姫川友紀「サニー・ブルース 7inch.」 (159)


風の吹く街の中を、止まらずに歩いていく。

前を往く背中を、ただ追いかける。






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交差し、すれ違い、時に止まり、また流れ出す。

慌ただしく流れ続ける人の波は、今がお昼時だなんて感じさせない。


一体どこに向かっているのだろうか。


答えを知るのは、先を歩く男の足だけ。

左の手首を掴んであたしを連れ出したその手は、今は彼のポケットの中。



あたしには今、こんなことをしている暇はないというのに。

姫川友紀「…ねえ、プロデューサー」

P「んー?」

友紀「どこ、行くの?」


たまらず訊いてしまった。


P「…そうだな」


まさか、こんな答えが返ってくるとも知らずに。


P「どこに行こうか」

ぴたりと足を止め振り返った眼前の男は、とんでもないことを口にする。


友紀「…は」

P「どっか行きたいとこ、ある?」


訂正しよう。目的地なんて、最初からなかったのだ。あたしに分かる筈がない。

…嘘でしょ?


――


友紀「…帰る」

P「まぁまぁ。あ、バッセンとか」

友紀「行かない」


踵を返し、事務所に逆戻りする。

小さいため息のような音が、後ろから聞こえたような気もするけれど。そんなの知らない。


時間を無駄にしてしまった。ため息をつきたいのはこっちだよ。

今から戻って、空いてるレッスンルームはあるのだろうか。


振り付けがまだ、完璧じゃないんだ。右足をこう踏み出して、こう。腕はこうして…。

頭の中で動きをイメージする。でも、実際に体を動かせなくちゃ仕方がない。

練習しなければ。はやく、はやく、早く。


…早くモノにしないと、間に合わない。



P「…おーい」


大した時間も掛からずに追い付いてくる。

でも、知らない。あたしは急いでいるんだ。


P「昼飯食った?俺まだだからさ、一緒に…」

友紀「さっきおにぎり食べたから平気」

P「…そ」

友紀「うん」

P「じゃあ…シューズ、新しいの欲しがってたろ。見に行かないか」

友紀「行かない」


逆に、なぜ行くと思うのだろう。

空いていたルームを借りて、さっきまでダンスの特訓をしていたんだ。

おかげで服装は練習着のまま。準備も碌にしないまま連れ出された。こんな格好でどこに行けと言うんだ。


友紀「………」

P「…なぁ」


無駄に歩かされて、練習の時間は削られて。こうしている内にも、貴重な時間は消えていく。

募る苛立ちに急かされるように、歩く速さも次第に増していく。

P「ユッキってば」

友紀「!」


不意に、掴まれる。今度は右肩。



友紀「離してよ!」

P「…っ」


思わず振り払ってしまった。

P「…ごめん」

友紀「……もう!何なのさっきから!どこにも行かないって言ってるじゃん!」


一瞬、ほんの一瞬だけ。ビックリした顔と、逸らした視線に罪悪感。

でも、悪いのはあたしだけじゃない筈だ。



友紀「さっきだって、自主トレしてたのにいきなり連れ出してさ」

P「それは…ちょっと息抜きでもと思って」

友紀「休憩ぐらい自分で取れるよ!」


実際、休んでいたところだったのだ。水分と軽食をとって、さあもう一度と意気込んだ、矢先の出来事だった。

P「休憩って意味だけじゃなくてさ」

友紀「じゃあなに!?」

P「…最近、詰めすぎ。もう少し余裕持てればと思って」

友紀「これくらい普通!」

P「普通って…明らかにオーバーワークだよ、お前」

友紀「体調管理ぐらいできてるよ!」


本番前にたくさん練習することの何がいけないんだ。

これでも元マネージャー。自分が倒れるような無茶な練習に臨んだりはしない。

P「身体壊しちゃったら元も子もないだろ?だから…」

友紀「だってLIVE前だよ!?これでもまだ足りないくらいなのに!」

P「まだ時間はあるって」

友紀「ない!あと2週間!」

P「今すぐじゃなくても、少しずつ調整していけば」

友紀「できない所があるのに、調整も何もないでしょ!?」

友紀「時間がないんだよ…!なんで分かってくれないの…?!」


一度決壊してしまえば、止まらない。

元々大きめな声だけど、今ばかりは余計に張り上げてしまう。



友紀「せっかくドームでLIVEなのに、これじゃあ間に合わない!!」


P「……」

友紀「…」


互いにしばらく顔を見つめる。



あたしは多分、見るというより睨んでた。


…どうしてプロデューサーは、そんなに困った顔をしているんだろう。

痛ましいものを見るような視線を向けてくるのはなぜ?


彼のこんな表情を見るのは、初めてだった。


    「なんだなんだ」   「?」     「ライブとか言ってたけど」

「…邪魔」  「喧嘩じゃないの」   「…」    「あの娘見たことあるような…」



ひそひそと聞こえる声や視線に気が付いて、改めて自分たちの状況を確かめる。

川の水を遮る岩のように突っ立っている2人。

行き交う人々の中で、注目を浴びない訳がなかった。

P「…とりあえず、行くか」

友紀「……うん」


ひとまず、提案に乗ることにする。


行くって言ったって、どこに行くのかも決めてないくせに。

友紀「…」

P「…」


…気まずい。何なんだ、今日のプロデューサーは。

突然現れたと思ったら、目的もなく外に連れ出したりなんかして。

息抜きがどうこう言うかと思えば、また黙ってしまった。


いつもなら。

あたしが自主トレしてる時に出くわした時、いつもだったら。


珍しく真面目にやってるんだな、なんて軽口叩いて。ドリンクの1つでも差し入れしてくれて。

…いや、珍しくって何さ。あたしは練習でも何でもいっつもマジメにやってるよ。


それは置いといて…。

差し入れくれたり、見ていた感想をくれたり。頑張れって言ってくれたり。


こんな扱いじゃなかった筈なんだけど。



…分からない。少なくとも、普段の彼らしくはない。

P「…やっぱ、どこか寄っても良い?」

友紀「だから、行かなくていいってば」

P「いや、その…俺がさ、」


同時に、耳に違和感。言葉とは別に、小さい音が同時に聞こえてきたような。


P「腹減ったから、何か食べたいなぁって」

友紀「…」


…何なんだ、本当に。


――――

――

P「ここ、学生の頃はよく来てたんだ」

友紀「へぇ…」

P「でも最近は全然で…ちょっと久し振りだな」


着いたのは、近くにあったやや小さな喫茶店。通りからはちょっと外れたけれど。

今になってようやく、ちゃんとした目的地に到着したことになる。


あんなことを言われては。

…正確には、あんな音もおまけに聞かされては。「1人で行け」だなんて突っぱねる気力は湧かなかった。

ファミレスとかコンビニで済ませれば良いのに、とはちょっとだけ思ったけれど。一緒に呑み込むことにした。


からんころんと音がして、扉が開く。外観からのイメージ通り、何というかレトロなムードが漂っている。

…わ、レコードだ。久し振りに見た。


P「…変わってないなぁ」


ぽそりと呟く。どうやら前からこんなお店みたい。

P「ごめんな、さっきから。変に付き合わせて」

友紀「…もう良いよ。今日はなんか、疲れちゃったし」


席について、言葉を交わす。


友紀「練習って気分じゃなくなっちゃった」

P「そう、だよな…ごめん、邪魔して」


そう言って、また視線が下がる。

…そんな申し訳なさそうな顔、しないで欲しいんだけど。

友紀「…それに」

P「?」

友紀「歩いてたら、あたしもお腹空いた気がする」

P「…!そっか」

友紀「だから、あたしも何か食べてく」

P「おう」


…変なの。なーんかバツの悪そうな顔してた癖に。

ただご飯食べるってだけなのに、ちょっと嬉しそうにしてるのはなんでさ。


なんだか調子が狂うことばっかりだ。

食べるもの食べて、さっさと帰ってストレッチでもしよう。


P「俺はコーヒーと、サンドイッチかな」

友紀「…同じので良いよ」

P「了解」



P「すいません、ブレンドと…」

「サンドイッチ」

P「え?」

「いつものだろ?」

P「…、覚えててくれたんですか」

「お前みたいなクソガキ忘れるわけねえ」

P「えっ」

「いつもにげぇにげぇ言いながらうちのコーヒー飲んでたあのガキだろ、お前」

P「…ッス、ご無沙汰してます…」


…何やら、お店の人と話し始めた。仲が良いのだろうか。

行きつけだったという話は、嘘じゃないみたいだ。

「…久々に顔見せたかと思ったら」

友紀「?」


ちらと目が合った。つい会釈をしてしまう。

視線は鋭いけど、雰囲気はそんなに怖くないかな。


「良い身分になったもんだな、こんな昼間っから」

P「…昼休みですよ。仕事中、たまたま寄ったんです」

「フン、どうだか。せいぜい彼女と仲良くしてな」

P「違いますって!」

友紀「…」


言い返すのを尻目に、すたすたとカウンターの向こうに行ってしまった。

…チ、チガウシ。カノジョトカジャ、ナイシ。

だって、えーっと…


そ、そうだ。プロデューサー、キャッツのファンじゃないし。

こんなヤツ、こっちからお断りだし。

…今はそういうことにしておこう、うん。


聞いてなかったフリをしてごまかすように。視線を店内に移して、改めて見回すことにした。


壁に掛かった絵。

飾られた人形や瓶。

流れている曲。


見渡す限り、見れば見るほど。

彼らが過ごした年月の長さが、体に染み込んでくるようだった。


…。

知らずのうちに目に留まっていたのは、先程も視界に入ったターンテーブル。


物悲しげで憂いを帯びた、ノイズ混じりの古めかしいフレーズが。

寂しげに、店内に響いている。


…あ、音が飛んだ。やっぱり古いものなんだね。


いや、よく聞くと違う。針が飛んで、少し前に戻ったんだ。

…また戻った。


…まただ。

また。一体、何回繰り返すのだろう。


店に入ってからそんなに経っていないのにも関わらず、もう何度も繰り返している。

P「気になるだろ」

友紀「…うん」


凝視しすぎて、気付かれてしまったみたい。

P「俺も気になる。昔っからああなんだ、アレ」

友紀「そうなの?」

P「少なくとも、俺が通ってた頃から。良いところでいっつも針飛びするんだよ」

友紀「…」

P「溝に傷とか付いてるのかも」

友紀「あぁー…」

P「あのレコード、マスターのお気に入りらしいんだけど。…おっ、ようやく進んだ」


クライマックスで少し前に戻って。

同じ所で転んでは、何度も何度も繰り返してた癖に。


少し上手くいったかと思えば、なんでもなかったような顔をして。

澄まし顔で曲を終わらせ、また初めに戻るレコード。



まるで誰かを見ているような。もしくは、どこかで見たことがあるような。

謎の既視感に襲われて。不思議な感情に誘われて。


友紀「…ふふっ」


つい、笑ってしまった。

P「…」


何故かじぃっと見られていた。


友紀「な、なに?」

P「…あぁいや、何でも」


ちょっとビックリしてしまう。

P「笑ったな、って」

友紀「…悪い?」

P「そんなこと言ってないけど」


何に心を奪われたのかは自分でも分からないけれど、しかし確実に。


友紀「…なんか、可笑しくってさ。あのレコード」

P「そっか」


あたしの目と耳は、あのレコードに惹かれていたのである。

「…おかしいかい、おねえちゃん」

友紀「!あっいえ、そういうつもりじゃ…」

「良いんだよ。うちに来た奴はみんなそう言う」

友紀「えと。可笑しくってって言ったのは、変だって意味じゃなくって…です、ね、えっと…」


いつの間にかコーヒーを持ってきてくれてたおじさんにも、聞かれていた。

…怒ってる訳じゃないんだろうけど、強面だからやっぱりちょっと緊張する。

友紀「…あの、似てるのかなって思ったので。それで可笑しいなって」

P「…似てる?」

友紀「おんなじところ、何回も繰り返してさ。できないで躓いてる、あたしみたい」

「…」

友紀「…あっ、えっと、あたし今ダンスの練習してて…してまして。いや…その前にアイドルで、あ、姫川…姫川友紀っていうんですけど…」


見切り発車で口を開いたせいか、なかなか考えがまとまらない。

プロデューサーはともかく。このおじさんにも聞かれてると思うと、しどろもどろになってしまう。

友紀「…それと、野球部のこともちょっと思い出して」

P「学生時代のか」

友紀「うん。あ、あたし…昔、野球部のマネージャーやって…まし、た?」

「…」


続けろと言わんばかりに、視線は逸らさない。

友紀「で。毎日、練習するでしょ?ランニングから始めて、ストレッチして、ダッシュして…」


キャッチボール、素振り、トスバッティング、ノック…他にも、いっぱい。

毎日同じような練習を繰り返す。

でも飽きるかといえば、そんなものでは決してなくって。

体を温めるため、とか。基礎だから大切に、とか。もちろんそういう理由もあるんだけど。


友紀「退屈に流しちゃうようなやり方じゃダメでさ。一回一回に意味があるんだって思いでやらなきゃ」

友紀「自分なりにできることを探して、目標意識を持たないと。練習じゃなくて、作業とか自己満足になっちゃうもん」


…実はこれ、監督やキャプテンからの受け売りだったりするけれど。それはナイショにしておこう。

あたしだってその通りだと思うから、あたしの言葉にしても良い筈だ。


友紀「日々の練習があって、練習試合もあって」

友紀「上手くいったら、よっしゃー!ってなるし。逆に、上手くいかないでヘコむ日もあって」

友紀「試合だって、勝ったり負けたり」

友紀「たまに休んで、また練習漬け。そんな日々だったんだよね」

友紀「…まぁ、あたしはマネージャーとして見てる側だったんだけど」

P「…」

友紀「それでもさ、気持ちはみんなと一緒だったよ?目指せ、優勝。目指せ、甲子園!ってね」


そうやって気持ちを高めて、できなくても繰り返して。

勝ったり負けたりを通じて、みんなで何度も盛り上がって。また元に戻って。

泣き笑いの感動を追い続けていた、そんなあたしの高校時代。


ヴィンテージのレコードが、何だかあの頃のあたしたちと同じみたいで。

友紀「それで、似てるなぁって思って!」

P「…そういうこと」

友紀「…って。なんか最後、よく分かんなくなっちゃったね。あはは…」

「なるほどな」

友紀「あ…」


それだけ言い残して、また向こうに行ってしまった。

友紀「…怒っちゃったのかな」

P「そんなことないさ」

友紀「でも…」

P「大丈夫だって」


プロデューサーが言うんなら、そうなんだろうか。

あのおじさんのことは、少なくともあたしよりは知ってるだろうから。

P「俺も、面白いなって思ったし」

友紀「…変かなぁ」

P「全然。そんな見方もあったんだな、って。むしろ感心した」

友紀「そっか…うん」

P「マネージャーの頃の話も、久し振りに聞いた気がする」

友紀「そうだっけ?」

P「あぁ」


話しながら、コーヒーカップに手を伸ばす。一口、飲んでみた。


友紀「……」

P「な?」

友紀「…うぅ」


にがい。

これは確かに、苦い。

…自分で作っても、たまにこれくらいになっちゃうくらいの苦さ。


でも、あたしが淹れるよりよっぽど美味しく感じるのは。お店の味、というものなのだろうか。

P「やっぱ、良いなぁ」


カップに口を付けながら、そう言う。


友紀「苦いの好きなんだっけ」

P「…いや、コーヒーじゃなくて。お前の話」

友紀「あ、あたし?」

P「うん。野球の話になってから、ちょっと良い顔になったな」

友紀「…ふーん?」



――連れてきて、正解だったかな



…そっちこそ。さっきと比べて、表情が緩んでるように見えるけど。



ぽしょっと呟いたような気がする言葉は、誰に向けたものでもない気がしたから。

あたしも聞き流すことにした。


――


友紀「ごちそう様でしたー!」


入った時と同様に、軽快な音を立てて扉が閉まる。

お昼の時間は過ぎたのか、道を行く人の数は多少まばらになっていた。

思っていたより長居してしまったのかもしれない。

友紀「美味しかったね」

P「だろ?」

友紀「コーヒーは、ちょっと苦かったけど…でもすっごく良いお店!」

P「そりゃ良かった」


あれからサンドイッチもおかわりしてしまった。

自分が思っていたより、お腹の方は空いていたみたい。

友紀「…ねえ」

P「ん」

友紀「サインなんか頼まれちゃったけど…ほんとに良かったのかな?」

P「なんで?」

友紀「ああいう雰囲気のお店に、あたしのサイン置いてあるの…なんか場違いじゃないかなぁ」

P「気に入ってもらえた証拠なんじゃないの」

友紀「…。なら、良いんだけどさ」


帰り際に何かごそごそ探してると思ったら、おじさんが色紙を持ってやって来た。

例のターンテーブルの近くに、あたしの名前を飾ってもらっている。

あたしのどこをお気に召したのかは分からないけど。サインを頼まれるのは、そんなに悪い気分じゃなかった。へへ。

友紀「…ふっふふ。じゃあ、そのうち有名なお店になっちゃうかもね」

P「と言うと?」

友紀「『アイドルゆっきーのサインあり、秘密の行きつけカフェが!』ってさ」

P「…どうだろ、あんまイメージ湧かないな」

友紀「イメージにないからこそでしょー!意外性だよ、意外性」

P「そもそも行きつけじゃないし」

友紀「じゃあ、何回も行って行きつけにしよう!」

P「…そういうもんなのか?まぁ、うーん…」

P「ま、いいか。いつかそうなると良いな」

友紀「うん!そのためにも…まずはドームだね!」

P「…」

友紀「なんたって、野球選手と同じ舞台でLIVEできるんだもん!気合い入れていかなきゃ」


なんだか元気が出てきた。

今日はもう帰るつもりだったけど、やっぱりもっと練習していこうかな。

P「…まぁ、その表情ならちょっとはマシかな」

友紀「また顔の話~?」

P「少しは息抜きになれたかなと思って」

友紀「…そんなに余裕ないように見えてたのかなぁ、あたし」

P「ユッキさぁ」

友紀「うん?」

P「さっきまでちょっと顔怖かったの、自分で気付いてる?」

友紀「…」


誰のせいだ、誰の。

のどまで出かかったけど、無理矢理引っ込めた。


でも、言われてみれば確かに。最近練習ばっかりだったかも。

野球の話を久々にしたような気がしていたのも、もしかしたら気のせいじゃないかもしれない。


P「最近さ、誰かと喋った?」

友紀「最近?最近って…あれ、えーっと…」

P「野球の話してこないなーって。俺はちょっと思ってた」

友紀「…そうだったかな」


…考えていたことをずばり言われてしまった。エスパーか何かだろうか。

P「届いたアレもまだ開けてないだろ、お前」

友紀「?」


あれってなんだ。何かあたし宛てに来ていたのか。

…覚えていない。


友紀「なんだっけ」

P「やっぱり」

友紀「ごめん…」

P「何て言うか…視野を狭めたままにしてるのは、あんまり良くないと思ったっていうか」

友紀「うっ」

P「レッスンに集中するのも、もちろん良いことなんだけどさ。そればっかりってのはちょっとな」

友紀「…うん」

P「ま、良いタイミングかも。今日は帰る前に、事務所に寄ってくこと」

友紀「はーい…」

P「よろしい」


何が届いているんだろう。

やっぱり今日はもう切り上げて、早く確認した方が良いかもしれない。

友紀「…ねね、アレってなに?」

P「自分で確かめてくれ」

友紀「良いじゃん、ちょっとくらいさー」

P「俺も中身までは知らないの。お前が後で見るって言うから、しまってんだよ」

友紀「…あたし、そんなこと言ったっけ」

P「言いましたー。ったく、お前はほんっと普段から…」

友紀「えー、普段のことは関係なくない?…」




並んで歩く帰り道。

イライラ、せかせか歩いていたさっきまでと比べたら、とっても穏やかで。



ゆっくり歩くこの感覚を忘れていた自分が、ちょっとだけ情けなかった。

――――

――

友紀「…失礼しまーす」


軽くシャワーを浴びて、着替えてやって来た。

事務所のいつもの部屋だけど、しばらくまともに顔を出してなかった気がして。


P「…なんでそんな丁寧なの」

友紀「い、いや~、あはは…」


いつもは平気で入れるのに、つい畏まってしまった。

P「今日はもう、自主練しなくて良いのか」

友紀「うん。やっぱり、オフも大事だよねってことで」

P「…やっぱ、迷惑だった?」

友紀「良いの良いの。それよりさ!」

P「…おっけ」


ごそごそとロッカーから取り出して、手渡してくれたものは。


P「ほら、これ」


『姫川友紀様へ』と書かれた小包。


友紀「なになに?『○○高校野球部 OB会一同』…へ?野球部?」


どうやら、高校の野球部からみたいだ。そんなに重くはないけれど、平ぺったく何かが入っているのを感じる。

友紀「…開けて良いのかな」

P「もちろん」


かさかさっと音を立てて、包みが開く。

中から出てきたのは、色ペンでカラフルに彩られた白い色紙。これって…



友紀「わぁ!寄せ書きだ!」


覚えのある名前と一緒に、激励の言葉がずらりと並んだ野球部特製の寄せ書き色紙。

ちょっと大きめの用紙に、先輩、後輩、同級生からのメッセージが所狭しと書き連ねてある。


友紀「すごいすごい!あたしたちの代の野球部、勢揃いじゃーん!」

P「代って…全員?」

友紀「そうみたい。ほらプロデューサーも、見て見て!」

友紀「この子ね、うちの学年のエースだったんだ!コントロールがすっごく良くってさ!」


――ドームとかすげえじゃん!絶対観に行くから!



友紀「こっちはレフト!1年下だったけど、3番も打ってたの!」


――アイドルになってたとは知りませんでした。ライブ、頑張ってください!



友紀「ショート兼、2番手ピッチャーだったのがこの子ね!バントとか小技が得意でさぁ…!」


――今度はおれ達が応援する番。気合い入れて!


P「…ゆっくりで良いよ、ユッキ」

友紀「それでね、それでね…!」



1人ずつ、名前を指差しては思いを馳せる。

懐かしいな。いつの間に集まったんだろう。


友紀「はー…嬉しいなぁ、こういうの」

P「良いサプライズだな」

友紀「ね。ビックリした!」


P「…まだ何か、中に入ってなかった?」

友紀「へ?うーんと…」


言われて包みを確認してみた。確かに、もう1つ小さな何かが入っている。

危うく見逃すところだったそれは。


友紀「あ!」


あたしにも見覚えのあって。でも何年も前に見納めしたと思っていた、夏の小さな宝物。

友紀「…お守り」

P「?」

友紀「懐かしいなぁ…。これ、みんなに渡してたのと同じやつだ…」

P「へぇ…」

友紀「全員分作ってさ、試合の前に配るんだ」

P「マネージャーで?」

友紀「そうそう!毎年、大会が近くなると、分担して作るの。うちの伝統なんだよね」

P「なるほど」


ちょっと不器用な縫い目に触れていると、当時の記憶が蘇ってくる。


友紀「…あ、ちょっと糸ほつれてる。ふふっ」

P「手作りなんだな、ちゃんと」

友紀「だね。あたしもそんなに、上手には作れてなかったなぁ…」

P「…」

友紀「ちょっと、何か言ってよー」

P「いや、容易に想像できるから…」

友紀「えー!ひどーい」

P「でも、良い子たちじゃないか」

友紀「まさかもらえるなんて、正直思ってなかったな…あはは」

P「あげる側からもらう側に、ってか」

友紀「そう、だね…」


縫い目をなぞって、指をのぼらせる。同時に記憶も、さかのぼる。

P「良かったな。良いものもらえて」

友紀「うん…」

P「?どした」

友紀「…。なんか、変なの」


友紀「もらってばっかりだな、あたし」


友紀「…あたしさ、野球が好きで。野球がしたくって」


それは、部活に入る少し前の自分。


友紀「…でも、できなくて」

友紀「無理だって知っちゃって」


お守りを見ていたら、しまいこんでた思い出まで一緒に付いてきた。


友紀「それでも、諦めきれなくって」

友紀「マネージャーって形なら…なんて思って、野球部に入ってさ」

P「…うん」

友紀「自分では野球、できなかったけど。みんなが代わりにやってくれた」

友紀「…たまにね、ちょこっとだけ練習に参加させてもらったりとかもしてたけど」

友紀「でもやっぱり、自分で野球してるって感覚からはほど遠くて」


友紀「マウンドに立ちたい。打席に入りたい。ボールに触りたい、打ちたい、勝ちたい」

友紀「…野球をやりたいって気持ち、丸ごと全部。やってもらってばっかりだったよ、あたし」

P「…実はそれが嫌だった、とか?」

友紀「ううん、そんなことない」

友紀「ある程度、諦めは付いてたのもあったし…みんなをサポートするのも、悪くないなって思えた」


友紀「マネージャーもさ、楽しかったんだよ?」

友紀「みんなに声かけて、ドリンク作ったり、片付けとか準備とか手伝ったり…」


友紀「あ、たまにヤジ飛ばしたりとかも!」

P「ヤジ」

友紀「うん!『もっと腰入れろーっ!』とか、よく叫んでた」

P「…やばいマネージャーだな」

友紀「へへ」

P「褒めてないぞ」

友紀「…でもね。心の何処かでは、ちょっぴり悔しくって。羨ましかった」

友紀「おかしいよね、『あたしを甲子園に連れてけー!』なんて、冗談みたいなこと」

友紀「漫画みたいな話ありっこない…って、頭では分かってるのに。そんな風に思っちゃう自分もいてさ」


友紀「あたしがいくらあがいても届かなかった夢を。みんなは、代わりに叶えてくれてたんだ」

P「…それで、あの時」

友紀「プロデューサーもだよ?」


ここまでは、昔の話。



P「俺?」

友紀「うん!」


ここからは、今の話。

友紀「前に、始球式のお仕事あったよね?」

P「うん」

友紀「あの時、すっごく楽しかった!」


友紀「大好きな野球に関われて、憧れのマウンドに立てて」

友紀「何ていうか…夢、1つ叶えてもらっちゃったなって。そう思ったもん!」

P「…大袈裟だよ」

友紀「そんなことない!」

友紀「今回のLIVEだってそう」

友紀「あたし、ドームに立つのも夢だったんだ。だから、とっても嬉しくって!」

P「それは…選手として、だったり」

友紀「もちろん、それもあるけど…」


思わず拳に力が入る。お守りが潰れちゃうところだった。危ない、危ない。


友紀「今は、アイドルとしてもだねっ!」

友紀「いつかあのマウンドに立ちたい」


グラウンドのド真ん中。360度どこからでも見えていた、あの星に。

いっぱいになったドーム。憧れの、あの舞台で。


友紀「全力全開のあたしを、みんなに見てもらいたい!」

友紀「この想いは、昔からずーっと変わってないんだ!」

友紀「だからさ。そんな場所に連れてきてくれたプロデューサーには…本当に、本当に感謝してるんだよっ」

P「…そうか」

友紀「学生時代には、野球部のみんなからでしょ?」

友紀「アイドルになってからは、プロデューサーから」

友紀「出番も思い出も、いっぱい」


友紀「ほんとにたくさん、もらってばっかりで…」



ぽとり。


友紀「あれ」

P「…ユッキ?」

友紀「あ、あは…目にゴミ入っちゃったかな…」


慌ててぐしぐしと目をこする。

目から何かがこぼれたような気がしたけど、ごまかせただろうか。


友紀「えーっと…そ、そう。たくさんもらった分をさ!お返ししなきゃって!」

P「…」

友紀「…返さなきゃって。思ってた、筈なんだけどな…」


…おかしいな。


友紀「ドームでLIVEできるって決まって…すっごく嬉しくって」

友紀「みんなから、こんな贈り物、まで…もらってた、のに、」


声が震えてる。


友紀「気付かないで…もらって、ばっかりで…」


何かが、込み上げてくる。

友紀「…全然、何も、返せて、ない…のに…!」

P「友紀…」

友紀「なのに…レッスン上手く、いかなくって…心配、かけて」


視界が潤む。呼吸が浅くなっていく。

のどから、鼻から、目の奥から。抑えられないこの気持ちは。


友紀「できなきゃ…やら、なきゃ、迷惑かけちゃうって、…どっかで、焦ってばっ、かり、で…」

友紀「今さら気付いて…ほんと、ばかだ、あたし…周りなんて全、然、見えてない…」


嬉しさとか、歯がゆさとか。ごめんなさいとか、ありがとうとか。

ごちゃ混ぜになったマーブル色が、胸から溢れて流れてしまったようで。


P「…ほら、ハンカチ」

友紀「っく、ぅぅ…」


気付いた時にはもう、止まらない。

――


友紀「…ぐすっ」

友紀「……」

P「…落ち着いた?」

友紀「うん…」

P「よかった」


いつの間にか隣に座って、背中をぽんぽんしてくれてた。

誰かの前で泣いたのなんて、久しぶりかもしれない。


友紀「…ごめん」

P「こんな日もあるさ」

友紀「…ハンカチ、ありがと」

P「あぁ」

友紀「洗って返すね?」

P「良いよ別に、そのまま返してくれても」

友紀「あたしはよくないのっ」

P「…はいよ」


渡されるがままに使ってしまったハンカチ。

これは…そう、袖が足りなかったんだ。足りないものは、しょうがない。

P「…それが姫川汁か」

友紀「……」


一気に顔が熱くなる。

この状況で、なぜこんな気持ち悪いことが言えるんだこの男は。


友紀「ちょ、ちょっと!変なこと言わないでよぅ…」

P「だって本当でしょ。涙と、鼻水と…」

友紀「うわわ、ストップストップ」

P「なに、洗えば問題ないから。だいじょぶだいじょぶ」

友紀「もー…」

P「何なら、それもうやるよ。明日からハンカチ姫って呼んでやるから」

友紀「うえぇ、嫌だよそんなの」

P「いらない?」

友紀「いらな…くは、ないけど。でも、そんな呼ばれ方嫌だなぁ」

P「じゃあ俺がハンカチ王子か…悪くないな…」

友紀「なにそれ…ふふっ」

P「…やれやれ」


目の端を指で拭いながら、小さく笑みがこぼれる。

もしかしたら、わざとふざけてたのかもしれない。そういうことにしておいてあげようかな。

友紀「…はぁ、ちょっとスッキリした」

友紀「言われた通りだね。確かにあたし、余裕なかった」

P「…」

友紀「闇雲にやらなきゃって思うばっかりで、周りも見えてなかった。反省しなきゃ」


気持ちだけ逸って、肝心のパフォーマンスが落ちてしまっては元も子もないのに。

そんなことにも気付けないでこれまでやってきていたなんて、プロ失格だ。


友紀「おかげで目が覚めたよ、プロデューサー!」

友紀「明日から、今まで以上に頑張るから…」



そこまで言いかけた、その時だった。

P「友紀」


不意に、名前を呼ばれる。


友紀「?な…」


呼ばれたらそちらを向いてしまうのが、人間の習性というもので。

目が合ったのも束の間。

P「せいっ」

友紀「に゛っ」


びすっと音がして、視界が一瞬暗くなる。

額に鈍い衝撃が走った。


友紀「…へ?」


何をされたか理解するまで、数秒かかった。

…巷で言うところの、デコピンというやつだ。

友紀「…いたい」

P「全然分かってないよ、お前」

友紀「な、なに?」

P「頑張る、頑張るって…そうやってまた自分を追いつめてるだけで、何も変わってないじゃないか」


驚きとおでこの痛みで、頭の中はてんやわんやである。


友紀「でも…」

P「自分だけで結論出そうとするんじゃない」

P「あれだけ喋ったんだから、今度はこっちの言い分も少しは聞いて、な?」

友紀「う、うん…」

P「お前さ、ホントに分かってない」

友紀「それ今聞いたよ…」


おでこをさすりながら、先程も聞いた言葉を反芻する。


P「自分がもらってばっかりだなんて、本気で思ってるのかって言ってんの」

友紀「?どういう…」

P「どうもこうもない」


P「何もくれなかった部活のマネージャーに、こんな気持ちのこもった贈り物するもんか」

友紀「だって、あたし…、」

P「お前…普段から応援がどうこう言ってるのに、こういうとこはニブチンなんだな」

友紀「にぶ…っ」


なぜ突然罵倒されなければならないんだろう。

ていうかニブチンって。仮にも担当してるアイドルにかける言葉がそれか。

P「…友紀はさ、アイドルになって…自分が応援されて。どう感じたんだっけ?」

友紀「どうって…」


…突然言われても。何から話せば良いんだろう。

どう思ったかなんて、たくさんありすぎて絞り切れないよ。

友紀「えっと…。最初は慣れなくて、ちょっとムズ痒かったけど」


…そう。あたし、それまではずっと応援する側で。


友紀「声かけてくれるのが、嬉しくって。だんだん、気持ちよくなってきて」

友紀「頑張れって応援してもらえると、なんだか勇気が湧いてくるみたいでさ」


今まで自分が送ってきた声援は、もらうとこんなに嬉しいものなんだってことに気付けて。


友紀「なんかこう、ぐわーッて熱くなって。今なら誰にも負けないって思えた」

友紀「すっごく力をもらえたんだ」

友紀「ファンのみんな、アイドルの仲間から。プロデューサーにも」

友紀「応援してたつもりが、いつの間にか応援されてたりして」


みんなから応援をもらえれば。


友紀「エールを送って、歓声をもらえて、また応援して」

友紀「お互いに励まし合えるような関係が、なんだかすっごく楽しい!」


ここでだったら、あたしも頑張れる。

友紀「そう、思ったよ?」

P「…うん」

友紀「…どう?」

P「そこまで分かってるんなら、なおさらだ」

友紀「??」


まだよく分からない。プロデューサーが、言いたいこと。

P「応援されて嬉しかったって言ったのは、どこの誰だよ」

友紀「…あたし?」

P「頑張れ、負けるなって、お前に励ましてもらった奴が、この世にどれだけいると思ってるんだ」

友紀「そんなの、分かんないよ…」

P「…そいつらの気持ちを、応援からもらえる感動ってやつを。お前は知ってるんじゃなかったのか」

友紀「…ぁ、」


目から鱗とは、このことを言うのかもしれない。


P「お前がみんなから勇気をもらったって言うんなら、逆だって同じ」

P「みんな、お前からエネルギーもらってるんだよ。今も昔も、ずっと」


分かっていたようで、掴み損ねていた最後の欠片。

…そう。やっぱりあたしは、自分のことで精一杯で。

P「この色紙を見れて、俺も嬉しかった」

友紀「…どうして?」

P「どうしてって…当然でしょ」

P「担当してるアイドルが、同級生からもこんなに慕われてて、応援されてるんだって。直に知れたんだ」


P「姫川友紀って奴はさ。昔っからずっと、周りに元気と勇気を振りまいてた、素敵な女の子だったんだなって」

P「ああ、俺の目は間違ってなかったんだって。そう、確信できたから」

P「さっきのマネージャーの頃の話も、聞けて楽しかったよ」

P「…出会う前の、俺が知らないお前を。また1つ知れた気がして」


P「その頃の仲間とも。一緒に夢、追っかけてたんだろ」

友紀「…」

P「気持ちは一緒だったんじゃなかったのか?」

友紀「…うん」

P「だったら、向こうだって同じ」

P「お前はもらってばっかりなんかじゃなかったはずさ」



…そうか。

声は、気持ちは、ちゃんと届くんだ。


一度気付けば、途端に光が差し込むような。

こんなに眩しい事実と隣り合わせで、今まで過ごしていたんだね。

P「お前がくれたもの、俺はたくさん持ってるよ」

友紀「…ん」

P「ありったけの元気とパワー、普段からもらってる」


P「…そりゃ、仕事中にやかましいなとか思ったのも1回2回じゃないけどさ」

P「それ以上に、毎回背中押してくれて、引っ張ってくれて。何度も救われてる」

友紀「うん…」

P「野球部のみんなも、ファンの人たちも。事務所のみんなだって、きっと同じこと思ってる」

友紀「うん、」


また、視界がぼやけてきた。


P「お前から大事な宝物、みんなたくさんもらってる」

友紀「うん…っ」


…みっともないところ、これ以上見せたくなかったのにな。


P「だからさ。何も返せてない、なんて言わないでくれよ」

友紀「ぅ、うぅぅ……っ」


全部流しきったと思っていたのに、どこからともなく押し寄せる。


P「あーあ、また…」

友紀「ぷろ、でゅ…、ぐすっ、、…あり、が……、」


ポロポロとこぼれるそれは。乾いたはずの頬を、再び濡らしていく。


P「…お礼を言いたいのは、こっちだって同じ」

P「最高のエール、いつもありがとう。友紀」

友紀「ひぐっ…うぁぁぁ……、、」

――――

――

友紀「……」

P「落ち着いた?」

友紀「…もう、ちょっと」

P「そっか」


そう言うと、今度は頭に手が伸びてくる。

子供じゃないのに、もう。


でも…もう少し落ち着くまでは、黙って撫でてもらおうかな。

友紀「…上手だね」

P「何が?」

友紀「撫でるの」

P「あぁ…鍛えられたんだ。どっかのKBとかDはんは口うるさいからね」

友紀「…なるほど」

P「今日のYさんは、ヤジが飛んでこないから気楽だよ」

友紀「ぅ、ほっといてよぉ」

P「…」

友紀「……♪」


P「…ごめんな、今日は」

友紀「え?」

P「連れ出したり、泣いたり。散々だったろ」

友紀「…」


P「ここ最近、ずっと険しい顔してたから。放っておけなくて」

P「でも…ちょっと強引だった。もっと良いやり方あったかもしれないのにな」

…きっと、居ても立ってもいられなかったんだろうな。

あたしにもそういう時あるから、分かるよ?


P「そのくせ、偉そうに説教なんかしちゃってさ…担当失格だよ」

友紀「…そんなことない」

P「それと、」

友紀「?」

P「おでこ、とか。痛くない?」

友紀「……」


友紀「…ぷっ…おでこって、ふふ…」


このタイミングでおでこの心配って。どんな基準で喋ってるんだろうか。


P「いや、ほら…ちょっと勢い付けすぎたかな、なんて…」

友紀「そんなことないのに…くふふ…」

P「…そ、なら良いけど」

友紀「…相変わらず心配性だね。プロデューサーは」

P「ほっとけ」

友紀「…大丈夫だよ。今日のことも、全部良い思い出」

P「お、思い出って…」

友紀「大事なこと、気付かせてくれたからね」

P「…」

友紀「あたしだけだったら、見えないままだった。多分、色々ダメにしちゃってたよ」


…美味しいお店にも入れたし。結果的にだけど。


友紀「だからさ、失格だなんて言わないで」

友紀「あたしこそ、ごめんなさい。…ありがと」

P「…お互い様ってところかな、今回は」

友紀「うん」

P「俺から言いたいことは、これで全部。そっちは?」

友紀「…肩」

P「へ?」

友紀「濡らしちゃって、ごめんね」


ハンカチだけじゃ飽き足らず、Yシャツまで借りちゃった。

そのせいで、そこだけ大きな水玉模様みたいになってしまっている。

P「…。ま、まぁ良いよ別に。後で着替えるから」

友紀「へへ」

P「他には」

友紀「んー…ない!」

P「…もう一回、やれそう?」

友紀「うん!」

P「本番まではあと」

友紀「2週間」


課題は、山積みだ。


P「調子は?」

友紀「…これからどんどん上げていくから」


後悔する時間は、もう残されていない。

P「忙しくなるぞ」

友紀「…落ち着いて、もう一回考えてみる」

友紀「あと2週間で、あたしができること。やらなきゃならないこと」

P「…そうだな」


苦しい時こそ、逆転しなくちゃ。


友紀「今まで上手くいかなかった分、取り返すからさ」

友紀「だから、見てて。プロデューサー」

P「もちろん」

P「お前ならできるよ、友紀」


P「…頑張れ」

友紀「…うんっ」



――――

――

――――

――――――


『……2アウト1・2塁、バッターは9番のこの局面…です、が…そのまま打席に入るようです。次の回も続投ということでしょうか』


友紀「はぁ~?ここは代打じゃないの…?もう負けてるんだからこれ以上投げさせる意味ないでしょ…」


『7回裏、キャッツの攻撃。1-3で追いかけているこの場面ですが、先発投手に代打は送りませんでした…』


友紀「なんで代えないかなぁ…勝負かけなきゃいけない場面でしょ…昨日だって中継ぎ出し渋って結局打たれてるし…」


『外角が続きます。ポンポーンと追い込んで、あっという間に2ストライク』


友紀「ほんっと最近ベンチの動きが鈍いっていうか、判断が冴えないっていうか…」


『あーっと打った!レフト線!』


友紀「え!うっそ、マジ!?」

『…切れました、ファールです』


友紀「っふぅ~、ビックリしたぁ」


『あわや長打コースという打球でしたが惜しくもファールです。自らのバットで反撃とはなりませんでした。カウントは変わらずノーボール2ストライク…』


友紀「だよねー…ラッキー7の攻撃とはいえ、投げて打ってお立ち台とか今時そんな…」


『三振~!最後は空振り三振です!キャッツ、結局2者残塁のままこの回は終了。8回の守備へ…』


友紀「あぁ~…やっぱり代打出すべきだったんだよぉ」

友紀「…もう、何やってんだ!勝つ気あるの!?マジメにやってんのかぁ!!」


P「こっちの台詞だ!」

友紀「うひゃあ!」


不意に後ろから、すぽぽんとイヤホンが外される。

ラジオを通じて遠くの球場に飛んでいた意識が、途端に現実に引き戻された。

友紀「…って、なんだプロデューサーかぁ」

P「なんだじゃないよアホ。さっきからずっと呼んでんのに、ブツブツぶつぶつ何やってるかと思えば…」

友紀「いやー、本番前に精神統一をと思って!」

P「これで?」

友紀「うん!この楽屋、テレビに中継映らないし気が散っちゃってさぁ…。ポケラジ、持ってきて大正解だね!」


集中するためにやってること、みんなにもあるよね。

あたしは好きな音楽を…もとい、好きな音を聞くことかな。

P「…実況の声がやたら聞こえてくるんだけど」

友紀「だってラジオ実況だもん!今どうなってるかな…キャッツの守備だよね、リズム良く守って攻撃に繋げないと!」

P「いやどうでも良いよ今は」

友紀「良くない!良い感じに逆転してもらわないと、本番のあたしのコンディションに影響するんだから!」

P「できればキャッツに関係なくテンション維持してほしいところだな…」


…そう、今日は待ちに待ったドームLIVE本番の日。

本当だったら景気良く、キャッツの勝利と一緒に開幕といきたかったところなんだけど。

戦況は芳しくないようである。こんな調子で今シーズンは大丈夫だろうか。


P「…ま、お前がそれで集中できるってんなら何も言わないけど」

友紀「できるって~。だから…」

P「だから?」

友紀「もうちょっとだけ聞かせて!ね?」

P「…駄目。没収」

友紀「良いじゃん!ねぇお願ーい!」

P「だめったら駄目」

友紀「むぅ~!ケチ!」

P「ケチじゃないから」

友紀「分からず屋!」

P「もう時間なの」

友紀「え」

P「お前が最後だぞ?」


言われて時計に目を向ける。確かに、集合時間ギリギリだ。


友紀「わっ、もうこんな時間かぁ。気付かなかった~…」

P「こっちに集中しすぎてオープニングに遅刻とかマジで勘弁だからな」

友紀「ごめんごめん!」

P「だいたいお前、本番中だって出番じゃない時はいっつも速報見てるんだから。今くらいはだな…」

友紀「うわわ、分かった分かりましたよぉー!ほら、行こっか!」

P「…ったく」


そうして2人、楽屋を後にする。

いよいよ本番なんだね。

――


ステージ裏へと続く通路。客席のざわめきや熱気が伝わり、じとりとした温風が緊張感を伴って廊下を支配する。

この感覚が、あたしは堪らなく好きだ。

身が引き締まるというか、気分が高まるというか。

歩いているだけで、さあやるぞ!って気分にさせてくれるから。


P「…さて」

友紀「…」


時間が経つのは早い。

気付けば、あれから2週間。光のような速さで今日はやって来た。

P「来たな、ドーム」

友紀「うん!」

P「調子は?」

友紀「良い感じ!」

P「レッスン、あれからどうだった?」

友紀「んー…トレーナーさんからは、『ギリギリ間に合ったな』って言われたかなぁ」

P「ん、そっか」

友紀「…正直に言うとね。ダンスは、まだちょっぴり不安」

P「やっぱり、緊張するか」

友紀「うん、なにせ急ピッチだったし。…そりゃまぁ、それまで上手くいってなかったあたしのせいだけどさ」

P「…でも」

友紀「でもね」


最後までは、言わせない。

これはあたしの想いでもあるから。自分の言葉で伝えるんだ。

友紀「あたし、怖くないよ」

友紀「みんながいるから。応援して、見守ってくれてるから!」


ファンのみんなと、ステージに立つ仲間。…それと、横にもう1人。

力強い味方が、こんなにいる。


友紀「あたしも誰かの力になれるって分かった以上、1人だけもたついてなんかいられない」

友紀「ブンブン振ってガンガン攻めて、みんなで盛り上げようって今日は決めてるんだ!」

P「…すっかりいつもの調子だな」

友紀「ふっふーん!失敗にビビるなんて、あたしらしくないからね!」

P「良かった。もう心配なさそうで」

友紀「大丈夫!バッチリ決めてみせるから!」


肩をくるくる回してみせる。余裕がないだなんて、もう言わせない。

友紀「…それとね、」

P「?」

友紀「今日は、もう1つ目標!」

P「ほう」

友紀「野球部のみんなに、ちゃんと届けられたら良いなっ!」


何度も何度も読み返した、色紙のメッセージ。

ちょっぴり懐かしくなって、いっぱい勇気をくれて。色んなことを考えるきっかけになったよ。


友紀「この中で、ドームに立ったことのある人なんているのかな?」

友紀「そう考えた時にね、思ったんだ。もしかして…あたしが一番乗りなのかなぁ、って」

友紀「ただのマネージャーだった、連れてってもらう側だったあたしがさ」

友紀「みんなより先に、こんな大きな球場に立つのかなって思ったら、不思議だな…って。ちょっとあべこべな感じ」

P「まぁ…そう言われると、確かに」

友紀「でしょ?」


友紀「…みんな、まだ野球やってるかな」

友紀「どこかのチームに入って続けてる人とか…公園で軽く遊ぶぐらいならって人とか?」

P「誰かさんみたいに?」

友紀「そうそう、あたしみたいに」

友紀「働いてたり学生やってたりで、もうやめちゃった人もいるかも」

友紀「…野球やりたいのに、できない人も。中にはいるよね」

P「…そうかもな」

友紀「だけどさ」


野球から離れちゃったとしても、きっとまだ心に刻まれているはず。


友紀「そんな野球部のみんなを代表して、ドームに上がるんだって思ったら。すっごくやる気が湧いてきた!」


あの日々がくれた情熱と興奮を。みんなが思い出せるような、そんなLIVEにしたいんだ。

友紀「この気持ち、マウンドから伝えたい」


あたしが昔、みんなに託した憧れを。


友紀「あたしはここに居るよ、みんなの分まで頑張ってるよ、って」


日差しの下に置いてきた、みんながやり残した夢を。


友紀「1人じゃない。みんながいたからここまで来れたんだよ、って!」


まとめて背負って、今日はあの舞台に立つんだ!


友紀「今度はあたしが、みんなの夢を叶える番だから!!」

友紀「以上、姫川選手の宣誓でした!」

P「…」

友紀「なーんちゃって…」

P「良いね、そういうの」

友紀「!」

P「今のお前、最高にカッコいいな」

友紀「…そうかな?」

P「ああ」

友紀「カッコイイ、かぁ…!」

P「やっぱりさ、うちのエースはお前だよ。友紀」

友紀「…へへっ!」

P「大丈夫。お前の声なら、絶対届く。保証する」


…こんなに頼もしいお墨付きも、そうそう無いよね。

ハートの温度は、急上昇だ。

友紀「プロデューサーも、ちゃんと見ててね」

友紀「元気・強気・無敵なゆっきーのステージ、目を逸らしちゃダメだよ?」

P「当然。お前の全力、見せてくれ」

友紀「うんっ!」



「…あー!友紀お姉さんが、来たでやがります!」

「ゆっきーおそーい!もう始まっちゃうよぉ!」

友紀「あぁっ、ホントにみんないる!めんごめんごー!」


集合場所の舞台裏。

夢が集い、奇跡が始まるダグアウト。

あたしたちの試合は、ここから始まる。


友紀「…じゃあ、行ってくるね!」

P「おう、行ってこい!」

友紀「へいへいみんなお待たせ!肩はあったまってる?」

「肩はビミョーだけどー、準備ならもうバッチリだよっ☆」

友紀「オッケー!今日はかっ飛ばしていくぞー!」

「おー♪でごぜーます!」

「おー…って、かっ飛ばすのは友紀ちゃんだけでしょうが」

友紀「ちっちっち。こういうのは、みんなでやる事に意義があるんだよ!」

「ふふっ、そうかも。気持ちを合わせてってことだよねっ」

友紀「そうそう。だからほら、声出して!もう1回行くぞー?」

「んもー、しょうがないなぁゆっきーは…」


――




…静まる音響、ざわめく会場。

舞台裏からはまだ見えないボルテージが、どんどん上昇しているのを肌で感じる。


観客席には、どれくらい入っているのかな。満員だったら、嬉しいな。

野球部のみんな、観てくれてるかな。ステージ上から見つけられると良いな。

ドームの中心から見上げる景色は、どんなにキラキラしているのかな。


考えているだけで、ドキドキワクワクが止まらない。

この胸のときめきは、この瞬間は、この光景は。

きっとあたしだけのもので。でもそこには、あたしだけじゃ届かなかった。


衣装のポケットに手を伸ばす。

入れてたお守りにそっと触れると、なんだかじんわり温かい。

…返しそびれてたハンカチも、今日はポッケの仲間入り。返す約束は、また今度だね。



あたしの応援は、きっとみんなに届いてる。そう言って励ましてくれた。

声がみんなの力になって、頑張る姿を見たあたしも勇気をもらって、それがまたみんなに伝わって。

広がる応援の輪、大好きなこのキャッチボール。ずっと大事にしていきたいな。


幕が開く。夢の舞台への扉が、今。

耳が割れるような歓声。差し込むライトで目が眩みそう。



思わず目を瞑れば、瞼の裏に見えてくる。

いつか見た青い空と、追いかけ続けた白球が。


目を開けば広がる、オレンジ色の海。

きっかけは、幼い頃のちっちゃな憧れ。

当時の想像とはちょっと違った形だけど。いつの間にか、すぐ目の前まで来ているよ。


光の中へ、1歩。

歓声の渦に足を踏み出す。


夢に向かって、もう1歩。

どこからでも見える、あの星を目指して。


歩みは止まらない。最後まで、止めてなんていられない。


憧れて、描いて、見続けて。

何度も繰り返していたあの夢を。



あの夢を、探しに行く。




おわりです。姫川友紀さんでした



二宮飛鳥「キミとボク」

二宮飛鳥「キミとボク」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1486120993/)

直接の続編ではないけど 前書いたヤツ。


↑と同じく、ある楽曲を元にしたりしてます。同じバンドです

勝手ではありますが今回もタイトルお借りしました。もし興味が湧いた方がいたら是非手に取ってみてくださいな


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