兄「お前の顔見てるだけで苛々するんだよ」 ドゴッ
妹「うぶ、げぇぇぇ……っ」 ビチャビチャ
兄「汚い顔に汚いゲロ、こんなのが俺の妹だなんてな」 ゴッ
妹「うく……っ」 ベチャ
兄「ダチの家に行く。母さん達に言っとけ」 スタスタ
妹「げぶ、うっ、う……っ」 ビチャッ
博士「おや、また怪我かい?」
妹「……」 コクッ
博士「見せなさい」
妹「……」 ペロンッ
博士「酷いね。痣だらけだ」
妹「転びました」
博士「嘘はいい。お兄さんに暴力を振るわれているんだろう?」
妹「ち、違います」
博士「誰にも言わないよう言われている事も知っている」
妹「どうして」
博士「以前君に実験の協力をしてもらったろう」
妹「変な帽子を被ったあれですか?」
博士「あれはね、人の記憶を読み取る装置なんだ」
妹「ひ、酷いです!」
博士「私は悪い発明家だからね、言い訳はしないよ」
妹「……でも、博士は私の怪我を診てくれました」
博士「君もうちの猫を助けてくれた事があるだろう?」
妹「可哀相だったから」
博士「君も猫を飼っているから? いじめられる猫に自分が重なったから?」
妹「言いたくないです」
博士「ああ、すまない。少し気になったものでね。私の悪い癖だね」
妹「どうする、つもりですか?」
博士「どうにかして欲しいかい?」
妹「……」
博士「これをあげよう」 スッ
妹「何ですか?」
博士「心臓を止める装置だよ」
妹「心臓を……え?」
博士「一度押せば止まり、二度押せば動く。完全に死ぬ前ならね」
妹「ひっ」 コトッ ポチッ
博士「おや? 落としたショックでスイッチが入ったようだ」
妹「そんな、大丈夫なんですか!」
博士「私は大丈夫だよ。君のお兄さんは大変だがね」
妹「ど、どうして?」
博士「これは特定人物、つまり君のお兄さんの心臓の波長に合わせた装置なんだ」
妹「まさか、お兄ちゃんは」
博士「心臓が止まってる」
妹「……っ」 ポチッ
博士「いいのかい?」
妹「ふざけないでください!」
博士「心外だな」
妹「私は、私はお兄ちゃんを殺したいなんて思ってない!」
博士「それが本当かどうかは、その内わかるよ」
妹「ど、どういう意味ですか?」
博士「その装置は君に預ける。返却は受け付けない」
妹「そんな」
博士「破棄は自由だが、それは決して壊れない。君が管理した方がマシだろうね」
妹「……」
博士「嫌なら使わなければいい。簡単な話だろう? では、頑張ってくれたまえ」 ニコッ
妹(お兄ちゃん、まだ帰ってない……)
妹(このスイッチどうしよう。こんな怖い物、持ってたくないよ)
兄「……」 ギィッ
妹「お、おかえりなさい、お兄ちゃん」
兄「うるせぇ……」 ヨロッ
妹「え?」
兄「うるせえんだよ、クソガキ!」 ゴンッ
妹「ひっ!」 ビクッ
兄「はぁ……クソ、まだ頭が痛ぇ……」
妹「……だ、大丈夫?」
兄「大丈夫なわけねえだろうがよぉ!」 ゴスッ
妹「痛づ……ッ」 ドンッ
兄「急にだ。急に心臓がどうにかなって、ぶっ倒れて、それで大丈夫かだ? んなわけねえだろうが、おい?」 ゴリッ
妹「ごめ……ごめんなさい……」
兄「その声が癇に障るっつってんだよ!」 ドゴッ
妹「げぶ、うぶ、えぇう……っ」 ビクンッ
兄「気持ち悪ぃ声あげやがって、そのまま死ね、おら死ね!」 ゴスッ ゴスッ
妹(こ、殺されちゃう、ほんとに殺されちゃうよ……) ウルッ
兄「ああ? なんだその目は? 誰が悪いと思ってんだ!」 ドゴンッ
妹「あぐっ」 ゴロゴロッ ガツンッ
兄「頭叩き割って殺してやるよ」 ズルッ ズルズルッ
妹(つ、机を引き摺って……し、死ぬよ、あんなので殴られたら、死んじゃうよ……!)
兄「おっ、らあああっ!!」 ブンッ
妹「ひっ!」 ポチッ
兄「ぎ……っ」 ガシャンッ
妹(え? あ、スイッチ押しちゃったんだ!)
兄「ぐ……ぎ……っ」 バタンッ
妹(く、苦しそうにしてる。はやくもう一回押さなくちゃ! でも……)
兄「……っ」 グルンッ
妹「お、お兄ちゃん!」 ポチッ
兄「ゲフッ、う、ゼヒッ、ヒ……ッ!」 ビクッ
妹(い、生き返った? 大丈夫、なのかな)
兄「く、そ……ふざ、けんじゃねえ……、なんだよ、これ……っ」
妹「びょ、病気、なの?」
兄「知るか、知るわけねえだろ、クソ、死ぬのかよ、死にたくねえ、クソ、クソ、クソ!」 ユラッ
妹(ま、また、ぶたれる!) スッ
兄「俺は、部屋で寝る……そうだよ、疲れてんだよ、寝ればすぐに良くなる、そうだ」 ヨロヨロッ
妹(もう行った、よね?)
妹「怖かった……」
妹(今日のお兄ちゃん、あんなに怒ってて、きっとあのままだったら私、殺されてた)
妹「だから、仕方ないよね」
妹(わざとじゃなかったんだもん。偶然押しちゃっただけで、別に、お兄ちゃんを……)
妹(お兄ちゃんを殺す気なんて……全然……)
妹「痛……っ」
妹(お兄ちゃんに蹴られた所が痛い……。明日また、博士の所に行って診てもらわないと)
妹(それで、このスイッチも無理やりでも渡して、すぐに帰ろう)
妹(それで全部、ちゃんとするはずだから)
猫「な~」 スリスリ
妹「……」 ナデナデ
ドガシャーンッ
兄「このクソ猫! 俺の服に小便しやがった!」
猫「にゃ~!」 トタトタッ
妹「や、やめて! いじめないで!」 ガバッ
兄「邪魔だ、どけ!」 ドンッ
妹「う……っ」 ゴツンッ
兄「前々から気に入らなかったんだよ、そのクソ猫! 全然懐きやしねえ!」 ブンッ
猫「にぎゃ!」 ドゴッ
妹「やめて! 死んじゃう!」 ガシッ
兄「うるッッせえッッ!」 ゲシッ ゲシッ
妹「あう……っ」 ズルッ
兄「あー清々するぜ、このままぶっ殺して庭に埋めてやる!」 ドスドスッ
妹(このままじゃ、猫が殺されちゃう!)
兄「潰れて死ね、このクソ猫ッ!」
妹「動かないで!」 スッ
兄「あ? お前、誰に口聞いてるんだ?」
妹「動いたら、このスイッチ押すから!」
兄「はぁぁ? ついに頭ぶっ壊れちまったか?」
妹「押すから! ほんとに押すから!」
兄「あー、もういいわ。お前も死ねよ」
妹「ひっ!」 ポチッ
兄「う……っ?」 ガクッ
妹(押しちゃった!)
兄「ぐ……う……っ!」 ドサリッ
妹「も、もう猫をいじめないって約束して!」
兄「ぎ……っ」 ビクンッ
妹「約束してっ!」
兄「……っ」 グルンッ
妹「……」 ポチッ
兄「ぎひ! ひっ、ゲッ、グゲッ、ひっ、ひっ!?」
妹「約束して」
兄「な……なん、だよ……お前……ふざ、けんじゃねえよおおおっ!」 ガシッ
妹「や、やだ! 放して、放してぇ!」
兄「何し、たんだよ、俺に、俺に何したんだよっ!」 グイグイッ
妹「ひっ、いやああああっ!」 ポチッ
兄「が……っ」 ドサリッ
妹「はぁ、はぁ……っ」
兄「ぎ、ぐぃ……い……っ」 ビクンッ
妹「……」 ポチッ
兄「げひっ、ぐぶ、ウゲエエエッ!」 ビチャビチャ
妹「あはっ、な~んだっ! ……お兄ちゃんも汚い顔して汚いゲロ吐くんだ?」
兄「ギヒッ、ひっ、ヒッ、ヒッ……!」
妹「お兄ちゃん。もう猫をいじめないって約束してよ」
兄「ハァ……ハァ……」
妹「苦しいよね? 脂汗、たくさん出てるよね? 苦しいのって楽しくないよね? 約束してよ」
兄「ハァ……ハァ……」
妹「……」 ポチッ
兄「ぎ……っ」 ドサッ
妹「……」 ポチッ
兄「ひ……っ」
妹「……」 ポチッ
兄「ぐぃ……っ」 ドサッ
妹「……」 ポチッ
兄「ひ……や……め……っ」
妹「約束して」
兄「す……する……から……や、やめ……」
妹「絶対に?」
兄「はひ、ひっ」 コクコクッ
妹「私の事もぶたない?」
兄「……!」 コクコク
妹「良かった」 ニコッ
兄「へ……?」
妹「それじゃ私、猫を病院に連れてくね」 ダキッ スタスタ
兄「……は、ははは……助か……った……」 ジョロロロッ
兄「は……はは……は……あ……っ」 ガクッ
博士「怪我をした猫を連れて来たと思えば、いやに嬉しそうだね」
妹「え、そんな事ないですよ」
博士「ああ、治療の間暇だろう? 冷蔵庫に羊羹がある。お茶と一緒に食べるといい」
妹「ありがとうございます」 ニコッ スタスタッ
博士「……さて、君の記憶を実験データとして収集させてもらうが、いいかな?」
猫「な~?」
博士「無論だ。あれは既に彼女の物なのだから」
妹「博士、お茶はどこですか?」
博士「ん? ああ、買い置きが冷蔵庫の横にあるだろう?」
妹「は~い!」 トテトテッ
博士「……次は君用に缶詰も用意しておこう。時々データ提供に来てくれ」 ナデナデ
猫「なう~!」
妹「羊羹美味しかったね」
猫「な~」 スリスリ
妹「でも晩御飯、ちゃんと食べられるかなぁ。……何、この匂い?」
兄「……」 グタッ
妹「信じられない、お兄ちゃんがおもらししてる!」
妹(私よりずっと大人のくせに、おもらしするなんて!)
妹「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」 ユサユサッ
兄「う……あ? 俺、なんでこんな所で?」
妹「おしっこ片付けてよ! 臭いよ!」
兄「……は? はぁ? な、違ぇ、俺は小便なんて漏らしてねえっ!」
妹「いいから早く片付けて!」
兄「誰に口聞いて……っ」
妹「……」 スッ
兄「……? ひっ!」 ビクッ
妹「押すよ?」
兄「じょ、冗談、だよ……な? お、俺は別に、お前を殴ろうとか、そんな事は……な?」
妹「……」
兄「わ、分かってるよ、すぐに片付けるって、だから、な? 下ろしてくれよ、な?」 ビクビクッ
妹「うん! すぐに片付けてね!」 スッ
兄「あ、ああ、すぐにな」
妹「あとおしっこ臭いからお風呂にも入ってね!」
兄「……ああ」
妹(スイッチのおかげで、なんでもできる気がする。少し罪悪感はあるけど、でも……仕方ないよね?)
妹(私を殴ろうとするお兄ちゃんが悪いんだから)
兄「……」 ギリッ
兄(部屋の灯かりが消えて一時間は経った)
兄(もういいだろう) ギィッ
兄「……」 チラッ
兄(呑気に寝てるな。ふざけやがって、こっちはお前のせいで死ぬほど苦しい思いをしたってのに)
兄(あのボタンだ、あれさえ奪えば、すぐにでもゲロと血反吐を吐かせてやれる)
兄「……」 キョロキョロ
兄(さすがに見える所には置いてないか。徹底的に痛め付けて場所を吐かせるか) ススッ
兄(俺に反抗した事、後悔させてやる) スーッ
妹「……」 ジッ
兄「ひっ!?」 ビクッ
妹「何の用事なのかな、お兄ちゃん」
兄「あ、ああ、それは……なぁッ!!」 ガシッ
妹「うぐっ!」
兄「クソガキがガタガタうっせえんだよ、とっととアレの場所を教えろ、殺……ぉ?」 グラッ
妹「……これの事? 私、ずっと握りしめてたの」 スッ
兄「ぎ……う……っ」 ヨロッ
妹「ダメ」 ドンッ
兄「ぃ……っ」 ズサリッ
妹「……」 ポチッ
兄「ぎひっ! ひっ、ウゲッ、えう……ち、くしょ……っ」 ダラダラッ
妹「汚い顔だね、お兄ちゃん。涎と鼻水と涙でぐちゃぐちゃだよ?」
兄「くぞ……ぉ……ぐ……っ」
妹「ねえ、お兄ちゃん。私、お兄ちゃんに何かしたかな?」
兄「あ……?」
妹「毎日お兄ちゃんぶたれて蹴られて、体中痣だらけで、いつも思ったよ? 私が何をしたんだろうって」
妹「私が汚いからなのかな、とか、私が可愛くないからなのかな、とか。でも違うんだね」
妹「私が悪いんじゃなかったんだね。お兄ちゃんが間違ってたんだね」
兄「うる、せえ、俺は、間違ってねえ! お前がウザいから俺が苛々するんだろうがっ!」 ブンッ
妹「ふぅん」 ポチッ
兄「ぐげ……っ」 ズサリッ
妹「私だって、お兄ちゃんに苛々する。怒ってるよ。痛いんだよ、殴られるのって。どうしてわからないの?」
兄「ぎ……ぎ……っ」
妹「お兄ちゃんが分かるように、私、これから手伝うから。いっぱい手伝うから」 ポチッ
兄「ゲヒッ! うげ、ゲェッ!」 ゲポッ
妹「ああ! もう、吐いちゃダメだよ!」 ペシッ
兄「ヒッ、ヒィッ、ヒ……ッ!」 ビクッ
母「おはよ……え?」
兄「……」 ジュワワワッ
母「兄が、料理?」
兄「あ? 俺が料理しちゃ悪いのか、クソババア」
妹「……」 スッ
兄「ぐ……よ、用がないならとっとと失せろよ」
母「……なんだか不気味ね」
妹「お母さん、そんな事言っちゃダメだよ。お兄ちゃん、頑張ってるんだもん」 ニコニコッ
兄「おら」 ドンッ
妹「えー、何これ?」
兄「お前が言ったんだろ、オムライス作れってよ!」
妹「でも、なんか違うよ? 卵がグチャグチャだよ?」
兄「ごちゃごちゃうっせえんだよ! ぶっ殺すぞ!」
妹「……怖い」 ポチッ
兄「ぎぐ……っ」 クラッ
妹「んっ。すぐに殺すなんて言っちゃダメだよ、お兄ちゃん」 ポチッ
兄「……はぁ、はぁ……」
妹「いただきま~す。うわぁ、美味しい!」 ニコニコッ
兄「クソ……」 ボソッ
兄(家にいる間中、妹に監視されてる気分だ)
兄(なんで俺が、あんなクソガキにいいように使われらきゃならねんだ?)
兄「苛々するぜ」
兄(誰でもいい、ストレス解消しなきゃやってられねえ)
兄「おい」
男「え、な、何ですか?」
兄「今俺を睨んでたよなぁ? 喧嘩売ってんのか?」
男「な、そんな、僕はそんな事してな……っ」
兄「黙れ、お前は睨んでた」 ゴツッ
男「ひっ、やめてください!」
兄「おら、おらっ!」 ゴスッ ゴスッ
男「だ、誰か! 誰か助けてくれっ!」 ヨロヨロッ
妹「……」 ジッ
兄「あ? ひっ、な、なんで!」
妹「……お兄ちゃん。まだ分からないの?」
兄「ち、違うんだよ、な? こいつが先に……」
男「と、突然殴られたんだ! 人を呼んでくれ!」
兄「テメェ、ふざけんじゃ……っ」
妹「反省して」 ポチッ
兄「ぎひ……っ!?」 ガクリッ
妹「人は殴られると痛いんだよ?」 ポチッ
兄「はひ、ひ、ひ……っ」 フルフル
妹「……っ、わかる!? すごくすごく痛いんだよ!?」 ポチッ
兄「がぎぃ!?」
妹「ずきずきして眠れなくて、毎日いつ殴られるか怖くて仕方ない気持ち、分かる!?」 ポチッ
兄「ひふっ、ふ、ふぐ……っ」 ピクッ
妹「分かるの!? 分からないの!? ハッキリしてよ!」 ポチッ
兄「ぎ……っ!?」 ガクッ
妹「答えろって、言ってるの、聞こえないの!?」 ユサユサッ
兄「おぼ……げ……が……っ」 ビクンッ
妹「返事しろっ!」 ガンッ ポチッ
兄「ひべっ! お、おっ、う、う、うっ、う……っ」 ピクピクッ
妹「ああそう、私の質問なんて答える価値もないんだ? そうなんだ?」 ポチポチポチポチポチポチッ
兄「ヒブベベベベゲゲゲゲッ!?」 ガクガクガクッ
男「あ、あの、ちょ、ちょっと、大丈夫なんですか?」
妹「うるさい!」 ポチッ
兄「ぐげ……っ」 グルンッ
妹「あはははは、何そのだらしない顔! ねえ見てよ! 汚いっ、気持ち悪いっ、あははっ!」 ブルッ
男「ひっ、ご、ごめんなさいっ!」 タッタッタッ
妹「あは、あははは、あはははははは!」 ポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチッ
兄「……っ」 ビクビクビクビクビクビクビクッ
妹(もっともっともっともっともっと! もっと! もっとぉ!) ポチポチポチポチポチポチッ
猫「な~?」
妹「やり過ぎてしまいました」 シュンッ
兄「うぅ……うぅぅ……」 グタリッ
博士「ここは病院じゃないのだがね……」
猫「な~?」
博士「分かっているよ。約束の缶詰は向こうに用意してある」
猫「な~う!」 トテトテッ
妹「あ、あの! お兄ちゃんは大丈夫なんですか?」
博士「異常な不整脈で意識が混濁しているだけだろう、投薬すればすぐに落ち着く」
妹「ご、ごめんなさい……」 シュンッ
博士「しかし、君はもう少し加減のできる娘だと思っていたよ」
妹「わ、私も、自分があんなにするなんて思いませんでした……」
博士「何か理由があるのかね?」
妹「……」 モジモジッ
博士「言えないような事かい?」
妹「あの……熱く、なるんです」
博士「熱く?」
妹「私の足元にお兄ちゃんが這いつくばって、涎や鼻水を垂らして姿を見ると……」
妹「ここが……おへその下が、ジンジンするんです……」 サスッ
博士「なるほど、興味深いね」
妹「もっと押せって、おへその下の方から言われてる気がして……押せば押すほど、うずいて……」
博士「君の年頃では、まだ分からないか」
妹「やっぱり、いけない事ですか?」
博士「それは私が決める事じゃないし、人それぞれじゃないかい?」
妹「……」
博士「それにだ、誰にいけないと言われても、私はマッドサイエンティストはやめられない。そういうものさ」
妹「……ありがとうございます、博士。スッキリしました」 ニコッ
博士「お役に立てたなら光栄だよ」
猫「なう~」
博士「お早いおかえりだね。では、約束通り」 カポッ
妹「な、何するんですか?」
博士「彼とはスイッチに関する記憶提供の契約があってね」
妹「そんな一方的な約束、ダメです!」
博士「ん? ああ、君には話してなかったかな?」 スチャッ
妹「な、何ですか、その耳栓?」
博士「猫語の翻訳装置だよ。予備もある事だし君にあげよう。楽しみたまえ」 カチャッ
妹「……博士って天才なんですね」 スチャッ
博士「今更だな」
猫「我々猫族に劣るとはいえ、人間にしては賢い方だと言っておこうか」
妹「え? え?」 キョトン
博士「そういうものなのだよ」 ニコッ
猫「我々が人間に飼われているのではなく、我々が人間に飼わせてやっているのである」
猫「とはいえ我々が犬畜生よりも情が薄いなどと言われるのは心外である。馴れ合いを好まないだけである」
猫「妹殿にはあの不逞の輩から命を救われた事もあり、我とて恩義を感じぬでもない」
猫「腹の肉を摘まむのみならず、我をナデナデする権利も与え、あまつさえ添い寝まで許しているのだ」
猫「言うなれば、そう、猫生の伴侶である。人の身に余る栄誉であるぞ?」
妹「そ、そうなの? ありが……たい、のかなぁ?」
猫「栄誉であるぞ!」
博士「あー、すまないが、積もる話は帰ってしてくれないか?」
妹「あの、お兄ちゃんは?」
兄「うぅっ」
博士「治療が終わればそこらに放り出しておく。すぐに帰るだろうさ」
猫「うむ、よしなに」
妹「お願いします」 ペコリ
兄(殺される)
兄(俺は、殺される)
兄(あの訳の分からねえボタンで、俺は殺されちまう)
兄(妹に殺されかけて、路上でぶっ倒れた後はもう覚えてねえが……)
兄(気付いたら、ぼんやり道を歩いてた)
兄(逃げて来たのか。風邪薬でも飲んだみたいに頭が霞んでよく分からねえが)
兄(とにかく、俺は、このままだと殺される)
兄「先に、殺るしかねえ」
兄(確実に、一撃で、絶対にバレないように、殺す……っ!)
兄「大体おかしいんだよ、兄貴が妹をぶん殴って何が悪いんだ?」 ブツブツッ
兄「俺の方が偉ぇんだ。年上だし力も強いし、あのクソガキより100倍まともな頭してるぜ」 ブツブツッ
兄「あのボタンだ、あれがおかしいんだ。人を殺せるボタンなんてあるわけがねえ」 ブツブツッ
兄「きひっ、きひひっ、そうさ、あれさえなけりゃいいんだ」 ブツブツッ
兄「ぶっ殺してやる、ぶっ殺してぶっ殺してぶっ壊してやる」 ブツブツッ
子供「まま、あのひとへんだよ?」
母親「しっ、見ちゃいけません!」
兄「……」 ゴスッ
母親「う……っ」 ヨロッ
兄「ガキの躾くらいしとけ」 ギロッ
子供「ひっ」
兄(絶対にぶっ殺してやる……きひひっ!)
兄(家の倉庫にある鉈で頭を一気にぶち割る) ガサゴソッ
兄「これだ」 ギラッ
兄(後はタイミングだ。あのガキが油断したタイミングで、一撃し止める)
兄(……呼び鈴で玄関に誘い出して殺るか?)
兄(いや、向こうに扉を開けさせなけりゃ押す隙を与える。失敗するかもしれねえ)
兄(そうだ、呼び鈴を押してすぐに庭からリビングに入って)
兄(壁沿いに張り付いて、あいつが戻ってくると同時に、頭を叩き割る!)
兄(殺れる、いや、絶対に殺る……殺ってやる……) ユラッ
兄(家の倉庫にある鉈で頭を一気にぶち割る) ガサゴソッ
兄「これだ」 ギラッ
兄(後はタイミングだ。あのガキが油断したタイミングで、一撃で仕留める)
兄(呼び鈴で誘い出して殺るか?)
兄(いや、向こうに扉を開けさせなけりゃボタンを押す隙を与える。失敗するかもしれねえ)
兄(そうだ、呼び鈴を押してすぐに庭からリビングに侵入して)
兄(壁際に張り付いて、あいつが戻ってくると同時に、頭を叩き割る!)
兄(殺れる、いや、絶対に殺る……殺ってやる……) ユラッ
ピンポーンッ
妹「……?」
猫「我が代わりに出てやろう」 トテトテッ
妹「無理だよ、猫だもん」 スタスタッ
猫「失敬な! 我は猫族の中でも狩りの腕前に掛けては随一と恐れられた猫であるぞ!」
妹「はいはい。……あれ、誰もいないみたい?」
猫「ぴんぽんだっしゅというやつであるか?」
妹「そうみたい」
猫「むう、やはり人間というやつは賢い者ばかりではないな」
妹「そうかも。私も馬鹿だもん」
猫「何を言うか、妹殿は我の伴侶であ……待ていっ!」
妹「え?」
ピンポーンッ
兄(今の内に急いで庭に) スタタタッ
兄(靴を脱いで、リビングに入って) ガラララッ
兄(ここで待ち伏せして、この鉈でぶっ殺してやる) グッ
ギッ ギッ
兄(足音が聞こえる。あと少しだ、あと少しであいつをぶっ殺せる!)
妹「……かも、私……だもん」
猫「な~う、な~っ!」
妹「え?」
兄(……なんだ? おい、早く来いよ! 殺せねえだろ!?)
猫「な~!」 スタタタタッ
兄(……っ! クソ、驚かせやがって、猫じゃねえか!)
猫「な~! な~! な~う!」
兄(早く来い! 早く、早く、早く、早くっ!) ウズウズッ
猫「あの不逞の輩の匂いがする、待つのだ!」 スタタタタッ
妹「……っ」
猫「やはりだ! 凶器を手に待ち構えていた! 妹殿を殺す気である!」
妹(……あれだけしたのに。私、やり過ぎたと思って反省してたのに)
妹「なのにお兄ちゃんは、あのくらいじゃ反省しないんだね」 ポチッ
「ぐげっ!?」 ゴトンッ
猫「おおっと!」 スタタッ
兄「ぎ……ぎ……っ」 ドサリッ
妹「おかえり、お兄ちゃん」 ニコッ
兄「ひ……ひ……ぃ……っ」 ジョロロロロッ
妹「お兄ちゃんに反省してもらうにはどうすればいいのかな?」 ポチッ 兄「ゼヒ……ッ!」 ビクッ
猫「いっそ殺してしまえばいいのではないか? どうせ世界に害悪以外を与えぬ輩であろう?」
妹「でも……」 ポチッ 兄「グゲ……ッ!」 ガクッ
猫「我にはとても思い当たらぬのだが、何か躊躇う理由があるというのか?」
妹「……家族だから」 ポチッ 兄「ヒッ……ッ!」 ビクッ
猫「むう、血縁の情であるか。とはいえ、生半可な方法では腐った性根は直らぬぞ?」
妹「私、信じる! お兄ちゃんは変わる!」 ポチッ 兄「ゲウ……ッ!」 ガクッ
猫「……我が伴侶がそう言うのならば、我も反対できぬな。しかし、また妹殿を襲わぬともかぎらぬ」
妹「えへへ、その時は猫が助けてくれるでしょ?」 ポチッ 兄「ヒハ……ッ!」 ビクッ
猫「むう……」
妹「それで、どうすればお兄ちゃんは変わってくれるんでしょうか?」
博士「私は一応マッドサイエンティストを自称している身でね、あまり頼られても困るのだが」
妹「お願いします!」
博士「むう。……そうだな、洗脳装置を使おうか」
妹「そういうのは、ちょっと」
博士「そう言われても、歪み切った価値観を正すには、その価値観を破壊する以外にないだろう?」
妹「破壊ですか?」
博士「興味があるかい? これは一例だが、ある新興宗教団体で行なわれた方法で――」
兄「ぐ、くぅ……」 ユラッ
猫「庭に直立不動のまま立ち続けているが、あれは何をしているのだ?」
妹「苦行、だったかな。ああいう風に頑張り続けてるとね、頭の中が真っ白になってくんだって」
猫「ほう、頭が真っ白になると良い事があるのだろうか?」
妹「歪んだ気持ちがなくなって、人のいう事を素直に聞けるようになるんだよ?」
猫「既に半日以上ああしているように見えるが?」
妹「二日くらい頑張れるって博士が言ってたよ?」
猫「なるほど。我は散歩に行くが大丈夫であるか?」
妹「うん。少しでも動いたらスイッチ押すって言ってあるから」
猫「うむ。監視に努めるがよい」 トタタタッ
兄(……もう限界だ……)
兄(こんなもんやってられるかよ……)
兄(本当に死んじまう……)
兄(こんな夜中だ、もう妹だって監視してないんだ……)
兄(ちょっと休むくらい……) スッ
猫友「にゃう~!」 スタタタタッ
兄「……?」
兄(猫が走って、妹の部屋の窓に……?)
妹「……お兄ちゃん、十秒も休んだんだ?」 ガラッ
兄「え……え、いや……ち、ちが……」 ビクッ
妹「十秒止めるね」 ポチッ
兄「ぎげぇっ!?」 バタンッ
兄(あれからまた立ち続けて、もう二日も庭にいる……)
兄(何も考えられない……どうすれば許されるんだ……)
兄(俺が悪いのか……何をしたんだ、俺は……)
兄(妹を殴ったのが悪いのか? そうなのか?)
兄(それがここまでされる理由なのか?)
兄(確かに、いや、暴力は悪いのかもしれないが、だが、なんでだ?)
兄(……)
兄(もうなんでもいい……なんでもいいから、誰か助けてくれ……)
兄(誰か……)
猫「な~?」
妹「……」
兄「い……もうと……頼む、許してくれ……」
妹「……?」
兄「お、俺が、悪かった……悪かったから……」
妹「どうしたの、お兄ちゃん?」
兄「だ、だから、今まで悪かったよ、悪かったから」
妹「謝りたいの?」
兄「そうだよ!」
妹「じゃあ、どうして怒ってるの?
兄「う……く……っ」
妹「変だね、謝ってるのに怒るなんて」
猫「な~」
兄「ごめん、なさい」
妹「何が?」
兄「今まで、ごめんなさい」
妹「よく分かんないよ」
兄「い、妹を、殴ったり、蹴ったり、ごめんなさい」
猫「な~?」
妹「猫は?」
兄「そ、そいつを……」
妹「そいつじゃないよ? 猫だよ」
兄「ね、猫にも、物を投げたり、ごめんなさい」
妹「どうしようか?」
猫「な~」
妹「まだ頑張れると思う?」
猫「な~!」
妹「そっか、仕方ないよね。お兄ちゃん、頑張ってね」
兄「む、無理だ、もう限界なんだよ!」
妹「でも、猫は大丈夫だって言ってるよ?」
兄「ぐ、うぅ……ゆ、許してくれよ……頼むよぉ……」 ポロポロッ
猫「な~」 クルッ
猫「なう~、な~!」 トントンッ
猫「な~? なう~、な~!」 トタタッ
猫「な~! な~!」 クルッ
兄「何言ってるのか、分かんねえよ……くそ……くそ……」 ポロポロッ
猫「と、我は考える。これ以上は続ける意味もあるまい」
妹「そうだね。……お疲れさま、お兄ちゃん。これでお兄ちゃんは、一歩ちゃんとした人になれたよ!」 ダキッ
兄「ゆ、許してくれるのか?」
妹「もちろん! だって私達、家族だもん!」 ニコッ
兄「うっ、うぐっ、うぅぅぅぅぅ……っ」 ポロポロッ
妹「お兄ちゃん……っ」 ズクンッ
妹(ボロボロのお兄ちゃん可愛い、泣いてるお兄ちゃん気持ち悪くて可愛い、もっともっともっともっと可愛いお兄ちゃんが見たいよぉ) ズクズクッ
妹「――それで私、泣いてるお兄ちゃんを見て気付いたんです。こんなスイッチ必要ないって」
博士「ほう」
妹「だって、心臓を止めるスイッチなんておかしいです」
博士「君が今更そんな事を言うなんて、意外だよ」
猫「我もであるが、妹殿には妹殿の考えがあるようだ」
妹「うん。だって……人間って、面白いじゃないですか?」
博士「うん? どういう事だね」
妹「えへへ、あの、人間の体って簡単に壊れるじゃないですか? だからスイッチなんて必要ないって思ったんです」
博士「君が何を言っているのか、私にはよく分からないのだが」
妹「私が怖がってたお兄ちゃんって、本当はいなかったんです!」
妹「だって、人間って本当に脆いんですよ? 力の差なんて、あってないようなもので……」
妹「たとえ素手でも、爪を剥がしたり、その、おちんちんを潰したり、簡単に壊せるって気付いたんです!」
妹「スイッチはそれを私に気付かせてくれたから、もう必要ないんです!」
妹「私、もう大丈夫です! 私は私の力で、お兄ちゃんを立派な人間に変えてみせます!」
博士「君の言いたい事はわかったけれど、それなら洗脳装置の方がよほど人道的ではないかね?」
妹「博士は頭が良いですけど、足りないものがあると思います」
博士「興味深いね。何かな?」
妹「それは、愛です!」
博士「ほう」
妹「洗脳装置には愛がありません! 愛です! 私は愛でお兄ちゃんを変えてみせます!」
博士「つまり君は、お兄さんが好きなのかね?」
妹「……っ」 コクリッ
博士「嫉妬するかね?」
猫「人の伴侶と猫の伴侶がいても何も問題はあるまい?」
博士「ふむ、面白い見解だね」
妹「私、これからもっと頑張ります! 博士も色々相談に乗ってくださいね!」 ニコッ
博士「あまり研究の時間を潰しては欲しくはないのだがね。……ああ、冷蔵庫にカステラがある、食べるといい」
妹「はい!」 スタスタ
博士「……暴力を振るう人間を暴力で矯正しようというのは、大変な矛盾ではないだろうか?」
猫「我もそう思ってはいるのだが、妹殿の楽しげな様子を見ていると何も言えないのである」
博士「ああいう純粋な人間が道を踏み外すと、純粋なまま間違って行くのだね。興味深い」
猫「博士殿も似たような人間ではないだろうか?」
博士「私は進んだ先に道がなかっただけさ、彼女とは違う」
猫「どちらにしろ、伴侶と共に道を踏み外すのも一興である」
博士「かもしれないね。うちのぐうたら猫殿にも聞かせたい話だが、また奥の部屋で寝ているのだろうね」
猫「お互い伴侶には苦労する」
博士「まったくだ」
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