白菊ほたる「それは涙ではないのだから」 (31)

私、白菊ほたるは不幸の星のもとに生まれてきた。

でも、それでも不幸なりに諦めずに夢を追ってきたつもりだ。

初めて入ったアイドル事務所が倒産した時も、次に入った事務所がまた倒産した時も、その後も、アイドルを続けたいという思いは捨てずに頑張ってきた。

先日入った事務所での初ライブで、機材が謎の故障をしてライブが中断されるまでは。

「また私の不幸のせいで……」

新しい事務所は、今まで所属してきたどの事務所よりも暖かった。

プロデューサーさんは、私が不幸体質だということを伝えても受け入れてくれた。

トレーナーさんは、新人の私を見てトレーニングメニューを考えてくれる。

アイドルの先輩たちは、私の不幸を見てもそばに居続けてくれる。

暖かで、心地良い。

ここでなら私も変われるのではないかと、そう思ってしまうほどに。

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しかし私の夢はまたしても不幸で潰され、よりによってこの素敵な人達を不幸の巻き添えにしてしまった。

プロデューサーさんが、気にしないようにと慰めてくれた。

スタッフさんが、すみませんと謝ってくれた。

先輩たちが、気長に待とうよとお菓子をくれた。

まわりの皆の優しさが本当に有り難くて、だからこそ変わっていない自分が情けなくて仕方ない。

だから私はプロデューサーさんを呼び出して、言った。

アイドルをやめると。

もうこれ以上まわりに迷惑をかけるわけにはいかない。

遅すぎる選択だったけれど、今までごめんなさい。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

謝って、謝り続けて、そして関係を終わらせるつもりだった。

それなのに。

「ほたるは悪くない。だから、夢を諦める必要はない」

プロデューサーさんの言葉に、私の中でブチリと何かがちぎれる音がした。

今まで抑えていた何かが、一気に溢れる前兆の音が。

嘆いた。不幸の星に生まれた己を。

蔑んだ。アイドルに憧れた過去の自分を。

悔やんだ。今まで夢を抱いたせいで無駄にした時間を。

久方ぶりの優しさに触れた私の心は、慣れない暖かさを拒絶するように内側の黒いモノを吐き出した。

途中からはプロデューサーさんの顔も見ていない。

一方的に無遠慮に気持ちをぶつけられて、きっと嫌な顔をしているだろう。

それとも、聞き飽きてうんざりした顔をしているかもしれない。

どちらにせよ、もう私とは関わりたくないはずだ。

そう思うと、なおさら私の心は加速して、好き勝手に自由気ままに言葉を並べていった。

「……はぁ……はぁ」

どれだけ喋っただろうか。

こんなに心をさらけ出したのは生まれて初めてかもしれない。

重い荷物を下ろした時に似た解放感で胸が満たされていく。

が、それも束の間、すぐさまやってしまったことへの恐怖に塗り潰されていく。

親切にしてくれたプロデューサーさんに、私はなんてことをしてしまったのだろう。

プロデューサーさんは捲し立てた私に何を思っただろうか。

怒っている?呆れている?驚いている?喜んで、はいないと思うけれど。

しかし恐る恐る見上げたプロデューサーさんの顔は、そのどれでもなく。

真面目な顔で私を見つめていた。

私の話が終わったのを確認して、プロデューサーさんは一息おいてから口を開いた。

「ほたる」

「は、はい!」

怒られる、と反射的に思った私にプロデューサーさんが言った言葉は、一つの問いかけだった。

「ほたる。アイドルが一番やってはいけないことは何だと思う?」

アイドルが一番やってはいけないこと。

ライブでの失敗、スキャンダル、歌詞を間違える、一方的にプロデューサーさんに愚痴る。

アイドルがやってはいけないことは思いつくものの、それが今プロデューサーさんが言う一番とは思えない。

困惑する私にプロデューサーさんは「こっちへ」と着いてくるように指示をした。

着いていった先は、ライブステージの裏。

観客席が覗けるポイントだった。

私の不幸のせいで待たされている観客さん達が見えて、心が痛む。

そんな私の横で、プロデューサーさんは観客席の一角を指差した。

「あそこにほたるの名前が書かれた団扇を持ってる人達がいるだろう」

言われてその方向を見ると、確かに「HOTARU」という文字とハートマークが書かれた団扇を持っている集団が見える。

見覚えがある団扇だった。

確か、あれは……。

「あれはウチが作ったファングッズじゃない。もしかして、ほたるが前にいた事務所が販売していた物じゃないか?」

そうだ。あれは私が初めてアイドルになった時、その時の事務所が販売した団扇。

私にとっては、初めて作ってもらったファングッズのうちの一つ。

それをあの人達が持っているということは。

あの人達は。

「さっきほたるは、夢を抱いていた時間は無駄だったと言っていたな」

「……はい」

プロデューサーさんが話をちゃんと聞いてくれていたことに驚く私の頭に、暖かい手が乗る。

「あの人たちを見ても、そう思うか?」

「……いいえ」

知らなかった。

私のことをデビューしてからずっと応援してくれてる人達がいたなんて。

いや、知ろうとしていなかったんだ。

私は不幸で、不幸で、不幸だったから、この不幸な体質をどうにかしようとばかり考えていて。

自分のことしか見えていなかった。

前の私にだって、団扇を作ってくれる事務所の人がいて、ファングッズを持って応援してくれるファンの人達がいたのに。

観客席をもう一度見る。

不安な顔、退屈そうな顔、心配している顔、楽しみにしている顔。

色んな顔が見えるけれど、一つだけ確かなことがある。

それは、今ここにいる人達は待ってくれているということ。

アクシデントの対応が終わって、私達アイドルがまた帰ってくるのを待ってくれている。

なら、私は。

「さっきの答えだけどな」

「アイドルが一番やってはいけないこと。それは」

「ファンより先に諦めることだ」

私はその答えを深く胸に刻み込んだ。

「思い出しますね」

一年たった今でも、あの日のことはライブもプロデューサーさんの言葉も全部、昨日のことのように思い出せる。

きっと十年たっても変わらずに思い出せるだろう。

今日はあれからちょうど一年がたった日。そして私、白菊ほたるの一周年ライブの日だ。

歌う場所は広めの野外ステージ。

開始時間は今から十分後。

そして天候は。

「雨、というより嵐ですよね」

前日の天気予報では快晴と言っていたけれど、今まさにどしゃ降りの雨が地面を叩いている。

ステージの上はびしゃびしゃで、ライトなどの機材もいくつか故障してしまった。

観客スペースはもちろん誰もいないし、それ以前に渋滞などで来たくても来れない状態だそうだ。

私はというと、プロデューサーさんやスタッフさん達と一緒に控え室代わりのテントに避難している。

これではライブどころではないのは誰が見ても明白で、プロデューサーさん達も私の一周年ライブを何日後に延期するかを話し合っている。

申し訳ない、と思う。

まさかこんな大事な日に、ここまで特大の不幸が降りかかるとは思わなかった。

それとも大事な日だからだろうか。

本当に、本当に、申し訳なくて心苦しい。

私の不幸のせいで普段から皆さんには迷惑をかけてばかりなのに、今日もまた皆さんに迷惑をかけてしまった。

いや正確には、迷惑をかけてしまうのはこれからだ。

「ほたる、ちょっといいか?」

話し合いが一段落ついたらしく、プロデューサーさんが私を呼ぶ。

私は心の中で先に「ごめんなさい」と言ってから、プロデューサーさんの前に立った。

「今日は見ての通り」

「歌わせてください」

プロデューサーさんの言葉に被せるようにして、私は我が儘を言った。

プロデューサーさんの後ろにいたスタッフさん達が揃って「やっぱりか」と言いたげな顔をする。

苦笑だったり、呆れだったり、困惑だったりするけれど、みんな私がこう言うことは予想していたようだ。

一年の付き合いは長い。

プロデューサーさんも私の我が儘を予想していたのだろう。

驚いた様子はなく、状況を伝えてくれる。

「見ての通り、観客は一人もいない。これから来るとも思えない」

「ライブを延期することは決定したから、一周年ライブがなくなるわけでもない。すでに公式でそのことも通知してある」

「こんな酷い雨だ。衣装は濡れるしメイクも無意味。機材だってまともに使えるのがいくつあるかわからない」

「まともなライブにはならない。なのにこんな中で歌うつもりか?」

プロデューサーさんの言葉一つ一つから、私を心配する気持ちが見えるのが素直に嬉しい。

そして何より頭ごなしに「やめろ」と言えばいいものを、私に選ばせてくれていることには感謝しかない。

だからこそ、私は選ぶ。あの日から一年間、ずっとそうしてきたように。

「歌います。歌わせてください」

「今は観客スペースには誰もいません。たぶん今日はもう誰も来ないと思います」

「でも、もしかしたら。今、こっちに向かってる人が一人いるかもしれないんです」

「まだ諦めてない人がいるかもしれない」

「そう私が思えるうちは、私はもう諦めたくないんです」

「お願いします。歌わせてください」

深々と頭を下げる。

ごめんなさい。

私の不幸に巻き込んでしまって、ではなく。

私の不幸に巻き込まれてください、という申し訳ない気持ちとともに。

「一曲だ」

プロデューサーさんが溜息まじりに言った。

「天気がさらに悪化するかもわからない。だから一曲だけだ。それでいいか?」

「はい!」

私の返事を聞いたプロデューサーさんはそのまま後ろを向いてスタッフさん達に頭を下げる。

「そういうわけですので、スタッフの皆さんもよろしくお願いします」

私も慌てて一緒に頭を下げる。

「よ、よろしくお願いします」

スタッフさん達はまたしても「やっぱりそうなるのか」と苦笑して、準備に取りかかってくれた。

「やれやれ、こんなことになるとは」とプロデューサーさんがぼやいたのが聞こえたけど、聞こえなかったフリをした。

そしてライブの準備。

「出来るだけ濡れないように、って言ってもこの雨じゃ無理よね」と苦い顔をする衣装スタッフさんにライブ衣装を着せてもらい。

「すぐ落ちちゃうけど、一応ね」と楽しげなメイクスタッフさんにお化粧をしてもらって。

「マイクやライトが壊れたら、ごめんな」と真剣な顔の機材スタッフさんに指示を受けて。

「行ってこい」

いつもの言葉とともに、私は大雨のステージに上がった。

やっぱり観客は一人もいない。

そして全身を叩く雨粒が、ほんの数秒で衣装がずぶ濡れにしたのを感じる。

メイクもきっと酷いことになっているし、私を照らしているライトの一つがジジッという音とともに切れてしまった。

本当に酷い一周年ライブだと自分でも思う。

本当に私は不幸なんだなと改めて思う。

でも、そんな私がこの一年間頑張れたのは貴方たちがいてくれたから。

今はここにいなくても、いつも私のそばにいてくれた貴方たちが応援してくれていたから。

「だから、この一年を共に過ごしてくれた皆さんのために歌います」

「聞いてください。私の新曲」

激しい雨音にかきけされないように、今日のために練習してきた曲を歌う。

それは感謝の歌。

苦しい時も、悲しい時も、支えてくれた人へと送る心の歌。

それは応援の歌。

苦しい時も、悲しい時も、今度は私が支えると誓う強さの歌。

一つ、また一つとライトが消えていき、ついにマイクさえ使えなくなりながらも、残り少ない光に照らされて私は歌った。

自分の心の内側の、黒に包まれた中心部。

今度は正しく伝わるように。

苦しくても悲しくても、たとえどんなに不幸でも、私は夢を叶えたい。

アイドルを続けたいという想いをこめて。

この歌を。

「ありがとうございました」

歌が終わり、私は観客スペースに向かってお辞儀をする。

やはり、歌が終わっても観客は一人も来なかった。

地面を叩く雨の音だけがあたりを満たす。

悲しくはない。

この結果はわかっていたのだから。

顔を伝う水は、冷たいままだ。

そして、最後の一個のライトがジッと音を立てて切れて、周囲が暗くなった。

私のライブが終わるのを待っててくれたのだろうか。

もう一度私は頭を下げて、プロデューサーさん達の方に振り返る。

プロデューサーさんを含め、スタッフさん達にはいつも迷惑をかけてしまっている。

今日も無茶を聞いてもらったことについて、改めて感謝をしよう。

そう思って振り向いたのだが。

「……?」

スタッフさん達の様子が少しおかしい。

私ではなく、私の後ろに視線が向かっている。

一体何を見ているのか、ともう一度観客ステージの方に目を向けると、その先に答えはあった。

光。

激しい雨が降る薄暗い中、光の玉が浮いていた。

それも一つや二つではない。

十ほどの光の玉が宙に浮いている。

暗闇の中で舞うように光るそれはまるで。

「……ほたる」

背後でスタッフの誰かが呟いた。

幼い頃、父親に川に連れられて見に行ったことがある。

私の名前の元になった小さな光。

儚くて美しく、しかし強い光だったのを憶えている。

それが今、雨の中に舞っている。

「綺麗……」

頬を打つ雨も気にせず目の前の光景を見つめていると、光はだんだんと私の方に近づき、そしてすべての光が私を照らした。

一瞬の目のくらみで目を閉じた私に、声が届く。

「アンコール!」「アンコール!」「アンコール!」

驚きとともに目を開けると、観客スペースにざっと十人ぐらいの人影が立っていた。

全員レインコートを着て、片手には懐中電灯、もう片方の手にはタオルや団扇などを持っている。

慣れてきた目に映った顔は、全員過去のライブで見たことがある顔だ。でも。

「なんで……?」

もしかしたら、私は幻を見ているのかもしれない。

今もあたりが暗くなるぐらい酷い雨が降っているのに、どうして貴方たちがここにいるの?

ライブが延期になったことは知っているはずなのに、どうしてわざわざ来たの?

アンコールに応えることも忘れ、ただ茫然としている私に届く声があった。

「だって、ほたるちゃんは諦めなかっただろ!」

声をあげたのは、一番前で私の名前が書かれた団扇を持った男性。

男性は雨音よりも大きく、声を張り上げる。

「ほたるちゃんは諦めなかっただろ!」

「ほたるちゃんが所属してた事務所が潰れて、それでも別の事務所でまた活動再開して、そしたらその事務所も潰れて、その次も」

「俺は、もう無理だと思った。ほたるちゃんはアイドルを辞めると思ってた」

「でも、ほたるちゃんは諦めなかった」

「俺達が諦めても、ほたるちゃんはアイドルを諦めずに、また新しい事務所で頑張っただろ!」

「一年前のライブだって、せっかく新しい事務所に入ったのに、それでもまた不幸なアクシデントで中止になって。それでも、ほたるちゃんはライブを続けたし、アイドルも辞めなかった!」

「だからさ、あの日俺は、俺達は決めたんだ!」

「ほたるちゃんが諦めるまではファンでいることを諦めないって!もうほたるちゃんより先に諦めることはしないって決めたんだよ!」

そうだそうだ、と男性に続いて声をあげるファンのみなさんを見て、私は思わず笑ってしまった。

だってそれは、笑ってしまうような話だ。

私がファンより先に諦めないと決めたように、ファンのみなさんも私より先に諦めないと決めていたというのなら。

私はもう諦めることができないじゃないですか。

口元がほころぶのを止められないまま、私はすでに壊れたマイクをもう一度構えた。

「アンコールいきますっ!」

観客スペースから届く光に照らされながら、私は前を向く。

雨は止まない。止む気配もない。

もしかしたら、ずっと止まないかもしれない。

けど、そんなことはもうどうでもいい。

雨が降っていても、歌は歌えるのだから。

後にファン達の間で「幻の一周年ライブ」と呼ばれるライブは、激しい雨の中、それに負けないファンとともに開演したのだった。

おしまい。

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