真「ボクは雪歩の何になれるのか」 (43)

そこそこ、多少、あまり、少しは、いやまったく無名の芸能事務所、
765プロダクションに所属してから三か月ちょっと。

そこそこ有名な他の事務所のアイドルのバックダンサーや、ドラマのエキストラなど、
小さい仕事をコンスタントにこなしている。
アイドルらしい仕事はまだしたことがない。

もう少し仕事っぽい仕事は無いんですか?
質問すると、『無いことも無いけど、後々、楽だから』と短く返ってきた。

ちっともアイドルっぽくないです。
口を尖らせてみるけど、プロデューサーは取りあう気が無いらしく、
あーとも、うーともつかないうめき声を一度あげて、後は黙り込んだ。

プロデューサーはいつもこんな調子だった。

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ボクはレッスンは休まず受けるし、バックダンサーもエキストラも小さくたって立派な仕事だから全力を尽くす。
だけど、何となく先の見えないアイドルとしての活動に、
早くも不安というか焦りというか、怯え始めていた。

プロデューサーにちゃんと訊いてみよう。返答によっては、
アイドルを続けるかどうか相談もした方がいいかもしれない。
気が早いかもしれないけど、ボクは永久に十六歳ってわけじゃないから。
そう考えていた矢先に、プロデューサーからデビューを言い渡された。

レッスンの後、プロデューサーに呼ばれて、意気込んでデスクの前まで行った。
だから、何となく拍子抜けしちゃって、デビューまでの日程決めたよ、
と待ち焦がれていたはずの言葉を聞いて、はあ、と間抜けな返事をした。

プロデューサーは机の上に広げられた企画書の一つ一つを指差して、丁寧に説明をしてくれた。
無口で無愛想で大雑把っていうのが、ボクの中のプロデューサーのイメージだったから、ちょっと意外だった。

ボク一人でデビューするんじゃなくて、二人組としてデビューするらしい。
プロデューサーにボクと組む予定のもう一人の娘のことを聞いた。

彼女はこの事務所の面接を受けて見事合格したが、改めて話を聞くと両親に黙って面接を受けたみたいだった。
親の許可なしでアイドル活動はさせられないと合格を取り消したが、
先週、両親、特に父親と大喧嘩の末、やっと両親に許可を貰って再度面接を受け、
正式にこの事務所に所属が決まったらしい。

話を聞くと中々ガッツのありそうな娘だった。

彼女がやってくるまでの二日間は色々想像を巡らしていた。
ボクも両親とは揉めたけど、黙って面接を受けるような無鉄砲なことはしなかったし、
取り消されても改めて再面接を受ける根性は正直敵わない気がした。

当日、プロデューサーに連れられてきたその娘は、ボクの考えていたような娘じゃなくて、
儚げで弱弱しくて、すごく綺麗な娘だった。

「こちら萩原雪歩さん。君とコンビ……って言うと芸人みたいだな。
 この間話した、ユニットを組んで一緒に活動する予定の子。萩原さん、うちの事務所の菊地真」

「は、は、は、はいぃ……よ、よ、よろしくお願いしますぅ」

折角の整った女らしい顔立ちが、冷や汗とあっちこっちに泳ぎ回る目とで崩れていた。
かなり挙動不審な彼女だったけど、いきなり嫌な顔をするのも悪いし、気にしない素振りを見せる。

「こちらこそよろしく」

彼女は差し出したボクの手を見て、凍りついた。口をパクパクとさせて、一層おどおどとした。
一粒、彼女の頬を汗が撫でたとき、プロデューサーが彼女に小声で言った。

「萩原さん、菊地さんは女の子だよ」

えっ、とちょっと驚いて、じろじろとボクの顔やら全身を見て、ようやくおずおずとボクの手を握った。
彼女の手は自分よりいくらか柔かくて、ちょっと乱暴されたらすぐに壊れてしまいそうだった。

それから簡単に自己紹介を済ませ、彼女はプロデューサーから色々と説明を受けた後、
ボクのレッスンの見学を見学していった。

彼女が帰ってから、ボクはプロデューサーに文句を言った。主に彼女の態度とかについて。
男に間違えられるのは今まで珍しくは無かったけど、彼女には殊更腹が立った。なんとなく。

「萩原さん、男性恐怖症らしくて」

「ならなおさら!あらかじめ性別を言っておくとか……」

「分かると思ったんだけど」

「…………」

「俺が悪かったよ。これから二人でやっていくわけだし、
 萩原さんのことは大目に見てくれないかな」

「……分かってます」

分かってたら、わざわざ文句なんか言わないくせに。
一つ溜息をつき、乱暴に鞄を取った。

「……ボク、帰ります」

プロデューサーは送るよ、と机の上の車の鍵を掴んで立ち上がった。

ボクの返事も聞かずさっさと外へ出たプロデューサーの後を追い、
背中にありがとうございます、とお礼を言った。


次のレッスンから、萩原さんは練習に参加し始めた。
基礎の練習は教わりつつ、ボクと一緒に。曲に合わせて踊ったり、歌ったりはまだしない。
ダンスは未経験、歌はカラオケ程度、ということだったらしいけど、何より基礎体力の無さが問題だった。
トレーナーさんの呆れ顔が印象的だった。

毎日の基礎練習と体力作りが、萩原さんの最初の仕事になった。

萩原さんがレッスンに参加し始めて、三週間経った。
いつものレッスンをこなした後、二人で事務所のソファーでくつろいでいた。

「菊地さん、っていつもあれくらいできるの?」

あれくらい。
今日のレッスンで、トレーナーさんに言われ、萩原さんが躓いたところの手本を示した。
大して難しくない箇所だけど、萩原さんは失敗ばかりしていた。

「練習すれば、じきできるよ」

「そっか……」

彼女は小さく溜息をついて、何もないテーブルの上に視線を落とした。
その横顔に、思わずどきりとした。
ちょっと影のある表情をするだけでこんなにも画になるんだ。ずるい。

「……お茶でも飲む?ボク、淹れるよ」

どんよりとした萩原さんの周りの空気に居心地が悪かった。
彼女は顔を上げた。

「お茶なら、私が……」

「えっ、いやいいよいいよ、座ってて」

「美味しいお茶の淹れ方、知ってる?」

「淹れ方……えーと、茶葉を急須に入れてお湯を注ぐ」

「えへ……少しの工夫ですっごく美味しくなるんだよ。
 給湯室ってあっち?」

「う、うん……」

表情に少し明るさを戻した萩原さんはすくっと立ち上がった。
ボクもソファーから立ち、彼女を給湯室まで案内する。

「茶葉はこれ……急須どこに置いたかな」

「あ、これだね。ポットのお湯、空になってるから沸かさないと」

萩原さんは手慣れた様子でやかんに水を注ぎ、火にかけた。
しばらくすると、薄暗い給湯室にしゅんしゅんと音が響く。
やかんの口から不規則に白い蒸気が吐き出される

何故かお互い、無言だった。

萩原さんは頃合を見てやかんを火からおろし、ポットにゆっくりと熱湯を注いだ。
そして茶葉を急須に空け、ボクの方へ向き返り、口角を少し上げた。

「お茶を淹れるときはね、自由で救われてなきゃダメなんだよ」

どこかで聞いたことのある台詞だったけど、ボクは何も言わず、ただ彼女の手際を眺めていた。

急須にお湯を注いでからすぐに湯呑に注がないこと。茶葉が開くまで待つ。
濃さが偏るので少しずつ注ぎまわすこと。一つ一つ、注意と説明を交えながら。

ボクのいつものお茶の注ぎ方を見たら、卒倒するんじゃないかってくらい丁寧だった。

そして、萩原さんの指の動き一つ取っても、優雅で滑らかなものがあった。
何となく目で追っているうちに、彼女は二杯のお茶を汲み終えた。

彼女は湯呑を盆に載せてテーブルまで運んだ。

「……じゃあ、いただきます」

「どうぞ」

ソファーに並んで座って、湯呑を手に取る。萩原さんはじっとボクが先に呑むのを待っていた。
そういえば、初めて会ってから一週間くらいは、ある程度距離を置かないとまともに口が聞けなかったのに、
三週間という時間は意外と人を親密にさせられるんだな、とちょっと驚いた。

「熱いから気を付けて」

「わかってる」

ふーふーと息を吹きかける。淡い緑の水面に波紋が起きた。
湯呑を口に付け、ゆっくりと傾ける。

「ん……」

「どうかな」

一口飲み込んだボクの顔を覗きこんで、萩原さんはいつものおずおずとした口調ではなく、
ちょっと自信ありげに訊いた。

「……美味しいよ。萩原さん、すごいね」

素直に感じたままを言う。彼女はえへへ、と可愛らしく笑った。

「味が何て言うか、濃すぎず薄すぎず……淹れ方も全然違ってたし」

「菊地さんはよくお茶淹れるの?」

「うん。暇なときは。でも、薄かったり濃かったりするんだよね。
 あんまり美味しくないし」

「へぇ……」

萩原さんは自分の湯呑を口にあてて、ゆっくり飲んだ。
僅かに上下する喉をボクが見ているのに彼女は気付き、不思議そうに小首を傾げた。

ごまかすように、かねてから用意していた提案を彼女に差し出す。

「……萩原さんさ、その、今更かもしれないけど、ボクのこと呼び捨てて構わないからね。
 同い年なんだし」

「うん、分かった。ありがとう。えと……真ちゃん」

「ま、真ちゃん……」

くすぐったくて思わず苦笑いすると、萩原さんは少し慌てた。

「あ、ご、ごめん。嫌だった……?」

「嫌とかじゃなくて……初めてちゃん付けで呼ばれたから、あはは」

「そっか、なら良かったぁ。じゃあ、真ちゃんも私のこと名前で呼んでね」

ドキリと、身体が一瞬硬直した。
ボクが彼女の名前を呼ぶと、何となく、触れちゃいけないものに触れてしまうような気がした。

だけど、躊躇うボクの顔を覗く彼女の表情を、変な意地で暗くはしたくなかった。

「……雪歩」

「うん。よろしくね、真ちゃん」

後は不思議と会話が続かなくて、お互いにお茶を飲み終わるとすぐ帰った。
帰り道、一人で真ちゃん、真ちゃんと雪歩の声を反芻して、また苦笑いをした。
次に雪歩の名前を頭の中でなぞると、その苦笑いは歪む。
可憐な名前だ。ボクとは違う。

胸の下をぐるぐると鬱屈としたものが蠢くような気がした。
彼女が白くて綺麗な鳥なら、自分はさしずめ魚。

深いため息を吐き出すのと一緒に、雪歩のことも頭から追い出す。
考えれば考えるほど落ち込むなら、考えないのが最善の策だと思った。

改めて、雪歩と二人でアイドルをやっていくのを意識すると、
自分が何だか色々なものと不釣り合いなような気がした。

道を歩くうち、それを考えるのも止めにした。

今日はここまで。
遅筆だけどなるべく早く完結できるよう努力します。
プロデューサーは終始空気だと思います。
酉つけます。まこゆき。

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