ちなつ「私って、本当は...?」(290)

ちなつ「結衣せんぱぁ~い!」

私の朝はいつもこの一言で始まる。いつもと変わらない通学路の朝。

深い山奥の中、木々の緑の下でひっそりとせせらぐ透明な小川の様に、秋の空が静かに澄み渡っている。

雲もない空に太陽は天高い。木枯らしの一吹きで時折ヒヤッとする体を、柔らかなその光がじんわりと温めてくれる。

通学路はこの空の清浄さに似合わず、朝の挨拶に忙しい学生たちの声で騒がしいけれど、そんな雑音も関係ない!

私の心は一直線、迷わずあの人へ向かう。黒髪のショートカット、凛としたその姿から、高貴ささえ感じる。

朝から結衣先輩に会えるなんて、不思議と体が、心がぽかぽかするのは、太陽のおかげだけじゃないわ、きっと!

京子「おっ、ちなつちゅわぁ~ん!!!」
結衣「ちなつちゃん、おはよう。って、京子は朝っぱらからまたそれか」
ちなつ「ちょっと京子先輩、こんなとこで抱き着こうとしないでくださいよ、みんな見てるんですから」
京子「いいじゃんべつに~、ちゅっちゅちゅ~」
結衣「京子、その辺にしとけよ」
京子「えへへ~、ちなつちゃん、今日ももふもふしててかわいいね!」
ちなつ「当たり前じゃないですか。結衣先輩に気に入られるために、私が毎日どれだけ努力してるか」

幾度となく繰り返されたこのやりとり。これが私たちの挨拶。

この京子先輩の過剰とも思えるスキンシップがなかったり、京子先輩に対する結衣先輩のギリギリのところでの制止が欠けていると、ちょっと調子が狂う。

その時はきっと、日課さえ出来ないほど、誰かが思い悩んでいるときだ。

長いレス書き込めねえ...
せっかく完成してるのに...
オワタ

>>1は代行です
捨てアド作りました。
どなたかお優しい方、レス代行お願いできないでしょうか
vip8yuruyuri1225@gmail.com

この何気ない毎日のやりとりは、蜘蛛の巣がそよ風にも揺らぐように、繊細な私たちの心の動きを敏感に察知する。
悩みといっても、ほとんどの中学生に大した悩みなどないのだが―――恋という感情の牢獄を除いて。
あかり「ちなつちゃん、おはよう!」(ニコッ
ちなつ「あ、あかりちゃん、いたんだ」
あかり「ええっ!最初からいたよぉ~!あかり朝から影が薄いなんてやだよぉ~!!」

ちなつ「いつものことじゃない?」
あかり「えっ!?ちなつちゃん、今ひどいこと言わなかった!??」
ちなつ「なーんにも」
あかりちゃんは、私たち4人の中でも、一番幼い。
小学生気分が抜けていないというべきか、世間の荒波に揉まれていないというべきか。

お姉ちゃんは、あかりちゃんの裏表のないやさしさを評して天使のようだって言ったりするけど、私にはちょっと鈍いようにしか思えない。
けれど、結衣先輩のことで相談できるはあかりちゃんだけだ。
私が結衣先輩を好きだってことは見抜けないだろうし、もし気づいたとしても他の子に言うことはないだろうから。

私とあかりちゃんの関係は、王子様を射止めようと日夜努力する貴族の娘と、
それを陰で支えてくれて、絶対に裏切らない大切な友達のようなものだ。

京子「あっそうだ、今日放課後さ~、みんなでカラオケいかない?ミラクるんの新曲入ったんだー!」
ちなつ「そういえばカラオケ、久しぶりですね。一緒に行きましょうよ、ね、結衣先輩」

結衣「そうだな、個室で二人きりにすると、京子が何しだすかわかんないしな」
京子「何もしないって!デュエットしたり、腕くんだり、どさくさに紛れてチューしたりするくらいだって!」
ちなつ「ひっ、結衣先輩、怖いですぅ~」
結衣「京子、お前はほんとにちなつちゃんに気に入られる気はあるのか?」
京子「いやぁ~愛情表現だよ、愛情表現」

あかり「ねぇ~、あかりも行っていい?お団子三兄弟の『友情、愛情、博愛、それがみたらし三兄弟』もやっと入ったんだよ!
     小学校のとき流行ったよね~、懐かしいなぁ~」
結衣「あかり、あれ、そんなに流行ってないよ。完全にネタ曲じゃん」
あかり「ええっ、そうだったの(アセアセ あかり毎日聞いてたよぉ」
ちなつ「そんなのあかりちゃんだけじゃない?」

あかり「えっ?ちなつちゃん、聞こえなかったよ!」

あかりちゃんは私の恋の大切な相談相手。でも、あかりちゃんの子供じみた言葉を聞くと、勝手に冷たく反応してしまう。
私にも昔、あかりちゃんと同じように純粋な時代があったのだ。そのせいで辛酸をなめたことがある。
あかりちゃんの鈍い部分を見ると、その嫌な記憶がよみがえってしまうのだ。

結衣先輩の前ではいつも良い姿を見せたい。
でも、あかりちゃんが鈍いことを言うと、まるで昔の自分がそこにいて、結衣先輩の前で失態を演じているようで好きじゃない。
京子「よーし、じゃあけってー!授業終わったら、校門に集合な!」
ちなつ「結衣先輩の素敵な歌声が聞けるなんて~!」
あかり「今日も楽しくなりそう!」

結衣(……京子、カラオケのあと、そのまま家にくるんじゃないか。休みのうちにラムレーズン買っておいてよかった)

放課後、カラオケにて
京子「やっほー、ミラクる~ん!最初に入れよー」
結衣「京子、先に飲みもの決めとくぞ」
ちなつ「あかりちゃんは何にする?」
あかり「え~っとねぇ、あかりはオレンジジュースかな」

前奏が始まる。京子先輩は、マイクを取りに行く背越しに
京子「ジンジャーエールよろしくっ!」
結衣「忙しいやつだな。ちなつちゃん、取りにいこうか」
ちなつ「は、はいっ!」
急に憧れの先輩に指名されて、戸惑いと嬉しさのあまり声が裏返りそうになる。
結衣先輩がわざわざ私を選んでくれるなんて、普段からのアプローチの甲斐があったのかしら。

と思ったけれど、席の位置は、私が一番ドアに近かった。思い過ごしの軽い溜息。
こんなことで一喜一憂できるのも、中学生の今のうちだけかも。
室内は華の女子中学生4人に似合わない、何とも艶妖な雰囲気をかもし出している。
どうしてカラオケボックスって、どこも少し薄暗くて、紫を基調とした壁紙に覆われているんだろう。

扇情的とまでは言えない。でも、怪しい感じが密室の中にいるという後ろめたさを、助長させている気がしてならない。
そう、密室。私と結衣先輩だけなら、あんなことやこんなことも。いやいや、だめよ、王子様はそんなことしないわ!
妄想の甘美な海に溺れて、脳が呆けてしまいそう。

結衣「ちなつちゃん、どうしたの?」
ちなつ「い、いやっ、何でもないですっ!」

ジュースのことなど上の空だった頭に、結衣先輩のやさしい声と、京子先輩の歌声が一気に流れ込んできた。
京子「~~~~♪」
ちなつ「京子先輩、ああ見えて歌うのもうまいですね!」
結衣「ああ、あいつはなんでもできるからな。絵描いたり。要は暇人なんだろ」
小声での先輩とのやりとり。
たったこれだけで、こんなに大きなドキドキが感じられるなんて。今日来た甲斐があったわ!

京子先輩の熱唱を邪魔しないよう、そっとドアを開けてジュースを取りにいく。

すると、ドアを閉める背中越しに、あかりちゃんの気落ちした声が聞こえてきた。
あかり「ああーっ!この機種、お団子三兄弟まだ入ってない!
     このままじゃあかりの影がうすいままだよぉ~」
あかりちゃんってば、ほんとに無邪気な子どもみたい。
思わず小さな笑みがこぼれる。

この無邪気さゆえに、私はあかりちゃんだけに打ち明け話をするのだ。
周りの人が私のことをどう見ているのか、あれこれ考えちゃう年頃。
だから、そんなことを全然気にしないあかりちゃんにこそ、秘密を相談できるんだ。
女の子の友情って、上っ面が分厚い。
それを知ってから、私は私らしさを自分の箱の中に押し込めた。
だんだんそれまでの気ままな行動は次第に少なくなっていった。

その反動かしら、ちょっと気になる子には気ままにいじわるしちゃうのも。

ちなつ「えっ、気になる?」
私が好きなのは、当然結衣先輩。
でも、どうしてあかりちゃんのことを考えてるときに「気になる」なんて言葉が出てきたのかしら。
結衣「ん?ちなつちゃん、なんか言った?」
ちなつ「い、いえ、何にも」
きっと、ただの思い過ごよ。さ、ジュースもって早く戻らなくちゃ!

ボックス内に響き渡る京子先輩の朗々たる歌声もそろそろ終わる。

上手な人の歌というものは不思議な魔力を持っている。
初めて聞く曲で歌詞に全く興味がなくても、自然と引き込まれてずっと聞いていたくなる。
京子先輩も歌の上手な人の一人で、部屋に戻ってきてから私もずっと聞き入っていた。
その一曲はまるで京子先輩その人の性格を凝縮したようだった。

次々と放たれる美声を聞く快感と、突飛だけどみんなを楽しませる京子先輩の一連の行動はとても似ている。
どちらも、その一瞬だけでは私たちは満足できず、その次、その次を知らず知らず求めていってしまう。
ただ、一つ違うところがある。4分ちょっとの曲の終わりとともに、桐の箱の中にそっとしまわれる水晶の美声とは違って、
京子先輩の思いつきの行動には終わりがない。

それは、いつでもいつまでも安心して京子先輩に楽しさをもらえるということ。
でも、こちらがあまり乗り気でないときは、ちょっと重たいかもね。
あかり「京子ちゃん上手だね!あかりも他の曲、何かいれよっと」
結衣「次は私の番か」
ちなつ「きゃ~!結衣先輩のお声を聴けるだけでも、今日来た甲斐があります!!」

「僧が憎けりゃ袈裟まで憎い、とは本当によく言ったものだね」

昔小学校でいやな子がいた。その子の一挙手一投足、何をしても気に入らない、
というのを子供らしいたどたどしい言葉でおばあちゃんに伝えたことがある。
その返事が、この言葉だった。お坊さんが嫌いなら、何の罪もない僧衣まで憎たらしく感じることだそうだ。
私にとって結衣先輩は、全くその反対。結衣先輩の身に着けているもの、身の回りにあるもの、
結衣先輩のものならなんでも大好き。

でも、京子先輩のためにラムレーズンを常備している冷蔵庫はちょっとだけ憎い。
私は結衣先輩の京子先輩に対する、他の子に対するのとは違う特別なやさしさがうらやましいんじゃないわ!
冷蔵庫が悪いのよ!冷蔵庫が!
結衣先輩のそんなに温かい思いが詰まったラムレーズンは、
実は結衣先輩の温かいやさしさの形がそのまま瞬間冷凍されたもので、

そのカップを開けると、
普段から京子先輩を気遣っているというその想いが溶け出して、
冷凍前と同じ形、同じ量で溢れだしてくるんだ……。
なんて妄想をすると、結衣先輩の心をそのままの形で伝えようとする冷蔵庫がやっぱり小憎たらしい。
カラオケボックスを出たあと、突然京子先輩が結衣先輩の家に泊まりに行くと高らかに宣言したとき、

結衣先輩のやさしさの結晶であるラムレーズンが
冷蔵庫の中にきっと用意されているだろうと思うと、そんな考えがふっと頭をよぎった。

「京子先輩ばっかりずるいです!わたしも!」
なんて言う元気は、カラオケボックス内の声の残響とともに消えてしまっていて、今日はおとなしく帰途につくことにする。
それに、あかりちゃんと話でもして、気分転換したいし。

ちなつ「じゃあ、私たちは帰ろっか」
あかり「うん、そうだね」
初冬の夕暮れ時は短い。すっかり暮れて行った太陽が、空に夜の帳を降ろしきっている。
結衣先輩が、お菓子コーナーのところで何故か今日だけはおねだりしない子どもを見るような、ちょっと不審そうな目を向けた。
でも、仕方ないよね。疲れてる自分を見せたくないし。好きな人の前では、いつでも最高の自分でありたいから。

それは夜会で初めてお会いする顔も知らない王子様のことを想い、
身を入れて生涯で数えられるほどのおめかしをするシンデレラのように、
気になる人の前では輝いていたい、という純粋な繊細な乙女の願い。
京子「えー、二人とも来ないの?」
結衣「おい、私の家だぞ。でも、今日はどうして?」
ちなつ「今日はちょっと疲れちゃって...また今度お邪魔させてください」

あかり「あかりは宿題やらないと~」
結衣「そっか、じゃあまた今度おいで」

結衣先輩に出会ったころの私なら、飛ぶように去っていくシンデレラの後を王子様が追いかけて来るように、
無理にでも引き止められることを望んだだろう。
でも、パーティーの華やかな雰囲気に似つかわしくない、魔法の解けたみすぼらしいシンデレラなら、

もし王子様が追いついてその腕をつかんだとしても、きっと一瞬のためらいもなく手を放してしまう。そんな気がする。
 脳内で豪華絢爛に想像され、想像するたびに余分を削ぎ落として純粋になっていく、
イメージの中の宝石箱を実際にこの手で開けてしまうと、煌びやかな宝石がその夢のような神秘性を失って、
奢侈と高慢と色とりどりの鮮やかな欲望をまとった物質に還元されてしまうように。

そうして裸になった夢にすでに何の魅力も感じなくなった自分を何度も目の当たりにして、人はその両の瞳から光をなくし、老いていくのよ。
お酒に酔ったお姉ちゃんの、珍しく感傷的な言葉がふっと脳裏によぎった。
「結衣先輩にとって、私は、魔法をかけられたシンデレラ?それともあか抜けないシンデレラ?
 想像の中で美化された宝石?それとも煩わしい重さを持った宝石なの?」

他人に見られる自分というものを意識する年齢になると自然とこんな疑問が湧いてくる。
疑問のコンクリートでできた壁に、頭からぶつかってしまったような感じだ。

「私はいつも結衣先輩の前で最高の自分を見せたいと思ってる。
でもそれって、演出された自分で、ほんとの自分じゃないのかもしれない。
ほんとの私を結衣先輩が見てしまったら、貧相なシンデレラを見る王子様のように、

失望の目を私に向けるかもしれない。

 ああ、心って面倒くさい。ほんとの自分と結衣先輩の前での自分、
心はそれを判別できる明晰さもないのに、悩むことだけは一人前なんだから...」
 「ちなつちゃん、どうしたの?」
そっとささやくように気遣うように、耳にするり心地よく入ってくるあかりちゃんの声に、
自分がすでに二人っきりで帰途についていることに気づかされた。

ハッとしたのは、その声に驚いたからじゃなくて、
その質問の、単純でいて本質的な、熟れた果実にそっと鋭利な刃物を突き立てるような、鋭い感覚に目を覚まされたからだ。
ちなつ「ううん。なんでもない」
結衣先輩への憧れになされるがまま手を引かれて、たどり着いたのは自分というものの荘厳な迷宮だったなんて。
いつの間にか「憧れ」の姿は立ち消えていて、傍にいるのはあかりちゃん。

あかりちゃんには、こんなおませな悩みの迷路を案内してくれるだけ力があるだろうか。いや、そうとは思えない。
時折にしか表れない、恋や自分に対する悩みは、モーセが海を割ったときにやっと見えた海底のように普段は見えない。
日常の海にひたひたに浸っていて、たまに浜辺に寝転がったり、海辺で泳ぎを満喫するように、日常に満足する人たちには無縁なものだ。

私は今、息を止めて、一糸纏わない姿で海底にいる。すっかり気を許すと、元に戻った海の水に溺れてしまいそうな、乾いた孤独の海底に。
あかり「そう?今日、ちなつちゃん、ちょっと元気なさそうに見えたから...」
人の心に土足で入り込んでくる人がいる。そういう人には他人の感情の繊細な揺れ動きが見えず、
靴のまま感情の精巧なガラス細工を踏み潰してしまう。

でも、多くの人は、自分が無粋からそうしてしまうのを極端に怖がって、礼儀という名の透明な心の壁を知らず知らずに築いている。
そうして、他人の感情をその中に入れてしまい、決して指紋や手垢をつけないように外から観賞するだけだ。
あかりちゃんは、そのどちらでもない。

人間には弱さもある。時には、少し強引にでも話を引き出してほしいこともある。

あかりちゃんは、その一見繊細でいて、実はずうずうしいわがままを見抜いたのかもしれない。
ただ、あかりちゃんが意図して、私が何でもないと言った、表面的なとりつくろいを敢えて無視したとは思えない。
純粋に、そのやさしさ、天性の気遣いから、感情のガラス細工を蹂躙する可能性も敢えて辞さず、
私の心に踏み込んできてくれたのだろう。

今の私にもう少し元気があれば、あかりちゃんの野暮を装った心の底からの気遣いに甘えていた。
でも、今日たどり着いた自分という迷宮は、全貌を把握するどころか入り口に立ったばかりなのだ。
まとまっていない考えを、バラバラであらぬ方向に顔を向けた言葉で訥々(とつとつ)と伝えようとしても、
目の前に用意された白地のキャンパスには、暗い色の色彩だけの抽象画しか描けない。

もう少し、自分で考えてからあかりちゃんに相談しよう。

ちなつ「なんでもないよ。ちょっと疲れちゃっただけ」
あかり「うーん、そっかぁ。大丈夫?疲れにはビタミンBがいいんだって!」
ちなつ「へぇ~、それって何に含まれてるの?」
あかり「えっ、えっ、なんだっけ?うぅ~、あかり忘れちゃったよぉ~」
ちなつ「ふふっ、いいのよ、気にしなくて。お気遣いありがとう」

とぼとぼと一歩ずつ進める歩みと同じ速度で、何気ない会話を交わす。
それが少しの間、自分を縛っていた茨の痛みを忘れさせてくれて、気がちょっとだけ楽になった。
あかり「ちなつちゃん、今日はゆっくり休んで、明日元気な姿で学校に来てね!
     そのために、あかり、頑張っちゃうんだから!」
ちなつ「あかりちゃんは、一体何をがんばるのよ」

漫才みたいな掛け合いは、結衣先輩と京子先輩の専売特許かと思っていた。
でも、京子先輩は「気にしない、気にしない!」の一言で突っ込みを殺してしまうことがあるから、
実は私たちの方が向いてるかもしれない、と思うと可笑しくてちょっと笑ってしまった。

あかり「あ、ちなつちゃん笑った!あかりのことおばかだなって思ったんでしょ~」

ちなつ「違う違う、そんなこと思ってないよ。
     それよりあかりちゃん、雪、降ってきたみたい。」(注、季節、当日の天気との整合性を確認)
考え事で気づかなかった。カラオケボックスを出たときから空は曇ってて、気温も確かに低くなっている。
気づいた瞬間、笑いに震えていた肩が、寒さで固まった。

あかり「ほんとだ!雪だぁ~。そういえばちなつちゃん、知ってる?
    雪の結晶はとってもきれいなのに、実は、水が凍っただけじゃあ、あの結晶にはならないんだよ」
ちなつ「それってどういうこと?」
あかり「雪の結晶には核があって、それは空気の中のちりやほこりなの。
     ちりやほこりがあるからこそ、雪のあのきれいな結晶ができるんだよぉ~。」

あかり「すてきだよね、あんなにきれいな結晶に閉じ込められるなんて、ちりさんは幸せ者だよぉ」
ちなつ「ちりが幸せなんて変なの。でも、あかりちゃんって結構いろんなこと知ってるね」
あかり「えっへん。あかりはおばかじゃないよぉ~」
 帰り道の会話は、私のことを気遣ってか、終始あかりちゃん主導だった。

そのあとはいつも通りとりとめのないことを話して、あかりちゃんと別れた。
雪は積もる素振りを見せただけで、すでに止んでいた。

 家に帰って、のろのろと食事や入浴のルーチンワークをこなした後
早めに入った布団のなかでごろごろしながら結衣先輩のことを考えた。
あかりはつけたまま。暗く沈みがちそうになる考え事は、絶対明るい電気の下じゃないと落ち込んじゃう!

結衣先輩のことを考えると、そのまま自分のあるべき姿を模索してしまう。
最高に演出されたきれいな私、結衣先輩が振り向いてくれないことを、あかりちゃんにこぼしてしまういつもの私。
本当の私ってどっちなの?ずっと同じ問いかけが頭を回っている。進んでは何度も同じところに戻ってきてしまう迷路のように。

「そういえば、あかりちゃんの雪の話、ちょっと面白かったな」
私は、迷路の中に新しい道を発見した。

あのきれいな結晶の中にあるのは、ちりやほこりだなんて、考えたこともなかった。
純粋な水が凍っただけではきれいな結晶にならないなんて。
ほこりは汚いのに、そんなことに役立っていたなんて。

雪って、なんか私みたいじゃないかな。外見は美しい形の結晶で人の注意を引いてる。
でも、内側は他の人と同じで、人間の醜さも備えている。
結衣先輩の前では、私は純粋な雪の結晶になるんだ。絶対に結衣先輩には、ほこりのきたない核を見せてはいけない。
汚い部分なんてないかのように、いつも最善の振る舞いをしなくちゃ。

ただ、そこから生まれてくる無意識の焦り、無意識の演出、無意識の偽り、今日それに気づいてから、
私は悩みという毒に侵され、自分とは何かという迷宮に連れ込まれてしまったんだ。
結衣先輩の前では、美しい透明な水晶からだけで出来ているという純粋を私は装っている。
騙す意図なんてなかった。欺こうなんて思わなかった。

でも、本当の醜い部分の私を知った時、結衣先輩は私を愛してくれるだろうか。

雪が誰かの手に?まえられてそのぬくもりで溶けた後、

ほこりしか残らないとみんなが知ったら、誰が敢えて雪を捉えに行くだろうか。

私は、雪だ。

胸に何か急にこみ上げるものがあって、それが口に上って嗚咽に変わり、目に至って涙に変わった。

気が動転して、急いで電気を消した。同時に、温かかった布団が突然罪悪感の怜悧な黒に染まって、改めて私を覆った。

枕に顔をうずめ声を出さずにひとしきり泣いた。

どのくらい経ったのだろう。泣き疲れ果てた私に睡魔が襲ってきた。

このまま罪悪感に心を貪られるよりはマシだと思って、夢の世界へ急いで逃げ込もうとした。

恋とは、自分とは、心とは、このように悲しいものなのだと、初めて思い知った夜だった。

翌朝目覚めると、昨日とは打って変わって、うす墨を半紙にこぼしたような雲が空一面を覆っていた。

今にも雨が降りだしそうで、それでいていつ降るのか定かじゃない、優柔不断な天気。

涙を流せば鬱屈は晴れてしまうと思っていた。

しかし、心は空のように、涙の雨が降っても必ず晴れるというわけではないようだ。

学校ではみんなに余計な気を遣わせないように、つとめて明るく振る舞うつもりだった。
でも、通学路で三人と出会ったとき、昨日のように、純粋な気持ちで結衣先輩に声をかけられなかった。
少しのうしろめたさを感じてうつむき加減でいるところに突然、
京子「ちなつちゅわぁ~ん、おはよー!!」
ちなつ「ひゃっ、び、びっくりさせないでくださいよ、京子先輩」

京子「ん~、ちなつちゃん、考え事してたの?元気ないじゃん。これは結衣のことを諦めて、私のところに来てくれる予兆だな!」
時々京子先輩は、見てないようで見抜いているような、鋭い質問をぶつけてくる。
予想外の質問に戸惑いながら、
ちなつ「そ、そんなことないです!私は結衣先輩...」
一筋です、と言おうとしたところ、結衣先輩の両目にぶつかった。

いつものやりとりを、いつもの深い水を湛えたような静かな瞳で見守っていた結衣先輩。

今の私には、その瞳の水が生き物のようにするすると喉に滑り込んでた。

私は窒息してしまったように感じて言葉を途切れさせてしまった。

今まで幾度となく、その瞳の中で溺れたいと願ってきたのに、

今はその水に手をひたすことさえも許されないような気がして...

京子「まー、まー、わかってるって!」結衣「何をだよ」

 ほんと、京子先輩は私の心をどこまで知っていて、そんなこというのだろう。
ただ、いつもの挨拶代りのやりとりが途切れてしまったことをあえて追求せず、
それとなくフォローをしてくれた京子先輩の繊細で微妙なやさしさには感謝したい気持ちで一杯だ。

落ち込んでるのがばれるのは嫌だったけど、幸い気づかれたのは京子先輩にだけだったようだ。
ただ、もっと嫌だったのは、私がもはや日常と化した毎朝の掛け合いという温もりある蜘蛛の巣の定位置を忘れてしまっていたことだった。
京子「それにしても、今日もさぶいな~。あっ、そういえばさ、昨日のカラオケで..」
極力会話には参加せずに、それでいて自然体を装って、不機嫌だと思われないように

私はいつもの通学路をいつもの4人で歩いて行った。
街路樹の、葉を落としきって、黒くて猛々しい幹と枝に成り果てた姿が、
毎日歩いているはずの通学路なのに、ここを初めて通るような印象を与えた。

 学校でもその日は授業に身が入らず、昼休みも結衣先輩の瞳に窒息させられると思うと、部室に顔を出す気になれなかった。
そして放課後。今は、この自由時間が厭わしい。

授業に身が入らないなら入らないなりで、結衣先輩のことを考えたり、
ほんとの自分ってなんだろうと思想家ぶってみたり、別のことに時間を費やせた。
でも、ごらく部の部室に行かないためには、適切な理由が必要だった。
自由、結衣先輩のそばにいて、二人の関係を少しでも縮めようと躍起になっていた放課後の自由時間が、
今は私の前で部室に行くか行かないかの選択を無理やり迫ってきている

今日は家の用事があることにして、早めに帰ってお姉ちゃんに悩みを聞いてもらおうかな。

そしたら、いくらか気持ちは楽になるでしょ。

さて、帰ろうかとカバンを持って立ち上がったとき、頃合いを見計らったようにあかりちゃんが私の名を呼んだ。

あかり「ちなつちゃん、一緒に部室いこっ!あかり、今日はミラクるんの新刊読みたいんだ!」
ちなつ「ええっと、今日は、その、用事があるからいけないの。あかりちゃん、先輩たちに伝えておいてくれない?」
あかり「ちなつちゃん、どうしたの?今日も気分悪そう...」
ちなつ「まだ疲れがとれてなくって...。気にしないでっ」

あかりちゃんのやさしい言葉が、まるで私を包み込むように心地よくまとわりついてくる。
このままだと、お姉ちゃんに打ち明けようと思っていたことを、あかりちゃんにも話かねない。
ただ、あかりちゃんの純粋で混じりけのない水晶の瞳に見つめられると、
どうしてもその目の前から立ち去ることができない。不思議な魔力に縛られたように立ちすくんでしまう。
一体なぜなの?

あかり「昼休み、京子ちゃんも結衣ちゃんも、ちなつちゃんのこと心配してたよ、朝なんだか元気なかったって」
結衣先輩にもばれていたのは、思いもよらなかった。京子先輩が話したのだろうか。
私を会話の種にして、その種に二人で水をやって育てていくという共同作業を通して二人の仲はさらに親密になるのだ、という妄想が私を襲った。
私って、ただのばかじゃん。

好きな人のことで思い悩んでいるのに、その好きな人に、恋敵との話題を提供しただけなんて!
ほこりが心に浮かんできた。すぐさま思い直す。
京子先輩の、大雑把でいて実は繊細な心のひだをも感じ取ってそっと撫でてくれるようなやさしさは、私も知っている。
興奮した心臓の高鳴りが耳にうるさく感じる。ただ京子先輩が私の事を心配してくれただけじゃない。何をばかなことを考えてるんだろう...

多感な年頃には左右に大きく振れた感情の針を、考え方一つですっと真ん中に持っていっておとなしくさせることは至難の業だ。
違うと頭ではわかっていても、怒りの残滓が、波によって浜辺に運ばれてきた無残に割れた貝殻片の様に、心の隅に居座った。

あかり「今日、朝会った時から元気なかったよね。結衣ちゃんも不思議そうにしてたよ。何かあったの?あかり、相談に乗るよ」

「どうしたの?」漠然とした問い。いつもなら喜んで乗る相談の船。
でも、今日はなんとなく背後に結衣先輩と京子先輩の影を感じて、
この船が泥船のように思えてしまう。疑心暗鬼は私の心に巣食って、今の私では追い出すことはできない。
あかりちゃんは、質問下手だ。きっと、いつもの純粋な水晶の平たい器に、
私の悩みを載せさせてくれようとしているのだろう。

しかし、今の私には、どこかもう一つ同じ大きさの同じ水晶の器が存在していて、私が悩みを吐き出すと、
時間と空間を超越して、同じ悩みをのせて、別々のところで別々のやり方で
誰かがその悩みを無理やり解剖しようとしているように思える。
だから全く関係のないあかりちゃんに、今の思いのたけを、
怒りをぶつけてしまうのは当然間違っている。

でも、私の悩みにさぐりを入れるそのメスが手術室のベッドの上に横たわる麻酔をしていない患者の目の前でひらひら舞うように、

その質問の恐怖をありありと感じ取れた。ただ純粋なだけでいいわけじゃない。質問の無礼な手は、心にある平静の湖をかき乱した。

小さな怒りの膿が、ぷつっと音を立てて、つぶれた。

「なんでもないって言ってるじゃない!いいから放っておいてよ!」

一気呵成に言ってしまおうと腹を決めて、息を吸い込んだその時だった。

向日葵「一体なんなんですの!?櫻子!あなたの服のボタンが外れそうだから、わざわざ縫って差し上げようとしただけですのに!」
少し高めの、威勢のいい声が耳に飛び込んできた。
さくらこ「うるさい、このおっぱい魔人!自分がおっぱいおっきくてすぐボタンが外れるから、自分はボタン付けがうまいんだって自慢したいんだろ!」

向日葵「ちょ、なんなんですの、そのいいがかり、私は単に好意から」
さくらこ「そんくらい自分でできるし!バーカバーカ!もう帰る!」
向日葵「ええ、お好きになさい、櫻子なんてもう知らないから」

季節外れの台風は去った。心中の怒りの木は、すっかりなぎ倒されてしまっていた。
あかり「櫻子ちゃん、顔真っ赤だったね...」

大木はなぎ倒された。でも、根は深く心に根ざしている。ふっと肩の力が抜けたと同時に、目から涙があふれてきた。
怒りはその行き場をなくしてふらふらとさまよい、出口を私の目に求めたらしい。
あなたが、あなたがいけないのよ。
そんなにやさしいから、そんなに純粋だから。
あなたの透明さよけいに辛い。自分の醜いところがその水晶に映し出されているようで。

あなたの何気ない気遣いが却って辛い。私はその気遣いの絹で編まれた純白の網から、どうやって逃れればいいの?
本当の自分、隠しておきたい自分がしっかりと捉えられて、白昼のもとにさらけ出されるようで...
あなたのやさしさが、辛い。

手段の涙は人にも見せる。でも、心にある泉から湧き出る涙を流すのは、一人の時だけ。
自分で決めたこの鉄則が、無残にも崩れ果てた。

大好きな結衣先輩、京子先輩の醜い部分を幻想のキャンバスに描き出してしまう自分、

単なる親切心から私を気遣ってくれたあかりちゃんに対して、八つ当たりの黒々しい炎をまき散らそうとしてしまいそうになった自分、

そんな自分が、昨日の夜、罪悪感で真っ黒に染まった布団からのっそりと這い出してきて、今ここで涙を流しているのだ。

そんな私の背中を、ピアニッシモで撫でてくれる温かい手の感触が、さらに涙をあふれさせた...


ひとしきり嗚咽と涙を出し終えて、少し気分が落ち着いた。

あかり「ちょっと喫茶店によって、お話しよっか」

いたずらがばれて怒られて泣き出してしまった小さな子供が母親になだめられる様に、私は小さくうなづいた。

山ぎわの太陽。夕焼けの光が誰もいなくなった教室に差し込み、世界は赤色と影とあかりちゃんと私だけの二人だけのような印象を与えた。

今ならあかりちゃんという水晶の宮殿に私の黒くて猛々しい苦悩を供えても、

台座の上目がけてスポットライトが光を照らすように、温かい光にこの苦悩が照らされて、少しは浄化されるような気がした。

ちなつ「泣いたら、すっきりしちゃった」

気丈を装うまでもなく、いくらか心は晴れやかになった。

駅前では、数週間後に迫ったクリスマスを祝福するために、あちこちの建物は色とりどりの電飾に絡め取られていた。

涙で乾いて現実をいつもより鋭く捉えられる瞳に、その光はあまりにもまぶしすぎた。

『普通の』恋人たちは寒さにかじかむ手をつなぎ、店から店へ、あるいは店から家へと歩いていく。
恋人たちは、あるいは、その寒さを、二人が直面するある種の偽りの小さな苦難のように見なして、
その苦難を乗り越えるという幻想によって、さらに二人の仲を縮めようとあくせくしているのかもしれない。
私も結衣先輩と来れたらいいのに、今はそんなことは露も感じなかった。

その理由を知るのは、もう少し後になる。

あかり「よかったぁ~。ちなつちゃん、いきなり泣いちゃうから、あかり何か悪い事言っちゃったのかと思ったよぉ」
ちなつ「ううん、気にしないで。私の問題だったから」
小ぢんまりとしたカフェの扉を引き、あかりちゃんを中へ促す。暖気が店内から流れ出てきて、寒さで強張った頬をやさしく撫でた。

個人経営のそのカフェの中には、カウンターに常連と見える先客が一人座っていて、マスターとの会話を楽しんでいた。
私たちはできるだけ会話がその二人に聞こえないようなテーブル席を選んで腰掛け、レモンティーとミルクティーを注文した。
脱いだ上着を傍らに置き、一息つく。
ちなつ「さっきはごめんね、取り乱しちゃって」

あかり「えっ!?謝るのはこっちの方だよぉ!ちなつちゃんを泣かせちゃったのはあかりだし」
ちなつ「ちょっと昨日から元気なくて。私の悩み、聞いてくれる?」
あかり「あかりができることなら、なんでもするよ!ちなつちゃんはあかりの大切な人だもん」

自分の悩みをできるだけ筋道立てて、鉄格子だけで作った建造物のように、

外から見てもわかりやすいように頭の中で会話の順序を組み立てる。
あかりちゃんの真剣な目が私を凝視しているのを、何を話すか考えるために逸らした目の端にもはっきりと捉えられる。
この沈黙、ある種の無言の会話、言葉を尽くしても相手に通じないのは決心。
沈黙だけがその堅い意志を伝えられる。悩みを吐き出す決意をした私に、この沈黙は心地よいものでさえある。
息を吸って、

ちなつ「深呼吸してからの…ヨッシャ!もぅぃっかぃ!!
深呼吸してからの…ヨッシャ!!!!!!元気だしてょね?
深呼吸してからの…ヨッシャ!」

ちなつ「あのね、今から言うこと、あかりちゃんをちょっとびっくりさせるかもしれないよ」
二つの紅茶が運ばれてきた。なんてことはない、イチゴと葉っぱの描かれた白いソーサーとカップ。
この変哲もない二つのカップの上で、少し変わった話が伝えられるのだ。
レモンを入れる前に、ストレートで一口飲み下す。
レモンを入れている間に、決心が鈍ってしまいそうに感じたから...

私は話した。結衣先輩への憧れを、結衣先輩の京子先輩に対するやさしさへ嫉妬を、自分の二面性に気づいたことを、
そして、自分とは何かという悩みを持つにいたったことを...
また私は話した。両先輩の自分への思いやりの邪推を、教室での突然の号泣に至った心のいきさつを、
向日葵ちゃんと櫻子ちゃんのやり取りを見て気づいた大切なことを...

あかりちゃんは、あまりに突然の告白に唖然として、目を見開いたり、口をあけたりして、表情をくるくる変える。
そりゃそうだよね、女の子同士の恋愛感情や、友達だと思っていた人への憎しみを急に打ち明けられるなんて。
でも、私の心の中では『全て終わった』こと。私は、過去の自分を清算するつもりで話している。

話がひと段落ついて、沈黙が訪れる。カウンターの人は知らぬ間に2人に増えていたが、マスターと談笑しているのは変わらない。
すっかりぬるくなったカップにレモンをいれて、気の向くままに紅茶をすする。
あかりちゃんも、まるで紅茶に気付かなかったとでもいうように、
あわてて私と同じようにカップを持ち上げる。そんな姿がどことなく幼くて、自然と笑みがこぼれてきた。

カップを置いたあかりちゃんは返答に戸惑っているみたいで、ずっと適切な言葉を探している。
そんなあかりちゃんをわざと無視して、話を続ける。それが今表せる優しさだと信じて。
今から話すのは、将来のこと。『レモンを入れた紅茶はレモンを取り出しても、決して元の紅茶の味には戻らない』
幸不幸、どちらに転ぶかわからないし、後戻りもできない。でも、私は言うんだ。

ちなつ「私ね、気づいたんだ。結衣先輩に対する愛情って、実は本当の愛情じゃなかった。
     王子様に恋をするお姫様は、お姫様という身分じゃないと対等に恋愛できないんだよ。
     ただの村娘が王子様に抱く感情って、愛というよりは、ただの憧れ。
     今、世間ではそれに気づいていない女の子たちはかっこいいのアイドルの追っかけをしているけど、

     そんなのは愛じゃない。結衣先輩と対等になれるのは、幼馴染の京子先輩かあかりちゃんだけ。
     薄々それには気づいていたけど、その事実をわざと見ないようにしてた。なんとか王子様に近づいて、一人の村娘からお姫様になりたかった。
     でも、もう疲れちゃったんだ。お姫様は昔から自然といい環境に恵まれていい教育を受けられるから、

     自然と王子様に気に入られる立ち居振る舞いができる。
     私はただの村娘。無理に上品を装っていても、王子様の前では常に最高の自分を演出していても、やっぱりぼろも出ちゃうし疲れちゃう。
     そうして知らず知らず心に暗いものがたまっていって、今日みたいな感情の爆発になったのよ」

あかりちゃんは、そんな感情の機微には今まで見たことも聞いたこともないといった風に、目を皿にしながらふんふんと相槌を打っていた。

ちなつ「村娘は悩みに悩む。そうして、少しでもその悩みを癒そうと、友達に相談を持ちかけたりする。
     すると段々気づいていくの。悩みの根源は、不釣り合いな高いところへ上ろうと足掻くことなんだって。

     上に行こうとすればするほど、無力な自分、低いところにとどまらざるを得ない自分をはっきり自覚してしまう。
     本当に癒される、ありのままの自分自身でいられるのは、その友達の前だけだってね。
     いつ手に入るのかわからない高価な宝石よりも、綺麗な宝石の形をしたガラスの方が大切なんだって。

     あかりちゃんに前から相談したり、今日の向日葵ちゃんと櫻子ちゃんを見て、私は強くそう感じた」
さっきまでただただ頷いていたあかりちゃんが、何をいっているのかわからないという困惑気味の表情を顔に張り付けている。

ちなつ「私がいいたいのは、ひとつ」

深呼吸。

ちなつ「あかりちゃんが、好きなの」

瞬間、あかりちゃんの動揺が、手に取るように見て取れる。
あかり「ええっ!?それって、どういうこと!?ちなつちゃんが好きなのは結衣先輩だったんじゃないの!!??」
ちなつ「今まで結衣先輩に言っていた好きは、テレビのアイドルに向かって愛してるって言うのと同じだって、気づいちゃったのよ。

    みんなは振り向いてくれなくてもいい、一途な思いさえあればそれで十分なんて、口ではいってるけど、あんなの嘘っぱち。
    そのアイドルを夢見て、自分もその人に釣り合うようにおめかしする。でも、本当に好きなのはそのアイドルじゃなくて、
    おめかししてきれいになった自分でしょ。だって、会えもしない人のためにおめかしするなんて無意味じゃない。

    私は、もう手の届かない人に対しておめかししないって決めた。そしたら、自然体でいられる心地よさに気づいたんだ。
    そして、それを教えてくれたのが今日の向日葵ちゃんと櫻子ちゃん、そしてあかりちゃんだった。こうして何も言わずに私の悩みを聞いていてくれて、
    力になってくれて、寂しいとき辛いときには傍に寄り添ってくれる。

    ただ一緒にいるだけで、安心するの。

    そんなあかりちゃんが、本当の愛に気づかせてくれた。

    だから、もういちど言うね。あかりちゃんが、好き」

さっきまで私の言葉に翻弄されていたあかりちゃんが、急に真剣な表情に変わった。

それは、なされるがままに浜辺に寄せてはかえす波が、何かの拍子に砂浜のこちらの方、

もう少しで足が届きそうなほどまで上ってきたようだった。

私は懸命に、その波にさらわれないようにした。あかりちゃんの真剣にひるんで言葉が途切れないように、努めて明るく言葉を継いだ。

ちなつ「勘違いしないでね。私はあかりちゃんが好きだっていうのは本当。でも、今すぐ付き合って、とか、そういうことを言いたいんじゃないの。
    ほら、言ったでしょ。私は手に入らないダイヤモンドより大切なものに気づいたって。それが、あなたなんだって。
    でもやっぱり、私たちは友達同士だし、女の子同士だし、本当の愛って言ったけど、やっぱり世間の愛とは、ちょっと違うと思うの

    私は、あかりちゃんに、友達以上だけど、付き合ってはいつかは別れる恋人のようじゃなくて、
    ずっとずっと『付き合っていく』大切な存在になってほしいんだ。あかりちゃんに、恋人よりも高い位置を占めていてほしいの。」
あかり「それって、やっぱり女の子同士のカップルってことじゃないの?」

ちなつ「ううん、違うんだ。家族や友達や恋人とか、どこにも分類はされないけど、本当に大切に思いたい人って、いるんだよ」

言いながら、私は思い出した。久しく忘れていた、心から人を信じるという温かい感情を。
あなたの前だけは、素直になれる。あなたの前だけは、本当の自分をさらけ出せる。
なにも繕わなくてもいい。なにも装わなくてもいい。

自然体であなたに接することができる。私の暗い部分をもあなたは浄化してくれる。
そんな広い心を持ったあかりちゃんに出会えて、本当によかった。
なんだか永い眠りから、生き返った心地がする。
おとぎ話の中の眠り姫は、本当は王子様のキスでしか目覚めないんだけど...。

ちなつ「ねえ、あかりちゃん...」
あかり「なあに?」

ちなつ「キス、しよ?」

あかり「ええっ!今恋人じゃないって言ったところじゃない!!!
     あかり、まだ心の準備が出来てないよぉ~」
ちなつ「ふふっ、嘘よ、うそ。さ、紅茶も冷めちゃったし、飲み干したら帰りましょうか」
あかり「もうびっくりさせないでよ~。あかり、前の事思い出しちゃったよぉ」

立ち上がって上着を羽織りつつ、心底驚いたという声で、恨み言を私に告げる。
その恨み言の抑揚から、少し期待外れだといったニュアンスと私にキスを迫られてうれしかったという印象を見出してしまうのは、ただの深読みかしら。
いつの間にか他のお客さんは帰っていた。マスターは深く椅子に腰かけて、一人で新聞を読んでいた。
ちなつ「うー、寒い。たった2,3時間でこんなに冷え込むんだ」

思わず寒さに目をギュッとつむる。あかりちゃんの前では、自分を装う必要なんてないんだ。

あかり「うう..骨まで凍っちゃうよぉ...あっ、ちなつちゃん、見て。雪!」
街のけばけばしい電飾がまぶしい。外は一段と寒くなっているのに、カップルは増えてきている。
そんな地上の人間の営みが放つ熱気なんてものともせず、雪はひらひらと静かに舞い降りてきた。

ちなつ「綺麗だね」
あかり「うん」
二人にはそれだけで十分だった。
私とあかりちゃんの間には、言葉を費やさずとも心を交わす心地よい沈黙があった。
人ごみから逃れて、裏道をゆっくりと歩いていく。

ちなつ「そういえばあかりちゃん、昨日雪の話してくれたよね」
あかり「うん、あかり、理科得意だもん!」

ちなつ「突然だけど、もし私が雪で、実はきれいな結晶の中心にはちりとかほこりがあっても、私と友達でいてくれる?」
あかり「ええっ、どうしたの!?ちなつちゃんは、どんなちなつちゃんでも私の大切なお友達だよぉ」
人間は、天使と悪魔の間の存在だって、お姉ちゃんが酔いの勢いにまかせてこぼしていた。


私の中に醜いところがあったとしても、それでもあかりちゃんの前でなら、あかりちゃんも自分も傷つけないような形で、自然体に振る舞える気がする。

雪の氷の結晶の中の、ちりすら愛おしいと言っていたあかりちゃん。

あなたの前では、私はどこまでも素直になれる。

装いからではなく、どこまでも、私は心から透明になれる。

あなたの前で、私は、純白の雪だ。

静かに立ち止まって、あかりちゃんの手をにぎる。振り返ったあかりちゃんの、

ひとひらの雪がくっついた頬に、そっと口づけた。これ以上ないほどの、感謝を込めて。

これでおしまいです!

今まで支援してくださった方、ROMの方、ありがとうございました!
特に全レスに支援してくださった ID:7cvaMqYb0、ID:RRNTXHOk0の両氏に感謝!
コンマ何秒のところでレスがきたときにはびっくりしましたw

5時間半もお付き合いいただいて、今年のクリスマスは楽しい思い出になりましたw
地の文長くて、ストーリー展開遅くてすみません
今回は、原作で描かれるちなつの黒さの自分なりの解釈と弁解、
一人だけちょっとませたちなつの心理描写をやりたかったので、
地の文長くなりました。

最後に一言。
ちなあかは正義!

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