【咲SS】景子「折れた刃は錆びつかない」【越谷女子】 (40)

 1

 あれから十年が経った。

 夏。

 私は母校、越谷女子高校の麻雀部の顧問として、あのときと同じ場所にいる。

『左下ブロック二回戦! 選手たちの入場でえ"え"え"え"え"す』

 奇しくも、対戦カードまで全く同じだった。

 シードの千里山女子。

 兵庫の強豪、劔谷。

 そして、阿知賀女子学院。

 今でも、あのときのことは、まるで昨日のことのように思い出せる――。

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 2

「余としたことが……まったく不覚の至りであるぅぅ……」

 先輩は帽子を目深に被って頭を下げた。泣いているのだろう。

 いつも明るい、マスコット的存在。

 私たちのムードメーカーである玉子先輩は、劔谷の一年生のバカツキに巻き込まれて、大きく凹んだ。

「大丈夫です。あとは、私にお任せください」

 私は少し、強がった。

「自分が納得できるように打ってきな、景子」

 ソフィア先輩は、軽く私の肩を叩いてくれる。

「景子には感謝してっからねェー。私らが一回戦突破できたのも、景子がいてこそだろーよォ」

 花子先輩は、歯を見せて笑った。

「けいこせんぱぁい……」

 史織は私の手を握って、何かを言おうとするが、最後には下を向いてしまった。

 彼女も、玉子先輩同様、今日は満足のいく結果を残せていない。

「必ず取り返す。だから、史織、そんな顔をしないで。待っていてくれ」

 私はみんなのほうを見る。

 玉子先輩は目に涙を浮かべてしゃくりあげていた。ソフィア先輩と花子先輩は笑顔だが、どこか目に力がない。史織も暗い表情をしている。

 過去四度インターハイに出場している越谷女子。

 その戦績は、全て一回戦敗退。

 二回戦に勝ち上がれたのは、これが初めて。

 想像以上に高い壁に、みんな、打ちのめされていた。

「……頼むぞよ、景子……」

 玉子先輩が、声を振り絞る。

「はい。この刃に誓って――」

 私は頭の後ろの刃に触れる。

 みんなから、少し変わっていると言われる、私の打ち筋。

 その力の源になっているであろう、それは、私の大切な刃だった。

 3

「よし、みんな、準備はできているか」

 私が聞くと、生徒たちは口々に、はい、ばっちりです、などと答えた。

「知っての通り、今日の相手はどこも一筋縄じゃいかないところだ。シードの千里山は当然強い。
 劔谷も、ここ数年で最も完成度が高いベストメンバーと言われている。
 そして、阿知賀女子。十年ぶり三度目の出場。一度目はベスト8、二度目はベスト4、今回が三度目の正直。受け継がれるレジェンド……今年一番勢いのあるチームだ」

 レジェンド――その単語に、みんなが顔を綻ばせる。

「ケイちゃんだって、越谷のレジェンドだよっ!」

 弾んだ声でそう言ったのは、チームの主将。二年生。

 あんな負け方をした私に、『カッコよかった』と言ってくれた、とても稀有な少女だった。

 4

(な……なんなんだよ、こいつ……!!)

 血の気が引いていくのを感じる。

 私は阿知賀の大将から目が離せなかった。

(私の刃が通らない……? こんな相手は初めてだ。私の力が完全に押さえ込まれている。こいつ、本当に何物――!?)

 阿知賀の大将は、呼吸をしているかどうかもわからないくらい、静かに、厳然と、そこに座っていた。

(ドラゴンロードも、赤牌使いも、副露に強い一年も、筒子待ちのネクタイも……比較にならない!
 おい! 千里山と劔谷、気付いてるのか!? この異常事態――!!)

 ぞわり、と背筋に悪寒が走る。

 まただ。

 何かとてつもない力が、場に満ちていく。

 卓上に姿を見せる山――その向こうに、強大な気配を感じる。

 深山幽谷の化身。

 そんな異名が、頭に浮かんだ。

(こいつが阿知賀で一番ヤバい……ッ!!)

 震えが止まらなかった。

 重い。苦しい。冷たい。暗い。

 じわじわと絶望が込み上げてくる。

 私の心が――刃が折れるのに、そう時間は掛からなかった。

 5

 越谷のレジェンド。

 それは、阿知賀のレジェンドとは真逆。

 紛うことなく蔑称であり、最低と同義語であり、負け犬の類義語であり、それ即ち、私のことだ。

「そうだな、私は、確かに越谷のレジェンドだ」

 チームの大将を任されながら、後半戦南三局にラス確定のダマッパネを披露した、越谷史上、ひいてはインターハイ史上に残る、最低最悪の雀士。

 それが、私――八木原景子。

「安心していいぞ、お前たち。この越谷のレジェンドこと私がいる限り、お前たちが伝説になることは決してない。
 どんなに凹もうと、無様に負けようと、お前たちに私は越えられないさ」

 私は、大袈裟に肩を竦めて、にんまりと口角を上げた。

「だから、どんなにみっともなくてもいい。自分が納得できるように打ってこい。最後までこのお祭りを楽しんでこい。
 そうやって、私たちは勝ってきた。この二回戦も、きっとなんとかなる。それだけの練習はしてきた。目指すは越谷未踏のベスト8……思いっきり、ぶつかってこい!」

 はい、と生徒たちは口を揃えて言った。

 先鋒の生徒が、対局の準備を始める。

 控え室に、ピリピリと、心地よい緊張感が漂う。

 そんな中、例の少女が、そっと私の隣に来て、小さく呟く。

「やっぱり……ケイちゃんはカッコいい」

 私は、恥ずかし紛れに、彼女の頭を優しく撫でてやった。

 そこには、十年前から預けたままの、私の刃。

 よく手入れされて磨かれた表面には、今の私の顔が映っていた。

 6

(ダメだ……何をしても弾き返される。まるで靄に包まれているみたいに、何も見えない。これを意図的にやっているのか? 本当になんなんだ、この阿知賀の大将は……)

 動かざること山の如し。

 阿知賀の大将――高鴨穏乃は、まさにそんな打ち手だった。

 彼女は、ただそこに在るだけで、この場の全てを支配していた。

(こいつは明らかに普通の人間じゃない。今年の一年だと、白糸台の大星と清澄の宮永が飛び抜けていると分析していたが、こいつは恐らく……その二人すら凌駕する。
 あの宮永照でも、本質的なところでこいつの支配を打ち消すことはできまい。いわんや私をや。参った……もう、打つ手がない)

 私は、特殊な力を持った人間に敏感な体質だった。私自身がそうであるからだと思う。

 だからこそ、敵チームの分析の際には、そういった視点から発言ができたし、独自の対策を練ることもできた。みんなからの評判は上々だった。

 もちろん、松実宥のように技巧に富んでいたり、新子憧のように純粋に技術レベルが高かったり、森垣友香のように突発的に豪運を発揮されたりすると、なかなか対策通りにはいかないのだが。

 ソフィア先輩以外は、マイナス収支。

 点数状況は非常に厳しい。

 それでも、私なら、逆転できると確信していた。

 劔谷も阿知賀も、ごくごく一般的な打ち手だと分析していたからだ。

 それは、半分正解で、半分は、不正解だった。

 阿知賀の大将――想定していた想定外すらも易々と超えていく、とんでもない魔物。

(力が使えないだけじゃない。こっちの手の進み具合も、こいつの支配下にある。
 特に、山が深くなればなるほど、それが強くなるような感じだ。役満級の手を作らないと二位をまくれないこの状況では、致命的……)

 勝利への道のりは、あまりに遠過ぎた。

 ただ遠いだけなら、しかし、私は前に進むことができただろう。

 だが、この深山幽谷の化身を前にして、私は一歩も前に進むことができなくなっていた。

 視界もぼやけ、どこを目指せばいいのかすら、わからなくなっていた。

(この……霧の立ち込める深い山の中――私はどうすればいい)

 順当に行けば、私たち越谷は、ここでこのまま敗退する。

 悲願の一回戦突破。

 それなりの結果と、それなりの成果を残して、夏を終える。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか?

 控え室を出るときの、みんなの様子を思い出す。

 みんな、自分たちの不甲斐なさを悔いていた。

 それは、本気で勝ちたいと思って打ったからこそだ。

 ソフィア先輩も、花子先輩も、史織も、玉子先輩も、みんな、勝つために戦い抜いた。

 対して、私はどうだろう。

 この阿知賀の大将を前にして、私の刃は、既に折られていた。

 敗北者。

 勝利を諦めた負け犬。

 力の差に絶望した脆弱な打ち手。

 こんな私に、何ができる?

 一緒に戦ってきたみんなのために、何ができる……?

 脳裏に、再び、控え室を出るときの、みんなの顔が浮かんでくる。

 一回戦を勝ち抜いたときの、あのはしゃぎ様が嘘のような、暗く沈んだ面持ち。

(せめて……みんなを笑顔にしたい。この逃れようのない運命の中――ただ絶望のままに夏を終えるのは、嫌だ)

 かくして、私は、伝説となる後半戦南三局を迎えた。

 7

『先鋒戦終了お"お"お"お"お"お"お"!! 圧倒的な力を見せつけるシードの千里山!! 追いすがるのは越谷女子!!
 劔谷と阿知賀は少し出遅れたがまだまだ試合は始まったばかりだあ"あ"あ"あ"あ"!!』

 先鋒戦が終わって、越谷女子は二位につけている。

 千里山のエースが強いのはわかっていた。それでも、堂々のプラス収支。私は、対局室から帰ってきた先鋒の生徒に声を掛ける。

「どうだ、千里山は強かったろ」

 はい、とっても――そう言って、彼女は困ったように頬を掻いた。

「楽しかったか?」

 私は聞く。彼女は、はい、と満面の笑みで頷いた。

「よし……じゃあ、ここからが正念場だ。確実にバトンを繋いでいこう。
 次鋒戦、注意すべきは阿知賀女子だ。他の二校も侮れないが、阿知賀の次鋒は別格だ。心して打ってこい」

 次鋒の生徒が、わかりました、と拳を握ってみせる。

 個人成績を客観的に見れば、この子より、阿知賀の次鋒のほうが強いのは明白だ。

 しかし、それならそれで、やり方というものがある。

「ケイちゃん……」

 次鋒の生徒の見送りを終えて、例の少女が、また私の隣に戻ってくる。

「きっと……今年は勝てるよね?」

 不安と期待が入り混じった、なんともいえない表情で、私を見つめてくる少女。

 私は、できるだけ不敵に、あくまで自信たっぷりに、笑う。

「ああ。勝てるさ――」

 モニターに目をやる。

 次鋒戦が、始まろうとしていた。

 8

(この場、もし、高鴨穏乃の支配というものが存在するのなら……)

 私は必死に頭を働かせた。

 負けを覚悟したことで冷静さを取り戻すなんて、我ながらいい神経をしている。

(この南三局、恐らく、こいつは連荘より、親番を流すことを優先するだろう。
 劔谷との差はごく僅か。無傷のまま親をやり過ごし、オーラスで自ら安手を和了って決着をつける。と、そんなところか)

 私は自らの手牌に目をやる。ここまでずっと、鉛のように重かった手が、嘘のように伸びていく。

 この手なら、リーチを掛ければ、まだ届く――!

 勝利の可能性は、ゼロじゃない!!

(リーチを掛ければ、当然、劔谷と阿知賀、それに千里山もオリてくるだろう。
 特に劔谷は、私がツモれば阿知賀を逆転できるんだから、直撃を避けてベタオリするに違いない。
 それこそ――こいつの思惑通りに、な)

 私が逆転を狙ってリーチを掛ける。

 劔谷と阿知賀と千里山は、ベタオリ。

 勝負は高鴨穏乃の支配領域である山の深くまでもつれ、やがて、流局。

 全員からノーテン罰符を受け取って、その瞬間に、私たちの夏は終わる。

 オーラスは、無意味なものになる。

 私は、阿知賀と劔谷、どちらが二位抜けするのかを見守るだけの、傍観者に成り下がる。

 まだ試合は終わっていないはずなのに、控え室では、きっと、みんな、涙を流すのだろう。

(そんな結末は――お断りだッ!!)

 私は折れた刃を握る。

 ラス確定。

 鋭い痛みが走る。

 切り裂かれる心。

 それでも、私は、抗う。

 この支配。

 逃れようのない運命。

 圧倒的な力の差。

 ひっくり返してやる。

 何もかも。

 この不動の山に。

 突き立てる。

 折れた刃の、

 切っ先を――!!

「ロン、12000」

「っ!?」

 ラス確定の、渾身のダマッパネ。

 信じられないといった目で、阿知賀の大将は私を見る。

(ああ……やっと、こっちを見てくれたな。高鴨穏乃――)

 できるだけ不敵に、

 あくまで自信たっぷりに、

 私は、笑った。

 9

『中堅戦終了お"お"お"お"お"。阿知賀と千里山の壮絶な叩き合い! トップ千里山は磐石!
 一方で、二位争いが熾烈さを増しているぞ!! 果たして抜け出すのはどこになるのか!! 最後まで目が離せませえ"え"え"え"え"え"ん!!』

 中堅の生徒は、俯いて帰ってきた。

「阿知賀にはやられたな。まさか、一年生があの千里山のエースと張り合うとは。私も見ていて驚いたよ」

 中堅の生徒の肩に、私はそっと手を置く。

「それでも、後半戦はよく耐えた。麻雀は偶然性の強いゲームだ。その中で、お前は立派に戦ったよ。それは、みんなわかってる」

 彼女は下を向いたまま、こくり、と頷いた。

 涙が一滴、床に零れた。

「……楽しかったか?」

 私が聞くと、彼女はまた、こくり、と頷いた。

「なら、よかった。さあ、こっちに座って、応援しよう。大丈夫、点数状況はさほど悪くない。まだまだ、勝ちを諦めるには早過ぎる」

 副将の生徒が、立ち上がる。彼女は、中堅の生徒に、一言二言何かを呟いて、笑って控え室を出ていった。

 ここが正念場の副将戦。

 現在四位の越谷女子は、二位の阿知賀女子と、一万点ほどしか離されていない。

 勝負は、これからだ。

 10

 衝撃に目を剥いたのは、阿知賀だけではない。

 千里山も、劔谷も、この世のものではない何かを見るように、私を凝視してきた。

 私は、今にも叫び出しそうだった。

(最っ低!! 私は本当に最低のことをやった!! どうだ、みんな!! みんななんか足元にも及ばないくらい、今の私は――どうしようもない負け犬だ……!!)

 ラス確定のダマッパネ。

 越谷史上、ひいてはインターハイ史上に残る、最低最悪の和了り。

 私が、伝説になった瞬間だった。

(見てくれたか、感じてくれたか、高鴨穏乃!? この化け物一年生……!! これが私の――八木原景子の刃だよ!!)

 ごめんなさい。

(考えが甘かったな!! 本気で運命に抗おうとする人間が、どこまで最低になれるのか、あなたは量り間違えた!!)

 勝ちを諦めて、ごめんなさい。

(いいか!? ここはお前の庭じゃない! ここはお前の山じゃない! 私たちみんなの四角い宇宙!! お前の手の平には決して収まらない――!!)

 みんなの頑張りを踏みにじって、ごめんなさい。

(この世界の中で……私たちはどこまでも自由だッ!!)

 こんな形でしか戦えなかった、弱い私で、ごめんなさい。

(なあ、絶望の味はどうだよ、高鴨穏乃……)

 南四局。

 配牌を終えたところで、私は高鴨穏乃の表情を伺う。

 諦めるわけがない――そんな顔をしていた。

 わかってる。

 最初から勝負になんかなってなかった。

 力の差は問題じゃない。

 諦めたやつが、諦めないやつに、勝てるはずがないのだ。

 私は負けるべくして負けた。

(それでも……高鴨穏乃。私の刃は折れたけど、涙で錆びつかない限り、刃は刃であり続ける。
 私は泣かない。泣くもんか。いつかあなたに勝つ日まで、この折れた刃で、私は戦い続ける……)

 私は歯を食いしばって、牌を握る。

 劔谷が、私を警戒しているのを感じる。

 それはそうだろう。ラス確定のダマッパネを和了ってくる、狂気に捉われた人間が卓に混じっているのだ。いつどこでどんな地雷を踏むかわからない。警戒するなというほうが無理だ。

 対して、高鴨穏乃は、もう私のことなど見ていなかった。

 彼女が見据えるのは、前だけ。

 二回戦突破。

 狙いは、二位の劔谷。

 遥か後方にいる私には目もくれず、高鴨穏乃は進んでいく。

 彼女が目指す先に、一体何があるのか、私は知らない。

 けれど。

(高鴨穏乃……前に向かって進み続けるあなたに、一つだけ、お願いがある)

 私はここで負けるけど、きっと、ちゃんと、また歩き出すから。

 次がいつになるかわからないけれど、きっと、いつか、堂々とあなたの前に立ってみせるから。

 だから、そのときまで、覚えていてほしい。

 この最低のダマッパネ。

 折れた刃の切れ味を。

(そして……越谷女子っていう、私以外は最高のチームが、ここであなたたちと戦ったっていう事実をな――!!)

 オーラス。

 敗退が確定した私たちにとって、あまりに残酷な一局。

 私は、しかし、ありったけの虚勢で、笑っていた。

 悲しいから。悔しいから。辛いから。苦しいから。

 みんなに申し訳ないから。

 だからこそ、

 できるだけ不敵に、

 あくまで自信たっぷりに、

 私は、笑うのだ。

 11

『副将戦終了お"お"お"お"お"!! 千里山の圧倒的リードは変わらず!! 劔谷が二位に躍り出ました!! 勝負は大将戦に突入でえ"え"え"え"え"す!!』

 二位の劔谷と、三位の阿知賀は僅差。

 一方、私たち越谷女子は、大きく引き離されていた。

 例の少女が、立ち上がる。

「あとは私に任せて!!」

 少女は底抜けに明るい声で言った。

 他の生徒たちも、彼女の明るさにつられて、表情が柔らぐ。

「なあ……」

 私は、控え室を出ようとする少女を、呼び止めた。

「その刃……つけてくれるのは嬉しいんだけど、やっぱり、縁起が悪いような気がしてきた」

 言うと、少女は、笑った。

「なに言ってるの、ケイちゃん!」

 少女は、刃に触れながら、振り返る。

「私が今ここにいるのは、この刃のおかげでもあるんだよっ! だから――」

 真っ直ぐな目で、少女は私を見つめる。

「連れていく! どこまでもっ!!」

 少女は戦場へと赴く。

 強く、大きく、頼もしい背中だった。

『三回戦へ駒を進めるのはこのうちの二校! その全てが今、この四人に託されたあ"あ"あ"あ"あ"!!』

 変わった本名と声を持つ実況が、今日一番のテンションで叫ぶ。

 越谷女子未踏のベスト8。

 因縁の大将戦が、始まった。

 12

 高鴨穏乃は、少し悩んで、赤五筒を手から出した。

 どうやら逆転手を張ったようだ。

 手役は恐らく、純全帯。

 リーチを掛けてこないところを見ると、ドラの一萬を抱えているのか。

 千里山が見透かしたように四索を切る。

 同巡、劔谷、打、一索。

 高鴨穏乃の表情が強張る。

 なるほど、一・四索待ちか。一索は場に三枚。まだ一枚残っているはず。だが、高鴨穏乃の様子を見る限り、劔谷が切った三枚目が、最後の一枚だったらしい。

 なら、こいつは、手に一枚、一索を持っている。それでいて一・四索待ちの純全帯なら、つまり、一盃口。

 案の定、高鴨は即座に一索を切ってきた。

 二索と三索の対子が手にあって、それとは別に雀頭――ドラの一萬の可能性が高い――もあるはずだから、手に元々刻子が一つあったとすれば、ツモり三暗刻を狙えることになる。

 二索は場に二枚見えている。一索を切ったときに手に入れたのは、こいつの理牌のクセからして、きっと三索なのだろう。

 だとすれば、こいつが今ツモろうとしているのは、ほぼ間違いなく、先ほどまで雀頭になっていただろう、残り一枚の一萬。

 なら――と、私は、せめてもの反逆として、山の主に揺さぶりをかける。

 打、一萬。

 高鴨穏乃が、きゅっと唇の端を引き締める。

 ツモり三暗刻の目は潰れた、ということだ。

 しかし、それでも、深山幽谷の化身は、動じない。

 高鴨は、三索、九筒を落としてくる。

 七対子……か。

 恐ろしいほどの粘り。

 ドラの一萬が二枚手にあるなら、ダマで、6400。

 劔谷から直撃を取れば、二回戦突破だ。

(まったく……大した化け物だな、阿知賀の大将――)

 理不尽なダマッパネ。

 次々に消えていく逆転の目。

 それでも、こいつは、諦めない。

 前に進み続ける。

 なぜだろう。

 こいつがインターハイの頂点へと登りつめる姿を、見てみたい。

 いつの間にか、そう思わされていた。

(さっきは……真剣勝負に水を差してしまって、悪かったな。高鴨穏乃。けど、ここであなたと戦えて、本当によかったと思う)

 少しばかりの謝罪と、

 少しばかりの感謝を込めて、

 私は、一筒を切る。

 高鴨穏乃は、動かない。

 山越。

 劔谷が、私の捨て牌をちらりと見て、一筒を切る。

 すまないな、劔谷。

 私は、張ってすらいないよ。

「ロン!」

 山が動いた。

「6400!」

 私たち越谷女子の夏は、終わった。

 13

『私も高校生の頃、ハネ満以上のダメージを受けたことが一度だけあります。それも想定を超える打ち筋からの一撃でした』

 解説の、なんだかどこかで聞いたことのあるような名前のプロが、なんだかどこかで聞いたことのあるような昔話をしていた。

『麻雀は、本当に、何が起こるかわかりません。山の天気と、秋の空。色んな打ち方をする人がいて、色んな考え方をする人がいる。
 そこでは誰もが自由なんです。点棒の多い少ないを競うゲームなので、当然、勝ち負けという結果は残りますが、しかし、本当に大切なのは、心から麻雀を楽しむこと』

 そうだな。

 確かに、楽しかったよ。

 あの南三局と、オーラスは、私の麻雀人生の中で、最高に楽しい一時だった。

『あの一撃がなかったら、十年前、私はきっと準決勝で大星プロに負けていたと思います。人の可能性、麻雀の奥深さ、それは、連なる山々と同じ。
 その全てを知るには、私はあまりに小さい。だからこそ、麻雀を打つのは、とても楽しい』

 おかしな話だ。

 私は、あなたを前にして、自分の小ささを知った。

 なのに、そのあなたが、自分はあまりに小さいと言うなんて。

『そのことを、最初に私に教えてくれたのが、あの伝説のダマッパネ――今でも、強く心に残っています』

 国内プロの最高峰に君臨する山の主様は、随分と上から目線で物を言ってくれる。

 思わず、微笑んでしまった。

 チームが、今まさに、敗退しようという時に。

 なんて不謹慎なのだろう。

 しかし、それでこそ、越谷のレジェンド。

 最低最悪の私らしい。

『試合終了お"お"お"お"!! 三回戦進出を決めたのは、シード千里山!! そしてえ"え"え"え"え"え"え"、我らが阿知賀あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!』

『さ、桜子ちゃん!? そんな公私混同な発言したらまたどっさりクレーム来るよっ!?』

『しずちゃあ"あ"あ"あ"あ"!! 見事二回戦を突破したあこちゃー監督に何か一言お"お"お"お"お"お"!!』

『え、えっと、うん。憧、本当に、いいチームだね。この調子で、私たちの時には辿り着けなかった頂点まで駆け上がっ――ってええ! もうっ! なに言わせるの、桜子ちゃん!!』

 お約束の大騒ぎをしている人気コンビに、苦笑が漏れる。

 この二人をこの二回戦の実況・解説に起用した運営側は、関係各所に、今すぐ謝罪しに行くべきである。

 もちろん、私たち越谷女子のところへは、来なくていい。

「ただいま帰りましたっ!」

 出ていったときと同じ笑顔で、例の少女は帰ってきた。

「えへへ、負けちったー!」

 私が無言で手招きすると、彼女は私の胸に飛び込んできた。

「よく頑張ったね……」

 抱き締めると、彼女の身体が小刻みに震えているのがわかった。

「……楽しかったか?」

 少女は、顔を上げる。

 いっぱいの涙で潤んだ瞳。

 彼女は笑う。涙が零れる。

「うんっ! 楽しかった!!」

 私は少女の涙を拭う。

 刃を錆びつかせる涙。

 そんなもの、流す理由なんて、どこにもないんだよ。

 お前たちは、最後まで、よく戦った。

 越谷のレジェンドである私が言うのだから、間違いない。

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