【艦これ】響「さくらんぼ」 (16)

史実寄り、短めです。

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昨夜の嵐に、桜の花は散りつくした。
地に落ちた花びらは、風雨に吹き散らかされ、
朝の光の中で土の色に汚れていた。
自室の窓から見えるその一本の桜が昨日までは満開の花を誇っていたことを、
響は確かに憶えていた。

梢に二房のさくらんぼの果実があった。
「早いな。普通は五月くらいだろうに」
と、響はひとりごちた。

言葉を返すべき第六駆逐隊の僚艦は、既にみな海の底へ消えている。
自分もまた暗い海底へ逝くだろうと思っていても、いずれ必ず沈むのだろうと思っていても、
今ここで一人残されているのは寂しかった。

響は天一号作戦と呼ばれる特攻作戦に参加を命じられたが、
昨夜、その途上の周防灘で触雷し、朝霜に曳航されて呉に舞い戻った。
出撃前には花びらに隠されていたさくらんぼの果実も、今朝は空にあらわれていた。

響は桜の下へ走り、竹竿で果実を採った。
それは早熟でありながら、それでも紅く、
嵐の去った空からの強烈な太陽光を力強く弾き返している。
掌で息吹く熱い生命の塊に、響は慄然とした。

今まで特攻作戦に臨んだ艦娘は、いつも笑顔で出撃し、いつも帰ってこなかった。
響も昨日、消えた仲間と変わらぬ笑顔で出撃した。もう帰らないはずだった。
そんな自棄に濡れた自分の暗澹を、さくらんぼの紅い輝きに燃やし尽くされた気がした。

自室に戻り昨晩の報告書を書き始めると、扉の外から朝霜の声が聞こえた。
気負い立った早口で、出撃前の挨拶に来たと言っている。
戸を開けると、朝霜が立っていた。

「ごめん、時間がないからもう行かなきゃ。触雷の傷、ゆっくり治すんだよ」
朝霜は、響の触雷後も進撃を続けている自隊に追いつかなければならなかった。
急き立てられるようにそう告げた朝霜の、暗い決意を宿した眼を響は見つめ返す。
響の万感の想いを瞳に見て取り、何気なく俯いた朝霜の視線は、
響の手にある果実に留められた。

「このさくらんぼ、朝霜にあげるよ」
「じゃあ片方は響が食べて……」

そう言って、二房受け取った朝霜が茎を割こうとして取り落とした。

「「あっ」」

声が重なり、二人は顔を合わせて笑った。
笑ったことが、響にはどうしようもなく悲しく感じられた。

「響、武運長久を祈るよ」
「朝霜こそ……」
と響が言った時には、朝霜は追い立てられるように踵を返して港へ向かっていた。
朝霜の言葉にならない返答が、音もなく木霊した。

響は残された二房のさくらんぼを拾い上げると、洗って静かに歯を当てた。
果実の酸味が歯に沁みた。
泣きたくなるような幸福感が広がった。

暁がソロモンの海に消える前夜。
雷がグアムの沖に消える前夜。
電がフィリピン海に消える前夜。
鎮守府に残る第六駆逐隊の僚艦で、お守りを渡したことが思い出された。
お守りに無事帰還の願いを込めても、心いっぱいの見送りをしても、
彼女達は帰って来られなかった。

見送ることしかできない自分に、どうしようもなく無力な自分に、何ができるのか。
真珠湾の平凡な朝を徹底的に破壊したあの日から、
果てしなく続くとも思われた戦いは、既に破滅的な終局へと一直線に転落している。
刻一刻と確実に迫り来る終焉に、結局響ができたのはただ見届けることだけだった。

四ヶ月後の敗戦の瞬間も、響は自室から桜の木を眺めていた。
それは葉桜の身に陽光を目一杯に受け止めて、美しく、ただ毅然と立っていた。
春は静かに死にゆき、梅雨は水たまりを残して駆け抜け、夏が盛りを迎えている。
さくらんぼを渡しそびれた朝霜は、あの日を最後に帰って来なかった。

寂寞を極める鎮守府の広場では、峻烈な光を投げかける夏の日差しの中で、
桜の木だけが凛としてそこにある。

その時、そよと吹く風に桜の葉が揺れ、何かが紅くきらめいた。
さくらんぼの果実だった。
響はあの日と同じように採って口に含むと、
完熟の甘みの中に強靭な生命を感じた。

本当に自分は見届けることしかできないのか。
命を賭して使命を全うした艦娘に与えられたのは、本当に絶望だけなのか。

響は桜の木の上にどこまでも広がる、青い至純の空を見上げた。




――鎮守府の桜の木は、夏の陽ざかりの日を浴びてしんとしている。


終わりです。
特攻や終戦の寂寥感が出せたらいいなと思って書きました。最後はとある小説のリスペクトです。

時間があれば、長めのものも書いてみようかなと思っています。
ありがとうございました。

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