文香「文学少女は純情だと思っていましたか?」 (74)




 初めて彼女の姿を目にしたのは、大学のキャンパスでだった。

 綺麗な長い髪を靡かせ、本を抱えて歩く彼女。
 沢山の人達が群れて行き交う道の中、彼女はたった一人で静かに歩いていて。
 彼女だけがまるで別の世界にいるかの様な、不思議な雰囲気を纏っていて。
 それはまるで女神のようで、その衝撃は僕の足をコンクリートに打ち付けた。

 一目惚れというものは、本当に存在したらしい。
 
 気付けば僕は首と目で彼女を追っていた。
 多分周りからみたら良い感じに危ない人だったかもしれない。
 それか首と足を同時には動かせない不便な人体構造なのだと思われていた可能性もある。
 その時の僕にそんな事を考える余裕なんて全くなかったけれど。

 名前も知らない彼女は、気付けば視界から居なくなっていて。
 それでも僕は、なかなか動けなくて。
 もちろん、その後の講義に集中出来る訳なんて無かった。




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 文学理論の講義のあと、僕は参考文献を求めてキャンパス内の図書館へと向かった。
 当然ながら、頭の中はまだ彼女の事でいっぱいだったけど。
 それでもよく分からない事に腑抜けて未来の僕に迷惑を掛けるわけにはいかない。

 それにしても、本当に綺麗な女性だったな…
 おそらく一個下か同い年だと思うけど、あんなに綺麗で大人びた人は初めて見た。
 後で知り合いに彼女の事を知っているか聞いてみようかな。

 さて、必要な本はこの辺りだったかな……えっと……

「あ……」

 また、彼女を見つけてしまった。
 先程と同じく本を抱え、本棚を眺めて歩く彼女を見つけた。
 たったそれだけの出来事で、僕の鼓動は跳ね上がる。
 これって運命なのか?彼女は運命の女神なのか?

 ……んなわけないだろ、中学生か僕は。

 本に囲まれた彼女は、本当に綺麗だ。
 熱中して本を探している彼女は、とても素敵だ。
 まだ向こうは此方に気付いていない様で、なんとなく邪魔するのは憚れるけれど。
 彼女が文学少女なら、尚更もっと近付きたい。

 お話してみたい。
 あわよくば名前くらいは聞いておきたい。
 更にあわよくば少し本について語りたい。
 更に更にあわよくば仲良くなって……おっと。

 いやでも、恐らく今この本棚の付近にいるという事は同じ講義を受けていた可能性が高い。
 ならば、そこから会話をしてみようと思うのは当然の事なんじゃないか?
 うん、今後課題をこなす時に相談する相手は多い方が良いに越した事はないし。
 名前くらいは聞いておいて損はないだろう。

 あの、と。
 そう話しかけようとした。
 その時だった。



「……ヤりたい……」

「あの……は?」

 彼女、鷺沢文香とのファーストコンタクトは。
 そんなくっそみたいな言葉で始まった。



「…………」

「…………」

 今、彼女は何て言った……?
 僕の聞き間違いでなければ、ヤりたいって……
 いや待て落ち着け僕、聞き間違いに決まってるじゃないか。
 こんな清楚で大人びたおそらく文学少女が唐突に独り言でそんな事を言うはずがない。

 おそらくアレだ、早く課題やっちゃいたいな、とかそんな意味に決まってる。
 それか槍対剣はどっちが強いか、とか考えていたに違いない。
 嫌だなぁ、自分の心が汚れてると変な聞き間違いしちゃって。

「……き…聞こえて…しまってたでしょうか……?」

「え?な、何のことですか?あ、えっと……」

 おいバカ僕、もう少しまともな返し方があっただろ。
 初対面で心の汚れた変な人なんて印象を持たれるなんて最悪なスタートじゃないか。
 落ち着け、まだ慌てるな。
 巻き返せる、カッコイイは作れる。

「あ、その……特に何か聞いてた訳じゃないんですけど……さっきの文学倫理のレポートの資料探しですか?」

「いえ……それで、その…本当に何も聞いていませんか……?」

 頼む、深追いしないでくれ。
 僕をかっこいいままで居させてくれ。
 こっから他愛のない話して、名前を教え合って今日は終わろうじゃないか。

「私が……ヤりたい、と言っていたのを……」

 ……何故改めて言い直した。
 信じたくなかったじゃないか。
 君みたいな綺麗で純情っぽい文学少女の口からそんな言葉が出てくるのを。

「ふぅ……どうやら、聞こえてしまっていた様ですね。でしたら、バレてしまった様なら仕方ありません……」

 何が仕方ないだ、自分で言ったんじゃないか。
 おっけー分かった、僕が悪かったからこのやり取りはなかったことにしよう。

「この後、少し時間はありませんか……?少し、お茶でも……」

「え、あ、喜んで」

 ここで舞い上がって即答してしまうあたり、男とは悲しい生き物である。
 こうして僕と彼女のよろしくはない、僕からしたらあまり喜ばしくもない関係は始まった。






「改めて……鷺沢文香と申します。よろしくお願いします」

 お茶と言うから何処かの喫茶店に入るのかと思ったら、まさかの彼女の家にお迎えされた。
 家と言っても彼女の叔父が経営している古書店で、そのレジの机を挟んでの会話だけれど。
 とても落ち着いた感じの古書店は、彼女の姿ととてもマッチして映える。
 もちろん僕も本は大好きだから、テンションなんて上がらないわけがない。

 軽い自己紹介をして分かった事が幾つかある。
 彼女の名前は鷺沢文香、現在19歳。
 なんと、現役のアイドルらしい。
 確かに見目はとても麗しいけれど、この会話のテンポとテンションでやっていけるものなんだろうか。

 そして、もう一つ。
 鷺沢さんは彼女を担当しているプロデューサーに、恋をしているという事。
 そんな事を僕に伝えて良いのかと聞いたら、なんとなく貴方なら大丈夫な気がする、と言われた。
 危機管理能力のプロデュースが行き届いてませんよ、名前も知らぬプロデューサーさん。

 まぁ僕自身はそれを知ってどうこうしようと言うつもりは微塵もない。
 強いて言えば僕の恋愛は自己紹介と同時に終わったくらいだ。
 なんと言えば良いんだろうか、終わっておいて正解な気がしてくる。

「それで……その、私はあまり友好関係が広い方ではなくて……悩みを打ち明ける相手と言うものが……」

「なるほど、相談相手が欲しいっていうよりも、取り敢えず話す相手が欲しいって感じかな」

「初対面で申し訳ありません……ですが、貴方なら信頼出来る気がするので……」

「ちなみに、理由は?」

「貴方も、本が好きそうでしたから……」

 世の中の文学少女を狙っている男達よ、本を読め。
 とまぁふざけた考えは一旦置いておいて、僕の役割は話し相手と言う事だ。
 その対価として、この店の本は何時でも好きな時に貸してくれるらしい。
 話を聞くだけで、あまり普通の書店には置いてない本を読めて、尚且つこんなに綺麗な女性と話す事が出来るなんて役得以外の何でもない。

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「それでは……早速彼の事なのですが……」

「彼って言うのは、鷺沢さんのプロデューサーさんの事ですよね?」

 こくり、と頷く鷺沢さん。
 そんな仕草すら可愛らしく、ドキッとしてしまう。

「最近、スーツを着ずにシャツだけで事務所にいる事が多いのですが……誘っているのでしょうか?」

 ……クールビズってやつだと思うけど。

「それに、汗をかいている事も多くて……そう言った本によると、私の姿を見て興奮している可能性も……」

 最近暑いからだと思うけど。
 そう言った本ってなんだ。
 いや、いい、言わなくていいから。

「そこまで私をその気にさせて、結局手を出して来ないなんて……焦らしプレイが好きだなんて、プロフィールには書いていないのですが……」

「おっけー分かった。僕には荷が重いかもしれないし、今日はこのくらいにしておこう?」

「あ……すみません、私一人で喋り続けてしまって……」

 ……まずい、僕のこの反応はあまりお気に召さなかった様だ。
 そりゃそうだ、僕には到底辿り着けるとは思えない高いレベルに彼女はいるんだから。
 話から察するに、多分プロデューサーさんは鷺沢さんにそう言う事を考えながら接してるわけでは無いと思う。
 多分どころか、絶対。

 けれどここで重大な問題が一つある。
 もし彼女が、僕に話すだけでは満足出来ず他の人にもこの話をしたら?
 本が好きそうだからと言う理由で信じて明らかにスキャンダルになりそうな事を喋って、それを弱みに付け込まれたら?
 一瞬とはいえ一度は彼女に惚れた身としては、あまり喜ばしい結果にはならないだろう。

 ……仕方ない、惚れた弱みと言う事にしておこう。



「まぁ、そのプロデューサーさんがどう考えているのかは本人じゃないから何とも言えないけど……ちなみにそれを本人に直接聞いてみたりは?」

「出来る筈、無いじゃないですか……彼の前では、純情で無垢な少女で居たいですから……」

 あらかわいい、なんて小悪魔。
 まぁ、それは分からなくも無いけれど。
 だからこそ彼女は、色々と溜め込んでいたんだろう。

「なるほどね……さて、そろそろ僕はレポート書こうかな。鷺沢さんもあるでしょ?さっきあの辺りの本棚探してたって事は」

「そうではなく、その……単純に、図書館のひとけの無い本棚に押し付けられて、欲望をぶちまけられたい……という妄想を……」

 彼女の欲望をぶちまけられた。
 僕の覚悟は、アッサリと折れそうな気がする。

期待

竿役をあえてPにしない理由はなんだろ

あえても何もせめて読んでから言えよ…

別になんだって良いだろ…

その方が自分に近くて感情移入出来るからだろ

嫌なら自分で書けよ


 本日の気温は27度。
 なんだかもうセミが鳴き始めてもおかしく無いんじゃないかと思えるくらいの暑さの中、僕は逃げ込む様に鷺沢古書店の扉をくぐった。
 冷房は付いていないけれど、陽の光が遮られているだけでもよっぽど外よりはマシだ。
 それに何となくだけど、本に囲まれてると涼しく感じる気がする。

 その本棚のアーチの奥へと進むと、木製のレジテーブルの向こうに一人の美少女。
 よほど本に熱中しているのか、此方にはなかなか気付いもらえない。
 声を掛けて来たのは彼女の方だと言うのに……と、普通の人からしたら考えるかもしれない。
 けれど自分も本が大好きだから、周りに全く気づけないのはよく分かる。



「こんにちは、鷺沢さん」

「あ……すみません、気付けなくて……こんにちは」

 綺麗な髪をかき上げて此方を見つめる彼女の瞳は、吸い込まれそうな程美しい。
 扇風機の首が彼女側を向く度、その綺麗な髪がこれでもかと主張する。
 靡くな僕、落ち着け。
 どうせ、すぐまた呆れ果てる様な言葉が飛び出す筈だ。

「それで、何かあったんですか?」

「その……とある、シャンプーのCMに出演する事が決まったのですが……」

 それはすごい。
 シャンプーのCMは、綺麗で長い髪の毛の人しか声がかからないと聞いた事がある。
 確かに、彼女にピッタリだ。
 日本中の人々を引きつけ、話題を呼ぶ事だろう。



 そう言えば、彼女についてインターネットで調べたところ割と色々な情報が出てきた。
 とは言えそれは、大概の人が彼女へ抱く第一印象ばかりだったが。
 346プロダクションアイドル部門所属で、デビューしてまだ一年は経っていない。
 落ち着いた物静かな感じの、文学少女系黒髪ロング清楚アイドル。

「そのシャンプーのCMを取ってきて下さったという事は……プロデューサーさんは……」

「うん、君の髪がすごく綺麗だって認めてるんだろうね」

「……誘ってますよね……そういう事、と思って……大丈夫でしょうか?」

 違うそうじゃない、と思う。
 少なくとも大丈夫じゃないだろう。
 何でそうなったんだ。



「夜、そう言う事をする時……この香りがいい、と……そう言う事では無いでしょうか?」

「……うん、その可能性も無くはないと思う」

 限りなく0に近いと思うけど。

「それと、これをプレゼントして頂いたのですが……」

「これは……カメラか」

「はい、凄く嬉しくて……私の、宝物です」

 詳しい知識がある訳じゃないけど、多分かなり良いデジカメなんたろう。
 鷺沢さんの様な綺麗な人がカメラを構えていると、それだけで絵になりそうだ。
 プロデューサーさんもなかなか分かってるじゃないか。
 ……何様なんだ、僕は。

「それで、その……カメラをプレゼントされた、という事は……」

 ……鷺沢さんの事だ、イヤらしい自撮りを望んでますよね、とか言うのだろう。



「……ハメ

「言わなくていいから」

「……ハメ撮

「言わなくていいって」

「……ハメ撮りをしたい、と言う事で……」

 もう君それ言いたいだけでしょ。

「女性にカメラをプレゼントする、と言うのは……そう言う事、と思って差し支えないかと……」

 世の中の恋人にカメラをプレゼントした男性に謝れ。

「……ところで、その……起動は、どうすれば……」

 心から、教えたくなかった。

文香ちゃん心療内科を受診した方が良い
絶対仕事に悪影響を及ぼす

ある意味純情

試し撮りって大事だよね



 今日もまた、とてつも無く暑い一日だった。
 額に汗を浮かべながら、僕は黙々と炎天下のコンクリートを踏みつける。
 目指す先はお馴染み鷺沢古書店。
 借りていた本を返して、ついでにまた2.3冊借りていこう。

 辿り着いた古書店の奥では、彼女は何やら書き物をしていた。
 長い髪を耳にかけ、綺麗な手の動きでサラサラと文字を綴っている様子は見ていてとてもさまになっている。
 集中した表情でペンを動かす彼女を見れば、世の男性は一発でおちるだろう。
 彼女の脳内を知らなければ、に限った話だけれど。
 
「こんにちは、鷺沢さん。本返しに来ました」

「あ……お疲れ様です」
 



 こちらに気付いて微笑む彼女の笑顔は、とても眩しい。
 真夏日の太陽ですらも、彼女の前では霞むだろう。
 用意してくれた椅子に座り、淹れてくれた紅茶を傾ける。
 うん、熱い。

「それと、何かまたオススメがあれば借りていきたいなーと」

「それでしたら……此方の本に、一度目を通して頂けると……」

 渡されたのは、一冊のノート。
 表紙に書かれた文字は、Diary。
 とてもお洒落なタイトル。
 紅茶と併せて、とてもお洒落な昼下がりを過ごせそうだ。

「それじゃ、読ませて貰いますね」

 ペラリ、と1ページ目に眼を通す。



『きて……ください』
 頬を赤らめ目を逸らしながらも、彼女は次の行為を求めて自らの乙女を両手で差し出した。そんな彼女の羞恥に塗れた表情が、堪らなく愛おしい。俺の心の興奮と共に昂った男としての象徴は、今にでもはち切れんと膨張仕切っていた。
『いいんだな?』
『はい……はやく……っ!』
 期待と赤恥が入り混じった彼女の言葉で、俺は心を決めた。
 焦りを抑えて、俺は彼女の求めたモノを求めた場所に添える。それだけで彼女の身体はビクンと跳ね、愛が奥から漏れ出す。お互いの吐息は激しく、静かな部屋にこだまする。
 そして俺は、ゆっくりと彼女にーー




「って官能小説!」

「はい……自信作です」

「……しかも自作……うっそだろ鷺沢さん」

 自作の官能小説を、オススメの本を訪ねた男友達に読ませ、自信満々に微笑む天使がそこにいた。
 どうしようもない僕にどうしようもない天使がおりてきていた。

「彼との生活で、あったかもしれないお話を綴ったものです……踏み込むことが出来ず、まだ実現はしていませんが……」

 成る程、想像と言うか妄想と言うか、要するに彼女がいつも僕にカミングアウトしているネタを文章に起こしたもの、ということか。
 言葉で話されるよりも、生々しさが半端ない。



「……どう、でしたか?」

 ……正解がわからない。
 興奮しました、と言うのが彼女の求める言葉なのだろうか?
 いやでもそれを言うと僕の尊厳その他諸々が全て吹き飛ぶ気がする。
 実現するといいですね……いやダメだろう実現しちゃ、アイドルなんだから。

「……綺麗な文字と文章ですね。鷺沢さんの知性と品格の高さを感じました」

 むふん、と自慢げな表情をしているからハズレではなかったようだ。
 自作妄想官能小説を男友達に読ませてそんな我が人生に一片の恥なしみたいな顔でいられる鷺沢さんの心が羨ましい。
 
「今、二冊目を書いているところです……」

 なんとセカンドシーズンが製作開始されているらしい。
 このファーストシーズンを読む人が、この世に僕以外でいるのかは知らないけど。

「ま、まぁ妄想を書くだけならタダだから……うん、鷺沢さんが楽しければいいか」

「それで、その……」

 なんだろう。
 感想文の提出とかだったら心から遠慮したいところだけど。




「交換日記と言うのは……一回のやりとりで、何冊まで書いて大丈夫なのでしょうか?」

「Diaryってそう言う意味かよ!」

 彼女とプロデューサーさんの交換日記は、僕の監修の元進行する事を何とか強要させた。


やだこのアイドルレベル高過ぎ……




 今日は、雨が降っていた。
 六月下旬は梅雨の季節、面白いほど嫌になる。
 蒸し蒸しとした熱さと湿度のコンビネーションは世の学生や社会人の気力をゴリゴリ削る。
 今日みたいな日は、歩きながら本を読めないから最悪だ。

 今日も今日とて僕は、借りた本を返しがてら鷺沢古書店に向かっていた。
 既に雨は小雨になっているけれど、傘をささずにいると借りた本が濡れてしまう可能性もある。
 それにまた夕方雨が強くなり始める事もあるし、持ってきておいて正解だろう。
 なんて事を考えているうちに、鷺沢古書店が視界に入ってきた。

 ん?珍しく扉が閉まっていた。
 そう言えば聞いた事はなかったけれど、今日は休業日だったのだろうか。
 だとしたらとんだ無駄足だ。
 仕方ない、適当な本屋に入って村上春樹の新作でも……



 ガチャ、と。
 踵を返そうとしていた矢先、目先の扉は開かれた。

「あ……こんにちは。すみません、今シャワーからあがったばかりで……」

「こんにちは、鷺沢さん」

 目の前にいたのは、いつもより少し薄手の服を着た鷺沢さんだった。
 首元にタオルを掛けて、少し頬は紅く染まっている。
 シャワーあがりと言っていたけれど、いかんせんまだ乾ききっていない髪は目の毒になる。
 僕じゃなければ危ない目に遭っていた可能性もあるくらいだ。

 そのまま扇風機をつけ、何時もの席に座らせて貰う。
 流石に紙が湿度でやられてしまうからか、鷺沢さんは本を手に取らなかった。




「先日借りた本を返しに来たんだけど、ついでに何か……いいか、この後雨強くなると困るし」

「そう、ですね……本当に、この季節は困ったものです……」

 そう言えばまだ夕方前だと言うのにシャワーを浴びていたという事は、雨に濡れてしまったのだろうか。
 勝手なイメージだけど鷺沢さんって、ネットで天気予報とか見なさそうな気がする。

「はい。お昼頃、書類を渡しに事務所に向かっていたのですが……その時、急に降られてしまって……」

「書類は大丈夫だった?」

「幾つか、ダメになってしまって……その分は、事務所で改めて記入し直しました」

 雨って言うのは、本当に困ったものだ。
 僕もレポートやられて単位バイバイした思い出があるし、本当に困る。





「ですが……事務所へ着いた時、プロデューサーさんにタオルで髪を拭いて貰えて……少し、雑な拭き方でしたけれど……」

「やっぱり、好きな人に髪を拭いて貰えるって嬉しいものなのかな?」

「……興奮しました」

 台無しだ。
 面白いくらいに脈絡が無くて意味がわからない。

「好きでもない方から髪に触れられると、女性は忌避感を覚えるものです。……ですが、私はもちろん嬉しかったですし……その、彼もその事を分かった上で、と考えると……」

「その仮説が間違ってなかったとすると、彼もまた鷺沢さんから好意を向けられてる事に気付いてるって事になるね。それってつまり」

「……誘っている、という事に……」

 ならないと思う。

「更に軽く髪を拭いて頂いた後、シャワー浴びてきたら?と言われてしまって……もう、そういう事ですよね……?」

 絶対に違うと思う。
 絶対に、雨に濡れちゃったんだからシャワー浴びて着替えろって事だと思う。




「その後の事を考えてしまうと、シャワーを浴びている最中も濡れ

「おっけー分かった。それで、その後は何かあったの?なかったと思うけど」

「いえ……残念ながら、書類を書き直して終わりでした」

 よかった、本当にそのプロデューサーさんが鷺沢さんが望むような思考をしていなくてよかった。

「これが……放置プレイ、と言うものだったのですね」

 その幸せな思考回路が羨ましい。
 さぞかし世界が薔薇色に見えている事だろう。

「帰りは、彼の折り畳み傘を貸して頂きました……私の家宝です」

「きちんとお返しするように」

「大丈夫です。帰り道の途中、同じ傘を購入しましたので」

 プロデューサーさんの貸した傘が、どうか本来の使用用途から外れませんように。

「そう言えば、さっきもシャワー浴びてたって言ってたけど、帰り道は傘あったんだよね?」

「はい……ですが、濡れた髪にタオルを当てていると、彼の優しさと温もりを感じられて……」

 あらかわいい。
 こういう所は変に純情な恋する乙女だからタチが悪いな。
 髪、傷まないといいけど。





「……感じる事が、出来ますので……」

 今すぐこの場を立ち去りたくなった。

駄サンタの人?

ちょっと文体違くね? 文頭のテンプレないし。



 今日の天気もまた雨だった。
 
 ここのところ連日雨で、洗濯物が外に干せず気も滅入る生活が続く。
 部屋干しでも臭わないとうたう洗剤の効果をあまり信じていない僕は、そろそろクーラーで除湿でもしようかなと考え始めていた。
 それかもう暖房でもつけて思いっきり全力で乾かしてやろうか。
 ……蒸し暑さで自分がダウンするビジョンしか見えない。

 それに雨が続くと、鷺沢古書店で本が借り辛いのだ。
 お店の商品をお借りするわけだし、いくら対価として借りているとは言っても出来る限り気を配りたい。
 それに時たま高価な本を借りるが、それが少しでも雨に濡れてみろ、鷺沢煩悩愚痴ツアーに一晩中電話で付き合う事になってしまう。
 深夜テンションで彼女に変なことを言って焚き付けてしまうと割と笑えない事になるし、避けたい事態だった。






「こんにちはー」

 ……鷺沢古書店の扉をくぐるも、返事はない。
 従業員の態度としてこれはいいのだろうか?と一瞬考えなくもないが、その従業員が本の虫なのだから仕方のない事か。
 奥へと進めば、いつも通りレジの向こうで彼女は本を読んでいた。
 頬を染めて片手で口元を押さえているが、丁度感動する場面を読んでいるのだろう。

「あ……こんにちは。今も、まだ降っていますか……?」

「うん、まだ降ってる。小雨とは言え嫌になるよ本当」

 此方に気付いた鷺沢さんが、少し疲れた様な表情で手を振ってくれた。
 それでも薄っすらとだが浮かぶ笑顔は、魅力に満ち溢れている。
 きっとそれだけで、この店を訪れた男の心を落とせるだろう。
 彼女の読んでいる本のタイトルを見なければ、に限った話だけれど。



「……何を読んでるんですか?」

「電車で、その……流されてしまった少女のお話を……」

 流されてしまった、で濁しているけれど間違いなくそう言う内容だろう。
 トレイントラップ・痴漢に抗えない美少女達、なんて初めて見たよ需要あるのか。
 ……あるんだろうな、世界は広いし元に目の前の現役美少女文学系アイドルは熱心にページを捲っていた訳だし。
 しかしこれ、僕以外の客が来ていたらどう取り繕うつもりだったんだ。

「今日は……雨が降っていましたので……」

 風が吹けば桶屋が以上の超理論を初めて聞いた気がする。
 結果と結論がかけ離れ過ぎていて、尚且つ彼女の様な思考と嗜好を持ち合わせていない僕では過程を導けそうにない。
 ウミガメのスープだってもう少しなんとかなりそうな問題だと言うのに。





「午前中、仕事でプロデューサーさんと現場に向かう時に……雨が降っていたので、二駅分でしたが電車を使おうと提案されたのですが……」

「あー、晴れてたら歩いちゃう様な距離だよね」

「……私はまだ、そういった事に知識が無くて……」

「待って、今どこからどこへ跳んだ?」

 絶対に理論の跳躍が発生してる。
 電車に乗った事がない、って訳では無いだろう。
 それにプロデューサーさんと一緒に向かうのだから、その心配は尚更ない。

「一緒に、通勤ラッシュの電車に乗る、という事は……私に、そう言う事をしようと……」

「日本中の同伴出勤してる男女に謝ろう」

 電車使おう、と痴漢プレイしたい、はイコールな筈が無い。




「ですが……彼からそう言った事をされて、声を我慢出来る自信がありませんでしたし……上手く、彼を誘う様な表情や動きが出来る自信が無かったので……」

「絶対にしちゃダメなやつだから……で、だからそう言う本を読んでた訳だ」

「はい……登場人物を私と彼に置き換え、妄想して……声を抑えながら、色々と学んでおりました……」

 勉強熱心は良い事だし、想像力豊かなのも良い事だ。
 悪い事を勉強して変な事を妄想していなければ、に限った話だけど。
 と言うか最初に口元に手を当ててたのそう言う理由かよ。

「大丈夫です、他の方にされてしまった時用に、護身術も勉強していますから」

「まぁ……うん、良い事だと思うよ、多分」

 逞しい人だ、色々と。




「結局、何も起こらず目的地へ着いてしまいました……私が、知識不足だったばかりに……」

「彼に常識が足りてたからだと思うけど」

 彼女の恋愛に関する知識はどこから得ているのだろう。
 もう少し一般的で常識的な感じの……まぁ、人の恋愛と想像に口を出すのも野暮か。

「それで、その……明日も、おそらく彼と電車で向かう事になると思うので……」

 嫌な予感しかしない。
 お暇しようと席を立とうとした瞬間、彼女の手が僕の腕を捕らえた。
 わぁすごい、全く動けない。
 護身術どころか捕縛術だこれ、彼女がプロデューサーさんに使用する機会が訪れない事を願おう。



「……どの方向を向いて、どの様な表情をしていた方が唆るか……アドバイス、お願い出来ないでしょうか……?」

 明後日以外の方向、と言える強さが欲しかった。
 

鷲沢さん無駄にハイスペック



 今日も空は雲に覆われ、今にも雨が降ってきそうだった。

 とは言え連日の雨がやんだだけでも、空は曇りだが心は晴れ晴れする。
 それに曇っているおかげで、嫌になるような暑さもない。
 折りたたみが鞄に入っている安心感は、尚更僕の気分を上げる。
 帰りにまだ雨が降っていなければ、鷺沢古書店で何冊か本を借りて行こう。

 ……傘と鷺沢さんで思い出してしまった変な事を脳から叩き出し、改めて心地よい夕方の道を歩く。
 なんだか最近鷺沢さんのせいで僕まで思考が汚れてきてしまっている気がする。
 気を付けないと、染められてしまったら最後だ。
 僕の社会的立ち位置と、彼女のアイドル人生が。

 いや、でも僕も彼女の事をもう少し信頼してもいいのではないだろうか。
 色々あったせいで彼女は変た……少し跳んでる人だと認識仕切ってしまっているけど、言っても彼女は今まできちんとおそらく何事も無く19年も人生を歩んできているんだ。
 最初から邪推してかかっても、良い信頼関係は築けない。
 彼女だって、年がら年中一日中バラ色の世界を思い浮かべている訳じゃないだろう。



「こんにちはー」

「あ……こんにちは。お疲れ様です」

 迎えてくれた鷺沢さんは、いつになく上機嫌だった。
 笑顔の彼女は、より一層綺麗で可愛らしい。
 こう、教室でいつも暗い顔して本を読んでた女子が、微笑むと思ったより可愛くて惚れるあの感じ。
 何か、良いことがあったのだろうか。

「ふふっ……今日は、彼とデートに行ってきたので……」

「……大丈夫?スキャンダルになりそうな事はしてない?」

 言ってから思った。
 親か僕は、プロデューサーか僕は。

「どうでしょう……?なるかもしれませんし、ならないかもしれません」

 にこにこと微笑む彼女のテンションが、若干鬱陶しい。
 と言うか少し面倒くさい。
 とは言え、普段は表面上は落ち着いた感じの鷺沢さんがこんなに喜んでいるという事は、余程良いことがあったのだろう。




「何があったの?」

「何があったと思いますか……?当ててみるのも、面白いかもしれません」

 前言撤回。
 凄く面倒くさい。

「実は、仕事終わりに……帰り道の途中の神社で、少しだけデートを……」

 聞いてもいないのに話し出した、恋する乙女の心は強い。
 それと、多分それはデートじゃなくて寄り道……いや、それをデートと捉えている鷺沢さんに水を差すのもあれか。
 喜んでいるんだから、良しとしよう。
 僕だって鷺沢さんみたいな女性と大学の帰り道に神社に寄り道したらデートだって言い張るだろうし。

 それに、何より。
 今のところ発言が汚れていない。





「プロデューサーさん、私よりも体力が無くて……少し先に登っててくれ、なんて言って……ふふっ」

「何やかんや、鷺沢さんもダンスやってるから体力あるしね。あと護身術」

「……そんなに真っ直ぐに求められたのが、嬉しくて……」

 跳んだ、ダメだった様だ。
 石段じゃなくて、思考と会話が。

「石段で、スカートの女性を先に登らせるというのは……」

「……まぁ、スカートの中を覗こうと考えてる可能性があってもおかしくはないよね」

 無いとは思うけど、と言うか思いたいけれど。
 まぁ僕も女性じゃないから分からないけれど、スカートをはいている女性からしたらその様な事を心配するのは当たり前なのかもしれない。




「野外で、更に神社の石段という神聖な場所で……背後から犯

「おかしかった、うん、そんな可能性は無いと思う」

「……そういう意味では無かったのでしょうか……?」

 せめて茂みで……違うそうじゃない、毒されるな僕。
 それが当たり前の意味だったら世の中のエスカレーターは大変な事になってるから。

「残念ながら、彼は私の下着を見るだけで満足だった様で……実際その様な、私の望む事態にはなりませんでしたが……」

 多分見てなかったと思うし、最初からそんなつもりはなかったと思う。
 あと体力不足の成人男性が石段を登るときにそんな余裕なんてない。



「その後……私達の華やかな未来を願ってお賽銭をした後……彼は、私に御守りをプレゼントしてくれました」

 満面の笑みを浮かべて、彼女は御守りを取り出した。
 確かに、好きな相手から御守りをプレゼントされるのはさぞかし嬉しい事だろう。
 そんな彼女の汚れていない素敵な表情を見れただけで、今日は良しとしよう。

「この御守りをプレゼントしてくれた彼の為にも……頑張って、様々なテクニックを身につけないといけません」

 仕事開運御守に、彼女は一体何を望んでいるのだろう。
 おそらく仕事が上手くいって、トップアイドルになり、その後結ばれる未来を見たのかもしれないが。



「……職場で、私とそういう事をしたい……と。そんな彼の願いを感じました」

 御守りの効能は、彼女には効きそうになかった。


 またしても降り出した小雨は、今日を憂鬱な一日に変えた。

 七月も近づき暑さにも拍車がかかり、ジメジメむしむしとした空気は不快感を増幅させる。
 歩いているだけで汗をかき、止まっていても心地悪い。
 冷房の効いた電車と教室が唯一の救いで、後はもう拷問だった。
 ちなみに家ではまだ扇風機で乗り越える予定だ。

 今日も今日とて鷺沢古書店へ向かう僕は、湿ったコンクリートを踏みつけ歩く。
 ふと道の反対側を見れば、何やら屋内の植物に何かを括り付けている人達がいた。
 よくよく見るとそれは笹と色とりどりの短冊で、そう言えばもうすぐ七月になる事を思い出す。
 周りを見れば、割と様々な場所に笹が用意されていた。

 世間一般で七月七日は七夕の日として多くに知られ、子供達は色とりどりの紙へペンを走らせ、笹に括り付ける。
 綴られるは願い、届けるは天へ。
 願い達の向かう遥か先には、年に一度の逢瀬を迎える彼等。
 離れ離れとなり永い時が流れても、尚愛し合い続ける二人。

 今年の七夕、晴れるといいな。



「こんにちはー」

「あ……こんにちは。お疲れ様です……」

 そう言って迎えてくれた鷺沢さんの手元には、ペンが置かれていた。
 何か書いている最中だったのだろうか。
 邪魔するのも悪いし……いや、聞いておこう。
 前回の交換日記の事もあって、不安になる。

「何か書いてたの?」

「はい……事務所の皆で、短冊を飾ろう、と……」

 なるほど、事務所でもそう言った事をするものなのか。
 もしかしたら調べてはいないけど、小・中学生の子達も居るのかもしれない。

「みんな仲の良い事務所なんだね」

「そうですね……とても、居心地が良くて……大切な場所です」



 だとしたら納得だし、だからこそ……

「……変な……誰が見ても大丈夫な内容しか書いてないよね?」

「……普通の、一般的な願いだと思いますが……」

 不安になる。
 心から心配だ。

「……一応、見せてもらっても大丈夫?」

「はい……どのみち、飾れば皆さんに見られる物ですから」

 そこに綴られていたのは、鷺沢さんの願い。
 誰も居ない夜の事務所で、乙姫と彦星の一年に一度きりの逢瀬に合わせ、自分達も肌を重ね会いたい。
 ……だなんて、欲望に塗れたものではなく。
 事務所の皆と、これからも仲良く進めますように、と。




 ……疑ってごめんなさい鷺沢さん。
 いやほんと、よくよく考えたら彼の前では普通な振る舞いをする様気を使ってるって言ってたし。
 いくら鷺沢さんだって、小・中学生がいる事務所にそんな文章を公表する筈も無いか。
 なんだか自分の心が汚れてるんじゃないかと悲しくなってくる。

「……ほんと失礼しました」

「いえ……その、最初はもっと沢山書いていたのですが……入り切らず、この長さに……」

 そんな彼女の目線の先には、大量の短冊。
 明らかに読めないレベルで詰め込まれた文字や、両面どころか2枚つなげられたもの、挙句の果てにはレポート用紙まで見える。
 けれど、どこを見てもいつもの彼女が話す様な欲望に忠実な単語はなく。
 改めて僕は、悲しみを背負った。



「ところで……性の六時間と言うものを、ご存知でしょうか?」

 あ、戻った。
 心が少し軽くなる。

「その……七夕イブから七夕にかけての二十一時から三時は、恋人同士がそのような行為に勤しむ時間帯、と……」

 性の六時間は知っていたが、七夕イブなんて言葉を初めて聞いた。
 彼女からしたら何かのイベント前日であれば全てイブになるのだろう。
 そして彼女からしたらそんなもの御構い無しに脳内は毎日がそういう日な気がするが。

「その時……私は彼にこの短冊を渡し、彼は私に『優しいな』と、微笑んで……そのまま……ふふっ」

 数秒前の僕に謝って欲しい。



「彼が……事務所に短冊を飾ろう、と。提案してきたのですから……」

 短冊を飾る事は即ちそういう事じゃないと思う。
 そういうスキャンダラスな事をして飾れるのは週刊誌の表紙くらいだ。

「ですから、教えて頂きたいのですが……」

 スッと彼女が取り出したのは、一本の笹。
 太さ的には極太マッキーくらいで、一般家庭の屋内に飾れるくらいのサイズ。
 その切られた側の先端には、何かピンク色のものが被せられていて……



「……実際の長さは……この笹で言うと、どの辺りくらいまでなのでしょうか……?」

 その部分が濡れているのは、雨のせいだと信じたかった。

雨…だといいですね(白目)



 六月末日、相も変わらず雨と曇りを行ったり来たり。

 梅雨の季節はそろそろ抜けても良いだろうに、今日も今日とて嫌になる湿気だ。
 せめて雨が降り続けるか完全に止むかしてさてくれれば、折りたたみを持ち歩こうか悩む事もなくなるのに。
 なんて恨み辛みを空へ投げつつ、もはやお馴染みとなっているいつもの道を歩いていた。
 もちろん、鷺沢古書店へと向かう道だ。

 もう完全に、講義終わったし寄ってくかー、なんてノリになっている。
 色々と言ってはいるが、鷺沢さんの様な綺麗な人と一緒に本について話し合えるのは楽しいし。
 普段手を伸ばさない様な本を借りる事も出来るし。
 もう暫く、テストやレポートがやばくならない限りはのんびりと通わせて貰おう。

 蒸し暑い熱気をくぐり抜け、ようやく鷺沢古書店の前へ到着。
 こんにちはー、なんていつも通りに本の世界へ飛び込もうとする。

 その、直前だった。




「ですから……その……」

「大丈夫だって、みんなやってるから」

 店内から鷺沢さんと誰かの話し声が聞こえた。
 どうやら、あまり良い雰囲気とはいえなさそうだ。
 おそらく、鷺沢さんがよからぬ事を考える輩に絡まれているのかもしれない。
 はっきりと自分の意思を伝える事が苦手そうな鷺沢さんは、このままではもしかしたら……

 ……ふぅ。
 僕はこう言うキャラじゃないんだけどな。
 まぁ、鷺沢さんの身に何か起こるよりは僕が恥ずかしい思いをするだけの方が圧倒的にマシだろう。
 心を決めて、僕は鷺沢古書店の扉をくぐった。

「おーい文香ー、何かあったのかー?」

「え……? あ……こ、こんにちは……」

「ん……彼氏か?」

 彼氏ですが何かオーラを出しながら追い払おうとしていた……のだけれど。
 そこに居たのは、スーツ姿の男性で。
 ピシッとしたその姿は、どう見ても怪しい輩には見えない。



 ……もしかして……

「……あの、鷺沢さんのプロデューサーの方でしょうか?」

「え、そうだけど……君は……あー! たまに文香が話してた友達の!」





「いや、ほんとその……失礼しました。鷺沢さんが変な輩に絡まれてるのかと……」

「まぁまぁ、君は文香の事を守ろうとしてくれたって事だし。さっきも言ったけど、話には聞いていたよ。文香の相談に乗ってくれてるんだろ?」

 どうやらプロデューサーさんが、文香に水着の仕事を提案していたらしい。
 それを、鷺沢さんは恥ずかしいから……と渋っていた所に、僕が恥ずかしいアホをしてしまった、と。
 ……多分鷺沢さんは水着が恥ずかしいんじゃなくて、プロデューサーさんから求められるなんて……的な事を考えていたのだろう。
 彼女の尊厳の為に黙っておくとするが。

「ありがどうございました……先程の貴方、とても……んふっ」

 暴露してやろうかちくしょう。

「では、お茶を淹れてきますので……」

「あ、ありがどうございます」

 鷺沢さんが奥へ引き込んで行った。
 後には僕とプロデューサーさんと気まずい空気だけが残る。



「それで、君は文香の恋人だったりするのかな?」

「いやいやまさか。普段は鷺沢さん呼びですし、単純に同じ大学の友達ってだけですから」

「ほんとかぁ? 文香があんなに仲良くしてるなんて……っと、プロデューサーのセリフじゃないな」

 思ったよりもフランクな方だった。

「まぁ兎に角、君の事は信頼してるよ。だからこそ、さ……さっきの文香の表情……」

「何かありましたか?」

 事務所ではあんまり見せない表情だったりするのだろうか。
 確かに彼女は、表情が常に明るいとは考え難いけど。





「……完全に、女の目をしてなかったか?絶対君に気があるって」

 ……この人、鷺沢さんと同系統か?

「お茶を淹れるってのは、気がある証拠だから! 君に惚れてるに決まってるさ、あんなに笑顔だったし!」

 全会社のお茶を淹れてくれる女性に謝って下さい。
 あと、その理論だと貴方にも気がある事になるじゃないですか。

「まぁ君なら安心だな! とは言え立場上公認って訳にはいかないけど、これからも仲良くしてやってくれよ? あ、妊娠とかは絶対ダメだからな?」

 はぁ。
 鷺沢さんの恋が成就するのは物凄く先になりそうだ。
 とは言え、彼が鷺沢さんの心が僕に向いてると思い込み続けている限り、鷺沢さんにスキャンダラスな事が起こる可能性は低いだろう。
 であれば、そう思い込んで貰い続けるのは彼女のアイドル人生を思えば割と良いんじゃなんだろうか。

 ……仕方ない。

「まぁ、そういう事は無いと思いますけど、これからも仲良く出来ればなとは思ってます」

「文香のあのボディのアピールに掛かれば男性なんてイチコロだぞぉ?」

 イチコロされてない貴方が言いますか。




「……随分、楽しそうですね」

 鷺沢さん、ハイライト消しながら戻ってくるの止めて。
 僕にそのけは無いから。
 何この勘違い三角関係。

「ははは、つい意気投合しちゃってな。それじゃ、後は若い二人で」

 お見合いかよ。
 あと僕の方にウインク飛ばすのやめて貰えますか?

「……やはり、若さに身を委ねるべきなのでしょうか」

 そう言う意味じゃ無い。
 せめてやるなら僕のいないところでやって欲しい。
 ……まぁ、楽しく無いと言えば嘘になるし。
 可能な限り、僕も今を楽しもう。

「あ……交換日記、渡し忘れてました……」

 そう言って、プロデューサーさんを追いかけて行く鷺沢さん。
 青春だなぁ……青春か?

 そんな彼女の手には。
 以前僕が検閲してボツを食らった長編妄想日記ノートが二冊握られていて……



「違うそうじゃない思いとどまって!!」

 こんな風に振り回される日々が心地良いと思えてしまうあたり。
 僕もかなり、毒されているのかもしれない。



以上で終わりになります
梅雨、しんどいですよね
お付き合い、ありがとうございました

文香メインの過去作です、宜しければ是非

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乙でした。
とてもいい雰囲気でしたので、またこの続きを書いてくださると嬉しいです

乙乙
積極的()なふみふみが見れて楽しかったでごせーますよ

良いふみふみだった
おつ



さあ、長編妄想日記はよ! はよ!

クソ笑ったわ

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