ほむら「あなたにもう一度」(248)
・以前別のサイトにあげた作品の修正と加筆になります。
・投下分量はそんなに多くないと思います。
・投下も不定期で頻度もそんなには多くないかと…
・あとスレを建てるのは初めてなので、色々アドバイスいただけたら嬉しいです。
・それでもご容赦いただければ幸いです。
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約束をもう一度
[鹿目まどか 編]
一面に広がる真っ白な世界。
僅かに世界を形成する白光は鳴動し、その中から滲み出すように薄い桃色の光の珠が生まれます。
気がついたとき、銀の草原の中に桃色の珠となったわたしが浮いていました。
最初に見つけたのは丘の上へと延びた緩やかな、これまた白い路。
ぼんやりと意識のまま、わたしはゆっくりと路の上を漂っていきます。
一体どれだけ経ったのでしょうか…。丘の頂上が間近に迫ったとき、初めて違う色が入ってきました。
緑の芝の後ろにあるのは噴水です。近づいて覗いてみると、底に大きな桃の絵が描かれています。
引き込まれたように留まって見ていると、縁に座っていた人影が立ち上がりました。
「……鹿目さん」
傍から掛けられた声に、わたしはようやく自分以外の存在に気がつきます。
意識を向けると、そこには一人の少女が立っていました。
赤縁眼鏡に黒いカチューシャ。長い髪を三つ編みお下げにして、紫のリボンで抑えています。
服は少し変わっていて、白とグレーの布地の、アニメに出てくるような制服デザインをしています。
でもそれ以上に異質なのは左腕に着いている円形の小さな盾です。
そう…彼女はかつてあった世界の、暁美ほむらという少女でした。
「…久しぶり…ですね」
少女は手を伸ばし、そっとわたしを両手で包み込むように引き寄せます。
「…鹿目さん…」
まるで大切なものを見つけたかのように少女は優しく微笑みかけていました。
鹿目まどか――かつてわたしだった存在です。
ですが、それはもう遠い世界のことで、わたしにはもう実感の湧かない名前でした。
そんなわたしの様子に気づいたのか、少女の微笑みに陰りが差します。
「…自我が消えちゃったんだね…」
とても悲しそうな声です。わたしを胸に抱き寄せた体は震えていて、泣き出しそうになるのを我慢しているようでした。
でも、今のわたしにはそんな少女の想いも響かないのです。
『どうしてここにいるの?』
少女の悲しみを他所にわたしは疑問を問いかけます。
ここは宇宙のどこでもない場所です。
どうやらどの時空からも切り離されているようで、概念のわたしですら仔細が分かりません。
暁美ほむらという少女には、こんな能力は無かった筈なのですが…。
「ごめんなさい…それは言えません。私の役目じゃないから…」
すこしだけ体からわたしを離し、申し訳なさそうに少女は頭を下げます。
『…そっか…』
この少女がそう言うなら、深い訳があるのでしょう。
わたしにも役目があり、同時に不可侵の領域もあります。
きっとそういうことなのだと思います。
『なら…あなたの役目はなに?』
わたしは再度少女に問いかけました。
わたしの問いかけに、少女が穏やかな微笑みを零します。
先程まで深い悲しみを湛えていた少女とは思えないほど穏やかで、慈愛に満ちた微笑みです。
そっと彼女の顔が近づき、唇がわたしに触れます。
するとどうでしょう…。
わたしの中に存在していた雑多の情報が削ぎ落とされ、わたし自身と親和性の高い情報だけが残ります。
珠の光は強くなり姿を人型へと変えていくと同時に、一部がほむらちゃんへと流れ込んでいきます。
発光が収まった頃には、長い桃色の髪のサイドに白いリボン、白いドレス姿のわたしがいたのでした。
「…んっ」
両手に伝わる他者の胸の鼓動。しっかりとわたしを抱き締める両腕。そして唇には僅かに湿っていて柔らかい感触。
忘れていた感覚にわたしは眼を開きます。
そこには瞼を閉じたほむらちゃんの顔が…
………。
……。
…って…ええええええええーーーー!?
今の状況を理解して混乱してしまいます。
なんと今のわたしはほむらちゃんの胸の中に居るだけではなくて…~っっ
「っ…んんっ?」
ほむらちゃんが顔を傾け、わたしたちの唇が深く…。
ってわたしどうしたらいいのかな!?
心臓をバクバクと鳴らしながら見つめていると、ほむらちゃんの瞼が開き、至近距離で視線が合います。
「………」
暫しの停止。そして気づいたのか、ほむらちゃんは一瞬で赤面してわたしから離れ、俯いてしまいました。
「…ごめんなさい…っ」
申し訳なさからか、恥ずかしさからか…それとも両方なのか…ほむらちゃんは涙目で頭を下げていました。
「あ…うん。大丈夫だから…ね?」
一体何が大丈夫なのかは自分でもわかりませんが、ついそう返してしまいます。
謝られたことに関して、少し胸が傷んだのはどうしてでしょうか…?
自分の胸を抑えた時に、わたし自身の変化に気づきました。
「え…?」
驚いて自分の体を見渡します。手袋に覆われた両腕。身に纏う白いドレス。長い桃色の髪。
それは概念化した鹿目まどかの魔法少女姿で…。
「どうして…」
概念として宇宙に溶け込んだはずなのに、いつの間にか自我も戻っています。
本来ならありえないはずでした。
「鹿目さん綺麗…」
ほむらちゃんが少しうっとりとしています。
「あ…ありがとう」
とても懐かしい姿のほむらちゃんに言われると、とても照れます。
そんな嬉しいような痒いような時間を過ごしていると、ふとわたしを見詰めていたほむらちゃんから表情が消えました。
「もう時間がないみたい…鹿目さんこっちに来て」
真剣な表情でわたしの手を引くほむらちゃん。
わたしはふわふわと宙に浮いた状態で付いて行きます。
そうやって連れて行かれたのは、赤青黄の三色で彩られた繊細なデザインの長い長い吊り橋でした。
僅かに強く握ってから、静かにほむらちゃんの手がわたしから離れます。
「…ほむらちゃん?」
わたしは振り返り、少し下がったほむらちゃんを見ます。
離れるほむらちゃんの手がまるで消え入りそうで…とても不安になったのです。
そんなわたしをほむらちゃんは寂しそうに見詰めていたのでした。
「この先は鹿目さんしか進めないの」
私だけ…?折角ほむらちゃんと会えたのに…
「…怖い?」
ほむらちゃんが心配そうに訊くので、視線を吊り橋に戻し観察します。
橋の下は深くて真っ白でしたが、不思議と怖くありません。
「ううん。平気だよ。でも…」
どうしても行かなければいけない…。そんな気がしています。
だけどそれはほむらちゃんを置いていくということで…。
その事実が辛くて尻込みしてしまいます。
「鹿目さん…代わりにこれを…」
ほむらちゃんは目の前で三つ編みを解き、留めていた紫のリボンを渡しました。
「いいの…?」
「…うん。持っていて欲しいの」
そう言ってわたしにリボンを握らせます。
ほむらちゃんが着けていたリボン。…それはとても嬉しいなって思うのでした。
「分かった…。ありがとう、ほむらちゃん」
わたしが笑ってお礼を言うと、ほむらちゃんも笑ってくれます。とても嬉しそうです。
もっとこの笑顔を見ていたい…。もっともっと傍で笑い合いたい…そう思います。
でもそんな時間はほむらちゃんの言葉で終わりを告げました。
「鹿目さん…もうそろそろ時間が…」
名残惜しくても、離れるのが辛くてもわたしは行かなければならない…ようです。
まだ躊躇いがちなわたしを動かし、優しく背を押してくれるほむらちゃん。
だからわたしは少し進んでから振り返り、できるだけ笑顔で手を振ります。
「ほむらちゃん…またねっ!」
また会えるよね!?そう信じて…信じるためにそう叫ぶました。
そんなわたしにほむらちゃんも優しい笑みで振り返してくれて…泣き出しそうになりました。
だけどそんな姿を見せたらほむらちゃんが心配しちゃうから…振り切るように駆けるような速さでわたしは橋へと向かうのでした。
――――
―――
――
鹿目さんの背が遠ざかっていく。
自身の体が右足から光の粒へと変化し消えていく中で、私は彼女の背中を見詰め続けていた。
鹿目さん…少し姿が変わっていたけれど…とても大人っぽくて綺麗だったなぁ。
笑顔も優しさもあの頃と変わってなくて…そんな鹿目さんと会えたのは役得だったりする。
鹿目さんの姿が見えなくなったところで私の目から涙が溢れ出す。
もう左上半身と肩より上しか残っていない…。
あれ以降、鹿目さんが振り返らなくてよかった…。
私がこうなるって知ったら鹿目さんは泣いてしまうから…。
ごめんね…。
でも私はどうしても貴女を……。
……。
違う…これじゃないよね…。
私が言うことは…、貴女に贈る言葉は…ごめんねじゃなくて。
「私を助けてくれてありがとう、まどか」
喜びに満ちた表情で、暁美ほむらは消えたのであった。
とりあえず今回はこれだけ…。
次回はもう少し書きためられるようにします…。
**************************************************************
三色の吊り橋を、わたしは浮き進んで行きます。
手にあるのは二本の紫のリボン…ほむらちゃんが身に着けていたリボンです。
ほむらちゃん…。
しっかりと握り込み胸に寄せます。
置いてきたほむらちゃんが心配ですが、右も左も分からないわたしは進むしかないしかありません。
不安を残しつつ顔を上げると鮮やかな色彩が飛び込んできました。
床を大胆に描き、度々他の二色にちょっかいを掛けているような、月や楽譜の青色。
青色と遊んでいるような、大旨は十字架や流れるようなラインの、全体的にさっぱりした左側を通る赤。
他の二色を受け入れ、見守り導くように花開く右側の黄色。
よく知るあの三人の魔法少女に導かれているようで…今度は懐かしさと感銘から涙が溢れてしまいます。
長い時間を掛け、その光景を目に焼き付けながら進んで行きます。
そんな時間もいずれは終わりを迎えるもので、最後は吊り橋を超えた出口で三色は仲良く円陣を描いてわたしを待ってくれていました。
過ぎたところで一度だけ振り返ります。橋は陽炎のように揺れ、わたしの目の前でゆっくりと消えていきました。
ありがとう…。
自然と溢れたお礼に、陽炎の中で三人が僅かに笑ったような気がしたのでした。
「………消えたわ」
何を言われたのか、すぐには分かりませんでした。
頭が真っ白になってしまいます。
「…嘘…だよね…?」
消えた…?あのほむらちゃんが…?
呆然と手のリボンに目を移します。
わたしの指から溢れた溢れた二本の紫色のリボンに震えが伝わっています。
「…いいえ。あの子はもう居ない」
動揺し、思考を停止したわたしにほむらちゃんは繰り返します。
「……どうしてなの…?」
どうして消えたの?
一体どういうことなの?
「必要なことだった、それだけよ」
ほむらちゃんは抑揚のない声で言いました。
「どうして!?」
消える必要があるってどんなこと!?
ほむらちゃんがどうして消えないといけないの…?
とても信じられることじゃありません。信じたくもありません。
「…私からは言えないわ。役目ではないから」
……また。またです。自分の役目じゃないから話せない…と。
どうして同じことを言うの?役目って一体…?
そこまで思って気付きました。
目の前のほむらちゃんも、三つ編みのほむらちゃん同様に消える役目にあるのだと。
辛さに耐え切れず、わたしは地にへたり込みます。
わたしを支えながらほむらちゃんも膝を付いて覗き込んでいました。
「まどか…」
再びほむらちゃんは顔を近づけ、キスしようとしています。
「嫌だ…嫌だよ」
ほむらちゃんが消えるなんて。
そんなの認めたくない…。受け入れたくない…。
ほむらちゃんとずっと…。
堪えていた涙が零れ落ちます。
リアルタイムで更新ktkr!!!
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数多の星が散りばめられた宇宙の中を駆け抜けます。
外観とは異なり、城の中は壁の分からない宇宙空間のような世界でした。
入口から真っ直ぐに延びる星雲の道を足音を響かせながらわたしは走っているのです。
蒼い星。山吹色の星。紅い星。そして菫色の星。
時折、大きくて、力強い輝きを持つ星を視界の脇に捉えながら、しっかりと前を向いてわたしは駆け続けます。
どうして二人のほむらちゃんが消えなくちゃいけなかったの?
ほむらちゃんは…何を考えているの…?
少しでもほむらちゃんの気持ちが知りたくて、理由を早く知りたくて、わたしは無我夢中で走るのです。
走らずには…いられなかったのです。
その甲斐もあってか、城の入口までの道中からは考えられないほど早く突き当りに辿り着いたのでした。
足を止め、肩で息をしながら立ちふさがる巨大な扉を見上げます。
大きな扉です。その上に乗った二人の女性が手を交差して、一つの球を支えています。
一方はわたしが着ていた白いドレス姿で、もう一方は短めのベールを被った違うデザインのドレス姿した女性です。
辿ってきた星雲の道はその下へと続いていました。
もう一歩近づくと、扉が音を立ててゆっくり開いていきます。
「うわぁ~」
そこには眩いほどの銀河系が幾つか存在していました。
薄くて平べったいもの。渦がはっきりしていて、更に中央が細長いもの。大きな球の周りの渦ラインが少ないもの。どれ一つ同じものは無いようです。
「…来たのね」
大広間の中央にある大きな地球のようなオブジェの陰から、カチューシャの代わりに赤いリボンを着けたほむらちゃんが現れました。
盾の代わりに弓を持っています。
「待っていたわ」
逆方向から、赤いリボンで高めの位置にツインテールを作ったほむらちゃんが出てきます。
こちらも同様に弓です。
でもどうしてでしょうか…?髪型以外に大きな違いは見られませんが、今までに会ったほむらちゃんとは違う感じがします。
違和感を感じているけど、その正体を掴めません。
今のわたしは、概念だったときに抱いた感情と、ほむらちゃんが繰り返していた時間軸における経験しか持ち合わせていなかったのです。
―――
――
―
いざ、まどかに再会すると、どう接していいか分からないわ。
私がまどかを喪ったのはもう遠い昔の話。
長い長い戦いの末に会えたのは嬉しくて。懐かしいあなたがそこに居るだけでも感激で…。
感動の赴くままに抱きつけたら…泣くことができれば楽なのだけれど。
でもそんなことに時間を費やしたら、横槍が入りかねない。
相手が‘私‘でも、まどかと過ごす時間に邪魔が入るのは不愉快だわ。
だから私は感涙しそうなのを我慢して、まどかが知りたい事実に辿りつけるよう会話を運ぶ。
こんな形で…また過ごすことが出来るなんて想ってもいなかった。
まどか…。あなたを喪ってから、私はあなたの出来なかったことを、やり残したことをしようとしたわ。
友達と過ごす時間を。家族と過ごす時間を。
あなたの分もしっかりと噛み締めようと思ったの。
実行出来たかというと、それはまた別の話だけれども。
…巴さんや佐倉さんとの関係は良好だったから、許してもらえると有難いわね。
ああ…与えられた最後の時間が終わりを迎えようとしている。
「ほむらちゃん、酷過ぎるよ」
失敗したかしらね…。
顔を覆って泣くまどかを見て、話したことにも罪悪感を覚える。
‘私‘たちを救うために自身の存在を消すような祈りをしたまどか。
まどかが‘私‘の消滅を知って泣かないはずはないのに…。
そんな優しい子だから私は惹かれ、闘い続ける道を選んだのに。
すっかり、頭から抜け落ちていたわ。
あれから長い年月を経たことによる弊害ね…。
でも…私はあなたに人として生きて欲しかった。
そしてそれは、あなたに救われ、あなたの居ない世界を生きたことで尚更強まった想い。
だから私は、あなたが傷つくと知って、それでもこの役目を引き受けたのよ。
リボンを返すときに、まどかの温もりが伝わって来た。
まどかが生きていることを実感する。
あなたの涙が、私に与えてくれた温もりが、とても愛おしくて仕方ない。
赤いリボンも本来の持ち主に返ったことを喜ぶかのように、私の使用期間に着いてしまったくすみや傷みが消えていた。
そんなあなたに伝える言葉は…概念となる‘私‘の想いを集約する言葉はやっぱりこれでしょうね…。
「あなたを好きでいられて幸せよ。ありがとう」
唇を重ね合わせたその瞬間、‘暁美ほむら‘の自我は消えたのだった。
一面に広がる真っ白な世界。
僅かに世界を形成する白光は鳴動し、その中から滲み出すように薄い桃色の光の珠が生まれます。
気がついたとき、銀の草原の中に桃色の珠となったわたしが浮いていました。
最初に見つけたのは丘の上へと延びた緩やかな、これまた白い路。
ぼんやりと意識のまま、わたしはゆっくりと路の上を漂っていきます。
一体どれだけ経ったのでしょうか…。丘の頂上が間近に迫ったとき、初めて違う色が入ってきました。
緑の芝の後ろにあるのは噴水です。近づいて覗いてみると、底に大きな桃色のバラの花が描かれています。
引き込まれたように留まって見ていると、縁に座っていた人影が立ち上がりました。
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ほむらちゃんがいた空間に頭を下げるように、わたしは片手を付いていました。
もう何も考えられなくて。
お別れする時間も与えられずに、ほむらちゃんが目の前で消えてしまって…。
悲しみ、泣くことすら出来なくなっていました。
どうして…?わたしはただ、ほむらちゃんが、皆が生きて笑ってくれれば良かったのに。
皆が笑っていられるなら、わたしはどうなっても良かったのに…。
それなのに…何でこうなるのかな…?
「――――か」
甘えていたから、罰が当たったのかな…。
ほむらちゃんなら、きっとわたしのことを覚えていてくれるよね…て。
散々苦しめておいて、それでも忘れられたくないって思ったから。
「―――どか」
こんなことになるなら、ほむらちゃんにリボンなんて――
「鹿目まどか!」
突如、近くで聞こえた大きな声にわたしは正気に戻ります。
ゆっくりと顔を上げると、強ばった表情のほむらちゃんと目が合います。
‘ツインテールのほむらちゃん’はわたしの斜め前の、少し離れた位置で膝を付いていました。
「…やっと反応したわね」
ホッとしたような、少し呆れたような様子で息を吐いて‘ツインテールのほむらちゃん’は立ち上がります。
鳴動する銀河の光を浴びるほむらちゃんは落ち着き払い、動作は洗練されていて綺麗だと思います。
「調子はどう?」
顔を僅かに動かし、視線が投げかけられます。
「え…あ、うん。もう大丈夫…」
近くで見るとやっぱり、‘他のほむらちゃん’とは違うように見えます。
「そう。なら良かったわ」
抑揚がない返事です。感情の色が読めません。
事務的なようにも感じ取れました。
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最初に認識したのは、手袋の上から手首に結ばれた紫色のリボン。
周囲の音に対して無意識にわたしの身体は反応し、少し離れた位置にある音源を射抜きます。
一つ、二つ、三つとピンクの矢で射抜かれる異形の存在。
魔獣と呼ばれるそれは、キューブ状のグリーフシードを生み落として消えます。
「危ない!まどかっ!」
張り上げられたさやかちゃんの声。
迫り来る影に気がついたとき、魔獣の目前に迫っていて…。
あ……。
正気に戻ったときにはもう避けられない位置にいました。
その場に固まってしまった、そんなわたしの右腕を強い力が引っ張ります。
攻撃を避けられた魔獣は、脇から現れた黒い少女の長い爪で裂かれました。
右目に眼帯を着けた黒髪ショートの少女は、ヒラリと身を翻して傍にいる魔獣を爪で切り裂いていきます。
どうやらわたしは助けられたようです。
「…戦闘中に呆然とするなんて」
怒気を含んだ静かな声が聞こえてきました。
聞き覚えのないその声に、わたしは顔を上げます。
顔立ちの整った、これまたヒラヒラとした全身白い装束の女性がわたしを見下ろしていました。
「鹿目さん。あなたはもう少し自分の立場を…」
そこまで言ったところで、目の前の女性は目を見張ります。
視線の先にあるのは、彼女が掴んでいるわたしの手首から垂れている紫色のリボン。
ほむらちゃんから託されたリボンでした。
広がる満点の綺麗な星空。街中を見下ろせる高いビルの屋上に影が二つ。
風を一身に受ける長い黒髪の少女は静かに街を見下ろす。
いや、見ていたのは街だけでは無いのかもしれない。
星空と街の境界線をただ、じっと見つめる姿。
彼女はカチューシャのように添え右側に結ばれた赤いリボンと同じリボンを胸に抱えていた。
想いを確かめるように。全てに別れを告げるもののように、歪んだ黒い翼を広げている。
どこか儚いこの少女の姿を、黒いリボンでポニーテールを作った紅い髪の少女は後ろから眺めていた。
「佐倉さん」
静かな声であたしを呼ぶほむら。視線は外に向けられたままだ。
「あの二人を…見守って」
一見落ち着いているのに、消え入りそうな感覚を覚える声だった。
「見守るって何さ。あたしたちは仲間なんだ。互いに助け合うのが正解だよな」
吹き付ける風が冷たい。だけど、それを隠して、隣に並んだあたしはほむらの頭を優しく小突く。
ほむらは僅かに顔を逸らす素振りをしながらも、大人しくあたしの行動を受け入れた。
全く似ていないのに。それなのに、妹のモモのように感じている。不思議なものだ。
「…そうね。訂正するわ。あの二人の傍にいて欲しいの。…――まで」
視線をあたしに向けて微笑むほむら。
こういうときは随分年上の人物に見られているよう気分になる。かなり複雑だ。
でもそれ以上に複雑なのは、その瞳の光が揺れていること。
常に寂しげなほむらだったが、ここまで人を不安にさせるようなことは無かった。
「…なに考えてんのさ…?」
ずっと嫌な予感がしている。
家に帰ったときに異様な静けさを感じた時の、家族の死を目の当たりにする直前に感じた恐怖。
とてもそれに似ていた。
「私はもう長くない」
淡々とほむらが答える。そこに悲観もなければ動揺もない。
自らの運命を受け入れた者だけが取り得る態度だった。
Dear little sisters
[佐倉杏子 編]
*************
傾けられたベッドの上から空を見上げる三つ編みの少女。
開こうとしたまま手を添えられた本は閉じたままで、細い眼は遠くに向けられている。まるで消えてしまいそうなほど、儚い姿をしていた。
「よう」
あたしは高層の窓の外側から身を乗り出し、手を挙げて所在を告げる。
視線をあたしに向けた少女はビクと身体を僅かに跳ねさせた。
「さ…佐倉さん!?」
慌てた様子の少女の前で部屋に飛び込む。少女は一瞬固まっていたが、すぐに持ち直した。
ここは高層に位置している部屋だが、あたしが窓から侵入するのは初めてじゃないからだろう。
「えと…危ないので窓から入るのは辞めてもらえませんか…?」
心配そうにあたしを少女は見ている。
「平気平気。慣れてるんでね。っと。ほむら、これやるよ」
そう言って小脇に抱えていた丸い物をほむらに渡した。
「え…ありがとうございます」
反射的に両手で受け取ったほむらは、それを顔に近づけ、じーと見ている。
抱きかかえるのに丁度いいぐらいの大きさの縫ぐるみだった。ボールのように丸いが、△の耳や両手足、尻尾がついている。そして顔の位置には丸い目とωの形をした口が描かれ、可愛らしい姿をしていた。
「……ネコ…あ。…ふふふっ」
縫ぐるみに着いた2つ折りの厚紙のタグに気付いて、それを開いたほむらが口を押えて笑う。他には聞こえないような小さな声で「かわいい」と零したのが分かった。
その様子にあたしも釣られて口元が緩む。
「気に入ったかい?」
あたしはベッドの傍に寄せた椅子を寄せ、その上で片足だけ胡坐を掻いた。
「はいっ!」
満面の笑みで縫いぐるみを抱き込むほむら。見てるこっちが幸せになるような、無邪気な笑顔だった。
それだけ喜んでもらえると、ゲーセンで取って来た甲斐があるってもんだ。
頬が緩んでしまったことに気付いて、あたしは心持ち普段の表情を取り繕う。
****************************
ザーザーと雨の音がする。
「―――なぁー」
雨音に紛れて、小さな猫の鳴き声が聞こえてきた。
心なしか頬に湿り気のある、ザラザラとした感触を感じる。
薄暗い橋の下、ダンボールを敷いて昼寝をしていたあたしは目を覚ます。
すると、小さな黒猫があたしの頬を舐めていた。
そっと身体を起こし、傍にいた黒猫を撫でてやる。その身体は湿っていた。
「はははっ」
気持ちよさそうに目を瞑る黒猫。その様子は誰かに彷彿としている。つい笑いを零した。
黒猫から手を離して橋の外を見る。打ち付けるような雨粒が橋下にまで入り込もうとしていた。
吹いた風の寒さに身を震わせる。今日は冷え込むようだった。
今日はやけに寒いな。
そんなあたしの思いを知ったかのように、黒猫が擦り寄ってくる。
ぴたりと身体を胡坐を掻くあたしに密着させて丸まった。
……ほむらのやつ、体調崩していないといいけどな。
あたしがナースコールをしたあの後、ほむらは熱を出したそうだ。
次の日、見舞い行ったマミの話によると、そこでも体調が悪いのに誤魔化そうとしていたらしい。
やっぱりこれも不眠が原因だったので、寝かせようとしたが聞こうとしなかったようだ。
このままだといつまで経っても復調しないので、無理矢理寝かしつけたとのこと。
あまりにも酷い様だったら睡眠薬の投薬も視野に入れる必要があるとまで言われているそうだ。
ちらりと黒猫を見ると、欠伸をしてから眠りに就こうとしていた。
ほむらもお前みたいに眠れたらいいんだけどさ。
黒猫を起こさない様に気を付けながら、脇に置いてあった袋から菓子パンとジュースを取り出す。
猫の温もりを感じつつ、あたしは飲み食いしながら橋の外を眺める。
いつまでそうしていただろうか……。
暗い空が更に暗さを増し、もうすぐ夜になるだろうという時間帯になったとき変化は訪れた。
寄り添って眠っていた黒猫の耳がピクリと動く。
のろりと立ち上がったかと思うと、逃げるように去って行った。
それと同時に逆方向から地面を踏む音が近寄ってくる。
じっと見ていると、そこから傘を差した見滝原中学校の生徒が雨の中から現れた。
「あたしもさ、あんたと同様他人の為に祈った。正義の味方に憧れてた時期もあった。あんたは……昔のあたしだ」
「杏子…」
「そして今のあんたは、あたしが有りたいと思った本当の姿なんだ。
だから魔法少女として生きる意味が分からないって言うなら、あたしの為に生きてくれ。
あたしたちと一緒に、この町を、恭介っていう少年が居るこの町を守って欲しい。
居場所が無いって言うなら、あたしがあんたの居場所になる。
………それじゃダメか?」
本心を曝け出したあたしは手を差し出す。さやかはその手をじっと見詰めていた。
「……ふふふ。あははははっ」
急に笑い出すさやか。驚いてあたしはビクリと身体が反応する。
そんなあたしの前でさやかは爆笑していた。
「なんだよ……」
「ま……まさか、あんたにそんなこと言われると思ってなかったわ」
一しきり笑ったさやかは、零れた涙を手で拭う。
顔を上げたさやかはすっきりとした様子であった。
「でも、ありがとう……杏子」
そう言ってあたしの手を取ったさやかの表情は、晴れ晴れとしていたのだった。
遅くなって申し訳ありません。
次から投下します。
******************
温かな日差しの差す廊下。人の気配が無いことを確認して窓から侵入する。
それから正面にあるドアに耳を当て、中に来客が無いことを確信してドアを開けた。
「ほむら」
部屋の主である、赤縁眼鏡を掛けた少女はあたしの呼びかけに反応して顔を上げる。
「佐倉さんっ」
ぱぁと花が咲いたように笑顔になって、いつもの如く椅子を寄せるあたしを歓迎した。
手元の本を閉じて傍らに移動させるのも自然だった。
「調子は良さそうじゃん」
ほむらの前髪を分け、コツンと額同士を接触させて熱を確かめる。ほむらの平熱は少し低い。問題はない。
ほむらが体調を誤魔化したあの時以来、ここまでがいつもの流れであった。
「はい。この様子なら来週には退院できるそうです」
恥ずかしげにあたしを見詰めながら微笑む。この熱の測り方にも大分慣れたようで、顔を逸らそうとしなくなった。
初期は湯気が出るんじゃないかと思うほど顔を真っ赤にして、逃げようとしてたからな。
「へぇ…良かったじゃん」
喜ぶ姿にこっちも嬉しくなる。
恐れていたほどの後遺症はなかったが、初期の不眠状態で回復が遅れて心配されていた。
その不眠状態もいつの間にか治ったようで、リハビリの開始が少し遅れただけで済んだらしい。
以降の経過は非常に良好ということで喜ばしい限りだ。
「で、記憶の方はどうなのさ?」
あたしの質問に、ほむらの表情が陰る。
「……そちらは全くですね。ごめんなさい」
申し訳なさそうにしょ気た。そこまで沈まれるとこっちが辛いんだけど。
目覚めた後に現状を聞かされて以来、ほむらはずっと引け目を感じているようだ。
記憶喪失で済んだ分良好だし、そもそもほむらが目覚めることすら医学的に見れば奇跡の範疇だ。
数年間ずっと傍に居たマミも、ほむらが今こうして起きて動いている事実を純粋に喜んでいる。
「気にすんな」
項垂れるほむらの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。すると安心したのか、笑顔が零れる。その様子はまるで甘える仔猫のようだった。
あたしは目を細めた。こういう姿を見ると、守ってやらなきゃと思う。
か細い体で、誰一人も知り合いがいない世界に目覚めた少女。
あらゆるものに取り残された境遇は、あたしのようで。
でもそこにある無邪気な笑顔は、かつてあたしが守りたかった温もりに似ていて。
そう……さやかが過去のあたしなら、ほむらは喪った妹。モモのような存在だった。
「おお~!やってるねぇ」
穏やかな空気をぶち壊す元気な声。
ビクリと身体を震わせ、音を立てながら立ち上がって入口を見る。
思った通り、さやかがあたしたちを見てにやけている。その隣ではマミがクスリと微笑んでいた。
厄介なところ見られた。そう思って内心舌打ちをする。
「……っ!」
ほむらは怯え気味にあたしを壁に隠れようとした。ベッドの上だから少し動いた程度だが。
その反応にあたしたち3人は苦笑する。
「だ……誰ですか?」
怯えてはいるが視線はきちんとさやかに向いていた。って、さやかとまだ会わせてなかったか?
「あれ?あたし自己紹介まだだっけ?」
さやかも同じこと考えたのか首を傾げた。
ほむらが目覚めたときはさやかも部屋を覗いていた。
あの日聞いたバイオリンはさやかの幼馴染が屋上で弾いていたとのこと。その関係でほむらのことが瞬く間に伝わったようだった。
あと、さやかがほむらと一度廊下で逢ったようなことを言ってた気がするけど……多分この様子だとほむらは覚えてないな。
ほむらが眼鏡をかける前の話だし、まともに見えていなかっただろう。無理もないか。
「は……はい」
「ハハ……。それはゴメン。あたしは美樹さやか。よろしくね!」
後ろ手で頭を掻きながら歩み寄ったさやか。そっとほむらに手を差し出した。
「あ……暁美ほむら……です。よ、よろしくお願いします」
躊躇いつつも、ほむらはきちんと握り返した。
「美樹さんは暁美さんと同い年なのよ」
マミが情報を付け加える。
そうか。マミの1つ下なんだから当然さやかとは同じ学年になるわけだよな。
「そ……そうなんですか?」
「ええ」
マミの微笑みにほむらは警戒を緩める。チラリとあたしの方を見るので頷いてやると、小さく息を吐いていた。
「そういえば、これどこに置けばいいの?」
さやかが重そうな手提げを持ち上げる。覗き込むと分厚いファイルが数冊入っていた。
「えと……何でしょう?」
尋ねられたほむらが首を傾げている。
「うちの学校の試験の過去問。マミさんに問題集頼んだって聞いて。友達にリストアップしてた子がいたから……コピー貰って来たんだ」
友達。その単語で一瞬だけさやかの表情が固まる。……仁美とかいうお嬢様か。
切欠があればどうにか話しかけれる程度には立ち直って来たらしい。それでもまだ、吹っ切った訳じゃないか……。
「え?そこまで?何だか……ごめんなさい」
ほむらは恐縮しきっている。初対面の相手にそこまでさせたのが申し訳ないんだろう。だけどそこで謝るのは間違いだ。
「こら。そういうときは『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』って言ってやんな」
拳を作ってほむらの頭を軽く突いた。
「あ……はい。ありがとうございます」
ほむらは気づいたように顔を上げ、笑顔で礼を言いながら頭を下げる。手提げはさやかからマミへと手渡されていた。
「う、うん。どうしたしまして」
ほむらの態度の変化に目を見張っていたが、さやかは照れたように笑った。
もう大丈夫だな。そう判断してあたしはそっとほむらの傍から離れた。
「そうだ!CD持ってきたんだけど。クラッシックとか訊く?」
「は、はい」
さやかが話題を振って、ほむらがそれに応える。主導権をさやかが握ることで、2人の対話はそれなりに弾んでいた。
あたしだとゲームとか、サバイバル生活とかになるし。マミは何かと世話焼きが過ぎて、ほむらの身の回りのことが多いし。それを考えるとさやかの話は新鮮だろう。
2人の様子を壁に凭れ掛かって見守っていると、荷物整理を終えたマミが静かに横に立った。
「すっかり仲良しね」
「そうだな」
視線は楽しげな2人に向けている。
ほむらの表情はまだ硬いが、それもすぐに解れるだろう。
「あら?私はあなたのことを言ったのだけれど」
横目であたしを見るマミ。
「そうかい?」
「うん。佐倉さん……今とても優しい眼をしているわ」
からかわれているのかと思ったがそうでもないらしい。マミはしんみりと微笑んでいた。
優しい眼……ねぇ。
「暁美さんもあなたの話するときが一番輝いてるし……妬けちゃうわね」
少し意地悪な笑みを作るマミ。
「何言ってんの?大体あたしたちを会わせたのはマミじゃねぇかよ」
呆れ気味にあたしは零した。
マミはおそらく冗談半分、本気半分だ。ほむらを見詰めるマミの眼も他人のこと言えないぐらいに柔らかい。
あたしの態度にマミは小さく笑う。
「ふふっ。良かったと思うわ。ありがとう」
あたしに姉のような、母のような笑みを向けた。マミにこんな表情を向けられたのは本当に久しぶりだな。
最近はそうでもないが、再会してからは陰りある表情ばかりだった。マミの信頼を裏切ったとも言える立場だし、素直に接することができなくなったのが原因だろうけど。
……久しぶりすぎて照れてしまった。真正面から見れない。
「それよりさー、何であたしを会わせようと思ったわけ?」
気持ちを誤魔化すかのように疑問をぶつける。
最初ははぐらかされたが、今なら話してもらえるような気がした。
「そうね。1つは暁美さんに予兆があったから」
「予兆?」
「ええ。キュゥべえの話だけれど……。事故後、暁美さんの素質が増え続けていたらしいわ」
思わず眉をひそめる。ここでキュゥべえが出てくるとは予想外だった。
マミからほむらは魔法少女のことを知らないと聞いていた。それですっかりほむらには魔法少女の素質が無いんだとばかり思っていたのだ。
「魔法少女の素質って、確か背負い込んだ因果の量で決まるとか言ってたよな?」
過去に興味本位で聞いたら、そういう答えが返ってきた気がする。
眠っているだけで増えるものなのか……?
「そう言ってたわね。その因果の増加が最近になって終わった。だから目覚めが近いかもしれない、って言われてたのよ」
「で、その通りだったわけ……と。つーか、キュゥべえに狙われてんのかよ。どれだけあるんだ?ほむらの素質は」
キュゥべえは魔法少女を増やそうとする。その関係でほむらをチェックしていたに違いない。……厄介だな。
マミも同じ想いなのか複雑そうに息を吐いた。
「以前、『ジャンヌ・ダルク』並みにはあるとか言ってたの」
「え?……なっ!?」
ジャンヌ・ダルクって…あの『ジャンヌ・ダルク』か!?
聖女として名が残る『ジャンヌ・ダルク』が魔法少女だったのは納得できるけど、それに匹敵する因果のほむらって……?
途方もない話に顔が引きつった。
「しかもそれ、一年以上前の話よ?今はどうなっているか考えるだけでも恐ろしいわよ……」
マミは深い溜息を吐いた。
いかにもキュゥべえが執着しそうな人材だ。寧ろ今この場に現れないのが不気味だ……。現れたら速攻ぶっ潰すけどな。
「本当にほむらはキュゥべえを知らないのか?」
「それは間違いないわ。ちゃんと確認とったし、会ったら私かあなたに教えるように言ってあるもの」
そこまでしてるなら、ほむらは本当にキュゥべえを知らないだろう。
一先ず安心する。知らないうちに契約している、なんてことが起こる可能性は少なそうだ。
「……ほむらを魔法少女にさせる気はねぇんだよな?」
キュゥべえの言うことが本当ならほむらは誰よりも強い魔法少女になれるだろう。ソウルジェムの仕組みを知っているから契約に対して消極的だが、それでも仲間が欲しいと考える気持ちがどこかにあることを恐れていた。
「ずっと眠っていた子に、どうして戦わせたいと思うのよ……」
マミは辛そうに言った。
ほむらをやけに気にかけているとは思った。
だけどそれは昔馴染みという理由だけじゃないのかもしれない。
もっと深刻な……そう罪の意識に苛まされている。そんな風に見えた。
「ならいいさ」
ほむらには普通の少女として生きて欲しい。
それがあたしとマミの共有する感覚だと知れただけで充分だろう。
「あいつはこんな世界に来るべきじゃない」
初対面の相手に怯えるほど気が弱いんだ。身体だってずっと寝込んでいたから強くない。そんな奴が無理して戦う必要なんかないさ。
「うん。私もそう思う」
マミも頷いた。
向う側では話に一区切りついたのか、ほむらがあたしを見ている。呼びたいけど遠慮している顔だ。
すっかりあたしに頼る癖が着いたらしい。おちおち離れられもしない。
「ふふ。行ってあげないの?」
からかうように笑うマミ。他人ごとだと思って楽しんでやがるな。
「はぁ。仕方ねぇな」
返事もそこそこに歩き出す。マミの反応は少々癪だが、不安げなほむらを放っておけない。
ほら……あたしが来るのを確認しただけで嬉しそうにしてさ。こんな風に懐かれて、突き放せるわけねぇだろ。
頬が緩むのを自覚しながら、あたしはほむらの頭を撫でるのだった。
―――
――
―
ずっと忘れていた温もりがあった。
求める理想の形があった。
想いを共にする仲間が居た。
一度はバラバラになったそれらを繋ぎ止めたのは、純粋に慕ってくれる同じ年頃の少女。
あたしと同様で、多くの物を一度に失った、ほむらという存在だった。
そして、あたしたちにとっては平穏な世界の象徴でもあったんだ。
と今回はここまで。
気分的にやっと杏子編の折り返しまで来ました。
(実際には書下ろしがあったのでもう終わりが大分近いですが)
いい加減に以前のペースに戻せたらいいなとつくづく思っていますが……。
次回は今月中に投下しようと思っています。本当に遅筆で申し訳ありません。
乙
とても面白いんだけど字下げして地の分に空行もいれてだと文章がスカスカになって物凄い見難い。
>>133
ご指摘ありがとうございます。
書き方を変更してみますね。
と、次から2レスほど実験で以前書いた内容を投下してみます。
※本編には関係ありません。
キキ―ッ。大きな音を立てて横から迫りくる自動車を前にして身体が固まってしまった。
弾かれる…そう思った瞬間、ふわりと身体が浮き上がる。突如現れた大きな何かに救い上げられたようだ。
「にゃっ?」
後半身を抱き込むようにして、両腕でしっかりと支えられる。そのまま跳び上がったかのような力がかかり、カツンという着地音を境に視界の揺れは止まった。
「…ふぅ」
見上げると長い黒髪の少女が息を吐いていた。どうやら彼女に抱きかかえられているらしい。安堵の息を零した少女と真正面から視線が合う。綺麗で、でも寂然に満ちた紫色の瞳の少女だった。
…助けてくれたの?ありがとう。
「にゃー」
頭や頬を少女の胸に摺り寄せる。
少女が僅かに表情を緩めて、耳の後ろや顎を指で少し強めに撫でてくれる。その動作は明らかに手馴れているもので、その気持ち良さにゴロゴロと喉を鳴らさずには居られなかった。一頻り撫でて、細くて長い指が離れていく。
もうおわり?もう少ししてほしいなぁ。手を伸ばして、ペタと少女の指を肉球で止めた。
「……」
少女は歩き出しながら、指先を顔に近づける。鼻をくっつけると、少女は指を緩やかにあちこちと移動させ始めた。
それを追いかけてこっちの手も移動させる。触れたタイミングでヒョイと避ける。
また追いかけると、今度は直前で避けられる。何度も繰り返していくうちに、そういう遊びなんだと気付いて思いっきりじゃれ付く。どんどん速くなる少女の指の動きに熱中していると、いつの間にか人気が無くて少し広い、屋根のある場所に着いていて、遊びもそこで終わった。
少女の動きが止まる。じっとこちらを見詰めていた。とても寂しそうで、悲しそうで、辛そうな眼。涙は流れていないけれど、泣いているようにしか見えなかった。
身体を動かし、少女の肩に手を置いてしっかりと身体を伸ばして少女の顔を舐める。
「エイミー。くすぐったいわ」
ペロペロと舐めていると、少女によって地に下されてしまった。でも穏やかな微笑みを浮かべている。少し元気になったみたい。良かった。
少女は変身して、左腕にある丸いものからビニール袋を皿を準備して、更に猫印の缶の中の粉を持参の水で溶かし始めた。ミルクの匂いにお腹が刺激された。
「にゃぁー、にゃぁー」
お腹すいた~。早くちょうだい。少女に縋り付く勢いで催促する。
「はいはい。すぐにあげるから」
変身を解いた少女は出来上がったばかりのミルクを差し出す。少し離れた位置で屈んだ。
口を付けると丁度良いぐらいの温度と濃度の、とても美味しいミルクだった。まるで好みを把握しているような加減である。ミルクを飲み切ると丁度お腹いっぱいになった。
お腹がいっぱいになって顔をあげると、少女が立ち上がって去ろうとしていた。
どうしたの?どこ行くの?まだ傍にいて欲しいの。
去ろうとしていた少女の脚にまとわりつく。少女の脚が止まった。
「エイミー…」
「にゃあ?」
なあに?返事すると、少女は困惑したようにこちらを見詰めていた。また寂しそうな眼をしている。まだ独り立ちの準備を終える前に肉親を喪い、流浪する猫に似ているかもしれない。
「…えっとこっちの方から聞こえたよね…?」
遠くから人間1人分の足音が近づいてくる。目の前の少女は気が付いたように顔を上げた。
「っ。まどか!?」
足音の主を目視したらしい少女は驚き、泣くのを耐える様な表情を作る。それから10秒も経たないうちに視界から瞬時に消え去った。
「なぁー?なぁー!」
どこにいるの?どうして消えちゃったの?ねぇ?声を張り上げて少女を呼ぶ。でも現れたのは別の少女だった。
「あっ。見つけたー」
桃色の髪を2つに分けた、先ほどの少女と同じ服装の少女がこちらを見て嬉しそうに笑う。ゆっくりと近づいてきて、少し離れた位置で屈んで手を伸ばしてきた。
自分から近づくと、少女は笑みを深めて頭を、喉を撫でる。こちらも優しさが感じられて心地がいい。暫く撫でられた後に両手で上半身持ち上げられる。
「…エイミー」
「にゃあ」
黒髪の少女と同じ名詞を私の方に向かって呟く桃色の少女。呼ばれたのだと思って返事した。
「これからはエイミーって呼ぶねっ」
笑みを浮かべた桃色の少女が顔を近づける。チョンと鼻同士をくっつけると少女は破顔した。その後、30分ほど相手をしたら去って行った。
「また来るね。エイミー、バイバイ」
手を振って去る瞬間まで桃色の少女は終始楽しそうに過ごしていた。寂しそうな眼を浮かべていた黒髪の少女とは対照的である。
同じ名前で呼ぶようになった2人の少女。どちらも気に入ったけれど、黒髪の少女の方が気になった。
多分、黒髪の少女の憂いには桃色の少女が深く関わっている。
別れ際の表情からして、会いたくても会えない事情があるのだろう。
…取りあえず、ココを縄張りにしたらまた逢えるかな?
命の恩人に想いを馳せながら、1匹の黒猫はパトロールへと向かっていった。
こんな感じでどうでしょうか?
また、読みにくい点とかございましたら、教えて下さるとありがたいです。
確かに見やすいかもあまり意識したことないけど
文章の量にもよりそう
乙
乙
とても読みやすくなってこれからが一層楽しみ。
読みやすさは読み手の環境によるから作風によって変化させるとより見やすく楽しめると思う。
一レスあたりの文量も行数や文字数を作風によって読者の傾向を考えると受けがいい。
このSSだと小説形式でシリアス物だから一レスあたりの文量を多く(詰めて)すると重厚感がでてどっしりとした作風になって読み応えが増加すると思う。
より小説形式に近付けるなら「!」「?」の後に空白(文末の場合は略)、「…」は二個一組、固有名詞以外の数字を漢数字で統一するなどあるけど、本媒体とPC媒体では勝手が違うし言い出したらきりがないから細かい部分は作者のさじ加減。
例
「…え?お前がテストで100点?」
「……え? お前がテストで百点!?」
>>138-139
ご意見、ご解説ありがとうございます。
表記方法は殆ど、今後>>139に倣う形にしようと思います。
また、表現の変化に伴い過去の文章も大幅修正しましたので、過去の全ての内容(エイミー視点の小話は除く)に関して、
1、杏子編終了後か、その前に修正版を投下するか
2、こちらとは別にスレを立て直して、こちらのスレは杏子編が終わった後はこちらをhtml化依頼に出すか(この場合、きちんと誘導します)
文章の内容そのものは殆ど変らない為に修正版のレス数は半分程まで減らすことが可能ですので、迷っております。こちらについてもご意見を頂けたら、と思っています。
尚、以降の物語の投下について
ルビ ()内
【修正前】 【修正後】
念話 『』 → 〈〉
で表します。
掛けた部分を先に投下します。
****
所はマミの家のリビング。ほむらとあたしとマミは揃って三角形のテーブルに向かっている。紅茶や一口サイズのお菓子を傍らに、クッション座椅子に座るほむらは無言でペンを動かし、あたしはマミが指で示しながら説明する声を鬱陶しげに聞いていた。
ほむらは無事退院した後、マミの家で暮らしている。驚異的な速度で回復していたらしく、病院関係者は首を傾げていたがマミは白を切っている。このことにあたしは関与してないとだけ言っておく。とは言え補助なしで生活するには程遠く、だからと言ってほむらの両親が一緒に暮らすには都合がつかなかった。その為にリハビリセンターに入れるかという話になったところで、マミが申し出たことで、何やかんやと決まった。この辺りはほむらの両親がマミの後見人であることにも起因しているようだが。
決まった後で知ったことだが、あたしを期待して提案したらしい。
「だって佐倉さん。暁美さんを放っておけないでしょう?」
あたしに妹が居たこと。ほむらが保護欲を誘う性格だということ。両方が噛み合う可能性を期待して引き合せたという所が性質悪い。最初からマミの手で踊らされていたわけだ。見ぬ間に随分と捻くれたもんだ。怒りを通り越して感心してしまった。
その結果あたしは半同居する形でマミの家に転がり込んでいる。そして今現在ほむらはマミに見守られながら勉強している。ついでに何故かあたしも勉強させられている。
あたしを何とか復学させようと企んでいるらしいマミは意気揚々とあたしの前に問題集とノートを置いた。
〈魔法少女しながら学校生活なんて面倒だ〉
念話で文句言うと、ほむらをダシに巻き込まれた。ほむらもほむらで期待するような眼で見るし。そうやって現状が出来上がった訳である。
「――ということよ。じゃあ、こっちでやり直しね」
誤答の解説を終えたマミが新しい課題を寄せる。
「うげ……」
大量の問題にげっそりする。あれだけ解かせて、まだこっちもかよ。鬼だ……鬼がいる。って、さっきからあたしばかりダメ出しされてんのは何でだ?
あたしの思考が伝わったのか、優雅な笑みを向けられた。笑っているがアレには裏を感じる。冷や汗を掻きながら慌てて問題に取り掛かった。
ペンを走らせる音だけが響く。マミはほむらが解いた問題を確認している。終えたばかりのものではなく、監修なしで解いた問題のようだ。それを確認していたマミが表情を怪訝なものへと変えていく。問題の入ったファイルを置いてほむらの手元に視線を移した。
「どういうこと……?」
少しの間、ほむらの様子を見ていたマミが呟く。
「あの……何か変な事でもしていますか?」
数学問題をしていたらしい。自分の解法に問題でもあるのかと、ほむらは手元を確認してから首を傾げた。
「ううん。そういうことじゃないの」
マミは首を横に振る。この勉強中、マミは殆どほむらに口出ししていない。多分、どれも正答しているのだろう。晴れないマミの表情にほむらが不安そうにし始めた。
「なら何なのさ」
あたしは手を止めて質問する。だけどマミはほむらに向いたままだ。
「暁美さん……あなたが今解いてる問題って何かしら?」
「えと、去年の、見滝原中学校二年の学年末試験……ですよね?」
「ええ、そうね」
ほむらは現在中二の年度生まれだ。何らおかしいことは……っておい。ちょっと待て。
ようやく異常に気付いた。数年間眠っていたほむらがどうして実年齢相応の学年末試験が解けるんだ?
「佐倉さんは気づいたのね……。暁美さんが解ける筈がない問題なのよ」
そこまで言われてほむらも気付いたらしい。驚いて口を抑えた。
「極めつけはこれね」
困惑しきった様子でマミは先程まで確認していたファイルを広げ、対応するほむらの解答を見せた。
「……暁美さん。気付いていなかったみたいだけれど、大学入試問題よ……これ」
あたしたちは絶句した。ほむらもあたしも中身を確認する。ほむらが解いていたのは理数系問題。数学、物理、化学と科目されていた。対してほむらの正答率はどれも八割以上。今まで誰も気付かなかったのは間抜けだが、ほむらの学力は明らかに異常だった。
ガタッと音を立てて、テーブル越しにほむらの左腕を掴む。
「いたっ」
左手中指を確認するが指輪はない。それでも不安になって魔力を確認した。
「佐倉さん、落ち着いて」
マミがあたしの手を引き剥す。赤くなったほむらの腕を見てあたしは蒼ざめた。
「わ……わりぃ」
幾ら動揺したからって、ほむらを傷付けるとか。……あたし何してるんだ。
「私は大丈夫です。だから気にしないでください」
そう言ってほむらは安心させるように笑った。あたしの方が心配されてどうするんだか。苦笑する。
〈安心して。暁美さんは契約してないわ〉
こっそりとほむらの腕を魔法で治療するマミの声が頭に響いた。あたしの杞憂を正確に判断していたらしい。
「少し疲れたのかもしれないわね。休憩しましょう」
マミが席を立つ。紅茶とお菓子を準備し直すようだ。
「あの……私、お手伝いできることありますか?」
「ふふ。それならテーブル空けてもらってもいいかしら」
「はい。分かりました」
ほむらに答えてから紅茶セット一式を持ってリビングから出て行った。
面倒だが、あたしは周囲の勉強道具を少し離れた位置に移動させる。折角の休憩時間に見たくなかった。それにまだ重い物を持てないほむらの為の代わりにあたしが動くしかない。長期の眠りによって、ほむらは全身の筋力が衰えているからだ。
〈……じゃあ原因はなんなのさ?〉
魔法少女の奇跡でもないなら、心当たりはない。
〈分からないわ。暁美さんには謎が多すぎるの〉
魔法少女の素質。記憶。そして学力。事故の前後でほむらの変化が著しい。
〈そもそも、ずっと眠り続けていたことからしておかしいそうよ〉
マミの祈り内容を考えると、とっくに目覚めている筈だった。もしくは永遠に目覚めないか……。そのどちらかだとキュゥべえは言っていたらしい。キュゥべえにすら理解できていないことが生じているのか……。
ふと、二本の赤いリボンが目に入った。ファイルの入っていた袋に混ざっていたのか、ファイルの山の脇に落ちていた。
なんだこれ? 手に取って調べてみる。普通の髪留め用リボンにしか見えない。見覚えはない気がする。ほむらの荷物を運ぶ時も気付かなかったが。それでも何か引っかかっていて、あたしは首を傾げた。
ガタン。突如大きな音が鳴った。何かが崩れるような音に混じる鈍い音。すぐに目を向けると、ほむらが倒れていた。
「ほむら!?」
駆け寄るとすぐに周囲の物を退けて、ほむらの上半身を起こし、腕で支える。倒れたときにぶつけたのか、眼鏡のフレームが歪んでいたので外した。
「……うっ」
ほむらが身じろぎする。意識はあるようだ。だけど顔は真っ青で、呼吸は乱れていた。
「暁美さん!」
音を聞きつけたマミが飛び込んできた。あたしの向かい側からほむらの様子を覗く。
「ほむらっ!」
今度の呼びかけでほむらの瞼が開く。反応したのかと思ったが少し様子がおかしい。朦朧と違う場所を見ている。一体何を見ているんだ?
その答えはすぐに分かった。ほむらの手が伸びたから。ほむらが気にしていたのは、ずっとあたしが握っていたらしい赤いリボンだった。
「……まど……か」
指先でリボンを掴むと同時に、ほむらの全身から力が抜けた。気を失ったようだ。
「暁美さん……?」
マミは呆然としていた。あたしはほむらの身体を寄せて胸に抱き込む。温もりを、重みを感じていないと不安だった。
何なんだよいったい。まどかって……誰だよ?
分かったのは、この赤いリボンに関係しているということだけ。増えていく謎がもどかしかった。
ほむらの正体なんて、正直どうでもいい。笑ってほしい。無事でいてほしい。あたしたちが望んでいるのはそれだけだった。
だけど、明らかになる事実は不安を引き寄せる。強すぎる異質は不幸を呼ぶことがあるから。些細な幸福や平穏だけを本人が望んだとしても、運命がそれを許さない。
世の中を儚んで経典以外の内容を語ろうとした父さん。当たり前のことを言っただけなのに、信者からも本部からも見放された。父さんの力になりたかったあたしの祈りは、父さんを無理心中に追い込んでしまった。他者と違う行動が、他者には無い力が不幸を呼んだ。
ほむらはようやく取り戻した温もりなんだ……。頼むから……お願いだから連れて行かないでくれよ…。
失いたくないという意思を込めて、あたしは強く強くほむらを抱きしめる。
想えばこれが、迫りくる平穏の終焉を意識せずに居られた、最後の時間だった。
今回はここまでです。詰め過ぎて逆に地の文が見えにくい様なら、もう少し空行を使っていきます。
あら?一応区切りいいところで分けたつもりでしたが…。難しいですね。
ふむ。一文が長い様なら改行するか、空行入れるようにしてみます。
度々申し訳ありませんが、今回分を少し修正したので、投下してみます。これでも厳しい様なら、次回投下までにまた書き方を考えてみます。
****
所はマミの家のリビング。ほむらとあたしとマミは揃って三角形のテーブルに向かっている。
紅茶や一口サイズのお菓子を傍らに、クッション座椅子に座るほむらは無言でペンを動かす。
あたしはマミが指で示しながら説明する声を鬱陶しげに聞いていた。
ほむらは無事退院した後、マミの家で暮らしている。
驚異的な速度で回復していたらしく、病院関係者は首を傾げていたがマミは白を切っている。このことにあたしは関与してないとだけ言っておこう。
とは言え補助なしで生活するには程遠く、だからと言ってほむらの両親が一緒に暮らすには都合がつかなかった。
その為にリハビリセンターに入れるかという話になったところで、マミが申し出たことで、何やかんやと決まった。
この辺りはほむらの両親がマミの後見人であることにも起因しているようだが。
決まった後で知ったことだが、あたしを期待して提案したらしい。
「だって佐倉さん。暁美さんを放っておけないでしょう?」
あたしに妹が居たこと。ほむらが保護欲を誘う性格だということ。両方が噛み合う可能性を期待して引き合せたという所が性質悪い。
最初からマミの手で踊らされていたわけだ。見ぬ間に随分と捻くれたもんだ。怒りを通り越して感心してしまった。
その結果あたしは半同居する形でマミの家に転がり込んでいる。
そして今現在ほむらはマミに見守られながら勉強している。ついでに何故かあたしも勉強させられている。
あたしを何とか復学させようと企んでいるらしいマミは意気揚々とあたしの前に問題集とノートを置いた。
〈魔法少女しながら学校生活なんて面倒だ〉
念話で文句言うと、ほむらをダシに巻き込まれた。
ほむらもほむらで期待するような眼で見るし。そうやって現状が出来上がった訳である。
「――ということよ。じゃあ、こっちでやり直しね」
誤答の解説を終えたマミが新しい課題を寄せる。
「うげ……」
大量の問題にげっそりする。
あれだけ解かせて、まだこっちもかよ。鬼だ……鬼がいる。って、さっきからあたしばかりダメ出しされてんのは何でだ?
あたしの思考が伝わったのか、優雅な笑みを向けられた。笑っているがアレには裏を感じる。
冷や汗を掻きながら慌てて問題に取り掛かった。
ペンを走らせる音だけが響く。マミはほむらが解いた問題を確認している。終えたばかりのものではなく、監修なしで解いた問題のようだ。
それを確認していたマミが表情を怪訝なものへと変えていく。問題の入ったファイルを置いてほむらの手元に視線を移した。
「どういうこと……?」
少しの間、ほむらの様子を見ていたマミが呟く。
「あの……何か変な事でもしていますか?」
数学問題をしていたらしい。自分の解法に問題でもあるのかと、ほむらは手元を確認してから首を傾げた。
「ううん。そういうことじゃないの」
マミは首を横に振る。この勉強中、マミは殆どほむらに口出ししていない。
多分、どれも正答しているのだろう。晴れないマミの表情にほむらが不安そうにし始めた。
「なら何なのさ」
あたしは手を止めて質問する。だけどマミはほむらに向いたままだ。
「暁美さん……あなたが今解いてる問題って何かしら?」
「えと、去年の、見滝原中学校二年の学年末試験……ですよね?」
「ええ、そうね」
ほむらは現在中二の年度生まれだ。何らおかしいことは……っておい。ちょっと待て。
ようやく異常に気付いた。数年間眠っていたほむらがどうして実年齢相応の学年末試験が解けるんだ?
「佐倉さんは気づいたのね……。暁美さんが解ける筈がない問題なのよ」
そこまで言われてほむらも気付いたらしい。驚いて口を抑えた。
「極めつけはこれね」
困惑しきった様子でマミは先程まで確認していたファイルを広げ、対応するほむらの解答を見せた。
「……暁美さん。気付いていなかったみたいだけれど、大学入試問題よ……これ」
あたしたちは絶句した。ほむらもあたしも中身を確認する。
ほむらが解いていたのは理数系問題。数学、物理、化学と科目されていた。対してほむらの正答率はどれも八割以上。
今まで誰も気付かなかったのは間抜けだが、ほむらの学力は明らかに異常だった。
ガタッと音を立てて、テーブル越しにほむらの左腕を掴む。
「いたっ」
左手中指を確認するが指輪はない。それでも不安になって魔力を確認した。
「佐倉さん、落ち着いて」
マミがあたしの手を引き剥す。赤くなったほむらの腕を見てあたしは蒼ざめた。
「わ……わりぃ」
幾ら動揺したからって、ほむらを傷付けるとか。……あたし何してるんだ。
「私は大丈夫です。だから気にしないでください」
そう言ってほむらは安心させるように笑った。あたしの方が心配されてどうするんだか。苦笑する。
〈安心して。暁美さんは契約してないわ〉
こっそりとほむらの腕を魔法で治療するマミの声が頭に響いた。あたしの杞憂を正確に判断していたらしい。
「少し疲れたのかもしれないわね。休憩しましょう」
マミが席を立つ。紅茶とお菓子を準備し直すようだ。
「あの……私、お手伝いできることありますか?」
「ふふ。それならテーブル空けてもらってもいいかしら」
「はい。分かりました」
ほむらに答えてから紅茶セット一式を持ってリビングから出て行った。
面倒だが、あたしは周囲の勉強道具を少し離れた位置に移動させる。折角の休憩時間に見たくなかった。
それにまだ重い物を持てないほむらの為の代わりにあたしが動くしかない。
長期の眠りによって、ほむらは全身の筋力が衰えているからだ。
〈……じゃあ原因はなんなのさ?〉
魔法少女の奇跡でもないなら、心当たりはない。
〈分からないわ。暁美さんには謎が多すぎるの〉
魔法少女の素質。記憶。そして学力。事故の前後でほむらの変化が著しい。
〈そもそも、ずっと眠り続けていたことからしておかしいそうよ〉
マミの祈り内容を考えると、とっくに目覚めている筈だった。もしくは永遠に目覚めないか……。
そのどちらかだとキュゥべえは言っていたらしい。キュゥべえにすら理解できていないことが生じているのか……。
ふと、二本の赤いリボンが目に入った。ファイルの入っていた袋に混ざっていたのか、ファイルの山の脇に落ちていた。
なんだこれ?
手に取って調べてみる。普通の髪留め用リボンにしか見えない。見覚えはない気がする。
ほむらの荷物を運ぶ時も気付かなかったが。それでも何か引っかかっていて、あたしは首を傾げた。
ガタン。突如大きな音が鳴った。何かが崩れるような音に混じる鈍い音。すぐに目を向けると、ほむらが倒れていた。
「ほむら!?」
駆け寄るとすぐに周囲の物を退けて、ほむらの上半身を起こし、腕で支える。
倒れたときにぶつけたのか、眼鏡のフレームが歪んでいたので外した。
「……うっ」
ほむらが身じろぎする。意識はあるようだ。だけど顔は真っ青で、呼吸は乱れていた。
「暁美さん!」
音を聞きつけたマミが飛び込んできた。あたしの向かい側からほむらの様子を覗く。
「ほむらっ!」
今度の呼びかけでほむらの瞼が開く。反応したのかと思ったが少し様子がおかしい。
朦朧と違う場所を見ている。一体何を見ているんだ?
その答えはすぐに分かった。ほむらの手が伸びたから。
ほむらが気にしていたのは、ずっとあたしが握っていたらしい赤いリボンだった。
「……まど……か」
指先でリボンを掴むと同時に、ほむらの全身から力が抜けた。気を失ったようだ。
「暁美さん……?」
マミは呆然としていた。あたしはほむらの身体を寄せて胸に抱き込む。温もりを、重みを感じていないと不安だった。
何なんだよいったい。まどかって……誰だよ?
分かったのは、この赤いリボンに関係しているということだけ。増えていく謎がもどかしかった。
ほむらの正体なんて、正直どうでもいい。
笑ってほしい。無事でいてほしい。あたしたちが望んでいるのはそれだけだった。
だけど、明らかになる事実は不安を引き寄せる。
強すぎる異質は不幸を呼ぶことがあるから。些細な幸福や平穏だけを本人が望んだとしても、運命がそれを許さない。
世の中を儚んで経典以外の内容を語ろうとした父さん。
当たり前のことを言っただけなのに、信者からも本部からも見放された。
父さんの力になりたかったあたしの祈りは、父さんを無理心中に追い込んでしまった。
他者と違う行動が、他者には無い力が不幸を呼んだ。
ほむらはようやく取り戻した温もりなんだ……。
頼むから……お願いだから連れて行かないでくれよ…。
失いたくないという意思を込めて、あたしは強く強くほむらを抱きしめる。
想えばこれが、迫りくる平穏の終焉を意識せずに居られた、最後の時間だった。
こんな感じでどうでしょうか?
あとぐちゃぐちゃしてきて読みにくいと思うので、ここまでを下にまとめしておきます。ミスがあったら申し訳ありません。
まどか編
>>2>>40>>4-7>>11-13>>16-18>>19-20>>25-28>>32>>42-46>>55-61
杏子編
>>68-71>>80-86>>92-97>>106-109>>115-116>>124-129>>140>>148-150
140は注意書き
****
砂漠のような空間が広がった結界。その中に彫像のような形の魔獣の大群がいた。
槍を振り回し、あたしは片っ端から魔獣を薙ぎ払っていく。
「杏子!突っ込み過ぎ!」
あたしの背後を守っているさやかから叱責が飛んできた。
「うっせえ!」
苛立っていた為、反射的に怒鳴り返す。だけど今回はさやかが正しいことは分かっていた。
少し冷静に戻ってさやかのフォローに回った。
守りはあまり得意ではないが、新人のさやかには経験を積ませる必要がある。
さやかは魔力運用がまだ未熟だし、担当させる魔獣は少なくしておいた方がいい。
そう判断して、さやかが魔力量を調整する余裕が持てるように、さやかに向かう魔獣を削っておく。
さやかが最後の一体を倒すのを確認した時、結界が解けて夜空の街に帰って来た。
「ふぅ……」
額の汗を拭うさやか。その横であたしは周囲に散らばったキューブ状のグリーフシードを拾っていく。息を吐く時間すら惜しい。
「あのさぁ、何苛立ってんの?今日の戦い方、あんたらしくなかった」
怪訝そうにあたしを見ている。
さやかが突っ込み過ぎて、あたしが注意するのがいつものパターン。
ペアの時は特に注意深くさやかの動向に気を配っている。
ところが今回は逆転していた。戦闘で冷静さを欠くなんて危険にも程がある。大失態だ。
「そういうこともあるんだよ」
取りあえず、グリーフシードは拾い終えた。
普通に歩くのも面倒なので、変身も解かずに跳び上がろうとした。
「って。言ったそばから何してんのよ!……ったく」
変身を解いたさやかに腕を掴まれる。溜息を吐いて、強引にあたしを歩かせようとするので、仕方なく変身を解いた。
「そこまであんたが焦ってるなんて……ほむらに何かあったの?」
バレバレだった。ここまで気付かれているなら観念するしかないだろう。
「大したことじゃねぇよ」
客観的に見れば、赤いリボンを切欠にほむらの記憶が戻りかけている。それだけの筈だ。
問題なのはほむらではなく、あたし自身の心情。
日々大きくなる不安を振り払えないでいる。
「そう? まあ、あんた、ほむらに過保護だもんねー」
「そこまで面倒見てねぇよ」
少しばかり見ていることが多いだけだ。放って置くと不安になるような奴だし。
それに補助なしで生活できるまで回復してないしな。
「じゃあ猫可愛がりしてるんだね」
「殆ど変ってねぇ」
仔猫みたいだと思うことはあるけどさ。人見知りして怯える姿とか、頭撫でたときの態度とか……ってこれは関係ねぇか。
可愛がっていると言えばそうなんだろうが……そこまで酷くねぇと思う。
ただ、モモに接しているような気分になっているだけだ。
****
戦いに明け暮れる魔法少女の日常。
普通の少女たちが持つ平穏を捨てざる得なかった。
あたしとマミは独りの期間が多くて、普通の幸福なんて諦めていた。
そんなあたしたちに笑いかけたほむら。
「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」
家族としての挨拶をきちんとくれる。
こんな日常の出来事に何度感激しただろう。
あたしたちにとって、ほむらは妹のような存在だ。
彼女には普通の少女としての幸福を願っていた。
魔法少女なんかにはならないで、平穏な世界で生きていて欲しかった。
本当は気付いていたさ……。
この幸せな日々は長く続かないと、あたしたちはどこかで理解してたんだ……。
魔法少女としての素質が強過ぎるほむらをキュゥべえが放って置くわけがないから。
一人でいるときのほむらはどこか遠い場所を見詰めていたから。
星輝く空の下、見滝原の魔法少女が集う。
新人である黒髪の魔法少女は、三対の目から注目を浴びながらも、毅然と立っている。
雰囲気は大きく変われど、その姿はあたしたちがよく知る人物のものだ。
分かってはいても認めたくなかった。……夢であって欲しかった。
〈驚いたよ。ついさっき契約したばかりの君がまさか、ここまで戦えるとはね。暁美ほむら〉
あたしたちの想いを裏切るかのように語りかけるキュゥべえ。陰から現れたかと思うと足元に寄った。
目の前に降り立った人物が紛れもなくほむら本人であることを知らされる。
「どうでもいいことよ。それより説明を求めるわ、インキュベーター」
ほむらは冷たい眼差しをキュゥべえに向ける。本当にほむらなのかと疑いたくなる表情だ。
〈その呼び方を知っていることといい、興味深いね。君は一体何者なんだい?〉
インキュベーター? 何のことだ?
「私はあなたと契約した魔法少女。それ以外の何者でもない」
随分と刺々しい態度を取っている。キュゥべえに恨みでもあるんだろうか……?
どんな人生を歩めばこれほど冷たい表情が作れるのか疑問に思う。
少なくとも、あたしが知る暁美ほむらからは想像ができない態度である。
マミも同じ想いなのか複雑な顔をしていた。さやかは戸惑うばかりだ。
「それで、さっき私が倒したアレと……それは何かしら?」
言葉の途中で、ほむらは周囲に散らばっているグリーフシードを目線で示した。
〈魔獣だよ。魔法少女は祈りと引き換えに魔獣と戦う運命を課されている。あと転がっているのがソウルジェムの浄化に使うグリーフシードだね〉
キュゥべえは今更ながらの説明をした。っておい!
投下します。
***************
ビルの屋上に辿りつくと満点の星空がずっと広く見える。あたしたちは繋いだ手を離し、各々に空を見上げた。
「綺麗な空ね」
風で靡く髪を軽く押さえながら呟くほむら。どこからから取り出したのか、二本目の赤いリボンを握っている。
祈るかのように手を胸の前で重ね、空を仰いでいた。
「ハハッ。久しぶりだよねぇ、一緒に夜空を見るのも」
「ふふ。そうね。あなたに真夜中に連れ出されたわね」
ほむらがマミの家に移って半月も経たなかった頃の話。魔獣退治の帰り、綺麗な月夜に気付いたのが理由。
夜遅くに出かけるあたしとマミをほむらはいつも寂しげに見送っていた。不審でもほむらは何も訊かず、いつも見送りと出迎えをしてくれる。
そんなほむらに、この綺麗な月を見せてやろうと思った。
「で、マミに知られて泣き付かれたんだよな」
その時の様子を思い出して軽く噴き出す。
「どうして私も呼んでくれないのよ!?」
明け方にほむらを背負って帰ったあたしに投げた言葉がこれだ。
元病人を夜中に連れ出したことを叱られると思ったのに、これだもんなぁ。信頼されている証拠だろうけど。
ともかく、マミは仲間外れにされたので寂しかった。凄い勢いで、次は声を掛けることを約束させられた。
……結局行ってねぇな。
「そんなこともあったかしら……?」
ほむらは首を傾げる。
その時ほむらは寝ぼけていたし、あまり覚えていないのかもしれない。ぼんやりとした表情でベッドに戻っていく姿をあたしとマミは微笑ましく見守っていた。
「あったんだよ」
思い浮かべれば、ほむらと過ごした記憶はどれも温かなものだった。
マミにとっても、あたしにとっても、喪って久しかった家族の温もり。忘れかけていた穏やかな日々だった。
「……そう」
感じ入ったようにほむらは微笑み頷く。それからほむらが前に進み出ると、魔力の黒翼があたしの目の前に広がった。
ほむらが魔獣を倒したときに見た白い翼と同じもの。だけど今は黒くなり、その黒も歪んで見える。
これは普通の魔力じゃない。こんなもの人の体内に在っていいものじゃない。あたしは本能的にそれを察知して青ざめた。
ほむらの視線が空から街の光へと移動する。
「佐倉さん。あの二人を……見守って」
マミとさやかのことを言っているのだろう。不安が大きくなっていく。
「見守るって何さ。あたしたちは仲間なんだ。互いに助け合うのが正解だよな」
吹きつける冷たい風を浴びながら、あたしは隣に並ぶ。
不安を誤魔化して、ほむらの頭を軽く小突く。
あたしが不安になるとほむらまで不安になってしまう。それは避けないと。姉として生きていた時期に抱いた心境である。
僅かに顔を逸らすそぶりを見せながらも、ほむらは大人しくあたしの行動を受け入れていた。
「……そうね。訂正するわ。あの二人の傍にいて欲しいの。最期まで」
ほむらの視線と微笑みがあたしに向けられる。寂しさと慈愛に満ちている。
随分と年下の子を見るような表情。普段と立場が入れ替わったような気分で複雑だ。
だけどそれ以上に気になるのは揺れる瞳の光。常日頃感じていたものとは比べ物にならない、寂然だった。
「……なに考えてんのさ……?」
怖かった……消えてしまうんじゃないかって。あたしの家族があたしを置いて逝ったように、ほむらも行ってしまうんじゃないか……って。
「私はもう長くない」
淡々とした返事だった。ほむら自身の口から、あたしの不安を肯定されたのだ。
「なっ!?」
今何て言った……? 長くない……だって?
受け入れた態度のほむらに対し、あたしは混乱している。
魔法少女の死なんてありふれている。誰かが死ぬなんて、今更の話だ。分かっているのに……分かっているはずなのに、受け入れられない。
目覚めたときに笑ったほむら。退院できるって喜んだほむら。この笑顔を守るんだって、マミと二人誓い合った。
そのほむらが、あたしたちを置いて逝く?
怒りなのだろうか? 哀しみなのだろうか? 身体の震えが止まらなかった。
「どういうことだよ!?」
どうして急にそんなことを言う? 契約のことだってそうだ。あたしやマミの知らないところで勝手にしていた。相談の一つも無かった。
仲間だと、家族だと想っていたのはあたしたちだけあのか? あたしたちの一方通行だったのか?
淡々とするほむらの姿に、責めるような想いが募っていく。悔しかった。悲しかった。
冷たい風に煽られながら、ほむらは無表情にあたしを見ている。手を伸ばせば届くはずの存在が、とても遠い。
「……祈りの代償……かしら」
ほむらは街の空に視線を戻したかと思うと、ポツリと呟いた。
横顔を見詰めていると眉が動いていることに気付いた。淡々としているように見えて、実は苦しんでいるのかもしれない。
少なくともあたしたちが知るほむらは平然としていられる人間じゃなかった。
「祈り?何でそれが……」
取り戻したい人がいる、と言っていたか。それで望んだ本人が死に繋がるような内容になるのだろうか?
「対象の問題ね。私の因果で適えられるけれど……代わりに私自身を要求された。それだけよ」
ほむらは手越しに、握っている赤いリボンに口付ける。愛おしい物に触れるかのように微笑むその姿は、とても美しかった。
「何だよそれ……死者蘇生でも望んだのか?」
動揺しているあたしは、冗談交じりに返した。
死者に身体を明け渡す。現実的に考えるとバカらしいが、よくある話。
取り戻すと言うには少し食い違っている気もするけど、意外と近いのかもしれない。口にしてみてそう思った。
だけど、ほむらの答えはそれ以上に打っ飛んでいた。
「いいえ。神、よ」
意志の強い瞳をあたしに向けるほむらは、不敵な笑みを浮かべている。
神? 世迷言だと切り捨てたい。でも自信に満ちたほむらの表情がそれを許してくれなかった。
「訳分かんねぇことばっかり言ってんじゃねぇよ」
総合すると、ほむらは神を取り戻す為の祈りをした。その所為でほむらは死ぬ、と。意味不明だ。
「……そうなるわよね。だから、一つの神話をしてあげる」
これはあったかもしれない世界の、二人の少女の話――ほむらはそう前置きをして語り始めた。
『魔獣』ではなく、『魔女』と呼ばれる存在が居た世界。そこで出会った二人の少女がいた。
一人は魔法少女、もう一方は普通の少女。この二人には周囲との隔絶ゆえの孤独という共通点があった。
『少女』を『魔法少女』が魔女から救い出した出来事を境に、二人は親しくなる。
秘密を共有し、多くの時を共に過ごせる友ができた少女たちの生活は鮮やかになった。
その幸福な日々も、とある魔女が住む街に訪れたことで激変する。
それは史上稀にみる強力な魔女。戦力差は明らかだった。
――逃げようよ。誰もあなたを恨んだりしないよ。
『少女』が身を案じて提案するが、『魔法少女』は首を横に振った。
――魔女から人を守れるのは魔法少女だけだから。
『魔法少女』は引き留める『少女』の手を振り払い、立ち向かって……そして死んだ。
哀しみに暮れた『少女』は祈る。魔法少女として戦うことを決意して。
――出会いをやり直したい。守られる私じゃなくて、彼女を守れる私になりたい。
そうして時を遡る能力を得て、『少女』は魔法少女になったのだ。
戻った先の時間では、かつて出会った『魔法少女』は契約していなかった。
これなら守れるかもしれない。死の運命からも救い出せるかもしれない……。
そんな『時の少女』の想いも、過酷な運命に否定されることになる。
『恩人の少女』が魔女になる瞬間を見てしまった。
そう、魔女とは魔法少女の成れの果てだという事実を『時の少女』は知ったのだ。
時間遡行した先で真実を伝えても誰も信じなかった。
『恩人の少女』の契約を阻止しようとしても、彼女は契約してしまう。
――もう誰にも頼らない。
『時の少女』は時間遡行を繰り返す……たった一つの出口を探して。
それが数多の時間軸の因果を束ね、『恩人の少女』に因果を積み重ねているとも気付かぬままに繰り返していた。
――繰り返せば繰り返すほど増える因果。結局私のやってたことは一体……。
度重なる時間遡行によって溜まっていた精神疲労。そこに告げられた衝撃の事実は『時の少女』を追い込んだ。『時の少女』は絶望し、魔女になりかけていた。
そんな『時の少女』を救い上げたのは『恩人の少女』だった。
――もういいんだよ。
そう言って、彼女は全ての魔法少女を救うための祈りを掲げた。
――全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。この手で。
世界を創りかえるほどの大きな願い。それすらも叶えてしまうほどの因果を『時の少女』は重ねていた。
こうして、世界は『恩人の少女』の祈りによって造り替えられた……彼女の個と引き換えに。
概念に、神になった『恩人の少女』を覚えているのは、彼女に因果を集めた『時の少女』だけ。
『恩人の少女』が守ろうとした世界だから、守り続ける――『時の少女』の誓いで物語は終わった。
気が遠くなるよな時間の話。内容は『円環の理』にまつわる神話だろう。
『魔女』なんて存在していないし、世界を造り替えるほどの因果なんて想像もつかない。
だけどこれはほむらの体験談だ。ほむらを『時の少女』と考えれば、色々なことがしっくりと来た。
「『円環の理』が『まどか』……だって言うのか?」
『まどか』しかいない。赤いリボンに触れながらほむらが呟いたその名しか心当たりはなかった。
「ええ。そうよ」
ほむらは頷く。だから神、か。やっぱりこのお伽噺はほむらの体験談だったのだ。しかし、それなら謎は残る。
「もしそうならさ、何でほむらは『魔獣』を知らなかったのさ?」
世界改変後にも触れていた。『時の少女』が魔法少女であり続けたなら知っている筈だ。
思い出したのが最近で、契約したばっかりという線もある。だけど明らかに固有魔法が変化しているのに、使いこなしていることを考えると、可能性は低そうだ。
「そのあたりは曖昧ね。現在進行形の時間だからかもしれないわ」
「現在進行けぇ?」
「そう。最初に言わなかったかしら? 『あったかもしれない』って。こことは違う時間軸の話よ」
よく分かんねぇ。平行世界とかというやつか? だとしても、だ。
「どうしてそれでほむらが死ななきゃいけねぇんだよ!」
納得できるわけねぇだろ。
「神を神の座から引きずり落とすには、それを穴埋めする存在が必要……そういうことだと思うわ」
ほむらは自嘲とも取れる笑みで、自分の手を見詰める。よくよく見ると、ほむらの身体は透け始めていた。
消える――文字通り、ほむらが消えてしまう。
何でほむらが消える必要がある? どうして連れて行くんだよ……。
神様(まどか)! ほむらはあんたの友達なんだろ!?
どうしてこんな運命を残した!?
あたしたちから奪うくらいなら、何であたしたちを逢せたりしたんだよ……っ。
あたしの膝から力が抜けた。呆然自失としたまま、薄くなっていくほむらの姿を眺める。
どうして……あたしは何もできない……。
残酷な運命をほむらに課した神様(まどか)を、無力な自分を呪いそうだった。
ほむらが静かに歩み寄り、肩に顔を埋めてあたしを抱き締める。後ろ頭を撫でる手はとても優しかった。
「杏子」
ほむらがあたしの名前を呼ぶ。いつものような苗字じゃなくて、杏子、って。
「私と出会ったこと……後悔してる?」
少し震えた声で訊くほむら。心を読まれたような気がして、ドキリとした。
「私ね……杏子に、マミさんに……美樹さんに逢えて良かったと思うよ」
あたしを抱き締める腕の力が強くなる。身体も震えていた。
目を閉じて、共に過ごした時間に想いを馳せる。別れが辛いのは、その時間が幸福だったからだ。
出会わなければ良かったなんて……酷い考えだよな。
「バカ言うんじゃねぇ。後悔なんか、するわけねぇだろ」
あたしの声も震えていた。分かっているけど、精一杯の強がりを逝く妹分に見せてやる。
「でもさ、ほむらは良かったのか? こんな最期で」
ずっと眠っていて、目覚めて一年も満たない期間で消えていく。それで本当に良かったのか? 看取るのがあたし一人で良かったのか?
ほむらは顔を上げる。涙を零して、顔をくしゃくしゃにして、それでも笑っていた。
「後悔してないよ?」
「……神様になるんだろ? つれぇぞ?」
まどかは誰の記憶にも残らないと言う。その立場を代わるんだ……どれだけ孤独な戦いが待ち受けているのか。想像を絶する。
「そうだね。でも私はまどかに生きて欲しいから」
それはあたしたちがほむらに向ける気持ちと同じなんだけどな。苦笑してしまう。
でもきっとほむらも気付いているだろう。ほむらも苦笑していたから。
「なら、最後までやってみろよ」
これは残されたあたしたちへの贐にもなるんだからさ。
「うん!」
良い笑顔だ。ほむらがあたしに時々見せていた、無邪気な笑顔。不意打ち過ぎて……あたしまで笑ってしまった。
あたしはコツンと額同士を合わせる。出合い頭によく行っていた儀式。体調を誤魔化されないようにって、あたしが始めたほむらの熱測定。
夜風に当たり続けていたせいか、少し冷たかった。
「こんな役目押し付けてごめんね、杏子」
再びほむらが肩の後ろに顔を埋める。互いに熱を確かめるかのように、しっかりと抱き合った。
今度はあたしがほむらの頭を撫でてやる。ほむらはあたしが撫でると、いつも嬉しそうに笑っていたから。
「『ごめん』は――」
「分かってる。今までありがとう、お姉ちゃん」
満面の笑顔を最期に、ほむらは無数の光の粒となって消滅した。ほむらだった光は空へと溶け込んでいった。
……はえぇよ。こっちが礼を言う暇無かったじゃねぇか。
ほむらが消えた空にあたしは心の中で文句を言う。涙が零れるほどに、広がる夜空は綺麗だった。
神様(まどか)。あんたを恨んでいるなんて嘘だ。
ほむらはあたしに大切な想い思い出させてくれた。
後悔なんてしていない。本当は感謝してるんだ。あんたの計らいに。
ありがとう……ほむらに逢わせてくれて。
もう一人の妹を……ありがとう。
****
ほむらが夜空に消えた後も、あたしは戦い続けた。どれだけ戦い続けたのかも覚えていない。
あの数日後にさやかが『円環の理』に導かれ、その翌月にはマミも逝ってしまった。
短期間に仲間を皆喪って、それでも戦い続けれられたのは隣に居る小さな命のお蔭だ。
「キョーコどうしたの?」
千歳ゆまがあたしを見上げている。ずっと幼いからか、ほむらの時以上に妹のモモを重ねて見ている節があった。
「今日も瘴気が濃いなぁって思ってね」
瘴気の濃い夜はほむらとの別れを思い出してしまう。後でキュゥべえと話した結果知ったことだが、あの夜の異常な瘴気の原因はほむらにあったらしい。
世界構造の根幹を揺るがすような祈りをした為、魔獣に狙われたとか。それで返り討ちに出来るんだから、ほむらの凄さが際立つ。
しかしまぁ、この瘴気はあたしの経験でも上位に入る濃さだ。ゆまとあたしだけじゃ厳しい。
……潮時ってことか。何故か笑みが零れた。
「キョーコ?」
ゆまが不安げにあたしを見ている。こういうときの勘は鋭いんだよなぁ。あたしは頭を掻いた。
「わりぃ、ゆま。あたしとはここでお別れだ」
あたしは魔法少女の恰好へと切り替え、槍を生成する。
「やだ! おいていかないで!」
ゆまがあたしに抱き付いた。
置いて行かないで……か。ゆまが魔法少女になった理由だったな。
あたしに置いて行かれると思って不安になっていた。魔法少女になるな、って言ったのに、死にかけたあたしを治す為に契約した。
そんなあたしが置いて逝くのは卑怯だと分かっている。それでもゆまには生きていてほしい。
一緒に逝くにはまだ幼い。共倒れするぐらいなら、あたしは命を燃やし尽くす。そう決めていた。
あたしは撫でてから、そっとゆまの身体を引き剥し、正面から肩に手を置く。
「ゆま。あんたはもうあたしに守られなくても生きて行けるはずだ」
向き合うのは対等であることを示す為。もう一人前の魔法少女として認めた証だった。
「キョーコ……」
ゆまが泣きながら、それでも必死にあたしを見ている。こういうときに黙って見れるようになったのは、立派な成長だ。
自分を慕う相手を置いて逝くのって辛いよな……。覚悟を決めた選択でも、やっぱり別れはつれぇよ。
なぁ、ほむら。あんたもあの時はこんな気持ちだったのか?
あたしの、マミの、さやかの哀しみを知っていて……あんたはどういう気持ちであたしたちを見てた?
無表情を装って我慢してたんだよな……。最後は泣いて、それでもあたしに笑顔を残して逝った。
「魔法少女が誰にも知られずに死ぬのは当たり前だ。だから仲間が残っているだけでも救いになる。……それなのにあんたは一人だと抜かすのか?」
酷い言い方だ。でもこのくらい言わないとゆまには伝わらない。
「でも私は……!」
私、か。これも成長の証。出会ったばかりの頃は「ゆま」って自分の名前を言っていた。
あたしはもう一度、頭を撫でてやる。
「あんたは命一杯生きるべきなんだ。あたしに縛られないで、あんた自身が未来を作って……また向うで会ったときに聴かせてくれ。それがあたしの望みだ」
そしてこれがゆまにしてやれる、最後の事だった。
「あとさ、ゆまにしか出来ないこと、頼んでいいか?」
「私にしかできないこと?」
「そう、あんたにしかできない。あたしの存在はあんたしか知らないからな」
一家心中後に行方を晦ましたあたしの戸籍が実際どうなっているかを調べたことは無い。でもきっと誰も知らないだろう。
「だからこれを、あたしの家だった教会に飾りに行ってほしい」
あたしのポニーテールを作っていた黒リボンを解き、ゆまの前に突き出した。
ゆまはあたしをじっと見ている。そんなゆまにあたしは返している。
沈黙が続いた。魔獣が湧きそうなこの空間に居続けるのは危険だ。内心焦り始める。
頼む……動いてくれ。そう願ったところで、ゆまはやっとあたしの黒いリボンを受け取った。
「……分かったよ。私は生きるから。だから、今度会った時は……」
もう我慢しきれなかったのだろう。ゆまから嗚咽が零れ始めた。
「ありがとう、ゆま」
槍を消して、泣きじゃくるゆまを抱き締める。それから背中を軽く押し出した。
振り返りながら、それでも駆け去っていくゆま。
大丈夫……。あんたはもう弱くない。あたしは安心してあんたの背中を見ていられる。
周囲の瘴気が魔獣を生み始める。あたしも槍を構えた。
予想通り、大群と呼ぶには少し規模が小さい程度の群。これならあたし一人の命で狩りつくせる自信がある。
「さあ! かかって来やがれ!」
咆哮を上げ、あたしは槍を振るうのであった。
「佐倉さん」
近くからほむらの声が聞こえた。視線を向けると、赤縁眼鏡に三つ編みお下げのほむらがそこに居た。一番慣れ親しんだ姿のほむらだった。
「よう」
手を上げて挨拶をすると笑みが返ってくる。遠慮しているのか、ほむらは距離を窺っている。
その様子に呆れてため息を吐くと、歩み寄って思いっきり撫でてやった。
照れつつも、仔猫のように喜ぶほむら。うん。こういう姿を見るとほっこりする。
「杏子ー」
今度は遠くからさやかの声。二人揃って、その方向を見た。
手を大きく振るさやか。その後ろでマミがティーカップを置いて、穏やかな笑みを浮かべながらこちらを見詰めている。
そして最後の一人は――。
「ほむらちゃーん! きょーこちゃーん!」
桃色の髪を赤いリボンでツインテールにしている少女が、さやかの隣に並んで呼んでいる。
そうだ……まどか、だ。あいつも見放せないタイプだったな。
勢揃いしたかつての仲間の姿に笑みが零れる。
「あのさ、あの後、新しい妹分ができたんだ」
「うん」
ここにゆまが来たら、更に騒がしくなりそうだ。でも想像するだけで幸福な気分になれた。
「ゆまって言うんだけど……あいつが来たら一緒に話を聴こうな」
「……うん」
目を細めながら、ほむらが頷いてくれる。とても胸が温かくなった。
「きょーこ!」
あたしを呼ぶさやかの語調が荒れ始めている。痺れを切らしたらしい。こりゃ早く行かないと暴れそうだ。
「……行くか」
「そうだね」
あたしは息を吐き、ほむらは微笑む。
「ほらよ」
あたしは手を差し出した。少し驚いた様子のほむらだったが、すぐに花の蕾が綻んだような笑みを浮かべる。
そっと伸ばされた手が届く、その前にあたしは掴み取る。繋がった手を引きながら、あたしは仲間の元へと向かうのだった。
これで杏子編終了です。
>>175は読みにくいと思いましたが、ほむらの経験(アニメ本編の内容)を語っているだけなので、そのまま詰め込むことにしました。読み飛ばしても、酷い混乱は生じないと思います。
>>129までの修正版ですが、出来上がってはいるので、近日中(日曜日ぐらいまで?)に投下しようと思います。
それが終わったら、マミ編に移りますが、これからもお付き合い頂ければ非常にありがたく存じます。
****
ほむらが夜空に消えた後も、あたしは戦い続けた。どれだけ戦い続けたのかも覚えていない。
あの数日後にさやかが『円環の理』に導かれ、その翌月にはマミも逝ってしまった。
短期間に仲間を皆喪って、それでも戦い続けれられたのは隣に居る小さな命のお蔭だ。
「キョーコどうしたの?」
千歳ゆまがあたしを見上げている。ずっと幼いからか、ほむらの時以上に妹のモモを重ねて見ている節があった。
「今日も瘴気が濃いなぁって思ってね」
瘴気の濃い夜はほむらとの別れを思い出してしまう。後でキュゥべえと話した結果知ったことだが、あの夜の異常な瘴気の原因はほむらにあったらしい。
世界構造の根幹を揺るがすような祈りをした為、魔獣に狙われたとか。それで返り討ちに出来るんだから、ほむらの凄さが際立つ。
しかしまぁ、この瘴気はあたしの経験でも上位に入る濃さだ。ゆまとあたしだけじゃ厳しい。
……潮時ってことか。何故か笑みが零れた。
「キョーコ?」
ゆまが不安げにあたしを見ている。こういうときの勘は鋭いんだよなぁ。あたしは頭を掻いた。
「わりぃ、ゆま。あたしとはここでお別れだ」
あたしは魔法少女の恰好へと切り替え、槍を生成する。
「やだ! おいていかないで!」
ゆまがあたしに抱き付いた。
置いて行かないで……か。ゆまが魔法少女になった理由だったな。
あたしに置いて行かれると思って不安になっていた。魔法少女になるな、って言ったのに、死にかけたあたしを治す為に契約した。
そんなあたしが置いて逝くのは卑怯だと分かっている。それでもゆまには生きていてほしい。
一緒に逝くにはまだ幼い。共倒れするぐらいなら、あたしは命を燃やし尽くす。そう決めていた。
あたしは撫でてから、そっとゆまの身体を引き剥し、正面から肩に手を置く。
「ゆま。あんたはもうあたしに守られなくても生きて行けるはずだ」
向き合うのは対等であることを示す為。もう一人前の魔法少女として認めた証だった。
「キョーコ……」
ゆまが泣きながら、それでも必死にあたしを見ている。こういうときに黙って見れるようになったのは、立派な成長だ。
自分を慕う相手を置いて逝くのって辛いよな……。覚悟を決めた選択でも、やっぱり別れはつれぇよ。
なぁ、ほむら。あんたもあの時はこんな気持ちだったのか?
あたしの、マミの、さやかの哀しみを知っていて……あんたはどういう気持ちであたしたちを見てた?
無表情を装って我慢してたんだよな……。最後は泣いて、それでもあたしに笑顔を残して逝った。
「魔法少女が誰にも知られずに死ぬのは当たり前だ。だから仲間が残っているだけでも救いになる。……それなのにあんたは一人は嫌だと抜かすのか?」
酷い言い方だ。でもこのくらい言わないとゆまには伝わらない。
「でも私は……!」
私、か。これも成長の証。出会ったばかりの頃は「ゆま」って自分の名前を言っていた。
あたしはもう一度、頭を撫でてやる。
「あんたは命一杯生きるべきなんだ。あたしに縛られないで、あんた自身が未来を作って……また向うで会ったときに聴かせてくれ。それがあたしの望みだ」
そしてこれがゆまにしてやれる、最後の事だった。
宣言通り、まどか編からタイトル以外を投下していきます。
*****まどか編第一章
一面に広がる真っ白な世界。僅かに世界を形成する白光は鳴動し、その中から滲み出すように薄い桃色の光の珠が生まれます。
気がついたとき、銀の草原の中に桃色の珠となったわたしが浮いていました。
最初に見つけたのは丘の上へと延びた緩やかな、これまた白い路。
ぼんやりと意識のまま、わたしはゆっくりと路の上を漂っていきます。
一体どれだけ経ったのでしょうか……。丘の頂上が間近に迫ったとき、初めて違う色が入ってきました。
緑の芝の後ろにあるのは噴水です。近づいて覗いてみると、底に大きな桃の花が描かれています。
引き込まれたように留まって見ていると、縁に座っていた人影が立ち上がりました。
「……鹿目さん」
傍から掛けられた声に、わたしはようやく自分以外の存在に気がつきます。意識を向けると、そこには一人の少女が立っていました。
赤縁眼鏡に黒いヘアバンド。長い髪を三つ編みお下げにして、紫のリボンで抑えています。
服は少し変わっていて、白とグレーの布地の、アニメに出てくるような制服に近い可愛らしいデザインをしています。
でもそれ以上に異質なのは左腕に着いている円形の小さな盾です。
そう……彼女はかつてあった世界の、暁美ほむらという少女でした。
「……久しぶり……ですね」
少女は手を伸ばし、そっとわたしを両手で包み込むように引き寄せます。
「……鹿目さん」
まるで大切なものを見つけたかのように少女は優しく微笑みかけていました。
鹿目まどか――かつてわたしだった存在です。
ですが、それはもう遠い世界のことで、わたしにはもう実感の湧かない名前でした。
そんなわたしの様子に気づいたのか、少女の微笑みに陰りが差します。
「自我が消えちゃったんだね……」
とても悲しそうな声です。わたしを胸に抱き寄せた体は震えていて、泣き出しそうになるのを我慢しているようでした。
でも、今のわたしにはそんな少女の想いも響かないのです。
〈どうしてここにいるの?〉
少女の悲しみを他所にわたしは疑問を問いかけます。
ここは宇宙のどこでもない場所です。どうやらどの時空からも切り離されているようで、概念のわたしですら仔細が分かりません。
暁美ほむらという少女には、このような世界に関与が可能な能力は無かった筈なのですが……。
「ごめんなさい……それは言えません。私の役目じゃないから……」
少しだけ体からわたしを離し、申し訳なさそうに少女が言います。
〈……そっか……〉
この少女がそう言うなら、深い訳があるのでしょう。
わたしにも役目があり、同時に不可侵の領域もあります。きっとそういうことなのだと思います。
〈なら……あなたの役目はなに?〉
わたしは再度少女に問いかけました。
わたしの問いかけに、少女が穏やかな微笑みを零します。先程まで深い悲しみを湛えていた少女とは思えないほど穏やかで、慈愛に満ちた微笑みです。
そっと彼女の顔が近づき、唇がわたしに触れます。
するとどうでしょう……。わたしの中に存在していた雑多の情報が削ぎ落とされ、わたし自身と親和性の高い情報だけが残ります。
珠の光は強くなり姿を人型へと変えていくと同時に、一部がほむらちゃんへと流れ込んでいきます。
発光が収まった頃には、長い桃色の髪のサイドに白いリボン、白いドレス姿のわたしがいたのでした。
「……んっ」
両手に伝わる他者の胸の鼓動。しっかりとわたしを抱き締める両腕。そして唇には僅かに湿っていて柔らかい感触。忘れていた感覚にわたしは眼を開きます。
そこには瞼を閉じたほむらちゃんの顔が……。
………。
……。
…って…ええええええええーーーー!?
今の状況を理解して混乱してしまいます。なんと今のわたしはほむらちゃんの胸の中に居るだけではなくて…~っっ
「っ……んんっ?」
ほむらちゃんが顔を傾け、わたしたちの唇が深く……。
ってわたしどうしたらいいのかな!?
心臓をバクバクと鳴らしながら見つめていると、ほむらちゃんの瞼が開き、至近距離で視線が合います。
「…………」
暫しの停止。そして気づいたのか、ほむらちゃんは一瞬で赤面してわたしから離れ、俯いてしまいました。
「……ごめんなさい……っ」
申し訳なさからか、恥ずかしさからか。それとも両方なのか……ほむらちゃんは涙目で頭を下げていました。
「あー、うん。大丈夫だから。ね?」
一体何が大丈夫なのかは自分でもわかりませんが、ついそう返してしまいます。
謝られたことに関して、少し胸が傷んだのはどうしてでしょうか……?
自分の胸を抑えた時に、わたし自身の変化に気づきました。
「え……?」
驚いて自分の体を見渡します。手袋に覆われた両腕。身に纏う白いドレス。長い桃色の髪。それは概念化した鹿目まどかの魔法少女姿で……。
「どうして」
概念として宇宙に溶け込んだはずなのに、いつの間にか自我も戻っています。本来ならありえないはずでした。
「鹿目さん綺麗」
ほむらちゃんが少しうっとりとしています。
「あ……ありがとう」
とても懐かしい姿のほむらちゃんに言われると、とても照れます。
そんな嬉しいような痒いような時間を過ごしていると、ふとわたしを見詰めていたほむらちゃんから表情が消えました。
「もう時間がないみたい…鹿目さんこっちに来て」
真剣な表情でわたしの手を引くほむらちゃん。わたしはふわふわと宙に浮いた状態で付いて行きます。
そうやって連れて行かれたのは、赤青黄の三色で彩られた繊細なデザインの長い長い吊り橋でした。
僅かに強く握ってから、静かにほむらちゃんの手がわたしから離れます。
「……ほむらちゃん?」
わたしは振り返り、少し下がったほむらちゃんを見ます。
離れるほむらちゃんの手がまるで消え入りそうで…とても不安になったのです。
そんなわたしをほむらちゃんは寂しそうに見詰めていたのでした。
「この先は鹿目さんしか進めないの」
わたしだけ……? 折角ほむらちゃんと会えたのに……。
「……怖い?」
ほむらちゃんが心配そうに訊くので、視線を吊り橋に戻し観察します。橋の下は深くて真っ白でしたが、不思議と怖くありません。
「ううん。平気だよ。でも……」
どうしても行かなければいけない。そんな気がしています。
だけどそれはほむらちゃんを置いていくということで……。
その事実が辛くて尻込みしてしまいます。
「鹿目さん。代わりにこれを……」
ほむらちゃんは目の前で三つ編みを解き、留めていた紫のリボンを渡しました。
「いいの?」
「……うん。持っていて欲しいの」
そう言ってわたしにリボンを握らせます。ほむらちゃんが着けていたリボン。
……それはとても嬉しいなって思うのでした。
「分かったよ。ありがとう、ほむらちゃん」
わたしが笑ってお礼を言うと、ほむらちゃんも笑ってくれます。とても嬉しそうです。
もっとこの笑顔を見ていたい。もっともっと傍で笑い合いたい……そう思います。
でもそんな時間はほむらちゃんの言葉で終わりを告げました。
「鹿目さん……もうそろそろ時間が……」
名残惜しくても、離れるのが辛くてもわたしは行かなければならない……ようです。
まだ躊躇いがちなわたしを動かし、優しく背を押してくれるほむらちゃん。
だからわたしは少し進んでから振り返り、できるだけ笑顔で手を振ります。
「ほむらちゃん……またねっ!」
また会えるよね!? そう信じて……信じるためにそう叫ぶました。
そんなわたしにほむらちゃんも優しい笑みで振り返してくれて……泣き出しそうになりました。
だけどそんな姿を見せたらほむらちゃんが心配しちゃうから。
振り切るように駆けるような速さでわたしは橋へと向かうのでした。
****幕間一
鹿目さんの背が遠ざかっていく。自身の体が右足から光の粒へと変化し消えていく中で、私は彼女の背中を見詰め続けていた。
鹿目さん……少し姿が変わっていたけれど……とても大人っぽくて綺麗だったなぁ。
笑顔も優しさもあの頃と変わってなくて……そんな鹿目さんと会えたのは役得だったりする。
鹿目さんの姿が見えなくなったところで私の目から涙が溢れ出す。もう左上半身と肩より上しか残っていない……。
あれ以降、鹿目さんが振り返らなくてよかった。私がこうなるって知ったら鹿目さんは泣いてしまうから。
ごめんね……。でも私はどうしてもあなたを……。
……違う。これじゃないよね……。
私が言うことは……、あなたに贈る言葉は……「ごめんね」じゃなくて。
「私を助けてくれてありがとう、まどか」
喜びに満ちた表情で、暁美ほむらは消えたのであった。
****まどか編第二章
三色の吊り橋を、わたしは浮き進んで行きます。
手にあるのは二本の紫のリボン……ほむらちゃんが身に着けていたリボンです。
ほむらちゃん……。
しっかりと握り込み胸に寄せます。置いてきたほむらちゃんが心配ですが、右も左も分からないわたしは進むしかないしかありません。
不安を残しつつ顔を上げると鮮やかな色彩が飛び込んできました。
床を大胆に描き、度々他の二色にちょっかいを掛けているような、月や楽譜の青色。
青色と遊んでいるような、大旨は十字架や流れるようなラインの、全体的にさっぱりした左側を通る赤。
他の二色を受け入れ、見守り導くように花開く右側の黄色。
よく知るあの三人の魔法少女に導かれているようで…今度は懐かしさと感銘から涙が溢れてしまいます。
長い時間を掛け、その光景を目に焼き付けながら進んで行きます。
そんな時間もいずれは終わりを迎えるもので、最後は吊り橋を超えた出口で三色は仲良く円陣を描いてわたしを待ってくれていました。
過ぎたところで一度だけ振り返ります。橋は陽炎のように揺れ、わたしの目の前でゆっくりと消えていきました。
ありがとう……。自然と溢れたお礼に、陽炎の中で三人が僅かに笑ったような気がしたのでした。
勇気を与えられたわたしは更に続く路を進んで行きます。
次に見えたのは濃紺の屋根を持つ建物が見えてきました。童話に出てくるような造りの大きなお城です。
扉の全貌が見える位置で見上げると、顔を限界まで上げなければ天辺が見えないほど大きなお城でした。
「ふぇ~?」
圧巻な城にわたしは間の抜けた声を上げてしまいます。こんな大きな城の存在に近づくまで気づかないなんて……本当に不思議な世界です。
「……ふふふっ」
呆然と城を見上げていると、背後から忍び笑いが……どこかで聞いたことのある声でした。
「可愛い顔ね、まどか」
囁くような優しい声で呼び掛けられました。
……え? まさかと思いつつ、振り向きます。
「ほ……ほむらちゃん!?」
そうです。そこに居たのは先程、橋の入口で別れた筈のほむらちゃんでした。
違うのは眼鏡を掛けていない、わたしが一番見慣れた姿であるということだけです。
驚くわたしに笑みを零してから、視線を橋のあった方角に向けるほむらちゃん。
自身の流れる髪に手を添え、軽く髪を梳きます。
「あなたがここに居るってことは……あの子は上手くやったようね……」
そう呟くほむらちゃんは少し寂しそうです。繰り返す時間の中で、最も多くほむらちゃんが浮かべていた表情でもありました。
「……もしかして、さっきとは違うほむらちゃん……なの?」
雰囲気も橋の前で会ったほむらちゃんとは違います。そう考えるのが自然でした。
「ええ」
わたしの言葉にほむらちゃんは頷きます。
どうやらこの世界には、何人もほむらちゃんが存在しているようでした。
ほむらちゃんの手がわたしの顔に近づきます。
少し冷たいほむらちゃんの細い指。頬を撫でるその手つきはとても優しくて心地良いものです。
そっとわたしに寄ります。空いたもう一方の腕も、存在を確かめるようにわたしを抱き込みます。
わたしを見詰めるその眼差しは真剣で、でもその瞳はどこか揺れを感じます。
ドキドキとしながら、近距離にある美しいほむらちゃんの表情を見詰め返します。
「まどか……」
ゆっくりと近付くほむらちゃんの顔。キス……するの……かな?
期待してしまっているようなわたしの思考を肯定するように、ほむらちゃんの唇はわたしの口へと向かっていきます。
でも脳裏に浮かんだのは、橋の向こうに置いてきた三つ編みのほむらちゃん。
別れ際の三つ編みだったほむらちゃんと、目の前にいるほむらちゃんの姿が重なったのでした。
一瞬にして、期待の高まりは不安へと転換します。
「待って……っ」
気がついたとき、わたしはほむらちゃんを強く押し離していました。
ほんの僅かだけれど、わたしを抱くほむらちゃんの身体も震えていて、不安が高まります。
もう会えなくなるような気がして、怖かったのです。
そんなわたしを、ほむらちゃんは静かに見詰めていたのでした。
「ほむらちゃんは……三つ編みのほむらちゃんは……どうなったの?」
声が震えてしまいます。嫌な予感がして……消えないのです。
「……あなたが気にする必要はないわ」
冷たく突き放すような言い方です。この話し方には覚えがあります。ほむらちゃんが感情を押し殺している時のものでした。
「ほむらちゃん!」
思わずほむらちゃんの腕を掴みます。かなり力が込もっていたようで、一瞬だけほむらちゃんの表情に苦痛の色が混じります。
でもそれ以降は無表情にわたしを見詰めるだけでした。
そうやってしばらく見詰め合っていると、ほむらちゃんが折れたように息を着いたのでした。
「……消えたわ」
何を言われたのか、すぐには分かりませんでした。頭が真っ白になってしまいます。
「……嘘……だよ…ね?」
消えた……?あのほむらちゃんが……?
呆然と手のリボンに目を移します。わたしの指から溢れた溢れた二本の紫色のリボンに震えが伝わっています。
「…いいえ。あの子はもういない」
動揺し、思考を停止したわたしにほむらちゃんは繰り返します。
「……どうしてなの…?」
どうして消えたの? 一体どういうことなの?
「必要なことだった、それだけよ」
ほむらちゃんは抑揚のない声で言いました。
「どうして!?」
消える必要があるってどんなこと!? ほむらちゃんがどうして消えないといけないの…?
とても信じられることじゃありません。信じたくもありません。
「…私からは言えないわ。役目ではないから」
……また。またです。自分の役目じゃないから話せない…と。どうして同じことを言うの?役目って一体…?
そこまで思って気付きました。目の前のほむらちゃんも、三つ編みのほむらちゃん同様に消える役目にあるのだと。
辛さに耐え切れず、わたしは地にへたり込みます。わたしを支えながらほむらちゃんも膝を付いて覗き込んでいました。
「まどか……」
再びほむらちゃんは顔を近づけ、キスしようとしています。
「嫌だ……嫌だよ」
ほむらちゃんが消えるなんて。そんなの認めたくない……。受け入れたくない……。ほむらちゃんとずっと…。
堪えていた涙が零れ落ちます。
「…受け入れて、まどか」
少し押しの強い口調です。それでもわたしは首を横に振ります。それを見て困ったように、悲しそうにほむらちゃんは笑います。
「ここであなたが拒んだら、あの子は報われないわ。…私も、残りの子も」
残り……? まだ居るの?
ただでさえ辛い出来事なのに…何度も受け入れろとほむらちゃんは言うのです。
「まどか……お願い」
とても辛そうに言います。今にも泣き出しそうなのを我慢して……それでも堪えてわたしから目を逸らさないほむらちゃん。
こんな風にお願いされて、どうして拒めるでしょうか……。
「……うん」
とうとう頷いてしまいました。
ほむらちゃんは少し嬉しそうに笑み、今度こそ口付けます。気遣うような、優しいキスです。でもこんな形でして欲しくはありませんでした。
前回同様に変化が生じます。概念となったことで得た情報と持っていた力の殆どが剥ぎ取られ、光となってほむらちゃんに流れます。
わたしの姿も多くの時間軸における魔法少女姿へと変わりました。違うのは髪を留めるピンクのリボンが無いという点だけです。
変化が終えたあとも、離れようとしたほむらちゃんを抱き返して唇を押し付けます。
少しでも長い時間ほむらちゃんの存在を感じていたかったのです。気持ちが通じたのか、ほむらちゃんも大人しく受け入れてくれていました。
ほむらちゃん……。こんな時にもほむらちゃんの優しさが伝わってきます。
しっかりと味わうように、それでいてわたしに負担が掛からないように唇を噛み合わせてくれます。
抑揚をつけながら、わたしが満足するまで続けてくれたのでした。
互い瞼を開き、名残を残しながら離れていくほむらちゃんの顔を見詰めます。
「ほむらちゃん……」
触れている筈のほむらちゃんの身体は右足から光の粒へと変わっていました。別れの時間のようです。
ほむらちゃんに抱きつく腕の力を強めます。滲んでいく視界の中のほむらちゃんは泣いていました。
「まどか……」
しっかりとほむらちゃんの姿を焼き付けようと、何とか涙を留めて見上げます。
「私にあなたを守らせてくれてありがとう」
泣きながら、それでも満面の笑みを残してほむらちゃんは消えたのでした。
遺された温もりを抱えるように、自分の身体を抱きしめて俯き、涙を落とします。
――ありがとう。
その言葉はとても温かくて、胸に深く刻み込まれました。
涙を拭き、立ち上がります。わたしは消えた二人のほむらちゃんの想いを受け止めなければいけません。
行かなくちゃ……。しっかりと顔を上げ、城の扉に近づきます。
重い音を立てながら扉が開き始めると、完全に開くのを待たずにわたしは駆け込んだのでした……。
****幕間二
まどかが泣いている。まどかは優しいから……私が消えると知って泣いている。
泣かないで……。‘私’の為にあなたが泣く必要なんてないの。
まどかの為にこの存在を懸けられることを……その事実を喜んでいるのだから。
泣かないで……まどか。あなたが泣くと‘私’も辛くなるから。
触れるまどかの唇が震えている。
離れようとした私を繋ぎ留めるあなたの、苦しみが少しでも和らぎますように。そう祈って私は、まどかが望むままに唇を噛み合わせる。
ずっとこうしていられたらどんなに幸せかしら。同情の上だったとしても、私を求めてくれる……嬉しいに決まっているわ。
でも……そう長くは続かない。私はもうじき消えてしまうから。もうあなたと一緒に居ることはできなくなるから。
名残惜しいけれど、私は顔を離してまどかをじっと見詰める。
「ほむらちゃん……」
溢れていた涙を何とか留めて、辛そうな表情で…それでもまどかは私から視線を逸らさない。
ごめんね……。‘私'はあなたを悲しませてばかりだね。
何度も何度も傷つけて……‘私’はあなたを救うことは出来なかった。
それどころか‘私’はあなたに救われて……それなのにその選択を受け入れられなかった。
こんな‘私’が「受け入れて」なんて言うのは烏滸がましいのに……あなたは頷いてくれた。
だから私はあなたにこの言葉を贈るわ……。ありとあらゆるまどかの想いと行動に。あと‘消えた私’の想いも乗せて。
「ありがとう」
――と。
****まどか編第三章
数多の星が散りばめられた宇宙の中を駆け抜けます。
外観とは異なり、城の中は壁の分からない宇宙空間のような世界でした。入口から延びる一筋の星雲の道を足音を響かせながらわたしは走っているのです。
蒼い星。山吹色の星。紅い星。そして菫色の星。時折、大きくて、力強い輝きを持つ星を視界の脇に捉えながら、しっかりと前を向いてわたしは駆け続けます。
どうして二人のほむらちゃんが消えなくちゃいけなかったの?
ほむらちゃんは……何を考えているの?
少しでもほむらちゃんの気持ちが知りたくて、理由を早く知りたくて、わたしは無我夢中で走るのです。走らずにはいられなかったのです。
その甲斐もあってか、城の入口までの道中からは考えられないほど早く突き当りに辿り着いたのでした。
足を止め、肩で息をしながら立ちふさがる巨大な扉を見上げます。大きな扉です。その上に乗った二人の女性が手を交差して、一つの球を支えています。
一方はわたしが着ていた白いドレス姿で、もう一方は短めのベールを被った違うデザインのドレス姿した女性です。
辿ってきた星雲の道はその下へと続いていました。もう一歩近づくと、扉が音を立ててゆっくり開いていきます。
「うわぁ~」
そこには眩いほどの銀河系が幾つか存在していました。
薄くて平べったいもの。渦がはっきりしていて、更に中央が細長いもの。
大きな球の周りの渦ラインが少ないもの。どれ一つ同じものは無いようです。
「……来たのね」
大広間の中央にある大きな地球のようなオブジェの陰から、ヘアバンド代わりに赤いリボンを着けたほむらちゃんが現れました。盾の代わりに弓を持っています。
「待っていたわ」
逆方向から、赤いリボンで高めの位置にツインテールを作ったほむらちゃんが出てきます。こちらも同様に弓です。
でもどうしてでしょうか…? 髪型以外に大きな違いは見られませんが、今までに会ったほむらちゃんとは違う感じがします。
違和感を感じているけど、その正体を掴めません。
今のわたしは、概念だったときに抱いた感情と、ほむらちゃんが繰り返していた時間軸における経験しか持ち合わせていなかったのです。
「ほむらちゃん……教えて。あなたは、‘あなたたち’は何をかんがえているの?」
どうして‘ほむらちゃん’が消える必要があるの?
何度も問いかけては答えてもらえなかった内容です。
わたしの言葉に、‘ストレート髪のほむらちゃん’が前へ出ます。次はこのほむらちゃんのようです。
距離が詰まりわたしは身構えます。そんなわたしの真正面に移動したほむらちゃんは、数歩分の距離を置いて立ち止まりました。
「……そうね。もう話してもいいかしら」
‘ストレート髪のほむらちゃん’は背後にちらりと目配せします。
オブジェに背凭れている‘ツインテールのほむらちゃん’が頷くのを確認してから、視線をわたしに戻しました。
たったこれだけの動作で、‘目の前のほむらちゃん’からは非常に落ち着いた雰囲気を感じ取ります。
わたしの記憶の中とは比べると、精神的に老成していそうです。同い年なのに、一回りも二回りも年上に見えました。
「‘私’の願いはたった一つ。まどか、あなたを世界に戻すこと」
真剣な表情で、淡々とほむらちゃんは言いました。
「人の世界に?」
「ええ」
訊き返したわたしの言葉を肯定するほむらちゃん。
元々人間だったからといって、概念化した存在が元に戻るなんてことがあるのでしょうか。
いえ、実際わたしは今、概念ではない状態にまで戻っていますけど。
「どうやって?」
首を傾げます。わたしには全く想像できません。
「まどか。同じ時間でも、時間軸が異なれば、どこかしら違う点があることを知っているかしら?」
「うん。でも……それってほむらちゃんの行動が違うからじゃ……」
ほむらちゃんがどう過ごすか。それでわたしの願いやマミさんの死因などが変化していました。
「それだけでも無いわ。美樹さんの魔女化した姿なんて、私が関与することじゃないもの」
え……? 違った……っけ?
さやかちゃんが魔女化した事実に気を取られていたので、あまり覚えていません。
でも言われてみれば、時間軸によっては上条くんがギタリストだったりもした気がします。
ほむらちゃんが訪れる前の時点で、時間軸の相違点が存在していたこともあるようです。
「全てが同じ時間軸が存在することはありえないわ。それは同様に、他の時間軸の干渉が無くても、結末が全く違うこともありえるということでもある」
そこまで聞いてようやく一つの可能性に気が付きます。
「もしかして……わたしが知らない時間軸のほむらちゃんの祈りなの?」
単純明快な答え。概念化したことで、あらゆる時間軸の過去から未来まで見通したことがあるわたしは、そこで知った時間軸が全てだと思い込んでいたようです。
「ええ。その通りよ」
ずっと話していた‘ストレート髪のほむらちゃん’は正解に辿りついた教え子に向けるような笑みを浮かべます。
「正確には、あなたが概念となった世界に、新しく生まれた私の祈り。
意図せずとも時間軸同士は影響し合うということなのでしょうね……。
その時間軸の‘私’はあなたを喪った哀しみを覚えていたわ」
ほむらちゃんは少し俯きました。
時間遡行の能力を失っても、別の時間軸にまで届く哀しみを抱えていた‘ほむらちゃん’。
そんなにもわたしを想っていてくれた……その事実に喜び半分、悲しみ半分です。
なぜならわたしは、概念化した後、幸福な気持ちに包まれていたからです。
「だから‘私’は祈ったの。『まどかを人に戻す力が欲しい』って。……『人に戻して欲しい』じゃない辺り…‘私’らしいわ」
ほむらちゃんは自嘲します。結局……わたしは‘ほむらちゃん’を苦しめているようです。
「結果がこれよ。‘私’の存在枠をまどかに渡す。それがここに集められた‘私’に与えられた主な能力」
そう言って顔を上げたとき、ほむらちゃんの表情はもう元に戻っていました。
「存在枠?」
「そうよ。まどかが人の世界に戻るためには、代わりに‘私’がまどかの立場に入る必要があるの」
つまりそれは、わたしの代わりに‘ほむらちゃん’が魔女を消し去る概念になるということでした。
「じゃあ……、‘二人のほむらちゃん’が消えたのは……」
尋ねる声が震えます。
「……人として存在する権利を失ったからよ」
躊躇いがちに……それでもほむらちゃんはきちんと言葉にしてくれました。消えた……それは言葉通り‘暁美ほむら’という個人の消滅だったのです。
「こんなのあんまりだよ……。ほむらちゃん、酷過ぎるよ……」
想像以上に酷い結果に、わたしは顔を覆い俯きます。‘ほむらちゃん’を責めたくはないのに……責めずにはいられません。
わたしはただ、ほむらちゃんの、皆の祈りを無駄にしたくなかっただけなのに。魔法少女の希望を絶望で終わらせたくなくて…あの祈りをしました。
それなのに、終わりのない孤独から救いたかった‘ほむらちゃん’が、誰にも記憶されることのない存在へと変わろうとしていたのです。
最初の、‘三つ編みのほむらちゃん’から口付けを受けた時点で、‘ほむらちゃん’の消滅は決定事項となっていました。
今ここでわたしが拒絶しても、‘ほむらちゃん’の概念化は避けられません。
それどころか、わたしと‘ほむらちゃん’の祈りは中途半端に叶えられ、予測のつかない世界へと造り変えられるでしょう。
悪化はしても改善はありえないのは確かです。……わたしに選択肢は与えられていませんでした。
「分かっているわ……それでも私はあなたに人として生きて欲しかった」
‘ストレート髪のほむらちゃん’がハンカチを取り出して、わたしの涙を拭います。
もう一方の手で以前わたしが渡した二本の赤いリボンを手に取って渡そうとします。今わたしの手の中で赤と紫、二色二組のリボンが重なり合ったのでした。
「ほむ……ほむらちゃん……っ」
声を詰まらせるわたしを宥めるように、ほむらちゃんが頭を撫でます。それから慈愛に満ちた、とても優しい笑顔でわたしの顔を覗き込みました。
「私はまどかを……あなたを好きでいられて幸せよ。……。ありがとう」
絵になるような笑顔のまま重ねられた唇。それと同時にほむらちゃんの身体は沢山の光の粒になりました。
「っっっ!」
分解されたほむらちゃんの光がわたしの中に入ってきます。光を浴びた赤いリボンはわたしの手から離れ、髪を結い上げて行きます。
流れ込んできた力はとても強力で、一瞬だけ大きく真っ白な翼となってからわたしの体内に宿ります。
それと同時にわたしはその場に崩れ落ちたのでした。
****幕間三
いざ、まどかに再会すると、どう接していいか分からないわ。私がまどかを喪ったのはもう遠い過去の話。
長い長い戦いの末に会えたのは嬉しくて。懐かしいあなたがそこに居るだけでも感激で……。感動のままに抱きつけたら……泣くことができれば楽なのだけれど。
でもそんなことに時間を費やしたら、横槍が入りかねない。相手が‘私’でも、まどかと過ごす時間に邪魔が入るのは不愉快だわ。
だから私は感涙しそうなのを我慢して、まどかが知りたい事実に辿りつけるよう会話を運ぶ。
こんな形で……また過ごすことが出来るなんて想ってもいなかった。
まどか……。あなたを喪ってから、私はあなたの出来なかったことを、やり残したことをしようとしたわ。
友達と過ごす時間を。家族と過ごす時間を。あなたの分もしっかりと噛み締めようと思ったの。
実行出来たかというと、それはまた別の話だけれども。……巴さんや佐倉さんとの関係は良好だったから、許してもらえると有難いわね。
与えられた最後の時間が終わりを迎えようとしている。
「ほむらちゃん、酷過ぎるよ」
失敗したかしらね……。顔を覆うまどかを見て、話したことにも罪悪感を覚える。
‘私’たちを救うために自身の存在を消すような祈りをしたまどかが、私の消滅を知って泣かないはずはないのに……。
そんな優しい子だから私は惹かれ、闘い続ける道を選んだのに。
すっかりそのことが頭から抜け落ちていたわ。最後に会ってから長い年月を経たことによる弊害ね……。
でも……私はあなたに人として生きて欲しかった。
そしてそれは、あなたに救われ、あなたの居ない世界を生きたことで尚更強まった想い。
だから私は、あなたが傷つくと知って、それでもこの役目を引き受けたの。
赤いリボンを返すとき、まどかの体温が伝わってきた。まどかが生きている……それを実感する。
あなたの涙が、私に与えてくれた温もりが、とても愛おしくて仕方がない。
概念となる‘私’の想いを集約する言葉はやっぱりこれでしょうね…。
「あなたを好きでいられて幸せよ。ありがとう」
唇を重ねたその瞬間、‘暁美ほむら’の自我は消えたのだった。
****まどか編第四章
ほむらちゃんがいた空間に頭を下げるように、わたしは片手を付いていました。
もう何も考えられなくて。お別れする時間も与えられずに、ほむらちゃんが目の前で消えてしまって…。哀しみ、泣くことすら出来なくなっていました。
どうして……? わたしはただ、ほむらちゃんが、皆が生きて笑ってくれれば良かったのに。
皆が笑っていられるなら、わたしはどうなっても良かったのに。それなのに……どうして……?
「――――か」
甘えていたから、罰が当たったのかな……。ほむらちゃんなら、きっとわたしのことを覚えていてくれるよね……って。
散々苦しめておいて、それでも忘れられたくないって思ったから。
「―――どか」
こんなことになるなら、ほむらちゃんにリボンなんて――
「鹿目まどか!」
突如、近くで聞こえた大きな声にわたしは正気に戻ります。
ゆっくりと顔を上げると、強ばった表情のほむらちゃんと目が合います。
‘ツインテールのほむらちゃん’がわたしの斜め前の、少し離れた位置で膝を付いていました。
「……やっと反応したわね」
ホッとしたような、少し呆れたような様子で息を吐いて‘ツインテールのほむらちゃん’は立ち上がります。
鳴動する銀河の光を浴びるほむらちゃんは落ち着き払い、動作は洗練されていて綺麗だと思います。
「調子はどう?」
顔を僅かに動かし、視線が投げかけられます。
「え? あ……うん。もう大丈夫」
近くで見るとやっぱり‘他のほむらちゃん’とは違うように見えます。
「そう。なら良かったわ」
抑揚がない返事です。感情の色が読めません。事務的なようにも感じ取れました。
「本題に入る前に……あなたの中にあるそれ、分かる?」
それ、というのはさっきまで居た‘赤いリボンを着けていたもう一人のほむらちゃん’から入ってきた光のことでしょう。
「うん。これは、ほむらちゃんの魔法だよね」
わたしが改変した世界に対応して変化した、ほむらちゃんの‘固有魔法’の性質を持っているのが分かります。
改変前のほむらちゃんの祈りはわたしが概念化したことで宙に浮きました。わたしを強く意識していたほむらちゃんの意思が反映され、弓矢と翼になったのです。
それは本来、ほむらちゃんしか持てないはずの力なのです。本当にわたしはほむらちゃんと入れ替わる形で人に戻ったのだと実感させられました。
「……分かっているならいいわ」
こうやって話していると、どこか冷たくて堅い、そんな印象を強く受けました。
「ねぇ、あなた…本当に‘ほむらちゃん’なの?」
不安になり、思わず尋ねます。それほどまでに‘今まで会ったほむらちゃん’とは違う人物に見えたのです。
「ええ。紛れもなく‘暁美ほむら’本人よ」
わたしの失礼な質問に気を悪くした様子も無く、‘ツインテールのほむらちゃん’は即答しました。
「どうしてなのかな……?違和感があるよ」
「それは私があなたとは接触したことのない‘暁美ほむら’だからでしょうね」
わたしの反応は想定内だったのか、説明してくれます。
「どういう意味なの?」
全く意味が分かりません。わたしが‘ほむらちゃん’と全く接点が無かった時間軸は無かったと思います。
「あなたが経験した時間軸には関与していない‘暁美ほむら’だということ。今は弓だから分かりにくいでしょうけど、以前の盾はひし形だったのよ?」
左腕のブレスレットに付属する楕円型の黒いソウルジェムを見せてくれます。表情は変わらず、でも口調はほんの少しだけ最後が砕けました。
なるほどです。ほむらちゃんが時間遡行する度に‘わたし’が存在したように、わたしが干渉しなかった時間軸に存在していた‘ほむらちゃん’なのでしょう。
違和感を感じているのは、わたしが知らない時間軸の存在だからなのかもしれません。
顔や声、本質が似ていても別人っていうが、感覚的には近いのだと思います。とりあえず、とてもよく似たそっくりさんということにします。
「って、そんなことはどうでもいいのよ。……鹿目まどか」
振り払うように、真剣な声音を作ったほむらちゃんと正面から視線が交わります。まるで見透かされるようなその眼に、わたしは緊張します。
「あなたに問うわ。“自己犠牲”は尊いと思う?」
わたしの代わりに概念化した‘ほむらちゃん’のことを言っているのだと分かりました。
そんなの分からないよ。わたしはほむらちゃんに消えて欲しくなかった。ほむらちゃんには孤独の世界で生きて欲しくなかった。
もうこれ以上、わたしの為に身を削って欲しくなかった……。
わたしを見る‘ツインテールのほむらちゃん’が顔をしかめます。不機嫌なような、傷ついたような、そんな表情でした。
「気づかないの? あの‘私‘と同様のことを、あなたはしたのよ」
ハッと気が付きます。頭に浮かんだのは、赤いリボンを胸に抱いて独りで咽び泣いていたほむらちゃんの姿でした。
「私は……あの‘私’は……嬉しくなかった…っ」
今まであまり変化が無かった、‘ツインテールのほむらちゃん’の声が揺れます。
「勝手だと言われても、それでも……っ。それでも私は‘まどか’に、あなたに人として生きて欲しかった!」
――それでも、あなたに人として生きて欲しかった……っ。
わたしが居ない世界で、泣きながらほむらちゃんが零した言葉が励起されます。
もう曖昧になった時間軸の記憶の中のほむらちゃんもまた、同じことを言っていました。
そしてそれは‘消えたほむらちゃん’に向けるわたしの気持ちでもあったのです。
「ほむらちゃん……っ」
枯れたはずの涙がまた溢れます。わたしたちは互いに自分の意思を一方的に押し付けて、自己満足していました。
大切な人の命や存在と引き換えに救われたとして、喜べるはずがありません。
自分を大切に思う人の気持ちを考えろって何度も言われていたのに……結局わたしは最後まで考えが足りていなかったのです。
「……鹿目まどか」
少し落ち着いたのか、‘ツインテールのほむらちゃん’は気まずそうにしていました。
「なあに?」
「これからあなたは人の世界に戻ることになるけれど、あの‘私‘と再会したその時、あなたにはもう一度チャンスが与えられるわ。だから……」
‘ツインテールのほむらちゃん‘は静かに深呼吸します。その直前、僅かに身体が強張っていたのは見間違いではないと思います。
「約束して。その時が来るまでは精一杯生きると……あなた自身を大切にすると、約束して欲しいの」
約束、その言葉を聞いて、ほむらちゃんを長い間苦しめることになった出来事を思い出しました。
あれ以降のほむらちゃんは、いっぱい泣いて、いっぱい傷ついて、それでも頑張っていました。
「うんっ。約束するよ。長生きして、その後、きちんと二人で相談するから……っ」
今度は私の番です。
ほむらちゃん――あなたに再会するその時までわたしは、あなたがいない世界で戦い続けると誓います。
「うん。……それでいいのよ」
そう答えた‘ツインテールのほむらちゃん’は、泣き出しそうな、嬉しそうな顔をしていました。
数秒後、空間が揺れ始めます。銀河の光は点灯し、周囲に散らばる星は数を減らしていきます。
中央の地球も入口の扉も崩れて始めました。この宇宙、いえ、この世界そのものがもうじき崩壊するようです。それが分かっても不思議と落ち着いてます。
‘ツインテールのほむらちゃん’が弓を上空に向けて構えました。
「道を作るわ。だからあなたはそこを通って行きなさい」
「ほむらちゃんは!?」
‘今までのほむらちゃん’みたいに消えたりしないよね?
「私は場所が違うわ。……安心して。私は‘私のまどか’が居る場所に帰るから」
初めて優しい笑みをわたしに向けます。そこにあったのは、わたしの大好きな‘ほむらちゃん’の笑みなのでした。
「うん。分かったよ」
わたしは白い翼を広げます。それに倣うように、‘ツインテールのほむらちゃん’もお揃い黒い翼を広げました。
紫の光の矢を作り、弓を引く‘ツインテールのほむらちゃん’。
視線移動を合図に、ビュンと音を立てて飛び出した紫の矢。空間を引き裂いて飛んでいくその矢を追いかけます。
「今度は生きなさい」
それがこの世界で聞いた最後の言葉でした。
さよなら、わたしたちとは違う時間軸で生きたほむらちゃん。
もう二度と会うことのない‘ほむらちゃん’にお別れの言葉を心の中で告げたのでした。
****まどか編第五章
最初に認識したのは、手袋の上から手首に結ばれた紫色のリボン。
周囲の音に対して無意識にわたしの身体は反応し、少し離れた位置にある音源を射抜きます。
一つ、二つ、三つとピンクの矢で射抜かれる異形の存在。魔獣と呼ばれるそれは、キューブ状のグリーフシードを生み落として消えます。
「危ない!まどかっ!」
張り上げられたさやかちゃんの声。迫り来る影に気がついたとき、魔獣の目前に迫っていて……。
あ……。正気に戻ったときにはもう避けられない位置にいました。
その場に固まってしまった、そんなわたしの右腕を強い力が引っ張ります。
攻撃を避けられた魔獣は、脇から現れた黒い少女の長い爪で裂かれました。
右目に眼帯を着けた黒髪ショートの少女は、ヒラリと身を翻して傍にいる魔獣を爪で切り裂いていきます。どうやらわたしは助けられたようです。
「戦闘中に呆然とするなんて」
怒気を含んだ静かな声が聞こえてきました。聞き覚えのないその声に、わたしは顔を上げます。
顔立ちの整った、これまたヒラヒラとした全身白い装束の女性がわたしを見下ろしていました。
「鹿目さん。あなたはもう少し自分の立場を……」
そこまで言ったところで、目の前の女性は目を見張ります。
視線の先にあるのは、彼女が掴んでいるわたしの手首から垂れている紫色のリボン。ほむらちゃんから託されたリボンでした。
「そう……。今日だったのね」
得心が行ったように、染み染みと彼女は言いました。全く意味が分からず、わたしは首を傾げてしまいます。
「あのぅ……」
「あら。ごめんなさい」
戸惑うわたしに、白い魔法少女は優雅な笑みを零します。漫画に出てくるような、生粋のお嬢様、という表現がよく似合いそうです。
「私は美国織莉子。こちらが」
そのタイミングで織莉子さんの背後に飛び降り、背を合わせる人物。先程わたしを襲った魔獣を倒していていた黒い魔法少女でした。
「呉キリカ。私の大切な相棒(パートナー)よ」
織莉子さんの紹介に、キリカさんは戦闘中にも関わらず、笑顔で片手を上げます。
キリカさんが倒し零した周囲の魔獣を、織莉子さんが結晶で弾き飛ばしました。
あまりにも自然だったので、守られていることに今更ながら気付きました。
「ありがとうございます」
「いいえ。……キリカ」
〈皆さん。こちらが手薄になるので補佐お願いします〉
会話の途中から念話を周囲に飛ばす織莉子さん。
「織莉子は私が守るよ!」
一番最初に反応したのはキリカさん。条件反射のような速度です。
〈戦闘中に何考えてんだい?〉
呆れた様子の杏子ちゃんの声です。ずっとわたしたちが会話していることに気付いていたようです。
〈まどか、怪我してない!?〉
〈うん。織莉子さんとキリカさんが守ってくれてるから〉
〈よ……良かった~。まどかに何かあったら、あたし、どうしようかと……っ〉
〈バカ!気を抜くんじゃねぇ!〉
心底安心した様子のさやかちゃんに、杏子ちゃんの叱咤が飛びます。
〈ふふっ。…美国さん。あなたがそう言うからには理由があるんでしょう?こちらは任せて。あなたたちは私たちが守るから〉
銃音を立てて、わたしと織莉子さんの周囲にいる魔獣が消えます。更に黄色に光る陣が地面に描かれ、結界が貼られました。
〈ちょっと!?恩人!どうして私まで結界に!?戦えないじゃないか!?〉
キリカさんの文句が飛びます。結界に弾かれたわけでもないのに、どうして不満なんでしょうか……?
〈あら。結界は絶対じゃないのよ?呉さんは結界が壊れた時の保険なんだから、ちゃんと美国さんを守ってね?〉
〈なるほど。……あははっ。なるほどねっ!そういうことなら吝かでもないねッ!〉
あっさりと、マミさんに懐柔されています。そんなキリカさんを見て、織莉子さんは微笑ましそうに、どこか複雑そうに息を吐いていました。
「もう……キリカったら。鹿目さん。時間がないから視せるわね」
織莉子さんは胸元にある、大分濁りの進んだ白真珠のような色のソウルジェムを取り外します。
コツンとわたしの額に当てると、同時に幾つもの映像がわたしの脳裏を走りました。
傷だらけで倒れたわたしと……その向こう側で戦う見知らぬ魔法少女たち。その魔法少女たちが戦っていたものの正体に気付いて絶句します。
「うそ……。魔女……っ」
魔女を滅ぼす理が存在する、この世界にはいないはずです。それなのにどうしてこんな映像が見えるのでしょうか。
「私の力は予知。先程視せたのは、『鹿目まどかが理に導かれなかった未来』。
鹿目さん、あなたが事故死したり、理を拒絶するようなことがあれば、‘彼女’の理は壊れてしまうわ。
……よく覚えておきなさい」
そう言って織莉子さんはソウルジェムを元の位置に戻し、身を返します。
「キリカ。準備は整ったわ」
「オッケーだよ!」
キリカさんは呼応して、織莉子さんと一緒に結界の外へと飛び出しました。
わたしも追いかけようとしますが、マミさんの結界がそれを拒みます。
〈鹿目さん。申し訳ないけど、守護者が居ない状態であなたを戦闘に出すわけには行かないの〉
マミさんの念話が聞こえてきました。どうやら、わたしの足止めを兼ねた結界のようです。
〈守護者……?〉
「ええ」
場を離れた二人の代わりにマミさんがわたしの周囲に寄ってきた魔獣を蹴散らしていました。
「辛いけど……美国さんの計画を実行することになったわね…」
前線で魔獣を狩り始めた織莉子さんとキリカさんのダッグを見て、心底辛そうにマミさんが零します。
辛そうにしていたのはマミさんだけではなく、杏子ちゃんも唇を噛み締めて魔獣を狩り続けていました。
一体何を……そう思ったところで、織莉子さんとキリカさんの笑みがわたしたちに向けられます。
〈鹿目さん。‘彼女’の在り方を目に焼き付けておきなさい〉
〈私たちは先に逝かせてもらうよ。すぐ来たりしたらズタズタにするから、覚悟しておくんだね〉
魔獣の集団の中央に立った二人は穏やかな笑みを浮かべ、背中を合わせます。
ポツポツとキリカさんが何かを呟きました。
織莉子さんは一瞬驚いた顔をし、それから嬉しそうな笑顔で涙を零します。
その瞬間、彼女たちを中心に光が爆ぜました。
「うわぁ!」
あまりの眩しさに、わたしを含めた他の魔法少女が目を逸らし、覆います。
メラメラと燃え盛る、明るい赤と青の混ざった焔。織莉子さんとキリカさんを中心に発生した焔はとても優しく、ほむらちゃんを彷彿させます。
魔獣を巻き込んだ紫の焔は環状を作っており、魔獣と二人の魔法少女のソウルジェムだけを燃やし尽くして空へと溶け込んだのでした。
「これが『焔環の理』…。伝承は本当だったのね…」
結界を解き、わたしに手を差し伸べながらマミさんは感慨深げに名残を見詰めていました。
『えんかんのことわり』――音はわたしだったときと同じですが、働きは違うようです。
結界が消滅する直前に織莉子さんの身体を抱き上げる杏子ちゃん。
それに倣うように、その傍に居たさやかちゃんがキリカさんの身体を抱き上げています。
「伝承って何ですか?」
質問したのはさやかちゃんです。繋いでいる織莉子さんとキリカさんの手が離れないよう、杏子ちゃんとさやかちゃんは気を使っています。
「『ソウルジェムが汚れたとき発生する環状の紫色の焔は空へと魔法少女の魂を導いていく。
真に惹かれあう魂あらば、共に連れて行くだろう』……そんな言い伝えじゃなかったかい?」
答えた杏子ちゃんが、流れでマミさんに確認を取りました。
「ええ。巻き込む側、巻き込まれる側、双方が同意していれば……の話だそうだけど」
マミさんは頷きました。更に言うと、今回みたいに爆発現象が生じるのは、まだ余力があるときに全魔力を解放したときに限るとか……。補足を加えてくれます。
目の前でわたしの知らない理の説明が繰り広げられたのでした。
ほむらちゃん、恰好良すぎるよ。
空を見上げるわたしの頬を涙が流れます。独りが寂しい子は一緒に連れて行く。それがほむらちゃんの理でした。
ほむらちゃん。肩代わりしてくれたあなたの分もわたしは一生懸命生きるよ。
新しい世界に降り立ったその日、ほむらちゃんが遺したリボンを胸に抱き、夜空に向かって誓ったのでした。
****まどか編終章
あれからどれだけの月日が経ったのでしょうか。
誰もほむらちゃんのことを覚えていないこの世界で、それでもほむらちゃんの祈りを思い出して魔獣と戦い続けていました。
〈ほむらちゃん、わたし……頑張れたかな〉
桃色の光となったわたしは、隣にいる紫色の光のほむらちゃんに話しかけます。
〈ええ。よく頑張ったわね。……ありがとう、生きてくれて〉
ほむらちゃんはわたしを包み込んでくれます。
〈これからどうするの?〉
チャンスが与えられると、‘違う時間軸のほむらちゃん’が言ってました。
〈まどかはどうしたい?〉
優しく寄り添いながらほむらちゃんがわたしに尋ねます。今のわたしたちは二人とも半概念化している状態です。
以前のようにわたしが働くことも可能です。でも……
〈二人一緒が良いな。もし可能なら人としても二人で生きなおしてみたい。……我儘だよね〉
一度勝手に捨てた人としての生を、もう一度ほむらちゃんと得たいなんて……。身勝手にも程がある言い分だと自分でも思います。
〈ふふ、そうね。でも少しなら可能なのよ?〉
〈え!? どうして?〉
〈まどか、あなたの人徳のおかげね。あなたが救った子たちが手伝いを申し出てくれたの。だから交代で人の世界に戻って生活する算段になっているわ〉
〈な、なにそれ。……ってことはほむらちゃん最初からそのつもり……だったりした?〉
わたしの答えに関係なく、その選択を選んでそうな雰囲気です。いえ。間違いなく選んでいたでしょう。
〈さあ、どうかしらね。まあいい経験になったでしょう? あなたにとっても〉
悪戯に成功したようなほむらちゃんの言い分に、わたしは確信します。
〈うぅ……。ほむらちゃん意地悪だよ〉
〈お互い様ね。私だってこの姿にならないとあなたの気持ちも分からなかったのだから〉
そう言われると御終いです。今までの行動や想いが筒抜けというのは、結構恥ずかしいものですが、嬉しいものでもあります。
〈……ねぇ、ほむらちゃん〉
〈何かしら、まどか〉
〈今度は一緒に生きようね〉
〈ええ。一緒に生きましょう〉
わたしたちは溶け合うように添いながら約束したのでした。
改行ミス見つけましたが、キリが無いのでこのまま、杏子編続けます(>>129相当まで 序~四章)。
章表記に違和感あるとは思いますが、今後はこのようにしていきます。
****杏子編序章
広がる満点の綺麗な星空。街中を見下ろせる高いビルの屋上に影が二つ。
風を一身に受ける長い黒髪の少女は静かに街を見下ろす。いや、見ていたのは街だけでは無いのかもしれない。
星空と街の境界線をただ、じっと見つめる姿。
彼女はヘアバンドの代わりに赤いリボンを着け、左側でリボン結びを作っている。胸にはそれと同じリボンを抱えていた。想いを確かめるように。
全てに別れを告げるもののように、歪んだ黒い翼を広げている。
どこか儚いこの少女の姿を、黒いリボンでポニーテールを作った紅い髪の少女は後ろから眺めていた。
「佐倉さん」
静かな声であたしを呼ぶほむら。視線は外に向けられたままだ。
「あの二人を……見守って」
一見落ち着いているのに、消え入りそうな感覚を覚える声だった。
「見守るって何さ。あたしたちは仲間なんだ。互いに助け合うのが正解だよな」
吹き付ける風が冷たい。だけど、それを隠して、隣に並んだあたしはほむらの頭を優しく小突く。
ほむらは僅かに顔を逸らす素振りをしながらも、大人しくあたしの行動を受け入れた。
全く似ていないのに。それなのに、妹のモモのように感じている。不思議なものだ。
「……そうね。訂正するわ。あの二人の傍にいて欲しいの。――まで」
視線をあたしに向けて微笑むほむら。こういうときは随分年上の人物に見られているよう気分になる。かなり複雑だ。
でもそれ以上に複雑なのは、その瞳の光が揺れていること。常に寂しげなほむらだったが、ここまで人を不安にさせるようなことは無かった。
「……なに考えてんのさ……?」
ずっと嫌な予感がしている。家に帰ったときに異様な静けさを感じた時の、家族の死を目の当たりにする直前に感じた恐怖。とてもそれに似ていた。
「私はもう長くない」
淡々とほむらが答える。そこに悲観もなければ動揺もない。自らの運命を受け入れた者だけが取り得る態度だった。
「なっ!?」
あたしは絶句する。何を言われたのか、すぐに理解できなかった。
魔法少女の死なんてありふれたものだ。
人知れず魔獣と闘い、その結界の中で死した者は遺体すら残らない。誰にも理解されず、ただ、ただ、その時が来るまであたしたちは闘い続ける運命にある。
あたしは知っていた……経験として。他の魔法少女の命をこの手で奪ったことすらあった。なのに……、知っていた筈なのに……あたしの身体は震えていた。
「どういうことだよ!?」
どうして今まで黙っていた。どうして淡々としていられる。どうして……色々な疑問が怒りと共に湧き上がった。
あたしたちが一方的に仲間だと想っていただけなのか? ほむらはあたしたちを信用していなかったのか?
そう思うと辛かった。苦しかった。悔しかった……。
そんなあたしを無表情にほむらは見詰めている。手を伸ばせば触れられる距離。だけど相手から寄られることはなく、冷たい風が二人の髪を揺らすだけだった。
「……祈りの代償……かしら」
視線を街の空に向けて、ポツリとほむらが零す。
「祈り?何でそれが……」
祈りと言えばアレだろう。魔法少女になるときに叶えてもらう願い事。
そのときの願いが巡り巡って悪い状態を呼ぶことならあるが、直接死に繋がるようなことは無かった筈だ。そういった願い事をしなければ……の話だが。
ほむらの祈りは、誰かを取り戻したい……そんな内容だろう? 全く理解ができない。
「対象の問題ね。私の因果で適えられるけれど……代わりに私自身を要求された。それだけよ」
ほむらは握った手越しに、赤いリボンに口付けた。まるで愛おしい物に触れるかのように微笑んでいる。
いや、愛しい誰かを想っているのだろう……同性でも見とれてしまう程、そのときのほむらは美しかった。
「何だよそれ……死者蘇生でも望んだのか?」
不安を、動揺を誤魔化すようにあたしは、冗談交じりに返す。
死者を生き返らせるのに、その身体を明け渡す。バカバカしいが、よくある話だ。……本当にそういうことなのかもしれない。
「いいえ」
否定が返ってくる。ほむらはあたしに強い意志の込めた瞳を向け、ニヤリと口の端を上げる。
「神、よ」
返ってきたその答えは、あたし以上に打っ飛んでいた。
なぁ、神様(まどか)。どうしてほむらにこんな運命を背負わせた。
どうして……ほむらに過酷な人生を進ませたんだ? あたしたちを救おうとしてくれたんだろう? 自分自身の生きた証を消してまで。
この世界でただ一人、ほむらだけがあんたのことを覚えていた。 愛してたんだろう? ほむらのことを。
ほむらにだけには忘れられたくなかった。それ程までにほむらを愛していた……違うのか?
そんなあんたが……どうしてあたしたちからほむらを奪うのさ? ……奪うぐらいなら、どうしてあたしたちを引き逢わせたりしたんだよ……?
かつての世界では人だったという神を、あたしは呪った。
****杏子編第一章
太陽が照り付く見滝原の街。荷物が一杯入った大きな紙袋を抱えて裏道にある建物の陰に潜り込む。少し時間をおいて人が駆ける音が近づいてきた。
「あの子、どこ行ったんだ……っ?」
苛つきながら、一人の男性が周囲を探る。あたしを探しているのだ。暫くして男性は引き返していった。
人の気配が周囲から消えたのを確認してあたしは陰から出る。
溢れそうになるほど詰められた紙袋の中身ににやけた。今日も成果は大量で、半日はもつ……か?
これは全て店から盗んだ飲食物だ。当初は罪の意識も大きかったが、今は割り切っている。
……盗むことしか、あたしは生きる術を知らない。そうすることでしか、生きる為の食糧を得ることすら敵わない。
初犯は一つのリンゴ。モモ……妹の飢えを和らげるために行った。この時のあたしは魔法少女になってなくて……ひ弱なガキでしかなかった。もちろん、盗みは失敗。店主に追いつかれて、思いっきり殴られたな……。
痛かった……だけど、それ以上にモモにリンゴを持って帰ってやれなくって……辛かった。
まあ……これがあたしにキュゥべえとの契約の最後の一押しだったんだけどな。
大きな路出たあたしは、紙袋の中から食べ物を取り出す。
「おにいちゃーん、まってー!」
四、五歳ぐらいの少女があたしの横を通り過ぎていく。その先に居る七、八歳ぐらいの少年の前で少女は転んだ。
「う……」
泣き出しそうな少女に兄の少年が駆け寄り少女を起こす。
「ほら、泣くな。すぐ手当するからな」
擦り傷をしたらしい少女を気遣いながら、手を引いて行く少年。仲睦まじい兄妹の姿に懐かしさを覚えつつ、あたしはその場から離れる。
魔法少女になったすぐの頃は幸せだった。実家の教会から離れていった筈の信者が戻ってきて、飢えなくなった。
父さんも話を聞いてもらえるようになって生き生きしていた。
あたしは裏で平和を守るんだって活き込んで、優しくて憧れの師にも出会えて……幸福だったんだ。
でも……その幸福は長く続かなかった。
魔法少女のことを父さんに知られた。そのときに馬鹿正直に祈りの内容を教えたのが運の尽き。
一度父さんを見放した信者が戻ってきた理由を知った父さんは呪いの言葉を吐いた。
――この魔女が!
父さんは酒に溺れ、家族に暴力を振るうようになった。挙句の果てにあたしを置いて無理心中。
あたしは独りになった。あたしは……一番守りたかったものを全て喪った。
あたしはただ家族を守りたかった。それだけなのに、祈りは逆に死に追いやったなんて……皮肉なもんだ。
紙袋から取り出したリンゴに噛みつく。周囲に目をやりながら食べているとすぐに無くなった。物足りなくて、次を取り出す。
家族を失って以来、どれだけ食べても足りない。空腹感が無くなっても、何かが足りない。食べ物の味が無くなるとイラついてしまう。
「……ちっ」
特に最近は酷い。事あるごとに嫌なことを思い出してしまう。
これもあの美樹さやかとか言う、新人のせいだ。
他人の為に願いを使った、昔のあたしみたいなバカ。
グリーフシードに余裕が無いくせに、ともなグリーフシードを落とさないと分かる脆弱な魔獣まで狩ろうとしやがって。
あんな甘っちょろい奴はすぐ力尽きるのがオチだ。
……この街にはお人良しマミがいるから野垂れ死にすることは無いだろうけどさ。
ふと、マミの姿が目に入る。あたしが通りすがろうとした花屋から出て来たところだった。
「あら……佐倉さん」
あたしの手荷物を確認したマミの目が据わる。……嫌なタイミングで会うな……。
「なにさ。文句あんの?」
「……いいえ。特に無いわ」
真面目なマミは窃盗に対して嫌悪感を持っているだろう。だけど溜息を吐いただけでそれには触れない。……あたしの境遇を知っているからだ。
「ところで、その花束なに?」
あたしは視線でマミの手元を示す。それなりに大きな花束だ。
「これ?これはお見舞い……に……」
マミが言いかけて止める。じー、とあたしを見詰める瞳。これは何か思いついて、考えているときの眼だ。一体なにを考えてんだ……?
気になる。気になるけど……それ以上に危機を感じてあたしは後退りした。
「そ……そか。じゃあな」
巻き込まれる前に退散すべく、軽く手を挙げて去ろうとした。
「待って」
「ぐぇ」
立ち去ろうとしたのに、後ろから首根っこを掴まれる。フードを押さえられ、下のシャツによって一瞬首が締まった。
「な……何すんだよ……っ」
半分涙目に成りつつ、後ろを見る。
「これからお見舞いに行くのだけれど……佐倉さん付き合って貰えないかしら?」
マミはフードを掴んだまま、優雅な笑顔でそんなことを言った。逃がしてたまるか、ってオーラが見えている。
この笑顔の裏が正直怖い。ただの喧嘩、戦闘なら負けないだろう。
だけど……今のマミには全く勝てる気がしなかった。
……仕方ねぇなぁ。あたしは溜息を吐く。
「分かった……分かったよ。だからいい加減放してくれ」
荷物を落とさないようにしっかりと支えながら、何とかお手上げのポーズをとる。
「ありがとう」
マミは穏やかな笑みを零しながら、手を離した。……これで逃げたら恨まれそうだな。
先導するように歩き出すマミ。意識はしっかりとあたしに向いている。逃がす気は更々無いようだ。
あたしはもう一度溜息を吐いて、その横に並んだ。
「で、お見舞いって誰なのさ?」
ここまでしてマミがあたしを連れて行こうとする相手なんて予想がつかない。
「友達よ」
「友達~?」
マミに友達なんか居たのか? 居たとしても、さやか以外に心当たりなんて……そう思ったところで、昔マミから聞いた話を思い出した。
「ん? もしかして……例の、一緒に事故に遭ったとかいう?」
あたしの言葉に、ほんの少し嬉しそうにマミは笑った。
「覚えていてくれたのね。うん。その子よ。……ずっと眠ったままだけど」
遠い眼をするマミ。意識はかつての事故現場へと向いているのだろう。
その子は親が懇意にしていた相手の娘だったらしい。事情があって一時的にマミの家に預けられることになったそうだ。
交流会を兼ねた食事に出かけた、その途中で遭った事故。
その子は虫の息だったが、マミが「私たちを助けて」と祈ったことで生き残ることが出来た。
以降、その子はずっと眠り続けているらしい。
「それで何であたしを?」
訳が分からない。あたしはその子に会ったこともなければ、関わりもない。
そもそも……数年に渡って眠っている相手に会ったところで、何ができるというのか……。
「刺激になると思ったの……あの子にとっても。佐倉さん、あなたにとってもね」
意味深にウインクしてマミは足を速める。これ以上教えるつもりはないらしい。わざわざ訊くことも無いので黙って着いて行った。
病院に入り、関係者に挨拶を返しながらマミは進んでいく。辿りついた先は人通りが殆どない高層の個室。ノックをした後、そのまま入った。
ベッドの脇にある台に見舞いの花束を置き、ベッドの脇にしゃがむマミ。片手をそこに置かれた手に重ね、その手の主の顔を覗き込んだ。
あたしは後ろに並びベッドの上を覗く。
腰まで届く長い黒髪の少女。全体的に色白でやせ細っている。両腕は固定され、チューブは腹部に伸びていた。
「暁美さん、こんにちは。今日は人を連れて来たの。佐倉杏子さんよ」
マミは優しく語りかけながら、紹介するようにあたしに一度顔を向ける。少女は全く反応しない。
「ぶっきら棒を装ってるけど、本当は面倒見いいの。最初は怖いかもしれないわね。でも、きっとあなたと仲良くなれるわ」
本人を目の前に好き勝手なことを。普段なら文句の一つや二つ言うだろう。でも言えなかった。
反応がないと分かっていて、優しく語りかけるマミ。これを何年も繰り返しているという。見ているこっちが辛くなる光景だ。
「佐倉さん……少しの間、暁美さんの傍に居てもらえないかしら?」
一通り話したらしいマミは立ち上がって場を明け渡す。
「……あたしは何も言えないんだけど」
「手を握ってあげて。きっとそれだけでも彼女には伝わるから」
何が伝わるというのか……。でも確かに何もしないよりは気が紛れるだろう。モモも手を繋いでやると泣き止んだことあったっけ。ふっと笑みが零れた。
「分かったよ」
準備された椅子を更に寄せて、ベッドの上の手を握る。細くて滑々としている手。モモも成長したらこういう風になったんだろうか……。
マミが開けた窓から風が入る。花瓶と花束を持ってマミは部屋を出て行った。
視線をベッドの上横たわる少女の顔に移す。近くで見ると整っているのが分かる。少し冷たい感じがする美人と言ったところ。
全然似ていない。それなのにモモを励起させるのは痩せ細っているからだろう。
何も言わずに眺めていると、窓の外からバイオリンの音が聞こえてきた。一体どこから聞こえてくるのか……そのメロディをあたしはよく知っていた。
「アヴェ・マリア……か」
窓向うの蒼い空を見上げながら、呟く。ぎこちない部分はあるが、総合的に見れば腕は良い。まさか、こんな場所で聞くとは思わなかった。
ピクリと少女の手が動いた。驚いてあたしは視線を少女に戻す。しかしそれ以上の変化は見えない。
気のせいか……そう思った時、ゆっくりと少女の瞼が開いた。
最初はぼんやりと、次第にしっかりと深い紫の瞳があたしを捉える
「…………」
少女の唇が開く。音は出ない。だけど確かに動いて……笑った。とても綺麗で、優しい笑みをあたしに向けていた。
時が止まる。空いていた筈だった少女のもう片方の手に握られた二本の赤いリボンが靡く様子も、流れるアヴェ・マリアも意識の外にある。
ただ、あたしと少女の2人だけが世界を共有していた。
この時の心情をどう表現すればいいのだろう。一番近い言葉で言えば感動。
ずっと離れていた妹との再会した、そんな気分だったのかもしれない。
「……暁美さん!?」
帰って来たマミが驚きの声を上げた。僅かに駆けるようにして近づいて来る。マミの声に呼ばれた看護師も部屋を覗いて、すぐに驚嘆と歓びが病院中に伝播した。
そう……これがあたしと暁美ほむらの出会いだった。
神の思し召し、なんて不覚に思った出会い。神様なんて……信じちゃいないのに。
信じたところであたしたちは……あたしの家族は救われはしなかった。代わりに現れたのは悪魔のような存在だった。
守りたいものを喪ったあたしは神を忘れた。信仰なんて捨てた。そのつもりだった。
でもこの時、やっぱりあたしは聖職者(父さん)の娘なんだって……そう思ったんだ。
****杏子編第二章
傾けられたベッドの上から空を見上げる三つ編みの少女。開こうとしたまま手を添えられた本は閉じたままで、細い眼は遠くに向けられている。
まるで消えてしまいそうなほど、儚い姿をしていた。
「よう」
あたしは高層の窓の外側から身を乗り出し、手を挙げて所在を告げる。視線をあたしに向けた少女はビクと身体を僅かに跳ねさせた。
「さ……佐倉さん!?」
慌てた様子の少女の前で部屋に飛び込む。少女は一瞬固まっていたが、すぐに持ち直した。
ここは高層に位置している部屋だが、あたしが窓から侵入するのは初めてじゃないからだろう。
「えと……危ないので窓から入るのは辞めてもらえませんか……?」
心配そうにあたしを少女は見ている。
「平気平気。慣れてるんでね。っと。ほむら、これやるよ」
そう言って小脇に抱えていた丸い物をほむらに渡した。
「え……ありがとうございます」
反射的に両手で受け取ったほむらは、それを顔に近づけ、じーと見ている。抱きかかえるのに丁度いいぐらいの大きさの縫ぐるみだった。
ボールのように丸いが、△の耳や両手足、尻尾がついている。そして顔の位置には丸い目とωの形をした口が描かれ、可愛らしい姿をしていた。
「……ネコ……あ。……ふふふっ」
縫ぐるみに着いた2つ折りの厚紙のタグに気付いて、それを開いたほむらが口を押えて笑う。
他には聞こえないような小さな声で「かわいい」と零したのが分かった。その様子にあたしも釣られて口元が緩む。
「気に入ったかい?」
あたしはベッドの傍に寄せた椅子を寄せ、その上で片足だけ胡坐を掻いた。
「はいっ!」
満面の笑みで縫いぐるみを抱き込むほむら。見てるこっちが幸せになるような、無邪気な笑顔だった。
それだけ喜んでもらえると、ゲーセンで取って来た甲斐があるってもんだ。
頬が緩んでしまったことに気付いて、あたしは心持ち普段の表情を取り繕う。
この縫いぐるみのシリーズが詰まった箱を見つけたとき、偶然通り通りすがったさやかにからかわれたのを思い出したのだ。
今思い出してもムカつくな……。
こっそりと舌打ちしそうになって、誤魔化すようにポケットの中を探る。いつもならお菓子が入っているのだが、そこには別の固いケースが入っていた。
……そういや、ほむらは飲食できないから抜いてきたんだったな……。忘れていた事実に苦笑する。
「どうかしました?」
いつの間にかほむらがこっちを見ていた。ほんの僅かな変化だったのに気付かれていたようだ。
「ん?……いやさ……何かやけに難しそうな本を読んでるな、と思っただけだ」
内心焦りながら、たまたま目に入ったほむらの手元の本を話題にする。銀河……何だこれ。題名だけで、もう頭痛がしそうだ。
「……正直、私もさっぱりです」
思いっきり顔をしかめたあたしに、ほむらは同調する。
「何でそんなもん持ってんのさ……」
どんな意図があれ、明らかに選ぶ本がおかしい。明らかに専門書だ。
「えと……」
困惑しつつ、途切れ途切れにほむらは説明する。散歩のときに見かけた人が宇宙……何とかとか勉強している学生だったらしい。
その学生が持っていた本の表紙が銀河の写真だったそうで、不思議と気になったんだとか。
そんなほむらに気付いた学生に声を掛けられ、後日写真が多く載っているこの本を譲られた……とのこと。要領は得ないが、総合するとそんな感じだ。
……無防備にも程がある。話が進むごとにあたしは機嫌が悪くなり、それを読み取ったほむらは委縮していた。
まだ幼いとはいえ、ほむらは美人だ。相手が下心の一つや二つ持つのが当たり前だ。……後で処理しておくか。
「ほむら」
「は……はいっ」
「あたしとマミが許可した奴以外とは話すんじゃねぇぞ……いいな」
「……っ。分かりました!」
怒気を含んだ声に涙目になりながらもほむらはしっかりと頷いたので、あたしはほむらの頭を撫でた。それで安心したのか、肩を降ろして大人しく俯いていた。
思ってた以上に危なっかしいな……ほむらのやつ。内心呆れ、同時にほむらの現状を思い出して納得した。
まず、数年前の事故から最近まで眠っていたこと。また、マミの話によると事故以前は転院が多い病院生活が長かったらしい。
それに加えて今のほむらは――
「……っ」
ふと、ほむらの吐息に違和感を持った。吐息だけじゃない。ほむらの身体が僅かに揺れた気がする。
不審に思ってほむらの顔を覗き込み、ギョッとした。真っ青な顔で堪えるかのように目を閉じ、息を押し殺していた。
「おい!ほむら!」
ほむらの頭をきちんとベッドに寝かせる。
「……っ。……大丈夫……です。だから……」
ほむらは薄らと目を開けて言う。
「バカなこと言ってないで、大人しく寝てな」
冷や汗が流れ、呼吸を乱れている状態で言われても説得力ねぇんだよ。苦笑しながら、あたしはほむらの傍らにあるナースコールを押したのだった。
「……寝不足と疲労から来る体調不良。……何してんだ……あんた」
ばたばたとした騒ぎが収まった後にあたしは嘆息する。
侵入したことを注意されることも覚悟して、看護師を呼んだ。
あまりにも様子が変だったから医師も来たが、まだ慣れない生活で疲労が十分に取れていなかっただけらしい。
全く人騒がせな……。
「えと…………ごめんなさい」
身体を寝かせたまま、ほむらは少し考えてから謝った。一眠りしたからか大分マシになったが、まだ顔色は良くない。
ゆっくり眠るように言っても、首を横に振るばかりなので、あたしは仕方なく傍で静かにさせていた。
「……謝るくらいなら、体調を誤魔化すんじゃねぇよ」
特にほむらは生来病弱だ。下手に誤魔化されて、実は重病でした……なんて洒落になんねぇし、さ。
医師と看護師からもたっぷり叱られるだろうが、当然だろう。……マミの方は予想すらできねぇ……。
「夢を……」
静かほむらは語りだす。身体の陰にある赤いリボンを掴むほむらの手がキュッと僅かに強くなった。
「……何だかずっと長い夢を見ていたような……気がします」
ほむらの視線が天井の向こう側に向いている。
「夢?」
急に何を言い出すのか。あたしは眉を潜めつつ、続きを待った。
「……はい。とても懐かしくて……悲しい夢……だったと思います。でもとても大切な誰かの夢で……私が私であるために必要な記憶だったのでは、と思うんです」
自分が自分であるために必要な記憶……? でも今のほむらには――。
「不思議ですよね。記憶がないのに、何故か分かってしまったんです」
ほむらは微笑んだ。
そう……ほむらには事故以前の記憶がない。自身の名前も年齢も、全てをどこかに置き忘れていた。
時の流れから取り残されたほむらは、家族からも師匠からも離れた頃のあたしを励起させる。
どうしていいか分からなくて……それでも生きていくことしかできない、迷子のようだった。
「でも……夢から覚めたら……全部忘れていました」
話すほむらの表情がくしゃりと歪んだ。それは辛くて悲しくて泣き出しそうになって……それでも耐えようとする、孤独な少女の姿だった。
あたしが家族を喪ったすぐの焦燥感が戻ってくる。何故かは分からないけど……その時のあたしと目の前にいるほむらの姿が重なって見えたのだ。
「大切な誰かが居たはずなのに、私は覚えていないんです。それがとても」
「もういい。もう言うな!」
堪えられなくてあたしは声を荒げて、言葉を遮った。手が震えそうになるのを抑え、あたしはほむらの前髪を撫でる。
「佐倉……さん……?」
ほむらはぼんやりとあたしを見上げていた。
「……ほむらは疲れてんだよ……。もう寝ろ」
頼むからもう……休んでくれ。そう願いを込めてあたしは手をずらし、ほむらの目をを覆う。
初めは戸惑っていたが、次第にほむらは落ち着き、次第に眠りへと落ちて行った。
例え、記憶を喪ってもどこかで覚えている。人の温もりを忘れたつもりでも、どこかに残っている。
ああ……本当だなって思った。
記憶が無くてもほむらは‘誰か’のことを求めていて、他人に興味が無いないつもりのあたしはそんなほむらを放って置けないでいる。
いっそ……本当に欠片もなく忘れることが出来れば楽なんだろう……あたしもほむらも。
でも、それはきっと本意じゃなくて……。苦しくても悲しくても、自分を形成するものなんだろうさ。
だからあたしは祈る。ほむらの生きる道が苦難に満ちたものでないことを。
ほむら自身が自分の人生を否定しないでいられることを。
ほむらが笑っていてくれれば、きっといつかあたしだって……。
二人きりの空間で、あたしはいつまでもほむらの髪を撫で続けていた。
*****杏子編第三章
ザーザーと雨の音がする。
「―――なぁー」
雨音に紛れて、小さな猫の鳴き声が聞こえてきた。心なしか頬に湿り気のある、ザラザラとした感触を感じる。
薄暗い橋の下、ダンボールを敷いて昼寝をしていたあたしは目を覚ます。すると、小さな黒猫があたしの頬を舐めていた。
そっと身体を起こし、傍にいた黒猫を撫でてやる。その身体は湿っていた。
「はははっ」
気持ちよさそうに目を瞑る黒猫。その様子は誰かに彷彿としている。つい笑いを零した。
黒猫から手を離して橋の外を見る。打ち付けるような雨粒が橋下にまで入り込もうとしていた。
吹いた風の寒さに身を震わせる。今日は冷え込むようだった。
今日はやけに寒いな。そんなあたしの思いを知ったかのように、黒猫が擦り寄ってくる。ぴたりと身体を胡坐を掻くあたしに密着させて丸まった。
……ほむらのやつ、体調崩していないといいけどな。
あたしがナースコールをしたあの後、ほむらは熱を出したそうだ。
次の日、見舞い行ったマミの話によると、そこでも体調が悪いのに誤魔化そうとしていたらしい。
やっぱりこれも不眠が原因だったので、寝かせようとしたが聞こうとしなかったようだ。
このままだといつまで経っても復調しないので、無理矢理寝かしつけたとのこと。
あまりにも酷い様だったら睡眠薬の投薬も視野に入れる必要があるとまで言われているそうだ。
ちらりと黒猫を見ると、欠伸をしてから眠りに就こうとしていた。ほむらもお前みたいに眠れたらいいんだけどさ。
黒猫を起こさない様に気を付けながら、脇に置いてあった袋から菓子パンとジュースを取り出す。
猫の温もりを感じつつ、あたしは飲み食いしながら橋の外を眺める。
いつまでそうしていただろうか……。暗い空が更に暗さを増し、もうすぐ夜になるだろうという時間帯になったとき変化は訪れた。
寄り添って眠っていた黒猫の耳がピクリと動く。のろりと立ち上がったかと思うと、逃げるように去って行った。
それと同時に逆方向から地面を踏む音が近寄ってくる。じっと見ていると、そこから傘を差した見滝原中学校の生徒が雨の中から現れた。
「あ!やっぱり杏子かー!そこで何やってんのー?」
さやかが騒がしく駆け寄ってくる。
折角、黒猫とまったり過ごしていたのに邪魔をされてしまった。
こっそり舌打ちしたあたしは立ち上がり、荷物をまとめて立ち上がる。ダンボールは湿気ているから放置だ。
「……雨宿りしてんだよ。何か文句ある?」
昼寝しようと思ったタイミングで雲行きが怪しかったから橋の下に居たら、本当に降られたのが事実だけど。
雨が当たらない場所まで近づいたさやかは傘を畳み、あたしの傍に落ち着いた。あたしは手元に抱えた袋から菓子を取り出し食らう。
「いやいや、来たらあんたが居たから声かけただけだって」
突っかかるような物言いをさやかは笑い飛ばした。以前のさやかなら不機嫌になっていたのに、近頃はこんな態度だ。
「ふ~ん?何でわざわざこんなとこに来たわけ?」
ここはさやかが通う見滝原中学校への通学路から丁度死角になっている。かといって、雨の日にわざわざ来るような場所でもない。
この様子だとあたしを探していた訳でも無さそうだし、不審なレベルだろう。
あたしの質問にさやかは少し悩むような素振りを見せる。
「ん~。何でって言われてもなぁ」
首を傾げられてもあたしが分かるはずもない。
「そうだね。敢えて言うなら、人探し?」
「……坊やか?」
所在の知れない惚れた相手を探す、ということはあるかもしれない。もっとも相手は幼馴染なんだから、直接連絡を取った方が早いだろう。
……バイオリンの練習の邪魔になるからって、家の前で引き返すようなさやかが出来るとは思えないが。
坊や、と口にした瞬間さやかは僅かに顔を歪ませたが、何もなかったかのように笑っていた。
「違うよ。ただ……変な話なんだけどさー。あたし自身、誰なのか分かんなくってね」
その言葉にあたしは思わず眉をひそめる。
「はあ?」
「身近で大切な‘誰か’が居たってことは何となく分かるんだけど……それ以外は全く。こりゃあ参った」
「何だそりゃ。……ふざけてんのか?」
「ち…違うって!本当に分かんないの!何ていうか、その子のことだけがすっぽり抜け落ちたみたいに!」
至極真面目だったらしい。
「あのなぁ。そんなことがそうあるわけ……」
最近同じようなことが無かったか?
――大切な誰かが居たはずなのに、私は覚えてないんです。
ああ…そうか。ほむらだ。ほむらが言ってたじゃんか……。
記憶を失っても尚、大切だと分かる存在が居たって。その所為で夜もまともに眠れないぐらい苦しんでんじゃねぇか……。
泣きそうなのを堪えて、堪えようとして身を壊しかけた孤独な少女の姿が浮かぶ。
一旦浮かんでしまうとなかなか消えなくて、何故か目の前で笑う少女と姿が重なった。
「杏子?」
意識が逸れてしまったあたしに気付いて、さやかが覗き込む。そこでようやく、さやかの様子がいつもに比べて大人しいことに気付いた。
「何でもねぇ。それよりさ……さやか、あんた何があった?」
さやかの表情が固まる。それから目に見えて狼狽したことで、空元気だったことを確信した。
「えと、その」
誤魔化そうとしているのか、落ち着きが無い。目をそらしたり、頬を掻いたりとしていた。
「さやか」
呼びかけると、さやかは負けたように息を吐いて笑顔を繕うのを辞めた。
「……何で気付いちゃうかなぁ。杏子には関係ない話だから言うつもりなかったのに」
雨が降らせる空を見上げながら、さやかは嘆息する。
あたしも並んで空を見上げる。止む様子はなく、雨脚は強くなる。その中を一羽の鳥が通っていった。
食べていた菓子が無くなったので、次を取り出して口に運ぶ。黙してあたしはさやかの続きを待った。
「一昨日……さ。仁美に、恭介に告白するから一日待つって言われたんだ」
ポツリとさやかが話し始める。
告白しろ……ってことか。惚れただの腫れただので一喜一憂できる余裕が、あたしらにすれば羨ましいぐらいだけどな。
何せ、あたしもマミも日々の生活で一杯一杯だ。ほむらに至ってはその生活すら怪しいところがあるし。まあ、そんなことは今はどうでもいいけど。
「でもあたしはこんな体でさ……好きなんて言えなかった。……言えるわけない。だってあたし、ゾンビなんだもん。
抱きしめてしめてなんて言えない……。キスしてなんて言えない……。そうしたら恭介を仁美に……!」
さやかが咽ぶ。
「仁美を助けたこととか、恭介の手を治したこととか後悔しそうになって。
でもそんなことしたらあたしが魔法少女になった意味ってなんだったろう……とか嫌な考えで頭がぐちゃぐちゃになっちゃった。
そんな気持ちでさ、一人で帰ると居場所がないような気がしてさ。……うろついてたら、白い魔法少女がここに行けって」
爆発しそうな感情を抑えるように、詰まりながらもさやかは説明した。
「……そうか」
俯き泣くさやかの頭に手を乗せて撫でた。
居場所……か。あたしもほむらと出会わなかったら、自分の為だけに生きる魔法少女として放浪を続けていたんだろう。
自分を偽ったまま、自分本位で生きていくんだって。誰かのために戦うのはバカのすることだって、自分に言い聞かせていたに違いない。
たった一人でいい。たった一つの笑顔、そいつを守るために戦うのも悪くないって……思い出したんだ。
「なぁ、さやか。一つ、昔話をするぞ」
あたしは語る。自分の過去を。魔法少女になったできごとと、それに付随して起こった出来事を。
父さんと一緒に世界の裏側から守るんだって意気込んでいた当時の話。でも、それは逆に父さんを無理心中に追い込んだ。
だからあたしはもう他人の為に魔法を使わないって決めた。そこまでの一連の流れをさやかに話した。
「あたしもさ、あんたと同様他人の為に祈った。正義の味方に憧れてた時期もあった。あんたは……昔のあたしだ」
「杏子……」
「そして今のあんたは、あたしが憧れていた本当の姿なんだ。
だから魔法少女として生きる意味が分からないって言うなら、あたしの為に生きてくれ。
あたしたちと一緒に、この町を、恭介っていう少年が居るこの町を守って欲しい。
居場所が無いって言うなら、あたしがあんたの居場所になる。……それじゃダメか?」
本心を曝け出したあたしは手を差し出す。さやかはその手をじっと見つめていた。
「……ふふふ。あははははっ」
急に笑い出したさやか。驚いてあたしはビクリと身体を震わせた。そんなあたしの前でさやかは爆笑する。
「なんだよ」
「ま……まさか、あんたにそんなこと言われると思ってなかったわ」
一しきり笑ったさやかは、零れた涙を手で拭う。顔を上げたさやかはすっきりとした表情をしていた。
「でも、ありがとう……杏子」
そう言って、晴れ晴れとした表情でさやかはあたしの手を取ったのだった。
大切なものがどんどん増えていく。捨てたと思っていたものが次々と見えてくる。あたしは正義なんて柄じゃない……そう思っていたけど。
本当は正義の味方でいたかったんだって思い出した。
ほむらはどうだろう……。形の見えない大切な‘誰か’だけを想い続けていたんだろうか?
そうだったら辛いよな。寂しいよな。まして届かないものだってことになったら――。
その時は言ってやろう。自暴自棄になったりしたら引っ叩いてやろう。独りじゃないんだって。自分一人で抱える必要なんかない。
あたしたちも一緒に悩んでやる。ちゃんとした結論を出せるそのときまで、あたしたちが居てやる。嫌だと言っても傍に居てやるんだって決めた。
今は取りあえず、目の前の傷心者が立ち直れるまで付き合おうことにするのだった。
****杏子編第四章
温かな日差しの差す廊下。人の気配が無いことを確認して窓から侵入する。それから正面にあるドアに耳を当て、中に来客が無いことを確信してドアを開けた。
「ほむら」
部屋の主である、赤縁眼鏡を掛けた少女はあたしの呼びかけに反応して顔を上げる。
「佐倉さんっ」
ぱぁと花が咲いたように笑顔になって、いつもの如く椅子をベッドの脇に寄せるあたしを歓迎した。手元の本を閉じて傍らに移動させるのも自然だった。
「調子は良さそうじゃん」
ほむらの前髪を分け、コツンと額同士を接触させて熱を確かめる。ほむらの平熱は少し低い。問題はない。
ほむらが体調を誤魔化したあの時以来、ここまでがいつもの流れであった。
「はい。この様子なら来週には退院できるそうです」
恥ずかしげにあたしを見詰めながら微笑む。この熱の測り方にも大分慣れたようで、顔を逸らそうとしなくなった。
初期は湯気が出るんじゃないかと思うほど顔を真っ赤にして、逃げようとしてたからな。
「へぇ…良かったじゃん」
喜ぶ姿にこっちも嬉しくなる。
恐れていたほどの後遺症はなかったが、初期の不眠状態で回復が遅れて心配されていた。
その不眠状態もいつの間にか治ったようで、リハビリの開始が少し遅れただけで済んだらしい。以降の経過は非常に良好ということで喜ばしい限りだ。
「で、記憶の方はどうなのさ?」
あたしの質問に、ほむらの表情が陰る。
「……そちらは全くですね。ごめんなさい」
申し訳なさそうにしょ気た。そこまで沈まれるとこっちが辛いんだけど。
目覚めた後に現状を聞かされて以来、ほむらはずっと引け目を感じているようだ。
記憶喪失で済んだ分良好だし、そもそもほむらが目覚めることすら医学的に見れば奇跡の範疇だ。
数年間ずっと傍に居たマミも、ほむらが今こうして起きて動いている事実を純粋に喜んでいる。
「気にすんな」
項垂れるほむらの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。すると安心したのか、笑顔が零れる。その様子はまるで甘える仔猫のようだった。あたしは目を細める。
こういう姿を見ると、守ってやらなきゃと思う。
か細い体で、誰一人も知り合いがいない世界に目覚めた少女。あらゆるものに取り残された境遇は、あたしのようで。
でもそこにある無邪気な笑顔は、かつてあたしが守りたかった温もりに似ていて。
そう……さやかが過去のあたしなら、ほむらは喪った妹。モモのような存在だった。
「おお~!やってるねぇ」
穏やかな空気をぶち壊す元気な声。ビクリと身体を震わせ、音を立てながら立ち上がって入口を見る。
思った通り、さやかがあたしたちを見てにやけている。その隣ではマミがクスリと微笑んでいた。
厄介なところ見られた。そう思って内心舌打ちをする。
「……っ!」
ほむらは怯え気味にあたしを壁に隠れようとした。ベッドの上だから少し動いた程度だが。その反応にあたしたちは苦笑する。
「だ……誰ですか?」
怯えてはいるが視線はきちんとさやかに向いていた。って、さやかとまだ会わせてなかったか?
「あれ?あたし自己紹介まだだっけ?」
さやかも同じこと考えたのか首を傾げた。
ほむらが目覚めたときはさやかも部屋を覗いていた。あの日聞いたバイオリンはさやかの幼馴染が屋上で弾いていたとのこと。
その関係でほむらのことが瞬く間に伝わったようだった。
あと、さやかがほむらと一度廊下で逢ったようなことを言ってた気がするけど……多分この様子だとほむらは覚えてないな。
ほむらが眼鏡をかける前の話だし、まともに見えていなかっただろう。無理もないか。
「は……はい」
「ハハ……。それはゴメン。あたしは美樹さやか。よろしくね!」
後ろ手で頭を掻きながら歩み寄ったさやか。そっとほむらに手を差し出した。
「あ……暁美ほむら……です。よ、よろしくお願いします」
躊躇いつつも、ほむらはきちんと握り返した。
「美樹さんは暁美さんと同い年なのよ」
マミが情報を付け加える。そうか。マミの一つ下なんだから当然さやかとは同じ学年になるわけだよな。
「そ……そうなんですか?」
「ええ」
マミの微笑みにほむらは警戒を緩める。チラリとあたしの方を見るので頷いてやると、小さく息を吐いていた。
「そういえば、これどこに置けばいいの?」
さやかが重そうな手提げを持ち上げる。覗き込むと分厚いファイルが数冊入っていた。
「えと……何でしょう?」
尋ねられたほむらが首を傾げている。
「うちの学校の試験の過去問。マミさんに問題集頼んだって聞いて。友達にリストアップしてた子がいたから……コピー貰って来たんだ」
友達。その単語で一瞬だけさやかの表情が固まる。……仁美とかいうお嬢様か。
切欠があればどうにか話しかけれる程度には立ち直って来たらしい。それでもまだ、吹っ切った訳じゃないか……。
「え?そこまで?何だか……ごめんなさい」
ほむらは恐縮しきっている。初対面の相手にそこまでさせたのが申し訳ないんだろう。だけどそこで謝るのは間違いだ。
「こら。そういうときは『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』って言ってやんな」
拳を作ってほむらの頭を軽く突いた。
「あ……はい。ありがとうございます」
ほむらは気づいたように顔を上げ、笑顔で礼を言いながら頭を下げる。手提げはさやかからマミへと手渡されていた。
「う、うん。どうしたしまして」
ほむらの態度の変化に目を見張っていたが、さやかは照れたように笑った。もう大丈夫だな。そう判断してあたしはそっとほむらの傍から離れた。
「そうだ!CD持ってきたんだけど。クラッシックとか聴く?」
「は、はい」
さやかが話題を振って、ほむらがそれに応える。主導権をさやかが握ることで、二人の対話はそれなりに弾んでいた。
あたしだとゲームとか、サバイバル生活とかになるし。マミは何かと世話焼きが過ぎて、ほむらの身の回りのことが多いし。
それを考えるとさやかの話は新鮮だろう。
二人の様子を壁に凭れ掛かって見守っていると、荷物整理を終えたマミが静かに横に立った。
「すっかり仲良しね」
「そうだな」
視線は楽しげな二人に向けている。
ほむらの表情はまだ硬いが、それもすぐに解れるだろう。
「あら?私はあなたのことを言ったのだけれど」
横目であたしを見るマミ。
「そうかい?」
「うん。佐倉さん……今とても優しい眼をしているわ」
からかわれているのかと思ったがそうでもないらしい。マミはしんみりと微笑んでいた。
優しい眼……ねぇ。
「暁美さんもあなたの話するときが一番輝いてるし……妬けちゃうわね」
少し意地悪な笑みを作るマミ。
「何言ってんの? 大体あたしたちを会わせたのはマミじゃねぇかよ」
呆れ気味にあたしは零した。マミはおそらく冗談半分、本気半分だ。ほむらを見詰めるマミの眼も他人のこと言えないぐらいに柔らかい。
あたしの態度にマミは小さく笑う。
「ふふっ。良かったと思うわ。ありがとう」
あたしに姉のような、母のような笑みを向けた。マミにこんな表情を向けられたのは本当に久しぶりだな。
最近はそうでもないが、再会してからは陰りある表情ばかりだった。
マミの信頼を裏切ったとも言える立場だし、素直に接することができなくなったのが原因だろうけど。……久しぶりすぎて照れてしまった。真正面から見れない。
「それよりさー、何であたしを会わせようと思ったわけ?」
気持ちを誤魔化すかのように疑問をぶつける。
最初ははぐらかされたが、今なら話してもらえるような気がした。
「そうね。一つは暁美さんに予兆があったから」
「予兆?」
「ええ。キュゥべえの話だけれど……。事故後、暁美さんの素質が増え続けていたらしいわ」
思わず眉をひそめる。ここでキュゥべえが出てくるとは予想外だった。
マミからほむらは魔法少女のことを知らないと聞いていた。それですっかりほむらには魔法少女の素質が無いんだとばかり思っていたのだ。
「魔法少女の素質って、確か背負い込んだ因果の量で決まるとか言ってたよな?」
過去に興味本位で聞いたら、そういう答えが返ってきた気がする。眠っているだけで増えるものなのか……?
「そう言ってたわね。その因果の増加が最近になって終わった。だから目覚めが近いかもしれない、って言われてたのよ」
「で、その通りだったわけ……と。つーか、キュゥべえに狙われてんのかよ。どれだけあるんだ?ほむらの素質は」
キュゥべえは魔法少女を増やそうとする。その関係でほむらをチェックしていたに違いない。……厄介だな。マミも同じ想いなのか複雑そうに息を吐いた。
「以前、『ジャンヌ・ダルク』並みにはあるとか言ってたの」
「え?……なっ!?」
ジャンヌ・ダルクって…あの『ジャンヌ・ダルク』か!?
聖女として名が残る『ジャンヌ・ダルク』が魔法少女だったのは納得できるけど、それに匹敵する因果のほむらって……?
途方もない話に顔が引きつった。
「しかもそれ、一年以上前の話よ?今はどうなっているか考えるだけでも恐ろしいわよ……」
マミは深い溜息を吐いた。いかにもキュゥべえが執着しそうな人材だ。寧ろ今この場に現れないのが不気味だ……。現れたら速攻ぶっ潰すけどな。
「本当にほむらはキュゥべえを知らないのか?」
「それは間違いないわ。ちゃんと確認とったし、会ったら私かあなたに教えるように言ってあるもの」
そこまでしてるなら、ほむらは本当にキュゥべえを知らないだろう。
一先ず安心する。知らないうちに契約している、なんてことが起こる可能性は少なそうだ。
「……ほむらを魔法少女にさせる気はねぇんだよな?」
キュゥべえの言うことが本当ならほむらは誰よりも強い魔法少女になれるだろう。
ソウルジェムの仕組みをしっているから契約に対して消極的だが、それでも仲間が欲しいと考える気持ちがどこかにあることを恐れていた。
「ずっと眠っていた子に、どうして戦わせたいと思うのよ……」
マミは辛そうに言った。
ほむらをやけに気にかけているとは思った。だけどそれは昔馴染みという理由だけじゃないのかもしれない。
もっと深刻な……そう罪の意識に苛まされている。そんな風に見えた。
「ならいいさ」
ほむらには普通の少女として生きて欲しい。それがあたしとマミの共有する感覚だと知れただけで充分だろう。
「あいつはこんな世界に来るべきじゃない」
初対面の相手に怯えるほど気が弱いんだ。身体だってずっと寝込んでいたから強くない。そんな奴が無理して戦う必要なんかないさ。
「うん。私もそう思う」
マミも頷いた。
話に一区切りついたのか、ほむらがあたしを見ている。呼びたいけど遠慮している顔だ。すっかりあたしに頼る癖が着いたらしい。おちおち離れられもしない。
「ふふ。行ってあげないの?」
からかうように笑うマミ。他人ごとだと思って楽しんでやがるな。
「はぁ。仕方ねぇな」
返事もそこそこに歩き出す。マミの反応は少々癪だが、不安げなほむらを放っておけない。
ほら……あたしが来るのを確認しただけで嬉しそうにしてさ。こんな風に懐かれて、突き放せるわけねぇだろ。
頬が緩むのを自覚しながら、あたしはほむらの頭を撫でるのだった。
ずっと忘れていた温もりがあった。求める理想の形があった。想いを共にする仲間が居た。
一度はバラバラになったそれらを繋ぎ止めたのは、純粋に慕ってくれる同じ年頃の少女。あたしと同様で、多くの物を一度に失った、ほむらという存在だった。
そして、あたしたちにとっては平穏な世界の象徴でもあったんだ。
度々修正することになって申し訳ありません。
次回はちゃんとマミ編を投下します。一回目の投下が空くかもしれませんが、こちらは数章同時投下していこうと思います。あわよくば、映画の新作公開前(後)には、ほむら編に入れるように……と。
そういえば、映画(再編集版)をまだ見てない……。
修正版まとめ-----------
【鹿目まどか 編】あなたにもう一度
>>2 >>189-205
【佐倉杏子 編】Dear little sisters
>>207-208 >>80 >>209-221 >>148-150 >>159-161 >>166-168 >>173-177 >>185-186 >>180
マミ編の本編投下します。
Cara piccola sorella
[巴マミ 編]
****第一章
ある日のこと、新しい家族が増えると聞いた。
両親の友人の娘で年齢は私の一つ下。生まれつき心臓が弱かった彼女は手術を終え退院するらしい。
しかし彼女の両親は仕事で飛び回っており、面倒を見るのは厳しい。
だから代わりに我が家で経過を見守ることにしたそうだ。
突然のことで困惑し、最初は複雑な気分だった。
でも私の妹のような存在になるって言われたことで、一人っ子の私は期待に胸を膨らませるようになった。
そうやって待ちわびたその日、本人を目の前にして私は困惑したのだった。
「今日からしばらくこの家で暮らすことになった、暁美ほむらちゃんだ」
両親が連れ帰ったのは、長い黒髪を三つ編みのおさげにした少女。こちらを見る目つきが厳しく、睨んでいるようにも見えた。
初対面でこれだと先が思いやられそうね……。そう思った矢先のことである。
「あ……暁美、ほむら……です。……よろ……し……く」
緊張しているのか、気が弱いのか。少女はおどおどとしていた。
挨拶も最後の方は小さすぎて聞こえなかった。
口の動きからして「おねがいします」と続けたのは何となく読み取れたのだけれど。
敵視されたわけじゃないと知って安堵したものの、今度は違う意味で心配になる。私は内心で溜息をを吐いた。
当時、私の周りには人見知りするタイプが居なかったので、どう対応するべきか分からなかった。
だからといって見守る両親を頼るわけにもいかない。私の方がお姉さんなのだから、ここは私が頑張らないと……。
「巴マミです。よろしくね、暁美さん」
そう言って、私は笑顔で握手を求めてみる。暁美さんはじーと差し出された手を見詰めていた。
ダメかしら……。不安になって手を下げようとした時、暁美さんはおずおずと私の手を握り返してくれた。
「よろしくお願いします。……マミさん」
暁美さんが少し緊張の解けた笑みを零した。花の蕾が開いたような、可愛らしい笑顔。それを見た瞬間私の中にあった不安は跡形なく吹き飛んだのだった。
「ええ!」
私も自然に頬が緩んだ。
これからこの子と一緒に暮らすのだ……そう思ってワクワクした。
朝一緒に登校して、家ではお茶や勉強を一緒にする。
休日に出かけるのもいいだろう。暁美さんが良いのなら、昼休みや放課後だって出来ることは沢山ある。
病院の外で過ごすのは久しぶりだというのだから、暁美さんは些細なことで一喜一憂するに違いない。
「でも……これから一緒に暮らすんだから、まず敬語は辞めようね? ほむらちゃん」
私の言葉に、ほむらちゃんがキョトンとする。それから「頑張ります」と笑った。
うん。私たちは家族になれる。姉妹のように仲良くなれる……そう思えた。
そう思っていたのに……現実は厳しかった。
これから共に過ごす新しい家族との交流会。それを兼ねて外食に向かう途中に起こった交通事故。
周囲は火に包まれ、正面からの衝突によって車の前方は瓦礫に。両親の座席は面影も残らない。
私たち子どもは後部座席に居たから即死を免れたという、悲惨な事故だった。
「ほむらちゃん」
全身の激痛を我慢して、隣に座っていた少女を引き寄せる。私以上にその身体はボロボロで、呼吸も弱弱しかった。
「ほむらちゃん……っ!」
胸に抱いて呼びかけても反応は無い。それどころか、呼吸は弱くなっていくばかり。抱きしめる腕の力が強くなる。
「誰か……だれか助けて」
目の前の命が消えていく。その心細さと恐怖に私は涙が零れ落ちた。両親を喪っているのに、胸の中の少女にまで置いて逝かれたくない。
〈巴マミだね〉
突如掛けられた、頭に響くような声に驚いて涙が引いた。身体が軋むのを我慢して、頭を上げる。
白い猫のような不思議な生物がそこに居た。キュゥべえという名前だそうだ。
キュゥべえは私が契約して、魔法少女になれば私たちが助かると言う。逆に言えば、無契約で助かる術はない。
救出は遅くなるし、そもそもそれを待てるだけの時間が私たち二人に残されていない現状を、キュゥべえは突きつけた。
選択肢なんて無かった。それでも構わない……助かるなら。私はキュゥべえと契約して魔法少女になったのだ。
結果だけ言えば、私たちは生きることが生き残ったわ。だけれど、ほむらちゃんは……暁美さんはずっと眠り続けている。
お医者さんによると、身体的損傷は殆ど無くて、事故の悲惨さから考えれば良好らしい。
私の祈りは暁美さんの身体を癒すことは出来ても、意識までは及ばなかった……そういう事なのかもしれない。
私は……彼女を助けることが出来なかった。
「マミちゃん。いつもありがとうね」
暁美さんのご両親に礼を言われるたびに胸が痛む。今の私にできることは、見舞い、語りかけることだけだから。
私の両親が起こした交通事故が原因で眠り続けているのに。私の祈りは彼女を救えなかったのに。どうして私が礼を言われるの……?
「いえ。私が望んでしていることですから」
私は感情を抑えて笑顔を取り繕う。
事故で両親を喪った後、暁美さんのご両親が後見人となってくれた。
おかげで私は今も両親と過ごした部屋で暮らしている。生活費も大分負担して貰っていることだって知っている。暁美さんのご両院に私はとても感謝していた。
暁美さんのご両親は相変わらず忙しそうで、私が週数回暁美さんの病室に出入りしていても会う機会はあまり無い。
多分病院の人にでも私の様子を聞いているのだろう。暁美さんのご両親は会う度に、心配げに私を見ていた。
〈マミ〉
病院から出たタイミングで現れたキュゥべえが私の肩に乗る。
〈何かしら?〉
軽く周囲に人が居ないのを確認してから、キュゥべえの頭を撫でた。
キュゥべえって普通の人には見えないから、以前ギョッとされたのよね……。
〈暁美ほむらは何者なんだい?〉
私の眉が寄る。キュゥべえが暁美さんに興味を持つとは思わなかったから。私の祈りに対して目覚めなかったことに首を傾げても、それだけだったのに。
〈特に何も知らないけど……それはどういう意味かしら?〉
先天性の心臓の欠陥以外に特筆することは無いと聞いている。その心臓も顔合わせをした時点で治療済だった。
そもそもキュゥべえがそんなこと知りたがるかしら? 質問の意図が分からないわ。
〈事故後、暁美ほむらの因果が急激な増加を続けている。今では以前の数倍に膨れ上がっているんだ〉
〈え? 因果ってそんなに増えるものなの?〉
魔法少女の素質になる因果。どれだけ世界に影響を及ぼしたか……そういうものでなかったか?
眠っているだけでそんなに変化するものかしら?
〈普通は無いね。一国の女王でもそこまで大きくは変動しない。ここまで規模が大きいのは前例が無いよ〉
思った以上に異常だったみたいね……。
〈暁美ほむら自身に要因があるのは確かだ。だけど引き金になったのはおそらくマミ、君の祈りだろう〉
〈……え?〉
私は思わず目を開いて肩に居るキュゥべえを見る。私の祈りがどうして?
〈君の祈りは命を『繋ぎとめる』ことだった。もしその祈りが無ければ、暁美ほむらは生を終えていた筈なんだ〉
そう……私はキュゥべえに私たちを助けてほしいと願った。確かに『命を繋ぎとめる』祈りと言えるわね。
そしてその契約が無ければ、暁美さんは間違いなくあの場で命を落としていた。
〈その際に他の因果、例えば『異なる時間軸の暁美ほむら』の因果を『この時間軸の暁美ほむら』に『繋いだ』とかは考えられないかい?〉
もっともただの例でしか無い、とキュゥべえは繋げた。この一例に挙げたのも、因果が繋げられる可能性としては似て非なる存在が一番高いという判断の元らしい。
〈……ありえるのかしら……そんなこと〉
私は他の時間軸に干渉したり、因果を増やすような祈りをした訳じゃないわ。
私以外の誰かが暁美さんに干渉した? いえ、それならキュゥべえが言及するでしょうし……。
キュゥべえに把握できない範囲での干渉と言うなら、他時間軸ぐらいしかない……ってことよね。
〈現状からは何とも言えないね。君自身には影響が見られないし、暁美ほむらに主な要因があると考えた方が良さそうだ〉
『命を繋ぎとめる』祈りをした者自体は少なくないが、今回のような事例はなかったようだ。
暁美さんだけが要因なら、事故を境に因果が増加したのは説明ができないし、私の祈りによって何かしら作用したと言うのは妥当である。
そうなると今度は暁美さんの因果の量が気になるものだ。
〈そういえば、暁美さんの因果って今どのくらいかしら?〉
〈説明するのは難しいよ。君たちが知ってる範囲になると……そうだね、ジャンヌ・ダルク相当ってところかな〉
予想外の単語に私の動きが止まった。
ジャンヌ・ダルク――十五世紀に活躍した聖女。僅か十九歳で処刑されるまでに武将としても、託宣を告げる者としても活躍した少女。
そんな歴史上の人物に相当する因果を暁美さんが持っている? 私は顔を青ざめた。
〈暁美ほむらは異例尽くしだね。この様子なら、まだ目覚める可能性もありそうだ〉
言うだけ言って、キュゥべえは去って行った。
暁美さんの目覚めを望んでいたのに、素直に喜ぶことが出来ない。
膨大な量の因果を背負った状態で目覚めて……暁美さんは幸せになれるの?
歴史上でも偉人は、悲劇に塗れていることが少なくないのに……。
キュゥべえが例えた『ジャンヌ・ダルク』だって悲惨な最期を迎えたのよ?
このまま目覚めない方が暁美さんにとっては幸福かもしれない……。
彼女の命を繋ぎとめる祈りをした私は自嘲するのだった。
私は彼女に生きて欲しかった。
一緒に生きて、一緒に笑って。そんな日常が欲しかったの。
ただそれだけだったのに……私の祈りは彼女の人生を歪ませてしまったわ。
ねぇ……私はどうすればよかったの?
……どうすれば私は彼女に償えますか?
私は空の向こうに居るかもしれない神様に問いかけたのだった。
今回はここまで。マミ編は本編開始より前の時間で改変されていますが、特に説明が無い部分に関しては、基本アニメとPSPゲーム準拠だと思って下さい。違う点は追々説明していきます。
この期に及んで原作準拠()とか頭湧いてんのか?
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