ことり「白いアネモネ」 (62)


子どものころ、よく、三人で本を読みました。
穂乃果ちゃんは、愉快な話が好きでした。
海未ちゃんは、勇敢な話が好きでした。
わたしは、恋の話が好きでした。
おませさんな子だったのです。

―――――――――――

ことり「うみちゃん、このおはなし、よんで!」

海未 「ことりのほうが、よむの、じょうずじゃないですか」

ことり「このおはなしは、カッコいいうみちゃんがよむのがいいの!
    ほのかちゃんも、そうおもうよね?
    ……あ、ほのかちゃん、ねてる。
    いつも、このおはなしをするときには、ねちゃうんだね」

海未 「ほのかには、まだ、こいのはなしは、たいくつみたいですね」

ことり「うみちゃんも、たいくつ?
    ことり、わがままかな?」

海未 「いいえ。
    ハレンチなおはなしはこまりますけど、
    このおはなしは、ハレンチなところがないから、すきです」

ことり「じゃあ、よんで!
    ことりのおねがーい」

海未 「ことりに、そういわれると、ことわれないですね。
    それじゃあ、よみますよ。
    『白いアネモネ』」


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お話の中に出てくるのは、白いアネモネと、アポロという蝶々。
白いアネモネは、美しいアポロのことが好きでした。
だから、アポロが自分の蜜を吸いにくるたびに、こう尋ねるのです。

「あたしがあなたを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?」

でも、いつもアポロは、つれない態度。

「いいや、そんなことはないよ」

どんなにつれない態度をとられても、アネモネは、アポロに好かれていると信じていました。
しかし結局、アネモネの恋が叶うことはありませんでした。
そしてある日、アネモネの花は、虫取り網に追いかけられるアポロをかくまって、散りました。
彼女が散ったあと、アネモネの花壇からは、風にのって、こんな声がそよぐようになりました。

「あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ」

幼い海未ちゃんと私は、穂乃果ちゃんが起きるのを待つあいだ、よく、アネモネごっこをしました。
アポロ役は海未ちゃん。
アネモネ役は、わたし。

ことり「ねえ、アポロさん」

海未 「何かな、アネモネちゃん」

ことり「あたしがあなたを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?」

海未 「いいや、そんなことはないよ」

ことり「……あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ」

幼いわたしは、この台詞を言うときに、いつも泣きました。
子どもなりに、アネモネの失恋のことを思って、悲しくなったのでしょう。
すると、優しい海未ちゃんは、いつもあわてて、わたしを慰めてくれました。

海未 「わああ! ことり、泣かないでください!
    これはお芝居ですよ!
    ほんとは、わたし、ことりのことが、だーいすきですよ!」

それを聞くと、わたしは泣きやむことができました。
アネモネに共感しているといっても、やはりわたしは、まだ子どもだったのです。

ことり「わーい、うみちゃん、ありがとう!
    ことりも、うみちゃんのこと、だーいすきだよ!」

海未 「それじゃあ、ほのかをおこして、みんなで、おそとにあそびにいきましょうか」

ことり「うん!」

―――――――――――――

さて、高校生になった今、私たちが何をしているのかというと……

【放課後、音ノ木坂学院、部室】

ことり「ねえ海未ちゃん、またあれやって、あれ!」

海未 「いや、勘弁してくださいよ……
    恥ずかしいですよ。
    誰かに見られたら誤解されちゃうじゃないですか」

ことり「部活の後にラブストーリーを演じることで、疲れが癒える気がするの。
    ことりのおねがーい」

海未 「……子どもの頃から、いつもそうです。
    ことりにそう言われると、断れないですね」

そう、今でも私たちは、ときどきアネモネごっこをするのです。

ことり「ねえ、アポロさん」

海未 「何かな、アネモネちゃん」

ことり「あたしがあなたを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?」

海未 「いいや、そんなことはないよ」

ことり「……あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ。
    うう、さめざめ……」

海未 「ことり、小さいころは素直に泣いていたのに、今ではすっかり泣き真似が上手くなりましたね。
    でもそんな芝居には、乗せられませんよ。
    ていうか『さめざめ』って声を出して泣く人なんて、いませんからね」

ことり「さめざめ……」

海未 「うう……降参です。
    ことり、これはお芝居ですよ」

ことり「じゃあ、海未ちゃんは、わたしのこと、どう思ってるの?」

海未 「私は、ことりのことが、だーいすきです!」

絵里 「こんちは! かしこい、かわい……
    ごめんなさい、お邪魔しました」

海未 「わああ、絵里!
    今のは、違うんです、これは……」

ことり「え? 違うの?
    海未ちゃん、お芝居じゃないって言ってくれたじゃない!
    ひどーい、アポロさん、私のアネモネハートを弄んだのね!」

海未 「あわわ」

絵里 「事態は紛糾しているのね。
    コンガラガリーチカなのね。
    海未、あなたがモテモテなのは承知してるけど、想い人のことりを泣かせちゃだめよ。
    それじゃエリチカは、馬に蹴られないうちに、おうちに……」

海未 「こら、絵里、そんなニヤけた顔して……
    このこと、皆に言いふらすつもりですね?
    嘘の恋路とはいえ、そんなふうに茶化してると、ほんとに馬に蹴られますよ?」

ことり「嘘の恋路? ひどいわ!
    アポロさん、可憐な白い花に何てことを……」

海未 「あわわ」

穂乃果「こんちは!
    海未ちゃん、ことりちゃん、そろそろ帰ろうよ!」

絵里 「あ、穂乃果、ちょうどいいところに来てくれたわ。
    今、あなたの幼なじみの二人が、神聖なるミューズのおわします部室でチワゲンカを……」

穂乃果「あー、いーけないんだー、いーけないんだー!
    海未ちゃんが、ことりちゃんを泣かしてる!
    せーんせいにー、いってやろー。
    りーじちょーに、いってやろー」

海未 「わああ、理事長に言うのは勘弁してください!
    叱られるならまだしも、たぶん、からかわれるから……
    ていうか穂乃果、知ってるでしょ?
    これは子どもの頃からやってる、アネモネごっこですよ」

穂乃果「アネモネごっこか。
    でも私、その遊びのときはいつも寝てたから、よく分かんないんだよね」

絵里 「海未、そうやって口から出任せを言うのは、プレイボーイの常套手段よ。
    ねえ、ことり。
    ほんとは、何をしていたの?」

ことり「えへへ、海未ちゃんがかわいそうになってきたから、タネあかしをするね。
    アネモネごっこは、たしかにお芝居だよ。
    お芝居で、海未ちゃんに、私のことをフる蝶々の役を演じてもらったの」

絵里 「でも、何のために?」

ことり「うーん。
    しいて言うなら、失恋の練習のためかな」

絵里 「子どものころから、何度も、失恋の練習をしてるの?」

ことり「うん、そうだよ。
    備えあれば憂いなし。
    事前にきちんと準備をしておけば、失恋という大きな憂いからも、軽やかに立ち直れるというものだよ」

【その日の帰り道】

穂乃果「ねえねえ、ことりちゃん。
    この前貸してくれた少女漫画、読んでみたんだけど、まだ私にはよく分からないよ。
    恋って、何?」

ことり「誰かのことを、好きになることだよ」

穂乃果「でも、私、ことりちゃんのことも、海未ちゃんのことも、だーいすきだよ。
    μ’sのみんなのことも、家族のことも。
    その「だーいすき」は、ぜんぶ恋なの?」

ことり「うーん、どうかな。
    ただ好きなんじゃなくて、ずっと一緒にいたいと思うこと、かな」

穂乃果「それでも、やっぱり分からないよ。
    だって私、大好きなみんなと、できればずっと一緒にいたいもん」

ことり「そうだね。
    でも、『ずっと一緒にいたい』という気もちにも、色んな意味があるよね。
    たぶん、恋人どうしの『ずっと一緒にいたい』の気もちは、ほかの場合とは、ちょっと違うの」

穂乃果「どんなふうに、違うの?」

ことり「別々でいるのが辛くなるくらいに、焦がれてしまうの」

穂乃果「コガレル?」

ことり「うん、そうだよ。
    胸こがる。
    胸が焦げちゃうくらい、カーッと熱くなるの。」
    そんなふうに焦がれるあまり、そうだな……『チューしたい』とか考えちゃうの」

穂乃果「ふーん。そんなに胸が熱くなるのか。
    今の私には、まだ、よくわからないな。
    でも、恋するとチューしたくなるということは、逆に、チューすると恋した気分になれるかも。
    そんなわけで、海未ちゃん、ちょっとチューしてみてもいい?」

海未 「ちょ、穂乃果、その理屈はおかしいですよ!
    そもそも、チュー……いや、接吻はハレンチです!」

穂乃果「海未ちゃんは、ハレンチな話が苦手だね。
    でも、せめてチューくらい許容しないと、少女漫画読めないよ?」

海未 「いいんです。私は、少女漫画読まなくても。
    今のところは、ハレンチじゃない恋の話だけで、じゅうぶんです」

穂乃果「例えば、どんなお話?」

海未 「『白いアネモネ』です」

穂乃果「子どものころ、何度聞いても眠くなった話だ……
    ねえ海未ちゃん、そろそろ私にも理解できると思うから、お話ししてほしいな!」

ことり「わたしも、また昔みたいに、聞きたいな!」

海未 「いいですよ。
    小さい頃から、ことりに何度もせがまれて、もうすっかり覚えてしまいましたからね」

こうして私たちは、海未ちゃんから、アポロくんとアネモネちゃんの物語を聞かせてもらいました。

穂乃果「なるほど、そんなお話だったのか。
    今あらためて聞くと、とてもガンチクぶかい話のような気がするよ。
    ねえねえ海未ちゃん、ことりちゃん。
    このお話は、恋のお話なの?」

海未 「そうですね。恋の話と言えるでしょうね。
    でも、それと同じくらい……」

穂乃果「同じくらい?」

ことり「それと同じくらい、失恋の話でもあるの」

穂乃果「シツレン、か。
    恋のことは、さっきのお話で少しだけ分かったけど、失恋については、まだぜんぜん分からないよ。
    失恋って、いったい何なのかな?」

ことり「恋してる人は、白いアネモネちゃんみたいに、こう言うわけだね。
    『あたし、あなたのことが好きよ』って」

海未 「ただし、それだけでは、アネモネちゃんの恋は成就しないんです。
    だからアネモネちゃんは、アポロくんに、こんなふうに訊いたわけですね。
    『あたしがあなたのことを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?』って。
    告白するときには、好きだと言うだけじゃなくて、好きかと訊かなくちゃいけないんです」

ことり「一言でいうと、『好きですが好きですか?』というわけだね」

穂乃果「うーん、なかなか難しいんだね。
    それで、アポロくんがイエスと言ってくれれば、恋が叶うわけだね。
    じゃあ、アポロくんがノーと言うときには、恋が失われるのかな?」

ことり「うん、失恋というくらいだから、恋心が失われることもあるかもね。
    でも、いつもそうとは限らないよ。
    中には、恋心を失わずに失恋するひともいるの」

穂乃果「どういうこと?」

ことり「たとえば、アネモネちゃんが、そうだったの。
    アネモネちゃんは、ずっと、
    『あたしがあなたのことを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?』って期待してたんだけど、
    やがて気づくことになるの。
    自分が相手を好きだからといって、相手も自分を好きだとはかぎらないんだ、って」

穂乃果「それでもアネモネちゃんは、アポロくんのことが好きだったんだね」

ことり「そうだね。
    だから、アネモネちゃんは、あんな言葉を残したんだね。
    『あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ』って」

すると、海未ちゃんが、誰に尋ねるともなく、言いました。

海未 「叶わなかった恋心は、どうなるんでしょうね。
    行き場のない胸の焦がれは、どうなるんでしょうね」

風が吹いて、さらさらと街路樹が揺れました。
わたしは、その様子を眺めながら言いました。

ことり「アネモネちゃんの恋心のように、言葉になって、風にそよいで、遠くに運ばれていくんだよ」

海未 「遠くに?」

ことり「そう、遠くに。
    アネモネちゃんの胸の焦がれは、遠くへの憧れに変わるの。
    たとえ、憧れの向かう先に、もうアポロくんがいなくてもね」

【その日の夜、南家、居間】

理事長「ことり、この前の話、ちゃんと考えてくれてる?」

ことり「うん。お母さん。
    わたしなりに、考えてるつもり。
    でも、まだ、迷ってるの。
    確かに、デザイナーになるのは、子どものころからの憧れだったよ。
    でも……」

理事長「憧れを叶えるために、遠くに行くのは、辛い?」

ことり「ううん。
    ちゃんと、やるべきことをやった上で、行きたいと思ってるの」

理事長「やるべきこと?」

ことり「高校で、μ’sのみんなと、最後まで一つのことをやり遂げること。
    それが終わったあと、大学に行ってから、留学したいと思ってるの」

理事長「ええ、私も、それはいい考えだと思うわ」

ことり「でも、まだ、お母さんの知り合いの人に、返事を伝えるのは待ってくれないかな?」

理事長「ほかにまだ、やるべきことがあるの?」

ことり「うん。言わなきゃいけないことがあるの」

理事長「お別れの言葉?
    それはまだ、ずっと先のことなんだから、今から言わなくてもいいんじゃない?」

ことり「ううん、お別れの言葉じゃないよ。
    ほかに、まだ、子どものころから練習していた言葉があるの」

理事長「……分かった。知り合いには、まだ返事を保留しておくわね。
    大丈夫よ。時間はたくさんあるから。
    後悔のないようにね」

【数日後、穂乃果の家】

穂乃果「ようこそ、みなさん!
    さあ、あがってあがって!」

希  「お邪魔します。
    ごめんな、穂乃果ちゃん。
    大勢で押しかけてしまって」

穂乃果「希ちゃん、そんな遠慮しないで。
    たまにはこうやって、みんなで遊ぶのも、いいと思わない?」

希  「せやね。ありがとう。
    ところで今日は、何をするのかな?」

ことり「ふふふ。
    みんなで、海未ちゃんの作詞のお手伝いも兼ねて、映画鑑賞会だよ」

にこ 「映画? どんな映画を見るの?」

ことり「恋愛映画だよ。
    恋心の何たるかを知らないと、ラブソングの作詞もできないからね」

海未 「え、私は初耳ですよ?
    配慮してもらえるのはありがたいですが、恋愛映画は勘弁してください!
    友人の家でハレンチなDVDの鑑賞だなんて、いかがわしいです!
    不純同性交友です!」

真姫 「海未、誤解を招く言い方をしちゃだめよ。
    ところでことり、DVDは誰が調達するの?」

ことり「自他ともに認める少女漫画マイスターのかよちゃんと、
    μ’sのセクシー担当を自称する絵里ちゃんに選んできてもらう予定だよ」

凛  「あ、絵里ちゃんとかよちんが来たよ!
    おーい、ふたりとも、何を借りてきたの?」

花陽 「すてきなラブストーリーだよ!」

絵里 「恋のメタファーに溢れた、すばらしい映画よ。
    思春期の少女が見る風景は、すべて恋の物語なのよ」

そんなわけで、私たちは、DVD鑑賞会を始めました。
凛ちゃんと穂乃果ちゃんは、映画が始まるとすぐ、ふたり仲良く寝てしましました。
真姫ちゃんと希ちゃんとにこちゃんは、一歩下がって、ほむまんを食べながら、映画を鑑賞しています。

にこ 「あいつら、何してるのよ」

希  「恋愛映画好きの三人やからね。
    近くで見たいんじゃないかな?」

真姫 「でも、どうして海未も混じってるの?
    一見、そういうのが好きなようには見えないけど」

希  「真姫ちゃん、よく見てごらん。
    海未ちゃんは、三人に押さえつけられて、解説を聞かされてるんだよ」

にこ 「頭にかぶった座布団まで剥がされて……海未、哀れね」

絵里 「ほら、海未。
    目を逸らさずに、よく見て。
    画面の端に見えるあの二つの山は、きっと、おっぱ……」

海未 「ひいい!」

ことり「絵里ちゃん、深読みしすぎだよ。
    さすがにアレは、ソレのメタファーではないよ」

絵里 「そうかしら、ことり。
    でも、どこかのエロい……じゃなかった、エラい人も言っているわ。
    私たちの生は、アレなのよ。
    いわゆる、ヰタ・セクスアリスなのよ」

花陽 「絵里ちゃん、もうちょっときれいな眼鏡で見るべきだよ。
    いくらなんでも、山のアレがソレをナニしてるというのは、穿った見方だよ。
    それより見るべきなのは、ふたりの男女のプラトニックな心情描写だよ」

絵里 「花陽、あなたは清らかな眼鏡をかけているのね。
    でも残念ながら、私の見たてによれば、あのテーブルの上の二つの林檎も、おそらく、おっぱ……」

海未 「ひいい!」

ことり「絵里ちゃん、林檎のソレがナニをアレしてるというのは、さすがに言い過ぎだよ。
    それより、本筋に集中しようよ。
    ほら、キスシーンが始まるよ、海未ちゃん……わあ、海未ちゃん、暴れないで!」

海未 「ハ、ハレンチです!」

海未ちゃんは、私たち三人の手を振りほどくと、キスシーンの途中で停止ボタンを押してしまいました。

花陽 「ああ……」

ことり「怖い映画じゃないのに……」

絵里 「そうよ、こんな感動的なシーンなのに……」

結局、その日は、キスシーンを見ることができないまま、おひらきになりました。

帰り際、玄関の前で、わたしは穂乃果ちゃんと言葉を交わしました。

ことり「穂乃果ちゃん、今日はありがとう!
    ねえ穂乃果ちゃん、今日の恋愛映画、面白かった?」

穂乃果「えへへ、ステキな映画だとは思うけど、私には、まだよくわからないよ。
    ねえねえ、ことりちゃん。
    どうして海未ちゃんに、恋愛について教えようとしてるの?」

ことり「海未ちゃんの作詞家としての才能を開花させようと思ってね」

穂乃果ちゃんが、嬉しそうに笑って、言いました。

穂乃果「そうだね。
    私も、海未ちゃんの才能、すごいなって思ってるんだよ。
    でも……ことりちゃん、それだけじゃないでしょ?
    小さいころから、ことりちゃん、ずっと考えてることがあるんでしょ?」

ことり「えへへ、穂乃果ちゃんは、眠ってるふりしてたけど、何でもお見とおしなんだね。
    そうだよ。
    わたし、海未ちゃんに、いつか、言わなきゃいけないことがあるの。
    だから、そのための準備を、海未ちゃんにも、しておいてほしいの」

【その日の帰り道】

ことり「ねえねえ、海未ちゃん」

海未 「何ですか、ことり」

ことり「わたし、海未ちゃんのことが好きだよ」

海未 「ありがとうございます」

ことり「わたしが海未ちゃんのことを好きなように、海未ちゃんはわたしのことが好き?」

海未 「好きですよ」

ことり「友達として?」

海未 「友達として」

ことり「ふうん」

海未 「いきなり、どうしたんですか?」

ことり「まだ、早いかな」

海未 「早い? 
    何が早いのですか?」

ことり「言わなきゃいけない言葉を伝えること」

【数日後の放課後、音楽室】

海未 「どうしたんですか、ことり。
    練習が終わったあとに、音楽室に呼び出したりして」

ことり「映画の次は、音楽から恋愛を学ぼうと思ってね。
    とはいえ、そう頻繁にみんなに集まってもらうわけにはいかないから、
    今日のメンバーは、穂乃果ちゃんと海未ちゃんと私と、それから、特別講師の先生」

穂乃果「特別講師? 誰が来てくれるの?」

真姫 「音楽と恋愛といえばこの私、マッキーよ」

穂乃果「ヒューヒュー!
    マッキー、カッコいいよー!
    じゃあ今日は、真姫ちゃんの豊富な恋愛経験について聞けるというわけだね」

真姫 「そんなわけないでしょ。
    あなたたちと同じで、彼氏いない歴イコール年齢なんだから」

穂乃果「じゃあ、何を話してくれるの?」

真姫 「クラシックから恋愛を学ぶのよ」

穂乃果「ヒューヒュー!
    文化的なマッキーも、カッコいいよー!」

真姫 「えへへ」

そして真姫ちゃんが、きれいな曲を、ピアノで聴かせてくれました。
そして、外国の言葉で、きれいな歌を歌ってくれました。

ことり「ありがとう、真姫ちゃん。
    これは、何ていう曲なのかな?」

真姫 「モーツァルトの『すみれ』という歌曲よ」

海未 「今歌ってくれた歌詞は、どういう意味なのですか?」

真姫 「ある有名な詩を、そのまま歌詞にしてるの。
    牧場に咲く、可憐なスミレの恋の物語よ」

穂乃果「スミレさんは、誰に恋をしたの?」

真姫 「羊飼いの、かわいこちゃんよ。
    彼女に摘まれて、四半刻でもいいから、その胸に抱かれたいと思ったの」

ことり「その恋心は、叶ったの?」

真姫 「残念ながら、叶わなかったわ。
    小さなスミレは、気づかれることなく、かわいこちゃんに踏まれてしまうの」

穂乃果「かわいそうな、スミレさん。
    悲しかっただろうね」

真姫 「そうね。悲しかったと思うわ。
    でも、それと同じくらい、嬉しかったらしいの」

海未 「嬉しい?
    なぜ、踏まれて喜ぶのですか?」

真姫 「えーと、その……
    かわいこちゃんに踏まれるなら本望だ、と思って……」

穂乃果「ははーん、わかったよ。
    スミレさんは、ヘンタイさんなんだね」

真姫 「違うわよ!
    もっとこう、スミレさんの詩的な熱情を理解してあげなさいよ!」

海未 「えーと、ちょっと倒錯的なところもありますけど……
    これは、失恋についての歌なのですね」

穂乃果「失恋というのは、要するに、踏まれる喜びなの?
    失恋した詩人は、ヘンタイさんと紙一重なの?
    私には、よくわからないよ。
    ……そうだ! ねえ真姫ちゃん、ためしに私のこと、踏んでみてよ!」

真姫 「うええ?」

穂乃果「失恋した人は、踏まれて喜ぶ。
    ということは、踏まれて喜べば、失恋した人と同じ気持ちになれるかもしれないよ」

海未 「いや穂乃果、その理屈はちょっとおかしいですよ」

穂乃果「ほら、海未ちゃんも一緒に踏まれてみようよ!」

海未 「私は遠慮しときます!」

穂乃果「じゃあ私だけでいいから!
    あれー、真姫ちゃん、できないんだあ?」

真姫 「できるわよ、そこまで言うなら、やってやろーじゃない! ……とでも言うと思ったか!
    女性の体はデリケートなのよ!
    踏みつけるなんて、ぜったいダメなの!」

穂乃果「じゃあ男の人なら、踏んでもいいの?
    男の人は、踏まれると喜ぶの?」

ことり「それはまた別の話だよ、穂乃果ちゃん」

穂乃果「むむむ……
    それなら、軽く足を載っけるだけでいいから。
    さあ真姫ちゃん、カモン!」

ことり「あ、真姫ちゃん、わたしにもお願ーい!」

【数分後、ふたたび音楽室】

花陽 「失礼します。
    真姫ちゃん、遅くなってごめんね。
    凛ちゃんと私の用事は済んだから、私たちにもぜひクラシックを聴かせて……ぴゃあ!」

真姫 「うええ……」
   (椅子に腰掛けて、おそるおそる、穂乃果とことりの上に足を載せる)

穂乃果「Ach, das arme Veilchen!
   (ああ、かわいそうなすみれ!)」

ことり「Ach, das arme, arme Veilchen!
   (ああ、かわいそうな、かわいそうなすみれ!)」

海未 「……」

凛  「かよちーん、扉の前で立ち止まって、どうしたの?
    凛も中に入りたいよー」

花陽 「凛ちゃんは見ちゃだめ!」

海未 「……」

花陽 「う、海未ちゃん……
    これは、どういう状況なの?」

海未 「……いわゆるヰタ・セクスアリスです」

【その日の帰り道】

ことり「いやー、真姫ちゃんから足を載せられてみたら、
    失恋したスミレさんの気もちが、少しだけ分かったような気がするよ!」

穂乃果「だよね、だよねー!
    何というか、こう、悲しみの奥にかくれたヨロコビを感じられた気がする!」

海未 「二人とも、危ない悦びを感じるのは慎んでください!
    あんまり行きすぎると、ただの変態になっちゃいますよ。
    それに真姫も、怯えてましたよ。
    まきちゃんおびえて、あいうえお、ですよ」

ことり「真姫ちゃんには、明日、あらためて謝ることにしようか。
    でも、おかげで、わたしたちは、お花を通じて失恋について学ぶことができたよ。
    アネモネちゃんの失恋と、スミレさんの失恋を通じてね。
    学んだことは、どんなふうにまとめられるかな?」

穂乃果「うーん、失恋しても、フられたほうの恋心は、残り続けるということかな。
    風にそよぐ言葉として、あるいは、踏まれる喜びとして。
    後者は、ちょっと変態チックだけどね」

海未 「これで私たちは、失恋について、すっかり学んだことになるんでしょうか。
    実際に失恋するのと同じくらいのことを、追体験したことになるのでしょうか」

ことり「うーん、まだだよ。
    お花と私たちには、大きな違いがあるからね」

穂乃果「どんなふうに違うの?」

ことり「アネモネちゃんとスミレさんは、失恋したら、散ってしまうの。
    でも、わたしたちは、失恋したあとも、散らないんだよ。
    フられたあとも、新しい日々を迎えて、また笑えるようになるべきなんだよ」

海未 「それは、どこで学べるのでしょうか?」

ことり「お花で追体験できないなら、自分で実際に体験するしかないよね。
    だから、練習することはできないんだよ。
    初めてフられる人は、いつでも、ぶっつけ本番で立ち直らなきゃいけないんだよ」

穂乃果「うーん、なかなか難しいんだね。
    ……あ、いつのまにか家の前だ。
    それじゃあ、ことりちゃん、海未ちゃん、また明日!」

海未 「はい、また明日」

ことり「また明日ね、穂乃果ちゃん」

穂乃果ちゃんを見送ったあと、しばらく海未ちゃんと二人で歩きました。

ことり「ねえねえ、海未ちゃん」

海未 「何ですか、ことり」

ことり「わたし、海未ちゃんのことが好きだよ」

海未 「ありがとうございます」

ことり「わたしが海未ちゃんのことを好きなように、海未ちゃんはわたしのことが好き?」

海未 「好きですよ」

ことり「友達として?」

海未 「……友達として」

ことり「……そっか。
    ねえねえ、海未ちゃん。
    海未ちゃんはカッコいいから、後輩の子からすごく人気があるよね。
    もしファンの子から、友達とは違う意味で『好き』って言われたら、どうする?」

海未 「難しいですね。
    軽々しく求めに応じるわけにはいきませんよね。
    かといって、相手を傷つけたくはないし」

ことり「モテモテの蝶々にも、悩みがあるんだね」

海未 「よしてください。
    私はアポロくんみたいにモテモテじゃないですよ。
    ……でも、フられるほうにも立ち直る勇気が必要ですけど、きっと、フるほうにも、覚悟が必要なんでしょうね。
    相手を置いて、その場を去る覚悟が。
    アポロくんみたいに軽薄にならないためには、相手を思いやる心が必要ですからね」

ことり「それなら海未ちゃんは、安心だね。
    だって海未ちゃんは、冷たい蝶々のアポロくんと違って、とっても優しいもんね」

海未 「いいえ、私には、よくわからないです。
    フる相手を思いやる心が、十分にあるかどうか、わからないです」

ことり「じゃあ、むやみに告白されるのは、辛い?」

海未 「辛いでしょうね。
    さいわい、そんな経験は、まだありませんけどね」

ことり「……まだ、早いかな」

海未 「早い? 何が早いのですか?」

ことり「言わなきゃいけない言葉を伝えること」

【その日の夜、南家、居間】

理事長「ことり、あまり急かすつもりはないのだけど……
    留学の件、あれからどう?」

ことり「お母さん、ごめんなさい。
    もう少しだけ、待ってくれないかな?」

理事長「ええ、大丈夫よ。
    もうすぐ最終予選だから、そっちに集中してね。
    でも、残念ながら、本選が終わるまでは、待てないわ。
    遅くとも二月の終わりまでには、答えを出してほしいの」

ことり「うん、わかった」

それからわたしたちは、最終予選のための練習に励み、何とか当日を迎えました。
みんなの応援のおかげで、わたしたちは本選に進むことができました。
あわただしい日々の中で、失恋について考える機会は、少なくなりました。
とはいえ、やはり、それについて考えなくちゃいけない日もあります。

【2月14日の放課後、部室】

にこ 「久しぶりね、ことり。
    調子はどう?」

ことり「あ、にこちゃん、希ちゃん、絵里ちゃん!
    こっちの準備は、おかげさまで順調だよ。
    三人の受験の調子は、どう?」

希  「こっちも、おかげさまで、何とかなりそうだよ。
    今日は久しぶりに顔を出すついでに、チョコの差し入れに来たの」

ことり「わーい、ありがとう!
    わたしたちの作ったのも、食べてくれる?」

絵里 「ええ、もちろんよ。ありがとう」

ことり「わあ、絵里ちゃん、すごい量のチョコ!
    それぜんぶ、ファンの人からもらったの?」

絵里 「ええ、なぜこんなポンコツがモテるのか、わからないけどね。
    ありがたい話よ」

ことり「ぜんぶ手渡し?」

絵里 「いいえ。受験生ということで遠慮してもらえたみたいで、ぜんぶロッカーの中に入ってたわ」

希  「でも去年は、大変だったよね。
    絵里ちにチョコを手渡ししたい後輩の女の子が、列をつくってたもんね」

にこ 「たぶん今年は、あいつが囲まれてるんじゃないかしら?」

ことり「うん、そうなの、今日は……」

そこに、大きな紙袋を抱えた海未ちゃんが、げっそりとした様子で入ってきました。

海未 「おひさしぶりです」

希  「わー、すごいな、海未ちゃん。
    それぜんぶ、手渡しでもらったん?」

海未 「ええ。ありがたい話ですが、さすがに心労で倒れそうです」

にこ 「心労? 嬉しいだけじゃないの?」

海未 「もちろん、嬉しいことは嬉しいですよ。
    でも、返事をするときに過度な期待をもたせてはいけませんし、かといって、つれない態度をとるわけにはいきません。
    そのバランスをとるのが、難しいんです」

にこ 「ははーん。モテる人にも、辛いことがあるのね。
    でも、今日一日で、だいぶ鍛えられたんじゃない?」

海未 「どうでしょうね。
    告白のときの心の動きには、少しだけ敏感になれた気がしますけどね」

そこに、穂乃果ちゃんが嬉しそうにやって来ました。

穂乃果「海未ちゃーん! チョコを分け合おう!
    私の作ったチョコあげるから、海未ちゃんのをぜんぶ、味見させてほしいな!」

海未 「いいえ。申し訳ないですが、そういうわけにはいきません。
    私が用意した分は、もちろん、あげますよ。
    でも、私が後輩の子からもらったチョコは、一口たりとも、ほかの人にはあげません」

穂乃果ちゃんは、それを聞くと、事情を察した様子で口を開きました。

穂乃果「……あ、確かにそうだね。
    ごめんね、無理なお願いをしちゃって。
    海未ちゃん、チョコをくれた女の子の恋心を、たいせつにしたいんだね」

海未 「さすが、穂乃果です。
    わかってくれて、ありがとうございます」

そう言って海未ちゃんは、包装を傷つけないように丁寧に外すと、黙々とチョコを食べはじめました。

にこ 「ねえ海未、あんたの考えは立派だと思うわ。
    でも、あんまり無理して食べすぎないようにね」

希  「そうだよ、海未ちゃん。
    くれぐれも、体に気をつけてな」

海未 「心配してくれて、ありがとうございます。
    でも私なら、大丈夫ですよ」

わたしは、チョコを味わう海未ちゃんの目を見つめて、話しかけました。

ことり「ねえ、海未ちゃん。
    どうして、そこまでして、恋心を受け止めようと思ったの?」

海未ちゃんは、チョコを飲みこむと、わたしの目を見つめ返して言いました。

海未 「私のためにチョコを作ってくれた女の子の気もちを、想像してみたんです。
    私は恋をしたことが……ないから、うまく想像できたかどうか、わかりません。
    でも、とても大切な気もちが、分かった気がしたんです。
    だから、その気もちを、ぜんぶ受けとめたくなったんです」

ことり「もし、チョコをくれた子と、これから会うことがなくても?」

海未 「もう会うことがなくなっても、私はその子のこと、忘れません。
    だから、その子のチョコは、ぜんぶ頂きます」

ことり「えへへ、やっぱり海未ちゃんは、カッコいいな」

そろそろ、いいかな。

【その日の夜、南家、居間】

ことり「ねえ、お母さん。
    留学の件だけどね。
    前に言ってたとおり、大学に入ってから行けるように、手続きすることに決めたよ」

理事長「ええ、分かったわ。
    そのように伝えておくわね。
    言わなきゃいけないことを言う準備ができたの?」

ことり「うん」

理事長「いつから、それを言う準備をしてたの?」

ことり「小さいころから、ずっと」

今日は、海未ちゃんも疲れてるだろうから、少し日を置こう。
それからわたしは、なにくわぬ顔で、数日を過ごしました。

【数日後の夜、南家、ことりの部屋】

ことり「もしもし、穂乃果ちゃん。
    いま、お話しても大丈夫?」

穂乃果:
    うん、大丈夫だよ。
    何のお話しよっか?

ことり「大事な話、してもいい?」

穂乃果:
    ……うん。
    最近、ことりちゃんの様子がいつもと違うから、
    もしかしたら、何かあるのかなって思ってたんだ。

ことり「さすがは穂乃果ちゃん。
    何でもお見とおしなんだね」

それからわたしは、留学のことについて、詳しく話しました。
高校を卒業して大学に行ったあとで、いずれ留学するつもりだということ。
たぶん、わたしが夢を叶える場所は、海の向こうになるだろうということ。

穂乃果:
    ……うん、わかった。
    寂しいけど、私は、ことりちゃんが夢を叶えるのを応援してるからね。
    それに、すぐにお別れというわけじゃないもんね。
    これからまた、たくさん、みんなで楽しいことしようね。

ことり「ありがとう、穂乃果ちゃん。
    私、みんなのこと、だーいすきだよ。
    このことだけ、忘れないでね」

穂乃果:
    うん、ありがとう。
    私たちもみんな、ことりちゃんのこと、だーいすきだよ」

ことり「ありがとう。
    何があっても、そのことは、忘れないよ」

穂乃果:
    ねえ、ことりちゃん。
    海未ちゃんにはもう、留学のこと話したの?

ことり「ううん、まだ」

穂乃果:
    海未ちゃんに、言わなきゃいけない言葉があるんでしょ。

ことり「そうなの」

穂乃果:
    これから、海未ちゃんに電話するの?

ことり「うん」

穂乃果:
    電話を切るまで、泣かないようにね。

ことり「うん」

穂乃果ちゃんとの電話を終えたあと、わたしは一呼吸ついて、海未ちゃんに電話をかけました。

ことり「もしもし、海未ちゃん。
    いま、お話しても大丈夫?」

海未:
    はい、大丈夫ですよ。
    何のお話をしましょうか?

ことり「大事な話、してもいい?」

それからわたしは、留学のことについて、詳しく話しました。
穂乃果ちゃんに話したのと、同じことを。
そのあとすぐ、わたしは、海未ちゃんに言いました。

ことり「ねえ、海未ちゃん」

海未:
    ……何でしょう。

ことり「わたし、海未ちゃんから聴きたいお話があるんだ」

海未:
    ……何でしょう。

ことり「白いアネモネ」

【その頃、高坂家、穂乃果の部屋】

穂乃果「はい、もしもし」

絵里:
    こんばんは、穂乃果。
    今、電話しても大丈夫かしら?

穂乃果「うん、大丈夫だよ」

絵里:
    ちょっと穂乃果に、訊きたいことがあるの。

穂乃果「うん、いいよ。
    私でよければ、何でも答えるよ」

絵里:
    最近、ことりに、何かあったんじゃない?

穂乃果「うん。さすが、絵里ちゃんだね。
    この前のバレンタインデーの日に気づいたのかな?
    あの日の絵里ちゃん、あんまり喋らずに、ずっとことりちゃんのことを見てたもんね」

絵里:
    ことりは、ぎりぎりまで大切なことを自分の胸にしまっておく性格だから。
    だから、何か悩みを隠してるんじゃないかなって、思ってたの。
    どこか遠くに行くような素振りをしてたから、心配になって……
    でも、そのことを、ことりは穂乃果に話してくれたのね。

穂乃果「うん、そうなの、実は……」

絵里:
    ううん、いいわ。言わなくて。
    あなたの口調からして、それほど急を要する話じゃないみたいだから。
    私は、その日がくるまで、知らないふりをしておくから。

穂乃果「ありがとう。
    その日が近づいたら、きっとことりちゃんの口から話を聞けると思うよ」

絵里:
    それを聞いて、まずは一安心したわ。
    でも、もう一つ心配ごとがあるの。
    ことりと海未のことよ。

穂乃果「すごいね、絵里ちゃん。
    そこまで分かって、見守っててくれてたんだね」

絵里:
    いいえ、私はただのポンコツよ。
    ただ、あの日、ことりが海未に大事なことを言いたそうだったのに気づいただけ。

穂乃果「うん、それも絵里ちゃんの見立てどおりだよ。
    でも安心して。
    ちょうど今、ことりちゃんが、海未ちゃんに、それを話してると思う」

絵里:
    白いアネモネの話?

穂乃果「……いつから気づいていたの?」

絵里:
    ことりが、失恋の練習と称して、白いアネモネごっこをしてるのを見たとき。
    あの日から……いや、子どもの頃からずっと、ことりは、失恋の練習をしてたのね。

穂乃果「うん、海未ちゃんと一緒にね」

絵里:
    白いアネモネは、ことり自身だったのね。

穂乃果「ううん、絵里ちゃんの推測は鋭いけど、そこだけはちょっと違うんだ」

絵里:
    どういうこと?
    だって、いつも、アネモネ役は、ことりだったじゃない。

穂乃果「確かに、練習では、そうだったね。
    でも、本番のときは、立場が逆になるんだよ。
    白いアネモネは、ほんとうは、海未ちゃんだったの」

【その頃、南家、ことりの部屋】

海未:
    いつからことりは、気づいていたんですか。
    私がことりに恋をしているってこと」

ことり「子どものころから、ずっと、分かってたよ。
    『白いアネモネ』のお話を、はじめて読んでくれたときから」

海未:
    ふふふ。私自身よりもずっと早く、知ってたんですね。
    だって、私が自分の気もちに気づいたのは、つい最近のことなんですよ。

ことり「ふふふ。わたしが恋愛のことを教えてあげたおかげだよ。
    海未ちゃんに、自分自身の気もちに気づいてもらえるように、色んなことをしたでしょ。
    一緒にアネモネごっこをして、恋愛映画を見て、歌曲を聴いて……
    でも、最後は、海未ちゃんが自分の力で気づいてくれたね。
    この前のバレンタインデーの日に」

海未:
    そうですね。
    後輩の子たちの恋心に思いを馳せているときに、やっと気づいたんです。
    私の心の中にも、同じ焦がれがあるということに。

ことり「もー、海未ちゃんたら、鈍感なんだから。
    穂乃果ちゃんのほうが、早く気づいてたみたいだよ。
    海未ちゃんの気もちにも、アネモネごっこの本当の意図にも」

海未:
    ふふふ、さすがは私たちのリーダー、穂乃果ですね。
    寝ているふりをして、何でもお見通しなんですね。

ことり「さて、それではそろそろ、始めようか。
    ねえ、海未ちゃん、これは練習じゃなくて、本番だからね。
    今から話す言葉は、お芝居の台詞じゃなくて、わたしたち自身の言葉だからね」

海未:
    わかりました。

【その頃、高坂家、穂乃果の部屋】

絵里:
    驚いたわ。
    ことりが海未にフられる練習をしてたんじゃなくて、ことりが海未をフる練習をしてたのね。

穂乃果「うん。
    ことりちゃんは、お別れの日が来るまえに、海未ちゃんの気もちを受けとめる準備をしてたの」

絵里:
    二人とも、立ち直れるかしら?
    また笑えるようになるかしら?

穂乃果「きっと大丈夫だよ。
    今まで逆の役を演じてきたのは、お互いの心を思いやるためだからね。
    フられる側には恋心が残るし、フる側にも恋心は残る。
    それを思いやることができれば、きっと二人は、また顔を合わせて笑えるようになるよ」

【その頃、南家、ことりの部屋】

海未:
    ねえ、アポロさん。

ことり「何かな、アネモネちゃん」

海未:
    あたし、あなたが好きよ。

ことり「……」

海未:
    あたしがあなたを好きなように、あなたはあたしが好きでしょう?

ことり「……いいや、そんなことはないよ」

海未: 
    あたしを置いて、遠くに行っちゃうのね。

ことり「そうだよ。
    でも、安心しなよ。
    つれない蝶々が、どこかに飛んでいくだけだよ。
    そんなひどい僕のことなんか、忘れてしまいなさい」

海未:
    ……あなたがあたしをもう好きでなくても、あたし、あなたが好きよ。

そこまで言うと、わたしたちは、言うべき言葉を見つけられずに、二人で沈黙しました。
海未ちゃんは、決して自分から電話を切ろうとしませんでした。
電話を切るのは、フられるほうじゃなくて、フるほうじゃなくちゃいけないのです。
だからわたしが、静かに電話を切りました。

ツーツーと音をたてる電話に耳を当てて、わたしはベッドに突っ伏しました。
言うべきことはもうないけど、言いたかったことは、まだあります。
子どものころ、泣いているわたしに、海未ちゃんは、いつもこう言ってくれました。

――――――――――

「わああ! ことり、泣かないでください!
 これはお芝居ですよ!
 ほんとは、わたし、ことりのことが、だーいすきですよ!」

「わーい、うみちゃん、ありがとう!
 ことりも、うみちゃんのこと、だーいすきだよ!」

「それじゃあ、ほのかをおこして、みんなで、おそとにあそびにいきましょうか」

「うん!」

―――――――――――

できることなら、同じことを海未ちゃんに言ってあげたかったな。

「海未ちゃん、泣かないで。
 ほんとは、わたし、海未ちゃんのことが、だーいすきだよ」

切れた電話にそう告げてから、わたしは、つぶやきました。

「ごめんね」

【二週間後、部室】

とはいえ、いつまでも落ち込んでいるわけにはいきません。
間近に迫った本選に向けて、動き出さなくちゃいけません。
どんなに練習を重ねても、失恋から軽やかに立ち直ることはできません。
それでも海未ちゃんとわたしは、ゆっくり立ち直り、日常に戻ることができました。
戻る前と後で、海未ちゃんには、二つの変化がありました。

真姫 「海未、あなたの書く詩は、最近ますますステキになったわね」

希  「うん、ウチもそう思う。
    海未ちゃん、恋について書けるようになったんやね」

海未 「ふふふ、ありがとうございます」

真姫 「何か心境の変化があったの?」

海未 「さあ、どうでしょうね」

そう、海未ちゃんの第一の変化は、恋の詩を書けるようになったこと。
一度は行き場を失った海未ちゃんの胸の焦がれは、憧れの言葉になって、行き先を見つけたようです。
これでわたしも、安心して、自分の憧れを遠くに飛ばす準備ができそうです。

花陽 「海未ちゃん、新しいDVD借りてきたから、一緒に見ようよ!」

絵里 「そうそう。
    息抜きに、恋愛映画を見ましょうよ」

海未 「はい、私もぜひ見たいです!」

絵里 「ほら、花陽、ここの場面を見て。
    お椀の中の二つのお餅は、おそらく、おっぱ……」

花陽 「違うよお!」

海未 「いいえ、花陽、絵里の言うとおりですよ。
    目を逸らさずに、よく見てください。
    それだけじゃなくて、さっきのお椀のふたを閉めるシーンは、おそらく、せっぷ……」

花陽 「それも違うよお!
    ねえ、絵里ちゃん、海未ちゃん。
    二個セットで丸い形のモノを何でもアレに結びつけたり、
    モノどうしの接触を何でもソレに結びつけたりするのは安易だよ。
    人間の生活を何だと思ってるの?」

絵里 「ヰタ・セクスアリス」

海未 「ヰタ・セクスアリス」

そう、海未ちゃんの第二の変化は、恋愛映画や少女漫画を見られるようになったこと。
恋と失恋をいっぺんに経験して、海未ちゃんの趣味には、ささやかな変化が起きたようです。
それに伴って、ちょっとスケベな話もできるようになったのは、まあお愛嬌でしょう。
ただ、少し困った嗜好にも目ざめてしまったようで……

海未 「あ、ことり、丁度いいところに来てくれました。
    恋愛映画、いっしょに鑑賞しませんか」

ことり「うん、ありがとう!
    わたしも、まぜてもらおうかな」

海未 「ところで、ことり」

ことり「何かな」

海未 「ちょっと私を踏んでくれませんか?」

ことり「ちょ、海未ちゃん!
    女性の体はデリケートなんだよ!
    だから、踏んづけるなんて、ぜったいダメなの!」

海未 「それなら、足を載せるだけでいいですから。
    さあ、ことり、カモン!」

【その頃、部室近くの廊下】

穂乃果「ねえ、にこちゃん、凛ちゃん。
    二人に相談というのは、ほかでもない海未ちゃんとことりちゃんのことだよ。
    ちょっと最近、二人には色々なことがあったの。
    だから、三バカの私たちで、少しでも明るい雰囲気づくりを目ざしたいんだよ」

にこ 「今こそ、三バカの本領発揮というわけね」

凛  「よーし、テンション上げていくにゃー!」

穂乃果「では、ドアを開けるよ。
    やっほー、海未ちゃん、ことりちゃ……」

ことり(椅子に腰掛けて、おそるおそる、海未の上に足を載せる)
   「海未ちゃん、どう、嬉しくなってきた?」

海未 「Ach, das arme Veilchen!
   (ああ、かわいそうなすみれ!)」

凛  「たいへんだ」

にこ 「へんたいだ」

穂乃果「あーよかった。
    もう安心みたい」

わたしに踏まれながら、海未ちゃんが囁きました。

海未 「蝶々さん、私は、嬉しいですよ」

ことり「踏まれるのが、嬉しいの?」

海未 「それもあるけど、それだけじゃありません。
    これから飛び立つあなたの見る世界が、海の向こうまで開けているのが、嬉しいんです」

わたしも、それに応えて、囁きました。

ことり「白いアネモネさん、わたしも、嬉しいよ」

海未 「どうして、嬉しいんですか?」

ことり「アネモネさんが、これからますます、きれいになってくれるはずだから。
    ねえ、アネモネさん。
    一度めの失恋のあとには、いつかきっと、二度めの恋が始まるよ。
    ますますきれいに咲いたアネモネさんのところには、
    いつかきっと、すてきな王子さまが迎えに来てくれるよ」

そのあと、海未ちゃんとわたしは、同じように微笑みました。
同じように微笑んだので、わたしにはもう、どっちがアネモネで、どっちが蝶々なのか、分かりませんでした。

※おわりです。
 読んでくれた方、ありがとうございました。

 文中の「白いアネモネ」の話は、フィンランドの作家サカリアス・トペリウスの児童文学作品です。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年03月01日 (日) 19:43:58   ID: 4oH3Gva8

文学的だ

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