ドラゴン「貴様は肉を食わないのだな」魔物使い「ベジタリアンなものでして」 (17)

鬱蒼と木々が生い茂る広大な森の奥深くで食料を探していたら、古びた洞窟を見つけた。
丁度、雨が降っていたので、これ幸いと雨宿りをするべく、その洞窟の中へと駆け込んだ。
すると、中からは何やら生き物の気配がした。

それは匂いであったり。
荒々しい息遣いであったり。
肌を焦がす熱気であった。

そしてそれら全てが、たまらなく怖かった。
危険を感じてすぐさま引き返そうとすると、洞窟の奥から地鳴りのような声が響いた。

「ここへ何をしに来た、人間」

人間とは、恐らく己のことだと推察する。
少なくとも、己以外の人間の姿は見えない。
この広大な森で暮らす人間は、己だけだ。
だから人間は自らの目的を、正直に話した。

「えっと……その、雨宿りしようと思いまして」
「嘘をつくな。財宝が目当てであろう」
「そ、そんな、めっそうもありません!」
「まあ、ここに財宝などありはしないがな」

身に覚えのない疑いを向けられ、青ざめた人間に対して、洞窟の奥から響く声の主はまるでその反応を楽しむかのように、嘲笑った。
そんな人を馬鹿にした態度に人間は憤りを覚えて、何か言い返すべきか、でもやっぱり怖いからやめておくべきか迷い、悩んでいると。

「雨宿りならば、奥でするがよい」
「えっ?」
「聞こえなかったのか? 近う寄れ」
「あ、はい」

近う寄れだなんて、まるでどこぞの王様みたいだなと思いながら、人間はその言葉に従った。
そして洞窟の最奥に悠然と横たわる、巨大なドラゴンの姿を見て、なるほどこれはたしかに王者の風格だと思い納得して、小便を漏らした。

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「……度し難い。よもや他所様の寝床に来るなり小便を漏らすなど、夢にも思わなかったぞ」
「ご、ごごご、ごめんなさぁい!?」

失禁した人間を、ドラゴンは咎めた。当然だ。
誰だって、たとえドラゴンだって怒るだろう。
しかし、激怒することはなく、呆れた溜息と共に焔を口から吐いて、地面の枯草を燃やした。

「うあっち! や、焼かないでください!」
「貴様など焼いたとしても小便臭くて食えん」
「あ、はい! おしっこ臭いので食べても美味しくありませんから、食べないでくださいっ!」
「だから、食わんと言っておるだろう。いいからさっさと、その火で小便を乾かせ」

ああ、なるほどと、人間は納得して。
いそいそと衣服を脱ぐ際、ちらちらドラゴンへ視線を送り、もじもじしながら妄言を吐いた。

「あの、そんなにマジマジと見られると……」
「貴様の貧相な身体になど、興味はない」
「あ、はい。ですよねー。でも、見ないでくれるとありがたいなーなんて言ってみたりして」
「興味などないと言っている」
「それはもう重々承知してますけど、むしろこっちが見られてドキドキしちゃいまして……」
「貴様……頭がおかしいのか?」
「あはは……昔、よく言われました」

乾いた笑い声が、虚しく洞窟内に響いた。
見下すドラゴンの大きな眼と、上目遣いの人間の小さな瞳が交錯し、しばらく見つめ合った。
そんな均衡を解いたのは、意外にもドラゴンの方で、やれやれと首を振り瞼を閉じてやった。

「これでよいか?」
「ありがとうございます、ドラゴンさん」

人間からの感謝の言葉。
それはドラゴンの長い生涯においてもほとんど経験がなく、ほんの少しだけ喜ばしかった。

「ドラゴンさん」
「なんだ?」
「すっぽんぽんになりました!」
「わざわざ言わなくていい」

人間が服を脱ぐ衣擦れの音が洞窟内にこだまして、そして鳴り止んだ。それだけでわかる。
せっかくだから雨に濡れた上着も乾かそうと考えた人間は、ドラゴンの前で全裸になった。
そんな自らの現状を、何故口にしたのだろう。

「すごく、ドキドキします」
「うるさい」
「未だ嘗てない、興奮状態であります!」
「黙れ」
「いえーい!」

人間は完全に痴れ者だった。
気配を察するに、ポーズを決めている。
様々なポーズを取って、興奮していた。

「ドラゴンさん、ドラゴンさん」
「なんだ?」
「漲ってきたー!」
「そんなことは、聞かずともわかる」
「え、もしかして、薄目を開けて見てます?」
「見ずともわかる。貴様のメス臭さでな」
「あー! なるほど! お鼻が良いんですね!」
「ああ、そうだ」
「そんなに匂います?」
「ああ、鼻が曲がりそうだ」

洞窟内に満ちる、淫靡な香り。
それに辟易とした様子のドラゴンに対して、人間は心底申し訳なさそうに、謝罪をした。

「変わり者で、申し訳ありません」
「何なんだ、お前は」
「ほんと、何なんでしょうね」

また、乾いた笑い声が洞窟内に虚しく響いた。
その笑みには間違いなく自嘲が含まれていて。
そんな変わり者に、ドラゴンは興味を抱いた。

「貴様は森で暮らしているのか?」
「あ、はい。独りで森に住んでます」
「何故、独りで森に住んでおるのだ?」
「いやー、実は人間の国から追放されまして」

事もなさげに、身の上を語る人間。
この変わり者は、国から追われた身らしい。
故に、この深き森の奥で暮らしていた。

「何故追われた?」
「悪癖が祟りまして」
「悪癖?」
「人外を愛しすぎてしまったのですよ」

なるほど、それは悪癖だとドラゴンは思った。
この世界には無数の愛の形があるが、人外に対するそれは禁忌とされ、絶対に許されない。
人間の国はそこかしこに数多存在するが、その罪はどこへ行ったとしても等しく裁かれる。
未だに命があるだけ、マシだと言えよう。

「まあ、追い出されたというよりもむしろこっちから出て行ったという方が正しいのですが」
「自ら国を捨てたと?」
「彼らは目の前で愛するものを奪いました。だから国を出ました。そしてこの森へ来ました」

人間の国の戒律に嫌気が差して。
自由を求めて、この人間は森に来た。
人外を自由に思う存分、愛するために。

「貴様は、狂っている」
「やっぱりそう思います?」
「ああ。だがしかし、それも貴様の自由だ」

ドラゴンは人間を愛さない。
むしろ、憎んでさえいる。
故に人外を愛する人間を狂っていると称した。
それでも、それを咎めることはない。

ドラゴンもかつて人間に愛された経験がある。
遠い遠いその昔の日々は、そう悪くなかった。
ドラゴンもまた、その人間を愛していた。
しかしその両者を引き裂いたのは人間だった。

故にドラゴンはもう、人間を愛さない。

「あなたも、涙を流すんですね」
「……お前まで、泣く必要はなかろう」
「あなたの悲しみが、よくわかるもので」

立場が違うだけで、境遇は似ていた。
人間はかつて、魔物使いを生業としていた。
それは珍しくはあっても、歴とした職業だ。
だが、この人間は常軌を逸していた。
魔物使いとは魔物で魔物を狩る職業である。
魔物同士を戦わせて、獲物を捕らえる。
そんな当たり前のことをこの人間は放棄した。

ただひたすらに、魔物を愛し、そして愛でた。
戦わせるなんて以ての外。大事に育てた。
魔物の食費の為に飲食店に勤めて皿洗いなどの下働きをする魔物使いなど、他に居なかった。

故に、周囲に気味悪がれて、迫害された。
様々な町や国を渡り歩いて、旅を続けた。
それでも結局、この人間の居場所はなかった。
共に暮らしていた魔物達を取り上げられて。
絶望に打ちひしがれた人間は、森へと入った。

「だからこの森が、最後の楽園なんです」
「しかし、森での暮らしは過酷だろう」
「いえいえとんでもありません! 天国です!」
「魔物に食われ、本当に天国へいくつもりか」
「それが本望ですけど……上手くいかなくて」

この森の中でその生涯を終えるつもりだった。
しかし、しぶとく生き残ってしまった。
人外を愛する人間を不気味に思うのはなにも他の人間だけでなく、森に生息する凶暴な魔物達もまた、この人間を気味悪がり食わなかった。

「道理だな。たしかに食欲は唆られん」
「はっきり言わないでくださいよぅ」

しかしドラゴンは疑問に思う。では何故、と。

「そのわりにはこの洞窟へと足を踏み入れた折、貴様は随分と命乞いをしていたな?」
「いや~いざとなると腰が引けちゃいまして」
「それもまた、道理だな。生物の本能だろう」

命ある限り、誰しも、命が惜しい。
命を捨てる覚悟はあっても、捨てきれない。
故に、ドラゴンも永きに渡り生き続けている。
その生存本能は時に醜く、時に美しかった。
目の前の命もまた、美しいと感じた。故に。

「拾った命だ。貰ってやろう」
「え、それってあなたのお嫁さんに……?」
「人間使いのドラゴンとして、飼ってやる」

そんな宣告をされて、人間は身を震わせた。
どうやら本気で怯えさせてしまったらしい。
そう思ってドラゴンは、ひとこと付け足した。

「冗談だ」
「えっ?」
「本気にしたか?」
「そ、そんなぁ~! 酷いですよっ!」
「揶揄って悪かったな」
「いやいや! そうではなくて!」
「む?」
「すごく嬉しかったのに、冗談なんて酷い!」
「嬉しかった、だと……?」
「はい! 嬉しすぎて、嬉ションをしました!」
「嬉、ション……?」
「ぬか喜びさせた責任を取ってください!」
「むう……?」

言われてみると、洞窟内にはたしかにせっかく薄れかけた小便の香りが再び充満しており、どうやら本当に此奴は喜びのあまり嬉ションとやらをしたらしいと察したドラゴンは改めて、やはりこの人間は頭がおかしいと思った。

「というわけで」
「どういうわけだ?」
「今日からあなたはご主人様ですので」
「ご、ご主人様……?」
「なんなりと、お命じください!」

そう言われてもドラゴンとしては返答に困る。

「あ、いけませんよ!」
「む? なんだ、いきなり」
「この物語はあくまでも全年齢対象の健全なお話なので、R18的なご命令は受け付けません!」
「唐突にわけのわからないことを抜かすな!」

いよいよもって頭が危篤状態となった人間を一喝して黙らせたドラゴンは、深々と溜息を吐いて、当たり障りのない命令を下した。

「とりあえず、服を着ろ」

随分と長話をしていたので、乾かしていた服は乾いているだろうと、そう促したのだが。

「嫌ですね」

キッパリと人間はその命令を拒否した。

「貴様……いい加減にしろよ?」
「飼育されている人間にも権利があります!」
「黙れ! そもそも貴様が健全な物語にせよと言うから、まずは服を着るように命じたのだ!」
「全裸が不健全だと誰が決めたのですか!」
「ああ言えばこう返しおって……ならばいつまで主人に目を閉じさせ続けるつもりだ!?」
「え、やっぱり見たいですか? 仕方ないなぁ」
「不健全な方向に持っていこうとするな!」

頭のおかしい人間の相手は、酷く疲れるということを、この日ドラゴンは思い知らされた。

「もう目を開けてもいいですよ」

再び、洞窟内に衣擦れの音がこだまして。
ようやく全裸の人間は衣服を着直したらしい。
とはいえ、ドラゴンの鼻はその嘘を見破った。

「まだメス臭いぞ。下を穿け」
「あちゃ~バレバレですか」
「当たり前だ」

観念したように下着を穿く人間に呆れつつ、ドラゴンはようやく眼を見開いた。
服を着た人間の姿を一瞥して、違和感を抱く。

「む? 貴様……」
「ほえ? どうしました?」
「上着を脱いでみろ」
「やっぱり裸が見たいんじゃないですか!」
「見せるのは腹だけでよい」

裸体に興味があるわけではないことを言い聞かせると、人間は気まずそうに目を泳がせた。

「どうした? 早くしろ」
「……見せたくない、です」
「だろうな。そんなガリガリの腹ではな」

初めは雨に濡れたせいで痩せて見えるのかと思ったが、乾いた衣服の上からもよくわかる。

「貴様、いつから食事をしていない?」
「さあ……自分でもよくわかりません」

人間は、この上なく、飢えていた。
乾いた服の上からもわかるほど、ガリガリに。
どうしてそうなったのかは、明白だ。

「貴様は肉を食わないのだな」
「ベジタリアンなものでして」

この人間は肉を口しないらしい。
恐らく、その悪癖が原因だろう。
人外を愛する人間は、魔物の肉を食べない。
ならば野草や果実を食べようにも、この深き森で無害なものを見分けるのは困難を極める。
今の季節は多少の無害な植物は存在している。
しかしこの様子では、魔物に食われるよりも早く冬が訪れ、餓死することは目に見えていた。

「少しの間、ここで待っていろ」
「えっ? あ、ちょっと!?」

短くそう告げてドラゴンは洞窟を出ていった。

「待たせたな」
「あ、おかえりなさい。ドラゴンさ……」

しばらくして、ドラゴンは洞窟に戻ってきた。
大きな顎門に咥えた魔物の死骸を携えて。
絶句する人間の前に置いて、主人は命じた。

「食え」
「……食べたく、ありません」
「いいから、食うのだ」
「食べたくない!」

かぶりを振って頑なに魔物の肉を口にすることを拒む人間に対して、ドラゴンは冷酷とも取れる口調で淡々と現実を告げた。

「食わねば死ぬぞ」
「死にたい、です」

まるで現実から逃避するように虚ろな目をする人間が酷く気に障り、頭にきて、いっそのこと噛み砕いてやろうかとドラゴンは思ったが、間違いなく後味が悪いだろうと思い、やめた。

「ならば、ひとつだけ質問に答えろ」
「……なんですか?」
「魔物を飼育していた貴様は魔物に食事を与えていた筈だ。でなければ餓死してしまうからな」
「……何が、言いたいんですか?」
「貴様は飲食店とやらで下働きに勤しみ、その稼いだ金で魔物の肉を買い、飼育する魔物の餌としていた。そうだろう? そうだろうとも!」
「……うるさい」

こちらを睨みつける人間をドラゴンは嘲笑う。

「何が魔物を愛しているだ! 片腹痛いわ! 貴様は自らの手を汚すことが嫌だっただけだ!!」
「うるさい、うるさいっ!」
「いいか! 貴様は愛する魔物の為に! 見ず知らずの誰かが狩った魔物の肉を! 自分がやったわけではないとそんな言い訳をしながら! 毎日! 自分の魔物へ与えていたというわけだ!! 」
「……もう、やめて」

反論も出来ずに、泣き出した人間に対して、ドラゴンは火の粉を飛ばしながら責め立てた。

「何が魔物を愛しているだ! 狂っている! 倒錯している! だから貴様は気味悪がられた! だから貴様は迫害され、国を追われたのだ!!」

断言すると人間はこくりと頷き、非を認めた。

「はい……そうです。もう、許して、ください」
「駄目だ。許さん」
「お願いします……私はもう、死にたいんです」
「駄目だ。死なせん」

ドラゴンの主人は人間から権利を奪い取った。

「魔物の肉を食え。貴様の飼っていた魔物と同じように。生きる為に、食え! 食うのだ!!」
「やだ、やだよ……できない。できないよぉ!」

現実を突きつけても尚、人間は拒んだ。
酷く醜く、そして美しいとドラゴンは思う。
だからこそ、この人間は死なせたくなかった。

「見ろ」

人間の目の前で、魔物の肉を噛みちぎる。

「こうやって、生きている」

ドラゴンは生き物の肉を食べ、生きていた。
そうやって、何千年も、生き続けている。
どうしてなど、そんな問いかけは必要ない。

「生きる為に、食べるのだ」

当たり前だ。そして当たり前の結論を言った。

「でなければ、死んでしまう」
「……いや」

目の前のドラゴンが死ぬ姿を想像して。
魔物を愛する優しい人間は、それを拒んだ。
そこにつけ込む価値があると、判断した。

「では、貴様と運命を共にしよう」
「えっ?」
「貴様と共に、餓死しよう」
「ダメ! そんなの、ダメです!」
「ならば、貴様も食え」

ドラゴンは人間に優しくなどなかった。
人間よりも厳しく、人間を咎めた。
その身を犠牲にする覚悟をもって、厳格に。

「わ……わかり、ました」
「よし……ああ、ちょっと待て」

ようやく言うことを聞く気になった様子の人間を制して、ドラゴンは火炎で肉を炙った。

「焼けたぞ」
「焼けましたね」
「美味そうだろう?」
「全然、美味しそうじゃありません」

じゅうじゅうと溢れんばかりの肉汁が滴り。
香ばしい良い匂いが、洞窟内に立ち込めた。
すると、人間の痩せた腹の虫が鳴り響いた。

ぐぅ~。

「ッ……!?」
「身体は正直だな」
「……意地悪、しないでください」
「意地悪などする気はない。存分に食え」

促すと、人間は四つん這いの姿勢となり、まるで魔物のように、魔物の肉にかぶりついた。

「はぐっ! はぐっ!」
「美味いか?」

ドラゴンが尋ねると人間は肉から口を離し、しばらく逡巡してから、こっくりと、頷いた。

「お……美味しい、です」
「ならば、もっと食え」
「はぐっ! う、ううっ……お、美味しいよぉ」
「泣いてもよい。それでも食え。食い続けろ」
「うわあああん! 美味しい! 美味しいよぉ!」

食べながら、人間はわんわん泣きじゃくった。
それでも、ガツガツと肉を頬張る、その姿を。
生きようとする姿をドラゴンは美しいと思う。

「……ご馳走、さまでした」
「もうよいのか?」
「はい。もうお腹いっぱいです」
「まだガリガリではないか」
「そんなすぐには太りませんよ!」

人間の食事はすぐに済んだ。
元々少食だったのか、それとも長らく飢えていたせいで胃が縮んでしまったのかは定かではないが、これ以上は食べられないらしい。
なので、残った肉はドラゴンが全て平らげた。

「こんなに満腹なのは久しぶりです」
「そうか」
「ドラゴンさんも満腹ですか?」
「腹八分目だ」
「大食いなんですね」
「貴様が少食なだけだ」
「太りたくないので」
「これからは沢山食え」
「太っても嫌いになりませんか?」
「痩せすぎているよりはマシだ」
「それなら、安心して食べれますね」

食後、ドラゴンと人間は打ち解けていた。
図々しくも横たわるドラゴンの背に寝転んで、人間はヘラヘラ笑いながら、泣いていた。

「またお肉、食べないといけませんか?」
「食え。生きる為に」
「ドラゴンさんが生きる為なら、食べます」
「貴様がそうしたいのならば、好きにしろ」
「そんな私は……やっぱりズルいですか?」
「そうだな。たしかに、貴様は狡くて醜いな」
「ううっ……そう、ですよね」

魔物を飼育していた時と同じように、言い訳をして肉を食らう己を人間は恥じていた。
その醜さや狡さを踏まえてドラゴンは言った。

「それでも、貴様は美しい」
「ふぇっ!? やだもう! 何言ってんですか!」
「生きる姿勢についてだ。勘違いをするな」
「……ご主人様の意地悪」

不貞腐れる人間は、なかなかに愉快だった。

「そろそろ、眠たくなってきましたね」
「そろそろ、雨は上がったのではないか?」
「追い出そうしても、そうはいきませんよ!」
「貴様は雨宿りをしに来たのだろう?」
「そうですけど! もうそれどころじゃないっていうか、この胸の高鳴りと身体の火照りをどうにかして欲しいっていうか……ご主人様ぁ!」
「もう一度雨に打たれてこい」

あまりのメス臭さに耐えかねたドラゴンは、ぽいっと背中から人間を地面に落とした。
すると、人間はむくりと起き上がって。

「あ! そう言えば!」
「なんだ?」
「寝る前に用を足すのを忘れてました!」

そう言ってもぞもぞと、下着を脱ぎ始めた。

「おい、貴様……何をするつもりだ?」
「ちょっとお花を摘みに」
「この洞窟に花など咲いてはおらん」
「ならば! ドカンと! 咲かせてみましょう!」
「咲かせなくていい」

ドラゴンはもちろん止めた。
それはもう、必死で止めた。
しかし、この人間は止まらない。
何故ならば、頭がおかしいからである。

「あれは、魔物さんと暮らし始めた時のこと」
「突然どうした?」

頭のおかしい人間は、唐突に語り始めた。

「まだ幼い魔物さんは自分で排泄出来ません」
「もういい。やめろ。聞きたくない」
「なのでマッサージをして排便を促しました」
「帰れ」
「もちろん魔物さんは便の処理も出来ません」
「……帰ってくれ、頼むから」
「お尻を拭い、便を処理しながら思いました」
「よし、わかった。言ってみろ」
「排泄に携わる。これが本当の愛であると!」
「やはり貴様は狂っている!!」

愛には無数の形があるが、これは度し難い。
狂った人間の支離滅裂な結論に憤りつつも、ドラゴンは遥か昔の過去に思いを巡らせていた。

あれは、ドラゴンがまだ卵だった頃。
巣から落ちて、人間に拾われた。
卵から孵った後、人間は親代わりとなった。
その際たしかに、排泄の世話もして貰った。
その時たしかに、ドラゴンは愛を感じていた。

いや、だからなんだという話ではあるのだが。

「というわけで、ご主人様」
「何を言うつもりなのか、わかっているぞ」
「排泄の処理を……」
「するわけなかろう!」
「ひぇっ」

ドラゴンは火炎を吐き出しながら、吠えた。
人間はびびったものの、すぐに立ち直った。
なんだかんだで優しいのだ、このドラゴンは。

「育児放棄はよくないと思います!」
「そもそも貴様は子供ではなかろう!?」
「小さい子にしか興味ないんですか!?」
「やかましい! 稚児からやり直せ!!」

ドラゴンは至極まともな正論を口にした。
しかし、何しろ相手が悪い。最悪だった。
頭のおかしい人間に正論は逆効果だった。

「ばぶー!」
「き、貴様、ついに気でも触れたのか……?」
「おぎゃあー! おぎゃあー!」
「おお、よしよし。泣くな泣くな」

飢えて痩せ細った人間の赤ん坊に対し、思わず庇護欲を抱いてしまったドラゴンをいったい誰が責められようか。なんだかんだ優しいのだ。

「ドラゴンさん、ドラゴンさん。お耳かして」
「どうした、なんでも言ってみろ」
「……うんちしたい」
「ん? なんだ? もう一度言ってみろ」
「あのね、うんちがしたいの!」
「調子に乗るなよ人間風情がぁ!!」

知らぬ間に抱きかかえていた痩せ細った人間の赤ん坊のふりをしていた狂人を投げ捨てる。
何がニッコリ笑って、うんちがしたいの、だ。
馬鹿にしやがってと、憤慨するドラゴンの腹からその時、何やら地鳴りのような音が響いた。

「ぬあっ!?」

ぎゅるるるるるるるるるるるるるるるぅ~っ!

「フハッ!」

その音色を耳にして、人間が愉悦を漏らした。

「おやおや~? もうドラゴンさんったら……」
「よ、寄るな、人間!」
「腹八分目の癖にもう出しちゃうんですか?」
「う、うるさい! 今のは何かの間違いだ!」
「いいえ、必然ですよ。生きている限りその宿命からは逃れることは出来ません。本能です」
「寄るな! 寄るなぁ!」

まるでドラゴンを追い詰めるかのごとく。
人間が一歩、また一歩と、迫ってくる。
後ずさりしようにも、ここは既に洞窟の最奥。
まさに絶体絶命の窮地に立ったドラゴンへと。

「大丈夫です。何も怖くはありませんよ」

そっと手を伸ばして、人間は腹部を撫でた。

「……やめろ、人間」
「リラックスしてください」
「その手つきを、やめてくれ」
「懐かしくなっちゃいましたか?」

悔しながら、人間の言う通りだった。
ドラゴンはその手つきが懐かしかった。
幼い頃の記憶が、親代わりの人間の愛が。

ドラゴンの便意を加速度的に促進していく。

「愛してますよ、ドラゴンさん」
「貴様は……狂っている」
「狂った人間を、愛してはくれませんか?」
「いいや。なればこそ、だからこそ愛そう!」

ぶりゅっ!

「フハッ!」

先に糞を漏らしたのは、どちらだったのか。
今となっては、もはや定かではない。
先に愉悦を漏らしたのは、どちらだったのか。
今となっては、どうでも良いことだった。

人間とドラゴンはどちらも生きている。
生きる為に肉を喰らい、栄養に変えて。
そして生きているからこそ排泄をする。

それは時に醜く、そして時に美しいものだ。

ぶりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅぅ~っ!

「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

人間とドラゴンは高らかに哄笑し合い。
嗤いながら、糞を漏らし、愉悦に浸り。
愛し合い、そして生の尊さを尻合った。

「寝床を汚して、ごめんなさい」
「よい。実に愉快であった」

しばらく互いに悦に浸った後、正気を取り戻した人間はドラゴンに深々と頭を下げ謝罪した。
それに対して鷹揚に応え、赦しを与えると。

「ドラゴンさん、大好き!」

人間は満面の笑みでドラゴンに飛びついた。
痩せ細った人間の身体は、ドラゴンに負けず劣らずゴツゴツしていて、一抹の切なさを抱く。
どうかこの先ずっと、この人間に幸多きことをと、ドラゴンはそう、切に願わざるを得ない。

いいや、そうではない。願うだけではダメだ。

「貴様を必ず幸せにしてやろう」

人間使いのドラゴンとして主人は固く誓った。

「ドラゴンさん、どこへ行くの?」
「気の向くまま、行きたいところへ、自由に」
「それは天国?」
「そんな場所を目指して、ひたすら飛ぶのだ」

汚れた寝床を捨てて。
人間を、背に乗せて。
ドラゴンは飛び立つ。

この広い世界に、天国があると、そう信じて。


【人間使いのドラゴン】


FIN

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