光彦「喰種ですか」 (27)

 目を覚ました僕が一番に見たのは白い天井だった。全身が鉛のように重く、指を動かすのにも相当の労力がかかる。僕は定まらぬ焦点のまま天井から視線を逸らす。次に僕の瞳に映ったのは何だか心配そうな表情でこちらを見ている少年探偵団の皆さんだった

 僕は全身の気怠さを飲み込み、掠れた声で彼らに話しかける

「み、なさん、どう、したんで、すか。 学、校は?」

 僕の声を広い、彼らを代表して答えてくれたのはコナン君だった

「バーロー、お前がこんな状態だってのに呑気に学校なんて行ってられるか」

 コナン君の言葉に他の方々も続く

「そうだぞ、光彦。お前が心配でうな重も喉を通らないんだ」

「うん、歩美も光彦君が心配で心配で、ねっ、哀ちゃん」

「ふふ…そうね」

 僕は嬉しくて思わず笑みを浮かべる。そして、そのまま意識が遠退いていくのを感じた。ただ、僕は幸せだった。これほどまでに僕のことを想ってくれるひとたちがいるというのは凄く嬉しかった

「あ、りが、とうござ、います、皆さん。少し、眠いので、寝ます…」

 僕は幸せを噛み締めながら意識を完全に閉ざした

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 次に僕が目を覚ましたのはそれから半日後のことだった。院内は静まりかえり、森閑としていた。僕は視線を辺りに巡らす。薄暗く月星の輝きだけが室内に光を灯していた。当たり前のことだがもう誰もいない

「皆さん、無事に家に帰れたのでしょうか」

 僕は目を閉じ、皆さんの日常を思い浮かべる。サッカーボールを蹴飛ばすコナン君、うな重を頬張る元太君、友達と談笑する歩美ちゃん、そんな皆さんを微笑みながら見ている灰原さん。

 僕も早く怪我を治して皆さんの日常に戻りたいな

 すると不意に僕は枕元に置いてあるのビニール袋を目に止める

「あれ、これはなんでしょう」

 その袋に乱雑な文字の書き置きが添えてある

『光彦へ、起きたらこれ食え。差し入れ』

 その袋の中にはハンバーグやうな重が入っていた。

「皆さん、ありがとうございます…ふふ、でもこんなに食べれませんよ…」

 熱くなる目頭を擦り、涙を堪える。ただ、僕は不思議な気持ちに陥っていた。

 お腹は空いている。空いているにも関わらず袋の中の食べ物が酷く醜悪に映った。食べたいという気を削ぐ。が、空腹ばかりは治まる様子もなくどんどん飢えていく一方だった

「…なんなのでしょうか、これは、お腹空いたのに…食べたくない」
 

 ただ、せっかく皆さんが僕の為を想って内緒で持ち込んでくれた食事だ。食べないと失礼に当たる。そう思い、思い切ってうな重を一口だけ口に運ぶ

 僕は鰻を口に入れた直後、凄まじい不快感に襲われた。まるで夏場に台所の流しに放置した生ゴミを食べてるような不快感。猛烈な拒否反応に僕は思わず食べたものを吐き出した

「おぇええええ、がっ、あっ、う」

 おかしい。何かがおかしい。僕の体は一体どうなってしまったというのか…

 僕は視線を外に向ける。そこで僕は窓に映った自分の姿を見て言葉を失った

 左の眼球が赤く染まっていた。この特徴を僕は知っていた。この赤く染まった瞳が意味するものはひとつだった

「…グール…ですか」

 そして、この日を境に僕の日常は崩れていった

 あれから一週間。僕の心を荒らす得体の知れない欲求を耐え凌ぎ、僕は何事もなく退院日を迎えた。僕の担当医は驚嘆していた。僕の怪我は完治しない。それがこの病院に担ぎ込まれた僕の無惨な姿を見た医師の見解だった。生きているのが奇跡に近いほど重症だった。手足の骨は複雑に折れ曲がり、内臓もほとんど壊れ、機能してなかったらしい。

 仮に生き残れたとしても後遺症は免れない。それほどの怪我を負っていた。にも関わらず驚異的な速さで快復し、三日目にはもう自由に動き回れるようになっていた。そして、一週間で退院許可まで下りた。

 僕は、あの日のことを思い返す。事故にあった日、僕は何者かに道路に突き飛ばされた。あまり覚えてはいないが、それでも確かに誰かに突き飛ばされた。それだけは覚えている。

 僕は病院まで迎えにきた母に手を引かれ、考え事に耽る。

 そうして僕は考えがまとまらないまま日々を過ごしていった


 

どれだけ日が経ったのだろうか。日に日に僕の心は得体の知れない何かに食い荒らされていく。それは食欲にも性欲にも睡眠欲にも近い類の欲求だった。僕はこの恐ろしい欲求を解消する方法を知っていた。

 人間を喰らう。それだけで僕は1ヶ月はこの飢えを凌ぐことができる。ただ、僕は人間だ。グールではない。だから人間を喰うことは理性が許さない。ただ、本能は我がままに人肉を貪れと訴えかけてくる。

「落ち着いて、落ち着いて、落ち着いて落ち着いて落ち着いて落ち着いて落ち着いて落ち着いて落ち着いて、僕は、落ち着いて、喰う、いや、食べたくない」

 僕は暗い部屋の片隅で毛布に包まり、自分に暗示をかけ続ける。ひたすら自分の本能に逆らい続ける。

 部屋のドアが叩かれる。母が叫んでいる。引きこもる僕の心配をしているのだろう。ただ、今はダメだ。母に、父に、姉に、友に、彼らを前に自分の欲求を抑えられる自信がないのだ。

「今は、今は、ダメです、すいません、すいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいません!! 許してください、許さない、許してほしい? はい、許してください」

 抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろ。抑えろーーーー僕は本能に抗い続ける



 


 限界だった。僕の本能は人を喰らえと常に訴え続け、僕の心はもう限界を迎えていた。おそらくこのままだと僕は周りの者を喰ってしまう。それだけは避けたかった。だから僕は決断する。

 人を喰らうことをーーー

 決心してからの行動は早かった。外に出るのは退院の日以来だろうか。

「ははっ、まさか、少年探偵団の僕が人を殺すことになるなんて思いませんでしたよ」

 自嘲気味に呟き、泥酔して千鳥足でよろめいたまま歩くスーツ姿の男性を見つける

「すいません…許してくれとは言いません。ただ、謝らせてください。さようなら」

 そして、僕はその男性の喉元に喰らいついたーーー


 

 口の中に広がる濃厚な甘み。とろけるように柔らかい食感。こんな美味しいものを今まで食べたことがない。体と心の渇望が一気に満たされていくような満足感を得た。

 ぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃーーーー

 気づいた時には残さず喰らい尽くしていた。

「はは、ははは、ぼくは、ぼくは、やってしまいました」

 口の周りに付着した血を舌で舐め取る。甘く美味しい。これは癖になる味だった

 僕はもうあの日常には戻れないだろう

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