鷺沢文香「燃える彼女がくれるもの」 (45)


「熱い」と、感じた。今は冬なのに。

目の前の少女はとにかく大きな声で、自己紹介……であろう言葉を続けている。

どこかの本に書いてあったのだが、人間が「極めてうるさい」と感じる音は、確か80dbかららしい。
その情報が、また、自分の今、抱いている感想が正しいのなら、この少女の口から襲い掛かる音はそれ以上のものということになる。
……確かその本の注釈欄には「※80db以上:地下鉄の車内、騒々しい工場内」などという、およそ人間の体から発せられるモノとは遠い例が載っていたはずなのだが。



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「よろしくお願いします!!!」

一際大きな結びの言葉を発した少女は、その小さな体を、見事に90度に曲げてお辞儀をしている。今にも"ピシッ"という音が聞こえてきそうだ。
どうやら自己紹介は終了したらしい。

かろうじて聞き取れたのは、お茶が好きということと、"ラグビー"という言葉。先程のお辞儀の丁寧さと照らし合わせると、体育会系のラグビー部に所属していた可能性が高い。
いや、女子ラグビーという競技の規模はどれほどだったろう?
あまり聞かないからには、男子ラグビー部のマネージャーという枠かもしれないが、まあどちらでもよい。
そして最後に――

「はっ! も、申し遅れました! 私、日野茜といいます!!!」

彼女の名前が"日野茜"であるということだけは理解することができた。


少しばかりの時間が過ぎ、茜が顔を上げる。
自分は今、目の前の少女にどんな目を向けているだろうか。懐疑? 恐怖? それとも驚き?
別段、怒りの感情が込み上げているわけではない。ただ少し、長い時間を物言わぬ古書との対話に費やしてきた自分にとっては、少しだけ、刺激が強かった。それだけだ。

こちらの発する、様々な感情が混ざっているであろう目線などは意にも介さず、茜はただ、純粋な好奇の目をこちらに返していた。
例えばこの世界が、オノマトペの目視できる世界であったなら。そのようなファンタジーだったならば、きっと彼女の周りには絶え間なく、キラキラとか、ワクワクとか、メラメラとか、そんな表現が飛び交っているに違いない。

「……」

「……」

沈黙。……ああ、こちらの挨拶を待っているのだ。

「鷺沢文香……と申します」

「鷺沢文香さんというんですね!素敵なお名前です!」

「は、はあ……ありがとうございます……」

「何かご趣味は!」

「趣味……と呼べる程のものかはわかりませんが、読書を多少、嗜んでいます」

「おお! かっこいいですね! 知的ですごいです!」

「そう……でしょうか」

「はい! お、お恥ずかしながら私は読書というものが苦手でして……! ぜひ何か、おすすめの本などを教えていただけると……!」

「え? ……あ、はい、では何冊か、見繕っておきます」

「本当ですか!? ありがとうございます!!!」

笑顔でこちらを褒めたかと思えば、すこし俯いてお願いをし、またすぐにお礼と共に笑顔が復活している。
"見ていて飽きないな"という気持ちと、"自分とは反対にいる人なんだろうな"という気持ちが、胸の中に生まれていた。


「……」

茜がこちらを見つめている。恐らく、こちらの自己紹介をまだ待っているのだろう

「あ、あの……」

「はいっ!」

「そのように見つめられましても……、私にはこれ以上、特筆するような情報は……」

「あ、す、すみません!」

「いえ、謝る必要は……」

なんだか少し、やり取りが噛み合っていないような気もするが、彼女とのファーストコンタクトはこのような流れであった。
この後、自分はレッスンのため部屋を離れ、茜は所属のための書類提出やら何やらがあるらしく、部屋に残っていた。

(不備なく書類を提出できるでしょうか……)

という感想は、初対面にしてはいささか無礼であったと思うのだが。


自分はアイドル事務所に籍を置いている。
というと回りくどい言い方になってしまうのだが、いかんせん"アイドルです"と自己を紹介するには経験も実力も足りていないのだから仕方がない。

この事務所に所属してはや数ヶ月。100人近くを数える先輩アイドルたちは、どこを見ても眩しくて、一番の新人である自分は恐縮しきりの毎日であった。

そんな中、新しいアイドルが所属することが決まった。それが日野茜である。
事実上の"後輩"ではあるのだが、先輩風を吹かそうなどということは露ほども思わなかった。
絵に描いたように明朗快活。笑顔を絶やさない彼女を見て、こういう人こそアイドルという職業にふさわしいのだろうな、とも感じ、自身を不甲斐なく思う気持ちが強くなってしまったくらいだ。


そんな彼女とは、翌日も顔を合わせることになった。

昨日の会話は、自分が部屋で本を読んでいる時に、プロデューサーが茜を連れてきたことによって始まった。
しかし、この日は逆だ。自分が朝、事務所の部屋に入ると、ソファの上に、なんとも落ちつかなそうな表情の茜が座っていた。
無理もない。新しい環境というものは、多少なりとも人の心に不安を呼ぶものだ。
恐らく自分なら、本を読むという逃げ道を用意していただろう。しかし、行動派(らしい)茜の持つ逃げ道の選択肢は、恐らくどれも体の動きを伴うものばかり。結果として、消化できないウズウズを胸に、ソファに鎮座する以外なかったのだ。

「あっ! 鷺沢さん! おはようございます!!!」

こちらの存在に気がつくと茜はすぐさま立ち上がり、1日ぶりのキレイなお辞儀と、1日ぶりの80dbを披露してくれた。

「おはようございます……」

茜の声に比べると、まさに蚊の鳴くような声。もちろん向こうは気にしない。

「鷺沢さん! 今日はお仕事ですか!? レッスンですか!?」

「私はボーカルレッスンです……。日野さんのご予定は?」

「確か皆さんのレッスンの見学だったはずです! ですが、ダンスレッスンと言っていたので、鷺沢さんのレッスンではなさそうです……」

なぜか茜は残念そうに目を伏せるが、自分としてはラッキーだ。アイドルという未知なるものに大きな期待を抱いている茜に、自分のような不器用なダンスを見せてしまっては忍びない。いずれは見られてしまうものだろうとは思うが、最初は素敵なダンスを見てほしい。
ちらと予定表を確認し、ダンスレッスンが組まれている名前を見つけ出す。
姫川・城ヶ崎・大槻・若林……
よかった、このメンバーなら安心だ。茜に失望感を与えることもないだろう。


「えっと、アイドルのことは良くわからないのですが、鷺沢さんは、デビューとか、そういうのはまだなんですかっ?」

茜が尋ねる。
そういえば、自分がまだ新米であることすら話していなかった。

「はい。というのも、私もまだ、この事務所に入って半年も経っていないのです。日野さんと同じ、"新人"と呼ばれる部類に入るのでしょう」

「え? あ、そうだったんですか! おキレイですから、てっきりもうご活躍されているのかと……!」

「ありがとうございます……。世辞だとしても、むず痒いものですね」

「せじ……?」

「あ……"お世辞"ということです。お世辞と言うのは……」

「ああ! "お世辞"ならわかりますよ! い、いえ! わかるといっても、さっきのはお世辞でもなんでもなくてですね!」

「そう……ですか」

「あ! それと!」

「?」

「私の方が年下ですから! "茜"とお呼びください!」

「は、はあ……。では、茜……さん」

「はいっ!」

心底嬉しそうに笑顔を浮かべる茜。
他人との距離の縮め方が上手いと、感心するばかりであった。


しかし、昨日今日と、全ての会話において茜から話を振ってもらっている気がする。流石に話題提供の一つでもするべきか。
そう感じた結果、適当な話題を振ることにした。

「茜さんは、昨日、あの後は何をされていたのですか?」

「あの後ですかっ! 書類を全部出した後、自由になったので、一旦家に戻って……。あ! ○○神社でお参りをしました!」

失礼ながら、意外だ。
そういう信心を大事にするタイプなのだろうか。確かに、○○神社はこの辺りでは1番大きな神社である。とはいっても、事務所からだと4駅くらいは離れているが。

「そうですか……。その近くにお家が?」

「いえ! 私の家は××駅の近くです!」

驚いた。××駅は、事務所から神社とは反対方向の駅だ。
いささか長い時間を電車での移動に割いてまで、お参りしたかったのだろうか。

「××駅からだと、電車ではどれくらいかかるのですか?」

「え? 電車ですか? えっと……す、すみません、わからないです……」

「……?」

「電車は使っていないので……」

少し混乱してきた。茜が家から○○神社へ行ったのは事実である。そして、茜の家から○○神社が遠いということも事実だ。
しかし電車は使っていないという。まさか車? いや、そもそも免許を取れる年齢なのだろうか。では自転車? それも少し辛い気がするのだが……。

まさか、走って、などということはないだろう。

「家からランニングをしていたら、偶然辿り着きまして!」

そのまさかだった。

あっけらかんと言う茜に対し、どうしても"信じられない"という眼差しが隠せなくなってしまった。
"行動派(らしい)"などという騒ぎではない。茜の行動力と体力はまさに底なしだ。

――少し、羨ましいと、感じた。

――――――――――――――――――――


ある日の午後、レッスン後にいつものように事務所で読書をしていると、ふいに声が掛かった。

「あら、文香。お疲れ様」

「お疲れ様です。奏さん」

栞を挟んだことを確認して、本を閉じる。

声の主は速水奏だ。入社当初からなにかと気にかけてもらっている。
いや、向こうの方が年下なのだから、"気をかけてもらう"というのも変な話ではあるが。
そんな彼女は、口元に軽い笑みを浮かべていた。

「聞いた?」

「……?」

「その顔は、まだ聞いてないのかしら?」

「ええと、すみません、大意が掴めず……」

「ああ、ごめんなさいね、文香、日野茜ちゃんってわかる? つい最近入ってきた娘なんだけど」

「ええ、存じ上げています。何度かお話もしました」

「あら」

奏がわざとらしく目を丸める

「意外ね。文香とは対極の感じに見えたけど」

「それは……否定できませんが」


「まあいいわ。あの娘、昨日から本格的にダンスレッスンが始まったらしいんだけど」

「はい」

「なんと、レッスンの間、一回も休憩せずに踊り続けたらしいのよ。3時間も」

「……はい?」

自分の耳を疑う。思わず間の抜けた声で返事をしてしまったことも自覚がない。
意味がわからない。3時間も体を動かし続ける? 何を言っているのだろう?

「しかし、休憩時間は与えられるはずでは……」

「もちろん、いくら厳しいレッスンでも、休憩は与えられるわ。でも、その休憩時間の時もずっと踊っていたらしいの」

「……」

「まあ、最初のレッスンだから、基本的なステップを教わったくらいでしょうし、振り付けと呼べるものでもないとは思うのだけど……。驚異的よね」

「……凄まじいことです」


「しかも、それだけじゃないの」

「え?」

「その後、"動き足りない"ってそのままランニングに行ったんですって」

「……」

"開いた口が塞がらない"という表現を、こんなにも的確に使用できる瞬間が人生において訪れるとは。

「まあ私も実際にその光景を見ていたわけではないけれど……、文香、気をつけなさいね?」

「気をつける……とは」

「だって、茜と一番入社時期が近いのは文香でしょう? これから、一緒にレッスンすることが多くなると思うわ」

「なるほど……」

「向こうのペースに引っ張られすぎないようにね。怪我をしては元も子も……あっ」

「ご忠告、感謝いたします」

まさに翌日、文香と茜のダンスレッスンが重なっている予定表を視界に捉えた奏は、苦笑交じりに部屋を去っていった。


多少の不安を抱えたまま迎えたダンスレッスン。
レッスン室に行くと、既に茜はウォーミングアップを開始していた。

「! 鷺沢さん! よろしくお願いします!!!」

わざわざストレッチを中断して駆け寄ってくる茜。
そんな期待した目で見ないでほしい。自分はお世辞にもダンスが上手いわけではないし、体力もない。きっと失望させてしまう。
なんなら今日、茜に抜かされてもおかしくないのだ。

そんな中、レッスンがスタートした。

まずは基本的なステップから。手本代わりに自分がひとりでやることになった。これはずっと練習してきたものだ。最初は自身のリズム感の無さを恨むだけの時間であったが、今では十分、こなすことができる。

「……ふう」

一連の動作を終えて一息つく。これだけで多少の疲労を感じている自分が不甲斐ないが、茜はどう見ているだろうか。
ふと目をやると、キラキラした目がこちらを見つめていた。

(そんなに目を惹く動きではなかったと思うのですが……)

茜が何か言いかけたが、それより先にトレーナーさんから"では、日野さんもやってみてください"という声が飛んでいた。


彼女のステップはとにかく速く、豪快で、そのセンスを感じずにはいられないものだった。
トレーナーさんも、時折"走ってますよ"という声はかけるが、おおむね満足気だ。

そこから、簡単な手の振りや、様々なステップを組み合わせたレッスンが始まった。
茜にとってはどれも初めての動きであったはずなのだが、いつの間にやらモノにしている。自分はやったことのある動きばかりなのに、茜より遅いことすらあった気もする。

――対抗心。などということでは一切無いのだが、どうやら自然といつもより力が入っていたらしい。休憩時間を迎えた瞬間、床にへたり込んでしまった。

「鷺沢さん!! 大丈夫ですか!?」

茜が駆け寄ってくる。それはそれは心配そうな顔で。

「はい……、少し休憩すれば……」

そう言って、部屋の端に移動し、水分を補給する。茜は、しばらく不安そうな目を向けていたが、その後、ステップの復習を始めた。
見れば見るほど圧倒される動きだ。まだまだ荒削りではあるものの、それが茜には似合っている。

それが自分はどうだ。物事には得手不得手があることなど重々承知ではあるのだが、やはり情けない。


そうして茜のステップを眺めていると、すぐに休憩の終わる時間が来てしまった。
重い体に鞭打って立ち上がろうとするが、思いの外疲れていたようだ。

「……っ!」

少しよろけてしまった。すると。

「鷺沢さん!!!」

ガシッっと、茜が体を支える。

「あ、す、すみません……」

「鷺沢さん」

少し真剣な表情になった茜が、こちらへ何かを語りかけようとする。

"頑張りましょう!"だろうか。それとも"ファイトです!"か。恐らく飛んでくるであろう励ましのワードを脳内に羅列していると。

「もうちょっと休憩した方がいいです!」

……意外な言葉が聞こえてきた。返答に戸惑っていると、すぐさま茜はトレーナーさんのもとへ向かって話をしていた。
結局、その日のレッスンは休憩が多めで、なんとか文香も最後までやりきることができた。


レッスンを終え、着替えを済まし、さて帰ろうかと考えていると、茜が目の前にいた。

"お疲れ様でした"と声をかけようとしたその刹那。

「すみませんでした!!!」

もうこのお辞儀を見るのは何度目だろう。もちろん、それ以上に気になるのが言葉の内容ではあるが。

「えっと……?」

「わ、私がペースを上げてしまったせいで、鷺沢さんのペースを乱してしまって……! で、でも、鷺沢さんのダンス、なんかこう……優雅といいますか! あの、素敵でした!」

「あ、ありがとうございます……。ですが、ペース云々については、ひとえに私の体力不足が原因ですので、茜さんが謝ることでは……」

「いえ! そんなことは……! ですので、今日は鷺沢さんをお送りいたします!!!」

「……え?」


一瞬の驚き、しかし、すぐに真意に気がついた。茜は、疲れている自分を気遣っているのだ。

「……お気持ちは有難いのですが、茜さんの家とは方向が違いますし」

「いえ! 大丈夫です! きっと走って帰れる距離です!」

恐らく、自分がどこに住んでいようと関係ないのだろう。というか茜は自身の家まではナチュラルに走って帰るつもりなのか。

「それでは茜さんの方が疲れてしまうのでは……」

「問題ありません! 体力には自信があります!」

「ですが……」

「あっ……」

何かに気付いた茜が、途端にしおらしくなる。

「どうかしましたか?」

「め、迷惑……だったでしょうか……?」

恐らく、自分が今まで聞いた中では最も小さい声。
いや、それ以前の問題だ。自分は何をしているのだろう? 気を遣って"送る"と言ってくれたのに、今度は"迷惑じゃないか"と気を遣わせている。
ここは好意に甘えるべきだ。

「いえ、そんなことはありません……。では、よろしくお願いいたします」

「……!!! はいっ!!!」

恐らく、自分が今まで聞いた中で、最も大きい"はい"だった。

――――――――――――――――――――


それから何日か経過したある日。

この日はひとりでボーカルレッスンの予定が入っていた。
さて、とレッスン室の扉を開けようとすると。

「あ! 鷺沢さん! こんにちは!!!」

……段々驚かなくなってきている自分に、少し驚く。

「こんにちは。……レッスンですか?」

「はい! 30分後からなので、先に軽く動いていようかと! 鷺沢さんもレッスンですか?」

「私はボーカルレッスンです」

「そうなんですか! 頑張ってくだ……」

ピタッ、と、不意に茜の発言が止まる

「どうか……しましたか?」

「あ、あの……」

「はい」

「鷺沢さんのボーカルレッスン、け、見学させていただいてもいいでしょうか……!」

「……はい?」

「あ、ご、ご迷惑ならいいんです!」

「いえ、そのようなことは……。私のレッスンで良いのでしょうか?」

「もちろんです!!!」

そうして、最初の30分だけ、茜が見学することになった。


そういえば、茜にボーカルレッスンの光景を見せるのは初めてだ。聞くと、まだレッスン自体をやっていないという。
なるほど、詳しくはわからないが、ボーカルや表現力は一旦見ずにダンスを鍛え上げて、バックダンサーなどのポジションからデビューを狙っていくのかもしれない。

自信がある。とは口が裂けても言えないが、ダンスに比べれば、いくらかは見苦しくないものだとは思っている。
……正確には"聞き苦しくない"だろうか。

軽いウォーミングアップを終えて、歌唱に移る。もちろん自分の歌などないので、トレーニングに使用されるのは様々なジャンルの歌だ。

スローテンポの曲は得意だが、どうしてもテンポの速い曲は苦手だ。しかしこの日は運よく、バラード系の歌唱練習であった。

「~~~~♪」

抑揚や表現など、教わった内容を意識しながらのレッスン。調子も悪くない。

ふと茜を見ると、いつかのダンスレッスンを思い出すようなキラキラした瞳と、あんぐり開いた口が感想を物語っているようだった。
その次に見たときには、既にレッスンへ向かったようで、茜の姿はなかった。

(少しは……汚名を返上することができたでしょうか)

茜がどんな感想を抱いていたのかは、この後、意外な形で知ることになるのだが。


レッスンはそのまま、滞りなく終了した。

普段なら部屋に戻り読書をするところだが、時計を見ると、恐らくまだ茜はダンスレッスンをしている時間だった。
自身の練習時間を割いてまでこちらのレッスンを見学してくれたのだ、挨拶の1つくらいはするのが妥当だろう。
"ついでにお昼にでも誘おうか"と、少しでも考えている自分の存在に驚きながら、ダンスレッスン場の前まで辿り着くと、中から茜の大きな声が漏れ出していた。話し相手はトレーナーさんだろうか、どうやら休憩時間らしい。

……いや、普段の茜は、休憩時間だろうと体を動かし続けていたはずだ。それほどまでに話したい内容があったのかもしれない。
どちらにせよ休憩中なら入りやすい。ドアノブに手をかけようかという、その瞬間。

「そうなんです! 鷺沢さんの歌声! もうキレイで! すごくて!」

「……!」


ふいに聞こえた自分の名前に、全身がビクッと硬直する。
思わずドアノブから手を引き、耳を澄ませてしまう。

「私には絶対あんな雰囲気は出せません……! 感動しました!!」

力説する茜。相手の相槌をかき消す勢いで言葉が並んでいく。

その一方でこちらは、恥ずかしい、過大評価だ、他にも凄い娘はたくさんいる……。などと頭の中で、誰にするわけでもない言い訳を唱え続けることしかできない。

当然ながら、ドアを開けることはできず、そのまま逃げるように帰宅の途に就いた。

途中、すれ違った奏に、

「顔が赤いわよ?」

と笑われたのも仕方のないことだろう。

そして、

「なんだか嬉しそうね」

と言われたことも。

――――――――――――――――――――


少し、時間は巻き戻る。

新しいアイドルが所属することになる。と決まった時の事だ。

自分にとって、初めてできる"後輩"という存在。
不安や期待などの感情が入り混じるには十分すぎる要素ではあるが、それ以上に、この事務所のとある"方針"が拍車をかけた。

・基本的にアイドルはユニット単位で売り出す。
・ユニットを組むのは、入った時期が近い者同士が多い。

よくよく考えれば自然な方針といえる。人数が決して少なくない事務所だから、ひとりひとりのプロデュースは手が回りにくい。
また、入った時期が近いということは、受けたレッスンも基本的に同じということだ。振り付けなどの指導もしやすいことだろう。
そして、自分の1つ前に入ったアイドルは既に同期でユニットを組んでいる。つまり、次に入ってくるアイドルとユニットを組むであろう可能性が高いのだ。

しかしながら、茜を初めて見た時には、すぐにこう思った。

(恐らく、彼女とユニットを組むことはないでしょう)

と。


自分はアイドルの売り出し方などについて、全くの素人だ。
だが、流石に分かる。この燃えるような熱い少女と、内向的で消極的な自分が噛み合うはずがない。

どう考えても、自分では彼女の良さを殺してしまう。もっと合うアイドルを即刻スカウトして組ませるべきだ。
……などと考えていて、彼女の自己紹介のほとんどを聞き流してしまったことは秘密なのだが。

きっと、無理にでも他人を引っ張っていくような人だ。
きっと、自身のスタイルは曲げず、頂上まで駆け上がるような人だ。
きっと、暗い自分のことなんて気にもかけず、皆の中心になるような人だ。
きっと、もう話すことなんてなくて。
きっと、話しかけられることもなくて。

きっと――


思い込み? 固定観念?

いや、そのような形式ばった言葉で逃げてはいけない。

ただの悪質なレッテル貼りだ。

自分に持っていないものをたくさん、溢れるほどに持っている、茜に対しての。

妬んでいたのかもしれない。単純に。


でも、だからこそ、そこからの毎日は、発見の連続と呼ぶ以外にないような日々であった。

茜は、いつも話しかけてくれた。誰にでも丁寧で、礼儀正しくて、人の嫌がることなど絶対にしない。

体力が話題になった時もそうだ。"凄い"という声はあちらこちらから聞かれたが、"巻き込まれた""迷惑だ"という声を聞いたことは一度もなかった。
むしろ相手のことを尊重し、自分自身に非があると思えばすぐに謝る。
たとえ違うタイプのアイドル――例えば自分のような――に対してでも、尊敬の念を忘れなかった。

自分が恥ずかしくなった。勝手なイメージで、レッテルで、距離を置こうと一瞬でも考えた自分が。

日野茜とは、そういう人物であった。

それ故に、茜と共にプロデューサーに呼び出され、2人でユニットを組むという旨を告げられた時には、多少の驚きはあれど、戸惑いの気持ちなどは一切と浮かんではこなかった。


逆に、茜の方には、誰の目にも分かるくらいに驚きの表情が見て取れた。

「わ、私でいいんですかっ!?」

という反応。少し混乱しているのかもしれない。

「よろしくお願いしますね」

というこちらの台詞が言い終わるのも待たずに、

「よ、よろしくお願いします!!!!」

……最高記録更新だ。


2人で部屋に戻りながら、話をする。

「あ、あのっ! 私! さ、鷺沢さんとユニットになれて、とっても嬉しいです!!!」

「……私もです。改めて、よろしくお願いしますね」

「はいっ! もちろんです!!」

「あ、それと1つだけ……」

「へ?」

「ユニットを組むことになったら、言っておかなければ、と思っていたことがありました」

「な……なんでしょう……?」

茜の顔つきが一気に神妙なものになる。
きっと、"神妙な顔をしてください"と注文をつけられても、ここまで完璧にはできないだろう。というくらいに。
無駄に意味深な言い方をしてしまったことを反省しつつ、茜に告げる。

「文香……と」

「え……?」

「文香と、お呼びください。"鷺沢"というのは、どうしても距離を感じてしまいます」

「……!」

もう何度見たかわからない程キラキラした目と共に、茜の肺に空気が装填される気配があった。

(流石に、耳を塞ぐのは失礼でしょうね)

「はい!!! 文香さん!!!」

よかった、人間の鼓膜というのは、思っていたより頑丈らしい。


さて、先ほども少し触れたが、自分の1つ前に入ったアイドルは既にユニットを組み、つい先日にデビューを果たした。
つまりこの事務所でデビューを待つのは自分たちのみ。風の噂では、もうデビューライブまでの道筋も決まっているらしい。

その証拠……と呼べるかは分からないが、茜にもボイストレーニングやボーカルレッスンが組まれるようになった。
そう考えると、レッスンにも自然と力が入るようになる。ダンスレッスンは茜が引っ張り、歌については、微力ながら自分が手助けをする。

1つ、わかったことがある。相反する個性というものは、決して互いを殺すものではない。
茜の激しい動きがあるからこそ、自分の動きが引き立つように感じる。願わくば、茜の方もそう感じていてくれると良いのだが。
それがわかって事務所は2人をユニットにしたのだろう。

つくづく、自分はアイドルについて素人だと痛感する。

このまま、お互いに高めあうことができれば、きっと、どこまでも上を目指すことができる。

……そんなユニットを、もしも殺してしまうものがあるのだとすれば。


それは、例えば。

――――――――――――――――――――


大方の予想通り、2人のデビューイベントが決定した。

決して大きくない舞台で、他のアイドルの前座的なものであることは否めないが、ライブはライブ。
今まで以上にレッスンに熱が入る。
特に、ダンスレッスンには一層の努力が必要だろう。と思うと、居ても立ってもいられない。

そもそも、超がつくほどのインドア派だった自分の口から"居ても立っても~"という文言が飛び出ているという時点で、これまでの日常などは過去のものなのかもしれないが。
レッスン前、レッスン後、さらには朝や夕方にも。空いている時間を見つけては、ダンスを詰め込む。

茜に迷惑はかけられない。

疲れてなどいない。


つもりだった。


ライブが近づいてきたある日。ユニットでのレッスン。

いつものように意気込んで臨み、いつものようにメニューを終える。
……はずだったのだが、なぜか力が入らない。

いつもだったらしないはずのミスを連発してしまう。

「文香さん、だ、大丈夫ですかっ」

思わず茜も声をかけてくれる。

「す、すみません……問題ありません……」

その心配を振り払うように、体を動かす。

茜が一瞬、寂しそうな目をしていた。しかし、足を引っ張るわけにはいかない。

そのままなんとかレッスンを終えるが、どうしても出来に納得がいかなかった。少し残って練習を続けようかと考えていると、ふいに、茜が口を開いた。

「文香さん、大丈夫なんですか……?」


きっと、これが、茜がくれた、最後のチャンスだったのかもしれない。

それなのに自分は、安易に答えてしまった。

"優しいな"なんて呑気な感想を頭に浮かべながら。

「大丈夫です」

と。


茜の目も見ずに。


「すみませんが、少し残って練習しますので茜さんは先に……」

「どうしてですか……?」

「……え? いえ、これ以上茜さんに迷惑をかけるわけには」

「どうして……?」

「で、ですから」

「どうして……ウソをつくんですか……?」

予想だにしないセリフ。思わず茜の方に体を向ける。


そこに、いつもの太陽のような笑顔は存在しなかった。

いたのは、俯き、肩を震わせ、悔しそうに言葉を紡ぐ少女だった。

「茜……さん……?」

「私は……バカですけど、文香さんが休んだほうがいいってことくらいわかります……!」

「ですが……」

「わ、私がっ! ……私がどれだけ文香さんのことを見ていたと思うんですか!」

「え……?」


「一目見た時から……!」

「キレイだなって! ずっと憧れて!!」

「あんな風になれるかなって! こんな……こんな私でもなれるかなって!」

「ずっと! ずっと見てきたのに!!」


「なんで……どうしてウソをつくんですか……? 文香さん……」


思いの丈を吐き出した茜の目には、涙。


「私は……、文香さんの歌と、文香さんの踊りが好きなんです」

「……」

「無理したら、文香さんが文香さんじゃなくなってしまいます」


日野茜という人物は、とても、とても優しくて、真っ直ぐで。
いつだって、こちらを信じてくれて。

それなのに自分は。
勝手に頑張って、勝手にダメになりかけて。

茜がいつ、自分のダンスを、体力を、動きを迷惑だと言った?

茜がいつ、こちらに自身のレベルを押し付けた?

自分は、この期に及んで、まだ何もわかっていなかった。

茜はきっと、辛かったのだろう。頼られないことが。
憧れていたからこそ、ユニットを組んだからこそ、信じて、頼ってほしかった。信頼してほしかった。


ではここで自分が言うべき台詞は? するべきことは?

謝罪? 違う。

感謝? それも違う。


「……茜さん」

「は、はいっ!」

「すみませんが……」

「……」

「家まで、送っていただいても、よろしいでしょうか……?」

「~~~!!!」

久しぶりのこの感覚。耳を塞ごうとも思わない。

「はい!!!!!」

少し、甘えさせてもらおう。


事務所から駅までの道すがら、口を開く。

「甘えたくなかったんです」

「え?」

「"先輩だから"とか"年上だから"とか、そのような思いが根底にあるのかはわかりません。ですが、茜さんに、弱い私を見せたくなかったんです」

「文香さん……」

「ふふ……、なぜでしょうね」

「え、えっと……」

「……」

「ふ、文香さんっ! ラグビーのルールはご存知ですか!」

「ラグビーのルール……? いえ、詳しくは……。確か、前にボールを投げてはいけないんですよね?」

「その通りです! 前に進むために、ボールを一旦後ろに下げなければいけないんです!」

「は、はい」

「ですが、その一瞬の後退を、誰が笑うのでしょうかっ! 誰も笑いません! なぜなら前に進むためだからです!!」

「……」

「ラグビーは、壁と戦うスポーツです!! みんなで、敵の壁を頑張って越えるんです! でも、アイドルだって同じです!!」

「……」

「立ちはだかる壁! それを越えるためには1人じゃダメです! 時に後ろを向いても、そこには仲間がいます! 頼りましょう! 甘えましょう! そして、その人が前に出て壁にぶつかった時! 今度は自分が助けるんです!!!」

「……」

「?」

「……ふふっ」

「ええっ!? な、なにかおかしなことを言ってしまったのでしょうかっ!?」

「いえ、……ただ、嬉しいのです」

「えええ?」

「そろそろ、駅に着きますね」

「???」

アイドルになってよかった。と、心から感じる。
ライブだって、その先だって、きっと、茜となら上手くやれるだろう。

いや、"きっと"ではない。

"絶対"に。

――――――――――――――――――――


さて、時間が過ぎるのはとても早いものだ。
あっという間にレッスン漬けの日々は過ぎ去り、いつの間にやらライブ当日。
衣装を合わせ、準備を整えた2人は舞台袖にいた。

双方の表情から自信が伺える。
先に口を開いたのは茜だ。

「文香さん! 今日もとってもキレイです! 頑張りましょうね!」

ここでいつもなら、少し微笑み、"はい、頑張りましょう"などと返していたところだろう。

しかし、ふいに。

少しだけ、悪戯心が顔を覗かせた。


「はい、頑張りましょう。茜さんも、とても可愛いですよ」


「……」

「……」

どうやら言葉が飲み込めていないようだ。

「……!!!!!!」

おや、飲み込めたらしい。

茜はその顔を、まるで燃えるように真っ赤に染めている。

「ふふふ……」

たまにはからかっても、バチは当たらないだろう。
それに、本心だ。

「……!!!!!」

茜はまだ、口をパクパクさせている。

「茜さん」

「ひ、ひゃい!!!」

「これからも、私を支えてくださいね」

「!!!」

顔の赤みを取り除くためだろうか、茜が頭を横に激しく振る。
そしてすぐさま、今度は首を縦に振り回し、全力で肯定の意を示す。

息を吸い込む音。もはや心地よい。


「もちろんです!!!!!」




おわり






普段はコメディ書いてます



過去作


双葉杏「対義語病」

森久保乃々「おおごえあれるぎぃ……」

智絵里「わたしたちの」ほたる「冠番組」朋「『○っく・らっく・らっく』……?」


などもよろしくお願いします


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