まる子「おじいちゃんが認知症になった」(144)
友蔵「おきくさんや、お茶をください」
おばあちゃん「……」
友蔵「ありゃ、みつこさんだったかな?」
ひろし「じいさん、最近ボケすぎじゃねえか?」
まる子「おじいちゃん、はいお茶だよ」
友蔵「おお、やちよさん。ありがとう」
まる子「え?」
まる子「おじぃちゃん!おしっこはトイレでって言ってるでしょ!」
友蔵「ふぇぇぇ~」
ひろし「……おい、いくらなんでも孫の名前を」
おばあちゃん「もう、そろそろとは思ってたけど、いざこうなると……」
まる子「お、おじいちゃん?」
友蔵「あ、ちょうちょが飛んでる」
まる子「家の中なのに、そんなのいないよ」
友蔵「物置に網があったはず」
ひろし「おい……ちっ、行っちまった」
おかあさん「ただいま」
おねえちゃん「夕飯はハンバーグだよ。まる子も手伝って……きゃあああああっ」
ひろし「!?」
友蔵「ちょうちょじゃ! たくさん捕まえるんじゃ!」バシッバシッ
おかあさん「お、おじいちゃん!?」
おねえちゃん「いたっ……やめ……やめて……」
おばあちゃん「じいさん! あんた孫になんてことを――――」
友蔵「おや、こたけさん。久しぶりですな」
おばあちゃん「……!」
友蔵「あんたも好きものじゃのう」
ひろし「……」
まる子「おねえちゃん大丈夫?」
おねえちゃん「ぐすっ……なんでこんなこと……」
幻覚見えてるってことは、レビーでオケ?
夕飯はできあいの惣菜などをつついた。
おかあさんは泣きじゃくるおねえちゃんの側にいたし、仲良く料理をする雰囲気でもなかった。
友蔵「納豆はおいしいのう」
おじいちゃんはボロボロと納豆をこぼす、そのたびに糸がひいて、服とテーブルを汚す。
おばあちゃん「……」
おばあちゃんは黙々とおかずをつまんで口にいれる。
味わってなんかいない、ただ栄養を運んでいるだけだった。
ひろし「……」
おとうさんは既にビール缶を五つ開けている。
飲み過ぎだ、と止める気力は私にはない。
止めても、「うるせえ」と怒鳴られて終わりだろう。
これほどおいしくない食事は初めてだ。
丸尾「ズバリ、それは認知症でしょう!」
まる子「にんちしょう?」
丸尾「ボケ……というのは失礼ですが、高齢化による脳の云々」
まる子「へえ。さすが丸尾くんだね」
丸尾「いやあそれほどでも。では、今度の学級委員選挙には私に清き一票を……」
まる子「あ、たまちゃんおはよう」
丸尾「……」
まる子「かくかくしかじかでさ」
たまえ「大変だったね。おねえさん、大丈夫?」
まる子「学校には一緒にきたけど……問題は」
野口「帰るとき……だね」
たまえ「わっ!」
たまえ(心臓に悪い……後ろから急に出てくるなんて……)ドキドキ
まる子「はあ……」
野口「クックックッ……いつになくブルーだね」
まる子「認知症って治らないのかな」
野口「無理だろうね。さくらさんのおじいちゃんは70をいくつも過ぎてる。多少はよくなるにしても、老化で衰えるのは自然なこと」
まる子「そっか……」
野口「それより……おねえさんのほうが心配だね」
まる子「え?」
野口「今まで優しかったおじいちゃんが、いきなり変貌するなんて。クックック。さくらさん、あなたも気をつけなよ」
たまえ「まるちゃん……」
まる子「……」
――――帰り道――――
まるちゃんが笑わない。
いつも面白いことを言って、ときにはひょうきんな行動をして、笑顔で私と接してくれるまるちゃんが、笑わない。
まるちゃんはおじいちゃん子で、だからこそ、ショックなのだろう。
私はなにもできない。
自分の無力に情けなくて泣きそうになる。
佐々木のじいさん「おや、ふたりとも……どうしたのでしょう、元気がありませんね」
まる子「あ、どうも……」
――――
佐々木のじいさん「……なるほど」
まる子「もう、前のおじいちゃんはいなくなっちゃった……」
佐々木のじいさん「私も、仲良くさせていただいてますから……なにかできることがあれば」
まる子「いえ、そんな」
佐々木のじいさん「あ、そうだ。この花を」
まる子「いいんですか?」
佐々木のじいさん「お礼はしないでください。いつもお世話になっていますから」
――――
たまえ「じゃあ、また明日」
まる子「またね」
――――
まる子「ただいま……」
へんなにおいがする。
なにかを焦がしたような、気持ち悪くなるにおい。
ひろし「おいっやめろ!
友蔵「カラメル焼きをつくるんじゃ! ときえさんの好物なんじゃ!」」
台所でおじいちゃんとおとうさんが取っ組み合いをしていた。
友蔵「おや、はなちゃん。違う。えーと……ま……ま……まきえさんだったかのう?」
まる子「まる子だよ、おじいちゃん」
ひろし「くそっ、こんなに汚しやがって」
コンロはべたべたになり、床にも茶色い汚れがついていた。
歩くたびに、こぼれた砂糖の粒がざりざりと音を立てる。
まる子「みんなは?」
ひろし「かーさんは買い物……ばあさんは老人会だとよ。ふん、俺に押しつけて遊びに行ったんだ」
まる子「……」
友蔵「あー、茶が飲みたい。こゆきさんや、一杯淹れてくれ」
まる子「……はいどうぞ」
友蔵「うーんうまい、さすがようこさんじゃのう」
ひろし「ちっ……おいまる子。俺はパチンコ行ってくるからな」
まる子「え、待っ……」
おじいちゃんと二人きり。
いつもはこんなとき、なにをして遊んでいたっけ?
トランプ?
おままごと?
浪曲を聞かせてもらったりしてたっけ。
友蔵「あーあー。ちょうちょがたくさん」
こんな状態のおじいちゃんを置いて遊びにはいけない。
かといって誰かを呼にわけにもいかない。
まる子「どうして……おじいちゃん……」
家は静かだ。
虫の鳴く声、時計の音、おじいちゃんのうめきだけが聞こえる。
何時間、ぼうっとしていただろう。
おねえちゃん「ただいま……って、まる子。どうしたのあんた、顔真っ赤じゃない」
まる子「うっ……ううう……おねえちゃん……」
まる子「どうしてみんな……ううう……」
おねえちゃん「大丈夫大丈夫。みんなすぐ帰ってくるよ」
――――
おとうさんはパチンコに負けたらしい。
機嫌が悪くて怒り顔をしているので、少し怖い。
おかあさんは買い物袋を四つも下げて帰ってきた。
家にいたくなくて、あちこち回ったのだろう。
おばあちゃんは一見なんともなさそうに見えたけど、眼鏡の奥の瞳があらぬほうを向いていた。おじいちゃんの今の現実を認めたくないのだと私は思った。
夕飯はみんなバラバラだった。
おばあちゃんは済ませてきたらしく、おかあさんはコロッケを一つ食べてすぐに部屋にこもり、おとうさんはおかあさんにお金をもらって飲みに行った。
おねえちゃん「これからどうなるんだろうね」
まる子「うん……」
おねえちゃんは学校で先生に認知症のことを訊いたり、図書室で調べ物をしたらしい。
おねえちゃん「一番簡単で最善なのは……やっぱり施設なのかな」
おねえちゃん「まる子もテレビ見たり、社会の授業でも教わったでしょ?」
まる子「日本は高齢化社会で、子供も少なくなってる……やつ?」
おねえちゃん「そう。でも、老人の数の割合に対して施設は足りていないのが現状。とくに、おじいちゃんのああいう……」
そこまで言って、言葉を濁す。
やっぱりおねえちゃんも認めたくないんだろう。
家族の「今」も、おじいちゃんのことも。
それから数日が過ぎた。
佐々木のじいさんにもらった花はすぐにしおれた。
まるで、この家の陰気さに負けたようだった。
たまえ「今日の体育はマラソンだって」
まる子「ええー。やだねえ」
花輪「ベイビー、しっかり運動しなきゃ素敵なレディになれないよ」
みぎわ「花輪くんのためなら、アタシがんばるわ。打倒ボルトよぉん」
花輪「おっと、英会話学習の時間だ。アデュー」
――――校庭――――
まる子「はあはあ……」
たまえ「はあはあ……風を切って走るまるちゃん……かっこいい……」
はまじ「はあは……ん? なんだあれ」
友蔵「おーい、おーい」
ブー太郎「あれはたしか……さくらのおじいちゃんだブー?」
はまじ「おい、さくら」
まる子「ん?」
はまじ「さくら、あれお前のおじいちゃんじゃないか?」
友蔵「おーい、おーい」
まる子「えっ……おじいちゃん、どうして学校に……」
城ヶ崎「あ、あれって……」
山田「あはは。さくらのおじいちゃんがパンツ持って叫んでるぞ。あはははははは」
先生「おや? みなさんどうしました?」
藤木「やった……一休みできる……」
永沢「きみは卑怯だね藤木くん」
藤木「だって、みんなも歩いてるじゃないか。きみだって」
永沢「ふん」
友蔵「おーーーーーーーーーーーーーーーい。こうめさんや、忘れものじゃぞーーーーーー」
まる子「ちょっと、おじいちゃんやめて!」
とし子「うわ、すごい……」
冬田「ひ、ひらひらの付いたパンツ……」
城ヶ崎(あれがさくらさんのおじいちゃん……)
山田「さくらのおじいちゃんはボケな上に色ボケだじょーーー。あははははははは」
先生「あなたは、さくらさんの……」
まる子「うちのおじいちゃんです、ごめんなさい、ごめんなさい」
友蔵「忘れものじゃぞーーーー」
――――――
まるちゃんは早退した。
クラスはまるちゃんと、まるちゃんのおじいちゃんの話題で持ちきりになっている。
笹山「ちょっと怖かったね」
城ヶ崎「うん……パンツ振り回して叫んでたもんね……」
藤木(大丈夫だよ笹山さん、君は僕が守る)
永山(認知症か……。さくらさんも家族も大変だろうなあ)
野口「クックックッ……大変なことになったね」
たまえ「……」
野口「まあ、私たちにはなにもできないけどね。クックック」
――――
ひろし「もう、駄目だろう」
おかあさん「でも……」
おかあさん「施設代ってけっこう取られるのよ」
ひろし「じゃあ、ずっとアレを家に置いとくのかよ」
おかあさん「そうは言わないけど……まさか学校に行くなんて。おとうさんがちゃんと見ててくれれば」
ひろし「俺のせいかよ、けっ」
――――
友蔵「…………」
おばあちゃん「じいさんや……」
友蔵「ん? おや、これはこれはべっぴんな」
おばあちゃん「こんなになっちまうなんてね……」
友蔵「あーあーあーあーあーあー」
おばあちゃん「もういっそ……楽にしてやったほうが……」
おばあちゃん「50年前は伊達男だったのに……年月がこうも人を変えるのかね」
友蔵「さみだれを あつめて ハヤシライス」
おばあちゃん「ぐすっ……」
――――
不幸な事故だった。
川辺で足を滑らせて川に落ち、そのまま水に飲まれて――――。
おじいちゃんの遺影は、あの、元気なころのおじいちゃんだ。
幻影を追ってうつろう瞳ではなく、優しく見守る、あの瞳。
まる子「おじいちゃん、さよなら」
バッドエンド終了
家族みんなで話し合った結果、おじいちゃんを施設に入れることになった。
家に、いつもいるはずの人がいない。
それでも、これが最善だといえた。
おじいちゃんには、数週間に一度会いに行く。
私のことは覚えていないけど、それでもおじいちゃんの顔が見られるのはうれしい。
まる子「おじいちゃん、浪曲聞かせて」
友蔵「なみーのーあいまーにー」
おかあさん「まる子、そろそろ帰ろう。先に行ってるわよ」
まる子「うん。それじゃあね。おじいちゃん」
友蔵「……まる子や」
まる子「え……おじいちゃん?」
友蔵「びっくりしたか? まあ、まる子にだけは教えてやろう」
まる子「お、おじいちゃん……ボケは……」
友蔵「名演技だったじゃろ? まあさすがにパンツはやりすぎたがの」
友蔵「普段からボケとるからの、これくらいはやらんと……」
まる子「なんで……」
友蔵「ああ、すまんすまん。のう、まる子や。うちの収入減を知っとるか?」
まる子「え? えっと……果物屋さん?」
友蔵「それがのう、もうダメなんじゃよ」
まる子「ダメ、って……」
友蔵「近くに大型のデパートができたじゃろ? あれのせいで、売り上げがほとんどないんじゃ」
まる子「それとこれが、何の関係が」
友蔵「見ての通り、ひろしは飲んだくれ」
友蔵「おばあちゃんはああ見えて、他に男がいる」
友蔵「好きもの、といった時のあの表情。それにわしがボケの兆候を見せ始めた時のあの嬉しそうな顔……これは長年の付き合いのわしにしかわからんじゃろうがの」
友蔵「まあ、それはいい。問題は金じゃ」
友蔵「人間の老化はどこからを言うと思う?」
友蔵「哲学的な話じゃ。個人によっても、見方によっても違う」
佐々木のじいさん「ふふふ。そこから先は私が話しましょう」
まる子「佐々木のじいさん? もう、わ、わけがわからな……」
佐々木のじいさん「まあまあ。年寄りの話は聞くものです」
佐々木のじいさん「商店街及び町内会は、大型デパートに対抗するためにある秘策を打ち出しました」
佐々木のじいさん「それがこれ。ボケ薬です」
まる子「?」
佐々木のじいさん「ボケ薬と言っても、まさか人に飲ませてボケにさせるわけではありません。まあできますがね」
佐々木のじいさん「これはつまり、脳の若返り薬なのです」
佐々木のじいさん「協力してくれたのは川田さん、みまつやさん、そして」
友蔵「わし、というわけじゃ。もっともわしは実験台じゃがの」
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