ネリー「一ぷく三杯」 (12)
ネリー・ヴィルサラーゼの悼報が伝えられたのは、インハイ準決勝の前の晩のことであった。
突然のことで大層驚いたが、それにもましてその死に様はなんとも不思議であったと云う。彼女が死んでいたのは、或るホテルの一室である。彼女の喉仏には、細長い猫のような人形が唐結びなって食い込んでおり。掌は虚空を掴むかのように、頭の上へと伸びていて、顔は熟れきったトマトのように紅く、その表情は悶絶していたのだった。
所謂、絞首であった。
ホテルの扉は、内側から鍵が掛かかるようになっており、室の中も誰かと争ったような形跡は見られなかった。何か盗られた物はないかと調べようにも、彼女が何を持っていて何処に仕舞ってあるかは誰も知らないのだ。
他に、ホテルの備品など盗まれた当も無く、ましてや外から人が入った形跡も見つからなかった。テーブルには、格選手に配られていた弁当の空箱が山積みになっており、それ以外はすっかり片付いていた。
現場の有り様には物取りにしろ、怨恨にしろ、腑に落ちない点が幾つもある。
––––この事件には不可解で無いことなど何一つ無かったのだ。
次の日、知らせを受けた臨海の控え室では、その同胞の死の話題で持ち切りであった。
ダヴァン「それにしてもサトハは大袈裟デスネ。アンナに泣かなくてもいいじゃないデスカ」
ダヴァンは手を叩き、ケラケラと嗤いながら言った。
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其れに釣られてか、ハオの方でもくだけた体でそれに答える。
ハオ「全く––––日本人は、このくらいでへこみ過ぎですね。『うわーん。私のネリーがー』って、死体の前で大泣きですからね。止めなければネリーと一緒に埋葬されかねませんよ」
ダヴァン「本当デス。こんなこと、ロスでは日常茶飯事デスヨ」
そう云うとハオは、
「あなたの出身は、東海岸でしょ」
と言い、更に爆発が起こったかのような嗤い声が響いたのだった。
すると其処へ、
明華「おや––––遅れて来てみれば、昨日の事件の話で花が咲いているではありませんか」
明華が遅れて遣って来た。
臨海女子でも、一際寝坊助な彼女は、ネリーの死亡を聞かされた時にも、
『もう、あと五分…』
と、駄々をこねて寝床を全く動こうとしなかったのであった。其のことが智葉の逆鱗に触れたのか、彼女は今まで散々智葉からの説教を受けて来たのである。
ダヴァン「遣っと解放されたのデスカ。全く、サトハも困ったものデスネ」
ダヴァンが云う。
ハオの方でも云々と頷いてみせた。
明華「全く、あの業突く張りが死んだくらいで、あんなに怒らなくても良いではないですかね」
そう云うと、明華はふぅ…とため息をつき、そのまま控えの椅子にもたれ掛かった。
ハオ「しかし、誰に殺されたんでしょうね」
そうである。
現場の様子から、物取りの犯行では無いとすると––––。
ダヴァン「ネリーの室を知っていたのは私達しか居ない。となれば––––私達の中の誰かが…」
怨恨により、ネリーを殺した––––ということになる。
明華「ですが、流石にネリーさんを殺したい程憎んでらした方など、ここにはおりませんよね」
それに––––と云って、明華は二人を見渡す。
そして続けざまに、
明華「ネリーさんを殺した所で、一文の得にもなりませんし」
と云うと、二人は死人も目を覚ますような大声で嗤い合った。
明華「それにしても、生前のネリーさんの守銭奴っぷりには困りましたね」
明華は、それっきり話題を変えた。
二人の方でも別の話に移った方が佳いと判断したのか、明華の振った話題に喰い付いた。
ダヴァン「そうデスヨ、先日のことでも。ワタシが財布を落とし、オヤっとポケットなど弄っていると、何時から居たのか後ろの方からネリーが『これ落としたよダヴァン』などと言って、私の財布を渡してきマシタ。ワタシは、ネリーに礼を云うと、今度はワタシに向かって手を差し出したのデス。ワタシは『握手がしたいのかな』と思い、ワタシの方でも手を握り返しますと、ネリーは怒って『違うよ、ダヴァンのすかぽんたん。落とし物を届けて貰った時は、その拾い主に財布の中身を一割渡すのが礼儀でしょ』と言ってきたんデスヨ」
ダヴァン「ワタシは仕方なく、財布の中のなけなしの一万円札を崩し、その一割である千円をネリーに渡しマシタ。しかし、何故あんなにも早く財布を見つけられたのだろうと疑問に思いマシタ。デスガなんてことはアリマセンね、アイツ普段から誰かが財布を落とさないか、二三歩後ろから注意深く監視してたんデスヨ」
言い終わるやいなや、アハハと明華が笑いこけた。
ハオ「そう言えば知っていますか、ネリーの『一ぷく三杯』の話」
明華「一ぷく三杯ですか…」
明華はハオの云ったそれに就いて、全く知らないようだった。
ダヴァン「なんだ、知らないのデスカ。臨海女子の間では、一年から三年、はたまたOBにいたるまでこのことを知らない人は居マセンヨ」
ダヴァンが云う。明華はそれに対して、
明華「御恥ずかしなら――その『一ぷく三杯』とは何ですか。三杯ということは、もしかしてご飯のことでしょうか」
と、答えた。
ハオ「ネリーは、自分がお金を出したご飯は腹一杯食えないだとか吐かして、普段碌に飯も食わない癖に、只でものが食えるとなると、何処にそんなに入るんだってくらい大食いになるんですよ。腹一杯食ってもう入らないとなった時、ひとまず熱い煎茶で一服する。すると不思議とまた腹に余裕が出来たのか、更に三杯と飯を搔き込むんです」
明華「それで『一ぷく三杯』ですか」
明華が納得したように答えた。すると、何やらうんと考え込み始める。ハオは少し怪訝そうになって明華の顔を覗き込んだ。暫くすると、明華の中で何か考えが浮かんだのだろうか、妙に明るい顔になって喋り始めた。
明華「もしかしてネリーさん、インハイで配られたお弁当でその『一ぷく三杯』をやったのでは無いでしょうか。それで、夜中に無理をして入れた弁当の中身が喉元までこみ上げて来たので、どうしても出してやるかと自分の首をぬいぐるみで絞めて、そのまま不幸にも窒息死したんじゃないでしょうか」
明華は嬉々として、自分の推理を披露した。
しかし、余りにもそれでは馬鹿馬鹿し過ぎる。幾ら当の死人が生前ド吝嗇の限りを尽くしたからと云って、
ダヴァン「流石にそんなことはアリエマセンヨ」
と、ダヴァンが云うと、三人はまたワハハと笑い出した。
やがて、さめざめとした智葉が控えに戻って来ると、三人はそれっきりそのネリーの話をやめてしまった。控え室は一気に通夜の雰囲気になったのである。
それから、明華のこの迷推理は、暫く臨海の話の種となることとなった。もちろん、そんな訳は無いと云って話を閉めるのであった。
しかし、ネリーの解剖結果がこの明華の推理とピッタリ一致したとダヴァン達が聞いたのは、それから長らくしてからのことであった。
ちゃんちゃん♪
あとがき
元ネタ、夢野久作の『いなかのじけん』より『一ぷく三杯』
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