家「勇者の体を好き放題に操り、傷つけ―――まともな形でいられると思うな、魔剣」

勇者「ぐぅ…! ぐぎぎ…!」

 勇者の視線はずっと竜神を向いたまま動かない。
 未だ幼女の姿をとったままの竜神は、その視線を受け不快気に鼻を鳴らした。

武道家「竜神」

竜神「わかっておる。奴の攻撃が儂に触れぬ限り儂から仕掛けることはせん……が、裏を返せば少しでも奴が再び儂に危害を加えた瞬間、即座に儂は奴の首を取るぞ」

武道家「十分だ。その寛容な精神に感謝する」

竜神「よい。所詮は余興じゃ。精々頑張れよ? 儂の騎士(ナイト)様」

武道家「生憎と騎士(ナイト)のような気取った立ち振る舞いは出来ん」

勇者「ガア!!」

 竜神に向かって振り下ろした勇者の一撃を、即座に割って入った武道家がその手甲に覆われた拳で打ち逸らした。

武道家「所詮俺は野蛮に拳を振り回すしかない『武道家』だからな!!」

 武道家は剣の柄を固く握りしめる勇者の右手を蹴り上げた。
 ガイン、と音を立て、切っ先が天へと跳ね上がるがしかし、勇者の手はがっちりと剣を握りしめたままだ。

武道家「ちっ!」

 武道家は即座に剣を持つ勇者の手首を掴み取るとそのままその腕を脇に抱え、更に足を払うことで勇者をその場に引き倒した。
 そして固く握りこまれた勇者の指をほどこうと手を伸ばした所で―――

武道家「なっ!?」

 武道家は絶句した。
 勇者の手は剣の柄と一体化していた。

 厳密には―――柄から伸びた植物の蔦の様な紐が幾重にも勇者の手に巻き付いたうえ、その何本かは勇者の手の皮膚の下に直接潜り込んでいた。

勇者「ぐ…う……!!」ギリギリ…!

武道家「な……馬鹿な…!」

 武道家は勇者を仰向けに倒しその右腕を抱え、背中で胸元を押さえつける形で勇者を拘束している。
 その状態で、勇者は無理やり起きあがろうとしていた。
 身をよじるでもなく、武道家を振り払うでもなく、ただ力任せに仰向けのまま起きあがる。

武道家「馬鹿な…! 勇者よりも俺の方が力は上なはず…!! ぐっ!!」

 起きあがった勇者が右腕にしがみついていた武道家のわき腹を膝で蹴り上げた。
 たまらず手を離し、武道家は一度勇者との距離を取る。

武道家「ごほっ! ごほっ!! ……スゥー、ふぅ…」

 乱れた息を即座に整える。
 剣を構えた勇者は、今度こそ殺気を孕んだ視線を武道家に向けた。
 どうやら竜神を打倒する上での障害として武道家を認めたようだ。

勇者「ぎああああああああああああああああああ!!!!!」

 雄叫びと共に勇者が突進する。
 両手で剣を持ってからの、大上段からの振り下ろし。

武道家(速いッ!!)

 両腕を交差させ、手の甲側に纏った手甲で勇者の剣を受け止める。
 余りの速さと重さに打ち逸らす余裕が無かった。
 そもそもよけるという選択肢はない。身を躱してしまえば勇者がそのまま背後にいる竜神に突っ込んでいくことは明らかだからだ。
 ビシリ、と嫌な音がした。
 武道家の装備する手甲に勇者の剣が食い込み、ひびが入っていた。

武道家「くっ…!」

勇者「はあああああああああああ!!!!!!」

 そのまま連撃が来た。
 竜神の鱗すら裂いた力任せの振り回し。
 技量もへったくれもない攻撃だが、如何せん速すぎる。
 防御に徹し、武道家はその刃を受け続けるが、その度に手甲に痛みが蓄積するのが如実に感じられた。
 このまま防御に徹し続けるのはまずい。

武道家「許せ、勇者!!」

 殊更大きく振られた一撃の隙を突き、武道家は勇者の胸の中心に掌底を叩き込む。
 勇者の身に着けていた鋼の胸当てを貫通して衝撃が伝播した感覚があった。
 背後に大きく吹き飛んだ勇者がそのまま仰向けに倒れこむ。

武道家「ぜはぁー! ぜはぁー!」

 冷や汗と共に大きく息を吐く武道家。その額は赤く流血している。

武道家「完全に躱したと思ったが……想像以上に速かった。今の勇者は力も速度も俺を上回っている……?」

 むくりと勇者が起きあがる。
 ぞくりと武道家は震えた。

武道家「今の一撃……肺を一時的に機能不全に陥らせるから、普通は意識がブラックアウトするんだがな……」

勇者「コロ…ス……コロォ…スゥ…!!」

武道家「身体能力と自己治癒機能の大幅な強化といったところか…? その剣の能力は……代わりに、理性がどっかに吹っ飛んじまうようだが」

 武道家は額の血と汗を拭うと、ふぅ、と大きく息を吐いた。

武道家「……そろそろ俺の体力も限界だ。勝負をかけるしか……ないようだな」

勇者「ゴロォォォォオオオズゥゥゥウウウウウウウ!!!!!!」

 勇者が突進する。何の芸もなく、先ほどと殆ど同じく。
 まさしく、猪突猛進。
 武道家が迎え撃つ。両手の拳を打ち鳴らす。

武道家(勇者が先ほどと同じく剣を振り下ろしてきた所でその刀身を掴み取り捻り折る!!)

 つまりは真剣白刃取り。
 非常にリスクは高いが勇者から剣を取り上げることが出来ない以上、剣そのものを破壊してしまうしかない。
 失敗すれば死は確実。
 だが、出来る。武道家にはその自信がある。

武道家(いくら動きが速かろうと、同じ動きを繰り返されればいい加減目も慣れる!!)

勇者「があああああああああああああああああ!!!!!!」

武道家(勇者が剣を振り上げるタイミングに合わせる!)

 一歩、両者の距離が詰まる。

武道家(勇者が剣を振り上げるタイミングで―――!!)

 ぴくりと勇者の持つ剣先が揺れる。

武道家(勇者が剣を―――)

 勇者の体が沈み込む。今までより深く深く前傾姿勢で―――

武道家(剣を――――)

 ――――――突進する。

武道家(振り上げ―――ない?)

 突き出された切っ先が武道家の腹部を貫いた。

武道家「が…は…!!」

 武道家は激痛に顔を顰めた。
 痛みは吐き気に転化し、胃の中の物が喉へと逆流しようとする。
 いや、或いはそれは込み上げた血の塊なのかもしれない。

武道家「理性がないくせに……学習はするのか……厄介な……」

 息も絶え絶えに武道家は声を漏らす。
 痙攣する指先が己の腹を貫く刃に触れた。

武道家「だが……期せずしてチャンス到来だ。こんなにも狙いやすい位置で剣を固定できるとは」

 がっちりと、武道家は左手で刀身を握りしめた。
 そしてそれ以上に腹筋をぎっちりと締め上げる。
 当然激痛が伴うが構っている余裕は無い。

勇者「ガッ!?」

 異変に気付いた勇者が剣を引こうとするがもう遅い。
 剣は完全に固定され、もはやびくともしなかった。

勇者「グ、グギ、グッ!!!!」

武道家「これで終わりだ、魔剣。二度と人に憑りつけぬよう、粉々に粉砕してくれる」

 ぎりぎりと音を立て、武道家の右手が握りこまれる。
 そして―――

武道家「はッ!!!!」

 無防備な剣の横っ腹に武道家の拳が叩き込まれ、金属の砕ける音がして――――






 ――――武道家の装備していた手甲が砕け散った。




武道家「な…に…?」

 武道家は剥き出しになった自分の右手を見て茫然としている。
 勇者の持つ剣には罅一つ入っていなかった。

武道家「馬鹿な……」

 武道家は剥き出しになった拳を剣にぶつけた。
 当然、剣はびくともしない。
 それどころか、刃の部分に接触してしまった部分が裂け、武道家の手から夥しい量の血が零れた。

武道家「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!!」

 何度も何度も武道家は剣に拳を叩き付ける。
 その度に拳からは血飛沫が上がり、剣を、勇者を、武道家自身を赤く染め上げた。

勇者「ぎ…」

 勇者はその様をただじっと見つめている。
 それもそのはず、遂には武道家の腹部の傷も広がり始めていた。
 当然だ。衝撃を与えれば、剣は揺れる。どんなに固定していても僅かにブレる。
 ブレた分だけ、刃は進む。肉は裂ける。
 つまりこれはただの自殺だ。放っておけば勝手に死ぬ。
 勇者が何もしなくても、目の前の敵は勝手に自滅するのだ。

武道家「うおおッ!!」

竜神「もうよい」

 振り上げた武道家の拳を、竜神が優しく掴み止めた。
 竜神は背中から僅かに生えた翼をはためかせ、武道家たちを見下ろせる高さまで浮き上がっている。

勇者「うぎあ!!! があ!!!! ごあああ!!!!」

 竜神の姿を認めた勇者が狂った犬のように吠え始めた。

竜神「いくら友のためとはいえ、お主まで死ぬことはあるまい。……もう休め。あとの始末は儂がつけてやる」

 竜神の言葉に、武道家は力なく首を振った。

武道家「駄目だ……それは、駄目なんだ……」

竜神「戯け。どの道このままお主が死ねば結果は同じじゃ」

 竜神の手が幼い少女ではなく、竜としてのそれに変わる。
 勇者はただ吠えるばかりで竜神に向かって行こうともしない。
 武道家が剣を抑え続ける限り、剣と一体化した勇者は身動きを取ることが出来ないのだ。
 勇者に近づこうと動き出した竜神の手を、今度は武道家が優しく掴み止めた。

武道家「……竜神」

竜神「……なんじゃ」

武道家「恥知らずなのは分かっている。図々しいと思う。あれだけでかい口を叩いておいて、どのツラ下げてこんなことを言うのか、厚かましいにも程があると思う」

 武道家は伏せていた顔を竜神に向けた。
 その表情に、竜神は思わず面食らった。

武道家「死なせたくないんだ。こいつは大切な奴なんだ。こいつを助けたいんだ。そのために、頼む竜神――――」

 今にも泣きだしそうな、嘆願の表情で武道家は言葉を紡ぐ。



武道家「俺は―――お前の力が欲しい」


竜神「―――――ずるい男じゃなあ。お主は」

 竜神は柔らかな笑みを武道家に向けた。

竜神「本当に、母性本能をくすぐるのが上手いわい。そんな顔されちゃ、嫌とは言えんわ」

 んふ~、と鼻から息を吐いて、一転して竜神は真剣な顔つきになった。

竜神「それで、具体的には?」

 武道家は己の懐に右手を差し入れる。
 そこには、念の為と勇者から渡されていた『ある物』が入れられていた。

武道家「竜神、俺の肩に触れろ。離すなよ」

 そして武道家、勇者、竜神の体が宙を舞う。
 武道家が発動させた『翼竜の羽』の効果によって。

アマゾネスの少女「それでは第五十六問!! 野外での行為時に―――」

戦士「あばばばば」

僧侶「はわわわわ」

 既に大勢は決した。
 この女性の資質を競うための対決(という名の下ネタクイズ大会)があと何問続くかはわからないが、この時点でほとんどポイントの取れていない戦士と僧侶に勝ち目はない。
 ちなみに僧侶が頑張って2ポイントとっていた。

乳ゾネス「おーほっほ!! 口ほどにもないわね!!」ドタプン!

尻ゾネス「そんな体たらくで私達アマゾネスに闘いを挑んだだなんて、片腹痛いわ!!」プリリン!

ももゾネス「あなた達の負けは確定よ! さっさと出ていきなさい!!」ムッチン!

戦士「ぐ、ぐぬぬ…」




 直後。

 空から何かが落ちてきた。
 衝撃と音は無い。しかし風圧で砂埃が舞い上がった。

少女「なに!? 何事!?」

 ヒートアップしていた会場の雰囲気は瞬く間に霧散した。
 皆が警戒態勢に移行し、砂埃の中心を注視する。
 煙が晴れた。

戦士「なッ!?」

僧侶「これは!?」

 まず声を上げたのは戦士と僧侶だった。
 そこにあった光景は二人にとって衝撃が強すぎた。
 何せ、勇者が武道家の腹に剣を突き立てていたのだから。

戦士「勇者、お前なにを!?」

僧侶「武道家さん、すぐに回復します!!」

武道家「駄目だ!! 近づくな二人とも!!」

 武道家が声を張り上げ、戦士と僧侶を制止する。
 そのまま武道家は傍らにいた褐色の少女に目を向けた。

武道家「それじゃ、竜神……頼んだぞ」

竜神「ふん、言っておくが儂の子らに少しでも被害が及べばただでは済まさんぞ」

武道家「ああ……たとえ死んでも勇者はこの場所から動かさん」

竜神「戯け。死んだら駄目じゃろうが。……ま、信じておるがの」

武道家「光栄だ」

 褐色の少女がその背から生えた翼をはためかせ飛翔する。
 アマゾネスの少女は、その様を見てあんぐりと口を開いていた。

少女「今の女の子、私に似てた…? もしかして―――!?」

 竜神は集落の中でも特に高台に位置した、とある家に飛び込んだ。

竜神「ふむ……お主が今代の族長か?」

族長「あ、ああ……あなた様は、まさか!?」

勇者「がああ!!!! があ!! ごあああああ!!!!」

武道家「そんなに暴れるなよ……腹が疼いてしょうがない」

戦士「なんだ…? 一体、何がどうなっているんだ!! 勇者! どうした!! 勇者!!」

僧侶「武道家さん!! お願いです、説明を!! 説明をしてください!!」

武道家「そうしたいのは山々なんだけどな……悪いが少し待ってくれないか。事が終わったら全て話す……今は、ちょっと…その余裕が……ない……」

勇者「ごおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

武道家「最後の悪足掻きか……逃がしはせんぞ、魔剣!!」

 勇者が両手で剣を持って引き抜こうと力を込める。
 武道家はそうはさせぬと死力を振り絞って剣を固定する。
 武道家の口から血が零れた。剣を握る指は半ばまで裂けた。腹の傷はずっと広がり続けている。

僧侶「いやあ!! 武道家さん!!!!」

戦士「勇者、正気に戻れ!! 勇者ッ!!!!」

竜神「やれやれ、ぴーちくぱーちくと五月蠅いのう」

 先ほど飛び去ったばかりの褐色の少女が、その手に何かを携えて戻ってきた。
 その姿を確認し、武道家は目を細める。
 何事かを悟ったのか、勇者の抵抗が激しくなった。

竜神「男の事を信じて黙っているのが女の嗜みというものじゃぞ?」

僧侶「それ…あなたが手に持っているそれって……」

戦士「……『精霊甲・竜牙【セイレイコウ・リュウガ】』…?」

 褐色の少女の―――竜神の翼がはためく。
 柔らかな風と共に、武道家の傍に降り立つ。

竜神「ほれ、右腕を出せ。儂直々に―――儂の力を授けてやろう」

武道家「本当に―――光栄だ。恩に着る」

竜神「良い。楽しい余興であった」

 武道家の右手に精霊甲・竜牙が装着された。
 その加護の力強さに、武道家の体が震える。

武道家「余興―――そうだな。ならば華々しく幕を下ろすとしよう」

 武道家は拳を握る。

勇者「んぎい!! んが!! んがあああああああ!!!!!!」

武道家「さらばだ。今度こそ粉々に砕け散れ、魔剣」

 振り下ろされた拳は剣の横っ腹を打ち―――まるで何の抵抗もなく、脆いガラス細工のようにその刃は砕け散った。

戦士「呪いの剣か……この世界にまさかそんなものが存在するとはな」

武道家「ああ、全く肝を冷やしたよ」

僧侶「それはこっちの台詞です!! 本当に心配したんですから!!」

戦士「そうだ。あの時少しでも説明してくれれば、勇者を取り押さえる手伝いくらい出来たものを」

武道家「いや、だからこそ黙っていた。勇者に操られている間の記憶があるかは定かではない。だが記憶が残っているケースを想定すると、勇者がお前達に害を及ぼすことだけは避けなければいけなかった」

武道家「そうなった時、あいつはきっと気に病んでしまう。いくらお前達が気にしていないと言っても引きずり続けてしまう……それだけはいかんと思ったのさ」

僧侶「武道家さん……」

戦士「……そういえば、試練の結果はどうなったんだ? 勇者の暴走で有耶無耶になったままなのだろう?」

武道家「そういえばそうだな。まあこのまま有耶無耶のままでいてくれた方がこちらの都合はいいんだが」

少女「武道家はいる?」

武道家「おっと…噂をすればって奴かな」

少女「…? とにかく、族長が呼んでる。来て」


 目の前に広がっている光景に、勇者は己の目を疑っていた。

 勇者が目を覚ました時、勇者は小屋に一人きりで寝かされていた。

 とにかく誰か人を探そうと勇者は小屋を出た。

 そこで異変に気付いた。集落に人の気配が無かったのだ。

 おかしいな、と思っていると集落からやや離れた場所に明かりがあるのと、そこから太鼓を打ち鳴らすような音が聞こえることに気付いた。

 お祭りかな? と軽い気持ちで勇者はその場所に向かった。

 寝起きでぼうっとしたまま、碌に考えもせず歩み始めたのが良くなかったのだ。

 冷静になり、いつもの彼の判断力を取り戻せていたのなら、少なくとももっと覚悟をもって勇者はその光景を見ることが出来たはずなのだ。

 勇者は茂みをかき分け、その広場に辿り着き、そして、その光景を見た。

族長「キャーーー!! 武道家様ーーー!! 素敵ーーー!!」

尻ゾネス「武道家様こっち向いてーーー!!」プリリン!

乳ゾネス「ああ!! 武道家様が私に微笑みかけてくだすったわ!!」ドタプン!

ももゾネス「いいえ私よ!! 私に笑ってくれたのよーー!!」ムッチン!

姉ゾネス「武道家ちゃーん!! 抱いてーー!!」

妹ゾネス「あんもう! お姉ちゃんずるい!! 武道家様! 私を先に抱いてください!!」

武道家「ははは……勘弁してくれ……」

僧侶「ふん、武道家さんったらデレデレしちゃって……」

戦士「デレデレしてるか? あれ」



勇者「なんだよこれ……」



 武道家は何かやたら高い所に座らされていた。
 そして周囲に何人ものアマゾネスを侍らせて、はいアーン攻撃を連発されている。
 まるで玉座のように高台に設置された椅子に座る武道家を見上げ、広場には若く綺麗なアマゾネス達がひしめき合っている。
 武道家が何か動くたびに広場のアマゾネス達から黄色い悲鳴が上がっていた。

アマゾネスA「武道家様ーー!!」

アマゾネスB「武道家様ーー!!」

アマゾネスC「武道家様ーー!!」

少女「武道家様ーー!!」






勇者「なんなんだよこれぇ!!!!!!」






 うおろろろ~~ん、と勇者は夜の森の中に消えていった。

竜神「なあ、武道家」

 褐色の少女の姿の竜神が武道家にしなだれかかる。

竜神「お主が何のためにこの村にやってきたのかは知っておる。そしてその目的を達成した以上、ここに留まる理由もないことも……それでも、お願いじゃ。アマゾネスの主としてここに留まり、子種を儂らに授けてくれんか?」

武道家「悪いが―――本当に悪いが、それは出来ない。俺は、勇者たちと共に魔王を討つための旅を続けねばならん」

竜神「儂らを抱いた後、早々に旅立ってもよいのじゃ」

武道家「そんな無責任なことが出来るか」

竜神「男に責任を負わすほどアマゾネスは弱くない」

武道家「それでも……いや、大恩ある貴方に嘘はつけん。本当は……俺は、惚れた女以外は抱かんと決めているんだ。すまない」

竜神「……そうか。今時珍しい男じゃな。であればこそ、是非お主を儂に惚れさせたかったのう。……して、お主程の男が惚れた女子とは誰なのじゃ?」

武道家「……言えん」

竜神「むぅ……お主、儂に対して大恩があるんじゃろ?」

武道家「だからこそだ。貴方に対して嘘はつきたくない。だから、『言えない』。……どうか、察してくれ」

 竜神は、ひょいと周囲に目を向けた。
 そんなに遠くないところで、武道家の仲間である戦士と僧侶が夕餉をつついている。
 二人は武道家が是非にというのでパーティーへの参加を許されていた。
 戦士は呆れた様子で、僧侶はやや眉根に皺を寄せた様子で、じっとこちらの様子を伺っている。

竜神「な~るほどのう。あい、わかった」

 竜神はぱっと武道家の体から離れた。
 武道家はほっと息をつく。

竜神「武道家、しかしひとつ約束しろ。儂はお主を気に入った。これは本当じゃ。子種の提供は無くて良い、良いが、また必ず儂の元を訪ねて来い。友として、語らいに、な」

 竜神はにかっ、と竜の牙をのぞかせて笑う。
 武道家もまた、笑みで応じた。

武道家「ああ……いつかまた、必ず」




アマゾネス達「キャーー!! 武道家様が私たちに微笑んでくだすったわよーーー!!!!」


竜神「儂に笑ったんじゃ!! 戯けぇ!!!!」


武道家「…………」




 翌日―――霊峰ゾアの北に位置する小さな村。

武道家「あれ? 勇者は?」

戦士「先に寝ると言ってさっさと部屋に戻ってしまったぞ」

僧侶「アマゾネスの村を出てからこっち、元気が無いように見えますねえ」

武道家「うーむ……魔剣に呪われた影響が残っているのかもしれんな。ちと様子を見てくるか」

武道家「勇者~起きてるか~」コンコン

勇者「返事がない、ただの屍のようだ」

武道家「起きてるな、入るぞ」ガチャッ

勇者「おっと…その強引さ…流石ハーレムの王は違いますねえ、げへへ……」

武道家「はん? お前何言って……」

勇者「……昨夜はお楽しみでしたね」ボソッ…

武道家「…………」

勇者「…………」

武道家「……見てたのか?」

勇者「ああ見てたよこんちくしょう!!!! ちっくしょう!! おま、おまえ……おまええええ……!!!!」

勇者「う、うらやましいよおおおお……!!!!」ポロ、ポロポロ…!

武道家(ガ、ガチ泣きだよこいつ……)

勇者「何故だぁ…何故なんだぁ…どうして、どうしていつも俺ばっかり……得するのはいっつも周りのイケメンズなんや……」

武道家「……あ~、その」

勇者「この世の理は……残酷すぎる……!!」

武道家(駄目だこりゃ。まあ、いつも通りなのは確認できたし、部屋に戻るか)

武道家「じゃあ、また明日な。勇者…」

勇者「でも、今回は……お前がいい目にあってくれて、良かったよ」

武道家「……ん?」

勇者「ありがとう、武道家」

武道家「勇者……お前、覚えているのか?」

勇者「いや、覚えているのは本当に断片的なことだけだ。でも、それを繋ぎ合わせりゃ、自分が何をしでかしたかなんて推測できる。……本当に、ありがとう」

 勇者は地面に膝をつき、深々と頭を下げた。

武道家「よせ。礼などいらん。俺は当然のことをしたまでだ。お前だって、これまで何度も俺を助けてくれたろう」

勇者「それでも、言わせてくれ」

武道家「いいや、言わせん。いいか勇者。俺達は魔王討伐という志を同じくするパーティーだ。だがそれ以上に俺はお前を友だと思っている」

武道家「だから助けるのは当然なんだ。当然のことにいちいち礼など言っていたらキリがないぞ」

勇者「親しき仲にも礼儀ありって言うぜ?」

武道家「本当に、ああ言えばこう言う奴だなお前は」

 思わず二人は笑い合っていた。
 ひとしきり笑って、武道家は言った。

武道家「どうだ。久しぶりに二人で飲まんか? 今度は俺の愚痴を聞かせてやる」

勇者「いいねえ、楽しみだ」

 その時、立てかけてあった剣で武道家は振り向き様に脛を強打した。

武道家「あっつ…! おい勇者、こんな邪魔な所に剣を置くなよ」

勇者「え? 俺の剣はここに…」



 ―――瞬間、二人は凍り付いた。



武道家「馬鹿な……何故この剣がここに!! 俺は、俺は確かにこの剣を…!!」


勇者「なんだよ、これ……」








勇者「なんなんだよこれぇ!!!!!!」









第十七章  狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】  未完

今回はここまで

 朝、とある町の宿屋で目を覚ました勇者は、荷物をまとめて置いていた部屋の片隅に目を向け、ため息をついた。

勇者「駄目か……ほんと、どうなってんだこの剣は……」

 勇者の視線の先では霊峰ゾアで拾得した狂剣・凶ツ喰が変わらず壁に立てかけられていた。






第十八章  過去の呪縛




武道家「やはり戻って来てしまったか」

勇者「砕いても駄目、土に埋めても駄目……どうすりゃこの剣を手放せるんだろうな」

戦士「そもそも一体全体どんな原理でその剣は勇者の下に復活するんだ?」

勇者「それがマジでわからんのよ。ふと気が付くと俺の荷物に紛れているんだ」

僧侶「それは……恐ろしいですね」

武道家「教会によってはこういった類の物の解呪も行うと聞いたが」

僧侶「いえ、教会で行うのはあくまで儀式的なもので……言い方は悪いですが気休め程度のおまじないです。この剣の呪いを解くことは出来ないでしょう」

勇者「んえ~……どうすっかねマジで」

戦士「しかし、名を解放せずに振るえば大丈夫なのではないか?」

勇者「今のところはなんともないけど……でも、たまに立ちくらみみたいに意識がもっていかれそうになる時があるんだ。持ち続けるといずれ意識を乗っ取られたりするのかもしれない」

武道家「ならばやはり早急に事態を解決しなければならんな」

僧侶「あれ?」

戦士「どうした僧侶」

僧侶「その剣、鞘に文字が刻まれていません?」

勇者「あれ、ほんとだ。気付かなかった」

僧侶「でも、なんて読むんでしょう……複雑で、難しい字。どこの国の言葉かしら」

勇者「あ……」

 勇者の頭の中で、自身の知識とこの剣の本来の持ち主であったであろうあの死体の装束とが結びついた。

勇者「これ、漢字だ。この剣、『倭の国』で作られたものなんだ」

 『倭の国』は東洋に浮かぶ島国である。
 海によって外界との繋がりが限定されたことによりかなり独自の文化が発達したと伝えられている。
 エルフ少女がこよなく愛するジャポン酒も倭の国が原産だ。
 さて、そんな倭の国を訪ねるために勇者たちが訪れたのは港町ポルトだ。
 交易の要として栄えるこの町には多くの船が行き交い、その中に倭の国へ向かう船もある、と情報を得たのである。

商人「へいらっしゃいらっしゃい!! 南国列島でしか手に入らない貴重な鉱石だ!! 剣にすれば切れ味抜群! 盾にすれば頑強極まる物になる!! さあ、買った買った!!」

漁師「獲れたてピチピチ新鮮魚介!! 新鮮だから生で食べても旨いぜ!!」

僧侶「ふわぁ……凄い活気ですねえ」

勇者「人や物が一番集まる所だからね。当然、それに応じて街も発展していくのさ」

武道家「それにしても船が多いな。どれが倭の国行きの船なんだ?」

勇者「ちょっと手分けして情報を集めようか。二刻後に部屋を取った宿屋に集合にしよう」

戦士「了解した」

 勇者はまず酒場にてこの町で栄えている商会の情報を聞き出していた。
 商会の規模が大きくなればそれに伴い保有する船の数も多くなる。
 故に、規模の大きい商会から虱潰しに聞き込みをしていこうという算段であった。
 聞き込みを始めて三件目、『北の商会』を訪ねたところで勇者はようやく船の情報を得た。

北商会主人「ようこそおいでくださいました、勇者様」

勇者「私の事を御存知なのですか?」

北商会主人「当然でございます。かの『伝説の勇者』様のご子息にして魔王討伐の旅を続ける素晴らしき若人。『善の国』にて行われた人身売買撲滅の働きはこの町にも広まっているところであります」

勇者「恐縮です。実はお訊ねしたいことがあって本日は参りました」

北商会主人「なんなりと」

勇者「この『北の商会』では倭の国との交易を行ってはいないでしょうか?」

北商会主人「行っておりますよ? 倭の国から買い付ける珍品は当商会の目玉でございます」

勇者「本当ですか!? であるのならば、不躾で申し訳ありませんが重ねてお願いがございます! 私達一行をその船に同乗させていただきたいのです!」

北商会主人「それは構いませんが……実はつい先日、倭の国行きの船が出たばかりでして、次の出航はひと月先になってしまうのです」

勇者「い、一か月…?」

 勇者はちらりと腰元に装備した剣に目を向ける。
 ぞくりと背筋が震えた。
 地の底から響くような声を感じ取った気がしたのだ。

勇者「な、何とか早急に船を出してはいただけませんか?」

 焦る勇者を怪訝そうに見つめ、北商会主人は二重になった己の顎を揉むように撫でた。

北商会主人「私めも勇者様のお力になりたいとは思いますが……何分、倭の国へは実に7日を要する旅路になります故、それなりの船とそれを操る人員が必要となります。その費用は無視できる額ではないのです」

 北商会主人はさらさらと紙にペンを走らせた。
 人件費、食糧費、船の補修費等々、必要経費を次々に書き連ねていく。
 最終的な合計額を見て。勇者は顔を青ざめさせた。

勇者(と、とても捻出できる金額じゃない……)

北商会主人「臨時で船を出すとなればこれくらいの金額をいただかなくてはとてもとても……」

勇者「ち、ちなみに、他に倭の国と交易を持っている商会は?」

北商会主人「ございません。倭の国との交易権は我が商会が独占しております。故に我が商会はこれ程の発展を得ることが出来たのです」

勇者「そ、そうですか……」

北商会主人「申し訳ありませんが勇者様、これから私めは人と食事をする約束があるのです」

勇者「あ…ご多忙の中お時間をいただき、ありがとうございました。それでは、私はこれで……」

 でっぷりと肥えた腹を抱えて立ち上がった北商会主人に頭を下げ、勇者は応接間を後にする。
 勇者が向かう前に玄関の扉が開いた。どうやら食事の相手とやらがやって来たらしい。
 美麗なドレスで着飾った美しい少女だった。
 勇者は顔を紅潮させ、ドギマギしながらすれ違いざまに会釈をする。
 少女の足が止まった。

少女「勇者様……?」

 目を丸くして立ち止まる少女。勇者は怪訝に思いながら少女を振り返り―――唐突に思い至った。

勇者「君は…!!」

 美しい黒髪を伸ばした少女―――彼女は、かつて『神官長の息子』の地下室で勇者に解毒剤の在りかを教えてくれた黒髪の少女だったのである。

 勇者と黒髪の少女は酒場で落ち合っていた。
 ちらちらと周囲のギャラリーがやたらこちらに視線を向けている。
 少女の美しさ故か、と一人納得して勇者は少女に向き直った。

勇者「いや~まさかこんな所で君に会えるとは思わなかった。驚いたよ」

黒髪の少女「私もです。北商会主人の屋敷で見かけた時は目を疑いましたわ」

勇者「堅苦しい敬語はいらないよ。素の君を知ってるからね。何かむずむずする」

黒髪の少女「そう…? じゃあ、遠慮なく。本当に久しぶりね、勇者」

勇者「ああ、久しぶり……」

黒髪の少女「どうして顔を赤くしているの? まだそれ程お酒も飲んでいないでしょう?」

勇者「いや、恥ずかしいんだよ……君にはみっともない所を見せちまったからなあ」

 勇者はかつて『神官長の息子』の地下室で、黒髪の少女の前で号泣してしまったことを思い出していた。

黒髪の少女「みっともないだなんて……そんな事は決してなかったわ。少なくとも私の目には、あの時のあなたはとても尊く映った」

勇者「んが~~!! 忘れてくれ!! もうこの話は無し!! 元気してた!?」

黒髪の少女「ええ、元気にしていたわ」

勇者「そうか! そりゃよかった!!」

 照れを誤魔化すように勇者は酒杯をぐいっと呷った。

勇者「……本当に、よかった」

 一息ついて、勇者はしみじみと言葉を繰り返した。

勇者「寄宿舎には住まなかったんだな」

 寄宿舎とは、盗賊の被害者となった少女たちを住まわすために勇者が建てさせたものである。

黒髪の少女「私は家族が健在だったからね。実家に戻ることにしたの」

勇者「家はどのあたりなんだ?」

黒髪の少女「西の商会よ」

 勇者は今日集めた情報を思い出す。確か西の商会とは、大きくもなければ小さくもない、言わばそこそこの商会だったはずだ。

勇者(ああ、それでか……)

 勇者は周囲から向けられる視線に納得した。
 そこそこの規模の商会の娘として、黒髪の少女は顔が売れているのだろう。

黒髪の少女「勇者は?」

勇者「ん?」

黒髪の少女「あなたは、元気にしてた?」

 んぐ、と勇者は喉を詰まらせた。
 思わず視線を腰元の狂剣・凶ツ喰【キョウケン・マガツバミ】に落としてしまう。

黒髪の少女「……あまり元気とは言えないみたいね」

 何かを察した黒髪の少女に根掘り葉掘り聞かれ、勇者は自身の現状を洗いざらい喋ってしまっていた。

黒髪の少女「成程…それであなたは北の商会を訪ねていたのね」

勇者「そうなんだ。念の為に聞くけど、西の商会は船なんかは……」

黒髪の少女「ないわ。小さい船ならいくつかあるけど、倭の国まで渡り切ることが出来るものとなると一隻もない。ノウハウを持った船員もいない」

勇者「だよなあ……」

黒髪の少女「でも、もしかしたら何とかなるかもしれないわ」

勇者「ほ、本当か!?」

黒髪の少女「ちょっと心当たりがあるの。明日の昼にここで落ち合いましょう」

勇者「よ、よろしく頼む!」

 翌日―――

黒髪の少女「こんにちは……あら?」

勇者「ああ、紹介するよ。この三人が俺のパーティーで、武道家、戦士、僧侶だ」

武道家「武道家だ」

戦士「戦士という」

僧侶「僧侶です! よろしくお願いしますね!」

黒髪の少女「ご丁寧に、どうも。こちらこそよろしくお願いします」

 三人に対し、黒髪の少女は深々と頭を下げた。

黒髪の少女「早速だけど本題に入るわね。船の都合はついたわ」

勇者「マジか!!」

黒髪の少女「マジよ。今日、明日と準備させてもらって、明後日には出航できると思うわ」

勇者「あ、ありがとう!! マジでありがとう!! んで、費用は……」

黒髪の少女「結構よ。全て無償で提供させていただくわ」

勇者「いやいやいや! 少しだけでも払わせてくれよ!」

黒髪の少女「いいえ。恩人からお金を取るなんてできっこないわ」

勇者「お、恩とか……そんな大袈裟に考えなくても……」

黒髪の少女「私が人としての筋を通したいだけなの。気にしないで」

勇者「む、ぐ……じゃあ、お言葉に甘える。本当にありがとう」

黒髪の少女「どういたしまして。二日間はこの町でゆっくりしていって。自分で言うのもなんだけど、中々飽きない町よ。本当は私が案内してあげたいのだけど、用事があるのよ」

勇者「いや、そこまでしてもらう訳にはいかないよ、ホント」

黒髪の少女「それじゃあ、私はこれで。準備が整ったら使いの者を宿屋に寄越すわ」

勇者「ああ、またな」

武道家「いやしかし気前のいいことだ。余程いい所の令嬢なのだろうな」

勇者「いんや、そうでもないよ。確かに商会の娘だけど、規模としちゃ中堅どころだからな」

戦士「その割には費用を全部負担してくれたりと大盤振る舞いじゃないか」

勇者「いや、ホント、恩とかそんなんいいんだけどね。逆に心苦しいわ」

僧侶「あの、勇者様……」コソ…

勇者(僧侶ちゃんが近い! むっほう!!)

僧侶「あの方……昔の知り合いというお話でしたけど、もしかして盗賊の一件の……」

勇者「あ~……うん……武道家と戦士には黙っておいてね。言いふらされていい気分するはずないからさ」

僧侶「はい……」

勇者「でも、何で分かったの?」

僧侶「『恩』と言っていたのと、それと……いえ、何でもありません」

勇者「……?」

商人A「積み荷の手配、あらかた終わりました」

北商会主人「船乗りは集まっておるか?」

商人A「何とかギリギリ所定の人数に達するかと」

北商会主人「最悪の場合、勇者たちも人員として働いてもらう。それなら余裕をもって確保できるであろう?」

商人A「はい、そうですね」

北商会主人「段取りを急げよ。準備が終わった時、ようやくあやつが儂の手に入るのじゃ」

 じゅるり、と北商会主人は涎をすすった。

北商会主人「くふふ…今から涎が止まらんわい」

勇者「やっぱり海沿いは魚が旨い!!」

武道家「魚を生で食すのは初めてだが……この海鮮丼というのはたまらんな」

僧侶「これも倭の国から伝わった文化らしいですよ」

勇者「『北の商会』様様やんけ!!」

戦士「この白子というのはとろとろで旨いな……主人、これは何なのだ?」

店主「魚のキャンタマだ!! がっはっは!!」

戦士「ぶほッ!!」

勇者「なんか港のあの一角だけやたらバタバタしてるな」

店主「ああ、何でも北の商会が急遽『倭の国』行きの船を手配しているらしいぜ。しかも北商会主人直々に大急ぎでって命令があったって話だ」

武道家「倭の国行きということは、俺達の乗る船か?」

勇者「北の商会? 西の商会じゃなくて?」

店主「そうだ。大体西の商会にあんなデカい船は手配できねえよ。あそこは最近落ち目だって話だからな」

勇者「………」

僧侶「……もしかして…」



町人「西の商会の娘が盗賊に攫われたっていうのは有名な話さ」

町人「隣町に出かけていた時に馬車を襲撃された。同行していた使用人は皆殺しにされていたが、娘の死体だけが見当たらなかった。だから、攫われたんだろうってな」

町人「あの『伝説の勇者』の息子によって助け出されてから、この町に戻ってきたみたいだが……誰だって、わかっちまうよな。今まで、彼女がどんな生活を送って来たか」

町人「『汚れた女』として町中に評判が広まるのは早かったぜ。見てくれはいいから、そこに嫉妬した女連中が噂を広めまくったと俺は読んでるんだけどな」

町人「そんな噂が広まっちゃあ、商売のイメージも悪くなる。生還を喜ばれたのは最初だけで、今じゃ家族からも疎まれはじめた。その証拠に、用もなくただ街をぶらついてる姿が毎日のように目撃されてる」

町人「家を飛び出して誰かの所に飛び込むことも出来ねえ。そりゃ誰だって、汚れた女なんかごめんだからな」

町人「だが物好きが現れた。それが北の商会の主人だ」

町人「北の商会の主人は熱心に娘を口説き始めた。西の商会の連中は大喜びさ。娘が北の商会の主人の妻となれば、北の商会と太いパイプが出来る。家族は喜んで娘を差し出した。北の商会の主人の噂を家族も知っているはずなのにな」

町人「北の商会の主人はどSのど変態なんだよ。若い娘の使用人がいつの間にか行方不明になってるなんてのは一度や二度じゃねえ。地下室にある拷問部屋でいじめ殺されたんだって話さ」

町人「そんな北の商会の主人にとって、お誂え向きだったんだろうさ。『汚れた女』ってのはさ」


 勇者は苦渋の表情で目頭を押さえていた。
 酒場で彼女と談笑していた時の、周囲の視線の本当の意味をようやく理解した。

勇者「……情報ありがとう」

町人「な~に、いいってことよ」

勇者「ただ……」

 勇者は町人の胸ぐらを掴み上げた。

勇者「二度と彼女を汚れたなんて言うんじゃない」

 万力のような力で締め上げられ、町人は青ざめながらこくこくと首を振った。
 どさり、と町人の体が下ろされる。
 ごほごほと咳き込みながら、町人は去りゆく勇者の背を茫然と見つめた。

町人「何だあの力…尋常じゃねえ……そしてあの迫力……まさか、あいつ、『伝説の勇者』の…?」

 勇者の足は自然と北の商会へ向いていた。
 足音が一つ、勇者の隣に並ぶ。
 僧侶だった。

僧侶「勇者様……私に、彼女とお話をさせてくれませんか?」

勇者「僧侶ちゃんが…? どうして…?」

僧侶「私…彼女の気持ちがわかるんです。だから…」

 僧侶の言葉を受けて、重ねて何故と疑問がよぎったが、勇者は口にしなかった。
 とにかく、僧侶がそうしたいというのであれば、任せよう。
 自分は自分のやるべきことをやるだけだ。
 そう結論付けて、勇者は僧侶への思索を打ち切った。
 そうすることが、彼女への最大の気遣いだと思った。

 勇者様のお願いを聞いてくれたら、私のことを好きにしていい。
 それが黒髪の少女が北の商会の主人に対してした提案だった。
 北の商会の主人はこれを快諾し、出航の準備が整ったことを少女自身が確認出来たらその身を明け渡すという契約が結ばれた。
 そして少女は今、北の商会へと続く夜道を歩いている。
 北の商会の入口に人影が立っていた。

僧侶「こんばんは」

黒髪の少女「……こんばんは」

 少し思案してから黒髪の少女はその人物が勇者の仲間の僧侶であることに思い至る。
 だが、彼女が自分に何の用があるのかはさっぱりわからない。

僧侶「少し、お話をしませんか?」

黒髪の少女「……人と約束があるんです。私、行かないと」

僧侶「大丈夫、ほんのちょっとだけです。さあ」

黒髪の少女「あ、ちょっと…!」

 黒髪の少女は僧侶に手を取られ、無理やり連れられてしまう。
 パーティーの中では非力とはいえ、僧侶も相当に精霊の加護を受けている。少女に振りほどける力ではなかった。

 黒髪の少女が連れられたのは近くにあった酒場だった。
 貸し切りにしているのか、店内には誰も客がいない。それどころか、店主の姿さえ無かった。
 いつもの煩わしい視線が無いのはありがたい。

黒髪の少女「あの…話って…?」

僧侶「ええ。単刀直入に言うわね。駄目よ。今あなたがやろうとしていること……やめなさい」

黒髪の少女「……何の事かしら?」

僧侶「私たちに船を提供する代わりに体を売ったでしょう? そして今、あなたはそのために北の商会を訪ねようとしていた……違うかしら?」

黒髪の少女「何の話をしているのかさっぱりよ」

僧侶「とぼけても無駄よ。裏は取れているわ」

 嘘だ、と黒髪の少女は断じる。
 契約は少女と主人の二人のみが知る事実であり、自分は誰にも言っていないし主人が漏らすはずもない。腐っても大商会の主である。
 周囲の状況で勘付くことは出来ても、あくまで推測の域を出ていないはずだ。であれば、知らぬ存ぜぬで貫き通せる。

黒髪の少女「……付き合っていられないわ。私、本当に急いでいるの。失礼するわね」

 黒髪の少女は立ち上がり、出口に向かった。

僧侶「そんな風にして船をもらっても、勇者様は絶対に喜ばないわ」

 少女の足が止まる。

僧侶「既に勇者様も事態に勘付いてる。そんな手段によって都合をつけられた船になんて、絶対に乗らないでしょうね」

 それは駄目だ。それでは自分は何のために。
 黒髪の少女はふぅ、とため息をつくと僧侶に背を向けたまま語り始めた。

黒髪の少女「仮に……仮に、あなたの言っていることが事実として、何がいけないの?」

黒髪の少女「私が北の商会の主人にこの身を渡せば、あなた達は倭の国に行けるし、西の商会は立て直しが出来るし、北の商会の主人だって満足できる。皆が幸せになれるじゃない。それの何がいけないの?」

僧侶「いけないわ」

 僧侶ははっきりと言った。

僧侶「だって、あなたが幸せになっていないじゃない」

 少女は振り返った。その顔には少し怒りがにじんでいる。

黒髪の少女「いいのよ、私の事なんて」

僧侶「いいえ、よくないわ」

黒髪の少女「いいの!! どうせ私はもう幸せになんかなれない!! だから多くの人が幸せになれる道を選んだ!! それでいいじゃない!!」

僧侶「いいえ! あなたはまだ幸せになれる!! 自分の人生を諦めないで!!」

黒髪の少女「知ったふうな口を利かないで!! あんたみたいな女に私の気持ちは、汚れてしまった女の気持ちなんかわからない!!」

僧侶「いいえ」

 僧侶は再び否定の言葉を重ねた。

僧侶「わかるわ。だって私も一緒だもの」







僧侶「私も盗賊に攫われて―――――犯され続けていたことがある」






 僧侶の生まれはとある小さな町のごく一般的な家庭だった。
 慎ましくも幸せに生活し、僧侶はすくすくと美しく成長した。
 十三歳の時、町が盗賊の集団に襲われた。
 家族は皆殺しにされ、僧侶はその死体の傍で盗賊に組み敷かれた。
 生き残ったのは僧侶も含め、盗賊に気に入られた十人余りの少女のみだった。
 そこからの三か月間のことを、実は僧侶はあまり覚えていない。
 盗賊の慰み者として生きた過酷な記憶を無意識に閉じ込めてしまったのだろうと僧侶自身は解釈している。
 盗賊の虜囚としての生活はふとした時に終わりを告げた。
 少しばかり自由に出歩ける機会があったので、川に身投げしたのである。
 激しい流れにまかれ、滝を落ち、それでも僧侶は生き残った。
 川岸に打ち上げられた僧侶は空腹感に耐え兼ね、とにかく食べ物を探して当て所なく彷徨った。
 そして三日の後に、遂には餓死寸前のところを勇者たちの故郷、『始まりの国』の司祭に発見され、保護されたのである。
 なお、この三日の経験が彼女の『全ての子供たちに暖かな家を』という志の原初体験となっている。

僧侶「だから、あなたの気持ちはわかるわ」

 いつの間にか、僧侶の瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。

僧侶「幸せにならないと駄目よ。そんなに酷い目にあったんだもの。それを取り返すくらい絶対に幸せにならないと駄目…!」

 僧侶は立ち上がり、黒髪の少女を抱きしめた。
 少女の目からも涙がぼろぼろと零れ落ちる。

黒髪の少女「う…ぐす…!! ひっく…! なれますか……? 私、まだ幸せになれますか…!?」

僧侶「なれる…!! 絶対になれるわ…!! いいえ、なるの!! 絶対に!!」

 僧侶と少女はしばらくの間、互いを抱きしめあって泣き続けた。

黒髪の少女「あ~……泣きすぎて頭がぼ~っとするわ」

僧侶「私も……いつ以来だろ、こんなわんわん泣いたの」

 泣き疲れた二人はそのまま床にへたり込んでいた。
 肩を寄せ合って座る二人はしばし黙り込む。沈黙は苦ではなく、むしろ心地よかった。

僧侶「ねえ…」

黒髪の少女「…なに?」

僧侶「私と友達にならない?」

黒髪の少女「……私でよければ、よろこんで」

僧侶「ありがとう」

黒髪の少女「どういたしまして」

僧侶「……」

黒髪の少女「……あ~、でもどうしよう」

僧侶「なにが?」

黒髪の少女「船のこと。倭の国に行けないと本当に困るんでしょ?」

僧侶「大丈夫よ。きっと勇者様が何とかしてくださるわ」

黒髪の少女「信頼してるのね」

僧侶「ええ。いつでも、ここぞという時に頼りになる方だもの。あなたも知ってるでしょう?」

黒髪の少女「……ええ、そうね」

 そして―――現在、黒髪の少女は北の商会の主人の前に立っていた。

北商会主人「ぐひょひょひょ……よくぞ約束通り現れた。覚悟は出来ておろうな?」

黒髪の少女「……はい」

北商会主人「では早速これから地下の部屋へ来てもらう。当然、そこでのことは一切他言無用じゃぞ?」

黒髪の少女「……はい」

 北の商会の主人の先導に従い、黒髪の少女は静々と歩を進める。
 そこに抵抗の意志は一切感じられないように思えた。

北商会主人「ここじゃ」

 厳重に鍵がかけられた重厚な扉が開き、中の様子が少女の目に飛び込んできた。

黒髪の少女「ぐ……」

 思わず少女は絶句する。
 噂に聞いていた通りの、いや、それ以上に醜悪な拷問器具の数々が所狭しと並べられていた。
 何よりも少女の心を抉ったのは、どれもこれも使い込まれているのがはっきりと見てわかるということだった。

北商会主人「今さら怖気ついても逃がしはせんぞ? なに、慣れるまではかる~く遊んでやる。安心せい」

 北の商会の主人が少女の肩に手を触れる。
 びくりと少女の体が震えた。

北商会主人「では……脱げ」

 威圧感のこもった拒否を許さぬ命令。
 少女はわなわなと震え、拳を固く握りしめ、口を開いた。

黒髪の少女「……駄目だ。てめえはもう駄目だ。北の商会の主人」

北商会主人「なにッ!?」

 少女の体から煙が噴き出す。
 北の商会の主人は目を疑った。
 黒髪の少女の姿はまさしく煙となって消え―――そこに立っていたのは、紛れもなく勇者であった。

勇者「どらぁッ!!!!」

 怒りに震えていた拳を勇者は主人の顔面に叩き込む。
 盛大に吹き飛んだ主人は壁に背中を強か打ちつけ、地面に倒れこんだ。

北商会主人「んな!! んば! 馬鹿なぁ!! 何故貴様がここに!? あの女はどこに消えたぁ!!」

勇者「俺が化けてたんだよ! この変化の杖でな!!」

北商会主人「んな、はあ…!?」

 勇者の説明を受けてなお混乱を増す北の商会の主人。
 勇者はそんな主人に構わず言葉を続けた。

勇者「駄目だ駄目駄目!! まったくの不合格!! てめえみたいなクソ野郎にあの子はやれねえなぁ!!」

北商会主人「な、何のつもりだ貴様! こ、この儂にこんなことをして、タダで済むと思っておるのか!!」

勇者「ああん!? 言っとくがめッッちゃくちゃ手加減してんだからな!? 俺が本気で殴ったらお前の頭ボーン!ってなるからね!?」

北商会主人「ひ、ひい!!」

勇者「噂の真偽を確かめるために来たはいいものの、噂以上に真っ黒じゃねえか!! お前本当殺されないだけラッキーだと思えよ!?」

北商会主人「く、くそ……いいのか? 儂に逆らえば倭の国には行けなくなるぞ?」

勇者「ああん!? ざけんな船はもらうに決まってんだろボケ!! 明日予定通り乗ってくからな!!」

北商会主人「そ、そんなふざけた言い分が通るわけ……!!」

勇者「じゃあぁぁこの部屋の事を町中に、国中に、大陸中に言いふらすからな!! 『伝説の勇者』の息子の言葉だ、みぃんな信じるぜ!! そうなりゃお前の商売は終わりだよ。いや、下手したら縛り首かもな」

北商会主人「な、な…が……!!」

勇者「あと、二度と女の子に乱暴なことをするな。この部屋を少しでも使ったのが分かったらすぐに殺しに来るからな」

北商会主人「ひ、ひぃ……」

勇者「わかったな?」

北商会主人「ひ、人の弱みを握って、暴力で言う事を聞かせて……そ、それでも『伝説の勇者』の息子かぁッ!!!!」

 主人の言葉を受けて、勇者は目を点にして固まった。
 そして、笑い始めた。大爆笑だ。

北商会主人「な、何が可笑しい!!」

勇者「可笑しいよ!! あんまり笑わすんじゃねえよ!!」








勇者「伝説の勇者の息子が、清廉潔白な『勇者』とは限らねえだろうがよ!!!!」









 黒髪の少女は、穏やかな風の中、馬車に揺られて草原を駆けていた。
 行き先は勇者が善の国にて建設した寄宿舎である。
 港町ポルトを出た方がいい、という勇者の進言に従っての事だった。

黒髪の少女「幸せ…か……」

 少女は自身の幸せの形について思いを馳せる。
 そんなもの、決まりきっていた。

黒髪の少女「勇者と結婚できたら、凄く幸せだろうなあ」

 でも、少女は想いを告げることはしなかった。
 魔王討伐の旅を続けなければならない勇者には、少女の気持ちに応えることは出来ない。
 それが分かっていたから我慢した。それを分かっていて告白することは勇者の重荷を増やすだけの、ただの自己満足だと思ったから。

黒髪の少女「大好きだよ……この気持ち、伝えさせてね。勇者」

 だから、待つと決めた。
 勇者が魔王を倒して帰ってくるまで、いつまでも待ち続けると。
 風が吹いた。涙の痕はもうない。
 少女は穏やかにはにかみながら、流れる景色に目を向けた。



 同じころ、船上にて僧侶も風を感じていた。

僧侶(酷い目にあったんだから、それ以上に幸せにならないといけない―――か)

 自分で言った言葉が、自分の胸に深く突き刺さっている。

僧侶(私も―――いいんだろうか。こんなに汚れた私でも、幸せになることを目指していいんだろうか)

 自問するも、答えはとっくに出ている。
 それを否定することは、新しくできた友達の―――あの少女の人生を否定することだ。

僧侶(幸せになれるよう、頑張ってみよう。精一杯、頑張ってみよう)

 僧侶もまた、自身の幸せの形を夢想する。
 振り返って、海に向けていた視線を甲板に向けた。
 その視線の先に居たのは―――――







第十八章  過去の呪縛  完

今回はここまで

今回の話で20万字突破 いやあ、書いたなあコレ

終わんねえなあ、コレ

 倭の国。
 勇者たちの故郷・始まりの国や善の国などが属する大陸から東の海に浮かぶ島国だ。
 その交易は主に勇者たちも訪れた港町・ポルトを介して行われており、その船旅は実に七日の時を要する。
 倭の国の大きな特徴は何といってもそこに住まう人々の独特な出で立ちだ。
 男子は裾に行くほど広がる構造になっている袴と呼ばれる物を穿き、長布を羽織って帯で締める。女子は下着を身に着けた後、肩から足まである長衣を纏い、男性のそれと比べて大きな帯を締める。これが所謂『和服』の一般的な形である。
 町を行き交う大部分の人々は麻や綿で拵えられた和服を身に着けているが、時には艶やかに輝く絹製のものを身に纏った人もいる。聞くところによると上質な絹は主に輸入によって賄われているので、希少価値が高く高級品として扱われているのだそうだ。
 住居は木造を良しとしており、レンガや石造りの建物は住宅街の中には見られない。石造りの建築物が見られるのは精々商人宅の倉庫か、町を治める主の住まう城くらいのものだった。

勇者「もっちゃもっちゃ。さて、んぐ、これからどうすっかな」

 団子屋の縁側に腰掛け、団子を頬張りながら勇者達一行はそんな町の様子を眺めていた。
 倭の国中心街―――『央都(おうと)』にて。





第十九章  ドラゴン・クエスト(前編)



 この身滅ぶとも必ず怨竜討ち果たすべし ―― 鉄火志士丸。
 町の住人に教えてもらった結果、どうやら勇者の持つ狂剣・凶ツ喰に刻まれていた文字はそういう風に読めるらしい。まさしく、竜殺しの魔剣に相応しい文言であると言えた。
 後段の『鉄火志士丸(てつかししまる)』については、おそらく人の名前であろう。だが、それが所有者の名なのか、製作者の名であるかまでは判別がつかない。

武道家「まずは『鉄火志士丸』について聞き込みを始めるか」

勇者「そうだな。とりあえずそれしかやること浮かばねーや」

僧侶「勇者様、体の調子はどうですか?」

勇者「んー、今のところは特に何も……船酔いは僧侶ちゃんの回復のおかげで殆ど良くなったし……」

 実は勇者、倭の国に到着した直後は船酔いでダウンしていた。

戦士「倭の国が見えたと船の舳先でずっとはしゃいでいるからだ。まったくみっともない」

勇者「はしゃいでたのは戦士も一緒だろ。戦士は船酔いしなかっただけで」

武道家「とにかく、その魔剣は今のところはまだ大人しいということか」

勇者「そうだな。コイツが黙っているうちにさっさと手がかり掴んじまおう。それじゃみんな、よろしく」

 頷き合って一行はその場を散る。
 何となく進んだ道の先で、またしても勇者は珍しい者と顔を合わせることになった。

「うおーいマジかよ!! お前なんでこんな所にいんの!?」

 そんな風に勇者に声をかけてきたのは、額に赤いバンダナを巻いて金髪を後ろに流し、腰に蒼く輝く剣を帯びた男。
 圧倒的な実力を持つ冒険者。
 『伝説になれなかった騎士』の息子。
 騎士である。

勇者「いやいや俺の台詞なんだけど。お前なんでこんなトコにいんの?」

騎士「いや、この前港町に寄ってみたらさー、なんか倭の国に向かって船が出るって言うからさー、特に予定もねえし、ちょっと行ってみっか!って。まあ要は暇だったからだな」

勇者「ってことはお前北商会の主人に会ったわけ?」

騎士「え? 誰それ」

勇者「え? いや、倭の国行きの船の持ち主。お願いして乗せてもらったんじゃねえの?」

騎士「いや、勝手に乗ったよ。出航しちまえばこっちのもんだってな。まあ密航がばれた時は一悶着あったけど」

勇者「いやお前マジか。よく船から叩き出されなかったな……ああ、いや、お前を力で叩き出せる船員なんている訳ねーか」

騎士「なんかその言い方だと俺凄い身勝手な悪い奴に聞こえるじゃん。言っとくけど食糧とかは自前のもん食ってたからね? マジほんと乗せてもらっただけだから。迷惑とか全然かけてねーから」

勇者「まあでも納得……お前があの北商会の主人に頭下げるなんて想像できねーもんな。武王様にすらタメ口きくような奴だし」

騎士「ってかお前が来るタイミングも大分おかしくね? 確か倭の国への船って一か月に一回しか出ないはずだろ? 俺がこの国に来てからまだ二週間もたってねーべや」

勇者「……まあ、いろいろありまして」

騎士「お? 何それすごい興味ある。ちょっと聞かせてみ? ほら、近くに旨い酒屋あるから」ガシッ!

勇者「いや、騎士くんボク凄い急いでんねんけど力強ッ!!!! 何コレ全然抵抗できない!!!!」ズルズルズル…

騎士「ガッハッハ!! ガッハッハ!!」

 勇者から港町ポルトでの事のあらましを聞いた騎士は大口を開けて笑い出した。
 言うまでもないが、黒髪の少女絡みの話は『北商会主人の悪事を暴いて~』程度にぼかしてある。

騎士「悪いやっちゃ!! 『伝説の勇者』の七光りフル活用じゃねえか!! いや、愉快痛快!!」

勇者「う~るせいな。しょうがねえだろ」

騎士「いや、責めてねえよ褒めてんだ。いいじゃん勇者。お前、強かになったじゃんか」

 何やらとても嬉しそうに騎士は言う。
 その雰囲気が、まるで弟の成長を喜ぶ兄のようで、どうにも面映ゆくなって勇者は顔を背けた。

騎士「んで? 何でまたそんな事までしてこの国に来たんだよ。『伝説の勇者』―――お前の親父も、ここじゃ特になんにもしちゃいねえだろ?」

 勇者たちが、基本的には『伝説の勇者』のかつての旅路を辿っていることは騎士も知る所だ。

勇者「ちょっと今面倒なことになっててな。一応聞くけど、『鉄火志士丸』って名前に聞き覚えとかあったりしないか?」

騎士「あん? 何よソレ」

勇者「この剣にそういう名前が刻まれているらしいんだよ」

 勇者は腰に携えていた狂剣・凶ツ喰を掴み、騎士に文字が見えるように動かした。

騎士「ふ~ん。ちょっと貸してみ?」

 そう言って騎士は狂剣・凶ツ喰に向かって無造作に手を伸ばした。
 思わず勇者の顔が凍り付く。
 想像してしまったのだ。
 もし、騎士が呪いの支配を受け、正気を失ってしまったら―――それを止められる人間が、果たして存在するのだろうか。
 騎士が正気を失い、全力で暴れまわる―――冗談抜きで、それは世界の破滅に他ならないのではと勇者は思った。

勇者「待て騎士って力つっよ!!!!」

 慌てて騎士の手を掴み止めようとした勇者だったが騎士はおかまいなしで狂剣・凶ツ喰の柄を取った。

騎士「むっ…!」

 騎士の顔色が変わる。
 ぎくりと勇者の背が震えた。
 騎士は勇者の剣から手を離すと、上げていた腰を椅子に下ろす。

騎士「な~るほど。こりゃまた面倒なことになってんなあ、お前」

 どうやら騎士は剣を掴んだだけでおおよそのあらましを推察したようだった。

勇者「さ、触っただけでわかるのか?」

騎士「そりゃわかるさ。お前が初めて俺の湖月を握った時と同じだ。特殊な剣ってのは握った瞬間にその力が使用者にも伝わるもの。そんで、俺は今その剣からも妙な力を感じた」

騎士「精霊装備ってのは本当に希少なものだ。それこそ、俺の故郷に国宝として伝わってきたくらいにな。だから、その剣が精霊装備だっていうのは中々考えにくい。それよりも、もっと可能性が高いものがある」

騎士「それが『呪い』。精霊の加護ならぬ超常の力―――人間の怨念だ」

 騎士は腕を組み、ふう、とひとつ大きなため息をついた。

騎士「――――『鉄火』って名前には聞き覚えがある」

勇者「ほ、ホントか!? 騎士!!」

騎士「確か……うん、そうだったはずだ。暇だったからな。この十日余りの間、俺は色んなところを見て回ってた。ここ、倭の国中心街『央都』から南西に二百キロ程度進んだ所に『端和(たんわ)』と呼ばれる集落がある。そこに剣を造る鍛冶屋があって、その一族が代々冠する名前が『鉄火』だったはずだ」

勇者「『端和』か……行ってみる価値はあるな」

騎士「多分、その剣の起源はそこで間違いない」

勇者「……? 何でそこまで言い切れるんだ?」

騎士「俺もさっき声を聞いた。竜殺しの呪いなんだろ? なら……思い当る節がある」

 酒杯を呷ると騎士は立ち上がった。

騎士「さっさと仲間を集めな、勇者。俺が『端和』まで案内してやる」

勇者「あ、ありがとう騎士!!」

騎士「気は進まねーがな……ま、お前を見捨てるわけにもいかねーし」

 妙に不機嫌な騎士の様子が気にはなったが、現状その厚意に甘えるしかない勇者は特に追求はしなかった。

勇者「と、いうわけで騎士がしばらく僕達に同行します」

騎士「よろぴこ」

武道家「は!?」

戦士「なぁっ…!?」

僧侶「ふえぇ…!!」

 盛大に一悶着あるかと思われた騎士の加入だが、驚きはあったものの意外にすんなりと受け入れられた。
 それぞれ思うところはあるだろうが、貴重な情報を持つ騎士を無碍には出来ぬと理解してくれたのかもしれない。
 みんな大人になったなあ、としみじみ感じ入っている勇者の後ろではこんな会話が行われていた。

騎士「あれっ!? ちょっと待ってそれ精霊装備じゃない!?」

武道家「ご明察の通りだ。どうだ? 威力を試す気はないか?」

騎士「気が向いたらね! やあ僧侶ちゃん! 相変わらず可愛いね!!」

僧侶「近寄らないでください。そして指一本私に触れないでください」

騎士「辛辣ッ!! そういえばおっぱい触ったこと謝ってなかったね、めんご!!」

僧侶「許される気あります?」

騎士(ないよ!!)

武道家「言っておくが一度でも僧侶や戦士に狼藉を働いたら問答無用でこの『竜牙』を叩き込むからな」

勇者(うん! みんな仲良くやってるなあ!!)

 無論、勇者の耳はしっかりとその会話を聞き取っている。
 勇者の言葉は心の声だというのに驚くほど棒読みであった。

戦士「おい」

騎士「ん?」

 さて、そんな勇者に聞こえないよう殊更声を潜めて騎士に話しかけたのは戦士である。

戦士「武闘会でのあの言葉の真意を教えろ」

騎士「あの言葉って?」

戦士「とぼけるな。勇者がまた壊れてしまうと、お前は言ってただろう」

騎士「言ってたっけ? 覚えてねえや」

戦士「おい!」

騎士「いや、マジで俺その場その場のノリで適当言うからさぁ~。あんま気にしなくていいよ? ホント」

戦士「お前…!! あの言葉で私がどれだけ悩んだと…!!」

騎士「めんご☆」

戦士「ぐぬぬ…!!」

 憤りを抑えきれない様子の戦士を見て、騎士は笑う。

騎士(実際、気にしてもしょうがないことは気にしない方がマシだぜ。お嬢ちゃん)

 その笑みの真意に気が付く者は、まだ誰もいない。

 倭の国領土内、南西に位置する集落―――『端和』。
 その集落内に足を踏み入れた直後だった。

勇者「……ッが!? な、ぐぁ……!!」

 猛烈な耳鳴りと頭痛が勇者を襲った。
 耳元で金属器を大音声で打ち鳴らし続けているような不快感。
 吐き気が込み上げ、視界が赤く染まり始めた。
 そこで勇者は気づく。

勇者(凶ツ喰…!! これは、この剣が暴れているのか!!)

 魔剣が遂に牙をむき勇者の意識を乗っ取ろうとしている。
 勇者は歯を食いしばり、全力で剣の浸食に抗った。

武道家「おい、勇者! おい!!」

 異変に気付いた武道家が勇者の肩を揺する。
 戦士はいつでも勇者を抑えられるように背後に回り、僧侶はいつでも呪文を行使できるよう杖を握る。
 騎士は事の成り行きを静かに見守っていた。
 やがて勇者の息遣いが落ち着きを取り戻す。

勇者「もう……大丈夫だ……すまん、心配かけた」

武道家「そうか……異常を感じたらすぐに知らせるんだぞ。勇者」

勇者「ああ。しかし……剣がこれだけ反応したということは、やっぱり騎士の言う通り、この村には何かがあるな。皆、気を引き締めていこう」

 勇者はごくりと唾を飲み込み、躊躇う自分を鼓舞して歩みを再開した。

村娘A「ようこそおいでくださいました、旅の方!!」

村娘B「ようこそ、端和へ!!」

 集落の入口をくぐった勇者たちを出迎えたのは美しい村娘たちの満面の笑みだった。

勇者「お、おお?」

 思わず勇者の目が点になる。

僧侶「ず、随分熱烈に歓迎されてますねえ…」

 僧侶の言葉を耳にした村娘が快活に笑った。

村娘A「はい!! 私達端和の民は、来訪されるお客様を最大限おもてなしすることを生き甲斐としておりますゆえ!!」

村娘B「宿もお食事も無料で提供させていただきます!! どうぞ、ご遠慮なくおくつろぎください!!」

武道家「そ、それはまた太っ腹なことだな」

戦士「見たところ、そんな飛びぬけて豊かな村だとは思えんが……」

村娘A「確かに、物質的な豊かさはさほどではないかもしれません。しかし、端和は土地神様のご加護により決して困窮することはなく、民は常に安定した生活が送れるのです!」

村娘B「端和の民がお客様に無償でご奉仕させていただきますのは、土地神様の素晴らしさを全世界に広めるためでございます!!」

勇者「『土地神』?」

 村娘の言葉に勇者が反応する。

勇者「土地神ってのはもしかして――――」

騎士「――――竜のことだよな?」

 勇者の言葉を騎士が引き継いだ。

村娘A「ひっ!?」

 騎士の姿を認めた村娘の顔が恐怖に歪む。

騎士「おいおいどうした? まるで化けて出たみたいな目で人を見やがって」

村娘A「はわ…! そ、村長様ーーーッ!!!!」

 あれ程人懐っこい笑顔を向けていた村娘たちは、勇者たちに背を向けると一目散に走って逃げていった。

勇者「騎士……これは一体……?」

騎士「まあ見てな。そうすりゃこのクソみてえな村の本質がわかる」

 やがて困惑する勇者たちの前に十数人の武装した男を引き連れて、一人の老人が姿を現した。
 今までは勇者たちの後ろに隠れるようにしていた騎士が、今度は前に出て老人と相対する。

騎士「よう村長さん。三日ぶり」

村長「お主……どうやってあの洞窟から……お主が今無事でここにいるということは、洞窟の赤竜様は……」

騎士「相手にもしてねえよ。面倒くせえ」

 騎士の言葉に村長と呼ばれた老人はほっとしたような、残念がるような、複雑な表情を浮かべた。

村長「そうか……では何しにこの村に戻ってきた。復讐か? 腹いせにこの村を蹂躙するつもりか?」

 ぴくりと騎士の眉が動く。
 俄かに緊張が走り、武装した男たちがそれぞれの武器を構えた。
 騎士はふぅ~、ととても長い溜息をついた。

騎士「ごめんなさいも無しか。つくづく救えねえな、お前ら」

 騎士は村長たちに背を向けた。

騎士「安心しな。今回はこいつらをここに案内しに来ただけだ。俺自身、この村をどうこうしようなんてつもりはねえよ」

 そう言って騎士は再び勇者たちの後ろに戻った。
 あからさまにほっと息をつく村長たちに、騎士は言葉を付け足した。

騎士「ただし俺がこの村にいる間は俺の機嫌を損ねないように気をつけな。そうだな、今度こそ見返りなしで飯と宿を提供してもらうぜ」

 今を遡ること四日前―――騎士は一人でこの端和を訪れていた。
 騎士は今回勇者たちがされたように、村娘たちによって熱烈な歓待を受けた。
 おもてなしのムードは村全体に及んでおり、豪奢な宿と豪勢な料理が無料で騎士に振る舞われた。
 倭の国独特の山の幸、新鮮な海の幸、さらに極上の美酒として大陸にも伝わるジャポン酒。
 すっかりいい気分になった騎士はこんな風に考えて痛快に思ったものだ。

 何の見返りもなく、他人が喜ぶ姿を見ることが至上の幸福だなんて――――ああ、なんて素晴らしく、脳みその膿んだ奴らだろう。

 さて翌日。
 騎士は村の民から土地神様への拝謁を勧められた。
 なんでも、ありがたい土地神様のご加護を得ることで今後無病息災で居られるのだとか。
 飛びぬけた加護を既に得ている騎士を侵せる病魔など恐らくこの世に存在し得ないので、そんな拝謁を行うメリットなど毛ほどもなかったが、余りにも熱心に勧められるので結局騎士は根負けした。
 そもそも、来訪者を無料で歓待するのは土地神の信仰を流布するため、と昨晩案内されている。
 それを知っていて歓待を受けたのだ。それでこの勧めを断るというのは余りに不義理というものだろう。
 自由奔放の体現者とも言うべき騎士がこんな殊勝なことを考えるくらいには、騎士は端和での歓待に満足していたのだった。
 騎士は村民の案内に従って土地神が住まうとされる山を登った。
 ぞろぞろと二十人余りの男たちに案内されたので、何とも大袈裟なことだと騎士は呆れていた。
 「何ともまあ、自分以外の何かをよくそんな風に敬えるものだ」と、こんな感じに騎士は思っていた。
 やがて洞窟の入り口に着き、ここで騎士は村民たちより先に行くよう案内される。
 洞窟の奥から感じる熱気。この奥に火砕流やマグマが溢れていることは明らかだ。
 本来であればこの先こそ地元の人間が先に立ち、案内するべきだ―――普通であれば、ここでそんな疑問を抱いたかもしれない。
 しかし常人より遥かに高い耐久性を持つ騎士は、「そりゃ普通の人はこんな所行きたくねーよなー」と納得するばかりであった。
 しばらく進んだ所で、突如騎士の背後に重く厚い石造りの扉が下ろされた。
 「何のつもりだ?」―――当然騎士は問う。
 だがその問いへの返事はなく、扉の向こう側から聞こえてくるのは奇妙な歌だけであった。
 それは騎士が倭の国中を放浪していた時に何度か耳にしたことがある歌だった。
 『念仏』―――倭の国において最もポピュラーな、死者に捧げる鎮魂歌。

 ああ―――なるほどね。

 騎士は全てを察し、しかし驚くほど腹は立たなかった。
 むしろ安心した。納得がいき、合点がいった。

「なんだ、やっぱりそうだ」

「やっぱり理由があった。あの歓待は、ちゃんと見返りを求めての事だったんだ」

「そうだ、やっぱり―――全くの無償で誰かに奉仕できる人間なんている訳がない」

「居るとしたら―――――そんな奴は、人間として壊れている」

 騎士はしばらくどうするかその場で思案した。
 騎士の力ならこの程度の石扉などあっさり粉砕できる(なお、ぞろぞろと二十人もついてきたのはこの扉を動かすためだったのかと騎士はここで理解した)。
 しかし騎士はそもそも暇つぶしの為に倭の国に渡ってきた身だ。
 端和の民をこのような狂気に走らせる土地神とやらの正体への興味が勝って、騎士は先に進むことにした。
 果たして、騎士は洞窟の最奥にて赤い鱗の竜と対面した。
 対面し、二言三言竜と言葉を交わして、『端和の土地神の仕組み』を理解した騎士は、呆れた。
 呆れて、騎士は目の前の竜に言葉を放った。

「戻るのも面倒だ。この洞窟の裏口―――というか、お前用の出入り口か。あるだろ。道を教えろ」

騎士「―――とまあ、こんな訳だ」

 用意された宿にて、勇者たちは騎士の部屋に集まって話を聞いていた。

勇者「生贄……ってことか」

騎士「そういうことだな。来訪者を歓待するのは土地神の所へ案内しやすくするため。もしかすると、罪滅ぼしの意向もあるのかもしれねーけどな」

武道家「とすると、勇者の持つ魔剣の呪いはかつて生贄にされた何者かの怨念…?」

騎士「或いは、その縁者か。どちらかと言えばこっちの可能性が高いだろうな」

戦士「何故だ?」

騎士「元々その剣が生贄になった誰かの物だったとしたら、それを洞窟内から持ち出した奴がいるってことになるだろ。剣が落ちてるのは当然竜のいる最奥だ。そんな所に残っているかさえも怪しい遺品をわざわざ取りに行くやつがいるか?」

僧侶「しかし、縁者というのも……その旅人が行方知れずになった原因が、こんな遠い島国の竜に食べられたからだと気づくことが出来るでしょうか?」

騎士「まあ、出来んわな。つまり……」

武道家「つまり…?」

勇者「つまり、旅人だけじゃないんだ。生贄は」

 重々しく口を開いた勇者に全員の視線が集中する。

勇者「そもそも、旅人だけをターゲットにしたって、足りる訳がないんだ。足りない分をどうやって補うかなんて……そんなの答えは分かりきっている」

 勇者はその手に持った狂剣・凶ツ喰を目の前に掲げた。

勇者「その犠牲となったのが、恐らく『鉄火志士丸』に近しい誰かなんだ。とにかく俺達は、『鉄火』の家に行って話を聞かなければならない」



 端和の集落、その片隅にひっそり設けられた墓地。

 そこにある墓石のひとつ―――『鉄火志士丸』と刻まれた墓石の前に、花を添える少女がいる。

 遺体のないその墓の前に跪き、少女は涙を流して祈りを捧げた。

 それは恐らく、端和に伝わる土地神に対してではなく、もっと別の何かへ向けて。

 少女は祈り続ける。拝み続ける。

 縋るように。願うように。


「兄上……どうか御無事で、お戻りくださいますよう……!!」


 ああ―――――その願いの結末は。


勇者「そして、何故端和の民がこの生贄を受け入れているのか、俺達はその謎も解かなければならない」

騎士「そんなもの、弱いからじゃないのか? 刃向えば全員殺される。だから、素直に従って見逃してもらっていると、ただそれだけの話じゃないのか?」

勇者「いいや、村民に危害を加える竜が近隣に住み着いた時点で、倭の国中央部に討伐依頼を出すのが自然だ。だが、倭の国中央部ではそんな話は一切聞かなかった。つまり、当初からこの端和では竜の存在を許容していたんだ」

勇者「そこには何か理由があるはずだ。端的に言えば、『端和の民から定期的に犠牲者を出してでも得るべきメリット』。竜の存在が端和にどんな利益をもたらしているのか……それを探る」

武道家「言われてみれば妙な話だ。普通に考えれば、集落を捨てて全員が逃げ出してもおかしくない。それをしない確たる理由が、確かに有りそうだな」

勇者(……けど、命に釣り合うようなメリットなんて、本当にあるのか? 少なくとも、俺には思いつかない……俺の中で、命こそが何よりも重いものだと定義されているからだ)

勇者(……今考えても仕方がない。今考えるべきは、情報収集を如何にして行っていくかだ)

 端和の集落の中央部、大屋敷の一室にて村長は畳に膝をつき、頭を垂れていた。
 おかしな光景である。
 村長とはその名の通り村の長。
 村長が膝をつくべき上位存在など、本来村の中に居るはずはないのだ。

村長「先日、生贄の任を逃れた騎士が舞い戻ってまいりました。加えて、数人の仲間を連れきた様子で……もしや、赤竜様へ弓引くことを考えておるのかもしれません」

 村長の視線の先―――帳(とばり)の奥で影が動く。

村長「いかがいたしましょう……竜の巫女様」

 村長の座る畳より一段高く設けられた舞台に鎮座する巫女服の少女―――竜の巫女と呼ばれた少女は、その黒々とした瞳を見開き、こう口にした。



竜の巫女「――――不届き」






第十九章  ドラゴン・クエスト(前編)  終

今回はここまで

勇者「情報収集は二手に分かれて行おう。俺と武道家は『鉄火』の家を訪ねる。戦士と僧侶は村の人たちから土地神――竜の話を聞いてみてくれ。主に、どうして生贄を欲する竜なんかを信仰し続けるのかって辺りを、なるべく刺激しないようにな」

戦士「む、難しいな……」

勇者「『鉄火』の家にはどうしても実際に剣に呪われている俺が行く必要があるから、出来ればそっちの方は任せたいんだけど……どうしても無理なら、二手に分かれるのはやめて、みんなで順番に行こうか?」

僧侶「いえ! 勇者様に頼りっきりにするわけにはいけません。こちらは私と戦士にお任せください!」

戦士「ああ、が、頑張る……」

勇者「そう? じゃあ、悪いけどお願いするよ。騎士はどうする?」

騎士「んー? まあ、このままじっとしてんのも暇だし、勇者の方についていこうかな。この村の奴らの信仰の話とかはクソ程どうでもいいけど、剣の話は面白そうだ」

 よっ、と声を上げ、ベッドに仰向けに寝転んでいた騎士が身を起こす。

騎士「人の意思を喰らう魔剣。どれ程の恨みが、執念があればそんな代物が出来上がるのか……これはちょっと興味深いぜ」






第二十章  ドラゴン・クエスト(中編)




 端和の村の南西に位置する鍛冶屋―――『鉄火』。

勇者「……ここだな。確かに、看板にこの剣に書いてあるのと同じ『鉄火』の文字がある」

武道家「随分と静かだが……誰もいないのか? 村人の話では営業はしているとのことだったが…」

騎士「まあ取りあえず入ってみようぜ」

 勇者は入口のドアを開ける。ちりんちりんと鈴がなった。
 店内に足を踏み入れ、様子を伺うが、誰も出てくる気配がない。
 店内は狭く、入口から入ってすぐにカウンターが設置され、そこに料理包丁や鉋などの刃物類が展示されている。
 壁に掛けられている展示品などを見ても、剣など、所謂武器の類は一切置いていなかった。

騎士「んー? 武器屋じゃねえのか? ここ。剣なんて一個も見当たんねーけど」

勇者「おかしいな……てっきりこの剣はここで造られたんだと思ってたけど、違うのか?」

武道家「おーい!! 店の者は誰かいないのか!?」

??「あ、はーい!! 只今!!」

 武道家が奥に向かって呼びかけると、ようやく反応があった。
 ドタドタと慌てたような足音を響かせて、一人の少女が顔を覗かせた。
 黒く艶のある髪は耳の下あたりで切り揃えられており、頭にはタオルを巻いている。
 目鼻立ちは整っている方だと言えるが、汗に濡れた頬は煤で黒く汚れていた。
 着ている物も女性的な着物ではなく、作務衣と呼ばれる男性用の作業着だ。

少女「申し訳ありません。奥で作業をしているとどうしても鈴の音が聞こえづらくって」

勇者「あなたが店主なのですか?」

少女「はい。女の身で不肖なれど、今は私が『鉄火』の看板を継いで切り盛りさせていただいております。お客様、本日は何をご入り用でしょうか? とはいっても、冒険者がお求めになられるような武具の類は今は取り扱っていないのですが……」

勇者「ああ、いや、申し訳ない。実は私達は物を買いに来たわけではないのです。少し『鉄火』の店主様にお話を伺いたくて参りました」

少女「はあ…わたくしに? 旅の方がこんなしがない鍛冶屋の娘に何のお話でしょう?」

 少女は小首を傾げ、やや困惑したような素振りを見せた。
 勇者は腰に差していた狂剣・凶ツ喰(キョウケン・マガツバミ)をカウンターの上に置く。
 それを目にした少女の顔色が変わった。

少女「そ、そんな……これを……どこで…!?」

 口元に手を当て、わなわなと震えだす少女。
 その様子に少しためらいながらも、勇者は言った。

勇者「霊峰ゾアと呼ばれる竜神の住まう山……そこで見かけた遺体が、抱えていた物です」

少女「あ、ああ……!」

 勇者の言葉を聞いた少女はその場に崩れ落ちた。

少女「兄上…! 兄上ぇぇ…!!」

 ぼろぼろと少女の目から大粒の涙が零れ落ちる。

少女「うぐ…うぇ…うぁぁ…!!」

 嗚咽を漏らす少女にかける言葉が見当たらず、勇者はぐっと唇を噛みしめていた。

 やがて少女は泣き腫らした目を擦りながら立ち上がった。

少女「ごめんなさい……取り乱しました……」

勇者「いえ…」

少女「それで、お話というのは……」

勇者「単刀直入に申します。私は今この剣から、その…所謂、『呪い』……を、受けています。その解呪の手がかりを得るために、この剣が生まれた経緯を知りたいのです」

少女「呪い……」

 勇者の言葉を繰り返した少女は、恐る恐る剣の鞘に手を触れた。
 しばしそのまま目を閉じて―――やがて、何かを決意したように口を結んだ。

少女「わかりました。私が知る限りのことをお話ししましょう。どうぞ、奥へ。客間がございます。狭いですが、それでもここで立ち話するよりは寛げるでしょう―――長いお話に、なるでしょうし」

 勇者、武道家、騎士の三人は通された客間に足を踏み入れる。
 六畳の畳に丸いテーブルが置かれていた。少女が押入れから座布団と呼ばれる綿の詰まった座具を取り出す。
 座布団を尻の下に敷き、初体験の感触に少し感動しながら、勇者は部屋を見回した。
 壁の一角に設けられた飾り棚のような空間――後に少女に聞いたところ、床の間と呼ばれる空間らしい――に飾ってあった剣に目を奪われる。
 飾台に寝かされた二振りの剣―――どちらも、相当の業物であることが雰囲気から感じ取れた。

少女「父と―――長兄の造ったものなんです」

 思わず剣に見入ってしまっていた勇者に、少女がはにかみながら説明してくれた。

少女「この『鉄火』の家は、倭の国でも有数の刀鍛冶でした。先代店主だった父は本当に凄腕の鍛冶屋で……倭の国お抱えの武士団は皆父の剣で装備を統一する程でした。私が店を継いでからその技術はすっかり途絶えてしまいましたが」

 少女の微笑みが寂しげなものに変わる。
 客間からは作業場の様子が見えた。
 炉の中に僅かに残った火が、黒々とした作業場を照らしている。

少女「私は剣を造れません。精々、見よう見真似で家庭用の刃物を造るくらいで……父は、私に技術を継ぐ前に、死んでしまいましたから……」

 勇者たちの目の前に、茶の入った湯呑が置かれ―――少女は勇者たちに向かって居住まいを正した。

少女「『鉄火志士丸』は私の父の名前。私は鉄火の娘、蓮華(れんげ)と申します」

 鉄火蓮華を名乗った少女は勇者に向かって深々と頭を下げた。

蓮華「まずは、勇者様に深く感謝を。よくぞこの剣を、この鉄火の家まで持ち帰ってくれました」

勇者「あ、や…礼を言われるようなことじゃ……むしろ、遺体の物を勝手に持ち出したりなんて、最悪なことをしたわけで……」

蓮華「確かに、その行為自体は褒められたものではありません。しかし、それでも……遠い異国の地に置き去りにされるよりは救われたでしょう。兄上も……父上も」

 それに、と少女―――蓮華は、言葉を続ける。

蓮華「勇者様も、私利私欲の為にこの剣を持ち出した訳ではないのでしょう? この剣を売り払おう等とはせず、何かを討ち果たすために使ったからこそ、この剣の呪いを受けてしまった。ならばどうして私に勇者様を責める言葉などありましょうか。むしろ我が一族がご迷惑をかけたことをお詫び申し上げるところです」

勇者「ああ! いやいや!! やめてください! いや、ホントに!!」

 またも深々と頭を下げる蓮華に、勇者は慌てた。

蓮華「いえ。この度は誠に申し訳ありませんでした」

勇者「ああもう! 顔を上げてよ!! そんなんじゃないんだってマジでぇ!!」

 ごほん、と咳払いをしたのは武道家だ。

武道家「すまない、こちらがそんな事を言える立場ではないのは重々承知しているのだが、そろそろ本題に入っていただけないだろうか。事は一刻を争うのだ」

騎士「そうそう。こうしてる今も意識持ってかれそうでやばいんじゃねーの? 勇者」

勇者「んぐ、まあ……」

 騎士の言う通りであった。
 最初に村に入った時ほどの衝撃は無いが、あれからずっと耳鳴りのようなものが勇者の精神を蝕んでいる。

蓮華「ごめんなさい…では早速本題に……といっても、何から話せばよいか…」

 しばし思案する素振りをして、蓮華は口を開いた。

「この村にはおかしな風習があります。『土地神様』―――西の山に居る竜を崇め奉り、定期的に貢物をしているのです」

「その貢物と言うのが―――ご存知でしたか。流石です。そう、人間です。竜は、定期的に人間を生贄として要求してきます」

「どうして村の人々がそのような風習を受け入れているのか、私にはわかりません。父はおおよその経緯を知っている様子でしたが、私には教えてくれませんでした」

「というのも、父は村の信仰に非常に懐疑的だったのです。いくら村全体の繁栄の為といっても、その為に村人が犠牲になるのを良しとはしていませんでした」

「もちろん、父のように異を唱える人は決して少なくありませんでした。だから、当時の村長はある対策を講じました。それが、村外から人を呼び、その人を生贄とする今の仕組みです」

「『端和は無料で最高のもてなしが受けられる、桃源郷のような場所だ』と噂を流布し、集客を図りました。結果は上々でした。この仕組みのおかげで村民の犠牲は大幅に抑えることが出来ました」

「……怖い顔をしないでください。わかっています。最低ですよ、こんなこと。父も、兄達も、もちろん私も、そう思っていました。だから、父と長兄は……」

「剣を、造っていたんです。竜を殺すための剣を」

「それが、良くなかったのでしょうか」

「次に村民からの生贄として指定されたのは、長兄だったのです」

「……あの日のことは、正直思い出したくもありません。家の中に、二十人以上の大人が入って来て、抵抗する父と兄達を押さえつけて……私も縛り上げられて、喉に刃を押し付けられました」

「それが、とどめでした。『妹の命が惜しければ』―――長兄は抵抗をやめ、素直に彼らについていきました」

「去り際の兄の顔が忘れられません。泣きながら、笑っていて、とても悲しそうな声で―――」



『なんだかなぁ。なんでこうなっちまうんだろうなぁ。俺はさあ、ただ、ただ皆の為に―――』


「あとに残された私たち家族は、放心状態でした」

「長兄が連れていかれて丸一日以上たっても、誰もその場から動こうとはしませんでした」

「父の憔悴ぶりはその中でも群を抜いていて……その瞳がどこを見ているのか、全くわかりませんでした」

「長兄は父の宝でした。『鉄火』を継ぐ者として、父の持つ技術を全て受け継いだ……そんな長兄を連れていかれて、父はきっとすっかり生きる気力を無くしてしまったに違いありません」

「どうして私たち家族を皆殺しにしなかったんでしょう? ―――ええ、わかっています」

「『鉄火』は倭の国でも指折りの鍛冶屋……その名の集客力を失いたくはないという、浅ましい思惑があったに違いありません」

「やがて、最初に立ち上がったのは誰あろう、父でした。父はそのままフラフラと作業場に進むと、一心不乱に鋼を打ち始めました」

「父がそうして動き始めた以上、私もじっとしている訳にはいかないと、私も立ち上がり、食事の準備を始めました」

「どうやら父に死ぬつもりはない。ならば生きていかなくてはと、食事をしなくてはならないと思ったのです」

「しかし父は私の作った食事に手をつけませんでした」

「父は三日三晩、作業場に籠りっきりで狂ったように剣を打ち続けました」

「狂ったように―――いえ、実際、父はもう狂っていました」

「長兄が連れていかれてから一切食事をとっていなかった父は」





「最後に、自らが造った剣を飲み込んで果てていました」




「その時の私が何を思ったか―――どうでしょう、あまり覚えていません」

「ただただ衝撃的で―――私は思わず父の元へ駆け寄ろうとしました」

「しかし、そんな私の肩を掴んで制止する者がありました」

「―――私の、もう一人の兄でした」

「どうして止めるのかと私は兄に問い、兄はあれが父の望みなのだと答えました」

「訳が分かりませんでした。すぐに分かると兄は言いました」

「父の供養をしようとする私を兄は押し留め、その必要はないと言いました」

「ならば父をあのままにしておくのかと私は問い、そうだと兄は答えました」

「人でなしと私は叫びました。そうだと兄は言いました」

「俺も父も―――とうに人間をやめていると、そう言いました」

「一夜が明けました。兄はまだ作業所の前に陣取っていました」

「二日が経ちました。兄と私は作業場の前で睨み合っていました」

「三日が経ち、兄が終わったようだと言いました」

「父の死を確認してから、実に三日ぶりに作業場の扉が開かれました」

「私はそこに、どんなおぞましい光景が広がっているかと身構えました」

「放置され、腐敗した父の遺体など誰だって見たくはないでしょう」

「しかし、そこに広がっていたのはある意味私の想像を遥かに超えておぞましい光景でした」

「そこにあったのはただ一振りの剣のみで、父の遺体は跡形もなく消えていたのです」

「私は混乱しました」

「父の遺体をどうしたのか、私は問いました」

「見ての通りだと兄は答えました」

「片付けたのかと問いました。いいやと兄は首を振りました」

「父は―――剣になったのだ、と兄は言いました」

「俄かには信じられませんでしたが、しかし現実に父の遺体は跡形もなく消えていたので、そうなのだろうと私は納得しました」

「これからどうするの、と私は兄に問いました」

「旅に出る、と兄は答えました」

「旅に出て、必ず竜を打ち倒す術を得てくると。お前が生贄に選ばれる前に必ず帰って来ると、そう言い残して、兄は旅立ちました」

「―――これが、私が知る限りの、この剣に関する経緯です」

 鉄火の娘、蓮華の話が終わってから、場にはしばらくの間沈黙が満ちていた。

騎士「……なんつーか、すげえ話だな」

 騎士ですら、遠慮がちに口を開いている。

武道家「……辛い話をさせた。申し訳ない」

蓮華「いえ、いいえ……私も、初めて人に話して、ようやく自分の中で整理がついたような気がしますので……」

勇者「………」

 勇者は押し黙ってしまっていた。
 自ら刃を飲み込んだ鉄火志士丸の壮絶な狂気に当てられもしたが、それ以上に勇者には思うところがあった。
 蓮華の話の結びとなった、彼女の兄の旅立ち。
 勇者は、その結末を知っている。
 霊峰ゾア。
 竜の神がおわします山脈。
 その洞窟の深い穴の底に、彼は居た。
 一体、どんな気持ちだっただろう。
 竜の打倒法を知るため、遠く遥か異国の地まで歩んできて。
 足を滑らせ、あの穴に落ちて、足掻いても足掻いても抜け出せなくて。
 一体、どれ程の絶望だったろう。
 最後に事切れるまで、彼はあの穴の底で何を思っていたのか。
 きっと、それもまた呪いだ。
 父の狂気と兄の絶望で狂剣・凶ツ喰は構成されている。

蓮華「あの……お役に立ちましたでしょうか」

 勇者の様子に、不安げに蓮華が声をかけてきた。

勇者「……ああ、そうだな。ありがとう。おかげで、やるべきことがはっきりした気がするよ」

 勇者の声には、固い決意が込められていた。

村人「土地神様には常に感謝しているよ。僕らが日々を豊かに過ごせているのは、全て土地神様のおかげだからね」

僧侶「そうですね。他の皆様のお話を聞いていても、端和を守る土地神様がとても力のある神様だというのが分かりますわ」

村人「うむうむ、そうだろうとも」

僧侶「それで、とても恐縮なのですが、実際に土地神様が何か奇跡をお示しになられた事例がございましたら教えていただけませんか? 私も神職に就く身ですから、とても興味がありますの」

村人「土地神様が直接僕らに何かをするという事はないよ。しかし、土地神様は常に端和をより良く発展させるために神託を下される。竜の巫女様を通じてね」

戦士「竜の巫女?」

村人「土地神様に認められ、その神通力を授かった巫女様のことさ」

僧侶「へえ…是非会ってみたいですね。その方はどちらに?」

村人「村長の屋敷さ」

僧侶「どうもありがとうございました」

村人「いやいや、土地神様の素晴らしさを広める一助になれたんだ。お安い御用だよ」

 村人と別れ、僧侶と戦士は二人並び歩く。

戦士「竜の巫女、か…どうする? 会いに行ってみるか?」

僧侶「そうしたいところだけど……村長様の屋敷に居るというのが痛いわね。村長様も私達の動きを警戒しているはず。会いたいと言って、まともに取り合ってくれるかしら」

戦士「とりあえず、行くだけ行ってみないか? 駄目だったら、その時に対策を考えよう」

僧侶「そうね……どの程度私たちが村長様に警戒されているかを計るいいチャンスかもしれないわ」

 端和中央部―――村長屋敷。

僧侶「こんにちは」

使用人「はい、本日はどのような御用件でございますか?」

僧侶「村長様に一度正式にご挨拶をと思いまして。お取次ぎ願えますか?」

使用人「少々お待ちくださいませ」

戦士「……門前払い、というわけではなさそうだな」

僧侶「使用人が私たちに気付いた様子もない。どうやらそこまで徹底して排斥されているわけではなさそうね」

村長「……お待たせした」

僧侶「どうも、改めましてこんにちは。村長様」

村長「一体何用で来られたのかな? 女二人ということで、どうやら襲撃の類ではないと判断したが」

戦士「単刀直入に申せば、竜の巫女様に拝謁賜りたい」

村長「ふむ……何故?」

僧侶「私達は知りたいのです。この村で行われている土地神信仰の実態を。そしてその是非を判断したい」

戦士「今のところ、我らは騎士からしか話を聞いていないからな。それでは情報に偏りがある。正しい判断の為には、村側の話を聞く必要がある」

村長「そういうことであれば……良いでしょう」

 村長は屋敷に戦士と僧侶を招き入れた。

村長「これより竜の巫女様がおわしますお座敷に案内しますが……くれぐれも、粗相のなきようお願いいたします」

 戦士と僧侶は畳張りの広間に通された。
 二人の正面には舞台が設置されており、舞台を覆う帳の奥に人影が見える。

僧侶(あれが…)

戦士(竜の巫女…?)

村長「それでは、竜の巫女様の、おな~り~!!」

 村長の声と共に、舞台の帳が開かれた。
 舞台の中央に鎮座する、巫女服の乙女が姿を現す。
 竜の巫女の黒々とした瞳が戦士と僧侶を射抜いた。

僧侶(年端のいかぬ少女なのに、なんて威圧感……)

戦士(確かに只者ではないな、これは)

竜の巫女「お初にお目にかかる。私は竜の巫女。端和の安寧を司る者。そなたらは何者じゃ?」

僧侶「私は僧侶」

戦士「私は戦士だ」

竜の巫女「ほうか。ならば僧侶、戦士よ。此度は何用があって我が前に現れた?」

戦士「私達はこの村で行われている土地神信仰について非常に興味がある」

僧侶「土地神様の話を聞くには、その仲介者である竜の巫女様に話を伺うのが最も良いと思ったのですわ」

竜の巫女「然り。よかろう。ならば話して聞かせようではないか。この村を襲った悲劇を。竜による救済を」

「さて、しかしどこから話したものか」

「そうじゃな。この村の土地神信仰が始まったのは、もう五十年ほど前になろう」

「その年は作物に得体の知れない病気が蔓延り、端和は大不作であった。このままでは村人の大半が餓死してしまうほどの、の」

「何度作物を植えなおしても枯れてしまう、そんな状況に皆が絶望していた時じゃった。村に一人の旅人がやって来たのじゃ」

「旅人は作物の惨状を見て言った。『これは大地の呪いだ。土地神様の加護を失ったこの大地は、悪い神から呪いを受けている』」

「『土地神様とは何か?』と村の人々は問うた。『知らないのか。では土地の加護を失うもの仕方なき事。信仰を無くした民に、土地神様も呆れていらっしゃるであろう』」

「『しかしまだ間に合う。私は知っている。この土地の神は西の山に居る。うら若き娘を遣いとして送るのだ。さすれば土地神様はこの村の行く道をお示しになるであろう』」

「村の人々は、どうせこのまま飢え死にするのならと、旅人の言う通りにした。一人の娘を選抜し、旅人の言う山に向かわせたのじゃ」

「間もなくして娘は無事に帰ってきた。しかしどうも様子がおかしい。村人は問うた。『どうした? 何があったのか?』」

「娘は言った」

「『私は土地神様の加護を得て、竜の巫女となりました。私の言葉は土地神様の言葉。これより神託を賜わします。その通りに薬を調合し、土に混ぜよ』」

「純朴だった娘とは思えぬ威圧感に、皆飲まれていたそうじゃ。とても娘の冗談だとは思えず、娘の言うがままに村人は従った」

「するとどうじゃ。あれ程病魔に蝕まれていた土地は瞬く間に回復し、作物は大いに実りだしたではないか。端和は飢饉の危機を乗り越えたのじゃ」

「それから幾度となく、竜の巫女となった娘は神託を下した。その言葉に従うことで、端和はどんどん豊かになっていった」

「ある時のことじゃ。竜の巫女となった娘が言った。『土地神様の力が弱まっている。回復のために、精力豊かな若い人間を捧げよ』と」

「村人は戸惑った。そして聞いた。『もし従わなければどうなるのか?』」

「『ならばこの土地は加護を失い、やせ衰えるだけだ。土地神様が力を失えば、当然神託を授けることも出来なくなるであろう』。娘は淡々と言い放った」

「まだあの飢饉の絶望の記憶が新しい村人は慌てふためいた。そして、苦渋の決断じゃったが、一人の娘を土地神様が棲む洞窟に行かせた」

「最初の娘がそうであったように、再び巫女として帰ってくることに期待していたんじゃな」

「しかし娘は帰ってこんかった」

「しばらくして、またも土地神様から生贄の要求があった。村人は必死で頭を垂れ、願った。どうか、別の物での代用を、と」

「竜の巫女は言った。『構わぬ。であれば、土地神もろとも端和も滅びるだけだ。それが民の願いであれば、それも仕方なかろう』」

「……村人は、再び生贄を選び、洞窟に向かわせた」

「そんなことが何度か続き、悲嘆にくれる村人を見かねた竜の巫女は言った」

「『何か勘違いしているようであるが、贄は別に村の者でなくともよい。若い人間であれば誰でもよいのだ。むしろ余所者の方が良い。その方が、土地神様の心も痛まぬ』」

「その言葉をきっかけに、端和は余所から来た人間を無料で歓待する『もてなしの町』となったのじゃ」

「村人の犠牲は大幅に減り、二十年が経つ頃には土地神様の加護を疑う者は誰もいなくなった」

「その大きな理由のひとつに、竜の巫女の姿があった」

「土地神様の加護を受けた竜の巫女は一切老いることなく、うら若き乙女のままであったのじゃ」

「こんなに分かりやすい、目に見える奇跡はあるまいて。かっかっか」

 そこまで話を聞いた時、僧侶と戦士は思わず口をあんぐりと開けていた。

僧侶「ま、まさか、今の話に出てきた竜の巫女様って全部……」

竜の巫女「左様。私じゃ。故に今の話は誓って真実じゃよ。伝聞によって捻じ曲げられることのない、私自身が見聞きしてきたことじゃ」

戦士「ご、五十年ってことは、少なくとも六十代の後半……む、無理だ。化粧での誤魔化しにしたって限度がある」

竜の巫女「む、疑り深い奴じゃ。何じゃったら触って肌の張りを確認せえ。ほれ、ちこうよれ」

村長「み、巫女様!!」

竜の巫女「冗談じゃ。そんなに慌てるでない、村長。みっともない」

村長「軽率な言動はお控えください! 御身に何かがあれば、それは直接端和の存亡に関わる事になるのですぞ!!」

竜の巫女「わかったわかった。さて、そういうわけじゃが、何かわからんことがあるか?」

僧侶「いえ、その……」

竜の巫女「なければ話はこれで終わりとするぞ」

戦士「りゅ、竜の巫女!」

竜の巫女「騒々しいなあ。叫ばんでも聞こえとるわい」

戦士「そ、その……お前は後悔していないのか? そんな体になって、巫女として生きていかなきゃならなくなって……その、辛くないのか?」

竜の巫女「後悔なんてあるか。そも、私が巫女にならねば今のこの村そのものが無くなっていたんじゃ。今の端和に生きる者達が笑っておるだけで私は満たされておるよ」

戦士「そ、そうか……」

竜の巫女「お主等がこの村に来た目的など知らんがな」

 竜の巫女の眼差しが、真剣なものとなって二人を射抜く。

竜の巫女「お主等の目にどう映ろうと、今の私達は幸せなんじゃ。その幸せも、多くの犠牲の上にようやく掴んだものなんじゃ。頼むから、余計なことをして、今の端和の平和を乱すような真似だけはせんでくれ」

 戦士と僧侶が去った部屋で、村長がぽつりと呟いた。

村長「なあ……本当に後悔はしてないのか?」

竜の巫女「本当だよ」

 答える竜の巫女の声は、先ほどまでの老獪な響きを無くし、見た目の年相応の純朴さを孕んでいた。

村長「だけど、あの時俺がお前を守ってやれなかったばっかりに、お前はそんな風に特別になっちまって、普通の人間としての幸せを掴めなくなっちまった」

竜の巫女「そんなことないって。大体さ、いつまでも若いままでいられるなんて女の夢じゃん」

村長「はは……そうだな。俺ばっかりしわくちゃになっちまった」

竜の巫女「安心してよ。あんたがいなくなった後も、私がこの端和を守り続けてみせる。だからあんたも、ほら、笑って笑って! さっきの奴らにも言ったけど、あんた達が笑ってくれるのが、私の幸せなんだから!」

村長「……わかったよ。末永くこの村をお願いします。竜の巫女様」

竜の巫女「承ったよ。村長様」

村長「それじゃあな」

 別れの言葉の後に、村長はかつて竜の巫女がただの少女だった時の名を呼んだ。
 しかし竜の巫女は微笑むばかりで、それに返事を返すことはしなかった。






















 宿屋に集い、勇者一行はそれぞれが得た情報を交換する。
 重苦しい雰囲気の中、勇者は口を開いた。

勇者「西の山に棲む竜を殺す。この村の土地神信仰を終わらせるんだ」

 それは、並々ならぬ決意に満ちた声。
 しかし勇者の提案に歓声を上げたのは騎士ただ一人であった。



第二十章  ドラゴン・クエスト(中編)  終

今回はここまで

 部屋の中に重苦しい沈黙が落ちる。
 勇者の、『端和』の信仰の源である竜を討伐するという決定を受けてから、皆伏し目がちになって口をつぐんでしまった。
 我が意を得たりとにこやかに勇者を見ているのは騎士だけだ。

戦士「それは……私達の話をちゃんと踏まえた上でのこと、……なんだよな」

 戦士は勇者に顔を向けぬまま、躊躇いがちに口を開いた。

勇者「……そうだ」

戦士「つまり……端和の村は滅んでしまっても構わないと、そういうことか?」

 戦士の言葉に顔を顰めたのは騎士だ。
 騎士は「何言ってんだコイツ?」とでも言いたげな視線を戦士に送っている。

僧侶「私は……反対です」

 今度こそ騎士は「はあ?」と声に出して僧侶の方に顔を向けた。

僧侶「確かに、この端和で行われている生贄の風習は、とても残酷で……勇者様がお話を伺ってきた『鉄火』の家の方々のように、悲しみを生んでいることは事実です」

僧侶「……でも、それでこの村の安寧が保たれているのもまた、事実なんです。村に住む人々は生贄の風習を受け入れています。そこに、部外者である私達がとやかく言う資格があるのかと……私は、考えてしまうのです」

騎士「何言ってんだあんたら? じゃあ勇者がこのまま魔剣に喰い殺されてもいいってのかよ」

僧侶「そうは言っていません! しかし件の竜を討ち取ったとして勇者様の呪いが解ける保証はないではないですか! ……でも、端和は違う。端和の村は、心の拠り所である土地神を失えばきっと存続することは出来ないでしょう」

僧侶「ですから……結論を急がず、もっと別の手立てを模索する必要があると、私は思います」

戦士「……私も、概ね僧侶と同じ気持ちだ」

 僧侶と戦士の言葉を、勇者は目を閉じて黙って聞いていた。

騎士「はあ~、マジで何言ってんだか。信じらんね」

 呆れたように言葉を漏らす騎士には取り合わず、僧侶は武道家に目を向けた。

僧侶「武道家さんは……どうお考えですか?」

武道家「……俺は…」






第二十一章  ドラゴン・クエスト(後編)




 武道家は努めて冷静に状況について考える。
 武道家個人の感情としては、鉄火の娘・蓮華から生贄の悲劇を直接聞いただけあって、そんな風習など無くなってしまえと思っている。
 僧侶と戦士は、それでも犠牲を選択せざるを得なかった村の事情に大きく肩入れしている様子だ。
 やはり当事者から直接話を聞くというのは、相当に個人の意思決定に関与してくるのだろう。
 騎士はそもそも一度端和の民に謀られ、生贄として竜の元に放り込まれた身だ。端和など滅んでしまえと、そんな気持ちを持っていてもおかしくない。
 それ故、騎士はこれ程勇者の決定を歓迎しているのだと考えられる。
 では―――勇者は?
 勇者もまた、直接悲劇に触れたその感情に引っ張られて竜討伐の決定を下したのだろうか?
 或いは、自身を蝕む呪いに耐え兼ねて、そんな結論を下すしかなかったのだろうか?

 ―――どちらも違う、と武道家は断じる。
 勇者はあらゆる行動を決定する際、『自身の感情や事情を度外視して最善を希求する』傾向がある。
 そしてその最善とはあくまで周囲の状況を勘案しての最善であり、『勇者自身が享受する利益の最大化』はその目標には含まれない。
 ともすれば、それが最善と判断されれば自身を犠牲にすることすら厭わないのだ。
 今まで武道家は何度も勇者がそんな行動をとるところを目にしてきた。
 そんな勇者が竜の討伐を決意した。
 周囲の状況――つまりは端和の民にとっても、それが最善だと判断したのだ。
 ならば。

武道家「俺は……勇者の決定を支持する」

僧侶「……そうですか」

騎士「ちゅーかよ、どう考えたって勇者の呪いを解くためにはその怨念の向く先になってる竜をぶち殺すってのが必要だろ。それでクソみてえな村のクソみてえな風習がどうなろうが知ったこっちゃねーだろ」

武道家「騎士、お前は少し黙っていろ。……勇者、お前はいつだって俺達より一歩先まで物事を見通している。だから、教えてくれ……お前が何を考え、何を思い、その決断を下したのかを」

勇者「買い被りが過ぎるぜ、武道家。そんな大したもんじゃねえよ。ハードル上げんな」

 勇者はゆっくりと皆の顔を見回した。
 皆勇者を注視し、その言葉を待っている。

勇者「じゃあ俺の考えを話すよ。納得できないところがあったら遠慮なく指摘してくれ」

勇者「まず最初に言っておこう。この村で行われている生贄の慣習は―――悪だ」

 はっきりとそう断じた勇者に、戦士、僧侶、武道家の三人は面食らった。

僧侶「そ、そうでしょうか。生きるために必死であった彼らの行いを、そう言い切るのは些か酷では……」

勇者「生きる為ならば、無辜の民の命を犠牲にしても構わないと?」

僧侶「そ、れ…は…」

勇者「百歩譲って生贄が全て覚悟をもった端和の民で、犠牲も恩恵も端和の中で完結しているのなら、まだいい。だが実際は違う。端和の民は自分たちの発展のために余所から来た人たちを騙し、犠牲にし続けてきた」

勇者「これを悪と言わずに何という? しかもそんな風に余所者を犠牲にしておきながら、余所者は関係ない、口を出すな、ってのは余りにも虫が良すぎる。どのツラ下げてって感じだ、正直な」

 確かに―――それは、そうだろう。
 そこに関しては誰からも反論は出なかった。
 反論があったのは、もっと別の観点からだった。

戦士「では……勇者、お前は……端和の民は悪であるから、むしろ滅びるべきだと、そう言うのか?」

騎士「そらそうだろ」

 口を挟んできた騎士に戦士と僧侶は鋭い視線を向ける。

勇者「いや、そうじゃない」

四人「「「「!!!?」」」」

 勇者の言葉に皆、騎士ですら驚きの声を上げた。

勇者「俺は、端和の民もまた、被害者なんだと思ってる」

騎士「はあ?」

勇者「ちょっとその辺りを確認したいから、村長と村の古株の人何人かにもう一度話を聞きたいんだ。悪いけど武道家、遣いを頼まれてくれるか?」

 数刻後、宿屋の談話室には村長を含め、五人の端和の民が集められていた。
 勇者の指示で、宿屋周囲の人払いは済ませてある。
 宿屋の主人すら、金を握らせて退室させていた。
 つまり今からここで話される内容について知ることが出来るのは、勇者一行と村長たちのみということになる。
 警戒心を露わにする村長たちに、勇者はぺこりと頭を下げた。

勇者「まずはこのような場所に呼びつけた非礼をお詫びします」

村長「……あなた様はかの『伝説の勇者』の息子であると、遣いの御仁から伺った。故に召喚には応じた。まさか、そのような方が我らをだまし討ちなどはすまい? そんなことをすれば、『伝説の勇者』様の威光も地に落ちるというもの」

 『伝説の勇者』は倭の国を訪れたことはない。
 少なくとも勇者はそんな逸話は聞いたことがない。
 それでもこうして伝説は海を渡り、東海の島国にまで伝播している。
 父の影響力の大きさに改めて感嘆と呆れ混じりの溜息をついてから、勇者は口を開いた。

勇者「本来ならば私がそちらに出向くのが筋でありましょうが、どうしてもここで話を進めたい事情があり、皆様にこうして出向いていただいた次第であります」

村長「その事情とは?」

勇者「それは追々お分かりになっていただけると思います。まずは確認をさせていただきたいのですが、この中で端和の土地神信仰が始まった当初からこの村にいらっしゃった方はいますか?」

 勇者の問いを受け、村人たちはきょろきょろとお互いの顔を見回している。
 やがて戸惑いながらの様子ではあるが、何人かが手を挙げた。

勇者「村長を含めて三人か……うん、十分だろう。それだけいれば記憶の祖語も大分補正が効くはずだ。手をおろしてくださって結構です」

 勇者は村人たちの顔を見回して言った。

勇者「私が知りたいのは土地神によってこの端和がどのような恩恵を受けてきたのか、その詳細です。今、私は土地神が竜の巫女を通じての神託で端和を導いてきたのだと、それだけしか知りません。知りたいのはその『神託』の具体的な内容」

勇者「どのような状況下で土地神の神託は下され、またその神託によって端和はどのような利を得てきたのか……それを、当初から今日に至るまで、可能な限り事細かに教えていただきたい」

勇者「それでは始めましょう。武道家、悪いけど書記を頼む。話の内容を書き取ってくれ」

武道家「お、俺がか? 字にはまるっきり自信が無いんだが……」

僧侶「私が代わりましょうか?」

武道家「た、頼めるか? すまん」

騎士(何でもかんでもまず武道家に振るな、勇者の奴。まだまだ女連中にはグイグイいけないとみた)

勇者「では、村長。まずは信仰の始まりの時から。私は仲間たちから端和の作物に奇妙な病気が蔓延し、土地神の神託によりそれに対処する薬を得ることが出来たと、そう聞いていますが」

村長「おおよそ相違はない」

勇者「ありがとうございます。ではその次に神託が下された時の状況について教えてください」

村長「んむ……次は、何だったかな…?」

村の古株A「あれではなかったか? あの、あれ……雨が異常に少ない年があって…」

村長「おお、そうだ。少ない水でも何とかやりくり出来る仕組みを賜りなさったのであった」

勇者「ふむ…他には?」

村の古株B「逆に洪水が起きた時の対策をお教えくださった時もあった」

村長「作物だけでなく、人の流行病の特効薬の調合法を賜りなさったこともあったな」

村の古株C「どれもこれも人の身では到底考え付かぬ、まさに神の御業であったことよ」

村の古株D「他にもこんな神託もあったぞ?」

 村人たちは次々と神託の例を上げていく。

僧侶(……凄い。これ程わかりやすく益をもたらされているのならば、端和の民が土地神様に心酔するのも無理のない事だわ……)

 それらを黙々と書き連ねながら、僧侶はそんな風に思った。
 たっぷり一時間ほど、もはや土地神自慢と化した会合は続いた。
 僧侶が記入していた紙の余白がほとんどなくなり、新しい物を準備しようと僧侶が席を立とうとした時だった。

勇者「非常に興味深いお話を多々いただき、ありがとうございました」

 勇者が会合のまとめに入った。

勇者「最後に……土地神の存在を端和に伝えた旅人は、その後どうなったかご存知ですか?」

村長「彼はいつの間にか消えていた。十分な礼をしたかったのだが……旅人とはとかく気ままなものよ」

勇者「成程……うん、皆様のおかげで、私も自分の考えを取りまとめることが出来ました」

村長「考え?」

勇者「ええ…土地神の正体に関する、私なりの考察とでも申しましょうか」

 ざわ…、と俄かに場がざわつく。

村長「それはどういう意味かね?」

勇者「では土地神に対する私の見解を申し上げましょう」








勇者「端和の民が信奉する竜は―――ただの狡猾な蜥蜴だ。神などではない」



村長「馬鹿な!!」

村の古株A「何をぬかすか、余所者が!!」

村の古株B「無礼千万であるぞ!! 不届き者め!!」

 村長を始め、村人たちは皆声を荒げ立ち上がった。

勇者「落ち着いて。まずは冷静に私の話を聞いていただきたい」

村の古株C「馬鹿を言え!! 貴様のような輩の話などこれ以上聞いていられるか!! 我々は家に戻る!!」

 そう言って立ち上がり、出口に向かった村人の背を、突如猛烈な寒気が走った。
 思わず村人は振り返る。
 騎士が鋭い視線で村人を睨み付けていた。

騎士「オイ……黙って座ってろよ」

村の古株C「ヒ…!」

 その重圧に、村人は足を震わせて立ち尽くしてしまう。

勇者「やめろ、騎士。……失礼しました。ですが、彼の言う通り、どうか私の話をお聞きください。その後であれば、退出されて結構ですので」

村長「ふん……では言ってみるがいい。我らの神をそのように貶める根拠を」

勇者「……そうですね。まずは、『土地神の加護とやらの疑わしさ』が挙げられます」

村長「……どういう意味だ」

勇者「最初の飢饉の時、旅人はこう言ったそうですね。『土地神の加護を失ったことで、端和は悪い神の呪いを受けた』と」

村の古株A「そうだ。そして我らは土地神様に娘を捧げ、加護を取り戻したのだ」

村の古株B「その結果、我らは滅亡の危機を回避することが出来た」

勇者「そうですね。そして、それから端和は土地神を厚く信奉し、定期的な生贄を受け入れまでして土地神に尽くし続けた」

村長「その通りだ」

勇者「では何故、その後も流行病が村を襲ったりしたのでしょう。おかしくはないですか? 土地神の加護を取り戻したのであれば、その加護によって病魔は――悪い神の呪いとやらは、端和を侵せないはずでしょう?」

村長「そ、それは……」

勇者「ここに矛盾が生じている。これによって『端和が飢饉に陥ったのは土地神の加護を失ったから』という前提が崩れ、そもそもの『土地神の加護と土地の健常さ』の間の因果関係すら疑わしくなってくる」

村の古株C「し、しかし、実際に土地神様は我らを何度も救って……」

勇者「第二に、『奇跡の有無』です。『神』とはなにか。それは人の身では決して為し得ぬ『奇跡』を起こす超常の存在です。では端和の土地神はどうか。聞く限り、端和の土地神の神託とやらは全て後出しの対処療法ばかりです」

勇者「干ばつが起きたから貯水設備を整える。洪水が起きたから排水設備を整える。病にかかったから薬を準備する。……こんなもの、ただの人の営みだ。精々が『賢人の助言』程度だ。神託などと、形容するのもおこがましい」

勇者「雲なき空に雨を降らせたわけじゃない。洪水を飲み込んだわけでも、病を消し去ったわけでもない。……ただ、その場しのぎの打開策を授けただけだ」

勇者「竜の寿命は長い。数百年も人の営みを観察していれば、ある程度の知恵の蓄積があるでしょう。端和の竜は、生じた問題に対してその知恵を小出しにしていただけに過ぎない」

勇者「端和の竜は端和を守ってきたわけじゃない。ただ、餌の飼育箱として……端和を維持していただけだ」

 ―――村人は皆、押し黙ってしまった。
 頭の中では、必死に勇者の言葉を否定する材料を探しているのだろう。
 そうしなければ―――彼らの五十年の根幹が崩れてしまう。
 自らの所業を正当化することが出来なくなってしまう。

「……奇跡は、ある」

 絞り出すように言ったのは村長だった。

村長「竜の巫女様の存在だ! 彼女こそ、土地神様の奇跡の証!! いつまでも老いぬ彼女こそ神の加護の証明よ!!」

 村長の言葉に、村人は皆、そうだそうだと追随した。
 勇者は首を振った。

勇者「それを奇跡と認めるとして、たった一人の人間の老化を抑えるのが精一杯の竜を、あなた方は神と崇め奉りますか? ……無辜の民の命を捧げてまで」

村長「不老の加護を与えられるのが、一人と決まった訳では……」

勇者「やれるのであればやっているはずだ。その方が村民の信仰も確たるものとなる。こんな風に余所者の私に何を言われても揺らがないほどに」

村長「う、ぐ…」

 がくりと村長が項垂れる。
 しばらく、そのまま重い沈黙が続いた。

村長「………それで、」

 やがて村長が呻くように声を漏らした。

村長「そんなことを我々に話して……一体、何が目的なのだ」

勇者「端和には偽りの土地神信仰を脱却していただく。いや、しなければならない。何故ならこれより、我々が竜の討伐に向かうからだ」

村長「な…!? 何を馬鹿なッ!!?」

村の古株A「そ、そんなことをされては、この端和は!!」

勇者「滅びません。言ったはずです。竜がもたらす恩恵はただの知恵。無くとも、十分に営みを続けることは出来る」

村の古株B「簡単に言ってくれるな! 土地神様のお言葉は我らにとって無二の道標なのだ!! 余所者が、知ったふうに……!!」








勇者「ふざけたことを抜かすなッ!!!!」


 勇者はダンッ! とテーブルに拳を叩き付けた。



勇者「言っただろうが!! 竜の神託は人の知恵の延長線、そこに住む者の努力で何とでもなるものなんだ!! かけがえのない命を犠牲にしてまで得るもんじゃない!!」

村の古株C「しかし…しかし……!」

勇者「じゃあアンタ等、今のこのクソみたいな生贄制度をこれからも続けていくっていうのか!? 今の俺の話を聞いて、まだそんなことをほざけるっていうのか!?」

村長「う、うぐ……」

勇者「どうなんだッ!!!!」

 勇者の叱責を受け、がっくりと項垂れたまま村長は顔を両手で覆う。

村長「わかっている…わかっているんだ……でも、勇気が出ない。今更、誰の守護もなく自らの足のみで生きていくなど……怖くって仕方がない……」

勇者「……まあ、いいでしょう。いや、事が済むまではむしろあなた達はそのままのスタンスでいてもらった方がいい」

村長「え…?」

勇者「私達は押し留めようとするあなた達を無理やり振り払って竜の討伐に向かった。そういう事にしておきましょう。そうすれば万が一私達が竜に敗れた時も、この端和が報復の対象となる可能性は低い」

村の古株A(土地神様が勇者如きに打ち倒されることがあれば、確かにそれは偽神であることの証明)ヒソヒソ…

村の古株B(たとえ勇者が土地神様に敗れたとしても、この村に累は及ばぬ)ヒソヒソ…

村の古株C(どちらに転んでも損は無い、か……それなら、まあ…)ヒソヒソ…

 ガタン、と椅子から立ち上がる者があった。
 騎士だ。

騎士「……あらかた結論出たろ? 俺先に部屋に戻るわ」

 そう言って騎士はさっさと部屋に戻ってしまった。

勇者「準備が整い次第、私達は西の山に向かいます。村長たちも、どうか覚悟だけはしていただきますよう……」

 村長たちはよろよろと立ち上がると、宿の出口へと向かう。
 途中、村長が力なく勇者を振り返った。

村長「もし、勇者様が竜を打ち倒したとして……竜の巫女は、どうなりますでしょうか」

勇者「……西の大陸の南端に、竜神の血脈を継ぐアマゾネスという部族がありました。竜の血を引く彼女らもまた、老齢となっても若々しく、美しかった。おそらく、竜の巫女の不老も竜の血が関係しているのだと思います」

勇者「老いるのが遅くとも、不死ではないはず。役目から解き放たれれば、人としての幸せを掴むことも可能でしょう」

村長「……そうですか」

勇者「村長、この件はくれぐれも竜の巫女の耳に入らぬようお願いいたします」

村長「わかった……。そうか、だから……」

勇者「ええ。この話をあなたの家でするわけにはいかなかったのですよ、村長」

 勇者が自室で準備を進めていると、ドアをノックする音が聞こえた。
 勇者の許可を受け、入室してきたのは騎士だった。

勇者「なんだ? どした? 騎士」

騎士「いや、お前に言っときたいことがあってな」

勇者「なんだよ?」

騎士「……お前は、誰でも救おうとするんだな」

勇者「は?」

騎士「端和の連中のことだよ。竜が居なくなってもやっていけるようにケアしたり、自分が失敗した時の予防線まで張ってやったり……そこまで気ィ回してやるような連中かね?」

勇者「はは…そりゃ、お前からしたらふざけんなって感じだろうな。でもさ、俺はお前ほど端和の人々を憎み切れない。だって、彼らだって被害者だと思ってしまうんだ」

騎士「最初からそう言ってたな、お前。でも、どこがだよ? そりゃ竜は飴玉並べて奴らを惑わしたかもしれねえが、結局飴玉を取ることを決断したのは奴ら自身じゃねえか。自業自得だ」

勇者「そうだな。でも、飴玉を取らざるを得ない状況まで竜が演出したものだったとしたら、どうだ?」

騎士「……あん?」

勇者「騎士は怪しいと思わなかったか? 端和を訪れて、土地神について村人に教授していった旅人……何でお前そんなこと知ってんだよって、そうは思わなかったか?」

勇者「考えてもみろよ。土地神のことなんか、長くその土地に住み続けてきた端和の民すら誰一人知らなかったことなんだぜ? 何で流浪の人間がその土地に住む者よりその場所の事情に精通してんだよ。おかしいだろ」

騎士「おいおい、まさか……」

勇者「俺は、この旅人こそが竜だったんじゃないかって考えてる。竜は旅人に化けて、でっち上げの土地神信仰を端和に立ちあげたんだ。大恩ある旅人の行く末を村人が誰も知らないって異常性も、これなら納得できる」

騎士「まあ確かに。普通に考えりゃ、村の救世主たる旅人が人の目を盗んでコソコソ村を出ていく理由はねえからな」

勇者「そうなると、こんな仮説が立ち上がる。『もしや、初めに端和を襲った謎の作物病すら、竜が仕組んだことなのではないか』」

騎士「な…?」

勇者「そうじゃなければ、竜はたまたま飢饉にあえぐ端和の村を見つけて、たまたまその作物病についての知識を持ってて、たまたま西の山なんて近場にいい棲家もあったからここに居座ることにした、ってことになる。ちょっとこれは納得し辛いだろ」

勇者「さっきも皆の前で言ったが、西の山の竜は狡猾だ。自身のメッセンジャーとして竜の巫女を村に置き、生贄を村外から都合するよう誘導したり、反乱の芽を事前に摘み取ったり、奇跡の象徴として利用したり……その老獪さには舌を巻くほどだ」

勇者「そんな奴が行き当たりばったりで端和を手中に収めたと思えるか? 俺は思えない。最初から最後まで事態は竜の自作自演だった……そう考える方が、自然だ」

 勇者の言葉を聞いた騎士は、ぼりぼりと頭を掻いた。

騎士「確かに筋は通ってるように聞こえるが……所詮は推察だろ? 何の証拠もねえ」

勇者「そうだな」

騎士「仮にお前が言ってることが当たっていたとしても、それで奴らが犯してきた罪が帳消しになるか? ならねえだろ」

勇者「そうかもしれない。でも、咎人として断罪する気には、俺はなれない」

騎士「そうか……勇者、俺は竜の討伐には付き合わねえぜ」

勇者「えっ!?」

騎士「ホントはこれを言いに来たんだ。いやな、もしお前が、端和の奴らの事なんか知ったこっちゃねーって、俺の呪いを解くことが最優先じゃーってスタンスだったら、俺も手伝う気でいたよ」

騎士「でも、そうじゃない。あろうことか、お前は端和の奴らを救うために、むしろ自分の呪いの事なんておまけみたいな感じで行くつもりだ。ちょっとそれにゃついていけねえ。理解不能すぎて、モチベーションが全然上がらねえよ」

勇者「騎士……」

騎士「悪いな、勇者。でも、お前になら分かんだろ」







騎士「俺は、誰かに何かを押し付けて、それで平気な顔をしてる連中が大嫌いだ」




 ―――西の山、竜の棲家への道 <登山道>

武道家「勇者、調子はどうだ」

勇者「ん? ああ、今のところは何ともないよ。村を出てからは耳鳴りもやんだ」

武道家「安定期に入ったという事か。ならば、その間に決着をつけたいものだな」

戦士「それにしても騎士の奴は身勝手な奴だな。ここに来て急に協力せんと言い出すとは」

勇者「やー、ほら、元々騎士はこの竜の討伐に付き合う義理は無かったわけだからさ。むしろ端和まで案内してくれただけで御の字だと思わなきゃ。ね?」

戦士「ふん……まあ、奴の事など元々当てにはしていなかったが」

勇者(俺は正直当てにしまくってましたー!! やべーよ、騎士居なかったら負ける確率万が一どころか五分五分くらいになっちゃうかも!!)

戦士「………」ギロリ

勇者「な、なんすか? 戦士さん」

戦士「お前今なんか不愉快なこと考えてなかったか?」

勇者「いやいやそんな!! 滅相もありません!!」

戦士「なら、そんな情けない顔してないで、村長たちに啖呵を切った時のようにしゃんとしていろ」

僧侶「そうですよ! あの時の勇者様、カッコ良かったんですから!!」

勇者「え、そう? て、照れちゃうな。えふ、でゅふふ……」

戦士「言った傍から……」

武道家「締まらん奴だな」

僧侶「でも本当に、先ほどは感心してしまいました。私達の情報からあれだけ深く考察することが出来るなんて……私、改めて勇者様を尊敬してしまいました!!」

勇者(ウッヒョー!! 僧侶たんからの評価爆上げきたウッヒョー!!)

勇者「ウッヒョー!! あ、声出てもうた」

戦士「こいつは……」

武道家「つくづく締まらん男だ」

僧侶「うふふ…」

 ―――西の山、竜の棲家への道 <洞窟入口>

武道家「ここか? 一応、騎士が言っていた外観的特徴は一致するが」

僧侶「距離的にも多分ここで合ってますよね?」

戦士「どうする? 誰か様子見で入ってみるか?」

勇者「いや……ここだ。間違いない」

僧侶「…ッ!? 勇者様、顔色が……!!」

 勇者は奥歯を噛みしめ、必死で失いそうになる意識を繋ぎとめる。
 一際甲高く響く耳鳴りは耐え難いほど不愉快で、腰元の剣は細かに振動すらしているようだ。

勇者「ここに来てから、頭痛が酷い。まるで内側から脳みそを喰い破られてるみたいだ」

武道家「……急ぐぞ」

 武道家の言葉に皆頷く。
 勇者たちは熱気込み上げる洞窟の中へと足を踏み入れた。

 ―――洞窟、竜の棲家 <入口より100m地点>

 煌々と赤く照らされる洞窟の中を勇者たちは進む。
 道の端に所々に開いている大穴を覗き込めば、赤く熱された溶岩がねっとりと流れているのが見えた。

武道家「足元には十分気をつけろ。いくら俺達が精霊の加護を得ているとはいえ、マグマに落ちれば無事ではすまん」

僧侶「それにしても、凄い熱気……」

戦士「結構堪えるな、これは……」

勇者「……こんな所を好んで棲家にするあたり、端和の竜は炎竜の類なのかもしれないな。赤い鱗の竜だという話だし」

戦士「だとすれば、私の精霊剣・炎天の特殊能力は効果が薄いか……」

勇者「俺の火炎呪文もだな……そうするとどうしても肉弾戦になるな」

武道家「構わん。どれだけ鱗が固かろうともこの精霊甲・竜牙で貫いて見せるさ」

僧侶「私も精一杯サポートします!」

 ―――洞窟、竜の棲家 <石扉前>

武道家「ん? 行き止まりか?」

僧侶「いえ、この大きな岩で道を塞がれているだけみたいですね」

戦士「動くか? ん……持ち上げられそうだ。私が上げておくからその間に皆通ってしまってくれ」

 ふん、と気合の声を上げて戦士は大岩を肩の上まで一気に持ち上げた。
 全員が通過してから、戦士自身も岩を支える手のひらを滑らすように前進し、体が抜けると同時に岩から手を離した。
 再び岩は地面に落ちて、ズン、と鈍い音を立てる。

勇者「あー、これが多分あれだ、騎士が言ってた閉じ込め用の岩なんだ」

 勇者は頭痛をこらえるように額を指で押さえながら感想を漏らした。

武道家「確かにこれは普通の者ならぴくりとも動かすことは出来んだろうな」

勇者「男二十人がかりって言ってたもんね。今回戦士が一人で上げちゃったけど」

戦士「何だ、怪力女だとでも言いたいのか?」

勇者「頼りになるっつってんの」

戦士「ふん……」

僧侶「熱気、強くなってきましたね……」

武道家「赤竜とやらとの対面も、もう間もなくらしいな」

勇者「……そうだな。この剣も、そう言ってる」

 やがて、勇者たちは開けた空間に出た。
 壁に開いた無数の穴から漏れる赤い光が薄明るくその空洞を照らしている。
 その光に強調されるように、中央に何かがぽつんと置かれていた。
 その正体を確かめるべく、勇者たちがそれに歩み寄った瞬間――――

 ――ズシン、と大地が揺れた。

 勇者たちは振り返る。

「 ギ ャ ア ア ア ア ア ア ア ア ア オ ! ! ! ! ! ! 」

 耳をつんざく雄叫びがビリビリと空気を震わせた。
 人間など丸呑みできそうなほどに大きく開かれた口には、ぎっしりと鋭い牙が並んでいる。
 大地を掴む足は千年を生きる大樹を思わせる太さだ。
 全身を覆う鱗は燃え盛る火炎よりもなお赤い。
 ばさりと大きく広げられた翼が、その神秘性を殊更に強調しているようだった。

 この空洞への入口を塞ぐように、赤い鱗の竜がその威容を現した。

武道家「現れたな……」

戦士「いくぞ!!」

 皆が臨戦態勢に入る中、勇者はもう一度空洞の中央へ視線を向けた。
 置かれていた物の正体は祭壇だった。
 成程、今までここに送られてきた被害者は皆土地神への拝謁と案内されていたはずである。
 洞窟に閉じ込められて、訳も分からないまま取りあえず祈りを捧げようと、被害者がここまで歩み寄った時―――こうやって、竜が入口を塞ぐのだ。

 どこまでも狡猾で――――姑息。

 ぎり、と勇者は奥歯を噛みしめる。
 絶対に倒さねばならない。絶対に討たねばならない。
 いや、どうあれ殺さなくては。バラバラに引き裂いて、臓物をぶちまけてやらなくては。
 殺す。殺ソう。殺すンだ。

 コロシテ、バラバラニシテ、スリツブシテ―――ニクノヒトカケラモコノヨニノコサヌ

 戦士と武道家が駆け出す。
 戦士と武道家が先陣を切り、勇者と僧侶がサポートに回る、そのいつもの陣形を構築するために。
 しかしそんな二人を猛然と追い越していく影があった。
 勇者だ。

勇者「グルルオアアアアアアアアアアア!!!!!!!」

 口の端から涎をまき散らし、獣じみた雄叫びを上げて勇者は赤竜に突っ込んでいく。

戦士「勇者!?」

 戸惑いの声を上げる戦士。
 即座に気付いたのは武道家だ。

武道家「魔剣に乗っ取られたか!!」

 端和の刀鍛冶・鉄火の怨念が詰まった呪いの剣。
 狂剣・凶ツ喰。
 勇者は決して名を呼んでその剣を解放したわけではない。
 むしろ抑え込もうとずっと気を張っていた。
 しかし実際に竜を目にした一瞬、勇者自身もまた、竜に対して激しい怒りを感じてしまった。
 剣の持つ怨念に、共感してしまった。
 視界が赤く染まったことに気付いた時にはもう遅かった。
 剣の怨念と勇者の怒りは融けて混ざり合い、勇者はただ殺意に駆られるだけの獣と化した。

「 ゴ オ オ オ オ ! ! ! ! 」

 赤竜は立ち上がり、その右腕を勇者に向かって振り下ろしてきた。
 勇者は避けようともせず、ただ赤竜目掛けて加速する。
 掠めた爪が勇者の左肩から肉の塊を削いだ。
 勇者は意に介した様子もなく、地を蹴り宙を舞った。
 目指すは赤竜の心臓一点。
 突き出した剣はしかし竜の左腕に阻まれる。

勇者「うがああああああ!!!!」

 勇者はそのまま竜の腕にしがみつき、我武者羅に剣を竜の手に叩き付けた。
 固い鱗を剥がされ、切り裂かれた皮膚から紫色の血飛沫が舞う。

「 ギ ャ ア オ ! ! ! ! 」

 痛みが堪えたのか赤竜は思い切り左腕を払い、勇者の体を弾き飛ばした。
 中空に放り出された勇者に顔を向け、赤竜はかぱりと口を大きく開ける。
 次の瞬間、赤竜の口からは轟々と燃える火炎が吐き出された。
 勇者の姿が炎にまかれて見えなくなる。

戦士「勇者ッ!!」

武道家「こっちにも来るぞ!! 戦士、僧侶! 俺の傍に寄れ!!」

 赤竜が炎を吐きながらぐるりと顔を巡らせる。
 武道家の声に従い、戦士と僧侶は武道家の背後に控えた。
 横薙ぎに迫る火炎に、武道家は精霊甲・竜牙を装着した拳を突き出す。

武道家「吼えろ、竜牙!!」

 武道家を中心に爆発的な風が巻き起こった。
 戦士と僧侶は風圧に目を細め、吹き飛ばされないよう足を踏ん張る。
 炎は竜巻のような風に巻かれて四方に散り、武道家たちまで届かない。
 これが武道家の持つ精霊甲・竜牙の特殊能力。
 『咆哮』に類する言霊によって解放され、爆発的な風を巻き起こす。この風は使用者の意思によって任意に指向性を持たせることも可能だ。
 どさり、と音がした方を向けば、黒く焼け焦げた勇者の体が地面に横たわっているのが見えた。

武道家「僧侶、勇者の回復を! 戦士、俺と二人で竜の意識をこっちに向けるぞ!!」

僧侶「わかりました!」

戦士「承知!!」

「 ゴ ア ア ア ア ! ! ! ! 」

 駆ける戦士に向かって、勇者の時と同様に赤竜がその腕を振り下ろしてきた。

戦士「試すか…」

 そう呟き、戦士はその場に足を止め、十分に力を溜める。

戦士「はぁッ!!!!」

 振り下ろされてきた竜の手のひらに、思い切り剣をぶち当てた。
 巨大な質量に押し込まれ、戦士の足が地面にめり込む。
 耐えきった。戦士は潰されることなく、その剣で竜の手を受け止めきった。
 精霊剣・炎天の刃は竜の手のひらに食い込んでいた。紫色の血が刃を伝って戦士の手を濡らす。

戦士「流石に両断は出来んか……しかし、敵の重さは分かった。絶対に避けねばならんという程でもない」

 戦士に攻撃が集中した間に武道家が赤竜の間近まで迫っていた。

武道家「その顔面、叩きやすい位置まで下ろしてもらうぞ」

 武道家は赤竜がその体重を支える右足に拳を叩き込んだ。
 赤竜はその足も固い鱗に守られているが、精霊甲・竜牙により増幅された衝撃は厚い鱗を貫通し、その内部を揺らす。
 骨と肉が軋み、赤竜は苦悶の叫びを上げた。
 嫌がるように赤竜はその足を蹴り上げ、その尾を振り回した。

武道家「ぬぐッ!!」

 竜の目前まで接近していた武道家は流石に避けきれず、尾の直撃を受けて吹き飛ばされた。
 暴れまわる尾を潜り抜けて竜に接近しようとしていた戦士に、上から炎が降りかかる。
 熱のダメージもさることながら、視界が封じられてしまうのが厄介だ。
 竜が口を開いて待ち構えている可能性もある。戦士は迂闊に飛び込むのは控え、一度後退した。
 戦士、武道家と竜の距離が再び開く。
 回復が必要だ。二人は勇者の元に向かった僧侶に目を向ける。

僧侶「勇者様!! ま、まだ駄目です!!」

 僧侶は悲鳴を上げていた。その視線の先では立ち上がった勇者が今にも駆け出さんとしている。
 僧侶の言葉通り、勇者の傷は到底全快したと言える状態ではなかった。
 しかしおかまいなしに勇者は赤竜へ突進していく。

僧侶「勇者様!!」

武道家「やむを得ん!! 僧侶! こっちの回復を優先してくれ!!」

 赤竜が炎を吐く。
 勇者の体が炎に巻かれる。
 戦士が後退を選んだ局面。勇者は止まらずに前進する。
 待ち構えていたとばかりに地面を舐めるように振り上げられた爪が勇者の体を縦に切り裂いた。
 右脇腹から右肩まで、内臓がこぼれ肋骨が露出してもおかしくない深さの裂傷。
 しかし魔剣の効果か、切り開かれた肉はぐじゅぐじゅと異常な速度で修復されていく。

勇者「ガッ!!」

 突進し、斬りつける。
 突進し、斬りつける。
 何度爪に肉を抉られようと、尾に叩き潰されようと止まらない。
 走って斬る。走って斬る。
 その愚直なまでの繰り返しで勇者は確実に赤竜にダメージを蓄積させていく。
 その身を染めるのは、最早自身の赤い血だけではない。

僧侶「すごい……このまま倒せるかも……」

武道家「……いや、駄目だ。動きが単調すぎる。このままではいずれ致命的な一撃を食らうぞ。いくら魔剣の回復があろうとも、流石に不死身という訳ではないはずだ」

戦士「しかし今の勇者は私達の動きに頓着しない。下手に近づけば勇者の攻撃に巻き込まれるから、援護も難しい」

武道家「まずいぞ…どうする……?」

 直後、武道家の悪い予感は的中した。
 もう何度目になるかわからない突進を勇者が行ったとき、遂に赤竜はその大きく開いた口でもって勇者を迎え撃った。
 がぶり、と躊躇なく閉じられる顎。
 勇者の体が鋭い牙に貫かれた。

僧侶「いや…」

 僧侶は目を見開き、口元を抑えた。

戦士「勇者……」

 戦士は思わずその手から剣を取りこぼしそうになった。

武道家「勇者ぁぁぁああああああ!!!!」

 武道家は悲鳴のように勇者の名を呼ぶことしか出来なかった。

 ぴくり、とそれに反応するように勇者の手が動いた。
 生きている。閉じられた牙に遮られて下半身の状態は見えないが、どうやらまだ息はあるようだ。
 かぱり、と竜が再びその口を大きく開いた。

武道家「……咀嚼する気かあの野郎ッ!!!!」

戦士「……ッ!!」

 最悪の未来を予感し、武道家と戦士が駆け出す。
 しかし間に合わない。どう足掻こうとも、赤竜が再び口を閉じる方が早かった。
 がじん、と音を立て、竜の口が閉じ―――

 ――――られなかった。

 勇者がその手に持つ剣をつっかえ棒のようにして、牙を受け止めていた。

勇者「ごぼ……いい加減に……」

 勇者は口から血の塊を吐き、大きく息を吸った。

勇者「いい加減に、しやがれぇぇぇぇえええええええええ!!!!!!」

 絶叫し、勇者は死力を振り絞って赤竜の牙から脱出する。
 そして、その剣を竜の右目に突き刺した。

「 ギ ャ オ オ オ オ オ オ オ オ オ ! ! ! ! ! 」

 勇者を叩き潰そうと竜の手が迫る。

勇者「『呪文・―――――大烈風』!!!!」

 勇者はその手から発生させた魔力を竜の顔面に叩き付けた。
 その反動でもって勇者は高く宙を舞い、竜の腕を躱しつつ距離を取る。
 両足から地面に降り立った勇者だったが、すぐに力を失い崩れ落ちた。

僧侶「勇者様ッ!!」

 即座に僧侶は勇者に駆け寄り、治癒を施さんとする。
 傷の具合を確認した僧侶の顔が歪んだ。
 腹の方から背中まで、完全に大きな穴が貫通している。
 勇者が意識を保っているだけでも奇跡的だった。

勇者「くそ……いい加減に、しやがれ……!!」

 脂汗を浮かべながら、勇者は歯を食いしばっている。
 僧侶は、てっきり傷の痛みに耐えているのかと思ったが、違った。
 勇者の視線は己の持つ狂剣・凶ツ喰に向けられていた。
 その剣がガタガタと震えている。
 恐らくそれは、勇者の痙攣によるものだけではない。

勇者「下手くそなんだよ、お前ら…! いいから俺に任せてろ…!! 俺が必ずあの竜をぶっ殺してやるから……!!」

 その言葉が果たして誰に向けてのものだったのか、僧侶にはわからない。
 勇者は腹の傷よりもむしろ頭痛の方が耐え難い様子で、ずっと左手で額を抑えていた。
 やがて―――剣の振動が止んだ。

武道家「勇者、正気に戻ったのか!?」

勇者「何とか…な」

武道家「しかし、どうやって?」

勇者「今回は俺が剣を解放したわけじゃなくて、無理やり乗っ取られた形だったからな。侵食が浅くて、意識は残ってたんだ。ずっと抵抗してたんだけど、やっと体の自由を取り戻せた」

戦士「傷の具合は?」

僧侶「相当に深手です。回復には時間がかかります」

 ズシン、と地面が揺れた。
 赤竜が、憤怒の表情でもってこちらへ一歩踏み出している。
 戦士と武道家が倒れる勇者を庇うように前に躍り出た。

戦士「ならばそれまでの間、私達がお前達を守ろう」

武道家「安心して治療に専念しろ。お前らには指一本触れさせん」

 赤竜の口から火炎が吐かれた。
 それを合図に二人は動き出す。
 戦士は右に飛んで火炎を躱し、赤竜に向かって駆ける。

武道家「吼えろ、竜牙!」

 武道家は竜牙を用いて再び風の楯を発生させ、迫る炎を遮断する。
 戦士は直線的にではなく、大きく弧を描くように徐々に竜に接近していく。
 赤竜の左目は勇者によって潰された。
 赤竜が火炎を武道家たちの方にぶつけ続ける限り、向かって右側から近づく戦士の姿は赤竜の死角に入っているはずだ。
 赤竜は当然それを嫌い、戦士の方に顔を向ける。
 炎が戦士を追いかけてきた。
 戦士には武道家の様に炎を遮断する術がない。故に、炎を躱し続ける必要がある。
 今の様に多少距離をあけていれば赤竜の口から戦士まで炎が届くのにタイムラグが生まれるので、躱し続けるのはそれ程困難なことではない。
 問題は、どうやって戦士の剣が届く位置まで距離を詰めるか、だ。距離を詰めるほど炎を躱すのは難しくなる。
 しかしその点は問題なかった。
 何故なら近づくのは戦士の仕事ではなかったからだ。
 戦士が赤竜の気を引いている間に、武道家が十分な距離まで詰め寄っていた。
 武道家は既に赤竜の足元の位置。狙うは先ほどと同じ右足。

武道家「ふんッ!!!!」

 武道家の全身全霊の一撃が叩き込まれる。
 骨が砕ける音がした。
 それこそ、大木がへし折られるような音が。

「 ギ エ エ ェ ェ ェ ェ ァ ァ ア ア ア ! ! ! ! ! ! 」

 悲鳴のような鳴き声と共に、赤竜の体が傾ぐ。
 武道家は拳を構える。
 倒れこんできた顔面に一撃を食らわせてやるつもりだった。

武道家「なに…?」

 武道家は驚愕の声を上げた。
 赤竜の右足は完全に破壊されている。
 その足では巨大な体を支えることは不可能なはずだ。
 なのに赤竜の体は倒れてこない。
 ―――尾だ。
 赤竜は、尾を地面に押さえつけ、そちらに体重を預けることで垂直の姿勢を保っていた。
 武道家を見下ろす赤竜の喉に炎がともる。
 この距離では躱せない。
 竜牙の発動も到底間に合わない。
 僧侶が勇者の治療に専念している今、大きなダメージを負うのはまずい。戦線復帰の目処が立たない。
 戦士一人で三人を庇いながら戦うのは無理だ。
 どうする―――?

 目まぐるしく頭を回転させていた武道家だったが、直後に視界に映った光景に、頭の中は真っ白になった。
 それは、遠くからその光景を眺めていた戦士も同様で。
 最初から最後までその光景を見送っていた僧侶などは、放心状態で開いた口が塞がらない有様だった。


 勇者が、空高く宙を舞っていた。

 狂剣・凶ツ喰の刃を下に向け、赤竜の頭部に向かって落下を始めていた。


勇者「初見は流石に、結構そこそこ、でかい奴だと思ったけどよ」

 勇者は体内で魔力を紡ぐ。それは風を発生させる呪文。

勇者「――――やっぱ、竜神様と比べりゃまだまだだな。お前、『神』を名乗るにはちっさすぎんぜ」

 対象は、自分。

勇者「『呪文・大烈風』!!!!」

 風のハンマーを己の背中に叩きつけて、勇者は落下速度を加速させる。
 巨大な一本の矢となった勇者の剣が、赤竜の額を貫いた。

勇者「づおおおぉぉぉらあああああああああ!!!!」

 勇者はそこから全身全霊で剣を横に振り払い、赤竜の脳を真一文字に切り裂く。

「 ギ ャ ア ア ァ ァ ァ―――――――――――……………………」

 一際高く長く響く断末魔の叫び。
 絶命した竜の体が崩れ落ち、洞窟を大きく揺らした。

僧侶「もう…!! 勇者様ったら、もう……!!」

 僧侶は涙を浮かべながら勇者の治療を再開していた。

僧侶「まだ全然傷が塞がってないのに、動いたりして……!! それも、自分の体に風の呪文を二回も当てるなんて……下手したら死んじゃってたんですよ!?」

勇者「いやあ、ごめん……とりあえず動けるようにはなったからさ。武道家が竜の意識を足元に集中させてくれてて、チャンスだと思って……」

 赤竜への不意打ちを思いついた勇者は、治療もそこそこに行動に移った。
 風の呪文を自身に当てることで推進力を得て、竜を見下ろす高さまで飛び上がることに成功したのである。

武道家「……正直、助けられたのは確かだが……お前はもう少し、戦い方を考えろ。本当に、命がいくつあっても足りんぞ」

勇者「今回が特別だよ、マジで。言われんでもこんな痛ぇの二度とやりたくないわ」

戦士「……剣の呪いはどうだ?」

 戦士が神妙な顔つきで勇者に問う。

勇者「ん~……今のところ、呪いが解けたって実感はないな。とりあえず鉄火の娘さんに預けてみて、様子見んべ」

僧侶「端和は、これからどうなるでしょうか」

勇者「わかんね。もしかしたら、これから何らかの危機に陥った時、『神託』の無い端和の民は右往左往してしまうかもしれない」

勇者「だけど、本当はそれが正しい人の営みなんだ。神の助言なんかじゃなく、人間同士で話し合って、協力して、答えを導いていく……そりゃ、今より苦労することは多くなるだろうけど、犠牲の上に成り立つ偽りの豊かさに依存していくよりは……きっと、ずっと良い」

武道家「そうだな。それに、戦ってみて分かった。この竜は、神なんかじゃない。竜の神を名乗っていたあの『竜神』に比べて、何というか、神々しさの欠片もなかった」

勇者「あ、やっぱりお前もそう思った? だよな~。戦い方も獣とそんな変わらなかったし、吠えてばっかで知性の欠片も感じなかったし……」

勇者「……あれ?」

 ふと、勇者の頭に疑念が生じた。

勇者(そういや、本当に一言も喋らなかったな。神様気取りのご高説を垂れたり、命乞いのひとつでもしてくるもんだと想定してたけど……)

勇者(いくらなんでも、知性のある竜が死に際まで一言もこっちに何も言ってこないなんてことがあんのかな……ああ、もしかしたら、竜自体は言語機能を持ってなくて、意思を表明するのに竜の巫女っていうツールが必要になるってことなのかも)

 ぞくり、と勇者の背筋が震えた。

勇者(いや、待てよ。待て待て。最初に端和に来た旅人ってのが竜の化けた姿だって仮定したのは俺だろうがよ。それに、そうだ。騎士は言ってた、確かに言ってたぞ。端和の竜と喋ったって)

勇者(喋るんだ。端和の竜は喋るんだよ。え、じゃあなんでこいつは……)

 勇者はちらりと横たわる赤竜の亡骸に目を向けた。
 その瞬間、ついさっきの自分の言葉を思い出して、息が止まった。

 ――――やっぱ、竜神様と比べりゃまだまだだな。お前、『神』を名乗るにはちっさすぎんぜ


 小さい。

 神を名乗るには小さすぎる。

 小さい――――幼い?



 ――――――こども?



勇者「 う あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ ! ! ! ! ! ! 」

 勇者は絶叫した。
 びくりと肩を震わせて、三人はきょとんと勇者を見る。

戦士「な、なんだ? どうした、勇者」

勇者「どうして…!! どうして気付かなかった…!! そこに至るまでの材料はいくらでもあったじゃないか…!!」

僧侶「勇者様、余り興奮しては傷に障ります!」

勇者「端和に戻るんだ!! 今すぐに!!」

武道家「なに? 何故だ?」


 竜に反応するこの剣が、洞窟の奥に進むたび反応を強めた。それは分かる。
 ならば何故、最初に端和の村に着いた時までこの剣はあれだけの反応を示した?


 村長は言った。いつまでも若いままでいる竜の巫女こそが奇跡の証明だと。
 そうだ、その通りだ。
 アマゾネスに紐つけて、奇跡を否定したつもりでいたけれど、本当に一歳たりとも年を取っていないというのならば、それは間違いなく奇跡の産物だ。
 だが、端和の竜は神ではない。つまり奇跡は起こせない。
 なぜあの時、そう断定してしまわなかった―――!
 奇跡じゃないんだ。つまり、理由があるんだ。
 人間が五十年も年を取らないままでいるなんて不可能だ。

 そんなことは、例えば、いつまでも幼い少女の姿をとっていた竜神のように、竜、そのものでもない限り――――――





勇者「端和には――――――竜が二匹いるッ!!!!」




 端和の村、村長の屋敷。
 竜の巫女にあてがわれた広間にて。

竜の巫女「……死んだ」

 茫然と、目を見開いたまま、竜の巫女は呟いた。
 その言葉を聞いて、びくりと村長は肩を震わせる。

村長「死んだ、とは……どういう意味でございましょう……」

竜の巫女「言うた通りじゃ。死んだ、死んでしもうた! ああ何という事じゃ!! ああ、何という事じゃあ!!」

 竜の巫女の様子から、村長は勇者たちが竜の討伐を成し遂げたことを確信した。
 取り乱す竜の巫女を落ち着かせるように、村長は竜の巫女の肩を抱く。

村長「なあ、『○○○○』」

 村長は竜の巫女の、かつてただの少女であった頃の名を呼んだ。
 その声音は村の長としてのそれではなく、共に時間を過ごした少年としての名残を持っていた。

村長「実は今、勇者様が西の竜の討伐に向かっていたんだ。お前が竜の死を感じ取ったというのなら、きっと勇者様は討伐に成功なされたのだろう」

竜の巫女「なん……じゃと……?」

村長「だから、お前はもう、竜の巫女なんて役目から解放されて、普通の女の子として……がッ!!?」

 竜の巫女は村長の体を突き飛ばした。
 その膂力に、村長の体は部屋を仕切る襖を突き破るまでに吹き飛んでしまう。

村長「な、が…? なんだ、この力は……」

 当然、村長の知る少女にこんな怪力は無い。
 吹き飛んだ村長を追って竜の巫女はつかつかと歩む。
 村長を見下ろすその視線は尋常でなく冷たい。

竜の巫女「貴様、今何と言った? 何のつもりでそれを容認したぁ!!」

村長「は、ぐ、勇者様に言われたんだ。端和の竜は神なんかじゃないって。端和の民を利用して餌としての人間を都合してるだけのずる賢い竜だって……」

竜の巫女「貴様はそれで踊らされたのか。これまで受けてきた恩も忘れて!! ええ!?」

村長「勇者様の言葉で、やっぱり俺達は間違っているって、そう思ったんだ。竜の助けを得て俺達は今まで生活してきたけど、その為にお前の人生や、何も知らない人々の命を犠牲にするのは、間違ってるって……」

竜の巫女「ちっぽけな人間風情がしょうもない感傷に流されおって!! ああ、何ということじゃ!! 貴様らのような愚鈍な連中に、『私の息子が殺されてしまうなんて』!!」

村長「私の、息子…?」

 竜の巫女の言葉をうまく飲み込めず、村長はただその言葉を呆然と繰り返した。

竜の巫女「おお、おお…! 許せぬ。貴様ら、ただで死ねると思うな。生きたまま五臓六腑を引きずり出し、この世のものとは思えぬ苦悶を与えきってから殺してやる。一人も逃がさぬ。端和の民は皆殺しじゃ!!」

 竜の巫女の体が膨れ上がる。巨大な質量が屋敷内に突如出現する。
 障子を突き破り天井を破壊し床板を踏み抜いてなおその巨大化は留まるところを知らない。

村長「は、はあ…はわわ……!」

 村長は進行する事態に一切理解が追いつかないまま、とにかく潰されぬよう必死で屋敷から抜け出した。




「 ゴ ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ! ! ! ! ! ! ! ! 」

 世界を震わす大音声。
 村長の屋敷を粉々に破壊し、端和の村に巨大な竜が降臨した。
 赤い、紅い、人の血のように赤黒い鱗。
 村のどこに居てもはっきりと姿を確認できるその巨大さは、ああ、確かに―――――

 ――――神と呼ばれるだけの威容を誇っていたかもしれない。




「りゅ、竜だ!!」

「竜だあああああああああ!!!!」

「な、なんで竜が!? どうして!?」

 端和の村に突如出現した竜の姿に、村の中は阿鼻叫喚となった。
 混乱し、右往左往する人の群れの中で、一人じっと佇む少女がいた。

蓮華「あれが……竜……。兄上を食い殺した……竜……」

 『鉄火』の娘、蓮華。
 少女は静かに、事の成り行きを見守り続ける。


村長「は、わ……馬鹿な……竜…? 竜だと…? 竜が、アイツに化けてたっていうのか? それじゃあ、本物のアイツは、アイツは一体……」

 真の姿を現した紅い鱗の竜からすればちっぽけに過ぎる村長の呟きを、竜はしっかりと聞きとっていた。
 竜の耳は良い。
 それこそ、西の山で上がった子の断末魔の絶叫を聞き取れるほどに。

紅竜「戯けめ。そんなもの、最初に山に来た時点で食ろうてやったに決まっておろうが」

村長「そんな、そんな……! 今までずっと、俺を、俺達を騙してきたのか…!?」

紅竜「その通りじゃ。馴れ馴れしく話しかけてくる貴様に付き合うてやるのも辟易したわい」

村長「死んでた…? もう、とっくにアイツは死んでたのか…?」

 村長はその場から逃げ出すのも忘れ、蹲って頭を抱えた。

村長「あ、ああ……あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

紅竜「童のように泣きじゃくりおって、見苦しい。良い、まずは貴様からじゃ。この私に盾突いたことを骨の髄まで後悔して死んでゆけ」

 紅い鱗の竜―――紅竜はその巨大な足を上げ、村長に向かって振り下ろした。
 それはまるで人が害虫を踏み潰すが如き気安さだった。
 ズン、と大地が揺れた。

 ―――しかし村長は死んでいなかった。

 振り下ろされた竜の足を、その巨大に過ぎる質量を、事も無げに受け止めた男がいた。

騎士「やれやれ……まったく性に合わねえなあ、こういうのは」

 それは、勇者の方針に反発して村に残っていた――――騎士だった。

 数分前、竜が村に出現した直後、混沌とする村の中央広場にて―――――

村人A「お終いだ!! 端和の村は今日で全滅するんだぁ!!」

村人B「誰か……誰でもいい、誰か何とかしてくれえ!!」

騎士「よお、あんたら。それと、ここに居る連中。全員聞け」

 混乱の中にあって、騎士の声は不思議と良く響いた。
 俄かに静寂を取り戻した民衆の視線が騎士に集中する。

村人A「な、なんだ? 誰だ、あんた」

村娘A「あ、あなたは…!!」

騎士「知ってる奴もいるようだが、俺ぁこの前あんたらに騙されて西の山に放り込まれたモンだ。この村には縁も所縁もない、むしろ恨み辛みしかねえような俺だが、そんな俺があの竜を何とかしてやるって言ったらどうする?」

 騎士の言葉に村人たちは皆大きく目を開いた。

村娘B「た、助けてくれるんですか!?」

騎士「お前らがこんな得体の知れない野郎に命を預けられるってんなら、な」

村人B「願ってもない話だ!!」

村娘A「お願いします!! 私達の命を助けてください!!」

 村人たちに躊躇はない。
 繰り返される懇願の言葉に、騎士は笑った。

騎士「オッケー、承ったぜ。アンタ等、今の台詞忘れんなよ」

村長「お、お主は……な、何故…?」

騎士「ま、ちょっと気が向いてな。柄にもねえ慈善活動ってやつだ。一応あんたにも聞いとくぜ。あんた、俺がこの竜を何とかしてやるっつったら、任せるか? 自分が生贄として扱ったような男に、自分の命を託せるか?」

村長「……なんて厚顔無恥なことを言うのかと、自覚している。だが、もしお主が、いや、あなたがこの竜を成敗してくれるというのなら……私の無念を晴らしてくれるというのなら……」

村長「この老いぼれの命など……いくらでも預けましょう!!」

騎士「二言はねえな? オッケー、あんたの命も確かに俺が預かった。じゃあさっさと逃げな。このままここに居たら巻き添え食らうぜ」

村長「わ、わかった。頼んだぞ!!」

紅竜「……?」

 紅竜は怪訝な顔をして自らの足元に視線を向けた。
 何故、村長が自身の足元から無事に駆け出している?
 そういえば、何かが地面と足の間につっかえている。
 その正体も掴めぬまま、紅竜は取りあえず踏み込む足に力を込めた。

騎士「おい、うぜえよ。くせえ足の裏近づけんな」

 左腕で巨竜の体重を支えていた騎士が、空いた右腕で巨竜の足の裏を殴りつけた。
 巨竜の体が、浮く。

紅竜「な…に……?」

 突然の衝撃にバランスを崩した竜の体が横転した。
 大地を叩く巨大な質量に押され、爆発的な空気の流れが生じる。
 その風圧の中にあって、騎士は泰然と、涼しげに立っていた。

紅竜「ぬ…ぐ…!」

 紅竜は大地に横たわっていた体を起こす。
 足元に立つ騎士の姿を視界に収め、ようやく紅竜は己の敵を認識した。

紅竜「ガァッ!!!!」

 紅竜がその巨大な腕を振り下ろす。
 右腕の一撃。騎士は一歩後ろに飛ぶだけでそれを躱す。
 紅竜は続けざまに左腕を横薙ぎに振るった。騎士はその場を動かず、背中を後ろに曲げてブリッジの体勢でそれをやり過ごした。
 鼻先を掠める竜の腕を、騎士は鼻歌まじりで見送る。

紅竜「ゴアアアアア!!!!」

 紅竜は明らかに苛立ち混じりにその腕を振り回した。
 我武者羅としか形容できない稚拙さだがしかしその勢いは苛烈。
 その巨体にそぐわぬ俊敏さで振るわれた鋭い爪が騎士を襲う。
 騎士がその手を精霊剣・湖月にかけた。
 今度は躱さない。足を止めた騎士が湖月を抜く。
 青く輝く刃を迫る紅竜の腕にぶつける。

 受け止めるために―――?

 否。

 一閃――――――両断された紅竜の右腕が宙を舞った。

紅竜「ガ…?」

 紅竜は呆然と宙を舞う己の腕を見送る。
 回転しながら飛ぶ紅い腕は、その切断面から紫の血をまき散らしながら地面に落ちた。

紅竜「ア…ガアアアアア!!!?」

 紅竜は戦慄する。
 心中に生じた恐れを否定するように、紅竜は大口を開け、その牙を騎士の体に突き立てんと首を伸ばした。

騎士「おいおい、不用意すぎるだろ。なんだ、早々にギロチン希望か?」

 嘲笑うような騎士の声。
 騎士はあっさりと竜の牙を躱し、その伸び切った首にトン、と手刀を押し当てた。
 慌てて竜は首を戻す。目の前に飄々と立つ騎士と視線が交錯する。

紅竜「くそ……何故じゃ! 何故貴様が私を狙う!! 貴様が私を狙う理由なぞ無いはずじゃろうが!!」

 たまらず紅竜は騎士に問う。
 紅竜の言葉を受けて、騎士は目を丸くした。

騎士「あれ? お前ひょっとしてあの時洞窟に居た奴? あれ? じゃあ今洞窟に居る奴ってなんなの?」

紅竜「………」

騎士「オイ、テメエに聞いてんだよ」

紅竜「ぐ……こ、子供だ。あの洞窟には私の子供が居たのだ」

騎士「子供…? あ~、成程ね。そういうこと……あの洞窟は本来お前が子供を育てるための餌箱だったってことか。……クハッ、オイオイ、お前子供のご飯つまみ食いしてんじゃねえよ。悪いお母さんだな。いや、お父さんか? まあどっちでもいいけど」

騎士「……その様子だとその子供、勇者たちに殺されちまったらしいな」

紅竜「そうだ!! だから、私は愚かな村の者共に我が子が味わった苦しみを百倍にして味わわせてやるのだ!! だのに、何故貴様が邪魔をする!? 貴様にとってこの村の事などどうでも良いはずではないか!!」

騎士「そうだな。俺にとっちゃ本当にどうでもいいよ、こんな村。本来ならお好きにどうぞって、むしろ応援しちゃうくらいだ」

紅竜「ならば…!!」

騎士「だけどお前がこの村を滅ぼしてしまったら、きっと勇者が壊れてしまう。それは駄目だ。あいつには、何としても魔王の所まで辿りついてもらわなくっちゃならない」

紅竜「ぐ…く…!」

騎士「運が悪かったな。あのお人好しがこの村に来たりしなかったら、皆そこそこ楽しく生きていけてただろうに」

 精霊剣・湖月をその手に持ったままの騎士が、一歩前に踏み出した。
 びくりと紅竜の体が震える。
 剣の切っ先をこちらに向ける騎士のその雰囲気が、逃がすつもりはないと雄弁に物語っていた。

紅竜「………グガアアアアアアアアアア!!!!!!」

 もはや涙混じりに紅竜はその牙を騎士に向けた。
 騎士は剣を振りかぶり、ぼそりと言った。

騎士「……ほんと、ご愁傷さまって感じだ」





勇者「これは……一体……?」

騎士「よう、遅かったな。勇者」

 端和に急いで戻った勇者たちの目に飛び込んできたもの。
 それは、紫色の血の池に横たわる、四肢を無くした竜の巫女の姿だった。



竜の巫女「う、うう……うああ……」

 紫色の血に濡れて、四肢を根元から無くし芋虫のようになった竜の巫女が嗚咽を漏らす。
 その光景の凄惨さは、駆けつけた勇者一行が思わず目を背けてしまうほどだった。

勇者「騎士……一体何があったんだ?」

騎士「慌ててここまで戻ってきたところをみると、お前ももうわかってんだろ? こいつの正体は竜だった。子供を殺された恨みで端和を滅ぼそうとしてな、俺がそれを止めた」

騎士「その辺に池みてえに溜まってる紫色のは全部そいつの血だぜ。さっきまで竜の姿してたんだけどな。羽まで全部斬り飛ばしてやったら人の姿に戻りやがった。まあ、戻るっていうか、竜の姿の方が素なんだけど」

 つまり、わざわざまた人の姿に化けたのだ。
 その理由など、ひとつしかあるまい。
 果たして、竜の巫女は嗚咽まじりに言葉を発し始めた。

竜の巫女「おお……何卒、何卒慈悲を……私が死ねば、私の一族は途絶えてしまう。これからは決して人は喰いませぬ。人里に近づきもしませぬ。だから、どうか、命だけは、命だけはお助けくださいぃ…!!」

 年端のいかぬ少女が、手足をもがれた状態で悲痛な叫びを上げるその光景は、見る者の心を確かに打った。
 僧侶も、戦士も、武道家すら、直視できずに目をそらしている。
 勇者もまた、沈痛な面持ちで竜の巫女を見据えていた。

勇者「お前がいなくなれば、お前の一族……多分、炎竜なんだろうけど、その一族が滅びてしまうと……お前はそう言うんだな?」

竜の巫女「そうです、そうなのです。それだけは、それだけは、嫌なのです。何卒、何卒…!」

勇者「でもそれは、裏を返せばお前を生かすと人に仇なす竜の一族が存続するということになる」

 竜の巫女から表情が消えた。
 武道家たちは一気に自分たちの体が冷たくなるのを自覚した。

竜の巫女「ああ!! 決して、決して人は襲いませぬ!! くれぐれも、くれぐれも後の子に言って聞かせまする!! どうか、どうか!!」

勇者「……そうだな。もしかしたら本当に、お前は心を入れ替えてどこか山奥でひっそりと暮らし続けるのかもしれない」








勇者「だけど、万が一のことを考えたら――――やっぱり、お前を見逃すわけにはいかないよ」





竜の巫女「ひ、ひああ!!!! うあああああ!!!!!!」

 半狂乱になって竜の巫女は身をよじる。
 だが、無駄だった。無益だった。勇者との間の距離は一向に変わらない。
 やがて竜の巫女の変化が解けた。
 竜の正体を現して、だけど四肢がない状況は変わらなくて、どうしようもなくて、紅竜はひたすら獣の如く雄叫びを上げている。
 竜の姿に戻っても、その瞳からは次から次へと涙が零れ落ちていた。
 勇者が、騎士も含め四人の仲間たちの方に振り返る。
 その顔には、何とも形容しがたい、寂しげな笑みが浮かんでいた。

勇者「……みんな。これから先は、見ないでくれないか?」

 勇者の言わんとするところを、全員が察した。
 全員が口を固く引き結び、その場を後にする。
 騎士が振り返って、言った。

騎士「……なんつーか、しんどいな。お前」

勇者「いいよ。慣れてる」

騎士「大概にしといた方がいいぜ。自分の気持ちを殺すのはさ」

 勇者はその言葉には答えなかった。
 反論するのは、心の中だけに留めておいた。

勇者(いいじゃんか。何が悪い)


 人の命と自分の気持ち―――――殺すなら、断然後者だろう?


 勇者は狂剣・凶ツ喰をその手に持った。
 首を振り、その力だけで体を引き摺って、少しでも勇者から距離を取ろうとする紅竜にその刃を向ける。
 そして、言った。


勇者「喰らい尽くせ――――『凶ツ喰(マガツバミ)』」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 








 ――――その後の事は描写すまい。

 ただ紫色の血の池がなお広がって――――紅い鱗混じりの挽肉がそこら中に散らばっていたと、それだけ伝えておこう。

 結論から言えば、勇者は魔剣の呪いから解放された。
 『倭の国』から大陸に渡る船の中にあって、勇者の周りにあの剣の姿はない。
 代わりに、勇者の腰には新たな剣が携えられていた。
 名を真打・夜桜(しんうち・よざくら)という。
 鉄火の娘より託された、父の―――あの魔剣の源となった父の、生前の最高傑作だ。
 神秘の結晶である精霊剣には及ばないものの、その切れ味と剛健さによる武器威力は、当代の人類が創造しうる最高峰の物となっている。名の由来は黒い刀身に乱れ散る刃紋が夜に舞い散る桜の花びらを想起させることからだ。
 既に魔剣としての力を失ったあの剣は、今は『鉄火志士丸』の墓に収められている。

「父の体で出来てるようなものですから、遺骨の代わりにちょうどいいですよ」

 そう言って屈託なく笑った鉄火の娘・蓮華のことを勇者は思い出す。
 家族を全て失った彼女は、これから旅に出ると言っていた。
 旅に出ていたもう一人の兄の死が確定した以上、辛い思い出のある端和に留まる意味はないと。
 彼女はこれから先、幸せになれるだろうか。
 幸せになってほしい、と切に願う。
 少し高い波が当たって、船が揺れた。
 勇者は慌てて柵を掴み、バランスを取る。
 揺れが落ち着いたころ、勇者は振り返って甲板の様子を眺めた。
 武道家も、僧侶も、戦士も、思い思いに船旅を満喫しているようだ。

 ―――そこに、騎士の姿は無かった。

「俺はもうちょいこの国を回って楽しんでいくよ。お前らと違って、急ぐ旅でもねえし。ちょっとやりたいこともあるし」

 そう言って、騎士は『倭の国』に残った。

「勇者、しばらくしたら俺は魔王城に一番近い国、『武の国』に活動の拠点を移す。魔王城に乗り込むときは必ずそこに寄れ。……お前が行く時に、俺も一緒に行く」

 最後に、そう言い残して。

勇者(認められた、ってことなのかな。やっと)

 自然と顔が綻ぶ。
 武道家がいる。戦士がいる。僧侶がいる。そして遂に、あの騎士も仲間になることを確約してくれた。
 たとえ魔王が相手だとしても負けることは無いと、そう思える自分がいる。
 当初の予定とは大違いに大真面目に続けることになってしまったこの旅も、何とか終わりが見えてきた気がした。

勇者(取りあえずまた珍しいジャポン酒買ったし、もう一度エルフ少女を訪ねてみよう。何とか口説き落とせば、ほいほい僧侶ちゃん用の精霊装備盗ってきてくれるかもしれないし)

 高揚する気分が楽観的思考を加速させる。
 そういえば自分達用にもいくつか酒を都合していたことを思い出し、勇者は三人に声をかけた。

勇者「みんな! 飲もう飲もう!! 今回の祝勝とこれからの旅の無事を祈念して宴じゃーーー!!!!」

 殊更陽気に飛び跳ねる勇者に、武道家、戦士、僧侶の三人はやれやれと肩を竦めた。
 しかし、勇者の提案に異を唱える者は誰もいなかった。






 当然、勇者たちは知らない。



 『倭の国』から大陸までの七日の船旅。




 そのたった七日の間に、『端和』が滅びてしまったことを。






第二十一章  ドラゴン・クエスト(後編)  完



 そして―――――高台からエルフの集落を眼下に収め、歓喜の声を上げる者が居た。

「ようやく―――ようやく見つけたぞ、エルフ共!!!!」

 響く声音は圧倒的な威圧感をもって大気を震わせる。
 流暢に人語を語るその魔物の身の丈は三メートルを優に超し、その巨大な体躯を黄金色の毛皮が覆っている。
 ともすれば美しさすら感じるその姿は、その魔物の名に実に相応しい威容を誇っていた。

 魔物の名は『獣王』。

 魔王の側近として名高い獣の王が、エルフの集落に終末をもたらさんと迫る。







第二十二章  決戦





今回はここまで

獣王「ある程度の力量を持たねば侵入することすら能わぬ結界とはな……いくら斥候を放っても発見できぬはずよ。流石は小賢しき虫共、身を隠すことには長けておる」

 感心しきりに顎を撫でる黄金の獣は、直後にその顔に獰猛な笑みを浮かべる。

獣王「しかしこうして我自身がその住処を直接目にした以上、エルフは今日をもって絶滅する」

 獣王の背後には二十余りの魔物が控えていた。
 大軍勢とはとても言えぬ数。しかし、そこにいるのは誰もがエルフの結界を突破した一騎当千の強者だ。
 エルフを絶滅させるための戦力としては十分。
 いや、そも―――獣王ただ一人であったとて、果たして彼を止められる者がエルフ一族の中に居るのだろうか。
 背後に控える部下たちを一瞥し、前を向き直った獣王はその腕を前方に伸ばす。
 その手が指し示す先は、当然エルフの集落だ。

獣王「では―――者共ッ!! 蹂躙せよッ!!!!」

 獣王の咆哮に、雄叫びが連続する。
 地を蹴り、破壊の群れがエルフの集落へ猛進する。
 集落の入口には剣や槍で武装したエルフの戦士たちが陣取っていた。

エルフA「止まれ魔王の手下ども!! ここより先には一歩も―――」

獣王「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

 獣王の右腕の一振り。
 その一撃は、咄嗟に受け止めようとしたエルフの剣を粉々に粉砕し、その上半身を吹き飛ばした。
 もぎ取られたその肉体は回転しながら近くの木に衝突し、びぢゃりと湿った音を立てる。

エルフB「う……」

 その光景を終始見届けたエルフの口から、思わず声が漏れた。
 獣が迫る。
 黄金の毛皮は既に血の赤が混じったまだら模様。
 愉悦と歓喜に口元を歪ませ、獣王は再びその腕を振りかぶる。

エルフB「うわあああああああああああ!!!!!!」

 びぢゃり、と再びの水音。
 獣王の宣言通りだ。

 まさしく―――蹂躙が、始まる。

エルフ長老「女、子供は集落の奥へ隠れよ!! 術に長けた者は防御結界の構築を急げ!!」

 恐慌状態に陥ったエルフの集落内部で、エルフの長は必死に指示を飛ばす。
 そこに、年若いエルフが駆け寄ってきた。
 見た目の年齢は、勇者の知己であるエルフ少女に比べてもまだ若い。

エルフ少年「長老!! 俺は戦うぜ!!」

 その若いエルフの少年は、長老にそう宣言した。

エルフ長老「ならん!! お主はまだ子供だ! 大人しく下がっておれ!!」

エルフ少年「子ども扱いすんじゃねえよ! この村に俺より強い大人が何人いるってんだ!!」

エルフ長老「それでもだ! いや、それ故に! お主は先に逃げた者達を守れ! エルフの種の存続はお主等にかかっているのだ!!」

 長老の言葉にエルフの少年は歯噛みする。

エルフ少年「もう負ける気満々かよ…!! 冗談じゃねえ!! 俺があんな奴ら追い返してやる!!」

エルフ長老「よさんか!!」

 長老の制止を振り切って、エルフの少年は駆け出した。
 しかし、直後にその足は歩みを止める。
 長老と少年が立つのはエルフ集落内の中央広場。
 そこに、激震と共に黄金の獣が現れたのだ。

エルフ長老「ば、馬鹿な……もうここまで……は、早過ぎる……」

 エルフの長老はただただ唖然とし、止めどなく顔を伝う汗を拭う事すら忘れている。
 エルフの少年は、想像以上の敵の強大さに震える足を押さえ、剣を構えた。
 少年の持つ剣が震え、かちゃかちゃと音を立てる。
 それは武者震いでは断じて無い。

エルフ少年「はぁ…! はぁ…!」

エルフ長老「逃げよ!! 逃げるのだ!!」

 やっとの思いで声を振り絞るエルフの長老。

獣王「逃がしはせんよ」

 しかし獣の王はその希望をあっさりと否定する。

獣王「我等に仇なす虫共……貴様らは一匹とて逃がさん」

 その宣言通り、獣王はエルフ少年に襲い掛かった。

エルフ少年「うああああああああああああああああ!!!!」

 エルフ少年は無我夢中で獣王の一撃に己の剣を合わせる。
 凄まじい衝撃がエルフ少年を襲った。
 堪えきれず、エルフ少年は吹き飛ばされ、盛大に地面を転がる。
 たっぷり二十メートルは転がってから、エルフ少年は何とか体勢を立て直した。
 正直、ここで追撃がくれば少年は終わっていただろう。
 しかし獣王は、自らの掌を見遣ってから、驚いたように目を丸くしてエルフ少年を見ていた。

獣王「今の一撃を凌ぐか。ふむ。存外、エルフにもそれなりの強者がいるらしい」

 獣王はその口を笑みの形に歪ませ、エルフ少年に言う。

獣王「貴様に敬意を表そう。我が名は獣王。小僧、名乗るがいい」

エルフ少年「……『エルフ少年』、だ」

獣王「では『エルフ少年』、尋常に勝負と参ろうか。戦時の高揚こそ我が無上の喜び。どうか、我を楽しませてくれよ?」

 獣王が大地を蹴った。それだけで地面が爆砕した。
 それ程の脚力。爆発的な推進力を得て、獣王の巨体がエルフ少年に迫る。

エルフ少年(速っ……)

 反応できない。殺される。
 エルフ少年はそう思った。
 獣王の速度はエルフ少年を『駆除すべき虫』としか見ていなかったさっきまでとは一段階違っていた。
 一瞬でエルフ少年と獣王の間の距離が詰まる―――――その刹那。
 その二人の間に割り込んでくる影があった。
 すなわち、獣王の突進と同等の速度で突っ込んできたその人物は、両足を揃えて獣王の頬を蹴りこんだ。
 所謂ドロップ・キックだ。

獣王「ぬぐッ!?」

 驚くべきことに、その一撃で獣王の巨体が吹っ飛んだ。
 ボッ、と風を裂く音と共に凄まじい速度で吹き飛ばされた獣王だったが、まさしく猫科の獣を思わせるしなやかさで即座に体勢を立て直し、両手両足で地面を掴む。
 何事かと顔を巡らせる獣王の視線の先。
 軽やかな着地音を立て、割り込んできた人物が地面に降り立った。
 ポニーテールで纏められた金髪がさらりと流れる。
 動きやすさを追求した薄手のジャケット、太ももが大きく露出したショートパンツ。
 非常に均整の取れたプロポーション。
 無類の酒好き。人を忌避せぬエルフの異端者。

エルフ少女「派手に暴れてくれたね、獣王サマ。私の名前も聞いとくかい?」

 勇者の友―――エルフ少女がそこに居た。

エルフ長老「エ、エルフ少女!! 何故戻ってきた!!」

 エルフ少年の窮地を救ったエルフ少女の登場に、しかしエルフ長老は声を荒げた。

エルフ長老「お前には宝術【ホウジュツ】の発動を命じていたはず!!」

エルフ少女「宝術の発動を待ってたら皆殺されちゃいそうだったからね。守りたい者を失ってから術を発動したって何の意味もない。少なくとも、そこに居る虎顔のおじさんだけでも何とかしなくちゃ、さ」

エルフ少年「ね、姉ちゃん……」

エルフ少女「弟、動ける?」

エルフ少年「な、何とか」

エルフ少女「ならここはいいから入口の方の援護に向かって。みんな頑張って他の魔物を食い止めてる」

エルフ少年「わ、わかった!!」

 エルフ少年は頷くと、駆け出して広場を出て行った。
 獣王はその動きには一瞥もくれず、じっとエルフ少女を見つめたままだ。

エルフ少女「良かったのかい? 行かせちゃっても」

 てっきり止めに入ると思って獣王の動きを警戒していたエルフ少女は拍子抜けしたように獣王に声をかけた。

獣王「あの小僧が加わったところで戦況は動かぬ」

 獣王は笑った。口の隙間から鋭い牙がギラリと覗く。

獣王「それよりも我の興味は今は貴様にのみある。我が名は既に知っているな? 名乗れよ、小娘」

エルフ少女「それじゃ、僭越ながら」

 エルフ少女は両腰に下げていた鞘から二本の短刀を抜いた。
 クルクル、クルクルとそれぞれの短刀がエルフ少女の手の甲を、手のひらを、手首を滑り回る。
 やがて両手のひらに収まった短刀を構え、エルフ少女は口を開いた。

エルフ少女「エルフ族で一番の術士であり、かつ最強の戦士。言うなれば、エルフ族の切り札―――『エルフ少女』だよ。よろしくね」

 名乗りを終えて、獣王とエルフ少女の距離が一気に詰まる。
 獣王は右腕を振りかぶり、エルフ少女はその身を深く沈み込ませる。

獣王「ならば貴様が死んだ時こそがエルフ族の終焉というわけだ」

 獣王がその腕を振り下ろす。
 爪が皮膚を掠めただけで脳髄ごと持っていかれそうな一撃。

エルフ少女「まったくもってその通り。でも、だけど―――」

 エルフ少女は深く曲げていた膝をグン、と伸ばした。
 猛然と迫る獣王の右腕に、エルフ少女は自分から突っ込んでいく。
 獣王の右腕と飛び上がったエルフ少女の体が交差した。

獣王「ぐおおッ!?」

 すれ違いざまに斬りつけたのだろう。獣王の右腕に実に六ケ所もの裂傷が生じ、血が噴出した。
 獣王の眼前で何本かの金色の髪が風に流されていく。
 獣王の爪が捉えたのは、エルフ少女のポニーテールに纏められた髪のみであった。

エルフ少女「―――だからこそ、私は手強いよ? いつまでそんな風に楽しんでられるかな、獣王サマ」

 挑発的なエルフ少女の物言いに、しかし獣王は口を大きく開けて笑った。

獣王「素晴らしい、素晴らしいぞ!! これ程の高揚感はついぞ無かった!! エルフ少女よ、貴様はいつまで我を楽しませてくれる!?」

 呵呵大笑。
 腹の底から楽しくて仕方がないと、声を上げて獣王は笑う。

獣王「そぉらあッ!!!!」

 その顔に笑みを残したまま、獣王は再びエルフ少女に向かって突進した。

 衝突、衝突、衝突。
 両者ともにその速度は常識の枠外。
 振るわれる刃が、爪が、牙が、竜巻のように周囲の全てを薙ぎ倒していく。

エルフ少女「ひとつ、気になることがあるんだけど」

 そんな中でエルフ少女は言葉を発する。

獣王「何だ? よい、申してみよ」

 同じ速度を生きる二人のみが互いの言葉を知覚する。
 一合斬り結び、離れ、再度衝突する。

エルフ少女「あなた達はこれまでエルフの集落とは見当違いの方角を捜索していたはず。何故今日になって突然ここまで辿りつくことが出来たの?」

獣王「やり方を変えたのだ。これまでは虱潰しに森を部下に捜索させるだけであった。しかしどうもそれではうまくない。森の中全てを捜索し終えても発見の報は届かぬ。焦れた我は違う方法を取ることとした」

エルフ少女「どんな方法を?」

獣王「元よりこうするべきであったよ。エルフの集落の場所が分からぬのなら、知っている者に聞くのが一番だ。だから我はある時からエルフの集落を探すことを止め、エルフそのものが森に現れるのを待つことにした」

エルフ少女「……ッ!?」

獣王「エルフとて飯を食う。狩りにしろ、採集にしろ、いずれ必ずエルフは森に姿を現すと我は踏んだ。そして徒に森を騒がさず、息を殺してその時を待った」

獣王「そして……その時は来た」

エルフ少女「ッ!?」

 動揺したエルフ少女の動きが乱れた。
 それまで完璧に躱し続けてきた爪が右肩を掠め、衣服と共に皮膚が一部抉り取られていく。

エルフ少女「ぐっ…!!」

 エルフ少女は右手のひらを一瞬開き、小指から順に短刀の柄を握りしめていく。
 幸い、右腕の機能には何の支障も現れていない。傷はそこまで深くなかったようだ。
 興が乗ったのか、獣王は追撃してくることなく話の続きを始めた。

獣王「つがいか兄妹かは知らぬが二人の男女を我は捕らえた。そして聞いたのだ。貴様らの棲家はどこだ、とな」

エルフ少女「……でも、それでその人達がエルフの村の場所を漏らすわけがない。エルフは絶対に仲間の事を売ったりはしないんだ」

獣王「そうだな。そ奴らも最初はそんな事をのたまっておったよ。だから、食ろうてやったのだ。まずは特にうるさかった男の方から、生きたまま、手足の先からバリバリとな」

エルフ少女「な…!?」

獣王「最初は右腕よ。指先から徐々に徐々に噛み砕いて咀嚼し、飲み込んだ。傷口から零れる血をこの舌で舐めとった。ほれ、この通り我が舌はちょいとざらついておってな。傷口を舐めるたびに彼奴め、泡を吹いて無様に泣き叫んでおったわ」

 わなわなと、エルフ少女の肩が震えだした。

獣王「両腕を喰いきったあたりから命乞いを始めたがな。構わず右足、左足と食べ進めた。だるまとなってからは虚ろな目で涎を垂らすだけになりおったわ。そこで我は彼奴の後頭部を齧り取った。ちょうど人間が林檎を齧るようにな」

獣王「だがまだ終わりではない。実はその男、その時点ではまだ生きていた。そうなるように齧り取った。そして空いた穴からこの舌を差し込んで脳味噌を啜り取ったのよ。その途中でようやく男は絶命した。脳味噌に舌を差し込んでからは事切れるまでずっと「あ、あ、あ~」と滑稽なうわ言を漏らしておったわ」

獣王「そこで我は片割れの女に目を向けた。だらしなく失禁し、正気を保っているかも疑わしい顔つきで女は緩慢に首を横に振っていた。我はこれ見よがしに舌なめずりをし、女にこう問うたのだ」

獣王「『貴様らの棲家を教えれば、一瞬で殺してやろう』」

獣王「結果は言うまでもあるまい。我らがこうしてここに居ることが答えよ」

エルフ少女「アンタって人は……」

獣王「ちなみにこれは人間どもに着想を得た。活き造りだ、踊り食いだと彼奴等、生き物を介錯せずに食す文化に長けておる。中々どうして外道なことよ。許せぬよなあ」

エルフ少女「アンタって人はぁぁぁぁあああああッッ!!!!!!」

獣王「怒ったか。その怒りが刃を鈍らせねば良いがな。エルフ少女」

エルフ長老(こ、これ程か……!?)

 エルフ長老は、目の前で繰り広げられている光景にただただ唖然としていた。
 長老自身もそれなりに腕の立つ術者である。戦う術がないわけではない。
 だが、それでも、彼に今できることは案山子のようにただそこに突っ立っていることだけだった。

エルフ少女「ああああああああああああ!!!!!!」

獣王「ハッハァーーーッ!!!!」

 裂帛の気合いが込められた叫びが聞こえる。
 次いで、連続する衝突音。
 既にそれはエルフ長老の目では追いきれない領域の戦い。
 常に流れ続け、一定の形を残さぬ二人の残像。

エルフ長老(まさかエルフ少女がこれ程までの力を身に着けておったとは……)

 エルフ長老が驚いていたのはそこだった。
 獣王が桁外れの化け物であることは、これまでの経緯から容易に想像がつく。
 エルフ少女は、そんな化け物と互角にやり合っている。
 少なくとも、エルフ長老の目にはそう見える。

エルフ長老(これ程の力……通常、エルフという種族がたどり着ける領域のものではない)

 もはや突然変異とすら言ってしまっても良いくらいだった。
 思えば、エルフ少女は幼少期から変わった子だった。
 興味を示す物の範囲が異常に広く、また、その追求にあらゆる労を惜しまず、ためらいもしない。
 言ってしまえば、好奇心旺盛にも程がある、というか。
 好奇心の化け物。
 だから、そんな彼女は失われたエルフの秘術に興味を示して復活させたりもしたし、戦闘技術についても常に新しいことを、自らの限界を追求し続けた。
 人間の文化に興味を持っていることも知っている。里を下りて人間の酒を嗜んでいることも小耳に挟んだ。
 それ故か。その結果か。
 エルフの枠組みに収まらぬ、彼女のような突出した存在が誕生したのは。

 そんなエルフ長老の、エルフ少女に対する推察はまあ概ね合っている。
 エルフ少女という存在が形成された所以は、大方エルフ長老が想像した通りだ。
 ただ一点、明確にどうしようもなく違えている点がある。

 それは、エルフ少女が獣王と互角にやり合えている、という点だ。
 しかしそれはエルフ長老が二人の戦闘を視認できない以上、誤認しても無理なきことではあるのだが。

 それは既に七十度目の激突。
 獣王の爪を、牙を掻い潜り、エルフ少女は短刀を振るい獣王の毛皮を裂く。
 意に介さぬ様子で口を大きく開き、再びエルフ少女に向かって牙をむく獣王。
 エルフ少女は咄嗟に地面に手をつき、逆立ちの要領で獣王の顎を蹴り上げた。
 その衝撃で、獣王の体が浮きあがり、一瞬大地から離れる。

エルフ少女「『精霊術・爆破』!!」

 その隙を突いて、エルフ少女はエルフ特有の呪文、精霊術をもって強烈な爆発を獣王の腹にぶち当てた。
 宙に浮いた状態では当然踏ん張ることは出来ず、その衝撃に押されるまま獣王は吹き飛んでいく。

エルフ少女「手応え――――」

 エルフ少女は笑った。
 後方に吹き飛ぶ獣王の足先が地面に触れる。
 その瞬間、獣王の足の指先がずぐん、と地面に埋まり、その体がぴたりと制止した。

エルフ少女「―――なし」

 エルフ少女の浮かべた笑みには、諦観が多分に含まれていたに違いない。

エルフ少女「まいったなあ……もう何回斬りつけて、何回魔法当てたと思ってんのさ」

 エルフ少女の視線の先では、獣王が埃を払うように腹を手で叩いていた。
 何度も何度も斬りつけた。何度も何度も魔法を直撃させた。
 傷は出来ている。傷は出来ているのだ。
 だが獣王はそれを全く意に介する様子がない。
 エルフ少女が刻んだ傷は、既に全て出血が止まっている。
 ―――ダメージが通っているのか、不安になる。

獣王「どうしたエルフ少女よ。動きが鈍ってきているように思えるぞ?」

 はあはあと荒く息をつくエルフ少女は、目の周りの汗を手で拭った。

エルフ少女「そういうアンタは、まだまだ元気ピンピンって感じだね」

獣王「ふむ、体力には自信がある故な」

 獣王はまた呵々と笑う。
 現在二人の間に現れている差は、単純な体力差というよりは、消耗差と言った方が相応しい。
 エルフ少女の方が体力の消耗が激しいのだ。
 その原因は、偏に獣王の攻撃の異常な威力にある。
 直撃すれば一発で致命傷になりかねぬ故、エルフ少女は獣王の攻撃を防御することすら許されず、常に躱し続けなければならない。
 だから、エルフ少女は一刻も緩めることなく常に全力全開で動き続けることを強いられ続けた。
 単純な運動量として、エルフ少女は獣王の実に三倍以上は動いているだろう。
 エルフ少女に残された体力は、実際のところ多くは無い。
 しかし節約は許されない。一瞬でも緩めれば、たちまち獣王の一撃がエルフ少女の体を二つに裂くだろう。
 とにかく、エルフ少女はこのまま全力で動き続けるしかない。

エルフ少女「……でも、それじゃジリ貧だよねえ…」

 獣王が突っ込んできた。
 作戦を練る余裕もない。
 しくじれば即座に死に繋がる綱渡り。
 獣王の嵐のような連撃を、エルフ少女は全力で躱し続ける。

 そして遂にその時は訪れた。
 エルフ少女の膝ががくりと落ちる。
 所謂、『膝が笑う』という奴だ。
 体力の限界。蓄積された疲労がエルフ少女の体から自由を奪う。

獣王「賞賛しよう」

 その爪を振り下ろす刹那、獣王はそんな風に口にした。

獣王「我とこれほどまでに戦える者などそうは居らん。あの世で同胞たちに誇るがいい」

 エルフ少女は何とかその窮地を脱しようと足に力を込めるが、駄目だった。
 多分、筋繊維がもうズタボロなのだ。精神論では何ともならない、物理的な限界。
 体勢を立て直すどころか、その場に尻餅をついてしまう始末。

エルフ少女(あーあ…)

 自身に迫る獣王の爪が、殊更ゆっくりに見える。

エルフ少女(こんなことになるんだったら、取っておいた秘蔵のジャポン酒飲み切っておけばよかったなあ……)

 そんな事を考えながら、エルフ少女は目を閉じた。
 そして。


「うえいあおぇあああああああああああああああああああ!!!!!!」


 何とも無様な悲鳴がその場に響いた。
 エルフ少女のものではない。当然獣王のものでもない。
 エルフ少女はぱちくりと目を開けた。
 獣王が背後を振り返っている。
 その視線を追ったその先に、直前の悲鳴の主がいた。

 大上段に剣を振りかぶって、マントを揺らし、その目に涙を溜めながら獣王に飛びかかっている黒髪の少年。

 ああ――――とエルフ少女は目を細める。
 そして彼女は実に愛おしげに彼の名を呼んだ。


エルフ少女「――――勇者!!」

勇者「うわおぇああああああああああああああ!!!!」

 振り下ろされた勇者の一撃を獣王は左の手のひらで受け止める。
 ずぶり、とその刃が肉を裂いて手のひらに沈んだ。

獣王「む、ぐ……なんだ!? 何者だ貴様ァ!!」

 そのまま剣を握りしめ、肉体を粉々にしてやろうと右腕を振りかぶった瞬間、獣王はもう一人自身に迫りくる人物がいることに気が付いた。
 黒髪の男を追って視線が上を向いたその死角を縫うように、地を這うように迫って来ていた女。
 その女は刃渡り二メートルに及ぼうかという大剣を振りかぶっている。
 ぞわり、と獣の本能が獣王に危機を告げた。
 あの剣の直撃を受けるのはまずい。

獣王「ちぃッ!!」

 獣王は勇者への追撃を諦め、その剣から手を離すと身を躱すべく算段をつける。
 せめてエルフ少女だけにはとどめを刺そうと獣王は背後に目を向けた。
 しかし、そこに尻餅をついていたはずのエルフ少女の姿は既に跡形もなく消えている。

獣王「なにッ!? ……ええいッ!!」

 予想外の驚愕が獣王の動きを遅らせた。
 大きくその場を飛び離れた獣王だったがしかし、女の―――戦士の振るった『精霊剣・炎天(セイレイケン・エンテン)』は獣王の脇腹を深く裂いていた。

獣王「ぐおお…!! ぐ、ぬ…!!」

 痛みに顔を顰めながらも、獣王は改めて状況を俯瞰する。
 自身に攻撃を仕掛けてきた黒髪の男、大剣の女―――そこから少し離れた所にもう一人、煌めく手甲を纏った男、そしてエルフ少女、エルフ少女に向かって手をかざす女。
 あれ程疲労困憊だったエルフ少女が何ともないように立ち上がった。であれば、あのもう一人の女は恐らく『僧侶』。

獣王「人間…? 人間が、何故ここに、エルフの村に現れる? 貴様ら、一体何者だ!!」

 怒気混じりの獣王の声が大気を揺らす。
 びりびりと頬にその振動を感じながら、勇者はその口の端を歪に持ち上げた。

勇者「は、はは……ど、どうやら、俺達のことは覚えてないみたいね」

武道家「ならば今度こそ奴の脳裏に俺達のことを刻み込んでやろう」

戦士「というより、奴はここで仕留める。あの敗北の屈辱をここで晴らしてやる」

僧侶「私達はあれからずっとずっと強くなりました……勝てます。今度こそ!」

勇者「う、うぅ…み、みんなやる気満々だなぁ……」

勇者(ああ……怖えなあ。怖いよう。手足が震えてまともに力が入らねえよう)

勇者(うう、アイツを見てるだけであの時の光景が目の前に甦ってくる。うっぷ。は、吐きそうだ……)

勇者「でも、やるしかねえんだよなぁ……」

 勇者は思わず零れ落ちそうになっていた涙を拭った。
 大きく息を吸って、吐く。
 それでも、手足の震えは全く収まってはくれなかった。
 でも。



勇者「やるしか―――――――ねえんだよなぁッ!!!!」






第二十二章  決戦(前編)  完

今回はここまで

 『倭の国』での竜退治を終えた勇者一行は、道中得たジャポン酒を手土産にエルフ少女を訪ねる為、『第六の町』より西に広がる大森林に再び足を踏み入れていた。
 今度は迷いない足取りでエルフ少女が狩りの際に使用している休憩小屋を目指していた勇者だったが、森の深部に入るにつれ、次第に違和感と得体の知れない胸騒ぎを覚えていた。

武道家「ふッ!!」

 武道家は体を回転させ、両肘に付けられたスピアで左右の狼型魔物を同時に断つ。

戦士「はァッ!!!!」

 戦士の振り回す肉厚の刃は、その威力で猿型魔物の上半身を吹き飛ばした。

僧侶「うやぁッ!!」

 僧侶の振り下ろした杖に叩き潰され、スライム型魔物の肉片が飛び散った。
 直前の『倭の国』での冒険を始め、数々の艱難辛苦を乗り越えてきた勇者たちは、初めてこの森を訪れた時とはもはや見違えるほどの精霊の加護を獲得していた。
 苦戦という苦戦もなく、むしろ順風満帆とも言える道中にあって、しかし勇者の気持ちは晴れない。
 その理由は明白であった。

勇者(おかしい……何で森の中にこんなに魔物がたくさん居るんだ? この森に有った精霊の祠は既に解放されているはずだってのに……)

 かつて勇者たちは大森林の中の精霊の祠を解放し、精霊の働きを活性化させた。
 結果、相対的に魔物の力は減少するため、それを嫌って魔物たちは住処を余所に移すというのが常の流れである。
 つまりこの状況は常識の外。
 緊急事態。
 精霊の加護を嫌う魔物が、それでも森に足を踏み入れるということは、何かしらの目的のために意思の統一が為されているということだ。
 では、その目的とは。統一された意思の向かう先とは。

勇者「……嫌な予感がする。ちょっと、エルフの集落を覗いてみよう」

 勇者はそう決断を下し、進路をエルフの集落へと向けた。
 集落の位置は、印象深く勇者の記憶に刻まれている。

勇者「な…!? これは…!?」

 エルフの集落に辿り着いた勇者達は、その惨状に思わず声を上げた。
 防壁の役目を担っていたであろう木柵は微塵に砕かれ、赤い血の跡がそこかしこについている。
 蹂躙の痕跡は無論、血痕のみではない。
 倒れ伏す、既に事切れたエルフの体。
 そこいら中に散らばる肉の切れ。
 ぐちゃぐちゃと不快な咀嚼音が耳に付いた。
 一匹の魔物が、死肉をむさぼっている。
 ごろりと転がった金髪の首の、生気なき眼と勇者の目が合った。
 ぞわり、と勇者の体が総毛立つ。

勇者「あああああああああああああああああ!!!!!!」

 無我夢中で駆け出し、一刀の下に魔物の首を断つ。
 背後から急襲された魔物は碌な反応も出来ず、勇者に打ち倒された。
 魔物の、虎によく似たその顔が、ごろりと勇者の目の前に転がる。
 一瞬、その顔に釘付けになった勇者だったが、すぐに我を取り戻し周囲の状況を見渡した。
 すぐ近くに二体の魔物がいる。それぞれ、戦士と武道家が応戦中だ。
 僧侶は倒れ伏すエルフの様子を見に駆け回り、息がある者がいないか確認しているようだ。だが、その表情から結果が芳しくないことが推測できる。
 遠く視線を村の奥まで向ければ、土煙の中で魔物の群れがごった返しているのが見て取れる。
 今の主戦場は、どうやらそこだ。
 戦士と武道家がそれぞれ魔物を打倒したことを確認し、勇者は全員を集合させる。

勇者「奥に魔物の群れが居るのが見えるか? 多分、あそこでエルフの皆が必死で魔物を食い止めているんだと思う。俺達はなるべく音を殺しながら接近し、背後から魔物を強襲する。不意を突いて、出来る限りの数を即殺するんだ」

 勇者の指示に三人は頷いた。

勇者「よし…僧侶ちゃん、俺達に攻撃強化と守備強化の呪文を」

 僧侶は頷いて、三人に杖を向けて呪文の詠唱を始めた。
 仄かに輝く呪力に身を包まれながら、勇者は剣を握る手に力を込める。

勇者(エルフ少女……無事でいてくれよ……!)

勇者「うおおおおおおおおお!!!!」

 裂帛の気合いと共に剣を振る。
 四足歩行の魔物を背中から一刀両断にした。

武道家「はああああああ!!!!」

 エルフに向かって棍棒を振り下ろそうとしていた猿型魔物を引き倒し、拳を側頭部に叩き付ける。
 ぱきゃり、と奇妙なほど軽い音を立て、魔物の頭部が破裂した。

戦士「…シィッ!!」

 二メートルにも及ぶ大剣は、その射程に居た魔物を悉くまとめて両断していく。
 実に三体もの魔物が同時に体を上下に分かたれ、吹き飛び、絶命した。

蟷螂型魔物「な、何だ!?」

エルフ「こ、これは一体…!?」

 驚愕は魔物達にもエルフ達にも等しくあった。
 僧侶は傷ついたある一人のエルフの戦士に駆け寄り、癒しの呪文を唱える。

エルフ戦士「に、人間…? 人間が、何故我々を助ける!?」

僧侶「エルフの皆様が人という種を嫌っていることは承知しています。ですが、どうか我々が貴方達に助力することをお許しください。私達は、友を救いたいのです」

エルフ戦士「友…? 友とはまさか…」

勇者「エルフ少女ーーーッ!!! 無事かーーーーッ!?」

 勇者は視線を周囲に巡らせながらもう一体の魔物に向かって剣を振る。
 しかし完全に不意を突いた先程とは異なり、一撃で魔物を絶命させることは叶わなかった。

勇者「ちっ! 浅いか!!」

蟷螂型魔物「何なんだてめえらぁ!!」

 怒声を上げたのは両腕が半ばから刃と化している緑色の魔物だった。
 流暢に人語を操るその様子から、相当に高位の魔物であることが推測できる。

蟷螂型魔物「死ねよやぁ!!!!」

 風を裂く音と共に魔物の刃が迫る。
 勇者は右から来たその一撃を剣で受け止めた。
 ギン、と甲高い音を立てたはずの敵の刃は、しかし次の瞬間には柔らかく折れ曲がり、勇者の剣に巻き付いていた。

勇者「何ッ!?」

 腕でありながら刃。刃でありながら腕。
 どうやら敵のその腕は、硬軟自在に形を変えることが可能なようだった。

勇者「やっ、かい、なッ!!」

 当然、剣を固定された勇者に対し、敵は空いた腕でもう一撃攻撃を振るう。
 勇者の決断は早かった。
 勇者はあっさり剣を手放すと身を屈めて敵の一撃をやり過ごす。
 そして剣を打ち捨てたまま敵の懐深く潜り込み、己の頭上に位置する敵の顎を指差した。

勇者「『呪文・大烈風』!!」

 射出された風の塊が蟷螂型魔物の顎を打った。

蟷螂型魔物「ご…お…!?」

 強烈な衝撃に魔物の視界は明滅した。
 昏倒しかけたその体は否応なく脱力してしまう。

勇者「剣、返してもらうぜ」

 その隙に勇者は敵の手にあった己の剣をその拘束から引き抜いた。
 相手の体勢が整わぬうちに一撃を見舞う。
 胸を大きく裂かれた蟷螂型魔物は絶命し、その場に崩れ落ちた。

 勇者たちの突入によって、戦況はエルフ側に大きく傾いた。
 これまでエルフ達を圧倒していた魔物達だったが、勇者たちによって瞬く間に半数近く数を減らされたことでエルフの物量に対応できなくなったのだ。

エルフ戦士「行ける、行けるぞ!! みんな、頑張れ!! もうひと押しで勝てるぞ!!」

 エルフ側優勢で安定してきた戦局を見て、勇者は考える。
 このままここに残って加勢を続けるか、エルフ少女を探すか。
 当然、普通ならばこのまま加勢を続けるべきなのだが、勇者の判断を迷わす要因が二つあった。
 ひとつは、エルフ少女のこの場への不在。本人の弁を信じれば、エルフの中でも相当な手練れであるはずのエルフ少女がこの主戦場に居ないのはおかしい。
 もうひとつは、ここで魔物たちはエルフの戦士達に食い止められていたにも関わらず、なお奥に続く点々とした血痕だった。
 負傷したエルフが退却する時についたものであればいいが……ひとつめの懸念、エルフ少女の不在が気にかかる。
 もしや既にここを突破した魔物がいるのか…?
 勇者の疑念に回答を示したのは年若いエルフの少年だった。

エルフ少年「アンタさっき、エルフ少女の名を呼んだな?」

勇者「あ、ああ。そうだ、君はエルフ少女がどこにいるか知らないか?」

エルフ少年「知ってる。人間、頼みがある。ここはもう俺達だけで大丈夫だ。だから、エルフ少女を―――俺の姉を、助けに行ってあげてほしい」

勇者「……どういうことだ? 状況を説明してくれ」

エルフ少年「敵の中に、とんでもない化け物が混じっていた。身の丈三メートルはくだらない、虎顔の化け物。いち早くここの守りを突破したその化け物を、姉ちゃんは今一人で食い止めてる」

エルフ少年「姉ちゃんは強い。正直、俺は姉ちゃんのことも化物だと思ってる。だけど、それでも、アイツは……あの虎の化け物は多分、それ以上だ。俺は、震えるだけで何にもできなかった」

勇者「虎の…化け物…?」

エルフ少年「確か『獣王』と、そう名乗っていた」

 勇者が顔面蒼白になったことに、エルフ少年は気づかない。

エルフ少年「頼む…お願い、します。悔しいけど、俺達エルフじゃ束になってもアイツには敵わない。アン…あなた達に、縋るしかないんです」

勇者「…わ、わかった」

 息も絶え絶えに、勇者は返答する。

エルフ少年「あ、ありがとう!! ここが片付いたら、俺もすぐに加勢に向かいます!!」

 頭を下げたエルフ少年に、勇者は笑みで返す。
 しかし勇者の頬は引きつり、蒼白になった顔には脂汗が浮かんでいる。
 その様子から、勇者は無理やり笑みを形作っただけなのだということは容易にうかがい知れた。

勇者「……は、はぁ…ぐ…」

 勇者は息苦しささえ覚えて胸に手を当てた。
 動悸が激しい。鋼の防具に遮られてなお、早鐘のように鳴る心音は手のひらまで伝わっている。

武道家「勇者、大丈夫か?」

 武道家が勇者の心中を慮り、勇者に声をかけた。
 見ると、武道家だけではない、戦士と僧侶も勇者に気遣いの目を向け、何か言いたげに眉根に皺をよせている。

勇者「……大丈夫」

 勇者は深呼吸を二度、繰り返した。

勇者「……ああ、大丈夫だ。行こう」

 落ち着きを取り戻した訳ではない。
 動悸は相変わらず激しいままで、冷汗は止めどなく背中を濡らしている。
 心と体が遊離してしまったように、足取りは覚束ない。
 だが、急がなければ。
 急がなければ―――エルフ少女が、あの明朗快活な好ましい少女が殺されてしまう。
 それだけは、避けなければならない。

 果たして、勇者の目に飛び込んできたのはその決定的瞬間だった。
 地面に尻をついたエルフ少女。その目の前で腕を振りかぶる虎の化け物―――『獣王』。
 その巨躯、その威容、赤の斑に染まった金色の毛皮。
 ぞわりと勇者の背が震えた。
 奴だ。
 紛れもなく奴だった。
 かつて勇者を死の淵に追い込み、決定的な敗北感を刻み込み、痛みへの恐怖を掘り起こした張本人。
 右肩から左の腰まで刻まれた傷跡がじくりと疼く。
 腰が抜けそうになる―――しかし目の前の情景が勇者にそれを許さない。
 反転し、背を向け駆け出したくなる―――しかし目の前の光景が勇者にそれを許さない。
 理性と本能の、相反する結論が勇者の思考を停止させた。

勇者「うえいあおぇあああああああああああああああああああ!!!!!!」

 真っ白になった頭で、勇者は意味を為さぬ叫びを喉から漏らしていた。
 結果としてそれは功を奏したが―――そこに、獣王の気を引くためだとか、そんな打算は一切含まれていなかった。
 ただ恐怖を振り払うために、誤魔化すために、無我夢中で、我武者羅に叫んでいた。
 地を蹴り、飛ぶ。
 目を丸くしてこちらを向いている獣王に、大上段から斬りかかる。
 事前の打ち合わせも、作戦も何もない、勇者の暴走ともいえるその行動に、しかし武道家と戦士は即応した。
 武道家は駆ける。パーティーで一番のその俊敏さを存分に活かして、風よりもなお速く獣王の背後、エルフ少女の元へ回り込む。
 武道家の動きは獣王の視界を逃れるため弧を描くように、逆に戦士はあえて直線的に獣王に向かって突撃する。
 勇者を追って上を見上げた獣王の死角に潜り込むため、深く深く身を沈ませ、まるで地面を這うように戦士は駆ける。
 勇者の剣を獣王が受け止めた。
 その隙を狙って戦士は獣王に剣を叩きつける。
 完全に不意を突き、かつ武道家の働きにより獣王を混乱させもしたはずだったがしかし、その刃は獣王を仕留めるまではいかなかった。
 それだけでも、やはり獣王が村に侵入してきた魔物たちの中でも群を抜いた実力者であることが分かる。
 だが、届いた。
 かつてはその毛皮に傷一つ付けられなかった。
 こちらの必死の攻撃は、獣王を興じさせる余興にしかならなかった。
 今は違う。
 届く。
 戦える。


 戦えるのなら―――――あとは勝つだけだ。






第二十三章  決戦(後編)




 勇者は、込み上げる吐き気を必死で飲み下した。
 視界は涙で滲んでいる。
 己を必死で鼓舞してみても、このザマだ。

勇者(本当に、俺は情けねえなあ……嫌になる)

 あの時から大きく成長していても、心の奥底に刻まれたトラウマは容易には払拭されてくれない。容易に払拭できないからこそのトラウマだ。
 勇者は仲間たちの顔を見遣る。
 皆、士気は高く、戦意に満ち満ちているように見える。
 なればこそ、自分が足を引っ張るわけにはいかない。
 勇者はもう一度大きく息を吸い、吐いた。

勇者(俺のこの恐怖の根源にあるものは何だ?)

 自問自答。

勇者(そうだ、俺は、あの時の光景が、皆がボロボロにやられたあの光景が再現されることを恐れている。あの時の、文字通り死ぬような痛みがまた俺に襲い掛かってくることを恐れている)

 この身を襲う緊張感の正体を、目を逸らすことなく浮き彫りにする。

勇者(そうさ、怖い、怖いんだ。だけど、しょうがねえ。しょうがねえんだ。怖いけれど、どうしたって怖いのは無くならねえから、『怖いままやるしかねえんだ』)

 本能の恐怖を、理性の勇気で飲み込んでいく。

勇者(痛いのは嫌だ。死ぬのは嫌だ。死ぬのが嫌なら――――その前に、殺すしかない)

 緊張は解けない。
 恐怖も依然、心を縛っていて、指先は震えたままだ。
 しかし涙は乾いた。
 心臓の高鳴りも、ほんの少しは落ち着いた。
 何より、思考はクリアだった。
 死の恐怖への嫌悪感は、転じて勇者の集中力をこの上なく高めていた。
 覚悟が決まるとはこういうことだ。
 勇者はようやく、獣王との決戦、その舞台に上がることが出来たのだ。

勇者「いくぞぉッ!!!!」

 勇者の号令と共に、勇者、戦士、武道家の三人は駆け出した。
 対する獣王は余裕の表情を崩さないまま、両腕を広げた。

獣王「人間がエルフに加勢するなど、どのような魂胆があるかは分からんが……まあ、どうでも良い。我相手に横槍を入れたことを後悔せんようにな、人間ども!!」

 獣王が吠える。同時に、その姿が掻き消えた。

エルフ少女「あ、危な―――!!」

 エルフ少女が警告の声を発しきる前に、

武道家「見えているぞッ!!!!」

 武道家はその身に振るわれた獣王の爪に手甲を合わせ、打ち逸らしていた。

獣王「なに…!?」

武道家「おおおッ!!!!」

 武道家の、精霊甲・竜牙を纏った拳が深く獣王の腹に沈む。
 臓腑を揺さぶる衝撃に、獣王は苦悶の表情を浮かべた。

獣王「ぐ、ぬう…!!」

 苦痛に悶えながらも獣王は武道家に裏拳を見舞った。
 精霊甲・竜牙を合わせ、直撃を避けながらも武道家の体は勢いに押され吹き飛んでいく。
 追撃に移ろうとした獣王だったが、眼前に迫った刃にその動きは中断された。

戦士「ハッ!!」

 獣王の首を目掛けて迫る戦士の大剣。

獣王「ガァッ!!!!」

 獣王は拳を剣の横っ腹に叩き付け、そのまま打ち下ろして剣を地面に叩き付けた。
 響く衝撃は大地に罅を入れるほどだ。しかし獣王は舌打ちする。

獣王(折れぬか…! 先ほど易々と我の毛皮を裂いてみせたことといい、随分と特殊な剣のようだな…!)

 精霊剣・炎天を握りなおした戦士は続けざまに攻撃を繰り出した。
 獣王もその爪をもって応じる。
 衝突。走る轟音と衝撃に戦士と獣王、互いの足がくるぶしまで地面に埋まる。

獣王「カッ!!」

戦士「おおッ!!」

 二撃、三撃、四撃と連続する轟音。
 走る衝撃は割れた岩盤の欠片を宙に舞い上がらせる。
 勇者が獣王の背後に忍び寄り、剣を振り上げた。
 直接視認したわけではない。にもかかわらず、獣王はその気配を敏感に察知する。

獣王「小癪ッ!!!!」

 獣王は体を左に向けた。すなわち、今まで正面に居た戦士を右側に、背後に迫った勇者を左側に相手取る形になる。
 その状態で、一度胸の前で交差させた腕を勢い任せに振り下ろした。
 戦士と勇者、それぞれの剣に獣王の太腕が衝突する。

勇者「うお!?」

戦士「ちいッ!!」

 衝撃に耐え切れず、勇者と戦士はそれぞれ背後に吹っ飛ばされていった。
 さてどちらを追いかけようか獣王が一瞬思案したその時、正面から獣王に向かって突っ込む影があった。
 少なからず獣王を襲う驚愕。
 影の正体は先ほど吹き飛ばされたばかりの武道家だ。

獣王「貴様、我の一撃を受けてなおそのように動けるか!」

武道家「以前貴様に無様に敗北してから死に物狂いで鍛え続けてきたからな。この身がそう簡単に折れると思うな」

獣王「よかろう、受けて立ってやる。全霊の一撃を打ち込むがいい」

 獣王はその腹に力を漲らせた。
 隆々と盛り上がる筋肉は馬鹿げた強度を誇り、あらゆる衝撃を跳ね返す楯となる。

武道家「お生憎様、俺が狙っているのはそこじゃないんだよ、獣王」

 武道家が両腕の手甲を合わせて打ち鳴らす。すると、その肘の辺りから鋭く輝く刃が顔を覗かせた。

獣王「何ッ!?」

武道家「おおおおおおッ!!!!」

 武道家は速度を加速させ続け、その勢いのまま獣王の股の間に突っ込んだ。
 獣王の股下に潜り込んだ瞬間、その身を独楽のように回転させる。
 回転する刃と化した精霊甲・竜牙のスピアが獣王の両足を抉った。

獣王「ぬぐぅッ!?」

 会心の一撃――――のように思われたが、武道家の顔色は優れない。

武道家「……いまいちな手応えだ。機動力を完全に削ぐつもりだったが、浅かった。……今のに反応するのか。やはり大概な化け物だな、獣王」

 吹き飛ばされていた勇者と戦士が戦線に復帰し、僧侶も含め、四人は一度元の場所に合流した。
 その四人を、エルフ少女は驚愕の面持ちで見つめている。

エルフ少女(凄い…素晴らしい……!)

 僧侶の回復を受けながら、小声で打ち合わせる勇者達に、エルフ少女は目を輝かせていた。

エルフ少女(これほど……まさか、これ程とは……!)

 エルフ少女は今目の前で繰り広げられた一幕を回想する。

エルフ少女(一人一人の力量はまだ獣王には遠く及ばない……どころか、私にもやや劣る程度だ。だけど、三人の連携がその実力差を覆している)

エルフ少女(獣王の圧倒的攻撃力に押されてどうしても生じてしまう隙……それを他の仲間が絶妙なタイミングでフォローし、追撃を防ぐ。仲間の攻撃によって獣王に生まれる隙を、死角を熟知し、的確にそこを突く)

 エルフ少女は、何も棒立ちで目の前の戦いを見送っていたわけではない。
 ずっと、介入する、手助けするタイミングを見計らっていた。
 その上で、参戦するのを躊躇したのだ。
 自分が下手に乱入することで、三人の連携を乱してしまうのではないかと。
 エルフ少女ほど卓越した技量を持っていてしてもその有様だったのだ。
 その場に共に居るはずのエルフ長老が置物のように固まってしまっていたのも、むべなるかな、当然であろう。
 しかしそれでも、勇者達が優勢である現状を見てもなお、エルフ少女には拭いきれない不安がある。
 それは獣王の圧倒的タフネスに起因する。
 エルフ少女との一騎打ちから数えて、決して少なくない攻撃をその身に受けたはずだ。
 にもかかわらず、今のところ獣王には弱った様子が見られない。
 実際、今もこちらの様子を伺っているばかりで、あちらから攻撃は仕掛けてこない。未だ獣王は、こちらの策を迎え撃つ王者の姿勢を崩さない。
 決定打が必要だ。
 獣王を致命的な状況に引きずり込む何かが。

エルフ少女(……いけるかもしれない。叶うかもしれない。勇者達の力量が想像を上回っていた、この嬉しい誤算によって、私達エルフ族の『切り札』……その発動が、成るかもしれない)

 エルフ少女は覚悟を決めて、勇者に顔を寄せ、耳打ちした。

エルフ少女「勇者、お願いがあるんだ」

 時間を稼いでほしい―――――それがエルフ少女の頼みだった。

エルフ少女「実は私は、エルフ族が持つ対魔物用の切り札を発動させている途中だったんだ。獣王が余りに怒涛の勢いで侵略してきたから、それを中断せざるを得なかったけど……」

エルフ少女「私は今からまたその術の発動の準備に向かいたい。本来ここで命を懸ける必要のない君たちに、あの化け物を押し付ける形になって大変心苦しいのだけど―――」

勇者「その術を発動させることが出来たら、どうなる?」

エルフ少女「勝てる。まず間違いなく」

武道家「ならば是非もない」

勇者「だな」

僧侶「ここは私達に任せてください!」

戦士「元より、奴は私達がケリをつけるべき相手だからな」

エルフ少女「ありがとう―――――二十分だ。私自身初めて扱う術だけど、二十分で必ず発動させてみせる」

勇者「に、二十分も!?」

戦士「ふん、それだけ時間があればもう決着がついているかもしれんな」

武道家「当然、俺達の勝利でな」

勇者「うへえ……まあ、やるだけやってみますか」

 エルフ少女が戦線を離脱する。
 獣王がそれを見て動く気配はない。

勇者「追わないのか?」

獣王「あの娘の素早さは知っている。逃げに徹されてはさしもの我も捕まえるのに骨が折れる。それに、貴様らの妨害も入ろう。口惜しいが、無為と分かり切っている行動は起こさぬ」

 獣王はフフン、と鼻を鳴らし、鷹揚に両腕を広げた。

獣王「今は貴様らとの戦に集中しよう。初めてだぞ? これ程我にダメージを与えた人間は。楽しくてたまらぬ。実に、実にだ」

 獣王は上機嫌を隠さず、勇者達を見据えた。

獣王「我が名は獣王。名乗れよ、人間共。この獣王が、貴様らの名を記憶に留めてやる」

 勇者達はお互いの顔を見回した。
 へへ、と思わず笑みが零れてくる。
 武道家が両拳を合わせ、手甲を打ち鳴らした。

武道家「武道家だ」

 戦士は大剣を突きつけるように、獣王に向けて掲げる。

戦士「戦士という」

 僧侶はその胸に杖を掻き抱き、精一杯の声を上げた。

僧侶「僧侶です!」

 そして―――勇者は、口元を曲げ、にへらと笑いながら言った。

勇者「勇者。――――『伝説の勇者』の息子。勇者だ」

 その名乗りを受けて、獣王は目を丸くした。
 顎に手を当て、視線を右上に、左上にと彷徨わせる。

獣王「はて、勇者…? その名、以前どこかで……」

 やがて何かに思い至ったのか、ぽん、と手を叩く。
 そして、その顔が獰猛な笑みを形作った。

獣王「まさか、まさか―――驚いたぞ。貴様、あの時の『アレ』か!! クッハ、クハハ!! あの汚物が、よくぞここまで成長したものだ!!」

 獣王は可笑しくてたまらないと、腹を抱えて笑い出した。

獣王「しかしまあ、周りの連中も健気というか、愚直というか、あれ程の醜態を晒した男によくもまあついていく気になったものだ。いや、もしや知らんのか? 他の三人は寝ておったからな。見捨てられたことも上手く誤魔化されて、盲目に付き従ってきたのか。ならば納得もゆくものだ」

武道家「見縊るな。我々はちゃんとそのことは知っている」

獣王「ほう? ならばなおのこと滑稽だな。道端の糞を好んでその身に塗りたくるのが人の世では美徳とされるのか?」

 嘲るような獣王の言葉を受け、勇者は俯いてしまう。
 獣王がかつての光景を思い出しているように、勇者もまたあの時の光景を思い浮かべている。
 悔恨と、恥。
 無様を晒した負い目を持った心は、侮蔑の視線に耐え切れない。
 そんな勇者の背中を、戦士が優しく押した。

戦士「何を俯いている。……言ってやれ、勇者」

 戦士はその顔に笑みを浮かべていた。
 それはとても優しい笑み。
 恥も悔恨も全て飲み込んでくれるような―――慈母の如き微笑みだった。

勇者「……ハッ」

 勇者は前を向き直る。
 嘲るようにこちらを見下している獣王に、同じように、小馬鹿にするように、笑いながら見下してやった。

勇者「ああ、あれ? いや、あれ全部演技だから。あ、マジで信じてたんすか? 獣王様っつっても所詮は畜生っすね。御しやすいったらないですわ」

 獣王の顔から笑みが消えた。
 怒気混じりの、目に見えるほどの闘気が、周囲の景色を陽炎のように歪ませている。

獣王「良かろう。あれがその場を収めるための芝居だったとするなら、今のこの場にこれ程の力を持って現れたことも含めて、貴様は危険な男だ」

 獣が咆哮する。
 力が漲り膨れ上がった筋肉は、その巨躯をさらに一回り大きく見せた。

獣王「魔王様の弁はやはり正しかったということになる。『伝説の勇者』の息子―――勇者よ。今度こそ、貴様の命はここでもらう」

 激闘、再開。
 私闘から駆逐へ―――スタンスを変えた本気の獣王が、勇者一行に牙を剥く。

 しかしその場を優勢に展開したのは勇者だった。
 鋭さも重みも増した獣王の攻撃を勇者は単身で悉く捌いていく。
 時間稼ぎに徹する―――そんな目的意識が勇者に与えられたのが大きかった。
 時間を稼げば、その間凌ぎきることが出来れば、勝利は確定する。
 こんな状況こそ、勇者の真骨頂であった。

獣王「ぬおおおおおおおおおッ!!!!」

 速度も重さも勇者を上回る連撃を、勇者は次々と受け流していく。
 元より、痛みを忌避する勇者はこの様な防御の技術が卓越していた。
 一度防御に徹すれば、たとえ格上を相手にしようと、そうそう打ち破られることは無い。
 それは、かつて盗賊の首領の攻撃を受け流し続けた時のように。
 それは、かつて戦士の剣を結局は凌ぎきった時のように。
 防御。
 防御。
 防御。
 ただひたすらに防御を繰り返す。

獣王「ええい、鬱陶しいッ!! この糞虫がッ!!」

 攻撃を悉く受け流されれば、状況が自分の思い通りにいかなければ、人は癇癪を起こす。
 頭に血が上り、冷静な判断を欠くようになる。
 それは獣王も同様だ。
 苛立ちと怒りに任せた一撃はどんどんと大振りになり、本人の願いとは裏腹に、勇者にとって捌きやすいものになる。
 ここで生じた隙を狙って攻勢に転じるのがいつもの勇者の基本的な戦法だ。
 しかし今回はあくまで時間稼ぎのみが目的だ。攻勢に転じるリスクすら負う必要がない。
 勇者が攻撃を行うとすればそれは―――

戦士「ハッ!!」

獣王「ぬうッ!?」

 勇者に集中していた獣王の隙を突いて、戦士が獣王の背中に剣を振る。
 驚異的な反射神経でそれを弾いた獣王が戦士に標的を移そうとしたその瞬間――――

勇者「よっ!!」

 仲間の攻撃によって獣王の意識が勇者から外れた瞬間、攻勢に転じる際のリスクが限りなくゼロに近づいたその瞬間――――その瞬間のみ、勇者は初めて攻撃の為に剣を振る。

獣王「き、さま…!!」

 戦士の精霊剣・炎天による一撃に比べればダメージは小さかろう。
 しかし痛みは確実にある。
 その痛みによって、獣王の意識は、標的は再び勇者の方を向く。
 そして繰り返される、獣王にとって不毛とも言える、勇者との攻防。
 埒が明かぬと、標的を変える選択肢も当然獣王にはあった。

勇者「なんだ、もう終わりかい…? 案外大したことないんだな。獣の王」

 そうしようとした矢先の、勇者のこの言葉だった。

獣王「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

 怒りに我を忘れ、獣の本能を剥き出しにして、獣王は勇者に攻撃を繰り出し続ける。

 獣王との攻防を繰り返す中で、勇者は一つの仮説を立てた。

勇者(獣王には……実は、戦闘技術と呼べるものが何も無い)

 その根拠は、そもそも圧倒的に格下であるはずの自分が獣王の攻撃を凌ぎ続けていられているこの現状だった。

勇者(いくらなんでも、攻撃が単調すぎる。典型的なパワーファイター、例えば、かつて町を荒らしまわっていた盗賊の首領だって、もう少し技量めいたものがあった)

勇者(おそらく、獣王は強すぎたんだ。生まれ持った身体能力で、その力と素早さだけで敵を屠ってきた。小手先の技を磨く機会にほとんど恵まれなかったんだ)

勇者(実際、それで十分だったんだろう。事実、俺達は最初、その動きを目で追う事すら出来なかった。……こうやって、ある程度実力が肉薄したからこそ露呈した弱点。まさか、獣王にこんな弱みがあるなんて、思いもしなかった)

勇者(勝てる……かもしれない。あの獣王に。魔王の側近に!!)

 その時、背後から歓声が聞こえた。
 何事かと、獣王の視線がそちらを向く。
 勇者もまた、その隙に一瞬だけ背後に目を走らせた。

エルフ戦士「行くぞ!! 奴が最後の魔物だ!! 人間達に任せるな!! 俺達の村は、俺達の手で守るんだ!!」

エルフ長老「おお、お主等!!」

 エルフの集団が広場の中に流れ込んできていた。
 どうやら、エルフの集落を攻めてきた魔物の集団は全滅させることが出来たらしい。
 意気軒高に鬨の声を上げるエルフの戦士達を、獣王は苦み走った目で見つめている。

獣王「まさか、エルフ如きに後れを取るとは……役に立たぬ部下共よ。いや、もしやこれも貴様らの仕業か?」

 獣王の問いに、勇者は黙して答えない。
 一刻として油断せず、勇者は獣王の挙動を観察している。

獣王「……まあよい。駆除すべき害虫共がこうして集まって来たのだ。後で虱潰しにする手間が省けたと思おう」

 ぎくり、と勇者の肩が震えた。

勇者「お、おい! まだ俺との決着がついていないぞ!! 逃げるのか!!」

獣王「もう良い。飽いたわ。貴様の相手はまた後でしてやる。今は貴様のせいで溜まった鬱憤を発散する方が先だ。虫を散らして憂さ晴らしといこう」

勇者「ま、待て――――」

 勇者の制止の言葉など聞かず、獣王はエルフの集団に向かって駆けだした。

勇者「待てえええええええええ!!!!!!」

獣王「はぁぁぁぁああああああああ!!!!!!」

 獣王の突進を押し留めることが出来る者など、この場に誰も居なかった。
 獣王の突進を、勇者も、武道家も、躱して、逸らして、やり過ごすことは出来ただろう。
 しかし正面に立って受け止めることなど戦士ですら不可能だ。
 獣王の進撃を止めるべく横合いから振るわれた戦士と武道家の攻撃も甲斐なく――――

 獣王という圧倒的暴力の塊がエルフの集団に突っ込んだ。

獣王「ぐわははははははは!!!!」

 無造作に振るわれる爪が肉を裂き、命を奪う。

エルフ戦士「恐れるな!! 突撃しろッ!!!!」

 それでも高揚しきった戦意は萎えず、エルフの戦士たちは獣王に向かって突撃する。
 しかしそれは、忙しなく上下するギロチンの刃に自ら首を突っ込むが如き愚行だった。

エルフ男「うげぇーーッ!!」

エルフ女「きゃああああ!!!!」

 血と肉が宙を舞う。
 仲間の血肉をその身に浴びて、ようやくエルフの戦士たちは悟った。
 ああ――――我等の村は、今日滅びるのだ、と。

エルフ少年「う、ぐ…!」

獣王「ほう、我の力を知り、なおこの場に戻ってきたその蛮勇は賞賛されるべきものだ。褒美を取らそう。貴様は―――我が腑に落とし込んでくれる」

 獣王の牙がエルフ少年に迫る。

勇者「止ぉまれぇぇぇぇぇえええええええ!!!!!!」

 勇者は地を蹴り、宙へ舞い上がって剣を振りかぶった。

獣王「やはり止めに来たか、勇者。では今度は貴様の攻撃と我の防御を比べてみようではないか。とはいえ、我が防御は貴様のように消極的なものではないがなぁッ!!!!」

 勇者の剣に向かって獣王の拳が振るわれた。
 勇者の剣が獣王の拳に沈む。だが獣王はおかまいなしにその拳を振り切った。
 巨大なハンマーでぶっ叩かれたように勇者の体が後方に飛ぶ。
 獣王は浅く裂けた己の拳をぺろりと舐めた。

勇者「が…! ごふッ…!!」

 勇者の口から血が零れる。
 まるで腹の中を灼熱で焼かれているようだ。
 剣も防具もおかまいなしに突っ切ってきた衝撃が、勇者の臓腑に深刻なダメージを与えていた。

僧侶「勇者様ッ!!」

 僧侶が仰向けに倒れる勇者に駆け寄り、回復のための呪文を紡ぐ。
 勇者はかすむ視界の中で、必死に獣王を食い止める戦士と武道家の姿を捉えた。

勇者(今までの攻防で、どうだ、何分稼げた…? 体感で、およそ十分、ってところか……)

勇者(防御に徹して時間稼ぎするのにも限界だ。獣王の矛先がエルフの皆に向かないよう、俺達も攻撃し続けるしかない……)

勇者(あと十分……今度は攻撃に徹しての時間稼ぎか……まったく、難易度高すぎるぜ……)

 それからの戦闘は熾烈を極めた。
 獣王の足を止めるためには、間断なくこちらから攻撃を繰り出すしかない。
 しかしそれは、獣王の攻撃をもろに受けるリスクを大幅に孕むという事だった。
 勇者が見抜いたように、獣王の攻撃は重さと速さはあるが単調で、今の勇者達ほどの力量まで達すれば、そうそう直撃を食らうことはない。
 とはいえ、こちらも攻撃を仕掛けなければならない以上、獣王の咄嗟の反撃も含め躱し続けることなど困難だ。不可能とすら言っていい。
 事実、勇者も、武道家も、戦士も、至る所が血濡れの有様だ。
 僧侶はもうずっと間断なく回復呪文を唱え続けている。
 獣王の目がぎょろりと僧侶の方を向いた。

獣王「女―――僧侶と言ったか。このパーティー、実は貴様が一番の肝のようだな。貴様の回復呪文を失えば、このパーティーは瞬く間に半壊する」

 獣王に睨まれ、僧侶の全身にぶわっと汗が浮かんだ。
 当たりさえすれば一撃で殺せる自信があったため、獣王は今まで僧侶の存在を放置していたが、こうまでしつこく勇者達が食い下がってくるとなれば、考えを改めざるを得ない。

獣王「いつまでもこの戦いを続けていたい気持ちもあるにはあるが……そうも言ってはおれん。ここらで我らの目的達成のために、本腰を入れさせてもらうぞ」

 獣王が僧侶に向かって突進する。
 本来、僧侶への攻撃を防ぐのは勇者の役目だ。
 しかし前述の通り、獣王の突進を止めることなどこの場の誰にも出来はしない。
 だが、それでも。

勇者「がああああああああ!!!!!!」

武道家「ずぇありゃああああああああ!!!!」

戦士「おおおおおおおおおおお!!!!!!」

 獣王の言う通りだ。
 僧侶を失う訳にはいかない。
 勇者達は全員で獣王と僧侶、その線上に立ち塞がり、全力で獣王の突進を迎え撃った。
 獣王は勇者達の攻撃を受けるために足を止めることはしない。
 ただひたすらに僧侶に向かって足を進める。
 結果、勇者の剣も、武道家の拳も、戦士の大剣も今までより深く獣王の体を抉ったが、それでも獣王の動きを止めることは出来なかった。

獣王「ゴアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 その突進の威力に、勇者達三人は散り散りに吹き飛ばされてしまった。

僧侶「あ…あ…」

 もはや獣王の動きを遮るものなど何もない。
 獣王は真っ直ぐ僧侶に向かって突撃する。

「「「僧侶ぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!!!!」」」

 勇者達三人の絶叫が重なった。

獣王「もらったぁ!!!!」

 獣王が僧侶の頭を砕かんと、その爪を振り下ろした。
 獣王の爪が、僧侶の頭部に触れる、その刹那―――――

僧侶「うやあッ!!!!」

 僧侶はその身を回転させ、獣王の手首辺りに己の持つ杖を引っ掛け、その腕の軌道を逸らしていた。

獣王「なにッ!?」

僧侶「うやあッ!!!!」

 軌道を変えた獣王の腕が空を切り、生じた脇腹の空白に僧侶は頭から突っ込んで獣王の横をすり抜ける。
 そのまま駆け抜け、僧侶は獣王の背後側に脱出を果たした。
 即座に勇者達三人は僧侶の元に駆け寄り、獣王との間の壁となる。

武道家「よくぞ、よくぞ躱した!! 僧侶!!」

僧侶「武道家さんに修業をつけてもらったおかげです!! だけど……」

 ゆっくりと背後を振り返った獣王と僧侶の目があった。
 ばくん、と僧侶の心臓が跳ね上がる。

僧侶「もう一度、同じことをやれと言われても出来るかどうか……」

 獣王は自らの爪を一瞥し、ふぅ、とため息をついた。

獣王「たかが僧侶、と侮り過ぎたか。我ながら迂闊な事よ」

 その様子を観察しつつ、勇者は口を開く。

勇者「……そうだな。多分、次は無い。また僧侶ちゃんを狙われたら、それで終わりだ」

 進退窮まった。
 時間稼ぎの限界。
 これ以上は、もう一刻だって稼ぐことは出来ない。
 エルフ少女の言う『切り札』の兆しは、未だ見えない。

勇者「……やるしか………ないのか…」

 こうなれば、やる事は限られてしまう。
 勇者は一際大きく息を吸い、吐いた。

勇者「みんな……」

 ぼそりと呟くように、勇者は皆に自分の考えを伝える。


 殺されたくないのなら―――――先に殺すしか、ない。

 じり、と獣王の足がほんの僅か、勇者達に向かって前進した。
 直後、勇者達は弾けるようにその場を散った。

武道家「はあああああああ!!!!!!」

 真っ直ぐに獣王に向かい、先手を打ったのは武道家だ。

獣王「ぬん!!」

 持ち前の俊敏さで獣王の右腕での一撃を掻い潜った武道家はそのまま獣王の腹に攻撃を繰り出す―――と思いきや、獣王の右腕を、その左脇に抱え込むようにして固定した。

獣王「……ハッ!! 我の腕をへし折ろうとでも言うのか!? 片腹痛いわぁ!!」

 獣王は武道家に掴まれた右腕を大きく振り回した。
 凄まじい勢いで振り回される反動に歯を食いしばりながら、武道家は必死で獣王の右腕にしがみ付く。

獣王「ええい、鬱陶しいわ!!」

 体に纏わりついてくる羽虫を振り払うように、獣王は空いた左腕を武道家に振るった。
 武道家はまるでその腕を掴み取ろうとするように、空いた右腕を伸ばした。

獣王「馬鹿が!! 片腕一本で受けきれる一撃と思うか!! 潰れて死ね、人間!!」

 人の頭蓋を呆気なく粉砕する、圧倒的な威力を持った一撃が武道家に迫る。

武道家「吼えろ!! 『竜牙』!!!!」

 武道家の言霊に反応し、精霊甲・竜牙から爆発的な風の奔流が発生した。
 それによりほんの僅かにだが軌道を逸らされた獣王の左腕が、武道家の右肩を掠め、地面を叩いた。
 掠めただけでも右肩の骨は砕け、周囲の肉と混ぜられた。
 その苦痛に顔を顰めながらも、武道家は獣王の左手を踏みつける。

武道家「両腕、押さえたぞ!! 勇者ッ!!!!」

勇者「『呪文・大火炎』!!!!」

 間髪入れず勇者の手から放たれた火球が獣王の顔に直撃する。

獣王「グア…!?」

 着弾を確認した段階で武道家は獣王の腕を解放し、その場を離れた。

獣王「ぬおお…!!」

 火球に顔を覆われた獣王は、顔を洗うように両手で掻き毟っている。
 そんな獣王を見据え―――戦士が精霊剣・炎天を構えた。




勇者『現時点で獣王に致命的なダメージを与えられるのは、戦士の炎天での一撃しかない』


勇者『そこで、俺の火炎呪文で奴の視界を奪う。その隙に、戦士は全霊で奴の首を狙ってくれ』


勇者『とはいえ、まともに撃ったんじゃ俺の呪文が奴に直撃する訳がない。だから武道家、お前には本当にしんどい仕事を任せたい』


勇者『ほんの一瞬でいい、何とか獣王の両腕を拘束してくれ。出来るか? ……ありがとう。じゃあ、悪いけど任せたぜ』


勇者『そうしてくれれば……俺が必ず獣王の頭に呪文を直撃させる。それが成功すれば、俺達の勝利だ』


勇者(やった…!!)

 作戦の成功に、勇者は内心喜びに打ち震える。
 戦士が獣王に向かって駆け出した。
 勇者もまた、剣を握る。
 作戦の成功率を上げるため、勇者にはまだやるべきことがある。

勇者「うおおおおおおおおああああああああああ!!!!!!」

 あえて絶叫しながら獣王に向かって飛びかかる。
 炎に包まれた獣王の顔が勇者の方に向いた。
 すなわち、接近する戦士とは明後日の方向に。

勇者(そうだ、俺はここだ!! 俺を警戒しろ、獣王!! その隙に、戦士がお前の首を獲る!!)

勇者(俺達の――――勝ちだ!!!!)

 ―――勇者がそう思った瞬間だった。
 獣王の顔が、ほんの一瞬、ちらりと戦士の居る方向を向いた気がした。

勇者(いや―――ちょっと待てよ)

 炎を顔に纏ったまま、獣王はその身を屈める。
 四本の手足で地面を掴むその姿は、まさしく獲物を狙う虎だ。

勇者(ば―――ふざけんなよ!! 見えてねえだろう!! 見えてねえはずだろう、お前は!!)

 勇者は失念していた。
 これまでも何度も、明らかに死角から放たれた攻撃に、獣王が見事に対応していたことを。
 勇者はもっと深く考えるべきだった。
 獣王が、魔王軍下最強の魔物と呼ばれる怪物が、単純な身体能力だけでその地位にいるはずがないのだということを。
 つまり、直感。
 もはや予知能力じみた勘の良さ。
 獣の本能の究極。
 それが獣王の特性。特殊能力といっても差し支えない無二の才覚。
 その才覚で、獣王は死に物狂いになるべき時を、全力の中の全力を振り絞るべき時を過たない。

獣王「 ゴ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ ! ! ! ! ! ! 」

 一際大きく大地を揺らす咆哮。
 獣王が四本の足で地面を蹴る。
 二本の足で直立していた時でさえあの速度。
 獣王の速度は、今再び勇者達の認識を超えた。
 つまり、見えなかった。
 見えなければ、対応も出来ない。
 原始の獣に立ち返ったため、獣王の攻撃手段はその牙のみだ。
 その牙が、射線上に居た戦士の腹に食い込んだ。
 纏っていた鎧など飴細工のようにちぎり取られた。
 駆け抜けた獣王が土煙を上げて止まる。
 突進の風圧で顔を覆っていた勇者の火球は霧散してしまっていた。
 ぐちゃぐちゃと、獣王は何かを咀嚼している。
 赤い血が獣王の口元をしとどに濡らしていた。

戦士「あ…?」

 戦士の腹は獣王の顎の形に綺麗にもぎ取られていた。
 傷の幅は、縦にたっぷり三十センチはあろうか。
 横幅などは、胴体が繋がっているのが奇跡というような有様だった。

戦士「こふ…」

 戦士の体が崩れ落ちる。
 戦士の体を中心に、赤い血だまりが広がった。

勇者「 う あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ ! ! ! ! ! ! ! 」

 勇者の絶叫が広場に響く。

勇者「うあ、うああ!! うああああ!!!!」

 戦士の元へ駆け寄った勇者は意味も持たぬ叫びをひたすらに繰り返す。
 僧侶が戦士の体に回復呪文を施した。

僧侶「ああ…駄目…私の呪文じゃこんな傷、すぐには治せない……死んじゃう…治る前に戦士が死んじゃうよお…!」

 いやいやと、僧侶は頭を左右に振った。
 獣王が立ち上がり、直立の姿勢に戻る。

獣王「今の形態は我にとっても負担が大きい諸刃の刃……まさかここまで貴様らに追い詰められるとはな……」

 獣王もまた、消耗していた。
 この獣の王が肩で息をしているなど、見る者が見れば目を疑う光景である。
 獣王を仕留める千載一遇の好機はなお続いていると言えた。
 しかし勇者は動かない。
 動けない。
 勇者の精神は、全くその均衡を失ってしまっていた。

勇者「駄目だ…駄目だ駄目だ駄目だ!! 死ぬな!! 死ぬな戦士ぃ!!」

戦士「う…」

僧侶「だめぇ!! 目を閉じちゃだめだよぉ!! 戦士ぃ!!」

 僧侶もまた、同様だ。
 二人は大粒の涙を流しながら戦士に回復呪文をかけ続けている。
 その状態を、獣王が動き始めてもまだ二人は改めようとしない。

獣王「死に体の仲間にかまけて己の命まで落とすか。まったく、愚かな。存外、幕引きは下らぬ形になったものよ」

武道家「ここから先は行かせんよ、獣王」

 駆け出そうとした獣王の前に、武道家が立ち塞がった。
 右肩はまだ動かない。気休めに薬草を食み、痛みだけを誤魔化している状態だ。

獣王「ほう…確か武道家といったな。貴様はまだ気骨があるとみえる。そんな状態で我の前に立とうとは、見上げた根性よ」

武道家「貴様とて、それほど余裕があるようには見えんぞ? そんな風に上から物を言える立場ではあるまい」

獣王「消耗していることは認めるがな。それでも貴様らごときに遅れは取らぬ。それは貴様自身が良く分かっていよう」

武道家「試してみなければわからんさ」

獣王「玉砕覚悟か。良かろう。その心意気に免じて、付き合ってやる」

 勇者と僧侶による必死の治療が続く。
 しかし、その甲斐なく戦士の目はどんどんとその光を失い始めていた。

戦士「……ぅ…」

勇者「う、うぐ、うう…!」

 勇者はがちがちと歯の根も合わぬほど震えている。

僧侶「ふぅぅ…! ふぅぅ…!」

 僧侶は鼻水が垂れるほど泣きじゃくっていた。

エルフ少年「長老!! あれを、『ホウジュン』を使えば彼女を救うことが出来るのでは!?」

 勇者達の様子を見かねたのか、エルフ少年が声を上げた。

エルフ長老「ぬ…確かに、可能性はある。しかしエルフ族の宝具を人間の為に使うというのは……」

勇者「あるのか!?」

 エルフ少年の言葉に、勇者は涙で濡れた顔を上げた。

勇者「戦士を救える道具があるのか!?」

エルフ少年「え、ええ。この集落にずっと昔から伝わっている精霊装備、『精霊杖・豊潤【セイレイジョウ・ホウジュン】』。その杖には、あらゆる傷を一瞬で完治させうる神秘が宿っていると言い伝えられているんです」

勇者「すぐに持って来い!! 急げ!!」

エルフ長老「……あれはエルフの至宝。人間などを救うために使ったとあっては先祖達に顔向けが……」

勇者「うるせえええええええええ!!!!!!」

 勇者の怒号が響く。

勇者「ごちゃごちゃ言ってねえでさっさと持って来い!! 救える手段があるのに、てめえらがそれをくだらねえ理由で出し渋って、結果彼女を死なせてみろ!!」

勇者「その時は、俺がてめえらを滅ぼすぞ!!!!」

 その鬼気迫る様子に、その場に居たエルフは皆一様に息をのんだ。
 決意に満ちた顔で頷いたエルフ少年が、長老の許可を待たずに駆け出した。

エルフ長老「こ、これ!」

 その動きを制する声はあっても、実際にエルフ少年を押し留めようとする者はいなかった。
 どさり、と何かが倒れる音がした。
 勇者は、ぼうとして音のした方に首を動かす。
 武道家が倒れていた。

 倒れ伏す武道家の体を踏み越えて、獣王が勇者達に迫りくる。

僧侶「う、あ、あ…」

 僧侶は動けずにいた。
 本当は今すぐにでも武道家の傍に駆け寄って、その傷を癒してあげたい。
 だが、今僧侶が戦士の治療を中断すれば、戦士はあっという間に死んでしまうだろう。

僧侶「あ、ああぁ…!」

 パニックに陥った頭では、現状を維持するだけで精いっぱいだった。
 僧侶は固く目を閉じて、祈るように戦士の体に魔力を送り続ける。

勇者「なんだよ…」

 勇者はふらふらと立ち上がり、切っ先の定まらぬ剣を獣王に向けた。

勇者「なんなんだよ……何でお前らぁ、攻めてくんだよぉ…! お前ら、魔界なんて自分の世界があんだろぉ…!? じゃあそこにいりゃいいじゃんかよぉ…何でこっち来んだよぉ…!」

獣王「我らが生きる為には新しい世界が必要だった。そしてどこの世界でも弱肉強食とは普遍の真理だ。強ければ生き、弱ければ死ぬ。それだけのことよ」

勇者「強い奴がそんなこと言ってんじゃねえよ!! ずりいんだよ、お前みてえな奴はぁ!!!!」

獣王「もういい。やはり貴様は見苦しい。見るに耐えん。武道家のように原形など残さず、バラバラの肉片にしてやる」

勇者「うあああああああああああああああ!!!!!!」

獣王「死ね」

 獣王がその爪を振り上げる。






 ――――――瞬間、世界が輝いた。




獣王「な……むぐ!?」

 一瞬呆気にとられた獣王の体を勇者が破れかぶれに振った剣が叩いた。
 その勢いに押され、獣王の体が後方に吹き飛んだ。

獣王「ぬう…馬鹿な…我が貴様如きにこれほど力負けするなど……ぬ?」

 勇者の剣が通った軌跡。
 その線をなぞって、獣王の毛皮がぱっくりと割れた。
 ブシュゥ、と夥しい量の血が傷口から噴き出す。

獣王「何ィィィィイイイイイ!!? 馬鹿な!! 奴の剣が我にこれ程のダメージを……これは一体!?」

勇者「何が……起こってるんだ?」

 勇者は―――勇者だけではない、この場にいる者は皆、呆けた顔で辺りを漫然と見渡していた。
 輝きは地面の下から。
 大地の発する輝きに包まれ、まるで世界全体が光に満ちたかのような錯覚を覚える。
 その中にあって、確かに感じ取れる事実があった。

勇者(精霊の加護が……これ以上ない程高まっている……)

 はっ、と我を取り戻して勇者は辺りを見回した。
 武道家の体がぴくりと揺れた。
 僧侶の呪文による戦士の傷の再生は、明らかにそのスピードを増している。

勇者(これなら……戦士も武道家も、助かるかもしれない…!!)

獣王「これは、一体なんだ!? 一体何が起こっている!?」

 勇者とは真逆に、不快気に喘ぐのは獣王だ。

獣王(息が苦しい……体の動きが鈍い……まるで、水の中にいるような――――いや、これはそんなレベルではない)

獣王(泥だ。この身の動きを阻害するこの抵抗は、まるで泥の海に沈み込んでしまったかのようだ)

勇者「うおおおおおおお!!!!」

 幾分冷静さを取り戻した勇者が、混乱に喘ぐ獣王の隙を逃さず突進する。

獣王「ぬう!!」

 思うように動かぬ体に戸惑いながら、それでも獣王は勇者の剣に拳を合わせる。
 今まで皮膚を浅く裂くだけに留まっていた勇者の剣は、今度は肉を裂き、拳を中程から二つに分かつほど食い込んだ。

獣王「があああああああ!!!? おのれ、おのれええええええええ!!!!」

 慌てて獣王は拳を引き、もう片方の腕の、その爪を勇者に突き出す。
 しかしその一撃はほんの僅かに身を躱した勇者の顔のすぐ横を空振りした。
 完全に、見切られている。
 勇者の剣が獣王の右肩から左腰までを大きく裂いた。

獣王「ぬううあああああああああ!!!!!!」

勇者(明らかにさっきまでと比べて、獣王の速度が落ちている。何となく分かってきた。つまりはこれが―――)

エルフ少女「つまりはこれが『宝術』の効果なのさ。範囲内の精霊の加護を極限まで高め、それに反する魔物の力を半減させる。要は超強化型の結界だね」

エルフ少女「獣王のような桁外れの化け物は通常の結界なんてものともしない。でも、この宝術はたとえ相手が如何なる存在であっても、その影響から逃れることは出来ない。たとえばそれが、魔王であったとしても」

エルフ少女「そうだね……感覚的な、おおよその値になるけど……本来の戦闘力の二分の一程度にまで落ち込むんじゃないかな」

 軽やかに広場に舞い戻ったエルフ少女が、僧侶に向かって得意げに解説した。
 僧侶はどこか夢の中にいるような感覚で、エルフ少女の言葉に耳を傾けている。

エルフ少女「……あの化け物を相手に、これだけの時間を稼いでくれてありがとう。もう大丈夫。私達の勝ちだ。これで、一刻も早く傷ついた二人を治療してあげてくれ」

僧侶「これは……」

エルフ少女「高位の『僧侶』でなくては発動できない逸品。使い手もなくずっと眠っていたエルフ族の至宝。でも君ならば、恐らく――――」

 エルフ少女が僧侶に差し出したのは、それ自体が緑の輝きを放つ特殊な金属で形作られた、『僧侶』専用の装備。
 エルフ族に代々伝わってきた宝具。


 精霊杖・豊潤だった。

獣王「おのれ…! おのれおのれおのれぇ!!」

 勇者の剣が獣王の胸を裂く。
 反撃する獣王の爪は空しく空を切った。

獣王「これが…これが、魔王様がエルフを我らの大敵と定めていた理由か…!! 彼奴等め、こんな面妖な術を操るとは…!!」

勇者「うおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 勇者の剣が遂に獣王の爪を砕いた。
 一気果敢に振るわれる勇者の剣は、獣王に次々と確かなダメージを与えていく。

獣王「まったく思う通りに体が動かぬ…!! 何という理不尽だ!! 怒りで腸が煮えくり返る、どころではない!! この身に巡る血液が全て沸騰して爆発してしまいそうだ!!」

勇者「納得いかないか? でも、お前が言ったことだぜ? この世は弱肉強食、なんだろ?」

獣王「囀るな糞虫がッ!!!! こんな、こんなものは認めぬ!! 戦とは、命の奪い合いとは!! 互いの全身全霊をぶつけ合い、鎬を削るものであるべきだ!! その先にこそ、我の求めるものが有る!!」

 勇者の剣が獣王の口に叩き付けられた。
 砕けた牙の欠片が散らばり、獣王の口から初めて獣王自身の血が溢れ出す。

獣王「ぐおおおおおおおおお!!!!?」

勇者「そんなもん、てめえの、常に勝者であった者の勝手な理屈だ。そんなもんを周りに押し付けてんじゃねえ」

 二度、続けざまに振られる勇者の剣。
 切断された獣王の両腕が回転して宙を舞った。

勇者「それに、これだって立派な俺達の力だ。てめえが馬鹿げた身体能力を武器にするように、俺達は知恵を武器にする。てめえはその比べ合いに負けた。それだけだ」

 勇者が地を蹴り、飛んだ。
 マントを風にはためかせ、大上段から振り下ろされる一撃を、もはや獣王に防ぐ術はない。

獣王「この我が、この我が!! 貴様如きにぃぃぃいいいいいいいい!!!!!!」

勇者「俺達の、勝ちだぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!!!」

 獣王の頭頂部に沈み込んだ勇者の剣は、その勢いのまま獣王の体内を滑り、やがて股から下に抜けた。
 縦に真っ二つに裂かれた獣王の体が、ずれてその場に重なり落ちた。

勇者「はあ…はあ……」

 勇者は、しばし呆然と獣王の死体を見下ろしていた。
 息は荒くなってしまってどうしようもない。
 ばくん、ばくんと高鳴る心臓はどうやって収めたらいいものか。
 かつて辛酸を嘗めさせられた相手を倒した。
 刻まれたトラウマの元凶を乗り越えた。
 だのに、だというのに―――達成感も、喜びも、驚くほど無いのはどうしたことだ。
 勇者は、その理由に気付いていた。

「勇者……」

 かけられた声に、振り向く。
 そこに居たのは、戦士だった。

勇者「戦士……良かった。助かったんだな……」

戦士「……おかげさまでな」

 勇者は戦士の、獣王に抉られた腹部に目を向けた。
 先ほどまで大穴が空いていたとは信じられないほどに、傷は塞がってしまっている。

勇者「良かった…本当に……」

 そう呟いた勇者の瞳からは、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていた。

戦士「勇者…?」

勇者「え、えぐ…! うぇぇ…!!」

 良かった―――? 良かっただって―――?

 ―――――どこがだよ、馬鹿野郎…!!!!

 勇者の目に映ったのは、戦士の腹部に痛々しく残った大きな傷痕。
 傷は塞がった。後遺症もないだろう。
 だがそこには、隠しようもない傷痕が残ってしまった。
 戦士の美しい皮膚の中にあって、明らかに異質なその質感。
 それを醜いと、そう判断してしまう輩は一定数以上確実に存在するはずだ。

勇者「ごべん…せんし…ほんとうにごべん…!!」

 この結果を招いたのは、自分の思慮の浅さだ。
 浅薄な作戦に戦士達を巻き込み、結果、取り返しのつかない罪を犯してしまった。
 勝利の余韻など、どこにもない。
 勇者の胸中にあるのは後悔と、仲間への申し訳無さだけだった。

戦士「まったく、お前は……」

 戦士は呆れたようにため息をついて、勇者の目の前まで歩み寄った。
 そして、そっと勇者の頭に手を触れると―――そのまま、勇者の頭をその胸に掻き抱いた。



戦士「謝るな。お前が私に謝る理由など何一つない」

勇者「でも、俺のせいで、戦士は女の子なのに、体にそんな大きな傷痕が残っちゃって」

戦士「そんなもの、この旅を始めた時からとっくに覚悟はできている。そんな気遣いをされるのは、逆に失礼だ」

勇者「でも…でも…!」

戦士「それに、今までお前にばかり大きな傷を負わせてしまっていたからな。対等になれたようで、私は嬉しいんだ」

 戦士はそっと勇者の頭を離し、今度は勇者のお腹の辺りにそっと手を触れた。

戦士「ここにもお前、竜に咬まれた時の大きな傷痕があるだろ。ふふ、ならお揃いじゃないか、私達」

 そう言って、戦士は微笑んだ。
 ぼろぼろと、勇者の目から零れる涙がその勢いを増す。
 勇者は思わず、戦士の胸に自分から顔を埋めていた。
 勢いに押され、戦士は思わずその場に尻餅をつく。

勇者「戦士…! うぐ、ああ…!! 戦士、戦士ぃ~~!!」

戦士「よしよし……ホント、泣き虫だな。お前は」


 自らの胸に顔をうずめ、子供のように泣く勇者の頭を撫でながら、戦士は思う。
 獣王にやられて、戦士は死にかけた。
 真実、死の直前まで追い込まれたのだ。
 命を取り留めることが出来たのは奇跡とすら言っていい。
 その時、命を失う感覚を、戦士は知った。
 留めたくても留めたくても、自分の世界が真っ黒に塗りたくられていく感覚を、戦士は味わったのだ。

戦士(怖かった……)

 思い出すだけで、手が震えてくる。
 こんな恐怖を勇者は五歳にも満たぬ子供の頃に味わったのか。
 しかも、成長してからも、もう一度。
 二度とは味わいたくない感覚だ。少なくとも戦士は二度とごめんだと思っている。
 それを二度、目の前の男は乗り越えた。
 それも自分の為ではなく、全て周りの人間の為に。
 それがどんなに困難な事か。それがどんなに尊いことか。
 戦士は、勇者がどれ程の恐怖と戦い、ここまでやって来たのかを初めて実感したのだ。

戦士「落ち着くまでそうしていろ。私は決してお前の傍を離れたりはしない」

 そんな言葉が自然と出てきた自分に戦士は驚きもしたが、不思議と不快には思わなかった。
 むしろ心地よささえ伴って、戦士は勇者の頭をいつまでも撫で続けていた。

 そんな二人の様子を、武道家と僧侶、そしてエルフ少女は遠巻きに眺めていた。
 とりわけ、エルフ少女は熱のこもった目で勇者をじっと見つめている。

エルフ少女(ありがとう、勇者。おかげで、エルフ族は全滅の危機を免れた)

エルフ少女(この恩は、必ず返すよ。君が求めるならば、私は私の全てを君に捧げよう)

エルフ少女(それがたとえこの命でも―――――ね)

 いつまでも微笑ましげに勇者と戦士を見つめている武道家と僧侶に背を向けて、エルフ少女は集落内の自宅へと足を向けた。

エルフ少女(まあ―――――まずは、心尽くしの料理を振る舞ってお礼をするとしよう。今夜はエルフ族総出の大宴会だ)

 多くの者が犠牲となった。
 今日を嘆く者もたくさん居るだろう。
 それでも、明日を生きる為に、皆食べて、飲んで、歌うのだ。





 今回の勝利は大きな転換点。


 ――――勇者の旅路は、一気に終局へと向かっていく。







 勇者達は獣王をやっつけた!




 勇者達は精霊杖・豊潤を手に入れた!







第二十三章  決戦(後編)  完

今回はここまで

いや~まさか一年経ってまだ終わらせられんとは思わんかった

こら年内完結も無理ですわ

何とか年度内完結を目指して頑張りますかねえ



「お兄さんたち、北の王国に行くつもりかい? やめときな。お勧めしねえよ」


「酒場の店主なんてやってるとな、色んな客が来る。あまり褒められたもんじゃねえ生活してる奴……まあぶっちゃけ、盗賊とかな。そういう奴らがな、声高に叫ぶんだ」


「あそこは地獄だ、ってな」


 力が必要だった。
 勇者は先般のエルフの集落での戦いで、獣王に勝利こそしたものの、その代償は大きかった。
 エルフには多数の犠牲者が出てしまったし、戦士はその身に一生消えぬ傷痕を残してしまった。
 特に後者の件については、勇者自身の力不足が大きな要因となっている。
 獣王への攻撃を戦士に頼り過ぎたのだ。
 勇者の攻撃力がもう少し高ければ、獣王に致命傷を与え得る威力を勇者も持っていれば、もっとリスクを分散させ、戦士が傷を負う事態を避けられたかもしれない。
 故に勇者は力を求めていた。
 自身の攻撃力を高める手段を欲していた。

勇者(『端和』で貰ったこの真打・夜桜だって決して悪い武器じゃない。でも、獣王クラスの敵を相手にするには足りなかった。やっぱり必要だ。俺にも―――神秘の結晶である、精霊剣が)

 だから勇者一行は、野を超え山を越え、ひたすら大陸の北端を目指していた。
 エルフの集落に伝わっている精霊装備の在りか。
 精霊甲は大陸南端のアマゾネスが保有し、精霊杖はエルフの集落に現存し―――

 そして剣は―――極北の王国に伝わっているという。


 そして。
 そして―――――。
 勇者達は遂に辿りついた。
 大陸北端。凍てつく大地に建つ王国。


 既に滅び、終わってしまった国に。






第二十四章  彼の根幹を成すもの




 その町は綺麗で見事な城壁に囲まれていた。
 しかし肝心の正面入口の門が開け放たれている。これでは何者の侵入も拒むことは出来まい。
 門を潜った所で、勇者達の耳に、トッ、トッ、と軽やかな足音が届いた。
 見れば、三体の狼型魔物が勇者達に向かって街路を駆けて来ていた。

狼型魔物「ガルルッ!!」

 唸り声を上げて狼型魔物が突っ込んでくる。
 武道家は真っ先に飛び込んできた狼型魔物の牙をするりと躱し、その背中に拳を打ち下ろした。
 べぎぎ、と骨の砕ける音がして、狼型魔物の体が地面に強か叩き付けられる。
 その衝撃で内臓も潰れたのだろう。魔物の口から赤黒い血がどろりと零れた。
 それを見て咄嗟に勇者達から距離を取ろうと身を翻した二体の魔物達であったが、もう遅い。
 二メートルにも及ぶ戦士の大剣の射程圏から逃れることは叶わず、二体の魔物は纏めて戦士によって薙ぎ払われた。
 それぞれ二つ、都合四つに分かたれた肉塊がぼとぼとと地面に落ちる。
 辺りを見回して周囲に他の魔物がいないのを確認してから、勇者は顎に手を当てた。

勇者「門が開きっぱなしになってるから、魔物たちのいい棲家になっちゃってるみたいだな」

武道家「しかし妙だな。建ち並ぶ家々に全く損傷が見られない。滅んだ、というから、もっと破壊された町並みを想像していたんだが」

勇者「確かにそうだな。勝手に魔物に滅ぼされたって想像してたけど、疫病や飢饉で滅びたのかも……これだけ寒いと食糧調達も大変だろうし」

 きょろきょろと町を観察していた勇者は、城壁の内側に上に上がるための梯子がかかっているのに気が付いた。
 これなら町の全容を見渡せるのではと思いたち、勇者は梯子に足をかける。
 十分な高さまで上がった所で、町の方を振り返った。
 人口規模はおよそ一万人弱、といったところだったのだろう。
 建ち並ぶレンガ造りの家々。やはり寒さに備える為か、木造の建築物は殆ど見当たらない。
 町の先には見事な城が聳え立っている。
 勇者は信じられない、と頭を振った。
 ここから見える景色は見事なもので、荘厳で、美しくさえある。
 なのに。

勇者「本当に滅んでるのかよ、ここ……」

 勇者の背がぶるりと震える。
 それは決して、吹きすさぶ寒風によるものだけではなかった。

 勇者達はまず町を探索することにした。
 いの一番に向かう先はもちろん武器屋である。
 それらしき看板が掲げられた建物を見つけ、勇者達は中に入る。
 入り口のドアは、鍵が破壊されていた。
 ドアと壁とを固定する金属部がぐにゃりとへしゃげている。鍵がかかったままのドアを無理やりこじ開けたようだ。

僧侶「あれ…?」

 店内に入って、僧侶は素っ頓狂な声を上げた。

僧侶「ここ、武器屋さんですよね? でも、店の中に何にも置いてません」

勇者「んあー、やっぱり持ち出されちゃってるか。ま、当然だわな。国を捨てるにしても、出来る限り財産は持っていくだろうし」

 悪いと思いつつ、勇者は店の奥の居住スペースに足を踏み入れた。
 目的は商品を管理する帳簿を探すことである。

勇者「う…!?」

 寝室と思しき部屋を覗いた時、思わず勇者は呻き声を上げた。
 吐き気を催す異臭。
 ベッドの傍に、二つの死体が転がっていた。

勇者「な…これは…?」

 勇者は恐る恐る、死体の傍に歩み寄った。
 二体とも損傷が激しい。
 その様は、肉食獣に好き放題食い散らかされて打ち捨てられた草食獣を思わせる。
 勇者は僅かに残った面影と周辺に散らばる装飾物から、辛うじてその遺体が中年の男女であることを判別した。

勇者「もしかして、店主とその奥さん…? いや、だって、え…? に、逃げたんじゃ、この国を捨てて逃げ出したんじゃ…!?」

 勇者は立ち上がり、すぐに寝室を後にした。
 物凄い形相で店を飛び出そうとする勇者の後を、武道家たちは怪訝に思いながらもついていく。
 勇者は武器屋の隣の家に向かった。
 ゾッ、と勇者の背が震える。
 隣の家のドアも、鍵が壊されていたのだ。
 中に入る。
 今度はすぐに気付いた。
 異臭がする。
 臭いの元と思われる部屋を覗いた。
 そこはやはり寝室で、やはり死体が転がっていた。
 ベッドの上に仰向けになった夫婦の死体。
 先ほどの武器屋の夫婦と比べて損壊は少ないものの、かなり腐敗が進んでいる様子だ。
 この寒さの中でもこれだけ腐敗が進んでいるのだ。死してから相当の時間が経過しているのだろう。

僧侶「ヒッ」

武道家「なんだ…これは…」

 勇者の後ろから死体を見つけ、絶句する仲間たちを押しのけて、勇者は再び外へ向かった。

戦士「おい、待て! 勇者!」

 戦士が慌てて勇者の後を追う。
 街路に飛び出した勇者は、周辺の家の玄関を手当たり次第確認していった。
 どれもこれも、鍵が壊されている。
 試しにもう一軒中に入ってみたが、やはりベッドの脇に転がる死体を発見した。

勇者「そんな……!」

 じっとりとした嫌な汗が勇者を濡らす。
 勇者はさっき、城壁に登りこの国を俯瞰して眺めている。
 たくさんの家が建ち並んでいた。
 たくさんの、数えきれないくらいの家が。

 ―――その全てが、まさか同じような状態に?

 勇者の脳裏に、この国に至るまでの道中立ち寄った、とある酒場の主人の言葉が蘇った。




「あそこは、地獄だ」



勇者「……もう少し、町を見て回ってみよう。精霊剣についても、この国そのものについても、情報をもっと集めなきゃ……」

 勇者達は宿屋と思しき建物に足を踏み入れた。
 入り口から入ってすぐに受付のカウンターがあり、右手に二階への階段が、左手側に食堂が設けられている。
 食堂を覗くが特に異常は見られない。
 その時、階上でガタンと物音がした。
 勇者達はお互いの顔を見回す。全員がその音を聞いていた。
 食堂を後にし、息を殺して二階への階段を上がる。
 二階へ到達し、勇者は身を屈めて廊下を覗いた。
 部屋の数は六つ。廊下の左右に三つずつ扉が並んでいる。
 そのひとつ、右手側真ん中の部屋のドアが開いていた。
 そしてその中から、ぴちゃぴちゃ、ぐちゃぐちゃと音が漏れている。
 もっとも身のこなしに長けた武道家が先陣を切り、足音を立てぬよう廊下を進んだ。
 ゆっくりと部屋の入口まで到達し、武道家は中を覗き込む。
 そこに居たのは、町の入口で戦闘したものと同じ、狼型の魔物だった。
 狼型の魔物が、その口を血で赤く濡らし、人間の死体に牙を突き立て、死肉を貪っている。

武道家「つあッ!!」

 武道家が一気に部屋の中へ駆け入った。
 びくりと反応した狼型の魔物が咄嗟にその場を飛び退るが武道家の方が圧倒的に速い。
 手甲から飛び出た刃(スピア)で薙ぎ払い、武道家は一撃で狼型魔物の首を断った。

勇者「死体がそのままにしてあるから、魔物たちのいい餌場になっちまってるのか……」

 勇者達は遺体に黙とうを捧げ、宿屋を後にした。

 二十余りの家を見回った頃だった。

戦士「そこで何をしている」

 戦士の鋭い声が飛ぶ。
 戦士の視線の先で、一人の男が死体をまさぐっていた。

男「な、なんだぁ?」

 戦士の声でびくりと肩を震わせて、男は戦士の方を恐る恐ると振り返る。

男「同業者……じゃねえな、その綺麗な身なりは。なんだ? お嬢ちゃん何者だ?」

戦士「それはこちらの台詞だ。何者だ貴様。この町の生き残りか?」

男「いやあ、違う違う。俺っちはしがない盗賊よお。何をしていたかと問われれば、だから仕事をしてたのさ」

戦士「死体を漁って、金になる物を掠め取ろうとしていたのか……この、下衆が」

 戦士が剣を構えるのを見て、盗賊を名乗った男は慌てて両手を振った。

盗賊「いやいやいや! ちょい待ち! なんで俺をとっちめる流れになってんのさ!?」

戦士「どの口がぬかす、悪党が」

盗賊「いやいやよく考えなよ嬢ちゃんよ! 俺はここで本来捨て置かれるはずだった物を回収して、それを必要とする奴に渡してやってんだぜ!? この世から無駄を無くす、どっちかというとこりゃ立派な善行だ! そうだろう!?」

戦士「死者の尊厳はどうなる」

盗賊「死者の尊厳より生者の繁栄だ!! それともアンタ、死んだ人間の名誉の為なら生きてる人間が犠牲になってもいいってクチかい?」

戦士「…ッ! そ、れ…は…」

勇者「随分と口が回る盗賊だな」

盗賊「あん? 連れがいたのか?」

戦士「ゆ、勇者……」

勇者「これまで色々あったせいで俺は盗賊の言葉なんてとても信用できやしないんだが……それでも、正論ではあるな。お前の言葉は」

盗賊「連れの方は随分物分かりがいいじゃねえか。おいアンタ、自分の女の手綱はしっかり握っといてくれよ。チンケな正義感でこっちの商売邪魔されたんじゃたまったもんじゃないぜ」

勇者「そうだな。悪かった。別に俺は今のお前の行為を咎めたりはしないよ」

戦士「勇者…!?」

勇者「時に盗賊。お前の仕事とは、商売とはなんだ?」

盗賊「あぁ?」

勇者「お前達盗賊は『奪う者』だ。農民が作物を作るように、鍛冶屋が刃物を造るように、『何かを生み出す』ことは出来ない。生産者ならぬ略奪者。それがお前達盗賊っていう人種だ」

盗賊「何が言いてえんだ、てめえ」

勇者「今日のお前は死者から奪う。だから俺は咎めない。だが、明日のお前はどうだ? かつてのお前はどうだった? 金貨を纏った死体などそう都合よく落ちてやしない。その時お前はどうする? その時、お前は何から奪うんだ?」

盗賊「は、はあ…?」

勇者「答えろよ。その答え次第じゃ、俺はお前を断罪するぜ」

盗賊(何言ってやがんだコイツ……その時は普通に行商人とか襲うに決まってんじゃねえか……しかしそれを正直に言ったらめんどくせえことになりそうだな)

盗賊「そん時はしゃあねえな。こんなやくざな商売からは足を洗って、故郷の畑を耕すことにするぜ」

勇者「そうか。なら俺から言える事はもう何もない」

盗賊(チョロッ!! 馬鹿かよコイツ!! 正義マン気取りなんてうっぜえ真似はママのおっぱいちゅうちゅうしながらやってやがれ!!)

勇者「本当にすまないな。もしかしたら、本当に、万が一くらいに、お前は本心からそう言ってるのかもしれないけれど」

盗賊「あ?」

勇者「言ったろ? 色々あってな。俺は今、盗賊の言葉を信用する気になれないんだ」

盗賊「はぁ!? ちょ、待、テメ…!!」

 盗賊が立ち上がる暇もなかった。
 勇者は真打・夜桜を一閃し――――盗賊の首はその胴体からごとりと落ちた。

 町を一通り見回り終わり、勇者達は遂に王宮に足を踏み入れた。
 ただし、武道家のみ、勇者に何事か耳打ちされて別行動に移っている。
 正面入口から中に入ると広いエントランスホールになっていた。
 エントランスは三階に該当する部分まで、巨大な吹き抜けになっている。
 床にある大きな赤絨毯はそのまま真っ直ぐ正面の大階段へと繋がっていて、左右の壁にはそれぞれ四つのドアが設えられていた。

勇者「……」

戦士「……」

僧侶「……」

 誰も言葉を発さない。
 半ば以上予想していたことではあった。
 だが実際に目にするとやはり言葉を失ってしまう。
 エントランスには、少なくとも十人以上の兵士が横たわっていた。
 血だまりはとっくに固まって黒く変色し、これだけ広いエントランスに腐臭が立ち込めてしまっている。
 上下や左右に分かたれた死体もある。一刀で鎧ごと切り裂かれた様子だ。
 正面大階段を上がり、殊更重厚な作りの扉を押し開ける。
 目の前に、玉座があった。どうやらここが王の間らしい。

 そしてそこが、最も酷い惨状となっていた。

 数多の兵士の死体が床に折り重なっている。もはや、足の踏み場もない程に。
 たっぷりと横にも広い部屋であるはずなのに、その両壁に血の跡がべっとりと残っていた。
 そして壁に寄り掛かるようにしてある、歪に曲がった兵士の死体。
 吹き飛ばされ、壁に叩き付けられ、潰れて絶命したその情景がまざまざと勇者の脳裏に浮かぶ。

勇者(そんな……そんなことが可能だとしたら、一体、それはどれ程の膂力で……)

 玉座は空席だった。
 その主は、この部屋の最も奥の、右隅の角で死んでいた。
 とはいえ、それも断定はできない。
 おそらく盗賊によって身包みを剥がされたのだろう。その死体は裸同然の格好だった。
 死体自体も腐敗が進んでおり、もはや生前の面影を読み取ることは出来ない。
 だが、状況的にその死体が王である可能性は高そうだった。
 兵士を皆殺され、王は逃げ場を無くし、こんな部屋の隅まで追い詰められ、討たれた。
 きっとそういうことなのだろうと勇者は思った。

 王の間を後にして、勇者達は王宮内の探索にかかった。
 そこかしこに転がる死体には、もう感慨を抱かなくなってしまった。

 もし――と勇者は思考する。
 これが、自分の国で起きたことだとしたら、と。

 転がる死体は皆顔見知りで、家族や親友の死体を魔物に喰い散らかされ、憧れていた女性の死体を盗賊にひん剥かれて。
 ぞっとした。少し想像しただけで吐き気が込み上げ涙が浮かんできた。
 勇者はぶんぶんと頭を振って脳裏に浮かんだ嫌なイメージを振り払う。

 だが―――有り得ないことではないのだ。
 魔王軍が勢力を増し、勇者達の故郷に大勢力で侵略して来たら―――
 勇者はまた身震いした。
 そうさせない為にも、必ず精霊剣を手に入れなくてはならない。

 勇者達は図書室に辿り着いた。

勇者「ふう……やっとこういう部屋が見つかったか」

 勇者が元々王宮内で目指していたのはここだった。
 事前に仕入れた情報によれば、精霊剣はこの国に代々伝わってきた物のはずだ。
 誰か個人の持ち物ではなく、国の所有物として管理されていたのであれば、必ずそれに関する文献が存在する。
 それを得るために、この図書室を訪ねてきた。
 それはいいのだが……

勇者「お、思った以上に、本を収集する国だったのね……」

 高さ二メートル程で、六段収納できる本棚が実に四十以上も立ち並んでいる。
 少なく見積もっても五千冊以上の蔵書があろう。もしかしたら、一万冊を超えているかもしれない。

勇者「でも、探すしかねえんだよなあ……戦士と僧侶ちゃんはあっちから調べてみて。俺はこっちからいくから」

 終わりの見えない作業であったが、勇者達は実に根気強く調べ物を進めていく。
 三時間で目的の物が見つかったのは本当に運が良かった。
 勇者が手に取ったのはこの国が貯蔵する武器の管理簿だ。
 その中でも最も目立つ、最初のページにその記載はあった。
 『精霊剣』。
 その文字を目にした勇者の胸が俄かに踊り出す。
 しかし直後の記述に勇者は茫然自失となった。

勇者「マジか……」

 ただ一言そう呟いて、勇者はその場に膝をついてしまった。
 色々な感情が頭の中を渦巻いて、考えを纏めることが出来ない。
 ただ一つだけはっきりしていることがあった。








 勇者用の精霊剣は、手に入らない。






 町を囲う城壁を抜けた所で、ちょうど別行動をしていた武道家と合流した。

武道家「ぐるりとこの城壁の周りを回ってみたが、勇者、お前が言うような跡はどこにも無かったぞ。綺麗なものだった」

勇者「そうか……」

 応える勇者の言葉は重い。
 何かあったのかと問う武道家に、戦士と僧侶から勇者が城内で得た情報が伝えられた。
 勇者がそうであったように、勇者から話を聞いた戦士と僧侶もそうだったように、武道家もまた、言葉を失ってしまう。
 重苦しい雰囲気を打ち破るように、勇者は宣言した。

勇者「これから再び親父の、『伝説の勇者』の伝説を辿る。そして、『光の精霊』の加護を獲得するんだ」

 光の精霊。
 それは、精霊の頂点に立つ、神にも等しい存在と伝えられる。
 その加護を得ることが出来たのは、この世で唯一、『伝説の勇者』だけだ。

勇者「現状どこで光の精霊に接触できるかもわからないし、正直雲を掴むような話だけど、やるしかない。精霊剣を手に入れることが出来ないと分かった以上、何か別の力を手に入れる必要がある。なんせ―――」

 勇者は背後の『滅びた国』を振り返った。

勇者「国一つをまるごと暗殺するような奴が敵にいるんだ。今のままじゃ、俺達は絶対に勝てない。俺達は今よりもっともっと強くならなきゃならないんだ」

 勇者の言葉に、武道家、戦士、僧侶の三人は力強く頷いた。
 勇者達は『滅びた国』を後にする。
 最後に、勇者はもう一度その国を振り返った。
 たくさんの人が死んでいた。多くの者が魔物に遺体を貪られていた。
 決して少なくない人数が死後の尊厳を汚されていた。
 成程、ここは確かに地獄だった。
 少なくとも勇者にとってはそうだった。勇者にはその光景はとても耐えられるものではなかった。
 鼻の頭がツンと熱くなる。込み上げる涙を必死に抑えながら、勇者は『彼』の名前を呼んだ。








勇者「騎士――――お前は、この光景を見て、一体何を思ったんだ?」









 湖月。

 それがこの『滅びた国』に伝わる精霊剣の名前であった。




 また、しばらくの後、世界中にこのような噂が広まり始める。

 『勇者一行が、消息不明になった』―――と。 



第二十四章  彼の根幹を成すもの  完


今回はここまで

 勇者達が消息を絶って三ヶ月――――
 魔王城に最も近い『武の国』は、これまでにない規模の魔王軍の侵攻に晒されていた。

兵士長「退くな!! 我らの敗北はすなわち人類の敗北を意味するものと知れ!!」

 兵士達に檄を飛ばすのは、世界最強と名高い『武の国兵士団』を束ねる兵士長だ。
 その流石の実力で目の前に迫った魔物を瞬く間に斬り倒した兵士長だが、その表情には焦りが浮かんでいる。

兵士長(日に日に魔物の量が増えている……このままではジリ貧……いずれは押し切られてしまう……!)

伝達兵「兵士長!! 三番隊が押されています!! 強力な魔物複数に同時に攻め立てられているらしく、危険な状態です!!」

兵士長「三番隊が突破されれば正門守護隊の側面を突かれ、守備が瓦解する……援護に向かえる部隊はいるか!?」

参謀「それが、どこもギリギリで戦線を維持している状況で……急行する余裕のある部隊はおりません」

兵士長「チッ、やむを得ん。ならば俺自身が…!!」

兵士A「兵士長!! 危ない!!」

巨大怪鳥「グェアアアアアアアアアア!!!!!」

兵士長「ぬぅぅッ!?」

 守備隊を突破してきた強力な魔物がその鉤爪で兵士長の首を刈り取らんと迫る。
 咄嗟に身を躱した兵士長は、宙を飛び回る魔物に切っ先を向け、がりりと奥歯を噛んだ。

兵士長「まずい…! 非常にまずいぞ…!! このままでは突破される……武の国が、魔物に蹂躙されてしまう!!」

 件の三番隊は、凄惨たる有様となっていた。

三番隊隊長「ぐ…う…」

 隊長も既に地面に横たわり、虫の息だ。
 積み重なる兵士の死体を見下ろす二体の魔物がいる。
 魔物は、そのどちらもが人型だった。
 片方は、真っ赤な肌に角を生やした、一つ目の鬼。
 もう片方は、漆黒の肌に翼をはためかす、白眼の悪魔。
 この二体の魔物は、今武の国を襲う魔物の精鋭達と比較しても、なお飛び抜けた強さを誇っていた。
 一つ目の赤鬼が振るう棍棒は鋼鉄製の鎧を呆気なくひしゃげさせ、黒い悪魔の放つ炎は十人の兵士を纏めて黒こげにした。

一つ目鬼「ふん…やはり人間。所詮はこの程度か」

上級魔族「たかだか国一つを落とすのにこれ程の戦力を投入するとは、魔王様も些か慎重すぎる。まあ、あの獣王様が戻らぬとあっては、そうなってしまうのも無理からぬことだが」

一つ目鬼「あの獣王様が人間にやられるなどと……あり得ん。きっと興が乗ってどこぞで遊びほうけているのだろうさ」

 じゃり、と砂を踏む音がした。
 二体の魔物が音のした方に目を向ける。
 そこには、後ろに流した長い金髪を赤いバンダナで纏めた男が立っていた。

上級魔族「何者だ? 貴様」

 黒い悪魔の問いに、赤いバンダナの男は―――勇者との合流を果たすため、『武の国』に滞在していた騎士が、口を歪めて笑う。

騎士「何者だ―――だと? おいおいお前ら、まさかこの俺を知らないってのか?」

一つ目鬼「なに…?」

騎士「お前ら、魔王軍の中でもかなり上位の部類だろう? あの『暗黒騎士』に相当近しい立場にいるはずだ。そんなお前らが、よりにもよってこの俺を知らないだと?」

 騎士は剣を鞘から抜いた。
 精霊剣・湖月の蒼い刀身が煌めく。

騎士「ははッ!! いらねえなあ! そんな無能はこの世に存在している価値がねえよ!! しょうがねえから、この俺がてめえらを処分してやる!!」

一つ目鬼「わけのわからぬことを……」

上級魔族「要らぬのは貴様だ。人間」

 黒い悪魔がその手のひらを騎士に向けた。
 その手のひらから数多の兵士を焼き焦がした紅蓮の炎が騎士に向かって放出される。

騎士「穿て、湖月」

 騎士の持つ精霊剣・湖月から大量の水が迸った。
 指向性をもって放出された水は槍と化し、黒い悪魔の放った炎と衝突、相殺する。
 一瞬で気化した水分は大量の蒸気を生み出し、煙幕となってその場に立つ者の姿を覆い隠した。

上級魔族「ぬう! 小癪な…ッ!?」

 煙幕を切り裂いて騎士が黒い悪魔の目の前に肉薄した。
 黒い悪魔の首目掛けて騎士は湖月を振るう。
 黒い悪魔はこれまで武の国兵士団に対してそうしていたように、刀身を掴み取ろうと手を伸ばす。
 黒い悪魔の体は馬鹿げた強度を誇っていた。黒い悪魔の皮膚を浅く裂くことすら、武の国の兵士たちには出来なかった。
 世界で最も強大と謳われる武の国の兵士たちでさえ、出来なかった。

 ぐるり、と黒い悪魔の首が回転して宙を舞う。

 騎士の剣はあっさりと、紙を裂くように黒い悪魔の腕を断ち、そのまま首を斬り落としていた。

一つ目鬼「……え?」

 一つ目の鬼がその目を大きく見開いた。
 騎士が自身に向かって剣を構えなおしたのを見て、鬼は慌てて棍棒を振りかぶる。

一つ目鬼「つ、潰れろぉッ!!」

 多くの兵士を鎧ごと叩き潰した鬼の一撃。
 鬼の巨大な体躯を見ても、その一撃がどれ程の威力を持つかは容易に想像できる。
 振り下ろされる棍棒に対して、騎士が行ったアクションは『ため息をつくこと』だった。

騎士「おっせ…」

 呆れたようにそう呟いて、騎士は迫る棍棒を避けようともせず、左手で裏拳をかました。
 ボン、と音をたて、木製の棍棒は木っ端みじんに砕け散る。

一つ目鬼「へ…?」

 呆然と舞い散る棍棒の破片を目で追っていた鬼の首がずるりと落ちた。

 二体の魔物を瞬殺した騎士は、夕焼けによって赤と青が混じり出した空を見上げる。

騎士(勇者……お前は今どこで、何をしてるんだ?)

 騎士は空に向けていた目線を地平線に戻した。
 夕日を背にして蠢く無数の影が、どんどんこの武の国に迫っている。

騎士(早く何とかしなきゃ、終わっちまうぞ? お前が行方不明になっちまったって噂が、多くの人間の耳に入っちまってる)

騎士(今までは『伝説の勇者』の息子であるお前が魔王討伐の旅をしていることを知っていたから、人々は堪え忍ぶ戦いを続けられた。お前がいなくなっちゃあ、人々はそのモチベーションを保てない)

騎士(代わりに魔王討伐に向かおうなんて奇特な奴はきっともう現れない。お前は各地で活躍し過ぎた。名前を売り過ぎた。世界はとっくにお前に命運を預けちまったんだ)

騎士(……俺が一人で魔王城に行くことは無い。お前が一緒じゃなきゃ、俺が魔王の所へ行く意味なんてないんだ)

兵士長「こ、これは…!?」

騎士「ん?」

兵士長「報告にあった魔物が既に倒されている……これは君がやったのか?」

騎士「まあな」

兵士長「礼を言う……ありがとう」

騎士「別に。ここで人と落ち合う約束してるからな。待ち合わせ場所を潰されちまったらたまんねーから、ちょっと手伝っただけだ」

兵士長「そうか……ようやく合点がいったぞ。前回の武闘大会で『狂乱の貴公子』として優勝したのは、君だな」

騎士「な、なんのことやら」

兵士長「いや、確かに君には見覚えがある。実はあの後『狂乱の貴公子』を名乗る人物を兵士団に登用したのだがな……大会で見た時とあまりにも力量が噛みあわないので、首をひねっておったのだ」

騎士「マジデナンノコトイッテンノカワカンネッス」

兵士長「なに、替え玉で出場したことを罰する気は毛頭ない。今こうして大きな恩を受けてしまったことだしな。出来れば、これからも力を貸してもらいたいが……」

騎士「まあ、さっきも言った通り待ち合わせ場所無くなるのは困るからな。そりゃ手伝うのはやぶさかじゃねーよ。でもよ、どうすんだ?」

 騎士が視線を送るのは、今なお武の国に向かって侵攻を続ける大量の魔物の群れだ。

騎士「あの中に俺やアンタより強い魔物が居るとは思わねーが、それでも量が多すぎる。こんな風に部隊に穴が空いちゃ、侵入を完全に防ぐなんて出来ねーぞ」

兵士長「そうだな。そこで、部隊に穴の空くことがないよう、君には劣勢の部隊の援護に回る遊撃隊の役目を担ってもらいたい」

騎士「何それ超面倒くさい」

兵士長「報酬は弾む。何なら、この戦を切り抜けた後に兵士長の座を譲ってもいい」

騎士「いらねーよ。っつか、それでもジリ貧だろ」

兵士長「だが、そうして敵が尽きるまで堪え忍ぶほかに道は無い。何か、そう、奇跡のようなものでも起きない限り――――」






 ―――突如、眩い光が騎士と兵士長の目を覆った。




 思わず目を閉じた二人を今度は耳をつんざく轟音が襲う。

騎士「な、なんだぁ!? 何が起こった!?」

兵士長「い、今の光と音は…」

 目が眩む瞬間、兵士長は確かに見た。
 天から地に落ちる、一本の光の帯を。
 そして今も耳に残る、ゴロゴロゴロと大気を震わす爆裂音。

兵士長「か、雷…? しかし、雷雲なんてどこにも……」

騎士「おい! 見ろよ!!」

兵士長「…ッ!?」

 兵士長は言葉を失った。
 こちらに向かって侵攻してきていた魔物の大半が、黒く焦げて倒れ伏している。
 そして今もなお、現在進行形で次々と魔物が打ち倒されていた。
 戦っている。誰かが。あの魔物の群れの中に飛び込んで。

騎士「……ははッ!!」

 その正体に気が付いて、騎士は笑った。


騎士「おっせえな!! 今までどこほっつき歩いてたんだよ―――勇者ッ!!」






第二十五章  神話の森




 時は三か月前に遡る。
 勇者一行は光の精霊についての情報を求め、『伝説の勇者』の足跡を辿り、そして遂に有力な情報に行き当っていた。

「世界の中心、言わば地球のへそとでも言うべき地に聳え立つ世界樹。世界全体をその根で支えていると伝えられるその聖なる樹に『光の精霊』は宿っているという」

 とある村に伝わっていたそんな伝承を頼りに、勇者は『世界樹の森』と呼ばれる聖地に足を踏み入れていた。

勇者「ぐあ~、しんど……」

武道家「まったくだな。入口からここに至るまで、足の踏み場というものが全くない」

戦士「道を遮る枝葉を切り払うだけで一苦労だ。まさか精霊剣を使ってなお手こずる硬度とは」

僧侶「ヒィ…ヒィ…!」

勇者「僧侶ちゃん大丈夫? 休憩いれよか?」

僧侶「い、いえ……まだ頑張れます。頑張らせてください」

 エルフの住まう大森林、アマゾネスの住処である南国の密林など、様々な森を踏破してきた勇者達だったが、この世界樹の森にはほとほと参ってしまっていた。
 その大きな要因は二つある。
 まず、世界樹の森は本当に一切人の手が入っていない。
 つまり道というものが無い。勇者達は鬱蒼と生い茂る木々をいちいち切り開いて進まなければならない。
 そしてその木々や植物群の繁栄が異常だった。
 行く手を遮る木や草がいちいちデカい。精霊の加護で身体能力が格段に上がっているはずの勇者達ですらその処理には手こずった。
 いや、デカいのは植物だけではない。

巨大猪「………」ムオーン…

勇者「ぬあ!! またでやがった!!」

巨大猪「ンゴッ!! ンゴゴゴ!!!!」ドドドド!

勇者「おふん!!!!」ドッパーン!

武道家「ゆ、勇者ーーーッ!!!!」

戦士「おのれ、よくも勇者を!!」チャキッ

僧侶「か、回復しますぅ!!」

 世界樹の森に住まう生き物は、その悉くがスケール違いだった。
 人の手が入らず、太古の姿のまま現存する森。
 成程、この地に生きる精霊が特別な力を持つというのも頷ける。
 いや、或いは―――この地に居る精霊が特別だからこそ、このような森が誕生したのか。
 その判別をつける余裕は、今の勇者達には無かった。

巨大猪「」ズズーン…!

武道家「な、何とか退治できたか……」

勇者「今の戦いでかなり消耗したな……食糧も残りが心もとなくなってきたし、一度最寄りの町へ戻ろう」

 そう言って勇者は背負っていた鞄から『翼竜の羽』を取り出した。

勇者「よし、じゃあ皆俺に寄ってくれ」

 『翼竜の羽』の効果を複数の対象に伝播させるには、使用者と少しでも物理的な接触を持たなければならない。
 そのため、仲間たちはそれぞれ思い思いに勇者の体に手を伸ばすのだが……

勇者(……なんか最近、戦士の様子がおかしい……前は肩にぽん、と横から手を置く程度だったのに、最近はなんかわざわざ正面からすり寄ってくるというか……戦士が俯いてて顔見えないから意図が読めない! 怖い!)

 今回もまたやたらと近づいてきて鎖骨辺りに手を添えてくる戦士に戦々恐々としながら、勇者は『翼竜の羽』を発動させた。




 しかし、不思議な力でかき消されてしまった!!





勇者「……は?」

 これにて勇者一行の遭難が決定した。

勇者「いやいやいや! はーッ!? はぁぁッ!?」

 思わぬ事態に狼狽した勇者は何度も翼竜の羽を発動させようと試みた。
 しかし、羽はうんともすんともいわない。体が浮き上がる兆候はいつまでたっても訪れない。

武道家「おい…これ、まずいんじゃないか?」

勇者「まっじーよ!! すげぇまっじーよ!! やばい、急いで戻ろう。食糧が尽きる前に、翼竜の羽が使える所まで移動するんだ」

 慌てて踵を返す勇者達。
 しかし行けども行けども森が切れる気配はない。

勇者「んあああああああ!!!! 何でやねん!! 来た道が分かるようにずっと目印つけながら来てたのに!! あんだけ慎重に一方向に真っ直ぐ進んできたのに!! なんで戻れねえんだどこだよここはぁぁぁあああああ!!!!」

 勇者は絶叫した。
 自身の方向感覚や道順の記憶力には自信があっただけに、この状況は勇者を大いに混乱させた。

勇者(やばい…どうする…? この森、見たことねえ植物ばっかで食えるものが判別できねえ…マジで飢え死にする危険性があるぞ……)

戦士「だ、大丈夫か? 勇者」

勇者「あ、ああ。ごめん、取り乱した」

戦士「いや、何ともないなら、いい」

武道家「しかしどうする? 体力があるうちに前進するか? いや、闇雲に進んでもより深く迷い込んでしまう可能性があるか…」

勇者「とはいえ、ここでじっとしててもしょうがない。進もう。森から出られないなら、せめて水は確保できる場所を探さなきゃ……」

 三日が経った。
 勇者達は未だ世界樹の森から出ることも、光の精霊の宿る樹を見つけることも出来ていない。
 勇者は武道家、戦士、僧侶に干し肉を手渡すと、食料を入れていた袋を逆さまにしてがさがさと振った。

勇者「……これで、持ってきた食糧は最後だ。これから先は、いよいよこの森の中で食糧を調達しなきゃいけなくなる」

 仲間たちの顔は暗い。
 それもそのはず、今仲間たちに配られた食糧だって、何とか切り詰めてここまでもたせたものだ。
 空腹を紛らわすには、全く量が足りていない。
 干し肉を口に運ぼうとして、僧侶はふと勇者や武道家、戦士の持つ肉と自分のものを見比べた。

僧侶「……勇者様。お気持ちは嬉しいのですが、私の分はもっと少なくて結構です。体力を使う役割を担う、他の皆こそ多く食べるべきです」

 僧侶の干し肉は他の三人と比べて明らかに大きかった。
 それをいつもの勇者の僧侶に対する甘さだと判断した僧侶は強い口調で勇者に言った。
 しかし勇者は首を横に振った。

勇者「そうじゃない。むしろこれからは、僧侶ちゃんこそ万全の状態になっていなくちゃならない。十全にその『精霊杖・豊潤』を揮うために」

僧侶「え…? それはつまり、どういうことでしょう?」

勇者「こういうことだよ」

 干し肉を飲み下した勇者は、背中の鞄に手を回すと、中から奇妙な丸い物体を取り出した。
 何かの実だろうか?
 勇者が刃を入れると浅黒い皮の中から白い果肉が顔を覗かせた。
 果肉をナイフでほじくり出して、しばし逡巡していた勇者だったが、やがて意を決してその果肉を口に運んだ。

戦士「なっ!?」

武道家「く、食えるのか!?」

勇者「わからん。俺の知ってる果物に見た目が似てたから、食えるかもってだけだ。もしかしたら毒があるかもしれない。その時は僧侶ちゃん、豊潤を使って解毒を頼むよ」

僧侶「そ、そのために私に…!? そんな無茶な!!」

勇者「しかしそうするしか方法がない。トライアンドエラーを繰り返して、食べられるものを判別していくしか……」

 ミキメキバキバキと、樹木の倒れる音がした。
 振り返ると、またも常識外れの巨大な猪が、勇者達を見て興奮し、鼻を鳴らしていた。

勇者「ありがてえ。お前を一番試してみたかったんだ。いい所に来てくれたぜ」

 巨大猪を打ち倒してから、勇者は早速死体の解体作業に入った。

武道家「そ、そいつも食べるのか?」

勇者「当然だ。コイツの肉が食用に適してるってわかれば、このサイズだ。もうほとんど食糧の心配をする必要が無くなる」

戦士「勇者、流石にそれはやめた方がいい」

僧侶「そ、そうですよ」

戦士「魔物の肉は全てが毒だ。毛皮や牙などは資材として調達されても、肉自体は捨て置かれるのはそれが理由だ。それをお前が知らないはずはないだろう?」

勇者「そうだな。確かに魔物の肉は猛毒だ。腐敗した魔物の死体は大地を腐らすとさえ聞く」

戦士「だったら……」

勇者「でも、多分大丈夫だ。だって、こいつは魔物じゃないからな」

僧侶「魔物じゃない!? この巨大さで!?」

勇者「ああ。僧侶ちゃんたちは知らないか。前に、武道家と二人でアマゾネスの試練に挑んだ時、巨大な大鷲を見た。普通じゃ考えられないサイズの奴さ。その大きさの原因は、竜神に起因する強大な精霊の加護を受けていたことだった」

勇者「きっと、この森に生きる動物も同じなんだと思う。強大に過ぎる光の精霊の加護を受けて、常識では考えられないサイズまで成長しただけなんだ」

 横倒しにした猪の腹を裂き、内臓を掻きだしていた勇者はうん、と一度大きく伸びをした。

勇者「いや、それにしてもでけえわ……腐らす前に解体終わっかな……」

武道家「お前の言う通りなら、本当にもう食糧の心配はしなくて良さそうだな」

勇者「解体作業が終わるころまでに俺に異常がなければ、さっきの実も食べて大丈夫だろう。こりゃ何日迷っても余裕かもしれんぜ、がはは!!」

 そんなことを言っていたのが良くなかったのかもしれない。

 勇者は大木の根元に身を預け、虚ろな瞳で空を見上げていた。
 他の三人も似たり寄ったりだ。皆思い思いの体勢で無気力に地面に横たわっている。

武道家「今日で何日目だ…?」

戦士「33…いや、4だったか…?」

勇者「……32日だね」

武道家「記録を取ってるのか……マメだなお前は……」

勇者「いや、普通に必須だろ……と思ってたけど、もういいかな、なんか……」

僧侶「正直に言っていいですか?」

勇者「いいよ~」

僧侶「お風呂入りたいです」

戦士「ああ~いいなぁ~。入りたいなぁ~」

勇者「もう10日くらい川に行き当ってないからね~」

 本来であれば、川を見つければそこを拠点として探索をする。
 しかしこの森は例外だ。一度拠点を離れれば、もうそこには戻ってこれない。
 だからといってずっと川の傍を離れないという訳にもいかない。あくまで目的は『世界樹』の探索だ。
 ちなみに川をずっと下れば森の外に出られるのではないかと考え、実行したが、5日を費やして駄目だったので諦めた。

僧侶「私多分今すっごい臭いですよ」

戦士「何言ってんの?」

勇者「マジで? 嗅いでいい?」

僧侶「いいですよ~」

戦士「何言ってんの? ホントに。ねえ僧侶? しっかりして?」

勇者「では早速…」

武道家「俺に無駄な体力を使わせるなよ勇者……」

勇者「ちっ…」

「何というか、死屍累々という感じだな」

勇者「……? 武道家なんか言った?」

武道家「いや? 今のは勇者、お前じゃないのか?」

「ひと月以上もこの森で生き抜いた人間がいると知って、様子を見に来たのだがね。この過酷な環境に耐え兼ねて、もう身も心も極限状態というわけだ。所詮は人間、ということか」

 勇者達四人は跳ね起き、即座に互いの背中を合わせ、周囲を注視した。

「ほう。覇気が戻ったな。精根尽き果てたというわけではないらしい。前言を撤回しよう。流石にこの森で生き抜くだけはある」

勇者「何だこの声…? どこから聞こえてんだ…?」

武道家「右から聞こえるようにも、左から聞こえるようにも思える……」

戦士「上や、下からのようにも……」

僧侶「いえ、むしろ心の中に直接語りかけてくるような……」

勇者「誰だ!! 姿を現せ!!」

「誰だ、という問いには答えよう。しかし姿を現すというのは勘弁してくれ。元より私は君たちのような肉の体は持たん。この『声』も、君たちにコンタクトを取るために急遽用意した仮初のものに過ぎんのだ」

 『声』は言う。




「私には名も無い。しかし通り名というか、人間が用いる通称はある。それを名乗ろう。私は君たち人間が『光の精霊』と称するモノだ」



 ごくり、と勇者は唾をのんだ。

勇者「光の精霊…? 本当に…?」

光の精霊『そうだ。かつて魔王なるものを打倒し、人の世に救済をもたらした人間――名は何だったかな。ええと―――』

勇者「『伝説の』……『勇者』」

光の精霊『ああ、そうだ。その人間にこの地で加護を与えた存在を君たちは光の精霊と呼ぶのだろう? であれば、それは紛れもなく私であると断言しよう』

僧侶「信じられない……こんなにはっきりと、人と言葉を交わすことが出来る精霊がいるなんて……そもそも、精霊には意思なんて無いと考えられていたのに……」

光の精霊『如何なる精霊にも意思はあるさ。しかし君たちの考えるような「思考」はしない。「嗜好」はあるがね。私は少々特別なんだ。特殊で、特異だ。私を基準にして精霊を考えない方がいい』

勇者「光の精霊が、どうして急に俺達の所に…? ま、まさか…!!」

 勇者はさっきまで自分が枕にしていた大樹に目を向ける。

勇者「この樹が俺達がずっと探し求めていた、『世界樹』だったのか!?」

光の精霊『違うよ』

勇者「違うんかい!!」

光の精霊『正確には、その樹が特別というわけではない、といったところか。その樹は実際世界樹ではあるのだよ。ただ、それはこの森の樹すべてに言えることだ。この森に立つ樹は皆世界樹と呼ばれる大樹だ。私が宿る特別な樹、というものはその中には無い』

戦士「では何故今になって突然こうして私達に接触してきたんだ?」

光の精霊『一言で言うと興味がわいたんだ。脆弱な人間の身でこの森をひと月も生き抜いたのは「伝説の勇者」以来だったからね。是非、話してみたくなった』

武道家(ということは、そもそもこの森で長期間生き抜くことが光の精霊と接触を持つ方法だったということか)

勇者「光の精霊。実は我々は、貴方に頼みがあってここまでやってきたのです」

光の精霊『ふむ、察するに、「伝説の勇者」と同じ用件といったところかな』

勇者「そ、その通りです! かつて我が父にそうしたように、貴方の加護を我々に与えてほしいのです!!」

光の精霊『子供だったのか。……運命、か。人は確かに私すら知覚しえない何かに導かれ、行動を決定している。だから、面白い。君たちの名は何というんだね?』

勇者「勇者です」

武道家「武道家」

戦士「戦士だ」

僧侶「僧侶と申します」

光の精霊『そうか。勇者よ。かつてこの地で私と語らった「伝説の勇者」の息子よ。私は君の願いを是非とも叶えてやりたいと思う』

勇者「ほ、本当ですか!? そ、それでは…」

光の精霊『しかし、無理なんだ。私の加護は唯一人のみにしか授けることが出来ない。そしてその加護を、私は既に授けてしまっている。「伝説の勇者」に。君の父に。その加護が戻らない限り、私は君に力を与えることは出来ないんだ』

勇者「……え?」









 『伝説の勇者』は生きている。生きて、私の加護を保持し続けている。






 ―――――だから私は、君に力を授けることは出来ない。











勇者「親父が…生きて……?」

戦士「そんな…うそ……」

 光の精霊の言葉に、勇者と戦士は唖然としていた。
 我を失っていた。
 二人ほどではないが、武道家と僧侶もまた、驚きの面持ちでいる。

光の精霊『代わりといってはなんだが、特別な呪文を勇者、君に授けよう。君の父、「伝説の勇者」は呪文の素養を持たなかったからね。この呪文だけは、私のもとに残っていた』

 勇者の体が仄かに輝きだした。
 そこで勇者はようやく我を取り戻す。

勇者「あ、ありがとう、ございます……」

光の精霊『癖のある呪文だ。慣れるまで慎重に扱うといい。そして、他の皆にとって慰めになるかはわからないが、この森で生き抜いた君たちの時間は決して無駄ではなかったと言っておこう』

光の精霊『既に十分承知の事とは思うが、この森に生きる生物たちは皆強大な精霊の加護を身に纏っていた。それを倒し、己の血肉としたことでかなりの加護が君たちに移行している。この森に入る前と比べて、君たちはもはや別人と言っていい程強くなっているはずだ』

勇者「そ、それは、あの…」

光の精霊『この森に生きる者達の命を奪ったことを責めはしないよ。君たちは生きる為に食べた。弱肉強食、それだけのことだ。そもそも、別に私はこの森の主というわけでもない』

勇者「い、色々とありがとうございました!!」

光の精霊『それと最後にもう一つ。どんなに強大な魔物でも、この森の中ではほとんどの力を抑制されるから、全く脅威にならない。だから、この森で生きる者達にとって魔王のことなんてはっきり言って他人事だ。ここで力を授かったからといって君が余計に気負う必要はない。君はあくまで君自身の為に、或いは人間だけの命運の為にここで得た力を揮うといい』

 それから、光の精霊の声に導かれ、勇者達は世界樹の森を脱出した。
 過酷な森の生活を終え、とにもかくにも一行は最寄りの町で疲れを癒す。
 ここぞとばかりに奮発して、町で一番いい宿に泊まって、旨い料理と酒を堪能した。
 ひと月余りの間原始的な食事を続けていた勇者達にとって、趣向の凝らされた宿の料理は極上の味わいであった。
 翌日、十全にリフレッシュ出来たことも相まって、殊更明るい声で勇者は言った。

勇者「親父のことは取りあえず忘れる! 後回し! 積み上げ!」

 その宣言に面食らう三人に対し、勇者は言葉を続ける。

勇者「今はそれより優先して考えることがある。そうだろ?」

 三人は頷いた。

戦士「そうだな…お前の言う通りだ。今は『あの人』の影を追っている暇はない、…な」

勇者「新しい呪文を授かり、森の生活で加護のレベルを上げられても、肝心要の『光の精霊』の加護を得ることが出来なかった。つまり、俺達の力はこれでほぼ頭打ちってことだ。この状態で、魔王軍に勝てる方策を考えなきゃならない」

武道家「確かに、これから各地に残る神殿を解放して加護を増やしても雀の涙だろう」

僧侶「今の状態で、真っ向から魔王に立ち向かっても……厳しいでしょうね」

戦士「そうだな。正直、まだあの獣王にすら真っ向勝負で勝てる自信がない」

勇者「そうだな。だから、発想の転換をする。俺達がこれ以上強くなれないなら、相手に弱くなってもらうしかない」

僧侶「それは、つまり……どういう…?」

勇者「光の精霊の最後の言葉で思いついたんだ。強大な精霊加護の宿る地では、魔物達は十全に力を発揮できない。ならば戦場をその地にすれば……」

戦士「加護の強い土地に魔王たちをおびき寄せるということか?」

武道家「それは無理だ。アマゾネス達の住処や世界樹の森が魔物に侵略されていないのは、魔物達がその効果を嫌っているからだ。つまり、魔王たちもそんな事は重々承知している。のこのこと加護の強い土地に足を運んだりはせんだろうさ」

勇者「そうだ。だから無理やりする。魔王たちの意思など関係なく、奴らを強大な精霊加護の中に叩き落とす」

武道家「出来るのか? そんなことが」



勇者「それを確認するために、行こう。もう一度、エルフの里へ。もう一度、エルフ少女の下へ」





勇者(……もし、実現可能だとしても、この作戦には大きな穴がある)

勇者(でも、その穴はどうやったって埋められないから、もうやるしかない)

勇者(やるしか……ないんだ)



勇者(……クソ親父……生きてんならさっさと戻ってこいよ……!!)






 ―――――魔王軍による武の国大侵攻まで、あと二か月。



第二十五章  神話の森  完

今回はここまで

 ――――――初めにその事実に気付いたのは、武の国の辺境警備隊であった。

 武の国の北西には、険しい山脈によって外界から完全に切り離された地域が存在する。
 とはいえ全く謎の場所という訳ではなく、幾人もの探検家によってその地域の状況は既にあらかた詳らかにされていた。
 山を越えた先は深い森が広がるばかりで、人がいるような様子はなく、所謂典型的な『未開の地』であったという。
 ある日のことだ。
 辺境の警備にあたっていた武の国の兵士が、北西の山脈の麓で見慣れぬ生き物を目撃した。
 牛でもなく馬でもなく鳥でもなければ犬でもない。
 強いて言えば狼に近かったが、狼というには余りに大きかったし、爪も牙も狼とはとても思えぬ凶悪さだった。
 その生物は辺境警備隊の存在に気付くと嬉々として走り寄ってきた。
 そして―――その牙を兵の一人に突き立てた。
 その生物は、人を食らう異形の怪物だった。
 報告を受けた武の国は、速やかに討伐隊を編成、辛くも怪物の撃退に成功した。
 以降、武の国は北西山脈の警備を強化し、その結果、山の向こうから次々と異形の怪物がこちらに渡って来ていることが判明した。
 武の国は調査隊を北西の山脈に派遣し、調査を開始した。
 調査により、様々なことが発覚した。
 山の中は異形の怪物の巣窟と化していること。
 多くの怪物が山を越えた跡があり、既に世界中に怪物が散っている可能性があること。
 何より武の国を震撼させたのは、『未開の地』であったはずの山向こうに、巨大な建造物が出現していたことだった。
 出現と、そう表現せざるを得ない程に、その『城』は突然その地に現れた。
 その『城』を拠点に次々と涌き出る怪物たちを、武の国は『人とは決して相容れぬ、魔なる物』と定義した。
 かくして人類と魔物の長きに渡る戦いが幕を開けた。
 戦いの中で人類は魔物の王―――『魔王』の存在を知る。
 いつしか北西の山脈の先は『魔大陸』と呼ばれるようになり、禁忌の地とされた。

 魔王軍によるかつてない規模での大侵攻。
 武の国は何とかこれを退けることに成功した。
 その勝利の要因を挙げるとすれば、やはり勇者達の介入があったことに尽きる。
 勇者達自身が大量の魔物を討伐したことが勝利に直結したのは勿論だが、何より勇者の生存を知った兵達の士気が跳ね上がったことが大きかった。
 かつて一度は魔王を打倒し、世界を救った『伝説の勇者』の息子。
 その健在は、戦う兵達に希望をもたらした。
 「まだ俺達は負けていない」と、「勝てる」と強く意識せしめた。
 そうして底力を発揮した兵達により魔王軍は押し返され―――勇者は救国の英雄と称えられた。
 勇者の存在は今や紛れもなく人々の希望の象徴となっていた。
 そんな勇者は現在、武の国の王、武王と対峙し頭を垂れていた。

武王「よせよせ。頭を下げるべきはむしろこのワシだ。この国を救ってくれた恩人に頭を下げねばならぬのは、このワシなのだ」

 そう言って玉座から立ち上がった武王は勇者に対し深々と頭を下げた。
 その行為を、傍に控えた女王も大臣も、王の護衛に当たる兵士達も、誰も咎めなかった。

勇者「お、おやめください。私の助力など微々たるもの……全ては練度高きこの国の兵士たちの尽力の賜物でございます」

 ただ一人、分不相応な対応に居心地の悪さを感じていたのは当の勇者だけだった。

武王「謙遜するな勇者。お主の働きなくばこの国は魔物どもに侵され、多くの無辜の民が犠牲になっていたことだろう。この恩をワシは忘れん。何かお主に望みがあれば、可能な限り応えるつもりじゃ」

勇者「過分なお言葉ありがとうございます。では、大変図々しく恐縮でございますが、早速お願いがございます」

武王「よい。何なりと申せ」

勇者「魔王を打倒するための最終作戦―――その遂行に、全面的に御協力をいただきたい」


 その言葉に―――しん、と水を打ったように場内が静まり返った。






第二十六章  さあ、最後の戦いを始めよう




勇者「魔王の軍勢は強力です」

 魔王討伐のための最終作戦―――その説明を求められた勇者が室内にいる者の顔を見回しながら口を開く。

勇者「はっきりと申し上げて、魔王軍の中でも上位の魔物には、どれほど精霊の加護を高めようと人の身で太刀打ちするのは困難でしょう。いわんやそのトップたる魔王をや、です」

 王の間に控えていた兵士たちを始め、場内にどよめきが走った。

勇者「魔王の側近である『獣王』という魔物を相手にして、私はそれを痛感しました。無力を嘆き、それから少しばかり力をつけた今もなお、かの『獣王』を独力で撃破することは到底不可能であると断言できます」

 勇者の言葉に場内にいる者は不安に駆られ、混乱に満ち、どよめきはなお大きくなっていく。

勇者「しかしながら、私はその獣王の討伐に成功しました」

 おお! と聴衆から声が上がった。
 その場に居る者を代表し、武王が勇者に向かって口を開く。

武王「どうやって?」

勇者「エルフの秘術、『宝術』。特殊な結界陣であるソレは、領域内に居るあらゆる魔物の力を半減させ、精霊の加護を受ける我らの力を倍増させる力を持つ」

武王「エルフ? エルフだと? まさか、実在するというのか、あの伝説の存在が」

勇者「入って来てくれ」

 ギィ、と王の間へ続く重厚な扉が開かれる。
 勇者の呼びかけに応じて入って来たのは、長い金髪をポニーテールで纏めた、見目麗しい少女だった。
 動きやすさを追求した薄手のジャケット、太ももが大きく露出したショートパンツ。
 その恰好から活発な気性の少女であることはうかがい知れる。
 だが、それだけだ。
 それ以外に特筆すべき点はない。
 この少女が一体何だと言うのか。

勇者「エルフ少女。変化の杖の効果を解いてくれ」

エルフ少女「ん。りょーかい」

 エルフ少女と呼ばれた少女の体から煙が噴き出した。
 その摩訶不思議な現象に武王を始め、その場に居る者は皆面食らった。
 噴き出す煙が勢いを無くし、皆、怖々と少女の体を注視する。
 一見して、特に変わった点は見受けられない。
 何人もの人間が首をひねる中、誰かが「あっ!」と声を上げた。
 その視線の先で、ぴょこん、と少女の長く尖った耳が揺れていた。

武王「なんと……! 本当に実在していたのか…!」

 武王は目を大きく見開いていた。
 エルフ少女のその特異な容姿もさることながら、真に武王を信用させたのはエルフ少女の正体を隠匿していた『変化の杖』なる神秘の存在であった。

武王「エルフ少女と申されたか。其方が勇者の作戦に協力してくれると?」

エルフ少女「人間共と馴れ合うつもりは毛頭ないけど、勇者には返しても返しきれない恩がある。魔王軍という共通の敵を討ち果たすためというなら、手を貸そう」

 凛とした表情でエルフ少女は言い放つ。
 いつもの彼女と余りに違う雰囲気であるのは、あくまでエルフ族の代表としての立場を貫いている故か。

武王「話が見えてきたぞ。その『宝術』とやらを使って彼我の戦力差を埋めようというわけだな?」

勇者「ご明察の通りです。しかしこの宝術も万能ではない。その欠点の一つに、効果範囲がそれ程大きくないという事が挙げられます。エルフ少女独力で発動した場合、例えるなら小さな集落をやっと覆えるほどの範囲にしか効果を発揮できない」

武王「では、どうする。……そうか、読めたぞ。エルフ少女を何とか魔王城内に潜入させ、そこで宝術を発動させるのだな? 我らに協力してほしい事とは、その際のエルフ少女の護衛というわけだ」

勇者「……少し違います。宝術のもう一つの欠点、それは発動まで術者であるエルフ少女が全くの無防備になってしまう点です。深く、深く集中しなければならないため、術の発動中のエルフ少女は周囲の状況に全く頓着出来ない。そんな状態の彼女を、敵地のど真ん中で守り切ることは難しいでしょう」

 ごくりと唾を飲み込み、武王は三度、勇者に問うた。

武王「では、どうする?」

勇者「宝術の効果範囲は小さい――――しかしそれはエルフ少女が『独力で』術を展開した場合です。術を補佐する人材が居れば、そして効果を及ぼしたい範囲に前もって陣を描くなどの下準備をすれば、その効果範囲を広げることが出来る」




勇者「魔王城を中心に、実に直径100㎞―――――魔大陸そのものを、宝術の支配下に落とします。我々はこの二ヶ月、そのための準備を進めてきました」

勇者「でも、まだ足りない。この作戦の成功の為には、どうしても『皆』の力が必要なんだ」

勇者「武王様。私からのお願いを申し上げます」


勇者「『伝説の勇者の息子』の名の下に、各国の王を招集し、此度の戦いの為の『世界会議』を開催させていただきたい。武王様には各国への呼びかけと会議の場の提供をお願い致します」


 武の国へ大侵攻を仕掛けてきた魔王軍の動向を見るに、作戦には緊急の必要性があるとして、会議は二日後に開催される運びとなった。
 当然、馬車などの通常の移動手段では間に合うはずもなく、招待された者の殆どが『翼竜の羽』を用いて飛んでくることとなった。
 今回の『世界会議』のために準備された会議室には円卓が置かれており、その頭、12時の方向に議長として勇者が着席していた。
 武王は勇者の左隣に着席している。
 初めに会議室を訪れたのは眉目秀麗な青年だった。
 王としては余りに若く、しかし若輩の狼狽など微塵も感じさせぬ泰然とした雰囲気を持つ彼は、かつて勇者が人身売買を撲滅した地、『善の国』の王、『善王』であった。
 勇者は立ち上がり、善王の元へ駆け寄った。

勇者「善王様! お忙しい所を突然御呼び立てして申し訳ございません!」

善王「良い。君の呼び立てならば他の何よりも優先して馳せ参じよう。互いに健勝なようで何よりだ」

 善王は武王にも軽く挨拶を交わし、勇者の右隣に着席する。

戦士「失礼する」

 戦士に先導されて部屋に入ってきたのは勇者達の故郷、『始まりの国』の国王だ。
 国王は勇者の姿を認めると目を細めた。

国王「おお……勇者よ。旅を始めたあの時から、よくぞここまで立派になった」

勇者「いえ、私などまだまだ未熟な身。皆様の助け無くば何を成すことも出来ません」

国王「あやつも草葉の陰で喜んでおろう。これからも頼むぞ、勇者よ」

勇者「………」

 勇者は口を噤んだ。
 確たる証拠がない以上、父の事はまだ報告すべきではないと思った。

武道家「協力を快諾してくれたことには本当に感謝している……だが、少し離れてくれないか? 少々くっつきすぎだ」

竜神「ふふーん! 駄目じゃ! これはお主を籠絡する絶好のチャンスなんじゃ! ほれ族長、もっと乳を当てんか!」

アマゾネス族長「はい! 竜神様!」

 銀髪の褐色幼女を右手にぶら下げ、金髪美女の豊満な胸を左腕に押し付けられながら、疲れた顔で武道家が会議室に入ってきた。

僧侶「むっす~」

 武道家の後ろに控えていた僧侶は、その様子を面白くなさそうに見つめている。
 褐色ロリと、下着同然な格好の金髪美女の登場に、その場に居た者は困惑した。

善王「勇者……か、彼女たちはその、どういう…?」

勇者「か、彼女たちはその、大陸の南端にお住いのアマゾネスという部族の皆さんで……その強力な力は魔王討伐の確かな戦力となると思いまして、今回声をおかけした次第なんですが、その……少々自由奔放な方々でして、その……」

善王「そ、そうか……エルフに知己を得ていたことといい、君の交友関係は実に広くて面白いな、はは…」

勇者「え、えへへ……ってゆーか竜神様!! アンタまで出てきたんすか!?」

竜神「なんじゃ? 悪いか?」

勇者「悪くはないですけど……ここまでちゃんと『翼竜の羽』使って来たんでしょうね?」

竜神「なーんで儂があんな小竜の羽なんぞに頼らねばならん。自前の翼で飛んできたわ」

勇者「だーもう!! すんません武王様!! 何かでっけえ竜を見たって報告が一杯上がってくると思いますけど気にせんでください!! 全部このアホです!!」

竜神「おお!? この儂をアホ呼ばわりするとはいい度胸じゃの!! やるか!? お!? ここでやるか!? お!? お!?」

武道家「どうどうどう」

武王「ふぅむ……なんかよくわからんが、わかった!!」

国王「しかし、若い娘があんなにみだりに肌を晒して……少々下品に過ぎるのではないかね?」

武王「よいではないか。眼福、眼福!」

騎士「よっ! お邪魔するぜ~」

 緊張感の欠片もない様子で入室してきたのは騎士だ。
 騎士の背後には、勇者が初めて見る男性が控えていた。
 男性自身は初見だが、その独特な服装には見覚えがある。

勇者「もしかして……」

武王「よう! 久しいな、『倭王』!」

 果たして武王はその男の事を倭王と呼んだ。
 倭王とは勇者も以前訪れた、東の海に浮かぶ島国、『倭の国』の王の名だ。

勇者「お初にお目にかかります。『伝説の勇者』の息子、勇者と申します。まさか、倭王様にまでお出でいただけるとは……」

武王「ワシが声をかけたのだ。倭の国の武士団は強力。世界の命運を分けるこの大決戦に参列させぬ理由はない、とな」

倭王「我が国は四方を海に囲まれたいわば天然の要塞。魔物による被害は正直な所ほとんど無い。無いが、それで対岸の火事と事態を静観するのは恥知らずのすることよ。それに、勇者殿には恩義もある故な。我が武士団の力、存分に活躍させてほしい」

勇者「は、はあ……申し出は非常にありがたく思いますが……しかし、恩義とは…正直、私には何も心当たりがないのですが…」

倭王「『端和』。悪しき竜の手先になっていたあの村の始末をつけてくれたのはお主であろう?」

勇者「は、はい。確かに、我々が竜の討伐を行いましたが……」

騎士「勇者、俺に感謝しろよ~?」

 騎士が勇者の肩に腕を回し、その首を引き寄せた。
 ぼそぼそと、倭王に聞こえないように声を絞る。

騎士「『ドラゴン殺し』なんてとんでもないことしておいて、お前さっさと帰っちまうからよ、俺が倭王の所に行って猛アピールしといたのよ。駄目だぜ勇者。売れる恩は売れるだけ売っておかねえと。こういう時に役に立つんだからよ」

勇者「……お前、倭の国に残ってそんなことやってたのか」

倭王「勇者殿、騎士殿、如何いたした?」

騎士「いやいや、何でもないっすよ~」

勇者「倭王様。この矮小な身に過分な評価、痛み入ります。此度の助力に心より感謝申し上げます」

倭王「うむ。お主の采配、楽しみにしているぞ」

エルフ少女「役者は揃った、って感じかな?」

 エルフ少女とエルフ長老の入室を最後に扉が閉じられた。
 エルフの存在を初めて目の当たりにした面々にどよめきが走るが、事前に通達済みであったこともあって、皆すぐに落ち着きを取り戻した。
 エルフ少女に促され、エルフ長老は円卓の空席に着席した。
 今の着席順は12時の方向に座る勇者から時計回りに武王、国王、エルフ長老、アマゾネス族長、倭王、善王となっている。
 またそれぞれの背後に武の国兵士長、戦士、エルフ少女、武道家と僧侶と竜神、騎士と倭の国武士団長、善の国護衛団長が控えていた。
 勇者がゴホン、とひとつ咳ばらいをする。

勇者「それでは――――作戦の詳細を、説明いたします」

勇者「作戦の要はエルフ少女が有するエルフの秘術、『宝術』です。宝術を発動させることが出来ればその影響下に居る魔物の力は半減し、逆に我々の精霊加護は強まります」

勇者「問題は宝術の影響範囲の狭さです。エルフ少女独力で展開した場合の影響範囲はおよそ周囲500m程度。魔王軍との戦闘をこの範囲内に収めるのは不可能です」

勇者「しかし事前の準備と術の補佐を行うことが出来る人物がいればこの宝術の影響範囲を広げることが出来ます」

勇者「必要な事前の準備とは『結界陣の構築』。大きな街を守る広範囲の結界は神官独力のものではなく、城壁などに描かれた呪言による補助を受けて構築されていることは皆さんご承知の事と思います。これと同様に魔大陸にも結界陣を設け、エルフ少女の術を補助・強化します」

善王「しかしそれは難しいのでは? 魔大陸を囲む範囲に呪言を描くとなると、一体どれほどの月日がかかることか…」

武王「描いた文字も、風雨に晒されればあっさりとかすれてしまうだろうしなあ……」

勇者「呪言に頼らず陣を構築する方法はあります。これを見てください。魔大陸の地図です。魔大陸のほぼ中央に魔王城は建築されています。この魔王城を囲うように六点―――このように、点を打ちます。この点を結んだ時に浮かび上がる図形は何か分かりますか?」

騎士「なんだ? 六角形?」

竜神「違うな―――なるほど、六芒星か」

勇者「その通り。この六点に精霊加護を高める『神殿』を建造し、魔力の中継点とする。神殿という導があれば、呪言に頼らずとも大地に魔力を走らせることは出来る。走らせた魔力で六芒星を描くことが出来れば、その陣の範囲に宝術の効果を拡幅することが可能だ」

倭王「神殿の構築は如何する? いわば敵の本拠地に入り込んでの作業。これは至難の業だぞ?」

勇者「実は既に神殿の構築は終えております」

国王「なんと!?」

勇者「この二ヶ月、我々はエルフ少女と共に魔大陸に乗り込み、隠密に陣の構築を行っていました。ごく小さな、単純なものではありますが、神殿の機能を十分に有するものを六点、表記の場所に準備しております」

勇者「また、その際に神殿の場所については精査と吟味を重ねました。この魔大陸の地図はその時の作業の副産物です」

武王「我が国で保管している魔大陸の地図より詳細で正確な地図……どこで都合したのかと思っていたら……」

騎士「お前……行方不明になっちまったと思ってたら、とんでもねえことやってたんだなぁ……」

エルフ長老「エルフ少女が立ち会ったというなら、神殿の出来に間違いはなかろう。であれば残る問題は、エルフ少女の補佐が出来るほどの術者を如何に都合するか、だな」

勇者「はい。中継点となる神殿でエルフ少女からの魔力を受け取り、次の神殿へ魔力の方向を定める術者が、つまり5人は必要です。呪言に頼らず数十キロの距離に渡って魔力を走らせるわけですから、相当高位レベルの神官である必要があります」

勇者「これが可能な神官となると……善王様。貴国が有する『大神官団』をおいて他にはいないと、私は考えます」

善王「わかった。大神官団の中でも選りすぐりの5人を手配しよう」

勇者「よろしくお願いします。そして……その5人の中に、どうしても一人、加えていただきたい人物がございます」

善王「む?」

勇者「陣を描く際に重要となるのはエルフ少女から対角線上に位置する術者です。エルフ少女から最も遠い場所で術を維持する必要があるわけですから、最も術力の高い、信頼できる人物にその役目は任せたい。そしてその役目を任せられる人物を、私は一人しか知らない」

勇者「―――神官長様を呼び戻し、戦列に加えていただきたい」

善王「……勇者、それは」

勇者「国外追放を命じたとはいえ、あれ程の傑物です。常に監視をつけ、あの方の所在は把握していらっしゃるのでしょう?」

善王「……人類の命運をかけた戦いだ。勝利の為に、目をつぶらなければならないこともある、か……わかった。約束しよう。彼は必ずこの戦いに参加させる」

勇者「ありがとうございます」

アマゾネス族長「勇者よ。我々が呼ばれた意図はなんだ? 聞く限り、我等には特にやることが無いように思えるが」

勇者「役割はあります。今までお話ししたのは如何にして宝術の範囲を広げるのかという部分だけです。重要なのはここから。重要なのは、実際にどうやって宝術の発動を成功させるかということなのです」

勇者「問題となるのは宝術の発動までにかかる時間です。魔力による陣を描く時間に加え、エルフ少女が宝術を唱える時間まで含めると相当な時間を要するでしょう。高められた魔力は光を放ち、可視化する。そんなものが周囲を囲っていると分かれば、魔王軍もこちらが何かを企んでいることを察するでしょう。そうなれば、こちらの妨害の為に魔物を向かわせてくることは容易に想像できます」

勇者「宝術の完成まで六つの神殿と六人の術者を防衛する。その為に、皆さんの力が必要なのです」

 作戦の決行は七日後に決まった。
 各国の代表者たちは一度国に戻り、勇者の作戦に参加するための精鋭部隊の編成にとりかった。
 善王は大神官団から選りすぐりの四人を選抜した後にかつて追放した神官長を加え、直ちに武の国へ派遣した。
 神官長も含め、派遣された五人の高位神官たちはエルフ少女に師事し、宝術発動の為の修練に努めている。
 日を跨ぐにつれ、続々と各地の精鋭たちが武の国に集結。
 武王の命により作戦参加者は手厚くもてなされ、英気を養った。
 また、武王の計らいで、作戦参加者だけでなくその家族や近しい者達も武の国へ招待され、一時的な住まいを与えられていた。
 その中には、勇者の母もいた。

母「いよいよ魔王に挑むのね、勇者」

勇者「ああ」

母「大丈夫よ。自信をもって。あなたはあの『伝説の勇者』様の息子。絶対に勝てるわ。というより、負けるはずがないのよ。なんていったってあなたは、あのお方の息子なんだから」

勇者「そうだね。僕もそう思う。母さんは心配しないで僕の帰りを待っていてよ」

母「ええ。そうするわ。大丈夫よ。心配なんてしていない。自分の運命を信じるのよ、勇者」

 母子はぐっ、と抱擁を交わす。
 母は安らかに満ち足りた顔で。
 子はその真逆の表情で。
 勇者は母に父の健在について話すべきか長らく逡巡していたが、結局黙っていることにした。

勇者(清廉潔白が服着て歩いてるようなあの親父が生きてて帰ってこないってんなら、何か帰ってこれない理由があるんだ。それが判明しない内は、いたずらに母さんをぬか喜びさせるようなことは言うべきじゃない、な……)

勇者(俺も、この戦いの後生きて帰ってこれるかわかんないわけだし……)

 さらに日数が経過した。
 作戦の決行が近づくにつれ、勇者の心は不安と恐怖で重く沈んでいった。
 覚悟は決めたはずだった。だけど、ふとした拍子に死への恐怖が頭をもたげだす。

勇者「ああ、嫌だ……ホントに嫌だ……逃げ出したい。消えてなくなりたい……」

 いよいよ明日は作戦決行の当日。
 各地から沢山の人が集結した武の国は、まるで武闘会が開催された時のように、祭りの如き賑わいをみせている。
 しかし勇者はどうしてもはしゃぐ気持ちになれず、作戦の最終的な打ち合わせを終えた後は与えられた客室に籠ってしまっていた。
 ベッドに横になって、勇者はぼうっと天井を見つめている。
 トントン、とドアをノックする音が聞こえた。

勇者「……はーい。どなた?」

??「忙しいところすまない。少しだけ、話をさせてもらえないだろうか?」

 声の主の正体に思い当った勇者はベッドから跳ね起きた。
 急いでドアを開け――――内心の動揺を隠しつつ、部屋の前にいた人物に声をかける。

勇者「ど、どうも……神官長様」

 勇者と神官長の二人は武の国王宮三階のテラスに出ていた。
 本日は快晴で空は抜けるように青く、テラスから見下ろせる武の国の街はここからでも活気に溢れているのが分かる。

神官長「突然お邪魔してすまなかったね」

勇者「いえ、暇でしたから……」

 柵に手をかけ、眼下の街を見下ろす神官長の姿を勇者は観察する。
 かつて善の国で大神官団のトップを務めていた、紛れもなく世界一結界術に長けた偉大なる男。
 彼は息子のスキャンダルにより失脚し、善の国より追放された。
 罪を犯した息子自身は死刑となった。
 そのスキャンダルを暴いたのは他でもない、勇者だ。
 本来であれば顔も見たくない相手ではないのかと、勇者は訝しんだ。

神官長「どうしてもお礼を言いたかったものだから」

勇者「礼と申されても……私には心当たりがございません」

 恨み言ならともかく、と勇者は心中で付け加える。

神官長「今回の作戦で私を推薦してくれたと聞いたよ。魔王との最終決戦に抜擢されるなど、国外追放となったこの身には過ぎた栄誉だ」

勇者「作戦の成功率を上げるために必要だと判断しただけです。礼を言われるようなことでは……」

神官長「それと……息子の事も、ね」

 勇者は言葉に詰まった。
 神官長の視線が勇者に向く。

神官長「恥ずかしながら、私は息子があんな闇を抱えていたことなど全く気付かなかった。あいつの凶行を止めてくれたこと、心から礼を言うよ」

勇者「……それも、礼を言われることでは……結果として、彼は命を落としました。であれば、私が彼を殺したも同然です」

神官長「死んで当然だよ。あんな馬鹿息子は」

 神官長のその言葉に、瞬時に勇者の頭に血が上った。
 お前が、お前らが、アイツに『神官長の息子』であることを強要したから―――!

神官長「―――等と割り切れれば楽なのだがね。流石にそうもいかないものさ」

 感情のままに口を開こうとしていた勇者は、続く神官長の言葉を受けて押し黙った。

神官長「生きていてほしかったよ。それが本音だ。だが、仕方がなかった。しようがなかった。私は、息子の命を諦めざるを得なかった」

勇者「……『神官長』という立場故、ですか?」

神官長「正直、私がその気になれば直接処刑場に乗り込んで息子を救出することは出来た。私にはその力があった。しかし私がそれをすれば、善王様の治世に重大な影響を及ぼしていただろう。例外なき必罰。それこそが善の国の根幹。それを、よりにもよって『神官長』の地位にある人間が犯したとなれば、そんな人間を重用していた善王様の能力に疑いが持たれる」

神官長「……結局、あいつを殺したのはどこどこまでも『私が神官長であったこと』に尽きるのだ。あいつを曲げたのは私だ。救わなかったのも私だ。我が身を呪いこそすれ、君を恨んだことなど一度として無いよ」

神官長「だから……ありがとう」

 柔らかに微笑んでそう勇者に告げた神官長。
 勇者に出来たのは、ただ曖昧に頷くことだけだった。
 神官長はどこか遠くに視線を彷徨わせ、まるで独り言のように、最後にこう呟いた。

神官長「……君はどうしてそうやって真っ直ぐに、『伝説の勇者の息子』を貫くことが出来たのだろう」

神官長「君と私の息子は、一体どこが違っていたのだろうね……」

勇者(俺と神官長の息子の、何が違っていたのか、か……)

勇者(俺には、そう大した違いがあるように思えない)

勇者(神官長様は勘違いしているけど、俺だって一度盛大にぶっ壊れたんだ。神官長の息子とは方向性が違うけど、俺は一度確かに保つべき自分というものを手放した)

勇者(その時、俺はどうして戻ってこれたのか。元の自分を取り戻すことが出来たのか―――)

勇者(そうだ……アイツだ。アイツが、俺を戻してくれたんだ)

勇者(自分を正気に戻してくれる『友』と呼ぶべき存在が居たかどうか……俺と神官長の息子の違いを挙げるとするなら、そんな所かもしれない)

勇者(――――怖いなんて、言ってる場合じゃ無かったな。何度も何度も、繰り返し思ったことだろう。思い出せって。いい加減)


勇者「やるしかないんだって―――マジで」


 決意を新たに部屋に戻る道中、本当に何気なく、勇者は廊下の窓から階下に視線を落とした。
 そこは武の国王宮の裏庭になっており、良く管理された花壇に色とりどりの花が咲き誇っている。


 勇者の目に飛び込んできたのは――――そこで口づけを交わす、武道家と僧侶の姿だった。

 時は少しだけ遡る。

武道家「僧侶、すまない。少しだけ時間を貰えないか?」

僧侶「え?」

 戦士と連れ立って廊下を歩いていた僧侶に、武道家が背後から声をかけていた。

僧侶「えっと……」

戦士「私は構わないぞ。適当に一人で街をぶらついてる」

僧侶「ごめんね。じゃあまた後で」

 僧侶はとてとてと武道家の元へ歩み寄り、そのまま武道家と二人で歩き去っていった。
 一人ぽつんと残された戦士はぽりぽりと頬を掻く。

戦士「……そういえば勇者はまだ部屋に籠ってるのかな」

 何となく勇者の顔が見たくなって、戦士は勇者の部屋に向かって歩き出した。

 武道家が僧侶を連れてきたのは、王宮の裏庭だった。
 裏庭といってもそこは日当たりも良く、よく手入れされた花壇に色とりどりの花が咲き乱れている。

僧侶「うわぁ~! 綺麗!!」

武道家「城の兵士からこの場所を教えてもらってな。お前にも見せてやりたいと思ったんだ」

僧侶「だったら、戦士も連れてきてあげれば良かったのに。あの子、ああ見えてちゃんと女の子なんですから、こういう綺麗なお花とか大好きなんですよ?」

武道家「ああ、まあ、それはそうなんだが……その、お前と二人きりになりたくてな」

僧侶「えっ…?」

武道家「言うべきかどうか、非常に迷ったんだがな……」

僧侶「えっ、えっ?」

 武道家がワシワシと頭を掻いて言いよどむ。
 そのただならぬ雰囲気に僧侶の顔も知らず紅潮していた。
 ひとつ大きく息を吐いて、武道家は意を決して口を開く。

武道家「俺はお前のことが好きだ、僧侶。明日の作戦が成功し、無事生還出来たら―――俺と夫婦になってほしい」

僧侶「……ッ!!」

武道家「突然こんなことを言い出して、本当にすまんと思う。だが、明日は間違いなくこれまでにない激戦になる。正直、俺も命を落とす可能性が高い。だから、その前にどうしてもこの気持ちを伝えたかった」

 余りの衝撃に僧侶は絶句し、言葉を紡げないでいた。
 僧侶の大きな瞳にじわりと大粒の涙が浮かびだす。

武道家「……ッ、驚かせて、困らせてすまない。自分の気持ちに整理をつけたいだけの卑怯な自己満足だ。すっぱりと振ってくれて構わん」

 ぽろぽろと涙を零しながら、僧侶は首を大きく横に振った。

僧侶「違ッ…違います…私、嬉しいんです…! 武道家さんが私と同じ気持ちでいてくれたことが、ホントに嬉しいんです……!」

武道家「そ、それじゃあ……」

 不安に陰っていた武道家の顔が、ぱあ、と明るくなる。

僧侶「でも…駄目なんです」

 しかし、僧侶の口から零れたのは否定の言葉だった。

僧侶「武道家さんは、本当の私を知らないから……私が本当は、どれだけ汚れているかを知らないから……だから……」

武道家「……以前も確か、そんなことを言っていたな。どういう意味か、聞いてもいいか?」

僧侶「……ええ。聞いてください。むしろ、聞いてほしい。私という人間の全てを知って……それから、武道家さんのお気持ちをもう一度聞かせてください」

 そして、僧侶は話した。
 かつて港町ポルトで黒髪の少女に話したのと同じ話を。
 かつて盗賊の慰み者として生きていた過去を。

 ――――涙混じりの告白を聞き終えて、武道家がまずしたことは、僧侶を抱きしめることだった。

武道家「……辛いことがあったんだな」

僧侶「う、うぐ…うえぇ…!」

武道家「汚れてなどいない。俺が断言してやる。お前は断じて汚れてなどいない」

僧侶「ほんとうに…? いいんですか…? こんな私で、私なんかで……」

武道家「そんな風に自分を卑下するな。そうだな、お前の過去を聞いて俺が思ったことを正直に教えてやる」

僧侶「ひぅ…!」

 武道家に貶されるのが怖くて、僧侶は固く目をつぶってその身を縮こまらせた。
 そんな緊張を解くように、武道家は僧侶の背中を優しく撫でる。

武道家「―――尊い、とそう思った」

僧侶「とうと、い?」

武道家「それ程辛い経験をしておきながら、なお自分以外の誰かの幸せのために行動できる。尊いよ。全く尊敬に値すべき人間だ、お前は」

僧侶「う、ふ…うぐ…ふぅぅ~~……!」

武道家「改めて言うぞ。僧侶―――俺と夫婦になってくれ」

僧侶「はいぃ……こちらこそ、よろじくおねがいじまずぅぅ~~!!」

武道家「ああ、もう。いい加減に泣き止めよ」

 武道家は苦笑いしながら僧侶の顎に手を添え、顔を上げさせる。
 瞳から零れた涙を空いた手で拭ってやり、そして―――そのまま、唇を重ねた。

 戦士は勇者の部屋のドアをノックするが、返事は無かった。

戦士「むう……一人で街にでも出かけたのか?」

 当てが外れた戦士はまたぽりぽりと頬を掻く。

戦士「でも、今のアイツがそんな気分になれるとは思えないんだよな……ちょっとだけ心配だ。もう少しだけ探してみよう」

 戦士は勇者を探して王宮中を歩き回った。
 途中すれ違った人物に話を聞くと、先ほど三階のテラスで姿を見かけたとのことだった。
 とりあえず行ってみようと、三階のテラスへと向かう途中で、戦士は廊下の向こうに勇者らしき横顔を見かけた。

戦士「おーい、勇……」

 勇者は戦士に気付かず部屋の中に入っていってしまった。
 何気なく戦士は勇者が入っていった部屋の前まで歩み寄る。

戦士「え…?」

 戦士は絶句した。
 勇者が入っていったのは、エルフ少女の部屋だった。
 ドアの隙間から漏れ出てくる声に、戦士は思わず耳を澄ましてしまう。

「悔いを残したくないんだ」

 勇者のそんな声が聞こえた。

「いいよ、勇者。君の望みなら私はなんだって叶えてあげる」

 エルフ少女の、そんな声が聞こえた。
 そして、しゅるしゅると、衣服を脱ぐような、衣擦れの音。

「どうぞ……隅から隅まで、私の全てを君の物としてくれ。勇者」

 戦士が聞いていられたのはそこまでだった。
 戦士は部屋の前から離れ、駆け出していた。
 どうして自分が泣いているのか、理解できなかった。

 ――――理解したくなかった。

 ―――果たしてエルフ少女の部屋の中で繰り広げられていたのは、戦士の想像通りの光景であった。
 勇者はエルフ少女の部屋に来た目的を最初に告げた上で、続けて彼女にこう要望したのだ。

勇者「エルフ少女。君の全てを俺に見せてくれ。明日の戦いの前にやれることは全てやっておきたい。悔いを残したくないんだ」

 エルフ少女は妖艶に笑い、勇者に応じる。

エルフ少女「いいよ、勇者。君の望みなら私はなんだって叶えてあげる。実は毎晩、そこの扉が開いて君がやって来るのを期待していたんだよ? 知らなかったかい?」

 エルフ少女は身に着けていた服を躊躇いなく脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になった。
 恥じらいか興奮か、頬を赤く染め、しかし秘所を一切隠そうとはしない。

エルフ少女「どうぞ……隅から隅まで、私の全てを君の物としてくれ。勇者」

 エルフ少女はベッドに腰掛け、勇者を手招いた。
 勇者はふらふらとエルフ少女のもとに歩み寄る。
 ぎしり、とベッドの軋む音がした。

 そして――――遂に決戦当日の朝を迎えた。
 武の国城門前に世界中から集った精鋭たちが整然と並んでいる。
 兵達の前に準備された壇上には勇者の姿があった。

勇者「えー……どうも。『伝説の勇者』の息子、勇者です」

 兵達から歓声が上がる。

勇者「『伝説の勇者』……父の名に恥じぬよう、今日まで私は魔王討伐の為の旅を続けてきました。でも、その中で痛感したことがあります。私は、弱いです。私は、とても『伝説の勇者』のような偉大な戦士にはなれません」

 兵達の間にどよめきが走った。

勇者「だから、皆の助けが必要です。無力な私に、どうか力を貸してください。私一人では無理でも、皆の力があれば、きっと魔王を倒すことが出来ます」

勇者「――――そうだ。魔王を倒すのは、別に『伝説の勇者の息子』じゃなくたっていい。偉大な誰かの息子じゃなくたって、『勇者』にはなれるんだ」

勇者「そうだ! 今ここに集まっている皆こそが『勇者』なんだ!! ああもう、全く負ける気がしない!! これだけの数の『勇者』を目にしたら、魔王の奴きっと目ェひん剥いてぶっ倒れちまうぜ!!」

 誰かが血の滾りを抑えきれず、叫んだ。
 血の滾りは、高揚感は集団を伝播し、兵達の士気をこの上なく高めていく。

勇者「行くぞ皆ッ!! 今日俺達は、魔王の首を取るッ!!!!」

 合わさった鬨の声は地鳴りとなって辺りに轟いた。

 戦いが、始まる。

「第一中継点、配置につきました!! 簡易神殿の健在を確認!! いつでも行けます!!」

「第二中継点も配置完了です!! 神殿も問題ありません!!」

 次々と作戦本部の元に報告兵が飛んでくる。
 兵も物資も『翼竜の羽』を用いて運搬されていた。
 各国の在庫を総動員した、『翼竜の羽』の大盤振る舞いである。
 作戦本部で総指揮をとるのは武王だ。
 『翼竜の羽』を用いて全中継点へ飛ぶことが出来る勇者一行は、戦況が不利と判断された場所に即座に援護に向かう遊撃隊として動くことになっている。
 五人目の報告兵―――すなわち、最後の中継点の報告兵が武王の元を訪れ、準備を終えたことを告げた。

武王「誰ぞある!! エルフ少女の居る『結界開始点』へ走り、準備が出来たことを告げよ!! 作戦開始じゃ!!」

 深い森の中で、静かに目を閉じて瞑想していたエルフ少女が目を開けた。

エルフ少女「さて……始めるとしようか。頑張って私を守ってね、勇者」

 エルフ少女は目の前の簡易神殿―――世界樹の枝で組み上げた神棚に呪言を書き綴ったもの―――に手を置いた。
 エルフ少女が何事か呟くと、その手のひらから光が溢れ、神殿に刻まれた呪言が輝き出し―――やがて、大地から巨大な光の柱が立ち昇った。

報告兵「出ました!! 本部の方向に光の柱を確認!!」

神官「よし…!!」

 結界開始点から立ち昇った光の柱を合図に、各中継点でも術式を開始し、順次光の柱が噴出した。
 魔大陸の囲むように噴き出した六つの光の柱。
 結界開始点から放たれる光の柱の根元から、第一中継点へ向けて光が伸びていく。
 その様子は例えるなら導火線を走る火花のようだ。
 簡易神殿に導かれて走る魔力の火が、魔大陸に光の線を描いていく。
 作戦本部に血相を変えた報告兵が飛び込んできた。

報告兵「魔王城に動きあり! 大量の魔物が光の柱に向かって進んでいます!! 凄まじい数です!! あの城の中に、どうやってあれだけの量の魔物が…!!」

武王「落ち着けい。あそこは魔なる物の本拠地じゃ。ワシらの常識で測るな。何でもありじゃと思っとけ。さて、各中継点に今の状況を通達。加えて、この言葉を伝えよ」

武王「―――死守じゃ。死力を尽くせ、強者共よ」

 第一中継点―――『始まりの国』・『武の国』混成軍。
 指揮官:始まりの国王宮騎士団長

騎士団長「いくぞ!! 勇者様が立案なさった作戦だ!! 我々の不手際で頓挫することなど、絶対にあってはならん!!」

騎士団員「おおーーーーーーーッ!!!!」

傭兵「うほっ、流石に勇者一行の出身国だな。気合の入り方が違えや」

傭兵「しかしまあ、あの時の嬢ちゃんたちが本当にこんな風に魔王討伐の一歩手前まで辿りついちまうなんてねえ……あの時ふっかけずに、素直に着いていってやりゃ良かったぜ。そうすりゃ俺も知名度うなぎ登りでウハウハだったのになあ」

傭兵「ま、俺なんてのは金で動く汚ねえ傭兵だがよ――――こういう世界を救うための戦いだってんなら、タダ働きでも悪かねえ」

傭兵「命だって―――張ってやらあな!!!!」

 第二中継点―――『アマゾネス』・『武の国』混成軍。

 指揮官:アマゾネス族長


アマゾネス族長「さあ行くよ! 情けない男共に見せてやるんだ! 私達アマゾネスの力を! 女の強かさって奴を!!」

乳ゾネス「おおーー!!」バルン!

尻ゾネス「私達が綺麗なだけじゃないってところを!」ブルン!

ももゾネス「見せてやる!」パッツン!

武の国兵士A「な、なんという勢いだ……本当に我らの出る幕がないぞ」

武の国兵士B「しかし何というか……目のやり場に困る!! 本当に困る!!」

アマゾネス少女「全力で暴れるのなんて久しぶり……楽しい……」ワクワク

アマゾネス族長「竜神様はどちらへ行かれた!?」

アマゾネス少女「さっき空に飛びあがっていくのを見たけど…」


 ―――魔大陸上空。各中継点に強襲せんとする翼竜の群れ。
 その進行方向を、翼を生やした銀髪褐色ロリの幼女が塞いでいる。

竜神「同じ竜のよしみで一度だけ忠告してやる。退け」

翼竜型魔物「ギャォォォォス!!!!」

竜神「ふん、竜の神である儂に刃向うか。醜悪な小竜が。己の身の程を知れぃ!!!!」

 幼女の体が輝き、突如として銀の鱗輝く巨竜がその場に出現する。
 雄叫びと共に振り回された銀竜の尾が、空を舞う翼竜の群れを蹴散らした。

 第三中継点―――『武の国』精鋭部隊。

 指揮官:武の国兵士長


兵士長「術式の調子はいかがですかな? 神官長殿」

神官長「今はまだ導を維持するだけの段階です。労力はさほどでもありませんよ」

兵士長「御身を守護するのは武の国でも厳選された精鋭部隊。万が一にも突破されることはございません。心安らかに術式を維持されますよう…」

神官長「よろしく頼みます。結界陣を維持しながらではこの程度の支援しか出来ませんが……」

兵士長「なんと…これは身体強化の守護呪文! 術式を維持しながら我等に支援呪文をかける余裕があるとは……底知れぬお方だ」

神官長「大したことはございません。私など、これしかしてこなかった、これしか出来ない無能でございますから」

兵士長「神官長殿……」

若い兵士「ぬあーー!! 馬鹿なーー!! この狂乱の貴公子が一撃で吹っ飛ばされるなんてーー!! そんな馬鹿なーーー!!」

兵士A「またあいつんとこに穴空きやがった!! 何であんな奴がこの精鋭部隊に紛れてんだよ!!」

兵士B「知るか!! 何か知らんが武王様のえらいお気に入りなんだよ! 武闘会の実力を隠してるだけだとか何とか言われてな!!」

若い兵士「ええい! これは何かの間違いだ!! いくぞワンモアトライ!! ……ぬあーーーッ!!!!」

兵士A「もうお前引っ込んでろマジで!! 薬草だって無限じゃねえんだよ!!」

兵士長「あ……あいつ外すの忘れてた」

 第四中継点―――『エルフ族』・『武の国』混成軍。

 指揮官:エルフ長老


エルフ長老「まさか我らが人間共と共闘することになるとはな」

エルフ少年「何だよまだグチグチ言ってんのかよ長老」

エルフ長老「お前は少し目上に対する口の利き方を覚えろ。……割り切れぬものがあるのだ。お前達より長く、永く、人間というものを見てきている故な」

エルフ少年「そんなこと言ってたって話は前に進まないだろ? 勇者達を見てさ、人間だってそう悪いもんじゃないってことがわかったじゃん。だったらさ、俺達も態度を改めなきゃ。だろ?」

エルフ長老「年を取るとな、そんな風に柔軟に物事を考えることは出来んのだ」

エルフ少年「それ、偉そうに言う事か?」

エルフ長老「……そうだな。その通りだ。年寄りの保守的な考え方は、これからの世界には邪魔なだけなのかもしれんな。いつだって世の中を作るのは若者だ。そうあるべきだ」

エルフ少年「じいちゃん……」

エルフ長老「生き残れよ。決して死ぬな。生き残って、次のエルフの長を務め、エルフの在り方を変えてみせよ。エルフの若者よ」

エルフ少年「げっ!! 嘘だろ!? 何で俺が!? それなら姉ちゃんだろ、順番的に考えて!!」

エルフ長老「あやつは駄目じゃ。考え方が自由主義過ぎて危なっかしい。下手したら人間の子を孕むぞ、あやつは」

エルフ少年「弟の前で姉ちゃんが孕むとか生々しい話すんじゃねーーーッ!!!!」

 第五中継点―――『倭の国』・『武の国』混成軍。

 指揮官:倭の国武士団長




武士A「猿型魔物、討ち取ったりぃーーーーー!!」


 倭の国の武士団は、凄まじい切れ味を誇るその武器で、次々と魔物を切り捨てていく。

 剣の柄に刻まれた『鉄火』の文字がきらりと輝いた。




 結界開始点―――『善の国』を中心とした各国精鋭軍。


 指揮官:善王






 エルフ少女特別護衛:騎士



 騎士は森の中でも一際高い木によじ登り、戦況を観察する。
 一見して、戦線が崩れた所は見当たらない。

騎士「みんなよく耐えてるな……俺も今んとこすこぶる暇だし。まあ俺の所まで魔物が来るような状況になったら実質詰みなんだけど」

 騎士は目を細めて、魔力の光を追った。

騎士「結界陣は……第二中継点は過ぎてんな。もうあと三十分もしないうちに第三中継点に到達しそうだ。つまり、半分はもう完成するわけか」

騎士「あれ…これ勝つな、人類。しかもわりとあっさり」

騎士「宝術とやらが発動しちまえば、魔王軍の誰も勇者達に太刀打ちできねーだろ。猫ちゃんだって勇者一人に負けちまうようになるくらいだし……下手すりゃ武の国の兵士長とかだけで魔王城攻略出来ちまうんじゃねーの?」

騎士「それは……どうだろう。あんまり面白くねえなあ……」

 騎士は木の上でしゃがみ込み、深く思考する。

騎士「何とかうまいことばれずにこの作戦を失敗させる方法……ねえよなあ、そんな都合のいいもん」

 騎士は考えるのをやめて立ち上がると、さっぱりと言い放った。

騎士「じゃあもう、しょうがねえやな!!」

 騎士はするすると木を降りると、たかたかと軽快に駆け出した。
 やがて騎士が辿りついたのは、術式発動の為に深く集中するエルフ少女の所―――すなわちこの作戦の根幹を成す『結界開始点』だった。
 がさがさと無遠慮に茂みを掻き分けて現れた騎士に、しかしエルフ少女は全く反応を示さない。
 示せない。
 術式発動中の彼女は、余りに深く術式に没入するために、周囲の状況を把握することが出来ない。
 それは作戦前に皆の前で説明されたこと故、騎士も良く知るところだった。
 騎士はすらりと剣を抜いた。
 精霊剣・湖月の蒼い刃がギラリと輝く。

騎士「悪いね、お嬢ちゃん。アンタにはまったく恨みなんてないんだけど」

 剣を掲げる。
 振り下ろせば、エルフ少女の体を左右に真っ二つに裂くことが出来る位置に。

騎士「俺の目的の為に死んでくれ」

 そして騎士は、躊躇なくその剣を振り下ろした。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 











 ギィン―――――と、金属がぶつかり合う音がした。




 エルフ少女が、騎士の剣を受け止めていた。
 術式に没頭すれば何の反応も出来なくなるはずの彼女が、さっきまでは確実に持っていなかった黒い刀身の剣で、騎士の湖月を受け止めていた。
 黒い刀身に散りばめられたように浮かぶ白い刃紋は、夜に舞い散る桜の花びらを連想させる。

騎士「なん…なに…!?」

エルフ少女「ずああああああああああああ!!!!!!」

 混乱する騎士の体を雄叫びと共にエルフ少女が弾き飛ばした。
 騎士の耳に届いたその声は少女の物ではなく、彼の良く知る男の物だった。

騎士「おいおい……まさか……」

 エルフ少女の体から煙が噴き出す。
 もうもうと舞う煙が晴れた後に、そこに立っていたのは――――勇者だった。

騎士「ふは、はは……」

 騎士の顔が笑みの形に歪む。

騎士「あっはははは!!!! やべえ、かなりぞっとしたぜ!! そうかそうか!! そうだったのか!!」

勇者「騎士…!」

騎士「俺をここに配置して、お前がエルフ少女に化けてたってことは、そういうことなんだよな!? お前はもう気付いてたって、そういうことでいいんだよな!?」

勇者「騎士ぃ……!!」

 勇者はわなわなと震えていた。
 その目には涙が滲んでいた。




 そうだ。気付いていた。

 気付いてしまっていた。

 だけど違っていてほしかった。

 そう願っていた。



 心から、願っていたのだ。








騎士「ほんじゃ、礼儀として改めて自己紹介させてもらうぜ勇者。俺の名は騎士。『滅びた国』の出身で、『伝説になれなかった騎士』の息子」





騎士「LEVEL――――1」

 騎士が駆け出し、勇者の頭目掛けてその剣を振り下ろした。
 勇者も剣を合わせる。ギィン、と甲高い金属音が鳴り響く。
 続けざまに騎士は左右から間断なく攻撃を繰り出してきた。
 しかし勇者に焦りはない。騎士の剣を余裕をもって捌き切り、逆に騎士の心臓目掛けて剣を突き出した。
 大仰に背を反らせて勇者の剣を回避した騎士はその姿勢のままニヤリと口元を曲げた。

騎士「LEVEL2」

 呟きと共に、騎士の姿が掻き消えた。
 一瞬で勇者の背後に回り、再び騎士は剣を振り下ろす。
 勇者は姿勢を低くして、振り向きざまに騎士に向かって横薙ぎに剣を振るった。
 ギィンと再び鳴り響く金属音。
 騎士の持つ精霊剣・湖月と勇者の持つ真打・夜桜が十字を描く。

勇者「呪文・大火炎」

 勇者と騎士の間の僅かな隙間に火球が生まれた。
 騎士は即座に身を翻し、火球を回避。火球は空に吸い込まれ、やがて消えていく。

勇者「呪文・大火炎!!」

 再度勇者は火球を生み出し、騎士に向かって放った。
 騎士は今度は躱さず、その手に持つ剣の切っ先を迫りくる火球に向ける。

騎士「穿て、湖月」

 騎士の剣―――精霊剣・湖月から生み出された水の槍が炎に突っ込んだ。
 互いに相殺し、姿を消す火球と水流。瞬く間に蒸発した水分が霧となって周囲を覆い隠す。
 勇者は目の前に生じた濃霧に向かって手のひらを突き出した。

勇者「呪文・大烈風!!」

 巨大な風の塊が勇者の手から放たれ、風圧に押されて濃霧が左右に分かたれる。
 空気の塊はその進路にあった木々を薙ぎ倒し直進していった。
 しかしそこに騎士の姿は無い。

勇者「ッ!!」

 濃霧を利用して距離を詰めてくると読んでいた勇者は慌てて空を見上げた。
 騎士が宙を舞い、こちらに飛来しながら剣を振り上げている。

騎士「LEVEL―――――3!!」

 ドゴン! と先ほどまでとは質の違う重い音がした。
 騎士の剣を受け止めた勇者の足が地に沈み、大地に亀裂が走る。

騎士「そらそらそらぁ!!」

 先ほどまでとは段違いの速度で繰り出される騎士の攻撃に、勇者は必死で食らいつく。
 かつては認識することすら覚束なかった速度の領域。
 改めて勇者は、目の前の男の化け物じみた強さを実感する。
 だけど――――!!

勇者「ずああッ!!!!」

 一層の気合いを入れて斬り払った一撃は、受け止めた騎士の体を後方まで大きく弾き飛ばした。
 空中で体勢を立て直し、騎士は着地する。
 騎士は目を丸くしてじん、と痺れた己の手元を眺め、それから笑みを浮かべて勇者を見た。

騎士「……強くなったなあ、勇者」

勇者「おかげさまでな」

 ――――戦える。
 遥か彼方。
 遠く遠くに居た男の背中を、今、勇者は捉えかけていた。

騎士「ところでよ、勇者。お前はどうやって俺の正体を見破ったんだ?」

 だらんと剣を下げて一度戦闘態勢を崩し、騎士はそう勇者に問いかける。
 勇者も剣を下ろして応じた。

勇者「……『滅びた国』を、お前の故郷を見た」

騎士「おぉ? マジかよお前あそこに行ったのか。それで?」

勇者「お前は俺と初めて会った時、あの酒場で、故郷を暗黒騎士というたった一人の魔族に滅ぼされたと言ったな」

騎士「ああ、言ったな。確かに」

勇者「それがお前のついた一つ目の嘘だ。―――有り得ないんだよ。そんな事は」

騎士「へえ……何故そこまで断言できる?」

 勇者は目を瞑り、思い出したくもない情景を再び脳裏に思い浮かべる。
 そして、その凄惨な光景を鮮明に思い返し、確信を込めて騎士に言った。

勇者「死体の位置がおかしいんだ。兵士は誰も彼もが王宮の中で死んでいて、住民は悉く自宅で事切れていた。もし本当に暗黒騎士という『魔族』が攻めてきたのなら、主たる戦場は結界の穴である正面入り口、城門前になるはずだ」

勇者「そうなれば当然、兵士の死体は城門前の、町の外に集中する。護衛隊ってのは町の中に敵を入れないように戦うわけだからな。そして、護衛隊が敵を食い止めている隙に住民は避難するだろう。定められた避難所へ、おそらくは正門から最も遠い、王宮なんかを目指して自宅を離れるはずだ」

勇者「しかし事実はそうじゃなかった。兵達は王宮内まで侵入されて初めて敵の存在に気付き、住民は隣人が殺されてなお穏やかに眠り続けた」

勇者「敵はどうやってそんな真似をしでかしたのか。考えられるのは、国を囲う城壁を、つまりは魔物を拒絶する結界を一部破壊し、正面入り口以外のどこかから誰にも気付かれず忍び込んだという可能性だ」

勇者「だがそれは無い。城壁をぐるりと回り、それらしき痕跡が無かったことは確認した」

勇者「であれば……残る可能性は一つだ。あの国を滅ぼした誰かは、『魔族』なんかじゃなく、結界の反応しない『人間』だった。それも、警戒心を抱かせない身内。だから、兵も民も命を奪われるその間際まで日常を送り続けた―――まさか殺されるなんて、夢にも思わずに」

 勇者の言葉を受けて、騎士はふるふると首を横に振った。

騎士「成程確かにそう聞きゃあ俺の国を滅ぼしたのは魔族じゃなく人間なんだろう。それも、身内の犯行だっていう可能性も高そうだ。だが、それだけじゃまだそれがイコールで俺に結びつくまでには至らない。どうして俺が犯人だと断定した? 嘘をついたからか? 単に俺がガセネタを掴まされただけかもしれないのに?」

 騎士の問いに、勇者はふっ、と唇を曲げて笑った。

勇者「……騎士、お前は強いよ。俺はお前みたいに強い奴なんて見たことがない。多分お前は、この世界で一番強い人間だ」

騎士「……あん?」

 いきなり話が脱線したことに困惑し、騎士は眉を顰める。
 だが、違った。
 話は本筋を外れてなどいなかった。


勇者「―――――その強さを、お前はどうやって手に入れた?」


勇者「精霊の加護レベルを上げるには、通常、魔物に汚された神殿を解放するか、魔物を多く倒してその地の精霊に認められなければならない」

勇者「魔王を倒す力をつけるために、俺は多くの神殿を解放して回ったし、数えきれないほどの魔物を倒してきた」

勇者「その結果として俺は、『伝説の勇者の息子』として世界中の人間に顔が売れちまった。不本意ながらな」

勇者「なあ、騎士。俺ですらこうなんだぜ? お前の足元にも及ばない、この程度のレベルの俺ですらこうなんだ」



勇者「なあ、騎士――――『どうして世界中の誰も、お前の事を知らないんだ』?」



勇者「それだけのレベルになるために、お前は俺以上の数の神殿を解放したはずだ。それだけの力を得るために、俺なんか比べ物にならない数の魔物を倒してきたはずだ」

勇者「なら、お前は俺以上の希望の象徴として君臨していなきゃおかしいはずだ――――騎士、もう一度問うぞ? 『お前はどうやって、それ程の力を得た』?」

 騎士は、ぽりぽりと己の頭を掻いた。

騎士「勇者……お前ってホント、甘ちゃんのように見えて実は結構な修羅場を経験してるよな」

騎士「――――『加護の継承』。……知ってんだな、その様子だと」

 勇者は頷いた。

勇者「そうだ。精霊の加護を高める第三の道。既に加護を持っている人間を殺し、その加護を強奪する―――加護の継承。故郷を滅ぼし、国一つ分の加護を纏めて奪い取った。それがお前の力の源。それなら、お前の強さと知名度が比例しないことにも納得がいく」

勇者「そう仮定した時、唐突に思い出したことがあった。お前と初めて会った後、訪れた精霊の祠で、獣王は俺達を待ち構えていたんだ。誰かから、俺達が祠に来ることを聞いて。あの日、あのタイミングで俺達があの祠を訪れることを知っていたのは、騎士―――お前しかいない」

 騎士はふぅ、とため息をついた。

騎士「かくしてお前は俺が暗黒騎士だと確信するに至った―――か。成程な。参ったぜ。何の言い逃れも出来ねえや。ま、最初から言い逃れする気なんてねえけどな」

勇者「……どうしてだ」

 喉から絞り出すように、勇者は声を上げる。

勇者「騎士……お前はどうしてあんな残酷なことが出来た!? お前は一体何を考えてあんな…あんな、地獄を生み出したんだよ……!」

 勇者の脳裏にかつて見た、『滅びた国』の情景が浮かぶ。
 国という形を保ったまま、ただ人だけが死んでいた―――あの異常な光景が。

騎士「……よせよ、勇者。この期に及んでいい子ちゃんぶるのはやめてくれ。お前にはわかるはずだ。たとえ他の誰に理解出来なくとも、お前にだけはわかるはずだ」



騎士「この世界でただ一人――――お前にだけは」







第二十七章  善悪も、正誤も無く







 「頑張れ」という言葉が嫌いだった。


 「お前なら出来る」という言葉には虫唾が走った。


騎士「王国最強の剣士の跡継ぎとして生まれた俺は、2歳になった時にはもう剣を握らされていた。4歳になった時には木剣で打ちのめされていた。タメ年の奴らが集まってチャンバラごっこしてんのを横目に見ながら、俺は真剣で親父と打ち合っていた」

騎士「普通の奴らが親から魔物について講義を受けている時、俺はもう魔物の討伐に付き合わされてた。10歳になるまでに何度死にかけたかわからねえ。俺の体はおぞましい程傷だらけになって、そんな俺の体を見て家族は誇らしいと笑っていた」

騎士「何もかも面倒くさくなって、魔物の牙にわざと身を晒したこともある。だけど頼んでもいないのに特別手厚く治療され、死ぬことは出来なかった。自分のせいで治療が後回しになって死んだ誰かが居ると知って、わざと死のうとするのはやめた」

騎士「15になって、同年代の奴らも剣を持ち出したけど、当然ながら俺の強さはその中でも図抜けていた。周りの奴らは『流石、あのお方の息子だ』とか、『才能が違う、選ばれし者だ』なんて言って俺を羨み、嫉み、妬んだ。うるせえってんだよ。俺がどんだけ剣を振ってきたと思ってんだ。なあ?」

騎士「幼い頃は親父の威光なんてものに疎かったけど、15にもなりゃその辺のことも分かってきて、好き放題やりだした。俺にはその権利があると思った。だけど一個も面白くなかった。親父の名前で態度を変える連中が気持ち悪くて仕方なかった」

騎士「『偉大な男』の息子だってだけで簡単に体を許す女どもが頭空っぽのカスにしか思えなかった。俺という人間を全く知らないままに、『偉大な男』の息子っていうフィルタだけで無条件に俺に好意を寄せてくる奴らの浅はかさに辟易した」

騎士「こいつらは『俺』の事なんて見ちゃいない。たとえ俺がどんな人間であっても、あの男の息子ってだけで一定の評価を与えるだろう。じゃあ俺って何なんだ? 俺には『あいつの息子』ってこと以外に価値はないのか? じゃあそれは俺じゃなくてもいいんじゃないのか?」

騎士「俺って人間は――――実はいらないんじゃないか?」


騎士「いいさ―――――お前らが俺をいらないって言うんなら、俺だってお前らなんていらねえよ―――――そうやって、俺はあいつらを見限った」

騎士「そんな風に捻くれて成長した俺だったが、それでもガキの頃は親父の事をしっかり尊敬するような真っ直ぐな奴だった。親父は国中から持て囃されていた英雄だったし、実際当時の俺なんか足元にも及ばないくらい強かったしな」

騎士「『あいつさえいなければ伝説になっていたのは俺だった』ってのが酒に酔った親父の口癖だった。それを聞いて俺はいつも、親父の無念は俺が晴らしてやるなんて息巻いてた」

騎士「だけど……あれはいつだったかな? 多分、俺が14かそこらの時だったと思う。虫の居所が悪かったのか知らねえが、親父はいつも以上に修業に熱を入れて俺を叩きのめした。ボロボロになって地面に倒れる俺に親父は、情けない、それでも俺の息子か、そんなんで魔王を倒せると思っているのか、だの罵詈雑言を投げかけた」

騎士「流石に俺もその時ばかりは親父への尊敬より反発心が先に立ってな、こう思っちまったんだ。『うるせえなクソ……じゃあ俺に任せないで自分で行けよ』―――ってな」

騎士「ふと思ったことだったのに、体中に電撃が走ったぜ。そうなんだよな。自分で行きゃいいんだよ。『伝説の勇者』が成し遂げられなかった大魔王討伐を成し遂げる。『伝説の勇者』以上の伝説になる、これ以上の機会があるかよ」

騎士「だのに親父は魔界に向かわなかった。国に留まり、俺っていう息子に自分の望みを託した。なあ、これが何を意味するかわかるか?」

騎士「認めてたんだよ、親父は!! 『伝説の勇者』が勝てなかった奴に、自分が挑んで勝てるはずがない、ってな!! デカい口を叩きながら、心の奥では『伝説の勇者』に負けを認めてたんだ!!」

騎士「それに気づいちまってから、俺には目の前の男が糞にしか見えなくなった。糞を褒め称える国の人間が哀れだった。そんな糞の為に人生を無駄にした自分が滑稽だった!!」

騎士「だけど修業は止めなかった。冷めた内心を隠して、俺は従順に修業を続けた。負け犬糞野郎にすら及ばない自分自身が許せなかったからだ」

騎士「そして―――俺はあの日を迎えた。俺は親父を遂に真剣勝負で打ち負かし、その夜、親父の部屋で精霊剣・湖月を受け継いだ。代々『滅びた国』に伝わってきた国宝、国一番の剣士の証。俺はそれを恭しく受け取り―――そのまま、親父の胸に突き刺した」

騎士「その時の親父の顔ったら無かったぜ。もう驚き満面って感じで、しかもその顔のまま死にやがったもんだから俺はその場で爆笑しちまった。あの何もかもから解き放たれたような、射精しちまいそうな絶頂感は忘れられない」

騎士「俺がそんな多幸感に酔っていると驚くべきことが起こった。自分の力がどんどん強くなっていくのを感じたんだ。加護の継承―――その現象自体は知識として知ってはいた。だが、継承される加護はあくまで死者が所持していた一部の物で、大半は土地の精霊の元に還るはずだ。その時俺に継承された加護の量は明らかにおかしかった」

騎士「そして俺は『加護の継承の例外』を知った。加護の継承が親子の間で行われる時、死者の持っていた加護の全てが継承者に移行する。肉体、血、或いは魂――――それらの類似が精霊に二者を同一人物だと誤認させるのか――――原因はわかっていない。もしかすると親子だけじゃなく、例外は兄弟姉妹でも起こるのかもしれない」

騎士「とにかく俺は、そこで親父の精霊加護を全て継承した。親父は腐っても『伝説の勇者』に次ぐ実力者だった。元々親父を超えていた俺に親父の力が更に上乗せされて、俺の力はその時点で多分、他に類を見ないレベルになった」

騎士「勿論そんな事は全く想定していなかったからな……思わぬ状況に困惑していたら、部屋の入口の方から悲鳴がした。どうやら俺の哄笑を不審に思った誰かが様子を見に来たらしい」

騎士「まあ、誰が見たって状況は把握できるわな。誤解のしようも無い。部屋に入って来たのは親父の親友を名乗ってたおっさんだった。俺に対しても親戚気取りで馴れ馴れしく話しかけてくる奴だった」

騎士「そいつは俺を非難した。口汚く俺を罵った。自分に剣を向けてくる俺を見て、『狂ったか!』と絶叫した」

騎士「そのセリフだけは良く覚えてる。笑っちまったからな。失礼なもんだぜ」


騎士「――――俺からすりゃ、自分の命を他人に簡単に丸投げできる人間の方が、よほど狂ってるよ」




 頑張れ、じゃねえよ。てめえが頑張れ。



 お前なら出来る? 馬鹿が。お前がやれよ。




騎士「それからの事は―――まあ、想像ついてんじゃねえか? あれを見たってんなら、見た通りだよ。俺は城の中を練り歩いて出会った奴を片っ端から斬り捨てていった」

勇者「王の間に、兵達の死体が集中してたのは……」

騎士「流石に途中で『騎士が反逆した』ってのが伝達されたみたいでな。王を守れって城中の兵士が集まり出したんだよ。まあ、一切滞りなく王の首は取ったけど」

勇者「……それからお前は町に下りて、町の人を皆殺しにしたのか」

騎士「ああ。城に一番近い家にまずお邪魔して、殺して、次の家にお邪魔して、殺して。それをひたすらに繰り返した。夜の大分深い時間帯だったからな。大抵の住民は既に寝入ってたから、楽なもんだったぜ。まあ起きてても実際あんま関係なかったけど」

騎士「途中からはもう、如何にして効率よく作業をこなしていくかを追求してな。最後の方なんかは、我ながら最適な動きが出来ていたと思うぜ」

勇者「もういい――――もう、わかった」

騎士「わかってくれたか! 流石勇者だ!」

勇者「ふざけるなッ!!」

 勇者は怒気を孕んだ声で騎士を一喝した。

勇者「わかんねえよ!! わかってたまるかよ!! 百歩譲ってお前に修業を強制してきた父親や周りの連中に復讐するのは分かるよ……だけど何で皆殺しにする必要があるんだ!! 町の住民までッ!!!! お前……頭おかしいよ!!」

騎士「よせよ、勇者。俺は少なくともこの件については誰にも糾弾される謂れはないぜ。だって、俺は何も悪いことなんてしていないんだからな」

勇者「何…!?」

騎士「だってそうだろう? あいつらは自分の人生の決定権を俺に預けた。なら、その命の処遇は俺の一存で決められてしかるべきだ」

勇者「何を言っている……一体誰が、いつ、どこで!! お前にそんな決定権をくれてやったっていうんだ!!」

騎士「くれているだろう――――魔王討伐なんてものを、俺一人に押し付けた時点で」

勇者「……ッ!?」

騎士「魔界なんていう訳の分からない所から、魔王なんて意味不明な奴が世界征服しようなんて言って来てるんだぜ? どうにかしなきゃ自分の人生が滅茶苦茶になってしまうことなんて自明の理のはずだ」

騎士「なのに何であいつらは、その役目を誰かに任せて自分は無関係ですとへらへら笑ってられるんだ? 自分の命だぞ? どうしてそれを誰とも知れない人間に預けて平気でいられるんだ?」

勇者「……魔王討伐なんて、世界の危機だなんて、普通の人にはスケールが大きすぎて、ピンとこなかったとしてもそれは責められることじゃない」

騎士「集落の近くに魔物が住み着いた、なんて身近な話でもそうさ。お前、そんな所をたくさん救ってきただろう? そんな風に自分の命が直接危機に瀕した状況でも、あいつらは剣を取ることなくただ助けが来ることを祈っていた」

騎士「それはもう、自分の命を放棄しているに等しい。自分の運命を周囲の状況にただ流されるままに任せている。ならば、その流れ行き着く先がどんな結果であっても、文句など言えないはずだ」

勇者「……違う。そうじゃない。彼らはそうするしかなかったんだ。俺達のように力を持たなかったから、ただ堪え忍ぶことしか出来なかった!!」

騎士「お前がそれを言うのか、勇者!! それこそお為ごかしだぜ! そうやってあいつらを庇うのは偽善以外の何物でもない!!」

騎士「だってお前は分かってる! 俺もお前も、元々力を持って生まれた訳じゃなかった!! 血の滲むような努力を重ねて、今の力を手に入れたんだ!!」

騎士「あいつらは弱いんじゃない。強くなろうとしなかっただけだ!! 強くなれば自分でやらなきゃならなくなるから、誰かに助けてもらえる弱者で居続けた!! 卑怯者共が!! 反吐が出る!!」

勇者「違う……違うッ!!」

騎士「何が違う!!」

勇者「日々を生きるのに精一杯な人たちに、己を磨く余裕なんて無かった!! 俺やお前は、環境に恵まれていたんだ!! 衣食住は当然のように保障され、導く師にも事欠かなかった!! 全ての人間が、俺達のように強くなれる訳じゃない!!」

騎士「皆が皆、そうだと言うのか!? 俺にはそうは思えないぜ、勇者!! あえて弱者で居続ける奴らってのは、少なからず存在する!!」

騎士「奴らの救えない所は、そうやって誰かに自分の命を預けておいて、その選択に殉じないことだ! 誰かに命を預けた分際で、より良くしろと要求する。自身の保障を主張する。あまつさえ、その誰かが駄目だと分かったら、別の誰かに乗り換える!! 俺の親父から俺に役目を継がせたように、『伝説の勇者』からその息子、勇者―――お前に希望を押し付けたように!!!!」

騎士「ああ、もう、俺はそんな奴らが大嫌いだ!! 自分の命だぞ!? 自分で何とかしろよ!! それが出来ないなら、せめて自分の運命を他人任せにしているっていう自覚を持て!!!!」

 感情を爆発させて叫んだ騎士は、一度大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。
 そしてぼんやりと空を見上げ、そのままの姿勢でぽつりと呟いた。





騎士「だから―――――端和も滅ぼした」



勇者「―――――は?」

 勇者は間抜けな声で聞き返していた。
 騎士の発した言葉の意味が、全く頭に入ってこなかった。

騎士「村の方に出た竜を俺が片付けたろ? その時に聞いといたんだ。『俺に命を預けられるか』ってな。皆、口を揃えて預ける預けると連呼したぜ。だから、お前達が倭の国を離れた後、俺はもう一度端和に戻って、聞いた。『今からお前ら殺すけど、いいよな?』、と」

勇者「お前……」

 わなわなと、勇者の唇が震えだす。

騎士「誰か一人でも『命を預けたのは自分達なのだから、それをどう扱われても文句は言えない』って言えばやめるつもりだったんだけどな。あいにく、そんな殊勝な奴は一人もいなかった。凄かったぜ。皆、非難囂々で、人の事をまるで鬼か悪魔かのように言うんだからな。残念無念。こうして端和は滅びることになってしまいましたとさ。ちゃんちゃん」

勇者「おまえぇぇぇぇぇぇぇえええええええ!!!!!!」

 激情のままに勇者は絶叫し、騎士に向かって駆け出した。
 騎士は笑いながら、おちょくる様に勇者に言った。

騎士「俺は元々あんな村に興味なんか無かった。お前が村の事情に首を突っ込んだりしなけりゃ、滅びることなんて無かっただろうに。なんて疫病神なんだ、お前は」

勇者「うあ、うあああああああああああ!!!!!!」

 勇者の目に涙が滲む。
 かつて盗賊を討伐した時や、神官長の屋敷に潜入した時など、勇者は決して満足のゆく結果を得られていなかった。
 『誰かを救う』という目的の元に行動した中で、端和の件は勇者にとって唯一の成功体験と言ってよかった。
 その成功のおかげで、勇者はようやく自分に自信というものを持つことが出来るようになったのだ。
 それが、打ち砕かれた。

 剣と剣が交差する。
 吹き飛んだのは、勇者だった。

騎士「俺の話を聞いて、まだ俺が間違っていると否定できるのなら――――存分に相手をしてやろう」

 騎士の体から目に見えるほどの闘気が迸る。
 騎士はただ立っているだけなのに、空気はビリビリと震え、その迫力に周囲の木々はその身を反らし、慄いた。

騎士「LEVEL4だ。誇れよ勇者。これまでに俺の力をここまで引き出したのは、獣王と魔王の二人だけだ」

 吹き飛ばされ、無様に地面を転がっていた勇者がのそりと立ち上がる。

勇者「……お前の行いが悪なのかどうかも、お前の言い分が正しいかどうかも、どうでもいい」

 凄まじい迫力を放つ騎士を前にして、勇者は臆さず、剣を握る手に力を込めて一歩を踏み出した。


勇者「ただ……お前の存在はこの世界にとって間違いなく『有害』だ。お前は、生きていちゃいけない人間なんだ!! 騎士ぃぃぃぃいいいいいいい!!!!!!」


 駆け出す。騎士に向かって剣を振りかぶる。


騎士「まるで自分は世界にとって『有益』だとでも言いたげだな!! ははっ!! 笑わすんじゃねえよ、勇者ぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!」


 衝突する。

 己の全存在を賭けて、勇者と騎士は互いの存在を否定する。






第二十七章  善悪も、正誤も無く  完

今回はここまで

100%収まらないので、次回からは次スレに投稿します

次スレ
勇者「伝説の勇者の息子が勇者とは限らない件」後編 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1453610014/)

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年02月14日 (土) 22:38:45   ID: 5oZ587KT

続き期待してます‼

2 :  SS好きの774さん   2015年02月26日 (木) 20:13:41   ID: GvpSLrri

すごく面白いと思う
続き期待

3 :  SS好きの774さん   2015年07月09日 (木) 17:52:28   ID: wpArkX7m

続きをまってます

4 :  SS好きの774さん   2015年10月30日 (金) 05:01:57   ID: 58jB7AW0

とても面白いです!

5 :  SS好きの774さん   2016年01月02日 (土) 11:39:04   ID: pL9I1BX6

まさに大作

6 :  SS好きの774さん   2016年01月04日 (月) 17:22:49   ID: Kg4mDe1u

今まで見た魔王勇者ss で一番おもしろい

7 :  SS好きの774さん   2016年01月20日 (水) 20:02:33   ID: IQjjqZi6

本当に面白いです!これからも頑張ってください!

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