農夫と皇女と紅き瞳の七竜(741)


切り立った岸壁の合間、けたたましい咆哮が響く。

男「火炎警戒!防御体勢!」

ありったけの大声で俺は叫んだ。

間も無く紅蓮の炎が周囲を総なめにする。

弓兵「うあぁぁぁ!熱…っ!熱いっ!」

男「魔法隊、消火!弓兵隊は一斉掃射だ!翼を狙え!」

兵士達「はっ!」

火炎の主、巨大なサラマンダーが大きく羽ばたき、矢の弾幕から逃れようとする。

男「馬鹿め、何のために谷間に誘い込んだと思ってやがる」

ジリ貧のような撤退戦を演じ、一番谷の幅が狭まるエリアまで誘い込んだのは、この巨体の動きを封じるためだ。


副隊長「くっ!また火炎がきます!」

男「怯むな!諸君らの双肩にはこの戦いで既に散った英霊が宿るものと思え!あの醜き翼を切り裂き、竜を地にひれ伏させるのだ!」

恐怖を振るい、激しさを増す矢の掃射。

竜が息をする間を奪い火炎の吐出を防ぐには、この手を休める訳にはいかない。

男「よし!動きが止まった!魔法隊、雷撃魔法!略式詠唱だ、威力は低くてもいい!」

数秒の後、竜の頭上の空間に小さな黒雲が渦を巻く。

男「放て!」

俺が手を振り下ろすと同時に竜を襲う、青白い閃光。

詠唱の大半を破棄している分、威力は竜に大きなダメージを与えられる程のものでは無い。

狙いはその電撃によって竜の筋運動を阻害する事だ。

矢の掃射で既に穴だらけになった翼、その羽ばたきまで意のままにならなければ、もう巨体を浮かせておく事は出来ないだろう。


副隊長「隊長!竜が堕ちます!」

男「この機を逃すな!槍兵隊は背後に回れ!弓兵隊、竜の脚を狙い歩ませるな!盾兵は前方で威嚇、火炎吐出を引き寄せろ!」

弓兵「男隊長殿、首は…!?」

男「首は、俺が獲る!」

竜の注意が目の前の盾兵隊に逸れた一瞬の隙をついて、俺は地に伏せられた翼を駆け上がる。

そのまま長い首を伝い、後ろ角を掴もうと手を伸ばす…その時、竜がぐるりと首を回し俺の方を睨んだ。

その紅き右眼に、俺の姿はどう映っただろうか。

男「よう、手間かけてくれたな」

腰からダガーを抜き、最も手近な竜の首部分の鱗の隙間に突き立てる。

そして俺はそれに足を掛け、竜の頭部めがけて跳んだ。


竜が口を開け、周囲の空気を吸い込む。

男「遅いんだよ、火蜥蜴」

両手剣を前に構え、そのまま竜の顎へ。

口の中から上顎を貫く様に刃を立てて思い切り振り下ろし、内側から眉間を切り裂く。

その一撃は確実に急所を捉え、竜は火炎ではなく鮮血を散らせながら地に崩れた。

男「とどめを刺すぞ!魔法隊、凍結魔法!完全詠唱で心臓を狙え!」

魔法隊はすぐに詠唱を開始する。

およそ30秒を要する完全詠唱の凍結魔法、それを心臓に喰らえばもう生きてはいられまい。

副隊長「詠唱、完了します!」

男「よし総員退避!魔法隊………放てっ!」

刹那、周囲の空気が氷点下に変わる。今までに無いほど冴え渡る、魔法隊の渾身の鉄槌。

散った七つの御魂に報いたい、その想いが彼らに能力を超える程の力を与えていた。


サラマンダーの巨体が力を失い、長い首が地面を打ち付ける。

大きく口を開き火炎を蓄えようとするも、もう周囲の空気を吸い込む事もできない。

最期の咆哮は弱々しく、狭い谷間を震わせる事すら叶わなかった。

弓兵「ざまぁみろ!隊長、やりましたよ!ついに憎きサラマンダーを仕留めた!」

盾兵「見ろ!火の大蜥蜴が凍りついてるぞ!」

討伐隊員達はみな肩を叩き合い、勝利を噛みしめている。

男「皆よく戦った。俺は今日この時、諸君らと共に戦えた事を誇りに思う。願わくばこの竜の断末魔が散りし英霊の鎮魂歌たらんことを!」

兵士達「おお、万歳!男隊長万歳…!」


……………
………


…月の国、城内。謁見の間。


月王「いや、愉快じゃ!今宵の酒のなんと美味き事よ!」

王は空になった葡萄酒のグラスをもたげ、大きな声で笑った。

男「お言葉ですが、王。今回の討伐では勇敢な戦士7人の命が失われております。どうか今宵の酒は亡き者達を弔うためのものでありますよう」

月王「…うむ、そうであったな。しかし男よ、その事を自ら責めるでないぞ。お前の隊より以前では二百人の兵を送り、その全てが竜の顎に飲まれたのだ」

そこまで言って王は玉座から立ち上がり、俺の前まで歩み寄る。そして膝まづく俺の肩に手を置き、「顔を上げよ」と促した。


月王「わしはお前がわずか五十の兵で討伐に向かうと聞いた時、その正気を疑った。しかしお前は見事、竜を討ち戻ってきた。わしは驚嘆しておる」

男「もったいなきお言葉」

月王「さあ宴じゃ。立たれよ、勇士殿」

王がぽんぽんと手鼓を打つ。

控えていた侍女達が赤い絨毯の上に白布を広げ、手際良く宴の準備が整えられた。

月王「男よ、我が国で初めてのドラゴンキラーよ、その武勇譚を話してくれ。散った戦士達がいかに勇猛であったかを」

男「…はっ」


……………
………


…城内、男の部屋。


男「…ふぅ」

少々飲みすぎた。

俺の隣りに座った侍女が際限なく注いでくるのだから仕方が無い。

俺はベッドに腰掛け、石積みの壁にもたれかかった。冷たい石が酒に火照る背中に心地いい。

やはりああいう席は苦手だ。

そもそも俺は城みたいな堅苦しい所自体が好きじゃない。

まして本当の俺は、討伐隊隊長として兵を連れ歩くような男じゃあない。

この国の中でも辺境の村、そこで田畑を耕す農夫だったのだから。


ただ自分でいうのもなんだが武芸に長けていた、それだけの事。

幼い頃、突然村に現れた竜に両親を殺された。その時からいつか仇を討つ事を誓い修練を絶やさずにいた。

そんな俺の噂がいつしか王の耳に届き、呼び寄せられたのだ。

そしてその王の目の前で、王国最強とうたわれた近衛兵長を打ち倒した。

王は俺に部隊を持たせ、竜討伐の任を命じた。俺はついに親の仇が討てると考え、それを受けた。

それが今回のサラマンダー討伐の成り行きだ。


…とんとん

扉がノックされる。

男「どうぞ」

ベッドに座ったまま返答すると、きい…という音を軋ませて木の扉が開いた。

???「失礼いたします」

その扉の向こうに立っていたのは若い女性。

そういえば先の宴の席で王は、最初の約束だった金貨以外にも褒美をとらせると言っていたっけ。

それを持ってきた侍女…にしては少々身なりが良すぎる。

???「王より仰せつかりました」

男「…何を?」

見る限り彼女は何も手にしていない。

男「あー、…そういう事か」


つまり彼女自身が褒美だ、と。

???「…はい」

男「んー、まあ…入りなよ」

女性は部屋に一歩入ると、木扉を静かに閉めた。

部屋の灯りに照らされ、より鮮明に浮かんだ女性の姿は素晴らしく美しいものだった。

この上なく整った顔立ち、清楚な立ち姿、派手過ぎずも煌びやかな装飾品と上品な白い絹の衣。

ふんわりとしたシルエットの服だが、彼女の魅惑的な身体の線は充分に見てとれた。

なるほど…これはすこぶる上等な褒美には違いない、けれど。


男「えーとね、でも俺…そういうのはいいから」

???「そういうの、とは」

男「つまり、あれだろ?王は褒美として、俺に君自身を与えようと」

???「はい」

男「うん、だから…それは気持ちだけでいいんだ。なんなら朝まで部屋にいてくれてもいい。王には俺が大層喜んだと伝えてくれたらいいよ」

???「…そうはまいりません」

男「ほんと、気にしないで。俺からも王に礼を言っておくから。その…なんだ、夜伽はした事にしてさ」

その言葉を聞いて、女性は目を伏せた。

どうも居た堪れない。

俺はベッド脇のテーブルにある水瓶を手に取りぐい…と煽った。


???「それでは…困るのです」

男「…なんでだ?」

???「王から仰せつかったのは、夜伽だけではないからです」

男「ん?」

???「私は、男様の妻とならなければなりません」

男「う…ぐっ!?」

あまり予想外の言葉に、水が気管に入りむせてしまう。

男「つ…妻って」

???「ですから、もし断られてしまうと私は居場所が無くなってしまいます」

男「いやいや、単に俺がまだ結婚する気はないからって言ったように伝えればいいんじゃないか?」

???「…一度婚姻の申し出を反故にされた皇女など、もうどこに嫁ぐ事ができましょう。どうしても私を要らぬと申されるならば、どうぞ男様の剣でひと思いに」


男「ちょっと待て、今…皇女って」

???「はい、私は月の国第七皇女。名を『女』と申します」

…これは参った。

確かに他の国に出遅れ竜討伐の戦士、ドラゴンキラーを今まで有していなかったこの国にとって、俺の存在は大切なものなのだろう。

しかしだからといって、まさか王族に取り込もうとするとは。

男「……どうするかな」

女「男様が躊躇うのも無理はありません。先に申した通り私は所詮、第七皇女…皇后ではなく妾の娘に過ぎませぬ故」

男「そんな事を言ってるんじゃない、俺はまだ結婚なんて考えていないんだ。君が魅力的じゃないわけでなく、単に突然過ぎて…」

落ち込んだような彼女の瞳に、慌てて弁明の台詞を並べたてる。

しかしどうもそれが滑稽に思えて、自分で可笑しくなってしまった俺は言葉を途中で飲み込んだ。


男「ふっ…はは…何を言ってるんだろうな、俺は。まさかこんな話をするとは、五分も前には考えていなかった」

女「私は真剣です、男様…」

男「ああ、解ってる…。君の事情も、なんとなく察せられるよ」

彼女は自分を妾の娘だと言った。

きっと王から俺の妻となる命を受けた以上、それにが叶わなかった場合は本当に居場所を失いかねないのだろう。

女「…では」

女は自らの纏う絹の衣の、腰まわりを結うリボンを解こうとした。

男「ちょっと待った、だからといって今夜の伽は不要だ」

女「しかし…」

男「君を妻とすれば、王の命は果たされるんだろう?…俺は舞踏会の色ボケした貴族のように、知り合ったばかりの女を抱くような趣味は無い」

と…いうか、女を抱いた事自体が無い。

まあそれは今、このタイミングでは言うまい。


男「一応、形式上という事で王の厚意は受けよう。よろしく頼む…女」

女「はい…ありがとうございます」

男「何を礼を言う事があるんだ。本当は俺みたいな田舎農夫の妻になるようなつもり、無かっただろうに」

女「…それは否定はできません」

男「ははっ…言うじゃないか。いいな、そういう方が付き合いやすい」

ふと女を見ると、その頬を涙が伝っていた。

その透きとおった美しい青い瞳は、一層の輝きを湛えている

きっと突然の命に、よほど覚悟を決めてこの部屋を訪れたのだろう。

男「夫婦となるなら、互いを知らなきゃいけないだろう。今夜は俺が眠るまで、君の事を教えてくれないか。…俺も話すから」

女「は…い…」

男「うん…泣き止んでからで、構わないよ」

それから十分余り、彼女は少し肩を震わせながら泣いた。

ひとまずここまでにします

いったん台本形式で書いてたやつを地文ありに改変しながら投下してる
話は決まってるのでけっこう頻繁に投下できるとは思うけど
夜に書き溜めて昼の仕事の合間に調整してだから、昼休みや仕事終わりの投下が多くなると思います


……………
………


男「驚いたな…じゃあ君は皇女でありながら、この国で一番の魔導士だってのか」

女「国中で一番かは判りません。王都以外にどのような方がいるかも知れませんので」

それはそうだ。

魔導士と剣士の違いはあれど、現に俺自身がそうだったのだから。

男「ああ…まあね、でも少なくともこの王都では最強という事なんだな」

女「…男様は既に今後の命を受けておられるのですか?」

男「いや、まだ聞いていない。明日の朝また謁見するよう言われてるから、そこで何かあるかもな」

急に話題を変えられたようだが、おそらく違う。

この流れで、次に彼女が言う事はおよそ想像がついていた。


女「夫を支える事こそ妻の役目。今後の遠征、私も同行させて頂きます」

男「うーん…」

その魔力がいかに強大だとしても、やはり女性を遠征に連れ歩くのは躊躇われる。

でも先のやりとりから彼女の芯の強さは窺えた、だから多分。

男「駄目だ…と言っても、通じそうに無いね」

女「…察して頂いてありがとうございます」

男「仕方ない…ただし戦場では俺の命をきいてもらうぞ」

女「度々申しますが私は男様の妻、戦場にあらずとも己の誇りに背かない命であれば、何なりと従いましょう」

男「だからそれは形式上だって…」

しばらく話す内に夜は更けていた。

さすがに遠征から戻ったばかりで酒が入れば、いつもより早く眠気が襲ってくる。


男「…だめだ、もう眠い。君も部屋に戻りなよ」

女「私の寝所は今宵から男様の部屋です」

男「…だと思った」

おそらく俺がソファで寝ようとしても、彼女はそれを許さないだろう。

かといって皇女たる彼女をソファで寝かせるわけにもいかない。

男「どうりで部屋に入った時、前と違ってベッドが二人用になってると思ったんだよ…」

女「…失礼して、よろしいでしょうか」

男「どうぞ、何もしやしないよ」

女「夫が妻を求める事は当たり前と存じます。私の誇りに背く事ではありません」

男(…さっき安心して涙を零す姿を見ておいて、それを裏切るなんてできないだろ)

彼女は俺に背を向け、そっと隣で横になる。

その綺麗なうなじにハッと目を奪われた、その位は仕方が無いと思う事にしよう。


……………
………


『逃げろ、男!幼馴染ちゃんを連れて…!母さんを護れ!』

『来るぞ!…くそっ、こっちだ!この竜め!』

『父さん!おじさん!』

『よし…いいぞ!俺達に気付いた!』

『父様!やだ…父様も逃げようよっ!』

『くそっ…幼馴染!行こう!』

『父様っ…!』

『早く行け!男っ!』

『男君…!娘を頼むぞ!』




『男ちゃんと幼馴染ちゃん…可哀想にねぇ…』

『彼らの父親二人のおかげで被害はこの程度ですんだというのに』

『でもよりによって男ちゃんのお母さんまで亡くなるなんてなあ…』

『崩れる瓦礫から二人を庇っての事だったそうじゃないか』

『幼馴染ちゃんの家には元々お母さんがいなかったから…二人とも天涯孤独だなんて、神様も酷な仕打ちを…』

『生き残った我々で、あの子達を育てていくんだ。そうするしかないし、そうすべきだろう』




『くそっ!父さんに…母さんを護れって言われたのに…!』

『男…仕方がなかったよ…』

『忘れるもんか…あの竜の姿…』

『うん…』

『幼馴染…俺、強くなるよ。絶対にこの手で仇を討つ』

『…私も、負けない』

『村一番の剣士だった父さんの息子として、俺は誰よりも強くなるんだ』

『私だって、父さんの弓が残ってる』

『いつか必ず…俺達で』

『うん、絶対に…!』


……………
………


あの竜には翼があった。

サラマンダー討伐の命を受け、その姿を聞かされた時は仇の竜かと考えた。

けど、記憶の中の憎き竜は火を吐きはしなかった。

ましてあの竜はサラマンダーのような愚鈍な飛び方ではなく、その羽ばたきは瞬く間に山を超えてゆくほどだった。

遭遇した時、サラマンダーが仇の竜でない事は確信できた。

もっともその前から情報を推察するに、違うだろうと予想してはいたのだが。


この世界には七竜と呼ばれる強大な竜がいた。

ここ月の国の山岳に巣食っていた、火竜サラマンダー。

旭日の国の森に潜む、蛇竜オロチ。

落日の国の谷を徘徊する、多頭竜ハイドラ。

白夜の国の大洞窟を占拠する、洞窟竜クエレブレ。

月の国と星の国の間に横たわる大海を縄張りとする、海竜サーペント。

旭日の国と落日の国の間に広がる砂漠を根城とする、渇竜ヴリトラ。

そして未だはっきりとした住処が判らない、翼竜ワイバーン。

それ以外にも竜は存在するが、その力も大きさも七竜に遠く及ばない。

そして七竜には共通して、左目の色は様々だが右の瞳は紅を呈しているという特徴がある。


サラマンダーやオロチ、そしてハイドラはそれぞれの国の辺境に住むが、周辺の村を襲撃しては家畜を食い荒らし、それに伴って人間への被害も後を絶たなかった。

旭日の国と白夜の国を最短距離で結ぶ洞窟に潜むクエレブレをはじめ、サーペントやヴリトラはそれぞれ交通の要となる地点を障害していた。

故に各国で討伐が試みられ、ついに八年前落日の国でハイドラが倒されたのを皮切りに、五年前にクエレブレ、昨年にはオロチがそれぞれの国で倒される。

そして今年、星の国でサーペントが倒された後、ようやくこの月の国でもサラマンダーを討伐した。

あとはどの国の領地にも属さない砂漠に住むヴリトラと、情報の少ないワイバーンだけ。

しかし情報が少ないからといってワイバーンの被害が少ないというわけではない。

むしろその飛翔能力ゆえに神出鬼没で、最も甚大な被害をもたらしている主なのだ。

詳しい居場所の掴めないこの竜だが、最も面積の広大なここ月の国の果てに巣食っている可能性が高いという。

世界中で発生するワイバーンの被害を地図上に表せば、その中心が月の国西部の未開の台地になるからだ。

そしておそらく探し求める仇の竜は、翼を持つサラマンダーが違った今このワイバーンしかあり得なかった。

……………
………


女「…おはようございます」

俺が部屋で目を覚ますと、女は部屋のクローゼットに手を延べながらこちらを向いた。

女「ベッド、狭かったでしょう。よく休めましたか?」

男「ああ…おはよう。大丈夫、全然狭くなんかなかったよ」

女はクローゼットから俺の衣類の内、謁見に適するものを選んではソファの背もたれに掛けてゆく。

男「すまない、自分でやるよ」

女「これは妻の役目です。男様は他の身支度を整えていて下さいませ」

…どうも気恥ずかしい。

俺はぼりぼりと頭を掻きながら、部屋に備え付けられた洗面台へと向かった。


月王「よく参った、男よ。昨夜はお前の話のおかげで過去に無い美酒に酔う事ができた、感謝しておるぞ」

男「…恐れいります」

月王「今日お前を呼んだのは二つの話があっての事だ。…女は一緒ではないのだな」

男「謁見を命ぜられたのは手前だけでありますれば」

月王「ふむ…して男よ、皇女を妻取ってはくれるものか?それによってはもう、我らは身内…そのような堅苦しい話し方は要らぬ」

そこを問うなら、せめて昨夜の宴席で問うべきではないかと思う。

そうでないという事は、やはり断る事は許されなかったのだろう。

男「…私などの妻にするには勿体なき姫君ではございますが、それを断る術も理由も持ちませぬ故」

月王「そうか!それはめでたい!…ならば皇女も同席すればよかったものを、今はどうしておる?」

男「部屋で待っているよう申しつけはしたのですが、この謁見の間の扉の前で待つ…と」

月王「なんと、ではそこにおるのではないか。おい、番兵…すぐに中に入るよう申せ」


番兵に招かれ、女はこの部屋に入ってくる。

女「おはようございます、お父上」

月王「よく参った皇女…いや、もはや我が娘であるより先に男殿の妻。女…と名で呼ぶべきであろうな」

「はい、よき妻となれるよう精進いたします」

女は俺がするように王に跪くではなく、姿勢良く直立して王に相対している。

その様に改めて彼女が末位に近かろうとも、やはり王族の者なのだと実感した。

月王「男殿はこの国にとって欠かす事のできぬ最高の剣士、その妻となれた事はそなたにとって誇るべき誉れと心する事だ」

女「もとより、承知しております」

月王「うむ…では大臣、あれを」

大臣「こちらに」

月王「男、そして女よ。これを受け取るがいい」


月王「昨日、男殿が持ち帰った竜の瞳を一晩かけて切り出し、職人に作らせたのだ。ドラゴンキラーたるそなたには相応しかろう」

王が手渡したのは真紅に輝く小さな石があしらわれた、一対の指輪だった。

月王「竜の瞳を切り出すのは骨が折れたと職人が申しておったそうだ。金剛石の刃をいくつも駄目にして作った至高の品だ、そなたらの婚儀の証として受け取ってくれ」

男「…ありがたき幸せ」

俺は二つの指輪を受け取ると一度立ち上がり、女の方を向き直って再度膝まづいた。

男「…女、左手を」

女は俯いた様子で、躊躇いながらその左手を差し出す。

やはり少なからず俺の妻となる事に抵抗があるのだろうか…そう思いながらも彼女の手をとった。

「…改めて、よろしく頼む」

薬指に小さい方の指輪を通す時、彼女の手が少し震えている事に気付く。

視線を上に遣り、窺った彼女の顔は…

男(…なんだ、そういう事か)

先の躊躇い、そしてぎこちない手の延べ方の理由はすぐに察せられた。

彼女の顔は茹で上がったロブスターのように真っ赤だったから。

思わず吹き出しそうになるも、王の眼前である事を踏まえて何とか堪える。


月王「さあ、もうひとつの話だ。話の方向性は察しがつこう?」

男「新たな討伐任務…でございますか」

月王「その通りじゃ、請けてくれような?」

男「…喜んで」

心がたぎった。

早く、俺に次の竜討伐の命を。

憎きワイバーンを倒すために、兵を伴わせると言ってくれ…俺は口には出さずにそう願う。

しかし王が告げたのは、違う任務の命令だった。

月王「この国の北東部にある港町へ赴き、付近より繰り返し町を襲っているサイクロプスを討伐して貰いたい」

男「………」

期待とは違う展開に、少し言葉に詰まってしまう。

月王「どうした、不服か?」

男「…滅相もない事でございます」


月王「早くワイバーンを討伐したい…そうじゃな?」

昨夜の宴でサラマンダーが仇の竜ではなかった事、そしてワイバーンこそがそうに違いないという事は話していた。

故に今の微妙な間に含まれた真意を、王は悟ったようだ。

男「…私は王より命を頂戴すれば、それを遂行するまで。己の誇りに背くもので無い限り、喜んで死地にも赴きましょう」

咄嗟に出た取り繕う台詞は、一部を隣の女性の言葉に借りたもの。

月王「よい…その気持ちもよく解る。しかしこの任務は憎きワイバーンを討つ事に繋がる布石と考えて欲しい」

男「………?」

月王「…昨夜の宴の席で、そなた自身も申しておったな。現実にあの翼竜を討つ事の困難さを」

王は長い髭を触りながら、語り始めた。

月王「そなたの話においても、また各地よりの情報を元としても…あの翼竜の飛ぶ速さはサラマンダーの比ではない」

男「…その通りでございます」

月王「そのままでは矢もまともに当たらず、ましてや剣や槍が届くとも思えぬ。魔法もいかに略式詠唱を用いようとも狙いの定めようがあるまい」

それらは王の言った通り、昨夜の俺自身が言った事だ。

仇の竜を討つ事に気は急いても、現実的な討伐に向けた作戦や勝算の目処はついていない。


月王「やはりあの竜を討つなら、その速さをどうにかしなくてはならぬ。いかに男殿と言えど、何の見通しも無く挑めば勝機は薄い…違うか?」

男「…返す言葉もございません」

月王「しかしこの普通の方法では攻撃がままならない…という条件、ワイバーンだけに限った話ではないと思わぬか?」

たくわえた長い顎鬚に隠れその口元の表情は窺えないものの、おそらく王はそう言いながらニヤリと口の端を上げただろう。

俺は少し考えを巡らせ、導かれた答えを口にした。

男「海竜サーペント…でございますか」

月王「その通りじゃ。いかに雷撃の魔法を海に落としたところで、それだけでとどめを刺す事はできまい」

確かにそうだ。

では星の国のドラゴンキラーは、どうやってサーペントを海の藻屑としたのか。

月王「…実はその星の国のドラゴンキラーを、呼び寄せておる。今回の作戦はその者と男殿を引き合わせ、共同の戦線を張るための味利きと考えて欲しい」


……………
………


…北東の港町へ続く街道

男「…よし、少し休もう。予定のペースよりは幾分かリードしている。星の国のドラゴンキラー殿は船で港町へおいでだ。そう到着が早まる事はあるまい」

副隊長「はっ」

街道の脇、草原に陣取った隊員はそれぞれ肩の荷物を降ろして休息をとる。

このペースで歩けば目指す港町へは、あと二日とかからないだろう。

男「女、足は大丈夫か」

女「平気です。ただ…私だけ何も荷物を持ちもせず、それが申し訳なくて」

初日は靴擦れに悩まされ、途中からは荷馬車の隅に腰掛けていた彼女も、三日目から再び自分の足で歩き始めた。

慣れない徒歩の旅に違いないだろうに、華奢な見た目に似合わず中々に芯が強い。

俺は彼女を連れて木陰に歩み、並んで腰を降ろした。


男「…無理はするなよ」

女「自分から同行を申し出たのです、弱音など」

男「…足を出してみろ」

俺は隣に座る彼女の足を引ったくり、カリガの紐を緩めようとした。

女は俺の手を抑え、くぐもった声で「自分でやります」と言ってからぎこちなく紐を解いてゆく。

男「ずいぶん赤くなってるじゃないか」

女「そ、そんな事はありません!」

少し腫れた足を見て俺が言った言葉に対し、女は頬を手で抑え反対を向いた。

俺は最初その理由が解らなかったが、どうやら彼女が俺の言葉の意味を取り違えたらしい事に気づき、思わず笑ってしまう。

男「ははっ、違う違う。赤くなってるのは、お前の足の事だ」

女「え…!?」

驚き振り返る、女。

その頬が染まっているのは勘違いを恥じたせいか、その前からだっただろうか。


男「そういえば王の前で指輪を君の指に通した時にも、見事なほど頬を染めてたな。あれも笑いそうになったよ」

女「…仕方が無いじゃないですか。あのような経験、あるはずがありません」

彼女は拗ねたように俯き、上目遣いに俺を見て零す。

その顔はまだあどけなさを残し、気丈に振る舞ういつもよりも可愛らしく俺の目に映る。

これが仮にも俺の妻だとは、改めて勿体ない事だ。

俺は荷物からまだ使っていない綺麗な拭き布を取り出し、水筒の水を染ませて絞り彼女の足に当てた。

女「あの、それも自分で」

男「いいから…それともこうされる事は、自分の誇りに背いてしまうのか?」

女「…意地の悪い事を」

気まずそうにしながらも、彼女はそれ以上の抵抗を諦めたようだ。


女「…その指輪、男様は指に通しては下さらないのですか」

足を冷やされながら、彼女は俺の胸元を見て言った。

男「ん…?ああ…俺が指に通して持っていたら、すぐに傷まみれになって変形してしまうよ」

俺が首から提げたペンダントのトップは、彼女の指に光るものと一対のあの指輪。

俺はまだその指輪を、一度も正しい方法で身につけてはいない。

男「それと…俺は両親の仇を討つまでは、ずっと喪に服してるつもりなんだ。それもあってね…ひとまずは君との婚姻も、形式上のものとさせて貰いたい」

女「ではその翼竜を倒せば、私は男様の妻として認めて頂けるとあいう事なのですね」

男「変な言い方をしないでくれよ。君を認めるという話じゃない…ただの俺の中の拘りだ」

本音を言ったつもりだが、彼女は不服ありげに小さく溜息を落とした。

女「…同じです、私はまだ男様の妻になれてはいないのですね」

別に心からなりたい訳でも無いだろうに、そう思ったが言うと余計に機嫌を損ねそうだ。

俺は沈黙をもって返事に代える事にする。


今、この束の間の休息をとる丘はなだらかだが、標高はかなり高いようだ。

木陰に入れば風は涼やかで、旅に疲れた身体を優しく冷ましてくれる。

草原は風が描く波模様に揺れ、その葉が擦れあう音も耳に心地良い。

このまま小一時間でも目を閉じて眠りに落ちれば、随分と癒される事だろう。

少し離れて休む兵達の中には、座ったままうつらうつらとしている者もいるようだった。

男「…眠いな」

女「眠っても構いませんよ」

男「そうもいかんだろう、俺が規範とならなければ」

ああ…故郷の田畑を耕していた時は、こんな日には仕事も半分に木陰で昼寝をしても誰も文句は言わなかった。

自ら望んで竜討伐の任を請けたとはいえ、それが懐かしく思えるのは仕方がない。

女「あとどのくらい休まれるのですか?」

男「三十分くらい…かな」

女「なら、ひと寝入りできるじゃありませんか」


女「必要とあらば…ですが」

男「…なんだ?」

女はこちらを見ず、黙ったままで自らの膝をぽんぽんと叩いた。

男「………ああ、なるほど。ありがたいが、それこそ兵に示しがつかないよ」

ふう…と、女はまた溜息ひとつ。そして少し離れた隣の木陰に憩う副隊長に問いかける。

女「副隊長殿、男隊長は暫しの昼寝を所望されております。これは隊の規範を乱す事になり得るでしょうか」

男「ちょ…女っ」

女「…また、それを労う為に妻が膝を貸す事は?」

少しの間、副隊長はぽかんとしているようだったが、やがていかにも可笑しそうにからからと笑って答えた。

副隊長「…よろしいのではないですか?その方が兵も心置きなく休めましょう」

女「…との事です、男様」

そう言う彼女の目はどこか、してやったりという風に笑っているように思える。

男「参ったね…どうも」

女「…先ほど少々意地悪な事を言われましたので」

断る事は叶いそうもない。俺は照れ臭くも、その柔らかな膝に頭を預ける事にした。


たぶん、彼女なりに俺に歩み寄ろうとしてくれているのだろう。

互いにあまりに突然の縁だった、ぎこちないのも無理は無い。

男「…女、ひとついいか」

ただ、とりあえず今…彼女に望む事は。

女「何でしょうか、男様」

男「それ、やめてくれ」

本当に俺は、ついこの間までただの農夫だったんだ。

女「それ…とは?」

男「その呼び方、だよ。いつまでも馴染まない」

王族を妻とし、そんなくすぐったくなるような呼び名が似合う男じゃない。

女「では…旦那様」

男「呼び捨て希望、無理なら『さん』付け。できるだけ話し方も砕いて、気を遣わないで」

女「…努力します」

そう言って彼女は、俺の頬をそっと触れた。

それが冷たくて心地よかったという事は、たぶん俺の顔は火照っているのだろう。

今夜はここまでです
まだノリの軽いキャラが出ないので、すっげえ書きにくい
いつまでもこんな重い感じじゃないつもりなので、見守ってやってください

……………
………


…月の国、北東の港町


副隊長「星の国よりの船は夕方頃の着港になる模様です」

男「そうか、なら各自夕食までは自由に過ごして構わん。ただし今から羽目を外して酒を喰らわないよう、言い聞かせておいてくれ」

副隊長「それは無論ですな。今夜は懇親の宴席が予定されております故…こちらが既に出来上がっていては申し訳が立ちませぬ」

男「…まあ一杯欲しいのは無理もないが、俺も晩まで我慢するのだと皆に伝えろ」

副隊長は町の広場に整列する隊員達の元へ向かってゆく。

最初のサラマンダー討伐遠征の際には、いきなり隊長として湧いて出た俺を煙たがる者もいたが、無事その命を果たした事で今回は皆素直に言う事をきいてくれる。

そして二日前の草原での休息の際、照れ臭くも女の膝を借りる姿を見せてしまった事により、俺がさほど気難しい気質ではないと認知されてきたようだった。

女「…気持ちの良い潮風ですね」

女は風になびく長い髪を、さらりと手で梳きながら言った。

男「ああ、俺の故郷は海からは遠く離れていたからな…数えるほどしかこんな風の匂いを感じた事はないよ」

青く広がる水平線には、まだここを目指す船の姿は見えない。


男「女も疲れただろう、宿の部屋へ行っていてもいいんだぞ?」

女「男様を…男さんを差し置いて私だけが休むわけにはまいりません。…それに」

彼女は俺の希望に従い、その呼び方を改めようとしてくれているが、まだ今ひとつ馴染まないようだった。

女「潮風の香りは、好きなので」

男「…なるほど、じゃあ波止の方へ散歩でもしてみるか」

波止までの歩道脇は露天市になっていて、たくさんの魚介を中心としたものが売られている。

調理しなければ食べられないような生鮮品が多いが、中には牡蠣を殻ごと網焼きにして売っている店など、食い歩きに適するものもあった。

見れば幾人かの隊員達も、そこで目ぼしい物を買っては賞味しているようだ。

男「あいつら、晩は宴席だと聞いているだろうに」

とはいえ見る限り酒を飲むなという言いつけは守っているようで、文句をつける筋合いは無い。

…それに。

女「でもいい匂いです、無理もないのでは?」

男「確かにな、女も食べたいか」

女「私は今まで買い食いなど、した事はありません」

訊いたのは食べたいか否か…だった筈、少しピントのずれた返答の真意はなんとなく察せられた。


男「…オヤジ、焼き牡蠣を二つだ」

屋台オヤジ「へい、ひとつ小銅貨一枚でさあ」

男「…安いんだな」

屋台オヤジ「この辺りは良く採れますんでね。サーペントも出なくなって、今年は大漁でさあ」

なるほど、星の国の活躍はこの国にも恩恵をもたらしているらしい。

向こうのドラゴンキラー殿に会ったら、この事も話題としようか。

木の皮を曲げて留めた使い捨ての皿に、大きな牡蠣を二つのせてオヤジは俺に手渡した。

殻の中にははち切れんほどの身と、天然の出汁が満ちている。

うっかりして零しでもしたら木の皮を染みて随分熱いに違いない。

男「向こうの木陰へ行こうか」

女「はいっ」

おや、随分と機嫌の良い声だ。

美味を前にすれば、身分は関係ないものなんだな。


隊員「おや、隊長殿も匂いの誘惑に耐えきれませんでしたか」

木陰では見慣れはじめた隊員数名も舌鼓を打っていた。

男「まあな…我慢しようと思ったが、お前らの美味そうに食う顔を見てたら、女が堪えきれなくなったららしい」

女「男さんっ!私は何も言ってません!」

男「ああ、二つ買おうとしても何も言わなかったな」

顔を赤くして似合わない大きな声をたてた女に、隊員達も笑いを殺しきれなかったようだ。

隊員「正解ですよ、明日には星の国の連中と合同で動くようになるんでしょうから、ウチだけ買い食いするわけにもいかない」

男「違いないな、でも程々にしておけよ」

俺は牡蠣の殻を持ってひとつ手に取ると、受け皿ごともうひとつを女に手渡す。

皿を手にとって物を手掴みで食べるなど慣れていないのだろう、女はぎこちなく戸惑いながらも目を輝かせて受け取った。

女「熱っ…!?」

男「当たり前だ、ナイフもフォークも無いぞ」

女「解っていますっ」


港の波止は丸太組の桟橋が長く延び、透き通った水の中には無数の小魚が見られる。

女「なぜ木でできた桟橋が、水に建てられても腐らないのでしょうか」

男「丸太を触って…小突いてみなよ」

女は言われた通り、緩く握った拳で桟橋を叩いた。

こんこん…という木特有の音には違いないが、その音程は通常よりずっと高い。

女「堅い…」

男「アイアンウッドとも呼ばれる木材だ。水より重く、普通よりずっと腐りにくい」

女「海から離れたところで暮らしておられたのに、詳しいのですね」

男「まあな…俺は田畑を世話する農夫だったが、俺の故郷は材木の産地でもあった。まさにその木が故郷の森を形づくっていたんだよ」

過去に海を訪れた数少ない経験の内、二度ほどはその木材を運ぶ手伝いを求められての事だった。

確かこの町にも故郷の木が運ばれた事があったはずだ。

女「…少しずつで構いません」

男「ん…?」

女「最初の夜、貴方の事を訊く時間はあまりありませんでした。また…話して頂けますか」

男「ああ、もちろんだ」


飽く事なく海を眺め、魚達の姿を愛でている内に空は少し橙色を帯びてきていた。

今いる桟橋は漁船をはじめとした小さな舟が着く施設だが、少し離れたところには石垣が積まれた大きな船着場がある。

見ればそこには、もうすぐ大きな旅客船が着くところだった。

男「あれが星の国の一団を乗せた船に違いないな」

女「出迎えますか?」

男「ああ、この国の無理をきいてわざわざ出向いてくれているんだ。礼を尽くさなければいけないだろう」

俺は腰掛けていたロープ留めの丸太から立ち上がり、女に手を差し出した。

僅かに躊躇ってから彼女はその手をとり、腰を上げる。

恥じらいがあるのか、少し目が泳いだ…そのせいだったのだろう。

彼女は足元の係留ロープに足をかけ、よろめいてしまう。

女「あっ…!?」

俺は握った手を引き寄せ、彼女を支えた。

図らずも彼女を胸に抱いた姿勢になった、その時。

女「………!?」

男(身体が…動かない…!?)


いや、正確には動く。

通常の動きの何分の一、いや何十分の一という早さでの事だが。

解せないのは俺の目に映る女の長い髪が揺れる早さまで、ゆっくりになっている事。

身体機能が麻痺しているのではない、何らかの要因で時間がほぼ止められている。

男(魔法…か?思考は通常の早さでできるが…)

???「はじめましてだねー」

男(誰だ…!?子供…いつからそこに…)

???「あんたがこの国のドラゴンキラーでしょ?ボクは星の国で同じく呼ばれてる」

驚いた、星の国のドラゴンキラーがこんな少年だったとは。

しかしその俺の驚きは少し的外れなものだった。

その、的を外した部分とは。


少年?「ボクの名は『時魔女』。挨拶にきてみたらイチャついてたから、ボクの力を知ってもらうためにも二人の身体の時間を止めさせてもらったよ」

少年…ではなかったらしい。

いや、今この状況において肝心なのはそこではない。

重要なのは彼女の台詞の後半、この少女は俺たちをどうするつもりなのかという事だ。

だがどうやら『力を知ってもらう』という言葉通り、悪戯な手段ではあっても他意は無かったらしい。

時魔女「そして時は動き出す…ってね?」

彼女は指をパチンと鳴らし、自らがかけた束縛を解く。

不意に胸に抱えた女の体重を受けてしまい、俺は情けなくも尻もちをついた。

女もまた、その俺の身体に覆い被さるように倒れ込む。

時魔女「ははっ、あれだけゆっくりさせてあげてもまだイチャつき足りなかったみたいだね?」


男「…随分なご挨拶だな、時魔女…星の国のドラゴンキラー殿。いつからそこに?」

時魔女「ボクは時空を操る魔女。そこの船から二人の姿が見えたから、ちょっと空間を飛び越えてきたよ」

時や空間を操る魔法など、聞いた事が無い。

時魔女はけらけらと笑いながら「ただしハッキリと視認できる所へしか飛べないけど」とつけ加えた。

男「女、大丈夫か?」

時魔女「ごめんごめん、ちょっと悪ふざけが過ぎたかな。敵意は全く無いの、ただこの力は口で説明してもなかなか信じて貰えないからね」

男「それはそうだろう。そんな魔法、今の現在まで知らなかった」

時魔女「今夜は懇親の食事会を開いてくれるって聞いてるから、詳しくはそこで話すよ」

少女らしいあどけない笑顔で、彼女は悪びれもせずに言う。

しかし直後、今度は表情を凛々しく変えて直立すると、敬礼の姿勢をとった。

時魔女「月の国のドラゴンキラー、男殿とお見受けします。私は星の国の時魔女。三十名の兵と共に貴殿の隊に合流したく、馳せ参じました」

男「…月の国、討伐隊々長の男だ。貴殿部隊の合流を許可する…ようこそ、時魔女殿」

時魔女「先の無礼をお許し下さい。それでは後ほど、ご機嫌よう…」

彼女はスカートの裾をつまんで一礼した後、風のように消えた。

奇跡的に時を止めるに近い描写を含むところだったから、IDがDIO様の内にここまでは投下したかった
台詞を一部予定から改変したのは調子に乗ったと反省してる


……………
………


…その夜、懇親の宴席


副隊長「えー、この度は星の国よりの選抜隊ご一同には、ここまでのご足労を頂き誠に恐れいる次第であります。明日より開始いたします作戦は対ワイバーンに向けた前哨戦として…」

男「…副隊長、みんな喉がカラカラだ」

副隊長「ごほん…夜の闇を照らす星と月の輝きよ、永遠たれ!乾杯!」

星の国と我が月の国は古くからの同盟関係にあり、毎年のように合同での訓練演習も行われる関係だ。

それぞれの兵同士には競い合う想いこそあれど、共に作戦を遂行する事への抵抗は少ない。

上座も下座も無いように幾つかの円卓を広間に配し、その中央のテーブルに俺と女そして時魔女が座っている。

時魔女「うっわ、豪勢!港町での合流と聞いた時から期待はしてたんだよー!」

互いに隊を率いる者として、それなりに気を遣う事になるだろうと覚悟していただけに、彼女のざっくばらんな気質はとても有難い。

これなら明日からの任務も、気を置く事なく共闘していけるだろう。

男「遠慮なく、いくらでも食ってくれ。どうやら言葉にも気を遣う必要は無さそうだ」

時魔女「もちろんだよ。お互い竜の首を獲った同士、後でサラマンダー討伐の話を聞かせてね?」


男「しかし港での一件は驚いた、まさかあんな魔法が存在するとはな」

時魔女「うん…純粋な魔法じゃあ無いんだけどね」

女「そうでしょうね…私も魔導士としてあらゆる魔術書を学びましたが、あのような例は見た事がありません」

時魔女は食事の手を休め、「うーん」と声に出して何かを思案している。

時魔女「本当は内緒なんだけどね。どうせ共同戦線を張るんだから、ボクは知っておいてもらった方がいいと思うんだ」

男「何をだ?」

時魔女「それと後で男に試して欲しい事もあるしね…うん、もう話しちゃおう」

そう言って彼女は自分の服の胸元を解き、その両胸の間を見せた。

男「…それは」

そこに顔を覗けていたのは、青い水晶のような宝玉。

ただその結晶にはあまりに規則的な模様が刻まれていて、人工物であるように思われた。

男「どういう事だ?…その模様と色、まるで作り物みたいだ」

時魔女「ご名答、お目が高いね。…でも、女の子の胸を穴があくほど凝視するもんじゃないぞ、すけべ」


時魔女「星の国は資源に乏しい小国だから、機械と科学技術の発展に重きをおいてきたの。…そのひとつの究極形がボク、時空を操る人造の魔導士だよ」

時魔女は胸元の紐を結いながら、自分をそう表現した。

女「人造魔導士…」

時魔女「もちろん元はただの魔導士だけどね。その魔力を胸に埋めたコアで時空操作の力に変換してるの」

なるほど、よく解らない。

とりあえずその原理や方法の詳細を聞いたところで、俺にもこの月の国にも活かす術が無い事だけは解った。

男「どんな事ができるんだ?」

時魔女「時間の停止…厳密には時間の減速だけど。それから逆に時間の加速、それから条件は限られるけど少しなら時間の逆行もできるよ」

女「時間の減速は自ら味わいましたし、加速…というのも何となく解ります。時間の逆行とは…?」

時魔女「命ある有機生命体に限りだけど、その物質的な部分の状態を最大10分くらい巻き戻す事ができるの。つまり、怪我をしてもその前の状態に戻せるって事。すごく魔力を消耗するけどね」

男「それはすごい、無敵じゃないか」

時魔女「本当に疲れるんだよ…しかも自分には使えないの。自分がその魔法を使った事自体が無くなっちゃうから。あとは、さっきも見せた空間の跳躍かな」

舞ってる

>>66の舞いがどんなのか気になる


時魔女「…はぁ、話し過ぎて疲れちゃった。とりあえず目の前のご馳走の続き、食べていいかな?」

男「ああ、すまなかった。あまりに聞き入ってしまったな」

俺は既に空になって久しい麦種のグラスを持ち上げて、係の者におかわりを催促する。

さすがにこの少女に勧める訳にはいかないだろうが、新たな仲間の増えた今宵は城での凱旋の際よりも酒が美味く感じられた。

女「男さん、明日からまた徒歩での遠征です。飲み過ぎてはなりませんよ」

男「解ってるよ…たぶん」

言いながらおそらく俺は今、目が泳いだと思う。

女は少し呆れたような眼差しで、小さく溜息をひとつ。

そんな俺たちの様子はきっと恋人にしては立ち入り過ぎで、夫婦としてはぎこちないものだったと思う。

だから…だろうか、少し首を傾げて時魔女は尋ねた。

時魔女「ところで、女ちゃんって男の…何?」


男「んー、話せば長くなるな」

女「妻です」

時魔女「ツマ…って、二文字じゃん。話しても長く無いよ?」

…手を握るだけで照れるくせに、そんな宣言をするのは何とも無いのだろうか。

少なくとも俺は大変に照れ臭いのだが。

女「…まだ認めて頂いてはいないようなのですが」

男「おい、そこまで言わなくていいから」

時魔女「え、男って隊長のくせに優柔不断?」

男「いいんだよ…そこが話せば長いところなんだ」

時魔女「長くてもいいから聞きたいなー、女の子にとっては興味深々な話題だよ?」

男「それはそうとサラマンダー討伐の話をだな」

時魔女「それは今度でいいでーす」

時魔女に絡まれる俺を見る女の目は、少し意地悪な気がした。


……………
………


…宿泊所内、男と女の部屋


男「ふわ…また飲み過ぎた」

女「だから言いましたのに、明日は大丈夫なのですか?」

大丈夫だろうと無かろうと、俺の二日酔いのせいで星の国の兵まで足止めさせる事なんてできる筈がない。

男「水…くれないか」

女「もうさっきから持ってます。…どうぞ」

差し出されたグラスを受け取り、半分量ほど呷る。

ふう…とひとつ息を落とし、それをテーブルに置いてベッドに深く腰掛けた。

男「サーペント退治の話、興味深かったな。七竜の動きを時魔法で縛るとは」

女「それでもさすがに巨大な竜を相手には、十秒が限度だそうですね」

男「その間に百名の魔導士の凍結魔法で、周囲の海を凍らせて…あとは魔法と直接攻撃か。…よく考えたものだ」


男「動きを縛る時魔法は、対ワイバーン戦でも大いに役立つだろう。…ただ、周囲に凍らせる海が無い以上、そのままの作戦は使えないな」

女「でも…サラマンダーをそうしたように、動きを止めた間に矢の攻撃で翼を奪い、雷撃によって堕とす…というのは有効では?」

彼女は言いながら少し口の端を上げて、不敵な笑みを見せた。

まだその様を見た事は無いが、彼女は月の国きっての魔導士。おそらく雷撃魔法にも絶対的な自信があるに違いない。

男「そうだな、ただ…時魔法を発動するには数秒の魔力変換…だったかな?…とにかく少しの時間が必要だと言った」

女「…はい。その間、術士の視界中央に標的を留め続ける必要があるとも」

男「『ろっくおん』…って言ってたっけ?…よく解らない言葉が多かったけど」

とにかく時魔女の話は所々でついていけない部分があった。

俺には機械とかいうものが何なのかさえもよく解らないのだから、仕方ない話だ。

とにかく標的に対して時魔法を発動するには、魔力を『こんばーと』する間に標的を『ろっくおん』して、視界から消えない内に『でぃすちゃーじ』しなければならないらしい。

うん、全く解らない。


男「でも、それでも少しだけ…ワイバーン打倒の望みが見えてきた気がするよ」

女「ご両親の仇との事、悲願なのでしょうね」

悲願…その通りだ。

そのために俺は十年以上にも渡って、剣術をはじめとした戦闘技術を磨いてきた。

男「ああ…俺と、幼馴染の…まさに悲願だな」

女「…幼馴染?」

男「うん、そいつも同じ時に父親を奪われたんだ。必ず仇をとろう…強くなろうって、互いに誓い合った」

女「あの、その…幼馴染さんって…どんな方なんですか」

男「あいつは弓使いだった。主に父親の遺した弓を使って修練を重ねてたな」

女「…だった?」

男「ああ、もちろん今もそうだと思うけどな。五年も前に旭日の国に無双の弓使いがいると聞いて、そこへ訪ねて行ったきり会ってないから」


女「…やはりあの翼竜に大切な人を奪われた方は、多いのですね」

女は目を伏せ、ぽつりと呟いた。

男「なんとなく、他にも知ってるような言い方だな?」

女「…私が貴方の部隊への同行を申し出た、もう一つの理由…本当なら、その時に言うべきでした」

語り始めた彼女の口ぶりは、とても悲しげに感じられた。

女「でも『夫を支える事こそ妻の役目』なんて啖呵を切ってしまったから…言い出せなくて」

男「…聞こう」

女「翼竜は、私にとっても仇敵なのです。この世でただ一人、亡き母の血を分けた兄の仇…」

男「………」

女「私などよりはるかに優れた魔導士でした。七年前の当時は前年に竜討伐を成した落日の国に続いて、この国でも盛んに討伐任務が繰り返されてたんです」

男「君の兄も…?」

女「第六次討伐隊々長として、翼竜に挑み…そして帰らなかった」

女の拳は強く握られ、僅かに震えている。

俺は手を延べて、彼女を自分の隣に座るよう促した。


女はベッドに座りつつも床を見つめ、口は一文字に結んだまま。

俺はその頭に手を置き「大丈夫だ」と囁いて、軽く髪を撫でる。

男「女…君にも誓おう、必ず仇は討つ」

女「はい…」

彼女を慰め、励ますつもりで口にした誓い。

でも彼女の返事は弱々しかった。

それはやはり、兄の無念を自らが晴らしたいという想いがあっての事に違いない。

男「最初の夜、君が切った啖呵は何も間違ってなんかいない」

彼女を慰めるのではなく、奮い立たせる為に必要な言葉は。

男「女、俺を支えてくれ。仇敵を討つ戦力としても、俺が死ぬわけにはいかない理由を心に持つためにも」

女「男さん…」

男「俺には、君が必要だ」

今まで言った事も無い歯の浮きそうな台詞ではあったが、それでも効果はあったらしい。

女「…はいっ、承知しました」

その証拠に、彼女の顔には笑顔が戻ったから。

もうちょっと投下したかったけど、眠気に勝てそうもないです
また明日…とっくに今日か


……………
………


…サイクロプスの谷付近


石灰岩で形作られたカルスト台地の渓谷。

木もあまり生えていないこの谷が、港町を襲うサイクロプスの住処だという。

月の副隊長「…せり出した崖の先の見通しがききませぬな」

男「ああ…地形の深さからして、そろそろ警戒しておかねばならんだろう」

サラマンダー討伐での行軍においても、偶然一体のサイクロプスに遭遇した。

その際は不意に現れた巨人に先制攻撃を受け、先頭を務めていた兵一人が犠牲になってしまったという経験がある。

正々堂々と対面しての勝負など人間同士だから叶う話、魔物に通用する理屈ではない。

見通しのきかない地形は、そんな危険を孕んでいる。


時魔女「じゃあ、ボクが偵察に行くよ」

男「待て、一人じゃ…」

制止しようとした俺を気にもとめず、時魔女は自らの胸に左手を当てて風変わりな詠唱を始める。

時魔女「コンバート開始、空間跳躍モード…」

普通の魔導士が詠唱する古代言語もさっぱり解らないが、時魔法のそれもまた不可解な響きだ。

時魔女「位置確認、座標ロックオン…よーし、行ってきます」

そう言うが早いか、時魔女の姿が目の前から消える。

そして次の瞬間、彼女の姿は既に視界を塞ぐ原因である崖の上にあった。

見晴らしが良いであろうそこは、まともに声が届くほど近くはない。

時魔女はこちらを向いて両手で頭上に大きな○印を作り、安全をアピールする。

どうやらまだすぐにサイクロプスが潜んでいる事は無さそうだ。

男「時魔女…!上だ!」

サイクロプスは…だが。

月の副隊長「いかん、時魔女殿は気づいておられんようですぞ!」

こちらを向いた彼女の背後上空、切り立った崖の更に上に潜んでいたハーピー三羽が時魔女に迫っている。


男「くそっ!下しか見なかったな…!」

月の副隊長「弓兵!」

弓兵「無理です…!届きません!」

俺は大きく手招きをする動作で、彼女を呼び戻そうとした。

しかし彼女はまだ胸に手を当ててはいない、時魔法の準備時間を考えればとても間に合うはずが無い…しかし、その時。

女「…私が」

そう進言すると、女はその細い右腕を崖の上に向けて、すっ…と延ばした。

女「凍りつきなさい」

一瞬の事だった。ハーピー達が羽の動きを止めたかと思うと、キラキラと氷のつぶてを散らしながら墜落してゆく。

この距離で三羽同時に…しかも。

男「お前…今、詠唱してなかったよな」

女「あの程度なら、無詠唱で充分です」

男「お前…本当に凄いんだな」

女「…これなら男さんを支えられますか?」

充分過ぎるだろう、ちょっと妻が怖くなった。


星の副隊長「何をやってるんですか隊長…いきなり月の方々のお手を煩わせて」

星の国の副隊長…というよりも、さながら時魔女の世話係とも思える女性は、呆れたように自らの上官を窘めた。

なるほど、なかなかに綺麗な女性だ。ウチの副隊長が昨夜の宴席でわざわざ二人掛けの小テーブルを用意させたのも頷ける。

時魔女「いやー、格好つけて偵察したつもりがね…ごめんごめん」

男「まあ何事も無くて良かった。…女、よくやってくれた」

女「勿体無きお言葉です、討伐隊隊々長ドラゴンキラー殿」

男「よせよ、からかうな」


時魔女は崖の上から見えたこの先の様子を説明した。

暫くの区間に変わった様子は無いが、視界の果て辺りには不自然に折れた木が見えたと言う。

おそらくサイクロプスが潜むのは、その辺りと思われる。

時魔女「よっし、じゃあ…時の国、全兵に告ぐ!これより我が隊は月の国討伐隊の指揮下に入る!」

星の兵「はっ!」

時魔女「…男隊長、指令をどーぞ」

やれやれ…解ってはいたが、他国の兵の命まで預からねばならんとは。

自国と他国で命の重さが違うわけではないが、より肩に負う荷は重くなったような気がする。


男「…では全戦力に命じよう。先陣は月の盾兵隊、その後方に両国の槍兵を配置する。両国弓兵隊はその次に控え、サイクロプスの姿を視認次第、距離をもったまま目標周囲に散開せよ」

星魔女「ウチの弓兵はクロスボウ使いだから、射程は長いよ?」

男「…クロスボウなら大弓よりも有効射程は短いんじゃないのか?」

星魔女「ちょっと機械仕掛になっててね…圧縮空気を使うんだけど。とにかく大弓より30%位は飛距離が出るの。少し精度は落ちるけどね」

やはり星の国は機械を発達させたというだけの事はある。

精度が低くとも的の大きい巨人相手なら、射程の長さは有利に働くだろう。

男「では星の弓兵は月の弓兵の後ろ、標的距離については各自の判断で有効な配置をとってくれ」

時魔女「私と女ちゃんは魔法隊と一緒でいいよね?」

男「ああ…俺は盾兵に続くから、魔法隊はその後ろに控えてくれ。…では進軍を開始する、進みながら見通しの良い内に各自陣形を整えろ」


谷間が広く平原のようになったエリアで、布陣を整える。

その先、また少し谷が狭まり見通しに劣る地形に近づいた頃、先頭の盾兵が声をあげた。

盾兵「サイクロプス視認!11時方向、距離およそ300ヤード!まだこちらに気づいていません!」

男「時魔女、サイクロプスに時間停止は使えるか」

時魔女「もちろん。でも大きいから30秒停止を5回くらいで限度かな」

男「よし…おそらく標的は複数体いるだろう、最も近い個体を時魔法で止めて火炎魔法で攻撃。後方の個体は弓で足止めするんだ」

あまり身を隠せる物は無い谷間だ、最接近するよりは早く気づかれるだろう。

近付き過ぎて狭い谷あいに入るよりは、広いエリアで戦うべきとも思われる。

あと150ヤードというところか、弓や魔法の射程には充分に入ったところで、俺は時魔女に目配せをした。

時魔女「コンバート開始、時間停止モード…目標ロックオン、いつでもどーぞ」

男「魔法隊、詠唱準備!時魔女…巨人を止めろ!」


時魔女「いくよっ、時間停止!」

ゆっくりと歩んでいたサイクロプスが、動きを止める。

ほどなく詠唱を終えた魔法隊が火炎魔法を放つと、巨人は火に包まれた。

狭い谷の向こう、異変を察知した他の個体が地を震わせて姿を表す。

その数、現在4体。

男「弓兵、撹乱を狙え!もしサイクロプスの瞳を射抜き、一撃の下に倒した者には、あとでとっておきのバーボンをくれてやる!」

弓兵「そいつぁいい!総隊長、ちゃんと覚えてて下さいよ!?」

男「倒してから言え!…放てっ!」

矢の弾幕が上がる。

巨人はそれを逃れようとばらばらの方向に動き始めた。

火に包まれた最初の一体が、そのままで動き出すが、熱さに悶えて前進する事は叶わないようだ。

女「可哀想に、冷ましてあげましょう…」

刹那、その個体の瞳を氷の矢が貫いた。


巨体が膝をつき、ゆっくりと大地に崩れおちる。

男「…凍結魔法にそんな使い方があるとはな」

女「私にもバーボンを頂戴できますか?」

時魔女「魔力ロード完了、次…いくよっ」

いい調子だ。

七竜を狙うわけでもないこの前哨戦で、悪戯に兵を失うわけにはいかない。

このまま完全勝利を狙う…そう考えた時だった。

盾兵「隊長!さらに追加個体!」

男「くそっ、何体だ!?」

盾兵「それが…!多過ぎて、判りませんっ!」

谷間の向こう、そして気づかなかった鍾乳洞の入り口から、少なくとも20体以上のサイクロプスが現れる。

まずい、こんなにいるという情報は無かった。

月と星、双方あわせて60余名の兵で挑む規模など超えている。


男「いかん!後退しろ!こう多くては広いところで相手をするのは不利だ!弓で威嚇しながら退けっ!」

動きの鈍そうに思える巨人だが、その歩みの幅は大きい。

重装の盾兵が遅れ、追いつかれている。

男「盾兵!回避しろっ!」

巨人が引き抜いた木そのままのような、巨大な棍棒を振り上げる。

男(間に合わない!畜生…大事な兵を!)

盾兵「うわああぁぁぁ!…あ……あ?」

危機一髪のタイミングで、その巨人の瞳が貫かれた。


後ろのめりに倒れる巨体、その矢の主は。

男「誰だ…!?」

一人、崖の上に弓を構えた者の姿が見える。

この隊の兵では無い、あんなところに配してはいないはずだ。

???「バーボンを頂けるんだったかしら?」

独特のチェインメイルに身を包んだ弓使いは、逆光を背負いながら言った。

男「旭日の国の甲冑…!まさか…!?」

???「久しぶりね…でも話す間は無さそうよ」

男「幼馴染…!」

>>90
×時の国→○星の国


幼馴染「与一流弓術、追影…!」

彼女は崖の上から矢を放つ。

その矢は真っ直ぐにサイクロプスを目掛けた後、その手前で軌道を変えて顔前から瞳を貫いた。

男「矢が曲がるだと…!?」

幼馴染「不思議がってる場合じゃない!しっかりしなさい、男っ!」

言いながら幼馴染は連続で矢を射っている。

突然に懐かしい顔を見た事と、その主が放つ矢の不可解な軌跡に思わず思考が停止してしまった。

だが、ここは彼女の言う通り窮地を脱するのが先だ。

俺は弓兵の矢を受け、動きの鈍くなりかけた個体から討つつもりで剣を抜こうとした。

そこへ駆け寄る時魔女。

時魔女「男!これ使って…!」

彼女は俺に、一振りの風変わりな剣を差し出す。


男「これは…?」

時魔女「試作品だけど、普通の剣として使っても充分強いはず!」

受け取り鞘から抜くと、まずその軽さに驚いた。

柄の付け根には何か指を掛けるように細工され、可動する部分がある。

時魔女「今なら兵達が離れてるから、特殊効果も使えるかも…!男、トリガー握って!」

男「トリガーって…この指のところのか!?」

時魔女「そう!引いて、言うまで離さないで!」

彼女の言う通り、トリガーを人差し指で引いた。

すると刀身の中央に刻まれた模様が柄に近い方から青白く光り、次第に先の方へと伸びてゆく。

同時に剣から発せられる、妙な響きを伴った声。

《充填率30%…50%…70%》


時魔女「うそ…!?チャージがとんでもなく早い…!やっぱり男なら使いこなせるのかも!」

男「どういう事だよ…!?おい、サイクロプス来るぞ!」

もう一番近い巨人個体までは20ヤードと離れていない。

《100%…充填完了、加圧開始…110%…120%…》

時魔女「男!サイクロプスの群れに向かって薙ぎ払いながら、トリガーを放して!」

訳が解らない、でも時魔女にも考えがあっての事だろう。

言われるままに剣を両手に構え直し、横に薙ぎ払いつつトリガーを解放する。

男「こう…かっ!?」


目が眩むほどの青白い閃光、刀身全体が光ったかと思うと、その光が横一閃の帯となり前方十時から二時方向範囲に放出された。

光は一帯のサイクロプスを捉え、瞬く間に消える。

そして巨人達は。

月の副隊長「なんと…!」

時魔女「すごい…本当に使えた…!」

目の前の一体の胴が、ずるり…と横にずれる。

巨人は、光を受けた部位で切断されていたのだ。

今の一撃でサイクロプスの大半が倒れ、残るは7体ほど。

それも一体ずつ確実に、幼馴染の矢と女の魔法によって倒されていく。

その様を見ながら俺はぐらりと揺れ、地に片膝を衝いた。

先の一閃によるものなのだろう、突然すさまじい疲労に襲われたのだ。


男「くっ…倒れた巨人にも油断するな!槍兵隊は制圧された範囲から順に一体ずつとどめを刺して回るんだ!」

声を上げるだけで頭がくらくらとする。

肉体的な疲労というより、気力が失われたような倦怠感が強い。

男(この剣は何なんだ…凄まじい威力だが、これじゃ後が続かない)

月の副隊長「隊長、お見事でありました!あとは私にお任せを…!」

男「ああ…すまん、指揮を…頼む…」

大地が斜めに見える、俺は倒れようとしているのだろう。

時魔女「男…!ごめん、無理をさせて…!」

時魔女が小さな身体で俺を支える。

全身に力が入らず、それに甘えるしかない。

サイクロプスの最後の一体が倒れてゆくのが見えた、とりあえずもう心配は無さそうだ。

そう思うと同時に、俺は意識を手放した。


……………
………


『旭日の国へ行くって、お前…あてはあるのかよ』

『あては無いけど、どうしても行きたいの。無双の弓使いと呼ばれる人を探して、弟子入りするつもり』

『お前、冷静になれよ。オンナ独りでそんな当てずっぽうな事、させられないって』

『…大丈夫だよ、剣術だって男に習って一人前程度にはできるつもり。男もそう言ってくれたじゃない?』

『そうだけど…』

『お願い、男…解って。私はどうしても仇の竜を討ちたい。弓の力でそれを成すには、ただ闇雲に矢を射る訓練をするばかりじゃ駄目なの』

『なら魔法も覚えたらどうだ。お前、そこそこ魔力の適性もあるって…』

『うん、だからこそ…旭日の国の弓使いは、その魔力を矢に付与する技を使うって言うわ。私はそれを習得したい』

………


『…ありがとうね、港まで送ってもらって』

『本当に気をつけて行けよ。…どうしても入門できなかったら、帰って来い』

『うん、解ってる…竜を討つのは男と一緒にって、思ってるから』

『ああ…誓ったからな』

『男…私ね、男の事…好きだったよ』

『幼馴染…』

『…でも、もういいの。私を心配して引き止めてくれた男を、振り切って行くんだもの。一切の心残りなんか、連れて行かない』

『ああ…それがいいよ』

『だから、言うだけ言っておきたかった。でも気にしないで、私は貴方への恋心も捨てて行くから』

『上等だ、行って来いよ。…船、出るみたいだぞ』

『うん、行ってきます。…さよなら…男』

『…捨てたんだろ、泣くなよ』


……………
………



男「………ぅ…うん…?」

時魔女「あ、起きた!幼馴染ちゃん、男が起きたよー!」

目を開けると、俺を覗き込む時魔女の顔が視界の中央にあった。

周りの景色は見えない、野営用のテントの中のようだ。

…という事は、かなり長く意識を失っていたのだろう。

幼馴染「おはよ、男…大丈夫?」

テントの入り口付近にいた幼馴染が、こちらに歩み寄る。

入り口から見えたテントの外は、既に暗くなっているようだった。

男「ああ…楽になってる」

上体を起こしてみても、もうフラつく感覚は無い。


時魔女「ごめんね…本当に無理をさせちゃった」

男「いいさ、あの剣の一撃が無かったらもっと苦戦してたかもしれない」

幼馴染「すごかったよね、ひと振りで十体以上は片付けてたもの」

本当に、その斬撃を繰り出した本人が一番驚いているほどだ。

…いや、それよりも驚いたのは。

男「お前…いつ戻ってたんだ」

幼馴染「二日前、男達がサイクロプス討伐に出た日だよ。あの港町に着いたの…それから後をつけてたんだ」

男「とりあえず礼を言おう。助かった、無駄に兵を減らさずにすんだよ」

幼馴染「どういたしまして、ドラゴンキラー殿」

男「よせよ、お前に言われるのが一番気恥ずかしい」


俺はテントの中を見回した。

しかし姿は見えない。誰の…とは言うまでも無いだろう。

時魔女「女ちゃんなら、外にいるけど…呼ぼうか?」

男「いや…行ってみるよ」

幼馴染「まだ立たない方がいいんじゃない?」

男「…大丈夫だ」

立ち上がると流石にまだ少し脚がおぼつかない。

できるだけそれを二人に悟られぬよう振る舞いながら、俺はテントの開口部をくぐる。

西の空はまだ幾分か夕焼けている、時刻は午後七時といったところか。

少し離れたところ、草地の中から顔を覗けた胸高ほどの岩の上に、女は腰掛けていた。


男「…女、心配をかけたか」

女「………私の夫は、あの程度で大事に至るような方ではありません」

彼女は視線を遠くに遣ったまま、控えめな声でそう答えた。

短い沈黙、そして小さな溜息に続いてこちらを振り返る。

女「…嘘です、心配しました」

男「すまん…」

女「何に対してです?」

男「………?」

質問の意図が読めず口ごもる俺に対し、女は人差し指を立てて言葉を続けた。

女「心配をかけた事ですか?まだバーボンを下さって無い事…?」

男「前者に決まってるだろ、バーボンなら後で…」

女「それとも、幼馴染さんが女性だとは言って下さらなかった事…ですか?」


男「…女、何か勘違いをしてないか」

女「勘違いなどしていません。幼い頃から共に過ごし、強くなる事…仇敵を討つ事を互いに誓い合い、数年も離ればなれになった女性でしょう?」

なんて意地の悪い言い方をしやがる、女も段々と地が出てきたらしい。

でも俺がおぼつかない脚を隠してまで女の元へ来たのは、確かにその点を言い訳するためだった気がする。

男「わざとらしい言い方をするなよ、あいつは兄妹みたいなもんなんだ」

女「…解っています」

すとん…と、岩から降りる女。

彼女の長い髪が揺れて、高くなり始めた月の明かりに照らされた。

女「こんな気持ち、不快です。胸が痛くて、熱くて…」

男「………」

女「私…嫉妬をしてるんだと思います」


女の口から零された意外な言葉。

俺たちの関係はそもそも、突然に降って湧いた縁だったはずだ。

それでも日々を共に過ごす内、互いに歩み寄ろうとはしていた…それは解っている。

ただ、その歩みはとても緩やかなものだと思っていた。

だから俺は既に彼女の心に嫉妬という感情が芽生え得るなど、幼馴染の存在をそんな風に捉えるなどとは考えもしなかったんだ。

女「…ごめんなさい、困らせて」

詫びる女の表情はとても切なげに見えるけど、それを晴らすためにどんな言葉を選べば良いのかさえ俺には解らない。

こんな痴話喧嘩のようなやりとりなど、した事が無いから。

だから不器用にも、ただ言い訳を並べるしかできなかった。

男「…幼馴染がオンナだと話さなかったのは、話す必要性さえ感じなかったからなんだ」

…でもこの時、この言い方はまずかったらしい。

ただしそれは目の前の女に対してまずいのではなく。

幼馴染「それは酷いなあ」

俺はその女性が背後から憤慨の声を投げるまで、その接近に気付けていなかった。


男「幼馴染…聞いてたのか」

幼馴染「そーですか、男にとって私はそんな存在だったのね」

腰に手を当てて、さも不服そうに彼女は言った。

幼馴染「…ま、仕方ないけどね。あんたへの恋心は捨てるって宣言しちゃったんだし」

男「おい、変な事を言うなよ」

幼馴染「…女さん、だったよね?時魔女ちゃんから聞いてはいるけど、貴女自身の口から聞かせて。…貴女は男の、何?」

知ってるなら敢えて訊かなくてもいいのに。

しかし女の返答は時魔女から同じ問いを受けた時とは、微妙に違うものだった。

女「妻です、ただし…形式上の」

幼馴染「…そんな言い方したら本当にそう認識させて貰うけど、それでいいの?」

女「事実ですから」


男「幼馴染、それは俺が言った事なんだ。仇の竜を討つまではそういう事にしておいてくれって」

幼馴染「ふーん…じゃあ、やめといた方がいいんじゃない?こんな身勝手な人と結婚するのは」

男「…ひでえ言われようだな」

幼馴染「女さん、悪い事は言わないから形式上って言ってる内に、破棄しちゃった方がいいよ?」

身勝手なのは認めるが、何も俺は女との結婚を嫌がってるわけじゃない。

ただ、護るべき物を持てば死地に赴く際の枷となる…そう考え、恐れただけ。

その事は女に話して、納得して貰っている。

だから女は幼馴染の発言に表情を変えた。

おそらく彼女は今、怒っている。

女「それは嫌です」

幼馴染「…どうして?聞けば貴女は月の国の皇女様で、男と引き合わされたのもついこの間の事なんでしょう?」

女「…そんな事は関係ありません」

幼馴染「男はね、皇女様に似合うほど大層な人間じゃないわ」

女「男さんはこの国に無くてはならないドラゴンキラー、逆に王族の末席たる私では釣り合わない程の御方です」


女「幼馴染さん、今の男さんは貴女がよく知る昔の彼とは違うんです」

幼馴染「ううん、私にとっては変わらない。五年前、好きだと告げた男のままよ」

女「いいえ、変わってるんです。だって先日、仮にも私と結婚しましたから」

幼馴染「仮にも、形式上…ね?」

女「仮でも形式上でも、私は彼の妻です。だから夫を貶める言葉は見過ごせません」

そこまでで二人は言葉を切り、睨み合うようにして数秒を過ごす。

俺にとってその僅かな時間は、とんでもなく長い沈黙に感じられた。

…それを破ったのは。


見張り兵「敵襲!敵襲…!サイクロプスの生き残りが来たぞ!」

かがり火の向こう、谷の奥側を見張っていた兵が声をあげる。

まだ巨人は宿営地には達していないらしい、よくこの暗さで手前から気付いてくれたものだ。

だが多くの兵士はその身の兵装を解き、すぐに戦える者は少ない。

兵装にこだわらず戦闘が可能な隊に頼るしか無いだろう。

男「魔法隊っ!急げ!」

見張り兵「サイクロプス、現在3体!」

幼馴染「視界さえきけば、目を射抜いてやるのに…!」

女「…言いましたね?」

女は短く魔法詠唱を経て、手を翳す。

かがり火の向こう、夜空をバックとしたシルエットで見えていた木立が火に包まれ、その向こうを照らした。

女「これで見えるでしょう、外さないで下さい?」

幼馴染「なめないで、単身異国に渡って修練を重ねたのは伊達じゃないわ」

幼馴染が背に負ったままにしていた大弓を構える。

つがえた矢は三本、まさか同時に放つつもりか。


幼馴染「追影、複式…!」

三本の矢が放たれる。それらは独立した弧を描きながら、三体の巨人の瞳を目指した。

幼馴染「…女さん、意地悪を言ってごめんなさい」

一体ずつ、地に伏してゆく巨人。

防衛線を張ろうとしていた兵達が感嘆の声をあげている。

幼馴染「貴女の気持ちが知りたかっただけなの。いくら自ら男に決別を告げたとは言っても、少しは悔しくもあったから」

女「いえ…謝るのは私です。幼馴染さんの存在を知っていたとしても、どうする事もできなかったとはいえ…」

幼馴染「じゃあ、決まりね。悪いのは男、という事で」

女「はい、それで結構です」

男「え…!?」

どういう事だ、さっき女は俺を庇ってくれたのに。俺がどんな悪い事をしたというのか。

五年前、幼馴染は一方的に俺に想いを告げて、一方的に別れを告げた。俺はそれに対して特に答えなかった。

女と結ばれる流れになった時、そんな過去の事を気にしなかった。だから女には話もしなかった。

そして幼馴染との間には何のしがらみも無い事を女に告げ、間抜けにもそれを本人にまで聞かれた。

うん、悪いな。俺が悪い。


……………
………



ごとん…と少し強めに陶器のグラスをトレーに置いて、同時に彼女は「それで?」と不機嫌に訊いた。

男「ええと…とにかくこの国はドラゴンキラーの肩書きを持つ俺を、手放したくなかったんだと思うんだよ」

幼馴染「それは解ってるの。それで女さんと結婚させて王族の端くれにでも加えようとしたんでしょ?」

今は俺と幼馴染、顔を突き合わせて二人でバーボンを呷っている。

幼馴染の希望により、女も時魔女もテントの外。

たぶん声が届かない程度、さっき女がいた辺りまで離れているのだろう。


幼馴染「そうじゃなくて、その成り行きなら女さんも最初はアンタとの結婚なんて望んで無かったでしょ?」

男「そりゃそうだろうな、今だって納得なんかしてない…」

幼馴染「それはない。女さんは後々からだろうけど、アンタを気に入ってる。今さら彼女にそんな事言ったら、私が引っ叩くよ?」

どうもさっきの一件から立場が弱い。

女と時魔女に席を外してもらう際には『ちょっとつもる話があるから』と断ったが、これじゃ完全に俺が説教されている状態だ。

男「じゃあ何が訊きたいんだよ」

幼馴染「アンタはどうなの?」

男「どうって」

幼馴染「女さんとの結婚、ちゃんと望んでるの?女さんを妻にするって覚悟はきちんとあるの?」

男「…覚悟は、翼竜を倒すまでは持てない。俺はあの竜を倒す為なら代償としての死も、厭わないつもりだからな」


幼馴染「じゃあ、その後は」

男「…ここで、その時にならないと解らないなんて言ったら」

幼馴染「私の矢でアンタを殺せるかしら、試そうか?」

ただの例え話としての表現のようだが、彼女は目が笑ってない。

男「だよな…解ってる、冗談だ。幼馴染、もう歯に衣着せず言うぞ?」

幼馴染「…うん」

男「俺も最初は結婚なんて望んで無かった。でも今はそうでもない、いや…これで良かったと思ってる」

幼馴染「………」

男「五体満足、無事に翼竜を討つ事が叶ったら…俺は必ず、本当の意味で女を妻取るつもりだ」

できるだけ堂々と言ったつもりだ。

でも言い終われば少々どころでなく照れ臭い。

俺はまだ半分ほども残っていたバーボンのグラスを一気に呷った。


幼馴染「…そっか」

対面の彼女は一気に声色を落とし、視線を逸らす。

なんとなく気まずく、なんとなく申し訳ない気分に襲われた。

男「…幼馴染、でもな」

まして今から言おうとする事はもしかしたら言わない方がいい、残酷な事なのかもしれない。

男「五年前、港でお前を見送った時。…お前の気持ちを聞いたあの時の俺は」

だけど伝えておきたかった。

男「たぶん、お前の事…好きだったよ」

幼馴染「…うん」

後から『たぶん』なんて付けなきゃ良かったと思う。

自分の記憶だ、間違いようがない。

あの時、俺は旅立つ彼女の枷にならぬよう想いを捨てた。

あの日、俺達は互いにその幼い恋心を捨てあったんだ。


それから幼馴染は少しの間、泣いたようだった。

そして息が落ち着きはじめてから、旅立った後の事をぽつりぽつりと話し始めた。

旭日の国の弓使いに弟子入りするために、八日間休まず訪れては一日中その門の前に立った事。

入門すると意外と女性の弟子も多くて安心した事。

髪色や言葉遣いの違いから、最初は仲間内で異端と見られ避けられた事。

でも実力はすぐに認められ、仲間達と切磋琢磨する内に次第に馴染めた事。

師匠その人こそが旭日の国のドラゴンキラーとなった人で、その討伐の際には副隊長を務めた事。

俺がサラマンダーを討った噂を聞いて、帰国の為に師匠に破門を願い出た事。

師匠がそんな彼女に、破門でなく免許皆伝の旨を告げた事。

そして港町で隊を率いる俺の傍に女の姿を認め、その場で声を掛けられなかった事。


幼馴染「…よし、吹っ切れたよ」

全てを話し終えて、彼女は自らに言いきかせるようにそう言った。

幼馴染「実はね、私も一度だけ色気のある話があったの」

男「…どんな?」

幼馴染「白夜の国のクエレブレ討伐は、主導は向こうだったけど旭日の国との共同作戦だった」

男「ああ…知ってる、白夜と旭日は同盟国だからな。お前、あの作戦にも参加したのか」

幼馴染「うん、まだ新米だから矢の補給兵的な役目だったけど。…そこで向こうの隊長さんに求婚された」

ちょうど口をつけていたバーボンを思わず零しそうになる。なんていきなりな話だ。

男「…そりゃ、すげえな」

幼馴染「すっごく良い人で、すごく人望も厚くて。私に一目惚れしたって…でも私、まだ師匠に習いたい事だらけだったから」

白夜の隊長という事は、つまりその彼もドラゴンキラーという事だ。

男「そりゃ…何だか惜しいような話だな」

幼馴染「何言ってんの、アンタも月のドラゴンキラーでしょ?…でもアンタに振られるなら、受けとけば良かったかな」

そう言って笑う彼女の表情は複雑そうに映るけれど、俺はそれに気付かないふりをするしかなかった。


最後にグラスにもう半分程のバーボンの水割りを作って、俺と幼馴染はやっと再会の乾杯を交わした。

思えば彼女と酒を飲む事自体が初めての行為で、その事実こそが二人を隔てていた時間と距離を物語っているように思う。

男「…お前、強くなったよな。驚いたぜ」

幼馴染「ああまでして異国へ渡ったんだもの、強くならなきゃ帰れないよ」

いや、強くなっただけではない。

決して口には出さないけれど、あどけなかったあの頃よりもずっとオンナらしく綺麗になった。

きっと女の存在が無ければ、想いを捨てた事を後悔してしまう位に。

でも女がいなかったら、もしかして…そんな今更あり得ない未来を少しだけ想像してしまったのは、また酒が過ぎたせいなんだろう。

この後、女がテントに戻った時に飲み過ぎを咎められなければいいなと思った。


……………
………


…翌日、港町への帰路


時魔女「身体どうー?」

男「ああ、すっかり大丈夫だ」

やはりあの剣技による疲労は肉体的なものではないのだろう。

気を失うほどの体力を使ったのなら、翌日こうも身体が楽になるわけがない。

時魔女「あの特殊効果は、いざという時にしか使えないね。でも、初めてだったんだよ?チャージ率が100%に達したのは」


男「それはどういう意味だ?」

星の副隊長「恥ずかしながら我が国ではその剣を試作したものの、それを使いこなせる闘気を持つ者がいなかったのです」

時魔女「闘気っていうのはまだ研究段階だから仮称だけど、つまり精神力と肉体的な技量を併せたような力。単純にその人の強さだと思っていいよ」

相変わらず星の国の人間が言う事は端々が解らない。

ただ月の国で最強の称号を得た俺は、星の国でも並ぶ者がいないという事なのだろう。

正直なところ、気分は良かった。

幼馴染「顔、緩んでるよ」

男「うるせえな」


男「それはどういう意味だ?」

星の副隊長「恥ずかしながら我が国ではその剣を試作したものの、それを使いこなせる闘気を持つ者がいなかったのです」

時魔女「闘気っていうのはまだ研究段階だから仮称だけど、つまり精神力と肉体的な技量を併せたような力。単純にその人の強さだと思っていいよ」

相変わらず星の国の人間が言う事は端々が解らない。

ただ月の国で最強の称号を得た俺は、星の国でも並ぶ者がいないという事なのだろう。

正直なところ、気分は良かった。

幼馴染「顔、緩んでるよ」

男「うるせえな」

失礼、タイムアウトしたら投下ダブった


時魔女「でも本当の事だよ、男は強いんだね。闘気の充填率が100%に達すると、あの斬撃を出す事ができるの」

星の副隊長「もちろん刀身に闘気を溜めたまま切りつける事も可能です。その場合は充填率によって威力が変わる事になります」

時魔女「あの時は130%位まで加圧されてたけど、理論上は150%で金剛石でも砕けるはず。限界が何%なのかは未知数ね」

金剛石を砕くとはとてつもない話だが、あの時で後に気を失うならそれ以上だと死を覚悟しなければいけない気がする。

ただ対翼竜戦においての命を賭けた一撃としては、使えるかもしれない。

男「でも、俺が持ってていいのか?これは星の国の兵器だろ」

時魔女「試作品だからね。使いこなせる人に使って貰って、こっちはデータが欲しいところだから」

俺にしか使いこなせない剣とは、まるで神話上の勇士にでもなったような気分だ。

さっき幼馴染に指摘されたが、どうしても顔が緩む。

女「…男さん、気を良くしているところ申し訳ないのですが。それは実験台という意味ですよ」

男「女まで言うか」

星の副隊長「おや、ばれてしまったようですね。あはは…」


星の兵士「魔物です!コボルドとオークの混成群!数、およそ50以上!」

先頭を行く兵からの声が響く。

そう強い魔物ではないが五十体以上とはなかなかの規模だ、混戦は避けられまい。

男「弓兵隊と魔法隊は手を出すな!同士討ちになりかねん!盾兵は弓兵と魔法隊の周囲で擁護しろ!槍兵隊、俺に続け!」

幼馴染「私も行くわ!」

男「弓の修練にかまけて剣の腕が落ちてないなら、来い。女は時魔女と一緒に魔法隊と同じくしろ」

女「でも…!私は魔法で仲間を巻き添えになどしません!」

女は強い口調で異を唱えた。

たぶん俺が幼馴染の参戦を認めたからなのだろう。

男「最初の約束だったはずだ、戦場では俺の命に従え」

少しずるい気もしたが、こう言えば彼女も逆らえない。

まだ不服ありげな表情ではあるものの、女は小さく「解りました」と答えた。


男「槍兵、各自散開!殲滅しろ!」

俺は剣を抜き、駆け出した。

右側にコボルド三体、その向こう左側にオーク一体。

駆け抜けるならここだ、一気に群れの後方まで回って魔物を撹乱してやる。

男「街道の旅人を脅かす雑魚共め!我が隊と出会ったのが運の尽きだ!」

最初のコボルドが粗末な槍を大ぶりに翳すが、振り下ろす間も与えない。

その胴を真二つに切り裂きながら、目は次の個体に向ける。

やはりこの剣は軽い、無意識に片手持ちをしてしまうが長さは両手持ちの大剣に迫るほどだ。

それを片手で振り回せるのだから、よりリーチは長く、斬撃はより速い。

闘気の充填などせずとも、通常の剣よりはるかに強いのは間違いない。

男(強度はどうだ…!?)

二体目を袈裟懸けに切り伏せる。

幾つもの骨を切断したはずなのに、刃こぼれはおろか刀身が震える感触すらない。


男「こいつはすごいな…!」

目に捉えた三体目のコボルドは手にした槍を振りかぶり、投げつけてきた。

魔物にしては見事な投撃だ、槍は俺の胸目掛けて真っ直ぐに飛来する。

俺は剣の側面でそれを叩き除けて、得物を無くした個体を睨んだ。

そのコボルドの向こう、俺が一連の攻勢で最後に捉えようと考えていたオークの首が、血飛沫を上げて飛ぶのが見えた。

幼馴染「やるじゃない、ドラゴンキラーは伊達じゃないわね!」

男「余計な事すんじゃねえよ!」

俺は三体目のコボルドを仕留めながら、オークを倒した凶刃の主に悪態をつく。

彼女が振るうのはカタナと呼ばれる、旭日の国で使われる独特な形状の剣だ。

女性の力でやすやすとオークの首をはねるとは、その切れ味は聞きしに勝るものに違いない。

男(…後で見せて貰おう)


振り返れば槍兵も奮闘している、群れの中央後方が大きく空いた。

そこに陣取っているのは、他の個体よりふた回り程も大きな威厳あるオーク。

あれが群れの長に違いない。

男「奴は俺がとる!横槍入れるんじゃねえぞ!」

幼馴染「女さんが観戦に徹してるからって、張り切ってんじゃないの」

男(うるせえ、ちょっとは格好つけさせろ)

狙う巨躯に近付く間に、おまけで二体のコボルドを切り落とす。

長の危機を感じとったか、傍に控えていた他とは身体つきの違うコボルドが立ちはだかる。

恐らく群れの副リーダーなのだろうその個体は、低級な魔物とは思えない速さで俺に切りかかった。

…しかし。

男「さすがだ…副隊長」

月の副隊長「…出過ぎました。格好をつけたいのは私も同じ故、お許しを」

ニヤリと笑う三十路越えの男は、俺の目にはなかなか精悍に映る。

あとは、あの星の副隊長が惚れてくれればいいのだが。


………


時魔女「男、強いねー」

女「………」

時魔女「…女ちゃん、もしかして機嫌悪い?」

女「…そんな事ないです」

時魔女「置いてけぼりされたから?」

女「………」

時魔女「幼馴染ちゃんもがんばってるもんねー」

女「…あのくらい」

時魔女「…意外と可愛い性格してるよね」

女「………あっ」

時魔女「大丈夫だと思うよ?男…ほらね、後ろに目がついてるのかってくらい隙が無いもの」

女「…何も言ってません」

時魔女「本当、可愛いなー」


………


オークがその豪腕を振るう。

敢えて槍や棍棒のような得物を持っていないのは、粗末な武器などより自らの巨躯こそが凶器だと解っているからだろう。

高等な知能は無くとも、この怪物は幾多の争いを勝ち抜く中でそれを悟ったのだ。

男「たかがオーク…そうは思わん、貴様の全力を切り伏せてやる」

恐らく喰らえばダメージは重い。

俺は慎重に間合いを取り、その隙を窺った。

次にオークが繰り出したのは、それは今までよりも少し大振りな一撃。

ここまでの打撃が紙一重で空を切ってきた事に苛ついたのか、また俺を捉え損なったその惰力で巨躯が背中を見せる。


男「…貰った!」

俺はオークの背後に回り、そのままでは刃の届かないその首目掛けて跳躍した。

サラマンダー戦でそうしたようにダガーを巨体の背に突きたてる。

しかし硬い竜の鱗とは違い、足を掛けられる程の支持力は得られない。

ダガーを握った左手一本で懸垂をする要領で、自らの身体をあと数フィート高く持ち上げた。

男「届いたぞ、バケモノ」

その肩口から斜めに深く、剣を突く。

身をよじるオーク。

俺は刺した剣を支点に巨躯の前方に身を翻すと、後ろ手のままその身体を引き裂き地に降りる。

数秒ほどの間をもって、背後の地面が揺れた。

俺は自らの頬に散った返り血を拭い、剣を鞘に収める。

残り数体のコボルドも、槍兵の奮戦によって倒されようとしていた。

>>1です。
回答ありがとうございます、ちょっと安心できました
とりあえずこの位の割合でやっていく事にします


時魔女「男、幼馴染ちゃん、お疲れ様!乱戦ではボクあんまり役に立たなくて、ごめんねー」

時魔女は水に濡らした拭き布を渡しながら、俺達を迎えた。

男「何言ってんだ。七竜戦では時魔法が要になるんだから、役割はそれぞれでいいんだよ」

幼馴染「そうそう。私だってサイクロプスみたいに弱点のはっきりした相手じゃなかったら、地味に矢を射るしかできないんだから」

時魔女「でも幼馴染ちゃんの接近戦も格好良かったよ!あ、もちろん男もね!」

兵に負傷者こそあるが、時魔女の時間逆行を必要とするような重傷を負ったのは片目をやられた一名のみ。

それも数分以内の事なので、彼女の力で無かった事にできた。

戦果は良好、快勝と言っていいだろう。

ただ接近戦でオークを相手にすると、浴びる返り血がひどい。

今夜は是非とも川か湖があるところで野営したいところだ。

女「拭き布を」

男「ああ…大丈夫、自分でするよ」

女「背中は思うように拭けないでしょう?…貸して下さい」

女はちょっと強引に俺から布を奪った。


ごしごしと背中に浴びた返り血や泥を拭ってくれているが、少し力が強すぎやしないか。

男「おい、腕とかは自分で拭けるって」

女「今は戦時ではありません。やめろと言われても、命に従う義務は無いかと」

男「…誇りに背かない命ならいつでも従うんじゃなかったか」

女「夫の身嗜みを整えるのは、妻の役目と考えておりますので」

昨夜からどうも機嫌が悪い、まあ理由は解っているけれど。

気だて良く振る舞い、夫の心の安らぎとなる事は妻の役目じゃないのか…とは思っても言わない。

何故ならそれは、本心じゃない。

男「格好つけたつもりだったんだけど」

女「お望みの言葉は、今日は言いません」

男「…お前の性格、見えてきた気がするよ」

少なくとも結婚してから言う台詞ではないな…言った後からそう考えて苦笑する。

でもそんな女の性格と振る舞いを、俺は気に入っているんだろう。

最初、気を遣うばかりでぎこちなかった二人の関係は、いつしか俺にとって心安らぐものになっていた。


……………
………


…月の国、北東の港町


月の副隊長「総員、整列!」

無事に帰還した60余名全員の兵が、足を鳴らして広場に整列する。

サイクロプス討伐成功の報告をもって凱旋した港町、夜には自治体の振る舞いによる宴が催される事になった。

海からサーペントが消え、断続的に町を襲うサイクロプスの脅威も無くなった事で、港町の民の生活は格段に安定したものとなる。

それを成した星の国の一団と我々に対するせめてものもてなしだと、町長は顔を綻ばせて言ってくれた。

男「討伐隊全員、各自夕刻までは思い思いに過ごすがいい。ただし…」

月の副隊長「宴まで羽目を外すな…ですな」

男「そういう事だ、なんだかこの町に入る度に言ってるな。…あと明朝には町の伝令所に今後の命についての指示が入る事になっている」

国内の主な拠点までは数マイル毎に中継所が設けられ、日射鏡を使った信号による通信網が整備されている。

それは月の国と星の国のように同盟を結んだ国家同士にも巡らされ、実質のところ月・星・旭日・白夜の四か国は一日程度のラグはあれど相互に通信する事が可能だ。

男「いつ号令をかける事になるか解らん、明日の午前中は宿泊所で待機せよ」


月の副隊長「午前中だけでよろしいので?」

男「午後になってから急な指令など入っても、この大所帯がすぐに発てるものか。それにこの美しい海を前に一日中待機など、俺が耐えられん」

一同が失笑した。

月と星の混成部隊だが、随分馴染んできたと思う。

男「…総員、素晴らしい活躍だった。宴では貴様ら勇士が俺に杯で挑んでくる事を期待している。では、解散!」

やはり俺は討伐隊々長には向いていない。

号令に従い、生き生きとした顔で解散してゆく隊員達が、親しい友人のように思えてしまう。

いつか彼等を死地に送る号令を掛ける事になるかも知れないというのに。

……………
………


…翌朝

男「う…うぅ…午前中は待機って言っといて良かった…」

頭が割れそうに痛い、胸の辺りは火がついたように熱い。

女「連日飲み過ぎです、お身体の事も考えて下さい」

男「だってあいつら順番に挑んでくるんだもんな…」

女「自業自得です。…お水、要りますか?」

男「頼む…」

女は呆れた溜息をつくと「氷を貰ってきます」と言い残し、部屋を出ていった…

…と、思った。


しかしドアは閉まる途中で止まり、その陰から再度顔を覗かせる女。

女「覚えて無い…みたいですね」

呟くようにそう言った彼女は頬を赤らめ、どこか拗ねている風に目に映る。

男「…え?」

そして彼女の姿は部屋の外に消え、ドアは閉じられた。

男「………え?」

しばし頭が真っ白になった後、急に嫌な汗が吹き出す。

男(ちょっと待て、何だそれ!俺…昨夜、何かしたのか!?)

だって今朝、俺は二日酔いに苛まれながらもいつも通り二人同じベッドで目覚めた。

いや、女は俺より早く目覚めてはいたけど…とにかく寝床は共にしてたんだ。


つまり昨夜、酒に飲まれた俺は彼女に『しようと思えば何でもできた』事になる。

男(何にも覚えて無えよ…どうやって部屋まで帰ったかさえ解らないんだぞ)

とりあえず今いるベッドに掛けられている薄手の毛布を払い除け、シーツの状態を確認。

…そう著しく乱れてはいない。

男(そりゃそうだろ!だって俺、服着てるものな!)

少なくとも真っ白な彼女を赤く染めるような事には、至っていないものと思われる。

ホッと胸を撫で下ろした。


さて、じゃあ俺は何をした。

彼女の純潔を完全に奪うまでの事はしていないとして、その一歩手前とかはありえないか?

つまり彼女を押し倒したり、ひん剥いて…こう…ほら、もにょっと…

女「…何の手つきです?」

男「うぉっ!?…も、戻ったのか」

女「氷を頂きに行っただけですから…そんなに驚かれるとは思っていませんでした」

男「驚いてない、ぜんぜん」

女は氷水のグラスを差し出して、俺の額に手を当てた。

ひやりと冷たい、白く細い指。

女「まだ火照ってるんじゃないですか…?」

さっきまでの疚しい考えを引きずっているのか、どうもその言葉が意味深に思えてならない。

男「なあ、さっきの…どういう意味だ?俺、昨夜…何かしたのか」

女「本当に覚えてませんか」

男「すまん、さっぱり解らん」


女はまた拗ねた風な顔を作り、ぷい…と横を向く。

その横顔を暫く見つめていると、彼女は口籠もらせながら言った。

女「唇を…奪われましたのに」

…頭を整理する。

これは、なんて事をしてしまったと後悔すべきか、その程度で良かったと思うべきなのか。

男「本当かよ…すまない…」

女「別に謝らずとも構いません。…でも」

でも、覚えていないなんて失礼極まりないだろう。

男「女、昨夜は本当に酒でどうかしてたんだと思う。覚えてもないなんて…俺だって気がすまない」

女「………」

男「無かった事にはしてくれないか?…それで、その…」

形式上でも妻だ、不貞を働いたわけではない。

…だから、せめて。

男「今、しよう。もう一度…これが初めてって事で」


女「…承知しました」

男「ちょ…ちょっと、口を濯いでくるから」

俺はベッドから立ち上がると、早足に洗面台に向かう。

途中で軽く足が縺れてフラついた、いかん…焦っている。

男(ああ…きっと今日は酒臭いはずなのに。いや、昨夜はもっと酷かったか…)

荒い粒子の磨き粉を指に取り、念入りに口内を磨く。

肉桂のフレーバーをできるだけ擦り込み、丁寧に口を濯いで。

…これで大丈夫、多分。

女はさっきと変わらずベッドの脇に佇み、こちらに背を向け俯いている。

一歩ずつ歩み寄る、それに従い俺の胸は次第に早鐘を打ち始めた。

もう二十代も半ばに差し掛かろうとする、いい大人だというのに。

ずっと剣術の鍛錬に明け暮れて、こういう点では少年にすら劣る自分が情けない。


男「………女…」

その肩に手を掛けると、彼女はゆっくりとこちらに振り返った。

頬を朱に染め、目は俺を見ているようで少し焦点が定まっていない風に見える。

男「昨夜、すまなかった。…これは誇りに背きはしないよな?」

女「…妻ですから」

細い両肩を持ち、軽く引き寄せた。

抵抗することなく、俺の胸に身体を預ける女。

彼女が上を向き、目を閉じた。

俺はその艶やかな桜色の唇に吸い込まれるように、顔を近づけ…

時魔女「おっはよー!伝令文きたよー!」

慌て弾けるように身を離す。

部屋のドアの開く向きが逆なら、目撃されていたに違いない。

時魔女「あれ?…もしかしてタイミング最悪だった?」

男「ぜんぜん!」

女「………」


月王からの伝令、そこに記された新たな任務は旭日の国と落日の国の間に広がる砂漠へ赴く事だった。

砂漠に巣食うのは七竜の一、渇竜と呼ばれるヴリトラ。

伝令文のそこまでに目を通し、翼竜討伐でない事に落胆する。

しかし文の続きには、こう記されていた。

『昨今、砂漠上空における翼竜の目撃が頻発。点在するオアシス近隣の居住地への被害報告も在り。ヴリトラ討伐は元より、二頭の竜を一掃する事を期待する』

…心臓が大きく脈打った。

ついに、あの翼竜を討てるかもしれない。

俺は胸に手を当て、その昂りを確かめてみる。

怖れなど無い。今、この胸に打つのは奮いの鼓動だ。

自然と口の端が上がる、拳を握り固める。

男(墜つべき時が来たぞ、翼竜…!)

二日酔いの不調など、どこかへ失せていた。


………



港町の外れ、砂浜を女と二人で歩く。

竜討伐の命に気は急くものの、伝令文の更に続きには増援の兵を送るために数日この町で待機の指示が記されていた。

もしかしたら七竜との連戦になる可能性もある、確かに増援は必要だろう。

男「さっきは参ったな、結構いい雰囲気だったんだけど」

女「すみません…部屋に戻った時に鍵を下ろしておけばよかったものを」

男「お前のせいじゃないよ、別に時魔女が悪いわけでもないし」

話しながらゆっくりと、足は砂浜の端に見える岩場に向いていた。

そこへ歩むのは無意識か、それともわざとか…その岩場なら人目につかないところもあるだろう。

女もそれを察しているかもしれない。

海岸、波の音、潮の香り、人目につかない岩場…狙い過ぎだろうか。


…しかし辿り着いた岩場には。

月の兵A「あ、隊長殿!」

月の兵B「散歩ですか、待機継続ですものね」

こいつらの顔、見覚えが強い。

昨夜、俺に順番に挑んできた最後の二人だ。

男「…お前ら、ここで何を?」

男二人で人目につかない岩場って、理由によっては隊の在り方を考えなければならない。

まあ二人が提げた麻袋をみれば、およそ察せられるが。

月の兵B「この岩場、栄螺や雲丹が採れるんですよ」

月の兵A「さっきなんか小振りですが鮑を拾いました、晩酌が捗りますよ」

兵が開いた袋の口を覗いてみると、ごろごろと型の良い栄螺が重なっている。

男「…なるほど。だがこの町の漁師はそれらで生計をたてているんだ、程々にしろよ」

月の兵A「自分らの晩酌のアテになれば充分ですから、もうここまでにします」

月の兵B「隊長殿も拾ってみては?…ああ、さすがに今日はもう酒は召されませんかね」


男「まあ昨夜さんざん飲んだ…いや、飲まされたからな。…他でも無い貴様らに」

月の兵A「覚えておいででしたか…確かに自分らのせいですが、大変でしたよ。隊長殿を部屋まで運ぶのは」

月の兵B「引きずってベッドに寝かせても、いっさい目を覚ましませんでしたからね」

男「俺は酒に酔って寝たら起きない事で有名なんだ。まあ、一応すまなかった…と言っておこうか」

兵士二人は軽く会釈をして、すぐに岩場を離れてゆく。

たぶん女を連れた俺に気を遣ったのだろう、これで本当に人の目は無くなった。

…少し雰囲気は失われてしまったように思うが。

男「…あれ?」

女「………」

そこで俺は、ある事に気付く。

先の兵士の言葉が正しければ…

男「兵に引きずられて…ベッドに…?」


女「か…帰りましょう、男さん!」

男「…いっさい目を覚まさずに?」

女「そうだ!また波止場の近くの露天で牡蠣を食べませんか!?」

急にあたふたと挙動を乱す女。

俺の中に芽生えた疑念が、確信に近付く。

さあ、どうする…?

女「この間の焼き牡蠣、美味しかったです!食べたいですっ!」

いかにも普段らしくない女の態度からして、おそらく俺の予想は違わない。

女「そう、今度は時魔女さんも誘いましょう!それがいいです!」

でも、ここでそれを糾弾するのは無粋じゃないか、女に著しく恥をかかせる事になる。

女「ええと…あの、あの…!」

俺は女が望む通り露天市に行こうと考え、その旨を言おうとした。

男「じゃあ」
女「ごめんなさいっ…!」


しかし、少し間に合わなかった。

突然の謝罪、彼女の方が罪の意識に負けてしまったらしい。

女「だって!だって、仕方なかった!突然に幼馴染さんが現れて…彼女は昔、男さんの事が好きで…!」

男「女、もういいから…」

恥ずかしさのせいなのか、彼女は顔を真っ赤にして目を潤ませている。

女「私よりずっと男さんの事、よく知ってて…一緒に過ごした時間は比べものにならなくて…」

ひと滴、ついに涙は頬を伝う。

俺は疑念を抱いた時に、それを口にしてしまった事を悔やんだ。

女「私は男さんの妻なのに…それは形式上の事で…夫婦なのに、口づけすらした事…無くて…」

そもそも悪いのは俺だ。

婚姻を形式上の事にしたのも、夫婦だというのに彼女の手さえ握らなかったのも。


男「女、顔を上げろ」

彼女がそれに従うより先に、俺はその背中に手を回して華奢な身体を抱き寄せた。

女「………!」

驚いて上を向いた女、その唇を強引に奪う。

彼女の身体が強張り、やがてその力を抜く。

数秒の口づけを終えて、俺より小さなその身体を解放しようとした時、今度は俺が彼女の細腕に抱き締められた。

俺の胸に顔を埋めて、ぐいぐいと首を横に振る。

きっと涙を拭いたんだろう。

そして今は顔を見るな…という事なんだろう。

とりあえずここまで

……………
………


…三日後


月の副隊長「総員、整列!」

昨夜、月の増援部隊が合流して総勢120名を越す規模となった討伐隊。

その全員が普段は運輸物資の集積場所となっている港の広場に整列した。

目の前には隊の専用艇として確保された三隻のキャラック船が出港の時を待っている。

これまで以上に本格的な部隊を率いる事となった今、元々の軍人ではない俺は些かの気後れを覚えていた。

男「合流部隊諸君、長旅ご苦労だった。…しかし参ったな、こんな大所帯の指揮など慣れるものじゃない」

元々の討伐隊、既に気の知れた仲間達が小さく失笑する。

きっと笑いは噛み殺したのであろう増援部隊の面子も、この部隊の隊長たる俺が最近まで農夫であった事くらいは知っているだろう。

男「まあ…今は気楽に聞いてくれ。これより我が隊は海を超え、旭日と落日の間に広がる砂漠を目指す。…長い旅になるだろう」

天候が良くて航海が六日、そこから砂漠までの行軍も十日ではきかない。

男「おそらく戻る頃には季節すら変わろう。それほどの時を共に過ごし死線を超える我々は、国も故郷も越えて一つの絆で結ばれるべきだと思う」


行軍の間には雑多な魔物との交戦もあるだろう。

環境の違いに身体を悪くする者もいるかもしれない。

その時に長たる俺が気後れなどしていてどうする。

男「家族にも似た絆だ。俺は諸君らの全てを率き連れて戻りたい。…問おう、俺に命を預けられるか」

全兵「「「サー、イエッサー!」」」

男「諸君らにもそれぞれの家族があろう。しかし今これからは我々部隊がその代わりだ。家族を護るように、隣に立つ仲間を庇い、護ると誓えるか」

全兵「「「サー、イエッサー!」」」

男「ならば我ら家族の想いは一つだ。必ず竜を討ち、全員が生きて帰り、祝杯を交わす。…それ以外の戦果は望まん!」

全兵「「「サー、イエッサー!」」」

男「目指す栄光は海原の向こうにある。…総員、乗船せよ!」

………


…一時間後


男「うええぇぇぇぇぇ」

幼馴染「船酔いなんて情けないなあ…」

仕方ないだろう、こんな大きな船に乗った事なんて無い。

大きな船の方が揺れは少ないと言うけれど、そもそも波の無い川でカヌーより少し大きい程度の運搬船にしか乗った経験は無いのだ。

男「うぅ…この大きな間隔の揺れが、死ぬほど気持ち悪い…」

幼馴染「はぁ…演説は格好良かったのに、見る影も無いね」

うるせえ、罵るだけならどっか行け。

俺には口づけも交わし絆を深めた女がいる…

女「………くっ」

男「今、笑ったよな」

もういい、ほっといてくれ。


見張り兵「9時方向の島嶼より飛来する影あり!数は10…いや、12です!」

男「副隊長…頼む」

女「しっかりなさって下さい、副隊長殿は二番艦にご搭乗です!」

男「じゃあ時魔女…」

幼馴染「時魔女ちゃんは三番艦」

そうか、そうだった。

見張り兵「敵影はバルチャー!かなり大型です…!」

男「…どうせ剣も槍も届くまい。弓兵…魔法隊、応戦せよ。…うえええぇぇぇ…」

幼馴染「どの口がさっき隣の兵を護れって言ったのよ」

男「…今は俺を護ってくれ」

不服を垂れながらも幼馴染は弓を構える。

女「ふふ…私は嬉しいです。たまには夫に頼られないと」

男「…よろしく」

幼馴染「与一流、炸矢…!」

鋭く矢を射る幼馴染。緩い弧を描き怪鳥を目指す矢は、相手の回避によって目標を捉え損なったように見えた。

しかし矢がその怪鳥の翼下をくぐろうとする時。

幼馴染「そんなに小さく躱しても意味は無いわ」

閃光と共に矢が炸裂する。

つがえていた矢は普通の鏃に見えた…という事は、これも魔力を籠めた旭日の弓術なのだろう。

女「…翼を焼き払います」

ほんの数秒、略式にしても短い程の詠唱を経て女が手を翳す。

一瞬にして火に包まれる翼、なす術無く堕ちる巨鳥。

幼馴染「惜しげも無く魔法使ってたら、魔力がもたないわよ?」

女「あら、ここは海の上ですから…矢こそ大事にしないと回収できませんよ」

幼馴染「…言うじゃない」

女「ライバル視してますから」

互いに憎まれ口のような言葉を交わしながらも、最初の夜のように深刻な雰囲気ではない。

関係はどうあれ、二人は馬が合う存在らしい事は解ってきていた。


他の兵士の活躍もあり、バルチャーの襲来は被害無く乗り切る事ができた。

このまま沖へ進み、周りに島などが無い辺りになれば水中に棲むもの以外の魔物は現れなくなると思われる。

水中の魔物にしてもサーペントのいない今、この大きさの船を襲える者などそうはいまい。

男「おえええぇぇぇ…」

後の悩みはいつ俺が落ち着くか、それだけだ。

男「女…水、頼む」

女「なんだか私、飯炊き女ならぬ水汲み女みたいですね」

口づけを交わして以降、当たり前だが女との仲はより親密になったと思う。

もう最初のように気を遣う事も無く、こうして冗談すら言ってくれる程だ。

女「はい、どうぞ…あ、ちょっと待って下さい」

女は渡そうとした器を左手に持ち直し、右掌を胸の前で上に向けると何かを小さく唱えた。

きんっ…という音と共に、その掌の上に現れる氷塊。

女「あら、少し大き過ぎました…器に入りきっていないので、気をつけて飲んで下さい」

男「…便利なもんだな」

冷えた水を喉に通すと、幾分か胸がすっきりした気がした。

………


船旅も三日目になると、すっかり船酔いもしなくなった。

でもそれは今回に慣れただけで、帰りがけの船ではまた発症するのだろうか。

男(七竜に挑むんだ、帰りの心配をするのは早いか…)

俺は遠い水平線を見遣りながら、迫る戦に想いを馳せる。

七竜、特にワイバーンに対しては命を賭して挑むつもりだ。

兵に対する伝令では総員生きて帰る旨を語ったが、サラマンダー戦でも七人が散った事を思えば難しい話なのは解っている。

人の命は皆、平等な筈だ。

この隊の全てが家族だ…そう兵達にも告げた、それは嘘じゃない。

でも誰よりも、隣に佇む女を死なせたくないと思うのは仕方のない事だろう。

女「…水平線の景色は素敵ですけど、こうも毎日それしか見えなければ退屈ですね」

男「まあな…俺は落ち着いて眺められるようになったのは、今朝くらいからだけど」

女「あはは…そうでしたね」

このごろ女は、よく笑うようになったと思う。


女「あら…?幼馴染さん、船尾で何をされているのでしょう…」

見ると幼馴染が船尾の低くなったところで、何かごそごそと弓を弄っている。

男「何してるんだー?」

幼馴染は声に気付き、こちらを振り返った。

そして弓を高く掲げて「まあ見てて」と大きな声で告げた。

遠目で判りにくいが、弓には弦が張られていないように見える。

幼馴染「てーい!」

彼女が海に向かって振りかぶる、その仕草でピンときた。

男「釣り…か、アイツも暇だったんだな」


女「楽しそう、見に行きましょう」

言うより早く女は船尾に向かって歩き出した。

皇女という立場にあった彼女だ、こういう俗な遊びを見るのは初めてなのだろう。

男(竜を討ち、全てが終わったら…二人で色んな所に旅をするのも悪くないかもな)

ついさっき帰りがけの心配をする事さえ早いと考えたばかりの筈なのに。

本当に命を賭して竜に挑む気があるのかと、自分で可笑しくなる。

俺はもう一度水平線に目を遣り、自分に言い聞かせるように迫る死闘を心に描いた。


第一部、おしまい

たぶん全部で三部か四部になると思う



第二部、はじまりー


.


…砂漠地帯、三日目


男「…副隊長、水は保ちそうか」

月の副隊長「今、進んでいる方向に狂いが無ければ、オアシスの集落までは問題無いでしょう」

男「狂いがあった場合は?」

月の副隊長「…約120の干物が出来ますな」

男「そりゃいい肴になりそうだな…渇竜にとっての」

当たり前だが初めて訪れた砂漠、どんな所か話は聞いていたのに少々なめていたかもしれない。

歩きにくさもあってか、兵も下を向いて歩を進めている。それ故に幾分か隊列が乱れがちだ。

振り返るといつも俺のすぐ後ろに着いていたはずの女が、少し離れている。

男「女、できるだけ離れるな。砂に潜む魔物に狙われたらどうする…」

幼馴染「私が着いてるから大丈夫、気にしないで」

男「いや、お前も含めて隊列から外れるなよ」

女と幼馴染だけではない、時魔女とその副官も合わせて女性4人が隊列から外れ気味だ。

これを許せば隊の規範が乱れかねない。


男「隊長命令だ、隊列に戻れ」

幼馴染「うるさい、大丈夫だからほっといて」

時魔女「男の鈍ちん」

なんだ、この言われようは。

いかに幼馴染は直接の部下では無いし、時魔女は本来なら俺と同列の立場であろうとも、ここはビシッと言わねばなるまい。

男「お前ら、身勝手な事を言うんじゃない!砂漠の行軍が大変なのは皆一緒なんだぞ!」

月の副隊長「隊長殿、察してやりましょうぞ」

男「副隊長まで…何を甘い事を」

月の副隊長「…失礼ながら、確かに鈍いかもしれませんな。隊長殿、砂漠に入ってから三日…風呂も行水もお預けなのですぞ」

…ああ、なるほど理解した。

臭いのか、俺も、皆も、彼女ら自身も。

男「…今日中にオアシスまで行けるか」

月の副隊長「微妙なところですな」

道理で昨夜、夫婦となってから初めて別々に寝ると言い出したわけだ。

……………
………


…その夜、オアシスの集落


男「砂漠の民の酋長殿、この度は宿の提供を感謝する」

酋長「何という事はありませぬ。数知れぬラクダを奪ってきた憎きヴリトラを征伐して下さるのであれば、こんな有難い事は無い」

小さなかがり火の灯るテントの中で、酋長の老人は言った。

酋長「ヴリトラは砂に潜み、砂を泳ぐ竜…砂漠で地震のような大地の震えを感じたら、注意召されますよう」

月の副隊長「砂に潜む…か、やりにくそうですな。酋長、どの辺りでよく現れるのか?」

酋長「いかに渇竜といえど、水も無くては生きていけませぬ故…このオアシスを中心とした半径10マイル以内に現れるのが殆どでございますな」

半径10マイルとは、出会うだけでも難しそうだ。

しかし砂に潜むという事は、逆に砂の無いところには現れないという事。

酋長「この集落は砂のすぐ下に厚い砂岩の岩盤があります故、ヴリトラに襲われる事は滅多とありませぬが…」

男「滅多に…という事は、時にはあるのか。岩盤があるなら砂を泳ぐ事はできまいに、どうやって」

酋長「年に数回の雨が降る日、ヴリトラは砂上に姿を現して這い回るのでございます。その時だけは集落を上げて見張りに努めなければなりませぬ」

………


月の副隊長「年に数回、半径10マイルの範囲のどこか解らないとなれば、雨を望み待つのも現実的ではありませんな」

男「そうだな…ラクダを囮に、半径10マイルを歩むしかないか」

オアシスの畔を歩きながら、俺と副隊長は討伐の作戦を練る。

男「砂を泳ぐ竜か…サーペントを仕留めた要領に習おうにも、砂を凍らせて固めるのは無理だろうな」

月の副隊長「時魔女殿の時間停止がどれだけ保つかが、鍵となりましょう」

ふと視界に、オアシスの水際に建てられた仮設のテントが目に入った。

テントの中にかがり火が焚かれているらしく、ほんのりと内側から照らされている。


その出入口には星の副隊長が佇み、番をしている風に見えた。

男「…副隊長、気を利かせようか」

月の副隊長「かたじけない」

我が副官は俺の元を離れ、彼女の方へ歩み寄ってゆく。

しかし、僅か手前で彼女から何かを告げられたと思うと、彼は慌ててこちらへ戻ってきた。

月の副隊長「隊長殿、戻りましょう。行ってはなりませぬ」

男「は…?」

どういう意味か解らずテントを見遣ると、その白い布に影が映り動いているのに気付く。

あれは…女だ。

それから幼馴染と、時魔女…か?


星の副隊長がテントの中に向かって何かを言っている。

男「………」

月の副隊長「見てはなりませぬ!行きますぞ!」

俺の様子に一段と慌てた風な副隊長、その雰囲気でようやく事を理解した。

テントに映る影は全員ハダカだ、行水しているのだろう。

しまった、シルエットだけどその身体のラインをしっかり見てしまった。

テントから時魔女が顔を出して何やら喚いている。

男「逃げるぞ、副隊長!」

月の副隊長「…御意!」

かがり火を中に入れるのが悪いんだ、俺たちは悪くない。

もし追求されたら、そう言おう。

……………
………


…四日後、オアシスの東10マイル地点


オアシスを日々の拠点として、各方向への探査を繰り返し始めて四日目。

未だにヴリトラもワイバーンも影を見せない。

男「…そろそろ引き返さないと、オアシスに戻れなくなるな」

時魔女「なかなか出て来ないねー」

星の副隊長「これより南は砂岩の大地が多い地域ですので、竜が潜む可能性は低いでしょう」

仕方が無い、明日はもう一度北の方向へ探査を進めてみる事としよう。

幼馴染「まあ、いいわ…オアシスを拠点としてからは、ちゃんと水浴びもできるし」

時魔女「誰かさんが覗くけどねー」

男「覗いてねえ!」


幼馴染「そういえば私、10歳くらいまでは男と一緒にお風呂入ってたのよー?」

男「余計な事まで言うな!」

時魔女「ひゃっほーう、女ちゃん妬けるー?」

女「子供の頃の事なんて、気にしませんっ」

砂漠の真ん中で、兵を引き連れて何を話してるんだか。

星の副隊長は別としても、女が三人寄れば姦しいのは当たり前なのかもしれない。

俺が呆れて目を逸らした、その時だった。

隊列の左手、緩い砂丘の肌がサラサラと崩れてゆく。

幼馴染「…地鳴り………!?」

次第に大きくなる大地の震え。

『…砂漠で地震のような大地の震えを感じたら、注意召されるますよう』

酋長の言葉が頭をよぎった、そして次の瞬間。

月の兵「うわああぁぁっ!」

隊列の最後尾でラクダを引いていた兵が叫ぶ。

振り返った先、そこで見たものは。


男「ヴリトラだ…!総員、散開!決して固まるな…!」

渇竜は砂中から顎を露わにし、ラクダを飲み込んでゆく。

弓兵が後ろ歩きに散開しつつ、矢をつがえ構えた。

男「魔法隊、凍結魔法準備!弓兵…放てっ!」

ヴリトラはまだ動きを止めたまま、獲物を飲み込む事に専念している。

砂から覗けているのは頭の半分ほどだろう、ここで時間停止をしても有効な攻撃は出来そうに無い。

どちらが下か上かもよく解らない、その巨大な顎に数十本の矢がたつ。

しかし刺さるのはその内の数本、うまく鱗の隙間に食い込んだものだけで、後はバラバラと砂上に落ちた。

サラマンダー戦で知ってはいたが、やはり竜の鱗は固い。

僅かな痛みに怒ったのか、ヴリトラが砂中に隠していた残りの体躯を露わにする。

幼馴染「大きい!オロチと同じくらいはある…!」


現れた黒い鱗を纏いし竜は、手も足も無い蛇のような姿だった。

胴体の太さは軽く10フィートを超え、体長はおそらく60ヤードに達するだろう。

男「時魔女!時間停止を!」

時魔女「了解…!魔力コンバート、時間停止モード…!」

しかし次の瞬間、ヴリトラは討伐隊の散開範囲を舐めるように見渡して、再度砂に潜ってしまった。

想像を遥かに超えるその潜行速度に、危機を直感する。

男「いかん!更に散開しろっ!足を止めるな…!」

女が俺の傍に駆け寄るが、兵だけでなく俺も止まっているわけにはいかない。

男「女、手を!走るぞ…!」

俺は女の手を左手で奪い、右手で剣を抜く。

その時、左前方の砂丘が盛り上がった。

星の兵「うわ…ああぁ…っ!」

姿を現す竜の顎、足を縺らせて転んだ兵がその牙にかかる。


時魔女「くっそ…!思ったより速くてロックオンできない…!」

海から現れるサーペントと違い、全く透明度の無い砂に隠れているが故に、現れる場所に予想がつかない。

時魔女が時間停止を発動できないのも無理は無かった。

咄嗟に目の端で捉えた砂丘の向こう、砂岩の一枚岩が覗いている。

男「総員、あの岩まで走れ!急ぐんだっ!」

俺と女が100ヤードほど離れたその岩に辿り着くまでに、更に三度の襲来を受け五人の兵が顎に飲まれた。

岩の上で振り返ると、まだここに達せず走る兵の姿もある。

男「早く…!早くしろっ!」

月の副隊長「いかん…!」

その中の一人、最も遅れていた者が転ぶのが見えた。

その一人とは…

月の副隊長「くっ!…竜になど飲ませるものかっ!」

叫んだ彼は、倒れた星の副官の元へ走った。

彼女の直下、砂丘が揺れる。


男「副隊長っ!回避しろ…!」

星の副官の周囲の砂が盛り上がり、竜の顎がせり出した。

駆け寄った我が副官が、星の副官を抱え逃れようとする。

閉じられんとする巨大な顎。

女「…させないっ!」

その寸前、竜の口の中に5フィート程の氷塊が生まれ、顎は完全に閉じきらなかった。

かろうじて2人はその牙を脱し、砂上に倒れ込む。

月の副隊長「星の副官殿!早く岩に…!」

星の副隊長「しかし!」

伏せたままの我が副官の周りの砂には、夥しい量の血が染みていた。


ヴリトラは既に砂中に沈み、いつまた二人を襲うとも知れない。

最も近い位置にいた兵士数名が駆け寄り、負傷した副隊長を抱え上げた。

時魔女「座標、ロックオン!」

刹那、岩盤上から時魔女の姿が消える。

彼女の姿が移動したのは、副隊長らから5ヤードばかり離れたところ。

すぐにまた胸に手を翳して魔力を変換し始めているが、彼女はその場で立ち尽くし動こうとしない。

時魔女「空間跳躍モード、コンバート完了…座標よし!」

囮となった彼女の周囲で砂が弾ける。


一瞬にして露になり、ばくん…と音をたてて閉じられる顎。

男「時魔女は…!?」

時魔女「ここにいるよー、ぎりぎりセーフ…」

俺のすぐ隣の岩盤上から、彼女の声がした。

副隊長も兵士に抱えられて、ようやく岩の上に運ばれる。

男「無茶な事を…、左足がズタスタじゃないか」

星の副隊長「申し訳ありません…!私が愚図な真似を…」

月の副隊長「何…そなたの上官殿がおらねば、命も無かったのだ」

男「時魔女、時間逆行は使えるか」

時魔女「連続して跳躍したから、少しの間は無理…何分かして試してみるから、ちょっと我慢して」


ヴリトラは時おり頭を出しては周囲を窺い、また砂中へと消える。

いつ砂上を這って攻めてくるかもしれない、そして今はまだ時間停止で安全を確保する事もできない。

岩盤上にいたところで、いつまで凌げるものか。

男(どうする…何とかして竜を砂上に留め、動きを封じなければ)


…竜は砂中を泳ぐ。


男「女…凍結魔法で氷を作るのは、どの位の大きさまでいける…?」


唯一、竜が砂上を這うのは。


女「完全詠唱で、直径5ヤード程の球形を作ってみせます」

男「それを何度、作れるんだ」

女「…4回…いえ、5回は」


集落が竜に怯えるのは雨の日…酋長はそう言った。


男「女、砂上に氷を作れ!球形じゃなく、できるだけ広い範囲に!できるだけ薄く…!」

女「…は、はい!」

彼女が完全詠唱に要した時間はおよそ20秒ほど、魔法隊のそれよりもずっと早い。

女「いきます!」

女が両手を砂漠に翳す。

耳の奥が凍りつくような甲高い音、砂漠の一部が厚さは3フィートほど広さは直径15ヤードに迫る円形の氷の板に覆われる。

男「魔法隊!火炎魔法を詠唱開始!合同ではなく、各自単体…!広い範囲を焼くつもりでいけ!」

魔法隊「はっ!」

男「幼馴染!あの炸裂の矢で氷を砕いてくれ!」

幼馴染「了解…っ!」

女「次!いきます!」


俺の考えが正しければ雨の日に竜が砂上を這うのは、砂中の水分の影響に違いない。

濡れた砂は乾いたそれより、ずっと重く泳ぎ難いだろう。

幼馴染「あらかた砕いたよ!」

魔法隊「火炎魔法、発動できます!」

男「氷を溶かすんだ!放てっ!」


『いかに渇竜といえど、水も無くては生きていけませぬ故…』


生きるために水を必要とするなら、他の生物と同じように空気も必要なはず。

湿った砂の中で、思うように呼吸はできまい。


氷を作っては砕き、溶かす。

最初の一地点の次は少し間を開けた地点に。

竜が顔を覗けた場所を取り囲むように、砂を濡らしてゆく。

足元に岩盤が露出しているという事は、竜のいる辺りも深くには同じ層があるのではないだろうか。

そうでなくとも砂丘の地下、集落のオアシス水面と同じレベルラインには、水脈があるに違いない。

だとすれば、竜の泳げる渇いた砂の範囲は既に無くなってきているはず。

女「…これで…最後です…っ!」

連続した完全詠唱の凍結魔法を繰り出し、女は限界に達していた。

最後の氷盤を砕いた幼馴染も片膝をつき肩で息をしている、やはり魔力を籠めた矢を射るのも負担は大きいのだろう。

火炎魔法を放つ魔法隊、彼らも同じなはずだ。

男「…ご苦労だった。岩盤の中央に寄り、息を整えろ」


ここ数十秒、竜はその姿を現していない。

逃げたか…それとも。

時魔女「…砂が!」

星の副隊長「竜が浮上します!」

大きく盛り上がり、湿った砂を散らす砂丘。

その範囲は頭だけを露わにしていた時の比では無い。

男「苦しかったろう…息もできず、身動きもままならず」

最初に現れて以来、二度目…その全身を砂上に現した竜が俺を睨みつける。

その紅き右瞳は、怒りに満ちていた。


男「弓兵、一斉掃射!」

矢の弾幕が放たれる。

真っ直ぐにこちらへ這い進ませてはいけない。

砂が濡れた範囲から出す事も許されない。

男「魔法隊!動ける者だけでいい、凍結魔法で周囲を塞げ!」

魔法隊兵長「我ら魔法隊、動けぬ者などおりませぬ!貴様ら、命を魔力に変えてでも放て!」

魔法隊「おおおっ!」

男「よくぞ言った…!槍兵、俺に続け…!討って出るぞ!」

砂上に現れた竜の動きは幾分か鈍い。

尾による打撃を受ければひとたまりもないが、直接の攻撃は不可能では無いだろう。

男「正面は矢の弾幕を休めるわけにいかん!両側から攻めるぞ!」


竜の身体に剣撃を浴びせる。

男(やはり固い、切り裂く事はできないか…!)

槍兵の攻撃は鱗の隙間を突き、小さくもダメージを与えている。

しかしこれではとどめを刺すには至らない、この巨体を相手に消耗戦など挑むべきでないのは明らかだ。

男(…剣がたたないまでも、刃こぼれをするほどじゃない。金剛石よりは弱かろうよ!)


《充填開始…10%…30%…50%》


握った剣に闘気の光が蓄えられてゆく。

「弓兵!掃射をやめろ!」

俺は竜の眼前を目指し、駆けた。

………


月の副隊長「時魔女殿!隊長殿は一撃で決するおつもりです!時間停止の補助を…!」

時魔女「でも!今、時間停止を使ったら副隊長さんの足を治せなくなっちゃうよ!」

月の副隊長「私の足ごときと指揮官の命!どちらが重いかなど、比べるにも価せぬ事!早く…!」

時魔女「う…うう…ごめん、副隊長さん!魔力コンバート、時間停止モード!」

月の副隊長「それでいい…頼み申す」

時魔女「目標ロックオン…!」

………



《…70%…90%…》


竜がその大顎を開く、俺に喰いかからんと咆哮をあげる。

しまった、竜が俺に相対する姿勢になるのが予想以上に早い。

剣を振るうのが間に合わないかもしれない、いったん間合いを取り直すべきか…そう考えた時だった。

前触れも無く、重力に対して不自然な体勢で動きを止める、渇竜。

時魔女「男!早く…!七竜を長くは止められないっ!」

男(時間停止か…!今しか無い、一撃で仕留める!)


《…100%、充填完了》


サラマンダーに対してそうしたように顎の中を貫くべきか。

しかし地に堕ちた際の火蜥蜴よりも、ヴリトラが地上を這い回るスピードは速い。

とどめを刺し損なえば、この竜は女達のいる岩盤に迫るだろう。


ならば、狙うのは心臓だ。

男「頼むぜ…剣よ!」

開かれた竜の口の付け根に剣を振るい、刃をたてたまま胴を切り裂きつつ体躯の側面を駆ける。

男(いいぞ…切れる…!)

闘気の充填された剣は、その鱗を布のように切断した。

しかし巨体の三分の一ほどまで刃を進めた時、不意に切っ先が重くなる。

男(光が失われてる…剣から闘気が果てたのか…!)

同時に動きを取り戻し身を捩り始める竜、そして流動を得て吹き出す鮮血。

俺は剣を抜き、数歩ほど竜から離れた場所で砂上に膝をついた。

男(くそ…やはり動けん…!竜は…!?)

血を撒き散らしながら、竜は暴れている。

しかし、その動きは力を失ったものではない。

剣撃による傷は竜の心臓にまで達してはいなかったのだ。


怒りでより紅く染まったかに見えるその右瞳が、動けない俺を捉える。

男「くそっ…!」

切り裂かれた胴の力を奮い、ヴリトラは鎌首をもたげた。

顎を開き、勝ち誇ったかのような咆哮をあげる。

それを見ながら、俺は逃げる事も叶わない。

幼馴染「男が近過ぎる…炸矢が射てない…!」

女「男さんっ!」

霞む視界の端、女が岩盤上から駆けてくるのが見えた。

男「いかん!来るな…!」

女「…嫌ですっ!」

数名の槍兵も事態に気付き、動こうとしている。

しかし間に合う程に近くはない。

時魔女「魔力コンバート!…くそぉっ!まだロード出来てない…!」

ヴリトラの牙が迫る。


「男さん…!」

女が俺の身体を抱き庇おうとした時、不意に周囲が暗くなった。

竜の顎に飲まれたか…いや違う、日が遮られたのだ。

未だ渇竜の牙は俺達に届いていない。

男「うおっ…!?」

女「…きゃあっ!」

事態を理解出来ぬまま、今度は強烈な突風を受けてよろめく。

俺は女に支えられながら、砂上に陰を落とす主を見た。

そして俺は息を飲む、心臓が強く動悸を打つ、恐怖とは違う感情をもって身体が震う。

渇竜の首に喰らいつき、低い空中に留まるその姿は。

纏うは赤黒い艶を湛えた鱗。

サラマンダーのそれより、遥かに長く禍々しい六枚の翼。

そこにあったのは、忘れようもなく夢にすら見た…あの翼竜。

男「ワイバーン……!」


俺の頭上に鮮血の雨が降る。

翼竜は首に喰らいついたまま自らの身体を捻り、ついにヴリトラの頭部を噛み千切ったのだ。

男(竜が竜を喰らうだと…!)

俺の指示を待たず、弓兵がワイバーンに矢を放つ。

俺は女と槍兵に肩を貸されながら、少しの間合いを確保した。

男「掃射を止めろ…!翼竜を刺激するな!」

本当なら今すぐにでも、この竜を地に堕としたい。

でもおそらくそれは叶わない、この状態で挑めば悪戯に兵を消耗するだけだ。

女「翼竜が飛びます…!」

男「くっ…!」

また襲いくる突風に砂が煽られ、まともに目が開けられない。

そうでなくとも剣撃以来、視界は霞んだままだ。

次の瞬間、既に翼竜の姿は遥か高みにあった。


ヴリトラの首を咥えたまま、隊の上空を旋回する翼竜。

男(このまま去るのか…?)

まるで隊を嘲笑うかのようにゆっくりと羽ばたき、やがて身体を真っ直ぐこちらに向けた。

明らかに俺のいる位置を目指している。

月の副隊長「隊長…来ますぞ…!」

見る間に大きくなるその姿、その速度を前に躱しようがないのは明らかだった。

《充填開始…5%…7%…》

剣のトリガーを握るも充填が遅い、俺に力が残っていないせいなのだろう。

男「くそおぉっ!」

眼前に迫る竜に成す術も無い。

しかしその憎むべき悪魔は攻撃を加える事なく、佇む俺と女の頭上をフライパスする。

そしてそのまま再度遥か上空へと昇り、やがて砂丘の向こうへと姿を消した。



《…18%…20%…》


誰も声を発しない静寂の中、剣の人工的な音声だけが虚しく呟いていた。

トリガーを握ったまま、充填を続けるそれを砂に突きたてる。

男「くそっ…畜生おおおぉぉぉっ!」

俺は剣の柄に両手を掛け、膝を衝いて吼えた。

あの竜に救われるなんて。

ヴリトラから、そして翼竜自身から。

たった十数フィート、あと僅か低い高度を翼竜が通過していれば俺も女も弾き飛ばされ死んでいた。

それは容易い事だったはずだ、なのに翼竜はそうしなかった。

男「殺すまでもないってのかよ…!くそがっ…!」

俺は、確かに見た。

七竜に挑もうとするちっぽけな人間を憐れむかのような、翼竜の瞳を。

その右瞳が紅ではなく、紫に光っていたのを。

ここまで
くそう、大事な七竜戦だってのに盛り上げ切れねえもどかしい

……………
………
…その夜、オアシスの集落


風も無く鏡のように月を映すオアシスの畔、俺は独り砂上に座っていた。

ヴリトラがこの砂漠からいなくなったのは確かとしても、決して胸を張れるような戦果ではない。

六名の兵士が散った。

そして本来なら今、隣に座り翼竜との再戦に向けた作戦を語り合うべき我が副官は、片足を失った。

討伐隊そのものの戦果は、疑う余地もない黒星と言えよう。

どの口が偉そうに二頭の竜を征伐して凱旋するなどと、それ以外の戦果は望まぬなどと兵に語ったのか。

ヴリトラにとどめを刺し損なった俺の斬撃、それを補助するために時魔女は時間停止を使った。

副隊長の足の治癒を差し置いて、俺の判断ミスとも言える行為のために。

副隊長の左足は止血のために縛られ、オアシスに帰る頃には壊死していた。

だから俺はこの手で、それを斬り落としたんだ。

男「はっ…!何が…ドラゴンキラーだよ…」

…知らなかった。

俺の剣は竜を討つためでなく、部下の足を切るためにあるらしい。


女「…ここに居られましたか」

背後から柔らかな声がした。

振り向かずともその主は判る、それほど耳に馴染んだ…そして情けなくも今、最も求めていた声。

誰にも告げずにこの場へ来た癖に、本当はただひとり彼女に傍に居て欲しい…気にかけていて欲しかった。

我ながら女々しい事だ。

女「今日は、ご苦労さまでした」

女は言いながら俺のすぐ隣に座り、少し体重を預けるようにして寄り添った。

男「…俺の苦労など…俺は時魔女に、副隊長に救われただけだよ」

女「いいえ…討伐隊の隊長として、あなたは誰よりも心を痛めたはずです」

男「心を痛めるだけで、亡き者に報いる事などできない。…今日の敗北は、間違い無く俺の責任だ」

俺達が渇竜から逃れるために上がった岩盤、戦いの後で気付けばそこから南側には似たような岩盤が数十ヤード毎に点在していた。

つまりあの時、ヴリトラから逃れ体制を立て直す事も出来たのだ。

最初の奇襲で命を落とした兵を救う事は叶わずとも、少なくとも副隊長が足を失う必要は無かった。


男「まだロクに使いこなせもしない剣の力を…自身の力を過信して、俺は失策をとった」

女「ほんの僅か、あと一歩のところだったじゃありませんか」

男「例えあと一歩でも、届かなければ…意味など」

女「そんな事ありません。あなたがヴリトラをあそこまで追い詰めていなければ、翼竜もそれを喰らう事は出来なかったはず」

きっと彼女は俺を激励するためにそう言ったに違いない。

男「翼竜に救われるなど!…死んだ方がましだ!」

それなのに捻くれた受け取り方しかできない今の俺は、声を荒げてしまう。

彼女の優しさは、解っているのに。

でも女は全く驚いた素振りさえ見せず、ただ少しだけ厳しい目で俺を見つめながら言葉を続けた。

女「あなたはあの時、私も共に死ねば良かったと望まれるのですか」

男「馬鹿を言え、死ぬのは俺だけでいい。…そもそもお前が俺の元へ来たから、お前まで危ない目に遭ったんだ」

女「同じです、私だってあなたの死など望まない」

思わず視線を逸らす。

身勝手を口にしているのは俺だ、自分でもそれは解っている。


女「…犠牲となった方の事は、決して忘れてはなりません。それは私も承知しております」

俺が自分の我儘を悔いた事を察したのか、彼女はまた柔らかな口調に戻った。

そして言い聞かせるように、間をとりながら言葉を紡ぐ。

女「それでも…私は、あなたが生きている事が何より嬉しいのです」

男「………」

…どうしてだ。

女「男さん…私達が結ばれたのは、あなたがドラゴンキラーの戦士だったからかもしれません」

俺が望み、でも求められなかった言葉を。

女「でも…私にとってあなたは、ドラゴンキラーである前に私の大切な夫です」

何故、お前は知っている。

女「だから…生きていてくれて、ありがとう…」

きっと俺は真に受けてしまう。

生きている事を恥じるより、再戦に備え、次こそは勝利すればいい…そう考えてしまう。


女は座ったまま、俺を抱き締めた。

俺はそれに身を任せ、柔らかな胸に頬を埋め肩を震わせている。

涙が零れたかは知れない。

例え零したのだとしても、女はそれを自覚させないためにこうしてくれているのだろう。

だから、泣いてなどいない…そう思う事にした。

男「……すまん、女…」

女「何を謝る事があるのです」

彼女の手が、赤子にそうするように俺の頭を撫でる。

女「…出会った夜に言いました。夫を支える事こそ、妻の役目」

男「そう…だったな」

いつだったか、女に言った。

俺には君が必要だ…と、その時は寧ろ女を励ますために。

女「男さん、今更ですけど…私はあなたを、お慕い申し上げます」

世の男はこうして弱味を握られて、女房の尻に敷かれてゆくものなのだろう。

そしてそれは、この上無く幸せな事なのだろう。

……………
………


…月の国、北東の港町


男「…副隊長、必ず戻ってくれ」

月の副隊長「言われるまでもなき事、何…すぐでありましょう」

我が副官は、星の副隊長と共に彼女の国へ渡る事となった。

その国における彼女に与えられた本当のポジションは、技術開発局長なのだという。

彼女は力強く凛とした眼差しで「生身にも勝る最高の義足を作ってみせる」と誓った。

形はどうあれヴリトラが消え、おそらくそれを狙って砂漠に出没していたのであろう翼竜を探すあてが無くなった今、月と星の合同部隊はいったん解散する事となる。

出港してゆく、星の一団と我が副官を乗せた船。

およそ30名の隊員は船尾に整列し、同じく港に整列した我々に向かって敬礼を続けた。

ただその中で、一人だけじっと下を向いている者がいる。

………



時魔女「魔力コンバート、空間跳躍モード…」

星の兵A「た、隊長…っ!?」

星の兵B「どこへ跳ぶ気で!?…まさか!」

時魔女「副隊長、ごめん…」

星の副隊長「何を言っておられるのです。そんなに後ろ髪を引かれるなら、最初から船に乗らなければいいものを」

時魔女「うん…ありがとう」

星の副隊長「くれぐれも月の方々を困らせませんよう。…行ってらっしゃい、隊長」

月の副隊長「我が上官をよろしく頼み申す…!」

時魔女「座標ロックオン…いってきます!」

………



男「…行っちまったな」

幼馴染「うええぇぇん…時魔女ちゃん…」

どうも幼馴染と時魔女は特別馬が合っていたらしい。

そういえば砂漠でも、一番どうでもいい会話で盛り上がっていたのは二人だった。

女「幼馴染さん、元気出して…」

幼馴染「なんか…妹みたいに思えて…うええぇぇぇん…」

時魔女「私だってお姉ちゃんみたいに思ってたよぅ…うわああぁぁぁん…」

幼馴染「ぐすん、時魔女ちゃん…また…会えるよね…」

時魔女「うん…今、会ってるよね…」

時魔女以外「……え?」

時魔女「ちゃお!」


時魔女「ボク、男達と行く!どうせ翼竜との戦いでは時魔法が必要でしょ!?」

男「そんなの、自分で決められるのかよ」

仮にも星の討伐隊長であり、国の化学技術の粋を集めた唯一の時空魔導士…つまり人間兵器とも言うべき者が、そんな自由気ままでいいのか。

時魔女「大丈夫!星の王からは自国の不利益にならなければ、自分の判断で行動していいって言われてるから!」

男「お前が居なくなる時点で、国に不利益な気がするんだけど」

時魔女「おー、随分買ってくれるねー。じゃあ、男にとっても貴重な戦力って事じゃない?」

まあ、どうしても帰国が必要なら、彼女の国からの伝令が入るだろう。

それまでは彼女の言う通り、貴重な戦力として同行願うとしようか。

それに、ここで無理に時魔女を帰国させようものなら。

時魔女「お姉さまー!」
幼馴染「おうおう、妹よー!」

…たぶん、矢に射られそうな気がする。

>>234
時魔女に「私」って言わせてしまった
「ボク」に変換して読んで

コンバート完了
問題ない

>>238 サンクス
そのまま誤字脱字無視モードでコンバートを続行してくれ

……………
………


…港町の宿


幼馴染「それで、これからはどうするの?いったん王都に帰る?」

男「うん…それについて、昼にこっちから月王宛の通信を伝令所に託しておいたんだ」

時魔女「何か考えがあるの?」

俺は予め荷物の中から取り出しておいた地図をテーブル上に拡げた。

大きすぎて少しテーブルからはみ出すその紙上には、月の国全域が描かれている。

男「今、この港町だ。そして王都がここ…」

幼馴染「ふんふん」

男「この地図には他の国は載っていないけど、世界中で発生する翼竜の被害…その箇所を線で結ぶと、およそその中央になると言われるのが…この辺りだ」

女「大陸の西部…未開の台地と呼ばれる地域ですね」

かなり詳細に描き込まれている筈の地図。

しかしそのエリアだけが空白となっている。


幼馴染「故郷からはそう遠く無いところだけど…でもここは禁足地として定められてるはずよ」

男「…だからこそ今まで調査の手が入らなかった。でもここが翼竜の住処だという可能性は、かなり高い」

時魔女「じゃあ、月の国王に打診したのは…」

男「ああ…このまま、そこへ調査に行く事の許しを請うものだ」

それが何故なのかは解らないまでも、翼竜が砂漠に頻出していたのは渇竜の首を狙っての事だったに違いない。

だから討伐隊の手により渇竜が傷ついた、あの時を逃さなかった。

その目的が果たされた今、次に翼竜が現れる場所は見当もつかない。

仮にどこかの国を襲ったという情報があったとしても、次にまた同じところに現れるとは限らないのだ。

だとすればもはや住処を突き止める他に、万全の準備を期して翼竜を討つための手段は無い。

西部の台地が禁足地である事は解っている。

しかもそれは月の国に限った事ではなく、有史以前から世界中で語り継がれる様々な神話でも同じく描かれる、言わば人類にとっての禁忌。

それでも他に手が無い以上、月王も許さざるを得ないはず…そう考えた。


…翌日


女「男さん、伝令文が返ってきました!」

男「…内容は?」

女「…それが……」


『我が国を挙げての部隊を禁足地へ向かわせる事は、周辺諸国との軋轢を生む火種となりかねず、承諾できるものではない。討伐隊は直ちに王都へ帰還せよ』


ぎりっ…という音が発つほど、奥歯を噛み締めた。

男(何故だ…王は本当に翼竜を討つつもりがあるのか)

国を挙げての部隊が赴く事が出来ないなら、俺が討伐隊を抜ければ良いのではないか。

そんな想いすら、脳裏にチラついた。

しかし一度こうして王から帰還の命を請けた以上、それに逆らえば反逆罪に問われかねない。

俺や幼馴染だけならそれでもいい、でも女や時魔女はどうなる。

例え不本意でも、今は命に従うしかなかった。

……………
………


…数日後
…月の王都城内、謁見の間


男「…私に、砂漠を制圧せよと仰られるのですか」

月王「制圧とは穏やかでないな、言葉を選べ。開発部隊の援護をせよと命じたのだ」

砂漠に石油をはじめとした膨大な資源が眠るという話は、聞いた事がある。

しかしあの砂漠はどの国の領有地でもないはずだ。

月王「いかにとどめを刺す事は叶わなかったといえ、ヴリトラを亡きものとしたのはこの月の部隊の活躍があればこそ…砂漠の民とて我らの入植を拒む事はできまい」

最初から王はそのつもりだったに違いない。

砂漠に翼竜が出没する事にかこつけて、俺が遠征を承諾するように仕向けた。

星の国のドラゴンキラーまで呼び寄せ、さも翼竜を討たんとする気勢に見せかけて。

王が本当に倒したかったのは、渇竜ヴリトラの方だったのだ。


男「…しかし、それは禁足地への踏入よりも遥かに強く諸国の反感を買う事となりかねないのでは」

月王「男よ、儂はそなたに戦士としての期待と信頼を寄せておるのだ」

男(…政治に口出しをするな、そういう事か)

そもそも開発部隊に援護が必要だと考える時点で、他国の反発は予想されているに違いない。

つまりこれから先の俺の仕事は…俺が剣を向けるべき相手は、竜ではないという事。

月の国の身勝手な振る舞いに異を唱えようとする他国の人間に対して、その剣を振るえという事だ。

月王「砂漠の開発は長きに渡る、そして婦女が過すに適した場所では無かろう。そなたの妻はこの王都に預け、安心して赴くがいい」

男「…それは……!」

血が逆流する想いだった。

それはつまり、俺が命に背かないよう女を人質にとるという事だ。

月王「退がるがよい。…砂漠の開発部隊を整えるには暫くかかる。旅立つまでに存分と妻を愛でる事だ。子でも成せば良かろうて」

……………
………


時魔女「…フッざけんな!」

謁見から戻った俺の話を聞くなり、時魔女は息を荒げて吐き捨てた。

時魔女「女ちゃんを人質扱いで引き離すなんて…!許せないっ!」

男「時魔女…声が大きいぞ」

幼馴染「無理も無いよ…しかも仇の竜を討つ事もさせずに、男を砂漠に追いやろうなんて」

ここは城の中ではなく、城下の宿。

帰還の命を請けた時から少なからず王に対し疑念は抱いていたから、時魔女が未だ同行している事は明かさなかった。

しかしどうやら、それで良かったようだ。

月の国が強引にも砂漠の覇権を握ろうとしている、その事はまだ同盟国に対しても伏せておきたいに違いない。


時魔女「男…どうすんの!?まさかワイバーン討伐は諦めるの…!?」

時魔女は俺の胸倉を掴まんとする勢いで詰め寄った。

男「諦めるつもりなんかねえよ。…機会は窺うさ」

時魔女「き…機会を窺うって!まさか砂漠への赴任を請けるつもり…!?」

幼馴染「…時魔女ちゃん、男だって悔しいんだよ」

悔しい…そう、間違っちゃいない。

だけど今の気持ちをより正確に表すなら、切ない…というのが近い。

サラマンダーを倒した代わりに、ドラゴンキラーの称号を得た。

称号を得たが故に、女という妻を手に入れた。

女を妻としたが故に、端くれとはいえ王族の一員となった。

王族となったが故に王の命に背く事はより難しく、女というかけがえの無い存在があるからこそ、それを裏切る事ができない。

きっと俺が王に背けば、彼女も裁かれる。

大きな何かを得るという事は、やはり引き換えに何かを失うという事なのだ。


幼馴染「それで、女さんは…?」

男「城の俺の部屋にいる。まだ…何も伝えてないよ」

幼馴染「…どうするべきだろうね。例えどんな人であれ、王様は女さんの父親だもの…」

幼馴染は大きく溜息を零して、頭を抱える。

男「ひとまずは、アイツには何も言わないでおくよ。…悩ませるだけだと思うから」

チッ…と、わざとらしく時魔女が舌打ちをした。

時魔女「もういい、こんなじゃ…ボクが何のために男と一緒に動いてるのか解らない」

幼馴染「時魔女ちゃん…」

時魔女「男なんか砂漠でもどこでも行っちゃえ!…ただし女ちゃんを泣かすのだけは、許さないからなっ!」

そう言い残して時魔女は部屋を出て行く。

少し乱暴にドアが閉められて、それ越しに階段を駆け降りる音が聞こえた。

幼馴染「私、あの娘を追いかけるよ。男は女さんのところへ行ってあげて…」

男「ああ…悪い…」

そういえば謁見の後、日暮れを過ぎているというのに城から出るために、門兵に『一杯引っ掛けに行ってくる』と告げたんだった。

城に戻る前にせめて何杯かでも、酒を呷っておかなければいけない…それが自棄酒にならなければいいのだが。

………



きい…と、重い音をたてて木のドアを開けた。

女「…お帰りなさい。随分、遅かったですね」

男「うん…ちょっとな」

俺は酒臭いのがバレはしないかと、警戒しながら声を発した。

女「それで、今後の動きはどうなりそうなんですか?」

今後の予定…命ぜられたままを表せば、およそ五日後に砂漠開発部隊の第一陣が整うという。

俺はその部隊と共に、再度砂漠を目指し…短くとも数ヶ月、長ければ数年は戻らない。

女はその間、ここで俺の帰りを待つ…という事になる。


男「ああ…まだ、はっきりは決まらないんだ」

…そのままを伝えれば、彼女は苦しむ事になるだろう。

女「…じゃあ、しばらくゆっくり出来ますね。それはそれで、私は嬉しいです」

翼竜を討つという目標が、遠のく事。

他国が月の国に制裁を加えようとした際には、その兵を俺が殺さざるを得なくなる事。

長い間、俺たちが共に過ごせなくなる事。

そして俺がそれらを拒む事が出来ない理由が、彼女自身の安全のためだという事。

女「…どうかしたんですか?…なんだか、悩んでるみたい」

男「いや…そんな事無いよ」

どの部分を上手く掻い摘めば、彼女を悲しませる事なく納得させられるだろう。

今の俺には、皆目見当がつかなかった。

……………
………


…四日後の夜
…城内、男の部屋


城からの外出もままならず、ほとんど幼馴染との連絡もとれていない。

二日前に僅かに話した際、時魔女の行方が解らない事だけは聞いた。

もしかしたら愛想を尽かして星の国へ帰ったのかもしれない。

そして肝心の話については…我ながら呆れている。

結局この五日間、俺は何一つ女に伝える事ができなかった。

明日には開発部隊の遠征準備が整うだろう。

出発はその日の内か、翌日か…とにかくもう時間は無いというのに。

女は今、湯浴みのために部屋を出ている。

男(戻ったら話そう…どう伝えたらいいかは解らないけど)

砂漠へ再赴任する…と、そしてすぐに戻ると言えば、せめてこの場は凌げよう。

後から真実を知れば、恨まれるかもしれないけれど。


夜警兵「男殿っ!」

突然、ノックも無く部屋のドアが開かれた。

そこには息を切らせた、夜警の兵の姿。

男「どうした、ただ事では無さそうだな」

夜警兵「我が国の兵の一部が反乱を起こし、脱走しました…!」

男「…脱走?…戦時でもあるまいし、脱走するなら昼間にいくらでも機会はあろうに」

俺は軍人として国に迎えられはしたが、あくまで当初は竜討伐を目的とした抜擢だったはずだ。

男「やむを得ん…準備をして俺も向かう、退がってくれ」

砂漠進攻の援護部隊を持たされる羽目になったとはいえ、この国の内乱まで面倒をみる義理は無い。

何故そんな事を俺に言う必要があるのか。

反乱を起こしたのがごく一部の兵数だというなら、正規兵を多数派遣すれば鎮圧は造作もあるまい…しかし。

夜警兵「反乱兵は砂漠進攻に異を唱えており…!主張を受け入れさせるために人質をとっております!」

そこまでを聞いて、ようやく何故この兵が血相を変えて俺を訪ねたかを理解した。

そしてこの後、俺は兵装を整える余裕すら無く部屋を飛び出す事になる。

夜警兵「人質の中には女様が含まれます…!」

>>250
結局この五日間×
結局この四日間○


………



夜の城内はやけに静かだった。

多くの兵が鎮圧のために出払っているのかもしれない。

部屋を訪ねた夜警の兵が俺を先導して、一気に城門まで駆け降りる。

夜警兵「反乱兵は城下東の旧城塞跡に立て籠もっているとの情報です!」

旧城塞までの道程には狭い森が横たわっている。

まだ王都へ来て日の浅い俺は、それを抜けるルートを知らない。

城門にはかがり火こそ焚かれているが、見張りの兵はいなかった。

男(…見張りさえ出払うとは、まだ反乱兵の総数も掴めまいに)

もしまだ沈黙を保ったままの反乱を内心に企てる者が城内に残っていたら、王の
首を狙うにこれほどの機会はあるまい。

でも砂漠への侵攻を快く思わないのは俺も同じ。

王が女の父親であろうとも、その娘を都合の良い物のように扱う王の身を案ずる
気にはなれなかった。


男(しかし…おかしい、いくらなんでも兵の姿が少な過ぎる)

森を抜ける旧道へ駆け込んだ際、そこで松明を持った兵に出会い「やはり旧城塞
に立て籠もっているようだ」との情報は得た。

でもこの一大事だというのに、他にすれ違う兵すらいない。

そして森の旧道はさらにその荒れ具合を増してゆく。

旧城塞はあくまで跡地ではあるが、今でも見張り台としては使われているはずだ。

そこへ続く道が、これほど草と落葉に覆われているものだろうか。

男「…おい、本当に」

夜警兵「……………」

静か過ぎた城内、それは本当に兵が出払っていたからなのだろうか。

クーデターなど起こっていない、普段通りの平和な夜ならば当然の状態ではないか。

もし城門の身張りとこの夜警の兵が共謀して、何らかの理由で俺を誘い出しただ
けだったとしたら…?

急いで部屋を出たから、俺は甲冑はおろか剣を提げるためのベルトすら身に着け
ていない。

故に左手で直接に鞘を握っていた剣の柄を、俺はそっと握った。


不意に視界が開ける、まだ旧城塞には達していないはずだ。

辿り着いたそこは森の中にあってここだけ木立の無い、隠れた小さな草原だった。

幾つかの控えめなかがり火が焚かれており、その周囲にはぼんやりと照らされた人影が見える。

その数は二十名以上、いずれが纏っているのも、月の国の兵装。

城塞への突入を待つ鎮圧部隊にしては、数が少なすぎる。

男(…やられたな、女の名を出されて我を失うとは…俺も甘いな)

おそらく女が人質となっている事そのものが、狂言に違いない…そう考えた。

かがり火の中央に立っていた兵が、口を開く。

反乱兵「砂漠開発部隊の警備隊長…男だな?」

男「いかにも…貴様ら、何の目的で俺を誘い出した」

反乱兵「…ふん、自らの手でヴリトラを仕留めたわけでもあるまいに、砂漠の覇権を握ろうなど許されると思うか」

言葉の意味を思えば、反乱の理由そのものは夜警の兵が告げた通りのようだ。

その気持ちも解らなくもない…兵にしても自国が平和であるに越した事は無いはずだ。

砂漠へ侵攻し、余計な争いの火種をつくる事に異を唱える者がいるのも当然だろう。


男「俺とて望んでその任につくのではない、しかし…」

反乱兵「国に妻を人質とされては仕方が無い…とでも言う気か?」

男「…なぜ、貴様がそこまで知っている」

上半身をローブに身を包んだ一人の反乱兵が前に出てくる。

先から話していた者は、親指でその兵を指して言った。

反乱兵「さあな…訊いてみたらどうだ」

歩み出た反乱兵がローブを脱ぐ。

右手に円月型の剣を持ち、どこか悲しげな青い瞳で俺を見るその姿は…


男「………女…!」


…見間違うはずも無い我が妻、女その者だった。


甲高い金属音が響く。

決して上手い太刀筋では無いものの、その剣撃に迷いは見られない。

男「女っ!どういう事だ…!」

俺はただその刃を自らの剣で受け流し、女に声を掛け続けた。

男(操られているとでも言うのか…!?くそっ…)

女「……………」

仕方が無い、少々手に響くかもしれないがやむを得ん。

俺は斬りかかる女の剣を躱し、その刀身の元を上から叩きつけるように斬り落とした。

闘気の充填無しで鋼の刀身を切断するのは不可能だが、女の力ではそれを握ったままで耐えることは出来ない。

剣が地に落ち、女が無力化したと考えた俺は、他の兵の動きに目を光らせた。

しかし誰も動かない。

ただ俺達の方を見ているだけで、武器を手に取る様子すらない。

俺は失念していたのか、それとも操られている女にはその力が無いとでも錯覚したのだろうか。

女は数歩退がり、呟くように言った。

女「…凍りなさい」


俺は動きを奪われた、両足と地面が氷塊に結ばれている。

男「くっ…操られていても魔法が使えるとはな」

万事休す、この場を切り抜けようと思えばもはや剣の特殊効果で薙ぎ払う位しか手は無い。

充填する時間を与えられるかは解らないが、反乱兵も女も区別無く光の刃で薙ぎ払えば一撃で終わる。

女「誰が操られていると言ったのです」

男「…何だと、お前…」

女「私は正気です」

愕然とした、本当に彼女が正気なのだとしたら、いつから俺は騙されていたのか。

心が通じていると…愛しいと感じた女は全て偽物だったというのか。

男「…殺せよ、今なら抵抗はできない」

項垂れた俺に、女が歩み寄る。

何故だ、それじゃ俺の剣の間合いに入ってしまう。

…そうか、解っているんだ。

例え騙されていたとしても、俺が彼女を斬る事など出来ないと。

そして彼女は、その魔力を宿らせたであろう右手を俺に翳した。


鋭い音と共に、頬に焼けるような痛みが走る。

翳された女の手が放ったのは、炎でも雷撃でも無かった。

男「………ってぇ…何のつもりだ…うっ!」

もう一度、今度は反対の頬を彼女の平手が打つ。

周囲で見ていた反乱兵達が、噛み殺したような笑いを漏らしている。

いたぶって殺すつもりにしても、あまりに回りくどい。

不思議と兵達の失笑も、下卑たものとは思えなかった。

女「どの口が言ったのです」

男「………?」

女「あなたにとって私が必要な存在だと…そう言ったのはあなたじゃなかったんですかっ!」


彼女は怒鳴りつけながら更に俺を叩く。

今度は頬を打つのではなく、それは駄々を捏ねた子供がするように、俺の胸を両手で何度も打った。

女「私にっ!何も話さずに…!砂漠へ発つつもりだったのですか…!このっ!馬鹿男っ!」

男「………女…」

周りの兵達は堪えきれないという様子で、けらけらと笑う。

俺は…騙されたのか、二重に。

女「許しません!そんな勝手な事…!絶対にさせないっ!」

男「…だからって、こんな…兵まで巻き込んで」

いつ彼女が事に気付いたのかは知れないが、小さな復讐劇にしてはあまりにも手が込んでいる。

兵達にしても、こんな茶番に付き合うほど暇では無いはずだ。


???「本当の事、知りたい?」

そして並ぶ兵の中から現れた黒幕が、ついに真相を語り始める。

男「…お前」

幼馴染「女さんがこの事を知ったのは、ほんの30分前よ。この計画を企てたのは、私…そして」

時魔女「…ボクだよ。お風呂から出た女ちゃんを、巧みな話術で誘拐してみました」

なるほど…空間跳躍の力を使えば、城への侵入など容易い事だったろう。

男「この大勢の兵は…」

幼馴染「同志…とでも言おうかな?」

やはり集った兵にも思惑はあるようだ。是非、納得のいく理由を聞かせ願いたい…が。

男「もし長い話になるなら、まずはこの氷をどうにかしてくれ。…足が霜焼けてしまう」

幼馴染「どうする?女さん…」

女「じゃあ、燃やします」

男「え、ちょ…!」

拒否する間も与えられず、女は俺の足元に火炎魔法を放つ。

自由は戻ったが、服の裾が焦げてしまった。


幼馴染「さて…兵士さん達の事は、直接話して貰った方がいいわ」

兵の内、最初に言葉を交わした者が前に歩み出る。

傭兵長「私は傭兵長と申します。…男隊長、まずは無礼をお許し願いたい」

男「企みの主は幼馴染達なんだろう、お前らを許すも何も無いさ」

傭兵長「かたじけない。…では」

そう言うと傭兵長は俺の前に片膝を衝き、残りの兵はその後ろに手早く整列した。

傭兵長「我ら月の国に雇われし傭兵15名および正規兵8名…貴殿の独立部隊への合流を願いたく、月の呪縛を逃れて参りました」

男「…貴様ら、何をしようとしているか解っているのか」

なるほどよく見ればどの顔にも見覚えがある…こいつら皆、討伐隊あがりか。

傭兵長「なに…総員共に家族も無ければ、故郷に未練もありませぬ」

男「逆賊となるんだぞ、それでもいいのか」

傭兵長「我ら戦士なれば、死に場所くらいは手前で選びとうございます。濁雲に陰る月の袂で生き恥を晒すなど御免被る」

にたり…と傭兵長は笑んだ。

こいつらを前に、もう俺だけが心根を隠すなど許されまい。

俺は今、震えるほどに嬉しいのだから。


だからと言って大の男がここで泣くわけにもいかない。

こういう連中と接するには、それなりの流儀があるというものだ。

男「なるほど…逆賊の名を冠するには相応しい悪たれ共が集まっているようだな」

傭兵長「滅相もない、これだけのゴロツキに囲まれて痴話喧嘩を演じる度胸など、誰も持ち合わせてはおりません」

全く、こきやがる。

随分とみっともないところを見せたものだ。

姿勢だけは丁寧に跪いているくせに、後ろの兵は笑いを噛み殺せていない。

男「ふん…そんな口の利き方も慣れたものではあるまいに、似合いもせん猫を被るな…裂けた口が覗いているぞ」

傭兵長「はっはっ…目が利きますな、やはりアンタは俺達が仕えるに相応しい…悪たれの頭領になるべき御仁だ」


男「いいだろう、貴様らの覚悟は受け取った。…総員、立てっ!」

ざんっ…と、大地が鳴った。

憎々しくも雄々しい新たなる我が隊の面子が、俺の命令を待っている。

甲冑も外套も身に着けない頼りない俺を、挑発的な眼差しで睨みながら。

男「我が隊はこれより西の台地を目指す。そこに竜の姿があるかは知れぬ、だがいつか我々はこの手で翼竜を討つ…!」

全兵「「「Sir,Yes,Sir!」」」

男「命を預けろとは言わん!各自、己の肝っ玉は手前で大事に握っておけ。…いいか!」

全兵「「「Sir,Yes,Sir!」」」

男「よし、気に入った。俺が責任をもって死に場所へ連れて行ってやる!…棺桶に名を彫っておけ」

これが新しい出発点だ。

甲冑も荷物も肩書きも、置いてきたものに未練は無い。

今宵、俺は23名の兵と一人の姫君を城から奪い、逆賊の長となる。

ここまで
だめだ、この話疲れる
てーい書いてこよ

>>1「ワシじゃよ」

もはや隠してる事にもならんわ
これでもうエタれないぞ…

隠してたってわけでもないけど
書き溜めが完結するまではエタるのを恐れて酉つけないつもりだった
てーいを言わせたのは…誰かのレスで言われた通り、病気かもしれん


……………
………



その夜、俺達はそのまま王都を離れ北へ進んだ。

明日になり俺達の離脱が明るみとなれば、おそらく直接西へ向かうルートを中心に正規軍が捜索派遣されるだろうと考えたからだ。

深夜を超え、明け方を超えてなお足を止めずに、出来るだけ王都から離れる。

大した荷物があるわけでは無いが、馬車を持たない故に全て背に負っての行軍。

女性陣をはじめ、一同の疲労はピークに近づいていた。


傭兵長「隊長殿…アンタもし追っ手が来たら、それが罪無き人間でも斬れるのか」

それは昨夜からずっと俺が考えていた事だった。

竜や魔物を相手にするのとはわけが違う。

逆賊となった今…己の正義を信ずる人間と敵対し、斬り伏せる必要もあるかもしれない。

男「…お前達は、どうなんだ」

傭兵長「我らは戦を飯の種とする傭兵、金さえ積まれりゃ…まあオンナ子供は斬りたくはないが」

男「…そんな貴様らが金勘定無しに従ってくれているんだ。俺にその覚悟ができんでどうする」

傭兵長「本心なら大したもんだ。…しかし心配はしないで頂こう。我らは己の信念の下、竜を討とうとするアンタに惚れたんだ。汚れ役は引き受けよう」

彼の申し出はとても有難かった。

それでも自分で言ったように覚悟を決めなければいけない時は、いつか来るはずだ。

そしてその『いつか』は…


隊員「後方より接近する影あり!騎馬兵と思われます…!」


…もうすぐに、迫っているのかもしれなかった。


男「数は…!?向こうはもう、こちらに気づいているのか!?」

隊員「数は三人!真っ直ぐにこちらへ向かっています!」

傭兵長「三人とはチェイサーにしては少なすぎる。偵察かもしれませんな…ここは確実に潰さねば。隊長殿、号令を…!」

例え、自らの腕で剣を振るわなくとも。

男「…弓兵っ」

この隊の総員は、俺の手足に同じだろう。

男「掃射準備…!」

俺のこの号令が人の命を奪う、それは紛れもない俺の業だ。

女「男さん…」

幼馴染「………」

時魔女「男…」

…それでも、俺は退くわけにはいかない。

男「………放てっ!」

23名の内、10名の弓兵が矢を射る。

怒りでも憎しみでもなく、ただ我々の信ずる正義をのせて。


しかし矢の第一波は的を捉え損ねたらしい。

敵騎馬兵は既に馬の蹄の音が聞こえる程に接近している。

そして現在、隊には魔導士は女と時魔女を除けばいない。

男(女達にまで人を殺めさせたくはない…接近戦になるか)

弓兵「次を放ちます…!」

傭兵長「…待て、様子がおかしい」

見れば三人の騎馬兵は右腕を横に伸ばして掌を向け、首を垂れている。

あれは諸国間の協定による『交戦の意思無し』を表した姿勢だ。

しかも近付いてみると、チェイサーにしては馬が提げる荷物がやけに大きい。

男「総員、交戦姿勢のまま待機しておけ…向こうの出方を見るぞ」

やがて眼前にまで達した騎馬兵は、すぐに馬上から降りて自らの剣を鞘のまま地に置いた。


騎馬兵「…男殿とお見受けいたす」

男「しらばっくれても無駄だろう…お前達は、チェイサーではないのか」

当然だが、三名とも月の兵装に身を包んでいる。

少なくとも討伐隊で見た顔ぶれではない。

騎馬兵「その任務を請けた者には違いございませぬ。…しかし、我々は貴殿との交戦は望まない」

男「それは、何故だ」

語る騎馬兵の瞳は濡れている。

騎馬兵「貴方がたこそが真の月の誇りだと知るが故…」

自らの誇りと自由にならない境遇の狭間で、彼等の魂は燻っているのだろう。

騎馬兵「…貴殿部隊に、我らの誇りを託しとうございます」

そして彼等は自らの手綱を差し出した。

騎馬兵がその愛馬を託すなど、並の想いで出来る事では無いだろう。

男「…貴様らの誇り、この双肩に預かり受けよう。いつか…必ず返させてくれ」

騎馬兵「ありがたき…幸……せ…」


騎馬兵の話によれば、砂漠開発部隊の編成が始まった当初から士官を含む多くの兵が、砂漠への派兵を強行する月王に懐疑的になっているとの事だ。

そしてそれと正反対に、翼竜を討つという大義に従って動こうとする我々を敵視する者は少ないという。

現在も、そしてこれからも秘密裏にこの部隊への参入呼び掛けは続けられてゆくらしい。

彼等は我が隊の全員と固い握手を交わし、我々を見送った。

馬の提げた大きな荷袋には、全員には足りないまでも数基のテントや幾つものシュラフ、毛布などが詰められていた。

毛布には全て、個人名が記されている。

これは軍から配給された兵達の私物なのだろう。

そして俺に手綱を託された一頭の荷袋の奥底には。

男「…傭兵長、この北回りのルートは貴様が進言したが、誰かに伝えていたのか」

傭兵長「察しが良いですな。…隊に参入は出来ぬまでも、涙を浮かべて悔やしがっていた者がおりましたのでね」

男「討伐隊だった者か」

傭兵長「如何にも…心当たりが?」

男「少々、そいつらに恨みがあってな。なに…飲み負けたというだけだが」

俺は荷袋から取り出したバーボンのボトルを開け、ひと口だけ呷った。

もうこの重いシーンやだ
はやく男と女をイチャイチャさせてえ


それからは女性陣がそれぞれの馬の背に乗り、少しペースを上げて北への進路を歩んだ。

午後の四時を回る頃、街道から少し外れた森に入り、立木の薄いところを選って野営地とする。

男「暗くなれば灯りは控えねばならん。各自日没までに食事を摂り、その後は三交代で見張りを行う」

傭兵長「承知、森の中故に魔物が出るやもしれませぬしな」

男「食糧は限られている。少ないメシで我慢を強いるが…皆、堪えてくれ」

テントは四人用が三基、三つの班に分けるにしても休むニ班の全員が収まるわけではない。

ただシュラフを併用すれば頭数には足りる。

男「装備が落ち着くまで、雨が降らなければいいがな」

幼馴染「そればっかりは神様の気分次第ね」


テントの内のひとつを俺と女、幼馴染と時魔女の四人が使う事にした。

隊員「羨ましいですな。カラダがもたなければ一人お預かりしますぜ?」

男「馬鹿を言え…貴様は魔法と矢、動きを封じられての拷問のどれで殺されたいのだ?」

隊員「はっはっ…おっかない話だ。全部、隊長殿にお任せしますよ」

隊員達は皆、口も育ちも悪いが気のいい奴等だと思う。

幼馴染「失礼しちゃうわ」

女性陣はその軽口に少し不満気ではあるが。

時魔女「もっとイケメンじゃなきゃ相手しないもんねー」

幼馴染「ねー」

男「お前らの軽口もなかなかのもんだぞ」

幼馴染「バッカじゃない、アンタにも言ってんのよ。乙女を危険人物みたいに言わないで」

おっと、矛先が変わりそうだ。

今は男独りで分が悪い、余計な事は言わないようにしよう。


少しの野菜と干し肉を鍋の中に焚いた火で炙って、簡素な食事とする。

僅かな量をできるだけ味わって食べるように、ちびちびと摘まんでは話をして気を紛らわせた。

男「しかし幼馴染はどうやって兵に話を回したんだ?」

幼馴染「討伐隊は皆お酒が好きだったみたいだから。城下の酒場で様子を見てたら、案の定…見た顔が次々とね」

男「そいつらに、時魔女が同行してる事は…?」

幼馴染「ぬかりないよ、口止めはしてる」

時魔女の同行を知っているのは討伐隊の者だけ、その中に俺たちを裏切る者がいるとは考え難い。


そしてたまたま彼女の名前が出たところで、時魔女は次の話を切り出した。

時魔女「…あの…ごめんなさい、黙ってたんだけど。ボク、副隊長とは時空魔法で連絡がとれるんだ」

時魔女は懐から手帳ほどの大きさの革ケースに納められた金属板を取り出した。

ブロンズのような色をした艶の無い板に、彼女の胸にあるものと似た結晶があしらわれている。

男「連絡…?」

時魔女「うん、副隊長が造った特殊なパッドとインクでね。お互いの手元にあるパッド同士が座標登録されてて、書いた文字を交換できるの」

男「今までずっと、連絡をとってたのか?」

時魔女「うん…港で副隊長と別れてからは。ごめん…本当、なんかスパイみたいな事してる気がして、言い出せなかった」

なるほど、時魔女の単独行動が許される理由が少し解った気がする。

おそらく定時連絡という形で、文書を交換しているのだろう。


男「何も謝ることは無いさ、情報を利用して戦争を仕掛けようってんじゃないんだろ?」

時魔女「うん…でも月の国が砂漠へ派兵を検討してるって事は、やっぱり星の軍の一員として黙っておけなかった」

彼女の口調は重い。

でも今の俺は、それを咎めるべき月の国の軍人ではないのだ。

それに砂漠を占拠せんとする月の振舞いに対して、他国が相応の準備を施すのは当り前の事。

あの副隊長は聡明な女性だと思えたし、ましてや星の国は五大国の中でも穏健派として通っている。

事態が悪い方に転がるような事はあるまい。

…ふと、月の副隊長の事を思い出す。

港でこちらから王都へ送った伝言で負傷した副隊長を星の国へ送るとは伝えたけれど、この事態となって彼に帰る場所があればいいが。

いかにも頑固で己の正義を貫かんとする彼の事だ、きっと月軍の現状には憤慨するに違いない。

それとも愛しの星の副官殿に毎日構って貰って、鼻の下を伸ばしているのだろうか。

その様子を想像して思わず口元で笑んでしまった…が、どうやらその笑みがマズかったらしい。


女「…何が可笑しいのです」

突然、今までずっと沈黙を保ってきた女が言葉を発した。

しかも大層に機嫌の悪い声で。

女「幼馴染さん、時魔女さん…およそ話と食事は終わりましたでしょうか」

幼馴染&時魔女「う、うん…」

あれ、おかしい。

女が喋らないのは、夜通しの行軍の疲れがきているからなのだろうと思っていたのに。

これは違うっぽい、そして俺の予感が正しければ…

女「…じゃあ、昨夜の話を煮詰めましょうか」

…うん、正しいみたいだ。

幼馴染「じゃあ、ちょっと席を外すね!」

時魔女「ごゆっくりー」


それから三十分に渡り、こんこんと説教を受ける。

『本当に置いて行く気だったのか』

『寂しくて死ねというのか』

『そもそも黙ったままとは、どういう了見だ』

『剣を払われた時、手が痛かった』

『お詫びの抱擁も口づけも無い』

概ね内容はこんなところ、終わりの二つを除けば返す言葉も無い。


男「悪かったって…俺だって置いて行きたくは無かったけどよ」

女「そうしたくも無いのに『仕方ない』と思えるのが、一番腹立たしいのです!」

男「ごめん…」

ちなみに彼女が剣を振るう際、その切っ先に一切の迷いを感じなかったのは『本気だったから』だそうだ。

幼馴染から『絶対に当らない』と言われ、時魔女からは『万一斬れても時間逆行で治す』と言われていたらしい。

女「首を落とすくらいの覚悟で斬りつけましたので」

男「時間逆行って、生きてる奴にしか使えないんじゃなかったっけ」

女「………そういえば、そうですね」

…怖えよ、嫁。


詫びの印として一度、柔らかく口づけを交わした。

相変わらず彼女はその後少しの間、俺の胸に顔を埋めて表情を見えなくする。

だけど今日はそれも短めに。

俺は無言のまま彼女をそっと胸から引き離すと、立ち上がった。

いい加減に幼馴染達をテントに入れてやらないと、昨夜からの不眠の行軍で疲れ果てているはずだ。

女はまだ少し頬を赤らめたまま、俺を見上げて小さく微笑んだ。

ひとまず機嫌は直してくれたらしい。

俺は幼馴染達を呼びに、テントの外へ歩み出た。

男「おーい」

幼馴染&時魔女「…あっ」

テントのすぐ側面、二人は屈んだ姿勢でこちらを向いた。

男「お前らっ…!」

…こいつら、聞き耳立ててやがったな。


……………
………


…五日後の夕刻
…月の国、北西の山麓


丘陵の向こうから、旅人の姿をした二人の男が歩んで来る。

少し後ろを振り返り、誰もついて来ていないかを気にしながら。

男「…ご苦労だった、村の様子はどうだった?」

隊員「月の兵の姿はありません。酒場で聞き込んでも、我々部隊の噂は入っていないようです」

二人は旅人を装わせた隊員達だ。

様子見に向かわせたのは、他ならぬ俺と幼馴染の故郷の村。

王都から消えた俺を捜索するなら、早い段階で手を回す可能性がある場所だ。

逆にそれが為されていないという事は、あまり本腰を入れた捜索は行われていないのかもしれないと考える事もできる。

渇竜ヴリトラに一矢を報い、紛いなりにも砂漠進出の口実を得た今、俺の存在価値はもうさほどありはしないのだろう。


砂漠開発の助力という任務を放棄し、二十余名の兵を連れて逃げたとはいえ、その目的は王の暗殺や国家の転覆ではない。

現にこの五日間、あの騎馬兵達を除いてチェイサーに遭遇する事も無かった。

禁足地への侵入に対してはどれほどの妨害があるかは知れないが、今すぐは追っ手の影に怯える必要は少なそうだ。

男「さすがに食糧も底を尽いてきている、装備を整えるためにも村に入るべきだろうな」

傭兵長「我々の足跡を知る者を作れば危険は増しますが…やむを得んでしょう」

男「まあ住民の数も少ない小さな村だ。しかも全て顔見知り…伏せておいてくれという願いは通じよう」

幼馴染「やった、五年以上ぶりの帰省ができるんだね!お隣の赤ちゃん、大きくなったんだろうなあ…」

傭兵長と真剣な協議をしているというのに、幼馴染は随分とマイペースな事を言っている。

昔からこんな奴だったというのは、誰よりも俺がよく知っている事だけど。

それに俺だって故郷への帰還が嬉しくないわけじゃない。

…友人に女を紹介するのが、少々気恥ずかしいと思うだけだ。


……………
………


…故郷の村周囲の農地


男友「おい…!嘘だろ、お前…帰ってきたのか!」

男「久しぶりだな、元気だったか」

男友「馬鹿やろ、身体悪くしてる余裕なんか無えよ。お前の畑まで世話してんだぞ」

村に入る前から友人に捕まった。

いや、捕まったとは言葉が悪すぎるか…昔から親友として付き合ってきた仲だ。

俺が管理していた農地は殆どこいつが引き継いでくれている。

男「すまん、面倒をかけるな」

男友「よせよ…慈善でやってんじゃない。お前の畑で穫れる作物も、俺の収入源になるんだ」

男「ああ、今年もいい出来だ。…お前に任せて良かった」


男友「ところで、噂は聞き及んでるぜ」

一瞬、ぎくりとする。

しかし彼が聞いた噂は、独立部隊の事では無かったらしい。

男友「お前が竜退治の戦士、ドラゴンキラー様とはねえ…俺も鼻が高いってもんだ」

男「ああ…お陰さんでな、こうして部隊も引き連れてるよ」

男友「これ全部お前の部下か、偉くなったもんだなあ…。あっ、幼馴染ちゃんじゃねえか!」

幼馴染「久しぶりね!私は男の部下ってわけじゃないけど」

俺はこの時、順序を間違えたと思った。

彼に幼馴染を見つけられるより先に、女を紹介すべきだったんだ。

男友「解ってるって、とうとう男も観念したかー。五年ぶりに再会すりゃ、ハッキリしないお前らも流石に良い仲になったんだろ?」

男「ちょ…おい!…それが…よ」

男友「はぁ?お前らまだ恋仲になってねえの?何やってんだよ、幼馴染ちゃんが旅立った後、暫く落ち込んでたくせに…」

ああ…もう、何でそんな余計な事を。

幼馴染は隣でニヤニヤしながら「そうだったんだー」と状況を楽しんでいる。

左後頭部がチリチリと痛い気がするのは、たぶんひどく睨まれているからに違いない。


………


…村長の家


男「…協力頂けますか」

村長「…何を水臭い事を、断るはずが無かろう」

木の香りが満ちた天井の高い部屋、パイプを咥え紫煙を燻らせながら村長である老人は答える。

村長「テントなら林業の泊り込み用の物が幾つもある、必要なだけ用意させよう。毛布も各家から集めれば揃おうよ」

俺は彼に現在までの経緯を話し、必需品や馬車の提供を願った。

先の通りそれは快諾され、食糧や衣類なども揃う限り持たせてくれるという。

村長「お前がサラマンダーを討った後、報酬の金貨を村に送ってくれた…それがどれほど有難かったか。テントなど百でも二百でも新しく作れてしまうわい」

男「感謝します、村長…」

村長「…すっかり男らしくなりおって、しかし立派なだけでは寂しいのお」

村長は椅子から立ち上がると歩み寄り、小さな子供に接するように俺の頬に掌をあてた。


いつの間に軍人としての振舞いや、城での言葉遣いが染み付いてしまったのだろう。

ほんの半年前に村を出た日の俺は彼を『村長』などとは呼ばなかった。

両親を失った俺をずっと育ててくれた彼を、俺は親しみを込めて呼んでいたはずだ。


男「うん…ありがとう、じっちゃん…ただい…ま…」


在りし日の自分を取り戻すと同時に、己の内に溜め込んでいた様々な想いが溢れ出す。

兵の命を預かる重責、討伐隊々長として背負う期待、逆賊となって着た罪。

強く装う自分を見せたいが故に、女にもその全ては晒せない己の弱さ。

年老いた彼だけはそんな俺の全てを知っている、見てきてくれた存在だから。

村長「よく…来てくれた…よく戻った…。おうおう…いい大人になっても、変わらんのう…」

彼の皺だらけの手で頭を撫でられて、妻さえも迎えた大人の男が涙を零すなど。

この姿、隊員達にはとても見せられたものじゃない。

きっと今、隣の家で幼馴染も同じように涙を見せているのだろう。

今夜は懐かしいあのベッドで眠ろう。

天窓に降る星を数えて、大時計の振り子が刻む音を確かめながら。


…翌朝


木の階段を駆け上がる音、遠慮も無く開けられる部屋のドア。

幼馴染「おっはよーう」

知っている、この挨拶の後はきっと無理に肌掛けた毛布を取り払われるはずだ。

そしてそれは予想の通りとなる。

幼馴染「いつまで寝てんの。おじいちゃん、もう朝食できたって言ってたよ」

男「おぅ…おはよ」

実に五年ぶりとなる、それまでは当たり前だった習慣。

俺は毎朝繰り返されるこのやりとりを、当時は疎ましく感じながら気に入ってもいたと思う。


幼馴染「これからどう動くの?」

男「荷馬車やテントの準備は今日一杯かかるって聞いてるから、もう一泊ここに滞在する事になるだろ。傭兵長にもそう伝えて、交代で周辺の見張りは頼んであるよ」

幼馴染「よかった。せっかくの故郷だもの、すぐに出発は寂しいと思ってたの。じゃあ、今日は懐かしいところ回ろうよ」

俺がこの村を離れていたのは、僅か半年ほど。

さほど村に変わった所など無いだろうが、彼女にとってはさぞ懐かしく新鮮に映るに違いない。

男「そうだな…じゃあ、女や時魔女も案内しようか」

幼馴染「…あの、どうしても嫌ならいいんだけど」

不意に彼女の口調がくぐもったものになったように感じられる。

少し俯いて、上目遣いに俺を見て。

幼馴染「今日だけ…ううん、午前中だけでもいいから、二人で過ごしたい」

…ちょっと困った。

でも俺の心の中にも少しだけ、それを望む想いがある。

きっと時魔女達を連れていては、出来ない話もたくさんあるだろうと思ったから。


一応、俺一人だけで宿に立ち寄り、昨夜二人同室で過ごした女と時魔女に『午前中は会っておきたい人のところを回るから』とだけ伝える。

笑顔で『いってらっしゃい』と送ってくれる女、なんとなく後ろめたく感じて『いってきます』が言えない俺。

その後、村の外れの牧場で幼馴染と落ち合う。

幼馴染「牛、少し減ったね」

男「ああ、ここにはな。少し離れた丘陵地に新しい施設を作ったから」

幼馴染「そうなんだ、すぐに行けるなら行ってみたいな」

男「ちょっと遠いな…でも明日、出発したら近くを通ると思うよ」

牧場から農地の畦道を抜けて、昔よく遊んだ小川の畔へ。

足を浸すには少し時期が遅い、確か少し下流に歩けば跳んで渡る事ができる岩場の淵があったはず。

幼馴染「あそこ、渡れるよね」

男「ああ…昔、お前あそこで落ちたよな」

幼馴染「もうっ…覚えてるんだ」


少し大きな岩がせり出した川の淵、そこから点在する石を跳び渡れば対岸に行ける。

男「よっ…と」

幼馴染「あー、懐かしいな…いつもこうやって男が先に渡ってたっけ」

それも覚えてる、そして先に渡った俺はいつも。

男「…ほら、大丈夫か?」

こうして彼女に手を延べていた。

幼馴染「ありがと…」

昔と同じ仕草で、少し昔とは違うぎこちなさをもって幼馴染は俺の手をとり、ひとつ目の岩を跳んだ。

ふたつ目、みっつ目…ひとつずつを順番に手を貸しながら、渡ってゆく。

そしてよっつ目、対岸までの間で最後のひとつが少し小さいのも覚えている。

ここで彼女は落ちたんだ。

確か暑い時期だったから、その後は服を着たまま水遊びに興じたと思う。

男「今度は落ちるなよ」

幼馴染「わかってますよーだ」


また俺の手を握り、彼女が岩を蹴る。

決して下手な跳び方はしていないのに、幼い頃と比べれば俺達の身体は思う以上に大きくなっていたらしい。

幼馴染「わ…!狭いっ!」

小さな岩の上は今の二人が楽に立てるほどの広さは無く、幼馴染がよろめく。

男「危ねえっ」

無意識に手を引き寄せ、抱きとめるように彼女を支えた。

直後、我にかえって状況のまずさに気付く。

幼馴染「…さ、先に次に行ってよ」

男「こんな狭くちゃ跳べねえよ…お前を落としちまう」

抱き合った姿勢で数秒。

無いとは思うけど、こんなところを女に見られたら比喩でなく雷を落とされかねない。

男「同時に跳ぶしかねえか、残りは大した川幅じゃないし」

幼馴染「……………」

なんで黙るんだ、気まずい事この上無い。


彼女は俯いたまま、俺の胸に鼻先を当てて寄り添った。

それは口づけた後に女がする仕草に似ていて、俺の中に弱からぬ罪悪感を生む。

男(…まずいって)

本当は、朝に起こされた時から気付いていたんだ。

兵装を解いて村娘の服に身を包んだ幼馴染、その姿に目を奪われた事。

男「…行こう。いち、に、さん…で同時に跳ぶぞ」

幼馴染「あ…」

男「せーの、いち、に…」

彼女の返事を待たずにカウントを始めて、それでも二人は対岸へ着地した。

強引にそうしたのは後ろめたさに耐えられなかったから。

そしてあのままでは、胸の早鐘を彼女に悟られそうだったから。


対岸は少し切り立った岩山の裾で、そう高くはないが見晴らし台までの岩を削った階段の登山道がある。

二人とも毎朝この道を駆け足で登って往復しては、体力を鍛えたものだ。

その道を今は、ゆっくりと歩いて登る。

幼馴染「あ、やっぱり咲いてる」

途中にある、日当りが良く少しなだらかになった斜面。

そうだった、昔からこの時期には群生する野生のセージが咲き誇るんだ。

男「お前、たくさん摘み過ぎて『手からセージの匂いがとれない』って困った事あったな」

幼馴染「なんでそんな人の失敗談ばっかり覚えてるかなー」

…それは違う、失敗談くらいしか面白可笑しく語る事ができないだけだ。

そうでない思い出話はたくさんあるけど、あまりそれを掘り起こすと別の感情まで目を覚ましそうだから。

せっかく懐かしい場所を巡っているというのに、お前だって妙に口数が少ないじゃないか。

きっと同じ事を考えている癖に。


見晴らし台からは村が一望できる。

遠すぎて判るはずも無いのに、俺は宿の窓から見えるのではないかと少し心配になった。

麦の畑は黄金色に近付き、風に穂を揺らして脈を打っている。

幼馴染「あ、見て…旗が変わったよ」

村の中央の広場にある掲揚台には、今まさに赤色の旗が昇らされていくところだった。

畑からも見えるその台には、午前中は白、午後は赤い旗を掲げる事になっている。

男「正午になったんだな…そろそろ戻るか」

幼馴染「…うん」

俺は立ち上がり、ズボンについた埃を掃った。

彼女もそれに倣い立ち上がるが、来た道へ向かおうとはしない。

少し悩んだ風に間をとって、小さく頷いて。

幼馴染「…男、聞いてくれる?」

そして彼女は視線を村に向けたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。


一つずつ、敢えて触れてこなかった思い出話を彼女の口は紡いで。

幼馴染「私…やっぱり男の事、好き」

そしてやがて、その言葉は核心に触れる。

幼馴染「五年前に捨てたつもりだったけど、少しだけ捨てきれてなかった。でもその分も再会した夜にふっきれたと思った…」

男「…そう言ってたな」

幼馴染「でも、それも…まだ残ってたみたい」

何と答えたらいいだろう。

将来的には正式に女を妻とするつもりだ…その意思は、あの日はっきりと告げたはずだ。

それを覆すつもりも無いし、幼馴染だって忘れているわけでは無いだろう。

だから、繰り返す意味も無い。


幼馴染「ねえ、ここ…覚えてる?」

見晴らし台という場所の存在を忘れていたわけは無い、だから彼女が問うのはここでの出来事の記憶だろう。

幼馴染「…いくつ位の時だったっけ」

…覚えて無い。

幼馴染「確か、竜に父親を奪われた…その少し後」

覚えて無いって、そんな事。

幼馴染「お互いに親を亡くしたのに、やっぱり私は男より弱くて…泣いてばっかりだった」

男「そうだったかな」

幼馴染「そうだったよ…だから男は私を励まそうとしてくれた」

互いに隣り合った家に引き取られて、その家の人は充分な愛情を注いでくれたけど。

どうしたって埋められない穴は、二人の心に確かに穿いていた。

幼馴染「男、ここで言ってくれたよ。俺が家族だから、お前は独りじゃないから…って」


その言葉を忘れるわけは無い。

だから『そうだっけ』と、しらばっくれる事はできなかった。


幼馴染「その後…本当に子供だったのにね。男、一回だけキスしてくれた」

男「……………」

幼馴染「女さんがいなかったら…なんて恨みがましい事は言いたくないの。だから、もし私が五年前に男の傍から離れなかったら」

男「…今更だよ」

幼馴染「うん、解ってる。…でももしそうだったら、男…私と本当に家族になってくれた…?」


彼女は問いながら俺に振り返った。

その頬に伝う雫に、気づかないふりをするのは難しい。


幼馴染「私、目を瞑っとくから。答えが『ならなかった』なら、そのまま男だけ村に戻って」


彼女が目を閉じる、その瞼からまた一筋の涙が落ちる。


幼馴染「もし『なってた』と思ってくれるなら、たった二度目…でも最後のキスをください」


竜が現れなければ。

もし、あの日彼女が旅立たなかったら。


幼馴染「…どっちにしても、それでおしまい。それだけで私達の恋は…終わりにするから」


様々な『…たら』や『…れば』を使えば、いくらでも未来を想定する事はできる。

でもその中で選ばれてゆくのは一つだけ。

あとの選択肢は胸の中にだけ描く事を許された、憧れに似た物語。

この日、俺と幼馴染が選ぶかもしれなかった未来は本当に幻と消えた。

とりあえずここまで
すまぬ、この話でハーレムルートは想定していないのだ

王女と結婚ってことは男は王族だろ
一夫多妻制で何の問題もない
だから女ちゃんも幸せにしてやれ…

これでお別れか…
再会しない方が幸せ?


…翌日朝


充分な大きさの荷馬車を手に入れ、隊員達の荷物も軽く街道を順調に進みはじめた。

時魔女「これで旅が楽になったねー」

幼馴染「ほんと、テントも荷馬車も必要数揃ったし、あの惨めな食事ともおさらばできるよ」

昨日、午後からは顔を合わせなかった幼馴染も、すっかり吹っ切れた表情をしている。

俺は心の内で、ホッと胸を撫で下ろした。

時魔女「腹が減っては!」

幼馴染「お肌が荒れる!」

もうひとつ安心したといえば、午前中の出来事を女に怪しまれる事は無かった事。

これについてもビクビクしていただけに、大きく安堵した。

時魔女「お肌が荒れたら!」

幼馴染「王子様が逃げる!」

なんでこいつら、こんなに気が合うんだ。

本当に姉妹なんじゃなかろうか。


男「あ…ここだ。おい、幼馴染…ここが昨日の朝に話した新しい牧場だよ」

幼馴染「おー、広いねー。どうりで、向こうに牛が少なかったわけだね」

男「な?…あのまま行くにはちょっと遠い…だ…ろ…」

…しまった、これはしまった。

女「…昨日、逢っておきたかった方とは、どなたの事だったんです…?」

男「…えーと」

女「おかしいと思ったんです。私と時魔女さんも村をあちこち散歩したのに、お二人とも一度も会いませんでしたものねえ…」

時魔女が胸に手を翳す、嫌な予感に襲われる。

女「時魔女さん!男さんを止めて下さい!」

時魔女「了解!時間停止発動っ!」

男「ちょっ…!」

時間停止を味わうのは二度目、今度は命の危機だ。

女「男さん、完全詠唱の魔法は炎と氷と雷…どれがお好みです?」

傭兵長「ここが隊長殿の死に場所だったのですな…どうぞ安らかに」

視界の端で、荷馬車の幌に隠れようとする幼馴染が見えた。

レスさんくす

>>333
その手があったか!

>>335
お別れはしないです
幼馴染も仇敵の翼竜を討つために同行してるので


……………
………


…四日後
…月の国、北西の海岸


時魔女はその後も、内容を一々俺に告げながら星の副隊長との交信を続けていた。

そしてそれは我々にとって、良い方向に事態を進展させる事となる。

時魔女「あ、あの船だと思うよ!」

星の国の計らいにより、物資を乗せた船が海岸に近付く。

積荷は食糧を始め、予備の武器や当面を凌ぐに足る金貨などという話だ。

男「星の副隊長には感謝しきれないな」

時魔女「そっちの副官さんの事、副隊長も責任感じてるんだよ…遠慮なく役立ててあげて」

通信によれば本当なら魔法隊をはじめとする人員も送りたかったそうだ。

しかしそれは同盟国が無許可で月の国に派兵するという事になるため、さすがに叶わなかった。

傭兵長「さあ、船が接岸しますぞ。月の監視船に見つからぬ内に、手早く荷下ろしを」


船員と隊員の共同作業により、荷下ろしはものの10分ほどで完了する。

船には詳細な位置を相互に確認するため、星の副隊長も乗り込んでいた。

星の副隊長「時魔女様、月の隊長…いえ今は違いますね、男様を困らせてはいませんか?」

時魔女「困らせてなんかないよ!私がいなきゃダメって位、役立ってんだから」

男「そういう事にしとくよ」

星の副隊長「男様、どうかよろしくお願いします」

せっかくの再会だが、長居はできない。

星の副隊長は足早に船に乗り、離れゆく船尾から何度も手を振った。

月の副隊長の義足は既に試作段階を過ぎ、日々それに慣れるための訓練が行われているという。

彼と再会できる日も、遠くはないかもしれない。


それともう一つ、星の副隊長から伝えられた気になる情報がある。

まだあやふやな情報ではあるが、白夜の王都に翼竜が現れたというのだ。

そしてその襲撃により、既に高齢で天寿を全うするのも近いと噂されていた白夜王が亡くなったという。

白夜は既に世継ぎも定まっていたから国政に大きな乱れは無いだろうが、なぜ翼竜は遠く白夜の王都を襲ったのか。

家畜を多く飼う田舎の村などを襲うのは納得できる。

しかし王都…まして高齢で遠征など行うとは考え難い白夜王が命を落としたという事は、その城の中枢を襲ったという事なのだろう。

星の国は月の国だけでなく白夜とも同盟を結んでいる。

だからこの情報もいち早く伝わったのだろうが、まだそれ以上の詳細は判らないとの事だった。

……………
………


…更に二日後
…月の国、西の山岳地


傭兵長「…偵察に行かせた者の情報によると、やはりこの先の関所を防衛線として多数の兵を配置しているとの事…強行突破は難しいかもしれませんな」

男「追っ手が無いから期待したが、やはり西の台地へは近寄せないつもりか…」

傭兵長「追っ手にしても派兵はしておるのかもしれませんな。ただ月の兵が我々に寛容であるために本気で捜索をしないのでしょう」

西の台地までは、本来ならあと二日とかからない距離だ。

しかし現在地と禁足地であり半島の地形を呈したその場所への間には、越えるに現実的でない険しい山と監視船が多数浮かぶ海が隔たっている。

山岳地に三箇所ほどある通行可能な谷には全て関所が設けられ、海岸線もまた軍港を兼ねた施設が置かれており、隙は無い。

故郷の村と星の国の計らいで物資と装備は整った我が隊だが、絶対的な兵数の不足は如何ともし難い問題だった。

いかに月の兵の我々に対する敵意が薄くとも、直接の指揮官がいる大隊となれば邂逅すれば交戦せざるを得まい。

もしも上手く関所を突破できたとしても、今度こそ多勢の追撃を受ける事となるに違いない。

そうなればまさにジリ貧、いかに隊員達が優秀であろうともこれ以上に数が減れば竜討伐どころではなくなる。


男「ひとまず少し道を戻って、山間に入った所で今日は野営を張ろう。ここは関所に近過ぎる」

傭兵長「もしかしたら、そこで長く凌がねばならぬかもしれませんな。兵が薄くなるにどれだけかかるか…」

男「食糧はまだ二週間はもつだろう。確か今朝方に湖の畔を通った。その近辺…水の補給が可能な位置に陣取るのが良かろう」

歩んだ道を後進し、湖の畔へ着く頃には夕方が近付いていた。

しかし湖畔その場所ではいけない。

水場の直近はこうして野営を張るに適しているが為に、警戒も強いはずだ。

そのまま湖畔を周り、森がある所を選って水場から30分ばかり離れる。

見通しは無いが少し開けた場所を探し当て、野営地を決する頃には日が落ちようとしていた。

こういう書かざるを得ない物語背景や状況の描写が一番つまらん
今更あんまり凝るんじゃなかったと後悔するわ…この辺は流し読みしといて下され


一時を思えば随分と隊の備品は充実していると思う。

水が充分確保できる時は、盥に湯を汲み荷馬車の幌の中で軽い湯浴みもできる。

そのおかげで、女性陣のストレスも少ない。

女「…先にお湯を頂戴しました。男さんも汗を流されては?」

男「ああ、そうする」

涼しい気候だからか、隊員達は数日に一度ほどしか湯浴みをしないようだ。

俺も自身としてはそれでも良いのだけど、女と寝床を共にする事を思えば一日の垢を拭わなければ落ち着かない。

相変わらず口の悪い隊員に、いつも『しっかり洗っておかないとマナー違反ですよ』などと冷やかされるが、気にしない事にした。

充分な数のテントが確保されているから今は俺と女、幼馴染と時魔女はそれぞれ二人ずつで一基が割り当てられている。

だからといって、隊員達が思うような不純な行為はしていない。

でもあまりそれを言い張ると今度は俺のカラダの機能を疑われかねないから、そこについても主張するのはやめた。


俺がテントの方へ戻ると、女は外で星空を眺めていた。

見上げれば確かに満天の星屑が、落ちてきそうなほどに近い。

男「…綺麗だな」

女「はい…王都の空より、ずっと」

王都では夜通し何かしら城や城下の灯りがあったから、こうも星は見えなかった。

俺は昔から故郷の村でこれに近い星空を見てきたから珍しくもないが、彼女の目にはまだ新鮮に映るのだろう。

女「あ…流れ星!…男さん、見ました?」

男「いや、気付かなかったな」

女「願い事をするような間は無いものですね。せめていつ流れるか判っていれば、できるかもしれませんけど」

ふと、もし願う事ができるなら、彼女は何を唱えるのだろうと気になった。

この旅を無事に終える事か、それとも不穏な陰りをみせる祖国の安定だろうか。

俺なら…やはり翼竜を討つ事を願うだろうな。


そして夜空にはまた、一筋の星が尾を引く。

女「………ますようにっ」

それに間に合ったかは解らなかったが、その時に彼女が早口で唱えた言葉は先に思ったいずれでも無かった。

言った後から彼女は口元を押さえ、俯き加減に横目遣いで俺を見る。

男「随分、照れ臭い事を言ってくれるな」

女「…言葉そのままの意味だけではありません」

…なるほど、確かに色んな意味を含むだろう。

旅の無事、翼竜の打倒、身の上の安定など…その全てが叶わなければ、彼女の望みは満たされない。

男「まあ…待っててくれよ」

女「…浮気が心配ですけど」

男「しない…してないって。テント入ろう、湯冷めしてしまう」

女「はい」

女が先にテントに入り、その後に続こうとした。


その時、星明かりに照らされた周囲の照度が、一瞬落ちたように感じて空を見る。

男(…あれは、飛翔魔獣だな。このまま飛び去ってくれればいいが)

この山岳地には飛翔能力を持つ魔物が多く巣食う。

小さなものではハーピーやバルチャー、更に大型のガルーダが生息すると聞いた事もあった。

例えガルーダであったとしても勝てない程の相手ではないが、夜間の戦闘は面白くない。

男(…鳥型の魔物なら夜目はきくまい、向こうから襲ってはこないと思うが)

その予想は正しかったようで、空を舞う影は真っ直ぐ山の向こうへと消えていった。

女「…どうされたのです?」

男「ん…いや、先に休んでおいてくれ。ちょっと傭兵長に、見張りの増員を頼んでくる」

女「そんな事を言って、幼馴染さんと逢引するつもりじゃないんですか」

男「馬鹿言え、もう勘弁してくれよ…」


…四日後、同じ野営地


連日、数名の隊員を偵察に送っているが、関所が手薄になった様子は無いとの報告しか上がってこない。

幸い今のところ野営地には魔物の襲撃は多くなく、二日目にハーピー数羽が近付いたが、交戦前に向こうから逃亡した。

そのハーピー達が仲間を引き連れて再来する可能性は否定できないが、野営地を変更するほどの理由にはならない。

そうして四日目の正午も過ぎようとしていた頃の事。

先の僅かな危惧は、現実のものとなったのだ。

見張り兵「魔物襲来!ハーピー多数、大型の鳥型魔獣もいます!」

男「くそ…本当に来るとはな。弓兵、出番だ!腕を鈍らせてはおるまいな…!」

弓兵「へっ!隊長は眺めてるだけしか出来ますまい、まあ指でも咥えてて頂きましょう…!」

全く、イキのいい隊員が揃ったものだ。

見るにハーピーは20羽以上、恐らくガルーダと思われる大型の鳥獣も二体見える。


幼馴染「へっへーん、ちょっと腕を振るうのも久しぶりだもんね。かかってきなさいっての!」

男「調子に乗るな、ハーピーはともかくガルーダは気を付けなければ喰われるぞ」

ガルーダは鳥型魔獣としては最大の魔物、個体数は少ないがこの月の山岳地を主な生息地とする。

渡り鳥としての性質もあるらしく、寒くなるこの後の季節はあの砂漠の方面へと移動するらしい。

蛇の姿をしたヴリトラの存在があったからだろうか、砂漠ではガルーダは蛇を喰らう神鳥として畏敬の対象であるという。

その巨鳥にとって今は、砂漠への移動に向けた喰い溜めの時期に当たる。

女「魔法の使用許可を…!」

男「ああ、任せた!」

女が火炎魔法の詠唱を始める。

俺も傭兵長も、数名の隊員と共に見守るしかできない。

矢を受けた魔物が地に墜ちでもすれば出番もあろうが、地味な役割だ。


弓兵の活躍により、ハーピーの個体数は目に見えて減ってゆく。

幼馴染「…炸矢っ!」

女「業火に焼かれて貰いましょう…!」

そして彼女らの活躍により、ガルーダも飛ぶ速度と高度を落とし始めていた。

勝利は見えた、被害はありそうに無い…誰もが油断したその時。

傭兵長「いかん…!幼馴染殿、背後です!」

幼馴染「えっ…!?」

別の角度から滑空し密かに接近していた三体目のガルーダ、避ける間も無くその爪が幼馴染に迫る。

幼馴染「しまった…!ああぁっ…!」

男「幼馴染っ…!」

巨鳥は彼女を攻撃するのではなく、その足に捕らえて飛び去ってゆく。

彼女に当たる可能性を思えば、矢も魔法も放つ事はできない。

既に高度は100フィートを超えている、彼女自身が抗って解放されても地上に叩きつけられてしまうだろう。

群れの他の個体も彼女を捕らえたガルーダと共に飛び去ってゆく。

巣に持ち帰り、彼女を喰らうつもりなのだ。


男「時魔女!」

時魔女「解ってる!時間停止…!」

対象の個体が動きを止める。

しかしそれだけだ、時間稼ぎにしかならない。

男「時魔女…もし幼馴染が落ちたとしたら、地上近くでアイツの時間を止める事はできるか…!?」

時魔女「時間停止を解いたら同じ落下速度を取り戻すから、意味が無いよ…どうしたらいいの…!」

俺は飛び去る他の個体がどの方向に行くかを覚えようとした。

男(くそっ…だからどうなるってんだ!)

鳥が数十分で飛ぶ距離を歩めば一日もかかるだろう。

巣を探したところで出来るのは彼女の骨を拾う位の事だ。

男「畜生…打つ手が無い…!」

未だ彼女を掴んだまま止まっている巨鳥を睨む。

その時、俺の視界は更なる魔物の姿を捉えた。


傭兵長「あれは…!」

男「嘘だろう…獲物を横取りに来たってのか!」

ガルーダを凌ぐ巨体、鷲の頭と翼、そして獅子の身体。

本来、月の国にいる筈のないこの魔物が何故ここに。

女「グリフォン…!」

数は八体にも及ぶグリフォンの群れは、V字編隊から散開して巨鳥を襲う。

しかしそれと同時に、幼馴染を捕らえていたガルーダが閃光に包まれた。

時魔女「幼馴染ちゃんが…!」

喰われる位なら堕ちて果てた方がましだと考えたのか、囚われの彼女自身が炸裂の矢を放ったのだ。

宙に投げ出され、見る間に落下速度を上げてゆく幼馴染の身体。

ずっとガルーダの動きを封じていた時魔女には、すぐに幼馴染の時間を縛る事もできない。

男「幼馴染っ…くそおおおぉぉぉっ…!」

一体のグリフォンが落下する彼女に向かうのが見えた。

喰われる相手が変わるだけか、それとも地面に叩きつけられるか。

いずれにしても絶体絶命の彼女を、救う術は無かった。


時魔女「男…違う…!」

時魔女が何かに気付く。

接近したグリフォンが幼馴染を捕らえた。

時魔女「あのグリフォンは…!」

目を凝らす。

そうだ…グリフォンの脚は獅子のものに同じ、人間を掴めるようなつくりではない。

彼女を捕らえたのは、その魔獣の背だ。

その背には…

男「鞍がある…人が乗っている…!」

話に聞いた事はあった。

グリフォンを駆る、誇り高き一団の存在を。

その名は…

時魔女「白夜の騎士団…!」

.

ありきたりでも王道を貫くぜ
なぜなら考えるのが楽だからだ!

あ…ありのまま今、起こった事を話すぜ!
「おれは貶された思ったらいつのまにか褒められていた」
な…何を言っているのか


幼馴染を受け止めた一騎はこちらを目指し、残りの七騎はガルーダとハーピーを驚く程の早さで一掃せんとしていた。

俺達の前に舞い降りる、幼馴染の救世主たる騎士。

雄々しく巨大なグリフォンの背に、白銀の甲冑を纏った男が幼馴染を抱きながら跨っている。

男「幼馴染…!」

幼馴染「…ごめん、男が気をつけろって言ってくれたのに」

騎士の腕が解かれグリフォンが首を下げると、彼女はその背から地に降り立った。

ガルーダの鋭い爪に掴まれた事により、その肩は鮮血に染まっている。

男「時魔女、時間逆行は間に合うか?」

時魔女「うん、あと少しでロードできると思うから、充分間に合うよ」

幼馴染「だ、大丈夫…大した事ないよ」

時魔女「いいから、あっち座ろうよ」

時魔女に呼ばれ、幼馴染はちらちらと後ろを振り返りながら俺の横を通り指差された方へ向かう。

その際に見た彼女の顔は、些か紅潮して見えた気がした。


男「…白夜の騎士とお見受けする。まずは礼を言わせてくれ、本当に助かった」

???「礼には及びませぬ。…私個人の想いとしても、幼馴染殿を救えてよかった」

男「…あいつを知っているのか」

そこまで尋ねた後から、俺はハッとした。

幼馴染から聞いた、五年前の白夜と旭日の共同作戦だった洞窟竜討伐の時の話を思い出す。

???「私は元・白夜の騎士団の長を務めていた『騎士長』と申す者…お見知り置きを」

つまり彼こそが幼馴染にプロポーズをした主、白夜のドラゴンキラーその者なのだ。

なるほど、幼馴染が頬を染めていたのはそれ故か。

騎士長がグリフォンの背から降りようとした時、彼の後ろに次々と他の七頭が集う。

この僅かな時間で魔物を殲滅したのだろう。

騎士長は他の騎士団員が地上に降り立つのを待って、改めて俺に正対した。


騎士長「元・月の国討伐隊隊長、男殿とお見受けする」

男「いかにも…だが何故『元』という点を知っておられるのだ」

騎士長「星の国を経由し、貴殿の情報を得ました故。…先ほどはグリフォンの背、高いところからの挨拶となり申し訳なかった。ご容赦のほど願いたい」

男「気にしないで頂こう。今の俺は貴方が改まって話さなければならないような立場には無い…ただのゴロツキの長なのでね」

俺の後ろに纏まり無く立つ頼もしい隊員達が、くっくっ…と抑え切れない笑いを漏らす。

どっちが優れているなど考える必要も無いが、少なくとも向かう騎士団の面子の方が上品なのは間違いない。

男「まあ、そういうわけだ…言葉を砕いていこう。先ほど騎士長殿も『元』騎士団長と言ったと思うが、どういう事なのか」

騎士長「では、私も気を楽にさせて頂く。まあ…はっきり申せば、白夜王が崩御される際の遺言で任を解かれた…つまりクビになったのだ」

男「クビ…?国にとって大事なドラゴンキラーをか」

騎士長「白夜では騎士という称号に比べれば、ドラゴンキラーなどという肩書きに大した意味などない。亡き我が主君も若かりし日には騎士王であった」

男「…なるほど。では、なぜこの国…しかもこのような辺境に?」

騎士長「知れた事…何のために星に情報を仰ぎ、数日もかけて男殿の部隊を探したと思われるか」


そして騎士長とその部下達は再度姿勢を正し、思いもしなかった言葉を告げた。

騎士長「我々を男殿が率いるゴロツキの部隊の一員として、雇って頂きたい。それを願うために馳せ参じた次第だ」

どういう事だ、なぜ俺が白夜の騎士を率いる事になど。

しかし信じて良いものなら、これほど心強い申し出はない。

まして空を駆けるグリフォンの力があれば、関所を越えるにこれほど確実な方法は無いだろう。

男「…雇うために必要な見返りは、何を求めるのか」

騎士長「我が主君の仇を討つ、それ以上の報酬はありますまい」

男「…騎士がゴロツキ連中とつるんだのでは、主君の名折れになるのでは?」

今度は騎士団の方から笑いが漏れる。

しかしそれは我々を蔑むようなものではない。

騎士長「先ほどは男殿の言葉を借り、ゴロツキなどと申したが…今、貴殿の部隊が何と呼ばれているかご存知か?」

男「いや…知らん、月の逆賊とでも?」

騎士長「星の国で聞き申した。濁った月の光を避けながら、勇敢にも竜に挑もうとする誇り高き部隊がある…と」

我々自身が知り及ばないところで囁かれ始めていた、この部隊の呼称。

騎士長「誰が名付けたかは知れぬ…が、貴方がたは今や『月影の師団』と呼ばれている」


…その夜


男「…実際のところ、噛み砕いて教えてくれないか。何故、この隊との合流を望んだ?」

小さな焚火に鍋をかけ、いつもより少しだけ豪華な食事を囲む。

今夜は俺と傭兵長、そして騎士長の三人で顔を突き合わせていた。

騎士長「…私は祖父の代から白夜王に使える騎士の一族だ。王が死ぬ前に言った…次の主君は自分で決めろと」

男「…世継の王を主君とはしないのか?」

騎士長「白夜にグリフォンの騎士は百に迫るほどもいる。新王には皇太子の頃から直属の騎士があったのだよ」

傭兵長「なるほど、それでお役御免というわけか」

男「傭兵長、言い方が悪過ぎるぞ」

思わず焦って器から肉のスープを溢しそうになる。

やはりこいつらには、ゴロツキの呼び名の方が相応しいのではないだろうか。


騎士長「はははっ…いや、言われる通りだ。しかし私はまだ、亡き先代に忠義を誓っているつもりでもある」

男「仇敵を討つまで…か」

騎士長「そういう事だ。次の主君はその後に決める…いや、あては無くも無いのだが」

傭兵長「ほう…天下に五人しかいないドラゴンキラー殿が仕えるを望む御仁とは、どのような方なのですかな」

傭兵長の問いに騎士長は少し思案して、ふう…と小さく溜息をついた。

騎士長「それは…またの機会に話そう。今はまだ公言するにも時期尚早だ」

傭兵長「ほう…それは口にするのも躊躇われる程に、止ん事無き御方という事で?」

男「…傭兵長、あまり詮索をするな」

傭兵長「はっはっ…そうですな。自ら望んでゴロツキなどに交わろうとする騎士殿というものに興味が尽きぬもので、失礼をした」

だめだ…今までそうまでも思わなかったが、とにかくこいつらはやはり品が無い。

いや、今まで思わなかったという事は、俺もそうなのかもしれないが。

ここまでー

よし、今度は釣りだ
てーい!(開き直り)


………



女「…明日にも関所を越えるのですか?」

テントの中、自らの敷布に座った女が尋ねる。

男「ああ、明日…といっても夜間の事になるだろうが」

俺は剣にクローブ油を塗りながら、彼女の方を向く事無く答えた。

星の国の技術を結集したこの剣はやはり優れたものだ。

ここまでの戦いでも刃こぼれのひとつも見られない。

女「ついに翼竜の巣へ向かうのですね…」

男「…西の台地が巣だとは限らないがな。可能性は高いと思うけど」


白夜の騎士団が駆るグリフォンの背に着けられた、単座の鞍。

その後方、獅子の腰まわりに当たるところには、馬に着けるものを大きくしたような左右一対の皮の荷袋が装備されている。

その荷袋の内布は非常に厚く大きな生地で出来ており、平常は余分な大きさの部分は折り畳んで荷袋の底敷きとなっているそうだ。

しかしそれを左右共に広げてベルトで結ぶと、グリフォンが提げて飛ぶ事のできる大きな布のバスケットとなる。

大人の男性で四人から五人も乗る事が可能で、その重量の負担を受けても一度に20分程度は飛行出来るそうだ。

男「まさか空から関所を越える事になるとはな。船酔いのようにならなければいいが…」

女「そんな経験ができるとは、思っていませんでした」

男「ああ、本当は昼間に乗せて貰えば眺めも素晴らしいんだろうけどな」

空から地上を見下ろすなど滅多にある機会ではない、女も楽しみにしていたりするのだろうか。

しかし彼女の方を見ると、その横顔は憂いを秘めている風に映る。

男「…どうした?」

女「もうすぐに、翼竜と戦う事になるかもしれないのですね…」

言葉を紡ぐ口調も重く、視線は燭台に揺れる蝋燭の炎にぼんやりと向けられていて。

男(…何故、そんな悲しげな顔をするんだ)

翼竜は彼女にとっても兄の仇敵、ついにそれを討てるかもしれないというのに…何故。


それとは正反対に、俺はすぐには寝付けないのではないかというほど気が昂ぶっている。

もはや両親の仇を討ちたいという想いだけではない。

ヴリトラとの連戦となった砂漠での敗北、その借りを返す。

それを成さければ、いつかあの世で砂漠に散った兵達に再会する時、顔向けが出来まい。

男「必ずあの竜を地に伏せてやる。この十数年間、それだけを心に誓って過ごしてきたんだ」

女「……でも」

男「理由は解らないが、白夜が翼竜に襲われた。…生かしておけば、これからもあの竜は幾多の悲しみを齎し続ける」

俺は剣に残った余分な油を拭き取り、曇りが無い事を確認して鞘に収めた。

これで今夜の内に準備しておく事は無いはずだ。

あとは明日、日中に魔物が襲来すれば交戦は止むを得ないが、総員共に出来るだけ休息をとり鋭気を養う。

日没と共に関所越えを開始し、翌日…つまり今夜から数えて明後日の夜明けと共に翼竜を探し始める予定だ。

そして遭遇次第、決戦を挑む。


砂漠での戦いに比べれば兵数は少なく、魔法隊も持たない。

その代わり空からの攻撃が可能な騎士団が加わり、砂漠での邂逅の際のような隊が疲弊した状態でも無い。

現在の持てる力を振り絞った、まさに総力戦となるだろう。

男「時魔女の力と騎士団の機動力があれば、翼竜を地に堕とす事はきっと叶うはずだ」

地上に降り立った翼竜が、どれほどの戦闘能力を持つかは知れない。

だが、それは関係ない。

どんな力を持っていようとも、畏れるものか。

男「この剣が届くところまで翼竜が堕ちれば、あとは何としても仕留めるさ。…例え…」

女「…言わないで下さいっ!」

不意に言葉を遮られる。

そして彼女は俺の心の昂揚に対し、真逆の事を言った。

女「…怖いのです、翼竜と戦うのが」


男「な…何を言うんだ、あの竜はお前にとっても…」

何故ここまで来て怖気づくのか、俺には理解出来なかった。

しかし彼女が怯えていたのは、戦闘の恐怖そのものに対してではなかったらしい。

女「もう失いたくないのです!…あの竜に、大切な人を奪われるのは…もう嫌…です…」

男「……女…」

女「…貴方はきっと、私を隊列の後方に置くでしょう…?もし貴方が死んだら…私だけが遺されたら…私は、どうしたら…」

消えてしまいそうな声で、彼女は訴えかける。

だからと言って魔導士である彼女を隊列の前方に置くわけにもいかない、それは彼女自身も解っているだろう。

零れてこそいないものの彼女の青い瞳は涙を湛えていて、俺は言葉を詰まらせた。

女「それでも…貴方を止める事など、できないから…だから、せめて言わないで欲しいのです」

男「…解ったよ」

心にだけ誓おう、俺は必ず翼竜を仕留める。

そう…例え、この命に代えても。


それから後、女は無口だった。

蝋燭の灯りを消し、それぞれの寝床で横になる。

サイクロプス討伐の行軍の頃に比べれば季節も変わり、標高も高い所にいる為かなり寒い。

テントを二人で共にしても、毛布は一人用のものしかない。

例え背中合わせにでも一つの毛布の下で寄り添って眠る事は、王都を捨てたあの日からできていなかった。

男「…女、まだ起きてるか」

女「……はい」

ヴリトラとの戦いにおいても、死は眼前にまで迫った筈だ。

男「死なない…と、約束できなくて…すまない」

口先だけでそんな約束をしても何の意味も無い事は、彼女だって解っているだろう。


明日の夜はグリフォンによる移動を行う事になる。

慎重に…でも要所と定めた部分は速やかにパスしなければ。

果たして部隊の全てが安全に関所の向こうへ渡る為に、どの位の時間を要する事になるのか。

そして侵入した先がどのような地形条件なのか、それらは何も解らない。

女「……男さん…そっちに行っても、いい…?」

だから…だったのか。

もしかしたら、二人で過ごすのは今夜が最後になるかもしれない…彼女はそう思ったから、こんな申し出をしたのだろう。

男「…毛布、小さいから風邪ひいちまうぞ」

女「二枚をずらして重ねれば、平気です…」

言いながら、もう彼女は自らの毛布を握って俺の隣に跪いている。

男「…いいよ、おいで」


久しぶりに女の髪の香りが鼻をくすぐる。

そして女は背合わせではなく俺の側を向いて横になると、初めて自ら俺に口づけをした。

今までの数度よりも長く唇を併せ、その後はやはり俺の胸に顔を埋めて表情を誤魔化して。

数分して、ようやく顔を上げた彼女に『どうせ暗いから見えないのに』と言うと『ああするのが好きなんです』と、頬を膨らませて答えた。

男「…女、俺は…まだ言ってなかったな」

女「何をです…?」

男「俺を慕ってくれているんだろう?…俺もだ、お前を愛してる」

今度のはどうなんだろう、表情を隠しているのか…否か。

とにかく彼女は再度、俺の胸に顔を埋めた。

そしてその夜、俺達は初めて互いに向き合いながら、彼女を抱き寄せたまま眠りについたんだ。

歯が浮いてどっかいった
おやすみなさい


………



傭兵長「総員、整列!」

翌日の日没前、野営地の中央で傭兵長の号令が響く。

月の部隊23名と白夜の騎士8名、幼馴染や時魔女をあわせて30余りという小規模だが精鋭が集った我が隊の面子が俺に正対した。

男「…これより関所を越え、西の台地へと向かう。多くは無い兵数だが、諸君らは一騎当千の強者であると俺は信じる」

七体のグリフォンが既に人員の搭乗準備を整えて待機している。

残り一体のグリフォンとそれを駆る騎士一名は、この野営地に残してゆく備品や馬を管理しながら待機させる事とした。

万一、関所近辺で何か大きな動きがあった場合の伝令役も兼ねての役目だ。


男「西の台地の地形はおろか、どのような魔物が存在するかも不明だ。翼竜が潜むとすれば、それもいつ遭遇する事になるかも知れん」

多くの装備品を持っていくつもりは無い。

関所を越え地に降りても暗闇の中だ、恐らく野営を張る事はできまい。

男「しかし、今まで翼竜が夜間にどこかを襲撃したという例は無い。その頭上を飛ぶような事が無ければ、今夜の内に戦う事にはならないだろう…」

複数人が搭乗し負荷をかければ、グリフォンの一度に飛べる時間は20分程度。

夜間の内に幾度かの休息を経て、できるだけ関所から離れた安全性の高い場所を探して、夜明けまで待機する事となる。

もっともそのような場所があるかどうかも解らないのだが。

男「決戦は明日の朝以降となろう。だが決して気を抜くな、これより先は常に翼竜の顎が眼前にあると思え!」

あの速さを誇る竜に出会えば、そこで悠長に作戦命令を伝える事などできない。

俺は傭兵長と騎士長と共に決めた戦闘における体制を、部隊の各員に今この時点で命じてゆく。


遭遇した時点でグリフォン隊が翼竜を包囲、遠巻きに威嚇しつつ可能な限り動きを阻害する。

射程高度に翼竜を降ろす事が叶えば、弓兵と幼馴染による矢の掃射と女の魔法攻撃を開始し、その翼を弱体化。

翼へのダメージが蓄積し、動きが鈍ったところを時間停止で縛り、グリフォン隊による直接攻撃で翼を完全に潰す。

おそらく翼竜の鱗も堅い、しかし蝙蝠のそれのような鱗をもたない翼を騎士団の槍で裂く事は叶うはずだ。

そして翼竜を地に落とせば、地上部隊で包囲攻撃をしつつ俺が剣で止めを刺す。

ヴリトラ戦のような失敗はしない、何としてもこの手でその心臓を裂いてみせる。

男「…基本的な作戦は以上だ。しかし想定外の事態も在り得る、その際は諸君ら各自の判断に任せる事となろう」

描いた通りに進まない可能性はあるが、それでも翼竜を相手とするに相応しい手勢は揃っている。

勝算は相応にあるはずだ。


男「…成したところで誰が讃える事も無い戦いかもしれん。しかし、我々が翼竜を討つのは賞賛や褒賞を求めての事では無い」

俺の両親、幼馴染の父親、女の兄、そして白夜王の仇を討つ事。

男「諸君らの武勇は全てこの俺が見届けよう。その勇姿は生き残った者の胸に刻まれ、語られるだろう」

そして今まで翼竜が齎してきた悲しみに報い、もう二度と繰り返させない事。

男「讃えられる事は無くとも、いつか人々が伝えよう…翼竜を討ちし、勇猛なる隊があったと」

そのために俺達は、竜を堕とす。

男「その名は、月影の師団…我々の名だ。決して忘れるな、あの世で同じ名の元に集おう。…騎士長、グリフォンは」

騎士長「…いつでも」

男「では、征こう」

俺は傭兵長に目を遣った。

彼が強く頷く、そして。

傭兵長「総員、グリフォン搭乗!臆するな…!目指すは我らが望んだ死に場所ぞ!」

月影は今宵、地上に在らず。

それは紺碧の空に舞う。



第二部、おわり


次の三部で終わるか、ちょい残るか

支援さんくす
本編でそれを書くととんでもない長さになりそうだからこういう構成にした
完結後、余力があれば過去のサイドストーリーとして書きます



第三部、はじまりー


.


関所から離れた険しい山を越え、グリフォンの編隊は西の台地を目指す。

星明かりにうっすらと浮かぶ山岳の尾根、彼方に横たわり三日月の光を縦長な帯として映す海。

初めて空から眺める大地は、例え夜の景色であっても目を奪った。

男「…降下してるな」

時魔女「もうそろそろ飛び立って20分経つだろうから、いったん降りて休憩かな」

幼馴染「真下は真っ暗に見えるから、森なのかな…?降りられるところ無さそうだけど」

開けた場所を探して旋回するグリフォン。

少しして針路をとった先には、漆黒に沈む森の中にあってそこだけ星明かりを反射する部分がある。

最初小さな池だと思えたその場所は、近付いてみれば直径半マイルはあろうかという湖だった。

やはり上空から、しかも夜間では大きく感覚が狂うものだ。

湖畔にはなだらかな砂利の浜辺があり、グリフォンの編隊は静かにそこへ降り立つ。


暫し翼を休めるグリフォン達は、湖面に嘴を浸け水を飲んでいる。

その湖の背景、森の彼方に仄かに見える一定の高さで水平に続く稜線こそ、西の台地に違いない。

男「…ついに禁足地に入ったのだな」

果たして翼竜が潜むのは台地の上か、この裾野か…

幼馴染「まだ関所の向こうってだけで、禁足地なのは台地の上じゃないの?」

男「揚げ足とるなよ…入っちゃいけねえんだから、禁足地の内だろうが」

時魔女「『ついに禁足地に入ったのだな…』だって、間違ってんのに格好つけてたよー」

どうも幼馴染と時魔女にかかると緊張感が薄れる。

飛び立つ前の話、ちゃんと聞いてくれていたのだろうか。

男「はいはい、俺が間違ってました…」

だがここでそれを咎めたりすると、決まって屁理屈に丸め込まれるのだ。

俺はあえて気にせず、探索に向けての話をしようと騎士長の元へ向かった。

男「騎士長、ちょっといいか。今後の事だが…」


男「グリフォンは負荷状態で一度に20分の飛行をして、次の飛行までどの位の休息が必要だ?」

騎士長「同じだけも休めば飛べるが…あまり多く繰り返せば次第に飛べる時間は短くなるな」

男「まだ遥かに見える台地の稜線だが、今夜中にあの裾までは飛べるだろうか」

暗くてよく判らないながらも、見渡す裾野に翼竜が潜めるような地形は少ないと思われた。

ならば可能性が濃いのは、台地周囲の起伏に富んだ範囲だろう。

騎士長「それは問題ない。山岳を越える際はかなりの高度を飛んだが、これからは低空を飛ぶ方が安全でもある」

男「飛ぶ高度によって何か変わると…?」

騎士長「高高度では空気が薄くなる故、グリフォンの体力消耗も早くなる。これからの低空飛行では倍も速度が出せましょう」

僅か二十分で山岳を越えたあの速さの倍とは、恐れいった。

さっきは景色を見る事に気を奪われ忘れていたが、今度こそ船酔いの状態を覚悟しなければならないかもしれない。

男「できれば暗い内に裾まで進み、夜明けの薄明かりで一度台地の上を見ておきたい。どこに腰を据えるかは、そこで決めよう」

騎士長「それで良いでしょう。地形を把握した上で、どこで翼竜を迎え討つか定める…賢明ですな」


男「じゃあ、そういう手筈で行こう。グリフォンの休息が充分になったら、教えてくれ」

騎士長「承知した」

男「…では、騎士長も出来るだけ休んでくれ。ただ乗せてもらっているだけの俺達よりは神経をつかう分、疲れるだろう」

騎士長「何、どうという事はない…。それより、男殿…ひとつよろしいか」

既に振り返り、女達の元へ歩もうとしていた俺を騎士長が呼び止める。

男「…何だ?」

騎士長「本来なら大切な戦いを控えた今、話すような事ではないかもしれないが…」

少し言い難そうな話し方、まだ付き合いは浅くとも彼らしくないと思った。


男「幼馴染の事…か」

騎士長「…聞いておられたか、お恥ずかしい」

男「聞いているのは掻い摘んだところだけさ」

騎士長「知っておられるなら単刀直入に言おう。私は翼竜を討った暁には、再度…幼馴染殿に求婚をするつもりだ」

男「…なるほど、随分と惚れたものだな。だがその事は俺に断る必要は無いよ」

騎士長「…男殿に妻があると聞いた時は驚き申した。本当は一度、貴殿と決闘をする覚悟であったのだが」

男「はは…怖い事を。俺は翼竜を倒した後は、妻の為にも死ぬわけにはいかん。だが、模擬戦ならばいつでも受けよう」

騎士長「翼竜を倒した後は…か。相当な覚悟をもって竜に挑むおつもりなのだな」

男「…命を賭して、そう言うと妻に怒られてしまうけどな」


男「…まあ、この話は後だ。戦いが終われば存分に聞くさ。出来る事なら、俺もあいつには幸せになって欲しい」

全ては翼竜を討った後の話だ。

俺が女を本当に妻とするのも、騎士長と幼馴染がどんな道を歩むのかも。

逆賊となった俺達が、どこに身を寄せるか…それも今考えたところで仕方の無い事。

死地を目指そうとするなら、その先の未来を想い過ぎる事は枷にしかなるまい。

騎士長「もう、休息は足り申した。いつでも飛びましょう」

命を賭して挑む。

でもそれは死ぬ事を望むわけではない。

俺にその先を想う権利はあるのか、それを知るために。

男「…行こう。未来を想うのは生き残ってからで、遅くはあるまい」


………



それから数度の休息を経て、遂に台地の麓へと降りる。

夜空の星が巡る位置を考えれば、思う以上に早い時間に着けたようだ。

まだ夜明けまでは三時間ほどもあるだろう。

少し森から距離をとった平原、見通しの効く場所を仮の陣地と選び、幾つかの控えめな焚き火を起こした。

毛布などの荷物は持ってきていないから、各自その火の周りで待機する。

男「夜明けまで交代で見張りだ。グリフォン隊は夜間飛行で疲れた事だろう…残りの者を二手に分けろ」

傭兵長「解り申した、では…」


昨日は日中これといって動いてはいないが、さすがに深夜も過ぎれば眠たくなるのも無理はない。

隊員達は焚き火の周りで、座ったままうつらうつらとしている。

しかし俺は翼竜戦に向けて気が張っているのか、なかなか寝つく事はできずにいた。

男(でも、少しでも寝て万全を期さなきゃな…)

隣で目を閉じ、時折舟を漕ぐようにしている女。

不思議なものだ、こうして彼女の穏やかな横顔を見ているだけで、張り詰めた気分が和らいでゆく。

次第に俺の意識も、眠りの淵へと落ちていった。

………


男(…ここは…?…暗い…空が暗いのか)

『……大丈夫です……』

男(…この声は…女……?)

『私は男さんの妻…でも』

男《…女、どこにいる。何を…》

『…それは形式上の事ですので』

男《…女……どうした、誰と話しているんだ》

『ごめんなさい…男さん』

男《聞こえないのか?…女、何を言っている…》

『貴方の妻となれない事…お許し下さい…』

男《おい、女…!》

『私は……………の妻となります』

男《…待て…どういう事だ…!?…女……女っ…!》

……………
………



女「…さん!…男さん!」

男「女…!う…ぅ…ん?…あれ?」

女「どうされたのです?…すごくうなされていましたけど。もう夜明けですよ」

目を覚ますと女の顔が目の前にあった。

冷えた明け方だというのに、俺は額に汗をかいている。

男(…なんだよ、今の夢は)

戦いに備えるつもりだったのに、妙な夢のせいでちっともすっきりとしない目覚めになってしまった。

男(女が俺を捨てて、違う者と結ばれる…か)

もし俺がこの戦いで死ぬのならば、当たり前の話かもしれない。

そうでなければあり得ない…と、信じたいが。

ひとまずここまで
必ず完結はさせるつもりですぞ

今夜はリアルでてーいしてくるので、更新できないかもですが

腐れ縁のヤローと釣行です
瀬戸内はまだ全然大丈夫、メバル狙ってきます


グリフォン隊は既に整列し、来るべき決戦に向けて待機している。

他の隊員達も言葉少なく、その闘志を研ぎ澄ましているようだ。

男「騎士長、予定通り薄暗い内に一度台地の上を見ておきたい」

騎士長「ああ、私のグリフォンの鞍を複座としてある。すぐに乗って頂こう」

男「傭兵長、すぐに戻る。暫く指揮を引き継いでくれ」

傭兵長「承知した。何かあったら、幼馴染殿の炸裂の矢を上空に射って頂きましょう」

台地の上、定められた本当の禁足地。

足を下ろす訳でなくとも、そこを見た者など今の世に存在するのだろうか。

俺は騎士長と共にグリフォンの背に乗り、薄っすらと青みを帯び始めた空へ舞った。


男「何だ…これは」

台地の上を見た最初の感想は、予想外という表現しかつけられないものだった。

騎士長「なんという…このような地形があり得るのか」

男「あまりに異様だな…自然の摂理によって、こんな形状になるとは思えん」

何も無い、それが最も相応しい表し方だろう。

まるで山を巨大な刃で削ぎ落としたかのような、真っ平らな地形。

高さは500フィート、直径は5マイルほどだろうか…比較できる構造物が何も無いからそれもあやふやではあるが。

これだけの面積が受ける雨も馬鹿になるまいに、何故か台地上には湖はおろか小川すら無い。

それどころか木々の姿も目立った岩も、窪みや丘のひとつさえも無く、まるでテーブルの様な人工的な平坦さ。

しかしこのような真似を人間が出来るとも思えなかった。

男「少なくとも翼竜を迎え討つに相応しい地形ではないな…」

騎士長「身を隠す場所すら無いのでは、有利とは言えますまい」

男「ただ、見張りを置くには優れているな。ここにグリフォンを数体配置すれば四方全て……」

その時、視界の端の空に閃光が映った。


男「幼馴染の矢だ…!何かあったか!」

騎士長「男殿、手綱をしっかりと持ってくれ!飛ばすぞ…!」

ものの十数秒、全速のグリフォンが戻った先に見えたのは、夥しい魔物と交戦する隊の姿だった。

騎士長「馬鹿な…!こんなに竜が…!」

その魔物の全てが、竜族。

翼を持つ飛翔竜、地を這う脚竜など幾種もの竜が隊を囲んでいる。

これらの雑多な竜は、個々のつよさとしては七竜には遠く及ばない。

しかしそれでも竜族は強大な魔物として怖れられる存在。

それがこんな数で群れをなすとは、信じ難い光景だった。


騎士長は飛翔竜の間を掻い潜り、俺を地に降ろすと長槍を構えて再び空へ飛んだ。

幼馴染「男…!時魔女ちゃんと女さんのところへ…!」

男「解った…!」

女達は台地の崖を背に、赤い肌の竜と対峙している。

俺はそこへ駆けながら、間を阻む蛇の様な竜に切りかかった。

男「女…!少し凌げ…すぐに行く!」

女「はい…!」

彼女の凍結魔法が赤竜の身体を捉える。

威力を思えばやけに詠唱が早いのは、時魔女が時間加速を彼女に施しているからだろう。

本当なら翼竜戦まで魔力や弓兵の矢はできるだけ温存しておきたいところだが、この状況では止むを得ない。

男(くそ…トリガーを引く訳にはいかん!)

しかし七竜の鱗を裂けるこの剣の特殊効果は、肝心の一戦までとっておくべきだろう。


男「くたばれ…!!」

数度の斬撃により動きの鈍った竜の首を狙い、渾身の一撃を浴びせる。

喉元を大きく裂かれた蛇の竜が青い血を吹きながら地に崩れた。

男「女!大丈夫か…!?」

彼女らの方を向き直ると、赤竜が力無くその胴を地に擦っている。

女「終わりです…!」

瞬時に現れる雷雲、青白い稲妻。

俺が向かうまでもなく、彼女達は赤竜を仕留めた。


男「さすがだな…!だが出来るだけ魔力は温存してくれ!」

女「この程度、何と言う事はありません」

時魔女「女ちゃん、かっくいい!」

息があるかは知れないが、数名の隊員達が地に伏せている。

飛翔竜はグリフォン隊が引きつけてくれているらしく、地上を襲ってはこない。

男(これ以上、兵は減らさせん…!)

傭兵長「隊長殿!一体、行きましたぞ…!」

鰐のような体躯をした脚竜が、似合わぬ速さで俺に迫る。

男「来い…!切り伏せてやる!」


少しずつ視界が鮮明になってゆく、太陽が地平から覗き始めたのだ。

そして不意に戦場に射すその白い光線が揺れる。

それと同時に歩みを止め、その身を竦ませる脚竜。

男(何だ…?)

その竜だけで無く、空に舞う飛翔竜も含めた全ての竜が身体の向きを変え森へ、あるいは空の彼方へと散ってゆく。

幼馴染「どうしたの…急に」

また、太陽の光が陰り揺れた。

男(何かに怯えていた…まさか…)

上空から騎士長の声が響く。

騎士長「男殿…!東だ、朝日を背に…!」

眩い旭日に浮かぶシルエット、悪魔のような蝙蝠の翼。

竜達が怖れ、道を開けた主の姿がそこにあった。

男「来たか…翼竜…!!」


数名でも兵は失われた。

多少なりとも魔力や矢を消費してはいる。

迎え討つと呼べるほど体制が整っているわけではない。

男「…多くは言わん!」

それでも背後にする台地の崖には身を潜められるところは幾らかある。

あのまま雑多な竜に人員を削られる事を思えば、今挑む事は不利ではない。

男「総員…!健闘を祈る!…そして」

瞬く間に翼竜が接近する。

先ほどまでの乱戦に気付いていたのか、真っ直ぐにこちらを目指している。

男「…生き残れ!竜を堕とし、互いの肩を抱こうぞ!」

隊員「おおおおぉぉっ!!」

グリフォン隊がV字編隊を組み、翼竜を迎える。

速度を落とし、咆哮を上げる翼竜。

その瞳は、敵意と紅き光を湛えていた。


グリフォンが翼竜を取り囲むように散開する。

翼竜の高度のやや上、翼の周囲でその動きを阻害するように。

数体はわざと視界に入りその注意を引き、死角から別のグリフォンが翼の付け根や喉元を狙って突入を繰り返す。

男「上手い…既に高度が少しずつ落ちている」

二体のグリフォンが交差するように翼竜の喉元を目指した。

弓や魔法の射程に捉えるには、まだ幾らか高度を落とさせなければならない。

竜の死角、頭上から急降下する一体。

他のグリフォンにも増して動きが鋭い、おそらく騎士長の駆るものだろう。

そのまま速度を槍撃に乗せて、頭の付け根に刃をたてる。

硬い鱗の隙間を突いたか、青みの強くなった空に赤い鮮血の飛沫が舞った。


がくん…と、竜が高度を落とす。

身を捩り、斜め下方に逃れようとしたかに見えた。

しかし数体のグリフォンがそれを追ったその時、一瞬身を竦めた翼竜は身体を捻り、驚くべき速さで反対に向き直る。

予想外の動き、即座に散開するも一体のグリフォンがその眼前に取り残された。

時魔女「あ…!」

幼馴染「だめ…回避が間に合わない!」

延べられる翼竜の首、避ける事が叶わず顎に囚われるグリフォン。

鷲の羽根が空に散り、その胴体が千切られる。

騎士「は…ははっ!これは…亡き先王からの…預かり物だっ…!」

虜の騎士が力を振り絞り槍を突く。

顎の中へその切っ先を抉り込むと、翼竜は小さく呻くような鳴声をあげた。

また空に霧の様に吹いた鮮血は竜のものか、勇ましき騎士のものか。

力を失ったグリフォンと引き裂かれた騎士の身体が木の葉のように舞い落ちる。


男「…見事だ、白夜の騎士!弓兵、掃射準備!彼の者に報いるぞ!」

弓兵「はっ…!!」

痛みに動きを鈍らせた翼竜、その背後からまた二体のグリフォンが翼の付け根に突入した。

翼竜の高度が更に落ちる。

幼馴染「炸矢ならもうダメージは与えられるわ!」

男「一時グリフォンを退避させなければならん!合図として少し離したところを射て!」

幼馴染「解った…!いけっ!」

翼竜、そしてグリフォン隊から50ヤードばかり離れた空中で矢が炸裂する。

高度的には充分に届いているようだ。

男「すぐに次を射るんだ!今度は喰らわせろ!それから時魔女…!」

時魔女「もう始めてるよ!…時間停止モード、コンバート完了…目標ロックオン!」

幼馴染「炸矢…複式!」

グリフォンが少し距離をとった、その隙に翼竜は空域を逃れようと大きく翼を広げる。

その翼下、数本の矢が閃光と轟音をもって炸裂した。

羽ばたきを阻害され、バランスを崩す翼竜の巨体。


男「弓兵!掃射はじめっ!…女!雷撃魔法を準備しろ!」

女「はいっ!」

矢の弾幕が翼を襲う。

しかしバランスを失いかけた竜は、空中に踏みとどまるために翼を閉じる事ができない。

蝙蝠のそれに似た翼が、矢に射られ穴を穿けられてゆく。

女「詠唱終わりました…!放ちます!」

翼竜の頭上、覆い被さるような雷雲が現れる。

女「堕ちなさいっ!翼竜…!」

自然の稲妻にも遜色の無い、目も眩むほどの落雷。

翼竜は長い首を反らせ、その体躯を痙攣させている。

それでも堕ちまいと更に大きく、三対の翼を全て重ならないように広げきった。

まさに今、この時、この機を逃すわけにはいかない。

時魔女「時間停止…発動っ!!」

俺の指示を待つまでもなく、時魔女がその能力を解放する。

刹那、翼竜は空に縛られた。


グリフォン隊が再び一斉突撃をかける。

槍によって切り裂かれてゆく翼、動けない翼竜。

一度の突入で一対の翼は既に風を受けられないであろう程に破れている。

時魔女「もう堕ちるかな…!?今、時間停止を解けばまたすぐにチャージできるよ!」

まだ時間停止を発動して数秒。

地上に堕ちた翼竜の動きを縛る事が可能なら、勝利は見えたも同然だろう。

空中で止まった竜の体勢は著しくバランスを失ったものに見える。

おそらくもう、竜は堕ちる。

男「…解除しろ!」

時魔女「了解っ!」

動きを取り戻した竜が、傾き、失速する。

散る血飛沫、翼の破片。

大空を我が物と君臨した、あの翼竜ワイバーンが堕ちてゆく。


逆さを向いた翼竜は、鈍く鳴いた。

空を司る七竜が、たかが小さな人間に堕とされる…さぞ屈辱的だろう。

その右瞳は、怒りに満ちた色をしているに違いない。

大地を震わせる轟音。

砂煙を巻き上げ、遂に地についた竜。

翼と脚を使い、必死で体勢を起こそうともがいている。

男「時魔女!いけるか…!?」

時魔女「もうちょい…!コンバート…完了っ!」

俺はごくりと唾を飲み、剣のトリガーを引く。

真っ直ぐに竜の目を見据えて、駆け出した。

傭兵長をはじめ、地上部隊の総員がそれに続いている。



《充填開始》


この時が、来たのだ。


《…10%…》


男「女!凍結魔法の詠唱を始めておけ!」

女「はいっ!」


《…30%…》


両親の、そして仲間達にとって大切な人々の仇を。

傭兵長「いいザマだ…翼竜め!」


《…50%…》

.


時魔女「目標ロックオン…!」

幼馴染「父様の仇…!今こそっ!」


《…70%…》


翼竜を討ち、復讐を誓う日々を終わらせる。

新たな明日を、今を生きる大切な者と共に想えるように。


《…90%…》


時魔女「時間停止、発動っ!」

再び翼竜を時間停止の呪縛が襲う。


《…100%…》


…しかし。


翼竜の周囲に突如、青い魔方陣が現れる。

男「何っ…!?」

聞いた事はある、あれは高位の魔導士が使うという拒絶魔法に違いない。

時魔女「アンチスペル…!まさか!さっきの一度で時間停止を解析したの…!?」

一度受けた魔法を拒絶する、守護魔法の最上級術のひとつ。

そのような魔法を竜が使うなど、あり得ないはずだ。

男「ふざけるなっ…!!」

しかし現実に目の前で時間停止は翼竜に拒絶された。

既に竜はその身を起こし、怒りの咆哮をあげている。

男「くそ…そのまま首を落としてやるっ!!」

女「男さん…!戻って下さいっ!」

呼び戻そうとする女の声、しかし止まるわけにはいかない。

時間停止を二度使うために、翼は最低限の破壊にとどめた。

一度はバランスを崩し地に堕ちた竜も、このままでは再び空へ昇るに違いない。

果たして、間に合うか。


しかし次に翼竜がとったのは再度の飛翔でも、直接の攻撃でも無かった。

竜の周りにまた現れる、今度は黒い魔方陣。

女「いけない!それはっ…!」

翼竜を中心に、黒い波動が円形に広がる。

それは俺を含む接近していた兵の全てを飲み込んでいた。

そして続いて円の中心から広がるように、地面の草が一瞬で枯れ朽ちてゆく。

男(即死魔法…!)

幼馴染「男!逃げて!」

ぎりぎりで効果範囲の外にいる幼馴染が叫ぶ。

男(畜生…!剣の闘気充填は完了してるのに!)

僅かな迷いは俺に引き返すタイミングを失わせていた。


傭兵長「隊長殿…!!」

目の前に駆け寄った傭兵長が俺を思い切り突き飛ばす。

転がるように即死魔法の効果範囲を脱した俺が、もう一度前を向いた時。

そこには膝をつき、いつもの憎らしい笑みを浮かべた傭兵長の姿があった。

傭兵長「ああ、実に善き死に場所を見つけ申した…」

男「傭兵長っ!」

既に彼は枯死した草の中にいる。

地に突いた剣で上体を支え、それでもゆっくりと目を閉じてゆく。

傭兵長「…おさらばです…隊長…殿…」

にたり…と、笑んだまま彼が崩れ落ちる。

昨夜は寝落ち失礼
危うくこの流れに釣りロマンを誤爆するとこだったぜ


男「傭兵長…」

まただ、あの時と同じ。

俺は自らの不甲斐なさ故に副官を失った、しかし。

男「翼竜っ…!」

まだ剣の充填は生きている。

副官の死を無為にしないためにも、俺はこの剣を振るわなければならない。

男(仕留める…必ず!)

羽ばたこうとする翼竜に駆け、俺はその胸を渾身の力で突いた。

刃は鱗を貫き、その刀身の全てを竜に抉り込んでいる。

男「おおおおぉぉぉっ!!」

トリガーを解放し、そのまま竜の体内であの光の刃を放つ。

翼竜が大きく咆哮をあげた。

その背中の鱗が幾らか吹き飛び、そこから斬撃の青白い閃光が洩れている。

竜の身体はその内側から切り裂かれたはずだ。


剣を抜き、俺は後ろのめりに倒れ込んだ。

翼竜は目の前で、翼を広げたまま悶え苦しんでいる。

男「く…なぜ…死なんっ!?」

手応えはあった、あれで生きていられるわけがない。

なのに何故、翼竜はまだ力を失わないのか。

その傷口から赤い血と共に黒い霧のようなものが吹き出している。

そして翼竜はぎこちなくも翼を羽ばたかせ、その身体を浮かせた。

グリフォン隊が再び攻撃を仕掛けようとする。

しかしその時、翼竜とグリフォン隊との間に火柱が立ち昇り、それを阻害した。

一体のグリフォンがそれに呑まれ、墜落してゆく。

幼馴染「まだ魔法が使えるの…!?」

ぐらつきながらも飛び去る翼竜。

それを見ながら、誰もなす術が無かった。


だが翼竜は遥かな空に消える事は無かった。

太陽が昇り視認できるようになった台地の崖、そこに口を開けた大きな洞窟へと逃げ込んでゆく。

まさか目の前だったとは、あれが翼竜の巣に違いない。

騎士長「追いましょうぞ!洞窟の中では翼竜も身動きがとれぬはず…!」

魔法を使う相手に洞窟で戦いを挑めば危険も伴うだろう。

しかし翼竜の飛翔能力は殺せる。

これは最後のチャンスだ。

男「女…!肩を貸してくれ…追うぞ!」

女「はいっ!」


洞窟へと足を踏み込む。

入口付近に竜の姿は無い、更に奥か。

時魔女「すごい大きい洞窟…ランタンの灯りが天井まで届かない」

しかし少し進んで違和感を覚える。

男「…何故だ、所々が人工的に加工されている」

女「………」

階段状になったところ、側壁が石積みの様相を呈している部分。

古代の遺跡に竜が住み着いたと考えるべきか…それとも。


女「……嫌な、予感がします」

男「…どういう事だ?」

女「拒絶魔法…即死魔法、いずれも…」

女は酷く不安そうな顔をしている。

その先を言うのを躊躇い、それでも迷いを払うように小さく頭を横に振って。

女「…私の兄が、得意とした魔法なのです……」

何故、あの砂漠での翼竜の瞳は紫色に染まっていたのか。

紅いはずの竜の右瞳、その紅を紫に染めるために必要な色は。

女「…あの翼竜は」

俺を見つめる彼女の瞳のような、美しい青色…


???「動くな…!」

その時、不意に視界が照らされ何者かの声が洞窟に響き渡った。

声は頭上から聞こえている。

そして辺りを照らす松明の灯りもまた、上からのものだ。

翼竜が巣とする洞窟で、人間の声を聞く事になるとは。

男「何者だ…?」

???「ようこそ…男殿。いや、反逆のドラゴンキラーと呼ぶべきか…?」

松明の灯りが逆光となり、その姿がはっきりと判らない。

しかし聞き覚えのある声だと思った。

女「あれは…!」

先に女が気付く、それはその声と姿を俺より長く見ていたからだろう。

女「大臣…貴方なの…!?」

月の大臣「逆賊の妻などと、辛い役回りをさせましたな…皇女。もう暫くの辛抱でございますぞ」

ここまでー

すまぬ
はよ投下できるようにまとめる


石積みの壁の上にはどう見ても人工的な広い祭壇がある。

大臣と十数名の兵は、そこから俺達を見下ろしていた。

男「何故…あんたがここにいる」

月の大臣「ふん…それはこちらが訊く事だ。どうやって関所を掻い潜った…」

男「…さあな、答える義理は無い」

祭壇へと上がる道は無い。

そこへ上がるには別の入り口があるのだろう。

洞窟は更に奥へと続いている、この先の暗がりに翼竜はいるのか。

月の大臣「自分の立場が解っていないようだな」

大臣が手を上げる。

隊員「ぐっ……!」

男「おい…!?」

俺の隣にいた隊員が身を屈する。

その胸には深々と矢がたっていた。


暗がりで判らなかったが、大臣の横に列ぶ兵は弓を構えていたのだ。

男「…どういうつもりだ!」

月の大臣「武器を捨てろ、話はそれからだ」

男「……くっ…」

俺達が武器を地面に置くのを確認して、大臣は語り始めた。

月の大臣「…我々はここに何人たりとも近付けるわけにはいかなかった。ここは我が国の最重要軍事機密である施設だからだ」

男「軍事機密…だと。まさか、翼竜を…」

月の大臣「そのまさか…だ。我々は翼竜を制御する事に成功した。ある優秀な魔導士の命と引き換えにな…」

女「まさか…兄上…」

月の大臣「はっはっ…察しが良い。その通り…女兄殿の事だ。奴は魔物の意志を支配する術を習得し、竜に喰われる事でそれを発動させた」


時魔女「魔物を支配するって…それは落日の国が開発した禁呪のはずだよ!」

月の大臣「おや…まさか貴女は星の国の時魔女殿か。その隣にいるのは白夜の騎士、なんと…旭日の兵までいるではないか」

表情は窺えなくとも、大臣が卑屈に笑っている事は判る。

この場に他国の彼らがいる事を、政治的に利用しようと考えているのだろう。

月の大臣「なるほど、関所はグリフォンで越えたか…これは白夜による重大な侵犯行為に違いない」

騎士長「ふざけるな!貴様らが操る翼竜に我が王都は襲撃を受けたのだぞ!」

月の大臣「ふん、何を訳の解らない事を。そのような事があったとしても、それは翼竜が無制御下で行った事だ。…我々の知るところではない」

再び大臣が手を上げる。

男「よせっ!」

白夜の騎士「うぐっ……!!」

また一人、今度は白夜の甲冑を身につけた隊員が地に伏せた。

月の大臣「何も貴様らを生かしておく必要は無い。白夜の甲冑を着た、騎士の死体…それで充分なのだからな」


女「やめなさい…!」

月の大臣「皇女、もう良いのですぞ。そのままその下賤の者から離れ、待っておりなされ」

女「ふざけないで!私は男さんの妻…この方達は私の仲間です!」

月の大臣「なんと嘆かわしい…本当にそのような者に情を移しておられるとは」

女が小さな声で詠唱を始める。

しかし事も無げに大臣は「無駄だ」と言い放った。

月の大臣「この祭壇上はあらゆる魔法を拒絶する。それと、さっき貴様らが通ってきた間にも同じ祭壇は複数存在し、そこにも兵を配してある。…逃げようなどとは思わぬ事だ」

状況は絶望的だった。

どうせ大臣は我々を全員殺すつもりなのだろう。

女にしても生かしておくか解ったものではない。

死人に口無し、そう考えたのだろう大臣は饒舌に真相を語った。


七年前、女の兄は討伐隊を装いこの台地に赴いた。

そして竜に喰われ、その意志を内面から支配したという。

それを彼が了承したのは、妹である女を護るためだった。

彼がその命に従わなければ、その時まだ15歳だった女を落日の国へ政略結婚に送る…そう脅したというのだ。

翼竜を支配する理由は、もちろん強力な兵器として利用するため。

しかし優秀な魔導士であった女兄の力をもってしても、その制御は難しいものだった。

しかも時間を追うごとにその支配力は薄れていき、今ではこの巣穴で翼竜が眠る内に兄の意識を呼び出すしか命令を伝える方法は無いという。

翼竜はおよそその命令に従うが、予測範囲を超えた行動をとる事もある。

次第に兵器としての利用価値は薄れていき、他国を攻める際の実用には至らないまま既に捨て置かれた存在となっているらしい。

しかしこの事が明るみになるのは月の国にとって都合が悪い。

特に翼竜を実用化できなかった代わりの戦略として、砂漠開発による国力増強を狙う今だから尚更の事だった。

他国につけいる隙を与えたくなかったのだ。


月の大臣「疑問は解けたか?…冥土の土産くらいにしかならんだろうがな」

男「…この人で無しめ、自分の国が強くなるためなら何をしてもいいのか!?」

月の大臣「その通りだ、解り切った事を訊くな。よし、やれ…ただし皇女だけは殺すな」

月の兵「はっ…!」

月の大臣「オンナ共は上手く手足を射るのだぞ。くっくっ…死体とまぐわってもつまらん」

頭上の兵が弓を絞る。

逃げる術も、反撃の術もない。

月の大臣「まずは用済みのドラゴンキラー殿を黙らせろ」

俺を目掛けて、矢が放たれる。

女「男さんっ…!」

咄嗟にそこへ、割り込んだ者は。

男「女…!」

俺を庇い、女が矢に倒れる。

彼女の背中、白いローブに鮮血が滲んでいた。

ここまでー
ここらへんのシーン、どこで切ってもだめだった
早くイチャイチャさせてーなあ…


男「女っ!…くそっ、しっかりしてくれ!」

女「…男さん、逃げ…て…」

何故だ、どうして傭兵長も女も俺を庇って倒れなければならない。

俺に、翼竜を討つという想いを果たさせるためか。

でもそれは大切な人を失ってまで果たす価値があるのだろうか。

『殺すな』と命じられた女を射ってしまった事に怯んだか、矢を射る手は暫し止まっている。

男「…死ぬな…女…!頼むから…!」

女「……早く…男…さん…」

急所は僅かに外れている、まだ女に息はある。

すぐにでもこの窮地を脱せば時間逆行で女を救えるかもしれない。

そのためには時魔女を護らなければ、女にこれ以上の深手を負わせないよう努めなければ。

男「時魔女!祭壇の真下…矢の死角へ逃げろ!」

時魔女「うん…!」

男「幼馴染お前もそこへ…女を頼む」

幼馴染「男…どうするつもりなの!?」


翼竜への剣撃の余韻でまだ足はおぼつかない、この状態では矢から逃れる事はできまい。

それでもいい、俺はここから動かない。

男「残りの者は洞窟の奥へ…!松明の灯りの外へ身を隠すんだ!」

大臣が必ず俺達を呼び止めるつもりだったなら、更に奥には兵を配置してはいないはずだ。

ここからは翼竜の息遣いなどは聞こえない。

松明の灯りから逃れる程度奥へ進んだところで、まだ遭遇はしないと思われた。

月の大臣「馬鹿め、しょせん時間稼ぎにしかならぬものを…竜と我らの挟み撃ちにあいたいか!」

動き始める隊員に向かって次々と矢が射られる。

しかし残る全員が無事とはいかなくとも、全滅もあるまい。

時魔女達は祭壇の真下に達し、僅かな壁の窪みに身を隠している。

幼馴染が女から矢を抜き、時魔女は既に魔力の変換を開始しているようだ。

俺は足元の剣を拾った。

男(騎士長、幼馴染…翼竜を討つ事は任せるぞ)

命を賭すべきは復讐ではない、そう俺は気付いたんだ。



《充填開始…5%…10%…15%…》


まだ体力は戻りきっていないらしく、充填の速度は遅い。

それでも砂漠での再充填時に比べれば、一度目との間が幾分か開いているだけにマシなペースだ。


《25%…30%…》


隊員達は数名が矢に倒れたが、残りの者は一旦暗闇に脱する事が叶ったようだった。

故に、祭壇上の兵の注視は残る俺に向く事となる。


《40%…45%…》


月の大臣「貴様っ!何をしようとしている!」

俺はできるだけ身を縮め、的を小さくするよう体勢をとった。

剣を頭上に渡し、少しでも頭部を庇いながら。



《50%…55%…》


矢が雨のように注ぐ。

肩にたち、太腿にたち、激痛が俺を襲う。

怯むものか、剣の充填が達した時にそれを薙ぐ力さえ残っていればいい。

祭壇を切り崩し、奴らをここに引きずり降ろす事さえ出来れば、あとは闇に潜む隊員が何とかしてくれる。


《60%…65%…》


頭上の剣に矢が当り、鋭い金属音がたつ。

続いて左の肩口に強い衝撃と熱いような感触を覚えた。

口から血が吹く、肺に達したか。

幼馴染「男…!」

男「来る…な…!」


《70%…72%…74%…》

充填のペースが落ちる、負傷により闘気が落ちたのだろう。

男(くそ…間に合わんのか…!)

同時に二本の矢が左足にたち、体勢が崩れる。


《…75%…………闘気低下…充填中止…》


そして剣から発せられる無情な宣告。

それと同時に、俺は地面に倒れ込んだ。

身を潜めた隊員達が闇から駆け寄ってくるのが見えた。

男(いけない…それでは全滅してしまう!)

しかし彼らが暗闇を脱したのは、止むを得ない理由があっての事だったのだ。

絶望という名の理由が。

隊員「竜が…!翼竜が出ます!」

隊員達の背後から咆哮が響く。

その闇に浮かぶ紫の瞳を見ながら、俺は意識を手放していった。


……………
………



『憐れなものだ…竜に喰われ、竜として生きるとは』

『しかし我らの命令は絶対、そこは心得ておろうな…翼竜…いや、碧眼の魔道士よ』

『くっくっ…そう睨むな。我らに盾突けば貴様の妹の身がどうなるか』

『そうだ、それでよい…。では、そうだな…まずは忌まわしい落日の国を荒らして来るのだ』

『くれぐれも餌の家畜を食いにきたかのように、今はまだ軍事施設などは襲うな』



『どうした、なぜ命令外の事をしたのだ』

『そうか…竜を支配する力が弱まっているのだな』

『この役立たずめ…まだ軍事利用の一度も出来ておらぬというのに』

『せいぜい飼い慣らす事だな、貴様が用無しになる時は妹も我が国に居られなくなると思え!』


『ふん…とうとう竜が眠る間にしか意識を現せなくなったか』

『まあいい、貴様の妹も国のために嫁がせたのだからな』

『なにも落日の国に売ったわけではない、我が国のドラゴンキラーに与えたまでだ』

『まあ農夫の出…下賎の者ではあるがな。くっくっ…そう怒るな、妾の娘には似合いであろう』

『さあ、また砂漠へ赴くのだ。そのドラゴンキラーがヴリトラを討てるかは怪しい…砂漠を手中とするためにも、確実にあの竜は潰さねばならん』

『くれぐれも貴様が手を出すのはドラゴンキラーが敗れた時だけだ。本来ならその者自身が渇竜を討つのが望ましいのだからな…』



『大臣…翼竜に命令は』

『もう無駄だ。あの者の意識など既にありはしない…あれはもうただのゴミだ』

『既に砂漠開発の手筈は整っている。もうあんな危険な竜に用は無い』

『そうだな…もしまだ少しでも制御が効くなら、再度砂漠へ飛ばしそこで砂漠開発部隊の守護を命じたドラゴンキラーに討たせるとしよう』

『砂漠で二頭の竜を葬ったとあれば、なお他国に口出しをされる心配は無くなろうからな』

『仮にも妹の夫だ、身内に討たれるなら本望であろうよ』


『なんと…ドラゴンキラーが裏切り、台地を目指しているだと…!』

『くそ…翼竜はどこへ行っているのだ。全く命令が届かん…』

『関所を越えることはできまいが…万一ここに達されたら必ず息の根を止めるのだ』

『何処をふらついているとも知れん翼竜などあてにするな。もともとこの洞窟は翼竜の巣穴、本能だけでも勝手に帰ってくる』

『うまく皇女を捕らえられたら、自らの兄に喰わせるのも一興というものよ…くっくっ…』



『良いタイミングで戻ったと思えば随分と傷ついていたな…』

『翼竜は巣穴の奥へ逃げ込んだ模様です』

『ふん、頼りにならん…既にあの魔導士の意識など塵も残っておらんようだな』

『まあ…翼竜に野性が戻ったとしても、この祭壇に居る限り奴に手出しができん事は解っている…危険は無かろう』

『…魔導士が再び意識を支配でもせぬ限りはな』

『間も無くドラゴンキラーの一団がここに来る、途中の祭壇の兵には手を出すなと伝えておけ』

『さあ来い…逆賊め。この祭壇から狙いうたれ、手も足も出ぬままに死ぬが良いわ』


……………
………



男(何だ…ここは…やけに眩しい)

男(…白い世界…俺は死んだのか?)

男(今朝の夢の続き…にしては雰囲気が違うが)

???『…男殿』

男《誰だ…!?》

???『翼竜に喰われた魔導士…女兄と言えば解るか』

男《女兄…?じゃあ…やはりここはあの世か》

女兄『いや、心配するな…貴方は死んではいない。もうじきに目が覚めるだろう』

男《…そうか》


女兄『すまない…今の私には翼竜を制御できるのは、ほんの一時にすぎないんだ。本当ならもっと早く手助けがしたかったが…』

男《つまり、あんたが翼竜を操って俺達を救ったという事か》

女兄『救ったなどとおこがましい事を言うつもりは無い…ただ女が矢に射られるのを見て、黙っていられなかっただけだ』

男《砂漠でも翼竜の瞳は紫に染まっていた。あの時、俺達を殺さなかったのはあんたの意志だったんだな》

女兄『…詳しくは後で話そう。洞窟の最奥、竜の主祭壇の壁を破壊してくれ…そこに道がある』

男《…あんたはそこにいるのか?》

女兄『私は翼竜の中にいる。…だがその道の先にある場所にだけは意識のみの存在として姿を現す事ができる』

男《…解った、必ず行こう》

女兄『さあ、目を覚まして…女を安心させてやってくれ』

男《女…あいつは無事なんだな?》

女兄『ああ、そのはずだ』

男(白い世界が…薄れて…)


……………
………



男「……ぅ…」

酷く身体が痛む。

肩、そして太腿の辺りだろうか。

痛みがあるという事は、やはり俺は生きているらしい。

目を開けても今度は黒しか見えない。

しかし段々と視界が定まり、黒く見えていたのは星の無い夜空だった事に気付いた。

身体の右側面が暖かく感じられる。

肩の痛みを堪えながら少し首を動かしその方を見ると、小さな焚火が起こされていた。

そしてその隣には、不安そうな顔で火を見つめる女の姿。


男「……女…」

女「!!」

声を受け、女は慌てたように俺の傍に寄る。

女「男さん…目が覚めたんですか…!?」

男「ああ…生きているんだな…俺も、お前も…」

女「良かった…!私…だめかと…」

それだけを言って女は両手で自らの顔を覆った。

肩を震わせ、時折嗚咽を漏らしながら泣いているようだった。

怪我が無ければ今すぐにでも、きつく抱き締めてやりたい。

それが出来ない事がもどかしかった。


あれから翼竜は我々を襲う事無く、祭壇を破壊し大臣達を攻撃したという。

そしてやがて瞳の色が紫から紅に変わり、洞窟を飛び出して行った。

混乱に乗じて武器を取り戻した後は、騎士長が指揮をとり祭壇から落ちた大臣達を一掃したらしい。

女が矢に射られてから時魔女が時間逆行を施すまでは、ものの一分ほどしか経っていなかった。

故に時魔女が魔力を再ロードするにはさほどの時間を要さず、完璧とはいかないまでも俺の致命傷は癒やす事ができたという事だ。

洞窟から出た後は傭兵長達の亡骸を埋葬し、今いる洞窟の目の前に仮の陣地を構えた。

翼竜の巣である洞窟の前なら、他の竜が襲ってくる可能性が低いと考えての事らしい。

傭兵長をはじめ幾人もの隊員を失いながら、自分は生き残ってしまった事は複雑に思える。

しかし身を呈して俺を救ってくれた彼や女の事を思えば、死ぬわけにはいかなかったとも言えるだろう。

男「隊長だってのに、俺は護られてばかりだな」

女「…また怒られたいのですか?」

男「そうだな、お前に怒られるのは…嫌いじゃない」

彼女は涙目のまま呆れたように笑い、説教の代わりに優しい口づけを落とした。

ここまでー
やっとキリらしいキリがついた


男「…女、大丈夫か」

女「私の傷は完全に癒して頂きましたので」

男「そうじゃなくて…さ」

勇敢に竜に立ち向かい、その上で敗れた…彼女は自分の兄の死をそう認識していたはずだ。

しかし実際は国に利用され、望まぬ暴虐を働かされていた。

しかもそれは他ならぬ女自身を庇うために。

女「…大臣の話を聞いた時は、目の前が真っ暗になりました」

男「そう…だろうな」

女「兄の事を思うと、悲しくて…国が憎くて。いっそ自分が他国に売られてでも、それを防げるならそうしたかったと思いました」

ぽつりぽつりと心情を語る女。

しかしその瞳は負の感情にだけ染まっているようには見えなかった。


女「でもね、男さん…あなたが矢に射られようとした時、私…身体が勝手に動いたんです」

男「すまなかった…俺のせいで」

女「謝らないで下さい、私は……」

彼女は少し言葉を詰まらせる。

沈黙の中、小さく耳に届く焚き火にくべられた枯枝が弾ける音。

俺は黙って彼女の言葉の続きを待った。

女「…大臣が憎くて、怒鳴りつけて復讐がしたかった。例え祭壇に拒絶されても、全力の攻撃魔法を唱えようかと思った」

瞳に涙を湛えながら、辛い胸中を言葉にして晒しながら、それでも柔らかく笑う彼女。

その表情からは、悲しみを振り切った強い意志が滲んでいる。

女「だけど今の私にとって、復讐よりも大切なのは…男さん…あなただった。私は、それが嬉しかったんです」

男「…そうか」

女「冷たい妹です…あなたが目を覚ますまで、この焚き火の傍で私は兄の事じゃなく、男さんの無事ばかりを考えてました」


彼女の掌が、身を横たえたままの俺の頬に触れる。

その指先は冷たい、火の傍にいながら手を暖める事もしなかったのだろう。

ただ俺の意識が戻る事、それだけを祈りながら。

女「私のために犠牲になった兄は、きっと喜んでくれると思います。私が今、こんなに幸せでいる事を」

恥ずかしい…と思った。

彼女の台詞が照れ臭いだけじゃなく、己の復讐心にかられ彼女の気持ちを後回しにしてきた自分を。

女「兄の気持ちに報いるには、私…もっと幸せにならなきゃいけません。…だから、ね」

男「…言うな、照れ臭くて傷口が開く。星にも願ってたじゃねえか」

小さく声を漏らして女が笑う。

その様にはもう悲しみや憤りは感じられない。

女「いいえ、言います。…早く、本当のお嫁さんにして下さい」

男「…善処する」

糖分補給

(集団バトルが見たい…)


俺も女も生きている。

どうやら女の気持ちも既に心配は要らないようだ。

それなら俺は先へ進まなければ。

まだ翼竜を討ったわけではないのだ。

例えその竜に彼女の兄が宿ろうとも、ほぼ制御の効かない存在だというなら見逃す事はできない。

もし女兄の意識が竜に介在するとしたら、きっと竜が人々を苦しめる事で彼は心を傷めている。

竜を討つ事は彼を救う事であるはずだ。

だけどその前に、俺は自分の心に刺さった棘を抜かなくてはならないと思った。

所詮、それは自己満足に過ぎないかもしれない。

それでも俺が、もう一度あの竜に挑むなら。

そのためにまたこの隊を率いようとするなら、俺には許しを乞わなければならない事がある。


男「…痛てえな…くそ」

負傷していない右腕を使い、何とかその場に上体を起こす。

女「いけません!寝ていなくては…!」

男「そうはいかん…このまま怪我が癒えるまで、何日とここで寝て過ごす事はできんだろう」

女「でも…せめて夜明けまで」

彼女の意見を無言で否定し、俺は無理矢理に立ち上がった。

男「…すまん、肩を貸してくれ。騎士長の元へ」

女「それなら呼んで参ります!だからせめて座って…」

男「だめだ、俺が…行かなきゃいけない」

仕方なさそうに女は俺に肩を貸し、騎士長の元へと連れて行った。

騎士長はそれに気付くなり驚いた顔で駆け寄る。

騎士長「男殿!何を無茶な…呼んで頂けばこちらから…!」

男「それじゃ駄目なんだ…騎士長、俺はあんたに詫びなければならん」


騎士長「何を言うのだ、詫びられる覚えなど無い」

本当なら膝をついて言うべき事だ。

俺は女に肩を離すよう願ったが、彼女はそれを許さなかった。

男「…先の戦いでは幾人もの犠牲が出た。即死した者は止むを得なかったかもしれないが…洞窟で矢に射られた者の中には息のある者もいたかもしれない」

騎士長「男殿…それ以上は言うな」

男「いや、詫びねばならん。白夜の騎士に限るわけではないが…時魔女の力で命を取り留めるのは、必ずしも女である必要は無かったはずだ」

それでも俺は身勝手にも時魔女に女を託した。

他の兵達を差し置いて、自分の大切な者を優先したのだ。

男「まして俺自身まで…何人の犠牲の上にこの命があるかと思うと、詫びずに…うっ!?」

突然、騎士長は俺の頬を殴った。

負傷した足には力が入らず転びそうになるも、なんとか女が抱き支える。

女「騎士長様!何をなさるのです…!」

騎士長「…それは我々への、そして亡き者への侮辱だ!」

声を荒げる騎士長。

周囲の隊員達が驚き、俺達を見てどよめいている。


そして彼は俺の肩に手を置き、幾分かその表情を和らげて言った。

騎士長「女殿は戦場に散るべき兵ではない、まして男殿はこの部隊の指揮官。どこの世に指揮官の命より一兵卒を優先する隊があるというのだ」

男「しかし…」

騎士長「…私も詫びねばならん。あの時、男殿の真意が解らず護るべき指揮官を一人で矢の的としてしまった事…」

男「あれは…ああするしかなかった。斬撃で祭壇を崩そうとしたんだ…その後で敵を討つには他の隊員を温存しなければ」

騎士長「私も判断に苦しんだ…それは騎士としての尊厳を曲げるほどの事だ。男殿…二度とあのような事はしないと誓ってくれ」

彼の口調は重く、悔しさを滲ませていた。

騎士たる者、誰かを盾として己が逃げるという事は恥ずべき行為なのだろう…それは解る。

解っていたから、あの時の俺は真意を告げなかったのだ。

その俺の判断は彼にとって卑怯と思えるものだったに違いない。

男「……解った、すまない…騎士長。この頬の痛み、忘れまい」

騎士長「私もまだ青い、怪我人を殴る事も騎士の誇りに反するはずなのだが。…どうか許されよ」

男「いいんだ、騎士長。…救われたよ」


俺は女を含めて人払いを願い、騎士長だけに夢の話をする。

何の信憑性も無い話だが、翼竜の意志を操る女兄だ、俺の意識に干渉しても不思議ではない。

とはいえ確証が得られない以上、女に兄との再会を期待させるべきではないと思った。

騎士長も洞窟の最奥を調査する事に同意し、俺達は再び竜の巣穴へと足を踏み入れる。

ランタンに照らされる幾つもの崩れた祭壇。

そこに捨ておかれた大臣の亡骸は、権力のために他者を利用し続けてきた者の憐れな末路の姿。

それを横目に過ぎ、更に200ヤード程も進んだ先には一際広い空間が存在していた。

ここが翼竜が寝床としていた場所なのだろう。

突き当たりの壁面には、他のものより一段と凝った装飾が施された主祭壇が設けられている。

そしてその中央は、そこだけが彫刻を施されていない不自然に平らな壁となっていた。

ただ、その違和感は予備知識があれば目につくとしても、何も知らなければ意識する程のものでは無い。


男「幼馴染…炸裂の矢で、この壁を壊せないか」

幼馴染「解った、やってみる…もう少し離れてて」

騎士長に肩を貸されながら、俺は彼女の後ろに退がる。

女「何があるのです…?」

男「必ず何かがあると断言はできん…見ていてくれ」

幼馴染が矢を放つ、轟音と共に壁が崩れてゆく。

目を開けていられないほどの砂埃。

それが次第に薄らいだ、その向こう。

男「…だが、どうやら何も無くはなさそうだな」

そこには暗闇へと続く、石積みの登り階段が現れていた。


兵を主祭壇に待機させ、俺と女、騎士長、幼馴染、時魔女の五人だけで階段を登る。

時魔女「…はぁ…今ので百段、けっこう長いね…」

幼馴染「騎士長様、ずっと肩を貸してるけど大丈夫ですか?」

騎士長「私は大丈夫だが…男殿、傷は痛むか」

男「くっ…痛くないと言えば嘘になるが、止まる気にはならんな」

その後さらに五十段ほどを登って、ようやく視界が開けた。

男「…馬鹿な……」

俺達は台地の崖に口を開けた洞窟へ入り、その最深部から階段を登ったはずだ。

およそ百数十段、たぶん高低差にして100フィート強。

グリフォンの背から見た台地の高さは500フィートほどもあった。

つまり位置的には現在、どう考えても台地の土中にいる。

…それなのに。

騎士長「どういう事だ…これは」

そこは見渡す限りの荒野だった。


およそ円形に広がったその空間は、周囲を低い山に囲まれている。

男「まさか…ここは台地の中か」

騎士長「しかし、台地の天蓋は何も無い平野だった」

男「確かに…だが中に空間があると言われても信じられるほど、不自然な地形でもあったな」

不思議な事に頭上には覆うものが無い。

まるであの台地の頂の平原を透かして見ているかのような、外で見たのと同じ星の無い夜空が広がっている。

しかし星の明かりが無いのに、何故この地形が判るのか。

あまり光と影のコントラストが感じられない、不思議な景観に思える。

そしてその荒野の中央にあるのは、岩山というにはあまりに造形的な構造物だった。

それは七竜をも凌ぐ、巨大な竜の石像。

よく見渡せば荒野の周囲には他にも少し小さな竜の石像が六体、中央の巨像を囲む湖に一体存在する。

その七体の像は大きさも形も、明らかにあの七竜だ。


時魔女「あの湖の一体は…サーペントだよ…!」

幼馴染「周り六体…おそらく右奥がオロチね」

騎士長「左の一体がクエレブレだとすれば、その手前…歪に枝分かれした頭をもつものがハイドラだろう」

男「左奥がヴリトラ、右がサラマンダーなら、一番近い右手前がワイバーン…確かに姿も符合するな」

女「では…中央の巨像は…?」

女の問いに答えられる者はいないはずだった。

しかし回答は五人のいずれでもなく、背後から不意に返される。

???「あれは…滅竜です」

肩の傷を庇いながら、それでも俺は出来るだけ素早く振り返った。

いつの間にかそこに佇んでいたのは、若く美しい女性。

純白の衣、地面に届きそうなほどに長い髪。

先端に竜を象った彫刻が施された杖を手にした彼女は、目を閉じたまま真っ直ぐに俺達に向いている。


???「とうとう生きた人間が、ここへ辿り着いたのですね…」

男「…命亡き者は来た事がある…という事か」

???「…知っているようですね。いかにも…意識だけの存在となったあの方は、何度も」

やはり夢は正しかった、女兄はここへ来ているのだ。

竜に喰われた後、肉体を持たない存在となって。

???「…私は真竜の巫女、このクレーターの結界を護る者」

時魔女「クレーターって…隕石の衝突跡だよね」

男「じゃあここは台地じゃなく、本当は山に囲まれた窪地だというのか」

巫女「その通り…外からは入る事も見る事も叶わぬよう天蓋の結界を施した、全ての始まりの場所」

女「…始まりの場所?」

巫女「予想より早くはありますが、全てをお話ししましょう…」

そして彼女は語り始める。

この世界の始まり、人間の歴史、真竜と滅竜という二柱の神竜、そして七竜の事を。

今夜はここまで

>>493
もう少し待ってくれ
ラストバトルは近い…かな?

それでは、てーい


………


人が定めた『年』という単位では数えきれないほどの遠い昔、まだ生命の無かったこの星に流星が堕ちた。

その流星には竜の卵が乗せられており、そこから双子の竜が孵る。

黄金の鱗を持つ兄竜と、白銀の鱗を持つ弟竜。

長い長い時を経て成長した二体の竜は、やがて星に生命を育んだ。

最初は目に見えない程の微細な生物から、植物、魚、虫、動物…そして人間。

高い知能を持ち、竜の助けを得ながらも独自の文明を発達させ始めた人間は、いつしか竜を神と崇めるようになる。

神竜と呼ばれるようになった二柱の竜は、人間を慈しみ守護する存在だった。


しかし自らの文明を更に発展させ、地上の覇者となった人間は次第にその神への崇拝を偏ったものとし始める。

それは生と死という根本的な概念を二柱の神竜にあてはめた、人間による勝手な解釈。

黄金の神竜は生命を司る母なる真竜と崇められ、白銀の神竜は死を司る忌むべき滅竜と畏れられるようになっていった。

その事に腹を立てた滅竜は、魔物を生み出し自らを冒涜した人間を滅ぼそうと考える。

真竜はそれを宥め、人間を庇おうとした。

だが皮肉にもそれは人間達に更に真竜を崇めさせ、逆に滅竜を畏れる意識をより深く植えつける事となる。

人間達はやがて、真竜に滅竜の打倒を祈るようにさえなってしまった。

ついに滅竜は自らの白き瞳の片方を砕いて無数の魔物を生み出し、それを率いて人間達を駆逐し始める。

砕いた瞳の欠片の内、比較的大きかった七つの欠片は白眼の七竜となり、特に壊滅的な被害を与える存在だった。

真竜はやむをえず自らの紅き瞳の片方を七つに分け、紅眼の七竜を生み出して対抗させる。


あくまで欠片に過ぎない白眼の七竜と、瞳をちょうど七つに分けた紅眼の七竜の力は比べるまでも無い。

それぞれの竜の戦いは完全に紅眼の勝利に終わり、白眼の七竜は全て封印され岩と化す。

そして更に真竜は自らの七竜と共に滅竜とも戦い、ついに滅竜自体をも封印する事に成功した。

その時、滅竜達の封印に使われたのは七竜に分けた紅き瞳の力。

それは逆に言えば、七つの瞳をあわせれば封印を解放する鍵にもなるという事。

真竜は紅眼の七竜を世界の各地へと遠く引き離して配置し、岩と化した滅竜と白眼の七竜は流星の堕ちた始まりの地へと安置する。

紅眼の七竜がいつか人間にとって障害となる事を知りつつ世界の各地へとそれらを配置した、真竜の意図。

それは人間が紅き瞳の七竜を倒せるようになった時こそ、自らの神としての役割の終わりであるという想いだった。


実は双子の兄竜である真竜は、滅竜を封印するのではなく完全に消し去る力も有していた。

ただしそれを行使するには、自らに残る紅き片瞳の力の全てを使い切らなければならない。

それはすなわち、その時の人間にとって信仰の対象であった二柱の竜の両方が消滅するという事。

まだ成熟しきっていない人間という種族から突然に心の拠り所を奪う事は、同族内での争いをはじめとした自滅行為を生む危険性を孕んでいる…真竜はそう考えた。

そして更に時は流れ、現在からおよそ千年前の事。

岩と化した弟竜が置かれた始まりの地、そこに天蓋の結界を張った真竜はその内で自らも眠りにつく。

ある程度の成熟を見せた人間に世界を託し、彼らが紅眼の七竜を討ち倒す日を待つ事としたのだ。

人間の中から選ばれた清らかな乙女に不老の命を与え、真竜の巫女として慈しむべき人間の世界を見守らせながら。


………



巫女「…人間が七竜の全てを討ち倒した時、滅竜は蘇る。そして真竜もまた眠りから目覚め、その最後の力をもって滅竜を消し去る…そのはずだったのです」

彼女はそこまで話し、言葉を途切れさせた。

男「…それが、何か狂ったと?」

巫女「それは私が語るよりも、狂わせた本人の口から聞くべきかもしれません」

そう告げた巫女の隣に、ふわりと光のカーテンが降りる。

柔らかな煌めきは次第に一つに集まり、そして人の形となった。

…そうか、人間は竜を討つのではなく。

女「そんな…!嘘…まさか…!」

竜を操り、利用しようとした。

男「…夢で、会ったな」

自らが護り慈しんだ、その人間の傲慢こそが真竜の誤算だったという事か。

女兄「男殿…来てくれたのだな」


女「どうして…本当に…兄上なの…?」

女兄「…久しぶりだ、女。すっかり大人になった…綺麗になったな」

口元を掌で覆い、竦めた肩を震わせる女。

駆け寄る事を躊躇いつつ、それでも一歩ずつ兄の元へ歩む。

女兄「良かった…幸せそうで」

女「嘘…みたい…!兄上っ!」

遂に堪えきれず涙を零し、彼女はその懐かしき姿に両腕を広げて抱きつこうとした。

しかし、その腕は無情にも空を切る。

女「!!」

女兄「…すまない、触れる事は叶わないだろう。私は既に意識だけの存在だ…それに」

妹の事を優しく見つめながら、兄は寂しげに微笑んだ。

女兄「…もう私にはお前を妹と呼び、肩を抱く資格など無いよ。翼竜として幾つもの村や街を襲い、たくさんの犠牲を生んできた…お前達に討たれるべき存在だ」

女「違う…!それは…国の、父上や大臣の企みではないですか!」

女兄「いかに命令に背く事が出来ないといえど、私は自ら翼竜を操り人を殺めた…。女、ちょうどお前くらいの娘を噛み殺した事もあるのだよ」


七年ぶりの妹との再会だというのに、その温もりに触れる事も許されない。

国の犠牲となった悲しき魔導士の姿は、よく見れば僅かに透き通っている。

女兄「私は翼竜に喰われ、そして翼竜に宿った。その紅き瞳の力に自らの魔力を溶け込ませて同化したんだ。…最初はそれで上手くいっていた」

ゆっくりとした口調で、彼は望まなかったはずの己の罪を告白してゆく。

女のそれと同じ、澄んだ美しい青い瞳が俺を見据えていた。

女兄「しかしそれは同化というよりも、正しくは紅き瞳の力を蝕む…そう表現すべき事だった。強大な竜を支配する内に私の魔力は疲弊し、竜の精神には隙間ができていったんだ」

男「精神の隙間…」

女兄「そこに滅竜が忍び寄った。紅き七竜が倒される度に滅竜は少しずつその力を取り戻してゆき、次第に翼竜の精神に深く関与するようになっていった」

女兄が翼竜に宿った時点では、まだ倒されていたのは落日のハイドラだけだったはずだ。

しかしおよそ五年前にクエレブレが倒され、昨年にはオロチ、今年に入ってからはサーペント討伐が成った。

その度に滅竜の力は強まり…そして。

女兄「およそ二ヶ月前…か、ついに平常時の翼竜を支配するのは滅竜の精神となった」

男「…俺が、サラマンダーを倒した時だな」


女兄「翼竜は操られるまま、ヴリトラを殺した。その時からだ…翼竜の中に滅竜の精神だけでなく、幾らかの生命力までも流れ込むようになったのは」

騎士長「もしや、翼竜を切り裂いた時の黒い霧は…」

男「…あの傷を受けても翼竜が死ななかったのは、そういう理由か」

翼竜の体内に光の刃を放った、あの斬撃は間違いなく致命傷を与えたと思った。

だが滅竜の生命力がその死を踏みとどまらせたというなら、確かにその事に説明はつく。だが、それならば何故…

男「…滅竜が翼竜の死を防ぐのは何故なんだ。残る七竜は翼竜だけ…それが死ねば滅竜は蘇る事ができるのだろう」

女兄「それはおそらく…だが」

巫女「…滅竜は紅き瞳の力を取り込もうとしているのでしょう。だからヴリトラの首を千切り、持ち去った」

幼馴染「じゃあ…今、ヴリトラの瞳は翼竜の中に」

騎士長「まさか、我が王都を襲ったのは…!」

男「騎士長、クエレブレの瞳は?」

騎士長「先王の間に保管されていたのだ…。建物の破壊も著しく、竜の瞳が残っているかは私が旅立つ時点では不明だった」


おそらく違いあるまい。

今、翼竜の体内にはヴリトラとクエレブレの瞳が呑まれている。

翼竜自身のものを合わせれば、三つの竜の瞳が集まっているという事だ。

だとしたら、巣穴を飛び出していった翼竜が向かった先は。

男「翼竜は今どこに向かっているんだ、解るんじゃないのか」

しかし女兄は俯き、首を横に振って言った。

女兄「…砂漠での去り際と今朝の洞窟内で、私は残る魔力を振り絞って翼竜を操った。もはや今の私には翼竜の視界を覗き見る事すら難しいんだ…」

詫びる女兄の姿が一瞬、揺らぐ。

その身体は先よりも薄れ、透明度を増している。

女兄「私の魔法まで滅竜に利用され、その度に私の魔力は疲弊していっている。こうして意識を集めて姿を形づくるのも限界だ…間も無く私の姿は消えるだろう」

女「そんな…せっかく会えたのに…!」

女兄「すまない…女。だが最期にお前の声を聞く事が…その姿を見る事ができて良かった」

男「…完全に消滅してしまうのか」

女兄「解らない…まだ暫くは翼竜の中に意識は残るのかもしれないが、長くは無いだろう」


更に彼の姿の揺らぎは大きくなり、より薄れてゆく。

女兄「男殿…妹を頼む。どうか、幸せにしてやってくれ」

男「…解った」

そして彼は女に優しく微笑んだ後、真竜の巫女に向き直った。

女兄「真竜の巫女よ…最期に、もう一度だけ詫びさせてくれ」

巫女「謝罪はもう千を超える程、聞きました。私は真竜に身を捧げた巫女…主の意志に反し、七竜を利用しようとした者を許す事はできません」

女兄「ああ…確か…に千を超える程、そう言われた…な。それで…も私は詫びるしか…でき…ないん…だ」

声が掠れる、もうその表情を窺うのも難しい程に身体は透き通っている。

女兄「神である真竜に…それを…司る事…ができる…なら、どうか…私の……魂を地獄へ…堕としてくれ…」

巫女「…貴方はもう充分に地獄を見たはずです。その光景を思い返し、悔やむ事…それが貴方の贖罪でありましょう」

彼女は閉じた瞼を開ける事も無く答えた、それなのに。

女兄「……ああ…忘れま…い…」

巫女「…還りなさい、母なる真竜の元へ……」

…何故だろう、彼女は泣いている気がした。


淡い光に包まれる、女兄の姿。

それはやがて天に昇るかのような一筋の細い光の帯になり、途切れて霞む。

女「兄上っ…!」

女が掴もうとした最後の光の欠片は、澄んだ青色の煌めきを残して消えた。

女がその場で膝を突く。

暫くの間、誰も言葉は発さなかった。

見えぬ天蓋に覆われたこの地には、風さえも吹いていない。

暗い世界を、重い静寂だけが包んでいた。


……………
………



その後、真竜の巫女は結界である台地の天蓋を解いた。

もし次に翼竜がここへ帰るとしたら、それは七つの瞳を集めた時。

同じ紅き片瞳の力をもってすれば、結界は効果を為さないという。

やがて夜が明け、騎士長は残ったグリフォンを往復させ、このクレーターに部隊の総員と全ての装備を運んだ。

この地に魔物が侵入する事は無いという巫女の言葉を信じ、ここを宿営地とする事にしたのだ。

時魔女は星の副隊長との定時連絡を使い、現在の状況を伝えた。

今後は連絡の頻度を一時間ごと程度に増し、翼竜についての情報を相互に交換する事とした。

情報はすぐに星の国から旭日の国へと伝わり、おそらく既に瞳は奪われているに違いない白夜の国にも伝えられるはずだ。


騎士長「…男殿、すぐに戻るつもりだ。今は傷の養生に努めて頂こう」

更に翌日、騎士長はグリフォンの背に跨って言った。

男「ああ…だが、くれぐれも気をつけてくれ」

騎士長「なに…白夜と落日には争いの歴史があるわけではない。とって喰われる事は無かろう」

反射鏡による共同通信網が整備されていない落日の国に翼竜襲撃の危機を伝えるために、彼は自らの副官と共にその王都へ向かう。

かつては月の国と戦争状態にあった落日の国だが、二国間には十年も前に休戦協定が結ばれている。

とはいえ敵国である事には変わりなく、その月と同盟関係にある星の国、また星の国との同盟を結んでいる旭日の国に対しての警戒心は依然、根強い。

ただ、落日と同じくどの国とも同盟をもたない白夜からの使者であれば、抵抗感は薄いだろうと考えられた。

騎士長と副官は二体のグリフォンを駆り、クレーターの空から落日の王都へと羽ばたいてゆく。


幼馴染「大丈夫かな…」

不安げな眼差しで、騎士長達が消えた空を眺める幼馴染。

男「…心配か?」

幼馴染「そ、そりゃそうだよ。同じ隊の仲間だもの」

彼女は少し慌てたかのように、鼻先を掻いて答える。

この仕草はよく知っている。

昔から何かを誤魔化している時、必ず見せる癖だ。

やはり一度は求婚された事のある相手、彼女としても多少は気になるのだろう。

彼がいまだに自分を好いていると知った時、彼女はそれをどう捉えるのだろうか。

ふとそんな事を考えたが、下世話な事だと思い自ら苦笑した。


たかが農夫の出の俺と違い、あれほど人望に厚く頭の切れる騎士長の事。

おそらく落日への忠告は上手くこなしてくれるに違いない。

故に今、この事態を伝えるのが最も困難なのは、他ならぬこの月の国という事になる。

だがこの時、月の国では既に別の大きな動きが起こっていたのだ。

その情報はその日の夕方、時魔女の定時連絡で齎される事となった。

時魔女「男…大変だよ!」

男「どうした、どこかに翼竜が出たのか」

時魔女「うん…それだけじゃなくて、女ちゃんにはショックな事かもしれないんだけど…」

時魔女は定時連絡の内容が記された金属板を俺に手渡す。

そこに書かれていた、驚くべき事態とは。

男「…女、落ち着いて聞いてくれ」

女「……?」

男「月の王都に…翼竜が現れた。…月王が死んだそうだ」


二日前…その時刻を考えれば、巣穴を飛び出した翼竜はすぐに月の王都を襲ったらしかった。

翼竜は城下には目もくれず、王城の中枢を破壊。

その襲撃により月王は命を落とし、やはりその王の間に保管されていた竜の瞳は奪われたという。

女は複雑そうな表情で俯き、口を一文字に結んで聞いていた。

男「…女、何と言っていいか解らないが…その…」

兄に非道な仕打ちをしたとはいえ、月王は彼女にとって血の繋がった父親。

そして女から祖父母の健在を聞いた事は無い。

王が死んだ今、彼女にはもう直接に血を分けた肉親はいないという事になるのかもしれない。

女「大丈夫…私は独りじゃないですから。…そう…ですよね?」

男「……それが俺の事を言っているなら、当たり前だ」

心配をかけまいと思ったのだろう、おそらく無理に彼女は笑ってみせた。


一時間後、次の連絡には月の国についての続報が書かれていた。

そしてその内容もまた驚くべきもの、月軍によるクーデターが起こったというものだった。

突然に中枢機能が麻痺した月の政治と、軍の統制。

それを契機として、以前より月の砂漠侵攻に疑念を抱いていた軍の多数派が蜂起した。

将軍をはじめとする国王派を数で圧倒した反乱軍は、その日の内に革命を成し遂げる。

通信網も制圧し手中に治めた彼らは、星の国に対して同盟の維持を求めると共に新体制への内政干渉を拒否すると告げた。

自らを反乱軍とも革命軍とも名乗る事なく。

彼らは新体制を築く自身の軍勢を『月影軍』と呼んでいるという。


…その夜


確かに、この地への魔物の襲来は今のところ無い。

故に見張りも僅かに、ほとんどの兵が寝静まった宿営地。

俺は焚き火の傍に座り、何をするでもなく想いに耽っていた。

果たして次に翼竜が現れるのは、どこなのだろう。

残る竜の瞳は落日と星、そして旭日の王都にある。

いずれかで翼竜にとどめを刺す事が叶えば、その時この地で滅竜が目覚める事になる。

その場合、滅竜は紅き瞳の力を得る事は無い。

巫女の言葉を信じるなら、目覚めた滅竜は真竜の力によって討ち倒されるだろう。

白眼の七竜もまた、創造の主である滅竜が倒されれば消滅するらしい。

だが、あの剣撃をもってしても命を奪えなかった翼竜を倒す事など可能なのだろうか。


少し焚き火の勢いが衰えた気がして、俺は手元の枯れ枝を数本そこへ焼べた。

パチン…と、枝の肌が弾ける音が起つ。

翼竜を自らの手で葬るという目標は、少しその意味を変えてしまったように思う。

両親を殺したあの翼竜の意思は、もうきっと竜の中に無いのだ。

そもそも七竜は、神と崇められた真竜が人間の障害となる事を承知で配した存在。

真竜がそうせざるを得なかったのは、滅竜の脅威を人間から遠ざけるため。

そして滅竜が人間を滅ぼそうとしたのが、他ならぬ人間の傲慢のせいだというならば、果たして本当の仇敵とは誰なのだろう。


女「…眠れないのですか?」

じっと揺れる火を見つめていた俺の右後ろから、女が声をかけた。

男「女…起きてたのか」

女「はい、眠れなくて…」

男「俺もだ…昼間、怪我を庇って休んでばかりだからかな」

彼女は当たり前のように俺の隣に腰を下ろし、その肩を寄り添う。

互いの距離はいつの間に、これが普通になったのだろう。

そんな事を考えて妙にくすぐったく、また嬉しくもなった。


女「私…もう皇女じゃなくなっちゃいましたね」

男「未練が?」

女「いいえ、全く」

男「…だろうな」

ただ彼女が皇女ではなくなり、ドラゴンキラーを欲した月の国そのものが無くなったという事は、ひとつの契約がその拘束力を失ったという事でもある。

男「…もう、形式上の意味さえ無いんだな」

女「そうですね、無理に私達が夫婦である理由も無くなってしまいました」

もし今、彼女が契約の反故を申し出たら俺はどう答えるだろう。

今の気持ちがどうであれ、最初は無理に結ばれたに等しい仲だ。

もし彼女が、ごく普通の出逢いや恋愛を求めるとしたら。


ふと俺は先日の夢を思い出した。

『ごめんなさい…男さん』

『貴方の妻となれない事…お許し下さい…』

ぐっ…と胸が締め付けられるこの感覚には、微かに覚えがある。

五年前に幼馴染を港で見送った時、確か感じたはずだ。

でもあの時、俺はその感情を押し殺した。

男「…女、それでもさ」

今は、どうする。

押し殺す必要はあるか、いや…考える必要さえ無いだろう。

男「それでも…俺の妻であってくれ」


少し勇気の必要な言葉だった。

なのにそれを聞いた彼女は、くすっと笑う。

男「…笑うなよ、言うの照れ臭かったんだぞ」

女「ふふ…ごめんなさい、でも…まさか言ってくれると思ってなくて」

怪我をした方の肩でない事を確認して、彼女は俺の腕を引ったくると自らのそれを絡めた。

女「でも、すごく聞きたかった。…言って欲しかったんです」

男「…そうか」

女「男さん…ひとつ、お願いがあります」

そのまま、俺の腕に頬を寄せて。

女は少しだけ甘えた声で願いを告げた。

女「全て終わったら…改めてプロポーズしてくれますか…?」

どんなに気恥ずかしくとも、この問いに対する答えを返さなかったら男が廃るだろう。

俺は少し大きく息を吸って、できるだけはっきりと言った。

男「必ず…しよう。待っててくれ、女」

女「…はいっ」

ここまでー
また頑張っていくぜ、てーい


……………
………


…三日後


男「…ずっとそうしているんだな」

クレーターの中央、直径20ヤードほどの円形の祭壇。

女兄の消えたあの日以降、神竜の巫女の姿は常にそこにあった。

巫女「…どうかされたのですか」

男「いや、別に…ただあんたが眠ったり食事を摂ったりするのを見た事が無いと思ってな」

巫女「神竜の生命力を預かる私には、必要のない事です」

男「じゃあ、あんたは千年もの間…ずっと祈る事だけを続けてきたのか」

巫女「…そう定められた身、それが使命ですので」


祭壇の周囲には七つの宝玉があしらわれ、その内の六つが透明な輝きを湛えている。

おそらくあと一つ、紅く輝くものが翼竜の瞳の力なのだろう。

七つ全てが紅色を失った時、滅竜達の封印は解ける。

男「翼竜が死んだ瞬間に、滅竜は蘇るのか?」

巫女「…千年を超える封印です。おそらく完全に岩から戻るには少しの猶予があるでしょう」

七竜の討伐にさえ死力を尽くさねばならない人間にとって、滅竜など傷をつける術さえ無いのかもしれない。

それでも滅竜が復活する際には、それなりの態勢を整えておかなければならないだろう。

滅竜を倒すのは真竜に任せる事になる。

だがせめて白眼の七竜は我々で相手をして、真竜に余計な力を使わせないよう努めなければ。

男「…真竜を眠りから覚ますのは、いつになる?」

巫女「真竜に残る片瞳の力は、つい先日まで天蓋の結界を維持する力として使われていました。それを解き、今は少しずつ覚醒の力を蓄えています」

男「完全に覚醒するには、どの位かかるんだ」

巫女「今でも覚醒しようと思えば可能です。しかし、長く他の事に使っていた力…できるだけ完全な状態で覚醒するには、時間をかけた方が良いでしょう」


巫女「何にせよ滅竜が岩の姿でいる限り、どうする事もできません。滅竜が蘇る時が真竜も目覚める時です」

現在の我が隊は騎士長が戻ったとしても、二十名を切っている。

いかに白眼の七竜が紅き瞳のそれより劣る存在だとしても、その全てを相手にするなら戦力不足は甚だしい。

星の国からの連絡によれば、王政の崩壊した月の国では月影軍が我々と合流しようとする動きも見せているという。

しかしまだ体制の安定しない状態で、本当に多数の兵を送る事は難しいのではないだろうか。

星の国にしても、いつ翼竜が現れるとも知れない状態では兵を裂く事はできまい。

増援を期待する事は、現実的では無い。

俺はそう考え、少ない兵での戦略を検討するも答えは出ずにいた。


しかし、更に七日が過ぎた夕方の事だった。

時魔女「あと…ジャガイモは結構あるけど、他の野菜は殆ど無いね。何より、肉が無いっ!」

幼馴染「もうふかしたお芋、飽きたなぁ…」

女「…焼き牡蠣、食べたいです」

時魔女「そういう今は絶対に食べられない物が、食べたくなるもんだよねー」

備蓄の食料が不足し始め、グリフォンを俺の故郷の村に飛ばそうかと検討していた時。

周囲の見張りに飛んでいた一体のグリフォンが戻り、それを駆る騎士が慌てた様子で報告に走ってきた。

騎士「男隊長殿…!外輪山の向こうに、多数の軍勢が集結しております!」

男「何だと…どこの兵だ?」

増援だというなら歓迎すべき事だが、月の国王派の残党という可能性もある。


騎士「それが、見た事の無い軍旗を掲げており…確か黒地に、黄色の円。その円の中にまた黒い何かシンボルが描かれておりました」

男「黒地に黄色の三日月ならば、月の軍旗だ。しかし黄色の円…満月をモチーフとした物は、知らないな…」

やがてその軍勢は外輪山に登り、その縁に姿を現した。

俺達は一応の警戒態勢をもって、それを迎える。

遠目にしか見えないが、確かに見張りの騎士が言ったように掲げられているのは、満月を描いた軍旗。

時魔女「味方かな…」

男「解らん、だが敵だとしたら…勝てる数じゃないな」

次々と尾根に姿を増し続ける兵士、その数はおそらく百を優に超える。

念のためグリフォンは人員の移送が可能な状態にしてあるが、相対する軍勢に魔法隊や弓兵隊が多く在れば被害は免れないだろう。

外輪山は険しくはあるが、外側と内側共に登り下りができないほどではない。

幼馴染「…下りてくる」

時魔女「何人かだけ…みたいだね。一斉に攻撃してこないって事は、敵じゃない…かな?」


暫くして俺達が立つ荒野に下りた兵士は五名ばかり。

どうやら纏っているのは月の兵装のようだった。

その内の一人が掲げた軍旗、黒に近い濃紺の背景に満月が浮かび、その中に象られたシルエットは地に突き立つ剣だと判った。

その剣からは長い影が伸びている。

男「そうか…あの旗は」

歩み寄る兵士は首を垂れ、掌を向けて右腕を横に延べた。

幼馴染「交戦の意志無し…だね」

男「先頭の二人、見覚えがある。一度は勝負をした仲だ…」

掲げられるは彼らが定めた、月影の軍旗。

そして二人は見事、俺を飲み負かした酒豪達だ。


月影兵「男…隊長…!やっと…やっと、会えた…」

男「貴様ら…」

月影兵「すみませんっ…隊長…自分らも本当は…最初から合流…したかっ…た…ううっ」

涙などこれっぽっちも似合わないだろうに、彼らはぼろぼろとその頬を濡らしている。

男「…また俺を酔い潰しにきたのか」

月影兵「国にっ…家族があるから…参加できず…隊長…もし貴方と戦う事になったらと…俺はそればかり…」

俺の眼前に跪き、兵は嗚咽を堪えて言葉を紡ぐ。

男「よく来た…本当に、よく来て…くれた…」

熱くなる目頭を押さえ、俺は声を震わせないよう努めながら、できるだけ短い言葉を選んだつもりだ。

月影兵「すみませんっ…たった…これだけの兵で…まだ本隊は都を離れるわけにいかず…」

男「何を言う…貴様らが来てくれただけで、千の軍勢にもなった想いだ…」


宿営地の端に繋いでいた三頭の馬が、不意に鳴き声をあげる。

そうか…後ろの三人はあの時、俺に馬を託したチェイサーだ。

すぐにでも愛馬に駆け寄りたい事だろう。

しかし軍人たる彼らは、それより先に俺の前に整列して言った。

月影兵「月影の師団…男隊長っ…!我々…月影軍選抜隊、百三十四名…!貴殿部隊にっ…合流…した…く……」

男「……長旅…ご苦労だった…歓迎しよう。貴様らが入れてくれたバーボン……まだ一口しか飲んでいないぞ」

兵の肩を抱く。

情けなくも、俺の目からも涙が堰を切ってしまう。

月影兵「…うっ…うう…隊長っ…」

男「いつか…貴様らと空ける…そう…思っていた…から…な…」

ごめんよ、ムサいシーンで


そして、九日が過ぎた夜。

俺と女、幼馴染、時魔女、そして帰還した騎士長はひとつ焚き火を囲んでいた。

男「やはり、翼竜は死ななかったんだな」

騎士長「夜間でなければグリフォンで迎撃するのだが…」

男「いや…旭日で相当の傷を負いながら十日近く飛び続けるなど、もはや不死としか思えん」

幼馴染「翼を全て落としたら…?」

騎士長「旭日では数枚の翼を落としたそうだな」

時魔女「うん…でも、翼竜が飛び去る時には黒い霧で縫い合わせられたようにまた繋がってたんだって…」

滅竜は解っているのだろう。

紅き瞳の力を得る事無く蘇れば、真竜に倒される事を。

故に決して翼竜を死なせず、何としても七つの瞳を自らの元に集めてから復活するつもりなのだ。

男「明日の戦いは、どんなものになるか解らん。だがおそらく、これが最後の決戦になるだろう」

騎士長「決戦…まさに、そうだろうな。もし真竜と我々が敗れれば、この世界が終わる」


俺の傷はまだ痛みはするものの、とりあえず動かしても口を開けるような状態ではない。

兵は総勢で百六十名に及ぶ。

白夜からの派遣部隊の第一陣として、新たに十体に及ぶグリフォンの騎士も既に参入している。

白眼の七竜の全てと同時に戦うなら分割される事にはなってしまうが、まともな戦略がとれないほど少なくもないだろう。

だがもし真竜が敗れたら、我々はあの巨大な滅竜に挑まなければならない。

神と呼ばれた竜と戦う…なんと大それた話だろうか。

まさか田舎農夫たる俺が、このような重責を負う事となるとは。

男「明日の戦いに引き分けや延長戦は無い…負けても逃げても待つのは死だからな」

騎士長「無論、勝って生きるに越した事は無いが…逃げて死を待つよりは」

男「ああ、だがそれは俺達の理屈だ」

俺は焚き火を見つめたままそう言った。

その言葉を宛てた者達の返答は、知れていたけれど。


幼馴染「…見くびらないで、怒るよ」

時魔女「時間停止が効かなくったって、やれる事はあるんだから。男が生きてるのは、誰のおかげだと思ってんの」

女「もう言い飽きましたし聞き飽きました、お腹いっぱいです」

俺は目を閉じて聞いていた。

今、どんなに説得しても彼女らが退く事は無いのだろう。

騎士長「…どうやら、我々だけの理屈では無いようだな」

男「ああ、仕方が無い。…このお転婆共め」

女「…ひどい」

幼馴染「知ってた癖に、ばーか」

時魔女「時間止めちゃおっかな」

俺は堪えきれず笑いを漏らした。

彼女らを死なせないためには、勝つしかないのだ。


………



…翌日、明け方

騎士長「総員、整列!」

まだ薄暗い早朝、全兵がこの地の中央に整列する。

男「…時は、来てしまったようだ」

先刻、外輪山の尾根に配していた見張り兵から、翼竜接近の知らせが入った。

飛来する速度は遅く、まだ数分以上の猶予はあるだろうとの事だった。

男「決して、勝ちの見えた戦ではない。だが…我々は勝たねばならん」

知らせを受けて十体のグリフォン部隊が迎撃に向かったが、恐らくそこでとどめを刺す事は難しいだろう。

男「ここへ達した翼竜がどうするのか…どのように滅竜達が蘇るのかも、解らない。…だが、臆するな」

真竜の巫女はいつもと同じ、中央の円形祭壇で祈りを捧げていた。

もうすぐ真竜を覚醒させ、そして真竜が力を使い果たした後は巫女も消滅する。

真竜の命を受け入れ、その生命力によって千年を生きた彼女。

望みこそしても、悲しむ想いなど無い…そう言っていた。


男「今までも、命を賭さない戦いなどなかった筈だ」

例え今を生き延びようとも、敗れれば待つのはいずれ訪れる死。

男「もはや、死ぬなとは言わん。総員…死力を尽くせ、これが最後の戦いだ」

天蓋の無いこの地に、緩い風が吹き抜ける。

一体のグリフォンが帰還したのだ。

騎士「…翼竜は身体周囲に即死魔法の魔法陣を張り続けており、攻撃できませんっ…!」

騎士長「最期の力を使い切るつもりか…」

やはり、避けられない。

おそらく滅竜は紅き瞳を手にしてしまうだろう。


男「……総員、聞け!」

真竜はそうなった滅竜を倒せるのか…それはもう、考えても仕方が無い。

男「翼竜に矢と魔法が届くようになり次第、一斉に放つんだ!翼竜が死んだ後、滅竜と白眼の七竜が蘇るだろう…恐らくは滅竜よりも七竜の覚醒が早いと聞いている」

滅竜達の封印が解け始めると同時に、真竜は覚醒される手筈になっている。

目覚めたばかりの真竜が白眼の七竜の攻撃に晒されないよう、それを防がなければならない。

男「盾兵、槍兵を中心に三十名が真竜の守護にあたれ!残戦力は状況に応じて七竜に立ち向かえ!上空のグリフォン隊と地上部隊で交互に攻め、撹乱する!」

迎撃部隊のグリフォン全てが帰還してきた。

やはり攻撃は不可能だったようだ。

騎士「翼竜!外輪山に差し掛かります!」

男「…残念ながら、それ以上の作戦はたたん。己の命を自ら賭けるんだ。各自の判断に任せる!」


そしてついに翼竜は外輪山の尾根を越え、姿を現した。

長い首と尾をだらりと垂れ、破れ引き裂けた翼を力無く羽ばたかせながら、やがてその高度を落としてゆく。

男「…なんて、ザマだ」

真っ直ぐに岩の滅竜を目指すその屍のような姿に、複雑な想いがこみ上げた。

男「弓兵隊…構えろ!」

ここからでも判る、噴き出し滴る血と黒い霧。

半分開いた顎からは犬のように舌が垂れている。

男「弓兵…放てっ!魔法隊…雷撃魔法、詠唱…!」

矢が一斉に放たれる。

届く高度ぎりぎりではあるが、今の翼竜はそれを避ける動作すら見せない。

翼の孔が数と面積を増していき、飛び方は更にぎこちないものとなってゆく。


魔法兵長「詠唱、完了します!」

男「発動位置に入り次第、放つんだ!」

雷撃に限らず、魔法は発動する場所に狙いを定めて詠唱を行う。

つまり通常なら飛翔する魔物、ましてや翼竜相手にはその狙いが定まるものではないのだ。

しかし今の愚鈍に、しかも真っ直ぐに飛ぶ竜になら充分に対応できる。

翼竜が向かう前方の僅か上空に、暗雲が渦を巻いた。

躱す事もせず進む竜を襲う、青白い稲妻。

一層の勢いをもって噴出する、滅竜の生命力たる黒い霧。

翼の動きが止まり、バランスが失われる。

幼馴染「…堕とすよ!」

風を切る鋭い音と共に竜を目掛けた矢は、その翼下で大きく炸裂した。

呻くような咆哮と共に、竜が堕ちる。


轟音と共に地に叩きつけられた翼竜は、暫く微動だにしなかった。

しかしやがて翼を地面に引き摺りながら、後ろ足の力だけで這い始める。

首を持ち上げる事もできず腹を地に着けたまま、蚯蚓のように這う姿は余りにも痛々しい。

もはや滅竜の生命力をもってしても、まともに動く事は叶わないのだろう。

即死魔法の効果範囲も既に消え失せており、進む速度は人間が歩くよりも遅い。

俺は竜の眼前に立ち、その瞳を見た。


男「…もういい」


紅き右瞳、金色の左瞳。

その眼差しは悲しく、早く殺してくれと懇願しているようにさえ映る。

墜落の際に千切れた翼は地に伏せられたまま、黒い霧に縫われるという気配は無い。

もう滅竜にとって、この翼竜の役目は終わろうとしているのだ。


男「もう…動くな、翼竜…」


傷だらけの竜が、ゆっくりと迫る。


剣を抜く。

急所たる眉間、そこに護る鱗は剥がれ落ちている。

刃に闘気を充填する必要さえ無いだろう。


男「仇敵よ…さらばだ」


渾身の力をもって、そこを貫く。

竜が、動きを止める。

すぐに筋肉が弛緩してゆくのが判った。

それまでも弱々しかった呼吸が、止んでゆく。


男「もう…断末魔さえ…あげられないのか」


これが、あれほどに果たしたかった仇討ちだというのか。

俺は、幼馴染は…こんな事を望んでいたんじゃない。

血に濡れた剣を抜き、俺は瞼を閉じゆく竜から目を逸らした。


ずん…と、地響きが鳴った。

周囲の空気が重いものに変わったかに感じられる。

地震のように大地が震え、まだ暗い上空の雲が渦を巻いてゆく。

男「…総員、戦闘準備」

岩がひび割れる音が、鈍く轟いた。

滅竜の、七竜の身体を覆っていた岩石が少しずつ崩れ始める。


男「例え命を落とそうとも、この世界が続くなら勇士の名は碑に刻まれよう…!」

祭壇に立つ巫女が両腕を横に広げ、天を仰いだ。

その周囲の宝玉、最後のひとつが紅色を失う。

代わりに天から射ち堕ろされる、金色の光。

それは巫女を包み込み、結晶のような形に乱反射している。

そして彼女はずっと閉じたままだった瞼を開いた。

その瞳、左は金色。

右は竜のものと同じ、真紅。


光の結晶は次第に姿を変え、巨大な竜のシルエットとなってゆく。

未だ半身を岩に包まれた滅竜よりも僅かに大きいと思われる巨体、金色の鱗を身に纏いし神の竜。

その雄々しさは兵を奮い立たせるに足るものだ。

男「怖れるな…!吠えろ!恐怖を払え!我々が護ろうとするは、この世界だ!命を賭すなら、今をおいてあるものかっ!」

総員「おおおおぉぉぉっ!!!」

全戦力の雄叫びと、七竜から崩れ落ちる岩の破壊音。

大気を震わせたのは、いずれだったろうか。

少なくともその後に響き渡ったのは、最初に蘇りし多頭竜ハイドラの咆哮だった。




男「総員、各自散開!…健闘を祈るっ!」



この世界が続くならば、きっと新たな神話として語られるであろう。



最後の戦いの火蓋は切って落とされた。


.

ここまで

ラストバトル、気合いれていきます
見てる方いたら、どうかオラにてーいを分けてくれ…!


ハイドラの動きはまだ鈍い。

五本の首の内、白い瞳を持つものは中央のひとつだけ。

おそらくそこを落とせば致命傷となるに違いないが、それぞれ自由に動く首が周囲を睨み前方には隙が無い。

騎士長「おおおぉぉっ!」

しかし素早く後方に回り込んでいた騎士長の駆るグリフォンが、首の付け根を狙って降下する。

その槍は深々と突きたち、青い血が噴き出した。

どうやら紅き瞳のそれよりも、白眼の鱗は脆いらしい。

一番左の首をくねらせ悶えるハイドラ、しかしカウンターの如く右の首が背後に向き騎士長を襲う。

幼馴染「そうくると思ってたよ!」

既に構えていた三本の矢が射られる。

それは別々の軌道を描きながら、騎士長に迫る首の目と頭部に突き刺さった。

騎士長のグリフォンが大きく羽ばたき、一時離脱する。


続けて歩みを止めていたハイドラの周囲に、冷気が集まってゆく。

魔法兵長「凍てつくがいいっ!」

魔法隊の内の十数名による完全詠唱の凍結魔法が、竜の脚部ごと周囲を氷に包んだ。

時魔女「時間加速っ!」

女「いきます…!」

時魔女が付与した力に補助され、女は僅か数秒で詠唱を終える。

女「吹き飛びなさいっ!」

火薬を炸裂させたのかと見まごう程の爆発に包まれる、ハイドラの首。

爆裂魔法と呼ばれる術だが、使いこなす者は少なく見るのは初めてだった。

その威力は凄まじく、右の二本の首が弾け飛び夥しい血が噴出する。


男「いいぞ…!やはり紅眼の竜よりは劣る!」

俺はハイドラの側面に回り、その動きを封じる氷を駆け上った。

闘気の充填は温存しなければならない、この白眼の鱗なら切り裂きは出来ずとも刃を突きたてる事は叶うだろう。

男「喰らえ…っ!!」

全力をもって剣を突く。

重い手応えと共に刀身が竜に沈む。

大きな弦楽器を掻き鳴らすような、苦しみの咆哮をあげるハイドラ。

男「おおおぉぉっ!!!」

体表を支点に体内を刃で切り裂く。

返り血に顔を背けながら、俺は剣を抜き距離をとった。


心臓には届かずとも、ダメージは大きく累積しているはずだ。

このまま一体ずつを相手にするなら勝機は充分にあると思われた、その時だった。

別の方向から、空気を震わせる咆哮が届く。

騎士長「…久しい顔が見えたな!」

幼馴染「クエレブレ…!」

その先には二体目の竜が首をもたげていた。

今のところ、竜が蘇る順序は対の竜が倒された通り。

クエレブレが動き始める前にハイドラを葬る事が出来ていれば言う事は無いが、それは叶わなかった。

もし本当に順番に蘇るとしたら、紅眼のハイドラが倒されたのは八年前。

クエレブレが五年前である事を思えばこの後少しの間をもってオロチが動き始めるだろう。

その場合サーペントとサラマンダー、更にヴリトラとワイバーンは殆ど間を空けずに蘇る可能性がある。

少なくとも今の二体は速やかに倒さねばならない。


騎士長「魔法隊!火炎魔法詠唱を…!」

咄嗟に騎士長が命令を下した。

彼の事だ、何らかの意図があっての事に違いあるまい。

幼馴染「大丈夫…!ここは洞窟じゃない、クエレブレの毒霧のブレスは炎で蒸発させればいい!」

まだ旭日の部隊としては駆け出しの頃、彼女はこの竜の対となる存在と戦った経験がある。

クエレブレは大洞窟に潜んでいた。

故に吐出する毒霧がそこに充満し、幾度にも渡って討伐隊が全滅してきたという。

幼馴染「あの時は旭日の魔弓隊が洞窟後方から竜を追い立てて白夜側へ出させた…そこからはグリフォンの総攻撃で圧倒したわ!」

竜が顎を大きく開け、周囲の空気を吸い込む。

男「来るぞ…!」

放射される紫色のブレス、吸い込めば命は無い。

魔法兵長「焼き払え!」

詠唱途中ではあるが、火炎魔法が放たれる。

立ち昇る火柱はその毒霧の拡散を防ぐには充分なものだった。


騎士長「洞窟の中では空気を薄くする火炎魔法は満足に使えなかった…!だが今は違うぞ!」

グリフォンの編隊がクエレブレを包囲する。

男「よし…!クエレブレは彼らに任せろ!ハイドラにとどめを刺すんだ!」

残るグリフォン隊がハイドラ周辺から離脱するのを待って、弓兵隊が一斉掃射を開始する。

その脚部を封じていた氷塊は既に砕け、ハイドラは自由を取り戻していた。

男「手を休めるな!矢が途切れれば竜の歩みを許す事になる!」

その動きがままならない内に、魔法攻撃で潰すのが最善だ。

しかし魔法隊はクエレブレにも割かれ、先ほどよりも数や威力は劣る。

女の爆裂魔法に期待したいが、あの術は消耗も大きいだろう。

連戦に備えるためにも、多用はできない。

男「少しづつでもダメージを与え続けろ!あと二本…いや、一本でも首を潰せば俺がとどめを刺してやる!」

あまり時間はかけられない、気持ちばかりが焦る。


弓兵「矢が不足し始めています!」

補給が追いついていない、弾幕が途切れ始めていた。

男「仕方がない…!女、もう一度…」

止むを得ず、女に再度の魔法攻撃を指示しようとした…その時。

幼馴染「…オロチが!」

白眼のオロチを覆っていた岩が、割れる。

男「まずい…これ以上、分散させなくてはならんのか…!」

ハイドラに向かう数少ない魔法隊が足止めとしての火炎魔法を放つ。

竜の前に立つ火柱、しかしその歩みを止めるには些か弱い。

オロチが動き始め、恐るべき速度で地を這い迫る。


明らかな危機に絶望が脳裏に過った、その刹那の事だった。


???「月の魔法隊が放つ火柱が、その程度とはな…!」


周囲の気温が灼熱に変わる。

時魔女「え…!?」

吹き付ける熱風。

眩い閃光と共に立ち昇ったのは、ハイドラの体躯を覆い尽くす程の炎の壁だった。

女「何て…威力…!あれが同じ火炎魔法なの…!?」

男「あの隊の装束は…!」

濃緑の大地に沈む夕陽のシルエットを模した国旗、それと同じ配色のローブに身を包む一団。

???「元よりハイドラは我々が討つべき竜!月の革命軍の手を借りては名折れというものよ…!」

それは落日の魔導隊の兵装に違いない。

時魔女「大魔導士!…落日のドラゴンキラー!」

大魔導士「落日の魔導隊、五十名!…暴れさせて貰うぞ!総員、翼竜を討ち損じた王都での屈辱!存分に晴らすがいい!」


ハイドラを包む炎が消えない内に、今度はその内側で鋭く尖った氷の結晶が生まれる。

更に間髪を開けずその頭上に雷雲が現れ、稲妻が竜を捉えた。

女「信じられない…無詠唱の連続魔法…!」

男「落日の大魔導士殿…ハイドラは任せた!」

大魔導士「偉そうを言うな小童!貴殿は蛇と戯れるが似合いだ!」

オロチに向き直る。

砂を泳ぐ際のヴリトラと遜色ない速度で地上を這う蛇。

クエレブレに気をとられた魔法隊の数名を弾き飛ばして、こちらに迫っている。

男「真竜に向かわれるよりはましだ…俺達が相手になってやる!」

視界の端、真竜はその翼を広げ力を蓄えているようだった。

巫女はその前脚に寄り添い、滅竜を見据えている。


幼馴染「炸矢…複式っ!」

オロチ目掛けて三本の矢が射られた。

その全てが竜の頭部に届いては炸裂し、土煙が包む。

しかしオロチはその煙幕を突き抜け、なおも変わらぬ速度で突き進んだ。

男「回避しろ!幼馴染!」

対オロチを担う全兵が、その両側を目指し二手に分かれて駆ける。

果たして竜が追うのはどちらになるか。

白き瞳がぐるりと動き、俺の姿を捉えた。

男「…こっちか、いいだろう!槍兵!俺がオロチの気を引く…!胴を攻めろ!」

槍兵「はっ…!」


まさに蛇が獲物に飛びかかるように、顎を開いたオロチは俺を目掛けて首を伸ばす。

確かにスピードは砂を泳ぐヴリトラほどもある、しかしここは砂漠ではない。

男「喰えるものなら喰ってみやがれ!」

俺にとっても砂上よりは、よほど走りやすい。

横に跳ぶようにその牙を躱す。

俺を捉え損なった、そのがら空きの背後からは。

幼馴染「炸矢…!いくらでもおかわりさせてあげる!」

オロチの巨体が浮く程の炸裂、怒りを覚えた大蛇が今度は矢の主に向き直った。

その死角から槍兵の攻撃が胴に突きたてられる。

痛みに身を捩り、大きく顎を開けた…その口の中。

女「…丁度良い位置です、私もご馳走して差し上げましょう!」

幼馴染の矢を凌ぐ、大規模な爆発が巻き起こった。


大魔導士「ほう…!その魔法を使う者がいるとはな!」

感嘆の声を投げる落日のドラゴンキラー。

既にハイドラは四本の首を失い、残る白き瞳を持つ首も地を擦る状態だった。

クエレブレもまた膝を折り、陥落は目前の様子だ。

ひとまず今、蘇っている竜の制圧は目前と思われた…しかし。

男「気を抜くな!オロチが再び動くぞ!」

先程よりも鈍い動作で、オロチは鎌首を擡げる。

そして、その背後。

幼馴染「う…わ…!」

時魔女「こりゃキツイわ…」

遠吠えのような複数の咆哮。

サーペントとサラマンダーが岩を破り、ヴリトラを包む岩石もまた大きくひび割れていた。


男「怯むな…サーペントは湖から出られまい!砂の無いヴリトラも恐るるに足らん!」

しかし状況は決して良くは無い。

サーペントは水流のブレスを吐くと聞いたし、如何に砂漠でなくともヴリトラも手緩い相手ではない筈だ。

湖を泳ぎ始めたサーペントは一度水中に潜る。

おそらく浮上した時には溜め込んだ水をブレスに変えて放つだろう。

むしろ手を出せないのは我々の方だ。

翼竜の速度には遥かに及ばないが、空を舞うサラマンダーも脅威となるだろう。

それでも兵の士気を下げるわけにはいかない。

男「サラマンダーが迫る前にオロチを仕留める!矢を射れ…!補給を急ぐんだ!」

再び、矢の弾幕が上がる。

微弱なダメージかもしれないが、動きを止める事はできる。


俺は温存している剣のトリガーを握るべきか悩んだ。

おそらく白眼の竜が纏う鱗なら、あの放出する光の刃で切れる。

だがそれは本来、ワイバーンを仕留めるために残しておくべき手段だ。

いかに紅眼の翼竜に劣ろうとも、飛翔する速度は変わらないかもしれない。

魔法や矢では捉え切れない可能性が高いだろう。

サラマンダーは既に空に舞い上がり、悪い事にこちらではなく真竜を目指している。

オロチに手間どっている場合ではない。

矢は途切れず大蛇の動きを封じているが、仕留めるに至るにはまだ時間を要すると思われた。


???「与一流弓術、追影炸矢複式…!」


突如、オロチを幾つもの炸裂弾が襲う。


長いオロチの体躯、その内でバランスを崩すであろう複数の位置を狙った炸裂の矢。

大蛇の巨体がまさに浮き、弾き飛ばされる。

幼馴染「複合弓術…しかも五連複式!こんな事、できるのは一人しか…!」

???「久しいのお…愛弟子よ」

独特のチェインメイル、腰に差されたカタナと呼ばれる細身の剣。

外輪山の尾根に姿を現した騎馬部隊。

幼馴染「お師匠様…!」

それはサムライと畏怖される、旭日の魔弓隊の姿だった。

男「あの崖のような山肌を、馬で登ったってのか…!」

幼師匠「ふん…我が国の山岳に比すれば、丘のようなものぞ。どれ、この老いぼれも祭りに加えて貰おう!旭日の魔弓隊二十五名、参る…!」

魔弓隊が外輪山を駆け下りる。

馬上から射られる全てが炸裂の矢。

手足を持たないオロチは体勢を立て直す事すら出来ず、その閃光に呑まれてゆく。


旭日の攻撃に目を奪われた俺に、高い位置からサラマンダーの咆哮が届いた。

そうだ、驚愕している場合ではない。

まだ新たに目覚めた、三体の竜がいる。

男「真竜…守らなければ!」

既にサラマンダーは顎を開き、火炎を吐出する体勢をとっている。

そしてそこまでの距離は、まだ矢や魔法が届くほどに近くない。

ごうっ…という風の音が鳴る。

女「間に合いません…!巫女様が!」

しかしそれは、サラマンダーのブレスによるものでは無かった。


あまりに大粒な雨のように、風を切り火竜に落ちる影。

見る間に切り刻まれてゆく、その翼。

獲物を捕らえる隼の急降下に似た、その攻撃の主は…


???「遅くなったな…許せ、騎士長」


…その全てが数十体にも及ぶグリフォンの騎士。

騎士長「新王陛下…!」

それは新王自身が率いた、白夜騎士団の本隊だった。

白夜新王「グリフォン騎士団、四十騎…月影軍に加勢致す…!」

十体ずつ程度に分かれたグリフォンの編隊が、別々の角度から再び竜に迫る。

編隊長A「レッド小隊、攻撃開始!」

編隊長B「ホワイト小隊、攻撃する!」

編隊長C「ロゼ小隊、交戦!」

翼竜に比べて愚鈍な飛行能力しか持たないサラマンダーに、その攻撃を躱す術は無い。

白夜新王「この戦こそ、余が国を率いるに相応しいかの試練!先王の無念をこの槍に預かった…白夜の誇りを受けよ!」


男「なんて事だ…!ははっ…月影の隊士よ、負けていられるか!ヴリトラを討つ、いくぞ…!」

月影兵「おおぉっ!!」

岩を破ったヴリトラの元へ走る。

しかしその脇の湖、サーペントが浮上し首をもたげた。

その腹にはブレスに変えるための水をたっぷりと飲み込んでいる事だろう。

たかが水と侮る事はできない。

火のように熱く無くとも、毒霧のように致死性は無くとも、高圧のそれをまともに受ければ衝撃は凄まじい。

サーペントの嘴が開く。

男「走れ!ヴリトラの周囲まで行けば水流のブレスは届くまい!」

時魔女「…あっ!」

その時、荒野の窪みに足をとられた時魔女がよろめいた。

女「時魔女さんっ!」

遅れる彼女の元へ駆け寄る、女。

あの日、砂漠で副官を失った時と同じ。

俺の脳裏に悪夢が甦る。


次の瞬間、炸裂の矢とも魔法による爆発とも違う破壊音が轟いた。

吐出するつもりだった水を撒き散らしながら、サーペントが再度水に沈む。

???「…新兵器の威力は如何かしら」

その側頭部を捉えた一撃は、未知の兵器によるもの。

時魔女「…来て…くれたの…!」

おそらくその兵器の開発者であろう女性は、外輪山の頂に据えた砲身の脇にいた。

彼女は星の国、技術開発局長の肩書きを持つ才女。

星の副隊長「いい子にしてましたか、隊長…?」

時魔女「あ、当たり前じゃん!ボクがいなきゃダメって位、役に立ってんだからっ!」

彼女の横には二基目、三基目の兵器を組み上げる兵の姿が見える。


月影兵「サーペント、再浮上します!」

星の副隊長「あはん…今ので終わりじゃツマンナイと思ってたの」

彼女が照準を覗きこむ。

鉄の筒で出来ているであろう長い砲身、その横に備えられたシートに座った彼女はきっと妖しく笑んでいる。

星の副隊長「ロックオン、距離・風向補正完了、白眼の海竜…スコープで見るとなかなかセクシーな横顔よ」

時魔女「うわ…副隊長、機械に触ると性格変わるんだよね…」

星の副隊長「新型カノン、名は…そうね…『ドラゴンスレイヤー』でいいかしら?…さあ、可愛がってアゲるッ!!」


そして俺はヴリトラの眼前に達した。

白眼の者にではないが、渇竜には借りがある。

男「…悪いな、紅眼の代わりに返させて貰うぞ!ヴリトラ!」

時魔女「魔力コンバート、時間加速モード!座標ロックオン!女ちゃん…いくよっ!」

女「はいっ!」

女は素早く詠唱を済ませ、ヴリトラの頭上に雷雲を呼んだ。

迸る稲妻、雷撃を受けた竜は身体を反らし、その視界に隙が生まれる。

俺は死角から駆け寄り、腹部に剣を突きたてた。

だが、この巨大な竜を一突きで倒せるはずはない。

すぐに剣を抜き、二撃目、三撃目を突く。

長い身体のどこかにある心臓を探して、何度もそれを繰り返した。

槍兵らもそれに続き、ヴリトラは痛みに悶えている。

しかし、次の瞬間。

女「危ない…男さんっ!」


竜は力を蓄えるように、その身体を縮めた。

男「尾に気をつけろ!」

言い終わるより早く襲う、鞭のようにしなる尾の打撃。

槍兵「うわああぁぁっ!!」

数名の槍兵が払い飛ばされ、犠牲となってしまう。

時魔女「男…!時間停止を…!?」

男「だめだ!翼竜まで温存しろ…!」

本来ならヴリトラに対して直接攻撃を行うには、まだ早い。

だが少しでも早く片付けねば、人間にとって最も厄介な竜が目を覚ます事となる。

俺は退かず、再度剣を構えてヴリトラの腹部を抉った。

苦しみの咆哮をあげる白眼の渇竜。

しかしまだその心臓は見つからない。


時魔女「だめ!そろそろ離れて…!」

ヴリトラが首を回す。

その白き瞳が俺を捉える。

この状況で、砂漠での俺は闘気を失い動けなかった。

男「来いよ…!今度は切り裂いてやる!」

女「無茶をしないで!男さんっ!逃げて…!」

無茶は承知だった。

それでも早くこの竜を仕留めなければならない。

例えヴリトラの牙と刺し違えてでも、その眉間を貫いてやる。

死にさえしなければ、時魔女の能力で救われるはずだ。

もし死んだら、それまでの命だっただけ。

ヴリトラがその顎を開き、俺を襲う。


???「無鉄砲さは健在のようですな、隊長…!」

その竜の眼前に、一人の戦士が舞った。

その者は斬撃を繰り出し、竜の左眼を抉る。

血を噴きながら、渇竜が退く。

馬鹿な、背丈の五倍はある高さだった。

何故そんな跳躍ができる。

それを可能にする、その左足は。


???「出過ぎましたな…お許し願おう」


機械仕掛けの義足、ニヤリと笑う三十路越えの男。

???「待たせましたな…良い休暇でありました」

男「…よく戻ってくれた、我が副官よ…!」

月の副隊長「さあ…私も借りを返さねばなりませぬ!参りましょうぞ!」


砂の無い大地故に動きの鈍い渇竜。

まして副隊長の一撃で左側の視界は失われている。

この副官と共にであれば、それを翻弄する事など容易い。

男「こっちだ!渇竜!」

身体の側面に深く刃をたてる。

怒りに任せ、俺に向くヴリトラ。

その背後頭上から、副隊長が飛びかかり脳天を突く。

急所は外れたが竜は仰け反って苦しみ、その腹部を露わにした。

男(鱗の連なりが中央の一部だけ違う…!)

ここが心臓の在り処だ、俺はそう直感する。

男「女!凍結魔法を詠唱しろっ!」

女「わ、解りました…!」


上段突きの構え、全力を振り絞る。

男「死ね…!」

剣を突きたてた、その傷口から夥しい血が噴き出した。

刃の先に脈動が感じられる、間違い無く心臓に達している。

そのまま刃先を捻じり込み、更に体内を抉ってゆく。

がくん…と、竜の身体が力を失った。

女「…凍結魔法!いけます!」

鎌首が俺に向かって倒れ込んでくるのをぎりぎりで躱し、素早く距離を空ける。

男「いけっ!とどめだ!」

女「はいっ…!!」

凍る空気、甲高い音に震う鼓膜。

竜の傷口から溢れる青い血が、一瞬にして固体に変わった。

渇竜の心臓が氷塊に閉ざされ、その動きを止める。

竜の命が閉ざされてゆく。

今日はここまで
もっと盛り上げたいのに、全然だめだ…

唯一の不満があるとすれば、初めましてのキャラが多いことだな
知り合いとかが多ければ集まった時の感動がてーいなんだが

そんな不満をいう俺にてーいをくれ

>>620
めっちゃ鋭いツッコミさんくす
まさにそれが悩みの種、全ては地の文を男視点にしたのが元凶
旭日や落日、白夜といった男が登場しないシーンを描けなかったんだ

他のレスも本当嬉しい
出来るだけ盛り上げてくよ


地に伏せたヴリトラの傍、少しの間だけ息を整える。

既にハイドラとクエレブレは討たれ、オロチも旭日と落日の両面攻撃によりその動きを止めていた。

鈍く首をもたげるサーペントに、更に二発同時の砲撃が浴びせられる。

サラマンダーはその翼を完全に奪われ、地にうずくまって十騎余りのグリフォンに包囲されているようだ。

残る数十騎のグリフォンは真竜の周辺上空を旋回し、護っている。

男「さあ…奴が蘇るぞ」

対の紅眼が死んだのがほんの先刻だったからなのか、幸いにも復活が遅れていた翼竜。

だがついにその身体を覆う岩が大きく剥がれ落ち、あの禍々しい六枚の翼がゆっくりと広げられてゆく。


最初の羽ばたきは遅く、しかし大きなものだった。

竜の周囲の大地から、円形に土煙が広がる。

身体を宙に浮かせ、その大顎をいっぱいに開き、自身の復活を誇示するように咆哮をあげる竜。

しかし、その次の瞬間には。

時魔女「消え…た…!?」

幼馴染「…上よ!」

翼竜は瞬く間に天空へ昇っていたのだ。

女「やはり、速い…」

男「我々も真竜の元へ…!急げ!」

上空で背面の宙返りを見せた後、その身を捻り急降下を始める翼竜。

男「くそ…!どうする気だ!」

あまりの速度にどこを狙っているかの判別がつかない。

見る間に大地に迫る、翼竜がその顎に捉えたのは。


時魔女「…紅眼の翼竜が!」

己の対の存在、紅き瞳の翼竜の亡骸。

その身体を引き裂き、頭を千切り、ずたずたにしてゆく。

時魔女「喰ってるの…!?」

男「…違う」

駆けつけても間に合うまい。

白眼の翼竜が抉り出そうとしているのは、七つの紅き瞳だ。

突如、紅眼の亡骸から大量の黒い霧が噴出する。

それと同時に白眼の翼竜は飛び退き、再び上空へと舞った。

亡骸の上に竜巻のように渦巻いた霧は、その中に幾つかの紅い光を抱いている。

男「消える…!」


文字通り空に霧散する滅竜の霧。

そこには既に紅き瞳の影は無かった、…そして。

女「真竜…!」

金色の真竜は更に大きく翼を広げ、首を前に伸ばして顎を開いた。

対面する滅竜が岩を破り、凄まじい咆哮をあげる。

ついに対峙する、二柱の神竜。

白銀の鱗を明け方の青白い光に輝かせて、その全貌を明らかにした滅竜の大きさは七竜の数倍はあるだろう。

幼馴染「真竜は飛ぶつもりなの…?」

男「いや、あれは…おそらく反動に耐えるための姿勢だ」

目一杯に広げられた翼で空気を受けて、自らの攻撃を支えるつもりに違いない。


つまり、滅竜を討つための真竜の最大にして最後の攻撃は。

女「紅い光が…!」

真竜の顎の前に、瞳の色と同じ紅い光の球体が現れる。

稲妻のような閃光を纏いながら、次第に大きくなってゆくその紅き瞳の力の集合体。

それをブレスに変えて放つのだ。

辿り着いた真竜の元、巫女はその両腕を滅竜に目掛けて延べている。

巫女「まだ…滅竜の覚醒は完全ではないはず」

確かに滅竜は封印は解けても、大きく動き始めてはいない。

巫女「弟竜を消し去るための、兄竜の命をのせた一撃…これで終わらなければ、人間の世が消える」

真竜の翼がゆっくりと前方に羽ばたく、紅い力が一段と大きくなり唸り声のような音をたてている。

巫女「…ようやく、私の使命が終わります。受けなさい…滅竜!」

金色の翼が後ろへ羽ばたき前方への推進力を得る、それと同時に眩い光のブレスが放たれた。


巫女「真紅のブレス…!!!」


紅き瞳の力が波動となって滅竜を襲う。


まだ動きを取り戻さない白銀の竜が波動に呑まれ、目を開けていられない程の閃光が辺りを包んだ。

僅かに遅れて凄まじい爆風が吹き抜け、俺は後方の地面に倒れ込む。

数秒、衝撃と目の眩みに視界を失った後、身体を起こした俺の目に映ったのは。


男(翼竜が、まだ飛んでいる…!)


ゆっくりと翼を地に着け、その身体を横たえてゆく金色の真竜。

片翼が吹き飛び、相当のダメージを受けつつもその脚で立ったままの滅
竜。


時魔女「だめ…だ…!」

幼馴染「倒せ…なかった…」


滅竜が、生きている。

絶望だけが、残されている。

未来が、閉ざされてゆく。

.


《…成る程、凄まじい力だ…》

空気全体が震うような、それでいて頭の中に直接届いているかのような声が響く。

男「滅竜の…声なのか…」

《白き瞳の力だけなら、ひとたまりもなかったであろう…》

まだ完全に復活できてはいない。

加えて真紅のブレスによる大きなダメージを受けて、鈍くぎこちない動作で滅竜が首をもたげる。

《…だが、我は生き残ったぞ…真竜…》

前を向いた、その右瞳は。

巫女「…やはり…奪われ…てい…た…」

消えようとする金色の真竜のものと同じ、紅き色を湛えている。


男「…総員!」

止まっているわけには、ひれ伏すわけにはいかない。

もう守るべき真竜も倒れた。

一切の兵も、矢も、魔力も温存する必要は無い。

男「…総攻撃だ!我々で滅竜を倒す!」

総員「おおおおぉぉぉっ!!」

一斉に矢が上がる。

グリフォンが編隊すら組まずに滅竜に突撃してゆく。

まだ満足に動けない標的、僅かでも希望があるなら今だけだ。


時魔女「翼竜が!」

しかしその滅竜を守るように、白眼の翼竜が立ちはだかる。

不意をつかれたグリフォンが数体弾かれ、顎が一体を捉えている。

男「時魔女!時間停止の準備を!」

時魔女「もう始めてる!…でも、速すぎてロックオンが…!」

その時、騎士長のグリフォンが俺達の傍に舞い降りた。

騎士長「幼馴染殿!複座に乗ってくれ!」

幼馴染「…はい!」

グリフォンの背、もう一つの鞍は後ろ向きに取り付けられている。

幼馴染は矢のストックが充分にある事を確認して、そこへ乗り込んだ。

騎士長「男殿!翼竜は我々で撹乱する、その剣で滅竜を討ってくれ!」

男「解った…!」

騎士長のグリフォンが再び空へと舞い上がる。

………


騎士長「あまり気を遣っては飛べん…!落ちられぬよう注意してくれ!」

幼馴染「ご心配なく、馬上での訓練も積んでいます!」

騎士長「…幼馴染殿、何をこのような時にと言われるかもしれん。だが、どんな形であれ仇の翼竜が倒された今…願わせて欲しい」

幼馴染「………」

騎士長「このグリフォン、名をスレイプニルと言う」

幼馴染「…それが?」

騎士長「本来、グリフォンの名は主人である騎士と、その主たる君主のみが知るものだ。普段はその名を口に出す事は無い」

幼馴染「……では、何故…私に」

騎士長「私には今、主君が無い…私が本当の騎士としてこの戦いに挑むためには、仕えるべき主が必要なのだ」

幼馴染「…騎士長様……私は…私も、仕えた旭日を仇討ちのために捨てた身」

騎士長「………」

幼馴染「サムライも騎士に同じ、仕えるべき主を必要とするもの。…騎士長様、貴方は私にその背中を預けて下さった」

騎士長「…変わった話ではあるが」

幼馴染「互いを主君とする…騎士とサムライが背を預けあうなら、そのような絆の形があっても良いのでは…?」

続きは夜に


………


翼竜を包囲しつつも、その速度に近寄れずにいるグリフォンの騎士達。

その中を一騎だけ正面から竜に向かう者がいる。

先刻、幼馴染をその背に乗せた騎士長のグリフォン。

ぎりぎりの至近距離をすれ違いながら、射手の矢が竜の胴を捉え炸裂した。

その衝撃に理性を失ったかのように、翼竜は身を翻すと自分を射った者を追い始める。

滅竜の周囲に大きな隙が生まれた。

大魔導士「今の内だ!接近して滅竜に火を浴びせろ!奴は動けん…全力でいけ!」

幼師匠「…的は大きい、外しようがあるまい!全ての矢を射るのだ!」

白夜新王「翼竜は騎士長の部隊に任せ、滅竜に挑め!槍が折れようとも、誇りは折れぬ!」


男「女…時魔女、もう長くは無いのかもしれんが、真竜と巫女の傍にいてやってくれ」

女「男さんは…!?」

男「俺は騎士長に約束した、この剣で滅竜を討つ。…時魔女、もし翼竜の動きが鈍ったら時間停止を」

時魔女「…解った」

女「男さん…お願い、死なないで下さい」

命を賭するのは、これが最後だ。

男「…すまない、女」

だからもう一度だけ、約束できない俺を許してくれ。

トリガーを握る。


《充填開始…15%…》


全てを、刀身に籠める。

男「いくぞ…滅竜!」


滅竜の背に火柱が立った。

落日の魔導士による攻撃、ハイドラを呑み込む程のそれも巨大な滅竜に対してはどれだけの威力があるものか。


《…30%…45%…》


雨のように滅竜に降り注ぐグリフォンの突撃も、獅子に纏わりつく虫けらのように見える。

少しずつ動きを取り戻す滅竜が大きく片翼を羽ばたいた。

たったそれだけの事で叩き落とされる、数体のグリフォン。


《…60%…75%…》


無数に射られる地上部隊の矢、果たして棘がたつ程の痛みでも与えられているだろうか。

まして槍兵の攻撃など、その胴に届く事さえない。


《…90%…充填完了、加圧開始…110%…120%…》


旭日の部隊が放つ炸裂の矢も、星の国の新兵器も、直撃したところで鱗の数枚を剥がすのみだった。


滅竜まであと数十ヤード、その真正面に立つ。


《…130%…140%…150%…》


俺の存在に気付いた滅竜が、ゆっくりとした動きでその脚を一歩踏み出す。

自分の身体を必死に襲う小さな人間達の攻撃など、気付いてさえいないかのように。


《…160%…170%…加圧限界接近…175%…180%…》


俺が何かの攻撃をしようとしている事は解っているはずだ。

それなのに滅竜は、挑発するようにその首を傾げるだけ。


《…185%…190%…195%…》


時魔女「男…!もうやめて…死んじゃうよ!」

女「…男さんっ!」


《…200%…過充填開始、刀身破損ノ恐レアリ…210%…215%…》


男「…く…っ……!」

俺は膝を突きながら、その首が切断されている事を願った…しかし。

滅竜《…人間の力とは思えんな》

ゆっくりと繋がったままの首を曲げ、頭を俺に向ける滅竜。

男「馬鹿…な…」

滅竜《あと十度もその技を放つなら…あるいは我を倒せるかもしれぬ》

今の一撃で奪ったのは、斬撃を当てた箇所の鱗と表皮の一部に過ぎなかった。

男(所詮…神には勝てないのか…)

遠ざかろうとする意識を、力の入らない拳を握り締めて無理に手繰り寄せる。

だが、繋ぎとめる事ができたのは意識だけだった。

斬撃で放たれたのは、俺自身の闘志でもあったのか。

男(…もう、無理だ)

俺の身体にはもう残っていない、もう空っぽになっていたんだ。


最初から、無理だった。

『命を賭して』、『命に代えても』、『刺し違えても 』、何度も弱い自分を偽って、そんな強い言葉を吐いてきた。

じゃあそれが無駄な時は、どうしたらいい。

刺し違える事も、命に代える事も出来ない、どうやったって死ぬのが自分だけの時は…何と自分を偽ればいいんだ。

滅竜は更にその動きを取り戻し始めている。

今、たった一度の尾による打撃で、月影の槍兵が何人も死んだ。

グリフォンの騎士が、滅竜の頭に迫る。

だけどあんな小さな…滅竜にとっては縫い針ほどの槍で、一体何が出来るというんだ。

滅竜が上げた前脚、ただ歩もうとしただけかもしれない。

それを地に降ろすだけで、旭日の騎馬兵が踏み潰された。

滅竜ばかりに気を取られた落日の魔導士に、翼竜が顎を開いて突っ込む。

一人が喰われ、何人もが弾き飛ばされて、死んでゆく。


俺はただの農夫だ。

それが神を殺そうなどと、冗談にしたって出来が悪い。

元々の軍人ではない俺が逃げ出したって、誰も笑わない。

いや、笑われたっていい。

この地に来た時に通った洞窟、そこへ逃げれば今だけでも死なずにすむんじゃないだろうか。

女は俺に死ぬなと願った。

例えいずれ人間が滅ぼされるとしても、少しでも生き永らえる事が出来るなら。

だけど足が、動かないんだ。

早く、早く女の元へ。

ちくしょう、這ってでも…ここから離れなければ。

ドラゴンキラー、月の討伐隊隊長、月影の師団、月影軍指揮官。

なんだその大層な呼び名は、俺じゃない…俺にそんなもの務まる訳が無かったんだ。


月の副隊長「隊長殿…!」

身動きのままならない俺の元へ、副官が駆けつける。

男「…もう無理だ、勝てるわけが無い」

月の副隊長「しっかりしなされ!何を弱気な…!」

男「どうしろって言うんだ…俺はもう身体も動かない!」

月の副隊長「…隊長殿…心が折れ申したか…」

そして副官は黙って俺に肩を貸し、半ば引き摺るように女の元へと運んだ。

女「男さん…!しっかりして!」

月の副隊長「女殿…隊長殿を頼み申す」

俺を責める事もせずに、彼は再び滅竜の元へ走る。

勝ち目が無いと知っても、死ぬと解っていても。

今の俺には、その後ろ姿を見る事さえ躊躇われた。


真竜はぴくりとも動かず、少しずつその身体が光の粒となって消え始めている。

巫女もまた横たわり、時魔女はその傍に付き添っていた。

女が優しく俺の肩を抱く。

男「女…もう、勝てない…どうやったって…あんなモノ倒せるわけがない」

己の弱さを女に吐露しながら、俺は両手を地に突いて震えている。

何と情けない姿だろう。

例え愛想を尽かした女に頬を打たれたとしても、俺には戦う力も意志も残ってはいないんだ。

しかし女が口にしたのは、罵る言葉でも俺を奮い立たせようとする言葉でもなく。

女「男さん…充分です、貴方はもう出来る事は全てしたじゃないですか」

男「…女……」

そして女は、立ち上がった。

女「まだ…自分に出来る事を残しているのは、私の方かもしれません」

そう言って俺に微笑んで見せた後、彼女は伏せる巫女の元へ歩む。


時魔女「女ちゃん…」

女「巫女様、先ほどの話…もう一度お聞かせ下さい」

巫女が薄く目を開けた。

その右眼の紅色が失われている。

女「もう一度…真竜のブレスを放つ事が出来れば、滅竜を倒せるかもしれない…そう仰いましたね」

巫女「女…様…しかしそのためには…新たな巫女が…」

掠れた声で巫女は言った。

新たな真竜の巫女をたてれば、もう一度真竜に紅き瞳の力を与える事が出来る。

巫女となった者は真竜にその魔力を差し出す代わりに、紅き瞳の生命力と意志を託される。

巫女とするのは強大な魔力を持った、清らかな乙女でなければならない。

女はただ目を閉じて、それを聞いていた。


巫女「…時魔女様の魔力は…既に異質なもの…幼馴染様では、魔力が足らない…」


女「…私は、魔力には自信があります」


巫女「しかし…」


巫女になる乙女は、清浄な身でなくてはならない。


女「……大丈夫です」


目を開けて寂しげに笑む、女。


女「私は男さんの妻…でも」


そして彼女は、俺が何度も口にしてきた言葉を借りて言った。


女「…それは形式上の事ですので」


.


巫女「紅き瞳の生命力を…得るという事は…真紅のブレスを放てば…死ぬという事…」

女「承知しています…巫女様、時間がありません」

男「…女……」

巫女「本当に…良いのですか…?」

男「女…!」

女「…構いません」

男「やめろ…女…!」

巫女「…女様…手を…」

男「よせっ…!だめだ!」

女「ごめんなさい…男さん」

男「謝らなくていい…!だから…」

女「貴方の妻となれない事…お許し下さい…」


巫女が女の手を握り、何かを唱える。

二人共が目を閉じていた。

やがて周囲に金色の光が立ち昇る。

男「よせ…!やめてくれ…!」

時魔女「…女…ちゃん…」

強さを増す光、その内に紅い煌めきが舞い、次第に女を包んでゆく。

そして一瞬、目が眩む程の輝きを放った後、光の柱は散って消えた。

男「……女…」

ゆっくりと、女が立つ。

巫女の手から竜を象った杖を受け取り、その瞼を開ける。

その右瞳は。


女「私は…貴方が生きる、この世界の妻となります…!」


真竜の力を宿す、紅色。

.

今夜中にもう一度投下…したい


真竜が金色の輝きを取り戻す。

立ち上がり、その翼を大きく広げ、全力の咆哮をあげる。

滅竜《…まさか、何故…真竜…!》

首を延ばし体勢を屈めて、顎を大きく開いた。

尾の先、翼の先から紅い稲妻のような力が身体を伝い、その顎の前に集まってゆく。

滅竜《…馬鹿め…相殺してくれるわ!》

同じ姿勢をとり、借り物の紅き瞳の力を集め始める滅竜。

白き瞳をも持つ滅竜は、真紅のブレスを放っても生き残るだろう。

滅竜を攻撃していた兵達が状況に気付き、一斉に退避の動きをとり始めた。

男「女…!やめろ、それを放てばお前は…」

女「…男さん、私…貴方と出会ってから、本当に幸せでした」

真竜の意志を託された女は、滅竜に対して真っ直ぐに腕を延べている。

女「…ありがとう、男さん」


俺は、なぜ。

こんなところで、動けずにいるんだ。

時魔女「…翼竜が来る!」

真竜を襲おうと羽ばたき近づく翼竜。

騎士長と幼馴染はそれを追い、妨害しようとしている。

時魔女「真っ直ぐにこっちに来てる…!これなら…!」

時魔女は既に変換を完了していた時間停止を発動するため、翼竜を視界に捉えロックオンを試みる。

時魔女「…よし!いける!…時間停止っ!」

刹那、翼竜が空に縫い付けられたように動きを止めた。

騎士長だけでなく、周囲にいたグリフォンが即座に総攻撃を加え、瞬く間に切り裂かれてゆく竜の翼。

時魔女「もう充分かな…!?解除っ!」

翼竜がその動きを取り戻す。

そして為す術もなく失速し、墜落してゆく。


まだ、誰も諦めていない。

女が命に代える覚悟で手繰り寄せた最後の希望を、必死に掴もうとしている。

俺はここで項垂れているだけなのか。

女が命を捨てる事を悲しんでいるだけ、それで生き延びるつもりなのか。

男「…時魔女!…俺に時間加速を!」

時魔女「え…!?う、うん!魔力コンバート、時間加速モード!」

女の夫たる、この俺が。

男「…騎士長っ!来い…!」

その希望を掴もうともせずに、どうするというんだ。

翼竜が堕ちた後、既にこの近くまで退避していたグリフォンが俺の前に舞い降りる。

男「騎士長!俺を乗せてくれ!」

騎士長「解った…!」

俺は言う事を聞かない脚を、無理矢理伸ばして立ち上がった。


幼馴染に手を引かれ、グリフォンの背に登る。

男「時魔女…時間加速は限界まで速くしてくれ」

時魔女「了解!発動するよ…時間加速っ!」

その効果が付与されると同時に、俺は剣のトリガーを握った。

《充填開始…20%…40%…》

魔法効果により充填速度は凄まじく早い。

それは俺の身体にとっては限界を超える負担だという事は解っている。

それでいい、例え俺の全ての力を…命までも充填したって構わない。

離陸する、グリフォン。

男「騎士長…滅竜の背後から、その頭へ!」

《…70%…90%…充填完了、加圧開始…120%…》


既に真竜と滅竜、双方の顎の前には紅い光の球が出来はじめている。

背後から滅竜の頭部に近づいた。

滅竜《…こざかしい!》

騎士長「まずい…気付かれた!」

異変に気付いた滅竜が、その片翼でグリフォンを狙い羽ばたこうとした…その時。


滅竜《…何だ…これ…は…!》


滅竜が突如、動きを止める。

その理由はすぐに解った。


何故なら、その瞳の色が物語っていたから。

.


男「まだ…あんたはそこにいたんだな…」

騎士長「男殿…!どうする!」

男「ここでいい…騎士長、後は頼んだ!」

滅竜の頭上、俺はグリフォンから跳んだ。

その、紫色の瞳にかかる瞼の上に。

騎士長「男殿…!」

男「退避しろ、騎士長…すぐに」

《…300%…充填限界、充填限界》

滅竜の動きを封じる彼の力がいつまで続くかは解らない。

剣の充填もここまでのようだ。

刀身には光のひびが入り始めている。


『理論上は150%で金剛石でも砕けるはず』

ならば、限界充填の今なら、どうだ。


男「砕けろっ…!」


滅竜の瞼越しに、剣を突き降ろす。

その瞳に深々と刃が食い込む。


男「おおおおおぉっ!!!」


トリガーを解放する。

眩い光と共に刀身が、そして竜の瞳が砕ける。


今だ、女、躊躇うな。


伝うはずだろう、俺の意志は。


男「女…」


許せ、お前が俺の生きる世界の妻となれない事を。


男「…放て、女」


お前はやはり、俺の妻でなくてはならんのだ。


男「はなてえええぇぇっ!!!」


真竜の顎、紅き光が満ちる。

滅竜を、俺を、その波動が貫く。

きっと今、妻は微笑んだ。

俺の心を捉えてやまない、あの美しい青い瞳を涙に濡らして。


第三部、終わり


第四部は短いです

書け次第、すぐ順に投下するつもり
とりあえず今夜はここまでー


第四部、はじまりー

短い最終部です

……………
………



小隊長『…と、ついに真竜の二度目のブレスが滅竜を捉えたわけよぉ』

新米兵『ちょっと小隊長…飲み過ぎですって、その話ならもう百回くらい聞きましたし、今夜だけでも三回目ですよ』

小隊長『あー?そうかぁ?』

新米兵『しっかりして下さいよ…明日は総司令殿に会うんですから』

小隊長『いいんだ、いーんだよぉ…総司令殿もどーせ毎晩飲んでらぁ』

新米兵『もう…頼みますよ、ほんと…僕は総司令殿には会った事無いんですから』

小隊長『大丈夫、だいじょーぶって…おいバーボンがもう空いてるぞぉ』


………


新米兵(…大丈夫って言ってたくせに、結局二日酔いで来られないって…なんて体たらくだよ)

新米兵(ああ…やだなぁ、総司令ともあろう方が、怖くないわけがない)

新米兵(…そもそも、なんでこんな片田舎に駐留してるんだろ。都にデンと構えてりゃ、苦労もしないのに)

新米兵(小さな村だから、すぐに会えそうだけど…それっぽい建物…大きな建物自体が無いぞ)

新米兵(うわぁ…麦畑が黄金色だ、広いなぁ)

新米兵(誰かいたら、訊いてみるかなあ…でも誰も…)

新米兵(あ、女の人がいる。この畑の人かな?)


新米兵「…あ、ちょっとすまない。訊いてもいいかね?」

農女「はい」

新米兵(うわ…綺麗なヒトだなあ、こんな田舎にも美人っているもんだ)

新米兵「この村に連合軍の総司令殿がいるはずなんだが、もちろん知っているのだろうな。案内してくれないか」

農女「…わかりました、おいで下さい」

新米兵(ついでにこのヒトの部屋にも案内してくれないかな…うへへ)


新米兵(しかし、珍しいよな…左の瞳は綺麗な青色なのに、右の瞳は紫がかってる)

新米兵(なんか神秘的で、余計に色っぽいな…)

新米兵(そういえば、小隊長のしつこい話に出てくる姫様も、真竜の力を引き継いだ時は右瞳だけが紅くなったんだっけ)

新米兵(…その後…えーと、滅竜に二度目のブレス攻撃をした後って…どうなったんだったかな)

新米兵(…何回も聞いたはずなんだけどな、いつも右から左だったから)

新米兵(…えーと、あれ?)

新米兵(………あ、そうだ…確か)

新米兵(そうそう、続きは…)


……………
………


男(……滅竜が…真竜が、消えていく)

不思議な感覚で、俺はその様を見ていた。

何故、俺の意識は消えないのだろう。

あの凄まじいブレスをまともに受けたはずなのに。

もう既に死んでいて、魂だけの存在になっているという事なのか。

それならば何故、俺はこうも疲れているんだ。

無理やりに剣を充填して、竜の瞳を割った…それは解っている。

しかし、疲労というのは死んでまで残るものなのか。

それに今、何故俺は宙に浮いている…真紅のブレスは止んでいるのに、どうして視界が紅いんだ。

…違う、これは…紅い球体に包まれて…ゆっくり降りている。

もうすぐ地面だ、一体どういう…


不意に、視界の紅色が消える。

地面に着くと同時に、俺を包んでいた球体が弾けたのだ。

幼馴染「男…!生きてる…!?」

時魔女「嘘…!?なんで…よかった、でも早く!女ちゃんが…!」

声を掛けられた事にひどく驚いた。

しかも『生きてる』とは、どういう事だ。

まさか本当に俺は生きているのか、でもそう考えればこの疲労に納得もいく。

時魔女は確かに今、女の名を口にした。

明らかに何か危機的な状況を示唆する言いぶりで、俺を呼んだ。

駆け寄りたいのは山々だ、だが…もう…身体を起こしてすら…


地面に倒れ込んだ俺は、情けなくも騎士長に抱えられて女の元へと運ばれた。

元の真竜の巫女と並んで寝かされた女は、目を閉じて動かない。

男「…女……」

俺だけが生き残り、女を失ったというのか。

そんな、最も望まない結末を見るくらいなら、いっそ俺も死んだ方がましだった。

男「女…嘘だろ…おい、女…」

真っ直ぐに下ろされた彼女の手を握る。

俺の掌の中、冷たい指輪の感触が伝わった。

…そうだ。

俺は結局、一度もこの指輪を正しく身に着けていない。

せめて、今…彼女を弔うためにも。

俺は右手だけを女の掌から放し、自分の胸元のペンダントを引き千切った。

そして、そのトップに提げていた対の指輪を…


男「これ…は…?」

指輪の台座、その石に色が無い。

あの、サラマンダーの瞳を切り出した紅い宝玉の欠片が、まるで金剛石のような透明な輝きに変わっている。

男(…まさか……)

あとの片手で握っていた、女の掌を放す。

その薬指に通された彼女の指輪、その石もまた透明になっている。

咄嗟に女の胸の間に耳を当てた。

微かに伝わる、定間隔の愛しい心音。

男「生きてる…!」


時魔女「本当に!?…ちょ、男!キスして、キス!」

幼馴染「そうだよ!王子様のキスで目が覚めるかも!」

…そうか。

きっと俺を包んでいた紅い球体は、同じ紅き瞳の力から守ってくれた結界。

女は真紅のブレスによって片瞳分の生命力を全て使い、死ぬはずだった。

しかし彼女もまた、片瞳分の他に小さな欠片を持っていたから。

幼馴染「騎士長様、無理矢理キスさせてやって下さい!」

男「馬鹿言え、生きてりゃその内…」

時魔女「大丈夫!今の男はヘロヘロで抵抗出来ないから!」

騎士長「承知した」

冗談かと思っていたのに、騎士長は本当に俺を押さえつけ始める。

確かに力が入らず、何の抵抗もできない。

女の眼前まで顔を運ばれた、その時。

女「……あ…れ…?私…生きて…?」

男「…女!」


目を開けた女、その右瞳はほのかに紫に染まっている。

女「男さん…!貴方も…生きてるんですか…!」

彼女の表情を最初に支配したのは、驚きの感情。

そしてすぐに喜びを経て、安堵の泣き顔に変わる。

それを見られたく無かったのか、女は俺の首に腕を回すと、半ば無理矢理に口づけた。

幼馴染&時魔女「……!!」

その腕が震えているのは、きっと嗚咽を堪えているからなのだろう。

少しして唇を離した彼女は、周囲にニヤついた面々がいる事に改めて気付く事になる。

そしていつものように、頬を真っ赤に染めて俺の胸に顔を埋めた。

その時、不意に女の温もりとは違う暖かさが背中を覆う。

外輪山の高さを超え、このクレーターの中央を照らす朝日だ。

騎士長「…終わったのだな」

幼馴染「そう…ですね」



時魔女「……チッ、寂しいぜ」


巫女は俺がグリフォンの背に乗って間も無い頃、息をひきとったという。

女に真竜の力を託し巫女としての役割を終えた彼女は、ようやく涙を零したそうだ。

穏やかに微笑んで、最後に『やっと、あの人を許して差しあげられる』と言い残して。

そのままの表情で、彼女は眠った。

幼馴染「…落ち着いたら、埋葬してあげないとね」

時魔女「翼竜と一緒にしてあげるのが、いいと思うんだ」

男「ああ…この場所でな」


月の副隊長「…隊長殿、よくぞ…滅竜を討たれましたな…」

俺の元を訪れた副官は似合わない涙に目を潤ませて、座り込んだままの俺の前に膝をついた。

月の副隊長「元よりの軍人ではない隊長殿が、あの時強い心を失った…それは仕方の無い事」

男「…情け無いところを見せたな」

月の副隊長「何を言うのです…貴方は我々が誇るべき、素晴らしい指揮官でありました」

彼がその右手を延べる。

力無く、それを握り返す。

男「だが、すまない…最高の副官は二人いる事にさせてくれ」

月の副隊長「ほう、妬けますな。その強者とは、一体…?」

男「俺を…命を救ってくれた者がいる」

俺は青い空を見上げて、でもそこに彼の者の姿を想う事はしなかった。

あいつはこんな青空の背景が似合うような人間ではない。

男「…なに、ただのゴロツキではあるのだが」


時魔女は星の副官に抱きついて、子供のように泣いている。

まだ二十歳にも満たない彼女だ。

数ヶ月もの間、この異国の地で慣れ親しんだ者もいない環境に耐えてきた。

まして命すら危機に晒しながらの事、辛く無かったわけがない。

ただ、少しでもその寂しさを紛らわせてくれる存在があったとしたら。

それは今、白夜新王に労いの言葉を掛けられている騎士長…ではなく、その程近いところで彼を見ている女性だったに違いない。

彼女は先刻、再会を果たした恩師に肩を抱かれて涙を零していた。

その後には共に修練に励んだのであろう門下生の仲間と、顔をぐしゃぐしゃにして抱き合っていた。

だからきっと瞼が腫れている、そしてそんな顔を見せたくない相手がいるのだろう。

彼女は水に濡らした拭き布を目に当てて冷やしている。

まだ戦いが終わって一時間と経たない。

たったそれだけの間で、騎士長と幼馴染の距離感が微妙に以前と違う事は察せられた。

…僅かに、ほんの少しだけ、でも確かに。

五年前と同じ、ぐっ…と締め付けるような痛みが俺の胸を責めた。


男「…なんとも壮観な事だな」

騎士長「まさかこのような日が来るとは」

時魔女「ドラゴンキラー集結!なんかキメのポーズでも考える?」

大魔導士「なんだ…儂と旭日の老いぼれ以外は小童に小娘…優男、拍子抜けするな」

幼師匠「なに、落日の…儂から見ればお主も小童よ。ほっほっ…!」

五人の戦士が集う。

中には争いの歴史を持つ国もある、それがこうして共闘する事など誰が予想できたろうか。

まだ芽生えたばかりではあるが、この絆こそが真竜が人間に託した希望となり得るのかもしれない。

大魔導士「全てのドラゴンキラーが揃ったのだ、勝利して当たり前というものよ」

時魔女「滅竜を倒したのは真竜だけどね」

騎士長「違いない。だが落日や旭日が力を貸してくれなければ、勝利は無かった」

男「そうだな…でも、ドラゴンキラーと呼ぶに相応しい者は、もう一人いるんだ」

幼師匠「…ほう、どのような者かな?小童か小娘か、優男か老いぼれか…」

その者は身体を失ってなお、あの巨大な竜に抗った。

男「強いて言えば優男が近い…でも騎士ではなく、偉大な魔導士だ」


後に『竜の聖戦』と呼ばれるようになるこの戦い。

最後の一日だけを数えて、戦死者は月影軍二十四名、落日軍八名、白夜軍十四名、旭日軍十名の計五十六名に上った。

外輪山上からの砲撃に徹した星の軍に犠牲は無かったが、瞳を集めようとする翼竜に襲撃された際に最も大きな被害を被ったのは星の国。

どの国が最も栄光や損害を大きく分けたという事も無いと言える。

それ故にどこか一国が崩壊した月の国の所有権を主張する事も出来ないのは不幸中の幸いだった。

落日、白夜、旭日の三カ国はそれぞれの王の命を受けての派兵だったが、他国間との摩擦を恐れて通告はしなかったらしい。

星の国については、星と月それぞれの副隊長が中心となって組織された非公式の派兵だったらしく、漏洩を恐れて時魔女に伝える事も出来なかったそうだ。

それでもその派兵があったからこそ他国に対して面目を保つ事ができたと思えば、副隊長らに処分が科されるとは考え難い。

第一、世界の危機を救った英雄達に処分など科そうものなら、自国の世論が黙っていまい。

とにかく幸いにも各国間には摩擦などが生じる事は無く、以前と変わらない国交が続く事となった。

いや…少しだけ、変わった事がある。

落日も共同の通信網に参加した事と、月の国が無くなったため事実上の終戦となった事だ。

人間の世界は一歩だけ、真竜が望んだ成熟したものに近づいていた。


……………
………


…三年後


納屋の中で草刈り用の大鎌を研いでいると、がたん…といつもの建て付けの悪い音と共に扉が開いた。

天窓の明かりだけだった少し薄暗い室内に、外の眩しい光が差し込む。

その光を背景とするように姿を現したのは、美しき我が妻。

女「男さん、お客様がいらっしゃってます」

男「女…お前、また畑に行っていたのか。大人しくしてろと言っただろう…」

女「だって、退屈ですもの」

彼女は少し拗ねたような顔をして、自らの腹を手で撫でた。

それは俺がいつも『大人しくしていろ』と彼女を咎める、その理由が宿るところ。

まだ目に見えて判る程ではない、俗に安定期と呼ばれる時期には達していない。

だからつい、俺は口うるさくしてしまうのだ。


新米兵「あのー、ここは…私は総司令殿のところへ案内しろと頼んだのだが…」

彼女の向こうから客人が顔を覗かせる。

まだ若い、入隊したての兵士なのだろう。

…知らないのも無理は無いな。

男「ああ…よくきた、疲れたろう。女、茶を淹れてくれ…家に入ろう」

女「はい、今日はお隣に貰ったジャスミン茶にしますね」

新米兵「いや、私は総司令殿をだな…」

男「…まあ、知らないのだからな。こんな格好をしている俺が悪いのだし…構わん」

彼は首を傾げ、暫く言葉の意味を考えたようだった。

やがて少しずつ理解がいったのか、その顔を青くしてゆく。

新米兵「ままま、まさか…貴方様が…」

男「ああ…連合軍総司令なんて柄じゃないんだが、一応そういう事になっている」

泣きそうな表情をしながら、慌てて敬礼の姿勢をとる兵士。

俺はその肩を叩いて「気にするな」と笑っておいた。


あれから一年近くは元・月の国がどうなるかは定まらなかった。

結局、どの国からも不満が出ないよう共同統治という形をとる事となり、その大陸には連合軍が置かれる事となる。

それぞれの国力に応じ、基本的には保つ軍備の半分を出し合った、総合的に見れば世界最大にして最強の軍という事だ。

星、白夜、旭日、落日それぞれから四将軍という位置づけの大幹部を置き、属する国を持たないという理由でなし崩し的に俺が総司令に据えられてしまった。

とはいえ、連合軍には普段の仕事は無い。

未だ無いが、国際的な有事やどの国の領地でもない地域での争いにだけ干渉する事となる。

それ以外では、せいぜい公海や砂漠に現れる魔物を征伐する事があるくらいだ。

そして今回、この新米兵が俺を訪ねてきた理由はその後者にあたるものだった。


男「…で、その砂漠に現れるサンドワームを連合軍で何とかしろと」

新米兵「はっ!そのように伝令を受けております!」

男「サンドワーム…しかも複数か、なるほど砂漠の民の手には負えんだろうな」

やはりヴリトラがいなくなると、そういう魔物が幅を利かせるようになるんだな。

男「やむを得んか…でも砂漠は気が乗らんなあ」

女「何をだらしない事を、困っている人がおられるのですから行ってあげなきゃダメです」

男「でも、二ヶ月以上かかるからな…」

女「そんなに早く産まれませんよ、心配しないで…子育ての先輩も近くにいるんですから」

だめだろ、あいつは。

だって腹に子供がいる時にグリフォン乗り回してたんだぞ。

…そうだ、砂漠までグリフォンを使えば期間を相当短縮できないだろうか。

男「よし、新米兵…白夜将軍のところへ行くぞ」

新米兵「はっ!すぐに馬を引いて参ります!」

男「馬鹿言え、なんで三軒隣に行くのに馬がいるんだ…」


白夜将軍の住まう家には、子供達が群れていた。

子供「グリフォン乗せてー!」

子供「ちょっ!順番守れよー!」

子供「赤ちゃん見せてー」

幼馴染「はいはい…今日はお終い、グリフォン疲れちゃうもの。赤ちゃんオモチャにしないでねー」

不満を垂れる子供達を宥めながら、彼女はグリフォンの毛を梳かしていた。

すぐ隣に置かれたラタンのクーハンには、もうすぐ十ヶ月になる子供が指を咥えて眠っている。

男「おう、いい天気だな」

幼馴染「あらあら、総司令サマ…今日はどしたの?…兵士さんなんか連れて」

男「ん…仕事の話だ。白夜将軍サマはいるか?」

幼馴染「今、畑にカボチャ採りに行って貰ってるの。すぐ帰ると思うよ」


彼女の言う通りじきに戻った白夜将軍…騎士長は、俺と新米兵を自宅に招いた。

そこでさっきの話を聞かせ、グリフォン使用の可否を問うが、彼は少しばかり顔を曇らせる。

騎士長「…そうだな、海を渡るところまでは良いのだが」

男「そこからは?」

騎士長「グリフォンは暑さに弱い、砂漠までは行かせられんな…」

…どうやら、あの厳しい徒歩による砂漠の行軍は避けられないらしい。

過去の経験を思い返し、なおさら憂鬱になってしまった。

騎士長「まあまあ…仕方がありますまい」

男「騎士長、それは砂漠を歩いてないから言えるんだ…」

まあいい、海を越えるためにグリフォンを使うなら、どうせそこから彼も砂漠を歩く事になるだろう。

北国、白夜育ちの優男…耐えられるかな?


二日後、俺達は騎士長のグリフォンに揺られて都へと飛ぶ。

かつては月の王都と呼ばれていた、この大陸の中央に位置する連合軍本部が置かれた都市だ。

結局、女と幼馴染もここまでは見送りに来ると言い、グリフォンの籠に乗り込んだ。

僅か数時間とはいえ、悪阻と揺れの両方に苛まれた女は相当に顔を青くしていたけれど。

軍本部の演習場にグリフォンを着陸させると、そこには既に星の将軍が待ち構えていた。

男「ちょっと久しぶりだな、星の将軍殿…」

時魔女「ちょっとじゃないっ!週に一回は来なさいよね!」

幼馴染「久しぶりー、可愛い妹よー!」

時魔女「お姉さまー!赤ちゃん、大っきくなったねー!」

相変わらず、仲の良い事だ。

この三年間で、見かけは随分大人の女性に近付いたが、中身は変わっていない。

もう少し将軍としての威厳が…いや、それは総司令たる俺にも無いなから言うまい。


義足少将「お久しゅうございますな、総司令殿」

また久しい顔が見えた。

「おお…元気そうだな」

互いに歩み寄る道の表面は石畳になっている。

そのため、義足の彼が歩く度に金属音が鳴るのは仕方ない。

まだ少し、彼の足を斬り落とした感触を思い返し、辛くなってしまうけれど。

男「副隊長…じゃなかった少将、義足の調子はどうだ?」

義足少将「…先日、試験的に仕込刀を盛り込まれ申した…」

しゃきん…という音と共に、いつ使う機会があるんだという感が否めない刃が飛び出す。

男「お、おう…」

義足少将「次は車輪を格納してみるつもりらしく…現在、夜は暗さを感知して無意味に光りまする…」

がっくりと肩を落とす少将。

ただ、不幸せそうには思えない。

男「なんか、大変だな。ま…好きで貰った嫁さんだろ、付き合ってやれよ…」


男「大魔導士殿、幼師匠殿…暫く軍を頼む。…悪く思わないで欲しい」

さすがに総司令と四将軍の全てが留守にするわけにはいかない。

今回の遠征には俺と騎士長、時魔女だけが向かう事となっている。

大魔導士「何を言っておられるのだ、小童司令官殿。別に砂漠になど行きたくもない」

幼師匠「そうじゃて、こんな老いぼれが砂漠など…行くというより迎えが来てしまうわ」

本来なら年の功を考慮し、この二人のどちらかに総司令の椅子に座って貰ってもよかったはずだ。

しかしどうも二人共、後ろで目を光らせている方が性に合うらしい。

…と言っても、普段は特に口出しもせず、二人でチェスや将棋に打ち込んでいるのだが。

前に訪れた時はどこか異国の遊戯だという象牙のピースを入れ替えて役を作るゲームに誘われ、ひどく巻き上げられた。

こちとらルールすら解らず、ひたすら『ちーといつ』とやらを揃えるしか無いのだから、勝てる訳が無い。


………


その夜はかつての月の王城を宿とし、ささやかにも宴が催された。

相変わらず交替で俺に酒で挑んでくる奴らがいたが、今の俺は深酒はしない事にしている。

一応この軍の総司令として、酒に飲まれておかしな命令を出すわけにはいかない。

それと、夜中に身重の妻に何かあった時に動けなくてはならないから。

…まあ、たまには羽目を外す事も無くはないが。

既に砂漠へ派兵する部隊は整っているらしく、明日には出発する事となる。

宴の後、俺と女は早い時間から、あてがわれた部屋へ入った。

男「…懐かしいな」

ベッドに座り、冷たい石壁にもたれると酒に火照る背中が心地良い。

ここは、女と初めて出会った部屋。

そして二人が形式上の夫婦となったところ。

女「…あの時も、あなたがそうしてベッドに座ってて」

男「お前が、そうやって…ドアから現れたんだよな。…覚悟決めた顔してさ」


女「ちょっと…照れ臭いです」

男「何を今さら…よせよ、俺まで照れる」

女が歩み、俺の隣に腰を降ろした。

あの時の俺は、不安げな女を少しでも安心させようと精一杯余裕の表情をつくっていた。

でもその内心は酷く緊張して、浴びるほど酒を飲んでいたのに喉がからからだったように思う。

女「あの日、私を受け入れてくれて…ありがとう」

男「何を礼など言う必要がある…こんな田舎農夫の妻になるつもりなんか、無かっただろうに」

女「それは否定できません。…あの時は…ですけど」

柔らかく口づけを交わす。

その後、今も彼女は俺の胸に顔を埋める。

もちろん、もうその表情を隠すため…という意図は薄い。

ただ、それを互いに気に入っているだけだ。


紅き瞳の欠片の力で命を繋ぐ事ができた、彼女。

最初は巫女と同じ、不老の命を授かったのかとも考えた。

しかしどうやらこの三年間を見るに、普通に歳を重ねているようではある。

ついこの間も幼馴染と一緒に井戸端で、二十代も半ばになると肌の張りが気になる…なんて言っていたから、多分そうなんだろう。

肌がどうこうというのは、俺にはピンとこないけど。

いつまでも若い妻というのも魅力的ではあるが、やはり共に歳を重ね老いていきたいものだ。

男「女…あの日、この部屋へ…俺のところへ来てくれて、ありがとうな」

女「仕方なかったんです」

男「そりゃ酷いな」

女「…そういう、運命でしたから」

あの日と同じ部屋、同じベッドで眠る。

あの日とは大きく違う感情と、距離をもって。

同じなのは、手を出せない…欲求不満を感じる事だな。


…翌朝

既に門の前に兵達が整列している。

少し準備に時間を食った、いい加減に出ないと今日の内に中継拠点まで辿り着けない。

男「…女、行ってくる」

女「はい、気をつけて下さい」

俺は彼女の腹に手を当てて、心の中でもう一度『行ってくるぞ』と声をかけた。

ほんの軽いキスを交わすけど、今は胸を貸す事はしない…それはさすがに照れ臭い。

騎士長「では、留守を頼む」

幼馴染「うん…行ってらっしゃい。ほら、こっちも…してよ」

彼もまた優しいキスを落とす…ただ、それは妻にではなく。

騎士長「よちよち、行ってきまちゅからねー」

幼馴染「てーい!」

将軍ともあろう者が妻に頭を小突かれる姿を見せるのもどうか。

時魔女「でも、今のは騎士長が悪いね」

男「…そうだな」


さあ…行き先が砂漠だというのは気が重いが、もう文句は言うまい。

号令を今かと待つのは、槍兵十名、盾兵十名、弓兵二十名、魔法隊十五名と、海を越えるためのグリフォン十二騎。

幸い、暫く雨は降らなさそうだ。

食料も、野営設備も、当面の充分量を積んだ。

…せっかく妻から解放されるのだから、酒もちゃんと積ませておいた。

魔物を討ち、全ての兵を無事に連れ帰る…それが今回の目標だ。

それ以外の戦果は望まない。

命を賭すつもりはあるけれど、無理はしないでいこう。

七竜を相手にするわけでもあるまいし、そこまで難しい話ではない。

兵達にも、俺にも、生きて戻らなければならない場所がある。


義足少将「…総員、整列!」


ざんっ…と、足を鳴らして兵が姿勢を正した。


fin.

おしまいです
長いことかかりました

いつぞや酒場で相談した時、クエレブレ、ヴリトラといったキーワードをくれた方に感謝

面白かった乙

連合軍って>>585みたいなのかな?

>>706
おぞましいのを想像させんなてーい


自分のスレほっぽって入り浸ってたわ

皆様あざす
なんか今のIDちょっと珍しくね?

>>706 勘弁してくれ

>>707 ようこそごゆっくり

それでは、またてーいしましょう


幼馴染「お邪魔しまーす」

女「ふふっ…小声にならなくったって、この家には私しかいないですよ?」

幼馴染「あ、そだね…。夜も九時を回ると大きな声を出さないってのが、癖になっちゃってるんだ」

女「娘さんは?」

幼馴染「もう、ぐっすり。…夜泣きはするだろうけどね」

女「今夜はどうしたんです?急にウチで食事をしようなんて」

幼馴染「うん、ちょっとね…。ごめんなさい、準備とか全部させちゃって」

女「どうせ退屈でしたもの、それは全く構いませんよ」

幼馴染「女さん、夕食は食べた?」

女「ほんの軽く、この予定に備えてパン一切れだけにしました」

幼馴染「私も、シチューを小皿に一杯食べただけ。もうお腹ぺこぺこだよ」

女「テーブルのセットはできてますよ。温かい内に食べましょ」


幼馴染「さっすが、料理上手だね。王室仕込だけあるわー」

女「そんな…ほとんどはこの村に来てから作るようになったメニューばかりですよ」

幼馴染「あ、ちゃんと鶏モモのローストあるね!」

女「ええ、それがいいって幼馴染さんが言ったから」

幼馴染「私も詳しくは知らないんだけどね、欠かせないんだって」

女「そうなんですか?」

幼馴染「うん…じゃあまずは、乾杯だね!」

女「お酒は飲めませんけど」

幼馴染「それはお互い様、もう母乳はあげてないけど…なんとなくまだお酒を飲む気にはなれないんだ」

女「では、健全にハチミツ入りのアップルジンジャージュースで…」

幼馴染「かんぱーい」

女「たまにはいいですね、女同士で夜の密会っていうのも」

幼馴染「そうだね、じゃあ料理いただきます」

女「どうぞ召し上がれ…お口に合いますように」


幼馴染「どんな教えなのかも知らない異教のハナシなんだけどね」

女「はい?」

幼馴染「白夜の国ではそこそこ知られてる、宗教があるの。今日はその教えでは盟主である神様の誕生日なんだって」

女「へえ…そうなんですか」

幼馴染「夜は静かにその神様の生誕を見守るのが本当らしいんだけど、すっかりパーティーをするのが習慣になってるただのお祭りだそうよ」

女「それでこんな食事会を提案したんですか」

幼馴染「えへへ、楽しい事だけは乗っかっておかないとね」

女「ふふっ…名前も知らない神様の誕生祝いなんて、ただの口実だけですね」

幼馴染「うん、しかも一緒にパーティーを過ごす人にプレゼントをするんだって。神様にじゃないってのが可笑しいよね」

女「何だか神様が拗ねちゃいそうですね」

幼馴染「うん、それでね…これ…私から女さんへの、プレゼントなんだ」

女「えっ!…わ、私…何も用意できてない…」

幼馴染「いいの!いいの…これだけの料理を振舞ってくれるんだから、充分なの」


女「ありがとうございます…開けてみてもいいですか?」

幼馴染「うん、ちょっと恥ずかしいけど」

女「あ…可愛い、刺繍入りのスタイ…!」

幼馴染「えへへ…慣れない刺繍、がんばってみたんだ。産まれるのがもうちょっと早い時期なら、毛糸のケープとかも考えたんだけど」

女「予定では春ですからね、嬉しい…この刺繍の模様って」

幼馴染「女さんの赤ちゃんが産まれる頃、この村の山にたくさん咲くセージの花をあしらったつもり」

女「ありがとう…大事にしますね」

幼馴染「や、やだな…スタイなんて大事にするもんじゃないよ!実用品だもの!」

女「ううん…大事にします。きっとこの子のお気に入りになるわ」


幼馴染「…あはは、なんだか本当に照れ臭いや。えっと…い、今は箱のまま外に置いて冷やしてるんだけど、ケーキ焼いたんだ!」

女「ケーキ、すごい!そっちも嬉しいです!」

幼馴染「うん、この日のパーティーはケーキを食べるものなんだって。ワンホール作っちゃったから、二人じゃ食べきれないけど…」

女「あはは…ワンホールなんてすごいですね」

幼馴染「取ってくるね!」

女「はい、じゃあ温かいお茶を淹れます」

幼馴染「………あっ…」

女「…どうかしましたか?」

幼馴染「うん…ドア、開けたら…ほら」

女「あ…雪、うっすら積もってる…」


幼馴染「こういうのって、ええと…ホワイト…ええと…何てお祭りだったけ」

女「今夜のお祭りの名前ですか?」

幼馴染「うん、そう……クリスタル…じゃなくって……」

女「…月が出てるのに雪が降ってるなんて、ちょっと不思議…でもすごく綺麗」

幼馴染「ああ、だめだ…思い出せないや。うん、ちょっと不思議な景色だね」

女「雪が青く染まってて、幻想的です」

幼馴染「この夜には奇跡を呼ぶ魔法の力があるんだって。そのおかげかもね…」

女(奇跡…魔法……)

幼馴染「来年は、二家族でパーティーできたらいいね」

女「そうですね…その頃も私はお酒飲めないかもしれませんけど」

幼馴染「男とウチの旦那が一緒に飲み始めたら、お互い釘を刺す側にならなきゃいけないしね」

女「あははっ…そうですね」

幼馴染「さあ、女さんは身体を冷やしちゃだめだから…早く入ってケーキ食べよ!」

女(……そんな都合のいい奇跡、起こらない…か)


男「…騎士長、もう指先の感覚が無いんだが」

騎士長「これ以上、グリフォンの速度を上げたら、それはそれで凍える事になるぞ」

男「あと何分で村に着く…?」

騎士長「もう五分とかかりますまい」

男「暑い砂漠帰りでこの雪に見舞われるとは…身体がついてゆかんな」

騎士長「だから明日、昼間に帰るよう提案したのだ…」

男「そうは言っても、妻の顔が早く見たいのはお互い様だろう」

騎士長「ならば、文句を言いなさるな……ほら、灯りが見えたぞ!もう妻達は夢の中かも知れぬが…」

男「そうであって欲しくはないな、できれば妻の手料理でも頬張って一杯浴びたいところだ!」

騎士長「この時間になって、そんな都合の良い事は無かろう…どうしても奇跡を望むなら、魔法に頼ってみるか」

男「ほう…どんなだ?」

騎士長「奇跡を呼ぶ魔法、今宵だけは願いも通ずるかもしれぬ。妻にあったら唱えてみるといい、その魔法の詠唱は……」



おしまい

まだスレ残ってたから

うお、レスはやい

めりくりです
でも言うのは次の夜か

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