神崎蘭子「大好きっ!!」 (432)


【6歳 / 春】


 「なぁ、母さん」

 「どうしました、あなた?」


火の国、熊本。
とある住宅街に佇む一軒家、神崎家。


 「俺たち……蘭子の育て方、間違ったんじゃあないか」

 「あら、どうして?」


春らしく気持ちの良い快晴だった。
柔らかい笑みを浮かべる祖母に見守られ、広めの庭を駆け回る少女が一人。



彼女こそ、神崎家の一人娘――蘭子である。



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 「自分で言うのも何だが……俺たち、これでもかと愛情を注いできたよな」

 「だって可愛いんだもの」

 「そこには全面的に同意するんだが」

気難しそうな美男子といって差し支え無い父。
輝く銀髪の美しい、どこか無邪気な母。
二人は並んで日向ぼっこをしている。

 「蘭子を見てくれ」

 「可愛いわね」

 「ああ。もはやただの天使だ」

蘭子が庭の一角に生えるクローバーの元にしゃがみ込んだ。
小さな両手と愛らしい瞳をくるくる回し、四つ葉を探し求めている。

 「いつの間にかあの娘も小学生になる」

 「早いわねぇ」

 「あのままじゃ蘭子の身が危ない。最悪誘拐されかねん」

腕を組んだ父が深刻そうな表情で呟く。
今日も元気な雀たちが囀り始め、庭には蝶が飛び交っていた。


 「だからこれからは心を鬼にして、時には社会の厳しい面」

 「パパっ! ママっ!」

 「ん? どうしたんだい、蘭子ー?」

 「これ、あげるっ!」

クローバーで作られた、ぶかぶかの指輪。
石の填め込まれる部分に、四つ葉が見事に咲き誇っていた。
蘭子があちこちの指に填めているそれを、両親にも一つずつ差し出す。

 「おおっ、上手に出来たなぁ! 貰ってもいいのか?」

 「うんっ!」

 「あら、素敵ねぇ」

 「よーし、ご褒美の高い高いだーっ!」

 「きゃーっ♪」

蘭子を肩車して、お父さんタクシーは祖母の元へまっしぐら。
祖母へ指輪を手渡すと、皺だらけの手が蘭子の頭を撫でる。

 「蘭子は優しい子だねぇ」

 「えへへー」




 「パパ、ママ、おばあちゃん、だーいすきっ!!」



笑顔の咲き乱れる、穏やかな一日。
緑茶を啜り、母がほぅと息をつく。


 「平和ねぇ」



神崎蘭子、六歳の春であった。



  ※(たぶん)長編です
  ※作者は(熊本県で広く用いられる方の)熊本弁が分かりません。ご容赦を


【12歳 / 冬】


結論から言うと、両親の教育方針が変わる事は無かった。


というのも、蘭子が実に良い子であったせいである。

お夕飯の準備は手伝う。
苦手なピーマンも頑張って食べる。
お婆ちゃんの肩は叩く。
お勉強は頑張る。
溺れかけた仔犬を助けようと川に飛び込む――

今か今かと待ち構えても、厳しく叱るべき場面は(最後以外)一向にやって来なかった。

 「わぁ……!」

良い子にはご褒美を。
神崎家の教育方針第一にして全である。
オカルティックな書物やガラス細工などを両親、特に父親はたびたび買い与えていた。

 「ありがとうっ!」

蘭子の趣味は……少々変わっていた。
幼少のみぎりからお人形などにはあまり興味を示さず、とかく精緻で美しいものを好んだ。
栞。風鈴。オルゴール。時計。フルート。万年筆……。
中でも色には特別のこだわりが見て取れた。黒と銀と紫とを特に好んだ。


 「これが似合うんだものねぇ」


蘭子は、黒と銀と紫の似合う少女だった。



 「――もうオレらも中学生かぁ」


放課後の帰り道。
男女ごちゃ混ぜのいつもの仲良しグループは、どこかしんみりとしていた。

 「卒業式の練習、あんなにすると流石に冷めるよね」

 「オトナってのはよー分からん」

 「みんな西中だよね?」

 「いやアタシ越すんだって」

 「そうだったわ。福岡だよな?」

 「ん。まぁ携帯もネットもあるからなぁ」

やいのやいのと盛り上がる会話の後ろで、蘭子は思いを巡らせていた。
蘭子は熊本で生まれ、すくすくと熊本で育ってきた。
この先も、ずっと先もそうなのかな? それとも福岡とか東京とか、どこかに引っ越すのかな?

 「そのうち社会科見学か何かで行くべ。そん時に顔出しちゃる」

 「ハイハイ楽しみにして……ランちゃん? どかした?」

 「……え? あ……」

ぼうっとしていた思考を切り替える。
何を言おうか迷って、思い付くままに口を開く。


 「……我が相棒の行く末を案じていたまでよ」
 (……このランドセル、どうしようかなぁって)

 「うーん……やっぱランちゃんの考える事はよー分からん」

この六年間を通じて磨かれた蘭子語を、同級生達もまた六年間で体得していた。
一部の女子の間では暗号として活用されている始末である。
通信簿にて何度も指摘されている点であるが、両親は個性の一言でもって容認するばかりであった。

 「装束を纏いし我が姿も思い描いていたわ」
 (それと、西中の制服似合うかなぁって)

 「そういや制服合わせ来週だっけ」

 「蘭子も学ラン着よーぜ」

 「何でランちゃんが」

 「学ラン子」

 「小学生レベル」

 「オレもオメーも小学生だろが!」

やいのやいのとまた盛り上がる会話の横で、蘭子は再び空を見上げる。


熊本の空は、今日も良く晴れていた。

一旦おしまい。
こんな感じで年内には終わると思いたいです


 「むむむ……」

夕陽がアスファルトを真っ赤に染める帰り道で、蘭子は未だ悩んでいた。

実を言うと、蘭子自身もここまで悩むとは思ってもいなかったのだ。
何が蘭子をそうさせるのか、自分でも不思議に思っているくらいだった。

 「……何か、違うなぁ」

それが何なのかは全く分からない。
ただ、今はそれを待つべきのような気がしてならなかった。


ぐぅ。



 「……」

顔を赤くして、蘭子がきょろきょろと辺りを見渡す。
幸いにして時刻も遅く、遠くに運動部の男子グループが二、三見えるばかりであった。

 「お夕飯、ハンバーグがいいなぁ」


蘭子は結局、ズルズルと帰宅部へ入り、先ほどの彼女と黄金のツートップを組む事となる。
だが誰も、当の蘭子ですら、未だ知らない。




――蘭子が待っていた、何か。人はそれを『運命』と呼ぶ事を。


 【13歳 / 秋】


蘭子の小さなガラスのハートは、歩き出して五分で早鐘を打ち鳴らしていた。


 「……」


行き交う人から時たまちらりと視線を向けられる度、蘭子の肩が小さく跳ねる。
その跳ね具合が徐々に収まってゆくにつれ、鼓動も段々と落ち着いてきていた。
感触を確かめるように、舗装された道路をヒールでコツコツと叩く。


 「ほへぇー……」


丸の内の超高層ビル群にも圧倒されたが、ここ竹下通りも圧巻だった。
普段は中々着て歩く機会の無いゴシックスタイル。
憧れだった衣装に身を包み、蘭子のご機嫌は徐々に高まっていった。


親戚の結婚式に出席する為、神崎一家は東京へやって来ていた。
ついでに観光でもしようかと話が纏まり掛けた際、蘭子は一世一代のワガママを口にした。


 「あのね、私……原宿に行って、みたいの…………一人で」


当然の如く両親は大反対だった。
可愛い一人娘、いや可愛くて可愛くて仕方の無い一人天使である。
僅か十三歳の田舎っ子を一人で東京に放り出すなど以ての外であった。
蘭子もそれは予想しており、だからこそ必死でお願いをしている。

 「…………ダメ……?」

 「ぐ、ぐぅっ……幾ら可愛くお願いしたって……ダメだ。俺達もついて行く」

 「ごめんね、蘭子……私達が居ちゃ、駄目?」

 「え、えっと……」

両親が蘭子の為を思って言っているのを、蘭子自身も痛いほど理解していた。
でも、蘭子にだって知られたくない秘密の一つや二つあるのだ。
両親は「凝った服が好き」程度に考えている、蘭子のヒミツの趣味。
だが実際は、「市販の服を仕立て直し、一式揃えてしまう程のゴシック好き」なのである。
自分で繕った一番の自信作を着て、原宿の街を歩いてみたいのだ。


 「――まぁまぁ、いいじゃないの」


祖母は、いつだって蘭子の味方だった。


 「母さん、流石に甘いよ」

 「蘭子。二人が蘭子を大切に思って言ってるのは、分かるかい?」

 「うん……」

 「義母さん」

 「じゃあ、心配掛けないようにしておやり。電話は持って来てるね?」

 「持ってるよ」

 「それの……GHQ? だかを点けて、二時間に一回は連絡を寄越す事。出来る?」

 「…………出来るっ!」

祖母が頷いて、両親へと水を向ける。
両親は唸り声を上げたまま、悩ましそうな表情を崩さない。

 「どうせ式は明日だろう? 昔から言うじゃないか。可愛い子には旅をさせろって」

 「……」

 「パパ、ママ。お願いっ……!」

 「……」

 「この子は悪さなんかしやしないよ。きっと可愛らしい秘密さ、ね?」

唸り声を上げ続けていた母が、とうとう息をついた。


 「……予備の充電器を買って来るから、それも持って行く事。いい?」

 「……! うんっ!!」

 「あなた」

 「……一時間に一回、連絡を寄越す事。出来るかい、蘭子?」

 「出来るっ!!」

両親に抱き着き、満面の笑みを浮かべる蘭子。
二人が視線を向ければ、祖母も満面の笑みを三人へ向けていた。

 「夕飯までには帰って来る事。それから……」

 「あなた」

追加注文を付けようとした先に蘭子の姿は無く。
祖母に抱き着いている蘭子を見て、両親は苦笑を浮かべた。



 「……うん。お祭りやってたみたい。人がいっぱいで…………はーい」


定時連絡を終え、落とさぬよう携帯電話をポケットにしまう。
今のところ、駅でこっそり着替えて来た服に異常は無い。
流石に浮くのではないかと心配していたが、杞憂に過ぎなかった。
東京は、すごい。


 「~~♪」


お気に入りの日傘をくるりと回す。

夕飯の時間まではまだまだたっぷりある。
祖母からは内緒のお小遣いまで貰ってしまった。
お洒落な服の一着でも買って、それからお婆ちゃん達へのお土産も買って帰ろう。

そう考えて、通りの先に目を向けた時だ。




運命の瞬間というのは、得てして突然に訪れる。

誰だ今の


最初は何かのコスプレにも見えた。


ずぶ濡れの全身。
半ばから千切れたように無くなっているネクタイ。
ペンキでもぶち撒けたかの如く、鮮やかな赤に染まった革鞄。


異様な出で立ちの、スーツ姿の男が一人。ケバブサンドを囓りながら歩いて来る。


 「……?」

東京には不思議な人が居るなぁ。
そんな感想を抱きながら眺めていると、男と目が合った。


ぽとり。


 『あっ』


男の手からケバブサンドが包みごと零れて、二人の視線が地に落ちたそれに吸い寄せられる。
しばらく呆然とした後、男は納得したように深く頷いた。



 「…………なるほど、道理で」


蘭子にその呟きの意味は分からない。
だが男は落ちたケバブサンドを手早く拾い上げ、ゴミ箱へと放り込んだ。
そして丁寧に手を払うと、ずんずんと歩き出す。


蘭子の方へ、真っ直ぐに。


 「…………え? えっ?」

訳の分からぬままに慌てふためく蘭子に構わず、男が近付いて来る。
何をするべきか迷っている内に、男は蘭子の眼前数歩前でぴたりと立ち止まった。


 「……」


ど……どうしよう。
何を言えば。
け、警察?
いや、パパ達に電話……?


ぐるぐると蘭子の頭に行動が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
何か、何か言わなきゃ。
ぱくぱくと何度か口を動かしてから、蘭子はようやく言葉を絞り出した。



 「……我に何用か」
 (……な、何かご用ですか?)



初対面の男に蘭子語が炸裂した。
蘭子の「言葉」に、男の肩がぴくりと動く。

 「……」

男が、スーツの内側へ手を伸ばした。


 「――ぴっ!?」


……う、撃たれるっ!?


蘭子は日傘をほっぽり出してその場へしゃがみ込んだ。
両手で頭を抱え、身体は小さく震えるばかりだった。


 「…………っ」


ああ。
パパ、ママ、おばあちゃん、ごめんなさい。
私が間違ってたよ。東京は、こわい所だったよぅ……。


 「…………?」


何かが変だ。
銃声もしなければ、撃鉄を起こす音も聞こえない。
小刻みに震えたまま、そっと、そうっと顔を上げる。


 「……あの、すみません」


男の両腕は蘭子に向けて真っ直ぐ伸ばされ。
その先には、小さく四角い――




 「――アイドルのお仕事に、興味はありませんか?」



ぽかんと名刺を眺める視界の端に、警察官の姿が見えた。


一旦おしまい。


読んでおくとより楽しめるかもしれない過去作
鷹富士茄子「不幸中の幸い」 ( 鷹富士茄子「不幸中の幸い」 - SSまとめ速報
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読んでもらえると嬉しい並行作
輿水幸子「ライブサバイヴ」 ( 輿水幸子「ライブサバイヴ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1472819438/) )

アキバの虎で,買ってきたぞ!
店頭販売してるじゃん,乙

前に委託希望してた者ですけど、今日とらのあなさんから届きましたよー
ゆっくり読みます、乙

>>41
マジか 今度覗いてきます

>>42
ありがとう お待たせしました



 「……ご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした」

 「う、うむ……」


紆余曲折を経て、二人の姿はランチタイムの洋食屋にあった。
せめてものお詫びをという体でまんまと誘いに乗ってしまった事に、蘭子は未だ気付かない。
ネクタイと鞄とジャケットは纏めてビニール袋に放り込んである。
無精髭を生やした青年とゴスロリ少女の組み合わせは、傍目から見ても極めて怪しかった。

 「何にしますか? ああ、私が持ちますのでご遠慮無く」

 「……ハンバーグランチ」

 「分かりました」

訝しむような店員にハンバーグランチとナポリタンを注文し、男が蘭子に向き直る。
見知らぬ大人から視線を向けられ、蘭子は思わず居住まいを正した。

 「改めて……神崎さん、でしたね。先程は失礼致しました。私はこういう者です」

男が改めて名刺を差し出す。
ガラスの靴が描かれたそれには、やたらと長ったらしいカタカナが並んでいた。


 「……?」

 「あ、ええと。要はアイドルを手掛けるお仕事と思ってもらえれば」

 「舞い踊る偶像……」
 (アイドル……)

呟いた後にハッと気付く。
蘭子の言葉に、男は興味深そうに目を瞬かせた。

 「……独特な、言葉遣いですね」

 「……」

 「由来などがお有りで?」

 「……我は戯れに舞い降りし異形の者」
 (……私、たまたまこっちへ来ただけの変なコです)

 「え?」



 「汝は、『瞳』を持つ者か?」


男は顎を撫で回してしばらく黙った。
無言の間が、店内の賑わいを際立たせて二人の耳へ届ける。

 「……いえ。残念ながら持っていないと思います」

 「……」

 「ですが」

よく見ればうっすらと痣の残っている顔で、男は笑顔を浮かべた。


 「変なコなんかじゃありませんよ。アイドルにだってなれる、可愛らしい女の子だと思います」


口をぱくぱくとさせるだけの蘭子に、男が困ったように首を捻る。

 「神崎さん?」

 「……な」

 「な?」


 「何で分かるのっ!?」


家族と同級生以外の、初めて『言葉』の通じた人だった。


 【14歳 / 春】


 「はぁ……ふぅっ……」


東京へ来て四ヶ月が経った。
今日も今日とてダンスレッスン。アイドルへの道は険しいのだ。
だが、蘭子は弱音を吐いたりしない。
それが運命に導かれし者の業だと、彼女はニヒルに(傍目からは実に可愛らしく)笑う。

 「お疲れ様です、蘭子ちゃん」

 「闇に飲まれよっ!」
 (お疲れ様ですっ!)

差し出されたタオルを受け取り、蘭子が満面の笑みを浮かべる。
彼は反対に、少し寂しげな笑みを浮かべた。

 「良いニュースがありますよ、蘭子ちゃん」

 「ほう! 福音が訪れたか!」
 (わぁ! 何ですかっ?)

 「蘭子ちゃんへ正式にプロデューサーが付く事になりました」

 「…………えっ?」


笑顔を浮かべたままの蘭子の手から、タオルが床へ滑り落ちた。


 「……プロデューサーは、プロデューサーでしょ?」

 「ええ。私が首になった訳ではありません。心配せずとも、とても優秀な人ですよ」

 「そ、そうじゃなくてっ。でも、プロデューサーの、プロデューサーで、プロデューサーが」

 「蘭子ちゃん」

頭に、そっと柔らかい感触。

 「隠さず言います。私が担当のままでは、蘭子ちゃんが活躍出来ないんです」

 「で、でもっ! お仕事だって」

 「四ヶ月でたったの二回です。これは、はっきり言って少ない」

 「っ」

 「申し訳ありません、蘭子ちゃん。ご家族にあんな啖呵を切っておいて。私は」

迷うように言葉を切る。

 「プロデュースの才能なんて無いのかもしれません。美嘉さんも、十時さんも、私は途中で」

 「……」

 「ですが、蘭子ちゃんの素質は本物です。これは、誰にだって否定なんかさせません。だから」


自身よりも頭一つは小さい少女へ、頭を下げた。

 「お願いします。どうか、アイドルを続けてほしい。シンデレラに、なってほしい」

目の前のつむじをじっと見つめて、蘭子は息を呑んだ。
大人に頭を下げられるのは生まれて初めてだった。
何かを叫びそうになるのをぐっと堪えて、見えないのを承知の上で、こくりと頷く。

 「…………分かった」

 「ありがとう、蘭子ちゃん」

彼の両手が、蘭子の両手を包むように握った。


 「頑張ろうね」

 「はい。頑張ります」


小さくなっていく彼の背を、蘭子はじっと見つめていた。



 「――やぁ。キミが蘭子ちゃんだね?」


レッスンルームでターンの録画を観ていると、静かにドアが開かれた。
現れたのは、無精髭も無ければペンキも被っていない、ごく普通の青年。
近所の兄さんのような、親しみやすい笑みを浮かべている。

 「新しく担当プロデューサーになった者です。よろしく」

 「……」

 「……蘭子ちゃん?」

 「――汝は、”瞳”を持つ者か?」


蘭子の言葉に、虚を突かれたかの如く動きが停止した。
言葉を探すように宙を何度も指で掻き回す。


 「ごめん、不勉強でね……最近のゲームか何かで流行ってる?」


魔力を喪ったかのように、蘭子の身体がふにゃりと崩れ落ちた。


 【14歳 / 夏】


 「わわわわわわがっ、わわがととっととと」

 「落ち着こう蘭子ちゃん」


レコード店のバックヤードで、蘭子の身体はいっそ愉快な程に震えていた。
生来白い肌はいっそう色を薄くし、差した紅がいっそう際立って見える。

 「幻惑か、白昼夢か!? 下僕達が雲霞の如く……!?」
 (ゆ、夢!? 何でこんな集まってるの~!?)

 「幻……あ、なるほど。えーと」

彼の蘭子語力は素晴らしい勢いで上達していた。
検定ならば準二級は合格圏内間違い無しだった。

 「第一弾の五人がえらく好評でね。その期待が第二弾の先陣を切る蘭子ちゃんに」

 「あわわわわわわ」

 「落ち着こう蘭子ちゃん」

理由を聞いた所で震えが止まる訳でもなく。
蘭子の紅い瞳には神秘の雫まで滲み始めていた。


 「む、無理……むりだよぅ……」

 「大丈夫。あんなに練習したじゃないか」

 「ふ、普通にやった方がいい、かな……?」

 「……普通?」

 「だから、その、えっと、こういう、話し方でとか、後は」

 「蘭子ちゃん」

徐々に下がっていく目線へ合わせるように、彼は隣に屈み込んだ。
歳の離れた姪でもあやすような、ごく柔らかい目付きを湛えて。

 「蘭子ちゃんの普通は、そっちじゃない。そうだろう?」

 「……」

 「本当に、普通に、蘭子ちゃんがやりたい通りにやっていいんだ」

 「……本当?」

 「本当さ。まだ知らない神崎蘭子を、みんな知りたがってる」


扉の影から蘭子がそっと店内を見渡す。
若い男女が中心。いかにも楽しげで、期待に満ちた雰囲気。
彼らはまだ、蘭子の事を知らない。

 「教えてあげてほしいんだ。神崎蘭子が誰なのかを」

 「……最初だけ」

 「ん」

 「最初だけ……普通に、やってみる」

 「ああ。最初だけ、一歩だけでいい――楽しんで」

うるさい胸に手を当てて黙らせた。
店員さんの合図に頷くと、ミニステージ周辺の照明が落とされる。


 「お? 停電?」

 「演出じゃね」

 「なる」


暗闇の中へ、一人の少女が歩み出た。


 「――誇るがいいわ。天使が地に堕つ姿を目に出来る悦びを」

一歩。

 「刻は満ちた。神秘の円盤はその姿を現し、あまねく世界へと満ちる」

二歩。

 「今こそ降誕の刻……煉獄より舞い降りし堕天使、神崎蘭子!!」

三歩。



 『――華蕾夢ミル狂詩曲!!』



ちなみに今の蘭子は、『煉獄』を『地獄』のカッコイイ言い方だと思っている。


幕引きは相異なる反応で彩られた。
なかなかの大きさの拍手と、呆けたような表情と。


 『ありがとうございました。神崎蘭子さんに、今一度大きな拍手を!』


進行役の店員さんがアナウンスし、拍手が一際大きくなる。
そこで蘭子ははたと気付いた。
頭を下げるべきか、退がるべきか、手を振るべきか。
どうすればいいのか。

 「……」


普通にやろうっと。


 「――闇に飲まれよっ!!」
 (ありがとうございましたー!)


蘭子のデビューライブは、後の本人曰く「ごく普通の出来」だった。

一旦おしまい。

渋谷凛「一行足らずの恋」
渋谷凛「一行足らずの恋」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1474447702/)
最近書いたやつ↑

アーニャちゃんは60ガシャで遊びに来てくれると信じてる


 【16歳 / 初夏】


 「ばかぁぁぁーーーーーーっっ!!!」


破れんばかりの勢いで病室の扉が開き、六人の患者達が慌てて跳ね起きた。
ターゲットを最奥のベッドに認めると、その胸元へ勢い良くタックルを加える。

 「っごぅ」

 「ばかばかばかばかばかばかプロデューサー」

悶える暇すら与えず、神崎蘭子は彼の胸板に何度も何度も頭突き。
浮かんでいた涙が病衣に染み込み、不規則な模様を描く。
呆気に取られる他の患者達に見つめられ、彼は慌てたように釈明しようとした。

 「あ、ごほっええとこれは、大声ごふっすみませんあの、蘭子ちゃん離れようか?」

 「…………ばかぁ」

ぐすぐすと洟を啜り、蘭子は抱き着いて離れようとしない。
その様子を見た患者達は納得したように頷いた。

 「良い妹さんを持ったなぁ、兄ちゃん」

 「大切にせんといかんぜ、身体もこの娘も」

 「しかしあんま似てないな……いや、失敬」

壮年から中高年の男性患者たちに揃って都合良く解釈される。
彼は反論しようとして、胸元の小さな頭を見て、結局諦めた。


 「……その、心配してくれてありがとう。ごめんな」

 「赦さぬ」
 (ばか)

 「ええと、いやホント、大した事無いから」

 「空言を弄するな。身も朽ち果てん有様だったと風も囁いた」
 (うそ。過労だって聞いたもん)

 「ダー。うそ、ダメですよ? プロデューサー」

 「……やぁ。アーニャちゃんもありがとうね」


当代シンデレラガールと総選挙第二位。
そんな二人の少女を担当するプロデューサー業務は壮絶な戦いだった。
身体が二つ欲しいと彼の零した呟きは、まさしくその状況を一言に纏め上げている。

第二回総選挙からのこの一年間。
終わりの無いマラソンは先日の第三回総選挙でようやくのゴールを迎えた。
そして走り続けたランナーは精根尽き果て倒れ込んでしまったのだ。
診断結果は過労。医師からは五日間の安静を言い渡されていた。

 「プロデューサー。蘭子、とってもベスパコイツァ……心配、してました」

 「……」

 「その……グランマが、その……アー……」


祖母が世を去ってから、未だ半年足らず。
そんな折に担当プロデューサーが倒れた報を耳にした蘭子。
彼女の心情が如何ほどのものか、彼自身も痛切に理解していた。

 「我が、友までも……やだよぅ……い、居なくなっ、たら、どうしよう、ってっ……」

 「……ごめんな。本当に、ごめん。もう、勝手にどこかへ行ったりしないよ」

 「プロデューサー。蘭子と……私と、約束できますか?」

 「ああ、約束だ」

 「……なれば、我々と共に久遠の盟約を交わせ」
 (じゃあ、私達と指切りして)

 「いいとも」

苦笑しながらも、しっかりと小指を伸ばす。
蘭子とアーニャも細い指を伸ばし、三つ巴の鎖を結んだ。

 「プロデューサー。これからも、一緒に居てくれますか?」

 「ああ」

 「蘭子、お願いします」

 「……うむ」

そして、結んだ指を小刻みに揺らす。




 「指切拳万、空言を紡ぎし果てには地獄の業火に身を灼かれよう。血の盟約は契られた」
 (ゆびきりげんまん、ウソついたら針千本のーます。指切った!)

 「…………あ、ああ」



ひとたび魔王との盟約を破れば、それはそれは大変な事態になるのだ。



 「――刻は満ちた。これより円卓会議を執り行う! 騎士共よ、卓へ着け!」
 (作戦会議です! みんな、座ってください!)


翌日。
蘭子は事務所の小会議室にて高らかに宣言した。
彼女の背よりだいぶ高いホワイトボードをぺしぺしと叩く。

 「カンフィリアンスェ……会議、とっても大切、ですね?」

 「はいー。言葉と言葉を交わす事こそー人の人たる由縁ゆえにー」

アーニャの隣に座るのは先程までのんびりお茶をしばいていた依田芳乃。
悩み相談が得意と聞いた蘭子が会議へ誘うと二つ返事で承諾してくれたのだ。
長方形の会議机を挟み、二人と蘭子が向かい合う。
小会議室に円卓は無かった。

 「あ、お菓子いっぱい買って来たから食べてね?」

 「では遠慮無くーカントリーマァムをー」

 「ンー……カントリーマァム、良い名前です」

長期戦に備え、机の端にはお菓子が山積みになっていた。
二人に釣られて蘭子もカントリーマァムを囓る。

 「おいしー」

 「まことー」

 「抹茶味も、美味しいです」


腹が減っては戦が出来ないのだ。


 「これより円卓会議を執り行う! ……あ。ありがとー」

 「ニェート」

 「これより円卓会議を執り行う!」
 (では会議を始めます!)

アーニャに口元の食べかすを払ってもらい、厳かに円卓会議が始まった。
ちなみに会議室の扉には『サバト執行中』の紙が貼られている。
このブレもまた蘭子語の持ち味だった。

 「我らには一刻の猶予も残されておらぬ! 我が後に続く者は剣を掲げよ!」
 (急いでどうにかしないとね。二人とも良いアイディアとかあるかな?)

蘭子がホワイトボードを力強く叩いた。
実に女の子らしい筆跡で『プロデューサーお助け大作戦♪』の文字が踊っている。
今日はそこそこブレの激しい日だった。

 「はい、アーニャちゃん」

 「プロデューサーの書類仕事、手伝うのはどうですか?」

 「うーん……でも私、あんまり難しいのよく分かんないよ」

 「ダー……私もです」

シンデレラガールのタイトルを返上したとは言え、仕事が減る訳でもなし。
再び彼を倒れさせぬよう、心優しい少女達はうんうんと唸っていた。


 「はいなー」

 「はい、芳乃ちゃん」

 「背伸びは禁物ですー。まずは手の届く支度からー初めてみてはー」

 「ふむ」

 「ピカップ……送り迎えとか、ですか?」

 「いかにもー」

アイドルのプロデュース業務は多岐に渡る。
ステージ演出や衣装の提案、客先への営業、アイドルの送迎、エトセトラエトセトラ。
通常の業界であればどれも分業化されるべき業務量である。
だがここ十年ほどはこういった慣習が常態化し、不思議と文句も出てこなかった。

 「しかし我らの戦場はクノッソスの迷宮。アリアドネの糸無しには……」
 (私、テレビ局とかで未だに迷っちゃって……プロデューサー抜きで大丈夫かなぁ)


 「蘭子、頑張り所です。お互い、いっぱいサポートしましょう」

 「……うん、そうだよね。私達がしっかりすれば、プロデューサーも休めるもんね!」

 「共に踊る者たちとの挨拶などもー大切なものでー。縁を繋ぐ為にも疎かにはー」

 「慰めの調べ……クク。その程度、我らには造作も無き事」
 (楽屋のあいさつ回りかぁ……うん、そのぐらいなら私にも出来るかもっ!)

『プロデューサーお助け大作戦♪』の横にサインペンを走らせる。


 『出来る事から始めよう! まずはあいさつから!』


満足げに頷き、蘭子はその一行を大きく丸で囲った。


 「この刻を以て円卓会議の幕を切る。騎士共よ、参集御苦労であった!」
 (よしっ! これで会議を終わります! みんな、お疲れ様っ!)

 「ウラー!」

 「いえいえー」

三名による小さな拍手が湧き起こる。
こうして、実に十五分に及ぶ円卓会議がその幕を下ろした。


 「お菓子余ったねー」

 「皆を呼びー分け与えるのがよろしいかとー」

 「みんなでお菓子パーティー、しましょう♪」

 「よーし……明日から、頑張ろうねっ」

 「ダー!」

 「美しきはー友情かなー」


こうして蘭子とアーニャの小さなチャレンジが始まり、大失敗に終わった。
翌週復帰した彼は後始末に奔走し、結果として胃に小さな穴が開いた。
アーニャもちょっと泣いた。


 【16歳 / 晩秋】


 「パーティ~、バーヌキェ~ット、クラーバ~……♪」

 「ナー?」


北海道から持って来たというパーティー帽を被り、鼻歌を唄いながら工作するアーニャ。
グリフォンがその手元を不思議そうに覗き込んでいる。


紆余曲折を経て、蘭子は仔猫を飼う事となった。
推定年齢1歳未満のロシアンブルー、グリフォン。
今や彼はアーニャと共に、蘭子の家族と言っても過言では無い。


 「ズェベルシーニェ! 出来ましたよ、グリフォン」

 「ニャッ」

厚紙とゴム紐で作られた、アーニャ特製の猫用パーティー帽。
小さな両耳の間には大き過ぎるくらいのとんがりが生えて、グリフォンが首を傾げた。

 「あら、格好良いですね~。主役用タスキも持って来ましょうか♪」

土鍋の具合を確認しながら、鷹富士茄子が笑う。


アーニャもウキウキな本日の夕餉はカニ鍋パーティー。
遅ればせながらグリフォンのウェルカムパーティーも兼ねている一席だ。
特別ゲストとして、グリフォンの恩人である茄子も招かれている。

PVやら猫やら、この秋は本当に色々とあったのだ。


 「魔王の帰還!」
 (ただいまー)

 「お帰りなさーい。お邪魔してます、蘭子ちゃん♪」

 「ククク……見よ! 下僕からの献上品を!」
 (プロデューサーから差し入れ貰っちゃいました!)

袋いっぱいの缶ジュースやお菓子を手に蘭子が帰宅した。
カニパ、カニパー、と呟きながら洗面所へと向かう。

 「では、蘭子ちゃんも帰って来ましたし。グリフォン君もアーニャちゃんもお待ちかねですし」

 「ニャ」

 「ワクワク……」

 「豆乳鍋に、具材を……投入~♪」

 「ウラー!」

白の湖面に具材が飛び込んでゆく。
煮えにくいものから順番に、オールスターが勢揃いしていった。
自宅で酒盛り中の楓がくしゃみをした。


 「おお……幾多の贄共が踊り狂っておるわ……!」
 (わぁっ。食べきれるかなー)

 「そしてそしてー、トリを飾るのはー……本日の主役、カニさんでーす♪」

 「クラーバっ!」

ぱぽんっ!

カニが踊り、アーニャがアメリカンクラッカーを打ち鳴らす。
彼女は久しぶりのホームパーティーを全力で楽しんでいた。
自宅でチーズ鱈を囓っていた楓がくしゃみをした。

 「という訳で、煮えるまでグリフォン君と遊びましょう」

 「ナー?」

 「フフ……焦るでない、魔獣よ。宴はこれから故」
 (ごはん、もうちょっと待っててね)

蘭子がグリフォンを膝に抱きかかえる。
背中をもふもふと撫でると、彼は満足げに喉を鳴らした。


 「実はですねー、今とある企画をやっていまして」

 「ほう?」

 「企画?」

 「お守り大作戦です」

茄子が懐からお守りを取り出す。
表面には『色々大祈願』と精緻な刺繍が施されていた。

 「ほら、私ってライブでお守り放るじゃないですか」

 「うむ。狂乱の賽ね」
 (人気ありますよねー、あれ)

 「数を用意するのが難しいんです、このお守り。なので代わりが無いかなーって」

 「代わり、ですか?」

 「ずばり待ち受け画面です」

茄子が携帯電話を取り出した。
待ち受け画面には富士山を背景に鷹と茄子とが舞っている。


 「私を写した待ち受け画面を配信すればいいんじゃないかなーと思いまして」

 「ほほう」

 「そこでグリフォン君です」

 「……ナ?」

賑やかに鳴き始めた鍋の様子を伺っていたグリフォン。
そっと前脚を伸ばしかけた下手人を捕まえ、茄子が膝の上へと投獄した。

 「招き猫になって貰っちゃおうと♪」

 「マネキネコ……ちひろが集めてるあのコ達、ですか?」

 「だー♪」

 「ナー」

右手を掴み、招き猫のポーズを真似させる。
グリフォンをじっと見つめて、アーニャも招き猫のポーズを真似た。
蘭子も真似て、ちょっと照れた。


 「なれば、写し身の儀を今より執り行おう」
 (じゃあ、写真撮りましょうか)

 「あ、ちょっと待ってください。良い物持って来てるんですよー」

茄子がハンドバッグを引っ繰り返す。
あれでもないこれでもないと脇へ避けた、世にも珍しいグッズの数々。
二人と一匹はそれらを興味深そうにつっついていた。

 「あったあった。じゃーん」

そして取り出したのは一枚の金属片。
新五百円玉よりも二回りほど大きく、またやや白みがかっていた。

 「アー! コバン、ですね?」

 「ぴんぽーん♪ 招き猫と言えばこれですよねー。はい、グリフォン君」

茄子がグリフォンへ小判を手渡す。
不思議そうな表情でしばらく舐め回した後、ちょうどいいとばかりに囓り始めた。

 「真獣よ。それは甘美なる偽りの財宝とは似て非なる物よ」
 (グリフォン、それコインチョコじゃないよー)

 「蘭子。ちなみに猫はチョコレート、ダメですよ?」

 「えっそうなの?」

 「あはは、まぁまぁ。蘭子ちゃん、写真をお願いしますね」

 「心得た!」
 (はーい)


蘭子が携帯のカメラを起動する。
小判を抱えたグリフォンを抱えた茄子は、確かに縁起が良さそうに見えた。
茄子の腕の中で自由気ままに転げ回るグリフォン。
そのパターンの数だけシャッターを切っていく。

 「約束の女神よ。最後の審判を」
 (茄子さん、これでどうですか?)

 「うん、バッチリです! ありがとうございました、二人もグリフォン君も」

 「グリフォン。そろそろ、めっ、ですよ」

 「ニャッ」

珍しい玩具を取られまいと、グリフォンが小判を咥えて部屋の中を逃げ回る。
翻弄されるアーニャを眺めて、茄子が穏やかに笑った。

 「魔獣の眼鏡に適ったようね。我が手よりも与えるべきか」
 (あはは、お気に入りだねー。あのオモチャってどこで売ってるんですか?)

 「あー、あれは慶長小判なので売ってないと思いますよー」


 「……ケイチョ?」

 「子供の頃にサツマイモ掘ってたら出てきたやつです」

 「……む?」

 「博物館にでも寄贈しようと思って、ついそのままにしちゃってて」


ぐつぐつことぐつことことぐつぐつ。

部屋にはしばらく鍋の奏でるハーモニーだけが響いた。
やがて思い当たった蘭子が手を打ち鳴らす。



 「アーティファクトか?」
 (……本物の小判?)

 「そうですよー」


 「グリフォンっ!! めっ! めっ、ですっ!!」

 「ミーッ!?」

慌ててグリフォンをふん捕まえるアーニャを尻目に、蘭子はぼんやりと考え込んでいた。
それはそれは楽しそうに笑う茄子の顔を眺めながら。


 「……茄子に小判」
 (……ネコに小判)

 「蘭子ちゃん、何か言いました?」

 「ううん、何も」


茄子が蓋を開けると、実に美味しそうなカニの豆乳鍋が姿を現した。

一旦おしまい。

転職活動とか冬コミの入稿とか一段落したのでペース上げたいです

今回は元日から虎さんで取扱予定です
冬垣楓さんのお話だよ

なぁに、クリスマスまでには終わるさ


 【16歳 / 冬】


目を覚ますと何だか部屋が明るかった。
いや、ひょっとしたら逆かもしれない。

もしかして遅刻しちゃったかなと恐る恐る頭を上げる。
時計の針は間もなく7時を指そうとしている所だった。
ゆるゆると安堵の吐息を零し、そういえば今は受験休校だったと思い出す。

 「ふぁ……」

背伸びをしてカーテンを見れば、やはり明るい気がする。
二段ベッドの梯子を降り、深紅のベルベットを一息に開いた。

 「…………わぁ」

水滴に曇った窓は外の景色をよく見せてくれない。
だが薄ぼんやりと白く染まった世界に、蘭子は窓のクレセント錠を解き放った。


 「白亜の騎兵隊っ!」
 (雪だーーっ!)


もちろん、蘭子が雪を目にするのはこれが初めてではない。
日本の南端近い熊本であっても雪は降る。
しかし阿蘇近辺ならともかく、住宅地がこれ程の雪化粧をするのは稀だ。
女子寮前に設けられた小さな庭園は、こんもりと新雪が積もっている。


それに何より、蘭子は雪が好きだった。何だかわくわくするのだ。


 「姫君よ! 同胞の迎えが……あれ?」

ベッドの下段を振り返れば、もぬけの空っぽ。
どこだろうと探してみればすぐに気付く。
先日買ったばかりの四人用コタツ。
その緑色の布団の端から、綺麗な銀髪だけが遠慮がちに覗いていた。

 「姫君?」
 (アーニャちゃん?)

 「……さむいです。しめてください」

 「白亜の騎士団が」
 (ねぇ、雪が)

 「しってます……さむいです……」

 「ナー」

よく見ればグリフォンも胸に抱き締められていた。
アーニャは冬の魔の手から全力で身を守ろうとしていた。


アーニャにとって雪はレジャーなどではない。
雨や雷と同じ、数ある気象現象の一つに過ぎない。

ロシア連邦はサンクト・ペテルブルク。日本国は札幌市。
どちらも雪深い地域で、アーニャは人生のほとんどをその中で過ごしてきた。
人より寒さに強いのは確かだ。ただ、それと寒さが好きかというのはイコールでない。

 「スニェーク……雪、綺麗です……こたつ……あったかいです……それでいいです」

 「えー」

北海道民が都内へ来てまず驚くのが家の寒さだ。
すぐ冷える。そもそも冷たい。
常時暖房を絶やさぬ北海道の家とは根本から考え方が異なるのだ。

 「こたつ……ハラショー……」

 「ニャー」

 「ク……我が軍勢が劣勢に立たされるとはっ!」
 (わ、私が少数派……)

事実、北海道のコタツ普及率は沖縄と一、二を争う程の低さだ。
彼女の実家にもコタツは無い。
以前、友人宅にて遭遇した一件を思い出したその日に、アーニャは購入を決めた。

コタツさん家の子供にならなってもいい。
アーニャは今週に入ってからずっとそう考えている。


 「暁を糧とし、血も凍る戦場へといざ降り立とうぞ」
 (朝ご飯食べて遊ぼうよー)

 「私はいいです……蘭子、楽しんできてください……」

 「むー……グリフォンもさー」

 「ミー」

アーニャとグリフォンが恋人の如く抱擁を交わす。
蘭子はどうしたらいいかしばらく迷って、結局最終手段に出た。


 「…………だめ?」


少し悲しそうな声で、ちょっと目を潤ませて、お願い。
両親も、プロデューサーも、アーニャも。誰も勝てない蘭子の必殺技だ。

 「……ニェート。ちょっと、遊びたくなってきました」

 「やったー!」

 「ニャ?」

 「行きますよ、グリフォン」

 「……ミー」


 「おお……! ポリアフも戯れが過ぎたようね」
 (すごーい……銀世界だ!)

朝食を済ませて庭園へ出れば、既に風の子達が遊び回っていた。
望月聖と佐城雪美が協力して雪だるまを作っている。
乙倉悠貴が全身モコモコの格好で新雪を踏み締めている。
龍崎薫の放った流れ玉が橘ありすの顔面を急襲する。

 「ふむ。どう弄んだものかしら」
 (なに作ろっか?)

 「これだけあれば、何でも出来ますよ?」

 「じゃあ、かまくら!」

 「ダー。かまくらは得意です」

 「えっと、大きさはこのぐらいかなー」

年少組の遊ぶ中心部から外れた場所へ丸く線を描く。
その上に沿って雪の壁を作り始めた蘭子を見て、アーニャはくすくすと笑う。
グリフォンはアーニャの垂らしたフードの中で寝ていた。

 「蘭子。それ、崩れます」

 「真か?」
 (そうなの?)

 「昔、私も埋まったから」

すっかり雪だるまになったアーニャを想像して、蘭子は笑った。


 「まず、こうして……山を作ります」

 「ふむ」

 「それから少し水を掛けて……時間をおいて、固めるんです」

蘭子が一かきする間に、アーニャは二かきを済ませている。
二人の手に握られているのは頑丈そうなシャベル。
アーニャ私物の、錠前の提げられた大きな木箱から取り出してきたものだ。
彼女はミステリアスな女の子だった。

 「こんな風に掬うと楽ですよ」

 「ほほう……」

アーニャが手慣れた様子で雪を引っぺがし、徐々に山を大きくしていく。
蘭子はその山をシャベルの腹でぺちりぺちりと叩き固め、じょうろで水を撒いた。

 「アーニャちゃん、上手ー」

 「フフ。昔、パパから習いました」

 「血が結ぶ美しき技と絆ね」
 (お父さん直伝なんだ)

 「でも、パパは日本の人から教わったらしいです」

そんな会話を交わす内、山は蘭子の背ほどまで育っていた。
最後にホースで水を掛け、固まるまで年少組を眺めつつ休憩する。
ちらほらと降りしきる雪がフードの中で眠るグリフォンへ舞い降り、すぐに溶けていった。


 「突き立てられし生命の紙片の意味は?」
 (何で枝を挿したの?)

 「トーシュナ……壁の厚さをはかる為です」

蘭子がさくさくと、アーニャがザクリザクリと山を掘り進めていく。
枝の先端が覗いた所で止め、再び別の箇所を掘っていった。


 「――ズェベルシーニェ。完成、です」

 「堅牢ナル氷華ノ牢獄!」
 (立派なかまくらー!)


蘭子の言葉通りの、それは立派はかまくらだった。
小学生ならば一人くらい上に乗っても大丈夫だろう。
中へ厚手の布を敷き、二人して長く長く息をついた。

 「……思ったよりあったかいね」

 「ダー。雪を見ながらご飯も食べられます」

 「甘美の楽園へ誘わん」
 (チョコ食べる?)

 「いただきます」


雪景色にあって、かまくらの中は一際静かだった。
ぱきり、ぱきり。
二人の小さな口が明治の板チョコを砕く小気味良い音が響く。

 「雪、綺麗だね」

 「綺麗です。星も良いけど、雪も……穏やかで」

 「ね」

 「……」

 「……」

 「……蘭子」

 「なに、アーニャちゃん?」



 「コタツ、持って来ませんか?」

 「来ません」

 「ナー……」


フードの中で、グリフォンが残念そうに鳴いた。


 【17歳 / 春】


 「今回も良かったッス! 穏やかな曲調も良いッスね!」

 「ありがとうございます。寝る前に聴くと安眠できるかもしれませんよ?」

 「この前のライブ、お疲れ様でした。三船さんとのデュエットも素晴らしかったです」

 「あら、美優さんにも伝えておかなくちゃ」

 「天上の調べ!」
 (すごかった!)

 「我が身には過ぎたる言の葉♪」
 (照れちゃいますね)

 「水着グラビア、最高っした」

 「グラスのビーアも最高ですよね――」


CDへのサインと握手を貰い、蘭子は意気揚々と列を離れる。
新盤リリース恒例のお渡し会。
楓が新たにCDを出す度、蘭子はこうして欠かさず会いに来ていた。

事務所で顔を合わせるのとは、やっぱり少し意味合いが違うのだ。



 「――んしょ、っと」

蘭子は外で音楽を聴くのが好きだ。
部屋の中で聴くには、何だかちょっと勿体ない気がして。

女子寮の庭園に植えられた一本桜。
毛虫が落ちてこないか気を付けて、蘭子はその下の芝生へごろんと横たわる。
ポケットから小さなiPodを取り出し、薔薇飾りの施されたイヤホンを差し込んだ。

 「……♪」

昨日入手したばかりの新譜。今回のテーマは波だった。
海だけに限らず、空であったり、あるいは心であったり。
色とりどりに立つ波を、楓が穏やかに歌い上げる。

 「……」

良い日和だった。
目を閉じた蘭子の頬に木漏れ日が散り、ソメイヨシノの花びらが舞う。
春風が吹けば、視界いっぱいの桜色が波のように揺れる。


蘭子は高垣楓のファンだった。


普段の彼女はお酒を飲むか駄洒落を飛ばすかの愉快なお姉さんだ。
だが、一度マイクを握ったが最後。
泣く子も歌い出す神秘の歌姫へ、魔法のように変身してしまう。

 「揺れ~、砕け~……♪」

三度目のリピートに合わせ、口ずさむ。
Aメロが終わろうとする頃、ふと目を開ければ隣には楓の姿があった。
開けたばかりの目を丸くする蘭子に、楓は続きを促すように微笑んだ。

 「波よ~、風よ~、どうかまだ――」


三分半のメロディが終わり、イヤホンを外す。
ぱちぱちと小さな拍手を贈られ、蘭子も照れたように小さく笑った。

 「上手ですね」

 「……世紀末歌姫には敵わぬ」
 (……楓さん程じゃないです)

 「そうですか?」

からかうような楓の反応に、蘭子の頬がぷくりと膨らむ。
細い指でつつかれて、すぐに元通りになった。


 「……して?」
 (どうしたんですか?)

 「美優さんが聖ちゃん達の所へ顔を出していくって言うから、ついでについて来たの」

 「ふむ」

 「そうしたら綺麗な歌が聞こえてきてね。セイレーンかしら、って」

 「女子寮には居ないよー」

春の陽気に当てられたような、気の抜けた会話。
一回りも離れた歳を気にする事無く、二人はのんびりと会話を楽しむ。
風が吹く度に、庭園の春模様も穏やかに揺れていた。

 「……世紀末歌姫」
 (楓さん)

 「何でしょう」

 「そなたの瞳に、此の世界はどう映っている?」
 (アイドルを始めて……楓さんは、どうだった?)

一瞬だけの静寂が降りた。
二人の目が合って、それから楓が空を見上げる。
再び口を開くまでに、三枚の花びらが舞い散った。

 「……上手く、伝えられませんね」


幹に預けていた背を今度は芝生へ任せ、楓もごろりと横になった。
すぐ隣にあった、つつくのにちょうどよさげな頬をつっつく。
ぷくりと膨れて、すぐにしぼんだ。

 「歌を唄うのは、好きでした。でも、前はアイドルだなんて考えもしていなくて」

 「……」

 「全部が変わったような気がしますし、何一つ変わっていない気もします」

 「……むずかしい」

 「ええ、とても。ですから」

指を一本、ぴんと真っ直ぐに伸ばす。


 「――オトナになってからのお楽しみという事で、一つ」


 「……ほう。我が身を童と侮る心算か」
 (子供じゃないもん)

 「じゃあ、今夜一緒にお酒を酌み交わしましょうか」

 「子供です」


楓の参加する宴会は、広く地獄絵図と呼ばれている。
蘭子もまた地獄からの生還者だった。


 「でも、そうね、蘭子ちゃんなら」

 「――楓さーん」

女子寮の玄関から三船美優が姿を現した。
両脇にはゴザを抱えた雪美と、バスケットを提げた聖も見える。

 「お待たせしました……」

 「いえいえ、蘭子ちゃんをつっついてたらあっという間でしたから」

 「つっつかないで」

 「それはそれとして。その荷物、ひょっとすると?」

蘭子が楓の脇腹をつつく。
あまりの頼りなさに、蘭子はちょっと楓の身が心配になった。
風の噂によれば半分は酒で出来ているらしいが、果たして。
もう半分はダジャレかなと蘭子が考え出した所で、聖がバスケットを開ける。

 「お弁当……作ってました……待たせて、ごめんなさい」

 「お花見……楽しみ……」

 「やっぱり。ここでやるんですか?」

 「いえ、近くにある公園に……結構、綺麗に咲いてるんですよ」


サンドイッチや卵焼きの詰まったランチボックスを見て、蘭子のお腹がきゅうと鳴った。
四人――ペロも含めて四人と一匹――の視線が、寝転がっていた蘭子へ注がれる。


 「ふむふむ。『衝撃。蘭子ちゃんは花より団子派』……と」

 「ぐ、グループ窓に書き込まないでぇっ!」

 「たくさんあるから……蘭子も……安心」

 「貪欲の王などではない!」
 (く、食いしん坊じゃないよっ!)

 「お酒も」

 「無いです」

 「ですよね」

 「……飛鳥ちゃん達も呼んで来ていい?」

 「いいですね……みんなで、賑やか……」


三人寄れば姦しく、百五十人が集えば乱痴気騒ぎ。
アイドル達が揃えば、そこはいつでも賑やかなライブ会場なのだ。


 「わぷっ」

 「わぁ……」

 「綺麗……」

 「春ですねぇ」

 「……♪」

 「ナー」


一陣の風が吹き、桜吹雪が舞う。


神崎蘭子、アイドル4年目の春だった。

一旦おしまい。


最近書いたやつ
依田芳乃「多少の縁」 ( 依田芳乃「多少の縁」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1481273735/) )

あと冬コミ参加します こんな感じです


また明日更新します
予定してた 島村卯月『シンデレラ』 が書き上がらなかったので頑張って完結させたい

雪美優聖の『クワイエットシルバー』とか
飛鳥李衣菜の『アンロックドアーツ』の話もそのうち書いてみたいね


 【17歳 / 秋】


 「わ、我が覇道、最早これまでか……」
 (私……こ、殺されちゃうかもぉ……)


事務所に顔を出すなりそう告げた蘭子へ、彼は血相を変えて詰め寄った。


 「ど、どうした蘭子ちゃん!? 大丈夫だ、絶対守ってやるからな!」

 「…………これ」

 「だから……ん? 通帳?」

差し出された預金通帳には『神崎蘭子様』と名義が記載されている。
首を傾げつつも、開いた通帳をめくってみる。
ページを進めるごとにゼロの数が増えていって、最後の金額は八桁へ達していた。
もうほとんど九桁に近かった。

 「ワーォ……」

 「か、斯様な金銀財貨など、我が手には余る!」
 (こ、こんなお金、持った事ないよぉ……)

 「えーと……どうしたの、これ」

 「我が血族による転移の儀式を経し代物」
 (お母さんがカードと一緒に送ってきたんです)



 ――はい、神崎です。


 あら蘭子。闇に飲まれよっ♪
 ……え、ダメ? そう?
 でもご近所さんの間でけっこう流行って……え、そんなにダメ? そう?

 うんうん。ああ、届いたのね。
 そうよ、あなたの。
 え? うん、約束通りちゃんと積み立てておいたわよ?
 でも必要な分が貯まった後もどんどん増えてきちゃって。

 どうしようか、パパと話し合ったの。
 本当は蘭子が成人したら渡すつもりだったんだけどね。
 あなたの活躍と便りを見てると、もう心配無いだろう、って。

 だからそれは余った分なの。蘭子が使い途を決めて頂戴。
 でも、使う前にはきちんと考えなきゃダメよ?
 昔みたいにいきなりお店のチョコケーキ買い占めたり……そう? ふふっ。

 元気そうで何より。
 またいつでも電話するのよ、蘭子。


 ……あ、ごめん。その前にパパと代わるわね。
 さっきから仔犬みたいな目でこっちを――



 「――方舟は羅針盤を喪った」
 (それで、どうしようか分かんなくなって……)


契約当時、蘭子はまだ中学1年生。
発生する金銭の管理は当然ながら両親へ一任する事となった。
そこで両親は蘭子の将来に備え、彼女の給与を学費として積み立てていたのだ。

金額は順調に伸びていった。
高校分が貯まり、大学分も貯まり、修士課程の分まで貯まり、博士課程の分を超えた。
止まらなかったのだ。


 「は、はぁ……そうですか……」

 「下僕よ、不気味なる言霊を紡ぐな」
 (プロデューサー、何で敬語なの?)

 「いや、その、うん」

根っからの庶民である彼は口を開けるばかりだった。
いや、彼とて分かってはいた。事務所の中でも蘭子は稼ぎ頭だと。
だがこうして確固たる数字を突き付けられ、それに圧倒されていただけだ。
三年半の活躍ぶりを間近に見ていれば、この程度は全く不思議でもない。


 「……お菓子でもたくさん買ったら?」

 「もう買っちゃった……」

 「そうか……」

蘭子も幸いにして経済的な不自由こそ経験した事は無いが、そこそこの庶民派だ。
余りあるお金を前に彼と右往左往するばかりだった。


そして、彼女が微笑みを湛えてやって来る。



 「――あら、蘭子ちゃん。何かお困りごとですか?」



千川ちひろが気持ちの良い笑顔を浮かべていた。


 「ああ蘭子ちゃん! というかレッスンあるよな! 行こうか!」

 「……え? え?」

 「すんません出てきます! また後で!」

 「げ、下僕ぅ~っ……?」

蘭子の手と鞄をひっ掴み、彼は嵐のような速度で事務所を飛び出して行った。
か細い声も尾を引いて消え去っていく。


 「……別に、取って喰いやしないのになぁ」


背後から差し入れようとしたエナジードリンクをお手玉し、プルタブを捻る。
腰に手を当てて一息に干すと、彼女は今日も元気に仕事へ取り掛かった。



 「使い途?」

 「うむ」

 「うーん……貯金?」


今日のレッスンパートナーは凛だった。
ちょうどいいとばかりに、蘭子がお悩み相談を切り出す。

先日タイトルを返上したばかりの三代目シンデレラガールが柔軟しながら唸る。
アーニャと同じく受験生の身分である凛。
彼女も軽いダンスレッスンだけは、気分転換がてら受けるようにしていた。

 「私も両親に全部任せてるから」

 「蒼の騎士もか」
 (凛ちゃんも?)

 「特に欲しい物も無いし……あ、ハナコのご飯をちょっと良いのにしたよ」

 「ほほう! なるほど、手勢への褒美か。我が軍も倣うとしよう」
 (あ、それ良いかも! グリフォンも喜ぶよね♪)

 「他の人にも訊いてみたら? 心当たりはあるでしょ」

 「うんっ」


高校生ながらの一千万プレイヤー二人。
柔軟をこなす少女たちを、ベテラントレーナーがちょっと羨ましそうに眺めていた。



 「使い途、ですか?」

 「うむ。あむっ。美味しいですね、このタルト♪」

 「はいっ♪ 最近こればっかり頼んじゃって~……」


昨年末に社屋へ新設されたばかりのカフェテラス。
昼下がりの薫風を楽しみながら、蘭子は十時愛梨とテーブルを囲んでいた。
新商品のパンプキンタルトはなかなかの評判らしい。

 「……あ、車ですっ! 両親に新しい車をプレゼントしましたっ♪」

 「ほう! 鋼鉄の幌馬車を!」
 (車ですか!)

 「私もこんな立派に成長したよー、って伝えたくって」

 「車……車かぁ」

意外な人物から飛び出した意外な言葉。
呟きながら、蘭子が銀のフォークをくるくると回す。

 「私、自分ではしっかりしてるつもりだけど、ちょっと抜けてるみたいで~」

 「……うむ、まぁ、うむ」

 「あっ、蘭子ちゃんたら、ひどい~っ」

 「……む。す、すまぬ。始祖たる灰被り」
 (ご、ごめんなさい愛梨さん……)

 「な~んて。えへへ、冗談ですよっ♪」

 「……むー!」

 「あははっ」


ぷくりと膨らんだ蘭子の口元へ、愛梨がフォークに載せたタルトを差し出す。
あむりと頬張れば、蘭子の表情は立ち所に笑顔へ変わった。
愛梨の目にすら、彼女はイタズラしたいタイプに映るのだ。

 「後はー、後輩の娘たちにご飯を奢ったり?」

 「……ほう?」

 「私も蘭子ちゃんも、最初の頃からこの事務所に居ますよね?」

 「うむ。我が居城の栄えゆく様を見守っていたわ」
 (はい。随分と大きくなりましたもんねー)

 「よくわからないけど……芸能界はそういうのも大切だって、Pさんが言ってて」

 「ほほう」

雑居ビルの間借りから始まったシンデレラガールズプロダクション。
二度の移転を経て、今や小さいながらも自社ビルを構えるまでに急成長を遂げた。
ひと頃に比べれば随分と控え目だが、今でも新たなアイドル達がたびたび加入している。
フレッシュな娘たちを見る度、蘭子は「若いって良いなぁ」と感慨に耽っていた。


 「後はお洋服買ったり~、旅行とか、ケーキバイキングとかっ!」

 「……徒に手駒を散らすのは上策と言えぬ」
 (無駄遣いのし過ぎは良くないんじゃあ……)

 「き、気を付けてますよ~? ……なるべく」

テーブルの隅に立つ、新発売のスムージーが描かれたメニューカード。
先程からちらちらと視線を向けていた愛梨に、蘭子はちょっと不安になった。



 「貯金」

 「貯金……」

 「現金ねぇ」

 「ナー」


今日も賑やかな女子寮の夜。
グリフォンを手土産に蘭子は隣室を訪れていた。
蘭子は差し出された八ツ橋を美味しく頂き、奏はグリフォンを撫で回す。
グリフォンがひどく不満げな顔を見せていた。

 「いやいや先々代どの。今の世で何より重要なのはお金ですよ」

 「一理あるわね」
 (確かに)

 「江戸っ子は宵越しの銭を持たないらしいけど、京女は来世分まで取っとくのさ」

ベッドの上でぐたりと横になりながら、周子が立てた指を振る。
ここ半年ほど、周子の夜は健全な休息に費やされていた。
一応はお客様の前だが蘭子は気にしない。
シンデレラガールは大変なのだ。蘭子はそれをよく知っていた。


 「血族への返礼などは?」
 (家族の人には?)

 「……んー、まぁ、あっちはあっちで宜しくやってるでしょ」

 「ほう」

枕に顔を埋めて零す周子に、蘭子は頷きを返す。
グリフォンを抱えていた奏が、その様子を見て笑いを堪えていた。

 「……半妖の魔女?」
 (奏さん?)

 「ねぇ、蘭子。周子はこう言ってるけどね? この娘ったら前は喧嘩中なのに」

 「奏」

 「はいはい。京女は怖いんだから」

 「……む?」

周子は憮然と、奏はさも楽しそうに。
意味深な会話を交わす二人の間で、蘭子は首を傾げるばかりだった。


 「下僕よ」
 (ねぇ、プロデューサー)

 「あ、その前にちょっといいかな」

 「申せ」
 (うん)

 「例の件、あまり大っぴらに話さない方がいいよ。贈与税とか色々うるさいからね」

 「うん。それでお金の話なんですけど……」

 「うーん、言葉ってのは難しいな」


翌日の夕方。
学校帰りに事務所へ寄った蘭子は再びプロデューサーの元を訪れた。
頭を掻く彼に、蘭子は遠慮がちに口を開く。

 「我が友には少々、奇異な問いに映るやも知れぬ」
 (ちょっと変な質問かもしれませんけど……)

 「うん」

 「西方辺境伯配下の騎士に、しかと悠久の安らぎは与えられるか?」
 (県庁の職員って有給取りやすいんですか?)

 「……うん?」


蘭子の問いに首を捻った。
そういえばお父様はそんな仕事をしていたかと思い当たる。

 「……正直に言ってしまうと、その職場によるとしか」

 「それも道理か」
 (そうですよね……)

 「だけど俺の口からも、一つだけ確かに言える事があるよ」

 「真か!」
 (ほんとっ!?)

彼が深く深く頷く。
オフィスを見渡して、蘭子の耳元へ口を寄せ、そして言った。


 「俺達よりも取りやすいのは間違い無い。絶対」

 「……」


プロデューサーにも何かしてあげよう。
蘭子はそう固く固く決意した。



 「あなた」

 「ん? ああ、定期報告か」

 「今回はオマケ付きよ」

 「オマケ?」


昔よりも少しだけ寂しくなった神崎家。
手渡された大きめの封筒を、父は不思議そうに開いた。
中にはいつものレポートと、小さな封筒と、便箋が一枚。
隣に腰掛けた母に促されるまま、父が便箋を広げる。



 拝啓


 秋涼爽快の候、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。
 この度もレポートをしたためましたので、どうぞご査収ください。

 さて、蘭子様については、この頃も好調が続いていらっしゃいます。
 能力についてはもちろん、心の発育に関しても著しいものが認められました。
 同封致しましたものに関して、それこそが証左である由を勝手ながら附させて頂きます。

 蘭子様はご日程に関して懸念されたようで、ささやかながら助言を致しました。
 その為に少々遠い予定とはなってしまいましたが、お楽しみ頂ければ幸いです。


 敬具



 追記

 二人でいっぱい楽しんで来てね


繰り返したサインのお陰だろう。
昔よりも随分と上達したような蘭子の字を見て、もう一つの封筒を開く。

 「……これがオマケか」

 「ええ」

 「随分と豪勢なオマケだな」


来夏の日付が刻まれた、一週間の地中海周遊クルーズ。
その搭乗券が二枚、丁寧に収められていた。

 「……蘭子だって行きたいくらいだろうに」

 「あの娘も忙しいから」

 「寂しいな」

 「女子三日合わざれば恋をしてたりするものよ」

 「やめてくれ、寝られなくなる」


父がチケットの入った封筒を引き出しにそっとしまう。
それから壁際に歩み寄って、残り僅かなカレンダーをめくった。


 「明日、来年分を買って来ようか」

 「楽しみね」


蘭子の無邪気さは、多分に両親から受け継がれていた。


 【18歳 / 4月9日】


飛鳥から借り受けたウィッグ。
久しぶりに脚を通すパンツ。
持ち込んだ荷物の奥から発掘した帽子。
双葉杏に半ば押し付けられたシャツ。


プロデューサーやアーニャが見た所で、すぐには蘭子だと気付かないだろう。
普段のガチガチに固めたゴシックスタイルと比べれば随分と防御力が低そうだ。
上条春菜が事務所で無料配布していた伊達眼鏡を下げ、蘭子は行く先を睨む。


 「……いざ」


蘭子は勇壮に一歩を踏み出した。



 「いらっしゃい」

店主の小さな挨拶が響く。
蘭子はエロ本を求め、街の本屋さんへやって来ていた。


春は人を、少女をそういう気分にさせるのだ。


昨日、蘭子は十八度目となる魔王降誕祭を迎えた。
事務所の片隅で開かれたお誕生会の垂れ幕にもきちんと『降誕祭』と記されていた。
最近仕入れた知識から十万とんで十八歳を名乗ろうとし、集った全員に止められた。
彼女はその件について今でもちょっと不服だ。

 「……」

蘭子の視線はきょろきょろと忙しない。
今日の彼女はプレーリードッグのような警戒心を露わにしていた。


繰り返すが、神崎蘭子は現在満十八歳である。
そういった書物を嗜むのに何の柵も背負ってはいない。
未だ女子高生であり、現役の人気アイドルだという点を除けば。


 「知り合いの姿は……無し、と……」

蘭子とてよく分かっている。
自身の立場をきちんと考えれば、エロ本を買うのは決して褒められる行為でないと。


だが、ヒトの好奇心とはそう簡単に抑え付けられる代物ではないのだ。
飛鳥の力強い言霊を思い出し、蘭子は深く頷く。


ちなみに、飛鳥にそういう意味合いで言ったつもりは一切なかった。


蘭子は分別のしっかりとした娘だった。
ネットサーフィン中に時たま見えるそういったページからも、ちゃんと目を逸らす程に。


だから、十八歳なんだしもう大丈夫だよね――反動とは、かくも恐ろしいもので。


事前調査にも抜かりは無い。
残念ながら、法律上の強制力は無くとも、学生証の提示では購入を認められない店舗が多数だ。
ここはそういった縛りの緩い、老店主の経営する個人書店。

恥を忍んで依頼した調査を、大石泉は苦笑しながら請け負ってくれた。
機密費として、蘭子はお高いお店のプリンを三つも支払ったのだ。


 「……よしっ」

一通り店内を歩き回り、知人が居ない事を確かめ終わった。
心なしか楽しげな表情で、蘭子がヴァルハラへ足を踏み入れる。



 「……」

 「――――……っ!?」



鷺沢文香が立ち読みを敢行していた。


文香は手に取った本へじっと視線を注いでいる。
蘭子は息を殺して踵を返し、元来た通路を三歩戻った。

 「……え? えっ?」

今見た光景が信じられず、離れた位置から文香を観察する。
そして気付いた。文香は別にいかがわしい本を熱読している訳ではない。
彼女が居るのはエロ本の置かれた列の端、はみ出た純文学の一角だった。


油断していた。
事務所から離れた、静かで、今風ではない個人書店。
考えてみれば文香が出没してもおかしくはない条件だ。


……それにしても、純文学をよりによってエロ本の隣に配置する事はないじゃないか!


蘭子の胸中に義憤と良く似た、よく分からない何かがふつふつと湧き上がる。



 「――うぅ……」


蘭子は歯噛みしていた。

未だ文香が陣取るのは紛れも無く蘭子の目的地への入口。
ヴァルハラで勝利の杯を掲げるにはどうしてもその脇をすり抜けねばならない。
遠巻きに何度も何度も様子を伺っては戻り。
その度に文香の立ち位置は微動だにせず、ただページだけが少し進んでいる。

今さら他の店へ買い求めるのはあまりにも危険だ。
レジで咎められ、あまつさえ正体が露見などした日には表を歩けない。
しかし文香が見せているのは明らかに長期戦の構え。
同じ書店員だからこそ挑める、店主上等の戦法だった。

 「……」

雌雄を決する刻だった。
再びこういった変装を施すのにも手間が掛かる。
小一時間ほど観察した所、文香も書に没頭しているのは間違い無い。

後は勇気だけ。
自分の靴で一歩を踏み出せる者こそが、本当のシンデレラなのだ。


蘭子は他者の言葉を曲解しがちな少女だった。



 「……」

 「……」


どくん、どくん。


胸の鼓動がうるさい。
ふと、竹下通りをお手製の服で歩いたあの日を思い出す。
あの時こそが蘭子にとって、アイドルへの第一歩だった。

文香へ一歩、また一歩と近付くたび、細い脚が震え出す。
余裕をもってすれ違えるほど広くはない店だ。
必然、髪が擦れ合うかのような接近戦を余儀なくされてしまう。

あと一歩。
この一歩は、新たな日々への一歩。



アイドルにとっては致命的な一歩だが、蘭子にとっては大いなる一歩なのだ。



 「あの、蘭子さん」


蘭子の鼓動が停止した。

あれ程うるさかった雑音は消えて、ただ血の気の引く音だけが鮮明に聞こえた。
振り向いた文香と入れ替わるように、蘭子は微動だにしない。
その様子へ不思議そうに首を傾げながら、文香がゆっくりと言葉を紡ぐ。


 「あの……格好は、いつもと違いますが……蘭子さん、ですよね?」

 「……白昼夢に幻影を視たようね」
 (ひ、人違いです)

 「あ……やはり」

 「あっ」


蘭子が慌てたように自身の口を塞いで、既に全てが手遅れだった。
何だか防御力の低そうな格好だなと思いつつ、文香が言葉の矢を射続ける。

 「先程から……ずっと、ちらちらと……視界の端に映っていたもので」

 「……」

 「ええと、その……その先は、あまり蘭子さんには……ふさわしくない、場所で」


気付いたように、文香がぽんと手を叩いた。
音ともつかない音へ、蘭子の肩が大げさな程に跳ねる。


 「そういえば……昨晩は、蘭子さんの誕生……いえ、降誕祭、でしたね」

 「……」

 「和やかで、楽しくて……ささやかながらも、素敵なパーティーでした」

 「……」

 「プレゼントも……いえ、それはともかく……十八歳に、なられていましたか」

 「……」

 「ならば……少なくとも、あなたの友という立場からは……咎める事など、出来ません」

 「……」

 「どうぞ……ごゆるりと、お楽しみになってください、蘭子さん」

 「…………ち」

 「……ち?」



 「違うもんっ! ばかーーーーーっ!!」

 「あっ……ら、蘭子さん……?」


出口へ一目散に駆け出して、反応の悪い自動ドアにびたんとぶつかった。
小刻みに震えておでこを押さえる蘭子の前で、ガラス扉がのんびりと開いていく。
文香が何も言えずにいる内に、彼女は秋の東京へ走り去っていった。

 「……」

手に持ったままだったハードカバーを閉じる。
肌色と桃色の多い一角へ、ちらりと横目を向けた。


 「……私とて、多少は……ああいった書物も、嗜むのですが」


そして、会計を済ませる為にゆっくりと歩き出す。
抱えたハードカバーの表紙には、『新訳 罪と罰』と題されていた。



  CGプロ(雑談) [99+]


HINA@原稿がんばらない。 18:22
【や、でもあそこは食べ物出てくるの遅いっすよ? 割と】

茄子じゃなくて茄子ですよ 18:22
【今回は飲む派の方と半々くらいですからね】

     †††漆黒の翼††† 18:23
     【写真集返すの(イケナイ個人授業だっけ)あさってでもいい?】

HINA@原稿がんばらない。 18:23
【もっかいアンケ取り直します?】

HINA@原稿がんばらない。 18:23
【おっと】

HINA@原稿がんばらない。 18:23
【誤爆すかね】

アスカ 18:24
【まて】

アスカ 18:24
【消して蘭子】

茄子じゃなくて茄子ですよ 18:24
【あらら、青春】

アスカ 18:24
【こっちじゃない】

     †††漆黒の翼††† 18:24
     【ちがう】

     †††漆黒の翼††† 18:24
     【あまねす謝り】


HINA@原稿がんばらない。 18:25
【蘭子ちゃん、消した方がいいすよ】

茄子じゃなくて茄子ですよ 18:25
【みんなが見てないよう、祈っておきますね】

HINA@原稿がんばらない。 18:25
【何も見てないんで】

HINA@原稿がんばらない。 18:25
【あとアタシにも貸してくれると助かります>飛鳥ちゃん】

     †††漆黒の翼††† 18:25
     【ごめんなさい まちがえました】

楓 18:25
【 [定期] ふとんがふっとんだ】

アスカ 18:26
【わかったから比奈さんも消してくれ】

Анастасия 18:26
【飛鳥、蘭子、お部屋で待ってます】

茄子じゃなくて茄子ですよ 18:32
【ごめんなさい】



 「……」

 「蘭子、飛鳥。座ってください」

 「……」

 「こういうの……こういうの、蘭子の教育に、良くないです。分かりますか?」

 「…………うん」

 「飛鳥も返事、出来ますか?」

 「…………ああ」


その日の夜。
理不尽なお説教に、飛鳥と蘭子は物凄く釈然としない表情を浮かべていた。


一旦おしまい。


読むとより楽しめるかもしれない過去作↓

渋谷凛「一行足らずの恋」
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ここから後半戦に入ります


 【18歳 / 夏】


べしゃっ。


 「あうっ」


蘭子は随分と久しぶりに、馬事公苑の土の味を思い出した。
情け無い声を零しながら舌を出す。
目の前の黒馬はぶるると鼻を鳴らしつつ、その様子をじっと見下ろしていた。

 「な、何をするか、漆黒の戦馬よ」
 (何さー、ブーケ)

ヘルメット帽を確かめながら立ち上がる蘭子の背に、抑えきれないような苦笑が聞こえた。
気付いた蘭子が振り返れば、柵の傍には背筋の伸びた老婆が一人。

 「……見た?」

 「ええ。この目で、ちゃあんと」


以前に特別企画で挑戦して以来、蘭子は時たま乗馬を嗜んでいた。
その際に結ばれた師弟関係もそのまま続いている。
老婆に呼ばれ、蘭子はブーケと呼ばれた黒馬を柵へ繋ぎ留める。

 「お勉強は捗っていますか、蘭子ちゃん?」

 「……うむ。だが、路は未だ険しく聳えている」
 (うん。でもやりたくない……)

 「なるほど。でも、上の空だった理由は、それだけじゃあありませんよね?」

 「……」

 「馬は、人をよく見ていますよ。忘れちゃったかしら」

アーニャや凛たちが無事突破した大学入試。
今年はもちろん蘭子や飛鳥たちの番だった。
アイドルも一時休業し、こうした余暇の他は勉学に励んでいる。

 「楓さんがね」

 「楓?」

 「あ、先輩の……すごいアイドルで。その人が、もうすぐ居なくなっちゃうの」


設立から五年あまり。
既に十名足らずのアイドルがCGプロダクションを去って行った。
ある者は悔しそうに、ある者は笑顔で、ある者は何かに気付いたように。

しかし、その中でも。
高垣楓の引退発表は、事務所内に大きな衝撃を与えた。

 「楓さんみたいになりたいって、思ってた。言えないけど、目標で」

 「ええ」

 「でも、居なくなるんだって分かって、だから」

黙り込んだ蘭子の横で、ブーケも静かに遠くを見ていた。

 「先達は」
 (Jさんは)

 「何でしょう」

 「永久の存在を信ずるか」
 (ずっと続くものって、あると思う?)


蝉の大合唱が、その勢いを少しだけ増す。


 「ええ。でもそれは、変わらないという意味とは違いますね」

 「……普遍にして不変など、在り得ないと?」
 (ずっとあるけど、変わるっていうこと?)

 「その通り。一つ、お勉強の時間にしましょうか」

 「え」

嬉しそうに掌を合わせた老婆へ、蘭子が露骨に眉を曲げた。

 「虎は死して皮を残します。では、人は死して何を遺すでしょう?」

 「……えっと……名前、だっけ」

 「ぴんぽん。人は死して名を遺し――そして馬は、死してなお記録を残します」

老婆がブーケの鼻面を愛おしそうに撫でる。
ブーケが鼻を鳴らし、その大きな顔を老婆へ寄せた。


 「記録というのは成長の証。蘭子ちゃん、成長っていうのは、変わろうとする事なのよ」


蘭子はそこでようやく、柵へ立て掛けられた白塗りの杖に気付いた。


 「その魔杖……」
 (その杖って)

 「ええ、私の物です。可愛いでしょう?」

老婆が笑って杖を差し出す。
握りには丸められた馬の頭が彫られていた。

 「この冬に、左腕を折りました」

 「……え?」

 「体力の限界でしょうね。もう、馬に乗る事も無いでしょう」


馬も、合わせるのが大変でしょうし。なんて。


ウィンクした老婆を前に、蘭子は口を開けたまま固まっていた。
二の句を継げずにいる彼女へ、老婆は柔らかく微笑む。

 「私とて、変わります。蘭子ちゃんも、自分で気付けなくとも、変わっていますよ」

 「……」

 「会う度に背が伸びて、目が輝いて、とってもチャーミングになって」


空を見上げ、老婆が眩しそうに目を細める。
煩わしそうに笑っていた。

 「私は、馬に乗れなくなりました。けれど私は、今でも馬が大好きです」

 「……Jさん」

 「蘭子ちゃんは、アイドルを楽しんでいますか?」


神崎蘭子は頷いた。


 「楽しいよ」

 「はいおしまい。これでお勉強へ集中できますね」

 「……古の魔女の狡猾さか」
 (……いじわる)

 「では、優しい優しいブーケに慰めてもらいましょう。ほら、お待ちかねですよ」

 「ブルッ!」

 「わ! 分かった、分かったから乗るってばぁっ!」


ブーケを柵から放し、慣れた動作で跨がる。
グローブを填め直し、しっかりと手綱の握りを確かめた。

 「そうそう。あちらに140のを用意しておきました」

 「えっ」

 「変わる事を恐れぬように。若さは、若者だけの特権ですからね」

 「……む、むむぅ」

今までよりも少しだけ高く聳える障害を前に、蘭子が口元を曲げる。
背後の老婆が鼻歌で絶対特権を主張していた。


 「――ええい、ままよっ! 神崎蘭子、推して参るっ!」
 (……もうっ! 神崎蘭子、行きますっ!)

 「ブルルルゥッ!」


そして、勢い良く駆け出した。


 【18歳 / 秋】


 「コイバナ、しましょう」


オリオンが輝いていた。
毛布にくるまりながら宣言したアーニャへ、肇が首を傾げつつ訊ねる。

 「ええと……色恋のお話の、コイバナ……ですか?」

 「うん」

 「あ。ちょっと興味あるかも」

 「禁断の果実……」
 (コ、コイバナ……)

岡崎泰葉が同調し、蘭子の頬に気の早い紅葉が散った。
遠い目をしつつ、泰葉が何度も頷く。

 「今まで、あんまりそういう機会無くって……ちょっと憧れだったり」

幼い頃より芸能界に身を置いていた泰葉。
学校の行事になかなか顔を出せない時期もあった。
内心、そういった事には憧れを抱いていたのだ。


 「コイバナ、楽しかったから。お泊まりと言えばコイバナです」

夜の女子寮、肇と泰葉の部屋。
泰葉所有のホームプラネタリウムを楽しみに来た蘭子とアーニャ。お休み中のグリフォン。
室内天体観測会は、そのままお泊まり会へと雪崩れ込んだ。

 「アダムとイヴ……楽園の赤き掟……」
 (コイバナ……コイバナかぁ……)

 「ええと……私達、アイドルなのですが……大丈夫でしょうか」

 「大丈夫です、肇。みんなには内緒。ね?」

 「うんうん。じゃあ、早速私から……」

少しだけぼやけた夜空の下。
数々の星に見守られながら、四人の少女が毛布にくるまって顔を寄せ合う。
中央で丸くなるグリフォンの耳が、時折思い出したように跳ねた。
心持ち瞳の輝き出した泰葉が考え込み、そのまま黙り込む。

 「……えっと、ごめん。どういう風に始めればいいの?」

 「うーん……やはり、好きな人ですとか……好みのタイプだとか」

 「好きな人……うーん……まだ居ないなぁ」

 「ほう」


泰葉が申し訳無さそうに笑う。
肘を立て、足をバタつかせつつ、アーニャは楽しげに続けた。

 「じゃあ、泰葉は担当さんの事、好き?」

 「……えっと、アーニャちゃん。好きは好きだけど、そういう趣味じゃないから」

 「闊達ですが、可愛らしい人ですよね。雛祭りの時なんて……ふふ」

 「肇ちゃんまで……あのね、そういうのじゃないってば」

どちらかと言えば成熟した質の三人が、年端も行かぬ少女のように笑う。
蘭子は静かに何度も頷いていた。

 「じゃあ、好きなタイプか……そうだなぁ」

 「白馬の皇子か?」
 (カッコイイ人?)

 「うーん、どっちかって言うと、私のお仕事とかに理解のある人?」

 「あ、この前の……生涯現役、に関するお話でしょうか」

 「うん。ここまで来たらそれもいいかな、って」


後に岡崎泰葉は芸能界で大暴れするのだが、ここでは割愛させて頂く。


しまった。

泰葉と肇の表情が固まり、恐る恐る蘭子の表情を伺った。
彼女の頬は夜にあって尚白く、口元は空気を求めるように開いては閉じる。

 「パパ、アーニャの事は何でも知ってました。プロデューサー、アイドルの事、何でも知ってます」

 「そ、そっか」

 「プロデューサーもパパも、猫を可愛がってました。猫に優しい人、女の子にも優しいから」

 「え、ええと……そうです、ね」

アーニャの言葉に逐一頷きつつも、蘭子の瞳が徐々に潤んでいく。
彼を褒め続けるアーニャを前に、肇と泰葉が目線だけを交わした。

 「とこっ、ろで肇ちゃんっ! 肇ちゃんは好きな人っているのかな?」

 「アー! 肇、担当さんの事、とってもとっても愛していますね?」

 「えっ」

今度は肇が固まる番だった。
ようやく正気を取り戻した蘭子が顔を上げれば、肇の頬は夜にあって尚赤い。


 「いえ、あの私は、別にそういうのじゃ」

 「隠さなくても、大丈夫。肇と二人きりの時、あの人、とっても優しい目をしてます」

 「……ほう」

蘭子の目が輝きを取り戻し、泰葉はこれ幸いと沈黙を貫いた。
女の子にとって、コイバナはこの上なき栄養源である。
相葉夕美と凛が交わしていたそんな会話を、泰葉は密かに思い出していた。

 「っあ、違……私、私は、アイドルですから」

 「それに、すごく強そうです。必ず肇のこと、ずっと守ってくれます」

 「……」

 「好き?」

 「…………すき、です」

ぼふん。

肇が枕へ顔を埋め、頭から毛布を被る。
完全防御態勢を構えた彼女は、毛布の中で小さく小さく唸っていた。

 「コイバナ、楽しいですね?」

 「……うん」

 「うむ!」


 「……蘭子ちゃんはどう?」

 「ククク……よくぞ訊いた。我が魂の伴侶、生半な器では足りぬ」
 (……えへへ。でも私、ひょっとしたら高望みかも)

 「蘭子は、どんな人が好き?」

 「うむ」

枕を胸元に抱き寄せ、改めてしばし勘案する。
シルクの靴下に包まれた足がぱたぱたと上下する度、グリフォンのヒゲが小さく揺れる。
毛布の山にトンネルが開いて、赤らんだ耳だけが遠慮がちに覗いていた。

 「強い人?」

 「否。争いの世に生きて尚、戦いに飽くのは愚策ね」
 (ううん。強くなくたっていいよ)

 「なら……カッコイイ人とかかな」

 「否。徒に美を求める生は、いずれ美の泉に溺れよう」
 (ううん、カッコよくなくてもいい)


今度は蘭子の頬に、鮮やかな紅葉が舞う。


 「瞳持つ者にして、深淵の理解者」
 (私の気持ちを、分かってくれて)

 「……」

 「共に美酒を打ち響かせ、円卓に鮮やかなる色を咲かせる者なれば」
 (いっしょに喜んで……いっしょに笑ってくれる人が、いいな)

 「……」

毛布の山は崩れ、少々髪の乱れた肇が顔を出す。
照れ笑いを零す蘭子。
その肩を抱き寄せ、アーニャが厳かに宣言した。


 「蘭子は、私が貰います」

 「なっ」

 「じゃあ、次は私ね?」

 「ななな」

 「では……私も、その次に」

 「ななななななな……っ!?」

 「……ナー?」


突如として始まったおしくらまんじゅう。
その中心で蘭子は押され、か細く鳴くのだった。


 【19歳 / 春爛漫】


 「唄わないんですか?」

 「魔力を蓄えている最中ゆえ」
 (パワーをためてるの)

 「なるほど」


昼下がりのお昼寝を始めて四日目。
やって来た楓へ、蘭子は隣に置いたもう一つのクッションを勧めた。

 「お邪魔します」

 「存分に寛ぐが良い」
 (どうぞ)

女子寮前の庭園、堂々たる一本桜。
誇るかのように今年も咲きあふれた花弁が、木陰に華やかな絨毯を誂え始めている。
横たわる蘭子と楓と、飛び回る小さな蝶だけが、特設の舞台を満喫していた。


 「春は、良いですね」

 「うむ。地が空が、滾らんばかりの魔力に満ちる」
 (うん。ぽかぽかあったかくて好き)

蘭子は春が好きだった。
蘭子は春が、夏が、秋が、冬が好きで、世界を愛していた。

 「お待たせしたようで、すみません」

 「気に病むでない。我が魂も風の囁きに従ったまで」
 (ううん。私が何となく、勝手にやった事だから)

 「飲みます?」

 「いいです」

 「良いお酒なんですけどね」

抱えていた初桜の一升瓶を幹の根元へ立て掛けた。
春だから、お幹ね。
今日も楓は絶好調だった。

305と306の間抜けてない?

抜けてはなくね?
お仕事に理解のある人→Pというよーくわかってる人がすぐそこにいるじゃないって流れと思う


 「世紀末歌姫」
 (楓さん)

 「何でしょう」

 「アイドル、本当にやめちゃうの?」

 「はい」

 「……そっか」

女子寮は今日も賑やかだった。
誰かが間違えて掛けたアラームが鳴り響き、何かが落っこちたような物音が聞こえる。


 「卯月ちゃんに負けたから?」


四月らしい風が吹く。
緑の絨毯が揺れ、鮮やかな桜が散った。

>>312>>313
ごめんなさい、抜けてましたその通りです


 「そういうアーニャちゃんはどうなの? タイプ」

 「私ですか? ンー……」

 「アーニャさんの場合だと、それこそ王子様くらいでは……」

 「うむ。遥か魔界にも雪華の美は伝え及んでいるわ」
 (パパとママも綺麗だって言ってたもんね!)

少女と女性の境。
スラヴビューティーと大和撫子の境界。
今やアーニャはアンバランスな、危うい美の上を踊るアイドルとなっていた。

 「パパみたいな人が、いいな」

 「お父様?」

 「うん。えと……あ。プロデューサー、好きですね」


蘭子の鼓動が停止した。

指摘ありがとう
それでは>>314の続きから↓


 「私は、嬉しかったんです」

真っ直ぐに天へ伸ばした掌にそっと、一片の桜色が舞い降りる。
僅かな、風とも言えない風に煽られて、すぐに何処かへと飛び立っていった。

 「みんななら大丈夫だって、そう教わって」

 「だが、だが歌姫よ。そなたは今」
 (……でもっ! 楓さんは、こうして)

 「蘭子ちゃん」

身を起こして詰め寄った蘭子に、楓は寝転がったまま微笑んだ。
不思議な色の瞳に捕らえられて、蘭子は視線一つすら動かせなくなる。


 「私が視てきた世界を、知りたいですか?」


蘭子の喉が鳴った。
幹に背を預けた一升瓶が、からかうように煌めいている。


 「私は――」


 「だーめっ♪」

 「……へっ?」

 「お酒も秘密も、寝かせた方が美味しくなりますからね」

 「……」

膨らむ前の頬をつっついて。
膨らんだ頬をつっついて。
しぼんだ後の頬もつっついた。
ご満悦な楓の笑顔に、蘭子の身体が再び芝生の上へ沈む。

 「蘭子ちゃん」

 「……なに?」

 「唄わないんですか?」

 「……やだ」



 「大魔術の儀に備える為?」
 (パワーをためてるから?)

 「……秘めし言霊が力を持つ事もある」
 (……教えない)

 「ふふっ」


楓がご機嫌な鼻歌を響かせ、雀たちが囀り出した。


 【19歳 / 晩秋】


 『混沌に――』

 『闇に――』



 『――飲まれよ!』



会場が拍手に湧き、ダークイルミネイトが拳を掲げた。



 「――我が友よ! 今宵の魔力には震えるものがあったわ!」
 (飛鳥ちゃん、今日は特に気合いが入ってたねっ)

 「そうかい? キミの瞳にはそう映った訳か、興味深いね」


ステージ衣装から普段着へ着替え、ようやく蘭子と飛鳥は人心地がついた。
二人の攻めた普段着で他のアイドルが一息つけるかは疑問だが。

 「ああ、蘭子。明日は空いているかな」

 「うむ。我が友と同じく、全ての鎖から解き放たれん」
 (私も飛鳥ちゃんもオフでしょー)

 「それもそうか……なら、夕方が良い。夕陽は全てを赦してくれそうな気がするんだ」

 「逢魔ヶ時か。心得たわ」
 (分かった、夕方ねっ)

 「後でメールを送るよ。さぁ、翼を畳もうか」

 「お腹空いたー」

 「今日は鮭のちゃんちゃん焼きだったかな」

 「お魚の美味しい季節だね」


特に関係の無い話だが、みくは少し前から一人暮らしを始めていた。



 『夕陽が沈む頃、あの路地裏で』


簡素な文面だった。
今年も白くなりつつある吐息を零し、蘭子は夕暮れの街を歩く。
そして辿り着く、いつかの日に二人で歩いた秘密の路地。
冷たい壁に背を預けていた特徴的なシルエットが、ゆっくりとこちらを向いた。

 「やぁ、蘭子。わざわざ呼び立ててすまないね」

 「フフ……我が友の喚び声に応えぬ故など無いわ」
 (ううん、気にしないで)

 「少し、話がしたかっただけでね。我ながら難儀な性格さ」

 「暗幕を下ろせ、と?」
 (ヒミツの話?)

 「いや、そういう訳でもない。そうだな、単刀直入にいこうか」

 「時に友よ。その傷は……」
 (というか、もう片方のウィッグ……どうしたの?)

 「ああ。それも含めて、だ」

ジャケットのボタンは胸元の分が飛び、襟足のウィッグは片翼になっていた。
ポケットに両手を差し入れたまま、飛鳥が笑う。

 「ダークイルミネイトを解散したい」

一旦おしまい。


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高垣楓『シンデレラ』
高垣楓『シンデレラ』 - SSまとめ速報
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蘭子ちゃんなら、きっと大丈夫です


 「いや、正確じゃないな。解散する、か。いずれにせよ、ボクの意思抜きにデュオは成立しない」

淡々と告げる飛鳥の言葉を、蘭子はただじっと立ったまま聞いていた。
小さな口が言葉を紡ごうとして、喉は震えるように黙ったままだ。

 「悪いとは思っているよ、蘭子。だが、もう決めた事だ」

飛鳥は空を見上げる。


寂れた路地だった。
飲食店の室外機が唸り、反響する。
時代遅れのネオン看板が光るには、まだ少しだけ早い。

人並みが群れを成す東京も、一歩外れれば静寂に満ちた場が散らばっている。
コンクリートで四角く切り取られた天は狭い。
全てを赦してくれそうな夕陽はどこかへ歩き去っていた。


 「今日で、二宮飛鳥はアイドルを辞める。昨日がボク達のラストライブになるね」


 「…………分かった」

 「おや? これは予想外だったな……」

蘭子は飛鳥を見つめたまま、はっきりと言った。
薄く笑みを浮かべて、飛鳥がいつもより軽い襟足を撫でる。

 「てっきり、李衣菜のように」

 「ひどいよ」

 「……何がだい?」

 「どうして、言ってくれなかったの」

 「昨日が最後だと?」



 「……っ、分かってるなら――」 「――『もっと頑張ったのに』」



蘭子が口を引き結ぶ。
睨むような彼女の視線を、飛鳥は鼻で笑った。

 「蘭子。それは、ファンに……下僕に、あまりに失礼じゃないか?」

 「……」

 「いや、ボクは知っているさ。蘭子、キミはいつだって手を抜いたりはしないってね」

 「こんな言葉を知ってるかい。『留まりたくば、走れ。進みたくば、もっと走れ』」


拳を硬く握り、脚が震える。
顔が真っ赤に染まり、奥歯が軋んだ。

神崎蘭子がこれ程の激情に震えるのは、生まれて初めての事だった。
何かを言い返そうとして、どの言葉も鋭い毒矢となって彼女を射貫く。


蘭子は自分が赦せなかった。


 「高垣楓は去った」

笑みを剥がし、飛鳥が冬のような温度をもって呟く。

 「流れは止まらないだろうね。蘭子、キミだけじゃない。誰もが気付いたのさ」

 「……」

 「ボク達は、アイドルだ。そして、いつまでも夢見る少女じゃいられない」

 「……」

 「蘭子は、永遠なんてモノがあると思うかい?」

 「……ある」

 「へぇ。まさかとは思うが……そのコトバ、誰かからの借り物ではないだろうね」

震えが止まらなかった。
行く先々を鋼の壁に阻まれて、袋小路に追い詰められている。
目の前に、路地へ立ち塞がるように生える飛鳥の姿が、とてつもなく恐ろしい魔物に見えた。


凍りかけた血液が蘭子の身体を巡る。
沸騰しそうになり、凍えそうになり、ふと世界が静かになった。

 「……一つだけ」

 「うん?」

 「一つだけ……教えてもらっても、いい?」

 「ああ。遠慮する事は無い」

 「飛鳥ちゃんは、何に気付いたの?」

二人が見つめ合って、飛鳥の背後に座っていたネオン看板が灯る。
調子外れの電飾が、ちかりちかりと明滅を繰り返す。


 「良い歌だった」


 「……え?」

 「楓さんのライブ。歌詞も何も無かったが、あれは。特に――」

 「ちょ、ちょっと飛鳥ちゃんっ!」


『輝く世界の魔法』。
高垣楓のラストライブ、ゲストとして参加した蘭子は盛大に失敗した。
輿水幸子と共にズタズタの涙声を披露し、万雷の拍手を貰ってしまったのだ。

 「気付いたんだ」



 「……気付いた?」

 「ボクもまた永遠の存在では無い事に。いずれアイドルを引退し、いずれ死ぬ」

 「……」

 「だが、それではボクの矜恃が納得してくれなくてね。爪痕を残してやりたくなったのさ」

ゆっくりと、飛鳥がポケットから右手を抜き出す。
その先に、爪にもよく似た、ギターピックが挟まれていた。


 「蘭子。アイドルは楽しいだろう」

 「うん」

 「誰にも口外しないと誓えるかい」

 「当たり前でしょ」

 「ボクも、アイドルを心から楽しんでいた。いつまでもアイドルで在りかったんだ」

室外機の裏に隠されていたギターケースを持ち上げる。
左肩に背負った長方形を揺らし、飛鳥はいつものニヒルな笑みを浮かべた。

 「正直言って、李衣菜よりボクの方がとっくに巧くてね」

 「……無垢なる反抗者」
 (李衣菜ちゃん……)

 「ボクは、歌を創りたい」

飛鳥の短い呟きに、蘭子が頷いた。
オトナもセカイも関係無い、二人だけのホントウのコトバだった。


 「それがボクの気付いたモノだ。そして――何よりも、時間が惜しい」


照明が続々と灯り出し、二人の影を夜から切り離していく。


 「……」

 「さぁ、ボクの手札は切り尽くした。もうアイドルじゃないから、顔を殴ったって構わないよ」

 「……」

 「これはボクの背負うべき罪と罰さ。蘭子、キミには裁く権利がある」

 「……」

 「ボクが泣き喚くまで殴るのもいい。拳を汚したくなければ、千の言葉で切り裂いて見せろ」

 「頑張って、飛鳥ちゃん。すっとずっと、応援してる」


蘭子が笑みを浮かべる。
悪趣味な原色に照らされた表情を前に、飛鳥は崩れ出しそうな顔を伏せた。


 「……蘭子、馬鹿なのかキミは。何も理解っちゃいない」

 「理解るよ」


飛鳥の両手を握った。
ポケットを出て彷徨っていた彼女の指に、暖かな熱が巡っていく。


 「飛鳥ちゃんの親友だもん」


 「……本当にっ、馬鹿だな。こんな自分勝手なヤツなんて、理屈抜きにぶん殴ればいいんだ」

 「自分勝手なんかじゃ、ないよ」

 「どうしてだ」

 「だって飛鳥ちゃん、謝らなかったもん」

伏せた顔を間近で覗き込まれ、飛鳥は目を閉じた。
震え出した身体を抑えようと、手近にあった温もりを捕まえてやった。

 「いやだとか思ったり、後悔してたら。飛鳥ちゃんなら。ごめんって、言うもん」

 「……」

 「飛鳥ちゃん、知ってる? 悪い子のフリってね、すっごく難しいんだよ?」

 「……ああ……ああ。覚えてっ……っ、おくっ、よ」


それは情動で、発露で、慟哭だった。
孤独に歩き出した彼女の、その存在を証明するように、蘭子は力強く抱き締める。


夜の帳が落ちてきて、路地を、街を、幾万もの灯りが照らし始める。
東京は今日も眠らない。


 【20歳 / 春】


 「お疲れ様です、蘭子ちゃん」

 「おお! 久しいわね、果てぬ荒野の先導者」
 (お久しぶりです! 最近見ませんでしたね?)

 「出張に行っていたもので。お元気そうで何よりです」


無精髭も無ければ、スーツにも傷一つ無い。
やや個性の薄くなった彼へ、トレーニングルームを出た蘭子は笑顔を向けた。

 「今宵の風向きは?」
 (レッスンの見学ですか?)

 「ああいえ、大した事ではないのですが、蘭子ちゃんに用がありまして」

 「……ほぇ?私?」

 「ええ。勝手ながら予定も空いていると伺ったので。方々にも連絡済みです」

玄関前に待たせているタクシーを示して、彼も笑った。


 「飲みませんか?」

無精髭なら茄子さんのプロデューサーか

茄子Pって元蘭子担当だっけ


ドアを開けば聞こえる、軽やかなグランドピアノ。
椅子も埋まり賑わいを見せるが、決して騒がしくはない。

 「せっかくですし、カウンターへはどうでしょう」

 「そ、そなたに我が命運を託そう……」
 (お、お任せします……)

案内されるままにピアノバーへ足を踏み入れた蘭子。
どこか変ではないかとしきりに自身の格好を気にする彼女へ、彼が小さく笑った。
実際の所、むしろ蘭子の服装は街中よりも溶け込むぐらいだったのだが。

 「いらっしゃいませ」

 「こんばんは」

 「失礼ながら、そちらの御嬢様は」

 「こちらが学生証です」

 「拝見します……確かに」

返された学生証を握り、蘭子は安堵の息をつく。
差し出されたおしぼりで手を拭いて、物珍しそうに周りを見渡した。

>>337.>>338
Yes.


 「万華鏡の中に迷い込んだかのような……」
 (きらきらで、綺麗……)

 「お気に召したようで何よりです」

 「今日は”歌姫”さんの方は」

 「残念ながら」

 「そうでしたか」

 「……歌姫?」

 「ええ。たまにいらっしゃるのですが、残念ですね」

じゃあ、私が唄おうかな。

そう言おうかと一瞬だけ考えて、蘭子は笑う。
最近はボーカルレッスンを増やしていたが、まだまだ完璧とは言えなかった。

 「何にしますか、蘭子ちゃん」

 「ふむ……」

 「お悩みでしたら、是非飲んで頂きたい一杯がありますが」

 「『シンデレラ』なら、前に飲んだよ」

 「おや」

二代目シンデレラガールが鼻を鳴らす。
降参したように頬を掻いて、柔らかく笑った。

 「やはり、彼に任せてよかった」



 「――お待たせしました。シルバー・ブレットです」

 「ほう、これが……」


お酒と言えばカクテルだろう。
幼少の頃から、蘭子の中にはそういったイメージが何となく出来上がっていた。

見開き2ページに渡ってすらりと並んだ横文字。
中でも一際蘭子の目を惹いたのはこの一杯だった。
白に満たされたカクテルグラスを持ち上げ、顔の前へ掲げる。

 「それでは」

 「うむ」


 『――月は満ちた』
 (――乾杯)


彼が軽く、蘭子が恐る恐るグラスを傾ける。
少しだけ口に含むと、未知の香りが鼻を抜けていく。

 「……美味、ね」
 (おいしい……)

 「それは何より」


銀の弾丸に撃ち抜かれ、魔王は笑顔を浮かべた。


 「調子は、どうですか?」

ピアノの調べが二人の間を満たす。
グラスをちびちびと舐めながら、蘭子は頭を巡らせる。

 「大いなる歓喜、幾許かの寂寞、計り知れぬ苦悩……一言には、表せぬ」
 (楽しくて、寂しくて、よく分からなくて……ちょっと、迷ってる)

 「それは、最近の事務所についてでしょうか」

 「うん」


果たして飛鳥の予言が外れる事は無かった。
高垣楓の背を見てか、はたまた時の流れに囁かれてか。
一人、また一人と顔馴染みは去って行った。
蘭子たち古参アイドルの内、既に半数以上が別の道を歩んでいる。

 「6年半、ですか」

 「む?」

 「あの日、蘭子ちゃんはまだ、ぴかぴかの中学生でしたね」

 「……然り。この身は穢れも悦びも知らぬ、無力な少女に過ぎなかったわ」
 (うん。あの頃は弱くて泣き虫で、何にも知らない子供でした)

 「あの子が今や、こんな立派に成長を遂げました」

干したグラスを置き、幾多の感情を籠めて呟いた。


 「時間とは――容赦の無い、偉大な魔法使いです」


ショパンの夜想曲は続く。


 「すみません、ラフロイグの水割りを。蘭子ちゃんは……」

 「……闇夜の口付けを」
 (キス・イン・ザ・ダーク……)

 「かしこまりました」

 「さては、速水さんに教わりましたね?」

 「……だめ?」

 「まさか。お祝いの席です、お好きなように」

壮年のバーマンが軽快にシェイカーを鳴らす。
間近で行われるパフォーマンスに、蘭子は目を釘付けにしていた。

 「実を言うとここには皆さんを連れて来ているんです」

 「みんな?」

 「私が声を掛けさせて頂いた方々を。蘭子ちゃんと飲める日を、心待ちにしていました」

正面のボトルキーパー。その天井近くを指差し、釣られて上を向く。
ひっそりと飾られた色紙に、見慣れた名前が並んでいた。


 「闇夜の口付けと――我らが城へ、魔王の名を戴く許しを」
 (キス・イン・ザ・ダークです――よろしければ神崎様も、是非)


魔王軍の僕たるバーマンは、茶目っ気たっぷりにウィンクをしてみせた。



 「いえ。ウォッカを顔色一つ変えず、次々と」

 「高貴なる血の成せる業か……」
 (やっぱりアーニャちゃんはすごいなー)


積もる話は尽きる事が無かった。
舞台を去ったアイドルを、今も踊るスターを、未だ見ぬ灰被りを。
どこか無邪気な二人の間で、それは楽しそうに会話が弾む。

 「蘭子ちゃん。蘭子ちゃんは、秘密を守れますか?」

 「造作も無い……深紅の瞳を」
 (うん。レッドアイをお願いします)

 「ここだけの話です。私は……本当に自慢になりませんが、何十人もスカウトしてきました」

 「聞き及んでいるわ」
 (そうみたいですね)

 「中でも、最も才能を感じたのが、神崎蘭子さん。貴女でした」

 「ほう?」

だいぶ気分の大きくなってきた蘭子が、不敵な笑みを浮かべてみせる。

 「約束の女神よりもか?」
 (茄子さんより?)


 「ええ。ですから、ここだけの話と」

彼が薬指のリングを撫でる。
鷹富士茄子もまた舞台を去り、新たな道を手に入れた一人だった。

 「内緒ですよ、蘭子ちゃん」

 「ふむ……さて、悪魔の言葉は気まぐれ故」
 (ふふ……どうしよっかなー)

 「可愛い女の子と飲んでいたなんてバレたら、ただでさえ茄子が頬を膨らませるんですから」

 「でも、そんな顔も可愛いんでしょ?」

 「…………まぁ」

 「下僕よ。我が手に血も凍る苦杯を」
 (すみません、強めのをください)

 「すぐに」

薬指を叩き、彼が咳払いを繰り返す。
達磨らしく色付いてきた頬も叩き、カサブランカを空にした。

 「話を戻しましょう。蘭子ちゃんも、色々と悩む事があるかとは思います」

 「……うむ」

 「悩む事は、悪い事ではありません。特に、貴女のような若きには」

蘭子の脳裏で、白塗りの杖がこつこつと鳴った。


 「大丈夫です、蘭子ちゃん。自分で思う以上に、貴女は強い」

 「……」

 「今夜、確信しました。蘭子ちゃんの瞳はあの頃のまま……いえ、むしろ」

 「……こぉ」

 「…………蘭子ちゃん?」

 「くぅ」

オークの滑らかなカウンターに腕を預け、蘭子は寝息を立てていた。
ご機嫌な、実に良い表情を浮かべている。
きっと、それは良い夢を視ているのだろう。そう感じさせる笑顔だった。

 「……ええと、何をお出ししたので?」

 「いえ、ボウモアのストレートを」

 「……フード、すっかり頼み忘れていましたね」

カウンターの上には空になったナッツの小皿が二つ。
彼は頬を掻いて、安らかに眠りこける蘭子へジャケットを掛けた。

 「熊本の方は強いと聞いていましたが……勉強不足ですね」

 「お代も勉強致します。サインの方、礼を伝えておいて頂けますか」

 「ええ」

タクシーを呼ぶ為、彼は景気よくヒビ割れた携帯電話を取り出した。



 「――ただいま」

 「くぅ……」

 「あ、お帰りなさ~……Pさん、私というものがありながらっ」

 「いや、茄子。誤解だから」


時計の針が中天を指そうとする頃。
蘭子をお姫様抱っこしたまま帰宅した彼を前に、口元を手で覆う。
茄子は――旧姓、鷹富士茄子は――おどけるように舌を出した。

 「なーんて、冗談ですよ。豪華なお土産ですねー」

 「先に寝ていてよかったのに」

 「何だか良い事起こりそうな気がして、わくわくしてたんです♪」

手招かれるまま、蘭子の身柄を茄子へ引き渡す。
わーとかほーだとか零しながら、茄子は安らかな蘭子の寝顔へ頬ずりした。

 「ずっと前から、一度抱き枕にしたいと思ってたんですよー。ありがとうございます!」

 「いや、あの、別にそういう訳じゃ」

 「うむ……んん……? 約束の女神……?」
 (……茄子、さん?)

 「さぁさぁ蘭子ちゃん。お疲れのようですし、まずは一緒にお風呂に入りましょうか♪」

 「…………ん……む?」


茄子がくるくるとご機嫌に回りながら脱衣所へ入り、扉を閉める。
直後に聞こえて来たあられもない声に耳を塞いで、彼はその前を通り過ぎた。

 「……幸せって、何なんだろう」

寝室に入り、彼の分のシーツを新しい物に敷き替える。
押し入れからタオルケットを取り出すと、居間に鎮座するソファの上へ放り投げた。
ジャケットを脱ぎ、タイを緩め、疲労と一緒に身体を沈め込む。
くぐもった水音と共に、微かな嬌声が居間へと響く。



 『――あら。あらあら……蘭子ちゃんたら、こんなに育って……目が離せませんね』

 『ひゃぁっ!? っあ、ダメぇっ! 茄子さんのえっちっ!』

 『ふっふっふー♪ よいではないか、よいでは――』



 「…………」

彼は頭までタオルケットを被り、ソファの上で幸せについて滔々と考え出すのだった。


 【21歳 / 夏】


 「あり? 蘭子ちゃん?」

 「無垢なる反抗者か」
 (あれ、李衣菜ちゃん)

 「オレも居るぞ。待たせた」


呼び出された会議室へ入る。
中には李衣菜が座っていて、彼女の担当も蘭子の後から顔を出した。
促されるまま蘭子は李衣菜の隣へ座り、彼が鞄からMP3プレイヤーを取り出す。

 「狂乱の祭典か」
 (イベントですか?)

 「いや、新曲だよ」

 「……って事は、蘭子ちゃんとデュオで?」

 「いいや。二人にそれぞれ、一曲ずつ」

彼がプレイヤーをもう一つ取り出して、蘭子と李衣菜は顔を見合わせた。


 「調べを確かめても?」
 (聴いていい?)

 「もちろん」

 「やたっ。新曲新曲~♪」

李衣菜が首に提げたヘッドホンを、蘭子がポケットから取り出したイヤホンを繋ぐ。
再生ボタンを押すと、数瞬を置いて激しいギターソロが始まった。


 「……」

まだ歌は入っていない。
ベースが増え、ドラムが加わる。キーボードが響き、身体がリズムを取り始める。
三分間が再びのギターソロで締め括られ、蘭子は李衣菜とほぼ同時にイヤホンを外した。

 「待ちくたびれたよ」

 「うん」

 「……流石。一発で分かったか」

 「我が友の魂を感じた」
 (飛鳥ちゃんですよね)

 「ああ」


楽譜と歌詞カードを手渡される。
『REpresent』と題された横、作詞作曲欄に並んだ名前。
二宮飛鳥の存在証明を受け取り、蘭子は目元を拭った。

 「ようやく渡せて、オレも泣きそうだよ。長かった」

 「……どういう事? Pさん」

 「飛鳥がいきなり事務所へデモを送り付けて来たんだ。一年ちょっと前に」

 「……む?」

 「飛鳥に電話したよ。『次回の作品をお待ちしております』、って」

鞄へ手を突っ込み、何枚かのCDを取り出す。
机の上に積み上げると、結局鞄と同じくらいの山になった。

 「月イチで、たまにもう一枚。手紙も何も添えずに、CDだけが事務所に届くんだ」

 「……それが、我が友の言霊であろう」
 (飛鳥ちゃん、けっこう恥ずかしがりな所があるから)

 「そんなに下手っぴだったんですか?」

 「いや、最初の一枚だって中々悪くなかった。でも、それじゃあダメなんだ」

 「何ゆえ?」
 (どうして?)

 「李衣菜も蘭子ちゃんも、一流のアイドルだ。まぁまぁの仕事をさせる訳にはいかない」


CDを丁寧に鞄へ戻しながら、彼が笑う。

 「契約書へサインする時の表情を見せてやりたかったよ」

 「そりゃ一年もリテイクさせたらねぇ」

 「『何て面倒なクライアントだ』って眉を潜めてたなぁ。嬉しそうに」


飛鳥はクライアントという言葉を使ってみたくて堪らなかったのだ。


 「ああ、それと飛鳥から伝言。『ボクの曲を演るからには――』」

 「――全霊を以て!」 「――全開で!」
 (――全力で!)


蘭子と李衣菜が口を揃え、不敵に笑う。


 「……『――理解ってるならいい』。以上、確かに伝えたからな」


彼もまた、不敵に笑いながら泣き出した。



 「結構さ、酷い事言っちゃったんだよね。飛鳥ちゃんに」


李衣菜に誘われ、蘭子は久しぶりに女子寮への道をゆっくりと歩く。
美波と共に入った洋食屋も、高森藍子に付き合った小さなカフェも。
いつの間にか姿を消し、見覚えの無い店が賑やかに営業していた。

 「取っ組み合いになって……って、私が一方的に掴みかかったんだけど」

 「……傷つきし翼の如く?」
 (ウィッグ引っ張ったり?)

 「う。蘭子ちゃんも知ってたか……はぁ」

罰が悪そうに溜息をつき、李衣菜は天を仰ぐ。
背中で揺れるギターケースへ、茶色のつむじがこつりと当たった。

 「あー……ホント、馬鹿だったな。私。自分の事ばっか考えてた」

 「……李衣菜ちゃん」

 「でもさ。あの曲を聴いて、ようやく私も分かった気がする」

天を仰いでいた視線を、行く先へまっすぐに向け直す。

 「飛鳥ちゃんも、私に勝ちたかったんだ」


悪友。
李衣菜と飛鳥は、お互いを指してそう呼び合っていた。


 「飛鳥ちゃんなら多分、そっちにも言ってるでしょ。『進みたければもっと走れ』、って」

 「……クロノスに容赦は無いわ」
 (時間が無いって、この事だったんだね)

 「にしたって、ちょっと説明が足りな過ぎだよ……永遠の中二病め」

 「その決闘、受けて立とう」
 (それは聞き逃せないよ)

 「……な、何でもないよ?」

 「……ふむ。風の精霊も悪戯に過ぎるようね」
 (うーん、聞き間違いかな)

李衣菜が心なしか歩調を僅かに早め、鼻歌を口ずさむ。
それは見事な『Jet to the Future』だった。

 「……よーし、何かやる気出てきたっ! うっひょー! やーるぞーっ!」

そしてそのまま走り去っていく。
ますます磨きの掛かったその歌唱力で、今度は新曲を口ずさみながら。

揺れる両手とギターケースを見送って、蘭子は再び薔薇飾りのイヤホンを取り出した。


軽快なギターソロが響き出す。

(ボウモア、良いよね)


 【21歳 / 冬】



 「――蘭子。星を観に行かない?」



望遠鏡のケースを抱えて微笑むアーニャへ、蘭子は頷いた。



 「絶零の吐息……」
 (寒ーい……)

 「頑張ってね、グリフォン」

 「ミャ」


二月は一年の中でも特に寒く、そして大気も澄んでいた。
女子寮の屋上へ天体望遠鏡を据え付け、厚手の布を下に敷く。
水筒から注いだ紅茶を飲みつつ、瞬く星をそっと眺める。

 「お引っ越しの準備、進んでる?」

 「うむ。しかし、エントロピーの増大には抗い辛く……」
 (うん。でも荷物がいっぱいで……)

 「フフッ、それは熱力学でしょ」

去年の暮れ、アーニャは一足早く一人暮らしを始めていた。
二人同時に引き払えば慌ただしくなる故の配慮だ。

 「綺麗だね」

 「うん」

 「ニャン」

 「さぁ、火星はどれでしょう」

 「今夜は見えないよ」

 「……残念。大正解」

 「へへー。星もロシア語も勉強したもんね」


珍しく静かな夜だった。
凍て付く風は凪ぎ、女子寮はいつもの喧噪を忘れたように眠りこけている。
ただ二人と一匹の会話だけが、冷たい静寂を震わせていた。

 「アーニャちゃん」

 「ん」

 「やめるんだね」

アーニャが紅茶をもう一杯注ぎ、ゆっくりと飲む。
勧められるまま、蘭子もゆっくりと飲んだ。



 「……どうして、分かったの?」

 「神秘の歌姫も、世界の創り手も、寸分違わぬ道化であった故」
 (楓さんも飛鳥ちゃんも、そんな風に笑ってたから)

 「そっか。蘭子には敵わないなぁ」

 「審判の刻は?」
 (いつ?)

 「春。ラストライブに来てくれると嬉しいな」

 「この期に及び、更なる問答を欲するか?」
 (断られたって行くよ)

 「あははっ。スパシーバ、蘭子」

 「パジャールスタ、雪華の姫君」
 (どういたしまして、アーニャちゃん)


蘭子の胸元からグリフォンが飛び出して、アーニャの元へ駆け寄った。
撫でるような声で鳴き、コートに包まれた彼女の腕をかりかりと引っ掻く。

 「ダメだよ、グリフォン。アーニャちゃんは、もう決めたの」

 「ナー!」

 「魔獣よ。我が命に背く気か」
 (ワガママは、ダメっ)

 「蘭子、いいの」

アーニャがグリフォンを持ち上げ、間近で顔を寄せ合った。
肉球で彼女の頬をてしてしと叩いて、やがてその勢いも止まる。
碧色の円らな瞳で、目の前の青い瞳をじっと見つめていた。

 「お願いがあるの。あなたの友人としてのお願いよ」

 「ミ」

 「これからも、蘭子の事を守ってあげて」

 「……」

 「私のお願い、聞いてくれる?」

 「――ニャッ」

 「……ありがとう。やっぱりグリフォンは、格好良いね」

 「ナーオ」

アーニャがグリフォンを抱き寄せた。
彼女の体温を受け取って、グリフォンが蘭子の胸元へと帰って来る。
彼は小さな、けれども頼れる、堕天使の守護獣だった。


 「признаваться」

 「……え? プリズナヴァーツァ……って、何だっけ」

 「フフッ。お勉強不足、だね」

 「む、むぅ……」

 「признаватьсяは、告白。ちょっと意味合いは違うけど、プロポーズの事」

 「ほう」

 「私ね、さっきプロデューサーに告白して来たの」

 「ほう――ほう?」

アーニャが望遠鏡を覗き込みながら言う。
70倍の大きさで、三日月が綺麗に輝いていた。



 「…………っふぇぅっ!?」

 「それで、フラれちゃった」



アーニャが月を背負って、柔らかく微笑む。
星も霞むような、それはそれは美しい笑顔だった。

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