提督「なに? READだと?」 (36)

※他スレから影響受けた。読書雑談スレ。

熊野「提督。もしかして、れでぃには教養が必要不可欠なのではなくて?」

提督「なんだ突然」

熊野「というわけで読書会をしましょう」

提督「いやだ。鈴谷に付き合ってもらえ」

熊野「鈴谷はダメですわ。本を持つとすぐ眠ってしまって」

提督「ああ。わかる。わかる。寝転がって、本を持つと、急に眠気がくる。手の平に重さが加わると、瞼も重くなる。不思議だ」

熊野「提督の事情なんて脇に置いておきましょう。今は読書ですわ!」

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1462212015

提督「一人で読めばいいじゃないか。俺を巻き込むな」

熊野「いやですわ! 一人で読んでいたら眠くなってしまいます」

提督「お嬢様がそれでよろしいのか」

提督「……まあ、いい。それで何を読みたいんだ」

熊野「提督にお任せしますわ!」

提督「考えなしはお嬢様っぽくないぞ」

芥川龍之介『蜜柑』

熊野「汽車の中から田舎娘が蜜柑を放り投げるのを見て芥川さんが癒される話ですわね。芥川さんは横須賀あたりに住んでいらしたのね」

提督「当時は海軍の機関学校で英語を教えていたらしいぞ。だから、金剛にも所縁があって、『歯車』に彼女の名前が出てくるし、もっと直接に『軍艦金剛航海記』なんて作品もあるぐらいだ」

熊野「英語教師で、金剛さんにも乗った……」

提督「いや、当然生前の金剛だぞ」

熊野「あら金剛さんは今も生きていますわ」

提督「無機物時代の金剛ってことだ」

熊野「やっぱり死んでいるじゃありませんか」

提督「……お前も昔はそうだったんだぞ」

熊野「しかし、英語の教師なんて頭脳明晰でしたのね」

提督「ああ。だから、その影響かこの『蜜柑』にも英語教師らしい表現があるんだぞ」

「やはり私の憂鬱を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた」

提督「この箇所は懐かしのtoo…to構文の日本語版だ。訳文みたいな表現だから、少し戸惑う人もいるらしい」

熊野「それにしても随分と短い作品を選びましたわね」

提督「人気のある立派な作品だぞ」

熊野「ただ楽をしたいだけではなくて?」

提督「……。いや。そんなことはない」

熊野「どうかしら」

提督「ただ短いからって馬鹿にはできないぞ。これを読むのは価値あることだ。俺が適当に選んだと思っているのか」

熊野「ええ」

提督「……。そもそも熊野は読書で何か得ようというわけだが、何を得ることができると考えている」

熊野「読書から……教養、感受性あたりですわ」

提督「熊野の目的は真の淑女たりうる感受性の獲得でいいわけだ」

熊野「何が言いたいのかしら?」

提督「ただの確認だ。色々と読みたいのではなくて、感受性の豊かさを求めているのなら話は比較的簡単だ。この『蜜柑』を丸暗記するまで読んでおくといい」

熊野「流石にこれだけで感受性を高めることはできないと思うのですけれど」

提督「感受性なんて心意気や精神的態度の問題なのだから、別に量を読んだところで保証されるものでもないさ」

提督「たった文庫本五ページ。流石に寝落ちはないだろう。じゃあ、俺帰るから」

熊野「ちょ、ちょっと流石に投げやりすぎませんこと!?」

提督「大丈夫、安心しろ。感受性なんて所詮何気なく過ぎ去ろうとする日常を捉える能力に過ぎん。普通の人は田舎娘が蜜柑を投げたからと言って感動なんてせず、むしろ迷惑ぐらいにしか思わん。『蜜柑』の切り込み方を習得すれば、熊野はそれに感動できる立派な淑女さ。それじゃ」

熊野「お待ちなさい」がし

提督「なんだ」

熊野「もう少しお話に付き合ってくださらない? 鈴谷と『蜜柑』で盛り上がるなんてできませんし」

提督「読ませて盛り上がればいい。別に俺と『蜜柑』で盛り上がれるとも思えないぞ」

熊野「まあ。それにしても、どうして蜜柑だったのかしら? 他の物でも良さそうですけれど」

提督「他のもの?」

熊野「冬の曇天に映える色なら林檎とかでも」

提督「林檎は少し堅いだろ。頭に当たったら痛そうだ。それに林檎の赤色って少し凛としていて上品だから、やぼったい田舎娘が投げるには似合わないんじゃないか?」

熊野「では、檸檬では」

提督「時代的に逆転するけど、なんか爆撃するみたいな感じだな」

熊野「なるほど。では、今度は『檸檬』でお願いしますわ」

提督「え? これ続くのか。余計なことを言ってしまったな」

熊野「提督は娘が投げる何か他のもの思いつきまして?」

提督「……俺だったら札束をばらまかせたいな」

熊野「悪趣味ですわ」

提督「三等赤切符を握って二等客車に乗るような世間知らずの田舎娘が突如札束をばらまく。面白くないか」

熊野「まるでミステリーの冒頭ですわね」

提督「いや、理由なんてなく、ただ札束をばらまかせたい。うん。シュールな感じで好みだ」

梶井基次郎『檸檬』

提督「有名な短編だな。梶井の名前を知らなくても、なぜか「檸檬」は「ああ、本の上に置くと爆弾になりそう」と反応されるほど有名」

熊野「『桜の樹の下には屍体が埋まっている!』というのも有名ですわね」

提督「桜の樹の下はパロディも多く、紫陽花の下(吉行淳之介)だったり、睡蓮の下(恩田陸)だったりと色々埋まっている。満開の下(坂口安吾)も影響受けているかもしれない。流石に枝垂桜(九鬼周造)は影響受けてないと思うけれど」

熊野「作品がパロディ化され独り歩きするのってすごいことですわ」

提督「インパクトが強いってのが理由だろうな。日本だとわかりにくいパロディは「盗作だ!」と騒がれやすいからなあ」

熊野「そういえば遠藤周作さんのパロディ小説『初春夢の宝船』の冒頭では作者がくどい程「この作品はパロディですよ」と念押しするけれど、そうしないといけない日本風土を筒井康隆さんが慨嘆していましたわ」

提督「俺は正直あのままで良いと思ったけどな。最初に「これはアメリカ映画のパロディですよ!」と強く主張しているから、末尾の「禁無断上映」がよりユーモラスになっていると思う」

熊野「……少し話が『檸檬』から逸れていますわ」

提督「……もともと『檸檬』は未完の『瀬山の話』の一部を独立した作品にしたもので、「瀬山」はセザンヌをもじったもの。こうした西洋の偉人からとった名前は京都では多いような印象があるな」

熊野「他にもありまして?」

提督「例えば、京都大学の前には日本庭園があって、そこの作庭家重森三玲は自分の名前をミレーに改名したばかりか、息子たちにもカントやゲーテと名付けているぞ」

熊野「大学の近くに日本庭園がありますのね」

提督「そんな日常的に見られるわけじゃない。完全予約制だし、料金も1500円くらいかかったと思う」

熊野「た、高いですわね……」

提督「そんなもんだ。それに西芳寺の苔庭なんか冥加料3000円取られるから、それと比べれば……まあ安いんじゃないか」

提督「……あと他には、鷲田清一だ。一時テレビCMにも出ていたし、大学受験では内田樹と鷲田清一が評論でよく出るからそれで有名かもしれない。その息子が「めるろ」という名前だったな。彼自身現象学者だからメルロ=ポンティからそのまま取ったのだろう」

熊野「品位のあるきらきらねえむもあったものですわね」

提督「……『檸檬』に戻ろう。といってもこの作品に関しては丸善の逸話の方が印象深かったりもして、中々気軽な会話では内容に触れづらいところがある」

熊野「去年2015年の夏に舞台となった丸善が復活したらしいですわね。ちゃんとレモン置き場も用意して」

提督「四条はジュンク堂の聖地だからなあ。一時あの近辺だけで三店舗密集していた。だから、配本も強気で、ショーペンハウエル全集ドン! ニーチェ全集ドドン! ハイデッガー全集ドドドン! 誰が買うねんみたいな布陣が棚を占領していたのを覚えている。……残念ながらその店舗はなくなったけど」

熊野「『蜜柑』は素朴に心情的納得がありましたけれど、『檸檬』の方は読んでいる内は卓越した心理描写で疑問なく読み、終わると「あら?」となりますわ」

提督「白状すると、俺もよくわからん。いや、わかるんだけど、よくわからん」

熊野「私、はっきりしない男性は嫌いですわ」

提督「俺ははっきりした女性が嫌いだ」

熊野「……やっぱりはっきりした男性が嫌いですわ」

宮沢章夫『時間のかかる読書』

提督「横光利一の短編『機械』を十一年間に渡って読解しつづけたユニークな読書本だ」

熊野「巻末に掲載されている『機械』三十ページに対して、本編は三百ページありますわね」

提督「研究書ではないから、当時の著者状況や文化背景などに全く触れず、ただ『機械』の文章を吟味していくスタイルを取る」

熊野「面白いのは、「正しい読み」をまったく目指していないという態度ですわね」

提督「たとい作者の意図から外れようとも、己が納得できる解釈ならば、誤読だろうと突き進むという、「作者の死」を実践した読み方とも言えるかもな」

熊野「こう一文ごとに深読みを加えていくような読解書は他にはありませんの?」

提督「宮沢の著作が「誤読の楽しみ」を拓くものなら、逆に「正読の楽しみ」を示すものもある」

入不二基義『哲学の誤読』

提督「これは実際の大学入試問題を読解する形式で、読むのは現代日本哲学者の文章になる。だから、ちくま新書らしく少しハードな読み応えになっている」

熊野「らしく?」

提督「岩波、中公新書についで結構お堅い内容が揃っているということ。ちくま新書は格調高いとまではいかなくとも、しっかりした内容が期待できていたんだ。だから、『前田敦子はキリストを超えた』というタイトルが並んだ際には驚かれたりもした」

熊野「それにしても入不二さんの語り口ははっきりしていますわね。大学教授が誤読して問の出し方を間違えているのを指摘していたりして、新鮮な気分にもなりますわ」

提督「確かにそういう楽しみ方もできる良著。生真面目に他者感覚の問題や時間の実在性云々についても楽しめるが、一方で「入試問題が悪くて駿台の解説者が困っているじゃないか」、「おい、赤本の解説。的外れもいいとこだぞ」と権威に突っ込みできる爽快感を楽しむこともできる」

提督「宮沢と入不二の両著作とも、本文に噛み付いて離れないスタンスは通ずる所がある。ただ宮沢の方は正しい読み以外の誤読の可能性を積極的に探そうとし、入不二の方はいかにこれが誤読かとその判断根拠を突き詰めてくれる」

熊野「清水義範の『国語入試問題必勝法』がふと思い浮かびましたわ。問題がそもそも頓珍漢なのだから、問題文を読まずとも解答できるというお受験ぱろでぃですわ。非常にあいろにかるで面白かったと記憶しておりますわ」

提督「選択肢の一番長いのと短いのは読む必要がないみたいな話だったな。そういや、2020年にはセンター試験の廃止が決まったな」

熊野「せんたー試験って平成から始まったものでしたわね。私には余り馴染みがありませんわ」

提督「お前はいつの時代の人間だ」

熊野「廃止した後はどうなるのかしら」

提督「受験に面接や論述が含まれるようになるらしいぞ」

熊野「提督の出生が遅れていたら、大学に行けなかったかもしれませんわね。口下手ですし、論理性の欠片もありませんから」

提督「せやな」

熊野「ところで、どうして廃止なさるのかしら」

提督「時代の変化が早まっていて、アメリカの調査によると11年度の小学生の65パーセントは現存しない職業に就くようで、日本現行の教育体制ではそうした時代対応への柔軟性に欠けるという配慮かららしい」

ウィリアム・デレズウィッツ『優秀なる羊たち』

熊野「大学を職業訓練校みたいにするということかしら」

提督「どうだろう。ただ2020年には小学校でのプログラミング授業の必修化も検討しているようだから、職能訓練という側面もあるのかもな。これからの学生は大変だ、頑張ってもらいたい」

熊野「まるで他人事ですわね」

提督「事実他人事だし。俺は鉛筆を転がせば進学できたけど、これからはできないってだけさ」

熊野「この改革で、国際社会で活躍できるような自発的で思考力のある人物に教育できるらしいですわ」

提督「意識しているのは恐らくアメリカに見られる典型的エリート像だろう。「二科目専攻でスポーツや楽器もこなし、外国語も二つくらいできて、地球上のはるか彼方の地で奉仕活動に励み、ついでに二、三の趣味も嗜む」そして、そのすべてをしっかり身につけているスーパーピープル」

熊野「なかなかできることじゃありませんわね」

提督「この著作はアメリカのエリート達が表面上はいかに充実しているように見せても、その内実は強い孤独感や無力感が支配している場合があるというのを教えてくれる」

熊野「何のために大学で学んでいるのかと目的が分からなくなっているという声が意外と多いのね」

提督「教育改革は安倍政権のもと民間から集められた教育再生実行委員会が色々検討している。少子化対策として教育費削減は良いとしても、提言での方針で「真の学ぶ力」が教育できるというのがな」

熊野「自ら学びそれを応用していく学習意欲の向上、別によろしいことじゃありませんこと?」

プラトン『プロタゴラス』

提督「いや、その目標の割にえらく周辺環境の整備に重きが置かれているなと。タブレット端末を用いるICT教育の導入で意欲向上を狙えるとは思えない」

提督「学習意欲や主体性といった精神的態度に関する教育については古代ギリシアからずっと議論されてきた問題でもあり、いまだ明白な解決のない難問だ」

熊野「この著作では徳ははたして人に教えることができるか否かが問題とされていますわね」

提督「その問題に関しては他の著作『メノン』や『ゴルギアス』でも扱われており、もしかしたらこれらの方が議論は分かりやすいかもしれない。『プロタゴラス』は神話や詩の解釈、それも半ば言葉遊びのような、が含まれていて全体の連関が分かりづらい部分もある」

熊野「では、どうしてこれを」

訂正です。ごめんなさい。
>>3で金剛の名が『歯車』にも出てくるとしてますが、間違いでした。
正しくは『或阿呆の一生』12節の軍港です。

この箇所では芥川は潜望鏡から金剛を見て、阿蘭陀芹(パセリ)を思い浮かべています。

余談ですが、シェイクスピアの『じゃじゃ馬馴らし』では「パセリを摘みにきた娘が昼過ぎには嫁になったって話もある」という台詞が出てきますが、パセリには催淫効果があるという素朴に信じられていました。

『或阿呆の一生』でのパセリは、単にステーキについてくるさして重要ではない付属物といった比喩であり、催淫効果云々は意識されていません。

しかし、芥川提督の中には艦これの金剛に関して、英国と日本の文化が混ざり合った象徴として、日本文豪の比喩と西洋の俗信を意図的に混ぜ合わせたのではないかとまことしやかに主張する派閥もあります。

いわゆる金剛パセリ説です。運営は「パセリ」を金剛から提督への無条件的愛の説明根拠にしているのではないか。
彼ら曰くこの説によって初めて「どうして金剛は提督LOVE勢なのか?」という問題は解決されうると言っています。

提督「プラトンの中で哲学書として一番面白いのは魂の不死性を証明しようとする『パイドン』だったが、物語として一番面白いのはこの『プロタゴラス』だと思ったからだ」

熊野「要は趣味で選んだわけですわね」

提督「趣味以外に何がある」

熊野「それもそうですわね」

提督「『プロタゴラス』では、全面的にはソクラテスが議論で無双して「やっぱソクラテスってすごい」となっていないとこが面白い」

熊野「他は違うのかしら」

提督「大体の著作はソクラテスの勝利で終わるが、これは引き分けの形で終わる。ちなみにプロタゴラスは世界史をかじった人になら「人間は万物の尺度である」という相対主義で知られているかもしれない」

熊野「彼の一回の授業で軍艦二隻が買えるほどとは、余程のかりすま的教育者でしたのね」

提督「ソクラテスはソフィストを批判していたから、ソフィストの長老たるプロタゴラスとの議論は、言ってしまえばラスボス戦みたいなものだ」

熊野「その割に彼は随分俗物っぽく描かれているように思えますが」

提督「ソクラテスも姑息な手段を使っていて面白い。プロタゴラスの方はソクラテスと議論していて不機嫌になって周りから宥められたり、ソクラテスはソクラテスで議論が不利だと感じるとすっとぼけて時間を稼いだり、自分から希望した一対一の問答をやぶって周りを議論に加えたりと、どちらも何か生き生きしている」

熊野「プロタゴラスは最初の勢いが良いのですが、後半は投げやりな感じですわね」

提督「ギリシアにおいて徳(アレテー)とは身体と精神両方の卓越性を意味していて、勇気や節制や健康と日本の道徳よりその意味範囲は広い。ソフィストはその徳を教えるというのだから、プロタゴラスは自分の教育で優れた人を生み出してきたと自負しているわけだ」

熊野「でも、気がかりですわね。教育というのは数学にしても英語にしても客観的な事実を教えるものなのでしょう? 歴史にしても争いはありますけれど、客観的な一つの事実、それは世界のどこへ行ってもいつの時代でも原則的に変わらないものとして教えるはずですわ」

熊野「プロタゴラスは人によって真理は異なるとする相対主義者でしたのでしょう? 善悪なんて普通の人たちでも相対的だと感じるもの、それを教えようとするのは、例えばみるふぃいゆを美味しいものとして感じるように教育するのと同様難しいのではないかしら?」

提督「ミルフィーユと聞くと、俺は小学時代にはまった青い鳥文庫のパスワードシリーズを思い出す。主人公の洋菓子店の名物がそれで、正直ミルフィーユが何なのか全く想像できなかったけど、当時は洒落た響きだけで何となく憧れていた。青い鳥文庫だと夢水清志朗シリーズも面白かったなあ」

熊野「……今は思い出話を遠慮してくださる?」

提督「すまない。そうだ今度またミルフィーユを食べにいくか」

熊野「ええ。その約束を覚えておきますわ」

提督「それでプロタゴラスはどうして相対主義者なのに徳の教育者を自任していたかということだな」

熊野「『プロタゴラス』ではそこのあたりが不明瞭でしたわ」

提督「ソフィストとしてプロタゴラスは社会相対主義をとっていたようだ。どういうことかと言うと、プロタゴラスの教育はある社会の特殊な構造を分析し、それに合わせた処世術を教えていたらしい」

熊野「現代的に言えば、アメリカや中国とも違う独特の文化背景を持つ日本ではこのように生き抜けというさぶかる的自己啓発せみなーみたいなものだったのかしら」

提督「どこか表面的で中身のない印象を持つという点ではまあ一緒かもな。ソクラテスにしてみれば、ソフィストの教育は余りに末端的で本質的ではないように見えたのだろう」

熊野「特定の状況でしか活かせない教育なんて芯の強い人間を生み出せませんものね」

提督「淑女の言葉だな」

熊野「え? そ、そうかしら?」

提督「こんな雑なおだてにのるなよ……」

熊野「あら、立派な紳士の言葉は全て本心なのではなくて?」

提督「……俺を紳士扱いとは嬉しいなあ」

熊野「あなたも大概雑におだてられていますわよ」

提督「そんなわけでソクラテスはソフィストの教育に懐疑的だったので、最初の方でソクラテスは「徳は教えられない」という立場をとる。例えば「努力家」という徳を考えた場合、「やっぱり努力も先天的な才能なんじゃないの」といった言い分だ」

熊野「それに対しては罰則があることを理由に反対していますわ。努力をせずに怠けているのなら、人はその人に対し怒るなりして、努力するように仕向けさせると」

提督「自由意志が関わるものは教育できるということだな。でもさ、これソクラテスの問にしっかり答えていると思うか?」

熊野「どこかはぐらかされた印象ですわ」

提督「だよな。だって「どうしてそれをできると思うのですか?」に対し「みんな思っているから」と答えているんだもの、内在的な性質には全く触れていない」

提督「だから、ソクラテスは徳の性質そのものに話を持っていくことになる。ソクラテスは徳育を可能と言うときの根拠を徳育そのものに求めた」

熊野「プロタゴラスはこのあたりから不機嫌さが増していきますわね」

提督「ソクラテスは結局すべての徳は知識に属するとして徳は教えることができるという立場になるけれど、プロタゴラスはそれを不可能とする立場に追い込まれる」

熊野「徳とは何か不変的なものだとする探究と相対主義は相容れないですものね」

提督「ソクラテスにとって人間は善を知っていれば必ずそれを行うものだった。努力をする場合としない場合、どちらが善をより大きく含むかを知っている人間は努力家になるというわけだ」

熊野「そこが納得できませんわ。知っていてもやっぱり怠けてしまう、つまり悪をなしてしまう人が大半なのではないかしら」

提督「ソクラテスはちゃんとそれも取り上げている。彼の答は「努力しないといけないことは分かっているんだけど、つい怠けてしまう」という奴は本当の意味で「努力しないといけない」と知っていないとしている」

熊野「ごり押しですわね……」

提督「まあ、でも徳を教育するのに、その周辺環境だけを変えても効果は薄く、やはり努力させたいのならその内容をしっかり教えてやるべきという主張は理解できると思う」

熊野「そういえば山崎正和の『文明の構図』には、敗戦後の満州国の教育風景が描かれていましたわ。外はマイナス二十度、倉庫を利用した窓もない小さな校舎の中で教員免許もない大人たちが、子供たちに対してルターの伝記を聞かせたり、中国詩を教えたり、ドヴォルザークの「新世界より」やラヴェルの「水の戯れ」を蓄音機で流していたらしいですわ」

提督「「水の戯れ」は『のだめカンタービレ』で演奏されて一時有名になっていたな。原題はJeux d'eau(ジュードゥー)で、なんだかJohn Doeに似て綺麗な音で覚えやすい」

熊野「聞きやすくて私も好きな楽曲ですわ。さて、当時の大人たちは自分たちが何かを教えないと子供たちは人間としての尊厳を失うだろうと感じていてほとんど死にもの狂いで授業していたらしいですわ。その教育を受けた山崎さんは今の教育にはそうした「文化への熱情」が欠けていると評価しております」

提督「教育内容を己自身に誇れる先生に出会えたら幸運だな。他の人が熱狂しているものってなぜか魅力的に見えるからなあ。とある理系の高校では校長が式辞に自分で焼いてきた陶器を用いてサイフォンの原理を見せてくれたり、体育祭に相対性理論はGPS機能に応用されていると説明してみたりと相当科学を愛しているような人も現代にいるらしいが」

熊野「提督には何か学ぶにあたって転機となったことはないのかしら?」

Ravel:Jeux d'eau
https://www.youtube.com/watch?v=UJK6yZJ8b5Y

テスト
西芳寺の庭園
http://art53.photozou.jp/pub/844/221844/photo/104188198_624.jpg

スタンレー・ミルグラム『服従の心理』

提督「人によっては数学を解くこと自体に楽しみを見出したり、経済学をやりたいから色々学ぶんだといった人もいたりするけれど、俺の場合は心理学によって学問を身近に感じはじめたかなあ」

熊野「心理学ですの?」

提督「といっても学問的ではなかったけどな。ピカソを見分ける鳩の話を聞いても、おそらく興味を持たなかっただろうな。カクテルパーティー現象※1やザイアンス効果※2やジェスキンスの記憶逓減理論※3などの名称を暗記し満足していただけの、まあ心理学を志す人間の誰しもが経験する状態だった」

熊野「過去形ですのね」

提督「法則とか覚えるのってその内虚しくなるんだよ。自己啓発本が紹介するような交渉の心理テクニックを覚えたとしても使わないからなあ。話している最中には忘れているってのもあるけど、意識に昇っても馬鹿らしいなと感じてしまって」

熊野「となると、今てれびじょんで人の心を読めると紹介されているメンタリストにも何か思うところがあるのではなくて?」

提督「あのメンタリストが用いているのは心理学ではない。一般法則から具体的人物の行為を予期するなんて心理学の領分ではない。もし彼がトリックなしに当てているというのであれば、それは心理学の進歩を意味するのではなく、ただ単純に彼の人物洞察力が優れているというだけだろうな」

※1カクテルパーティー現象
 人は自分に関係ある情報のみ選択的に認知し他は見落としがちになる現象のこと。
 相手の名前を呼べば好感度が上がりやすいことの根拠として恋愛心理学本ではひっぱりだこの人気現象。
 騒がしいカクテルパーティーでも自分の名前を呼ばれたら気づくということから、この名前になったらしいが、別にうるさいだけなら土木作業現場でも良いのではないかと尋ねたところ「おしゃれなパーティー会場で女の子から艶っぽく名前を呼ばれたときと、泥臭い作業現場でおっさんから名前をがなり立てられたとき、どっちに反応したい?」と。
ちなみにこの現象を体感できるテスト動画があるけれど、確かに体感したけど何か納得したくないな(特に熊のクオリティ)とちょっと複雑な気持ちになれる。
https://www.youtube.com/watch?v=Ahg6qcgoay4

※2ザイアンス効果
 人はある対象に繰り返し、接触し出会うことによって、警戒心が薄まり、対象に好意的になっていくという法則。
 ある音楽を繰り返し聴いていると、以前はそうでもなかったのに、いつのまにかお気に入りになっていたという経験ない?
 ギャルゲ主人公がどうしてモテるのかの根拠はこれ。ただし、この法則はただ会えば会うだけ好感度が上がると示しているのではなく、単に「対象への印象が強化されていく」ことを示しているに過ぎない点は注意ね。
 つまり、相手から嫌われている場合、会えば会うだけ相手に更に嫌われていくことになるともこの法則は示している。ストーカーがストーキングすればするだけ嫌われていくのは当然。

※3ジェスキンスの記憶逓減理論
 人の記憶はどんどんと減っていくものだが、その消耗時間は眠った場合では二時間で収まるが、起きていた場合は八時間経ってもなお記憶が減少していくという理論。
 受験生には九時間以内に復習すると記憶定着率が上がるというエビングハウスの忘却曲線とともに親しまれている理論でもある。
 例えば、英単語覚えたいなら寝る前に単語帳をこなし、起きたら復習するのが良いということなのだが、こういった勉強法指南を意図されたものには注意を。
 理論上、人間は夜の十時から朝の二時半の計四時間半睡眠でも生存できからといって実践すると、音楽が妙に早く聴こえたり、一日が長すぎると思ったり(実際朝の七時半には起床から五時間経過しており七時起きならもうお昼感覚になる)、しまいには朝(夜)起きると枕元が鼻血で真っ赤だったりして、ひと月も経たないうちに計画を断念せざるを得なくなるという大変愉快な経験ができる。

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