影の薄い男の話 (31)

「誰もいない森で倒れた木の音は存在しない、なんていうのは
せっかく倒れた木にたいして失礼だと思うんですよ」

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ぼくは、いままで影の薄い人生を歩んできた
でも、まさか本当に影が薄くなるとは、思ってもみなかったよ

これは彼女の意見なのだが、「影が薄い」という言葉自体、ぼくを含むこっち側の人達が、きみ達あっち側の人達へと伝えることが出来た
たった一つの言葉なんじゃないかと思う。

あなたの周りにも一人はいるだろう。彼は、無視されている訳ではないんだ
でも、物事は彼抜きで進むし、誰も彼の為に立ち止まりはしないし、気付くと彼とは音信不通になっている

そんな人が。

もし、それがあなた自身なら気を付けた方がいい。影が薄くなってからでは、手遅れだから
「そういう」人だったぼく自身がいうんだから間違いない。

さて、ぼくはこれが、ぼく自身を含めて誰にも読まれないことを確信している
その理由は後で話そう
ではなんでこんなことを書いているのかと言えば、まぁ、諦めきれないからだ。

死んだら焼いてくれと言いながら日記を書くひとを想像すれば分かりやすいかな
ぼくの日記はもともと灰みたいなものなんだけど

期待

そもそもの始まりはたしか大学3年生の夏休みだったと思う
その頃のぼくは、勉強しか得意なことの無い、地味な学生だった
趣味は読書、サークルも部活も奉仕活動も何もせず、アルバイトと奨学金で学費を払って築10年過ぎのアパートで一人暮らしをしている、どこにでもいる大学生のひとり
ちなみにバイト先は電車で20分の海の近くにあるオンボロの学習塾で、好きな本の種類はすでに死んだ人が書いた小説だ

お酒に弱いのと、いつもアルバイトをしてること、
それにあまり喋るのが得意じゃないことで、一年生の頃はそれなりにいた友人も潮が引く様に消えていった

これはいい訳なんだけど、ぼくは喋るのは嫌いじゃない
だけどぼくは、どんなことでも、たとえそれが今日は暑いねの一言だとしても、
それを言ったら相手はどう思うだろうかとか、そういうのがどうしても気になってしまうんだ

だからぼくが満を持して口をひらく頃にはもう話題は3つくらい先へすすんでいて、
ぼくはただにこにこして聞き役に回る訳だ。

だけどそのお陰か、バイト先の塾ではぼくはそれなりに人気の先生だった
だって勉強は嫌いじゃないし、あらかじめ喋る内容を幾らでも考えられるからね

最初はいやいや始めたバイトだったけれど、慣れると生徒を笑わせる方法も分かってきてさ。
成績が上がったって感謝されるのも悪くなかったし、たまに旅行のお土産なんか貰ったりして
思い返せば良い日々だったな。

こうしてぼくは八月半ばにして、この夏休み、
アルバイト先とスーパーのおばちゃんを除けば誰とも会話をしていないことに気付いたんだ

彼女に言わせると、こういう会話の不在ってやつが初めの段階らしい

で、これはおかしいぞと始めて気付いたのもバイト先でのことだった。

生徒がぼくを無視するんだよ
出席簿をもって教室に入っても、みんなケータイをいじったり、雑誌をめくったり、おしゃべりに興じたままで
まるでぼくなんかいないみたいにさ

最初は、やっちゃったかなぁと思ったよ
同じ様なことが前に一回あったんだ。まだバイトを始めたばかりで、叱り方とか怒り方なんて知らなかった時、
教室があまりに騒がしかったから、ぼくはほとんどどなるような調子で生徒たちを注意した。
それが気に食わなかったんだろうね、次の授業から生徒はみんな下を向いて黙ったまま
あれは見事なサボタージュだった。
それでぼくは翌日、室長先生に肩を叩かれたって訳だ。

だけど、それがどうやら違うらしい
ぼくが、おーい授業はじめるぞーと少し大きな声をだすとみんなは普段通りに席に着いた
反抗的なところなんてこれっぽっちもない。むしろいつもより元気がいいくらいだ
思い返せば、このクラスで反感を買われるようなことをした覚えもなかった

その時は少しフシギだなぁくらいに思ってたんだけど、
これが、その日入っていた13コマの授業、全部のクラスで続いたんだ。
ぼくが声をあげたときの、少しびっくりしたような生徒の目線までそっくり同じ。

からかわれているのかとも思ったけど、
小学4年生から中学3年までがそろってこんなビミョウないたずらをしているとも考えにくい
一体どういうことなんだろうと、ぼくは首を捻った。

次の日は、ちょうど盆休み前最後の出勤日だった

その日の仕事は模擬テストの試験監督
やることは「始め」、「そこまで」という二単語を大きな声で言うことと、
テスト用紙を配ったり回収したりするだけ
そんなふうに10時から5時過ぎまでをぼーっと過ごしたぼくは、
帰りにアイスコーヒーでも飲もうとタリーズに寄った
で、その時、これは本格的におかしいなと気がついたんだ。

店員さんが、ぼくを露骨に無視するんだよ

しかも店員さんだけじゃなく、店のお客さんまでそうなんだ。なんかもう笑えてきたね
だって、私は真面目ですって顔に大書きされているような、
勉強道具を抱えた制服姿の女の子がぼくの前に割り込んで来るんだもの
ちょっと、って声をかけた時のその子の驚きようと言ったら、
もしぼくの代わりに首なしの亡霊が話しかけたとしても、あそこまでは驚かないだろうってくらいだった。

結局コーヒーは諦めて、もう今日はとっとと帰って本でも読もうと思ったんだ。
もう誰かに無視されたり、驚きの目で凝視されるのはうんざりだったしね。

それで、駅についたとき、ついに見つけてしまったんだ。

隣の人の影より、ぼくの影の方が、どう見ても薄いことを

なんか化物語っぽいな

あたりは丁度5時の夕日に照らされて、影が長く伸びてるからそんなことに気づいたんだろう。
最初は、目の錯覚を疑った。だから、しっかり目をつぶってみた。

目を開く。何も変わらない。もう一回だ。

やっぱり変わらない。
隣に立っている人を観察してみる。
その人はスタジアムジャンパーに野球帽をかぶった若い男で、にもかかわらず、
この男は絶対野球が好きではないんだろうな、と思わせる雰囲気があった。
つまり、特に変わったところの無い普通の人だった。
もう一回、だ。

次は、だいぶ長い時間を取った
普通電車がホームに到着した音が聞こえた。少人数が降りて、それよりさらに少ない人が乗る気配も感じた

目をひらく
もうホームには、ぼく一人しかいなかった。

話は変わるけど、海が近くて、夏で、人が少ない、夕暮れの駅ってなんであんなにもさびしいんだろうね。
シュートも案外、こんな景色をみてオン・ザ・ビーチを書くことを思いついたのかもしれない
ともかく、仕方がないからホームを覆っている雨除けの支柱のところまで歩いて、二つの濃さを比べてみたんだ
結果は、やっぱり変わらなかった

ぼくの影は、どう贔屓目に見ても、薄くなっていた。

しえん

翌日。
ひとり酒で二日酔いするのは人生で初めてだった。その感想は、最悪、の2文字にとどめておこう
結局昨日はどこにも寄り道をせずに家へと帰って、一人暮らしで培ってきた料理スキルの全てを駆使してつまみを作り、
大昔に宅飲みをしたとき以来ずっと冷蔵庫の肥やしになっていたお酒をだいたい飲みつくしたんだ
それで、ようやく寝れた。人生で初めて、お酒も悪くないと思ったね

時計をみるとまだ9時過ぎ。頭痛に呻きながらカーテンを閉め切ってからクーラーのスイッチを入れて、
ぼくはその薄暗い部屋で、n度寝の限界に挑戦することにした。
そして24度設定のキンキンに冷えきった部屋で、布団にくるまりながら下したぼくの結論はこうだ。

いつも通りにふるまおう。
そう、ぼくは現実逃避なら得意なんだ、それに関してなら是非とも任せてくれ。

脳みそに鉛をぶら下げているような感じがしなくなったのはたぶん6度寝をすぎたころで、
外をみるともう日もいい感じに傾いていた
部屋を適当に片付けて、外出のために適当に着替える。スーツ以外の服を着るのは久しぶりだ
そして、ぼくは頑丈なリュックサックを背負うと、大学の図書館へ向かって家を出た。

図書館はやっぱり空いていた。
ぼくはできるだけ司書の人の方を見ないようにしながら、書庫へ続く階段の扉をそっと開けた
書庫、というのは図書館であまり貸し出しのない本をしまっておく場所のことで、
つまり「氷山の一角」ではない方にあたる
普通の図書館は閉架、といって書庫に一般の人が入ることはできないのだけど、
大学図書館は基本的に出入り自由だ

表のロビーでさえガラガラだったんだ、まして節電で電気すら半分消えた書庫は、
もはやこの世よりあの世の方に近いみたいだった
時期もちょうど彼岸だったし、文豪の霊とかは案外こういう場所にいたりするのかもしれない。

その場所で、ぼくは今まで読もうと思いながらも敬遠していたタイプの本、
つまり、大学生を気絶させるくらい退屈で、同じく気絶させることが可能な程分厚いやつを、片っ端から机に積み上げはじめた。
で、そいつらをひいひい言いながら学生証とともに貸し出しカウンターの机に置く。
司書さんが手続きを終えてくれるのを床だけを見つめながら待ち、
とにかく貸出手続きを完了できるだけの時間が過ぎたところで、ぼくは全部の本をカバンに突っ込んでもと来た道を引き返した。

図書館から出るぼくを、止める人はいなかった。

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