女「恋人同士になって5回目のクリスマス」(110)

山無し谷無しオチ無しの日記のようなもの。


ピリリリリというアラーム音で目が覚める。

瞼が開き切らず、霞む視界で確認する携帯電話のサブディスプレイに、6:00の表示。

女「ぐ、うう……」

寒い。

冬の朝、布団は鳥餅の塊のように私に絡みつく。

私は朝に強い方だと思うけども、寒さに強いわけじゃない。

この時期はどうしても布団に包まる時間が長くなってしまう。

しかし、寝ているわけにもいかない。

なにせ今日は12月25日、日曜日。

クリスマス当日であり、私の戦いの日でもある。

私は特に信心深いわけではないけど、心の底からキリスト様に感謝する。

大好きな人と公然といちゃいちゃできる口実を作ってくれて、本当にありがとうございます。


冷たい水で顔を洗い、歯を磨いて眠気を散らす。

ゴムで髪の毛を括って、パジャマの上にエプロンをつけ、キッチンに立つ。

何度も言うが、今日はクリスマスである。

男くんにケーキを食べて貰うのである。

ベタベタに甘い物が苦手な男くんでも、美味しく食べられるケーキを。

特に生クリームは、あんまり食べ過ぎると気分が悪くなってしまうみたいだ。

どちらかといえば少し苦いものが好き。

なので、今日はほろ苦いプチティラミスを作ろうと思う。


何週間も前から、今日のシミュレーションを繰り返してきた。

必要な材料は既に揃っているし、事前に2度ほど試作もした。

準備は万全。

あとは作るだけだ。

まずはエスプレッソコーヒーを淹れ、ついでに一杯飲む。

ほっと一息。

寝起きの身体に熱いコーヒー。

五臓六腑に染み渡るとはこのような感覚なのだろうか。


今回はビスケットを焼くところから始める。

卵黄とグラニュー糖を混ぜ合わせ、生地の素を作る。

卵白に篩ったグラニュー糖を数回に分けて入れながら、ミキサーで泡立ててメレンゲを作る。

生地の素とメレンゲの様子を見ながら混ぜ合わせ、篩った薄力粉を加えてゴムベラで軽く馴染ませる。

これだけでビスケットの生地は完成だ。

絞り袋に生地を入れて、キッチンシートの上にぎゅぶぶぶぶーと棒状に絞っていく。

せっかくなので、家族の分もティラミスを焼く。多めに作っても弟と父が食べてくれるだろう。

あやつらは私が驚愕するほど甘い物が好きだ。

最後に上からコーヒーパウダーを散らし、予熱したオーブンで8分ほど焼き上げる。


その間にムースを作る。

ボウルに卵黄としっかりと篩ったグラニュー糖、そしてコーヒーパウダー、白ワインを入れ、湯煎で暖めながらしっかりしっかりと泡立てる。

ここを怠るとまず間違いなく失敗する。

泡立てが完了したら、今度は氷水でボウルを冷やしながらマスカルポーネをほぐして軽くあわせ、ムースの素が完成。

さっきとは反対に、ここで混ぜすぎると大失敗する。

別のボウルで、生クリームを泡立てる。

ムースの素と生クリームの状態を見ながら、お互いに馴染んで邪魔しない状態になるまで泡立てたら、

5回に分けてムースの素を加えて行き、全体が均一に、ムラの無いよう混ぜてムースが完成した。


その頃には既に焼きあがって余熱も取れているビスケット。

刷毛を使って、さっき淹れたエスプレッソコーヒーをしっとりとするまで染み込ませる。

プチケーキ用の型の底にビスケットを敷き詰め、上からビスケットが埋まる程度までムースを流し込み、

軽く粉糖を振りかけて、その上にもう一度ビスケットを敷き詰めて、さらにムースを流し込む。

ビスケットとムースの層が二段。

ひとまず、完成だ。

あとは冷蔵庫でじっくり冷やしておいて、男くんの部屋に行く直前にコーヒーパウダーを振り掛けるだけ。

美味しいと、言って貰えるだろうか。

何度も何度も男くんにお菓子を作ってきたけども、その度にいつも不安になってしまう。

口に合わなかったらどうしよう……という不安は、いつになっても拭いきれない。

……でも正直に言うと、この不安も仄かに幸せだったりするのだ。

なんというか、役得だと思う。

男くんにお菓子を振舞える人なんて、私か男母さんくらいのものなのだから。


時刻は丁度7時頃。

朝ご飯を作ることにする。

ご飯にキノコのお味噌汁、目玉焼きとソーセージとサラダ。

私は目玉焼きのふちがカリカリになっているのが好きだ。

さらにベーコンを下に敷いてカリカリになっていると最高だけども、今日はベーコンはなし。

ちなみに私も男くんも目玉焼きは半熟で醤油派だ。

結婚したら目玉焼きは同じ焼き加減で大丈夫……。ふふふ。

フライ返しで目玉焼きをお皿に移しながら、まだ見ぬ結婚生活に想いを馳せる。

ああ、願わくば、男くんと結婚できますように。

私、結婚したら毎日男くんに美味しい朝ご飯を作るんだ。

結婚1年目のSS書いてた人?


7時半を過ぎる頃になると、家族が続々と起きてくる。

まず母、そして三歳差の弟、最後に僅差で父。

父「おはよう」

女「おはよ」

弟「んはよう」

母「おはようございます」

弟と父は良く似ている。

女「お父さん寝癖」

父「ん、どこ」

母「夫さん、弟と同じところですよ」

弟「マジか」

例えば、寝癖のつき方とか。

>>8
多分そうです


一家「いただきます」

一家「ごちそうさまでした」


食器を軽く洗ってから、洗浄機に入れ、スイッチを入れる。

じょばばばばと音を立て、洗浄機が動き出す。

母「今日男くんの部屋に行くんでしょ?」

女「あ、うん」

母「さっさとシャワー浴びときなさい。なんか凄く甘ったるい匂いするよ」

自分の服を摘まんで嗅いでみると、確かに、甘ったるい。

髪の毛にも匂いが染み付いてしまっている。

女「う。……浴びてくる」

母「あと、女性が無闇に胸元を摘まむんじゃないよ」

女「……気を付けます」


母のアドバイスどおり、軽くシャワーを浴びて染み付いた匂いを落とす。

髪の毛もしっかり漱いで、括っていたせいで付いてしまった癖を直しておく。

冬場は乾燥して、肌も髪の毛もどうしても痛みがちなのが辛い。

特に髪の毛は、私が自分の身体で自慢できる唯一といって良い場所だ。

しっかりと芯までドライヤーで乾かしたあと、保湿も欠かさず行っておく。

女「……あ。枝毛……」

……。最近、夜遅くまで勉強しているせいだ、きっと。

そうに違いない。

はさみで切っておく。


時刻は8時半。

まだまだまだまだ時間がある。時間が早く過ぎればいいのに。

今日は15時ごろから男くんとデートの予定だ。

一度、男くんの部屋に上がらせてもらって、ケーキを食べてもらう。

プレゼント交換をして、少しのんびりDVDを見たりして、それから外でデート。

ライトアップされる公園に、イルミネーションを一目見に行く。

それからお食事、の予定だ。

女「……ふふふふふ」

脳内で予定を確認しているだけで表情筋が緩みに緩んでしまう。

弟「姉ちゃん浮かれすぎてきもいぞ」

顔を洗った帰りらしき弟が、廊下で呆れ返った表情をする。

女「やかましーぞ、人の事言えないでしょーが」

浮かれてしまうものは浮かれてしまうのだから仕方ない。

はたと気付く、弟が未だにパジャマ姿だ。

女「あれ? 弟は予定無いの」

弟「無い」

女「……てっきりあるもんだと思ってたけど」

去年、弟はクリスマスに朝からデートしていた。

弟が小学生の時から好きだった相手と恋人同士になり、初めてのクリスマス。それはそれは浮かれ切っていたのだ。

だから、今年もそうなるだろうと、先ほどは“人の事言えない”と言ったのだけども……。

女「恋人ちゃんはどうしたの…………もしかして、別れちゃったとか」

弟「いや、今日はどうしてもダメなんだって。受験勉強。俺も勉強する」

弟と弟の恋人ちゃんは高校受験を間近に控えた身。浮かれている暇は無いということだろう。

女「あー。がんばって。冷蔵庫にあるケーキ適当にして良いから」

弟「うん、ありがと。というか姉ちゃんは勉強良いの?」

かく言う私も大学受験を控えた身。

女「……一日くらい息抜きしてもバチ当たらないはず。というかいい加減会えなさ過ぎて寂しい」

弟「いや、別に責めてるわけじゃないけどさ」


自室に戻って、今日の服装を確認する。

悲しい事に、私は断じておしゃれではない。

むしろ己がセンスを壊滅的と評価している。

普段なら制服でいいのだけども、今日は休日も休日、世間一般的にクリスマスという、特別な休日だ。

こんな日に制服で男くんと出歩くなんて、私も恥ずかしいし男くんにも恥ずかしい思いをさせてしまう。

そして周りからは可愛そうな人として認識されること請け合い。

制服で行くわけにはいかない。

いかないのだが、わかっていても、おしゃれのセンスがないのはどうしようもない。

センスのない人は、いくらがんばってもセンスがないのだ。

……ああでも、制服でいいのは今年度までか。

今からでも遅くはない。

ファッションセンスを高める事はできそうにないけども、可愛い組み合わせを覚えておかなければ。


……そういえば、男くんと恋人同士になって始めてのデートは、服装を悩みに悩んで頭がポンコツ化してしまい、休日だというのに制服で行ったなぁ。

なんでこいつ初デートに制服で来てんだ? と、男くんの表情が熱弁を奮っていたことを思い出す。

懐かしく、そしてとても恥ずかしい記憶だ。

しかし、あれから私もちょっとは成長した。デートに私服で行けるくらいには。

基本的に雑誌のコピーだけども。

センスがないのだから、完成品をまるまるコピーしてしまえばよいのだ。

やっぱり、大好きな人には少しでも可愛いと思われたいというのが女というものだし。


私はあんまり女の子っぽい服を選ばない。

というか、スカートがどうしても落ち着かないのだ。

中学校で制服になるまで、私はスカートをはいたことがなかったと言っても過言ではなかった。

そのせいもあると思う。

今現在、高校では制服のスカートだけども、できれば制服のスカートもやめたいくらいに落ち着かない。

私服はいつもいつも適当なデニムやパンツに、特にこだわりのあるわけでもないトップス。

……でも、今日は年に一度のクリスマス。

せめて今日くらいは、女の子っぽい服を着ようと決意した。


とは言っても、トップスとボトムスとを組み合わせて上手い具合におしゃれになるなんて高等技術、

もちろんのこと私は持ち合わせていないので、無難にワンピースを選ぶ。

膝丈の、白とベージュのレースワンピースの上に、薄桃色のカーディガンを重ねる。

その上にモカグレーのポンチョを羽織る。

下は、紺色のタイツとショートブーツ。

ほとんど雑誌のコピーだけども、友人に相談しながら選んだ服だ。

それから、頭に、暗い赤地に明るめの緑の刺繍が入ったニットの帽子をかぶる事にする。

こっそりクリスマスカラーである。

ベッドの上にしわにならないよう並べて、時間が来たらいつでも着られる準備をする。


現時刻は12時ちょうど。

母の作ってくれたカルボナーラを美味しくお腹に収め、歯を磨き、部屋に戻って化粧台の前へ。

カチューシャで前髪を上げ、メイクをすることにした。

高校生になってから、母に教えてもらったメイク。

未だに、あまり馴染みの無い道具たちだ。

……。

………………。

一度、リビングに行くことにする。


女「お母さん」

母「う? うわ、なに、途中でみっともない」

女「う、うん……。コーチしてください」

はぁぁ、と大きなため息を吐かれてしまった。

母「もう大学生になるっていうのに」

女「だって……私下手だし」

母「上手になりなさい。ほら、行くよ」

女「……ありがとうございます」

母と連れ立って私の部屋に戻り、化粧台の前へ戻る。


母のコーチの元、メイクをする。

といっても、軽くだ。

あんまり気合を入れて行って、普段と顔がガラリと変わっていたら、それはそれでどうかと思うし、

派手なのは元々性に合わない。

ばっちりメイクしすぎるのも肌にも悪い。

目・鼻筋の周りにだけ、軽くメイク。

初めて見たときは、眼球付近を鉛筆で塗るとか頭おかしいと思っていた。


薬用リップだけ塗って、口紅はつけないことにした。

……今日は、多分男くんと一回くらいはキスもするだろうし……一回くらいはキスもしたいし……キスしたい。

キスしたい。

男くんの柔らかい唇を思い出してしまってにやにやしてしまう。

母「何にやにやしてんの」

女「なんでもないっすよ」

唇と唇をくっつけるだけであんなにドキドキして幸せに浸れるのだから、人類の脳というのは不思議なものだ。


初めて男くんとキスをしたのは、確か私が小学1年生の時だった。

昨日の事の様によーく覚えている。

もちろん、おままごとだったのだけども。

男くんも恋愛感情というものも正しく理解できていないような年齢だったし、男くんとしては、あれは集計外だろう。

だがもちろん、私は、あの時には既に男くんの事が大好きだった、きちんと男の子として。

だから私の初キスは、小学1年生の時。おままごとで、新婚夫婦をやった時の事だった。

私の両親が毎日いってきますのちゅーをしていて本当に良かった。

それがなければ、今思い出してもドキドキしてしまうようなあの経験は無かったはずだ。

自分で言うのもなんだけども、私はかなり早熟な子供だったと思う。

言うまでもなく、男くんが私の初恋だ。

キスというものに早くから憧れていたし、幼稚園では将来の夢にこっそり男くんのお嫁さんと書いた記憶がある。

そんな私が、おままごととはいえ、男くんとキスをしたのだ。

その日の夜は目が爛々としてしまって眠れなかった。


懐かしい記憶を掘り返しながら、メイクが終わった。

カチューシャを外し、髪の毛を念入りに櫛梳く。

母「ん。可愛い」

女「ありがとうございました」

母「男くん逃がしたらダメよ」

女「……うむん」

なんと返事して良いものか分からなかった。

私の方から離れるつもりはないけど、男くんが離れていくとしたら引き留められる自信はない。

私より美人なんてたくさんいるのだし、男くんがそういう人を選んだら、私は身を引くしかない。

ただ、私より男くんを好きな人がいるとは思えないけども。


もう一度母にお礼を言って、母がリビングに戻って行ったのを見届けてから、

いざ、選んでおいた服を着て姿見の前に立つ。

女「……よし。これで行くぞ」

ここで“やっぱり他の組み合わせの方が良いかなぁ”などと思ってしまうと、

いやでもこっちの組み合わせも

待てよこの組み合わせも

あれなんかおかしくなってきた

やっぱり最初のコーディネートにしよう

となることは今までの人生経験から明確なので、どんなに迷っても、一度決めたコーディネートを使うことにしている。

2年前それでデートに遅刻してしまってから、硬く心に決めている。


時計を見ると、12時45分。まだまだ有り余るほど時間がある。

15時が待ち遠しい。

どうやって時間を潰そうかと数秒悩み、男くんの写真を眺めて過ごすことにした。

最近の写真はもちろん、果ては小学生に入る前の時代まで網羅した私の男くんアルバム……というとストーカー認定されてしまいそうだけども、男くんと私は家族ぐるみの付き合いをしているのであり、当然と言えば当然私の母や父が撮影した男くんの写真もたくさんあるし、男くんも私の写真をたくさん持っているのだからほとんど家族の写真を撮っているのと同じことだし、現在の男くんの写真についてはもちろん7割くらいは男くんの許可を取ってから撮影したものだし、その上、今現在の私は正真正銘、男くんの恋人なのだから問題ない。

……恋人でも幼馴染でもなかったら、ストーカー以外の何者でもないのは自覚している。

特にこの小学生低学年時代の幼い男くんの写真なんかその筋の人と私には垂涎の的だと思う。

誓って、私はその筋の人ではないけども。


14時30分。

一番幼い頃から始まり、まだ中学3年生の写真も見終わっていないというのに、時間が来てしまった。

ちょっと名残惜しいけども、アルバムを閉じて本棚に仕舞う。

もう一度髪の毛に櫛を通して、前髪を横に流してヘアピンでちょっと留める。

この藍色のヘアピンは、私が小学5年生の時に、男くんが照れながらプレゼントしてくれたものだ。

シンプルなデザインなので、今でも使える。さすが男くんは小さいころからセンスがいい。

……それから、毛先を、ほんの少しだけカールさせる。いつもはストレートだけど、今日はちょっとだけ。

その上からニットの帽子を被る。

この帽子が無いと本日の私のコーディネートにおけるクリスマス成分がゼロになってしまう。

重要な帽子なのだ。

姿見で最終チェック。背中の方もチェック。

問題なし。

中身はともかく、この服は間違いなく可愛いはずだ。

そして、恐る恐るネックレスを着ける。

これは私には分不相応な高級品だから、ちょっと気後れする。


このネックレスは、私の母が私の父に交際を申し込まれた時、そしてプロポーズされた時にも着けていた、由緒あるネックレスだ。

これを着けていると良いことが起きるらしい。

元は母の母、つまり私の祖母が持っていたもので、祖母が祖父から贈られた一品だという話だ。

正確な値段はわからない、けれども結構値の張る品物のはず。

私の母が珍しく酔っ払った時に、夫さんはこんなにかっこいいのよと散々惚気ながら私に譲ってくれた。

私の母は私の父に今もなおベタ惚れなのだ。

ちなみに私の父も私の母にベタ惚れである。

こういう所、明らかに私に遺伝してるよなぁと思う。

弟にも恐らく遺伝している。

……ともかく、今日はこのネックレスのご利益にあやかろうと思う。

最後にポンチョを羽織って、虚空に向けて何発かパンチを繰り出して身体に馴染ませる。


キッチンの冷蔵庫から、しっかり冷えたティラミスを取り出し、コーヒーパウダーを散らしてから箱に詰める。

母「服も気合入ってるね」

女「うん」

母「がんばれ」

女「がんばるっ」

母と親指を立て合った。


玄関でブーツを履いて待つこと3分後。ジャスト15時。

ぴんぽーん、とインターホンが鳴った。すかさずドアを開ける。

目の前に、ちょっとだけ驚いた表情の男くん。

毛糸のマフラー。トレンチコート。下は黒っぽいデニム。コートの中はまだ分からない。

絶世の美青年と言って間違いない男くん。

ああ、今日も今日とて、とっても素敵です。

男「やけにドアの反応が早いな」

女「……靴履いて待ってました」

男「そか。んー……」

目を細めて、それはそれは楽しそうに、わざとらしく私の頭のてっぺんから足元までを見回す男くん。

クリスマスは寒いけども、今の私の体温は上がりっぱなしだ。顔が熱くなってきた。

男くんの顔が直視できない。男くんの胸の辺りを凝視してしまう。


男「帽子がクリスマスだ」

腕を伸ばした男くんが、私の帽子に触れた。帽子に嫉妬する。

私のほっぺにでも触れてください。

男「髪もくるんとしてる」

少し遠慮がちに、私の髪を一房持ち上げる。髪の毛に嫉妬する。

私の耳にでも触れてください。

男「珍しくスカートだ」

ますます、体温が上がってしまう。

……この熱エネルギーを、なんとかして勇気に変換する。


女「……くぁッわい……」

盛大に噛んだ。咳払いをする。んん゛ッ。

女「……可愛いですか?今日の服」

男「うん。凄く可愛い。抱きしめたい」

女「えっ!?……抱きしめてくだs」

弟「兄ちゃん玄関閉めてからやって?」

背後から邪魔者が声をかけてきた。

シンプルに、奴を恨む。

男「あ、すんません。メリークリスマス」

弟「はいはいメリクリメリクリ。弩級バカップル」

ガチャリ。




カチリ。


鍵まで閉められた。

男「あの野郎、何も施錠まで……おばさんに挨拶したかったのに」

女「……後で怒っておきます」

男「というか、あいつなんでいるんだ?」

私と男くんは幼馴染だから、当然といえば当然、弟と男くんも歳の離れた幼馴染だ。

兄弟のように育った、と表現しても決して誇張ではない。

そんな仲だから、弟が去年、大いに浮かれて恋人ちゃんとデートに行ったことも知っている。

女「今年は、お互い受験勉強なんだそうです」

男「ふーん……俺が受験の時どうだったっけなぁ」

女「男くんが受験の時は、私と会ってくれていましたよ」

男「そうだっけ」

女「そうでした」

……それはそうと。

トレンチコートの上から、男くんの胸の辺りを控えめにさすってみる。


女「えっと……兄ちゃん玄関閉めてからやって?って言ってました」

男「……今日はいつになく積極的だな」

女「だって……ほら、クリスマスですから」

男「クリスマスだからか」

女「クリスマスだからです」


ぎゅう。

出来ればトレンチコートの前を開いて、その中に包まる感じで抱きしめて欲しかったのだけども、贅沢は言えない。

小中学生のときの私が聞いたら、きっと贅沢にも程がある! と、しこたま蹴られることだろう。

人間は欲張りだとつくづく思う。

昔は手を繋ぐのも夢のようで、今では抱きしめて貰うことができるのに、さらにその上を望んでしまうのだから。

男くんが好きだ。

その気持ちは変わらないけども、得た地位に慣れてしまうともっと欲しくなってしまうのだ。


男くんの腕の中は、暖かくて、とても良い匂いのする空間だ。

私にとっては天界の空気に等しい。

もうなんというか、男くんの匂いを、男くんの匂いだけを呼吸して生きてゆきたい。

じっくり2分間くらい抱きしめてもらった。

こんなに良い匂いで心地良い空間から、2分間ぽっちで切り上げることの出来る私は、

案外、世界的に見ても精神的強者なのかもしれないなと思う。

女「……もう、オッケーです……堪能しました」

男「そう?」

女「うん……ありがとうございますた」

噛んだ。

離れ際に、最後の一呼吸をする。

……ホントこの匂いの中毒性と言ったら……なんという多幸感だ。


男「しかし今さらながら物好きだなぁ」

女「え?」

男くんの左手と私の右手を繋いで、男くんの家へ向かう。

持っていたケーキの箱は、男くんが持ってくれた。

普段はデート中であっても、外の人目の多い場所で手を繋いだり、必要以上にくっついたりはしない。

目立ってしまってみっともないからだ。

けれども今日は特別な日。街中のカップルエンカウント率が大幅に増加する。

木を隠すなら森というように、手を繋いだカップルの群れの中にいさえすれば。

私たちが必要以上に目立つこともない……と理由をつけて、手を繋ぐ。

男「いや、めちゃめちゃ嗅ぐからさ」

少しからかうような口調で、男くんがそんなことを言ってきた。


女「……良い匂いなんです」

男「臭いだろ」

女「それ以上私の好きな匂いを悪く言うといくら男くんでもブッ飛ばしますよ。瞬獄殺しますよ」

男「ひぃ。波動に目覚める」

女「……それに、男くんだって……私の匂い嗅ぐことあるじゃないですか」

心の中で、主になにかのさなかに、と付け加える。

男「あー。髪とか良い匂いするよね」

女「それと同じようなものです」

男「そうかなぁ」

女「そうです」

男「でも俺は女ちゃんの服だけ嗅いだりしないしなぁ」

女「それは………………またジャージとか貸してもらっていいですか」

スポーツの後の汗でびしょびしょになったジャージに顔をうずめる幸せを、わかってくれる人は少ない。

自分でも理解されるとは思っていないし、自分は変態なのだと自覚もしている。

でも私が男くんの匂いに目覚めたのは男母さんのせい、あるいはおかげだと思う。


私は少し冷え性気味だ。

家を出てから、時間が経つにつれて手が冷えてしまう。

対して、男くんの掌は大きくて暖かい。

男くんが冷え性じゃなくて、あるいは私の掌が暖かくなくて、本当によかった。

お互いの手の温度差が大きいと、手を繋いでいる事がより良く分かるからだ。

常温より、お湯や冷水の入ったコップに触れた方が良く分かるのと同じだ。

にぎにぎ。暖かい掌の感触を味わう。

にぎにぎ。男くんも握り返してくれる。胸の奥がくすぐったい。

しかも、いわゆる、恋人繋ぎだ。指と指の股まで触れ合う感触があって、幸せこの上ない。

私は本当に安っぽい人間だと思う。

男くんと手を繋ぐだけでこんなに幸せになれるのだから、私の幸せは常に男くんから大安売りされているに違いない。


男「今年も寒いなぁ。息が真っ白だ」

女「うん。……私、手冷たくないですか?」

男「左手も暖めようか?」

女「どr、道路で両手繋いで歩くってどうなんですか……それただの変な人たちですよ」

私は緊張するとよく噛んでしまう。特に男くん相手だとより顕著だ。

男「じゃあ、部屋に着いてから?」

女「……部屋に着いてから?」

男「部屋に着いてから」

女「部屋に……」

男くんの部屋で、おこたに入りながら手を温めてもらう情景を想像して、にやける。

女「……じゃあ、それで」

くすくすと、楽しそうに男くんが笑う。

男「甘えたがり」

女「……クリスマスだからです」

男「そうかクリスマスだからか」


男くんの家に到着した。玄関で靴を脱ぐ。

男母「いらっしゃーい」

女「あっ。お邪魔します!」

男母「女ちゃん! 今日は一段と可愛いね!」

小走りで私たちを出迎えてくれた男母さんは、私の姿を見るなりそんなことを言ってくる。

男「ちょっと僕の恋人いきなり口説かないでもらえませんかね」

“僕の恋人”と言われた不意の幸せに密かに浮かれていると、男くん男母さんの手刀が飛んだ。

男「いてっ」

男母「あんたの恋人以前に私の娘なのよ」

女「……ふふ、お母さんっ」

男母「娘よっ」

大げさに抱きしめてくれる男母さん。

男くんとはまた違った良い匂いがする。

小学生に入る前からお世話になっているのだし、私にとって第二の母と言って間違いないのだ。


ケーキを二つ取り出して、男母さんへ渡す。

女「あの、男母さん。ケーキ持ってきたので、よかったら男父さんと」

男母「ホント? ありがとう! いただきます」

男母さんは溌剌とした人だ。声がとてもよく通る。

そして、誰が、どう、何時見ても、紛うことなき美人だ。

当然なのだけども、男くんは男母さんの息子なんだなぁと思う。

美人の子は美人なのである。

そのうち、私の義母さんになってくれる……と、嬉しいなぁと思う。


男くんの部屋は二階にある。

トントントン。

私の前で、階段を登る男くんの軽快な足音。

足音から後姿まで素敵だから、ずるい。

女「お邪魔します」

男「いらっしゃい」

何度も何度もお邪魔してきた男くんの部屋。

入らせてもらったら、まずは深呼吸をする。

当然、鼻から。

男くんの腕の中には劣るけど、とてもとてもいい匂いがする。


男くん部屋の真ん中にはカーペットが敷いてあり、

その上に一辺に2人座るのがギリギリというくらいの、小さなおこたが置いてある。

冬場のいつもの光景だ。

コートを脱いだ男くん。私もその隣でポンチョと帽子を脱ぐ。

……服装から消え去ったクリスマス要素は、ケーキやプレゼントで補おう。

男くんが脱いだコートを受け取って、部屋の隅のコート掛けに自分のと一緒にかける。

男くんが薄いクッションをお尻の下に敷いておこたに入り、その左隣か対面にもう一つクッションを置いてくれる。

そして私がそこに収まる、というのも、いつもの光景だ。

今日は対面の位置に置いてくれた。

クッションを置いてくれる場所は、その日によって違う。

何かを食べたりするときは、対面になることが多い。

くっつきたいときは隣だ。


しかし今日はクリスマス。

いつもの光景だけではない。

女「ちょっと、お皿とか借りてきますね」

男「うん。ありがと」

もう一度、一階へ向かう。

ケーキを食べるために、お皿とフォーク。

それから飲み物のために、ポットとカップを男母さんに借りよう。


女「男母さん」

男母「あ。どしたの?」

女「あの、いつものお皿とフォークとか、お借りしても良いですか?」

男母「ああ、もちろん。使い終わったら、男の部屋に置いといて良いからね」

女「はい」

私がお菓子類を男くんに食べてもらう時は、いつも小さめの浅皿と金色のフォークのセットを二つお借りする。

ケーキ類のときは、コーヒーカップも。

今日はコーヒー風味のケーキだから、飲み物は紅茶にしようと思う。

男母「ところで、今日はワンピースなんだね」

女「う……変ですか?」

男母「ううん、可愛いよ。女ちゃん、もっとスカート着れば良いのに」

女「……苦手でして」

男母「もったいない」


ポットに茶葉をいれ、ぐらぐらと沸騰させたお湯を勢い良く注ぐ。

ほんのり紅茶の香りがするけども、その香りを楽しむ時間はない。

紅茶は、熱いお湯で、手早く蒸らして飲むのが美味しいのだ。

急いでフタをして、お皿とフォーク、そしてポットとカップを持ち、男くんの部屋に戻る。

女「お待たせしました」

男「おかえり」

大好きな人におかえりって言ってもらえるだけで、今日という日に大きな大きな意味があった。

最近、行ってらっしゃい、おかえりなさいと言える日々を妄想してはにやにやしている。

たまに行ってらっしゃいとおかえりなさいのキスもする。妄想の中で。

……そういえば小学生の頃、男くんとキスする時のためにとキスを待つ練習を虚空に向けてやっていたことがあった。

年上の従姉妹から、タコチューはイカンと言われたからだった。

……あの頃から何も成長していない。


男「メリークリスマス」

女「メリークリスマス!」

テーブルの上には、お皿に載せられたプチティラミス。

カップには、いい香りの立つ紅茶が注がれている。

真正面には、大好きな人が微笑んでいる。

おこたの中で、膝がくっつきそうな距離。

今この瞬間、私にこれ以上に幸せなクリスマスは想像できない。

つまり私は世界で一番幸せなのだ。

顔がにやけてしまっても無理はない。


男「いただきます」

女「……うん」

この、一口目を待つ時間というのは、何度経験しても相変わらず緊張の時間だ。

どんなに美味しく作ることが出来たと思っても、男くんが美味しいと思ってくれなければ意味が無いのだから。

男くんは金色のフォークを縦に使って、ティラミスを切り取る。

しっとりするまでコーヒーを染み込ませたビスケットも、さくりと切れてくれた。

ぱくり。


男「んふ」

その表情だけで、私は幸せになれる。

同時に、何度もその表情を見たいという欲求が湧き上がる。また作ろう、そう決意した。

女「……お口に合いましたでしょうか」

男「大変美味しゅうございます」

男くんはそれはそれは美味しそうに、もう一口、ぱくり。

口元がにやけてしまう。

女「へへ。お口に合って何よりです」

男「んー……んまい」

んまい。

たった三文字で私をここまで喜ばせてくれる人は、男くんを措いて他にありえ無い。

顔がにやけてしまって止まらない。


男「こういうの、なんていうんだっけ」

女「ティラミスです。イタリアの、チーズケーキですよ」

男「そうそう、ティラミス。コーヒー味でホント美味しい」

目尻がふにゃんと下がっていて、それがとてつもなく可愛い。

男の人は可愛いと言われるのを嫌がるかもしれないけども、可愛いものは可愛いのだから仕方がない。

これがいわゆる一つの萌え要素なのかもしれない。

胸がきゅんとしてしまう。

女「ふふ。んふふ」

私も、自分の分を食べることにしよう。

フォークを縦に構える。


男「あ」

女「?」

随筆しがたいほど優しい微笑みを浮かべて、男くんがもう一口分、フォークでケーキを切り取る。

男「女ちゃん女ちゃん」

女「うん?」

男「あーん」

女「えっ、な、何!? 何故!?」

男「特に意味は無い。あーん」

女「な」

男「あーん」

女「……あー……n」

男「んまい?」

女「……んまいです」


間接キスは、キスとはまた違う良さがあると思う。


男「ごちそうさまでした」

女「ごちそうさまでした」


私の作ったプチティラミスは、この上なく素晴らしい成果を残してくれた。

男くんが美味しいと思ってくれたなら、その時点でお釣りがくる。

お皿を重ねておこたの隅に置き、その上に2本のフォークを置く。

最近の私は以前にも増して病気だと思う。

男くんの使ったフォークが、お皿の上で私の使ったフォークとくっついている。

しかも口に入る部分。

つまりあそこで男くんの唾液と私の唾液が。

その事実にさえドキドキするのだから重症だ。


少し温度の下がった紅茶で、口の中を湿らせる。

男「ね、女」

女「はい?」

男「手、貸して」

女「手?」

にやにやと、意地悪かつ優しいという高度な微笑みを浮かべる男くん。


男「あれ、部屋に着いてからって言ってなかったっけ?」

女「!」

私としたことが、そんな幸せイベントをすっかり忘れてしまっていた。

女「そういえば両手がとても冷たい気がします。氷点下くらい。これは暖めてもらっても何らおかしくないですよね」

男「氷点下とは恐れ入った。壊死する前に早く出しなさい」


両腕を伸ばした男くんが、ゆっくり、焦らすように、優しく私の両手を包んでくれる。

そのまま、指をわきわきと動かし、私の指をふにふにと摘まんだり、

恋人繋ぎをした状態からにぎにぎしてきたり、ぐにぐにと弱く揉んでみたり、

私の左手の薬指の付け根、つまるところ私の指輪をすりすりとさすってみたり、

指先で私の手の甲をこちょこちょとくすぐったりしてくる。

ちょっと、いや、かなり、顔が熱くなってくる。

そのうち顔から火が出そうだ。

でも、とても心地良い。

男くんも私も、無言でむにむにむにむに。

顔がにやけないわけがない。


男くんの手は、大きくてあったかくて、ちょっぴりごつごつしている。男の人の手だ。

この手が、私の手を握ってくれたり、頭を撫でてくれたり、ほっぺをさすってくれたりするのだ。

幸せこの上ない。

男「……ふふ」

女「へへ」

男「手セックス」

女「」

ぼそっと……と言うべきなのか。音量は小さく、だけどもはっきりと、男くんがつぶやいた。

丸々二秒間、男くんが何を言っているのか分からなかった。

にやぁーと、悪戯っぽい笑顔。

遅れて理解して、顔がどんどん熱くなってくる。

思わず手を引っ込めようとすると、男くんがやんわりと阻止してくる。

女「せッ、セクハラですよッ!!!!!!」

思わず大きな声が出た。しかも裏返ってしまった。


わざとらしく表情を作る男くん。でも喉元がくっくっと笑っている。

しかも笑いながらも、手の動きを止めようとはしない。

男「おっと間違えた間違えた。手で乾布摩擦してるみたいって言おうとしたんだ」

女「どう考えても嘘じゃないですか!!」

男「嘘じゃないよホントホント。ただ手を暖めてあげたいなーって」

女「もう充分っ! 暖まりましたからっ!」

男「女ちゃんの手は柔らかいなぁ」

女「はッ、放してくださいっ!!」


男くんは私の手を解放して、くすくすと楽しそうに笑う。

女「……男さんの、ええと、動物っ!」

男「失礼な。知性的かつ理性的でありながら控えめなセクハラだ」

女「なお悪いです!」

おこたに突っ伏しながら腕を伸ばして、私の頬に触れながら、悪戯っぽく目を細めて微笑んで、じぃーっと見つめてくる。

男「ごめん、嫌だった?」

もはや、ずるいという表現では足りないほど、ずるい。

女「……恥ずかしいです」

男「まぁ最近の俺は女ちゃんを恥ずかしがらせるために生きてるトコあるからな」

女「……くっ」

男「顔真っ赤」

女「……男さんのせいですが」

男「まぁクリスマスだし」

女「関係ないです」

こんな意地悪な微笑みさえずるいのだから、私は一生男くんに勝てないのだろう。


プレゼント交換。

今年、私はネクタイとネクタイピンを贈ることにした。

今年から男くんは大学1年生だ。

スーツを着る機会も多くなるし、ネクタイも、いろんな種類があった方がいいのかな、と思ったのだ。

使ってくれると、とても嬉しい。

使わないと怒るとか、そういうことは決して無いんだけども。

でも、贈ったものを使って頂けるというのは、やっぱり嬉しいものだと思う。

……それに、ネクタイやピンを贈る意味というのもあるし。


男「どうぞお納めください」

女「うむ、苦しゅうない。……ささ、こちらをどうぞ。今年の年貢です」

男「ほっほ、近う寄れ近う寄れ」

この上下関係がころころ入れ替わる全く意味の無い小芝居は、男くんとだからスムーズに進むんだと思う。

思い返せば、昔からこんな事ばかりしていた。

男「開けて良い?」

女「もちろんです。私も開けちゃいます」

カコカコと音を立て、プレゼントの箱をお互いに開ける。



男「おおっ! ネクタイ! とネクタイピン!」

女「時計!」


男くんからのプレゼントは腕時計だった。

早速、腕に巻いてみる。

女性として欠陥なのかもしれないけど、私はブランド物で盛り上がるより、ゲームの話で盛り上がってしまう様なオタクなのだ。

もちろん、可愛いものを可愛いと思う感性は持ち合わせている、いると思いたい。

しかし残念ながら、私はあまり服やアクセサリーのブランドに明るくない。

1万円使えと言われたら服よりゲームソフトを買うような奴だ。

なので、当然といえば当然、時計の良し悪しもあまり分からない。

けども、男くんが私に贈ってくれたという事実自体が、この上なく貴重なブランドだと思う。

男くんが私に贈ってくれたこの腕時計は、世界に一つしか存在しないのだ。

これこそまさにプライスレス。


黒い革のベルトを通し、丁度良いところで留める。

手首をくるくると回して、付け心地チェック。

とは言っても私は時計の違いが分からない女。

綺麗だなーくらいの感想しか出ない自分の貧相な頭が悲しい。

男くんはネクタイを首元に当てていた。

男「似合う?」

女「頭の中で、男さんに似合うかなーって想像しながら選びました」

女「当然似合うに決まってますばっちりですかっこいいです」

男「おお、自信満々だな」

女「私の脳内3D男くんの再現率は、我ながらかなり物だと思います」

男「なんだそりゃ」

くすくすと柔らかい微笑みを浮かべ、紅茶を一口。

……美人は何をしても、本当に絵になるなぁ。


男「ありがとう、大切にする」

女「私もです。さっそく着けちゃいます。ふへへ」

男「ところでさ、これ贈る意味って分かってて選んだの?」

女「」

女「ぇえっ? 知りませんよ? なんですかそれ?」

男「女ちゃんは可愛いなぁ」

女「や、やめてくださいそんな」

男「知らないなら教えてあげようネクタイを贈る意味ってのはね」

女「しッ! 知りたくないです!!」

……男性がそういうのを知っているとは思わなかった……こういうのは、面と向かって言われるととても恥ずかしい。

男くんは博識である。

……そこは無知でも良かったのに。

顔が熱くて仕方が無い。


今日はDVDを見る予定だ。

話題のアニメ映画。

火の悪魔が、なんだかかわいらしい。

女「この子かわいい」

男「この人、前はカエルじゃなかったっけ」

女「千を出せっ」

男「そうそう。それもう食われてるから本人じゃないけど」


ちょうど2時間、DVDが終わった。

男「んんんぐー」

身体をぐぅーっと伸ばし、少し掠れた声を喉から出している。

色っぽい。とても。

中学生のある日、部活動のさなか、ぜぇぜぇと掠れた荒い呼吸をする男くんがとても色っぽく見えてから、

私の脳は掠れた声や吐息にたまらない色気を感じるようになってしまった。

脇腹をくすぐりたい欲求に駆られる……が、我慢する。

男「割と面白かった」

女「ね。でも私の豚は超えられない」

男「俺のユパ様も超えられないな」

お互い、譲れないNo.1がある。


時刻は18時。

つい少し前まで明るかったのに、もう外も真っ暗だ。

男くんが車を出してくれることになっている。

男「よし、行こっか」

女「はい」

一声、男母さんに挨拶をして、車にお邪魔する。

男くんが免許を取ってから、幾度となく助手席に乗せてもらった。

私はこの時間がとても好きだ。

ただシートベルトはあまり好きではない。……何がとは言わないが、強調されるから。

とは言え、締めないわけにもいかない。シートベルトを絞め、こっそり男くんの横顔を伺う。

暗闇の中、ぼんやりと浮かぶ綺麗な横顔。否が応でもどきどきしてしまう。

ドルル、とエンジンがかかり、ゆっくりと発進した。


男「クリスマス来ると、いよいよ今年ももう終わりかぁって思うなぁ」

女「そうですねー。もうあっという間に年末年始ですよ」

男「女は受験だしなー」

女「う。……思い出させないでください」

今、私は大学受験を控えている。

受験勉強のラストスパート真っ只中だ。

……だというのに、今日一日遊んでしまった。

弟にはあんな事を言ったけども、私はそこまで自信過剰ではない。

本当は勉強しなければいけないんだと分かっている。

……分かっているけども。


男「ま、大丈夫だよ。受かる受かる」

女「もー……そんな気楽に」

男「気楽に構えてた方が良いってば」

私の志望大学は、男くんと同じ大学だ。

家から近いということ、私の学力で狙える範囲で、そこそこ有名な大学であること。

……志望動機はいろいろあるけども、一番の要因はもちろん、男くんが通っている大学だということだ。

男くんと同じ大学に通って、少しでも長い時間を一緒に過ごしたい。

私にとってはこれ以上なく単純で、これ以上なく重要な理由だ。

女「うう……こんな時期に、こんなに遊んで良かったのでしょーか」

男「良いの良いの。去年俺が受験の時だって、俺と一緒に過ごしてくれたろ?」

……それは、私が男くんと過ごしたかったから、というのが正しい。


女「それは、男くんは勉強できるから」

男「女もA判定だろーに」

赤信号で、車が止まった。

男「今までずっと勉強しっぱなし。一、二日しっかり英気を養った方が良いよ」

去年、“今年は一緒に過ごせないだろうな”と思っていた私に、一日時間をくれた男くん。

そう言えばあの日は、気のせいかいつもよりちょっと甘えてくれた気がする。

私の胸に顔をうずめるように抱きついてきた男くんを思い出して、にやける。

あんな男くんは滅多に見られるものではない。脳内メモリーにしっかり保存したのだ。

私は映像記憶には自信があるのだ。

女「……よしっ。受験のことは、今日はもう忘れます!」

男「そうそう。思い出させといてなんだけど、忘れてゆっくり楽しみましょう」

女「うんっ!」


目的地から少し離れた駐車場に車を停め、少し歩く。

夜空は真っ黒だけど、お店の明かりで歩くのに支障が無いくらいには視界が確保できている。

目的地は、とある公園。

毎年イルミネーションでライトアップされるデートスポット。

この周辺でクリスマスイルミネーションを見るといえば、その公園がまず挙げられる。

当然、毎年嫌と言うほど混み合うのだけども、やっぱりクリスマス。

毎年、イルミネーションを一目見るくらいはするようにしている。

他愛無い話をしながら、二人で並んで歩き出す。


男「今年どんなゲームやった?」

女「うーん……今年後半は数えるくらいしかやってないけど、ベストは、そうですね……バンピートロット……かな」

男「あ、あれか、アイレムの。貸してもらったな。アホ選択肢のやつな」

女「そうそう。男さんは?」

男「喧嘩番長だな」

女「あー……あんまり食指が動きませんでした」

男「女には合わないかもしれん」

くすくす笑う男くん。……確かに、私には合わないと思う。


男「ソウルキャリバーも面白かった」

女「あ! Ⅲですね! 私まだやってないです、コマンド覚えなきゃ」

男「大学受かったら一緒にやろうな」

女「うん!」


しばらくして周りにカップルが増え始めた。

こっそりと、男くんの左手の甲をくすぐる。

これは私と男くんの間だけで伝わる、手を繋ぎたいというアピールだ。

私の訴えは受理された。さっきまでより半歩、男くんに寄り添って、手を繋ぎながら歩く。


目的地に近づくにつれ、ますますカップル率が上がってきた。

しっかり手を握って、はぐれないようにしなければ。

私は普段あまりこの辺りまで出ることはないので、新しく出来たお店を発見しては他愛無い話を弾ませているうちに、目的地に到着した。

どれほどの電球が使われているのか、色とりどりの光でお化粧されたクリスマスツリーは圧巻の一言だ。


男「今年もまた凄いな」

女「うん、とっても綺麗です」

……ただし、どんなに綺麗なイルミネーションも、私にとっては男くんの顔を照らす照明でしかない。

イルミネーションは一年に一度。

確かにそうだけども、イルミネーションの光で照らされた綺麗な男くんの横顔もまた、一年に一度しか見られないのだ。

私がどちらを優先するかなど言うまでも無い。

のんびりと公園の中を通過しながら、私はずっと男くんの横顔を見ていた。


男「そろそろ行こうか」

女「はい」

男くんの横顔を堪能した後は、車に戻って食事に行くことになっている。

この公園から離れれば離れるほど、周囲のカップル率は下がり、森から抜けてしまう。

つまるところ私たちのカモフラージュ性能は、これ以降は下落する一方だ。

今のうちに、存分にいちゃいちゃしておこう。

控えめに腕に抱きついて、男くんの肩に耳をぴっとりとくっつける。

ちらりと男くんの顔を伺うと、なんだか嬉しそうだ。

少なくとも、嫌がってはいない、と思う。思いたい。


女「……へへ。くっついてると歩きにくいですね」

男「まったくだなぁ」

この歩きにくさがまた幸せだ。

私に歩幅を合わせてくれる優しさに甘えて、とびっきりにゆっくりと歩くことにする。


男「今何時くらい?」

女「えーと……」

携帯電話を取り出そうとして、思い出す。

そうだった、腕時計つけていたんだった。

女「7時半ちょっと過ぎです」

男「丁度良いくらいの時間だな」


幾度となく寄り道をしながら、車に到着したのは8時ちょっと前だった。

少し家の方向に車を走らせて、途中にあるファミリーレストランに入る。

お互い実家暮らしであるし、家も近いから、どちらかの家で二人きりの食事というのは少ない。

大学も、私が無事に合格すれば、家から通える距離だ。

男くんが院に進むにせよ就職するにせよ、一人暮らしするのは男くんの方が先だろうと思う。

だけど、それにしたって何年も先の話だ。

まだしばらくは私の夢が叶う日はこない。



通い妻って素晴らしい響きだと思う。

その時のために、家事上手にならなければ。


男「うー、満腹だ」

女「私もです」

男「ちょっと食べ過ぎたかも」

女「お腹触っていいですか」

男「くすぐったいからやだ」

かまわず男くんのお腹に手を伸ばそうとすると、手刀で防がれてしまった。

無念。

男くんは、割とくすぐりに弱い。特に脇腹が弱点だ。

ちなみに私はもっと弱い。

幼い頃、父がふざけて私をくすぐっていたとき、あまりに笑いすぎて気絶したことがあるくらい弱い。

救急車呼んだらしい。


食事も終え、車に戻る。

……あとは帰るだけとなってしまった。

楽しい時間というのは、本当にあっという間だ。

思えば男くんと恋人同士になってから、楽しくない時間というのはほとんどなかった。

男くんと一緒だと、苦手な英語の勉強ですら楽しいのだから。

気がついたらおばあさんになってしまいそうだ。

ドルル。エンジンがかかってしまう。

今だけエンジントラブル起きないかな。


男「さて、行きますか」

女「うん」

起きなかった。


男「さっき」

女「うん?」

男「レストランに高校の先生いたな。物理の」

女「えっ! ど、どこにいたんですか?」

男「気付いてなかったか。女から見て、左後ろにいたんだ」

女「えー……全く気付きませんでした」

……だって私の目にはあなたしか映っていませんでしたからね。

男「珍しく、ちゃんとした服装だった。髪も直してたし」

女「……失礼ですよ?」

だけどもあまり強く否定できないのは、物理の先生がほぼ毎日あまり清潔には見えないような服装をしているからだ。

髪の毛もぼさぼさだし。

ちなみに授業は物凄く分かりやすくて面白い。


男「奥さんと、娘さんと一緒だったんだ。娘さん小学校低学年くらいかな」

女「クリスマスにご家族で食事ですか。いいですねー」

男「なー。そうなれると良いなー」

女「」

完全な意識の外からスナイパーライフルでヘッドショットされた気分だ。

しかもスナイパー当人には、HSした自覚が微塵もなさそうなのがタチ悪い。

女「そ、うですね……」

声が裏返らないように注意を払いながら、顔が燃えそうになる。

前の車のブレーキランプがやたらまぶしくて本当によかった。

今の私は、今日一番の赤い顔をしていると思う。

この人は、つくづく、心底、ずる過ぎる。


家に到着してしまった。

時刻は9時半を回ったところ。

車から出て、もう一度男くんの部屋に上がらせてもらう。

最後にちょっとだけ、二人きりで過ごすために。

男母さんと、男父さんに一言挨拶をしてから、男くんの部屋に上がらせてもらった。

そして今回は、左隣にクッションを置いてくれた。

私はそこに収まって、男くんに少し体重を預ける。


女「……あっという間に終わっちゃいました」

男「楽しい時間はなんとやらだなー」

女「うん……。明日から勉強がんばらなきゃ」

男「がんばり過ぎるなよ」

背中から腕を回して、少し抱きしめてくれた。

もう少しだけ、体重を預ける。


男「身体壊して風邪引いてセンター当日、とかならないようにな」

女「……それ、男くんの友達でしたっけ」

男「そー。あいつ、前日の夜まで夜遅くまで勉強してて。風邪引いてな。受かったけど」

女「……あ、えーと、あのー」

男「ん?」

私は、自分で言うのもなんだけども引っ込み思案な方だと思う。というか、卑怯なのだと思う。

デートのお誘いは、ほとんど男くんからだ。

私からお誘いして、断られたらと思うとどうしても尻込みしてしまう。

やっぱり、卑怯なのだ。


でも今なら、クリスマスの夜の雰囲気とかも私に味方して、勇気が出せる気がする。

女「センターの前の日とか……ちょっとで良いから、会えませんか」

男「前日?」

女「うん……きっと勉強で疲れてるから、元気ください」

男「可愛いこと言うなこいつめ」

くすくすと笑う男くん。

抱きしめられているせいか、男くんの声がよく聞こえて心地良い。

男「もちろん、いつでも会えるよ」

……世界中の女の人がとろけてしまいそうな、優しい微笑みだ。

私は一瞬でとろけた。

苦しいくらいに、胸がきゅぅーっとしてしまう。


女「……男さん、大好きです」

抱きしめられているので表情は見えないけど、男くんがちょっぴり驚いたのが分かる。

男「……珍しいな。いつもはあんまりそういうこと言わないのに」

女「……えーと。クリスマスなので。今日は、特別です」

男「そっか」

柔らかく微笑んだ男くんの右手が、私の左耳を摘まんで、少しだけ促すように引っ張る。

私はその力に逆らわず、腰を捻って身体ごと顔を男くんの方に向けて、気持ち、上を向く。

人差し指の背中で、私のほっぺをすりすりとさすってくれる。

くすぐったくて心地良い。


なんとなく、目を閉じる。

小学生のときの練習も、無駄ではなかったのかもしれない。

……唇と唇をくっつけるだけでこんなにドキドキして幸せに浸れるのだから、人類の脳というのは不思議なものだ。


男「俺も大好きだよ」

……唇を離す時間まで絶妙だから、男くんはずるい。

女「……うん」

もうちょっと長くして欲しかった。とは、言えない。

男くんの右手が、私の左手を握ってくれる。

幸せすぎてふわふわしてしまっている頭で、私はいつも男くんの左隣にいるから、左手を繋ぐのは珍しいなぁ、なんて思う。

隣同士に座った状態で抱きしめて貰うのは難しい。

お互いに腰を捻って、上半身は正面から抱きしめてもらっている状態。

なんとなく、体勢的にもどかしい。

でもそのもどかしさすら幸せに思えてしまうのだから、私の頭も始末に負えない。

男くんの胸に顔をうずめて、深呼吸をする。

当然、鼻から。


男くんの胸に、頬ずりをする。

この匂いが私の身体に染み付いたらいいのに。

おそらく、この匂いには依存性のある物質が多分に含まれている。

でなければ私がこうなっている説明がつかない。

胸いっぱいに男くんの匂いを吸い込む。

男くんは左手で、私のうなじの辺りをさわさわと撫でてくれる。

同時に、右手で私の左手をむにゅむにゅぐにぐにと弄んでくれる。

仮に私が犬だったら、私は尻尾を振りすぎて、すぐ千切れ飛んでしまうだろうな。

雌伏……じゃない、至福の時間だ。


ハッと気がつくと、時刻は10時半に届きそうな頃合だった。

一体いつの間に……。

頭を撫でられながら男くんの匂いを嗅いで、その状態でどうでも良い話をしながら、1時間近く過ごしてしまった。

もうちょっと早くお暇する予定だったのに。

女「も、もうkんな時間です」

呂律が回らなかった。酔っ払っているわけではない、と思う。

男「……おっと、いつの間に」

血涙が出そうなほどに名残惜しいけども、男くんの胸から顔を離す。

女「そろそろ……お暇sます」

我ながらいい加減呂律回復してくれ、と思う。

男「うん。今日はありがとな」

女「わ、私の方こそ!! あの、とっても幸せでした」

男「うん。送っていくよ」


すっと立ち上がった男くんが、私のポンチョも持ってきてくれる。

やっぱり名残惜しい……。

後ろ髪をエンジンで巻き取られている気分だ。



ポンチョを羽織って帽子を被り、男母さんと男父さんに挨拶をする。

女「すみません、お邪魔しました」

男母「いえいえ。私たちの方がお邪魔しちゃったみたいで、ねぇ?」

男「おかげでキスまでしかできなかっt」

女「男さんッ!!!!」

男父「来年は家開けとこうか」

女「男父さんもッ!!」


もう10時半を回っている。

こんな時間になると、さすがに周りに誰もいない。

木を隠すなら森。だけども、そもそも観測者がいないならビル郡に木があっても見つからないのだ。

という理由をつけて、こっそり手を繋ぐ。

いつものように、男くんの左側。

ここが私の特等席だ。今後も誰にも譲る気はない。

男「寒くない? コート貸そうか」

女「全然大丈夫です、ありがとうございます」

むしろあなたと手を繋いでいると身体がぽかぽかしてしまって堪りません。

しかし思い立ってしまった。

今、周りの目は無いのだ。


せっかくのクリスマスだし、もうちょっといちゃついても、バチは当たらないと思い込むことにした。


女「あ、えーとあの……やっぱり、寒いかも」

男「ん、ちょっと待って」

コートを脱ごうとする男くんを、慌てて静止する。

女「あっ、ち、違くて! あの、マフラー、貸してくれませんか」

半分だけ、と、小さく付け加える。

男「半分? あ、あー……なるほど」

優しく微笑んで、くるくるとマフラーを解いていく。

男「幸い、このマフラーは長めだった」

女「それは……僥倖」

そのまま、くるくると私に巻いてくれた。

ほんのり男くんの匂いがするマフラー越しに、夜の冷たい空気を吸い込む。

一本のマフラーを二人で。

長年の夢が今叶った。


女「……へへ。暖かくなりました」

男「いつになくいちゃいちゃしてるなぁ」

女「へへ。いちゃいちゃしちゃってますね?」

男「クリスマスだしな」

女「クリスマスですもん」

二人でくすくす笑いながらにやけてしまう。

……誰も見ていないし、これくらいのバカップルぶりは許されるはずだ。


もうあと十数メートルで、私の家に着いてしまう。

男くんとデートした後はいつもだけども、今日は一段と足取りが重い。

幸せな日ほど、帰り道が寂しいのは仕方が無いことなんだろう。

男くんの腕に抱きついて、ゆっくりゆっくり歩く。

そんな私に歩幅を合わせて、男くんもゆっくりゆっくり歩いてくれる。

月並みな言葉だけども、一秒でも長く一緒にいたいと思う。




……ああ、到着してしまった。


マフラーを解いて、男くんの首に戻す。

ひやりとした空気が首筋に触れる。

……まさか今生の別れというわけでもないのに、めちゃめちゃ寂しい。

これからセンター試験まで男くんと会う予定がないと思うと、たかだか3週間ぽっちなのに、辛い。

私はなんと重い女なのだろうと、事ある毎につくづく思う。

けども、自覚したところで寂しさは強まるばかり。

我ながらめんどくさい性質だ。

男くんが私と恋人になってくれていなかったら、間違いなくストーカーになってた。

というか、お付き合いする前の私は控えめに見てもストーカー予備軍だった。


泣きそうな顔をしていたのかもしれない。

帽子の上から、くしゃくしゃと頭を撫でてくれた。

男「じゃ、またな。風邪引く前に、暖かくして寝ること」

女「う、ん」

いかん、ちょっと本当に泣きそうになった。



女「…………あの、最後にもう一回して欲しいです」

男くんの唇を見つめる。


……人類の脳というのは本当に不思議なものだ。


最後の最後に、ぎゅっと抱きしめてもらった。

私も、男くんの背中に腕を回して、精一杯くっついて、ちょっとだけ匂いを堪能する。

女「送ってくれて本当にありがとうございました」

顔をうずめているせいで、少しくぐもった声になってしまった。

男「いえいえ」

女「今日は本当に……幸せでした。明日からがんばれます」

男「何よりだ。俺も幸せだったよ」

しばらく抱き締め合った後、どちらからともなく離れる。

女「帰り道、気をつけてくださいね」

男「うん。また電話するから」

女「私も、勉強の合間に声が聞きたくなったらかけちゃうかもしれません」

男「いつでも待ってるよ」

女「……へへ」

男「…………もう一回キスしていい?」

女「へっ!? あ、s…………はい……」


男「じゃね。おやすみ」

女「う、うん。おやすみなさい」

何事もなかったかのようにくすっと微笑んで、ひらひらと手を振り、男くんが踵を返す。

その姿が見えなくなるまで見送って、家の中に入ってドアに鍵を掛ける。

別れてから1分も経っていないのに、今すぐにでも電話を掛けたい欲求に駆られてしまう。

しかしそこはぐっとこらえて、代わりにメールを一通、大好きです、おやすみなさいとだけ送信した。

今日は本当に、心の底から幸せだった。あまりにも幸せで幸せで、実は夢だったといわれても納得してしまいそうだ。

でも私の左手首には、ちゃんと腕時計が巻いてある。

腕時計を眺めてにやにやしていると、メールの返信が来た。

……。



女「……ふふっ。へへへへ」

さらににやにやが止まらなくなってしまった。

……今日は、早くお風呂に入って、この幸せな気分のまま眠ることにしよう。

きっといい夢が見られると思う。



おしまい。

心から乙

ソウルキャリバー懐いなぁ
3ってことは2005年か?

いいなぁ
スレ主は女性?

またなんか書いてくれ

読んでくださってありがとうございます。

>>98
ちょうどその辺です!
お互いのキャラクターを作り合って対戦したりしてました
バグってデータ破損しましたけどね!

>>99
どっちでしょうww
自分の恋人の心や行動を妄想して書いているのかもしれません

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom