【ラブライブ!】ことり「恋宮殿に誘われ」海未「乙姫心で抱き締めて」 (526)

 海に面したこの地域には、ずっと昔からこんな言い伝えがあるんよ。


『海底の宮殿では 人間が訪れるのを 乙姫姉妹が待っている』


 海の底には陸じゃ見られないくらい豪華な宮殿があって、訪れた人間は美しい乙姫たちから盛大にもてなされる……っていう言い伝えなん。
 慎ましい暮らしをしてた人間たちには魅力的な話に聞こえたんやろね。
 言い伝えを聞いた人はみーんな宮殿を目指して、次々と海に潜って行ったんよ。
 噂に縋り海の楽園を求めて、あるいは半信半疑のまま興味本位で。


 海深くまで潜った人たちは、一人も地上に戻らなかったにゃ。
 みんな海を怖がるようになって、言い伝えは乙姫の呪いだから宮殿目当てに潜ったら駄目、って言われるようになったの。
 だけど時間が経つうちに、言い伝えに色んな逸話が混じって、ただの御伽噺みたいになっちゃった。
 御伽噺じゃみんな怖がらないでしょ?
 戒めの効力が弱くなって、人間たちはまた海に潜って……誰も陸上には帰らなかった。


 そして今宵もまた一人、海底の宮殿に、地上からの来訪者が―――


「ウチらの乙姫心《オトヒメハート》で!」

「恋宮殿《ラブキュウデン》の虜にしちゃうよっ!」

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※事情により投稿を中途断念した物の新規スレ
 全文書き溜め済みなので問題ない限り完結させます

―――――
―――



 高い天井も、壁際に並ぶ調度品の数々も、足に触れるタイルの冷たさも。
 どれも知らないものばかりだった。

 気が付けば、広い空間に一人、床に寝転がってる。


ことり「…………あれ?」


 お屋敷みたいな豪奢な作りの玄関ホールでは、煌びやかな照明が華やかな調度品の数々に反射して、辺り一面を明るく照らしてる。
 飾りがいくら賑やかしくても、私一人ポツンと取り残されるとどこか薄ら寒い。


ことり(え? なに? ここ、どこ?)


 今に至るまでの経緯や記憶が無い。
 この場所の見覚えも心当たりも無い。

 これが一体何なのか、まるでわからなかった。

 しばらくの間、周囲を見渡しながら呆然とするしかない。
 お屋敷の内装を眺めていると、私の呼吸以外物音一つ無かった静寂が、遠くから聞こえる物音で破られた。


ことり(……何か来る)


 玄関ホールからいくつも伸びている、お屋敷の奥へと続く通路。
 その全方角から、私のいる場所に向かって何人もの足音が聞こえてきた。


ことり(だ、れ……)


 近付いてくる足音を耳にした途端、体が震えてきた。

 広い空間に独りぼっちなのも怖かったけど。
 正体のわからない場所で、正体のわからない相手が大勢向かってくる恐怖は、それ以上だった。

―――


凛「あー満足満足ー」

希「今日も選り取り見取りやったわー」

海未「そのような物言い、はしたないですよ!」

凛「だってお食事美味しかったんだもーん」

海未「そうは言っても二人の場合、食事というのは、その……」

希「んんー? なんなん、海未ちゃん言うてみ?」

海未「……は、破廉恥です!」

凛「なにが破廉恥なのか凛わかんないなー」

希「ウチらにとっては正しい栄養補給なのにねえ?」

海未「わかっていますけど……」


チリンチリーン


希「ん? ベル? 何の知らせかな?」

「お客様御来訪です!」

凛「お客様っ!? 人間かな人間かなっ!?」

希「はーい一名様ご案内でーす! 乙姫三姉妹が気合い入れてもてなすでえ!」

海未「あっ! 二人とも待ってください!」

「人間が来ましたよ!」「宮殿に来ましたよ!」

「歓迎よ!」「宴の準備よ!」「大宴会よ!」

ことり「……………………あの…………なに……?」

「おもてなしします!」「腕の見せ所!」

ことり「なんなのこの人たち……怖いよぅ……」

凛「いらっしゃいませー!」

希「龍宮城へようこそ!」

ことり「ふぇっ!? りゅっ……えぇ……?」

凛「ああーっ! 女の子にゃあああああああ!」

希「ホンマや! 珍しい!」

凛「ますますテンション上がるにゃー!」

希「いつも以上に盛大に行くでえ!」

ことり「な、なんなんですかぁ…………ぐす…………」

海未「みんな、落ち着いてください」

凛「海未ちゃん遅いよー! ほら見て! やってきたの女の子だった!」

海未「おや。それはまた……」

希「珍しいやろー!? 涎垂れてまうやろー!?」

海未「……ですが、大勢で騒ぐから混乱しているようではありませんか」

ことり「うぅ…………助けてぇ…………」

海未「あの、大丈夫ですか?」

ことり「ふぇ……」

海未「大人数で迫って失礼致しました。突然のことで不安にさせてしまいましたよね」

ことり「…………あの……私……」

海未「ここは海底にある龍宮城という宮殿で、私たちは龍宮城に住まう海の者です」

ことり「りゅうぐうじょう…………龍宮城? 御伽噺の? ホントに?」

海未「あなたは陸上から海に入り、海の者がここまで連れてきたのでしょう」

ことり「……私……そういえば、海の中に入ったような……」

海未「ええ。海深くまで入った人間のうち、龍宮城まで案内される者がいるのです」

海未「人間の来訪客は、私たち乙姫を始めとした海の者達で盛大に歓迎することになっています」

ことり「乙姫、さん?」

海未「さあ、宴会の間へ参りましょう」

海未「お腹も満たされれば、あなたの陥った状況も多少は落ち着いて受け入れられますよ」

―――


「いいぞー!」「もっとやれー!」「次だれー!?」

凛「はいはーい! 乙姫三姉妹三女、凛! 芸やります!」

「よっ!」「凛ちゃん!」「待ってました!」

凛「ラーメン十人前一気食いいきまーす!」

凛「ふぅ…………せーのっ、ずぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ」

「出たー!」「凛ちゃんの無限ずるずる!」「あれは誰にも真似できない……」

凛「ん~~~…………ぷはぁっ! 終わりっ! ごちそうさまっ!」

希「凛ちゃんええよー!」

凛「あ、気持ち悪くなってきた……トイレトイレー! うぷっ」

希「そら小さな体であんな一気に口にしたらねえ……」

「凛さん大丈夫かな……」「気分悪そうにしてたし……」

希「場が白ける前に……次、乙姫三姉妹長女のウチの番! 希、脱ぎまーす!」

「あー駄目!」「みんな止めて!」「希さんお酒入ってたの!?」「誰か控えさせてよ!」

希「ああ~ん止めへんでよいけずぅ、ウチのセクシーなダイナマイトでメロメロにしてあげようとしたのにぃ」



ことり「……………………にぎやか…………」

「はぁいお嬢ちゃん」

ことり「ひゃいっ!?」

「食べてる? 飲んでる? 楽しんでる?」

「私たちと一緒に楽しいことしない?」

ことり「えぇと……そのぅ……」

海未「ほら、彼女が怖がってるではありませんか。それに私たちを介さず手を出そうとしてはいけません」

「はーい」

「すみませーん」

海未「少し目を離すとこれなんですから……失礼しました、大丈夫でしたか?」

ことり「あっ……はい……」

海未「招かれて早々大宴会を開かれては、流石に唖然としてしまいますよね」

ことり「……なんか、とっても広い部屋だし、ビックリするくらいの人数で、みんな凄く盛り上がってるから……」

海未「これも一応あなたへの配慮なんです」

海未「見ず知らずの場に連れてきてしまいましたが、ここは怖い場所ではない、楽しめる場なのだ、と思っていただけるように」

海未「まあ、この暴れようを見てしまっては逆効果かもしれませんが……」

ことり「あはは……で、でも、確かに少しだけ緊張しなくなりました」

海未「そうですか。何よりです」

ことり「ご飯も美味しくて、食べすぎちゃって苦しいくらい」

海未「よろしければ少し外を案内しましょう。ここよりは落ち着けるはずです」

ことり「えっと……じゃあ、行こうかな」

ことり「わぁ…………!」

海未「海底の世界は珍しいですか?」

ことり「本当に海の底にある宮殿なんだ……!」

ことり「なんでだろう、海中なのに宮殿の周りだけ空気があって……海の底でも遠くまでよく見える」

海未「不思議でしょう。龍宮城の成せる業、ということです」

ことり「本当に龍宮城に来ちゃったんだ……」

海未「突然連れられ、突然の大宴会と、振り回されっぱなしで混乱しているでしょう。改めて現状について説明しますよ」

ことり「お願いします」

海未「まず始めに、私は海未と申します」

ことり「ウミ?」

海未「あなたたち人間にも馴染み深い『海』の字の入った名を持ちます」

海未「そして私は、この龍宮城の主、乙姫三姉妹の内の一人です」

ことり(あ……)


『海底の宮殿では 人間が訪れるのを 乙姫姉妹が待っている』


ことり(陸に伝わる御伽噺に出てくる乙姫さん……この人がそうなんだ)

この地に関しては相応の知識を持っているようですが?

 ――言い伝え程度には……。

おそらくはあなたの知る伝承の通り、ここは海の者たちの住処、龍宮城です。
陸上で人間が生活するように、私たち乙姫を始めとする海に生きる者たちが集い暮らしている宮殿になります。

 ――でも私、亀さんを助けたわけじゃないんですけど。

亀さんを助けた?

 ――私の知ってる龍宮城のお話だと、陸で虐められてる亀さんを助けたお礼として、龍宮城に連れてきてもらうから……。

亀、というのはあながち間違っていませんが、また妙な逸話が挿入されていますね……。

 ――違うんですか?

陸の伝承と実態は多少異なります。
龍宮城には基本的に、入水した人間のうち、選ばれた者が招かれます。

 ――……入水?

 ――あれ、私、入水……自殺、したの……?

記憶が混乱しているようですね。
ここに来る人間は大抵、直前の記憶を失っています。
ですがご安心を。
入水と言っても、ここでいう入水は一概に海に飛び込む自殺とは限りません。

 ――……違うの?

人間たちの中には共通した意図を持って海に潜る者がいます。
龍宮城を強く求め海に踏み入る者もいれば、陸での生活に辟易して海へ逃避する者。
即ち、陸での生活に別れを告げる覚悟で海に身を任せることを、総じて入水と言っています。

 ――そう、なんだ。

私たちは、救いを求めて海に潜る人間をこの場に連れてきています。
ここにやってくる沢山の人間同様、あなたも心のどこかで陸との離別を意識していた、ということなのでしょう。

 ――……私の住んでいた場所は、海に面した集落でした。
 ――平和だけが取り柄のような地域だったから、退屈な日常に飽きて、言い伝えに憧れる人は多かったんです。
 ――……でも、私もそうだったの……?

あなた自身の事情はわかりませんが、この地に導かれる者は、必ずこの地に求めている何かがあります。
あなたもまた思いは同じはず。
私たちはその要求に応える為、宮殿に訪れた人間をもてなすのです。

ことり「…………私、龍宮城に来たい、陸から逃げたいって思って、海に入ったんだ」

ことり「だけど本当にそうだったのか、全然思い出せない……」

海未「記憶はじきに戻ります」

海未「海に潜った理由は気になるでしょうが、落ち着かなければ何も思い出せません」

海未「今は私たちと共に、この場の極楽に身を委ねてみては?」

ことり「はい……」

海未「あなたの不安は十分理解できます」

海未「そうした不安を解消し、龍宮城に親しんでもらえるために、私たち乙姫があなたに奉仕させていただきます」

海未「なのでどうか心配せずに、海底の楽園を満喫してください」

ことり「……」

海未「……今日はお疲れでしょう。細かなことは明日に回して、今夜は寝所に案内します」

海未「こちらの部屋で休んでください」

ことり「こんな豪華な部屋……大きなベッド……」

海未「あなたは大切なお客様ですから、専用の離れを用意させていただきました」

海未「それではまた明日。機会があればまた私が案内します」

海未「ただし、一つだけ忠告を」

ことり「忠告?」

海未「夜中に誰か尋ねてきても、部屋の障子を開き、室内に迎え入れてはなりません。絶対にです。これだけは厳守してください」

ことり「え……? ……はい」

海未「では私はこれで」

ことり「あ、あのっ」

海未「なにか?」

ことり「えっと、確か……海未さん……?」

海未「はい、海未であっていますよ。そう構えることなく、どうぞ気軽に呼んでください」

ことり「……じゃあ…………海未、ちゃん」

海未「……よろしければ、あなたの名を教えていただいても?」

ことり「あっ、ごめんなさい。私、ことり、です」

海未「ふふっ……あなたはどこか他の人間と違いますね」

ことり「そうなんですか?」

海未「これまで龍宮城に訪れた人間は皆、連れてこられたと同時に喜びを露わにしていました」

海未「求めていたものが目の前にある、極楽を味わうことができると、海底の楽園を素直に受け入れるのが常でした」

海未「ですが、あなたはまるでこの場に馴染まず、怯えているように見えます」

ことり「そう、かな……」

海未「安心して下さい。何かあればいつでも私を呼んで下さい、すぐに駆けつけますから」

ことり「……うん……ありがとうございます……海未、さ……ちゃん」

海未「……おやすみなさい、ことり」

―――


ことり(……………………)

ことり(龍、宮、城)

ことり(御伽噺の中の存在だと思ってたのに、本当にあった。凄いところに来ちゃった……)

ことり(私、どうしてここに来たんだろ?)

ことり(わからない……思い出せない)

ことり(陸に帰れるのかな? ここ、安全なのかな?)

ことり(何かあったらどうしよう……)


海未『安心して下さい。何かあればいつでも私を呼んで下さい、すぐに駆けつけますから』


ことり(…………)

ことり(海未さん…………海未ちゃん)

ことり(呼び捨ては苦手だけど、だからって私、いきなり海未ちゃんだなんて……)

ことり(…………海未……ちゃん……)



ことり「すぅ…………すぅ…………」

―――


希「あの子はどうしたん?」

海未「もう休みましたよ。疲れていたのでしょう」

凛「ひっっっっっさしぶりのお客様、テンション上がるにゃー!」

希「早くもウズウズしてきたわあ!」

海未「先走ってはいけません。事を運ぶ前に、我々の事情、龍宮城の極楽を受け入れてもらうのが先ですから」

海未「機が熟すまで、勝手に良からぬことをしてはなりません。いいですね?」

凛「あんなに可愛い子なのに我慢できないよー!」

希「別に良からぬことでもないんやし、ちょっとくらいええやん? つまみ食いみたいな」

海未「駄目です! 希のその言い方もやめてくださいっ、は、破廉恥です!」

凛「ぶー! 海未ちゃんのケチー! カマトトー!」

希「そういう海未ちゃんが我慢できなかったりしてねー」

海未「そのようなことはっ……まったくもう。とにかく我慢してください、いいですね!?」

凛「仕方ないなー」

希「しばらくはちゃぁんとお役目してあげよかー」

―――


ことり「…………ん」



ことり(外が明るい……朝、かな……)

ことり(海の底なのに、障子の向こうが太陽が出てるみたいに明るくなってる)

ことり(どうしよう、勝手に外に出ていいのかなぁ)

ことり(夜に誰か来ても障子を開けちゃ駄目って言ってたけど、もう朝だし平気かな?)

ことり(昨日、ちょっとだけ見た外の景色が綺麗だったから、また見てみたい)

ことり(あと……おトイレ、行きたい)

ことり(……少しくらい出歩いても、怒られないよね?)

ことり「うわぁ……!」


 昨日の夜、渡り廊下や縁側沿いに外の景色を紹介してもらった時も素敵だったけど。
 朝の光に照らされた龍宮城の眺めは、壮観の一言だった。

 寝室の障子をひとたび開ければ、目の前いっぱいに広がる海色。
 海底なのに、まるで太陽が昇っているみたいに辺りは明るくて、空のように広がる海水が光を反射してキラキラ輝いてる。
 澄んだ青がどこまでも続いて、果てのない海の世界の広大さを一目で感じられた。


ことり(広い……海も、宮殿も)

ことり(陸の広さとはちょっと違う……どこまでも制限無く続いてるような……)


 龍宮城の周囲には、敷地を囲むように白塗りの塀が巡っていた。
 塀に沿う形で、赤い珊瑚が高級な飾りみたいにいくつも並んでいて、とてもお洒落。

 敷地内のお庭には砂利が敷き詰められていて、その一つ一つが光を放つくらいに磨かれている。
 足元に宝石が散らばってるみたいで、綺麗だった。

 お庭から建物内に目を移してみると、障子で閉じられた部屋が無数に並んでいた。
 たまに障子が開いている部屋もあって、室内の様子を見ることができる。
 琴や琵琶や笛といった楽器が並ぶ部屋に、多種多様なお花が活けられている部屋、着物と布が沢山掛けられている部屋。
 どれも地上では見たことないくらいに綺麗なものばかりで、全部に目移りしちゃう。


ことり(染み一つ無い壁紙、しっとりした床の材質、柱一本から感じる重厚感)

ことり(本当に立派な宮殿なんだ……)


 昨日は突然の出来事に驚くばかりで、その後も住人たちに振り回されてばかりだったけど。
 一日経ち、少し落ち着いたことで周囲に目を向ける余裕ができて、本当に凄い所に迷い込んじゃったんだって、ようやく実感できた。


ことり(敷地内には空気があって、当たり前のように息、できるんだね)

ことり(普通に呼吸ができるし、陸と同じように足を床に付けて歩ける)

ことり(だけどあっちの方……塀の向こう側からは海水が満ちてるみたい)

ことり(沢山の生き物が当たり前のように泳いでる……不思議だなぁ……)

 高くまで広がる海の世界を、宮殿の住人と思われるヒトたちが空を舞うように泳いでいた。
 よく見ると上半身がヒトで下半身がお魚の格好をした人魚さんもいる。
 そういえば、昨日龍宮城でもてなしてくれた住人たちの中に、人魚さんもいたような気が……。


ことり(人魚も言い伝えじゃなくて、本物がいたんだね)

ことり(乙姫さんに、人魚さんに、龍宮城……ここには海の不思議が全部あるみたい)


 景観だけじゃなくて、龍宮城に住まう海のヒトたちもみんな綺麗。
 見た目はほとんど人間と同じだけど、私たち陸の人間とは違うってすぐにわかる。
 やっぱり別の生き物なんだ。

 異種族である海の住人たちの中でも特に綺麗だったのが、三人の乙姫さん。
 確か、この龍宮城の主だって言っていた。

 一人はやんちゃで元気いっぱい、ショートカットが似合う、少女みたいな風貌の乙姫。
 一人は言葉遣いがちょっと面白い、包容力があってノリが良いお姉さんみたいな乙姫。
 そしてもう一人。


ことり(……海未、ちゃん)


 落ち着いていて、頼りがいがあって、優しい乙姫さん。
 突然こんな場所にやってきた見ず知らずの私を、大切なもののように扱ってくれた。


ことり(また、会えるかな……会いたいな……)

―――


希「ふぃー」

希(朝の海水浴はやっぱりええね、スピリチュアルパワーが溜まるわあ)

希(動いたらお腹空いてきちゃった。台所に行ってちょっと早いご飯にしてもらおっと)

希(……お? あれってもしかして)

ことり「うぅ…………ぐすん」

希「ええと、確かことりちゃんやっけ?」

ことり「ふぁぁっ!? ああ、よかったぁ……!」

希「こんなところでしゃがみ込んでどないしたん?」

ことり「この宮殿広くて……迷っちゃいましたぁ」

希「あー、昨日来たばっかりなのに一人で出歩いたら迷うよねぇ」

希「ええよ、ウチが案内したる。早めのご飯にしようと思っとったんやけど一緒にどう?」

ことり「あの…………おトイレどこですかぁ?」

希「……だからしゃがみ込んでたん?」

希「ええよ、すぐそこだから案内するよ。限界近いかもしれへんけど、もう少し我慢できる?」

ことり「頑張ります……」

凛「みんなおはよっ!」

希「凛ちゃんおはよー、朝から元気やね」

凛「朝から遠泳したら元気になっちゃった! お腹ぺこぺこ! 凛にもご飯ちょうだーい!」

ことり「……」

凛「あれっ? 希ちゃんなんでこの子と一緒にご飯食べてるの!?」

希「朝偶然会ったんよ」

凛「ずーるーいー! 凛だって仲良くなりたかったのに!」

希「じゃあ凛ちゃんも一緒に食べよ」

凛「うんっ! えへへー、もう片方の隣もーらいっ!」

ことり「あっ……お、おはよう、ございます……」

凛「おはよっ! ことりちゃんだよね! 昨日よりは落ち着いた?」

ことり「えっと、うん……少し」

凛「よかったー。早く龍宮城に慣れて欲しいもんね」

希「じきに慣れるやろうし、ゆっくりでええんよ」

凛「それもそっか。あ、ご飯きたきた! いっただっきまーす!」

凛「もぅぃえあういはんぁ?」

希「いくらウチと凛ちゃんの仲でも口ん中いっぱいにしてたら何言ってるかわからへん」

凛「海未ちゃんどうしたの?」

希「海未ちゃん、朝からお仕事やて。お昼ぐらいまで篭りきりかも」

凛「ほえー、朝から大変だねー」

希「ウチらの中で一番真面目やからねえ」

ことり「海未ちゃん……」

希「あれれ? もう海未ちゃんなんて呼ぶくらい親しくなったん?」

ことり「あ、いえ、これは……」

凛「いいないいなー! 凛のこともそう言う風に呼んでっ!」

ことり「……えと……凛、ちゃん?」

凛「にゃはぁーん♡ 嬉しいにゃー」

希「ほんならウチもそうしてよ、みんな一緒がええやん」

ことり「ええと、なんだかお姉さんみたいだから、気軽に呼んでいいのかなぁって……」

希「ええーウチだけ仲間外れ? 悲しいわあ」

ことり「じゃあ……希ちゃん」

希「うふっ♪ ちょっとだけ仲良くなれた気がするね、ことりちゃん♡」

ことり「はい……良かった」

凛「お腹いっぱいになったしどうしよっか」

希「ことりちゃんに龍宮城案内する? そうすればもう迷わへんやろ」

ことり「ごめんなさい……」

希「ええって、じゃ行こっか。案内言うてもどこ連れてけばええんかな?」

凛「全部回ってみる?」

希「ことりちゃんが気になったところがあればゆっくり説明すればいいし、全部でいいかな」

凛「決定ー! じゃ、ついてきてことりちゃん!」

ことり「よろしくお願いします」

希「そう固くならずに、もっと楽にいこ」

凛「ここは海の楽園だもん、羽伸ばしてっ!」

ことり「う、うんっ」

 二人の乙姫、凛ちゃんと希ちゃんに連れられて、私は龍宮城を案内してもらった。

 宮殿はとても広くて、移動するだけでも一苦労。
 歩き回るだけで疲れたけど、宮殿の中は華やかで色鮮やかで、万華鏡みたいに姿を変えて私の目を楽しませてくれた。


ことり(どこに行っても活気があるなぁ)


 龍宮城の住人は大勢いて、部屋に入れば歓迎されて、廊下を擦れ違う度に挨拶をされた。
 みんな笑顔で私を迎え入れてくれて、とても優しい。
 巡っているうちに緊張も解れてきた。


ことり(陸にいた時はみんな生活するのに一生懸命って雰囲気だったけど、ここは違う)

ことり(気楽で、自由で、面白い、楽しい……そういう気持ちが伝わってくる)

ことり(それが海底の楽園での暮らし方、っていうみたいに)


 宮殿内の至る所から元気な声が聞こえる。
 明るい声色は私の心の内にも反響して、自然と胸が弾む。

 突然訪れることになった龍宮城。
 まだまだ戸惑うことも多いけど、少しずつ前向きな気持ちになっていた。

凛「でねーあっちはねー…………」

希「ここはウチのオススメがあってねー…………」

ことり(……案内されたらされただけ、本当に立派な宮殿なんだってビックリしちゃう)


 陸でお城って言うと、みんな競うように高く高く塔を建てるようにしているけど、龍宮城は違う。
 二階とか地下みたいな上下の区画は無くて、みんなが同じ高さの生活空間を共有している。
 だから敷地は横に広大で、巨大な迷路みたいだった。

 案内されても迷いそうなくらいに広い宮殿だけど、そのうち規則性も見つけることができた。


ことり「この大広間みたいな部屋、さっきもあったような……」

凛「さっきのは東の大広間だよ! ここは南の大広間! 玄関があるのも南!」

希「龍宮城は東西南北と中央で、大きく五つに別れとるんよ」

凛「東西南北の区画は真ん中に大広間があって、その周りに色んな部屋があるの」

希「芸事の部屋、勉強の部屋、来賓室に娯楽室……それからみんなの寝所とかやね」

ことり「朝少し見て回ったとき、着物やお花が沢山ある部屋を見たけど……」

凛「それが芸事の部屋の集まりだよ!」

希「芸事の部屋っていうんは、みんな好きなものを習う教室なん」

凛「芸事の部屋は芸事の部屋で固まってて、勉強用の部屋とかもそれぞれ集まってるの」

希「中央区画には一番広い大宴会場があって、昨日ことりちゃんをおもてなしした部屋のことやね」

凛「中央は大宴会場とか集合浴場とか、みんなが集まるところなんだー」

希「暇になったら中央区画に来たらええよ。誰かしらおって退屈せえへんから」

ことり「うん、そうするね」

凛「じゃあ全部見たから中央に戻ろっか!」

ことり「あれ、でも、北の区画がまだ……」

希「北は業務用の事務室や高官の寝所くらいしかあらへんから、案内しても面白くないやろねー」

凛「高官って凛たちのことだよ! 凛たち乙姫がここで一番偉いの!」

希「とはいえ宮殿のお仕事はみんなに任せっきりやけど」

凛「乙姫は仕事なんてしなくていいんだもーん。遊ぶのがお仕事だよ!」

ことり「お仕事の部屋ってことは、海未ちゃんもいるの?」

希「ん。ことりちゃん、海未ちゃんとこ行きたい?」

ことり「……うん」

希「そやねえ……北かあ……まあ、連れてってもええんやけど……」

凛「ある意味龍宮城で一番のメインが北だもんね!」

希「こら、凛ちゃん」

凛「だってそのうちことりちゃんも北に連れてくでしょ? 希ちゃんずっと我慢するの?」

希「そらそうやけど…………ま、いっか」

凛「さっ、ことりちゃん北に行こっ!」

ことり「? うん……」

ことり(メイン……我慢?)

海未「――………………――……―――――…………――――――――――――…………」



ことり(海未ちゃんだ……なんだか忙しそう……)

凛「海未ちゃんたち会議してるにゃー」

希「お邪魔するんは控えた方がええかな」

ことり(その方がいいのかも。凄い真剣にお話してる)

ことり(昨日、私を案内してくれた時の優しい顔とは違う、別人みたいな表情)

ことり(あんなに凛々しい人だったんだ……)

凛「また海未ちゃんとも話せるから、今は凛たちと遊ぼっ!」

ことり「うん……」

ことり(ちょっと残念だけど……仕方ないよね)

ことり「…………あれ?」


 海未ちゃんがお仕事している部屋を離れて、北区画を移動している時。
 これまで案内された龍宮城の煌びやかな雰囲気とは違う……どこか昏い、異質な気配を、とある場所から感じた。


凛「どうしたの?」

ことり「なんだかあそこだけ、お部屋の扉が頑丈だから……」

凛「どこ? あ。あー……」

希「あそこはねー…………うん、ことりちゃん、今はまだええよ」

凛「ことりちゃん興味ある? 一緒に入っちゃう!?」

ことり「え? え……っと……」

希「こーら、連れてくにはまだ早いやん」

凛「いいじゃん行こうよ! ことりちゃん気になるんでしょ? 案内するからさ!」

希「んー…………ことりちゃんが良いっていうなら、ウチかて案内することに何ら不満はないけどね?」

凛「ね、ほらほら行こ!」

希「じゃあ……ことりちゃん、行ってみる? 行きたい? 行こっか?」

ことり(どうしよう……)


 娯楽や勉学の色が強い他の区画と少し違って、仕事場が中心の北区画。
 それでも一見する限り、他の区画と同じように障子部屋が並んでいるだけで、見た目は大差なかった。

 だけど、あそこだけは明らかに違う。

 北区画の奥まったところ。
 威圧的なくらいに大きくて真っ黒な鉄の扉で、頑丈に閉じられた部屋があった。
 余りに強固な扉の造りが、まるで何かを封じているみたい……。


ことり(他の場所と違って、特別な雰囲気)

ことり(あそこが、北区画が龍宮城の中心って話してた理由……なのかなぁ)


 興味は、あった。

 見ず知らずの龍宮城だけど、どこも綺麗で華やかで楽しげで、居るだけで心躍る。
 きっとどこに行っても楽しむことができる、そんな予感だけでも楽しい。
 接してくれる海のヒトたちもみんな親切にしてくれて、歓迎されてることが伝わってくる。
 希ちゃんや凛ちゃん、そして海未ちゃんたち乙姫さんも、とても親切にしてくれる。

 ただ。

凛「……………………」

希「……………………」


 私が、黒い鉄の扉の部屋に関心を見せた瞬間。
 凛ちゃんと希ちゃんの、私を見る目が、妖しく光ったように見えた。
 間違いじゃないって確信できるくらいに、はっきりと。

 今もまた、私のことをじっと見つめたまま、何かを求めるように……。


凛「……………………」

希「……………………」

ことり「………………また……今度で、いいかな、なんて……あはは……」


 様子が豹変した二人の乙姫に、乾いた笑いと共に断りを入れた。

 二人はにこやかな笑顔で……だけどちっとも笑っていない目をしていて、私のことをじっと眺めてたけれど……。
 やがて、今まで通りの陽気な態度に戻ってくれた。


凛「そっか! やっぱりまだ早いもんねー」

希「ま、そのうちね」

凛「じゃあ中央区画行って遊ぼっ! 中央にはもっと色々あるんだよ」

希「ことりちゃんも絶対気にいると思うわあ」

ことり「う、ん……」

 二人に連れられて、黒い鉄の扉から離れていく。



 あれは何の部屋なのかな。
 昏い異質感は気のせいなのかな。
 二人の態度が変わったように見えたのは勘違いなのかな。

 色々気になることはあったけど、せっかく楽しめるようになってきた龍宮城を疑いたくなくて……。

 私は、深く考えるのをやめた。

―――


ことり「ふぅっ……」

ことり(疲れちゃった……でもすっごく楽しかった)

ことり(今日は一日中凛ちゃんと希ちゃんに遊んでもらっちゃったなぁ)

ことり(二人とも可愛くて面白くて、本当に素敵な乙姫さん)

ことり(他の宮殿のみんなも親切だし、ご飯はとっても美味しいし)

ことり(龍宮城、見ず知らずの場所で最初は怖かったけど、いいところかも)

ことり(あとは……結局今日は話せなかったけど)

ことり(海未ちゃんと、また、お話したいなぁ)

ことり(…………? 今、部屋の外で……)

ことり「誰か、いるの?」

海未「ことり。起きていますか?」

ことり「海未ちゃんっ!?」

海未「ああ、まだ起きていましたか」

ことり「う、うんっ! 今障子開けるから入って!」

海未「いけませんっ!」

ことり「えっ」

海未「……昨夜、私が言ったことを覚えていますか?」

ことり「…………あっ。確か、夜に誰か訪ねてきても障子は開けちゃいけないって……」

海未「私はそのようなつもりはないので平気ですが……しかし誰に対しても、夜に障子は開けぬよう注意してください」

ことり「どうして……」

海未「今はそれだけ覚えておいてください。障子越しであれば普通に接しても問題ないのです」

海未「ですが何も知らないうちに、例え私相手であっても、夜中に障子を開けてはいけません」

海未「約束してくれますね?」

ことり「……わかり、ました」

海未「今日は凛と希に相手をしてもらったそうですね」

ことり「うん。龍宮城、色々なものがあって、全部綺麗で、楽しいところだね」

海未「お気に召したようならば何よりです」

海未「ことりが希望するようでしたら、何か芸事でも習ってみますか?」

ことり「え、いいの?」

海未「何か気にいったものがあれば、の話ですが」

ことり「……私、機織りが好きで、地上でもよくお着物を作って売っていたの」

海未「なるほど。龍宮城では着物の作成を行っていますから、そちらに参加してみますか?」

ことり「私、陸からきた部外者だけど、いいの?」

海未「構いません。来訪した人間方にもよく芸事や勉学に励んでもらっています」

海未「ことりが参加できるよう手筈は整えておきますので、気分が向いた際にでも機織り部屋を覗いてみてください」

海未「機織りの教室がどこにあるかわかりますか?」

ことり「今日一日龍宮城を案内してもらったから、少しは宮殿の様子とかわかったと思う」

海未「ならば結構です。芸事を始めた際には、教室の指導役の指示には従うようお願いします」

ことり「うん、そうするね」

ことり「……そうだ」

ことり「あのね、今日北区画も案内してもらったんだけど」

海未「北……あちらには特に面白いものはありませんし、退屈だったでしょう」

ことり「そんなことはないよ。それで、あの……」

ことり(黒い、鉄の扉の部屋が…………)

海未「……どうしました?」

ことり「…………ううん、それだけ。海未ちゃん、北区画でお仕事してたんだよね。お疲れ様です」

海未「私の役目ですから」

海未「……そろそろ戻ります。夜分遅くに失礼しました。また後日に」

ことり「あっ、海未ちゃん」

海未「なんでしょう」

ことり「明日ってお仕事……………………なんでも、ないです」

ことり「わざわざ来てくれてありがとう。おやすみ」

海未「……ゆっくり休んでください。それでは」

ことり「…………はぁ」

ことり(横になっても眠れないや)

ことり(せっかく海未ちゃんから来てくれたのに、明日のこと聞けなかったなぁ)

ことり(明日も忙しいのかな……今日の海未ちゃん、凄く忙しそうだった)

ことり(そもそも海未ちゃんたちってここじゃ一番偉い乙姫さんなんだよね)

ことり(偉い人に毎日構って貰うつもりじゃ、いけないよね)

ことり(明日から機織りのお稽古とか始めて、そっちで頑張ろう!)



ことり(…………うん?)

ことり(今、また……誰かきた?)

凛「……ことりちゃん。寝ちゃった?」

ことり「あっ……起きてるよ、凛ちゃん。今障子の方行くね」

ことり(海未ちゃんの次は凛ちゃんも来てくれた……)

ことり(ふふっ、みんな優しいなぁ)

凛「今日はことりちゃんと遊べて楽しかったにゃー」

ことり「うん、私もだよ。遊んでくれてありがとう」

凛「凛ね、ことりちゃんのこと、もーっと好きになっちゃった!」

ことり「好、き? なんだか照れちゃうね……」

凛「うんっ! 可愛いし優しいし、反応がおっきくて面白いし、だーいすきっ!」

凛「もっともっとことりちゃんと仲良くなりたい!」

ことり「私も、凛ちゃんともっと仲良くしたいなぁ」

凛「本当?」

凛「じゃあ、仲良くなる?」

ことり「うん?」

凛「凛ね、ことりちゃんと、もっと、もーーーっと、仲良くなりたいの」

凛「だから……ここ、障子、開けてもらってもいい?」

ことり「え?」

凛「…………」

ことり「……凛、ちゃん?」

凛「……ことりちゃん。障子、開けてもらうの、駄目?」

ことり「えっと……」

ことり(どうしよう……海未ちゃんは夜に誰がきても開けちゃ駄目だって……)

ことり(でも……凛ちゃんなら平気なのかな)

凛「ことりちゃん。凛と仲良くなれる、一番のこと、しよ?」

ことり「一番のこと?」

凛「誰かと仲良くなれる一番の方法だよ」

凛「仲良くなる為に、北にあった黒い鉄の扉の部屋に連れてってあげる」

ことり「え」

ことり(あそこに…………北区画の不思議な場所で、なにかをするの?)

ことり(なにを? 凛ちゃんと、私で?)

凛「ねえ、ことりちゃん。駄目?」

凛「障子、開けてもらえないの?」

ことり(どうしたらいいんだろ……凛ちゃんは乙姫で、一番偉い人の言うことだし……どうしたら……)

ことり(凛ちゃん、今日一日親切にしてくれたし、平気かな)

ことり(少しくらい障子開けても……)



  『いけませんっ!』



ことり「……………………」

ことり「…………きょっ……今日は、やめておく……ね……」

凛「……………………そっかぁ」

凛「わかった! じゃあまた色んなことして遊ぼうね!」

ことり「う、ん」

凛「今日は楽しかったよ! 夜も凛とお話してくれてありがとう!」

凛「おやすみことりちゃん!」

ことり「あ……おやすみなさい」

ことり(…………行っちゃった)

ことり(これで、よかったんだよね。海未ちゃんにだって開けなかったんだもん)

ことり(…………)

ことり(私……どうしてこんなに海未ちゃんのこと信頼できるのかな)

ことり(他の海のヒトたちと同じで、まだ会って二日なのに)

ことり(そう……私、まだここにきて二日して経ってない)

ことり(なのにもう、龍宮城で過ごすことが自然に感じてきてる)

ことり(今まで陸の上で生活してきたのに……どうして……)

ことり(……龍宮城には、陸からの離別を心に決めた人間が訪れる、だよね)

ことり(私はどうしてここに来たんだろ? どうして陸を離れようとしたんだろ?)

ことり(まだ、思い出せない……)

―――


「今週はこちらの生地を使用して、皆さんにはお着物を作ってもらいます」

ことり「はい!」


 先生の指示を受け、教室の生徒さんたちと一緒に返事をして、織物の作成に取り掛かる。
 ここ数週間ですっかり慣れた一連の流れ。

 私は龍宮城の織物教室で稽古を受けるようになっていた。


ことり「ここの生地って本当に綺麗……」

「海の布が気に入りましたか?」

ことり「あ、先生。こんなに綺麗なものを使って服を作れるなんて嬉しいです!」

「元々地上でも機織りを行っていたそうですが、ことりさんは筋がいいですね」

ことり「そんな……ありがとうございます」

「今週から取り掛かるお着物作りでも、素晴らしいものを作り上げてくれることを期待していますよ」

ことり「はいっ、頑張ります!」


 芸事を習う為に自分の席を用意して貰えると、自然と帰属意識が生まれる。
 お客として招かれた龍宮城だけど、少しずつ、ここにいていいんだって思えるようになってきた。

凛「失礼しまーす」

ことり「あ、凛ちゃん」

凛「ことりちゃん久しぶり!」


 いつ見ても元気そうな様子の凛ちゃんは、一緒にいるだけでこっちまで元気になる。
 機織りの手を止めて、教室にやってきた凛ちゃんに手を振った。

 龍宮城に来た当初はよく世話をしてくれた乙姫の三人。
 けれどやっぱりここの主らしく、なんだかんだで忙しいのか、常に一緒っていうわけじゃなくなっていた。
 それでも一日に一回くらいは顔を合わせるし、一緒にご飯を食べたり入浴したりすることも多い。

 特に、海未ちゃんは毎日って言えるくらいの頻度で、夜になると私の部屋を訪れてくれていた。

ことり(夜……)


 夜に凛ちゃんが部屋の外までやってきて、障子を開けてと請われた日のことを、今でも時折思い出す。


ことり(あれ以降凛ちゃんが夜に来たこともないし、あの夜の話に触れることもない)

ことり(凛ちゃんの態度が変わったわけでもないから、特に意識するようなことじゃないのかもしれないけど……)


海未『夜に障子を開けてはいけません。約束してくれますね?』

凛『ことりちゃん、障子、開けてくれる?』


ことり(海未ちゃんに強く注意されていたことを、凛ちゃんにお願いされた)

ことり(二人から食い違うことを言われたことが、ついつい気になっちゃう……)

「凛さん、今は手習いの時間ですから、あまり生徒さんの手を止めないであげてくださいね」

凛「わかった!」

ことり「凛ちゃん最近忙しかったの?」

凛「そんなことないよ! 凛がやらないといけないことなんて何もないもん」

ことり「そうなんだ」

凛「最近ちょっと遊びすぎちゃって、それでことりちゃんとあまり会えなかったのかも」

凛「でももうそんなことはないよ! 昨日で残りが切れちゃったから!」

ことり「残り?」

凛「凛の遊びの! ね、ことりちゃん今日一緒にご飯食べようよ」

ことり「あ、うん、いいよ」

凛「じゃあお昼に大宴会場の真ん中来て! 海未ちゃんと希ちゃんも呼ぶから!」

ことり「わかった、楽しみにしてるね!」 

凛「ああーご飯のこと考えてたらお腹空いてきちゃったー。台所でつまみ食いしよっかなー」

「こらっ凛さん!」

凛「ひゃー怒られたにゃー! 逃げよーっと」

ことり「あっ……行っちゃった。ふふ、いつも元気だなぁ」

―――


ことり(えっと……みんなどこだろ……)

凛「ことりちゃんこっちー!」

ことり「凛ちゃん! お待たせぇ」

希「宴会場の中でまた迷っちゃった?」

ことり「流石に部屋の中で迷いませんっ」

海未「ですが食事時の大宴会場はいつもこの人だかりです。目的地へ移動するのも一苦労でしょう」

希「ウン十メートル四方の部屋にウン百人が集まるからねえ」

ことり「本当、ただのお昼なのに、大騒ぎしてて楽しそう……」

凛「みんな楽しいことが大好きだからなんでも楽しんじゃうんだよねー」

希「ここの文化みたいなもんかな。ことりちゃんもご飯食べるときは楽しもっ」

海未「食事中は静かにすべきだと常々思うのですが……」

希「まぁたそんな人間みたいなこと言うて。ほらことりちゃん、いつまでも立ってないで座って」

ことり「じゃあ、お邪魔しまぁす」

ことり「ちょっと聞きたかったんだけど」

海未「なんでしょう」

ことり「三人は乙姫さんで、龍宮城で一番偉いんだよね?」

凛「そうだよ! 凛たち乙姫三姉妹が一番!」

ことり「そんな偉いみんなが、いつも私なんかに構ってくれていいのかなぁって……」

希「それがウチら唯一の仕事みたいなもんやから」

凛「龍宮城を訪れた人間のおもてなしがお役目だよ!」

希「お客様が沢山来て忙しい時は忙しいけど、そうじゃない時は暇だしね」

ことり「そうなんだ。こんなに立派なお城の、こんなに大勢の中の一番偉いヒトだから、悪い気がしてて……」

海未「私たちがいなくても宮殿が立ち回るよう指導は徹底していますから。ことりは気にしないでいいんですよ」

希「海未ちゃんの指導はスパルタやからなー」

凛「厳しすぎるにゃ」

海未「厳しくしなければならない程の杜撰な管理がいけないのです!」

希「まあねえ。海未ちゃんいない時のここってかなり自由やったから」

凛「鬼教官のお陰だねー」

海未「誰が鬼教官ですかっ!」

ことり「はは……」

海未「……ああ、いけません。随分と長居してしまいました」

凛「え? もう行っちゃうの? まだちょっとしか経ってないよ?」

希「ちょっとやないけど……急ぐこともないやん?」

海未「色々とやることがありますから」

凛「そんなこと言って、海未ちゃん働きすぎ!」

希「最近顔色よくないよ?」

凛「ただでさえ栄養補給しないんだから無理しちゃ駄目!」

海未「ですが……」

希「ほら、ことりちゃんも言ってあげて」

ことり「え? な、なにを?」

凛「海未ちゃん前はもう少し元気だったの。でも働きすぎて自分のこと後に回し過ぎなんだよ!」

海未「そのようなことは……」

希「ウチらが引き留めても効果ないから、ことりちゃんお願いっ!」

ことり「……よく、わからないけど……海未ちゃんが無理するのは、あまり嬉しくないかなぁ……」

凛「ほらほらー! ことりちゃんも言ってるよっ!」

希「今日はもうお休み! はい決まりーたまには飲もう! おーいこっちにお酒ちょうだーい!」

海未「……仕方がありませんね。久しぶりに付き合いましょう」

希「おっ、案外物分かりがええやん」

凛「普段お堅いのにどうしたのかにゃー? ことりちゃんのせいかにゃー?」

海未「それはそうですよ。大切な客人なのですから、言い分を蔑ろにはできません」

ことり「あの、もしかして、私が決めちゃったの……?」

希「ええんよことりちゃん、海未ちゃん休ませるべきなんはホンマやし」

海未「根を詰め過ぎていた自覚はありましたから……せっかくの機会です、今日はゆっくりします」

海未「久しぶりに夜以外の時間に、ことりと顔を合わせて話もしたいですから」

ことり「……うん、私も……!」

凛「お酒来たー!」

希「ようし飲むでえ!」

海未「程々にしてくださいよ?」

凛「そういう海未ちゃんが一番飲むくせにー」

海未「私はそんなっ…………飲むときは飲むだけです」

ことり「お酒……」

海未「ことりは口にしたことが無いですか?」

ことり「うん」

海未「よろしければご一緒しませんか? 限度を決めておけば、そう悪いものではありません」

希「むしろ楽しむための特効薬やん!」

凛「飲も飲も!」

ことり「じゃあ、ちょっとだけ……飲みたいなぁ」

―――


凛「にゃ~~~~~~にゃにゃにゃにゃ~~~にゃにゃ~~~にゃっっっ!!」

希「ハッハッハッハッ! ひぃっ、ひぃっ! なんなんその歌!」

凛「凛の即興ソングと即興ダンスだよーん! にゃにゃにゃ~!」

ことり「あっはは! はははははっ! あははっ!」

海未「ことり、大丈夫ですか?」

ことり「なぁにがぁ? 楽しいねっ海未ちゃん!」

海未「お酒を飲んで以降笑ってばかりなので……楽しいのならいいのですが」

希「んん~? なぁんなん海未ちゃん、一人だけことりちゃんの心配して点数稼ぎなぁん?」

凛「海未ちゃんも凛の歌ちゃんと聞いてよ! 楽しくなかったのっ!?」

海未「……ふふ、いえ。とても面白い歌でしたよ」

凛「ホントっ!? やったー褒められたー!」

希「ええよええよー! 盛り上がってきたよー! みんなもーっと盛り上がろー!」

海未「とはいえお酒のせいか、いつの間にか宴会場全体を巻き込んだ大宴会のようになってしまいました……」


ギャーギャー アヒャヒャヒャ


ことり「あははっ! はははははっ!」

海未「……まあ、ことりが楽しそうですし、良しとしましょう」

ことり「えぇ~どうしたのぉ? ことりのこと呼んだぁ?」

海未「いえ、気にしないでください」

ことり「やらぁ、もっとことりのこと呼んでくださいぃぃ」

海未「肌が赤くなってきていますよ。熱くないですか?」

ことり「熱い~。脱ぎたい~」

海未「それだけはいけませんっ」

ことり「どうしてぇ?」

海未「何かあったらどうするのですか?」

ことり「う~ん、じゃぁ我慢する~」

海未「そろそろお酒のペースを落としましょう。十分楽しめたでしょう?」

ことり「はぁぁい」

―――


ことり「……………………ん……」

ことり(頭……クラクラする……眠いなぁ……)

海未「……っと。これでいいでしょう」

希「いつの間にかことりちゃん潰れてたなあ」

凛「部屋まで運ぶのも一苦労にゃ」

海未「二人が調子に乗って飲ませすぎたからでしょう?」

凛「海未ちゃんだって途中からノってきて飲み比べとか舞踊とかして、ことりちゃんの管理忘れてたじゃーん」

希「せやでー海未ちゃんのせいやでー」

海未「それは……え、私だけの管理責任ですか!?」

ことり(みんなの声がする……)

ことり(優しくて、楽しい、素敵な乙姫さんの……)

希「ここで騒ぐと起きちゃうよ。はよことりちゃんの部屋から出よ」

海未「そうですね。そろそろ夜になりますし、部屋の中にいてはいけません」

凛「……ね、このまま夜までここに残って、ことりちゃんが起きて……」

希「それはあかんやろー」

海未「夜に部屋の中まで招いて貰うのなら、きちんと障子を開けて貰うところから段取りを踏み、ことりの意向を尊重しなければなりません」

凛「だよねえ……じゃあ宴会場戻って飲み直そっか!」

希「おっいいねえ、今日はとことん飲んじゃおっ!」

海未「まだ飲むのですか? ……私も行きます」

凛「よーし、今日こそ海未ちゃんに飲み負けないもん!」

ことり(…………みんな、まだ飲んで騒ぐんだ……元気だなあ……)

ことり(……今日……楽しかったなぁ……みんなとあんなに騒いで……海のヒトとも沢山お喋りして……)

ことり(海未ちゃんとも、久しぶりに、顔を見ながらお話できた……)

ことり(……………………ねむ……い…………)

―――


ことり「…………あれ?」


 気が付いたら真っ暗な部屋にいた。

 暗闇が少し怖かったけど、暗さに慣れてきた目で辺りを見渡したら、私の部屋のベッドだってわかってホッとした。
 明かりを付けようと立ち上がったら、少し頭がふらついて、体がガクンって揺れる。


ことり(なんで頭重いんだろ…………あ、お昼からずっと、お酒飲んで騒いでたんだ……)


 明かりを点けたら、暗闇に慣れきった目が光に驚いてくらっときちゃう。
 倒れそうになった体をベッドに腰掛けて落ち着かせた。


ことり(変な時間に起きちゃった)

ことり(外から誰の声も聞こえない……みんな寝ちゃうような時間なのかな)

ことり(どうしよう、頭痛いけど、部屋にいても寝れそうにないよ)

ことり(夜に一人で出歩くことって無かったけど……平気、だよね?)

ことり(それに…………おトイレ、行きたい……)

ことり「…………涼しい……」


 ポツリと投げた呟きが、どこまでも続いていそうな海の底、宵闇の向こうに吸い込まれていく。
 私の声は海の果てまで届きそうで、誰にも届きそうにない。

 部屋から出て、縁側と内廊下を通ってトイレに向かって。
 人心地付いてから、中庭と海を見渡せる渡り廊下にやってきた。


ことり(日が昇って、明るく映る龍宮城の景色は勿論綺麗だけど)

ことり(夜には夜の美しさがあって、ホント、どんな時も素敵な場所……)


 お庭の至る所に生えている珊瑚礁は、それ自体が赤い光を発していて、敷地内を華やかに彩っていた。
 珊瑚の光にぼんやりと照らされた塀の向こう、海の領域では、小さな泡が浮かんでは消えて、消えては浮かびを繰り返し。
 夜には夜の生物が目を覚ましたとでもいうように、日中見ることのない生き物がゆったりとした動きで海中を漂っている。

 色の変化、動きの変化、それぞれの流れが昼間よりも緩やか。
 時の経過そのものが遅くなってしまったみたい。

 静かに過ぎゆく時間に呑まれて、いつまでも飽きることなく眺めてしまう。
 ここは、海の底にある、御伽噺の世界だった。

「あ……」


 渡り廊下で佇んでいたら、向かいから歩いてきた龍宮の使いのヒトが小さく声を上げた。
 私の姿に反応したから、どこかでお世話になって面識があるのかもしれない。


ことり「……?」


 使いのヒトは、私の姿を認めると、渡り廊下の途中で立ち止ってしまった。
 じっ、と、こっちを見ている。


ことり(どうしたんだろう……)


 チラチラと私に目を向けながら、もじもじと手を擦り合わせたりして。
 やがて意を決したかのように、私との距離を詰めてきた。


「あの…………夜に出歩いているということは……もう、乙姫の誰かと……?」

ことり「え?」

「……? 北に出向いた帰り、というわけではないのでしょうか?」

ことり「北……?」

「……す、すみません、失礼しました!」


 私の様子から何かに気付いたみたいで、大げさに頭を下げられちゃった。
 どんな応対をすればいいのかわからなくて呆然とするしかない。
 使いの人は何度も頭を下げてから、早足に去ってしまった。

 何か、勘違いでもしていたのかな……。


ことり(北……)

ことり(乙姫の誰かと……北で? 私が何かをしていた、っていうこと?)


 どういうことなのかは少しも想像つかなかった……けど。

 北、という言葉を聞いて。
 大きくて真っ黒な鉄の扉、あの部屋の威圧感を連想した。


ことり(凛ちゃんと希ちゃんに誘われた……二人の態度がおかしくなった、あの大きな鉄の扉の部屋)

ことり(あの部屋で私は何かをする……?)

ことり(……お部屋、戻ろう……)


 ぞわりと、肌を這い上がってきた寒気に急かされるように、私は自室へと急いで戻った。
 巨大な鋼鉄の扉を脳裏に思い浮かべながら。

―――――
―――



 酔いの残るこの日の夜、私は龍宮城に来てから初めて夢を見た。
 酩酊っていう言葉の通り、お酒が生んだ幻なのかなって、後になって考える。


ことり(いつもの毎日……いつもの風景……)


 海へと続く浜辺に沿って、ポツリポツリとこじんまりとした家が並んで建っている。
 そのうちの一つが私の家。
 冬になると隙間風が寒いけど、それ以外は快適に過ごせるし、なによりも安心できる場所だった。


ことり(私の家……私が一番安心できる場所……)

ことり(なのに、どうしてこんなに、胸がざわつくんだろう)


 玄関先に出て、眼前に広がる海の広さを漠然と眺めながら、私は胸の内に巣食う不安に耐えている。

 ずっとこうして生きてきた。
 織物を作って、城下町に売りに行って、生活できるだけのお金を稼いで。
 それ以外の時間は海を眺めていた。


ことり(生まれた時から身近な存在だった海を、どうしてこんな不安な気持ちで眺めているの?)

ことり(海の向こうに何を見ているの? どうしてずっと見つめているの?)

ことり(私は一体何を……待って、いるの?)


―――
―――――


ことり「………………………………」


 目が覚めても、すぐには現実と夢の区別がつかなかった。
 体から意識だけがするりと抜け出して、海中に漂うイキモノがそうするように、ぷかぷかと中空を浮かんでいるみたい。

 次第に意識がはっきりしてきたら、言いようのない怠さに襲われた。
 重りを付けられたような体はベッドに深く沈んでいて、浮かんでいたような意識は錯覚だと思い知らされる。


ことり(……夢…………見てた…………気がする…………)


 ほとんど覚えていないけど、懐かしい景色を見た。
 海の底に沈む、どこよりも豪華で賑やかなこの宮殿とは違う。
 慎ましやかで平凡な別世界を。


ことり(それでも私は幸せだった……幸せだったはず)

ことり(夢の私は、不安、だったけど)

ことり(…………どうして?)


 脈略も何もない考えがコロコロ転がってきてはぷしゅんと消える。
 自我を保てない感覚に混乱するけど、もしかしてこれはお酒のせいなのかな。
 龍宮城に来てから溜まっていた疲れが急に出てきたのかな……。

 少しでも頭をスッキリさせたくて、部屋を出て洗面所へ向かった。
 朝の身だしなみを済ませても、まだまだ自分を取り戻せていない気分のまま、覚束ない足取りで宮殿内を散歩してみる。

 記憶を取り戻そうと昨日の出来事振り返れば、徐々に昨日の私の姿が脳裏に蘇ってきた。
 お昼に大宴会が始まって、お酒を飲んでから気分がふわふわして、とにかく楽しかった。
 そして、やたらと海未ちゃんに向かって笑っていた。


ことり(わ、私、海未ちゃんに随分失礼な態度取ってた気がする……!)

ことり(よく覚えていないけど、宴の最中、普通じゃ考えられないくらい馴れ馴れしい態度で接していたかも)

ことり(お酒は人を惑わすって聞くけど、あんなに人が変わっちゃうものなの?)

ことり(もしかしたら自分で思う以上にとんでもなく乱れていたんじゃ……)

ことり「……あ」

海未「おや」


 げんなりした気持ちのまま宮殿内をふらふらしていたら、一番会いたい、でも今だけはちょっと会いたくない人と出くわした。


ことり(海未ちゃん……!)


 記憶よりも体が昨日の醜態を思い出したのか、勝手に顔が熱くなってきた。

海未「昨日はよく眠れましたか?」

ことり「ん…………うん……ぐっすり、かな?」

海未「少々顔色が優れないように見えますが」

ことり「えっと……うーん……」


 緊張からなのか、あからさまに動揺してる姿を海未ちゃんに見られちゃう。
 恥ずかしくなって、お酒を飲んだ時みたいに頭が回らない。


海未「ふふ……ことりにお酒はまだ早かったかもしれませんね」

ことり「そ、そうかな……人によって差があるの?」

海未「耐性や限度は大きく差が出るものですから。気分が優れないようでしたら、今日はもう少し休んでいた方が良いでしょう」

ことり「そっか」


 昨日の私は失礼な態度を取っていたはずなのに、普段通り優しく接してくれるのが嬉しい。
 不自然に堅くなっていた体の緊張が取れてきて、いつもみたいに、海未ちゃんの側にいれば安心することができた。

ことり(……昨日、そういう話を聞いたからかな)


 海未ちゃんが私のことを労わってくれるのは嬉しい……けど。
 一つ、気になることがあった。


ことり「海未ちゃんの方こそ休んだりしないの?」

海未「私ですか? 私はこれでもお酒に耐性があるんです」

ことり「そうなんだ……うん、お酒のこともそうなんだけど……」

海未「?」


 改めて観察してみればなんとなくわかる。
 昨日の宴会で、凛ちゃんや希ちゃんが言っていたこと。


凛『そんなこと言って、海未ちゃん働きすぎ!』

希『最近ちょっと顔色よくないよ?』


 私もよく色白だって言われるけど、海未ちゃんはそれ以上に、血色の悪い肌の色をしていた。
 スタイルの良い姿は、言い換えれば痩せこけて見えなくもない。

 私に休息を勧める海未ちゃんこそ、疲労でやつれているようだった。

ことり(海未ちゃんは……この人はそんなに忙しくしてるのかな)


 私はまだ海未ちゃんを知らない。

 見ず知らずの地で優しくしてくれる相手だから、私は気を許している。
 けど、海未ちゃんという乙姫さんについて知っていることはほとんど無い。
 海未ちゃんが私に向ける優しさの本質だってわからない。

 私に優しくしてくれるのも、お客様に向ける決まり事の優しさかもしれないんだから……。


ことり(……違う違う! 今考えるのは別のことでしょ)


 気が緩むと自己本位な考えに傾いちゃう。
 拠り所の無い身だとつい頼れる人に縋っちゃう、それは仕方のないことかもしれないけど。
 今は自分のことじゃなくて、海未ちゃんの心配をしてるんだから。


ことり「ね、昨日希ちゃんたちが言ってたみたいに、海未ちゃんこそお休みとか、」

「あっ海未さん! ご報告が!」


 海未ちゃんの体調に触れようとした時。
 龍宮城の住人である人魚さんが大慌てでやってきて、私たちの会話を遮った。

海未「どうしました? そんなに大急ぎで」

「本日の祭典の準備が滞っています!」

海未「……滞っているとは?」

「本日お出しする予定だった食事や祭具を昨日の宴会で誤って出してしまい、代わりの物を用意する手筈が未だ整わず……」

海未「それはまた何とも言えない手落ちですね……いえ、元を辿れば急に宴会を始めた私たちの責任でしょうか」

海未「状況を優先順位の高い問題から端的に説明してください」


 大慌てで報告にきた人魚さんと打ち合わせを始めた海未ちゃんは、仕事をする時の真剣な表情に切り替わった。

 これまで間近で見ることが無かった、鋭さを感じる顔つき。
 豹変した姿を間近で目にして、不意に胸を打たれた。


ことり(いつもと違う真剣な顔……私とお話してる時には見せない顔)

ことり(ひょっとして、これまで私といる間とそうでない間で接し方を分けてたのかな)

ことり(今はその区別が付かないくらい、大変なことになってる?)

海未「ことりっ」

ことり「はいっ!」


 初めて向けられた厳しい語気と視線に背筋が伸びる。
 やっぱり、今まで私には優しく接してくれていたんだってわかった。

 普段の優しさや気遣いは消えて、冷たいくらい張りつめた緊張感が伝わってきて、びっくりしたけど。
 不謹慎にも私は……間近に見る海未ちゃんの凛々しい一面に、一瞬目を奪われてしまった。


海未「申し訳ありませんが私は業務に戻ります。話はまた後日」

ことり「大丈夫なの? 大変そうだけど」

海未「何とかします。今日の祭典は大事なものなので、完遂させたいところですから」


 私への説明もなあなあに、海未ちゃんは報告に来た人魚さんと一緒に離れていった。

ことり(疲れてるはずなのに、大変な事態になったら真っ先に頼られちゃう)

ことり(それが海未ちゃん……龍宮城で一番偉い乙姫様)

ことり(……本当に大丈夫なの? 本当に? あんなに疲れてそうなのに?)


 言いようの無い不安が過った。

 海未ちゃんは疲れの溜まった身体で無理をしているんじゃないのかな。
 周りの期待に応える為に。
 自分の役目を果たす為に。

 豹変した態度を間近で見て確信した。
 きっと、頼られたら断れない、何とかしてあげようって自分に厳しくする人なんだ。
 海未ちゃんはそういう人……毎晩ってくらい、部屋の障子越しに言葉を交わした私にはわかる。


ことり(だめ)

ことり(一度気になったら止められない)


 お客様の立場で、もてなされるだけの身で、何が出来るかわからないけど。
 私なんかが手を出していいのかわからないけど。


ことり(海未ちゃんの為に……何かしたい!)

ことり「あのっ!」


 気付けば海未ちゃんの後を追って、肩を掴んでいた。

海未「……どうしました?」

ことり「……あのっ……私……」

海未「……」

ことり「ごめんなさい、忙しい時に…………で、でも、あの……私……」

海未「落ち着いてください。ゆっくりで大丈夫ですから」


 焦って上手く言葉が出ない私に、海未ちゃんは優しく促してくれる。
 大変な時で、時間が惜しいはずなのに。


ことり「……はい…………私……私もやります!」

海未「……やるとは?」

ことり「私もお手伝い……何か、できることします!」


 私なりに精一杯勇気を出して口にした言葉だった。

 ただの客人として何もできず、指を咥えているだけなのは嫌だった。
 何でもいい……この人の為に、少しでも力になりたい。
 私の為に優しくしてくれるこの人の為に……。

 部外者の申し出をどこまで通してもらえるかわからないけど、私は私なりに本気の眼差しで海未ちゃんを見つめた。
 胸に宿った衝動に従って。

 海未ちゃんはキョトンとしていたけど……やがて微笑んで、私の肩にそっと手を置いた。


海未「……ことり、ありがとうございます」

海未「ですが大丈夫です。ことりは客人ですから、どうかゆっくりしていてください」


 肩に置かれた手が離れてゆく。
 私を廊下に残して、足早に海未ちゃんは去って行った。


ことり「…………」


 当然だよね、って、納得はできた。

 身分違いの者が差し出がましくするべきじゃないっていうのは、きっと陸も海も同じ。
 こんなの今までの生活で慣れきってるから。

ことり(…………ううん)


 だから……一度申し出を断られたのに。
 宮殿で一番偉い人に、強引にではなく諭されるよう、真っ当に言い含められたにも関わらず。
 心を折らず、我を通そうとした理由は、自分でもよくわからなかった。


ことり(私、やる。何もしないなんて嫌)

ことり(海未ちゃんの力になる……!)


 孤立無援のこの場で、何も事情がわからないままで、どこからこんな強気が生まれたんだろう。

 迸る熱意に動かされるまま、追い求める後ろ姿が消えていった方向に向かって、私は足を進めた。

ことり(……すごい)


 室内は大騒ぎの余り、何がどうなっているのか全然わからなかった。

 海未ちゃんを追って辿り着いた先は、中央区画の調理場だった。
 宮殿に住む大勢の住人の食事を賄う場所だから、大宴会場に負けないくらいとても広い。

 室内では何十人っていう海のヒトたちが皆忙しなく動き回っていて、怒号にも聞こえる大声を飛ばし合っていた。


ことり(凄い騒ぎ……みんな慌てるくらい大変な状況なんだ)


 必死に動き回ってる住人たちの姿を目の当たりにすると、この中に飛び込むのが少し怖い。
 でも、胸の内に灯った火は一向に消えない。
 負けるな、頑張れ、って、私が私を後押ししてくれているみたい。


ことり(……あ。いた)


 室内の奥まったところで偉いヒトと相談していた海未ちゃんを見つけた。
 ちょうど話が終わったみたいで、部屋の出入り口、私がいる方にやってくる。


ことり(ようし!)


 ドキドキしながら、戦場みたいに慌ただしくしている室内に踏み入って、近付いてきた海未ちゃんの前に立ち塞がった。

海未「……ことり?」


 室内に現れた私に、当然海未ちゃんは驚いていた。
 向こうが何か言う前に、私は自分の意思をぶつける。


ことり「私もやります!」

海未「…………お気持ちは嬉しいです。しかし本当に心配は無用ですから、構わずとも平気ですよ」


 どこまでも私を諭すような口調と表情。
 やっぱり、私と接している時の海未ちゃんは、客人を迎える時の優しい態度を見せてくれる。

 だけど、海未ちゃんの背後で忙しなく動き回る住人たちを見れば、その言葉にまるで説得力は無かった。


ことり(……私は……)


 多分、今の私は我が儘だった。

 海未ちゃんの為と言いながら、海未ちゃんの為に何かをしたいっていう気持ちを押し付けることに夢中で、言い分を意に介するつもりはなかった。
 ひょっとしたら陸の人間が手を出したらいけないことかもしれないのに、そんな配慮はできなかった。

 ただひたすらに、この人の事を思って、私は……。

ことり「…………!」


 私の申し出を受け入れてくれない龍宮城の主。
 その横を通り過ぎて、私は調理場の奥まった場所へと押し入った。


海未「ちょっ……ことり!? 待ってくださいことり!」

ことり「あのっ!」


 話しかけた相手は、さっきまで海未ちゃんと話していた、この場を取り仕切っている料理長みたいなヒト。
 突然現れた部外者の存在に目を丸くしていたけど、構わず私は言葉を投げた。


ことり「何か仕事をください! 私もお手伝いします!」

海未「ことり、大丈夫ですから! あなたは客人として寛いでいてください!」

ことり「お願いします! お料理なら地上でもやってました! 難しいことじゃなければできます!」

海未「ことり!」

ことり「海未ちゃんの為に何かしたいのっ!!!」


 癇癪持ちみたいな絶叫。
 この瞬間、きっと私は醜い。

 それでも、私はどうにかして、あなたの為になりたい……!

 胸に満ちる思いを込めて、一心に海未ちゃんを見つめた。

 私たちは見つめ合い……私は海未ちゃんを睨みつけるようにしながら、無言で時が進む。
 視線の交錯に答えが出ないまま、私はまた料理長に目を向けた。


ことり「話を切ってごめんなさい。今大変なんですよね? 人手が必要なら私にも何か手伝わせてください」

「……いいんですかい?」


 料理長は私じゃなくて、海未ちゃんの方を見て許可を待った。
 私は海未ちゃんの顔を見ずに前を向き続ける。

 しばらくの間、誰も何も言わなかった。
 周囲のヒトたちが忙しそうにしている声だけが響く。


「…………嬢ちゃん何ができる?」

ことり「手順さえわかれば普通のことはできます!」


 海未ちゃんの返事がないまま、料理長が私にかけてくれた言葉に即座に返した。
 料理長は海未ちゃんの様子をチラチラ伺いながらも、ちゃんと私のことを相手してくれた。


「調理でとにかく人手が足りない。担当に指示を仰いで作業に入ってくれ」

ことり「わかりました!」


 案内されて作業場に向かう。
 移動する間、私は一切海未ちゃんへと目を向けなかった。

―――


 お仕事はまるで嵐のようだった。

 右から左に材料が流れてきて、手を動かしながら手順を覚える。
 初めての作業だから当然のように間違えるけど、これまで客として優しく扱われていたのが嘘みたいに厳しい言葉で注意される。


「違うそうじゃないやり直し!」

ことり「すみません! こうですか!?」


 大声での叱責に負けないくらい、私も声を張って作業を続けた。
 少しくらい辛かったり大変な作業なら地上で散々やってきた。
 こんなことで負けたりしない。


「終わったら次こっちやって!」

ことり「はいっ!」


 耐えず指示が飛んできて、手も足もを止めず作業を続ける。
 すぐに疲れてくるし、汗も出てくる。


ことり(…………私…………やれる…………やれる!)


 それでもやる気は漲っていた。
 出来る事を見つけて、頑張る対象を見出して。

 私が為すべきこと……あの人の助けになる何かに着手している、その実感が、私に活力を与えてくれていた。

ことり「ふっ………………ふっ………………」


 体力を消耗し、息を切らしながら、それでも作業に没頭する。
 どれくらい時間が過ぎたかわからない。
 延々同じ作業をこなして、終わったら次の作業に移る、その繰り返し。


ことり(まだ、大丈夫……まだ、いける……)


 自分に言い聞かせるように内心呟く。
 呟きながら、とにかく手を動かす。


ことり「…………、ごめんなさい」


 隣で作業をしているヒトと肩がぶつかって、小声で謝る。
 今は手を止めてきちんと謝っている場合じゃない。


海未「……いえ」

ことり「えっ!?」


 声にビックリして思わず手を止めて顔を上げた。
 いつの間にか隣では、海未ちゃんが私と同じ作業をしていた。

ことり「…………う、」

海未「手が止まっていますよ」

ことり「! うんっ」


 慌てて作業に戻る。
 だけどさっきまでみたいに、頭が覚醒して無心で作業できる風には戻れない。


ことり(な、なんで? なんで海未ちゃんがいるの? なんで?? 一緒に作業してるの、なんで???)


 考え始めたら手元が狂っちゃう。
 綻びが生じてきた作業にアワアワしながら、なんとか仕事に意識を集中させた。


海未「……ことりがあれ程まで強気に出るとは思いませんでした」

ことり「ぅ……」


 思わず謝りそうになる。
 だけど今、口だけで謝ったらダメ。
 海未ちゃんの意向に反対して自分の意思を押し切ったんだから、落ち着いた時にきちんと謝りながら、考えをしっかり伝える……そうすべきだと思った。

海未「このペースなら、何とか時間までに間に合う算段がつくそうです」

ことり「……そうなんだ」

海未「ことりのお陰かもしれませんね。ことりが手伝ってくれたから」

ことり「……」


 何て返せばいいかわからなくて、無言で手だけを動かす。
 ただ、海未ちゃんの口調からは怒ってる様子は無くて、先の見通しが付いた安堵が伝わってきたから、ホッとした。

 作業をする沢山の住人たちの一員として、二人並んで同じ作業をしている。
 宮殿で最も偉いヒトと、宮殿に招かれた客人が。

 不思議な感覚だった。
 上手く言えないけれど、これまで感じる事の無かった何かが一瞬一瞬の中に生まれている気がする。
 連帯感、とか、仲間意識、とか、そういう、同じ場所で同じことを頑張る者同士の。


ことり(…………嬉しい、な)


 曖昧な考えのまま、私は喜びを噛み締めていた。
 もしかしたら、単純に海未ちゃんの側にいることが出来たから喜んでいるだけかもしれないけど。

 だとしたら、今日の私は、やっぱりただの我が儘だ。

―――


ことり「…………」


 目の前で繰り広げられている催し事を呆然と眺めている。
 歓声は絶えず沸き上がり、陽気な空気が場を包む。

 大宴会場では滞り無く、本日の祭典が開かれていた。


ことり(間に合った……)


 みんなの頑張りのお陰で、今日のトラブルは無事乗り越えることができたみたい。
 気が付けば私の作業も終わっていて、間を置かず席を宴会場に移されて、祭事が始まっていた。
 これまで同様お客様の席に座らされ、散々もてなされながら、ようやく体から力を抜いた。


ことり(疲れたけど……良かったぁ……)


 今回は昨日までと違って、無力感や申し訳なさはあまりない。
 少しでもみんなと一緒に頑張ることができたっていう達成感が、私をこの場に居ても良いと納得させてくれていた。

ことり(あ。海未ちゃんだ)


 龍宮城の高官と思われるヒトたちが入れ代わり立ち代わり挨拶をする中、海未ちゃんもその輪に混じって挨拶を始めた。
 みんな神妙な面持ちながら、無事この時を迎えることができた喜びも共有して、楽しげに海未ちゃんの話を聞いている。


ことり(さっきまで隣で働いてたんだ……)


 宮殿の主と一緒に手を動かして、助け合って、頑張って。
 一方的に施しを受けるばかりじゃない時間がさっきまで確かに存在していた。
 その思いが不思議な昂揚感になって、海未ちゃんを見つめる視線に熱が篭る。

 海未ちゃんは挨拶を終え、壇上を降りると、辺りを見渡していた。
 視線が私とぶつかる。


ことり(あ……)


 重なった視線を途切れさせないまま、海未ちゃんは宴会場にひしめく人波を縫って、私の方へとやってきた。


海未「お疲れさまです、ことり」

ことり「…………うん」


 自然と私の隣に座る。
 一連の動作を、私はボーっとした頭のまま眺めていた。

海未「陸に住まう人間たちに歴史があるように、この龍宮城にも歴史があります」

海未「本日は遥か昔、龍宮城建立に尽力した偉人を祀る記念日だったんです」

海未「記憶にある限りここ百年、毎年行ってきた祭典を今年も無事に迎えることができて、本当に良かったです」

ことり「海未ちゃん長生きなんだ」

海未「見た目はことりと大差ありませんが、長寿の者も多いんですよ。海の生物は人間の何倍も寿命が長いんです」

ことり「そっか……」


 反射的に相槌だけを返す。
 とても騒がしい空間、誰が何を話しているのかさえわからないのに、海未ちゃんの声だけがはっきりと耳に入ってきた。


海未「……今日はすみませんでした」

ことり「……どうして海未ちゃんが謝るの?」

海未「ことりの言い分を蔑ろにしてしまいましたが、手助けは本当に有り難かったです。改めてお詫びとお礼を言わせてください」

ことり「そんなこと……」


 今日の私は我が儘だっただけ。
 むしろ謝らなければいけないのは、私のはずだから。

ことり「……海未ちゃん、私が龍宮城に来てからずっと親切にしてくれたよね」

海未「突然見ず知らずの場にやってきたのですから、丁重に扱うのは当然です」

ことり「それはお役目? 義務? 決まり事だから、こんなに優しくしてくれるの?」

ことり「いつも夜に私の部屋まで来てくれるのはどうして?」

海未「……また、唐突な言い分ですね」

ことり「うん、わかってる」

ことり「でもね、例えそうだとしても……私は嬉しかった」

ことり「記憶のないまま龍宮城にやってきて、誰一人知ってる人がいなくて、なにもわからなくて、凄く不安だった」

ことり「そんな時、海未ちゃんはとても親切にしてくれた」

ことり「色々お話して、海未ちゃんは本当に私のことを一番に考えてくれているって伝わってきた」

ことり「そんな風にしてくれる人に、何かお返しがしたかった。忙しくしてるなら、ほんの少しでもお手伝いがしたかった」

ことり「……もしかしたら、私が手を出しちゃいけないことかもしれなかったけど」

ことり「本当に海未ちゃんの為を思うなら、海未ちゃんの言うことを聞くべきだったよね。だから、今日のはただの我が儘なの」

海未「ことり……」

ことり「……我が儘言って、ごめんなさい」


 いつの間にか震えていた唇を必死に動かしながら、俯きがちの視線で、私はありのままの気持ちを伝えた。

海未「……見てください、これ」

ことり「……?」


 思いの丈を伝え、後悔と不安に心揺れる私の前に、海未ちゃんが料理の大皿を差し出してきた。
 見れば、数時間前に私たちが一生懸命盛りつけた料理と飾り付けだった。


海未「この飾り、並び方が逆時計回りになっていますよね」

ことり「あ、ホントだ。でもこれ時計回りが正しい……あ。これって確か」

海未「ええ。途中でことりに指摘されるまで、私が間違って並べていた飾り付けです」


 祭典の準備中は忙しすぎて、口より手を動かすので必死だった。
 そんな中、海未ちゃんの作業にちょっとした間違いがあるのを隣の私が見つけて、指摘したことがあった。


海未「本来ならば間違ったものを全て作り直すべきなのですが……ふふっ、忙しさにかまけてそのまま出してしまいました」

ことり「あー……いけないんだぁ」

海未「全くです。ことりに言ってもらわなければ、間違ったものを延々作っていましたよ。恥ずかしいです」


 くつくつと笑う海未ちゃんは、どこか力が抜けたふにゃりとした笑顔を見せた。
 客人を前にしているとか関係無い、飾り気のない自然体に見えて、なんだか新鮮だった。

海未「私はですね」

ことり「うん」

海未「ことりは大切なお客であり、大切にもてなすことが正解であり全てであると決めつけていました」

海未「ですが、やはりことりは違うんです。今までの来訪者とは違う、特別な存在なんです」

ことり「特別だなんてことは、無いと思うけど」

海未「いえ、特別です。だからこそ今日、私と並んで業務に従事していたではありませんか」

ことり「……そっか」

海未「そうなんですよ」

海未「私はこれから先、本当の意味でことりの事を考え、本当に成すべきもてなし方を考え直さなければいけませんね」

 決意を新たにするといった言葉。
 それは、本心から私の為を考えてくれている意思の表れ。

 今日の私が、形はどうであれ、海未ちゃんの為を思っていたように。


ことり「…………うん」


 何に対する返事かはよくわからない。
 ただ、私に向けてくれる言葉が、気持ちが、とても嬉しいから。
 海未ちゃんの思いを受け入れるつもりで、その言葉に同意を返した。


海未「……素敵な宴です」

ことり「うん……」

海未「本当に、楽しい時間です」

ことり「うん……」


 目の前では催し事が絶えず開かれて、大宴会場は盛況を続けている。
 その一つ一つを、私は海未ちゃんと並んで、静かに見守っていた。

―――


ことり「お衣装できました!」


 何台もの機織り機の駆動音が忙しなく鳴り響いている。
 裁縫のお稽古部屋では大勢の生徒が慌ただしく動き回っていて、私も生徒の一人として手を動かし続けていた。


「そちらに纏めて置いてください。ことりさん、手が空いたらあちらを手伝ってください」

ことり「はい! あのっ、お手伝いしますね」

「ことりちゃんお願い!」


 お祭り騒ぎが大好きな龍宮城では、毎日飽きがくる間も与えないくらいの頻度で宴が開かれる。
 客人として招かれている私は毎回その中心に置いて貰う立場。
 けれど最近はもてなされるばかりじゃなく、働く側にも回るようになっていた。

 宴会では綺麗なお衣装が必要だから、新しいお着物がいくつも必要なの。
 私も芸事を習う一人の生徒として、衣装作りを頑張っています。

「……はい、結構です。これで必要となるお衣装は揃いました。皆さんお疲れさまでした」


 先生の号令を合図に教室内には解放感が広がって、生徒たちにパッと笑顔が弾ける。
 忙しかった衣装作りの日々に一段落付いて、私は教室仲間のみんなとお互いを労い合った。


「ことりさん、お疲れさまでした」

ことり「あ、先生! お疲れさまです!」

「ことりさんは本当に筋が良いですね。最初は人間の方に手伝っていただくことに躊躇しましたが、助かっています」

ことり「いえ、そんな……」

「ホントホント! ことりちゃん凄いよねー!」

「すぐに海の道具にも慣れちゃうし! 作る着物は誰よりも素敵だもん!」

「今まで見てきた人間の中で一番上手じゃない?」

「あなたの技術が羨ましいわぁ」

ことり「みんな……!」


 陸で生活していた頃から被服を扱っていたから、龍宮城でもすぐに慣れることができた。
 みんな私のことを褒めてくれて、なんだか照れ臭い。

 こうしてみんなの輪の中にいると、本当にこの場に受け入れられたみたいに感じられて、胸の内にじんわりと喜びが染みていった。

―――


ことり「お鍋できましたぁ」

「……ん、上出来。嬢ちゃんは相変わらず筋が良いな! 他の奴にも見習わせたいくらいだ」

「冗談キツイっす料理長ぉ」

「冗談じゃねぇよバーロー! 嬢ちゃん今日は上がっていいから、飯の席にでも付いてくれや」

ことり「はいっ!」


 芸事の教室以外にも、私は宮殿で色々なことをさせて貰っている。
 お料理、お給仕、お掃除、お洗濯……。
 私がお手伝いできることは限られてるけど、あの日以降、できることをしたいって言う私の申し出をみんな受け入れてくれていた。


ことり(龍宮城は時間の流れがゆっくりで、みんなの動きもどこか緩やか)

ことり(陸ではもっと忙しい毎日を過ごしていたから、私の普通の動作でも龍宮城では人並み以上に働けるみたい)

ことり(お裁縫以外のお手伝いは特別慣れていたわけじゃないけど、ちゃんと働けるみたいで良かったぁ)


 客として寛ぐだけじゃなく、何か力になれることを手にして、暮らしの中に遣り甲斐を見出していた。
 私は龍宮城で上手くやっていると思う。
 勝手知る部分も増えてきて、気懸りは減ってきている。

 ただ、その中でもし、気懸りなことがあるとしたら……。

海未『こんばんは』

ことり『海未ちゃん、いらっしゃい』


 毎夜のように部屋のすぐ外まで来てくれる海未ちゃんとのお喋り。
 障子一枚隔てていても、他に邪魔の入らない、二人だけの時間。


海未『最近は裁縫教室だけではなく、各所で働いている姿を見ますね』

ことり『うんっ。ずっとお客様扱いされるのも悪いなぁって思って』

海未『やはりことりは珍しい来客です』

ことり『そうかなぁ』

海未『龍宮城に来た陸の人間は皆須らくもてなしを受け、極楽を享受するばかりですから』

海未『これは決して責めているのではなく、私たちは来訪者に対してそうした待遇を当然のように施していたからです』

海未『しかし、ことりはいつになっても謙虚で献身的で、私たちにとって目新しさを感じさせる触れ合い方をされていますよ』

ことり『私は今みたいに、みんなと一緒になって働ける方が嬉しいなっ』

海未『皆ことりのことを有り難がっています。何をさせても筋が良いと』

ことり『そんなことないよ……』

海未『本当ですよ。ことりは素晴らしい人物ですね』

ことり『もう、海未ちゃんまで褒めるのやめてよぅ!』

海未『ふふっ、失礼しました』

ことり『……でも、海未ちゃんに笑ってもらえるならよかった』

海未『私に、ですか?』

ことり『うん。海未ちゃんいつ見ても忙しそうで、疲れてる顔してるから』

海未『ああ……ことりにまで心配させてしまうとはいけませんね。失礼しました』

ことり『気にしなくていいけど……でも、大丈夫なの?』

海未『ええ。ことりに気にかけて貰えるだけで私は元気になれますから』

ことり『……そういうの、嬉しいけど……だけどやっぱり心配だよ』

海未『……ありがとうございます。私は元気ですから』

ことり『うん……』

 私の為に海未ちゃんがお話しに来てくれるのは、本当に嬉しい。
 けど、その一方で……。


ことり「…………」

凛「あっ! ことりちゃんだ!」

希「やっほー」

ことり「凛ちゃん、希ちゃん」

凛「なに見てるの? 外には海しかないよ?」

ことり「ちょっと、のんびり?」

希「陸から来た人には海底の景色もまだ珍しいのかもね」

ことり「そう……だね」

凛「……どうかしたの?」

ことり「うん……」

希「これはお悩みモードやね。ウチにはわかるよ、ほら言うてみ? 乙姫三姉妹の長女があなたのお悩みバッチリ解決やん♪」

ことり「…………海未ちゃんのことなんだけど……」

凛「…………海未ちゃんがいつも元気無さそうかー」

ことり「前に二人も、海未ちゃんはもう少し休むべきだって言ってたから……」

希「せやなあ……海未ちゃんは常に栄養失調みたいなものだからねえ」

ことり「栄養失調? 食べ物ならここにはたくさんあるのに」

希「ことりちゃんと違って、ウチら乙姫を始めとした海の生物にとって、食物を口にするのは娯楽的な意味合いが強いんよ」

希「本当の意味で生体維持活動に繋がるのは、もっと別の行為なん」

ことり「それって……」

凛「知りたい!?」

ことり「え?」

凛「ことりちゃん知りたい!? 本当に知りたい!? 大事なことだけど、知りたい!?」

希「凛ちゃん、そう急かしたらあかんよ」

ことり「大事なことなの?」

希「んー……陸の人間とは全く異なる文化というか、別種族の話やから、いきなり聞いても驚くやろなあ」

希「これはね、陸の人間相手に伝えるには慎重にならないといけない話なん」

希「まだ、ことりちゃんに伝えるのは早い……ウチはそう思う」

ことり「……どうして、まだ私に教えるのが早いの?」

希「未だに理性を保ってるからだよ」

ことり「理性?」

希「理性って言い方も何やけど、そう……龍宮城の色に染まりきらず、人間としての理性や価値観を失わない間はまだ早い、かな」

ことり「え……私、理性を失うの?」

凛「龍宮城にきた人間はね、みーんなそうなっちゃうの」

希「そうならない人間は滅多にいない。例外は一人いるかってくらいやね」

凛「でも別に悪いことじゃないんだよ?」

ことり「そう、なの……? 理性を失うことが、悪いことじゃないの?」

ことり「よく、わからない……けど……なんだか、怖い話みたい」

凛「ね、希ちゃん、遠回しな言い方しないではっきり教えちゃおうよ」

希「またそんなこと言って……海未ちゃんに怒られるよ?」

凛「だってことりちゃん知りたがってるじゃん!」

希「せやけどねえ……」

凛「ことりちゃん、宮殿の色んなところに顔出してお手伝いとかしてるでしょ?」

凛「ここに来た人間は普通そういうことしないんだよ。珍しいにゃ」

ことり「みたいだね」

希「人間にとって龍宮城に来た時点で望みが叶って、後は極楽に浸り続けるからね」

凛「とことん楽しんで、あまりに楽しくなっちゃって、楽しむこと以外は何も考えなくなっちゃうの!」

希「終いには思考停止状態に陥ったみたいに、目の前の娯楽に反射的に手を伸ばして溺れるばかり、ってね」

ことり「それが理性を失うってこと?」

希「龍宮城にやってきた人間には普通のことなん。だから、ことりちゃんは普通の枠から外れてる」

凛「まだ龍宮城に馴染んでない感じだもんねー」

ことり「けど私も少しずつみんなと一緒にお仕事したりして、馴染んできて、」

希「そのやり方自体が珍しいんよ」

希「普通はお客様の立場のままもてなしを受けて、与えられるままに極楽の極致を求めていく」

希「本来ならそういう染まり方をしていく。けど、ことりちゃんは違うやん」

希「いつになっても禁欲的なばかりか、住人のように自発的に動いて、龍宮城での自分の在り方を積み上げてく」

希「そんなことりちゃんに、海の生物について教えるんはまだ早いんや」

凛「……ごめんね? イジワルしてるんじゃないんだよ?」

凛「凛だって出来るなら早く知ってもらって、受け入れてもらって、もっと仲良くなりたいなーって思ってるもん!」

希「でもね、人間の平常の理性では、ちょーっと理解しにくいことなん」

ことり「……うん……大丈夫、なんとなく言いたいこと、わかる気がする」

凛「でも一度ハマっちゃえば虜になっちゃうから! あー楽しみだなあ!」

希「焦らすみたいで悪いけど、もう少し時間をかけて、教えても大丈夫って言えるまで待つつもりだよ」

希「ま、お互い我慢してこ? 細かい話伝えられなくて悶々としとるのはウチらも同じやし」

希「何よりこっち側に招けないことで焦れてるのは、ウチらの方だからね」

ことり「うん……」

希「ほら神妙な顔しないで! 別に取って食うって話でもないやん」

希「さ、外に居続けたら冷えるよ。今日はもうおやすみしよか」

凛「おやすみことりちゃん!」

ことり「わかった……。少しでも教えてくれてありがとう。おやすみ、二人とも」

希「ほななー」

―――


ことり(……よく、わからない)

ことり(龍宮城に来た人間は、楽しむことしか考えなくなって、やがて理性を失ってしまう)

ことり(そんな話聞いた後じゃ眠れないよ……)

ことり(……海未ちゃん、今夜は来てくれないのかな……いつもならそろそろ来てくれるのに)

ことり(忙しいみたいだし、それに……『栄養失調』だって……)

ことり(あの含みのある言い方、なんだったんだろ)

ことり(龍宮城に慣れてきたつもりで、実際にはわからないことが増えていくみたい)

ことり(私はこのままわからないことだらけでいいの?)

ことり(海底の楽園で楽しさと喜びに包まれたまま、いつまでもずっと……)

ことり(……そうして、辿り着くのは、どこ?)

ことり(龍宮城にやってきた人間が辿り着く極楽の極致って、なに?)

ことり(我を失う程の楽しさに身を任せて、人間の理性では理解できない龍宮城の習わしを受け入れて)

ことり(その先には一体何があるの?)

ことり(そこで私はどうなるの?)

ことり(私は…………)

―――


凛「……ねえ、何でことりちゃんに嘘ついたの?」

希「嘘って?」

凛「説明の最後、取って食う訳じゃないって言ったじゃん」

希「……言葉の綾、ってやつだよ」

―――


 寝起きの気分が最悪だったのは、きっと昨夜の話を引きずっていたからだと思う。
 とにかく頭が重くて辛いのに、そのせいでもう眠れそうにない。

 体中にへばりついた怠さを引き剥がすよう、無理やりベッドから身を起こした。


ことり(…………起きないと……)


 寝間着のまま部屋の障子を開ける。
 海底にも天気はあるみたいで、私の心境を空に映したように、海の色は灰色の曇天。
 海水は透過の具合も曖昧で、見えない壁で阻まれているかのように先が見えない。


ことり(海底の牢獄に閉じ込められたみたい……)


 意味のない考えをトロトロと零しながら、私は裸足のまま縁側から中庭に降りた。
 裸足の足裏に、砂利の丸み一つ一つが刺さる。
 私がこの場所に立っているという実感。

 拠り所のない身には、自分の足でこの場に立っているっていう感覚、それだけが私という存在を証明してくれているようだった。

 さくり。さくり。

 足を踏み出すと、お庭に敷かれた砂利が小気味良い音を立てる。
 その音がなんだか面白くて、耳を楽しませる為に足を前へと運んだ。

 庭を一直線に横切って、敷地を囲う塀までやってきた。
 身長の倍程ある塀の肌に手を当ててみると、ひんやりした硬い感触が返ってきた。
 見上げると、塀を境界線とした向こう側には、本物の海水が支配する領域が広がっている。


ことり(塀から出たらどうなるんだろ……海水が満ちてるから、溺れちゃうのかな)


 宮殿の外へと一歩出た途端。
 重力の支配から解き放たれ、ふわりと体が水中に浮く。
 服に水が染み込んで、口を開けば行き場を求めた海水が流れ込み、私の気道を塞ぐ。

 ―――苦しい……。

 もがいても息はできない。
 さっきまで身を置いていた楽園の安息を求め手を伸ばしても、浮かぶ体は意思に反して、宮殿からどんどん離れてゆく。
 水中で無力の私は為す術もなく、そのうち呼吸が止まり、体の動きも止まり、躯となった私の体は海を漂い、やがて泡となって弾け、跡形も残らない。


ことり「……ふっ…………ぅ…………っ」


 未来視みたいな映像が一気に脳内に流れ込んできた。
 体が震える。
 塀に添えていた手を離して、冷たくなってしまった掌を、ギュっと体で包み込んだ。

 さくり。さくり。

 得体の知れない恐怖に震えていたら、背後から砂利を踏む音が聞こえてきた。
 振り返れば、朝も早いのにすっかり正装を整えた海未ちゃんが私の方へと近づいてきていた。


海未「塀の向こうが気になりますか?」

ことり「…………よく、わからない」

海未「わからない、ですか」

ことり「うん……」


 わからない。
 ここはどこで、私はどうしてここにいて、何をすればいいのか。

 海底の楽園で極楽に興じ、夢のような日々を送りながら、実態を捉えられない恐怖が時折顔を覗かせる。
 未知なるもの、得体の知れない闇が、周囲に満ちる仮初めのシアワセを食い破り、私を絡み取ろうと息を潜めている。

 わからないことだらけの私はどうしたらいいの?
 わからない。

 ただ、一つだけ。


ことり(海未ちゃんなら……)


 このヒトだけは、わからないことだらけの世界でも信じることができる。
 理由はわからないけど、なぜだか、そんな気がする……。

ことり「昨日の夜は忙しかったの?」

海未「昨夜は…………昨夜は部屋まで伺えずにすみませんでした」

ことり「ううん、いいの。別に約束してるわけじゃないから……」

海未「……そうですね……毎晩出向くというのも、それはそれで迷惑な話でしょうから」

ことり「え……そんなことないっ」

海未「迷惑では、ありませんか?」

ことり「私、ずっと待ってた……!」

海未「そうですか……」

ことり「ごめんね、海未ちゃん忙しいのに、勝手に待ってて」

海未「いえ。私を待ってくれるというならば嬉しい話です」

ことり「……無理はしないでいいから、できればこれからも……」

海未「また今夜、部屋まで伺いますね」

ことり「……うんっ」


 不安や謎に満ちた宮殿での暮らしだけど。
 海未ちゃんとの約束、それだけで、沈んだ気分は幾分楽になった。

 わからないことだらけの現実は何一つ変わらなくても。

―――


 不安の残る暮らしでも、覚束ない足取りながら日常を歩み出せば、日々の生活リズムは生じてくる。


「ことりちゃんおはよー」

「今日もお裁縫頑張ろうね!」


 機織り教室のみんなとは毎日って言えるくらいに顔を合わせて、人となりもわかってきた。
 乙姫さん以外にも、友達のように接することが出来る海のヒトたちが増えてきた。


凛「やっほーことりちゃん!」

希「元気しとるー?」


 凛ちゃんや希ちゃんも頻繁に顔を見せてくれて、いつでも優しくしてくれる。
 宮殿の主に相手して貰うのはやっぱり畏れ多いけど、少しずつ慣れてきた。
 やっぱり乙姫さんと話しているときが一番楽しくて、私はいつも笑顔でいられる。

 どこであっても環境が新しくなれば戸惑うことの一つや二つはある。
 龍宮城の捉え所の無さもまた同じこと……そんな風に受け止めるようになっていた。

海未「ことり、お疲れさまです」

ことり「あっ海未ちゃん! お疲れさま!」


 日中、宮殿内で海未ちゃんと擦れ違うことが出来た時は、短いながらも顔を合わせながら言葉を交わすことができる。
 海未ちゃんはいつも忙しそうで、私も働きながらで、挨拶も忙しない。
 だけど私は毎回海未ちゃんに声をかけたし、海未ちゃんも足を止めて返事を返してくれた。


海未「料理の手伝いですか? 頑張ってくださいね」

ことり「うんっ! 海未ちゃんもお仕事頑張って!」


 昼間に会える時間が減ってきたのと同様に、海未ちゃんの夜の来訪は日を経るに連れて頻度が減ってきた。
 海未ちゃんが忙しいからだって、無理やり納得している。
 会いに来てくれない事態が何かを意味しているとか、そういう余計なことは考えちゃいけないって、頭の中で警鐘が鳴っている。

 頻度が減ったって言っても、海未ちゃんは二日に一度は来てくれた。
 障子越しに声を聞けるだけで、来訪の頻度が減ったことなんて忘れるくらいに、胸の内に幸せが広がった。


海未『ことり、そろそろ夜も深いので帰りますね』

ことり『あっ、もうそんな時間……』


 夜のお喋りは、時間が飛んでいるみたいにあっという間に時が過ぎちゃう。
 海未ちゃんが帰るのを拒むようなことを言ったりして、駄々を捏ねるみたいで恥ずかしいけど、それだけ大切な時間なの。


ことり『今日も来てくれてありがとう。また、来てね……』

海未『……来れる時は必ず伺います』

ことり『うん……ありがと。おやすみ海未ちゃん』

海未『おやすみなさい、ことり』


 別れの挨拶を交わして、遠ざかる足音を閉じた障子越しに聞きながら、去りゆく海未ちゃんの後ろ姿を想像する。

 約束のせいで開くことのできない障子が邪魔をして、直接姿が見えないままの会話をもどかしく感じる時もある。
 それでも、海未ちゃんが来てくれた喜びを思えば、耐えることができた。

ことり(海未ちゃんと夜にお話して気付いたけど……)


 最近になって、一つの変化に気が付いた。

 宮殿のヒトたちはみんな親切で、接していてとても居心地が良い。
 色々と働かせてもらってはいても、私はおもてなしされる立場だから、どこに行ってもみんな大切に扱ってくれる。
 それは乙姫さんも同じで、凛ちゃんも、希ちゃんも、私への接し方に愛情を感じることができる。


ことり(そう、なんだけど……)

ことり(みんなは、ちょっと、優しすぎるっていうか……好きな人相手に優しくしてあげてる、みたいな接し方をされてるよね?)

ことり(自惚れとか気のせいなんて言葉じゃ誤魔化せないくらい、あからさまに)


 例えば、好意を寄せる人の為にしてあげる、過剰な親切。
 施しを与え、自身を差し出して、代わりに……愛と言う名の報いを求める。


ことり(そういう種類の優しさを、みんなから向けられてる気がするよ……)

凛「ねーねーこっとりちゃぁん!」


 最近凛ちゃんは頻繁にお世話をしてくれて、知らないことを紹介してくれたり、一緒に遊んでくれる。
 嬉しいんだけど……その最中、随分と体が密着している。
 頻りに手を握られたり、腕を絡められたりと、触れていない時の方が少ないくらい。


ことり「凛ちゃんありがとうね」

凛「これくらいお安い御用にゃー!」

ことり「きゃっ!?」


 小さなやり取り一つ交わす度、凛ちゃんが私に抱き着いてくるのが普通になってきた。
 決して嫌ではないし、懐かれた事は気分が良いけど、密着されるくらい迫られるのは戸惑っちゃう。


ことり「凛ちゃん苦しいよぅ」

凛「ことりちゃん好きー。もう離さないにゃー♡」

ことり「もう……ふふっ」

希「ふーっ」

ことり「ぅひゃぁっ!?」

希「凛ちゃんばっかりズルイよー? ウチにもことりちゃん分けて欲しいなあ」


 首筋に息を吹きかけられて、むず痒さで飛び跳ねるように振り返れば、希ちゃんの悪戯めいた笑みがあった。

 凛ちゃん程じゃなくても、希ちゃんもかなり大胆な接し方をしてくるようになっていた。
 ふとした時に指を絡めてきたり、至近距離から目を覗き込んできたりして。

 今もまた、不意打ちのようにされると、ドキドキしちゃう……。


ことり「の、希ちゃん……?」

希「なぁに?」


 見てるだけで引き込まれてしまうような瞳が、遠慮なしに私を覗き込んでくる。
 我慢できなくて、いつも私から視線を外してしまっていた。

ことり(凛ちゃんなんて、本当に私のことが好きみたいに接してくる)

ことり(希ちゃんは私をからかってるのかもしれないけど……それにしたって……)

ことり(ただのお客相手にどうしてそこまでって思うけど、でも、気のせいや考えすぎじゃない)

ことり(だって、私に伝える気満々だもん。好きって気持ちが必死なんだもん)

ことり(龍宮城の住人たちは、私に向ける視線が……熱い)


 異郷の地、周囲を取り巻くあらゆるヒトたちから無条件に向けられる愛情は、嬉しさや喜び以上に戸惑いを覚える。
 下心があるのか、何かしら思惑があるのか、つい身構えてしまう。


ことり(……けど)


 だけど、その中でも海未ちゃんだけは……。


ことり(海未ちゃんだけは、私に対する接し方がみんなと違う)

ことり(夜にお話していても、他のヒトたちから感じるような好意の押し付けが、海未ちゃんからは感じない)

ことり(素直で純粋な思いの持ち主……それが、海未ちゃんなの)

 圧迫感のように感じ始めてきた、周囲から迫る好意という名の網。
 そこから抜け出せる唯一の瞬間が、他の誰もいない、海未ちゃんと二人だけの夜の時間だった。


ことり(海未ちゃんから感じる優しさには不純物がないって断言できる)

ことり(温かくて、柔らかくて、安らげる瞬間)

ことり(好きの押し付けどころか……むしろ私の方が……)


 言いようのない不安の中に唯一存在する羽休め処。
 安息の場を与えてくれる海未ちゃんに対して、私は少しずつ、好意以上の気持ちを抱き始めていることを自覚していた。


ことり(身に余る愛情の押し付けがないからこそ安心できるのは……うん、そうなんだけど)

ことり(それってつまり……何て言うか……)

ことり(……海未ちゃんは、私のこと、そういう風には思ってないってことなのかな)

ことり(私だけが一方的に海未ちゃんのこと意識してる……ってこと?)


 整理して考えると、ちょっとだけしょんぼりしちゃう。

 愛情が重くないからこそ安心できるはずなのに、それが寂しいだなんて、自己本位で裏腹な感情。
 わかっているけど……気持ちの整理なんて簡単にはいかない。
 だからこそ、こういう思いは、難しい。

―――


ことり(今日は来てくれない日だったのかな……)


 夜、深い時間になっても、明かりを点けないままの室内で起きていた。

 今夜は海未ちゃんが来てくれない。
 二人きりの会話が一日で一番の楽しみだったから、当然寂しい気持ちになっちゃう。


ことり(仕方ないよね……)


 海未ちゃんが来ない夜もそう珍しくなくなってきたから、受けるショックは段々軽くなっていた。
 心の鈍化に危機感を覚えるけど、防衛本能だからって言い聞かせる。


ことり(今日は寝れないかも。でも、することもないなぁ)


 深夜ともなれば流石に出来ることも無い。
 部屋の中にいても、眠れないままベッドに横になるだけ。


ことり(……だったら)


 ふとした思いつきで、障子に目を向ける。
 腰かけていたベッドから下り、上着に袖を通し、少し緊張しながら障子に手をかけて、ゆっくりと引いた。

ことり(夜の宮殿、いつ見ても綺麗)


 久しぶりの夜のお散歩。
 敷き詰められた砂利を鳴らしながら庭を進んで、珊瑚の赤い光を頼りに、奥へ奥へと歩を伸ばす。

 中庭を移動しながら、塀の向こうの海中を覗いた。
 海を泳ぐ生物の姿がチラチラと映って、優雅な動きに目を奪われる。
 とても人間には出来ない泳ぎ方。


ことり(あんな風に泳げたら気持ちいいだろうなぁ)


 陸で暮らしていた時から海が近くにあったから、泳ぐことだって当たり前だった。
 けれどこうして海底で暮らして、海の生物が泳ぐ姿を目にすると、泳ぐという行為の意味合いがまた変わった形で見えてくる。


ことり(私も泳ぎたいけど、この先塀の外に出る事ってあるのかな?)

ことり(このままずっと塀の中で過ごしていくのかな……)


 度々、囚われの身である感覚が纏わりつく。
 海の世界が際限なく広くても、息を吸って生きている私は、いつでも幽閉されている立場なのかもしれない。

海未「……ことり!?」

ことり「あれ?」


 取り留めのない思考に溺れてたら、名前を呼ばれてハッとした。
 声のした方を見れば、中庭を急いで駆けてくる海未ちゃんがいた。


海未「こんな夜中に外に出るなんて、どうかしたのですか?」

ことり「ちょっと眠れなくて……もしかして、夜に一人で出歩くの、良くない?」

海未「……勧めることは、あまり出来ないかもしれません」

ことり「曖昧な言い方だね。でも、そっか、色々あるんだよね。ごめんなさい」

海未「仕事が押してしまい、この時間からことりの部屋に向かうのはどうかと迷っていたのですが……まさか室外で会うとは」

ことり「あ、会いに来てくれるの、考えてくれてたんだ。嬉しいな」

海未「もう眠っているとも思いましたけど」

ことり「えへへ、起きてましたぁ。……ずっと待ってたから」


 いつもよりちょっとだけ大胆な言葉。
 思いがけず会うことができた喜びが、私の心を後押ししてくれているみたいだった。

海未「また塀の向こうを熱心に見ていましたね」

ことり「うん。お魚さんや人魚さんたち、とても上手に泳いでるから」

ことり「ね、海未ちゃんもあんな風に泳げるの?」

海未「ええまあ、一応乙姫なので」

ことり「そっか。いいなぁ」

海未「……海に出てみますか?」

ことり「えっ?」


 思い込みだったけど、私はこの宮殿の外に出たらいけない気がしていた。
 夜に一人で出歩くのも勧められないって言われたばかりだから。


ことり「出てもいいの?」

海未「人間が一人で出るのは危険ですから、私が付いていればの話ですけど」

ことり「海未ちゃんと一緒……」


 だったら余計に出てみたい。
 海未ちゃんと一緒に、本物の海の世界へと。

―――


海未「いいですか? 緊張せずとも大丈夫ですから」

ことり「う、うん……!」


 敷地内を移動した私たちは、塀の途切れ目にあたる最南端の正面門扉に立っていた。

 海未ちゃんが言うには、「大きな泡を作って中でことりでも呼吸ができるようにしながら海を泳ぐ」みたい。
 よくわからないけど、とにかく海未ちゃんから離れないようにって、それだけ強く言い含められた。


海未「あ、あのですね、ことり」

ことり「な、なぁに?」

海未「離れるなと言った手前強く言えないのですが、ちょっとその、思いの外くっ付かれてですね、」

ことり「あ、ごめんね、動きにくかったかな」

海未「いえその、だからですね、そうくっつかれるとですね、」


 居心地悪そうな海未ちゃんの表情。
 顔も赤いし、実は結構照れ屋さんだったりして。


ことり(あれ……もしかして、私がくっついてるせいで照れてるの?)

ことり(わ。や、やだ)


 そんな風に海未ちゃんに照れられたら、私まで恥ずかしくなってきちゃった……。

海未「で、では改めて……いきますよ!」

ことり「う、うんっ」


 控えめに海未ちゃんの服の端を摘む。
 合図と一緒に門扉を跨いで、敷地の外、海水が支配する領域へと一歩を踏み出す。
 同時に、私たちの周囲に大きな泡が出現した。


ことり「わあぁぁぁぁ!」


 泡に包まれた私たちは、海水の中を勢いよく浮き上がった。

 重力から解き放たれ、それでも地に足を向けながら、自分たちの意思で海中を進む。
 私たちの体を包む泡は一滴の海水さえ入り込ませない。

 海未ちゃんの説明の通り、私は泡の中で呼吸をしたまま、海の中を泳いでいた。


ことり「凄い! ホントに泡の中で泳いでる! 息もできるし喋れるよ!」

海未「どうです? これならことりと一緒に泳げるでしょう?」


 どこか得意気にしている海未ちゃんは、いつもよりちょっとだけ幼いというか、親しみ易い雰囲気だった。
 珍しい一面が見れたことも嬉しさに拍車をかけて、私は無性にはしゃいでしまった。

海未「ことり、私たちを包む泡に向かって息を強く吹いてみてください」

ことり「え? うん……ふーーーっ! わっ!? わっわっ凄い! おっきな泡からちっちゃな泡がいっぱい飛んでく!」

海未「綺麗でしょう? 無限にシャボン玉を作れるんですよ」

ことり「わーわー! 凄いねっ! ふーっ! ふーーーっ! 綺麗!」

海未「泡はこれだけではありません。海底をよく見てください」

ことり「……あっ、海の底から小さな泡が沢山浮かんできてる!」

海未「海も呼吸しています。文字通り、自然の伊吹を感じられる瞬間ですね」

ことり「私たちを包んでる大きな泡も綺麗だね。虹がかかってるみたいに、周りの色が反射して光ってる」

海未「ふふ、実はこれ、私のとっておきです。滅多に人には見せないんですよ?」

ことり「そうなんだ……わっ!? 海未ちゃん今のなに!?」

海未「あれは……ああ、怖がらなくとも大丈夫ですよ。外見は強面ですが、至って平和な海底の生き物です」

ことり「へ、へぇ……ああっ! あんなにたくさんのお魚さんの群れがうねうねって!」

海未「海洋生物は群れを成すことが多いんです。とはいえ、あれ程の大群集は珍しいですね。貴重な光景です」

ことり「凄い……! 海って凄いね!」

 陸で生きていた頃は、決して目に映ることのない海底の世界を、光も音も何もない、生き物なんて存在しない、静かで寂しい場所だって想像していた。
 だけど本当の姿は、不思議なくらいに色鮮やかで、意外な程に様々なものが存在している。
 そして、そのどれもが、美しい。


ことり(大きい、長い、小さい、変な形……お魚さん、人魚さん……よくわからない生き物もたくさん……)

ことり(耳を澄ませば、小さな泡が弾ける音や、海底の地面が唸る声も聞こえる)

ことり(暗いどころか、どこかから差し込んでくる光が波に揺られ続けて、一秒毎に色を変えて眩しいくらい)

ことり(こんな世界、実際見るまで想像できない!)

ことり(龍宮城だけが特別なんじゃなくて、海そのものが綺麗で素敵な世界だったんだ)


 普通じゃ見聞きすることなんて絶対にできない体験をしている。
 魔法みたいな、魔術みたいな……夢や幻にだって描けない、瞳奪われ心弾む、水底の神秘。


ことり(きれい…………すごい…………)


 言葉にならないくらいの感動を覚えて、私は海の虜になっていた。

海未「あっあの、ことりっ」

ことり「なぁに? あっ、ごめんなさい……!」


 気分が盛り上がった勢いで何度も海未ちゃんに抱きついちゃって、その度海未ちゃんに身を固くさせちゃう。
 すぐに離れるけど……でも、途中からは勢いで、わざと身を寄せるようにしていた。
 今だけは、もっと海未ちゃんの近くに居たいから。


ことり(海中は人の想像も及ばぬ幻想の世界……そんな言葉、村の誰が言ってたかな)

ことり(でも本当に、幻想的って言葉じゃ言い表せないくらい、摩訶不思議で素敵な世界……)


 これは本当に私が今まで見てきた海なのかな。
 もしかしたら、陸から見る海と、海の中に潜って感じる海は別物なのかも。
 目に映る全てが新鮮で、衝撃的で、ここが海なのかどうか疑っちゃう。


ことり(でも、そう。これが本当の海)

ことり(今、私が暮らしている世界の美しさなんだ)

ことり「海って……こんなに綺麗なんだね」

海未「そうですよ。海は素敵な所なんです」


 海未ちゃんの口から、海、の言葉を聞くと、なんだかおかしい。

 目線を上げて、私に説明をしてくれる海未ちゃんの横顔を伺う。
 身を寄せるようにしてくっつくような距離は、これまでで一番近い。


ことり(海未ちゃんと、こんなに近い……)

ことり(すてき)


 急に胸がキュッとなった。
 海未ちゃんが色々説明してくれているけど、耳に入らなくなる。


ことり(あ……どうしよ)


 意識したら、動悸が激しくなって収まらなくなった。

 せっかくの時間、他所では味わえない海中散歩なのに。
 胸の高鳴りを抑えるのに必死で、周囲に広がる素敵な光景を味わうことさえできなくなってしまう。

 収まらない動悸に驚かされながら、私と海未ちゃんの遊泳は、ゆっくりと時を刻んだ。

―――


海未「お疲れさまでした」

ことり「うん。ありがとう」



 夜中、二人きりで泳ぐ海のお散歩も、名残惜しいけどお終い。
 龍宮城にきて一番楽しい時間を過ごすことができた。


ことり「ホントに凄かった……楽しかったぁ」

海未「気にいってもらえたようで何よりです。また機会があれば散歩に出かけましょうか」

ことり「ホントに!?」

海未「ふふっ、凄い喰いつきようですね。ええ、約束しますよ」

ことり「やったぁ! 海未ちゃん大好き!」


 反射的に飛びついて……それから、大胆すぎる行為に自分で驚いた。
 あまりに恥ずかしすぎて、海未ちゃんの肩に顔を押し付けながら顔を上げられなくなった。

ことり「…………」

海未「…………」

ことり「…………?」


 どうにもできなくて固まっていたけど、海未ちゃんも何も言わないし動かない。
 恐る恐る、顔を上げてみる。


ことり「……わ」


 思わず声が出るくらい、海未ちゃんの全身の肌が真っ赤っかだった。
 水中の人魚さんだってできないくらい目が激しく泳いでる。


ことり(これ、私がくっついたから、なの?)


 冷静に解釈して、そしてすぐに、冷静さを失う。
 ごめん、とかつい、とか口走りながら慌てて海未ちゃんから離れて、背を向けてしまう。


ことり(わっ、わっ……だ、大好きって、言っちゃった……!)

ことり(…………)

ことり(……だ……大好き、だけど……)


 息を吐くと、吐息も頭も胸も熱い。
 舞い上がってるようで恥ずかしくなって、海未ちゃんの方を見れない。

海未「で、ではっ! そろそろ休みましょう! 失礼しますっ!」


 妙に上擦った声が背後から聞こえた。
 余りに間の抜けた声に振り返れば、海未ちゃんは逃げるように勢いよく駆け出してしまっていた。


ことり「あっ」


 照れ隠しだってわかるけど、ロマンティックな夜を過ごしたにしては、味気ないさよならになっちゃう。

 本当に大切な時間と、ときめきをを与えてくれた。
 優しくて素敵で、大好きな、私の乙姫さん。


ことり「海未ちゃん! ありがとう!」


 ありきたりだけど、心に満ちる素直な言葉を、走り去る後ろ姿に投げかけた。

 去ろうとしていた海未ちゃんは、私の声を聞いて足を止めた。
 ややあってから振り返って、どこか照れてるようなむず痒いような、曖昧な表情を返してくれるのが遠目に見えた。


海未「お、おやすみなさい! また明日!」

ことり「……うんっ! おやすみ!」


 子供みたいに大きく手を振って、お互いの寝所に向かう。
 だけど、このままベッドに入っても、胸の中に残る熱が、しばらく寝かせてくれそうにない。

―――


ことり「…………」

「ことりちゃんどうしたの? 縫い物進んでないよ?」

「スランプ?」

ことり「あ、えっと、ちょっと休憩……かな?」

「ふうん。中途半端なところで休んでたねー」

ことり「うん……へへ……」


 海未ちゃんとの海中散歩から数日……。
 私の心は未だに、泡に包まれて海の中を漂っていた時と同じ、ふわふわ浮かんだまま。

 あの日、泡の膜一枚隔てた先に見聞きした海底の神秘、間近で見る海未ちゃんの横顔、胸の高鳴りが、ふとした瞬間鮮明に蘇る。
 夢ではないけれど、夢の様に素敵な、夢よりも幸せな時間。


ことり「…………はぁ」


 日常生活に支障が出るのはよくないのはわかってる。
 その上で抗えない幸せの余韻に浸りながら、私は地に足が着かない日々を送っていた。

ことり(二人きりのお散歩……二人だけの時間……)

ことり(お役目じゃなくて、もっと個人的な付き合い……初めて見るくらいはしゃいでた、照れ屋さんの海未ちゃん……)


 あの日の私たちはどこか特別だった。
 振り返ってみても確信を持てる。
 お屋敷の主と客人の間を超えた新たな関係が、今の私たちの間には感じられる。


ことり(やった…………うふふ…………やったぁ……!)


 端からすれば大した出来事じゃないかもしれないし、実際特別なナニカが起こったわけじゃない。
 それでも心は弾んで、何もないのに走り出したくなる。


ことり(凄い……たった一夜の出来事でこんなにウキウキしちゃうんだ)

ことり(まるで海未ちゃんに魔法をかけられたみたい……なぁんて)


 浮ついた気分を極力表に出さないようにするけど、その努力もどれくらい上手くいってるのかな。
 自分で判断できないくらいには、私は浮かれていた。

「あ、海未さんだ」「どこどこ?」

ことり(海未ちゃん?)


 宮殿内を歩いていたら、海未ちゃんの名を呼ぶ会話が聞こえてきた。
 楽しげに話す二人組の視線を追えば、少し離れた縁側を足早に進む海未ちゃんの姿が目に入った。


ことり(相変わらず忙しそうだし、厳しい顔してる。あの日はとてもゆっくりできたのに)

ことり(……自然体の海未ちゃんを知ってるのも、私だけ?)


 少し意地の悪い考えをしちゃっている自覚はある。
 でも……日頃見せない親しみやすさは、あの日あの時だけの特別なものだったら、嬉しいな。


「海未さんいつもしっかりしてるよねー」「だねえ」

ことり(うんうん)

「そんなところが素敵だよねー」「格好良い!」

ことり(うんうん!)

「憧れだなあ……もうちょっとお近付きになりたいなあ」「私もー」

ことり(……うん?)


 …………うん?

―――


ことり「…………」


 自室のベッドに腰掛けながら、私は眠れない夜を無為に過ごしていた。


ことり(私以外にも海未ちゃんを慕ってるヒトは龍宮城に沢山いる)

ことり(あまり意識してこなかったけど、考えてみたら当然だよね)

ことり(お屋敷の偉い人で、なのに優しくて気さくで、格好良くて素敵で綺麗で……)

ことり(海未ちゃんを見ているのは私だけじゃないんだ)


 近頃の私は、不自然なくらいに大きな愛情を住人たちから向けられている。
 重いとさえ感じてしまう求愛を受けて、宮殿で一番愛されてるような気さえしていた。

 だけどそう、私なんかより慕われて当然のヒトが、ここにはいる。


ことり(海未ちゃんなんてその代表例だよ。好意を向けられるなんて当たり前)

ことり(あんなに素敵なヒトなんだもん……私じゃなくたって……)

ことり(……なんだか急に、焦るような、そんな……勝手な気持ち、出てきちゃった……)

 海の生物の寿命がどれくらいかわからないけど、私たち人間よりもずっと長いって話を以前小耳に挟んだことがあった。
 なら、龍宮城に住まうヒトたちはずっとずっと昔から、一つ屋根の下で海未ちゃんと暮らしていたことになる。


ことり(私の知らない海未ちゃんをみんな知ってる)

ことり(ひょっとしたら、これから取り返そうとしても絶対に追いつけないくらい、沢山の思い出を持ってるのかも……)


 私は客人という立場で、海未ちゃんを始めとする乙姫さんたちの寵愛を一人占めする特権を得ている。
 こんな優遇のされ方は他の住人には無い、私だけのもの。
 毎日その特権を行使している形だけど……例えそうであっても、埋められない差があるのかもしれない。


ことり(それに、私が今受けている厚遇だって、私だけが受けてきたわけじゃない)

ことり(陸からやってきた人間のお客様相手なら、海未ちゃんたちは優しく接してたはず、なん、だか……ら……)


 そこで気付いた。


ことり(………………あ……れ……?)


 これまで聞いてきた龍宮城の話と、今私が知る龍宮城の実状。
 二つの間には、決定的な違いがあることに。

―――


ことり(…………やっぱり)


 これまで龍宮城で過ごしてきた日々の記憶を辿れば、事態は明白だった。
 改めて確認するつもりで宮殿内を隅々まで散策しても、間違いない。


ことり(ど……どうして……)


 どうして気付かなかったんだろう。
 どうしてこんなことになってるんだろう。


ことり(龍宮城にはたくさんのヒトがいる……乙姫さん、人魚さん、色々な海の住人たちが……)

ことり(なのに……一人もいないなんて……)


 これまでだって、言いようの無い不安を感じることは何度もあった。
 不安の原因は、思い出せなかったり、わからなかったり、正体不明故に不安を感じることばかりだった。

 けれど今回は、何故不安を感じているのか、理由がはっきりしている。
 不安の正体がわかっているからこそ、明白な恐怖心に囚われていた。


ことり(だって、だって……龍宮城には、今までたくさん、私以外にも……!)

凛「ことりちゃんっ!」

ことり「ひっ!?」


 脇から飛び出してきた凛ちゃんに驚いて悲鳴が漏れた。
 思わず距離を取ってしまう。

 こんなに愛くるしい乙姫さんなのに……胸に浮かんだ疑念が、その姿を恐ろしい何者かに変換させて視界に映す。


凛「? どうしたの?」

ことり「なっなんでもないのっ!」


 失礼だって思う余裕もなく、即座に凛ちゃんに背を向けて、逃げるように立ち去った。
 私を呼ぶ凛ちゃんの声に振り返ることもできない。

 この疑念を抱いたまま、私はこの先、どんな顔をしてみんなと接すればいいの……。

―――


 昼の散策から逃げるように自室へ引き返し、引き籠ったまま夜を迎えて。
 一人で頭の中を整理したかった私は、今……。


凛「こーとーりーちゃん♪」

ことり「……うん」


 障子を隔てて、凛ちゃんとお話をしている。

 日中、私の態度が気になったって、凛ちゃんは心配してくれているみたいだった。
 心配は有り難いし嬉しい。
 ただ……今は親切心を素直に喜んでいいのかわからない。
 正確には、それ以外の疑念で頭がいっぱいで、平常の精神を保てない。


凛「……ことりちゃん聞いてるー?」

ことり「あ、えっと……ごめん」


 当然、会話に集中なんてできなくて、凛ちゃんの声が耳から耳へとすり抜けていく。
 こんな気持ちは嫌だし、凛ちゃんにも申し訳ないけれど……どうしようもできないよ……。

凛「どうしたの? 具合悪い?」

ことり「そうじゃないんだけど」

凛「もう眠いかにゃ? 凛帰った方がいい?」

ことり「うーん……」

ことり(曖昧な返事しかできない……)

ことり(どうしよう……いっそのこと、直接凛ちゃんに聞いてみる?)

ことり(龍宮城の秘密とか、凛ちゃんは割と教えてくれそうな雰囲気だったし……)

凛「ね、ホントにだいじょーぶ? 凛が元気づけてあげよっか!」

ことり「……あの、ね。一つ聞いてもいいかなぁ」

凛「ん? いいよっなんでも聞いて!」

ことり「龍宮城って、陸から人間が沢山訪れる、海底の楽園なんだよね」

凛「そうだよっ。今更そんなことどうしたの?」

ことり「…………私以外の人間のお客って、どこにいるの?」

凛「え?」

ことり「龍宮城を求めた人間はこれまで沢山やってきたんだよね」

ことり「おもてなしに忙しくなるくらいの人数で溢れ返ることもあるって話も聞いたよ」

ことり「でも、今日確認してみたけど、龍宮城でもてなされてる人間って私一人だけだよね?」

ことり「……どうして?」

ことり「これまで龍宮城に訪れた人間、どこに行ったの?」


 振り返ってみれば、私が宮殿にやってきて以降、他の人間の姿を一度たりとも目にしたことはなかった。
 沢山の人間が客として訪れる海底の楽園、そのはずなのに。


ことり「……龍宮城に来た人間って、理性を失うくらいに楽しいことに酔っちゃうって教えてくれたよね」

ことり「その後……最後には、理性を失った人間は、どうなるの?」


 過去の来訪者の喪失。
 その事実は、この先に待つ私の未来を示しているようで、決して無視できることじゃなかった。


ことり「教えて……お願い凛ちゃん、教えて……!」

凛「いいよ。教えても」

ことり「……え?」


 あっけらかんとした声が障子の向こうから返ってきた。

 根拠はないけど、重大な秘密の様に感じていたのに。
 こんな簡単に凛ちゃんは教えてくれるの……?


ことり「い、いいの? 教えてくれるの? ホントに?」

凛「うん。確かに黙ってた事だけど、いつまでも内緒にするつもりはないし」

凛「凛は早くことりちゃんに教えたかったもん」

ことり「じゃ、じゃあ、」

凛「教えるから障子開けて?」

ことり「え」

凛「ことりちゃんの部屋で、二人っきりで、ゆっくり教えてあげる」

凛「だから障子開けて、凛のこと招いてくれる?」

 疑念を解消できるチャンス。
 だけど引き換えに、海未ちゃんとの約束を破る要求をされてしまった。


ことり(…………ど……どうしよう……)


 宮殿にやって来た初日から、事ある毎に海未ちゃんから言い含められてきた。
 その約束を破ってまで、胸に宿る疑念を解消するべきなの?


ことり(知りたい……どうして人間がいなくなったのか)

ことり(凛ちゃんの口ぶりだとちゃんと理由があるみたいだし、知りたいよ)

ことり(……だけど……)


  『―――約束してくれますね』

  『例え私相手でも―――』

  『いけませんっ!』


ことり(…………怖い)

ことり(海未ちゃんがあんなに注意してきたことを破ったら、一体どうなるの?)

ことり(知らないままでも怖いけど……知ろうとしても、凄く怖いよ……)

 結局。


凛「ことりちゃん?」


 私はそれから……。


凛「ね、ダメ? 招いてくれないの? ことりちゃんの質問、教えてあげるよ?」


 疑問の答えを知りたい気持ちと、約束を破った先に待つ恐怖の板挟みにされ……。


凛「ことりちゃん……」


 勇気を振り絞ることができなくて。
 海未ちゃんとの約束を破れなくて。


凛「…………今日は、帰るね。また気が向いたら、障子開けてね」


 私は一言も返事が出来ず、そのうち凛ちゃんは帰ってしまった。

 こうして、何もできないまま、龍宮城で私が辿る未来の分岐点は、無力なこの手からすり抜けていった。


ことり(………………………………どうすれば…………よかったの…………)

ことり(私……は…………)

―――


ことり「はぁ……」

ことり「お風呂……気持ちいぃ……」


 呟きは室内に広く反響して、やがて消える。
 宮殿の中央区画にある集合浴場は、それだけで一つの家くらいには大きな場所だった。

 龍宮城の背後に見え隠れする闇。
 一人で怯え、自室に篭っていても、言いようのない恐怖に震えてしまう時。
 私はここ、宮殿の大浴場にきて、直接身を浸すことのできる温かさに安心を覚えるようになっていた。


ことり(お風呂に入ると、体中の淀みがお湯に溶け出ていくみたい)

ことり(不安も、恐怖も、なにもなくなって、ただ温かくて、凄く落ち着く)


 我が身を心配することに疲れてしまった私でも、入浴中は安らぐことができた。

 特別製なのかよくわからないけど、陸でお風呂に入るのとは別次元の極楽だった。
 まさに海底の楽園の呼び名に相応しい至福の時間。
 こんな幸せを味わえるんだから、やっぱり龍宮城は素晴らしい場所なんだ。


ことり(不安なことが無ければ、もっと幸せだけど……)

 浴場内は照明が抑えられていて、湯船から立ち昇る湯気が光と混じり合う。
 辺り一面は薄ボンヤリと輝き、空間そのものが微睡んでいるみたい。

 集合浴場はみんなの憩いの場みたいで、いつでもお湯に浸かっている住人たちが沢山いた。
 通ううちに、お風呂友達のようなお知り合いもできた。


ことり(……あ。人魚さんだ)


 一緒に入浴するヒトの中に、下半身がお魚肌の人魚さんがいると、目新しさに惹かれて自然と目がいってしまう。
 光沢ある鱗に覆われた下半身がとても艶やかで、湯を浴びると一層美しさが増した。
 じっと見つめるのも失礼だから、横目でそれとなく見るだけにするけど。


ことり(綺麗なお肌…………お魚さんだけど、肌、でいいんだよね? それとも鱗?)

ことり(……どっちでもいっか。綺麗だし)


 他人様の肌を覗き見するなんてはしたないけど、浴場での楽しみの一つなんです。
 ちょっとしたイケナイ楽しみも味わいながら湯船に浸かって、一日の疲れを癒すのが、最近の私の日課になっていた。

ことり「あぁー……気持ちいいよぅ……」

ことり「なんでお湯に浸かると声出ちゃうんだろぉ……」

「龍宮城の大浴場はとっておきの癒しの場ですから」

「溜め息ものだよねー」

「私たちもたまに声出ちゃうから気にしないでいいよ」

ことり「そ、そうですか……えへへ」

ことり(独り言にも丁寧に返してくれて、ここの人たちは本当に親切)

ことり(何だかんだ言ってもみんなやっぱり優しいなぁ)

ことり(でも独り言を聞かれてたって思うとやっぱり恥ずかしい……気を付けよっと)


 口元まで深く浸かりながら、淡く緑色に濁った湯の中で手足を伸ばす。
 ここでの入浴は本当に極楽。
 時間が許してくれるなら、いつまでも浸かっていたかった。

ことり(…………また、だ……)


 緩んでいた気持ちに、一瞬にして緊張が走った。

 龍宮城の暮らしで一番の憩いの時、大浴場でのお風呂……だけど。
 ここでも一つ、心をざわつかせる問題があった。


ことり(私は人魚さんみたいに、目を奪われるような綺麗な肌をしてるわけじゃない)

ことり(なのに今日も……勘違いじゃないよ)

ことり(お風呂に入る度、絶対に…………みんなから見られてる、よね……)


 じっ、と。
 辺りに立ち昇る湯気の向こうから、沢山の視線を感じた。

 鑑賞するような、見張るような、品定めをするような。
 熱い眼差しが私の全身に刺さる。
 今日だけじゃない……入浴時にはいつも、この種の視線を感じるようになっていた。

ことり(どう、して……?)


 一度気付いてからは、入浴中に絡みつく視線が気になって仕方がなかった。

 みんなは上手い具合に、私の見ているところではそれとない風を装っているけれど。
 ふと、私に注がれる熱い視線が視界の端にちらついて、急に落ち着けなくなる。

 こうしてにごり湯に浸かっている最中にも、まるで湯を透過して、体の隅々までくっきりと映し出されている錯覚に陥ってしまう。


ことり(裸を見られてるみたいで恥ずかしい……それに、ちょっと怖い)

ことり(ゆっくり浸かっていたかったけど、もう出よう)


 そう思って、タオルを身体に当てて湯船から立ち上がった。


ことり「……え」


 突然、脇でお湯に浸かっていた誰かに肩を掴まれ、ぐいと引かれた。
 私は尻餅を付くような形で再び湯船の中に戻されて、バシャンとお湯が飛び散った。

「…………」「…………」

ことり「……………………あ、の……」


 私を無理やり湯船に引き戻したのは、髪の長い、綺麗な目をしているヒトだった。
 隣には、浅黒い肌をしたヒトも寄り添い、二人並んで私の前に立ちはだかった。

 一人が私に触れたことで、他の住人たちの視線が一際強く私へと集まった。
 湯船に引きずり込まれた私を、多くの瞳が見ている。


「……もう少し浸かりましょうよ」


 長髪のヒトから、低温の、湿っぽい声色で語りかけられる。
 精神が揺さぶられるような魔性の響き……。

 急な出来事に困惑していると、浅黒い肌の人が私の側に擦り寄って来た。


「もう少し、私たちと、ゆっくりしましょう?」

ことり「あの…………私…………」

「一緒に温まりましょう?」

「身体の底に、じっくり熱が篭るまで、浸かりましょう?」

ことり「あ、の…………」


 蠱惑的な声や視線に当てられたのか、急に口が上手く回らなくなる。
 そっと、私の裸の肩に手が置かれ、指が肌に食い込んた。

希「………………なぁに…………してるのかなぁ…………?」


 のぼせてしまったのか何なのか、ぼんやりしてきた頭の中に、聞き馴染みのある声が響いた。


「あっ!?」

「あ、あの、これは……」

ことり「……のぞみちゃん……」


 希ちゃんだ……。
 いつの間にか、希ちゃんが私の側にいる……。


希「別に……一緒にお風呂を楽しむだけなら、全然問題ないんよ?」

希「本当にそれだけなら……ウチは、なんも心配しないで、ゆっくりするんやけど……ね?」

「…………は、い」

「……なにも、ありません」

希「よかった♪」


 希ちゃんがニッコリと笑う。
 笑いかけられた二人の表情は湯気に隠れていて、どんな顔をしているのかわからない。

 表情が見えないまま、二人の住人は、湯気の中へと消えるように離れていった。

 事態の把握に思考が追い付かないまま、漠然と希ちゃんへと目を向けた。

 希ちゃんは湯船から立ち上がっていて、抜群のプロポーションが露わになっていた。
 女の子同士とか関係ない、誰であっても惹きつけられる肢体が、目の前にある。


ことり(綺麗……)


 綺麗なヒトだらけの龍宮城の中でも、最も魅力的なカラダ。

 誰に対しても誇ることが出来るその身を見せつけながら、希ちゃんはじっと私を見下ろしていた。
 靄にぼやけたその瞳は、不思議なチカラが付加されたかのように映る。


ことり(希ちゃんも、私を見てる…………見てる…………)


 住人たちが私を見るのと同じ、熱い視線のはずなのに。
 他のヒトたちと違って、どこか冷たい。

 相反する色味を見せていた希ちゃんは……ふといつもの優しい笑顔になって、私の濡れた額に触れた。


希「ことりちゃん、結構長湯しとるやろ。そろそろ上がろっか」

ことり「…………え……でも……」

希「ほーら、反応も鈍いくらいボケーってなっとるやん。お風呂は逃げたりせえへんから、さ、一緒に出よっ」

―――


ことり「ふぅ…………夜風、気持ちいい……」

希「ことりちゃん牛乳持ってきたよー。お風呂上りはやっぱこれやね」

ことり「ありがとう希ちゃん」


 お風呂からあがって夜風に当たっていると、ぼんやりしていた頭も正常に働くようになってきた。
 さっきのは一体なんだったんだろう……。


希「……色々と、わからんことばかりで不安?」

ことり「……ねえ、さっきの人たち……私に何かしようとしてたの?」

希「そやねえ……色々教えるには早いと言っても、今日みたいに何も知らんままだと逆に危ないかもしれへんし」

希「と言っても、説明の仕方も難しいなあ。悩みどころやんなー」

ことり「?」

希「……みんなね、ことりちゃんのことが好きなんよ」

ことり「……すき」


 希ちゃんが何を話しているのかすぐに理解したわけじゃない。
 ただ、好き、っていう言葉と、最近になって住人たちから感じていた求愛の態度、この二つの繋がりが妙に納得できた。

希「ウチら龍宮城の住人は、人間のことが大好きなん」

希「大好きなお客様に喜んで貰いたい、ウチらのこと好きになってもらいたいって気持ちで、一生懸命おもてなししようと頑張ってる」

希「特にことりちゃんなんて、可愛いし、芸事の物覚えも早いし、ウチらにも優しいし、みんなに大人気なんよ」

ことり「そんなにみんなから好かれてたんだ……」

希「そうだよ。ウチら海の生物にとって、人間は一番好きなものだからね」

希「食べちゃいたいくらいに」

ことり「あは。食べちゃいたいって、そんなに?」

希「……今、物の例えだと思ったでしょ」

ことり「うん?」

希「例えやないんよ。食べちゃいたいくらいに、って言うんは」

ことり「……どういう意味?」

希「ウチらはね、本当にことりちゃんのこと食べちゃいたいって思ってる、ってことだよ」

ことり「……………………それ、って……」

希「まあまあそう怖がらずに。無理やり掴みかかって体の肉噛みつくとかそういうんやないから」

希「もしそうなら、とっくにことりちゃん食べられちゃってるやろ?」

ことり「うん……」

希「でもね、ウチらがことりちゃんを……龍宮城にやってきた人間をそういう目で見てるんは、ホンマなん」

希「そうしないと、ウチらは生きていけへんから」

ことり「生きていけない?」

希「ことりちゃんは食べ物食べないと死んじゃうやん? それとおんなじ」

希「ウチら海の住人は、人間から生気を頂かないと死んじゃうんよ」

ことり「死ぬ……人間の生気を、食べないと……」

希「だからって欲望のままに人間をパクリとすればええわけでもなくてね」

希「龍宮城なりの決まり事もあって、色々と複雑なん」

希「せやからことりちゃんは、早急に身の危険を感じたりしないで大丈夫だよ」

希「ことりちゃんが望まないようなこと、ウチらは絶対にせえへんから」

希「現に今まで変な事してこなかったやん? ね?」

ことり「……うん……わかった……」

希「ただ、いつまでも騙すようでよくないから、これだけはちゃんと言っとく」

希「ウチらは、ことりちゃんが思ってる程、善人やない」

ことり「…………」

希「もしことりちゃんが隙を見せたら……ふふっ。なあんて、ね」

希「ことりちゃん、食べられちゃうって聞いて、ムシャムシャ食べられる想像した?」

ことり「え、うん……しちゃった」

希「ま、言葉の響きじゃそうなるよね」

希「でも食事みたいに、ことりちゃんの白くて柔らかそうな肌に歯ぁ突き立ててムシャムシャするわけやないんよ」

ことり「違うの?」

希「方法としてはそういうやり方もあるけど、あくまでも生気を貰うのが目的やから」

希「やり方は色々あるし、その中から人間も納得できるものを選んでるつもり」

希「ただ、どんなやり方でも、ウチらが生気を貰う代わりに生気を失った人間は、死ぬ」

希「だからこそ生気を頂く行為を、人間を食べる、って言ってるんよ」

ことり「本当に死んじゃうんだ……」

ことり「宮殿の人たちは人間を食べないと死んじゃって……人間は食べられたら、死んじゃう……」

希「結果だけ聞くと怖いと思うやろうけど、残虐な事態にはならへんから。安心して」

希「痛みも苦しみも与えないよう、ウチらも精一杯配慮はしてるからね」

希「下心は満々でも、人間のことが好きで、心からもてなそうとする気持ちは本物なん」

ことり「……私の事を大切にしてくれてるのは、凄く伝わってくるよ」

希「でしょ?」

希「こんな話して何やけど、ウチらのことを疑ったり怖がったりして生活する必要はないから。そこだけは信頼してね」

ことり「食べる……私を、食べる……」

希「まあそんなこと言われても怖いよねー。んーそうだなあ……もう少し教えとくかあ」

希「今、ウチはことりちゃんを食べるって話したやん?」

ことり「う、うん」

希「人を食べるって言葉、もう一つの意味があるやん?」

ことり「え? もう一つ?」

希「わからへん?」

ことり「うん……どういう意味?」

希「うふふ、それはね…………エ、ッ、チ、な、意、味……だよ♪」

ことり「!?!? え、エッ…………えぇっ!?」

希「んふふふふー♡ せやからそういう意味でも、ちゃぁんと身を守っとかないとあかんでえ?」

ことり「え、食べるって……ほ、本当に? 本当にそういう意味……?」

希「だってことりちゃんすっごく可愛いんやもん、ホンマ食べちゃいたいわあ」

希「今の食べるって言葉、どっちの意味で言ってるかは想像に任せるよ」

ことり「うぅ、そんなぁ……そんな言い方ズルイよぅ」

希「とまあ、成り行きで龍宮城の秘密を一部教えたわけだけど。不思議が解明できてスッキリした?」

ことり「全然しません!」

希「だぁよねえ。にしし♪」

ことり「笑いごとじゃないよぉう!」

―――


ことり(…………)

ことり(ど、どうしよう……予想外の話すぎて、どうしたらいいかわからないよ)

ことり(色々と慣れてきたのに、またよくわからなくなっちゃった)

ことり(……人間を……私を、食べる、って言ったよね)

ことり(食べる……食べられたら、人間は……死ぬ?)

ことり(みんな、私のことを食べたいって思いながら……そう思ってたからこそ、今まで親切にしてくれてた……?)

ことり(それに…………えっ、エッ……そ、そういう意味でも食べちゃう、って……)

ことり(……わからないよぅ!)


 希ちゃんに教えてもらった秘密。
 受け止めるにはショックが大きすぎて、頭の中がパンクしちゃう。

 私を、食べる……。
 その言葉が、幾通りにも意味合いを変えて、脳内をぐるぐると踊っては私を悩ませた。

海未「……ことり。起きてますか?」

ことり「ぅ海未ちゃん!?」

海未「ああ、起きていたのですか。訪れた私が言うのもなんですが、随分遅い時間だと言うのにまだ寝ていなかったとは」

ことり「ちょっと、眠れなくて」

海未「何かありましたか?」

ことり「ねえ、海未ちゃん。お話してもいい?」

海未「私はそのためにことりの部屋まで来ましたから」

ことり「……障子、開けちゃ駄目?」

海未「…………いけません。話をするだけでしたら、障子を開けてはなりません」

ことり「……わかった。じゃあこのままでもいいから、聞いていい?」

海未「なんでしょう」

ことり「……海未ちゃんは、私のこと……食べたいの?」

海未「………………そう、ですか。聞いてしまいましたか……」

ことり「希ちゃんにね、教えてもらったの」

海未「希が判断したということは、教えるべきタイミングだったのでしょう」

ことり「本当のことなんだよね……?」

海未「……事実です」

海未「私たち龍宮城の住人は、人間から生気を取り入れることで生き永らえています」

海未「命を頂く行為を、人間を食べると称している……この辺りまでは聞きましたか?」

ことり「うん……でも、まだ秘密の全部は聞いてないと思う」

海未「希がどこまで話すべきか、どういった判断を下したのか、私にはわかりかねますが」

海未「ここまで聞いたからには、ことりも詳しい事情が気になってしまいますよね」

ことり「……教えてもらえるなら、教えて欲しい」

ことり「本当なら理性を失ってから……龍宮城の、決まり? そういうのに慣れてから秘密を聞くべきって聞いたけど……でも……」

海未「……わかりました」

海未「隠されたままというのも辛いでしょう。説明します……龍宮城における、人間の扱いについて」

私たちが龍宮城に人間を招く根本の目的。
それは、最終的に人間の生気を頂き、生命活動を維持する為です。

 ―――人間は、食べ物なの?

そう表しても相違ありません。

 ―――……私……ここでは食べ物なんだ……。

人間を捕食対象として見做しているのは事実です。
ただ、私たちは無闇に人間を取って食う野蛮な生物では無い、と主張させてください。
その証拠に、私たちは捕食対象を求め陸上に侵略したりはしません。
隔世を求め海に潜った人間をのみ、この地へ招くだけなのですから。

 ―――え、っと……?

龍宮城には、陸からの離別を決意して海に潜った人間を招いていると以前説明しましたね。
海に潜った人間は、普通はどうなりますか?

 ―――……海に溺れて……死んじゃう。

その通りです。
海中で失われる人間の命、その中から龍宮城を求める魂だけを我々は選別し、この地に招いています。
本来ならば失われるべき生命を私たちは掬い上げ、精神的な救済を与えた上で、命を頂くのです。

私たちは最終的に人間の命を奪います。
その目的は揺るぎません。
なのでせめてもの返礼として、陸の人間が追い求めた龍宮城の極楽を飽きるまで与え、満足して貰ってから命を頂く。
それが龍宮城の掟……乙姫たる私の使命です。

 ―――だからみんな私に親切にしてくれたんだ。

ことりが現時点で受けているもてなしは、まだまだ段階的には途中のものです。
今までの来訪者相手にはこの先に事を運ぶことができていましたが、ことり相手には上手くいっていません。

 ―――私がまだ理性を失わずに、自分を保ってるから?

ええ。
龍宮城を求めやってきた人間は、本来ならば自然とこの地の極楽に染まってゆく。
更なる幸福を、更なる極楽をと、際限なく欲望が高まってゆく。
もてなしの最終地点……極楽の極致まで。

 ―――最後には、どんな極楽が待ってるの?

最終的には、私たち海の生物との……その……。

 ―――……? 海の生物との、なぁに?

……ま、交わりです。

 ―――え? 交わり?

……。

 ―――うん? 交わりって?

海未「そう何度も交わり交わりと言わないでくださいっ!」

ことり「わっ!? ごめんなさい! でも海未ちゃんが言ったから……」

海未「ああ、頑張って真剣に話していたというのに……やっぱり無理です!」

ことり「ご、ごめんね……?」

海未「い、いえ、ことりのせいではなく……その……私、この手の話が少々苦手でして……」

ことり「この手のって……交わりの話?」

海未「で、ですから……!」

ことり「交わり……ん、あれ? ………………!? あっ! もしかして、交わりって、あの……」

海未「……」

ことり「え、えっちなことの意味……?」

海未「そっそうですよっ! だから話すのが苦手なんです! 破廉恥です……」

ことり「わっ、わっ……ホントに希ちゃんが言ってたような話になるんだ……!」

海未「はぁ…………説明はきちんとしなければなりません。気を取り直して、再開しますよ!」

ことり「は、はい! お願いしますっ」

海未「ふぅ……気が重いです……」

ことり「……」

つまりですね……龍宮城で人間が辿り着く極楽の極致は、海の者との身体的な交わりです。
人間同士が交わすような行為とは一線を画す、別次元の極楽……快楽が生じて、一度味わえば行為の中毒者と成り果てます。

 ―――へ、へぇ……。

同時に、そうした行為が、私たち海の生物にとって生命維持活動になります。

 ―――そうなの?

要は、その……身体的な接触を通じて人間から生気を吸収する、といった原理なので。

 ―――なるほど……ふ、不思議だね。

龍宮城の極楽に慣れきった人間は、じきに宴等の並大抵なもてなしでは満たされなくなります。
もっと楽しい事を、より大きな幸せを……更なる極楽を求める意識にのみ支配されます。
やがて最後に行き着く先が、海の生物との交わり。
交わりを通じて人間は生気を失っていき、果てには死を迎える。
この一連の流れが人間に対するもてなしであり、私たちの目的遂行の手順なんです。

 ―――幸せな日々の先には、死が待ってる……。
 ―――逃げることができない、シアワセって言う名前の罠みたい。

断っておきますが、私たちは人間を洗脳しているわけでもなく、騙しているわけでもありません。
人間側から自然と求めるようになるまで私たちは待ちますし、事に及ぶまでには全ての事情を説明します。
今ことりにしているように。
その上で同意を得て、生気の搾取に及んでいるのです。

 ―――海の住人たちと交わったら死んじゃうって言われても、みんな断らないの?

行為を通じて自らの生命が奪われるとしても、他の行為では満たされない。
その段階までゆけば、最早己の命を捨ててでも最上の極楽を求めるようになります。

 ―――自分の命以上に求めてしまう……。
 ―――人間としての理性を失って、龍宮城に染まるって、そういう意味なんだね。

元々海に潜った時点で尽きるだった命運を、海底の楽園で飽きる程の極楽を享受し、至福と共に人生を終える。
それが人間の辿る道筋でした……これまでは。

 ―――でも、私は違った……。

ことり……あなたは特別な人間です。
己を保ち続け、極楽に溺れる以外の方法で龍宮城に馴染もうとする。
私たちからすれば事を上手く運ぶことができず、ことりとの身体的な触れ合いの機会が日を追う毎に焦らされる。
だからこそ余計に、あなたを手に入れたいという欲望だけが日々積み重なり、歪んだ愛情となって募ってゆく。
住人たちにとって、今のあなたはそのような存在なんです。

ことり「…………希ちゃんがね。私たちは善人じゃない、って言ってた」

ことり「その意味がわかった気がする……」

海未「人間の命を奪うことを目的として、本来失われるはずだった生命を勝手に生き永らえさせ、龍宮城に呼び寄せた」

海未「この事実がある限り、希の言葉は正しいです」

海未「私たちは自己本位な意思の下、人間を龍宮城の色に染めようとしているのですから」

ことり「自分から極楽にのめり込んで、命を奪われてもいいってくらいの欲望を抱くように……」

海未「……未だに人間としての理性を保ったままでは、私の話を汚いものだと感じるでしょう」

ことり「そんな、ことは……」

海未「遠慮せずとも構いません。今の話こそ真実ですから」

海未「命を繋ぐ為に人間を捕食する。しかし人間の生命を奪うからには相手を尊重し、出来る限りの贅を凝らして人間をもてなす」

海未「それが龍宮城の本当の姿……ことりに隠していた秘密です」

ことり「……」

海未「……すぐに受け入れろとは言いません。とても無理な話でしょうから」

ことり「…………」

海未「……上手く言えませんが……色々と、すみませんでした」

ことり「……私、しないと駄目なの?」

海未「はい?」

ことり「その……身体的な……エッチな、こと」

海未「あ! いえっ、それはですね……」

ことり「そうしないと海未ちゃんたち、死んじゃうから」

海未「……一応、人間の生気を頂く手段は他にもあります」

ことり「そうなの?」

海未「身体的な交わりというのは必要ですが、必ずしも、せ、せ…………んんっ。せっ、性行為である必要はっないですからっ!」

ことり「あ……そ、そうなんだ……ちょっと安心したかな、はは……」

海未「例えばですね、直接肌で触れあって生気を頂くよう意識すれば、それでも生命力の摂取は可能です」

ことり「それだけでいいの? 手を繋ぐとか、そういうこと?」

海未「ええ。ですが生気のやり取りというものは、やはり命を燃やす行為ですから。交わり方が深ければ深い程効果があります」

海未「手を繋ぐといった程度の交わりでは、正直効果は薄い」

海未「諸々を加味した上での最良の方法が、その、性行為なんです」

ことり「生気を移したら、人間はすぐ死んじゃうの?」

海未「いえ。例え性行為であっても、一度や二度で簡単に命は尽きません」

海未「仮に一度のやり取りで人間の命が尽きるとすれば……食肉行為でしょうか」

ことり「食肉? ……肉を食べる、ってこと、なんだね」

海未「食肉行為もまた最上級の身体的な交わりですから、効果は高いです」

海未「しかし、住人たちは残虐且つ痛みを伴う行為を避けます」

海未「ここはあくまでも龍宮城、海底の楽園。娯楽的な行為こそが正義」

海未「例え命のやり取りでも、我々と人間、共に楽しんで行いたいという願いが込められているんです」

ことり「そっか……じゃあ、肌を触れ合って命を分け与えるくらいなら、すぐに死んだりはしないんだ」

海未「ええ。その程度なら、人間は身体的な怠ささえ感じることはないでしょう」

ことり「そう…………わかった」


 海未ちゃんに教えて貰った秘密。
 龍宮城の真の姿と、この先に待っている私の運命について

 勿論混乱した。
 不安も感じた。
 聞いた直後じゃ、こんな話、全然受け止められない……けど。

 一つ、私の脳裏に、ある考えが浮かんだ。


ことり「じゃあ……海未ちゃん」


 私は深呼吸して、覚悟を決めて。
 夜のお喋りの最中、これまで私たちの間をずっと隔てていた部屋の障子を……少しだけ、開いた。

海未「!? こっことりっ!? なにをしているのですかっ!」

ことり「これ以上開けないから! だから海未ちゃん……」


 僅かな隙間を開いて、私は手を部屋の外に差し出した。


ことり「私の手から、生気、貰っていいよ」

海未「……………………なに、を、」

ことり「栄養失調って意味、やっとわかった。……海未ちゃん、人間から生気を貰ってないんでしょ?」

海未「…………」

ことり「海未ちゃんのことだからなんとなくわかるよ」

ことり「きっと人間のことを考えて、命を奪えないんだよね」

ことり「命を繋ぎ止める行為なのに、海未ちゃんは人間を食べないから、いつも疲れてるんでしょ?」

海未「それ、は……」

ことり「だから……私を食べていいよ」

ことり「全部はまだ怖いけど……触って生気を移すくらいなら全然構わないから」

ことり「私の命で海未ちゃんが元気になるなら、私は嬉しいよ」

 龍宮城での生活が根底から揺らぐ秘密を私は知った。

 明日からは、周囲を取り巻く光景が別物のように映ると思う。
 煌びやかだった世界がどこまで色褪せるのか、今から怖い。

 ただ、この瞬間に感じているのは……不思議な充実感だった。


ことり(私の存在で、海未ちゃんが元気になることができるんだ)

ことり(海未ちゃんに何かして貰うだけじゃなくて、私からも海未ちゃんにお返しすることができる)

ことり(……海未ちゃんになら、許せるよ)

ことり(まだ人間としての理性を持っていて、龍宮城の極楽に身を浸せない私でも、海未ちゃんになら……)


 心配も困惑も脇に置いて、海未ちゃんの為に身を差し出すことができる喜びが胸を満たした。

 思考の容量を超えた事態に、あるいは現実逃避する気持ちも含まれているのかもしれない。
 自己犠牲のつもりなのか、悲劇のヒロインに酔っているのか、そうじゃないって言い切る自信はない。


ことり(……どうでもいい)

ことり(素直にそうしたいって……私が置かれた状況以上に海未ちゃんを優先したいって、本心から思えた)

ことり(今のこの気持ちを、私は、誇りに思う)

ことり「海未ちゃん。いいよ」

海未「…………ことり……」


 海未ちゃんは、やっぱり海未ちゃんだった。
 私が手を差し出して、命を与えようとしてからも、ずっと触れずにいた。

 夜の屋外は冷えていて、障子の隙間から差し出した手元だけ体温が下がっていく。
 いつも海未ちゃんは寒い中、私との長いお喋りに付き合ってくれていたんだ。
 ちゃんと体を温かくしないと、本当に体を壊しちゃうんだから。


ことり「……………………ぁ」

海未「…………ごめんなさい……」

ことり「…………ううん」


 外気に触れて、冷たくなっていく私の指先。
 寒さに震え始めた私の指に、それ以上に冷え切っていた海未ちゃんの指が、触れた。

ことり(……命が流れ、みたいなものが、起こってるのかな)

ことり(私から海未ちゃんに向かって、触れている指先を通して、生気の移動が)

ことり(私じゃよくわからない)

ことり(でも……私の指に触れている、海未ちゃんの指が、温かくなっていくことはわかる)


 遠慮がちに指先だけを触れてきた海未ちゃんの手を引いて、ぎゅっと握りしめた。
 逃げようとした手を捕まえて離さない。
 抵抗していた海未ちゃんも力を抜いて、障子越しに手を繋ぎ続けた。


ことり(わからなかったことが一つわかって……だけど、この先どうしたらいいのか、またわからなくなった)

ことり(わからないから……わからないまま、わかることだけをしよう)

ことり(海未ちゃんに、私を、捧げる)

ことり(私の命で海未ちゃんの命を救えることがわかったから、今はそれでいいの)


 結局最後まで、生気が移ったのかどうか、私にはわからなかった。
 それでもこの夜、命をかけて繋いだ海未ちゃんの手の温もりを、私は忘れない。

次から新規分になります

作者がツイッターで今週末、遅くともライブまでに終わらせると言ってたぞ
ここでも言えばいいのに

お前ら喜べ

ラブライブ板ではドイツ様の裁きが下ってええかんじになっとるぞ

>>222
晒そう(提案

Sana @sana77_tw 情報収集・趣味垢。 アニメ・漫画・ゲーム大好きです! 最近はラブライブにはまっており凛ちゃん推し! 気が合う人フォローお願いします。 無言フォロー、リツイートが多いかもしれないですがご了承ください。


twitterに[田島「チ○コ破裂するっ!」]晒すとか頭湧いてるやろこいつ 俺も宣伝してやるか ありがたく思え >>222ご苦労 よくやった

おぉぉぉぉぉぉぉぉなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ

―――


ことり(……思ってたよりは……平気、かな?)


 海未ちゃんから龍宮城の秘密を教えてもらった翌日。

 宮殿で私が受ける厚遇の由縁、その根底に潜んでいた欲望の正体。
 真実を教えて貰ったことで身構えてしまうんじゃないかと思っていた。
 住人の優しい態度を疑ったり、必要以上に身の危険を感じて怖がったり、って。

 だけど一日が始まってみれば、これまで通りの平穏な心境で生活することができた。


ことり(機織り教室でみんなと一緒に衣装を作って、各所でお手伝いをさせてもらって)

ことり(お昼はみんなとお話しながら過ごして、午後は色々な遊びをして)

ことり(昨日までと何一つ変わらない、楽園での幸せな暮らし)

ことり(未来に待っている運命は、死、なのに)

ことり(こんなに落ち着いてる……不思議……)

 昨日の今日で全てを受け入れられたわけじゃない。
 負の感情が麻痺して、まともに頭が働いていないだけかもしれない。


ことり(だけどそう、落ち着いてるのは……昨日の出来事があったから)

ことり(今までは海未ちゃんから何かをしてもらうだけだった私が、命を分け与えることができた)

ことり(この満足感が、私を落ち着かせてくれているんだ)


 行き着く先が死であると言われたところで、実感を伴って受け入れるのは簡単じゃない。
 それよりも、人間の身で乙姫相手に出来ることがあると知った。
 こっちの事実の方が、今の私には大切。


ことり(すぐに大変なことになるわけじゃない、って、希ちゃんも海未ちゃんも言ってたもん)

ことり(今から慌てることでもない、よね)

ことり(……昨日までみたいに、宮殿での生活を当たり前のように受け取ることは、もうできないけど)


 地上で何度も耳にした言い伝えを思い出す。

『海底の宮殿では 人間が訪れるのを 乙姫姉妹が待っている』

 人間にとって、理想郷への誘い文句に聞こえていたけれど、正体は別物だった。
 御伽噺なんかじゃない……もっと深刻な乙姫の計略が、言葉の裏側に秘められていたんだ。

ことり(ずっと続くように感じていた楽園での生活……だけど、そんなものはただの幻想)

ことり(いつの日か、龍宮城から私の存在は消える)

ことり(来た時のように突然お別れするのか、海の生物に食べられてしまうのかは、わからないけど)

ことり(時間は無限じゃない……これ以上、のんびり生活することはできない)

ことり(私のことは私が考えないと。私の、命について)

ことり(考えないままだと、いつの日か、私は食べられちゃうんだから)


 平和な日常を過ごしながらも、危機感を募らせて気を引き締める。
 命の危機を感じているあたり、やっぱり私はまだ、龍宮城の色に染まりきっていないんだ。


ことり(……もしかしたら、染まっちゃった方が楽なのかもしれないけど)

ことり(誰かに全てを捧げて、幸せしか感じられなくなるのなら、その方が……)

―――


ことり「……」

海未「……」


 私の右腕だけが障子の隙間から室外に出ていて、夜風に吹かれ冷えてゆく。
 指先には海未ちゃんの手の温もりを感じて、触れている箇所だけが温かい。


海未「……ありがとうございました」

ことり「もういいの?」

海未「十分です。長時間腕を上げ続けるのも疲れるでしょう」


 海未ちゃんの指が離れて、温もりが消えた。
 繋がっていた体温を名残惜しく感じながら、私は腕を引いて、僅かに開いていた障子を閉じた。

 あれから夜に海未ちゃんが部屋に訪れる度、肌の触れ合いを通じて命を分け与えている。
 命が流れている感覚は未だにわからない。
 あの日以来、海未ちゃんの調子が少しずつ元気になってる気がするから、生気の伝達は上手くいってるんだと信じている。

ことり「遠慮しないで好きなだけ貰っていってね。私は元気だから」

海未「本当にありがとうございます。ことりのお陰で私も元気になります」

ことり「これくらいいつでもしてあげるよ」


 私の体調は何も変わらないから、不都合は無い。
 このくらいで海未ちゃんが元気になってくれるなら、いくらでも命を分け与えたい。


ことり「……私には、これくらいしかできないから」

海未「……これくらい、ではありません」

海未「ことりが私に恵んでくれているものは、命なんです」

海未「ことりがいなければ私はこの先、命を紡げなかった」

海未「私にとって最もありがたい……本当に大切な行為なんです」

ことり「そっか……」

海未「……初めてなんです」

ことり「なにが?」

海未「人間から生気を頂くのが、です」

海未「記憶にある限りここ百年、人間の生命を直接的に奪う行為に及ぶことができませんでした」

ことり「どうして生気を貰わなかったの?」

海未「身体的な交わりを経た人間は、一度味わった行為の甘美に虜となり、以降快楽への欲望以外を忘れてしまいますから」

海未「人格を大きく変えてしまう大胆な行為……どうしても、できなくて……」

海未「そんな私には、指先の触れ合いくらいがちょうどいいのかもしれません」

ことり「だからいつも疲れてたんだね」

海未「生きる為、という、海の生物にとって必要な行為だということは理解しています」

海未「ですが一方で、命の搾取という行為に躊躇いを拭いきれず……」

ことり「海未ちゃんの気持ち、わかる気がする」

ことり「私も海未ちゃんみたいに、直接自分の手で命を吸い取らないといけないなら、迷っちゃう」

ことり「だけど……人間だって普段から他の生き物を食べて命を繋いでる」

ことり「直接命を吸い取るのも、食べ物の形になった他の生き物を食べるのも、根本的には同じことなのかも」

ことり「そんな風に考えたらね、みんなのこと、あまり怖く感じなくなったんだ」

海未「そう、でしたか」

ことり「もし海の生物を怖がるなら、同時に私たち人間だって命を奪う生き物なんだって、自分自身を怖がらないといけない」

ことり「だから自分の存在を正当化する為に、考えを改めただけかもしれないけど……」

海未「ことりは思慮深い人ですね」

ことり「きちんと考えないといけないことを考えてなかっただけだよ」

海未「龍宮城では思考の全てを極楽で埋めてしまって、他の何事をも考えないのが普通なんです」

海未「なので尚更、ことりは思慮深い人なんですよ」

ことり「私はむしろ、龍宮城にいると色々考えちゃうな」

ことり「私ってなんだろう、人間ってなんだろう、海の世界ってなんだろう、って」

ことり「……海未ちゃんって、なんなんだろう、って」

海未「私は……乙姫ですよ」

海未「龍宮城の主、龍宮城の代表例……それだけです」

ことり「なのに、生きるために必要なことをしてないよ」

海未「……そうですね。代表例と言いながら、住人としては異端です」

ことり「海未ちゃんって不思議だね」

海未「全く、変ですよね」

ことり「変じゃないよ」

ことり「そんな海未ちゃんだから……私……」

海未「……」

ことり「……また、いつでも来てね。私の命ならいくらでもあげるから」

海未「……すみません。……ありがとうございます、ことり」

―――


海未「では先の要件は―――――次に明日の話ですが―――――」



凛「海未ちゃん前より元気になった気がするにゃ!」

希「ほんの少しとは言え安心したわー」

凛「ね! 嬉しいねっ!」

希「海未ちゃんおらへんと住人たちも自由勝手しちゃうからねー」

凛「ねえ希ちゃん」

希「うん?」

凛「海未ちゃんどうして元気になったのかな?」

希「…………なんで、やろね?」

凛「今までずーっと人間から生気吸わないで疲れてくだけだったのに。人間の在庫だって北に残ってないのに」

希「不思議やねー」

凛「……人間、今、一人しかいないよね」

希「せやね。可愛くて優しくて、とびっきりの良い子で、みんな大好きになっちゃった人間が」

凛「海未ちゃん、一人占めしてるのかな」

希「さあ。どうやろ」

凛「もしそうだったら……ズルイよね?」

希「さあ…………どうやろ、ね」

―――


 夜に海未ちゃんが部屋の外までやってきてくれる頻度は、以前のように毎晩って言えるくらいに戻っていた。

 勿論、生気を吸い取ることが目的。
 だけど私との会話も大切にしてくれているのがわかる。
 毎夜私から言い出さない限り、海未ちゃんは生命の移り渡しに触れないから。


ことり(本当に命を吸うことだけが目的なら、毎日長時間お話なんかしないよね)

ことり(もう海未ちゃんのことは疑わない。勘違いや思い込みじゃない)

ことり(海未ちゃんは、お役目とか自分の為とかだけじゃなくて、私の為に、夜にきてくれる)

ことり(……嬉しい)


 二人きりの夜のお喋り。
 一日の中で一番大切な時間。

 今夜も私はベッドの上で毛布に包まりながら、障子の向こうに人の気配がするのを待っている。

ことり(……………………あ。……きた!)


 部屋の外に足音が聞こえた。
 私はベッドから下りて、自分から障子に近付いていった。


ことり「…………こ、こんばんは」

凛「あ、来たのわかっちゃった? ことりちゃん鋭いにゃー」

ことり「え?」


 予想と異なる声。
 海未ちゃんじゃ、ない。

 障子のすぐ向こうから聞こえた凛ちゃんの声に不意を突かれ、私の体は一瞬硬直した。


凛「今日は海未ちゃん夜に来れなさそうだったから、代わりに凛が来たよ!」

凛「夜にことりちゃんの部屋にくるの久しぶりな気がするなあ」

ことり「…………う、ん。そうだね」

ことり(凛ちゃんだった……海未ちゃんじゃない……)

 変に緊張してしまった心臓を落ち着けて、普段通りを心がけた。


ことり(別に驚くことじゃないよ。凛ちゃんが夜に来てくれるのだって初めてじゃないんだし)

ことり(海未ちゃんじゃなくったって、夜にわざわざ私のところまで来てくれるのは有り難い話なんだから)

ことり「夜にお話するの、久しぶりだね」

凛「うん。今日はね、ことりちゃんに聞きたいことがあるんだー」

ことり「私に? なぁに?」

凛「えっとね。ことりちゃん、最近海未ちゃんと何かあった?」

ことり「え」

凛「例えば夜に部屋の障子開けたとか。海未ちゃん招き入れたとか。海未ちゃんに全部許したとか」

凛「そういうこと、あった?」

 聞かれたことの中には、いまいち意味のわからない言葉もあったけど。
 核心を突くような問いかけに言葉が出ない。


ことり(…………何か、あった、って……)

ことり(海未ちゃんとの……事、だよね……)


 海未ちゃんとの生気のやりとりについては誰にも話していない。
 二人だけの秘密みたいで、誰にも話したくなかったから。


ことり(……海未ちゃんが、話した、の?)

ことり(私が言うまで自分からは生気のやり取りを口にしない海未ちゃんが? そうは思えない……)

ことり(じゃあ、どうして凛ちゃんが知ってるの?)

凛「ことりちゃん。どう?」

ことり「…………どう、って」

凛「海未ちゃんと特別なことした?」

ことり「と、特別……」

凛「そう。特別なこと」

凛「例えば生気を分けてあげたとか。そういうことだよ」

ことり「……………………」

凛「…………そっか……やっぱりそうなんだ」

ことり「え…………いや…………えっと……」

凛「いいなあ。海未ちゃん、ことりちゃんから生気貰ってたんだ」

凛「そうだよね。じゃないと元気にならないもん」

凛「いいなーことりちゃんから命貰うの! 可愛くて優しいことりちゃんから生気分けて貰うの、いいなあ!」

凛「凛も、欲しいのに」

ことり「……………………」


 なぜか冷汗が止まらない。
 障子を開けていないのに、外から冷気が流れ込んで体中を包み込んだように寒気がする。


ことり(ど……どうしよう……)

ことり(どうしよう、どうしよう…………ご、誤魔化すべきなの? 隠さないといけないの?)

ことり(それとも凛ちゃんに本当のことを言った方が……?)


 困惑した思考が着地点を失う。
 ぐるぐると回る考えが、判断力を失わせていった。

凛「…………うぅ」

ことり「……凛ちゃん?」


 障子の向こうから苦しそうな声が聞こえた。
 続けざまに膝を付くような音も。


ことり「ど、どうしたの? 大丈夫?」

凛「凛もことりちゃんの生気が欲しいよう」

ことり「あ……もしかして、海未ちゃんみたいに元気なくなっちゃったの?」

凛「生気……欲しいよ……ことりちゃん」

ことり「だ、大丈夫!?」

凛「…………」

ことり(大変……!)


 この時の私は、ただただ凛ちゃんが心配だった。
 海未ちゃんが日を追う毎にやつれていくのを見てきたから、凛ちゃんもまた同じように生命力を失っているんじゃ……そう思った。

ことり(海未ちゃんみたいに、手を繋いで命を分け与えるくらいなら大丈夫かな)

ことり(もう何度もやってるけど、私の体調は少しも悪くなってないし)

ことり(凛ちゃんだって大切なお友達だもん……!)


 私は決意を固めて、命を分け与えることを決めた。

 他の誰かだったらまだ迷っていたかもしれない。
 だけど凛ちゃんは、龍宮城で特別に親しくして貰っているヒトの一人。
 私の力で助けになるなら助けてあげたい。

 私は部屋の障子を僅かに開く。
 右腕を外に差し出して、凛ちゃんのいる方へと伸ばした。


ことり「凛ちゃん、手を握って?」

ことり「肌で触れ合うだけでも生気は移せるって聞いたから。手を握って生気を……」

 ガダン


 障子が軋む音がした。
 驚いて目を向ける。

 僅かに開いた障子の隙間。
 そこに、外から差し込まれた手が掛かっていた。


ことり「ぁ……」

凛「ことりちゃぁん……♡」


 ギシ、ギシ……と、音を立てながら。
 凛ちゃんの手によって、障子が大きく開かれていった。

凛「開けて、くれたね……夜に、部屋の障子」


 障子はどんどん開かれていき、隙間から凛ちゃんの目が覗く。
 やがて顔の輪郭全てが見え、凛ちゃんの全身が映る。

 凛ちゃんの、必死とも切実とも言える真に迫った表情が、ただ事ではない事態を私の本能に告げる。


ことり「え……え……」

凛「海未ちゃんみたいに、凛のこと、受け入れてくれたんだね」

ことり「え……?」


 言ってることの意味はわからない。
 わからないのに、危機感はどんどん増していく。


凛「やっと、できるね」

凛「やっと、ことりちゃんと、大事な事ができる」


 思わず身を退いた私に呼応する形で。
 凛ちゃんが部屋の中へと踏み込んできた。

ことり「ど、どうしたの……? 体調悪いんじゃないの……?」

凛「凛は元気だよ……ただ、これ以上我慢できなかっただけ」

ことり「我慢、って」

凛「ことりちゃんを我慢することだよ」

凛「海未ちゃんが生気を貰ってるってことは、もうことりちゃん、虜になったってことでしょ?」

凛「だから凛たちもことりちゃん、貰っていいよね?」

ことり「虜……待って、私は海未ちゃんだからっ、」

凛「凛ずっと待ってたよ。ことりちゃんが龍宮城にやって来た日からずーーーっと」

凛「ようやく一緒になれるね。大切なことできるね」

凛「一緒に、最高に気持ちいいこと、しよ?」


 最高に気持ちいいこと……その言葉から連想される一つの行為。
 龍宮城における極楽の極致、身体的な交わり。


ことり「ぅあっ……!」


 凛ちゃんはそれを求めるように、私の身体を無理やり押し倒した。

ことり「きゃっ!? やっ、凛ちゃ、ちょっと待って!」

凛「もう我慢するなんて無理だよ! おかしくなっちゃう!」

凛「ことりちゃん可愛くて可愛くて、もう大好きなの! 凛ことりちゃんのこと大好きなのっ!」

凛「ことりちゃんは凛のこと好きじゃないの!?」

ことり「好きだけど……だからってこんなこと、」

凛「ことりちゃんだって凛のこと迎え入れてくれたじゃん! もういいってことでしょ!?」

ことり「迎え入れたってどういうこと!?」

凛「夜に障子開けてくれたもん! 凛のこと迎え入れてくれたってことだよね!?」

ことり「あれは手を握ってそこから生気を渡そうって……」

凛「……ことりちゃん龍宮城のことわかってないね」

ことり「なに……? ぅひゃぁっ!?」


 べちゃり、と。
 湿った音と同時に、全身に震えが走る。

 身体の上に圧し掛かった凛ちゃんは、大きく舌を伸ばして、私の首筋に這い合わせてきた。

ことり「う、あ、なっ、なにしてるのっ!?」

凛「人間が夜に障子を開けるのは相手を室内に招いていいって証なんだよ」

凛「招くってことは相手に全てを捧げてもいいってことなんだよ」

凛「つまりね……こうなってもいいってことなんだよ!」

ことり「し、知らない……私知らな、んぅっ!?」


 首回りの衣服を剥かれて、露わになった肩口に歯を当てられる。
 甘噛みされた触感は、チクリとした痛みと……否定し難い官能を私に植え付けた。


ことり(なにコレ、なんだか変……!? なにこの感覚……!?)

ことり(普通じゃない、体が凄く熱い……!)

ことり「待ってっ、お願い待って凛ちゃん、何か私変なの、」

凛「ことりちゃん可愛いよぅ……ことりちゃぁん……」

ことり「り、凛ちゃん…………っ……っ」

凛「ことりちゃん甘いんだね……柔らかい」

ことり「んぃっ!? あっ!? だめっ、だめっ」


 身体中を弄られながら、力づくで衣服を剥ぎ取られていく。
 凛ちゃんの小さな体のどこからそんな力が出るのか、手足を抑えつけられた私は少しも抵抗できなかった。


凛「ことりちゃん好き、好き……もっとしよ?」

ことり「お願いホントちょっと待って、駄目、」

凛「どうして? 楽しくない? 気持ち良くない?」

ことり「気持ち良……そういう話じゃなくてっ、」

凛「あ、ことりちゃんも興奮してるみたい。肌が赤くなってきてる」

ことり「やっ!? それっ、凄いからっ、ぁあっ、」

凛「へへ、もっと赤くしてあげる……んちゅ」

ことり「んっ!? ダメ! 凛ちゃんやめてっ!」


 静止の声が届いていないみたいに、凛ちゃんはがむしゃらに私に触れる。
 服の上から指を滑らせて、中に潜り込んで、下着の端へと。
 指先で、舌先で……どんどん奥深くまで……。

ことり(あ……!?)


 いきなり押し倒され、身体中弄られ、頭が回らない。
 更には肉体から生じる未知の感覚が私を支配して、混乱に拍車をかける。


ことり(か、身体が、壊れちゃう……)

ことり(凛ちゃんに触られて、おかしくなる……っ!)


 強引にされているはずなのに、身体が妙な悲鳴を上げていた。
 初めて感じる刺激にどうしようもなく悶えて、恥ずかしさも悔しさも混ざり合って、もうよくわからない。
 頭が馬鹿になりそうだった。


ことり「だ、だめ……んんぅっ! ダメだよ……!」

凛「ことりちゃ…………ちゅ、ぱ…………ことりちゃん……♡」


 一生懸命な凛ちゃんを見ていると……自分でも信じられないけど、行為を受け入れてしまいそうな心境になってきた。
 普通じゃない、本来なら簡単に受け入れていいことじゃない……でも、普通じゃなくていい……。
 思考が別物に塗り替えられていく感覚。


ことり(凛ちゃん……こんなに必死に、私のこと……)

ことり(……かわ、いい…………んぅっ……!)

 ……もう無理。

 凛ちゃんにされるがままになる。
 理性より早く身体が抵抗を諦めちゃったみたい。
 抗おうにも手足が動かなくて、与えられる刺激にのみビクンと反応する。


 キモチイイ


ことり「ふぅっ……ふぅっ……………………?」

凛「ことりちゃん」


 私の腹部に顔を埋めていた凛ちゃんが、顔を覗き込んできた。
 逆光に暗く映る表情がニンマリと笑む。


凛「好き」


 べちゃ


ことり「う。ひっ」

 滑りを帯びた舌が、私の唇の端に降ってきた。

ことり(あ)

ことり(…………ぅぁぁぁぁぁぁぁ)


 怖気が全身を襲った。

 凛ちゃんの手によって与えられていたのは、否定したいけれど、快感以外の何物でもなかった。
 巧みな手管に溺れさせられ、私は悶えるだけ。
 力強く迫られて、言いようの無い、だけど決して不快ではない、切なさに似た甘い痺れが芽生え始めていた。

 なのに……唇に湿り気を感じた瞬間。
 爆発的な感情が胸の内に生じた。


ことり(…………駄目)

ことり(駄目、駄目、駄目……………………だめ)

ことり「やめてっっっ!!!」


 出せる限りの声を喉から振り絞る。
 弛緩していた身体に反抗的な力が迸り、圧し掛かる凛ちゃんを全力で突き飛ばした。


ことり「ち……ちがう…………駄目…………駄目っ!!!」


 突き飛ばした凛ちゃんも目に映らない。
 着崩れた衣服を強引に引っ張って、私は裸足のまま部屋の外に逃げ出した。

 走った。
 逃げた。
 全力で足を前に出して、少しでも距離を取ろうと駆け抜けた。


ことり(違う。こんなの違う。違うの)

ことり(私、どうかしてた)


 走りながら唇の端を腕で擦る。
 涙が止まらなかった。


ことり(なんで。なんで。なんで)

ことり(どうしてこんな……)


 泣きながら走った。
 深夜の闇の中、涙で視界がぼやけて、周囲の景色はちっともわからない。
 どこをどう走ったのかもわからない。
 震えて転びそうになる足を強引に動かして、とにかく走った。


ことり(どうして、こんなことに……)

ことり(どうして…………)

―――


 宵闇は日の出と共に霧散して、陽光は薄らと世界の輪郭をなぞる。
 夜の暗さに溶けてしまったと思っていたのに、光に当てられた私の身体もまた、形を取り戻していく。


「…………ことりさん?」


 誰かが私を呼んでる。
 返事をするどころか顔も上げられない。

 敷地内のどこか、中庭の端に隠れるようにして、膝を抱えたままガタガタと震えている。


「なぜ屋外に……そんな薄着で!? 肌の色がおかしいですよ!?」


 夜の屋外は信じられないくらい寒かった。
 でも部屋に帰るなんて考えは微塵も浮かばなかった。


「だ、誰か……誰かっ!」


 部屋から逃げた私は一夜を外で過ごし、夜の寒さと、それ以上の恐怖に耐えた。
 芯まで冷え切った身体は膝を抱えたまま固まって動かない。
 一向に収まらない震えだけが命の証のようで、それ以外に生きた心地がしない。


「あ……ことりさんっ!」


 誰かの声を耳にしながら、身体が傾く感覚を最後にして。
 私は意識を失った。

―――――
―――



 浜辺から海を眺めていた。

 生まれた時から身近にあった海。
 日々の生活を送る上で必要な存在であり、私の知る世界の光景の大部分でもある。


ことり(私はずっと海を見ている……海を見ながら待っている……)


 水面に生じる波を目で追いながら、来る日も来る日も海を眺めていた。
 そこから帰ってくるのを待ちながら。


ことり(待つ……私は、何かを待っている)

ことり(一人で海を眺めながら、待っている)

ことり(そう…………私は一人)

ことり(一人だけど、ずっと一人だったわけじゃない)

ことり(一人になってしまったから、私は待っているんだ)

ことり(海を見ながら……帰ってくるのを……ずっと……)


―――
―――――


ことり「…………」


 身体が重い。
 体調の悪さを第一に感じた。

 次に、朝であることに気付く。
 ベッドではなく、布団の上に寝かされていて、見覚えのない部屋の天井を見上げていることを知る。


ことり(…………あ)


 徐々に思い出してきた。
 意識を失う前に感じていた、夜の暗さと外の寒さ。
 凍えて動かなくなっていく身体に怖くなって、泣きたくても、上手に涙も流せない。

 そんな一夜を過ごして、私は今、温かい部屋の中で安らぎを手にしている。


ことり(終わったんだ)

ことり(ずっと、明けないと思ってた夜が、終わった……)

海未「ことり」


 枕元から声が聞こえる。
 顔を動かすのも怠くて、視線だけを寄越す。


ことり「……うみちゃん」

海未「目が覚めましたか」


 心配と安堵が混じったような表情の海未ちゃん。
 私を心配してくれていたことが伝わってくる。
 隣には希ちゃんもいて、海未ちゃんと同じように、優しい表情で私を見守ってくれていた。

 その更に隣に。
 希ちゃんの影に隠れるようにして……凛ちゃんもまた、横たわる私を見ていた。


ことり「……りん、ちゃん」

凛「ことりちゃん……」


 元気印がトレードマークの凛ちゃんなのに、誰が聞いても元気が無いことがわかる、沈んだ声色。

 可哀想……。
 もしも体が動くなら、手を差し出してあげたかった。

http://imgur.com/LwVX8pH.png
http://imgur.com/4XTetoT.png
http://imgur.com/2fzV1BF.png
参考画像です

希「ことりちゃん、身体の調子はどう?」

ことり「うん……ちょっと、良くないかも」

海未「心労と、屋外で夜を過ごしたことによる衰弱が原因だそうです。安静にしていれば悪化することもないでしょう」

希「昨日のことは覚えとる?」

ことり「……朝まで外にいて、それから……」

海未「住人が見つけたところで倒れたそうです。一昼夜寝込んでいました」

ことり「そんなに寝てたんだ」

希「何があったのかは、凛ちゃんから聞いたから」

ことり「……そう」


 凛ちゃんの姿を目にしても特別な感情を抱かずにいられたのは、私が疲れていたのもあるけど。
 それ以上に、凛ちゃんの態度から申し訳なく感じていることが強く伝わってきたから。

 目が合った凛ちゃんは、あっという間に顔をくしゃくしゃにして、ポロポロと涙を流し始めた。
 子供みたいな無邪気な泣き方。


凛「ごめんね、こんなことになっちゃって。ごめんね……ごめんね」

ことり「……いいんだよ、凛ちゃん」


 しばらくの間、凛ちゃんはごめんとだけ口にしながら、静かに泣き続けた。
 希ちゃんは凛ちゃんを抱き寄せて、私は横になりながら慰めの声をかけた。

凛 ことり 海未の順です

 凛ちゃんを落ち着かせるため、希ちゃんは凛ちゃんを伴って部屋を出ていった。
 広い部屋に、私と海未ちゃんの二人になる。


海未「……何と言えばいいでしょう」

ことり「うん……」

海未「とにかく、私はいくつか、謝らなければなりません」

ことり「海未ちゃんは何も悪くないよ」

海未「今回の事態は私たち龍宮城の者の仕業です。主たる乙姫として、第一に謝罪しなければなりません」

海未「それから、私相手とはいえ、夜に障子を開く行為を見過ごし続けていたことも……」

ことり「あれは私の責任だから」

海未「行為の重大さを正しく伝えていなかった点は私の責任です」

海未「ことりが私に生気を分け与えていなければ、凛に障子を開くことも無かったはずですから」

ことり「……」

海未「最初に伝えておきたいことがあります」

ことり「なぁに?」

海未「今回の件、凛は決して悪意を持ってことりに手を出したわけではない、ということです」

ことり「……うん。何となくわかるよ。さっきの凛ちゃんを見てたら」

海未「凛の性格面の話だけではなく、龍宮城の掟にも関係する話なんです」

ことり「掟、って?」

海未「ことりは私に生気を分け与えてくれるようになりましたね」

ことり「うん」

海未「人間が住人の誰かに自身の命を与える……その行為は、人間が海の生物に全て捧げることを許したと見做されるのです」

ことり「全て……それってもしかして」

海未「龍宮城の極楽を得る為に、生気や身体を含めた全てを差し出すことを許す、という意味です」

海未「人間の快楽欲求が最終段階まで堕ちた、行為の虜となった、もう我慢する必要は無く何をしても良い……」

海未「そういう認識が、ここでは為されてしまうのです」

海未「我々は人間の命を奪います」

海未「一方で、人間が命を差し出すことを許してから初めて生気を頂くことができる、という掟があります」

海未「住人たちは掟に従い、人間が自発的に生気を分け与えるようになるまでは手を出しません」

海未「しかし一度我が身を許したと見做されれば、箍が外れたかのように、欲望のまま人間に群がってゆく……」

ことり「それが掟……」

海未「凛はなにかしらの形で、ことりが私に生気の伝達を行っていることを知ったのでしょう」

海未「ことりは生気を分けるようになった、つまり命以上に快楽を求める段階に進んだ、と見做したのです」

海未「だからこそことりを……」

ことり「そう、だったんだね」

海未「先に忠告すべきだったのです。もっと早く掟の話をするべきでした」

海未「いえ、そもそも注意を徹底していれば、生気のやり取りを凛に知られることもなかった……!」

ことり「自分を責めないで。私が始めたことなんだから」

海未「……どう繕うとも、命を分けて貰っていた私が言っては説得力がありませんね」

海未「私は抜け駆けするような形で、ことりを独り占めしていたのですから」

ことり「そんな言い方……」

海未「……今回の事態は、ある意味事故のようなものだったんです」

海未「これまでこの地に訪れた人間が相手なら、凛の行為は何も問題は無かったでしょう」

海未「一度海の生物に身を許す段階にまで至ったのなら、他の何者がその身を求めようとも、人間は喜んで応じていました」

海未「しかし……ことりは特別な人間ですから」

ことり「私、龍宮城に染まりきらないうちに、命を分け与えちゃったんだね」

ことり「だから凛ちゃんも、私に何をしても許されると思って……」

海未「……自分勝手な話をするのなら……」

ことり「……?」

海未「……ことりが、私にだけ命を与えてくれていたこと……特別な繋がりのように感じていて……本当に嬉しかったんです」

ことり「……私も……海未ちゃんとの秘密ができたみたいで……」

海未「ですがそれがいけなかったのです」

海未「浮かれた私は注意を怠り、気付かぬ部分で隙を見せたっ」

海未「結果的にことりに大変な事態をもたらしたっ」

海未「……私は…………最低の乙姫です」

ことり「……」

海未「…………今後、夜にことりの部屋に訪れるのは、控えます」

ことり「!? そんなっ」

海未「事の発端は間違いなく私です。この先同様の行為を続けることはできません」

ことり「そんな……やだよ……」

ことり「そ、そうだよ、海未ちゃんは私から生気を貰わないと駄目だよ」

ことり「海未ちゃんの体調だって私が生気をあげないと、また今までみたいに、」

海未「その甘えがいけなかったんですっ!」

ことり「っ!?」

海未「甘んじて受けていたから……ことりに甘えてしまっていたから、ことりを傷つけてしまった……」

ことり「違う……そうじゃないよ……」

海未「……どうあっても、最早私は、自分を許すことができません」

ことり「嫌だよ……海未ちゃん……」

海未「皆には、ことりに対して手を出さぬよう勧告しておきます」

海未「ことりが今まで通り、龍宮城で平和な生活を送れるよう……」

ことり「そんなのいらない……! 私、夜に海未ちゃんとお話できるのが一番、」

海未「いけませんっ……いけないんですよ、ことり」

ことり「だって、私……」

海未「……」

ことり「やだ……海未ちゃん……やだぁ……!」


 私がいくら言っても、海未ちゃんはこれ以上話を聞いてくれなかった。

 決まりきった台詞みたいに、私の体調を気遣う言葉だけを最後に残して、部屋から出ていってしまった。
 引き留めようとしても、立ち去る海未ちゃんは、私の方を見てくれなかった。

 海未ちゃんが去って、一人になってから。
 そっと部屋の障子を開けて、凛ちゃんと希ちゃんが入ってきた。


凛「ことりちゃん……」


 恐る恐るといった様子で、凛ちゃんが私の枕元に近付いてきた。
 希ちゃんは部屋の入り口で私たちを見守っている。

 凛ちゃんが悪くないことはわかってる。
 だから、申し訳なさそうにしている凛ちゃんを気遣ってあげたかった……けど……。


ことり「…………ぅ……」


 涙を堪えきれなかった。

 去ってしまった海未ちゃんのことが。
 特別な繋がりが途切れてしまったことが、もう夜に部屋まで来てくれないことが、とにかく寂しかった。


凛「ごめんね…………ごめんね…………」

ことり「うぅ…………ぅぅぅ…………」


 謝る凛ちゃんに応えることもできずに、私は泣いた。
 失ってしまったものの大きさに、泣いた。

―――


 モノを映すのは瞳ではなく心なのかもしれない。
 昨日まであんなに綺麗だと感じていた海が、今は輝きも煌めきも消えてしまったように味気無い。


ことり(…………凪だ)


 海面に表れる微かな波模様、凪。
 海底の世界では決して見ることはない。
 それでも、私の瞳に移る海は、凪いでいるようにしか見えなかった。


ことり(穏やか……静か……)

ことり(海って……こんなに寂しいものだったんだ)

ことり(……思い出した、気がする……)


 龍宮城に来る以前、陸で生活していた際にもそう考えていたように思う。
 海は、寂しいもの。

 海底に降り立って直に触れる海の世界は、陸から眺めるものとは別物のように感じていたけれど、やっぱり同じものなんだ。

 あれから。
 海未ちゃんは宣言通り、夜に私の部屋に来ることは無くなった。


ことり(…………また……今日も……)


 海未ちゃんのことだから、必ず言ったことは守る。
 わかっていても、夜遅くまでベッドの上で座り込み、来訪者を待ってしまう。
 待ち人はいくら待てども来ず、最後には悲しみに抱かれながら眠りにつく日が続いた。

 夜だけじゃなく、日中宮殿内で海未ちゃんと会う機会もずっと減った。
 日頃のお世話は自分以外の乙姫、凛ちゃんや希ちゃんに任せてるみたい。
 私が顔を出す機織り教室や調理場に姿を表すことも無くなった。


ことり「……あ」

海未「あ……」


 廊下で偶然擦れ違うことくらいはある。
 けれど、いつでも忙しそうにしている海未ちゃんは軽く頭を下げるだけで、すぐに通り過ぎてしまう。


ことり「…………」

凛「ことりちゃん……」

希「……海未ちゃん、忙しいから」


 みんなの慰めの言葉は悉く空を切る。


ことり(……他人みたいな態度……しなくても、いいのに……)

希「ほら、凛ちゃん」

凛「うん…………ね、ねえことりちゃん、中央の娯楽室にでも行こっ!」

希「面白いことしてたらあっという間にご飯の時間になるって」

凛「海未ちゃんがいなくても、凛たちでちゃんとおもてなしするから!」

ことり「…………うん……そうだね」

凛「ことりちゃん……」

ことり「行こっか。遊ぼ、凛ちゃん、希ちゃん」

凛「…………ごめんね、ことりちゃん」

希「凛ちゃん、謝ってばかりなのは……」

ことり「もういいんだよ。私は平気だから」

凛「わかった……じゃあ……元気出して、行こう……!」

ことり「うん」

凛「……うん……」

希「……」

―――


海未「……」

希「元気ないね。最近元気になってきてたのに。……ことりちゃんのお陰で」

海未「…………」

希「話題に出して欲しくないなら話さへんけど」

海未「……いえ……」

希「また無理して。嫌なら嫌って言わないの、悪い癖だよ?」

海未「……嫌なはずありません」

海未「ことりの話が嫌になるだなんて、そんなことは……」

希「せやろねえ。だからこそ毎晩出歩いとるんやろうし」

海未「希、知って……?」

希「と言っても、距離を置いたままじゃ意味ないよ」

希「海未ちゃんが逃げてるうちに、他の誰かがことりちゃんを求めて、ことりちゃんだって応じるかもしれへん」

海未「…………構いません」

海未「ことりの意思であるのなら……私は見守るだけ……」

希「強がっちゃって。そういうところが隙になっちゃうのに」

希「どうなっても、ウチは知らんからね」

海未「…………」

―――


 色彩が失われた暮らしの中、何をしても胸に響かない。
 せめてもの癒しになったのは、中央区画の大浴場だけだった。


ことり「はぁ…………」


 自然と声が漏れる。
 嘆息なのか、諦観なのか、心と裏腹に体が弛緩した合図なのか……どうでもいい。


ことり(入浴中、やっぱりみんな私のことを見てる)

ことり(なのに前と違って、誰も私の方に近付いてこない)


 宮殿の住人たちは海未ちゃんの代わりとばかりに、毎日の世話をより積極的にしてくれるようになった。
 だけど入浴中だけは、私を避けるように距離を置いている。


ことり(こういう場所だから、私と肌で触れ合うようなことを避けるようにって言われてるのかな)

ことり(……海未ちゃんが、言ったのかな)


 私の身を案じての勧告なのは間違いない。
 日々の触れ合いが無くなっても、ふとした瞬間に海未ちゃんの優しさを感じる。
 その度に、腫れ過ぎて過敏になってしまった私の心は、切ない気持ちでいっぱいになってしまう。

希「それ、お湯やないね」


 誰も側に寄ってこない浴場で、希ちゃんが私の側にやってきた。
 以前、大浴場で二人組に迫られたのを助けてくれた時と同じく、美しい肢体が私の目を引く。


ことり「希ちゃん、綺麗だね」

希「何が?」

ことり「ううん、何でもないの」

希「ことりちゃん、目から何か零れとるよ」

ことり「え…………あ……ホントだ」

希「涙は悲しい気持ちを大きくしてまう。お湯に流しちゃお」

ことり「……うん……」


 色々な思いを拭うつもりで、無意識に流れていた涙を洗い流す。

 海未ちゃんは私から距離を置くようになった。
 凛ちゃんは今まで通りのようで、やっぱり先日の出来事をどこか引きずっているようにぎこちない。

 だから、今の私相手に最も親しく相手をしてくれるのは、希ちゃんなのかもしれない。
 今の私にとって、一番気を楽にしたまま一緒にいられるのも……。

希「はい、ことりちゃん。かんぱーい」

ことり「うん。乾杯」


 お風呂上りに牛乳で喉を潤す。
 入浴後はどこかさっぱりした気持ちになれるのが精神的に救われる。


ことり「……あ」

希「あーあ、服にこぼしてるやん」

ことり「もったいないね」


 ボーっとしていて牛乳が胸元にかかっちゃった。
 液体が服に浸みこんでベタつく。
 私は襟を摘んで胸元に風を送りながら、どのくらい奥まで零れたのか確認した。


希「ことりちゃん隙だらけだよー」

ことり「え? なにが?」

希「べつにー?」


 軽く流そうとする希ちゃんの態度に、遅れて気付く。
 龍宮城における人間の立場を思い出して、濡れて肌に張り付いた胸元をそっと腕で隠した。

ことり「……おじゃましまぁす」

希「いらっしゃーい」


 お風呂上りに誘われて、希ちゃんのお部屋にやってきた。
 龍宮城で誰かの部屋に行くことはあったけど、夜に二人きりなのは初めて。
 ちょっと緊張しちゃう。


ことり「綺麗……というよりも、すっきりしてる部屋だね」

希「あんまり物が無いから。殺風景でしょ」

ことり「全然良いと思うけど……乙姫さんの部屋だからもっと豪華なのかなって思ってた」

希「物に愛着を持つ子も多いけど、ウチはあまりって感じかな」

希「はい、着替え。脱いだ服はちょうだいね」

ことり「ありがとう」


 汚れた服の替えを借りて着替た。
 私には少し早いような気がする大人びた服だったけど、とっても素敵。
 身に着けると、希ちゃんの匂いがする。


ことり(落ち着く匂い……まるで包み込まれてるみたいに安心できる)

ことり(安心…………今、私が一番、欲しいものなのかもしれない……)

希「どうなんかな。今のことりちゃん」

ことり「どうって? どうもしないし、普通だと思うけど」

希「普通……とは、言えへんやろ」

希「色々知って、色々景色が変わって、龍宮城での普通を無くしたんやない?」

ことり「……希ちゃんに言われると、そんな風に思えてきちゃった」

希「ウチが言わんでも同じだよ。ただ、自分のことは気付きにくいから」

希「誰かに言って貰ったり、支えて貰ったりしないといけない。それが人間って生き物やん?」

ことり「うん……」

希「なーんて。お説教みたいやったかな?」

ことり「そんなことないよ。私には、必要な言葉だと思う」

ことり「ありがとう、希ちゃん」

希「構わへんて。ことりちゃんのお世話が乙姫のお役目やからね」

ことり「……うん……そうだよね」

ことり「ね。お役目だから、希ちゃんも、みんなも、私に優しくしてくれるのかな」

ことり「それとも私が欲しいから、みんな優しくしてくれるのかな」

ことり「私の命が欲しいから……私の身体が欲しいから……」

希「センチメンタルやんな」

ことり「……ごめんね」

希「ええんよ。今はそういうことしか考えられへんやろうし」

ことり「……どうしたらよかったんだろ」

希「何が?」

ことり「私……凛ちゃんに……海未ちゃんに……どうするべきだったんだろ」

ことり「間違っちゃったのかな……私がしたこと、駄目だったのかな」

ことり「みんなと仲良くしたかっただけなのに……もっと、近くにいたかっただけなのに」

ことり「もう、私が誰かに近付いたら、みんなは我慢できなくなっちゃうから……私が望むような、普通の付き合い方はできないのかな」

ことり「もう、駄目なのかな……」

希「ことりちゃん、悲しい?」

ことり「…………ごめん……希ちゃんに愚痴聞かせるみたいになっちゃって」

ことり「希ちゃん優しくて、安心できるから、つい思ってること口にしちゃう」

ことり「……わからないの」

ことり「私、どうしたらよかったんだろう……これからどうしたらいいんだろう」

ことり「今まで通りにできないのかな……」

ことり「私は海未ちゃんと夜にお話できるだけで幸せだったのに」

ことり「もう……取り戻せないのかなぁ」


 はらはら、と、静かに涙が零れ落ちる。
 希ちゃんに話しかけているのか、独り言なのか、わからない。
 心情の吐露は涙と連動して、ころりころりと、止め処なく流れ出た。


ことり「……私、寂しいんだ」

ことり「幸せが逃げていって……大切な人が離れていって……」

ことり「寂しいよ……希ちゃん……!」

 私は無意識のうちに希ちゃんに甘えていた。
 甘えたい気持ちがあったから、気持ちのままを口にしていた。

 情けをかけて欲しかったのか、優しくして欲しかったのか。
 どうして貰いたかったのかは曖昧なまま、希ちゃんなら今の私を癒してくれる、受け止めてくれる……そんな風に漠然と思っていた。

 だから……そう。
 結果的に私の態度が希ちゃんをどう刺激してしまったのか、考えを及ばせる余裕なんてなかった。


希「…………あかんよー。あかんて、ホント」

希「海未ちゃんといい、ことりちゃんといい、隙だらけやん」


 結果的に、そうなってしまったというだけ。

 私は弱くなっている部分を曝け出した。
 曝け出すという行為が相手をどう刺激するのか……なんて、まるでわかるはずが無かった。

 弱さを露わにすると、人は寄ってくる。
 弱さの露呈、それはつまり、隙を見せる、踏み入る余地を与えるということ。

 一言で言うなら……誘惑。


希「せっかく我慢してたのに、そんな弱ってる姿見たらさあ……」

希「ウチ、ことりちゃんのこと……慰めたくなってまうやん……?」

 布擦れの音がする。
 俯いた私の視界に、希ちゃんの足が入ってきて……寝間着が落ちてきた。


ことり「……え」


 顔を上げると……目の前に立つ希ちゃんは、下着姿だった。
 扇情的な身体のラインと、蕩けるような視線が、私を見下ろしている。


ことり「…………の、希ちゃ、」

希「ウチが慰めてあげる」


 抱擁が私を包み込んだ。
 ゆっくりと、だけど逃げられないように、全身を使って。


ことり(あ………………)

ことり(……あ、たた、かい……)


 抱かれたと同時に、色々な疑問や不安が魔法みたいに一瞬にして消え去った。

 希ちゃんの胸に収められた私は、体中から力が抜けてしまったようにくったりしてしまった。
 身を包むこの優しさに浸っていたい……そんな気持ちだけが胸に残る。

 掻き立てられた欲望のまま、希ちゃんの裸の腰に両腕を巻き付けた。

 私を抱いた希ちゃんは、そのままベッドに倒れ込んだ。
 希ちゃんの身体に私が埋もれる。


ことり(なんでだろ……離したくない、って気持ちでいっぱい)

ことり(抱き締めて欲しい……抱きしめていたい)

ことり(もっと……もっと……)


 理性が消えていき、欲望が増していく。
 まるで凛ちゃんに迫られた時と同じような心境の変化。

 湧き上がる動物めいた欲望に困惑しながらも、腰を抱く腕に篭る力は強くなっていく。


希「ことりちゃん、そんなにギュってされたら動けへん。ちょっとだけ離れて?」

ことり「……や。離したくない」

希「うん。ウチも離すつもりはないから。でもほら、ね。こうした方が……」


 希ちゃんは一度身体を仰け反らせてから、再び私を抱きしめてくれた。
 私は安堵して顔を胸元に押し付けると、頬に触れる感触がさっきまでと違っていた。


ことり「……わ」

希「うふふ……ほぉら。これでもっとくっつけるようになったやん?」


 希ちゃんの胸元から下着が外れていた。
 熱いくらいに温かくて、沈むくらいに柔らかな触感が、私を包む。

 状況を理解した途端、私の思考は真っ白になって、形振り構わず目の前の柔肌に抱きついた。

ことり「あぁ…………あぁっ……希ちゃん……!」

希「こんなに隙だらけで。だから凛ちゃんにも迫られてまうんよ」

希「あー、だからこそ愛しいわあことりちゃん。誰にも渡したくないくらい、可愛い娘やね」

希「最初は海未ちゃんにあげようかなって思っとったけど、もう我慢できひん」

希「ええんよー甘えても。寂しい気持ちは、ウチの力で慰めてあげるからね」

ことり「希ちゃん……希ちゃぁん……!」


 脳が熱を持って暴走していた。
 これまでの私なら素直に受け入れるはずの無いものを貪るように求めている。
 状況から生じる抵抗感も、違和感も、迸る欲望に呑み込まれてしまった。


ことり(わかんない……私がおかしい……だけど、もっと欲しい)

ことり(希ちゃんが、凄く、欲しい……欲しいよ)

ことり(いつもの私じゃない……変だよこんなの……でも……!)


 理性が全て消えたわけじゃなかった。
 ただ、理性による抑制以上の欲望が私を突き動かして、目の前の裸体を好き放題貪らせた。

ことり「へ、変なの、希ちゃん、私、おかしいの」

希「んっ……ふふ、ウチにこんなことしといて、何が変なん?」

ことり「我慢できない……の、希ちゃんが欲しくて、止まらない」

希「それでええんよ。今はウチのことだけ見て、ウチに溺れとき」

ことり「ダメだよこんなの、ダメ、こ、こんなこと」


 口では否定の言葉を繰り返しておきながら、私は矛盾した行為を犯している。
 希ちゃんの裸の肌を撫でまわし、露わになった胸元にむしゃぶりついた。


希「っっ…………! ふぅ……んっ…………! こ、ことりちゃん、案外大胆やね……♡」

ことり「やっ! 違うの! これは……止め、止められなくて……!」

希「んぅっ……!? え、ええんよ……もっとウチのこと味わって?」

ことり「ダメだよ……こんなの、おかしい……!」


 こんなのダメ。
 ダメだけど……止められない。


ことり(……かわいい)

ことり(かわいい。可愛いよ、希ちゃん)

ことり(こんなに可愛い希ちゃん……もっと、私が……私の手で……!)

 気付けば室内に熱気が篭り、全身汗まみれになっていた。
 濡れた服が邪魔で脱ぎたくなる。

 だけど、いつの間にか上下入れ替わり、私の下に敷かれていた希ちゃんの方がずっと汗だくだった。
 触れている肌がしっとりしている。
 吐息が荒くなって、肌が紅潮していて、いつもよりずっと色っぽい。


希「ぁっ……それいいよっ、ことりちゃん……!」

ことり「ち、違う……ダメ……!」

希「ダメとか言って、触ってるのはどこなん?」

ことり「違うのっ! だってこんなの、私……!」

希「否定しながらウチのこと離さへんのは、嬉しいんやけどね…………んっ!」

ことり「へ、変な声出さないでっ!」

希「出させてるのはだぁれ? んあぁぁっ!? ……今の、ウチが口答えしたお仕置き? うふふっ」

ことり「ちっ、違う、違う……!」


 乙姫の中でも一際大人びている、余裕があって落ち着いた女性。
 そんな彼女が、私の指先一つで身体を震わせて悶えている。

 未体験の興奮した思いが沸き上がった。

ことり(もっと……希ちゃんを……!)

ことり「ダメ……これ以上……!」

ことり(私が希ちゃんを……!)

ことり「変だよこんなの……どうして、私……!」


 希ちゃんが漏らす声が徐々に嬌声めいたものになってきて、余計に劣情を掻き立てる。
 知識のない私が本能に突き動かされるまま、希ちゃんを悦ばせようとあらゆる手を尽くした。


希「ひぁっ、あっ……! あぁん……ことりちゃん……ええよぉ……♡」

ことり「のぞ、希ちゃん……希ちゃん……」

希「もっとウチに溺れて……もっと欲して……」

ことり「欲しい……欲しいよ、希ちゃん、欲しい」


 横たわっていた希ちゃんが下から腕を伸ばす。
 私の首に抱き着いて、ぐいと顔を近づけた。


希「今は不安も疑問も、海未ちゃんのことも、ぜーんぶ忘れさせてあげるから」

希「ことりちゃん……キス、しよ?」

ことり「……………………キス」

希「ね? ことりちゃん、しよ?」


 キス、と聞いて。
 反射的に視線が希ちゃんの厚い唇に移る。
 ごくり、と、喉が鳴った。


ことり(唇……柔らかそうな……希ちゃんと、キス……)

ことり(…………き、す……)


 脳裏には二つの光景が浮かんでいた。

 一つは、先日、凛ちゃんに迫られた時のこと。
 あの時も今と同じ、不思議なくらいに昂揚した気分で私に跨る凛ちゃんを見上げていた。
 あの日の最後、私の唇の端に落ちた、舌の感触が蘇る。


ことり(凛ちゃんが私を押し倒した時、こんな気持ちだったのかな)

ことり(なら、やっぱり凛ちゃんのこと責められないや)

ことり(だってこんなに希ちゃんのこと……欲しいんだもん)


 のぼせた頭は希ちゃんのことばかり考えていた。
 他の何者の存在も入ってこなくて、このまま忘れてしまいそうだった。

 キス、という言葉に連動して、あの人の姿を思い出すまでは。

 蘇ったもう一つの光景。


ことり(…………うみちゃん……)


 海未ちゃん。
 私の乙姫様。

 龍宮城に来てからずっと優しくしてくれた。
 一緒に宴の準備をして、海中散歩を通じて海の素晴らしさを教えてくれた。
 夜毎語り明かし、命を分け与え……私の前から去って行った。


ことり(……きす)


 唇を重ねるという、互いの思いを交わす、特別な行為。

 凛ちゃんにされかけた時。
 快感に身を委ね、凛ちゃんを愛おしく感じていたはずの私は、どうしてあんなに強く拒絶したんだろう。
 希ちゃんに求められた時。
 欲望に身を任せて、欲しいと願う希ちゃんに請われた今、どうして別の誰かを思い描いているんだろう。

 私は、誰が相手なら、許せるの?
 誰と、したい、の?

希「ことりちゃん」


 私に組み敷かれた希ちゃんが物欲しそうな目を向けてくる。
 その瞳が私を魅了して離さない。


ことり「希ちゃん」


 求めに応じるように、手を希ちゃんの顔に添えて。


希「ことりちゃん……きて」


 指先で頬をなぞり、口元へと動かして。


ことり「…………希、ちゃん……」


 私と希ちゃんを隔てるように。
 そっと、希ちゃんの唇を、掌で覆った。

希「…………」

ことり「…………で、き、ない」


 拒絶の言葉を口にするには、声を絞り出すようにしなければいけなかった。
 それくらい、今の私は、本心から希ちゃんが欲しいと思っている。


ことり(でも…………ダメなの…………希ちゃんとは、できない)

ことり(だって……だって、私……)


 涙がまた流れた。
 私の頬を伝って垂れた雫が、希ちゃんの頬に落ちる。


ことり「……………………海未ちゃんが、消えないの」


 歪んだ笑みが顔に張り付いてるのがわかる。
 相反する気持ちがぶつかり合って、私がバラバラになってしまいそう。

 したいのに……とってもしたいのに……それでも……。


ことり「こんなに、わけわかんないくらい、希ちゃんが欲しいはずなのに……海未ちゃんが消えない」

希「……」

ことり「私……海未ちゃんのこと……忘れられないの……!」

 大きく息を吸った。
 名残惜しさを払拭して、希ちゃんから手を離し、跨っていた体をどける。
 ベッドから降りて数歩下がった。


ことり「ごめん……希ちゃん、ごめんね……」

希「……そう」

ことり「ごめんね……」


 希ちゃんはベッドの上でゆっくりを身を起こした。
 じっ、と、私を見つめる瞳は、悲しみとか怒りとか、負の感情に揺れたりはしていないように見えた。


希「凄いね……ここまできて、まだウチ以外のこと考えられるなんて」

希「……せやけど、ね。ことりちゃん。ウチ、前に言った通りの乙姫なん」

希「ウチはそんなに……善人やないから」


 ニヤリ、と。
 ゾッとするくらい不気味な笑みが口元に張り付いた。


ことり「ひっ……!」


 反射的に身を翻して、部屋の障子に手をかけた。
 障子を開き、中庭が視界が入り、逃げようとしたところで……背後から腕を掴まれた。

 瞬間、全身を蠢くような悪寒が襲った。

ことり「あっ…………! あっ…………!」

希「捕まえた……♡」


 体が思うように動かない。

 これまで希ちゃんに魅了されていたのとはまた違う。
 もっと暴力的な、希ちゃんを手離すのが許せなくなるくらいの渇望が、私を支配した。


希「ことりちゃんに悪いと思わんこともないけどさ」

希「一度しちゃえば虜になって、後はもう余計なこと考えなくて済むから、大丈夫だよ」

ことり「……の………………の……ぞ……」

希「それにほら、ウチは乙姫やから」

希「乙姫って生き物はね、一度捕まえた相手を絶対に離さないんよ」

希「海の生物が海中を泳ぐのと同じ、陸の人間が息を吸うのと同じ……そういう生き物なん」

希「だからね、どんなに他の誰かのことが気になっても、一度ウチが捕まえちゃったから、もうどこにも行っちゃ駄目」

希「ことりちゃんは……ウチのもの」


 ぎちぎちと、関節の滑りが悪い人形みたいな動作で、首を背後に捻る。
 私を離さないと言う希ちゃんの表情は……見ているだけで、信じられないくらい情欲を煽られる、官能的なものに映った。

 ……今、すぐ、むしゃぶり、つきたい。

 胸に生じた明確な欲に、私自身怖くなった。

希「はい、こっちおいで。続きしよ?」


 もう抗えなかった。
 勝手に体が動いて、私の全部が希ちゃんを求める。
 一度は希ちゃんを拒んだけど、どうして拒んだのかもうわからない。

 部屋から逃げ出そうとしていた私は手を引かれるままに、部屋の奥、ベッドの方へと戻される。
 私に微笑んでくれる希ちゃんが愛おしくて愛おしくて愛おしい。


ことり(……………………)


 心の隅に引っかかるものは残っていた。
 ただ、何がどう引っかかるのかはっきりしない。
 そんなことより、もっとずっと大きな欲望が希ちゃんを求めている。


希「さ。続きしよっか」


 続きと言いながら、希ちゃんは一度私から離れていった。
 焦らされたようで私は堪らなくなり、離れていく希ちゃんに手を伸ばす。
 そんな私を面白そうに眺める希ちゃんは、開いていた障子に手をかけ、ゆっくりと閉じていった。


希「焦らんでも、時間はたーっぷりあるんだから……ね」

海未「希」


 熱の篭る室内に、一筋の冷気が走った。


ことり(……あ)


 希ちゃんを追うだけだった視線が声に引っ張られる。
 今正に希ちゃんが閉めようとした部屋の障子に、外から別の手がかかっていた。


希「……………………海未、ちゃ、」

海未「答えてください」


 凛とした声が耳朶を打つと、失っていた理性が蘇ってきた。
 私の中に、私が戻ってくる。

 閉じかけていた障子が再び開く。
 中庭を背に、仁王立ちして室内を見下ろす、海未ちゃんがそこにいた。

希「なんでこんなところに……」

海未「ともすれば大変失礼な口出しかもしれません……それを承知で言います」

海未「今、この状況が、全面的に双方の同意の下にあるのなら……構いません」

海未「ことりが望んだことならば、私はこのまま身を退きます」

海未「ですが……もし違うのなら」

海未「乙姫の性質から、ただ手離したくないという欲望でことりを籠絡したというのなら」

海未「私は……!」


 強い表情、だった。
 仕事をしている時の冷静な厳格さとはまた違う、強く激しい、思いが篭った表情。

 そんな海未ちゃんが、全霊を籠めた瞳で……私を見ている。
 私を、見ている。
 私を。

 無性に涙が零れた。


ことり「………………う……み…………ちゃ……」

海未「……!」


 希ちゃんの返事を待たないまま海未ちゃんは室内に踏み入ると、一直線に私へと近づいて、手を掴んだ。

ことり(あ)


 海未ちゃんに触れられた瞬間。
 これまで私を支配していた情欲が完全に消し飛んだ。
 希ちゃんしか見えなくなっていた視野が元通り広がっていく。

 手を掴まれた私は、そのまま体ごと引っ張られた。
 肩を抱かれるように、海未ちゃんの隣に引き寄せられる。


海未「……希」

海未「夜にも関わらず勝手に部屋に押し入ったこと、強引にことりを連れていくこと、お詫びします」

海未「ですが悪いとは思いません。希がそのように訴える権利もないはずです」

海未「私の言い分が間違いならば指摘してください。潔く身を退きます」

海未「……が、そうでないのなら……理解してもらえますね?」

希「…………」

海未「…………」


 今度も返事を待たないまま、海未ちゃんは身を翻して、早足で希ちゃんの部屋を去っていく。
 問答の間も、部屋を出ていくときもずっと、私の手を強く握って離さない。

 海未ちゃんに引かれて、私は部屋の外へと連れ出された。

―――


ことり「はっ……はっ……」

海未「……」


 早足の海未ちゃんについて行くだけで息が切れる。
 肩で風切るような歩みで海未ちゃんは廊下をどんどん進み、背中を追うので精一杯。
 周りの何者をも置いていくようで、掴んだ私の手だけは離さなかった。


ことり(……海未ちゃん……)

ことり(海未ちゃん…………海未ちゃん…………!)


 胸がいっぱいだった。

 さっきまでのように、私ではない何者かの力で意識の全てを染められるような感覚じゃない。
 もっと、体の奥底から湧き上がる魂の叫びが、私を先導する人の名を呼んでいる。


ことり(海未ちゃんが……私を……)

ことり(離れていったのに……夜に来てくれなくなったのに……なのに私を……)

ことり(私を……!)


 言葉にならない。
 涙だけが溢れる。

 ただひたすら、どうしようもないくらいに、満たされていた。

 海未ちゃんに導かれ、私は誰かの私室に連れられた。
 きっと海未ちゃんの部屋だ。

 室内の明かりを点けて、障子を閉め。
 二人きりの空間に落ち着いてから、ようやく海未ちゃんは私の手を離した。


海未「……」


 私から顔を背けている。
 自分のした行動に自信がない……みたいな顔をして。


ことり(あんなに強引に連れ出したのに……)


 さっきまで掴まれていた手を軽く上げた。
 肌が赤くなって、痺れが残っている。

 こんなに力強く手を握られたのは、生まれて初めてだった。

海未「…………ことりは……」


 私の方を見ないまま、海未ちゃんが口を開いた。


海未「ことりは先程、希に対して、どのような思いを抱いていましたか」

ことり「……どのような、って……」

海未「本心から希を求めていたのなら、私の行いはただの余計な横槍です」

海未「しかしそうでないのなら……」

ことり「……よく、わからないの」

ことり「いきなり希ちゃんのことがとても欲しくなって、離したくなくて」

ことり「希ちゃんを求めることを強いられた感じ、と言うか……」

ことり「この前の凛ちゃんもそうだった。急に迫られて、普通ならもっと驚くはずなのに、自然と受け入れようとしてた」

ことり「好き、気持ちいい、もっと欲しいって、そればかり考えるようになって……」

海未「……ことりは、凛と希に誘惑されたのです」

ことり「誘惑?」

海未「ただ誘うだけではなく、より求心力を伴った形で人間を惹きつける……乙姫は人間に対し、そうした呪術めいた効力を発揮できます」

ことり「じゃあ、凛ちゃんに迫られた時や、さっきの私は、誘惑されて……?」

海未「乙姫の誘惑は、別段特別な力というわけでも魔力の類でもありません」

海未「人間同士でも意中の相手を己が者にしようと誘うことがあるでしょう」

海未「乙姫であってもそれは同様……ただし人間に対しては、本能に訴えかけるような強力な効果を発揮するんです」

海未「凛や希に誘われた際、初めて身に覚える情欲に戸惑いませんでしたか?」

ことり「……まるで私じゃなくなったみたいに、とにかく、えっと……そういう事しか考えられなかったの」

海未「だとしたら、必ずしもことりの本心で行為に臨んだわけではありませんね」

海未「先日も、今夜も、ことりは乙姫を求めることを強いられたのです」

ことり「強いられた……私……」

海未「だからと言って、凛も希も悪意をもってことりに迫ったわけでは無いはずです」

海未「ことりの意向を半ば度外視した、という事実は免れませんが……」

海未「乙姫が一度誘惑すれば簡単に人間を籠絡できます」

海未「誘惑された時点で人間は乙姫の虜となり、双方が相手を求め合う理想的な関係を構築できるのが常でした」

海未「ですから凛と希はことりの応諾が無くとも問題無いと読み、事に及んでしまったのでしょう」

海未「過去にも手順を飛ばして関係を進めてしまう事例はありました。これまでは何ら弊害はありませんでしたけど……」

ことり「私の場合、今まで通りにはいかなかったんだね。まだ理性を残していたから……」

海未「今夜のような事態が起こってしまう危険性は重々承知していました」

海未「日を追ってもことりは中々理性を失わず、龍宮城の極楽にのめり込む気配が無い」

海未「住人からすれば、手を伸ばせば届く所に人間が居ながら手を出せず、欲望が募るばかり」

海未「そんな状況下で、私がことりと、いくら軽微だとは言え生気のやり取りを交わしてしまった」

海未「いくら限定的とはいえ、ことりがその身を許したと聞いて、皆の欲はこれ以上抑制が効かない段階へと進んでしまったんです」

海未「先日は凛が迫ってしまい、今夜は希までもが……」

ことり「元々は、私が命を分け与えたからだよね……」

海未「違います。私の責任です」

海未「私との行為が引き金を引いてしまった……ですから私は身を退くべきだと判断して、ことりから距離を置いたんです」

海未「しかし私が身を退き、住民に勧告したところで、最早龍宮城の皆を留めることはできません」

海未「現に今夜、希がことりを誘惑して我が物にしようと試みたように」

海未「私が原因ですから……せめて、私がことりを守ろうと決めたんです」

海未「ことりが誰かに全てを差し出す覚悟を抱くまで、私がことりを……」

ことり「そう、だったんだ……海未ちゃん……」

海未「……」

ことり「…………嬉しい、よ」

海未「……何がですか」

ことり「海未ちゃんが来てくれたことが、だよ」

ことり「海未ちゃんが私を取り戻してくれた……助けてくれた……嬉しかったよ」

ことり「でも、どうして? どうしてさっきはあんな所に……偶然なの?」

海未「…………あの日、から」

海未「ことりが凛に迫られ、体調を崩して、それ以降夜にことりに会いに行かなくなってからも……ずっと見守っていました」

海未「毎晩、ことりを見守っていました」

ことり「見守って……?」

海未「……」

ことり「……え……も、もしかして、毎晩私の部屋に来てたの!?」

海未「……凛のように、誰がことりを求めにやってくるかわかりませんから」

ことり「だったら声かけてくれれば、」

海未「ことりと話すわけにはいきません。夜の会話が全ての原因なんですから」

ことり「……毎晩、私の部屋に……」

ことり(ずっと……海未ちゃんが来ないって、離れていったって思って……寂しかった)

ことり(でも本当は、海未ちゃんは毎晩……私の為に……!)

海未「今晩はいくら待っても、ことり当人が部屋に帰ってきませんでした」

海未「夜に誰かの部屋に招かれ、ことりが応じたというのなら……仕方ありません」

海未「ことりの意思で誰かに身を捧げるというのなら、受け入れるつもりでした」

ことり「……」

海未「ですがもしそうでないのなら」

海未「ことりの本意でないまま身体的な交わりを経て、一度味わった快楽に溺れ、逃れられなくなってしまったら……」

海未「そう思うと居ても立ってもいられず、宮殿内を見回っていました」

ことり「だからあんなところに……」

海未「……勝手ですよね」

海未「私からことりを突き放すようなことをしておきながら……厚かましい真似をして……」

ことり「……」

海未「…………私……どうしても私、ことりのことを……」

海未「私は……!」

ことり(……海未……ちゃん……)

ことり(海未ちゃん……!)


 もう抑えられない。

 後のことは何も考えなかった。
 感情のままに、私は海未ちゃんの手を引いた。


海未「わっ!? ことり!?」


 海未ちゃんを連れて部屋を出た。
 さっきとは逆に、私が海未ちゃんを引っ張って、宮殿内を足早に進む。

 私を呼ぶ海未ちゃんの声は無視した。
 縁側を通り、渡り廊下を跨ぎ、何度も角を曲がって、目的の部屋まで無心で歩いた。


海未「…………まさか」


 扉が目に入って、海未ちゃんは今まで以上に強く抵抗した。
 だけど私も絶対に連れていくんだって、力づくで海未ちゃんを引っ張った。

 北区画にある、黒くで大きな鉄の扉で固く封じられた部屋まで。

海未「待ってください! 北は……そこは駄目です! ことりっ!」


 この部屋が何の部屋なのかもうわかった。
 この部屋で、人間と海の住人が何をするのか。

 わかったから、私はこの部屋に入る。
 海未ちゃんと一緒に。

 扉が開いてるかどうか確証は無かった。
 だけど、鉄の扉に手をかけて力いっぱい引いたら、ゆっくりと開いた。
 ギ、ギ、って、扉の重厚感に相応しい鈍い音を立てながら。


海未「わかっているのですか!? ここがどういう部屋で、入ってしまえば、」


 当たり前じゃん。

 黙らせるつもりで、海未ちゃんに勢いよく抱き着いた。


海未「!? こっ!? ちょ、ことっ、」


 一瞬怯んだ隙を逃さない。
 抱きついたまま、海未ちゃんごと鉄の扉との隙間に飛び込んで、北の部屋に体を捻じ込んだ。

海未「った!」

ことり「ぅっ!」


 飛び込むようにして室内に入った私たちは、勢いのまま床に倒れ込んだ。
 打ち付けた肩が痛かったけど、気にせず立ち上がって、扉へと飛びつく。
 開けた時と同じように力を入れて鉄の扉を押し込み、頑丈そうな鍵をかけた。

 これでもう後戻りはできない。
 北の部屋に、私と海未ちゃんの二人。

 もう、離さない。


海未「…………ことり……あなたは……」


 文句を言いたいのはわかるよ。
 でもね、今は、したいようにしたいの。

 立ち上がった海未ちゃんを目がけて、私はもう一度飛びつくようにして抱き着いた。

海未「あ、う、こと、ことり!?」

ことり「……嬉しくないわけないじゃんっ」

海未「何、が、」

ことり「海未ちゃんが私を見守ってくれたことが、だよ」

ことり「だって、それって、私のこと、大切に思ってくれてたからでしょ?」

ことり「勘違いじゃないでしょ?」

海未「……私の意向は関係ありません」

ことり「大ありだよっ!」

ことり「そんな風に思ってくれて……嬉しくないわけないっ」

ことり「わた、私、もう海未ちゃんと、今までみたいに話せないのかと思ってた」

ことり「責任感じて……っ……私から離れていっちゃって、もう側にいられないと思ってた」

ことり「私のことを思ってそうしてくれるって、わかってた、けど……でもそんなの嬉しくないっ」

ことり「もっと一緒にいたい……近くにいたい……そう思ってた」

ことり「だから……海未ちゃんが、ぅ、毎晩、私の為に、ずっと…………うぅ……」

ことり「うぅ…………うぅぅ…………!」

 昂ぶりが抑えられなくて言葉に詰まる。
 これ以上は上手く言えない。
 言いたいことはもっともっと沢山あるのに。

 だから言えることだけ口にした。


ことり「好き」


 海未ちゃん……。


ことり「私、海未ちゃんのこと、好き」

ことり「好きな人に、大切にされて、嬉しい」

ことり「好きな人に助けて貰って、嬉しいよ、海未ちゃん」

ことり「海未ちゃん……!」


 貴女に大切にされて。
 素敵な思い出をくれて。
 私を取り戻してくれて。


ことり「私、海未ちゃんのものになりたい」

ことり「海未ちゃんに、私を捧げたい……!」

海未「……………………いっ…………いけませんことりっ!」


 顔を真っ赤にした海未ちゃんは、抱き着いた私を引き離そうと腕を突っぱねてきた。

 照れからきてるのか、本当に私を拒んでるのか、そんなのわからない。
 けどどうあってももう無理。
 乙姫は一度捕まえた相手を離さない……そんなことを希ちゃんが言ってた。
 私は乙姫じゃない……だけど、手離さないのは私だって同じ。


ことり「もう海未ちゃんを離したくない」

ことり「だから、離さない」

ことり「……離れたくない!」

海未「……そ……そのようなこと、されてしまっては……」

ことり「駄目なの? 好きな人に、好きって言ったら、駄目なの?」

海未「こ、ことりを求めてしまったら……ことりの生気を奪ってしまいます」

海未「ことりの命を、奪ってしまいます」

ことり「いいよ、海未ちゃんなら」

海未「いけません……いけません……!」

ことり「もし生気を奪わないなら?」

ことり「命のやり取りが無かったら、海未ちゃんは私のこと受け入れてくれるの?」

海未「……」

ことり「私じゃ駄目なら、それでいいよ。諦める」

ことり「もし、食べ物としての私にしか興味がないなら……そういう目的だけで食べられてもいい」

ことり「だから教えて。知りたいの。海未ちゃんの気持ちが知りたいの」

ことり「海未ちゃんにとっての私って、何?」

ことり「私のこと、どう思ってるの?」

海未「…………こと、り……」

ことり「私は龍宮城にいる限り、どうあっても食べ物なんでしょ?」

ことり「ならせめて、好きな人に私を捧げたい」

ことり「……海未ちゃん。こんな私でいいなら……」

ことり「私のこと、貰ってください」

海未「…………もし……もし、ことりを、受け入れてしまえば」

海未「私だってことりのこと、本気で……ですから一度触れたら、もう、止まれなくなってしまいます」

ことり「いいよ」

海未「……わ……私だって……乙姫なんですから……」

海未「一度ことりを手に入れたら、もう、手離せなくなる」

海未「最後にことりの命が尽きるまで……私は……!」

ことり「私はいいよ」

ことり「私は海未ちゃんに奪われたいの」

海未「いけません……そうしない為にも、ことりのことを諦めたのに」

ことり「諦めたのに、毎晩私を見守っていてくれたの?」

海未「…………それは……」

ことり「……人間はその身を捧げてもいいと思う程に龍宮城の極楽に染まる、だよね」

ことり「私は結局、欲望には染まりきらなかったけど……代わりに、海未ちゃんに全部を捧げたいって思った」

ことり「海未ちゃんになら、命を賭けたっていい。海未ちゃんに、私を全部、染めて欲しい」

ことり「快楽に溺れて理性を失う前に……海未ちゃんのことが好きって気持ちのままで一緒になりたいの」

ことり「……海未ちゃん。一緒になろ?」

【ドイツ様】
あなたの最高傑作である「雨の降らない世界」について恐縮ですが意見を言わせてください

雨の降らない世界を創ろうという穂乃果に対し雨は私たちの代わりに泣いてると

だから雨が少しだけ降る世界をこれから創ろうと結論を出しました 本当にそれでよろしいのでしょうか?

雨が代わりに泣いてくれるのは共感します しかし世界だけ涙していいのでしょうか

穂乃果は世界の一部に属しています 従って世界が少し泣くときに共に泣くのがよろしいのではないでしょうか

世界と共に生きる あの可能性の申し子のような少女なら真の意味で行えると思います 私は信じています

でなければ私たちは自らの命を絶ってこの星に贖罪をしなければなりません

世界の僻地といわれてもおかしくない島国の黄色人種がいっぱしの口を利き申し訳ございませんでした

        【ラブライブ板一同総意代弁代表】 

海未「…………こ」

海未「ことり…………ことりっ!」

ことり「あっ」


 背中が苦しい。
 胸が締め付けられる。

 私以上の力で、海未ちゃんに抱きしめられた。


ことり(……あぁ……!)


 応じるように、海未ちゃんを抱きしめる腕の力を強めた。

 幸せ。
 私は今、誰からも強制されずに、私自身の気持ちで幸せを感じていた。


ことり(嬉しい……)

ことり(私、海未ちゃんのものになる)


 私を抱きしめた海未ちゃんは、そのまま部屋の奥まで私を連れて行った。
 押し倒されて、背中に柔らかい感触を覚える。

 大きなベッドに倒された私は、上に跨る海未ちゃんを見上げた。

【ドイツ様】
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ことり「海未ちゃん……」

海未「……もう、駄目ですから……止まりませんから……!」

海未「ことりが嫌だと言っても、やめませんから……っ!」


 海未ちゃんが顔を覗き込んでる。
 普段はあんなに落ち着いてるのに、今は凄く必死な顔をしている。
 一生懸命、私を見ている。

 可愛い。


ことり「海未ちゃんは私のこと、誘惑したの?」

ことり「凛ちゃんや希ちゃんみたいに、私の本能に訴えかけるような誘惑、した?」

海未「……私はしていません」

海未「今まで誰かを誘惑したことがありませんから、私にそのようなことができるのかさえわかりません」

ことり「じゃあ……今、こんなに海未ちゃんのことが好きな気持ちは、本物なんだ」

ことり「なら大丈夫だよ。どんな形でも受け入れられるから」

ことり「海未ちゃんになら何をされてもいいよ」

ことり「……して、ください」

ことり「私に、海未ちゃんがしたいこと、全部。して」

海未「…………」

ことり「……あ」


 海未ちゃんが私の頬に触れた。
 ゆっくりと、顔が迫ってくる。


海未「……ことり……」

ことり「海未ちゃん……」

海未「好き、です」

ことり「……」

海未「ことりのこと……私…………私はことりが、好きです」

海未「人間だからではありません。生気を頂く為ではありません」

海未「ことりが好きです」

ことり「……うん……!」


 頬に添えられた海未ちゃんの手に、私の手を重ねた。


ことり「好き……海未ちゃん」

海未「好きです、ことり」


 二人の距離がゼロになって、私たちは一つになる。
 唇から、これ以上無い幸せを感じた。

―――


希(…………そっか)

希(海未ちゃん……遂に乗り気になっちゃったか)

希(ええんよそれで。海未ちゃんだって、ちゃんとした乙姫やもん)

希(ことりちゃんのこと手離したくないよね。それが乙姫って生き物の性やし)

希(……せやけど、ウチも凛ちゃんも乙姫。一度手にしたものを手放せない)

希(ウチらこそ、海未ちゃん以上の乙姫なんだから)

希(どうしようもなく、ね)

―――――
―――



 お互いの苦難を慰め合うように寄り添って日々を生きる。
 小さな頃からずっと一緒にいた幼馴染み。
 楽とは言えない生活だったけど、私たちは力を合わせて乗り越えてきた。

 それでも、傷の舐め合いさえ出来ない程に追い込まれてしまうことだってある。


ことり「もういやっ!」


 全てが上手く回らなくて、どうしていいかわからなくて、私の精神は限界を迎えた。
 やりようのない負の感情を吐き出す為だけに、思ってもない言葉で相手を罵倒する。
 人生で一番激昂して、初めて口にするような汚い台詞で苛めた。

 私がいくら悪意をぶつけても、一言だって叩き返してはこなかった。
 口を噤んで我慢する方がずっと苦しいはずなのに。


「………………ご……め…………」

ことり「……なんで何も言わないの馬鹿っ!」


 けれど、この時の私に配慮なんて微塵もできなくて、感情のまま手を上げた。
 頬を打つ掌に衝撃が走る。

 相手に与える痛みはもっとずっと大きかったはずなのに。
 私は自分の手の痺れだけを心配して、自ら手を擦る。

 気付けば目の前から消えていたことにも気付かないまま、私は私の手を擦る。


―――
―――――


ことり「…………」


 夢の光景が、いつまでも脳裏から離れなかった。

 昨晩、私は、龍宮城で恋したヒトと結ばれた。
 幸せだった。

 なのに私は夢の中で、別の誰かを思い描いている。

 これまでだって、何かしらの一幕を夢に見ることはあった。
 夢の光景は、目を覚ませばどれも曖昧にしか覚えていなかったのに、今日のはやけに生々しい記憶として残っていた。
 誰かの頬を打った手の痺れが実際に残っているかのように。


ことり(どうしてこんなタイミングでこんな夢見たんだろ……)

ことり(心から好きな人と一緒になれたのに、夢に見たのは、別の誰か)

ことり(夢……ううん、違う……ひょっとしたら、私がここに来る前の……)

ことり(じゃあ、夢に見た誰かは、私にとって……)

海未「ことり」


 名を呼ぶ声に意識を引き戻された。

 隣には、大切な人が……そう、私にとって、きっと誰よりも大切な人が寄り添ってくれている。


ことり「……うん。大丈夫だよ」

海未「ええ。参りましょう」

ことり(今は目の前の事に集中しよう)

ことり(これからは、他の事なんて考えられないくらい大変なはずだから……)


 中央区画の大宴会場に立つ私は、室内を広く見渡して、大きく息を吐いた。

 私と海未ちゃんは、二人並んで宴会場の端に立ち。
 目の前には、大部屋を埋め尽くす何百と言う数の住人たちが、対面する形で居並んでいる。

 これだけの人数がいるのに、場は水を打ったように静まり返っていて、息遣いだけが微かに響いていた。
 みんなが神妙な顔つきでこちらの出方を伺っている。
 圧倒的な人数を前に、どうしても緊張してしまう。


海未「では、これより皆に説明します」

海未「現時点でのことりについて……そして、今後の対応についてを」

―――


海未「……住人のみんなに説明しなければなりませんね」


 薄暗い室内で天井を見上げていたら、海未ちゃんがポツリと呟いた。
 隣を見れば、海未ちゃんも私と同じように天井を見ていた。

 北区画にある大きな鉄の扉の部屋は、禍々しささえ抱かせる堅牢な扉の割に、室内はサッパリしていた。
 広くも狭くも無い部屋の奥に、大きなベッドが一つ。
 それだけがこの部屋の調度品。

 ここは本当に、そういう事をする為だけの部屋なんだって、如実に物語っていた。


海未「説明と言うのなら、先にことりに話しておくべきでしょうか」

海未「例えばそう……この部屋について、ことりは全て知っているわけではないのでしょう?」

ことり「うん。人間と海の住人が結ばれる部屋、ってだけ想像してたっていうか……」

海未「その認識があったなら十分です。北の部屋の最も大切な存在意義ですから」


 二人で一つのベッドに横になっている。
 柔らかいシーツだけが私たちを覆っていて、その下は、二人とも何も身に着けていない。
 シーツの下で、裸の手と手が触れ合っていた。


海未「色々と、話しましょう」

海未「これまでのこと、これからのこと……沢山のことを」

海未「さあ、どこから話しましょうか。いざ始めようとなると迷いますね」

ことり「じゃ、北の部屋……この部屋について聞きたいな」

海未「わかりました。手近なところから始めましょう」

海未「この部屋は先程言っていた通り、人間と海の住人が交わる為の部屋です」

ことり「ここで交わらないといけないっていう決まりとかあるの?」

海未「ありますが、今となっては慣習的な意味合いが強いです」

ことり「形だけの決まり事ってこと?」

海未「私はこれまで何度も、夜に部屋の障子を開けないよう言い含めてきましたね?」

ことり「うん。あっ……そっか、夜に室内に招くっていうのは……」

海未「ええ、招いた者にその身全てを許すという意味を持ちます」

ことり「だよね……凛ちゃんの時がそうだったんだ……」

海未「鍵もかからない障子一枚という隔たりですが、その一枚が最後の砦となります」

海未「人間から招かれぬ限り捕食を我慢する、という、住民たちの理性に頼った暗黙の了解ですね」

海未「一度招かれてしまえば、相手が事情を知っていようがいまいが関係なく迫ってしまう、極端な一面も有していますけど……」

【ドイツ様】
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だから雨が少しだけ降る世界をこれから創ろうと結論を出しました 本当にそれでよろしいのでしょうか?

雨が代わりに泣いてくれるのは共感します しかし世界だけ涙していいのでしょうか

穂乃果は世界の一部に属しています 従って世界が少し泣くときに共に泣くのがよろしいのではないでしょうか

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        【ラブライブ板一同総意代弁代表】 

海未「人間と交わる際には北を経由すべし、というのは列記とした掟です」

海未「しかし今では、夜に人間の部屋に出向き、招いて貰うのを契機として交わることが多いです」

海未「それでも北を経由することを推奨しているのは、北の使用はこの先人間に手を出しても良いと判断できる、明確な指標になるからです」

ことり「北の部屋に入ることが、人間を食べても良いよって合図なの?」

海未「夜に人間の私室に招かれたとして、何も事を済ませない場合も稀にあります」

海未「なので人間が行為を経験して極楽の虜になったのかどうか傍目では判断できず、他の者が手を出しにくいんです」

海未「しかしながら……北とは、その為に設えられた部屋です。必ず生気のやり取りを経たと見做されます」

海未「北に入った人間は確実に行為を経験し、虜になっているはずだ、と、以降は他の者も問答無用で捕食に踏み出せるのです」

ことり「そっか。じゃあ私、思い切ったことしちゃったんだね」

海未「まったくですよ。だからこそ私は止めたというのに」

ことり「ごめんなさい。でも……もう止められなかったから」

海未「……後悔はしていません。ことりと結ばれて、私は幸せです」

ことり「……良かった。私もだよ」

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だから雨が少しだけ降る世界をこれから創ろうと結論を出しました 本当にそれでよろしいのでしょうか?

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穂乃果は世界の一部に属しています 従って世界が少し泣くときに共に泣くのがよろしいのではないでしょうか

世界と共に生きる あの可能性の申し子のような少女なら真の意味で行えると思います 私は信じています

でなければ私たちは自らの命を絶ってこの星に贖罪をしなければなりません

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        【ラブライブ板一同総意代弁代表】 

海未「北の部屋は交わりの場であると共に、一度行為を経た人間の隔離部屋でもあります」

ことり「隔離? 閉じ込めるってこと?」

海未「一度行為を交わした人間は理性を失い、快楽を貪ることだけを求める亡者と化します」

海未「今、ことりとこうして普通に会話できるのが異例なんですよ」

ことり「普通にお話できないくらい夢中になっちゃうんだ」

海未「正直なところ、ことりと結ばれるにあたり、最も心配していたのがこの点でした」

ことり「海未ちゃんと結ばれて私の人格が変わっちゃったら、ってことだね」

海未「ですが、ことりはこうして、今まで通りのことりでいてくれた」

海未「私はそれが嬉しいんです……本当に安心しました」

ことり「……うん、私も。海未ちゃんとこうして一緒になれて、同じ幸せを分かち合うことができて……」

海未「ことり……」

ことり「海未ちゃん……」

海未「…………い、いけませんね! 合間合間に脱線して話が進みません!」

ことり「う、うん、ごめん」

海未「いえ…………では、あの、続きを……」

ことり「お願いします……」

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雨の降らない世界を創ろうという穂乃果に対し雨は私たちの代わりに泣いてると

だから雨が少しだけ降る世界をこれから創ろうと結論を出しました 本当にそれでよろしいのでしょうか?

雨が代わりに泣いてくれるのは共感します しかし世界だけ涙していいのでしょうか

穂乃果は世界の一部に属しています 従って世界が少し泣くときに共に泣くのがよろしいのではないでしょうか

世界と共に生きる あの可能性の申し子のような少女なら真の意味で行えると思います 私は信じています

でなければ私たちは自らの命を絶ってこの星に贖罪をしなければなりません

世界の僻地といわれてもおかしくない島国の黄色人種がいっぱしの口を利き申し訳ございませんでした

        【ラブライブ板一同総意代弁代表】 

海未「あちらに部屋の奥へと繋がる通路があるでしょう?」

ことり「あ、ホントだ。全然気づかなかった」

海未「通路の向こうは小さな個室が沢山並んでいます」

海未「各個室には最低限の生活空間と、人間を繋ぎ止める用途の拘束具しかありません」

ことり「拘束……」

海未「快楽に入れ込んだ人間を龍宮城内に放置しておくと、性的交わりを求めて住人たちを襲ってしまいますから」

ことり「今ってあっちに誰か拘束されてるの?」

海未「いえ。今現在、龍宮城に人間は一人しかいません」

ことり「私、だね」

ことり「前にそのことに気付いて、龍宮城を回ってみたことがあったの。でも、人間は誰もいなかった」

海未「表に出回る人間はことりが来訪する以前から居ませんでした」

海未「現在は表だけではなく、北に収められた人数も含めて、他に人間が居ないんです」

ことり「表とか北ってどういう意味?」

海未「表が未だ理性を保ち宮殿内で普通に暮らす人間、北が極楽に夢中になり隔離された人間ですね」

海未「別の言い方をすれば、捕食対象に至らない人間と、至った人間です」

ことり「そっか……」

海未「捕食対象となった人間は北に隔離され、住民たちは規則に準じて北に入り、行為を通じて生気を頂く」

海未「行為を繰り返し、やがて生気が尽きた人間は埋葬され、北から出されます」

海未「北の部屋は、龍宮城における身体的な交わりを執り行う場所、というわけですね」

ことり「それで今は、人間はみんな死んじゃって、私以外居ない……」

海未「人間がことりしか居ない現状、皆の視線がことりに向いています」

海未「今夜私と北に赴いた事実もすぐに知られるでしょう」

ことり「じゃあこれからはどこにいても、みんな私のこと……その……食べに来るの?」

ことり「それか、あの奥に隔離されなきゃ駄目?」

海未「そうならない為に、皆の前で説明をしなければなりません」

ことり「説明って、どんな?」

海未「ことりはその身を私に許しました。ですが未だ理性を保ち、見境なく交わりを求めたりしない、と」

海未「このような例は今まで無かったので、納得してもらえるかわかりませんが……」

ことり「……海未ちゃん以外の誰かとこんなこと、したくない」

ことり「凛ちゃんや希ちゃんに誘惑された時だって、最後まで許せなかったもん」

ことり「海未ちゃんとじゃなきゃ……やだよ……」

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        【ラブライブ板一同総意代弁代表】 

海未「……いざ、自分が誰かと結ばれてみて、感じたことがあります」

ことり「?」

海未「この先何があっても、私は絶対、ことりを手離せない」

海未「ことりが他の誰の下に渡るだなんてとても耐えられません」

海未「乙姫だから感じているのでしょうか……一度手にしたものを離したくないと」

海未「では凛や希はどうなのでしょう? これまで何人もの相手と交わってきたはずの二人は……」

海未「二人だけではありません。乙姫でなくとも、他の住人だって同じ行為を繰り返してきました」

海未「皆、許せたのでしょうか……一度は結ばれた相手が、他の誰かと同じ行為に及んでいる事実を」

ことり「それが龍宮城なりのやり方だから……じゃ、無いの?」

海未「……これは、恋のはずなんです」

海未「私はことりに恋をして、好きになって……だから全てを捧げて、全てを頂いた」

ことり「……うん……恋、だよ」

ことり「私は海未ちゃんに恋をしたから、全部あげたの」

海未「恋とは、そう簡単に手離せるものなのでしょうか?」

海未「私にはとてもできません」

海未「私には……」

Sana @sana77_tw 情報収集・趣味垢。 アニメ・漫画・ゲーム大好きです! 最近はラブライブにはまっており凛ちゃん推し! 気が合う人フォローお願いします。 無言フォロー、リツイートが多いかもしれないですがご了承ください。















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―――


ことり(海未ちゃん……)


 海未ちゃんは苦しそうだった。
 初めて人間と……私と交わって、龍宮城の極楽を知識じゃなく経験で知った。
 だからこそ生じた疑問に、海未ちゃんは葛藤していた。


海未「皆さん落ち着いて、意見や質問は順に……落ち着いてください!」


 私の現状について、一通りの説明を住人たちに行った。
 私が龍宮城についてどこまで理解して、どこまで受け入れられるのかを。

 説明を終わると同時に、今まで静かだった分余計に騒がしく質問の声が飛び交った。
 何とか収集を付けようと海未ちゃんは頑張ってるけど、とても収まりそうにない。


海未「ですからことりを捕食対象と見做してはいけません!」

「どうして海未さんは食べたのに私たちは駄目なんですか!?」

海未「説明した通り、ことりはまだ行為の虜にはならず理性を保ち、」

「今まではそんなことなかったじゃない!」

海未「ことりは特別なんです! 普通の人間に対する尺度で計ってはなりません!」

「自分が手付けたから他人に渡したくないだけじゃないんですか!?」


 住民たちの声は熱を帯び、敵意が表立ってくる。
 私たち二人に向けられるみんなの目つきが段々鋭くなってきて、怖かった。

海未「何度も繰り返しましたが、事態は話した通りなんです! 理解してください!」

「…………」「…………」「…………」

海未「で、ですから……」

「…………」「…………」「…………」


 質問攻めが終わると、今度は一転して静寂による圧力が生まれた。
 無言のまま、何百という瞳が私と海未ちゃんを睨みつける。


海未「ぅ…………」

ことり「ど、どうしよう……」


 一触即発の空気感に身を竦ませた。

 今はまだ海未ちゃんの話を聞いてくれている住人たちだけど、いつまで聞く耳を持ってくれるだろう。
 もし、何百人の住人が一斉に迫ってきたら、私たちは為す術もない。
 私と海未ちゃんは引き離されて、私は抵抗する間もなく、みんなに食べられてしまう。
 海未ちゃんとの愛を交えた行為ではない、完全に欲望に塗れた交わり方をした私はその先、理性を保っていられる自信は無い。

 大宴会場に満ちる空気は、そうなってもおかしくないって思わせるだけの威圧感があった。

 これ以上この場に居たらいけない……。
 私が抱いた思いを、海未ちゃんも感じ取ったのかもしれない。


海未「は、話は以上です! この先もことりには手出ししないように!」

ことり「あっ!」


 強引に説明を切り上げた海未ちゃんは私の手を取って、大宴会場の出入り口へと逃げるように走った。

 宴会場にひしめく住人たちは、場を去ろうとする私たちを押し留めはしなかった。
 かと言って、道を譲るわけでもない。
 物言いたげな目を向けられながら、脇に立つ住人と何度も肩をぶつけあって、私たちは這う這うの体で宴会場を抜け出した。


ことり「あれでよかったの?」

海未「説明を続けてもこれ以上理解を得られるとは思えません」

ことり「理解してくれないまま切り上げてよかったのかな……」

海未「……何とも言えません」


 説明が不十分だってことはわかってる。
 けど、迫る圧力を押し返せるとは思えない。
 私たちにできることは、最低限の勧告をして、この場で捕まらないよう逃げるだけだった。

―――


ことり「これからどうなるのかな……」

海未「わかりません……」


 私の部屋に逃げ帰り、声を潜めて相談する。
 この先に待つ不安が募るばかりで、海未ちゃんと一緒になれた喜びを味わう余裕も無い。


ことり「私は大切な人と結ばれたかっただけなのに」

ことり「みんなをの怖い顔を見てると、いけないことしたみたいに思えてきちゃう」

ことり「……いけないこと、だったのかな」

海未「……私の立場では、一概には何とも言えません」

海未「私たちの行いが悪いと認めたくはありません……が、龍宮城の風習を蔑ろにするわけにも……」

ことり「そう、だよね……」


 龍宮城の主として、海未ちゃんは私以上に思い悩むところがあるんだと思う。
 だけどそんな海未ちゃんに、私は何もしてあげられない……。

 二人して溜め息をついていたら、障子のすぐ向こうから声が上がった。


希「ちょっといいかな」

ことり「のぞっ……!?」


 正体はすぐにわかる、希ちゃんだ。
 昨夜、私を誘惑した……。


希「海未ちゃんもおるんやろ? ちょっと話したいんよ」

海未「希……」

希「別に何するってわけでもないからさ」


 声色からは普段通りの希ちゃんの調子に聞こえた。
 少なくとも、さっき大宴会場で私たちを睨んでいた住人たちよりは落ち着いてるように思える。


ことり「平気かな?」

海未「……昨夜の件があったとはいえ、希は大丈夫です」


 短く相談してから、海未ちゃんが部屋の障子を開いた。
 障子の向こうには、いつもよりは少し神妙な顔つきをしている希ちゃんと、同じような表情の凛ちゃんがいた。


希「招いてくれて嬉しいよ。お邪魔するね」

希「さあて……あれでみんな納得するんかなー」

海未「……難しいでしょう」


 座卓を囲むように私たちは座り、どことなく声を潜めて言葉を交わす。
 私個人としては、昨夜の希ちゃん、そして先日迫られた凛ちゃんの影がちらついて、最初は落ち着かなかったけど……。


ことり(こういう事態になって、二人だって私に迫ってきてもおかしくないのに、そんな気配が無い……?)


 怒気を発していた住人たちと違って、凛ちゃんも希ちゃんも至って自然体だった。
 過去に迫られた相手だから、今後最も警戒しないといけない相手だと思い込んでいたけど……。


ことり(大事な時にしっかりしてるのは、流石に宮殿の主ってことなのかな)

希「さてことりちゃん」

ことり「ひゃいっ!?」

希「昨日のことは一旦脇に置いて貰うとして……まずはこの先のこと考えよか」

ことり「……うん」

凛「ね、海未ちゃんはことりちゃんから……ちゃんとした形で生気貰ったんだよね」

海未「…………ええ」

希「構えんでも平気だよ。ただの確認やから」

希「でもそっか。ことりちゃん、海未ちゃんに貰われちゃったかー……」

ことり「ごめんね、希ちゃん。凛ちゃんも」

凛「うん……」

希「ま、何であれ、これでことりちゃんは龍宮城の一線を越えちゃったわけや」

凛「これからは凛じゃなくても、ことりちゃんのこと欲しいーって言ってくるよ」

海未「そうならぬよう事前に釘を刺したかったのですが……」

凛「全然聞く耳もってくれなかったね」

希「説明は半端だったとは言え、雰囲気に呑まれる前に逃げるのは正しかったと思うよ」

凛「あのままじゃみんな二人に襲い掛かりそうだったもん。端から見てるだけでもハラハラしちゃった!」

海未「ですが中途半端な勧告に留まり、十分な抑制にはならないでしょう」

希「仮にちゃんと説明出来てたとしても同じやないかな」

希「乙姫が何を言ったとしても、言うだけじゃあみんなもう止まらへん」

海未「……確かに……」

海未「凛、希。二人に質問したいことがあります」

凛「何?」

海未「二人は今まで数多くの人間と結ばれてきましたよね」

希「結ばれてって、またおもろい言い方するね」

海未「その際、一度結ばれた相手が別の誰かの手に渡ってしまう事態に抵抗は無かったのですか?」

希「んんー?」

海未「私はことりに恋をして、結ばれて、この先ことりを絶対に手離せないと感じました」

海未「乙姫が持つ、一度手に入れた者を手離せないという習性……初めて実感した限り、何事を置いても覆せる感情ではありませんでした」

海未「いくら皆の生命維持活動の為と言えど、他者に譲るなんてもっての外です」

海未「二人はこれまでどうやって克服してきたのですか?」

希「あー、そういう………………」

海未「…………?」

希「……今は、この先のことりちゃんについて考えよ」

海未「え……? あの、ですが、」

希「まずは目先のことから。余計なこと考えとる時間は無い。ええね?」

凛「……希ちゃんがそう言うなら、凛も答えるのは後回しにする」

海未「…………わかりました」

 私たちはこの先について話し合った。
 と言っても、明確な案や対策を出せたわけじゃなくて、今後どうなるかを予想するのが精一杯。
 今後増々増していくはずの住人たちの求愛行動にどう対処していくのか。
 私は出来るだけ身の危険から回避するよう、常に周囲に気を配るくらいしかできそうにない。


凛「できることって少ないねー」

海未「私がことりの側にいるのにも限度がありますし……」

希「それに、今は相談に乗ってるウチらも味方ってわけじゃないしね」

ことり「え?」

希「隙見せたらアカンよことりちゃん。昨日、ことりちゃんのこと手に入れようと迫ったのは誰やった?」


 私に警戒を促した希ちゃんは、おもむろにクスリと笑って立ち上がった。
 凛ちゃんも続いて、二人は障子へと向かう。


希「ウチらは帰るよ。みんなの様子見ておきたいから」

凛「ちゃんと気を付けてね。……凛たちにも、だよ?」

海未「あ……凛! 希!」

希「どうしたん?」

海未「相談に乗ってくれてありがとうございます。助かりました」

希「……一応、二人に言っておくけど」

海未「……わかってます」

希「うん。まあそれでも……ウチはまだ、ことりちゃんのこと諦めてないからね」

凛「凛も! ことりちゃんのこと大好きだから!」


 二人の素敵な乙姫さんから、赤面ものの告白を面と向かってされちゃった。

 一度は誘惑に落ちかけた二人から宣戦布告されて、焦る場面なのかもしれない。
 でも、今のこの二人からは、素直な気持ちが伝わってくる。
 半ば強引に迫られた夜とは違う、素直に私のこと……好き、っていう気持ちが。


ことり「……相談に乗ってくれたのと、注意してくれてありがとう。私も二人のこと大好きだよ」

希「ほうら、またそんなこと言っちゃってさあ。甘々やんなあ」

凛「凛本気なんだからね! 海未ちゃんにだって負けないにゃ!」

海未「なっ!?」

希「ウチもね! せいぜい気を付けるんよ? じゃあねー」

海未「……まったくもう」


 海未ちゃんは呆れつつ、二人が去って行った障子を睨んでいた。

 何一つ解決できたことはないし、凛ちゃん希ちゃんは挑発してくるし、余計に心配事が増えちゃった。
 だけど、宴会場から逃げ帰った時の沈んだ気分の代わりに、力の抜けた笑いができるくらいには気が楽になっていた。


ことり(……ありがとう、凛ちゃん、希ちゃん)

寝るわ おやすみ 完結しとけよ


暇な時みたるわ

ドイツ様万歳

―――


ことり「…………」

「…………どうしたの?」

ことり「いや……うん……あの……」

「…………言いたいことあったら言っていいよ?」


 機織り教室でお着物を作ろうとする私の手に、教室仲間の子の手が重なっている。
 教えてあげる、っていう言い分だけど、余りにも距離感が近すぎる。

 一人だけじゃない、教室中の生徒全員が私の周りに集まって、隙を見ては私に触れてきた。


ことり(こんなあからさまに態度が変わるなんて……)


 住人みんなの前で説明をした翌日から、宮殿の様子は一変した。
 どこへ行ってもみんなの視線が突き刺さる。
 用が無くても私に近付いてきて、ともすれば理由の無いまま触れてくる。
 驚いて目を向けると、視線を合わせたまま相手の顔が迫ってくることさえあった。


ことり(みんなが私を欲しがってる)

ことり(芸事の時間も何も関係無い……もう、安心できる時間なんてないんだ)

「そこっ! 生徒たちっ!」


 芸事仲間たちの求愛行動に参っていたら、教室内に険のある声が響いた。
 驚いて顔を向けたら、教室の先生が向かってくるところだった。


「今は手習いのお時間です、ことりさんに迷惑をかける暇があるなら集中なさい!」

「無理ですよ先生」「ことりさんと一緒にいたいです」「我慢できない」

「馬鹿を言わないでください! そのような言い分がまかり通るとお思いですか!?」

「御年配の先生にはもう興味ないかもしれませんけど」「私たちことりちゃんにしか興味ないです」

「では今すぐ教室から出ていきなさい!」

「やです」「ことりさんと離れちゃう」「ならことりさんも連れてくわ」


 私を巡って先生と生徒たちで言い争いが起きてしまった。
 先生みたいに味方をしてくれるヒトがいると知って安心したけど、一方で申し訳なく思う。


ことり(先生……ごめんなさい……)

ことり(ううん、先生だけじゃない。生徒のみんなだって私のせいで……)


 言い争いは終わらない。
 私が困惑してる間にも、折を見て誰かが手に触れてきてビクッとしてしまう。

 こんなんじゃ、習い事なんて進めようがなかった。

―――


ことり(どこに行っても何をしても同じ……)

ことり(習い事も、お手伝いも、一つもまともに進められない)

ことり(それどころか、襲われないよう逃げるので精一杯)


 私が顔を出した場所では、皆が皆私にばかり意識を向けて、何であっても成り立たなくなる。
 あらゆる活動に支障を来してしまう私は大人しくしているしかなかった。

 落ち込んだ気分のまま、お昼を取ろうと大宴会場に顔を出す……けど。


ことり(……う、わ)


 室内に入ると、普段通り賑わっていた大宴会場が途端に静まり返り、全員の視線が私に集まった。
 獣に狙いを付けられた小動物のように、恐怖で身動きができなくなった。

ことり「あ…………あ…………」

「…………」「…………」「…………」「…………」「…………」

ことり(どうしよ、どうしよ、今日でもこんな大勢から見られたことない)

ことり(……怖い)

ことり(ここでご飯なんて無理だよ、こんなの、どうしたら、)

「嬢ちゃん」


 向けられる多数の瞳に戸惑っていたら、重みのある声が隣から響いた。
 見れば、普段調理場でお世話になっている料理長だった。 


ことり「あ……」

「案の定か。ここじゃ飯なんて無理だろ、自分とこの部屋にでも持ってきな」

ことり「でも、ご飯はここでって決まりが……料理長も守れっていつも、」

「構うな。食い終わった配膳も部屋の外にでも置いとけ、後に回収に行く。いいな?」

ことり「…………すみません」


 追い払うような料理長の態度に促されて、一人じゃ動かせなかった体をなんとか大宴会場から逃がした。
 言外に込められた優しさに感謝しながら、それ以上に早くこの場から去りたいという恐怖心に従い、足早に自室に向かう。

 龍宮城に来て以来、私は初めて、一人きりで食事を取った。

―――


 どこに行っても逃げ場は無かった。
 出向く所どこでも住人たちは私を待ち構え、居合わせた誰もが私を狙って近づいてくる。
 場所を移しても追われ続け、自室に逃げ込んでも、耐えず誰かが部屋の外をうろついている。


ことり(監視されてるみたい……落ち着ける時間が無い)

ことり(……焦っちゃ駄目。弱気になるから怖く感じるんだよ)

ことり(迫られてはいるけど、強引に何かされてはいないんだから)

ことり(まだ平気……まだ私は、龍宮城で普通の生活ができるはず……!)


 根拠も説得力も無いことは私が一番わかっている。
 だけど、このまま龍宮城での暮らしを恐怖の色に染められるのは嫌だった。


ことり(ここは海底の楽園)

ことり(海未ちゃん、凛ちゃん、希ちゃん、沢山の素敵なヒトたちと出会えた、掛け替えのない場所)

ことり(大切な毎日を、嫌いになりたくない!)

 各所全方位から迫る求愛行動にも負けないよう、夕方からは覚悟を決めて、意識的に平常通りの生活をした。
 住人のみんなは即座に近付いてきて何かと接してくるけど、下手に弱気にならずにいればやり過ごすこともできた。


ことり(よかった。まだここでの生活を失ってない)

ことり(いけるよ、大丈夫。負けちゃ駄目。気をしっかりもって、私の毎日を取り戻そう!)


 身近に迫る住民たちを牽制し続けて、疲れ切った心身を癒す為に、夜には大浴場に向かった。
 私にとって一番の憩いの場。
 だけど……。


ことり(…………あ)


 入浴の準備をしようと脱衣所で着替えに取り掛かった瞬間。
 衣類を脱いで肌を一部露出しただけで、これまでと比較にならないくらいに熱い視線で貫かれた。


ことり(駄目)

ことり(無理。絶対に無理。お風呂場だけは駄目。ここはいけない)


 気圧されまいという意思があっという間に折られた。
 それ程に、この場で受ける視線が強くて熱くて、危ない。


ことり(このまま肌を見せて湯船に浸かったら、私はきっと……食べられちゃう!)

 脱ぎかけた服を慌てて着直して、出口に向かおうと踵を返した。


「入らないの?」

ことり「ひっ!?」


 真後ろに見覚えのある人影を見定めて、足が止まった。


ことり(このヒト……! 前にお風呂場で私を引き留めたヒトだ!)


 以前、お風呂から上がろうとした際、二人の住人から強引に湯船に引き戻されたことがあった。
 希ちゃんに助けて貰って事無きを得たけど……その時の一人である長髪の女性が私の背後に立っていた。
 あの時と同じ低音の声音が、私の意識を惑わそうとする。

 二人組のもう一人、浅黒い肌をした女性もすぐに私の方へと近づいてきた。
 退路を塞ぐよう二人並んで、私の前に立ちはだかる。


「まだお風呂済ませていないじゃない。一緒に入りましょうよ」

「今度こそ私たちと温まりましょ?」

ことり(この二人、また……!)


 前回引き留められた時、あのまま湯船に浸かっていたらどうなっていたか、今なら容易に想像がつく。
 そして今、この二人が何をしようと考えているのかも。

「安らぎましょう?」「温まりましょ?」

ことり「……私、やっぱりいいです」

「どうして?」「大浴場でゆっくりしたいんでしょ?」

ことり「一緒に入ったら、ゆっくりできないと思うから」

「そんなことない、最高の気分になれるわ」「入りましょう? 行きましょう?」

ことり(話を聞いてくれない……!)


 今日一日を通じて、他人の意向を蔑ろにする住人たちの態度が、ちょっと頭に来ていた。
 受け身だからつけ込まれるなら、相手に負けない気持ちでぶつかっていけば……!


ことり「私はっ、」

凛「にゃー!」

ことり「ふぇっ!?」


 反論しようと意気込んだと同時、突然凛ちゃんが割り込んできた。
 不意の登場に、私も、対峙する二人組も揃って呆気に取られていると、虚を突いた形の凛ちゃんは私の手を引いて走り出した。


「あっ!」「凛さんちょっと!」

凛「ことりちゃんは凛のものー!」

ことり「えっ!? えっ!? 凛ちゃん!?」


 何が何やらまるでわからないうちに、私は凛ちゃんに連れられて、脱衣所を抜け出していた。

―――


凛「ふいー、泳ぐのもいいけど走るのもいいよねっ!」

ことり「はあっ、はあっ……もう、いきなりすぎだよぅ。ここどこ?」

凛「ごめんにゃー。宮殿のどこか端っこの方じゃない?」

ことり「凛ちゃん足早いんだもん、びっくりしちゃった」

凛「泳ぐのより走るようが得意なんだっ!」

ことり「いいなぁ、私あんまり走るの得意じゃないの」

凛「じゃあ今度早くなるコツ教えてあげるね!」

ことり「うん。……ねえ凛ちゃん」

凛「あのままだと危なかったよ」

ことり「え?」

凛「怒ったらね、みんなの思う壺なんだよ。言い争って気が高まって、襲うきっかけを作っちゃうの」

凛「前もね、同じことがあったんだ。まだ乗り気じゃない人間を怒らせて、掴みあいになった隙に強引に食べちゃったこと」

凛「勘違いして無理に迫った凛が責められることじゃないけどね……」

ことり「…………そう、だったんだ……」

ことり「ありがとう、凛ちゃん。助けてくれたんだね」

凛「前に襲いかかったお詫びだよっ」


 にへらと笑う凛ちゃんは、私の顔をまじまじと見てから、そっと抱きついてきた。
 一瞬身構えたけど、寄り添うように体をもたれかけてくる態度からは、強引さみたいなものは感じなかった。


凛「なんて、ホントはね、他のみんなにあげたくなかったから邪魔したの」

凛「ことりちゃんのこと、ホントに好きなんだもん」

ことり「凛ちゃん……」

凛「ごめんね。これくらい、許してね」

ことり「……いいよ」


 いつも元気な凛ちゃんらしくなく、遠慮がちに私の胸元にしがみつく小さな体に、そっと両腕を回した。


凛「……あったかいにゃ」

ことり「うん。凛ちゃんも温かいね」

凛「凛ね、ことりちゃんのこと好き」

ことり「うん。ありがとう」

凛「ことりちゃんは海未ちゃんのこと好きなのは知ってるよ」

凛「海未ちゃんも初めて誰かを……ことりちゃんを好きになったから、応援してあげたい」

凛「……でも、凛は乙姫だから。好きになったら手放せないよ」

ことり「今まではどうだったの?」

凛「今までって?」

ことり「今までも沢山の人間と……大切な事をしたんだよね?」

ことり「前に海未ちゃんが質問した時は答えてくれなかったけど、今まで凛ちゃんはどうやって我慢してたの?」

凛「……知りたい?」

ことり「うん」

凛「じゃ、教える代わりにチューしていい?」

ことり「……からかっちゃいけませんよーぅ」

凛「へへ、ごめんなさーい。チューはいいから、もうちょっとこうしてていい?」

ことり「いいよ」

凛「ことりちゃん優しいね。だから好きになったんだ」

ことり「私も、凛ちゃんのことは好きだよ」

凛「……えへへ……」

―――


海未「…………凛が助けてくれたんですか……」

ことり「うん」


 宮殿どこに行っても住人の手が伸びてくる現状、いくら意地を張って普段通りを貫こうとしても、最早一人で室外を出歩くことは困難だった。
 凛ちゃんや希ちゃんが守る様にしてくれても、そんな私たちに向けられる視線は冷ややか。

 海未ちゃんは何かと用が出来て、私と一緒に居る時間を中々作れないみたいだった。
 住人たちが私に近付けないよう手を回している、って言ってたけど……。

 今日は久しぶりに、海未ちゃんと一緒に宮殿内をお散歩していた。


ことり「住人みんなが落ち着かなくなっても、乙姫さんたちは流石にしっかりしてるんだね」

海未「どうなのでしょう。人間に対する欲望は一般住人と大差無いはずなのですが」

ことり「そうなの? じゃあどうして凛ちゃんと希ちゃんは冷静なんだろ」

海未「理由があるのでしょうか……」

希「そら当然あるよ」

ことり「ひゃっ!? 希ちゃん!?」

海未「ど、どこから出てきたのですか!? 驚かさないでください!」

希「いやー面白そうな話してたからさ。つい、ね」

希「はい。ことりちゃんに渡しに来たんよ」

ことり「これ……私の服?」

希「前に牛乳零してウチの着替え渡した時のやつ。……あの日着てた服、って言えばわかる?」

ことり「あ…………うん。……ありがとう」

海未「……希。あなたが私たちを助けてくれる理由を聞いてもいいですか?」

希「別に助けてはないけど?」

海未「私たちに助言したり忠告を与えたり、無理にことりに迫ろうとはせずそれとなく守っているではありませんか」

海未「一方で、私がことりと一緒に居るのは見逃しています」

海未「いくら乙姫同士とはいえ、捕食対象である人間を他者へ譲るのは解せません」

希「乙姫は一度抱きしめた相手を離さない生き物のはず、だから?」

海未「はい。恋した相手を他者に委ねるのは、私には理解できないのです」

海未「私はことりに恋をしました。だからこそ守りたい、離したくないと思っています」

希「恋……か」

希「ここは恋する宮殿……ふふっ。いいとこ突いとるよ」

海未「?」

希「恋って、そういうものやんな」

希「理屈やなくて、ただただ手離したくないって思いでいっぱいになってまう」

海未「ええ。にも関わらず、希や凛はどうして一度手にした人間を手離せたのですか?」

希「それは……んー……海未ちゃんに教えるにはちょーっと早いかなあ」

海未「え? なぜですか? わ、私が恋を覚えたばかりで初心な精神の持ち主だからですか!?」

希「うーん、やっぱりまだ教えられへん。気が向いたらね」

海未「確かに私は恋する身として未熟者かもしれませんがっ! しかしですね!」

希「いやいやそういうわけでもなくてね、まあそういう意味もあるけどさ」

海未「ほらやっぱり! 心外ですっ!」

希「ムキになった海未ちゃんからかうのオモロイわー」

ことり「……同じ質問、凛ちゃんも答えてくれなかった」

希「うん?」

ことり「大切なこと、なんでしょ?」

希「……まあね」

希「ウチと凛ちゃんにとって、とーっても大事なことに関係する質問やから、まだ教えられないんよ」

海未「……」

海未「希。あなたと凛は味方なのですか?」

希「どう思う?」

海未「……味方であって欲しい、と願っています」

希「甘いよ」

希「恋してるなら、何があっても手離さんよう、誰相手にも気ぃ引き締めなアカンて」

希「龍宮城のみんなだって、ことりちゃんのこと欲しいからあんなに必死になっとるやん。そんなんじゃ取られちゃうよ?」

海未「私は皆の様に、我を忘れてまで誰かを求めたくありません」

希「そう?」

海未「私は私のまま、きちんとした気持ちでことりに恋をしたいんです!」

希「だから甘いんよ」

海未「私の主張は間違っていますか!?」

希「自我を保って冷静になろうとして、その隙にことりちゃん取られたら?」

海未「…………そんな二者択一……考えたくありません」

希「それにいくら海未ちゃんでも、本当に欲しくなったら我を忘れてことりちゃんのこと求めるようになるって」

希「恋、しちゃったんやろ? なら絶対にそうなるよ」

海未「私は……私は理性を失ってまでことりを求めたりはしません!」

希「言い争うつもりは無いよ。結果は勝手に出るものやから」

海未「…………」

希「さて、海未ちゃん怒らせちゃったからウチは帰るね。ばいばいことりちゃん」

ことり「あっ……」

海未「希……」

ことり「……さっきのも忠告だったのかな」

海未「わかりません……」

海未「情けないです。同じ乙姫なのに、私は時々凛や希がわかっていることがわからない」

海未「……ですが、やはり私は今の気持ちを大切にしたい」

海未「欲に流されたりせず、私は私のまま、ことりと恋をしたいんです」

ことり「……そういう海未ちゃんだから、私は好きになったんだよ」

ことり「大丈夫だよ。わからないことがあっても、海未ちゃんは海未ちゃんだもん」

海未「……私、きっとことりを守りますから」

ことり「うん。信じてる、海未ちゃん」

―――


ことり(龍宮城に来て、大切な人たちと出会って、大好きな人と結ばれて……)

ことり(海底の世界で一歩一歩進んで、私なりの日々を築いてきた)

ことり(それでも、今もまだわからないことばかり)

ことり(凛ちゃんと希ちゃんは、どうして一度恋した人間を手離すことができたんだろう?)

ことり(海未ちゃんが質問しても教えないのはどうして?)

ことり(私はこの先ずっとみんなに怯えながら暮らさないといけないの?)

ことり(どうやったら逃げるだけの毎日から抜け出せる?)

ことり(それから……たまに夢に見る景色)

ことり(あれはきっと、陸での生活の記憶……私が忘れていた光景)

ことり(私は、誰かと一緒に生きてきた?)

ことり(その人は誰? 私にとってどんな人?)

ことり(どうして私たちは離れ離れになっちゃったの?)

ことり(私はどうして、龍宮城を求めて海に潜ったの?)

ことり(……わからない……私には、何もわからない……)

―――


ことり「はっ…………はっ…………」


 早足で廊下を歩きながら背後を確認する。
 付かず離れず、微妙な距離を置いて、住人たちが私の後を追ってきていた。
 このまま逃げ続けていても、見逃してくれそうにない。


ことり(この先は確か……)


 角を曲がって、中央区画の調理場内へと身を滑らせた。
 普段からお手伝いで出入りしている場所だから、ちょっとした隙間や物陰の場所を知っている。


ことり(とりあえずここで……)


 私が隠れた直後、調理場に入ってきた住人たちは姿を消した私を探して室内の散策を始めた。
 逃がしたとか、奥から出ていったとか言い合いながら、足音騒がしく調理場を駆け抜けていく。


ことり(……いなくなった、かな)


 目先の危機を脱したことに一息付きつつ、今朝の出来事を思い出して、身を震わせた。


ことり(みんな、私の部屋に強引に上がってきた……)

ことり(開けようと思えば簡単に開けられる障子だけど、今までは私が招かない限り誰も勝手に開けなかった)

ことり(なのに今日のみんなは、私が何か言う前に……!)

 昨夜から考えていた数多くの謎を抱えたまま、今朝の私は目を覚ました。
 悩みの種は体内の澱みとなって深く沈んでいるようで、体を起こす動作一つが重々しく感じてしまう。


ことり(……なんて風に、後ろ向きなこと考えちゃ駄目)

ことり(悩んだら憂鬱な気持ちになっちゃう。弱味を見せたら、いつ迫られるかわからないんだから)

ことり(今日も頑張って自分を守っていこう!)

ことり(……?)


 意気込みを新たにベッドから下りると、室外からの声に気が付いた。
 朝早いのに、ちょっとした騒ぎみたいな言い争いが聞こえる。


ことり(どうしたんだろう?)


 何かあったのか気になって、そっと障子を開けてみた。
 隙間から中庭を覗くと、住人たちが興奮した様子で話し合いをしていた。


ことり(話し声が聞こえる…………掟がどうとか…………)

ことり(……………………襲、う……?)

 物騒な言葉が聞こえて、反射的に身が震えた……その瞬間。
 中庭で話をしていた住人たちが、揃って私の部屋へと顔を向けた。
 障子の隙間を通して目と目が合う。


ことり(……いけない)


 何とも言えない嫌な予感に襲われた
 急いで隙間を閉じて障子から離れると、上着を手に取った。


ことり(わからない……でも、目が合ったのは、きっと良くない……!)


 部屋の反対側にある窓へと向かう間に、障子の向こうから何人もの足音が近付いてきた。
 本当にやるのか、待ってると他に取られる、構わない開けちゃえ……なんて声が聞こえる。


ことり(逃げよう!)


 私は躊躇せずに、窓を開けて室外に飛び出した。
 ほぼ同じタイミングで、部屋の主である私の許可を得ないまま、住人たちは障子を開けて室内に踏み込んできた。

 それから緩やかな追いかけっこが続いて……調理場に隠れた私はひとまず追手を振り払い、今に至る。


ことり(逃げられたけど、これからどうしよう?)

ことり(みんな力づくで私を捕まえようとしてきた。部屋が駄目なら、どこも安心できない)

ことり(……頼りにできるのは、一人しかいないよ)

ことり(海未ちゃんの部屋に行こう)

ことり(朝早い今ならまだ人気もまばらだし、移動するなら今のうちかも)

ことり(海未ちゃん、お願い、助けて……!)


 誰が襲ってくるのか、どこから襲ってくるのか、もしかしたら全員が私を狙っているのか。
 恐怖で足が竦む。

 でも、ここで捕まったら海未ちゃんと離れ離れになっちゃう。
 そうならないよう、私は勇気を出して、物陰から表に出た。

ことり(…………! こっちも駄目!)


 調理場を離れて、宮殿内の廊下を恐る恐る進んでいく。
 遠くに人影が見えると歩調を緩めて、相手が私を追ってくるかどうか見極めるけど……。


ことり(誰が、じゃない。みんながみんな私を追ってくる)

ことり(全員から逃げないと!)


 住人たちは走ってきたりはせず、早歩きくらいのペースで私を追ってきた。
 私は距離を詰められないよう小走りを続けて、右に行きかけて人影を見つけては左に曲がり、前方に住人を見つけては一度後方に引いてを繰り返す。
 入り組んだ宮殿内を縫うように進んで行く。


ことり(なんだか……誘導されてる気がする……)


 気が付けば宮殿内をぐるりと回っていて、元居た場所近くまで戻っていた。
 廊下の左右から住人が迫ってきて、仕方なしに目の前の出入り口、大宴会場への扉を潜った。

 龍宮城で最も広い部屋である大宴会場には、朝早くにも関わらず、ちらほらと食事を取っているヒトたちがいた。
 日頃騒がしくしている食事時だけど、今は不気味なくらいに静か。


ことり(ヒトはいるけど……みんなご飯食べて私に見向きしない)

ことり(ここにいる住人たちが追ってこないなら、反対側まで行って向こうの出入り口から外に逃げられるかも)


 宴会場を突っ切って対面の出口に向かおうと、部屋の奥へと踏み入った。
 しばらくは何事も起きなかったけど、私が室内の中央付近、各出入り口から遠のいた場所まで移動したら……。


ことり「……あっ!」


 それまで静かに食事を取っていた住人たち全員が、勢いよく立ち上がった。
 皆が皆、私を見ている。


ことり(誘い込まれた……!?)


 罠にかかった獲物を追い詰めるよう、宴会場にいた住人たちが距離を詰めてきた。
 じわり、じわり。
 廊下を逃げ回っている間から追ってきていた住人たちもどんどん宴会場に入ってきて、包囲網は大きくなっていく。


ことり(……捕まっちゃ駄目っ!)


 完全に囲まれる前に大宴会場を突っ切ってしまおうと、全力で駆けた。

「あっ!」「逃げるわ!」「誰か止めて!」


 向かおうとしていた対面の出入り口を住人たちに固められてしまった。
 このまま前方に走っていっても捕まえられる。
 けれど、右も左も後ろからも、どの道追手が迫ってきている。


ことり(力づくでぶつかってでも突破するしかないよ!)

ことり(無茶でも何でもやらないと海未ちゃんに会えないんだから!)

ことり「……ぅ、えっ?」


 追手が待ち構える出入り口に突進しようと足に力を入れ……けれど走り出した途端、体がガクンと揺れて勢いが削がれた。
 勢いをつける前に、脇から腕を掴まれていた。

ことり「…………あ……」

希「…………」


 いつの間にか隣に立っていた希ちゃんが、私をしっかりと捕えていた。
 逃げられなかった……。


「希さん!」「やった!」「捕まえたわ!」


 住人たちが周囲で歓声を上げる。
 輪の中心で、私を捕えた希ちゃんが薄らと笑みを浮かべた。

ことり(この笑い方……!)


 前に希ちゃんから誘惑された時を思い出した。
 妖しげな笑みと共に、意識の全てを欲望で上塗りされた異常な感覚が蘇る。


ことり「ぅ……ぁ……」


 誘惑されるまでもなく、あの日の記憶を思い出しただけで指一本動かせなくなってしまった。
 体が強張り、息が上がる。


ことり(一番捕まったらいけないヒトに捕まえられた……)

ことり(私を追ってきた住人たちの主……私を誘惑した乙姫……)

ことり(私、どうなるの…………助けて…………助けて!)

希「ことりちゃん」


 あの日のように、希ちゃんが顔を近づけてきた。
 まともに頭が働かない私は顔を背けることも出来ない。

 微動だに出来ない私に、希ちゃんはそっと顔を寄せて、耳元にキスをした。

希「……………………」

ことり「……………………」


 抱き合うようにしている私たちを囲む形で、住人たちは無言のまま様子を伺っていた。
 やがて、私から顔を離した希ちゃんは、勢いよく背後へと振り返った。


希「提案や!」


 大声を上げて両腕を広げ、私から離れるようゆっくりと歩き出す。


希「今、みんなはことりちゃんが欲しくて堪らない。なのに海未ちゃんからは手を出したら駄目って言われとる」

希「これ、みんなは我慢できるん?」

「無理です!」「私だって欲しい!」「一人占めなんて許せない!」

希「せやろ!? みんなだって食べたいやろ!?」


 感情を掻き立てる言い回しをしながら、希ちゃんは宴会場を時計周りに進む。
 演説めいた言葉を発する希ちゃんにみんなの視線が集まっていく。


希「そこでや、ウチには名案があるんよ」

希「海未ちゃんの言いつけを無しにできる方法……みんな聞いてくれるかな?」

 住人たちの欲望を縛る海未ちゃんの勧告。
 それを打ち破るという希ちゃんの発言に、追手たちの目の色が変わった。


希「みんな興味あるやろ!? 海未ちゃんの言いつけは破れなくても、同じ乙姫のウチなら解決できるんよ!?」


 みんなが声を上げて希ちゃんに賛同の意を表していた。
 歓声を浴びる希ちゃんは室内をぐるぐると歩き回りながら、声のトーンを増々大きくしていく。


ことり「…………」


 じり、じり、と。
 私はそっと、足音を立てないよう、摺り足で後ろに移動する。
 慎重に動いたつもりでも、私の挙動は幾人かの意識を引いてしまい、目を向けられたけど……。


希「脇見してるそこ! ウチの案聞かんでええの!? 海未ちゃんの言いつけ守ってずっと我慢し続けるん!?」

「!?」「い、いえ!」「教えてください!」

希「ええよええよー、みんなよく聞きやー!?」


 一人残らず注目を集めるよう皆を煽る希ちゃんに、場の空気感は完全に支配された。
 大宴会場に集う全員の意識が一人の乙姫に向けられて、他のものに関心が向けられる隙は無い。

 希ちゃんが声を張り上げるのを耳にしながら……。
 住人たちの視線から逃れることができた私は、静かに大宴会場を抜け出した。

ことり(希ちゃん……)




 大宴会場で私を捕え、耳元に顔を近づけた希ちゃんは、潜めた声でこう言った。


希『返事せんで黙って聞いて』

希『みんなの意識が逸れたらゆっくりとここから出るんや。それまではじっとしとってな』

希『宮殿内は住人だらけで逃げられへん。外に出て塀に沿って遠回りに移動して、機織り部屋に行って』


 耳元に顔を寄せる希ちゃんの表情はわからないけど、何故だか私には、微笑んでくれているように感じられた。


希『上手くいくようおまじない、ね』


 優しい声色と共に、耳に柔らかな感触を覚えた。
 そして勢いよく両腕を広げた希ちゃんは、住人たちに向かって大声を張り上げ始めた。




ことり(…………)


 言いたいことは沢山あった。
 でも今は感謝を伝える余裕も無ければ手段も無い。
 ただ信じて、言いつけ通りの道筋で目的地を目指す。


ことり(希ちゃん…………ありがとう…………!)

 希ちゃんの指示に従って、縁側から中庭に出た私は宮殿の周囲を巡る塀の方へと走った。
 絶対に誰にも見つからないよう警戒に警戒を重ねて、置き物代わりの珊瑚に隠れながら機織り部屋を目指す。


ことり(宮殿の中と違って外には誰もいない……これならいけそう!)


 順調に進んでいき、目的地が近付いてから、意を決して宮殿内に戻った。
 機織り教室までの内廊下を全力疾走して、教室の障子を勢いよく開けた。


ことり「あっ!」

海未「ことり!」

凛「来たにゃ!」


 室内には海未ちゃんと凛ちゃんが待っていて、私に駆け寄ると再会を喜んでくれた。


海未「どうなっているのですか? 住民たちの様子がおかしいですし、私は凛に連れられただけで事情を把握していません」

ことり「私は希ちゃんからここに向かってって言われて……」

凛「話は移動しながら! ついてきて!」

ことり「う、うん!」

海未「…………遂に手段を選ばずことりを搾取しに来ましたか」

ことり「もう駄目かと思ったけど、希ちゃんが助けてくれたの」

凛「希ちゃんがね、海未ちゃん連れて機織り部屋で待っててって言ったんだよ」

海未「希が……」

凛「見てわかると思うけど、もうみんな我慢の限界みたい」

凛「正直気持ちはわかるよ。凛だってことりちゃんのこと、ホントは何をしても欲しいもん」

ことり「……そう、だよね」

凛「でもこんな形でみんなで寄って集ってっていうのは違うんだよねー」

海未「違う、とは?」

凛「凛が望んでるのとは違うってこと!」

ことり「ねえ、どこに逃げるの? 宮殿中にヒトがいて逃げ場なんてわからないの」

凛「大丈夫、とっておきの場所があるから!」

海未「……もしやこの方角は」

凛「海未ちゃんわかった? 鋭いにゃー」

凛「龍宮城で一番頑丈な部屋、北に逃げるんだよ!」

ことり「どこに行ってもみんなから追われたのに、北区画の方は人が少ない気がする……」

海未「北は龍宮城でも特殊な部屋です、本来なら安易に近付ける場所ではありません」

海未「しかし北に逃げるとして、錠付きの鉄の扉と言えど鍵があれば外からも開けられてしまいます」

凛「鍵ってこれのこと?」

海未「あ、いつの間に! 鍵は私が管理しているはずですが!?」

凛「今は見逃して! 二人を北に入れたら鍵はどこか遠くの海に捨ててくるから!」

海未「そこまでして……」

凛「約束してね。ことりちゃんのこと守るって」

海未「…………わかりました」

ことり「凛ちゃん……」

凛「着いたよ! 北! あっという間だにゃ!」

凛「ほらことりちゃん、凛と一緒に走ったら早く走れたねっ」

ことり「……うんっ。もう走るの苦手じゃないよ!」

凛「今度は凛と競争しようね!」

凛「じゃあ扉閉めるよー」

海未「凛……」

凛「何? 時間かけるとみんなに追いつかれるよっ、用があるなら早く早く!」

海未「いいのですか? ことりを私に預けて。凛だってことりのこと……」

凛「…………じゃ、凛と代わる?」

海未「…………」

凛「ね? それが海未ちゃんの気持ちだよ」

ことり「あ、凛ちゃん後ろ!」

凛「あーほら追いつかれたー。海未ちゃんのせいだよ!」

凛「時間ないにゃー……ね、ことりちゃん」

ことり「なぁに?」

凛「ほっぺになら許してね!」

ことり「えっ、ぅひゃっ!? わっ、やっ、」

海未「凛!? 今何しました!? キキキキスしましたっ!?」

凛「いいじゃんご褒美ってことでー。扉閉めたらちゃんと鍵かけるんだよ!」

海未「……後を頼みます!」

ことり「凛ちゃん気をつけて……!」

凛「……ふう」

凛「さ、次はみんなと競争だね」

凛「はいこれ見てー! 一つしか無い北の部屋の鍵! 凛から奪ったらことりちゃんのところ行けるよー!」

凛「もし追いつけても意味ないけど……それでもいいなら凛のこと追ってみる?」

凛「えへへー、かけっこなら誰にも負けないよっ!」

―――


海未「……」

ことり「……」


 鉄の扉を閉めたら、部屋の外の物音は一切聞こえなくなった。

 あの日、海未ちゃんと結ばれて以来二度目に入る北の部屋。
 ベッド一つを室内に置いて他に何もない簡素さが、今は無性に静寂を強めた。


ことり「……凛ちゃんも、希ちゃんも、私を助けてくれた」

ことり「味方じゃないって言ってたのに……」

海未「……現状、表に出るのは危険です。このまま北に籠城するしかありません」

海未「凛と希、二人を信じて」

ことり「うん……」


 一時的な安息を得ても、まるで落ち着けなかった。

 鉄の扉の向こうに残った凛ちゃん、そして希ちゃんは、一体どうなっただろう?
 いくら気懸りでも、二人に頼って逃げる事しかできなかった私に知る術は無く、無力さに耐えるしかない。

―――


 北に入った私たちは籠城生活を始めた。

 窓一つ無い部屋からは外の様子は一切知れず、不安と歯痒さに苛まれるけど、今は一日を無事に過ごすことが大切。
 やれることをやってみようと、室内の通路から続く拘束部屋の並びを一通り見て回ってみた。


ことり(何十って数の部屋がある。これだけの人数が収容される場合もあるってことだよね)

ことり(全部の部屋に、人間を繋ぎ止める為の拘束具が用意されてる……)


 各部屋には手枷や足枷といった拘束具が壁やベッドに設置されていた。
 無視出来ない異物感に最初は狼狽えたけど、そこを除けばごく普通の小部屋みたい。


ことり「……あ、部屋に食料の貯えとかあるんだ」

海未「一度北に入った人間は以降この場が居住地となりますので。貯えは十分に備わっているはずです」

ことり「じゃあ立てこもる分には問題ないのかな」

海未「生活に必要なものは全てありますし大丈夫でしょう。余計なものが一切ないという点が難儀ですけど」

ことり「そういうことをする為の部屋……だもんね」

海未「……ええ」

ことり「私たち、いつまでこうしていればいいのかな?」

海未「落ち着くまで、でしょうけれど……いつになれば住人たちが冷静さを取り戻すのか、まるでわかりません」

海未「暴動が起こるなんて、少なくとも記憶にある百年で初めてです……」

ことり「やっぱり私のせいで……」

海未「気持ちはわかりますが、自分を責めて悲観するのはよしましょう」

海未「例え暴動のきっかけがことりであっても、責任はありません」

海未「仮に責任を問うならば、人間を捉えた私たち龍宮城の民にこそ責があるはずですから」

ことり「上手くやっていけないんだね。人間と、海の生き物って」

ことり「私が自我を失って、人としての生き方を止めない限り、悲しい終わり方を迎えるしかないのかな」

ことり「……ごめんね、変なこと言って」

海未「今は後ろ向きな考えしかできない心境なんですよ。深く考えないようにしましょう」

ことり「うん。気を付けるよ」

海未「いえ。私も同じ気持ちですから……」

海未「人間と海の生物は悲しい終わりを迎えるしかない、ですか……」


 会話の合間に、海未ちゃんが重々しい溜め息をついた。
 気分が参ってるのは私だけじゃない、海未ちゃんだって勿論同じなんだ。
 私が余計な心配をかけてばかりじゃいけない。


ことり「信じて待ってみよう? そのうち凛ちゃんか希ちゃんが外から迎えにきてくれるかもしれないよ」

海未「はい。待つ以外に、今の私たちにできることはありませんから」

ことり「そう……だね」


 待つことしかできない……。
 その状況に、慣れとも親しみとも言えそうな、漠然とした物覚えがある。


ことり(待つ……しか、できない……)

ことり(終わりが見えない、いつまで続くかわからないまま待ち続ける)

ことり(……前も、こうして待っていたことがあったような…………私は何かを、ずっと……)


 形にならない、どうにも輪郭のはっきりしない感覚にむず痒くなる。
 思い出すのを諦めて、今は出来ることをしようと、部屋の散策を再開した。

―――


ことり(……あれから、何日経ったかな……)


 数だけは多かった個室の散策もすぐに終わって、北での籠城はあっという間にやることが無くなった。
 変わり映えしない一日を送るだけの生活。
 日数で言えば数えられる程度でも、余計な行動を一切できない場所で暮らすのは想像以上に辛くて、あっという間に音を上げそうになった。


ことり(寝て、起きて、何か変化を待ちながら、また寝て……)

ことり(変わらない毎日。変わらない私たち)

ことり(海未ちゃんと一緒なのは嬉しいけど、楽しくお喋りする雰囲気でもないし……)


 状況が状況だけに、私も海未ちゃんも黙りがちになって、会話も乏しい。
 沈黙の中に身を置くと、物音を立てただけでいけない事をしちゃったような気さえしてくる。
 身動き一つが気怠く感じ、時間の経過は最早把握できなかった。


ことり(このまま二人きり、永遠に閉じこもったまま生きていくみたい)

ことり(……それもいい、のかな。大勢に襲われて欲に塗れたり、怖がりながら逃げ続けるのに比べたら)


 だけど、表面に現れないだけで、変化は少しずつ起こっていたの。
 私にじゃなくて……海未ちゃんに。

 最初は、具合が悪いんだと思った。
 少し前までそうだったように、海未ちゃんの体から力が抜けて、生気に飢えているんだって。


ことり「海未ちゃん、手繋ぐ? 私から生気貰っていいからね?」

海未「…………大丈夫です」

ことり「本当に? 元気なさそうだけど、」

海未「いいんですっ!」


 らしくも無く癇癪を起してまで拒絶されて、正直ショックを受けた。
 私は大人しく身を引いて、海未ちゃんの体調を心配しながらも黙って見守っていた。


ことり(……海未ちゃん、少しずつやつれてきてる)

ことり(なのに昨日も生気をあげようとしても断って……このままじゃ倒れちゃうよ)

ことり(海未ちゃん、どうして……)

―――


 生気のやり取りを断るに留まらず、次第に海未ちゃんは私との接触を頑なに拒み始めた。
 私たち以外誰もいないのに、一切の会話も無く過ごし続けるのは、精神的に苦しい。


ことり(追い込まれてるの? 不安なの?)

ことり(……当然だよ。どうしようもなくて、待つしかできない。海未ちゃんだって苦しいよね)

ことり(私も苦しい……けど、海未ちゃんに何もしてあげられないのも、苦しいよ……)


 大きなベッドの上で一人転がり、無力感を噛み締めて……ふと、海未ちゃんがどこに行ったのか気になった。
 籠城中の今、北の部屋に居ないってことは、奥の拘束部屋にいるってことになる。


ことり(そう言えば、今日起きてから海未ちゃんの姿を見てないや)

ことり(奥にはもう用は無いはずだし、拘束部屋は狭すぎて生活するには不便なのに)

ことり(何をしてるんだろう……?)

ことり「…………海未ちゃん!?」


 拘束用の個室を一つ一つ見回って、そのうちの一室で海未ちゃんを見つけた。
 どうして拘束部屋に居たのか、理由はすぐにわかった。
 部屋の用途に合った姿で見つかったから。


ことり「ね、ねえ、どうして手錠してるの? 自分でやったの?」

海未「…………」

ことり「海未ちゃん? 海未ちゃん!?」


 まるで生気が抜けたように呆然としたまま無言を貫く海未ちゃんに駆け寄って、手首の辺りに触れた。
 鉄の拘束具の触感……手枷がしっかりと嵌められている。

 鎖を通じて壁に繋がれている手枷をかけた海未ちゃんは、床に座り込んだまま微動だにしなかった。


ことり「これ、自分でやったんだよね? どうして?」

海未「…………」

ことり「とにかく外さなきゃ……!」


 辺りを見回して、部屋の端に鍵が転がっているのを見つけた。
 鍵を取って海未ちゃんの手を拘束する手枷に嵌め込むと、カチャリと音を立てて、鉄の塊が外れた。

ことり「よかった。もう大丈夫だよ」

海未「…………ことり…………」

ことり「どうして自分で動けなくなるようなことしたの?」


 肩を揺さぶってみても海未ちゃんは焦点の合わない目をしていて、私を知覚できているのかわからない。
 呆けた顔のまま私を見て、自分の手を見て、外れた手錠を見た。


海未「…………外した、の、ですか」

ことり「え? ……外したよ、当たり前だよ!」

海未「どう、して……」

ことり「どうしてって……ねえ、ホントに大丈夫!?」

海未「外したら、もう……………………ならないように…………」


 聞き取りにくい声を漏らしていたけど、よく聞こえない。
 耳を澄ませていると、海未ちゃんが顔を上げて、カクリと首を傾けた。
 全体的に緩慢な動作を続けていたけど……眼球だけがギョロリと、獰猛な動きで私を捉えた。

 急に立ち上がった海未ちゃんは、私の手を掴んで強引に引っ張った。


ことり「え。きゃっ!?」


 驚く私に有無を言わせず、個室に用意された小さなベッド上に投げつけた。

 北の部屋に比べると、拘束部屋のベッドはずっと小さくて、一人が身を屈めて寝るのが精一杯。
 そんな小さな場所に私を転がした海未ちゃんは、そのまま上に跨って来た。


ことり「な、なにっ!? どうしたの!?」

海未「せっかく、襲わないよう、繋がっていたのに」

ことり「襲う……って」

海未「ことりが悪いんです……ことりが私を解放するから……」

ことり「ちょっと待って、海未ちゃんもしかして、」

海未「もう待てませんっ!」


 抵抗する間もなく、海未ちゃんは私の両手を掴むと、頭上で固定するように押さえつけた。
 片手で私の両の手を封じる一方、空いたもう片方の手が私の胸を鷲掴みにした。


ことり「ぃっ……!?」


 遠慮の無い掴み方に痛みを覚える。
 抗議の声を上げようとしても、その前に、私の口は海未ちゃんに蓋をされた。

ことり「んぐっ…………んんっ!? ん、ぉんぅ……!?」

ことり(なんで!? なんで!?)

ことり(こんな、海未ちゃん、どうして……!?)

海未「ぷはっ! ふうっ、ふうっ…………ふっ、ふっ」

ことり「んぅっ……はあっ……う、海未ちゃ、」

海未「ことりっ!!!」

ことり「んんんっ!?」


 海未ちゃんとの二度目のキス。
 でも、こんなのキスなんて言えない。
 無理やりに唇を貪られて、私の気持ちなんて微塵も汲んでくれない。


ことり(どうして急にこんなこと……っ)

ことり「ん…………んっ……っ……」

ことり(…………ダメ……良くなっちゃダメ…………流されちゃ……!)


 愛情も何もないような口付けなのに、海未ちゃんから力強く求められているっていうだけで、心身共に喜んでしまいそう。
 受け入れてしまいそうな本能を理性で叩き直す。
 唇に吸い付く海未ちゃんから逃げようと頭を激しく振って、何とか引き離すことができた。

海未「はっ! はっ! はっ!」

ことり「海未ちゃん、どうしてこんな……」

海未「……耐えられません」

ことり「な、なにが?」

海未「ことりと結ばれて、全身で交わって、知ってしまった」

海未「私はことりの味を知ってしまいました」

海未「以来ずっと味わうことのないまま、北という特別な場所で二人きりにされて……どう耐えろと言うのですか!」

ことり「ねえちょっと、海未ちゃん、いつもの海未ちゃんじゃないよ」

海未「いつもって何ですか!? 私は乙姫なんです、愛する者を前にして耐えられないんです!」

海未「けれどいけないことだって私だってわかっていたから動けないようにしていたのにそれなのにことりが私を解放したりするからことりが私を」

ことり「海未ちゃん!? しっかりしてよ!」

海未「無理ですよっ!」

ことり「やっ!? ダメっ!」


 襟元を掴まれて思いきり引っ張られた。
 胸元のボタンが飛んで肌が露わになる。
 際どい部分の素肌を晒してしまい……私を見る海未ちゃんの目の色が、変わった。

海未「ことり、お願いです、ことりっ、」

ことり「やっやだっ! こんな風にするの嫌だよっ!」

海未「もう一度私に全部下さい!」

ことり「一旦やめよ!? 冷静になって!」


 いくら声をかけても海未ちゃんは止まらなかった。
 素肌を露出した箇所に見境なく口付けられ、その都度私は歓喜の声を上げそうになるのを我慢しなくちゃいけなかった。


ことり(違う、反応しちゃ駄目、こんなの間違ってる)

ことり(今の海未ちゃんはおかしい、相手しちゃ駄目)

ことり「ぁんっ!?」

海未「良かったですか? もっとしてあげます……可愛いですよことり、ことり、ああことり」

ことり「ち、違うから……! ダメだよ海未ちゃん落ち着いて!」

ことり(まるで私を誘惑してきた時の凛ちゃんや希ちゃんみたい)

ことり(ううん、それよりも、私を追ってきた住人たちに近い)

ことり(欲望に夢中になって、こっちの言うことを聞いてくれない……!)

 事態は把握しきれなくても、海未ちゃんに限界が来たんだってことはわかった。

 言ってみれば、目の前に御馳走をぶら下げられて我慢し続けるようなもの。
 初めて人間と交わり、最上級の極楽を知った海未ちゃんにとって、北の部屋に私と二人きりっていう状況がどんな影響を与えただろう。
 求められる側の立場にある私には理解できることじゃない。


ことり(……けど、やっぱりいけない)

ことり(海未ちゃんは言ってた。住民たちみたいに理性を失ってまで私を求めたくない、って)

ことり(普段あんなにしっかりしてる海未ちゃんなら、暴走してる今の姿を許せるはずがないよ)

ことり(海未ちゃん自身で止められないなら、私が止めないと……!)


 これはきっと一時的な暴走。
 一回冷静になれば考えを改めてくれる。

 そう信じて、思いつく手段で海未ちゃんに理性を取り戻させようと決めた。
 抑えつけられた手をばたつかせて、何とか右手の自由を得る。
 抵抗した私に反応して顔を上げた海未ちゃんを狙って、私は右手を振り上げた。


ことり(ごめん、海未ちゃん……!)


 遠慮はしない。
 全力を込めて、海未ちゃんの頬に掌をぶつける。

 けれど、頬を打つ寸前……。
 脳裏に滑り込んできた映像が、私の手の邪魔をした。

 激しい閃光と共に、目の前の光景が別の光景で塗り替えられた。


ことり(あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、)


 チカチカと点滅した視界に映ったのは……ここではない、どこか別の場所に立つ私と、もう一人。

 私は悲しみと怒りに染まった表情を見せていた。
 私の向かいには申し訳なさそうにしている誰かがいた。
 私は振り上げた右手で、向かいに立つ誰かの頬を叩いた。


ことり(……私……同じことをした)

ことり(前にもどこかで今しようとしたことをした)

ことり(そしてとても後悔した)


 記憶は無い。
 なのに、その時の感情だけが蘇ったように、胸が詰まって自然と涙が溢れた。
 悲しい……痛い……悲しい。

 かつて私は酷い事をして、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまった。


ことり(……………………でき……ない……)

ことり(私には、もう……誰かに手を上げることは、できない……)

 別世界へと飛翔した記憶と光景は、前触れ無しに終わりを告げた。
 気が付けば元通り、小さなベッドの上で、私の肌を撫で回している海未ちゃんに為すがままにされている。


ことり(…………もしかしたら……普段我慢しているだけで、本当はこうして、がむしゃらにしたいのかな……)

ことり(こんなに私を求めてくれる、恋した人を、拒めない……)


 私の衣類を剥ぎ取らんと荒々しく息を吐く海未ちゃんは、とても必死だった。
 見ていると庇護欲が生まれてきそう。


ことり「…………いいよ……海未ちゃん」


 抵抗するのをやめて、胸元に顔を埋める海未ちゃんの頭をそっと撫でた。


ことり「私のこと、欲しいって思ってくれるなら……あげる」

ことり「全部、海未ちゃんの好きにしていいよ」


 諦めて、受け入れることを決めた。
 拒んだら、今度もまた致命的な事態を引き起こしてしまう……そんな恐怖に囚われてしまったから。


ことり(私には、今の海未ちゃんを拒むことなんて、できないよ……)

 一度諦めてからは楽だった。
 生まれたままの姿に剥かれた私の素肌に余すことなく海未ちゃんの指や舌が這い回り、私は全身を走る快楽に身を任せた。


ことり「あっ!? 海未ちゃん、それ凄い……っ」

海未「可愛いですよことりっ、もっと感じてください」

ことり「良いっ、もっと触って、してっ!」


 局部を深くまで抉られる度に身体が跳ねた。
 まるで海未ちゃんに操作されている気分。
 私が喘いで咽び泣く度に、海未ちゃんは笑ってくれて、その笑顔が余りに無邪気で愛おしい。


海未「ことり、好きです、悶えるあなたも素敵です」

ことり「……ぁぁぁぁぁああだめきちゃうきちゃう海未ちゃんもうそれだめっ! ああっ! ああああっあっあっっっっっ!!!」

海未「愛しいことり、ああ、ことり……」


 私を抱く海未ちゃんは、怖いくらいに激しかった。
 少し前までこんなこと知らなかったはずの私の肉体に、限界以上の快楽を植え付けていった。


ことり「……すき…………すき…………っ」


 過剰な刺激に耐えられなくなった意識がゆっくりと閉じていく。
 最後に目にしたのは、色々な体液で顔中をべちゃべちゃにした海未ちゃんの、恍惚の表情だった。

―――


 淫蕩の日々。
 箍が外れた欲望が堰を切って雪崩れ込み、私たちは時を忘れて絡み合った。


海未「ことり、もう一度……」

ことり「うん、いいよ」


 どの道時間感覚なんて無くなっていたから、時を忘れてお互いを貪り合った。
 どれだけ口付けを交わして、身体のどの部位に触れたことが無いのか、もうわからない。


ことり「する時は激しいのに、される時は顔真っ赤にするの、可愛いよ」

海未「やっ、見ないでっ、駄目です見ないでくだ、さっ…………っく、ぁっ!」


 どちらかが疲れ果て眠るまで抱き続けた。
 時には相手が倒れても求め続けた。
 求められた側は絶頂で意識を取り戻して、過敏になりすぎた身体に震えながら涙と唾液と喜びの雫を垂れ流した。


ことり(これが極楽……海底の楽園、その中でも、最上級のシアワセ)

ことり(一度味わえば、快楽の虜になって、後戻りはできない……)


 目の前に広がる世界は夢みたいだった。
 夢なのか現なのか、境界も曖昧になるくらい私たちは溶け合って、他の何事をも意識下から捨て去った。

 夢のような時間を、夢を見ているような気分で味わいながら……。
 微睡みの中、私は、夢を見た。

―――――
―――



 大切な人がいた。

 あなたが私を引っ張って、私があなたを支えて。
 二人だから辛い日々を頑張ってこれた。


ことり(帰ってきて……)


 手を引いてくれる人が居なくなってしまったから、私はここで待っているしかない。
 海を見つめながら、きっと帰ってきてくれるって信じて。
 いつまでも、いつまでも。
 それしかできないから。


ことり(待ってるから)

ことり(帰ってくるのを、私はいつまでも待ってる)


 大切な人の為にそれしかできない。
 それしかできないから、私は待ち続ける。
 待っていなければならない。

 そうしていなければ、私は私を許すことができないから。


―――
―――――


ことり「……………………」


 薄闇の中で目を覚ました。
 気怠さを我慢してベッドから身を起こすと、隣では海未ちゃんが眠っていた。
 パリパリになったシーツの上、二人とも何も身に着けていない。


ことり「…………ははっ……………………あはははっ…………」


 変な笑いと一緒に、涙が出た。
 何一つおかしくないのに、おかしすぎて泣けてくる。


ことり(思い出した)

ことり(地上で暮らしていた時のこと…………忘れてた記憶…………やっと、思い出すことができた)

ことり(何してるんだろ私……なにこれ?)

ことり(快楽に負けて、好きな人だからって何もかも許して)

ことり(これが私のしたいこと? しなくちゃいけないことなの?)

ことり(……私は、帰りを待っていなくちゃいけない)

ことり(幸せな時間はもうおしまい。戻らないと)

ことり(海底の楽園から、私が生きるべき場所に)

―――


ことり「むっかしー……むっかしー……うーらしーまはー……」


 私が暮らしていた海辺の地域では、多分一番有名な童謡。
 創作のようで、本当に存在した龍宮城で口ずさんでみると、不思議な気分になる。


ことり(御伽噺の最後ってどうなるんだっけ)

ことり(夢のような時間が過ぎて、陸に戻ったら……そう、残酷な現実が待っている)

ことり(宮殿で過ごしたよりずっと長い時間が陸では過ぎていて、周りは知らないものばかり)

ことり(絶望して、お土産に渡された時に絶対開けたら駄目って言われた玉手箱を開けたら、陸で過ぎた時間と同じくらい年を取っちゃう)

ことり(もし、私が陸に戻ったら、どのくらい時間は経ってるのかな)

ことり(あの人は帰ってきてる? それとももう死んじゃってる?)

ことり(……どうなっても、私は陸に帰って、海未ちゃんとお別れしないといけないことに変わりない)

ことり(御伽噺の結末が悲しい理由、今ならわかる気がする)

ことり(異なる世界に生きる人たちが交わっても幸せにはなれない……そんな教訓が込められてるんだ)

ことり(……まだ、大丈夫)

ことり(例え悲しい最後になっても、今ならまだ、悲劇を防げるはずだから)

海未「……ん」


 声に気付いて目を向ければ、ベッドの上で海未ちゃんが目を覚ましたところだった。
 少し離れた場所に立つ私は、体を起こす愛しい人の姿をじっと眺めている。


海未「ああ……おはようございます、ことり」


 寝ている間に私が着つけた寝間着の裾を引きずりながら、海未ちゃんは私の方へと近づいてきた。
 ごく自然な動作で私の頬に手を添えて、にっこりと微笑む。


海未「ことり、今日も沢山交わりましょう」


 海未ちゃん……。

 昨日までのようにそうできたら、本当は幸せなのかもしれない。
 だけど思い出してしまった。
 私が陸でどういった暮らしをしていたのか……どうして海に身を投げたのか……。


ことり「海未ちゃん、ごめんね」


 頬に添えられた手を、そっと引き剥がした。


ことり「昨日までと同じことはできないよ」

ことり「私、陸に帰らないといけないの。だからおしまいだよ、海未ちゃん」

海未「…………何を言ってるのですか?」

ことり「帰るんだよ。私、龍宮城にさよならして、陸に帰らないといけないの」

海未「……だって、ことりは私とここで、いつまでも二人で、」

ことり「できないよ。いつまでも続くはずがない。わかってるでしょ?」

海未「わかりません。何を言っているのか……ことり、どうしてですか?」

ことり「わかるはずだよ。海未ちゃんなら……私が好きになった乙姫さんなら」

海未「……私は……私もことりが好きです……」

ことり「うん。私も海未ちゃんが好きだよ」

海未「で、では一緒にここで結ばれましょう、交わりましょう」

ことり「できないんだよ。私は帰らないといけないから」

海未「……………………いけませんっ!」

海未「帰るなんて、私と別れるなんて、絶対に嫌ですっ!」

海未「どうしてそんなこと言うんですか!? 私のこと嫌いになったのですか!?」

海未「もっと愛しますから! ことりを満足させるため頑張りますから!」

海未「だからここに居ましょう! ずっと一緒に居てください! お願いですからっ!」

 懇願する海未ちゃんに、私は首を横に振り続けた。

 海未ちゃんがどんなに私への愛を叫んでも、涙して引き留めても、これ以上龍宮城に居続けることは出来ない。
 私には、陸で為すべきことがあるから。


海未「……どうして聞いてくれないのですかっ!」


 耳を貸す気のない私に焦れたみたいで、海未ちゃんは私に押し迫ると、背後の壁に叩きつけた。
 片手で肩を強く押さえながら、もう片方の手は昨日まで同様、私の服の中に滑り込んでくる。


ことり(……目を覚まして)


 一度目を閉じて、すぐに開く。
 息を吸ってから、右手を高く振り上げた。

 記憶が蘇る。
 過去に同じことをして、どういった悲劇を招いてしまったのか。


ことり(……無理やり過去を見せられなくても、もう思い出したんだからっ!)


 今度は止めなかった。
 一切の容赦を捨て、全力を掌に込めて、私は海未ちゃんの頬を叩いた。

 破裂音と共に、掌に大きな衝撃が走った。
 痛いけど、我慢する。
 叩かれた相手の方がもっとずっと痛いはずだから。


海未「……………………」

ことり「……思い出して。いつもの海未ちゃんを」

ことり「欲に負けない、自分に負けない、理性を保ったままで私を好きって言ってくれた……私が好きになった海未ちゃんのことを」

ことり「私もね、思い出したんだよ」

ことり「陸で暮らしていた頃の記憶、私、思い出したの」


 ポツリポツリと、言葉を零す。
 叩かれた海未ちゃんは手を頬に当て、俯いたまま微動だにしない。


ことり「私ね……大切な人と一緒に暮らしてたんだ」

ことり「ずっと二人、小さな頃から一緒だった幼馴染みと、力を合わせて頑張ってきたの」

ことり「龍宮城に比べれば、陸での生活はとても苦しかったけど、沢山の困難を二人で乗り越えてきた」

ことり「二人一緒なら何だって耐えられたし、幸せだった」

ことり「でもね、そんな些細な幸せは壊れちゃったの。……私が、壊したの」

ことり「本当につまらないことの積み重ね……でも陸での生活では、そんな小さな出来事が大切なものだった」

ことり「ちょっとした不運が続いて、色々と上手くいかなくなって、私は自棄になっちゃったの」

ことり「好き放題泣き喚いて、何も悪くないのにあの人を罵倒して、責め立てて……」

ことり「気付いたら、私は一人きり。大切な人は、どこかに行っちゃった」

ことり「だからね、私は待ってないといけないの」

ことり「私が全部悪いから……私のせいで居なくなっちゃった人がいつ帰ってきてもいいように、私は待つの」


 陸には海にまつわる言い伝えがある。

『海底の宮殿では 人間が訪れるのを 乙姫姉妹が待っている』

 陸に生きる人間の中には、言い伝えに縋って海に身を投げる人もいた。
 もしかしたら、去ってしまったあの人も海に潜ったのかもしれない……そう思った。
 翌日から、私は一人海を眺めながら、帰りを待つだけの日々を送ってきた。


ことり「でも……ずっと、帰ってこなかった」

ことり「一人で待つのに疲れて……何となく、海に潜れば見つかるかなって思って、海に入ったの」

ことり「勿論見つかるはずなくて、そのうち息が出来なくなって、意識を失って……気付いたら、私はここにいた」

ことり「海底の楽園、龍宮城に」

ことり「……海未ちゃんのことは、本当に好き」

ことり「幼馴染みは大切な人だった……誰よりも……だけど、好きになって、恋をしたのは海未ちゃんなの」

ことり「こんな話した後だけど、信じて欲しい……これだけは本心だから」

ことり「けどね、好きな人がいるからって、私はここに居続けることはできないよ」

ことり「もしかしたら陸ではあの人が帰ってきて、私を待ってるかもしれないから」

ことり「私の身勝手で突き放した人を放っておいて、一人で極楽を味わうなんてできない」

ことり「そんな軽薄な人間じゃ、海未ちゃんのこと愛してるなんて言えないでしょ?」

ことり「例え海未ちゃんが好きって言ってくれても、そんな私を私が許せない」

ことり「海未ちゃんみたいな素敵な人に恋して貰えたんだから、綺麗なままの人間でいたいの」

ことり「陸に戻らないと……例えあの人が帰ってきてなくても、この先ずっと帰ってこなくても、待っていないといけない」

ことり「人生を一緒に過ごしてきて、私の事をずっと支えてくれた、本当に大切な人なの」

ことり「そんな人の為に、待つことだけが、私ができるせめてもの償いだから」

ことり「……わかって、海未ちゃん」

 ぱたり

 何かが静かに落ちる音。

 見れば、海未ちゃんの足下に、雫が落ちていた。
 海未ちゃんの瞳から流れる、綺麗な雫が。


海未「……………………何を…………していたんでしょうね…………私…………」


 真っ赤に張らせた海未ちゃんの左頬に、涙が一筋二筋と流れる。
 悲しい光景なのに、とても美しい。


海未「私は……私を保ちながら、ことりを愛すると言っておきながら……こんな体たらくで……」

海未「今だって、衝撃的な話を聞かなければ、未だに狂ったままだったかもしれません……」

海未「一時の欲に負け、我を忘れ……ことりを苦しめて……」

ことり「苦しめてなんていないよ」

ことり「幸せだった。海未ちゃんに愛されて、抱かれて、喜びを共有できて、幸せだったよ」


 海未ちゃんの頬を流れる雫にキスをした。
 ギュっと抱きしめて、頭に手を添えたら、海未ちゃんも私を抱きしめてくれた。
 柔らかく、温かく……これまで通りの優しさで、私を包み込んでくれた。

海未「……お別れ……しなければ、ならないのですね」

ことり「……ごめんね」

ことり「私は何もできない……陸でも待つしか出来ないくらい無力だから、海未ちゃんにお願するしかないの」

ことり「私を、陸に帰してくれますか?」

海未「…………決まりでは、連絡役を除き、龍宮城と陸の往来は一人たりとも許されません」

海未「ですが、構いません。無法地帯となってしまった今の龍宮城に、掟も何もありません」

海未「ことりの身を守る為に……ことりが大切な人を待つことができるように……陸に帰します」

ことり「……ありがとう……ごめんね……」

海未「謝らないでいいんです。ことりは悪くありません」

ことり「うん…………でも、寂しい」

ことり「海未ちゃんと離れ離れになるの、寂しいよ……!」

海未「……私も……寂しいです……!」

ことり「ごめんね、海未ちゃん、ごめんね……!」

海未「私こそごめんなさい、ことり……ごめんなさい……!」

―――


 北の部屋に逃げ込んでから何日、あるいは何十日経ったのかな。
 この間、扉の向こうからは何一つ音沙汰が無かった。
 あれから龍宮城の騒動がどうなったのか、外の様子を知る手立ての無い私たちにはわかりようがない。


海未「……行きましょう」

ことり「うん……!」


 それでも陸に帰る為には北から出るしかない。
 何が待ち構えているのか、再び住人たちから逃げ続ける騒動に巻き込まれるのか、わからなくても。


海未「…………?」

ことり「……静か、だね?」

海未「はい……人影が無いどころか、物音一つしません」


 北の部屋を守る頑丈な鉄の扉を開くと、予想外にも、表は静寂に包まれていた。
 私たちを待ち構える見張り一人いない。
 拍子抜けしたけど、移動するには都合が良くて、私たちは急いで廊下を走った。

海未「このまま更に北に回って屋外に出ます」

ことり「正門は南だよね? 遠回りするの?」

海未「念のため、逃げ場が少ない宮殿内での移動は避けます。海に出て移動しましょう」

ことり「海に? 私息続くかな?」

海未「以前見せたように私が泡でことりを包みます。泡の中で移動して、堀の外をぐるりと巡って宮殿の入り口まで向かいます」


 海未ちゃんに続いて屋外に出て、外庭を走って塀まで向かった。
 南にある宮殿正面の豪華な門扉とは違って、裏口みたいな小さな扉が北側の塀には備えられていた。


海未「行きましょう。私から離れないようにしてください」

ことり「いつでもいいよ」


 以前、夜の海中散歩をした時のように、海未ちゃんが私たち二人を包み込む大きな泡を作り出した。
 泡に包まれた私たちは重力から解き放たれ、泡の中を浮かびながら海を泳ぐ。

 あの日交わした、また二人で散歩しようという約束が、こんな形で守られた……。


海未「本当なら、もっと落ち着いた時にこうしたかったです」

ことり「……うん」


 海中散歩は本当に素敵な時間だった。
 もしも希望が叶うなら、あの胸躍る感動を、時間を忘れて味わうことが出来たなら……。

 けれど、私たちの願いは、この先きっと叶う事はない。

 塀の外側に沿って海中を泳いでいる間も、近くに住人たちの姿は見当たらなかった。
 不気味なくらい何事も無いまま南の正面門扉に辿り着いて、敷地内に舞い戻った。


海未「こっちです。この先にことりを陸に帰してくれる者がいます」

ことり「海未ちゃんが帰してくれるんじゃないの?」

海未「陸との連絡役は決まっているんです。住人たちとは一線を画す存在ですから、ことりを襲ったりはしません、安心してください」


 宮殿の中には入らずに、門扉の近くに建っているちょっとした小屋に向かった。
 一応中の様子を確認してから、私たちは室内に身を滑らせる。


ことり「あっ!」

海未「陸の言い伝えにもあるのでしょう? 人間は助けた亀に連れられて龍宮城に訪れる、と」

ことり「本当に亀さんなんだ……!」


 龍宮城の住人をこれまで沢山見てきたけど、みんな人間みたいな恰好をしていた。
 だから、ここにきて初めて人間の姿以外の住人……一目で長寿だってわかる巨大な亀を目にするのは、新鮮な気分だった。

海未「彼の背に乗れば陸まですぐに向かうことができます。道中の心配をすることもありません」

海未「彼を連れて外に行きましょう。さあお仕事です、正門まで行きますよ」


 小ぢんまりとした部屋の真ん中に鎮座していた巨大亀は、海未ちゃんが指示をすると、なんと宙に浮かび上がった。
 驚いていると、私の身長以上もある大きさの亀さんが目の前をプカプカと浮かんだまま、外に出ていった。


ことり「あんなに大きな体が水の中じゃないのに浮いてる……」

海未「陸と海底を行き来する特別な役割を担っていますから、色々と異質なんです」

ことり「本当に海って不思議な世界なんだね」

海未「出来ることなら、もっともっとことりに紹介したかったのですが……」

ことり「……うん……」

海未「……すみません、感傷的になりました。いつ追手が来るかわかりません、急ぎましょう」

 私は海未ちゃんに手を引かれて、再び正面門扉に戻ってきた。
 繋いだ手を離して、亀の背中に乗れば、今生の別れになる……。


海未「……」

ことり「……」


 わかっているから、互いに手を離すのを躊躇った。
 離さない限り、私は陸に戻ることはできないのに。


凛「無理だよ」

ことり「!?」


 門扉の手前、海水の支配する領域を目前に躊躇していた私たちの背後から、北の部屋を出て初めて他人の声が響いた。
 私たちは手を繋いだまま背後を振り返った。


海未「凛!? ……希まで!」

希「恋した相手を手離すなんて、海未ちゃんには出来ひんよ」

凛「だって、乙姫だもん」

希「一度抱きしめた相手を手離せない……ウチらはそういう生き物やから」

ことり「二人とも無事だったんだね!」

凛「…………」

希「…………」

ことり「……? どうしたの? 二人が来てくれたなら、もう大丈夫ってことじゃないの?」

海未「待ってください、何かおかしいです」

海未「……二人とも、現状の龍宮城について教えてください」

希「教えてもええよ。何も変な事はしてへんし」

海未「いえ、私には十分異常に思えます」

希「どうして?」

海未「北に入る以前、あれ程執拗にことりを求めて躍起になっていた住人たちが、今は人影一つ見られません」

海未「いくら私たちが遠回りして人目を憚ったとは言え、流石に静か過ぎます」

海未「どういうことですか?」

凛「どうもしないよ。みんなは自分の部屋で静かにして貰ってるだけだもん」

海未「静かに……? 我を忘れ欲望に忠実となって動いていた住人全員が? どう収拾を付けたのですか?」

凛「簡単だよ。凛たちが本気で静かにしてって言えば、みんな静かにしてくれるもん」

凛「それが出来るのが龍宮城の主、凛たち乙姫三姉妹なんだから」

 北の部屋に逃げる際、私たちを助けてくれた凛ちゃんと希ちゃん。
 再会を喜びたかったけど……どこか、不穏な空気が流れている。
 一重に味方だって言えないような……それこそ、以前希ちゃん自身が言っていたように……。


希「海未ちゃん、ことりちゃんを陸に帰そうとしたね?」

海未「……ことりが陸上で暮らしていた記憶を取り戻しました。ことりには、陸に帰る理由があります」

希「だから帰すんやね……本当は帰したくなくても」

海未「ことりが望んでいます。仮に私が帰したくないと認めたところで、無理に引き留められる問題ではありません」

希「でも握ったまま離さないやん」

海未「え?」

希「手、だよ。ことりちゃんのこと掴んで離さない」

海未「……今、別れと同時に手離します」

希「出来たら凄いね。この先一生の別れになるのを知って尚、手離すことができたら」

希「……でも無理なんよ。海未ちゃんだって、もうわかっとるやろ?」

海未「…………」

ことり「……海未ちゃん?」


 私の手を握る海未ちゃんの手が締め付ける力を強くしていく。
 きり、きり、って、音が鳴るくらいに。
 握られる手の痛みが段々増して、辛くなってきた。


ことり「海未ちゃん、痛いよ……!」

海未「わかってます、今離します……!」

ことり「……海未ちゃんっ!」

海未「わかってますっ! わかっています、ちゃんと、離さないといけないって……!」


 痛みが生じるくらいの強さではなくなったけど、海未ちゃんは依然として私の手を握ったままだった。
 希ちゃんが言うように、本当に手離そうとしない。


ことり「……もしかして……できないの? 離せないの?」

海未「どうして……どうして……っ!」

凛「無理なんだよ、海未ちゃん、ことりちゃん」

海未「何故ですかっ!?」

希「別にウチらのせいじゃないよ。何度も言うとるやん? 乙姫はそういう生き物やって」

凛「いくらことりちゃんの為でも、海未ちゃんが乙姫である限り絶対に離せないもん」

希「だからこそ、ウチらはことりちゃんを海未ちゃんに預けたんやから」

ことり「私を預けた?」

希「住人みんながことりちゃんに襲いかかったやん? あの時の話」

希「ウチらは龍宮城の主やから、その気になれば住人たちを意のままに操れる。今みんなを静かにさせてるようにね」

希「とは言え強制的に操るようなことは出来るだけ避けたいし、一瞬でどうこうできる程簡単でもない」

希「せやからあの時は、ことりちゃんがみんなの手に渡って快楽漬けにされるのを防ぐ為に、海未ちゃんに託したん」

凛「海未ちゃんなら何があってもことりちゃんを守るはずだし、相手が海未ちゃんならことりちゃんは理性を保ったままでいられる」

凛「そう聞いて納得したから、凛も手伝ったんだよ」

希「でもね、決して二人の為に逃がしたわけやない」

希「あくまでも自分の為に、海未ちゃんに預けたんよ」

凛「凛たちもことりちゃんと結ばれたいもん。ちゃんとことりちゃんのままでいて貰わないと意味なかったの」

ことり「わからないよ……何を言ってるの?」

凛「ずっと言ってるでしょ? ことりちゃんのこと大好きだし、まだ諦めてないって」

凛「例え海未ちゃんと結ばれても、凛だってことりちゃんと大切なことしたいよ」

凛「けどみんなに捕まって好き放題交わって、ことりちゃんが快楽の虜になって、理性を失ったらつまらないじゃん」

凛「そんなの今まで見てきた人間と大差ないもん!」

希「簡単に言えば、ことりちゃんが理性を保ってるうちに交わりたい、ってことやね」

海未「その為にことりを私に……」

希「利用した、って思われても仕方ないけどね。と言うかそのまんま利用したわけやし」

凛「でも良かったでしょ? ことりちゃんがみんなに捕まる前に逃げられたもん」

希「海未ちゃんかて、北でことりちゃんと散々ええことしたんやない?」

海未「…………」

希「今の質問は上品や無かったかな? でも、間違いやないやろ?」

希「一人占めがズルイとは言わへん。ただ……ウチらは端で指咥えてるだけで終わるつもりはない、ってこと。わかってくれた?」

海未「……二人は私たちの味方ではないと言いながら、私たちを逃がしてくれた理由がわかりました」

凛「計算したみたいでズルイって思う?」

海未「窮地を救ってくれたのは事実です。責めるつもりはありませんし、感謝しています」

希「甘いよねーホンマに。怒ってもおかしくない場面だよ?」

ことり「私も二人には感謝してるよ。助けてくれて嬉しかった」

ことり「けど……二人と一緒にはなれないよ」

ことり「私は海未ちゃんのことが好きだし……陸に戻らないといけないの」

希「陸かあ……」

凛「ことりちゃんは陸には帰れないよ」

ことり「どうして? 二人が許してくれないから?」

希「そういうわけやないけどね。その大亀に乗れば、誰だって陸上に行ける」

希「ただし、大亀はウチら乙姫三姉妹の指示が無いと陸との移動は行わない」

ことり「じゃあ海未ちゃんが指示した今なら帰れるんじゃ……」

凛「ちゃんと言葉にした? ことりちゃん連れて陸に帰してあげてって」

ことり「……それは……」

希「ちゃんと指示せんと帰れへんし、海未ちゃんは……そんな指示できひん」

凛「ことりちゃんを手離したくないはずだもん。言えないよ、絶対に」

ことり「……」

海未「……わかって、います……」

海未「今、もう、すぐに……ことりを帰しますから……!」

希「無理だよ海未ちゃん。諦めよう?」

凛「乙姫ってそういう生き物だもん。諦めてことりちゃんと一緒に過ごそう? 凛たちだってことりちゃんのこと大切にするから」

希「今までの生活に戻って、ことりちゃんをみんなで幸せにしよ?」

海未「ことりの意向はどうなるのですか!?」

海未「海の生物と交わっていけば次第に行為の虜になることでしょう、抵抗する気も無くなるでしょう」

海未「しかしそれではことりの気持ちを度外視しているではありませんかっ!」

海未「ことりを独り占めしたいという思いがあることは否定しません……ですがそれを差し引いても! 無粋な提案過ぎます!」

希「ウチらかてわかって言ってるつもりだよ」

凛「でもそれ以上に良い案はないよ?」

海未「このままことりを陸に帰せば良いではないですかっ!」

希「だって、出来ないやん?」

凛「凛たちだって絶対に帰したくないのに、ことりちゃんの事を本気で好きになった海未ちゃんじゃ、余計に無理だよ」

海未「帰します……私はことりを、陸に帰すんです……!」

ことり「海未ちゃん……」

海未「…………どうしてっ!」

海未「私は決めたんです! ことりを帰すと!」

海未「私が私らしくある為に……ことりに誇れる私である為に……!」

海未「もう欲望になんて負けないと決めたんです! ことりを苦しめないと誓ったんです!」

海未「なのに何故……! どうしてことりを手離せないのですか……っ!」


 海未ちゃんは苦しそうだった。
 歯を食いしばり、我欲に耐えて……私の為に一生懸命になって。

 けれどどんなに待っても、私の手は離されなかった。
 まるで別人のものをみるような目で、海未ちゃんは私を掴む自分の手を凝視していた。


海未「……………………ごめんなさい…………ことり……」

海未「あなたの為に、陸に帰してあげたいのに……」

海未「本心からそうしたいと思っています…………けれど……乙姫である私は……!」


 葛藤する姿が痛々しい。
 そしてそれ以上に……愛おしかった。

ことり「わかってるよ、海未ちゃん」


 空いている方の手で、海未ちゃんの目元に溢れている涙を拭き取ってあげた。
 私の目にも同じように、溢れそうなくらいの涙が溜まっているのがわかる。


ことり「海未ちゃんの気持ちはわかるよ。だから泣かないで」

海未「……私……っ!」

ことり「嬉しいの。心から私のことを思ってくれて。こんなに頑張ってくれて」

ことり「乙姫じゃない私には、海未ちゃんがどれだけ苦しんでいるのかわからない」

ことり「私の為に我慢して別れを決意してくれたのに、それでも思い通りにいかない悔しさは、わかってあげられない」

ことり「だから……もし無理なら、それでいいよ」

ことり「私は受け入れるから。龍宮城で生きること、受け入れるよ」

海未「な……!? いけません! ことりは陸に帰るんです!」

海未「あなたを待っている人がいるのでしょう!? ことりは待っていなければならないのでしょう!?」

ことり「そうだよ。私は何があっても待っていないといけないの」

ことり「でもね……私を引き留めるのが海未ちゃんなら、諦められる」

ことり「自分から相手を突き放して、なのに自分一人だけ幸せを手に入れて……そんな汚い私を、私は受け入れるよ」

ことり「龍宮城に居ても、幸せは長く続かないよね」

ことり「海未ちゃんとだけ一緒になりたくても、またみんなに追われ続ける」

ことり「捕まったら、私は全部を奪われて、私じゃなくなっちゃう」

ことり「みんなに捕まらなくても、海未ちゃんに生気を分け続けるだけで、そのうち私は死んじゃう」

ことり「どの道は終わりは見えてるから、残りの短い時間を幸せに過ごすよ」

ことり「陸に帰らないで、龍宮城に残って、近い未来に私の存在が消え去って……それだけ」

ことり「陸で待っていてもあの人は帰ってこなかった……そう言い聞かせて納得するだけ……」

ことり「大丈夫。私には出来るよ。全部、受け入れられるから」

ことり「海未ちゃんの為なら……海未ちゃんに引き留められた結果なら、それでいいの」

海未「いけませんことり、そんなの、」

ことり「恋した人が決めたことなら何だって受け入れてみせる!」

海未「…………」

ことり「……私、それくらいの思いで海未ちゃんを愛してるつもりだよ」

ことり「だからね……いいんだよ、海未ちゃん」

 後悔は残るに違いなかった。
 この先自分にどう言い聞かせても、幼馴染みを裏切った私を許せないまま、海底の楽園で最期を迎える。

 けれども、このまま陸に戻ったところで、どの道後悔はする。
 心から恋した人との別れを選択した過去の私を、長く続く陸での人生で何度悔やむだろう。

 どっちにしろ後悔するのなら、恋した人に引き留められただけ、私は幸せ。
 私が私を許せなくたって、そんな私を求めてくれたヒトがいたんだから。


ことり「こんな私を好きになってくれてありがとう。求めてくれて、ありがとう」

海未「ことり……!」

ことり「龍宮城に残って、あの人を裏切って、一人だけ幸せを手に入れた自分のことを嫌いになって……」

ことり「そんなの、大好きな人から愛されたのに比べれば、小さなこと」

ことり「私が私を嫌いになった分、海未ちゃんは私のこと、好きって言ってね?」

ことり「海未ちゃんに好きでいて貰える限り、どんなことでも受け入れてみせる」

ことり「だから……もういいよ」

ことり「私はずっと、海未ちゃんの側にいるから」

海未「…………」

ことり「…………」

海未「………………ははっ」

海未「は……はははっ…………ははははっ……」

ことり「大丈夫だよ。もう、自分を責めないでいいんだよ」

海未「…………そっ、か……」

海未「……そう……でしたか…………」

ことり「そうだよ。私はずっと一緒だよ」

ことり「この先海未ちゃんが自分を許せなくても、私も同じだから」

ことり「自分を許せない者同士、最期まで一緒に居ようね」

海未「……簡単なことでした」

海未「こんな簡単なこと……私はずっと悩んで……」

ことり「もう一人で悩むのはおしまい」

ことり「これからは、悩んだり、苦しんだり、後悔したりしても、私も一緒だよ」

 力無く握られていた私の手が、少しずつ締め付けられていく。
 海未ちゃんの手に篭る力が強まる程、繋がっている実感が大きくなっていく。


ことり(この先、私は永遠に、この手から離されなくてもいい)

ことり(選ばれたことを誇りに、短い未来を生きていこう)

ことり(私が恋した……私に恋してくれた、海未ちゃんと一緒に)


 私を捕えて離さないヒトに、出来る限りの慈しみを込めて微笑んで見せた。
 彼女もまた、小さく微笑みを返してくれた。


海未「…………乙姫は、抱きしめた相手を手離せない生き物」

海未「恋をしたから、愛したから、手離したくないという思いを抑えきれない……」

ことり「それでいいんだよ」

ことり「私はそんな海未ちゃんのことを好きになったんだから」

海未「……本当ですか?」

ことり「え?」

海未「違うはずです。ことり、そうではありません」

ことり「え……? なんで……?」

海未「ことりは、私を好きだと言ってくれました。こんな私のことを、ことりは好きになってくれた」

ことり「そうだよ、私は海未ちゃんを、」

海未「ええ。私だから、好きになって貰えた」

海未「私が乙姫だからではなく、海未という名の私を好きになってくれたはずです」

ことり「……海未ちゃん……?」

海未「あなたに恋して貰えた私で居られるのなら、他のことはどうでもいい」

海未「私の存在も、私の本心も、どうでもいいんです」

海未「……だから……私は……」


 ふっ、と。
 私の手を捕えていた力が消えた。
 支えを失った私の手は、ゆらりと垂れ下がる。


ことり「あ……」

海未「私はもう、乙姫でなくていい」

海未「ただの海に生きる者として……恋したあなたを手離しましょう」

 自由を取り戻した手を掲げた。
 誰とも繋がっていない、孤独な私の手……。


凛「そんな……!」

希「嘘……!」


 二人の乙姫が信じられないものを目にしたという顔をして、言葉を失っている。
 驚いているのは、私も同じ。
 気持ちでどうこうできるものじゃない、そういう生き物なんだって、乙姫から離れられない運命を受け入れたのに。


ことり「どう、して……」

海未「行ってください。亀の背に乗ってください」

ことり「うみちゃ、」

海未「早くっ!!!」

ことり「…………」

海未「もう一度捕まえないうちに……次は、もう……!」

海未「お願いします、どうか、ことり……!」


 今の私に、何も言い返せる言葉はない。
 指示に従うまま、機械的に体を動かして、私は大亀の背に跨った。

ことり「……海未ちゃん……どうして……!」

海未「……これでいいのです」

ことり「だって、乙姫なのに」

海未「さあ……何故なのでしょうね?」

海未「意思や決意など関係ない、手離せないのが乙姫という存在であるはずなのに」

海未「私の内にある乙姫の心は、今もずっと、抱きしめた恋人を離したくないと叫んでいるのに」

ことり「じゃあなんで……!」

海未「……どうでもいいんですよ、そんなこと」

海未「ことりは言ってくれました。恋した私の為なら、どんな自分だって受け入れてみせる、と」

海未「……私だって同じですよ」

海未「恋したことりの為なら、何だって受け入れてみせます」

海未「私の行動が乙姫でないというのならそれでいい。本心では別れを惜しんでいようが構わない」

海未「あなたの為なら、他はどうでもいいのです」

ことり「海未ちゃん……!」

海未「さあ、行ってください。帰る時です。ことりが生きるべき世界に」

 海未ちゃんの指示と共に、私を乗せた大亀がふわりと浮いた。
 龍宮城の敷地から、正面の門扉を潜って、海の領域へと進んでいく。


海未「お別れです。どうかお元気で」

ことり「そんな……本当に……!?」

海未「悲しまないで。泣かないで。これが正しい選択のはずです。そうでしょう?」

海未「ことりに愛して貰えた私らしく、最後まで立派な私でいさせてください」

ことり「…………」


 大亀と私は高くまで浮かび上がり、その分龍宮城から離れてゆく。
 敷地外に出た私を追って、凛ちゃんと希ちゃんが門扉の前まで駆け寄ってきた。


凛「嘘だよ、待って、ことりちゃん!」

希「ありえへん、こんな……!」


 乙姫さんたちの姿が小さくなっていく。
 凛ちゃんも、希ちゃんも、旅立つ私を見上げて泣いていた。
 私の為に、泣いてくれていた。

凛「海未ちゃん、どうして、出来るはずないよ……!」

海未「ええ、私自身信じられません」

希「理屈でどうこうできるはずないのに……!」

海未「希も言ったではありませんか。恋だって、理屈じゃないんですよ」

希「だって……そんな……」

凛「ああ、ことりちゃん、行っちゃう……」

希「ことりちゃん……!」

ことり「凛ちゃん……! 希ちゃん……!」

凛「ことりちゃんっ!」

ことり「ありがとう。凛ちゃんと沢山遊べて本当に楽しかった。もっと遊びたかったよ」

希「ことりちゃん!」

ことり「ありがとう。希ちゃんの側にいると凄く安心できた。ずっと一緒にいたかったよ」


 龍宮城に来て以来、私をお世話してくれた乙姫さん。
 これまで出会ったどんな人たちよりも素敵だった。


ことり「ありがとう、二人とも。ありがとう……さようなら……」


 万感の思いを込めて、ありきたりな台詞を送った。
 これ以上に、私の気持ちを伝える言葉を知らないから。

ことり「…………」

海未「…………」


 海未ちゃん……。

 あなたと一生を過ごす未来を一度は考えた。
 けれど、何よりも幸せなはずの選択を手離してまで、この先私たちは別々の道を生きる。

 為すべきことの為に。
 私たちが私たちでいる為に。
 恋した人に愛して貰えた自分たちであり続ける為に。


海未「大好きです、ことり」

ことり「大好きだよ、海未ちゃん」


 海未ちゃんが遠くなる。
 手を伸ばしても、もう、届かない。


海未「さようなら……」

ことり「さよなら……」


 やがて声も聞こえなくなる。
 私は離れ、海未ちゃんは残り、二人の世界が完全に隔たれた。

 海中を浮かび上がって、広大な龍宮城の全域を俯瞰できるくらいの高さにまできた。
 門扉の前に立つ三人の人影は、もうはっきりと映らない。


ことり(海底の楽園……幸せな時間を過ごした宮殿……大切な人たち……恋した人……)

ことり(私は絶対に忘れません。これからの長い人生、一生覚えています)


 龍宮城の陰影が海に溶けていく。
 暗闇に消え去った海底の宮殿の代わりに、上から光が差し込んで、私を包み込んだ。


―――
―――――


ことり「…………」


 海を見ていた。

 一人、浜辺に立って、時折足元を掬う波を感じながら。
 海の底から見上げるんじゃない、陸の上から、遠い水平線を見つめていた。


ことり(……帰って、きたんだ)

ことり(元の世界、私の世界に、帰ってきた)


 空には太陽や雲が昇り、風が肌を撫でる。
 海の香りも、潮騒も、全部見知ったものばかり。

 龍宮城という夢から覚めて、陸という現実に帰ってきた。

ことり(御伽噺のように、私も帰ってくることができた……)

ことり(あ、お土産の玉手箱貰ってない)

ことり(……まあ、いっか)

ことり(大切なものなら、もう沢山、貰ったから)


 苦笑を一つ零してから、背後を振り返る。
 海辺に居並ぶのは、海に潜る前と大差ないように思える建物が並ぶ風景。
 あの中の一つが私の……私とあの人の家だった。


ことり(帰ってきてるのかな……まだ帰ってきてないのかな……それとも……)

ことり(……帰ろう)

ことり(家に帰って……ずっとそうしてきたように、帰りを待っていよう)

ことり(海に潜ってから時間がどれくらい過ぎていて、あの人がまだ生きているのかわからないけど)

ことり(私はずっと、いつまでも、待っていよう)

ことり(待つ為に、私は帰ってきたんだから)

 家へと帰る前に、最後にもう一度、海へと目を向けた。
 海のずっと奥深く、陸からは決して目に映ることのない場所に、確かに存在する宮殿を思い浮かべて。


ことり(海未ちゃん……)


 愛していた。

 生まれてからずっと寄り添っていた人が居ても。
 一生をかけて待ち続ける別の誰かが居ても。

 私はあなたを愛していた。


ことり「…………ああっ……!」


 海を眺めてあなたを思うと、嗚咽が漏れ、頬を涙が伝う。
 悲しみや後悔は無い、ただただ涙が流れる。

 あなたの記憶と共に、私はこの先、一人で生きていこう。
 帰ってくるかわからない相手を待つだけの孤独な日々も、あなたを思えば辛くはない。
 それだけのものを与えてくれた。


ことり(ありがとう……さようなら)

ことり(さようなら、海未ちゃん…………さようなら、私が恋した乙姫さん…………)


 涙を拭いて、海に背を向ける。
 帰ろう、私の家に。

―――――
―――



 各所の最終確認は私自ら済ませた。
 各担当からの報告にも問題は見つからなかった。


海未「……では、始めましょう」


 私の指示を合図に、宮殿の住人たちが一斉に動き出す。
 皆が大宴会場に集い、この地に訪れた人間をもてなすための宴が開かれる。


海未(何事も無く今夜の祭典を迎えられそうですね)

海未(問題無い。何も問題はありません)


 慣れ親しんだ決まりに準じ、住人たちが来客をもてなし始める。
 龍宮城では今宵もまた、海底の楽園に相応しい喜びに満ちた時が流れ出した。

 およそ百年前……。

 龍宮城では、私たち乙姫を含む全住人を巻き込んだ騒乱が起きた。
 たった一人の人間を巡り、誰しもが熱を上げ、掟も慣習も無い無法地帯と化した。

 最終的に彼女はこの地から去り、楽園らしからぬ悲しみを残して、騒乱は沈静化した。
 以降、龍宮城は百年続く平穏を取り戻し、今日まで変わらぬ日々を維持している。


希「海未ちゃんお疲れさま」

凛「ちゃんとお客様をおもてなしできたにゃ!」


 私と同じく乙姫である凛と希が労いにきてくれた。
 全面的な指揮役は私が担うものの、龍宮城の主たる二人もまた、各所で頑張ってくれている。


海未「ありがとうございます。二人もお疲れさまでした、凛、希」


 軽く笑いかけ、賑わいを見せる宴会場から私は早々に立ち去った。

 背後からは、二人の乙姫が去りゆく私を心配そうに見ていることでしょう。
 知っていながら、宮殿の極楽から距離を取る為、歩みを止めはしない。

 あの日々を経てから、私は享楽というものの全てから身を退くようになっていた。

―――


海未「…………」


 敷地内の南端にあたる正面門扉に立ち、目前に広がる海の領域を見上げる。
 遥か彼方まで広がる海の世界に果てはなく、いくら目を細めても、海が開けた先は見えはしない。


海未(どれだけ見ようとも、海が広がっているだけだと言うのに……)


 元より龍宮城の実質的な代表者として一切を取り仕切っていた私は、より精力的に宮殿の管理を行うようになった。
 常に職務に追われ、余計な思考を挟む隙が生じないよう。

 意識的に娯楽から距離を取る私を、凛や希は心配してくれた。
 あれ以来、一度として人間から生気を頂くことの無い私が近頃衰弱してきている点も、余計に不安を煽っているのだろう。

 けれど、慰めの言葉はかけて欲しくない。
 慰めの最後には、必ず、彼女の名を出されてしまうことがわかっているから。


海未(また今日も無駄なことを考えて……)

海未(……宮殿に戻りましょう)

海未(来客の受け入れが済み、何事も無い日常に戻っても、やることは沢山あるのですから)

 玄関から宮殿内に戻り、明日以降の予定を復習していた。
 問題点を幾つか上げ、対策を練っていると、遅れて玄関から入ってきた使いの者が私を呼び止めた。


海未「どうしました?」

「このようなものが届きましたけど」

海未「? 箱? 届いた?」


 忙しそうにしていた使いは箱を渡すだけ渡して足早に去ってしまった。
 押し付けられた形の私は呆気にとられつつも、実に珍しい、龍宮城への届け物をまじまじと見つめる。


海未(ここは海の底に存在する宮殿……外界とは接点の無い場所のはずなのに……)

海未(今現在この地に居る者以外に、龍宮城を知っている誰かがいるのでしょうか?)


 箱を観察していると、宛て名が書かれているのを見つけた。
 名指しされていたのは……私、だった。

海未「……」


 一瞬。

 本当に一瞬だけ、とある人物を思い浮かべてしまった。
 しかし、即座に想像を捨て去るべく大きく首を振り、自発的に思い出してしまったことを悔やんだ。


海未(何年前の話だと思っているのです……!)

海未(私たちとは寿命が違うんですから……もう既に……)

海未(……開けてしまえばいいんですよ。正体がわかれば、余計な考えをしなくて済みます)


 何も期待はしていなかった。
 そのようなもの、とうに捨て去っていたから。


海未「……これは……」


 箱を開け、中から取り出したものは、折り畳まれた着物だった。
 艶めく青地の美しさに目を奪われた私は、しばらくの間無言で眺め続けていた。

海未(綺麗……)

海未(素敵な、青みがかった……藍色? 空の色? ……いえ……この色は……海?)

海未(龍宮城では扱わない生地に思えますが……)

海未(…………)

海未(……ま……さ、か……)


 不意の予感に襲われ、着物を落としそうになる。
 慌てて着物を掴み、自制心を取り戻し、動揺しかけた自身に対し声を上げて叱咤する。


海未「馬鹿な……馬鹿な馬鹿なっ!」

海未「何を今になって……ありえませんっ!」


 悲鳴のような声が宮殿内に反響する。
 私は大きな呼吸を繰り返して、冷静を保つよう必死に努めた。

海未(違います……そんな……現実的ではないでしょう。馬鹿な考えは止すのです)

海未(……ずっと、抑えてきたじゃないですか)

海未(耐えられるようになるまで、意識しないよう、思い出さぬよう、徹底してきたんですから……!)


 頭に血が上り、頬が熱くなり、しまいには泣きそうにまでなる。
 弱い私が嫌だった。


海未(……冷静に考えるのです)

海未(冷静に分析して、疑いようのない答えが出れば……当然の帰結として認めましょう)

海未(ですがまだ何一つ断言できる段階にはありません!)

海未(勝手に願望と結びつけるなど…………願望? 願望ですって? まだ未練があるというのですか!?)

海未(……何を、馬鹿な事を……)

海未(血迷ってはいけない……今更、私は何を……)


 着物を取る手が震える。
 震えの正体は何なのか……考えたくもない。

 するり、と。
 着物の間から、一枚の紙が落ちた。
 反射的に、私は屈んで紙を拾い上げる。

 紙には短い一文が書かれていた。


『恋したあなたの名の色に染まっていますように』


海未「…………………………………………」


 言葉が、出ない。
 疑う余地が無かった。

 百年間封じ込めていた彼女の姿が記憶の濁流となって、私の内に溢れ返った。

海未「嘘です」


 声が抑えられなかった。
 勝手に口が震え、思いの丈が声の形で私自身の耳を打った。


海未「嘘です、そんな……なんで……」

海未「今になって、どうしてこんな……」


 かつて共に過ごした日々の一幕が次々浮かび上がる。
 抑えていた分、一度溢れ出した思い出の数々は、余計に鮮明な姿で蘇った。


海未「だって……百年も経つのに……!」

海未「陸の世界はここよりも時の流れが早いのですから、尚更どうして……!」

海未「何故、思い出させるのですか……!」

海未「せっかく、耐えられるよう、なってきたのに……! 抑えられそうだったのに……!」

海未「あなたのこと……私はっ……!」

 信じられない。
 有り得ない。
 理解がまるで及ばず混乱する。

 けれど、一文が示しているのは、他でもない……。


海未「……………………ぁぁぁっ……」


 膝から崩れ落ちた。
 縋るように着物を抱き締め、涙で視界が霞む。

 認めたくなかった。
 それでも認めざるを得なかった。

 だって、あなたの名残に触れただけで……私はこんなにも切ない。


海未「…………百年……経っても…………忘れられない…………」

海未「私は今でもあなたに……恋しています……!」

海未「手離したくなかった……手離さなければ良かった……そう思わずいられない……」

海未「どんなに汚くても、歪でも、あなたと一緒に生きたかった……」

海未「……ぁぁぁ…………ぁぁぁぁぁ…………っ!」


 涙しながら、脇目も振らず叫んだ。
 呼びたくても、呼べば悲しみを生むだけだからと、ずっと呼ばずにいた人の名を。


海未「……ことりぃっ!!!」

海未「ことり……ことりっ……ぁぁぁぁぁっ…………ぁぁぁっ…………ことり…………っ!」

海未「何故あなたはこの地に招かれてしまったのですか……!」

海未「あなたと出会ってしまったから、好きになってしまったから、こんなに……どうして……!」

海未「どうしてあなたは私の前に現れてしまったのですかっ!」

海未「ぁぁぁ……ことり…………ぅぁぁぁっ……!」

海未「………………こんなことなら……出合わなければ良かった……」

海未「あなたとの別れがこんなに切なく、百年経っても心の傷が癒えず、欠片ほども恋心が損なわれないなんて……」

海未「どんなに求めようとも、二度と会うことはない……恋した人……」

海未「…………忘れられません」

海未「もう、わかってしまいました……私はこの先、何があっても、絶対にあなたを忘れないでしょう」

海未「忘れられないから……永遠にあなたを思いながら、孤独と共に生きます」

海未「あなたからの贈り物を心の支えに………………………………っ……ぅぁぁぁぁぁぁ…………ぁぁぁぁ…………」

海未「ぁぁぁぁぁぁぁ…………」

 胸に着物を抱いたまま、地べたに座り込み、私は泣いた。
 声を上げ、涙を流し、恋した人の名を何度も何度も呼びながら。

 ことりがこの地にいた時、このようなことを言っていた。
 人間と乙姫、異なる世界に生きる者同士が交わろうとも、最後には悲しみしか残らないと。
 おそらくその通りなのだろう。
 根拠があろうがなかろうが、真実か虚言かも関係なく、私にとっては正しいのだから。


海未「……………………忘れません…………ことり…………」

海未「あなたを、絶対に、忘れない…………」


 この先、誰かに恋することは二度とない。
 ことり以上に愛する人と出会えるなんてことは起こりえない。
 私にとって、ことりは、運命だった。

 私とことりの物語はここが終着点なのだろう。
 百年前ではなく、ことりへの思いを再確認したこの瞬間が。

 あなたと別れ、長い時間が過ぎ、最後に残ったのが悲しみでも、それでいい。
 共に生きた時間は確かに幸せだった。


海未(あなたを心から愛しています……)

海未(あなたが居なくなっても、いつまでも、愛しています……)

海未「ぁぁぁ…………ことり……………………ぁぁぁぁぁ……っ…………」


 あなたを思って私は泣いた。
 あなたとの思い出を胸に抱き、私は泣いた。

 さようなら、ことり。
 さようなら、私が愛した人。

 
 
凛「本当にそれでいいの?」




希「悲しいまま終わってもいいの?」

 
 

海未「………………………………り、ん…………の、ぞ、み…………」


 泣き叫ぶ私の前に、二人の乙姫がいた。

 悲しそうな顔をして私を見ている。
 どうして悲しそうにしているのだろう。


凛「こんなに悲しい終わり方、受け入れちゃうの?」

希「どんなに我慢しても忘れられないのに、まだ耐えるん?」

海未「………………もう……終わったことなんです……」

海未「どんなに願っても、私の望みは叶わない……」

海未「ですから、もう、いいんです……」

凛「凛はやだよ!」

凛「海未ちゃんが悲しいの、嫌だよ……!」

海未「……凛……泣いてるのですか?」

凛「海未ちゃんの方がボロボロ泣いてるくせにっ!」

海未「……そう、ですね……」

希「普段しっかりしてる海未ちゃんがこんなになって泣いて悲しんでるのに、それでいいで済ませたら駄目だよ」

希「そんなんしたら、ウチも悲しくて泣いてまうよ」

海未「希……」

海未「ですが…………どう足掻こうとも、どうしようもありません……」

凛「でもでもっ! 諦められるわけないよ!」

希「諦められるはずない。だって……恋、したんやろ?」

希「乙姫は恋した相手を離せない。何があろうとも」

希「ウチらだって、どんな手を使ってでも手離さなかったんや」

海未「……二人はこれまで多くの人間と結ばれてきたではありませんか」

海未「結ばれた人間は、他の者の手に渡ってしまったではありませんか」

海未「どうして耐えられたのですか……私には、理解できません……」

凛「恋じゃないもん」

海未「……恋じゃない?」

希「ウチらは沢山の人間から生気を貰ってきた。けど、全てを許して交わったことは一度も無いよ」

凛「手を繋いだり、肌の一部を触れ合うくらいのやり取りを沢山繰り返してずっと生き延びてきたんだもん」

希「他の住人たちにとって人間はあくまでも食べ物やから、一度交わった相手が誰かに渡っても何も気にすることはない」

凛「けど凛たち乙姫が本気で恋して結ばれたら、手離せるはずないよ」

希「せやから今まで人間を食べてきた中で、恋した相手はおらへん」

凛「恋はね、一回だけしかしたことないよ」

希「ウチも、凛ちゃんも、一度だけね」

海未「一度、だけ……」

凛「ここは恋する宮殿だけど、簡単にはできなかった。恋ってそんな簡単じゃないんだね」

希「長年恋が出来なかったウチらだけど、ある時、恋する相手が現れた」

凛「だけど、やっぱり恋って簡単じゃなかった。上手くいかなかったんだよね」

希「上手くいかなくても、どうしても手離せなくて……手離さないことを選んだ」

凛「だって、恋だもん」

希「恋する宮殿で、恋をする以上に大切なことは無いんやから」

凛「……ね、海未ちゃん。凛たちがさっきから恋する宮殿って言っても、ピンときてないよね?」

海未「だって、ここは龍宮城ですから……恋する宮殿が何のことだか……」

希「それっていつから?」

海未「それとは?」

希「龍宮城……その名前で呼ばれるようになったのはいつからなん?」

海未「いつからだなんて……生まれてからずっと龍宮城と呼んでいましたし、ざっと思い出せる二百年で変わったことなど無かったはずです」

凛「どうして二百年前は思い出せないの?」

海未「どうしてと言われましても……」

希「乙姫は長寿やから、何百年もそれ以上も生きられるし、ウチらは生きてきてる」

凛「凛たちは二百年以上前のこともちゃんと思い出せるよ。でも、海未ちゃんはできないよね」

海未「……思い出せない……何故……?」

希「ここを龍宮城って呼ぶようになったのはね、二百年前からなん」

凛「宮殿の本当の名前はね、恋する宮殿って書いて、恋宮殿《ラブキュウデン》っていうんだよ」

海未「…………知りません、そんなの」

希「当然だよ。二百年前に恋宮殿にやってきた人間が、ここを龍宮城って呼んでるのを気にいって、呼び方を変えたんやから」

凛「龍宮城って名前はね、二百年前にここにやってきた……海未ちゃんから聞いたんだよ」

海未「……………………」

凛「聞いても思い出せないよね」

希「自分じゃ絶対に思い出せへんからね」

海未「……何を言っているのですか?」

凛「海未ちゃんはね、人間だったんだよ」

希「人間だった海未ちゃんがここにやってきて、ウチらは恋をしてもうたん」

凛「でも、海未ちゃんには他に好きな人がいたの」

希「全てを捨てて恋宮殿に来たはずなのに、海未ちゃんは恋してた相手を忘れられへんかった」

凛「海未ちゃんは凛たちの愛情を受け入れてくれなかった……それでも、凛たちは諦められなかった」

希「ウチらは善人やない……恋したものを手離せない乙姫やから」

凛「だから、海未ちゃんを手離さないよう、恋宮殿から離れられないよう、乙姫にしたんだよ」

希「同じ乙姫同士になって、誰よりも近しい存在になるために」

海未「…………有り得ません…………そのようなこと…………」

凛「本当だよ。元々乙姫は二人だけだもん」

希「海未ちゃんはね、ウチらの欲が生み出した、作り物の乙姫なん」

海未「……作られた……乙姫……私が?」

凛「陸でさ、龍宮城についてずーっと昔から言い伝えられてる言葉、知ってる?」

海未「……当然です。それが何か」

凛「『海底の宮殿では 人間が訪れるのを 乙姫姉妹が待っている』」

凛「これさ、乙姫は三人いるはずなのに、何で『乙姫三姉妹』じゃなくて『乙姫姉妹』なの?」

海未「理由など……ただの結果では、」

希「ちゃう。ウチらは自分たちの事を言う時、常に乙姫三姉妹って言っとった」

希「けどそれも海未ちゃんが乙姫になって、三姉妹になってからのこと」

希「言い伝えの文言が『乙姫姉妹』なんは、元々恋宮殿で人間を待つ乙姫が、ウチと凛ちゃんの二人姉妹やったからだよ」

海未「そんなまさか…………」

凛「他にもね、いっぱいあるんだよ」

凛「海未ちゃんが生まれつきの乙姫じゃない、って、説明できること」

凛「例えばね、乙姫には住人を思うままに操る力があるんだよ」

凛「一日中部屋で静かにしててね、とか、やろうと思えば命令できちゃう。海未ちゃん知らなかったでしょ?」

海未「……そのような力、私にはありません」

凛「海未ちゃんは元々人間だから、乙姫としての力は全部発揮できないみたいだね」

凛「住人を操れないから、代わりに普段から決まり事を作ってしっかり指導してたんでしょ」

凛「海未ちゃんは凛たちに宮殿の主として責任もってみんなを監督しなさい、ってよく言ってたよね?」

凛「凛達が普段からみんなを好き勝手させてたのは、必要になったら言う通りにできるからなんだよ」

希「他には、恋した人間を誘惑する乙姫の力を海未ちゃんは持たない、とかね」

希「もし誘惑できるなら、ことりちゃんのこと好きになった時点で自然と誘惑してたはずやもん」

海未「そんな馬鹿なっ! 私はことりを誘惑の力で籠絡するつもりなど!」

希「する気があるとか無いとか関係無しに、誘惑はね、しちゃうの」

希「本当だったらことりちゃん、あっという間に海未ちゃんの虜になって、すぐに理性を失ってたやろうね」

希「乙姫が恋をするって、そういうことなん」

希「でも、ことりちゃんはそうならへんかった。海未ちゃんが誘惑出来ないっていう証拠なんよ」

海未「そんな……そんな……!」

凛「海未ちゃんがまだ人間だった時、凛たちすぐに海未ちゃんのこと好きになって、誘惑したんだよ」

希「海未ちゃん、あっという間にウチらの虜になってくれたよ」

凛「でも、北に行って交わろうとしたら、突然抵抗しだしたの」

希「完全に虜にしたにも関わらず、大切な人のことは最後まで忘れなかったんやね」

凛「凛たちも本気で人間を誘惑したの初めてだったから、効果が不完全なのかなって焦ったよ」

希「実態としては、海未ちゃんには他に大切な人がおったから、虜にしても完全には落ちひんかったんや」

海未「私は、元々が人間……? 大切な人がいた……? 人間の時代に……?」

海未「嘘です……全部嘘です……まるで思い出せない……」

凛「ね、海未ちゃん。凛たちの誘惑に抵抗してた時、誰の名前呼んでたか憶えてる?」

海未「……覚えているわけ、」

希「ことり、だよ」

海未「…………は?」

凛「海未ちゃん、北で凛と希ちゃんから逃げながら、ことり、ことり、って叫んでたんだよ」

希「ウチらが迫ろうとする限り、ことりって呼ぶのをずーっと止めへんかった」

凛「凛たち根負けして、仕方なしに誘惑をやめたの」

希「それから、落ち着いた海未ちゃんからお話を沢山聞いたんよ」

凛「陸で暮らしてた時のこととか、陸を捨てて海に潜った理由とか」

希「話を聞くうちに、ことりって子のことを本当に大切にしてたんだってわかった」

凛「不運なことがあって海に逃げても、まだ心はことりちゃんが好きなままなんだなーって」

希「海未ちゃんの心は奪えない。だから、恋以外に手離さない方法として、海未ちゃんを乙姫にした」

凛「人間だった記憶と存在を無くして、乙姫三姉妹の次女として転生させたんだよ」

希「恋とは違う形だけど、恋した相手とずっと一緒にいられて、ウチらは幸せやった」

凛「それが終わったのは……百年前だね」

希「ことりちゃんって子がここに来て、察しがついた。この子が海未ちゃんの大切な人や、ってね」

海未「…………有り得ない…………有り得ませんっ!」

海未「有り得ない話ばかりでしたけど、最後だけは絶対に有り得ません!」

海未「だって……仮に二人の話が全て真実だとして、私が元人間で過去の記憶がなくとも、ことりはわかるはずです!」

海未「本当に私がことりの大切な人なら……ずっと帰りを待っていた相手なら……私に気付くはずですっ!」

凛「今の海未ちゃんはね、人間海未じゃなくて、乙姫海未っていう別の存在なの」

希「人間だった頃の海未ちゃんの記憶が他人に残っていても、乙姫である海未ちゃんと同一人物とは結びつきはしない」

海未「嘘です、嘘です嘘です、それだけは絶対……!」

海未「私のはずが……もしそうなら、私はことりの存在さえ忘れていたことに……!」

凛「ことりちゃんが記憶を取り戻した後、陸で一緒に暮らしていた相手の名前を聞いた?」

海未「…………ことりは……一度も言いませんでした」

凛「思い出せないんだよ。大切な人って風に覚えているだけ」

凛「だって、ことりちゃんが思い描く『海未ちゃん』は既にいなくなって、代わりに乙姫の『海未ちゃん』が存在するから」

希「生まれ変わった時点で、海未ちゃんは別の存在になって、その事実に気付く者はいない」

希「海未ちゃんを乙姫にした、ウチと凛ちゃん以外はね」

海未「……………………何故…………そのようなこと…………言うのですか……」

凛「本当のことだからだよ」

希「勿論言わないつもりやった。人間だった事実は一生隠すつもりやった」

凛「でも、海未ちゃんが余りに悲しんでて、可哀想だったから、決めたの」

希「ウチらも遂に、大切な人を手離さないといけないんや、ってね」

海未「…………もし……そうだとしても…………話が、全て、真実だとしても……」

海未「何故……何故今なのですかっ!」

海未「ことりが去ってもう百年経ちました! 百年っ!」

海未「龍宮城での百年が陸で何倍になるのか…………ことりは……最早生きていませんっ!」

海未「だから思い出したくなかったのに……! 思い出したところで、二度と会えないのに……!」

海未「遅すぎるんです! 今になって全てを知ったところで、何もできないんですっ!」

海未「もう、やめてください……思い出すだけでも辛いんです……」

海未「思い出せば、二度と会えない現実を突きつけられるようで……その上、元はことりと共に生きていたなどと……」

海未「ことりを思っても、もう、何の、意味も…………ことり…………ぅぁぁぁぁ……!」

希「……こういうところが、やっぱり乙姫として完全じゃなかったんやね」

凛「人間の記憶を忘れたつもりでも、変な風に残ってるんだもんね」

海未「…………何の話をしているのです」

凛「海未ちゃん、龍宮城で過ごした時間が陸では何倍にも長くなる、って思ってるよね」

凛「どこでそんな話聞いたの?」

海未「……だって……そういう話だと……」

希「それさ、陸に伝わる御伽噺の内容やろ?」

希「確か、陸に戻った人間は龍宮城で過ごした時間よりずっと早く時が流れていたことに驚いて、絶望して玉手箱とかいうお土産を……だったかな」

凛「ホントはね、逆なんだよ。陸の時間に比べて、龍宮城は百倍くらい時間の流れが早いの」

海未「…………本当に?」

希「やっぱり勘違いしとったやん。こうしてみると、人間だった頃の名残を消したとはとても言えへんわ」

凛「乙姫になってからも海未ちゃんって人間みたいなことよく言ってたもんねー」

希「まあそんなわけやから、ことりちゃんは、少なくとも寿命では生きとるはずだよ」

凛「後は、龍宮城に来る前と同じように、海未ちゃんのことを待ってくれてるかどうかじゃない?」

希「待ってくれてるって信じられるなら……海未ちゃんは、陸に帰るべきだよ」

凛「説明も大分できたし、海未ちゃんそろそろ人間に戻ろっか」

希「元通りにしてあげたら今の話も全部本当だってわかるやろ」

凛「本当は手離したくはないし、今まで手離せなかったけど……しょうがないよね」

希「ウチらの愛だって本物やから」

凛「恋した人が悲しんでるの、見たくないもん」


 二人が私に近付き、屈み込む私の頭の辺りに手を翳してきた。

 不穏な予感が過った。
 これはきっと……二人にとって……。


海未「……や、やめ、やめてください」

希「大丈夫だよ海未ちゃん。もう決めたから」

海未「だ、駄目です、何か、これは…………二人が悲しみます」

凛「……ありがとね、凛たちのこと心配してくれて」

希「せやけど、いくら見続けたくったって、夢の時間はおしまいなん」

凛「海未ちゃん……凛たちと一緒に、夢から覚めよう?」


 脳裏で閃光が弾けた。
 一瞬意識を失い、すぐに取り戻し……私は、目が覚めた。

海未「あ…………」


 蘇る。
 呆気ない程簡単に、過去の記憶が、次々と蘇ってくる。


凛「これで元通りだね」

希「もう思い出せたやろ?」

海未「…………私……私は……」

凛「海未ちゃんは、人間だよ」

凛「龍宮城……恋宮殿にお客様としてやってきた海未ちゃんを、凛と希ちゃんで乙姫にしたの」

海未「人間……私が……」

希「大丈夫、落ち着いて。すぐに思い出すから」

海未「…………はい…………思い出しました……」

海未「私は、ずっと前に、ここにやってきました」

海未「海に潜った人間として……招かれたんです……!」

凛「うん、そうだよ」

希「思い出せたね……良かった……本当に」

海未「本当…………だったんですね…………」

海未「今の話、全てが、真実……」


 手を掲げ、まじまじと見つめる。
 変わったところは何一つない。
 けれど、人間と乙姫の見た目が同じであっても違いがわかるように……別の存在に生まれ変わっていた。

 私は……人間だ。


海未「私は、生まれついての乙姫ではなかった……」

希「そうだよ。だからこそ、ウチらにできることができなくても、ウチらにはできないことが海未ちゃんにはできた」

凛「乙姫なのに、恋したことりちゃんの為に手離すことができたんだもんね」

希「本当に凄いよ……ウチらじゃ考えられへん」

凛「でも、海未ちゃんは特別だから……特別な乙姫で、特別な人間だもん」

海未「人間……私は、人間」

海未「私は人間として、陸で暮らしていたんです……そう、ことりと共に」

海未「かつて、私は、陸でことりと共に暮らしていました」

希「うん」

海未「貧しいけれど、幸せで……ことりと一緒なら、満たされていて……」

凛「うん」

海未「ですがあの日……ことりが、私を……私はことりに嫌われ、見捨てられたと……」

海未「ことりが居ない人生なんて生きる意味などなくて……だから、衝動的に海に……」

希「ショックやったんやね。表面的な言葉と態度だけでも、大切な人から拒絶されて」

凛「でも、ことりちゃんだって本気じゃなかったし、海未ちゃんに酷いこと言ったってずっと後悔してたんでしょ?」

希「後悔してなかったら、海未ちゃんの帰りを待ち続けたりしないもんね」

凛「海未ちゃんのことを好きでい続けたから、凛や希ちゃんの誘惑に負けなかったんだよ」

海未「……ことり……私を、待ってくれていた……ずっと……」

凛「まだ間に合うはずだよ。だって、ほら」


 私が胸に抱き続けていた青い着物を凛は指差した。
 ここに、ことりの名残がある。


希「ことりちゃんは今でもずっと、海未ちゃんのことを思ってるんや」

凛「行こう、海未ちゃん」

希「陸に帰ろう、海未ちゃん」


 凛と希は片手ずつ私の手をを取って、ゆっくりと立ち上がらせた。
 二人に手を引かれて、私は歩き出す。


凛「……許してもらえることじゃないけど、ちゃんと謝るね」

凛「凛たちの勝手で、海未ちゃんを乙姫にして、ごめんね」

凛「手離せなくってごめんね……」

希「そういうものやってこっちが割り切ったつもりでも、相手にとってはただの開き直りやからね」

希「本当しょうもないことをした……取り返しがつかないから、謝るしかできひん」

希「ごめんね、海未ちゃん……本当にごめんね」

海未「凛……希……」

凛「ごめんなさい……!」

希「ホントに、ごめん……!」


 私を先導する二人の乙姫は、静かに涙を流していた。
 惜別を哀れんでいるのか、悔恨に苦しんでいるのか、定かではない。

 ただ、二人が泣く姿を前に、私は一切責める気は起きず、胸には愛おしさだけが募った。

海未「泣かないでください、どうか、二人とも」

凛「だってっ……ぅぅ……」

希「ウチら、海未ちゃんに……酷いことして……っ」

海未「私は……感謝しています」

海未「本当なら、ことりから逃げた弱い私は、海に潜って既に死んでいました」

海未「ですが二人が私を呼んでくれたから、私は龍宮城に辿り着けました」

海未「二人が私に恋してくれて、乙姫として命を与えてくれたから、私は命尽きることなく今まで生きていました」

海未「二人のお陰で、私はもう一度、愛する人に巡り合えたんです」

海未「ありがとうございます…………凛、希……ありがとう……!」

凛「……うぅっ…………海未ちゃん……っ!」

希「海未、ちゃ…………ぅぅぅ……っ!」

海未「光栄に思います。二人のような素敵なヒトから愛して貰えたこと」

海未「離れ離れになっても忘れません。二人と過ごした日々を。二人の乙姫のことを」

 ゆっくり、ゆっくり、宮殿内を進む。
 凛と希、二人の乙姫と歩調を合わせて。
 ここで暮らした日々を懐かしみながら、思い出たちに心で別れを告げる。

 玄関から外に出て、正面門扉に向かう。
 門扉の前には、陸との移動役を担う大亀が既に控えていた。
 それだけではない。


海未「みんな……!」


 龍宮城を囲む塀の外、海水が支配する領域に、何百もの住人たちが浮かんでいた。


凛「みんな海未ちゃんを見送りにきたんだよ」

海未「まったく、誰が伝えたのやら。普段からこうして迅速に動いてくれれば指導する私も楽でしたのに」

希「最後までお小言? ちょっとくらい許してあげてよ」

海未「……ええ。最後ですから、特別です」


 私を見送る為に集ってくれた全員が、私の大切な仲間たち。
 あなた方に見送られ、私は元居た世界に帰ります。

 正面門扉に辿り着いた私は、凛と希に支えられながら大亀の背に跨った。
 二人の指示で、大亀はふわりと浮かび上がり、陸へと旅立つ。


海未「……一つ、聞いてもいいでしょうか」

希「なあに? 最後の質問になるんだから変な事聞かないでよ?」

海未「二人は私に恋をしてくれたと言いました。ですが今、恋した私を手離そうとしています」

海未「何故、出来るのですか? 乙姫なら……生粋の乙姫である二人には、絶対に無理なはずでしょう?」

凛「んーとねー……」


 二人はしばし考え込んだ後、互いに視線を合わせると、ひしと抱き合った。


凛「海未ちゃんとお別れするって決めた時に思ったの。希ちゃんとは絶対に離れられないって」

希「ウチには凛ちゃんがいて、凛ちゃんにはウチがおるから、ギリギリ耐えられるんやないかな」

凛「だって凛たち乙姫姉妹だもん! 海未ちゃんがいない分、今までよりもーっと一緒にいるんだからっ!」

希「仲間外れになったからって後悔しても遅いよ!」

海未「……ふふっ、よくわかりました」

 最後に、凛、希、二人と視線をしっかりと合わせた。
 長く、人間である限り経験できない程の時間を共に過ごした相手、最早言葉にせずとも思いは伝わる。

 私を乗せた大亀が正面門扉を潜り、海の中を浮かんでゆく。
 長きに渡り身を寄せた龍宮城から去る時がきた。
 旅立ちであり、別れであり……帰郷でもある。


凛「大丈夫だよ、きっとことりちゃんは海未ちゃんのこと待ってるから!」

希「人間に戻った海未ちゃんの姿を見れば、ことりちゃんも全部認識できるようになるから、安心して」

凛「ことりちゃんによろしくね! まだ大好きだよーって!」

希「海未ちゃんと同じくらいにね!」

海未「ええ、必ず伝えておきます!」

凛「ばいばい海未ちゃん! 元気でね!」

希「さよなら! ことりちゃんと幸せになるんよ!」

海未「さようなら! 大切な日々をありがとう! 凛! 希! さようなら!」

 大亀が私を高くへと運び、龍宮城から離れてゆく。
 長年過ごしていた宮殿が遠のいて、凛と希の姿が小さくなる。

 声が届く限り別れを告げた。
 声が届かなくなっても手を振り続けた。

 海中には沢山の住人が居並び、浮上してゆく私を見守ってくれている。
 彼ら彼女らにも別れを告げた。


海未(帰りましょう……私が本当にいるべき世界に)

海未(私をずっと待ってくれている人の下に)


 不安は多い。
 けれど、凛と希が大丈夫と言ってくれたから、きっと大丈夫。


海未(ありがとう、宮殿のみんな……)

海未(ありがとう……凛……希……)

海未(あなたたちを忘れません。素敵な日々の思い出をこれからもずっと胸に抱いて、私は生きていきます)

海未(……さようなら。お元気で)


―――
―――――


 海を、見ている。

 激しく荒れる日も、静かに漂う日も、ずっと海を見続けていた。
 その向こうから、いつか帰ってくることを信じて。


ことり(私は、待っている)

ことり(例えあなたが帰ってこなくても、いつまでも)


 何日も何日も一人で待つのは辛いけど、私は耐えることができる。
 私が陸で待つことを許し、自身の本音を堪えて、私の為に全てを捧げてくれたヒトがいたから。


ことり(……贈り物は、届いたのかな)

ことり(贈るかどうかずっと迷って、覚悟を決めて、綺麗な色を作るのに時間かかって……)

ことり(届け方もわからないから、せめて届くようにって、海に流して……)

ことり(……きっと、届いたよね)


 あれから、一年が経った。

 もう会うことはできないくらい遠くにいても、大切な存在がそこにいると知っているから、何でも信じられる。
 離れていても、私の心を支えてくれる、最愛のヒト。
 その存在を糧に強く生きて、今日も海を眺めて帰りを待っている。

ことり「…………………………………………」

ことり「…………………………………………………………」

ことり「…………………………………………………………………………あ」


 海辺に、小さく人影が見えた。

 波に足を取られないように、ゆっくりと浜辺に向かって歩いていた。
 浜に上がって、建物が並ぶこっちに向かって、ゆっくりと歩いてきていた。

 海から現れた人影は……彼女は、色鮮やかな、海色の着物を着ていた。


ことり(…………ぁぁああああ)


 その姿を見た瞬間、全ての記憶が繋がった。

 陸に帰ってから待ち人のことばかり考えていたのに、ずっとあの人の名前を思い出せず、思い出せないことに違和感さえ覚えなかった。
 あの人の名前が、今はわかる。

 陸で暮らして居た時、ずっと私を支えてくれた人。
 陸だけじゃなく、海の世界に行ってからも、私を支え続けてくれた人。

 浜辺に向かって走った。
 一秒でも早く辿り着けるよう、全力で走った。

 姿がはっきりと見えて、彼女も私を見てくれた。
 声の限り叫んだ。


ことり「海未ちゃんっっっ!!!」


 同じくらい大きな声で名前を呼んでくれた。


海未「ことりっっっ!!!!」

 私が駆け寄ると、彼女も……海未ちゃんも走り出した。
 衝突するくらい勢いが出ていても、一秒でも早く側に行きたくて、足を緩められない。

 私たちは全力で駆け寄り、お互いの胸に飛び込んだ。


ことり「海未ちゃんっ! 海未ちゃんっ!」

海未「ことり……ことりっ!」

ことり「待ってた……ずっと待ってた……!」

海未「遅くなりました……! 帰ってきました……!」

ことり「海未ちゃん…………ああ…………海未ちゃんは、乙姫さんだったんだ……」

ことり「私が恋したのは、海未ちゃんだったんだ……!」

海未「はい。私は乙姫として生きていました」

海未「乙姫としても、ことりに恋して……ことりと結ばれることができたんです!」

ことり「海未ちゃんっ……!」

海未「また、会えました」

海未「人間として、今度こそことりと一緒になる為、帰ることができました……!」

ことり「うみちゃ…………あぁぁ……うみちゃぁん…………!」


 抱き合った私たちは膝を付き、何度も名前を呼びながら泣き続けた。
 大切な人に包まれて、これ以上ないくらい幸せを感じた。


ことり「よかった……帰ってきてくれた……」

ことり「私、酷いことして、もう帰ってきてくれないかもって、何百回も思った……」

ことり「ごめんなさい……海未ちゃん……!」

海未「私こそ、ことりに責められて辛いからと言って、ことりから逃げ出すという愚行を犯しました」

海未「本来なら二度と会うことなく、後悔さえできないはずが、もう一度謝罪する機会を得ることができた……」

海未「逃げてしまい、すみませんでした。一人残してしまって、本当にごめんなさい」

海未「こんな私をずっと待っていてくれて、ありがとうございます……!」

ことり「ううん……いいの……!」

ことり「帰ってきてくれたから……何でもいいの……!」

ことり「私をずっと……陸でも、海でも、海未ちゃんはいつでも助けてくれた……!」

ことり「ありがとう……ありがとう、海未ちゃん……ありがとう……!」

海未「ことり……私を好きになってくれて、ありがとうございます……!」

海未「ことりを愛しています……! もう、今度こそ、絶対に離しません……!」

 後になって海未ちゃんと話した。
 乙姫は恋した相手を手離せないって言うけど……それは私たち人間だって同じだよね。
 本当に心から恋をしたなら、絶対に離したくない、離さないって、私たちは思うから。


ことり「これからはずっと一緒だよ、海未ちゃん……!」

海未「はい……! もう二度と離れません!」

ことり「離さないでね……! 私も海未ちゃんと、一生離れないから……!」

海未「離しません……! ことりのことを、いつまでも……!」


 いつまでも抱き合って、互いの温もりを感じていた。
 一度は手離してしまった大切なものを、今度こそ離さないように。

 手離す恐怖も、側に居られる幸福も、私たちは骨の髄まで味わった。
 もう何があっても、私たちは離れることはない。
 いつどんな時も、私の手は、海未ちゃんと繋がっている。

 私はこの先の長い人生を、大切な人と……海未ちゃんと、いつまでも一緒に、生きていく。

―――――
―――



 海に面したこの地域には、ずっと昔からこんな言い伝えがあるんよ。


『海底の宮殿では 人間が訪れるのを 乙姫姉妹が待っている』


 海底には龍宮城っていう楽園があって、そこを目指した人間たちは沢山海に潜るんやけど、誰一人として陸には帰らず…………あれ?


 違うにゃー! 
 陸に帰った人間はいたじゃん!


 そうやった、ついうっかり。
 とまあ、言い伝えとか御伽噺にありがちな逸話の食い違いはあるけど、龍宮城があるんはホンマなん。


 興味があったら海に潜ってみてもいいかもねー。
 海底の楽園を望む気持ちがあったら、龍宮城に招かれるはずだよ!


 だから、いつの日かあなたが来てくれたら……。



希「ウチらの乙姫心《オトヒメハート》で!」

凛「恋宮殿《ラブキュウデン》の虜にしちゃうよっ!」





おわり

終了です
呼んで頂けたみなさんありがとうございました

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