とある一位の精神疾患case3. (361)
お久しぶりです。
イーモバイル規制でスレ立て代行をお願いしました。
>>2から投下していきますが、イーモバイルで連投はできないようですので
投下中のところを見かけた方は空白でもなんでも、レスをつけていただけると嬉しいです。
のんびり投下していきます。
過去スレ
絶対能力進化の過去編から始まります。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1373347991
本物ならお帰りなさい
ニセ者ならお帰りください
夢を、見ていた気がする。
ずっと昔の、覚えているのが不思議なほどに細かな夢だった。そんな気がする。
目を開けたくない。
目を開けたら、今まぶたの後ろに漂っているものが消えてしまう。
錆びかけた細いベランダの手すりや、白い革のサンダル。
それから、もう二度と聞くことのできない声変わり前の――……
鳴り始めた携帯のアラームを止めて、一方通行はベッドの上で薄眼を開けた。
目を開いたときに、まぶたの内側から何かがこぼれたようにも思える。
だが、欠伸を続けて漏らせば、生理的に滲んだ涙でその名残も洗われてしまった。
八月半ばの夕暮れ時。
日当たりのいい室内は丸一日夏の日差しに温められ、まるで温室かサウナのようだ。
しかし、蒸し暑い空気の中に身を起こした一方通行は、汗の一つもかいてはいない。
冷蔵庫のコンビニ袋から缶コーヒーを取る。
カコリという小気味良いプルタブの音。
苦みや、わずかな酸味。
コーヒーの焦げたような香料混じりの香り。
聴覚、味覚と嗅覚はその刺激に対して反応する。
けれども指先が冷たすぎるスチール缶をを知覚することはない。
だから、本当は冷蔵庫に入れておく必要はない。
口の中でも温度を感じなくしてしまえばいいのだから。
風呂場だって必要ない。
妙につるりとした肌は乾いていて、能力で汚れを弾けば無菌室にだって出入りできる。
わざわざ石鹸やボディソープを泡立てて洗わなくても、
汗や垢じみたものは反射してふき取るだけで落とすことができる。
それでも、一方通行はのろのろと風呂場へ向かった。
止まっている全自動の洗濯機から乾いた洗濯物をかきだして床に落とす。
代わりに着ていたものを放り込んで、風呂場のドアを閉じる。
間もなく、防音もろくにない部屋にはシャワーの水音が響き始めた。
冷蔵庫も、シャワーも、本当は必要ないものだった。
-9 ぼくじゃない 絶対能力進化実験・中編
適当な服を身につけて、テレビをつける。
人工衛星が原因不明の破損をしたニュースは何度も何度も繰り返されている。
見飽きた再現映像と無機質なアナウンサーの声。
夕暮れの赤い空を、のろりと飛行船が横切っていく。
学園都市の上空を泳ぐように。
その魚のような腹に臨終ニュースがのっぺりと這っていく。
玄関を見ると、靴がなかった。
ベランダから帰ったままだ。
狭いコンクリートのベランダに脱ぎ散らかされた靴。
つっかけてつま先で床を蹴り、そのままひらりと飛び降りた。
無重力に近い、ふわりとした感覚に、すぐ外壁を蹴る。
向かいのマンションの屋上に飛び乗ると、すぐに軽いジャンプ。
かかる重力をほとんどなくし、床を蹴る運動量を何倍にも膨らませる。
細く白い体は何かに発射されたようにくるりと上空数百メートルまで飛び上がり、のったりと
空をよぎっていく学園都市の巨大な魚の背にぱすんと着地する。
飛行船の分厚い外膜に寝そべると、他に遮るもののない夕陽が一方通行の外側を舐めた。
仰向けになればそれ以外何も見えなくなるように広い空が、赤色から薄いオレンジに、
紫に、群青色に、夜色に映り変わるまで眺めてから、赤い瞳をゆっくりとまぶたで覆う。
もう一度、細く白いまつげに縁取られた目を開く。
ポケットの携帯電話のアラームが一度だけ、実験開始二十分前を告げた。
二○時四〇分。
ころりと寝がえりを打って飛行船から落ちていく。
眼下に迫る信号機の傘をつま先で蹴って、放物線が街の上空を飛び越える。
携帯電話に表示された個体現在位置は学区と学区の境目の、人通りの少ない場所だった。
ビルの非常階段に着地して、ゆっくりと路地裏へ下りる。
ほとんど無重力に近い能力での移動の後は、たっぷりの水から上がったような体の重さ。
「イイ加減にしねェと骨もダメにすんなァ、コレ」
非常階段の終わりでコツコツとつま先を打ちつける。
そうして路地を暗いほうへ、人気から遠ざかるほうへと歩いて行った。
暗がりで歪な形をしている影がふと動く。
「ン」
同年代の少女なら憧れを抱くだろう、名門常盤台の夏服。
少し短めのスカートからはほっそりした両脚が伸び、すらりとした体には不似合いなほど
大きな楽器のケースを背負っている。
「こんばんは、とミサカは時刻から推定される最も一般的な挨拶を投げかけます」
「ハイハイ、偉いお人形さンだよオマエは」
表情の変化は伺えないままだったが、少女の茶髪がさらりと揺れた。
楽器の習いごとの帰りにしては辺鄙な路地を選んだものだと一見した人間は思うだろう。
もし敏感な人間が見れば、額にすこし傾いでつけられたゴーグルの厳つさを不審に思う。
それでも彼女はごく一般的な女子中学生の身なりをして、そこへ立っている。
「時間は」
「現在時刻は二〇時四八分です」
指定ポイントへ、とふらりと脚を踏み出す少女が、何故だか酷くおかしく思えた。
「何か? とミサカはニヤニヤ後を着いてくる一方通行を訝しがります」
「誰が不審者だポンコツ人形」
ちらりと眺めても、表情はいつもと変わらぬやや眠たげな無表情だ。
無機質にも見えるが、かえって人間くさくもある。
この街の学生のほとんどが同じような顔をしているからだろうか。
だるい。早く帰りたい。
帰ったところで何が待っているわけでもないのに、実験や学業や、身の回りに渦巻く
煩わしさから逃れるために、学生たちはぼうっと中身のなくなった顔をする。
だからゴーグルで覆われようとしている目はそういう子どもに良く似ていた。
「二一時〇〇分になりました」
早く帰りたい。
「これより第九九八二実験を」
この少女は一体どこに帰りたがっているんだろうか。
「開始します」
回帰する母胎もないくせに。
レベル5だろうが、レベル6だろうが、そこに違いはない。
一位というのは厄介なもので、もはやどんな数値を出しても何の参考にもならなかった。
二位はいい。一位との差がはっきりする。
前を走るものの背中が見えるのも、足跡を見付けられるのもいい。
ただ誰の足跡もないまっさらな地面をたんたんと走り続けるのは、怖かった。
背後に何かがいる。それがどれくらいの距離にいるのかわからない。
見えないほど遠くかもしれないし、息のかかるほど近くかもしれない。
自分の身を守るのに、あとどれだけ力をつければいいのかはとっくに分からなくなっていた。
手に入れても手に入れても、実感がないから不安で仕方がない。
いくら数値が上がっても、まるでそれを理解できずに心細さで狂いそうだ。
二五〇年培養機に密閉して後生大切に守ってくれると言うのなら、
迷わずそちらの実験承諾書にサインをしただろう。
クローンとの戦闘だろうがなんだろうが、続けている内にどうでもよくなった。
人間、一番大事なものがあるわけで、それを守るためにはなんだってする。
そのために一万死のうが二万死のうが、どのみち薬物で膨らませたたんぱく質だ。
そういう研究員の言葉を鵜呑みにするのは楽だったし、どの道生き物はいつか死ぬ。
遅いか早いかの違いだけで、どうせ死ぬなら、それを自分のために利用するほうがいい。
そういう実験はどうしたって起きるし、断れば下のものに引き継がれる。
最悪、じゃあ不要だったな、と一言で妹達の残りを酸のプールに放り込んで始末する
ことだって考えられる、そういう街だ。
誰かが殺すなら自分が有効的に殺してやる。
生き物を殺して食べるのと何も変わらないことだ。
ベジタリアンになっても生きていけるのに、人は動物の肉を食べる。
名前のついていない生き物を殺して食べても罪悪感は感じない。
検体番号で管理されている妹達だってそれと同じだ。
味がいいから食べる。
力が欲しいから殺す。
一番大切なのは、一方通行の肉体が生きているということなのだ。
足の裏に向かってすとんと落ちていく重力を捻じ曲げ、滑らすように移動を早める。
路地裏の壁から室外機を落とし、パイプを固定するボルトを緩めて弾丸のように撃ちだす。
照明を落とし、視界を奪ってしまえばいいという妹達の狡い手段は
空間に発生した不自然な電気エネルギーで既に予測済みだ。
足元の地面の振動に集中すれば、場所は割れる。
それをしないのは、手を下すまでもないからだ。
スニーキングミッションの訓練を受け、暗視ゴーグルをつけた妹達は
暗闇でも跳弾を恐れず発砲してくる。腕がいいから必ず命中するはずだ。
反射膜に触れた物体の角度と音に視線を向ければ、何一つ手を煩わせずとも
血だらけで転がっているのが見える。
どうやら移動しながら発砲したらしい。急所からは外れたかすり傷で、
一方通行に見つかったと分かってすぐさま逃げ出した。妹達にしては良い反応だ。
立っているだけで終わる実験に比べれば、能力進化実験らしいと言える。
無様な音を立てて非常階段を駆け下りていく姿は実験動物として優秀だ。
しかし、それも長くはねばれない。
掴んだ脚は操車場の黒っぽい砂利の上で妙に白く、細かった。
自分の生臭く色の抜けた白とは違う、健康的で、日陰の植物のような白。
手のひらに吸いつくような汗ばんだ肌。
紫外線にほとんど侵されていないところは同じはずが、色素が抜けるかどうかでこうも違う。
しばらくの間、ぬるい、その肌にしか触れていないことに気付く。
あァ、笑えることに、お人形ゴッコ以外じゃ俺は誰とも話してねェのか。
「もォいいやオマエ」
イラつくンだよ。
その姿でチラチラ動く度に。あと何回殺しゃァいいンだ。さっさと殺されてくれ。急いでンだ。
いや、急いでンのか俺は? 何に急かされてンだ。バカバカしい。馬鹿な実験だ。俺は――
――くだらねェことに巻き込ンでくれやがって。
そのツラがムカつくンだよ。
アナタのために死ンであげますみてェな、恩着せがましいお人形さんの可愛らしいツラだ。
ぷつぷつと脳細胞から憤りのエッセンスが分泌される。
それが濃い油のように頭蓋の下端に溜まり、スプーン一杯分になって滑らかに腹に落ちて
粘膜をじゅうと焼いた。
「終わりにしてやンよ」
接触の瞬間、柔らかいものが弾ける音が軽く聞こえてきた。
タイムカードを捺す勤め人っていうのはこんな感覚なのだろうか。
ぐっと反った伸びをして背筋をほぐす。
毎日こんなことをしている。時間や場所は不定期だ。今日は楽だった。
相手が一人だけだと目で追う物が少なくて楽だ。
それに、能力者らしい小賢しいチカラの応用方法は見ていて楽しい。
流石は第三位、応用力のバランスに富んだエレクトロマスター。
ただの銃を持った少女として死ぬより、超能力者のクローンらしさを発揮できてよろしい。
大量生産品にしてはなかなか健気に頑張ったと相応の評価を下しておいて、
学園都市の第一位は踵を返した。
あとは、コンビニにでも寄って。
三度食事の出る学生寮もあるが、そんなコミュニケーションの濃密な空間には馴染めない。
毎日違うコンビニかファミレスをふらふらして大量生産の食事を摂る。
大量生産、同じ大量生産なら、殺した死体が食えればいいのに。
そうすれば殺す理由もまた増える。コンビニに行く手間も手間だ。
ただ、薬品で膨らまされた妹達の肉は薬臭そうだった。
今時とはいえ、牛豚鶏だってそこまでされていないんじゃないか。
手のひらに残るひんやりとした肉の弾力。
大腿筋は食いでがありそうだ。堅くてまずいか?
肉の堅い熊は指先や手のひらが柔らかくて美味いという。
考え事に頬を歪めると、周囲のコンテナと砂利ばかりの暗闇を青白い放電が照らした。
振り向くと、よく知った姿の少女が立っている。
奇襲作戦か。
瞬時に頭が切り替わった。
予告されない実験もある。
迷惑を考えて家は外してくれるが、そういう実験に限って一瞬で片付いてしまうものだった。
奇襲ということに気を取られて他の作戦めいたものをきちんと用意できていない印象だ。
ああやって叫び声を上げながら駆けてくるようでは、それこそ奇襲ですらない。
銃火器を手にしていないところを見ると、また派手に爆発物か、小型の飛び道具か、
それとも能力で勝負しようというのだろうか。
癇癪を起した子供のように足元を踏みしめると、黒いものが帯状に地面を割り起こした。
「おおっ」
偉いぞ。そう、そういう芸当が見たいンだ。
隆起した黒い帯は少女からなかなか離れた場所まで伸びてまとまり、
一本の太い螺旋を描いてこちらへ伸びあがってくる。
ざんと叩きつけられて見れば、粒子の細かい鉄分だ。
螺旋は磁界だったかと肌の前に反射膜に触れては跳ね返されるのを知覚する。
能力がなければ全身をおろし金にかけられたように削り取られているかもしれない。
生きたままペーストにするというのはいい趣味だ。
いっそこの実験はそうやって終わらせても面白い。
ただ能力があるのだからそういうのはナンセンスだった。
操っている周囲の磁力を軽く狂わせてやると砂鉄はあっけなく散っていった。
吸いこまないようにしなければ。そのほうが余程体に悪そうだ。
動物のような金切り声をあげて、目の前の少女は自分の肩を抱きしめた。
妹達にしては珍しい。感情を高ぶらせるような薬で能力を底上げする研究を思い出した。
そういうものも使っているのだろうか。
なんにせよ、先ほどの砂鉄の総量を考えると普段と比べて大分オーバースペックだ。
ティースプーンで瓦礫の山は崩せない。
奥歯のむず痒くなるような音を立ててめきめきと鎌首をもたげるレールが、
束になってぐんなりと動いた。
おかしい、唐突にここまでのレベルアップはない。
今まで相手にしてきた妹達はよくてレベル3相当の有象無象の能力だった。
隙間なく周囲を串刺しにしてくる鉄骨をぽんと弾き返してやると、無様に跳ねてかわした。
その無駄の多い動き。
ふと合点がいく。久しぶりに、ひどく興奮した。
「オマエ、オリジナルかァ」
御坂美琴の顔など、とうに見慣れたものだと思っていたが。
嫌悪感を露わにしたその顔は新鮮で、いつも見る無表情より幼く見えた。
逢いたかった。ずっと顔を見てやりたかった。
この目の前の癇癪を起した子どもがたった128人いてくれれば。
ずっと楽になれたというのに。そう思うと残念でならない。
ただ、これ一人で妹達何人分だと思うと、貴重な一人である。
もちろんこれは人形ではないから、殺すまではしてはいけないのだろうが。
では半殺しならどうか?
296回半殺しにしてやったら――
そう上手くいくのなら、残り一万回以上の実験を放り出してそっちに参加してやるのに。
ともかく一回でも貴重だ。
「このダリィ作業もグッと短縮できンだろォ?」
早いところ終わらせてしまいたいのはこっちのほうだ。
「イイ加減飽き飽きしてたンだ」
可愛い妹達のために、一回くらいお姉様が地べたに転がってくれてもいいだろう。
「頼むぜェオリジナル」
ポケットから取り出された物を見て、足を止めた。
まるで銃火器でも構えるように、ただのコインを指先で構えて、
オリジナルの御坂美琴は震え声を出した。
「何でこんな計画に加担したの?」
こんな計画。たしかにそうだ。本人が一番よくわかっている。
通常のカリキュラムを200年受け続ける方がよほど現実的だ。
毎日何かしら覚えることがあり、考えることを積み重ねる。
勉強も学習も嫌いではない。
まだ知らない分野が山ほどある。
それに比べて毎日、赤子同然の少女を殺して死体を積むことといったら、苦役に近い。
倫理的にではない。心情的にだ。
やりがいのない仕事というのは罰だ。
地獄では囚人に無意味な労働をさせるという。
まず、囚人に穴を掘らせる。ひたすら穴を掘って、指定された大きさの穴が完成する。
次はその穴を元通り埋めさせる。
きれいな地面に戻ったところで、少し離れた場所にまた穴を掘る。
終わりがないよりはまともだが、二万という数は頭が痛かった。
それを大人しくプログラム通り勤勉にこなしてきた。
褒美に絶対能力があるというただそのために。
「そんな事でっ」
「?」
そんな事、と御坂美琴は口にした。
「アンタはっ、そんなッ」
一方通行は目を細める。
コインと親指の爪が擦れる音がした。
なるほど、同じ超能力者とはいえ、御坂美琴とは仲良くなれそうもない。
「そんなモノのためにあの子を殺したのか――――ッ!!」
空気を焼くような閃光と衝撃にまぎれる大きさで、一方通行の唇が開いた。
「そんなモンと言えるような仕打ちしか、オマエは受けてこなかったンだな……?」
やはり御坂美琴に超能力など、必要なかったのだ。
この少女の体にあまるような力は身を守るためのものですらない。
一方通行が最強のシェルターとして身に付けた超能力は、御坂美琴にとって何だったのか。
ただの特技か。
夜道を歩くときの護身用のスタンガンなのか。
それとも、誰かを殴り、焼き、沈めて首を絞め、踏んで追いだすために使われる力か。
彼女の母は彼女を殴らなかった。
だったらその力は必要ない。
使い道のない能力ならなくていい。
ほんの僅かに反らした反射の軌道が、御坂美琴の背後に跳ね返したレールを貫いた。
クローンに同情する優しいオリジナルがぽかんと口を開く。
研究員の言葉を借りるなら、ボタン一つで作れる乱造品。
一方通行の預かる肉に比べてどちらが大切か、比べているものにとっては一目瞭然だ。
そんなモノと彼女が呼んだ能力のために何でも捧げる生き物がその表情に首を傾げた。
「何固まってンだよ」
ガラガラと崩れて転がった鉄骨。
「ああそうか」
第三位と第一位の差が、流石にここまで広いとは思わなかった。
要は、所詮、必要のない能力なのだ。彼女の脳に詰まっているチカラは、所詮がこの程度。
「まさかこンなシケたもンだと思わなくてよォ」
両手を広げる。
人の脳から演算野を焼き切るには、どれくらいの電流を逆流させればいいのだろう?
「そのザマじゃあンま期待はできねえが、ちったあ楽しませてくれよな三下ァ」
きっと口から唾液を垂れ流すだけの生き物になったところで、彼女の母は彼女を殴らない。
だったらその優しい母親に甘えられるように、ただの白痴に変えてやろうか。
殴られる腕から頭をかばうことすらしなくて済むなら、そんな上等の脳など必要なわけが
「お待ちください」
静かな声に思考が止まった。
「計算外の戦闘は予測演算に誤差を生じるおそれがあります」「と」「ミサカは警告します」
死体を片づけに来た妹達は、いつにも増して大所帯だった。
派手にやったから人手を集めてきたのだろうか。
「特にお姉さまは超能力者ですので」「戦闘により生じる歪みは」「非常に大きく」「期間の
短縮はおろか」「計画が破綻するおそれがあります」「またミサカには今後予定されている
実験に合わせた」「チューニングが」「施されており」
「計画を途中で変更する事は極めて困難であるとミサカは説得します」
短縮どころか、かえって回り道、いっそ水の泡になるからやめろ。
そういう内容に筋は通っていたが、つまりはかばい立てだ。
キッチリ自分達が二万人死ぬからオリジナルは勘弁しろと言う。
妹に守られて、情けない姉もいたものだ。
それとも妹は先に生まれたものを守るように遺伝子レベルで構成されているのだろうか?
「分かった分かった、分かりましたよ」
追い払うように手を振る。水の泡になっては困るのだ。
この計画は自分にとって必要だ、と一方通行は頬の内側を噛み締めた。
視線をやると、学園都市の第三位は全身をかたかたと震わせている。
役目を果たして静かに死んでいく妹達とは、初見のときより似ていない気がした。
「そーいやァ自己紹介がまだだったな。オマエのクローンにゃ世話ンなってンぜ」
生ぬるい環境で育ってきた超能力者に、嫉妬めいた嫌悪感はあるが、DNAマップの提供は
実験にあやかってレベルアップをするものとして、心の底からありがたかった。
最強に満足するつもりはさらさらない。
――だが『最強』どまりでは君を取り巻く環境はずっとそのままなのだろうね
あの黒服の言ったことを否定できなかったのは、実際掴みかかってくるような有象無象が
掃いて捨てるほど、毎日のお決まりごとのように現れるからだ。
「俺の『無敵』化を手伝ってくれてンだ、感謝しなきゃな」
まだ足りない。
この体を今、『返して』も、まだ、足りない。
完全な肉体として返すにはまだ、何もかもがまだだ。
間借りしている肉を仕上げるためだけに、寄生虫は宿を磨き立てなければならない。
だから、この実験をブチ壊すのは望ましくねェンだ。
ぶるぶると震える拳は恐怖のためだろうか。
そうなると、この女は自分から身を守るために、初めて自衛の能力を使ったのか。
一方通行は眼を細める。
頼むから、リベンジなンて馬鹿なこと考えンじゃねェぞ。
そう囁く。言葉にせずに。
この顔を覚えられたくなかった。人格を、ソフトを憎まれるのは構わない。
ただ、御坂美琴ほどの能力を持った人間に、肉体を、ハードを憎まれるのは支障だった。
オマエを殺そうとしたのは俺だからな、と、言えたら楽かもしれないのに。
アイツじゃねェンだ。俺は、
「『一方通行』だ」
他人に自分からその名を名乗るのは、ずいぶん久しぶりな気がした。
「ヨロシク」
ここまで。みじかめですみません。支援ありがとうございました!
と、しばらく書いていない間にpixivでマンガとかやってくれてる方もいるようで。
本当にありがとうございます。マンガってすごい手間暇かかってるものなのに!
そっと楽しみにしております。
しかしあの文章をよくあそこまでマンガにできるものだなぁと感心しています。職人芸……
次回、近いうちに。
アニメでこのへんやってるので、ほとぼりが冷めない間に進めていきたいです。
毎回投下の前日とかにこれこれこういう時間に投下しますから
支援お願いしますとかやった方が良いんじゃないかね
SS制作者総合スレで見て連投出来ないのは大変だと思ったから今回手伝ったけど
毎度毎度読んでる人が偶然居合わせるのは難しいでしょ多分
>>32
色々とご親切にありがとうございます。
ageで投下予告とかしていこうと思います。
支援助かりました。どうもすみません!
>>1です。
ちょこっと早いけどそろそろのんびりやっていきます。
携帯でセルフ支援したいのはやまやまなんですが、
実は持ってるガラケーがメールもネットもほとんど使わない設定なのです。
普段はポケットWiFiとiPod touchを使っているので、同じくイーモバイル規制に引っ掛かるのです。
要するにイーモバイル介さずにネットに繋がる機会がないのでこんな状態です。
安価スレでもないのにお手数おかけします。
では投下していきます。
「お待たせしましたか、とミサカは時刻ギリギリの到着を詫びます」
「詫びになってねえよ」
時間にキッチリとした妹達の到着が指定時刻二分前になるのは初めてだった。
道草でも食っていたのだろうか。だとしたらずいぶんと人間臭いことだ。
「いえ、今日は道草を食っていたわけではありません、とミサカは反論を示します」
手際良く楽器ケースの中から取り出した銃を組み立てる。飛び道具に興味はない。
が、毎度毎度よくそれほど豊富な種類のものを用意できると関心はする。
「あそォ……ま、外部研修っての自体がそンなモンか」
学園都市をあてどもなくふらふら歩き、知識だけでなく体感で戦闘時のギャップを減らす。
ただそれだけのための外部研修だ。体慣らしとも言う。
「元々予定になかった研究所間の移送に調整済みの妹達が駆り出されたのです。
幸い移送は完了し、トラブルも微々たるものでしたのでこの実験に影響はありません」
「予定にねェってことはアクシデントじゃねェのか?」
「実験そのものに及ぼす影響は誤差範囲内です、とミサカは申し送られた情報を伝えます」
「はァン……ならどーでもいっかァ」
実験さえ予定通りならどうでもいい。
関わりあいになりたいわけがない。
そもそも実験のスケジュールが崩れない程度の支障なら大したことはないのだろう。
終息の目処が立っているならすぐに片付く。
無理して目先の実験だけ進めるほど馬鹿な機関ではない。
「始めましょう」
弾倉が充分に満たされていることを確認して、慣れた手つきでそれを叩きこむ。
日本人の女子中学生に似合う仕草ではなかったが、そこは軍用クローンである。
「二十一時二〇分、これより第一〇〇三〇次実験を開始します」
感動的だな、と一方通行は首を傾げる。
とうとう折り返しも過ぎた。キッチリ収めとくか、と思い付くことに、思考の麻痺を感じる。
大分この実験にも馴染んだのだろう。
人間は順応する生き物だ。
はたして自分を人間の精神構造と同列に語って良いものか知らないが、と一人ごちる。
数カ月単位で一万回、流石に慣れる。
-9 ぼくじゃない 絶対能力進化実験・後編
タタタ、と押さえられた銃声が路地の隙間に鳴る。
「目標の能力に関する考察に数度のアプローチから修正を加え、目標の能力に目視や
聴覚での攻撃の補足が必要であるとミサカは仮定します」
「そォいうお喋りができるヒマがあンなら、ちったァ仕掛けて来いってン、だ」
一方通行がつま先でトンと叩いた地面から発生する地割れをステップで避けながら、
妹達がいつもより小型の銃を標的へ向ける。
「よって、かすかにでも音や痕跡を察知される場合、奇襲であっても能力が展開されている
とミサカはさらに仮定し、五感で察知できない攻撃に対してはその限りでないと結論を」
「中身のねェ頭ってのは無駄なことにばっかよく回るもンだよなァ……」
「お褒めに与り光栄です」
ポケットから無造作に取りだしたものが、一方通行の足元に投げつけられる。
路地から表通りに溢れるほどの閃光。
一瞬でゴーグルの暗視モードを遮光に切り替え、10030の番号を振られた個体はベストの下
スカートのウエストに隠してあったプラスチック拳銃を取りだす。
学園都市の警備員がゴムスタン弾を込める、完全なサイレントピストルにさらに特注の
サプレッサーをつけ、トリガー音さえさせずに右手が硝煙の中はね上がった。
「テロ部隊鎮圧用のスタングレネードに視界と聴覚を奪われた状態で背後からの攻撃が
最も有効であるとして、ミサカは念のため多方向からの攻撃を試みます」
狙ったのは一方通行本人ではない。
その背後に位置していたポリバケツ。
バケツの内側に仕込まれた薄いガラス容器に着弾する。
中に詰められた高濃度の液化爆薬が黄金色の炎を上げて炸裂した。
寸前で路地の横道に飛び込んだが、一瞬の炎にくるぶしから下を舐められた。
眼の覚めるような痛みは無視される。
壁に這う金属パイプに電流を流すと路地の奥からさらに爆発音が響いた。
会話ができなくては怪しまれるから、耳栓はごく薄いものしか着けていない。
鼓膜が破れてキンと耳鳴りがした。無視する。
足首をそっと回すと、鈍く痛みが付いて回るものの動かないほどではない。
ぴったりしたソックスでなくてよかった。
煤臭い息を短く吐き、ゴーグルを暗視モードに切り替えた。
「目標、完全に」
えぷ、と、桃色の唇から濃い色をした液体が漏れていく。
「能力の内容くらい教えてやらねえと、本ッ当自殺幇助でしかねェな」
ちゃらり、と硬貨の鳴る音。
わざわざ用意したゲームセンターのメダルを手のひらで転がして、一方通行は眉を寄せた。
「オマエが動くから変なトコにブチ込ンじまった……」
肋骨ごと腋のあたりをこそげ落とされたように空いた風穴に痙攣する手を当て、
御坂美琴のクローンは不思議そうに振り返った。
鼓膜が機能していない。唇を動かす一方通行から声が聞こえないのは違和感があった。
「許容以上の光や音は選別されて反射される。
視界が少し悪くなる程度でざァンねン、また的外れだったなポンコツ」
「み、」
「オマエのオリジナルの超電磁砲……
あそこまで運動量持ってくと摩擦のコントロールがなかなか厄介なモンだな?」
伸ばした真白い腕の先で、たわめた親指がコインを構える。
「あァー、電気も磁力も使ってねェから、レールガンでもコイルガンでもなくなっちまうなァ」
一方通行の目の前で、少女が拳銃を握る。
腕はがくがく震えながら引き金に人差し指をかけようともがく。滑る。震えた。
その胸の真ん中を、ブツン、とコインの質量が貫いた。
「……原始的すぎかァ?」
指が弾いたコインの運動量を一度反射膜で観測した超電磁砲と同程度に上げて押し出し、
同時に衝撃波をあとから打ち消し音を消す。
派手に爆発音を立てておいた後で無駄なこととは思いながらも、
サプレッサーをかませた妹達の銃器に合わせた。
超電磁砲と異なり音や衝撃を押さえるから、純粋に研ぎ澄まされた運動エネルギーが
凝縮され、心臓のあたりにコインの直径よりやや大きな穴が開いた。
一拍遅れてそこからびゅくびゅくと間欠泉を二度ほど吹上げ、
路地のコンクリートにはじわじわ血液の水たまりが広がった。
感心したように残ったコインを手のひらで弄び、一方通行はそれを死体の上に打ち捨てた。
じゃらじゃらと硬貨の音がする。
「そンな大したモンでもねェか」
靴の裏に付着した血液を弾きとばし、首をこきりと鳴らす。
むにゅりと何かを踏んだ感触があった。
脚を上げると、余波に当たって千切れとんだ妹達の指がぽろぽろと転がっている。
白いそれをつまみあげると、すでに人肌よりも冷たかった。
ころりとした指先にはきちんと爪がついており、切りそろえられて白い部分のほとんどない
爪先のせいか、丸く、いも虫のようにも見えた。
断面は少し血がにじんでいるが、温度がないのも手伝って、造り物のようにも見える。
妹達の死体も、再利用できれば無駄がないというのに。
ぺろりと舌を出した口の中に指先を含むと、舌を指で撫でられているようだ。
滑らかで堅い爪と、固まったように軽く曲げたままの関節。
歯で押してみると、骨の堅さが近い。
強く噛む。
ごり、ぐちゅ、と骨の内側を伝って大きな音がした。
堅い。
柔らかさがないのではなく、弾力があり、ゴムのように跳ね返す。
強く噛むと骨に当たり、つるりつるりと口の中で逃げ回った。
断面から染み出す血液や、よくわからない肉か繊維のような物体はぶよぶよべたべたと
口の中に張り付いて塩辛い。
そして、強烈に苦く、薬品臭かった。
実験前に何か薬品を投与したのだろうか。
それとも、妹達の体は本当に薬物で膨らまされて、それが抜けきっていないのかもしれない。
成分を分析することも可能だが、それはやめておく。
学園都市で食品の成分に気を使うと終いには発狂せざるを得ないからだ。
食品も飲み物も、有害無害を問わず添加物を大量に含んでいる。
そういう意味ではこの街らしい味付けだ。
舌先が痺れるような不愉快な苦みと辛さ。
口の中に溢れそうな唾液ごと舌打ち混じりに路地に吐き捨てると、
歯型のついたそれは虫のように転がっていった。
冷静に考えれば、食肉用に育てられた草食動物の肉を食べつけている人間が、
雑食の極みとも言える人類の肉など食べて美味いはずがない。
様々な添加飼料で飼いならされて屠殺後丁寧に肉に加工される死体と、
路地裏で破裂したクローンの肉は比べる方が失礼だろう。
今日はきちんとした固まりの肉を食って帰ろう。
口直しを思い浮かべて唇を舐めると、血液だけはほのかに牛の肉に似た味がした。
少し水っぽく、酸っぱいようだが、先ほどの苦みよりは食欲をそそる。
たしか、この区域の外れに仕出し弁当の店があったか、と一方通行は唇をしつこく舐めた。
路地を出るころにはもう後片付けの妹達が布袋や洗剤を手にやってきており、
入れ違うように一万回三十目の後片付けに向かった。
掃除の手際も繰り返されるにつき上がったようで、酷くぶちまけても安心だった。
声もかけずにすれ違う。
「あ……あの、お待ちください、とミサカは」
バチン、と反射膜の一部に反応があった。
呆けたような顔で手のひらを見つめている妹達が、間違いなく一方通行に話しかけていた。
伺うような顔でそろそろと一方通行の表情を伺うような仕草をする。
違う、実験動物がそんな人間味のある行動を取るわけがなかった。
腕でも取ろうとしたのか、弾かれた手のひらを撫でながら、その個体はもじもじと唇を噛む。
「あ? 何だよ、まだあンのか」
「いえ違います、実験ではないのですが、あの」
ゴーグルが曲がっている。
几帳面で軍用らしく着衣に隙のない妹達には珍しかった。
それが生身臭くて、舌打ちをすると、まるで怯えるような目つきをされる。
「じゃオマエは実験以外の私生活で殺されに来たってンだな?」
「ひぇ?」
強引にゴーグルを引いて他の個体と同じように直してやると、首が引かれてがくんと傾いだ。
「ち、ち、違います……あぅ、あの、い、今ミサカを殺しては、実験の順序に乱れが生じ
最悪の場合計画が破綻するとミサカは一方通行の能力進化を後ろ盾に……」
ゴーグルを掴む手から逃れようとでもするように、その個体は両腕を上げて頭をかばった。
邪魔だ、と手を払うと、まるで力の入っていない腕がおろおろと振られた。
本気で怯えてでもいるように。
「……あと何回でオマエの番なンだよ。検体番号は」
「ぅあ……え、あー……いぢまっ! しゅみませ、い、19090、です」
「ンな後半のまでもう生産されてンのか。食い扶持にどンだけかかンだ、穀潰しだな」
「でも……」
「あァいい、理由なンざ興味ねェよ、ペラペラ喋ンな」
騒ぎそうな唇の前に手をかざすと、また身を縮めた。
「何か連絡事項でもあンのか」
「れんらく……」
何度目かの舌打ちが漏れる。
不気味なほど話に無駄のない妹達にしては珍しく、会話が上手く転がらない。
人間臭い。
吐き気がした。
コミュニケーションは苦手だ。
コンピュータープログラムのように明快で誤解しようのない妹達のいつもの会話と違う。
マニュアル化されたコンビニエンスストアやファストフード、ファミリーレストランの店員とも。
また理系らしく筋道だった研究者たちとのミーティングや中間報告とも違う。
そういった機械的な簡略化のされていない会話が自分で考えていた以上に不愉快だった。
理由も考えず、突き放すように声色に険が混じる。
「呼びとめただろ」
「ああ、あの、質問があります、とミサカは好奇心をあらわにします」
妹達の中で解決するなり、メンテナンス専門の職員に聞くなりできなかったのか。
いいとも言わないうちに、目の前の個体がへらりと顔を歪めて首を傾げた。
「一方通行の髪は天然なのでしょうか。髪が傷んでいるように見えませんので、あの、
染めているとしたらどのようなシャンプーを利用しているのか教えていただけないかと」
「19090号」
「へぁ? はいっ!」
まるで同じ格好の個体が、背後から19090号の腕を叩いた。
「実験中以外の披検体への接触は制限されています」
「あ……」
「これは実験開始時に定められたマニュアルで全個体とも了解しているはずですが、
とミサカは19090号にインストール不良の疑いをもちかけます」
「いえ、あの……学習装置は正常だったはずですが、とミサカは己の健康を誇示します。
ただ同期された過去の実験の記録で気になっていたものですから……すみません」
いつもの無表情でゆるゆる背後の仲間を振りかえる妹達の前で、
19090の個体は困ったように首を傾げた。
「ミサカは……不良個体なのでしょうか? と、ミサカは参考になるような返答を期待します。
そんなことはないよ、と、否定していただけると心強いのですが……」
全ての個体は記憶をリンクさせて二万通りの実験の間に学習し進化する。
進化実験で成長するのは被検体だけではないということか。
面倒くささを知らしめるための溜息をついて、一方通行は見上げてくる19090号を見下ろした。
成程、外部研修というのはこういうことなのかもしれない。
少なくとも現状生きている妹達の記憶や思考は共有され、平均化されているものだと
思っていたが、案外番号が後ろになるほど苦戦するというのはこういうことなのだろうか。
「にしても随分人間のフリが板についてンなァ、そういうのは学習装置で仕込まれンのか?」
「あぶ、ぅ?」
顎を掴んでゆすぶり、瞳の動きを観察してやると、怯えたような当惑したような顔を見せる。
「はァン……遊ンでばっかりいるモンだと思ってたが、調整員ってのも仕事してンじゃねェか」
「にゃにがれぴゅか?」
「もちっと実用的だったら俺もインストールされてやるとこだが、この間抜け面じゃあなァ……」
「んぷ?」
首をゆるゆる振って手から逃れると、19090号は眉を寄せた。
「一方通行は個人としてすでに人格を有しているのですから、ミサカのように学習装置に
頼るような真似は必要ないのではないのでしょうか、とミサカ19090号は」
「……はァ」
「ミサカは、ソフトもハードも養殖もの、ですから」
ゆっくりと、一方通行は眼を細めた。
唇の両端が引き攣る。
「対して変わりゃしねェよ」
「そう、でしょうか、とミサカは腑に落ちないまま返答だけ返します」
その表情が少し、気になった。
「一方通行、とミサカ19090号は声をかけます」
「被検体との接触はご法度なンだろ」
「一方通行は紅茶はお好きですか、とミサカは一方通行の返答を無視します」
「あ?」
紅茶、と眼をしばたたかせると、その個体はぐんにゃりと顔をゆがめた。
笑顔らしいものを浮かべて、頬に手のひらを当てる。
「ロイヤルミルクティーというものをご存じですか?
香りのよいやわらかな渋みと、ミルクのまろやかで口当たりのいい甘みがたまりません」
「だから……?」
「ミサカはニルギリが好みなのですが、あまりおいしいミルクティーを出すカフェがあるので
誰かに教えてこの感動を分かち合いたい、とミサカは共感を求めます」
「……外部研修ってのは何の研修やってンだ」
「あの、一方通行はレモンティーのほうが好みでしたか?」
紅茶は好かない。
あの渋みと香りが大嫌いだった。
いい思い出がない。
あの平たく薄い磁器のカップや、琥珀色の薄い液体が注がれるときの音。
立ち上る香り。
ぐっと喉の奥が締まる。
「……ンな腐った色水飲めっかよ」
「そういえば、いつも缶入りのコーヒー飲料を購入していますね。
ミサカはまだ飲んだことがありませんが、コーヒーがお好きなのでしたら見付けたときに」
「喋りすぎだ、不良品」
「あの……あの、また、改めてご紹介、しますから」
その肩を突きとばすように、後ろで茫洋と眺める妹達に向けて弾きとばす。
「うるせェな、オマエらは黙って、順番通りに殺されてりゃイインだよ。俺に構うな」
ぽかんとしていた19090号が、ゆっくりと瞳を下げた。
「はい……了解しました、とミサカは返答します」
くるりと踵を返した一方通行の背後で、突き飛ばされた19090号は周りの個体に囲まれる。
乱れたスカートを直されながら、19090号はベストのしわを伸ばした。
後期に製造された個体に対して、妹達は実践研修の不足を感じている。
さながら先に産まれた姉が妹の面倒を見るように、甲斐甲斐しく髪を整えてやる。
「大丈夫ですか」「19090号、なぜあのような質問をしたのですか」「と」「ミサカは」
「ネットワークに接続されていることを確認し」「質問の意図が推し測れないことに」「当惑」
「あ、ぅ、ミサカは、実験に支障をきたしたでしょうか?」
「いえ」「その心配は」「ないでしょう、今までも何度かは会話をしたことがあります」「ただし」
「あれほど会話が続き」「なおかつそれが実験の最中ではないというパターンは」「今まで」
「経験を見ない事態であるとともに」「予測のできなかった事態であると」「ミサカは疑問を」
「19090号は、一方通行が怖くないのですか、とミサカ10031号は問いかけます」
寝袋のような防臭シートを大きく広げながら、一人の個体がのろりと仲間を見上げた。
「怖い、ですよ。と、ミサカは当たり前の返答を返します。
……けれど、このミサカが実験に参加するのはもうしばらくあとの事ですので」
「しかし」
「おかしなことでしょうか……なにしろ、研究員は妹達とは会話をしてはくれませんし、
お姉様も、ミサカ達を疎んじて居られる様子でしたので……」
「……それは」
妹達の半数以上が微妙に表情を変える。10031号がシャツの胸元を握りしめた。
「妹達の事情を知っていて、恐れずに会話してくれるのは」
19090号はすっと瞳を細めた。
エタノールや合成洗剤を撒くもの、ポリマーシートで血液や洗い流した洗剤を吸い上げて
処理するもの、遺体を担ぎあげて動かそうとするもの、全員が手を止めて、彼女を見つめる。
「一方通行だけではありませんか……」
吐き捨てられた白い指がさびしそうに転がっていた。
ここまでで。
今回短めですみません。
アニメやら超電磁砲やら参考にしていると切りどころが難しいですね。
次回から上条当麻編です。今のとこあんまり上条さん出てこなさそうですが。
支援ありがとうございました。
こんばんは!
ちょっと遅れてすみません。
投下していきます。
よろしくお願いいたします。
床に無造作に投げ出されたビニール袋には、有名な仕出し弁当屋のロゴが付いている。
持ち帰り用の弁当パックのプラスチック蓋と箸袋が投げ込まれ、口をだらしなく広げた袋。
ソファーに浅く座ったまま、一方通行は機械的に口元へと箸を運んだ。
一食2880円の和風サーロインステーキ弁当だ。
飯の上に乗せられた炭焼きのサーロインが五切れ。焦がし醤油のたれがかかっている。
がんもどきと手綱こんにゃく、椎茸や人参、絹さや、大根の煮物と、分厚い出汁巻き卵。
鶏つくね。ブロッコリとミニトマトのサラダ。
それに千枚漬けなどのおかずがほんの少しづつ入っている。
でたらめに握られた竹割り箸で、気もそぞろな様子のまま飯を口に運ぶが、
ぐちゃぐちゃと噛んで飲むまでに、ぼろぼろと零れて膝の上の弁当箱に戻っていく。
食欲がない。
夏バテだろうか。
暑さを感じているわけでもないのに、うだるような暑さの印象だけでそうなるような気もする。
ぼうっと肉を噛んではみるものの、結局呑みこみきれずに、舌を出して吐き戻した。
すっかり2880円の弁当を吐瀉物のような姿に変えてしまってから、
一方通行はそれを袋に戻して口を結んだ。
玄関のごみ袋に投げ込んでおく。出かけるときに寮の裏に捨てに行くことにしていた。
随分所帯じみているが、仕方がない。虫が湧いてしまう。
虫は嫌いでも好きでもないが、虫の湧いた不衛生な空間はあまり好きではない。
人類最強だろうが、人並みの生活を送らなければ困るのは自分の方だ。
通帳の中にはうなるほどの金があるのだから、身の回りの雑事を代わりにこなすための
人間くらい雇えそうなものだが、そこはそれ、
自分の住み家に他人を入れるのが嫌なのだ。耐えられない。
缶コーヒー一本すら喉を通らず、洗面台で黒い液体を吐き出した。
口をすすいで顔を洗う。
タオルを洗濯機に放り込むと、
洗濯機の中に少しだけ溜まっていた洗濯物から籠ったような臭いがした。
ボタンを押して洗濯を開始する。
このところ洗濯ばかりしている気がした。
と言っても全自動の洗濯乾燥機だ。
ボタンを押すだけなのだが、汚れものがあるのは何故だか落ち着かなかった。
対して、掃除はほとんどしていない。
床のあまり踏まない部分にはうっすらと埃がつもっている。
窓を開け、室内の埃を能力で巻きあげて汚れを追いだしてやる。
なんとなく空気がさっぱりとした気はするが、気分は悪いままだ。
疲れてンのか?
こめかみと目頭がジリジリと痛む。
このところ溜息ばかり吐き出してしまうのも、体が常にだるいのも、実験疲れのせいだろう。
外部での実験が始まってから、研究所での初期実験よりも一回一回が面倒になった。
研究所で次々模擬シミュレーターのCGのように襲ってくる妹達よりも、
外部実験の彼女たちのほうがたしかに厄介になっていた。
初めての実験のときに研究者が言っていたように、
妹達は記憶の共有で戦闘のプロとして成長しはじめている。
ただ、強敵になりえるから疲れるのではない。
むしろ相手にならないから疲れるのだ。
一方通行という能力の仔細さえ知らされていない妹達は、今までの実験から能力を予測、
自分でたてた仮説だけを頼りに戦略を用意してやってくる。
その仮説がお粗末だ。
ベクトル変換という能力の特殊性、応用力の高さは昔から自覚しているが、
能力の解釈がきちんと達成できるまで実験が続くかどうか。
二万回の実験を終えるまでの間、まるで見当違いな仮説ばかり聞かされるのはうんざりだ。
張り合いもなければ、やりがいもない。
一方通行の能力の弱点を妹達が発見できるとも思えないが、
いちいち仮説と戦略を準備して向かってくる妹達だ。
いっそ教えておくべきだろうか。
そうすれば、その能力を問わず一方通行を殺すための戦略をうまく考えだすだろう。
それに対して実験を行うほうが効率的ではないのだろうか。
軍用クローンの戦略からあと九千回以上生き残り続ける訓練のほうが学習の価値がある。
まだ実戦の経験が足りないのは一方通行も同じだ。
戦争に巻き込まれようが、砂漠に着の身着のまま放り出されようが、
どんな状況でも生き残れるような、そういう能力。それが必要だった。
そろそろ、ネタばらししたってイイか。
ベッドの上に放り出された携帯電話がアラーム音を鳴らした。
少し早いが、出かけておこう。
ごみ袋を片手に殺風景な部屋を出るとき振り返ると、
こざっぱりとした生活感のない部屋は驚くほど子どものときに見たあの部屋に似ていた。
-9 ぼくじゃない 上条当麻・前編
馬鹿というのはどこにでも存在する。
主に、知能が低いものを馬鹿と呼ぶ風潮があると言っていい。
が、それは学習効率や暗記だけで測るべきではないと一方通行は知っていた。
実験施設内で見る者も、学園都市の路上で見る者も、レベルや成績、頭の良さが全て
きっちり噛みあっていることなどないに等しい。
とくに高レベルの能力者には多い傾向だが、だからといって無能力者ならば
全員それが噛みあうのかと言えばそんなことはないものだ。
勉強ができなくとも、地頭がいいものはいる。
それだけで能力のレベルが上がったり、逆に頭はいいのに低い者もいる。
だが馬鹿の中の馬鹿とも言える生き物は案外多く、
一方通行の後頭部に先の尖った金属パイプをたたき込みたいと願う者は毎日現れる。
「順番待ちでもしてるンですかァ? 一気に来りゃ全員仲良く殺してやるってェのによ」
両腕をだらんと下げて立っているだけで、
パイプを構えていた男は逆側に折れ曲がった腕を押さえて呻き声を上げた。
無能力者のお友達ゴッコかと思いきや、紛れ込んでいた低能力者の攻撃も
弾いていたらしく四方八方から腕を串刺しされて泣いているものもいる。
「忙しいンだよなァこっちもよォ……オマエらは暇で暇で、しょうがねェのかもしれねェが」
「オ……オレ達が悪かった、だからもう勘弁、ぃぎっ!?」
「馬鹿が囀ってンじゃねェーっての、許可もナシで何様?」
靴底にかけた力をほんの少しづつ重くしていく。
江戸時代の拷問に、体の一部に重石を乗せて、ほんの少しづつ重くしていくものがあるが
能力を使えばなかなか簡単で便利なやり方だ。
「俺が第一位だってのは知ってンだろ? じゃあその第一位様の余暇を削ってるオマエは」
「があああああ!?」
「何、様、なンだよ? あァ?」
メキメキと鎖骨がしなる音がした。
「そっれを、何、勘弁だァ?
オイオイ、テメェから噛みついてきといて、謝ったらすむとでも思ってるンですかァ?」
必死に足を掴んでどけようとするのは健気なことだが、
その薄汚い腕で掴まれるのもごめんだ。反射するからつるつると指がすべって滑稽だった。
悲鳴を上げる男にゆっくりと加重すると、ぴりぴりと緊張が走って、最後のひと押しで
足の下の抵抗がばきんと折れた。
「ぎゃあああああ!?」
「っひ、」
同じような制服の男の中でうずくまっていた一人が、無様な格好で背を向けた。
他の仲間がやられているうちに逃げるという根性が気にいらない。
それに、毎日毎日軍用クローンとの戦闘をハイペースでこなしているものだから、
男のばたばたと逃げる無様な動きが癇に障った。
コンクリートの下から突き上げるようにして、ブロック大の鈍器で男の足止めをする。
第一位に歯向かってくるのは同じだが、実験の足しにならない無能力者では意味がない。
戦闘訓練も受けていない、能力もなく武器もお粗末な彼らと比べれば、
まだあの量産型の妹達のほうが洗練されている。
「ま、違いと言ったら小バエと蚊ァ程度のモンだろォが、オマエらのほうが頭にくンだよ。
どういう理屈かァ知ったこっちゃねえが、不愉快なンだよ、仕方ねェよな」
「ヒ、ッ?」
がくがくと震える膝がもがくが、力が入らず壁際に身を縮めた。
「あァ? 勘弁しろよ、イジメられてるみてーな顔すンな、偉っそうによォ……」
「あっ、あ、あ! 助けっ!」
助けるというのは、「こういうこと」を言うのだ。
赤い瞳がゆっくりと細められる。
爪先で獲物をいたぶる肉食獣の顔、と見る者は思うだろう。
抵抗をしなくて済んで、安心した弱肉の目つきだった。
「ったく、泣き言ひとつ言わねェで任務を全うする人形どももいるってェのによォ」
じゃり、と細かいコンクリート片を踏んで近づくと、
一方通行の痩身の倍はある体格の男が無様に震えあがった。
「オマエラいったいいつまで俺をいじめてくれりゃ気が済むンだ……?」
「いっぎ……ヒ、」
無意味に突き出された腕を軽く払って腕を伸ばす。
「夕飯の腹ごなしくらいの役にはたってみせろよ」
まるで飲みこまずに吐き出してしまった夕食すら、消化しきれない程度の運動だ。
反吐が出る。比喩ではなく、不快感で吐き戻しそうだ。
考えれば論理的に思考できるはずの頭が働かず、不安定に脈打つ。
自分の頭で考えるのは嫌いだ。
答えがあることならばいい。
数学や物理は正直だ。
答えは決まっている。
ただそれ以外のことは苦手だ。
文学や、心理学や、そういう物事以外の、日常生活が苦手だ。
よくない、頭痛がする。
さっさと自分の領域に、数字と公式だけで処理できる場所に戻りたい。
そんな場所が本当にあるかどうかは、一方通行にとって問題ではなかった。
「くっ、くるな」
わかるぜ、その気持ち。
ゆっくりと目の前の男を観察する。
この暑苦しい陽気にも関わらず律儀に羽織ってるブレザーは無能力者ばかり集まって
生徒の過半数が籍を置いているだけのスキルアウトだということで有名な高校のものだ。
その学校に通うスキルアウトは進んでその制服で活動する。承認欲を満たす。
逆に、無能力者、あるいは低能力者でもスキルアウトでない生徒たちは、
理由がない限り学内であってのその制服に袖を通さない。
つまりその服装でここにやってきたというだけで、第一位を背後からブッ叩いて
不意打ちなら無能力者にも負ける超能力者という憂さ晴らしの集団だという名刺代わりだ。
「何でオマエの言うこと聞かなきゃなンねえのかなァ?
オマエ、俺のこと殺しにきたんだろ? ホラ、仲良くお手手つないで出てきたじゃねェかよ」
「こ、殺そうとは……だって、俺は……ぁ!」
「じゃ俺もオマエのことブロックとパイプでタコ殴りにしてもイイってことだよなァ?
殺す気はねェンだよ、ちょっと全身に鋲打ち込ンで、殴って蹴って全身の骨を折るだけだ」
「っひ、イ、」
嫌がるように弱弱しく振られる首筋を優しく撫でると、声も出せずに唇が震えた。
「疲れてンだよなァ、俺ァ……ムカツクからって理由で正当防衛だから……
オマエは許してくれンだろ? オマエもそのつもりだったンだよなァ……?」
「違う、ちが……! 助け、っ」
「分かってねェな、オマエが笑顔で構わねェから気が済むまでやってくれって言わねェと
俺はオマエラのこと同じように許してはやれねェの。ンなコトもわかンねェから」
いつまでたっても無能のまンまなンじゃねェのか?
ショックを受けたように背筋を硬直させる男の肩越しに、見慣れた背格好の少女が見えた。
「……あ――、そっかそっか、俺はそのために出てきたンだよなァ……
遅刻はよくねェーンだった、遊ンでる場合じゃなかったわ……」
壁際に放り出すように男の襟首を突きとばす。
「メンドくせぇけど、そういやァそろそろ時間だっけかァ? ダメだよなァ……忘れっぽいンだよ」
ガキン、と何かが折れる音がした。
「……あ――あ、知らねェ」
「あカっ……!?」
反対方向にぐにゃりと折れ曲がった腕から鉄パイプが落ちる。
からからとコンクリートを叩くパイプは腕と同じくぐにゃぐにゃに折れ曲がったままだ。
「逆ギレするような根性あンなら、開発の補修でも受けりゃイインじゃねェの?
くく……それでもダメだからンな制服着てンだよなァ、本ッ当、無能力者ってのは」
反射のせいで複雑骨折でもしたらしく、みるみる膨れ上がる右腕。
相当の痛みらしく殴ってきた当の本人が白目を剥いて気絶した。
「可哀そうな集団だよなァ」
言葉に反して、唇がつり上がるのがよくわかった。
いっそこうやって極限まで傷めつけられれば、
何人かは能力が開花するのではないかとすら思う。
学園都市が課している時間割に組まれた開発より、体で覚え込ませた恐怖のほうが
何十倍も効果的ではないだろうか。
研究者にそういうテーマで実験しているものもいそうなほどだ。
反吐が出る、という思いと、自分以外の能力者にそういう経験を植え付けてやりたい思いが
無意識に混ざって溜息に変わった。
通りの向こうで、ゴーグルをつけた制服姿の少女が何かを抱えてぼうっと突っ立っている。
先ほど見たときは連れがいるようだったが、見間違いだろうか。
それとも、通りすがりに声をかけられでもしたのだろうか。
実態が実験動物とはいえ見た目は華奢なただの少女だ。
気の抜けたような顔で立ちつくす妹達を観察していると、すぐ横からいつもと同じ
「お待たせしました」という声が聞こえた。
「ン……」
「本日の第10031次実験の相手はこのミサカです
と、ミサカ10031号は被検体に挨拶します」
つややかな楽器ケースを背負った妹達がもう一体、すんなりとした立ち姿で現れる。
浅く首を傾げると、整ったセミロングがさらりと揺れた。
「あ? ンだよ、これだからオマエらは紛らわしいンだっつの……」
「申し訳ありません。
何分、遺伝子レベルで同一の素体ですので、とミサカは頭を下げます」
「知ってンよ……あァ、そっちの路地はやめといた方がいいぜ」
一方通行が出てきたばかりの路地に足を進めようとした妹達を手招いて、
一本向こうの路地へついてくるように指先を曲げた。
「何故でしょう、とミサカは疑問を持ちます。そういったことを口に出したのは初めてですね」
「大したこっちゃねェよ。散らかってンだ」
目を細めると、立ち止まったままだった妹達は大人しく着いてきた。
「見てきたのですか」
「あァ、ゴミだらけだ。こっちから迂回したほうがマシだろォ?
な、素直に言うこと聞きゃイイじゃねェか、それともこっちの道じゃねェと不都合か?」
「わかりました、とミサカは素直に頷きます」
「ハッ、イイ子で助かるよなァ、このお人形はよ!」
グチャグチャと髪を掻きまわしてやると、首の座っていない子どものようにグラグラ揺れた。
「髪が乱れます。実験以外での接触は予測演算の乱れが生じるため……」
「二万ってのは誤差含ンだ数だろ? 接触の内入ンねェよ、ンなモンじゃ」
紫外線の影響がないからか、つるりとした髪は妙に指通りがよかった。
一方通行の妙に柔らかくコシのない毛髪とは違って、滑らかにまっすぐ流れて行く。
この生き物は、この実験のために生かされてるのだと思うと、悪い気はしなかった。
一般に言う、愛着だとか、愛おしさだとか、そういう種類の感情だが、自覚はないままだ。
妹達は実験以外で自分に危害を加えることはない。
どれだけ殺してやろうが、憎しみや復讐や、もっと低俗な興味本位で殺意を向けてはこない。
「……そうですか。19090号もその言葉を聞いて安心しているところでしょう、とミサカは
距離の離れた19090号の様子を伝えます。実験の邪魔だったかと恐縮していましたので」
「じゃ最初からつっかかって来るンじゃねェよっつっとけ、訳のわかンねェ個体もいたモンだ」
「はい、申し訳ございませ」
「時間だろ? とっとと始めようぜ、疲れてンだっつの、こっちは!」
額を突きとばすと、文句も言わずに彼女ははいと返事をした。
「では、これより第一万三十一次実験を開始します」
かちゃりと音を立てて、重たいゴーグルが彼女の瞳を遮った。
あとは欠伸混じりにこなせるお決まりのアトラクションにすぎない。
「オマエは退屈に思わねェワケか?
それとも退屈できるほどの余裕は流石のお人形でも持ち合わせちゃいねェってか?」
返事は銃声と、それを跳ね返す高い音だけだ。
「またお決まりの仮説をケツから垂れる前にナゾナゾでもしてやろォか?
一方通行は、果たしてナニをやってるでしょうかァ?」
返答ナシは不正解とみなす。
顔面を踏みつけるための足の裏に、大型重機一台分の重量をかけて踏み砕く。
「ぃぎっ……!?」
コンクリートをごろごろと転がり、すぐさま立ち上がる。
自分の挙動で揺らされた脳のせいで靴の脱げた脚がふらついているのが滑稽だ。
「よく避けンなァ……その無様な子猿みてェな動き、本当尊敬モンだぜ」
言葉を遮ろうとするように至近距離からの発砲。
まだ銃での攻撃が可能だと判断されているなら相当ナメられている、と一方通行は笑った。
「……っ!」
先ほど目の前の少女の髪を優しく撫でた手が上がる。
何事か引き起こされようとしている惨劇を回避するために、
妹達は銃弾切れになった銃そのものを叩きつけた。
子どもの癇癪のような破れかぶれの攻撃を丁寧に弾き返すと、
衝撃に耐えきれない銃器が弾けて部品に還った。
「ホラ、目くらましと時間稼ぎじゃたかが知れてンぞ!
さっさと答えねェとクイズにもなンねェだろォがよ!」
「うぅっ……!」
許容以上の光量を制限させた視界が淡く点滅した。
反射膜が弾いた雷撃の槍は吸いこまれるように10031号の胸を叩き、全身を痙攣させる。
「反、射……?」
あちこちから血を流して地面に這いつくばる少女は、絞り出すように唇を震わせた。
「ホラ見ろ、だからオマエらの考察なンざお粗末だってンだ!
いつまでたってもこっちの能力一つ見抜けやしねェ……軍用の名が泣くぜェ、妹達!」
咳き込むように忙しない呼吸をして、10031号は一方通行を見上げた。
「しょうがねェからサービスで正解を教えてやるよ。よくネットワークで広めとけよ?
答えは、「ベクトル変換」。あらゆる向きは俺の皮膚に触れただけで変更可能って訳」
もちろん電流も、ときっちり染み込ませるように口に出す。
「何回言おうが正面から突っ込ンでくるような出来損ないの脳味噌には難しかったか?」
ぱちぱちと瞬きする少女の顔は
一方通行の言葉にまるで理解を示しているようには見えず、神経を逆なでるばかりだ。
いくら遺伝子の大元が第三位とはいえ、
これで本当に絶対能力者などという代物に辿りつけるのか甚だ疑問だ。
どうせ監視カメラのクラッキングついでに生中継で
実験の様子を覗き見しているだろう研究者たちを睨むように監視カメラに目をやった。
いっそこの体のDNAマップを提供した方がマシだったかとも思ったが、
同じ顔をした生き物が目の前に現れて、それを殺せと言われてまともでいる自信はなかった。
このところ鏡を見るだけでも頭が痛い。
そんなものに付き合わされたら発狂死しかねないだろう。
脆い、溶けかかった薄い氷のようなバランスで「一方通行」は顕現している。
せめてそのバランスが崩れる前にこの実験を終わらせられれば――
核ミサイルを撃ち込んでも傷一つない。
それでは足りない。
核すら撃つ気をなくさせるだけの絶対的な力。
手に入らないと困る。
人に徒労としか言えない苦行を積ませておいて
特等席で見物しているだろう研究者への嫌がらせに、派手なスプラッタを打ち上げてやる。
柔らかな内臓と脂肪と血液が、ゴム風船を破裂させたように飛び散った。
路地で唯一べっとりとした生臭さに侵されずに済んだ生き物が
じっとりと肉に濡れた監視カメラを見上げて溜息をついた。
特等席からのスプラッタ上映会はさぞ盛り上がったに違いない。
真夏というのは何もかも腐らせる季節だ。
生肉の臭いは堪えるから、周囲の空気を巻きあげて、吸いこまないように路地を後にした。
異臭騒ぎが起きなければいいが、と自分の仕業であることを棚に上げ
一方通行は事後処理の妹達の手腕を思いやった。
これは、ただの実験であって、事件性はない。
殺されているのは人間ではなく、実験用モルモットにも劣るたんぱく質の合成物質だ。
モルモットでさえ自然な交配で生まれてくるのに、あれほど摂理に逆らったものはない。
妹達でさえ、その摂理を理解している。
あの研究員の言った「ただの人形なのだから」という言葉を
何度も繰り返さなければならないほど一方通行は弱くない。弱くてはいけない。
横断歩道で脚を止めると、じりじりとした夕陽が一方通行の影を伸ばした。
皮膚は温度を感じなくても、朱色の毒々しい夕焼けは日差しのありかを感じさせる。
次の実験まであと数時間。自宅に帰るつもりにはなれなかった。
のっぺりと現実味のない街を歩いて、ファミリーレストランに入ることにする。
個性のない店員がいらっしゃいませとマニュアルを並べる。それに安堵する。
血の通ったコミュニケーションは苦手だった。
そこに人格を要求する。
「コーヒー」
「ドリンクバーでよろしいでしょうか」
こくりと頷くと、以上でよろしいですかと聞き返された。
頷こうとした口の中に、酸っぱい味が広がった。
新しい血液の酸味。
こってりとした塩気に、ぐんにゃりとした正体のない弾力。
舌先を痺れさせる薬品の苦み、えぐみ。
生臭さ。薬臭さ。何らかの石鹸のような匂い。
爪の堅さ。
その先の丸み。
噛んだ歯の下から伝わる柔らかさと、骨の堅さ、軟骨の結合。
「……サーロインステーキ、単品。ライスなし」
「セットでサラダが付きますが」
「持って来なくていい」
かしこまりました、とハンディ端末を閉じた音。
ふと顔を上げると店員はいつの間にか居なくなっていた。
大量に作られて煮詰められたコーヒーは妙に酸っぱく、
肉の塊は喉を通らず、半分以上が鉄板の上に残された。
最近、食欲だけは旺盛になったと思っていたのに。
ぼうっとそれをテーブルの上に付き返すと、携帯のアラームが鳴った。
もう時間だ。
長々と食事を取っていたことにも気付かなかった。
吐き気を堪えて、びっしり結露した水のグラスを飲み干す。
溶けた氷から染み出した、製氷機の埃臭いような味がした。
電子カードで支払いを済ませると、外はすっかり暗くなっている。
夜の生温かい風が反射膜で温度を失って、柔らかく髪を梳いていく。
能力を使って移動する気にもなれず、すっかり完全下校時刻過ぎの街を歩いた。
人気のないモノレールで座席の隅に座り、頭を窓ガラスに預けると、
窓の外には学区のはずれにある鉄橋が黒々と横切って沈黙していた。
次の妹達は一体どうやって死んでいくのだろうか。
他人事のように考えながら、目頭の痛みに耐えかねて、目を閉じた。
何か思いださなければいけないことがある気がした。
ただ、その何かが一体何なのか、思い出してはいけないような気もして、
実際心当たりも少しもなかった。
何かをだんだん忘れて行っているような、そんな気がした。
ここまでです。
ご協力ありがとうございました。
ニコ生で15話が始まりましたね。
今週は無料視聴期間の間中繰り返し再生し続けながら続きを書こうと思います。
それでは!
こんばんは。
ようやくこのあたりまで来たか、という感じです。
中身は原作から再構成ですが、台詞などはかなりはしょって飛んでる部分は原作と同じです。
ある意味超電磁砲の一方さん視点な絶対能力進化の再構成なのかも、というかんじで。
ではよろしくおねがいいたします。
二〇時十七分。
一方通行は座標の示す操車場の砂利を踏んでいた。
これだけ学生のいる区画と離すということは、また大規模な実験になるのだろうか。
先ほど一方通行の手の内を親切に明かしてやった相手はといえば、
珍しいことに、まだ到着していないらしかった。
妹達は時間を守るように「できている」から、心配はしないが、どうにも手持ちぶさただった。
早く到着しても、やることがない。
一つ深呼吸をして、一方通行は目を閉じた。
反射膜を維持したまま、体に触れる風や、周囲の音や、振動を全身で深く感じる。
視覚を失った蝙蝠のように全身の感覚を鋭敏にし、脳の内側で演算を司る場所へゆだねた。
周囲数百メートル以上、建物はない。
資材と、レール、砂利。その下は、きちんと整地された水はけのいい土。
コンテナがビルのように、何か一定の規律に従って積み上がっている。
管理された場所だ。うち捨てられ、非合法業者の手によって並べられたものではない。
角は揃えられ、内容物の質量によってきちんと分けられている。はっきりした中身は、不明。
その場にある、隆起、風の淀む場所、レールの数、ボルトの場所、コンテナの数、砂利の粒。
すべてを、少しずつ脳が噛み砕いてゆく。
咀嚼して、飲みこみ、消化する。
その場所を自分の脳内に描けるように。
目をつぶって歩いてもいいくらい、数値によって明確な地図を描く。
自分の体へ当たる風、音、振動、すべての情報は演算をくりかえす度に線を増やし
鉛筆一本で複雑な石膏像をデッサンするように、3D模型を数値入力で作るように精密に。
中へ取り込む。
普段は自宅や研究機関などで与えられた部屋程度でしか行わないが、
たまには実験場をよく知っておくのもよかった。
今夜は風がない。
ゆっくりと停滞する大気は夏の湿気と昼の熱の名残を孕んで
一方通行の体の中へその場の情報をすみずみまで伝えて行く。
食べ物を摂取して、栄養を絞りとり、体の組織に作り変えるように。
情報を受け取り、よりぬいて組みあげ、頭の中で造形する。
心地よく数値で整えられた空間は、脳内のシミュレートと同じ動きをする。
デュアルモニターで世界を覗くような安心感。知らない場所を知った場所へと塗りこめる。
そこへ、不愉快なノイズが紛れ込んだ。
暗闇に反発するような銃器の鈍い輝きと、ゴーグルの淡い発光。
健康的な少女が、妙に生白い肌を月明かりに晒して、こちらを見つめていた。
内臓に土足で踏み込まれたような不快感に、
一方通行は脳内でシミュレートしていた操車場の様子を掻き消した。
高く積み上げたトランプのタワーが指先一つではたはたと崩れて行くさまに似ている。
「よォ」
声をかけると、反応するように目の前の少女はゴーグルの位置を調節した。
あとは人形相手に独りよがりのお喋りだ。
内容は省略するが、要は貧困な人格を経験で補ったところで、豊かな人生など送った
ためしもない一方通行には、同じく貧困な学習装置製の妹達と会話するスキルがないのだ。
お互い相手の言うことに共感も傾聴も足りないために、言葉のキャッチボールができない。
ある意味では似た境遇なのかもしれない。
のんびりとそんなことを思いながら、一方通行は言う。
「自分の命を投げ打つなンざ俺には理解できねェな。俺は「自分の」命が一番だしさァ、
「自分の」体が最高だって考えてンだよ」
返事はない。
「だからこそ力を欲する事に際限はねェし、そのためならオマエ達が
何百何千何万と死のうが知ったこっちゃねェって鼻で笑う事もできンだぜ?」
似た者同士なんだろう、と一方通行は目を上げる。
なぜ、オマエはそう思わない?
なぜその共有された記憶を守ろうとしない?
まだ最後の一人まで猶予があるからか?
二万人分の記憶を、たった一人生きているだけで生きながらえさせることができるからか?
その二万人分の人格は、ソフトははたして同一なのか?
「ミサカの方こそ、あなたの言動には理解できない部分がある、とミサカは答えます」
突き放された気がした。
すでに最強だから?
誰にも追いつけないから?
追いつけないってことは、誰かが「追って」きてるってことだろうが。
追われるような立場になるのはキツネだけでいい。
キツネ同士狩りあって、臆病なウサギでも追い回していればいい。
そういうものを全て見下ろす立場、狩人こそが真の望みだ。
それも、食うためではない狩り。
ただ娯楽と、いくばくの手柄、それだけのためにキツネを追い回してもいい存在。
粗末な巣穴ではなく、暖かな家を持ち、食うためだけのブタを飼いならす。
料理人任せに暖かな食事として出てきた肉にフォークを突き立て、
今日の狩りの結末の銃声を思い返しながら、充分な栄養を摂る。
「結局、俺はまだ最強止まりなンだよ」
また「キツネ」から抜け出せていないただの畜生。
「ダメだよなァ。そンなンじゃ全然ダメだ」
ゆるくかぶりをふる。
あまりの滑稽さに笑いが込みあげた。
「そんな最強じゃ全くつまンねェ」
これだけの力を持っていても、まだ周りからは畜生として扱われる。
いつねぐらを踏みつぶしにきた狩人が脇腹に鉛玉を打ちこむかとびくびくしながら過ごす。
「絶対的な強さ」
触れただけで人を殺せる両腕を広げて、足りないと呟いた。
「そンじゃ、もうイイか? そろそろ死ンじまえよ。出来損ないの乱造品」
目の前の少女には、自分の中身を、人格を、その体に収まるソフトたちを生かそうという
気力も、意思も、思い付きすら感じられなかった。
機械仕掛けのように淡々と告げる。
「これより第一〇〇三二次実験を開始します」
その声まで醜く聞こえたのは錯覚ではなかった。
だから虫唾が走るのだ。
人格を生かしておこうと思わないなら、そのソフトは人造で、大量生産の粗悪品なのだ。
-9 ぼくじゃない 上条当麻・中編
手の内を明かしたからといって、二万通りもある実験のシナリオは
妹達だけの独断ではそれほど大きく変えることはできない。
可能なのは実験によって「達成される」戦闘のパターンだ。
「複数の方向から同時に攻撃された場合の対処法」
「反射では対応できない複雑な地形での戦闘への対処法」
「目標を視認できない場合」
「攻撃手段が銃火器でない場合」
「聴覚を遮断された場合」
今回のパターンは知らないが、徐々に難易度があがり、
一方通行の不得意であろう戦場が用意される仕組みだ。
反射だけでは対応できないケースがこのところ目立ってきた。
そろそろ立っているだけで終わる実験ではなくなってきた。
これからは、自分から相手に接触しなければならない。
そういった意識を、この実験は一方通行に刷り込み始めていた。
明確に自分の意思で妹達に触れ、命を刈り取る。
指先一つでいい。
飛び道具でも、ナイフでもなく、人間として産まれ持った肉体のみを用いて。
それが超能力であるということを除けば、なんと原始的な方法だろう。
それは一方通行に自分の肉で相手を殺す方法を染み込ませるための訓練でもあった。
殴ることもなく、蹴る必要もなく、やろうと思えば握手一つで人を死に至らしめる力。
遠くから石や鉄骨を投げつけることのできる兵器はいくらでもある。
しかし、握手しただけ人間を殺し、証拠を残さず心臓発作として処理することはできない。
超能力者はある種の兵器だ。
そのために、一方通行は相手を反射や遠距離攻撃で仕留める癖をすすがなければならない。
ただそれだけのことだ。
コンテナに囲まれた無風地帯にじわじわと堆積したオゾンが、一方通行の息を少々荒くした。
甲斐があった。
限定された戦闘シミュレーションの範囲内で、
この短時間の間に妹達は反射をかいくぐる方程式を導き出す。
一方通行の反射膜は、擬似的に膜と表現するが、実態は皮膚だ。
皮膚に触れたもののうち、許可された数種類の刺激以外はすべてを反射する。
つまり、ある程度の可視光・許容範囲内の振動・温度・有毒ガス以外の大気……
その許可されている項目に干渉する実験だ。
順番に試していたのかもしれない。視界や聴覚を奪う訓練もあった。
そこへ一方通行の能力解説を受けて、酸素分解を思い付いたのだろう。
有毒ガスへ分解されたオゾンを吸って、一方通行が中毒症状を起こすことはない。
しかし、分解されたために酸素の総量が減り、その分酸欠を引き起こすことはある。
何しろ一方通行の能力は自分から何かを生み出すことはできない。
常に何か、ベクトルを伴う自然現象を利用する必要があった。
不可能だろうが、仮に一方通行を何の力も働かない部屋で押し込めたら
その時点で操作すべきベクトルを失った一方通行はただの人間と同じ状態になり下がる。
それを回避するためには、あらゆる状況に対応できる応用力が必要だ。
とっさのとき、命を守るためにフル回転する脳で突破口をこじ開け、能力を使う地頭を作る。
つまり手っ取り早く生命の危機に直面するよう、敵を応戦するのが一番いいのだ。
プールの塩素臭さに似た、特有の臭いが粘膜を焼くように広がっていく。
「ははっ、退屈しねェな、流石に一万回もぶっ殺されてりゃ悪知恵の一つでも働くってかァ!」
センスは悪くない。
だが、その悪知恵はもう少しいいタイミングまで出し惜しむべきだった。
密閉空間で数人がかりでオゾン発生を狙い、ちょろちょろ逃げ回って時間を引き延ばせば
流石の一方通行も運動と酸欠で片膝くらいはついたかもしれない。
「いくら無風状態だろォが、屋外でやるべきじゃなかったなァ!」
あとはもう、ピンで固定されたカエルにメスを入れて好き放題解剖できる状況だ。
撫でるような手つきで血まみれになっていく妹達の表情は今日もうつろだった。
一方通行への憎しみなど感じない。
ソフトもハードもかえが利くなら、そのものに人格を認めることはできない。
かえのないソフトがたった一つだけインストールされているハードを無敵にするためだ。
失われない肉体を用意するまでの二万歩の道のりが、また少し短く――
ぴたり、と一方通行は妹達の肉袋を蹴り続ける脚を止めた。
雑音が、脳の片隅に残っていたこの場の空間図に入り混じる。
砂利でも、コンテナでもない、ひとかたまりのノイズが、実験場にのこのこと現れた。
自然現象ではない生き物の混入で、脳内に築き上げられた操車場の構造図が
再び突き崩され、ばらばらに分解されていく。
整然と組みたてられた数式を土足で踏み荒らされる不快感。
そして、その異分子がこれからどういう反応をするのかというかすかな期待。
「この場合、実験ってなァどうまっちまうンだ?」
ありふれた夏服を身に付けた、何の変哲もない高校生だ。
そういう実験の際のマニュアルは、妹達には知らされているのだろうが
一方通行には知ったことではない。
本当ならこういう実験の際は周りを厳重に警備して
猫の子一匹入らないようにしておくのが常識ってものじゃないかと首を傾げる。
傍から見たら能力者が女子中学生をなぶり殺しにして遊んでいる猟奇事件だ。
これが実験動物だからまだいいが、さっきの路地裏の死体など
一般人が見たらちょっとしたトラウマレベルの出来だった。
「おいおい、頼むぜ……実験がどンだけの規模かわかってンだろ?」
足の下の肋骨が重みでわずかにきしんだ。
「取り返しつかねェことになってフイにしたら、オマエ、責任とれンのか?」
「……ッか、ひ」
踵を骨と骨の隙間にめり込ませると、詰まったような息が漏れた。
「 」
背後から聞こえた何事かの声に、一方通行はくるりと振り返った。
今、コイツは何て言った?
巻き戻すように反芻する。
「離れろよ、テメェ」
離れろ?
眉をしかめる。
ぴりぴりと怒りを含んだ雰囲気が、目の前の高校生から発されていた。
「今すぐ、御坂妹から、離れろっつってんだ。聞こえねえのか」
ミサカ?
第三位の名前だが、このズタボロの粗悪品を本人と間違えでもしたのだろうか。
しかし、妹というからにはむしろ、これが御坂美琴の姉妹だと勘違いをおこしていると
考えた方がむしろ自然だ。
「ありゃオマエの知り合いって事かよ。何がトチ狂ったかァ知らねェが
部外者をケツ振って誘い込むたァ、とンだ阿婆擦れになりやがったな」
あっけに取られたような顔で反応すらしない妹達に期待はできない。
目の前の高校生をどうするのか、まったくもって面倒だった。
逐一これこれこういう実験で、こいつらの素性はこうこうこういう、と説明することなど
一方通行にはからきしできない所業だった。
妹達でもない、研究者でもない、マニュアルどおりに動く店員でもない生き物だ。
どうコミュニケーションをはかっていいのか、方法を知らなかった。
「秘密を知った一般人の口を封じるって展開か? 後味悪ィな」
やれと言われればやるしかない。
実験が中止になることと天秤に掛けたら実験の皿が即座に地面に落ちるレベルの価値観だ。
しかし目の前の高校生は「人間」であり、
まともな人格と肉体を有した一個人だから始末が悪い。
「なンせ使い捨ての人形じゃなくてマジモンの一般――」
「――ぐちゃぐちゃ言ってねえで離れろっつってんだろ、三下!!」
ブツ、と一瞬、機械の接触が途切れたような音が耳の奥から聞こえてきた。
「あ……? この俺に向かって、三下?」
ぎらぎらとつり上がる少年のまなじりを、一方通行は知っている。
怒りというにはあまりにも「自分が正しいこと」で満ちている。その自信。
「叱る」目つきだ。
「……へェ、オマエ、面白ェな――」
この学園都市の第一位に向かって、こともあろうに「叱る」だと。
ぞわり、と全身の皮膚が震える。
叩いてみなければ物の硬さはわからない。
つまり、見た目で堅さのわかる本物の金剛石以外はみな、一度は叩かれる運命だ。
...
この肉体に向かって、今になってまたそんな言葉をかけるとは、よくも……
ビリビリと皮膚を鋭敏に逆立てる一方通行の足元で、細い声が漏れた。
「何を、やっているんですか。いくらでも替えを作る事のできる模造品のために、
替えの利かないあなたは一体何を……」
実にその通りだと一方通行は耳を素通りする少女の声に目を細める。
「うるせぇよ……そんなことはどうでもいい」
なにがどうでもいいと言うのだ。
本人の口から出てきたとおり、大量生産で作られたソフトとハードだ。
一点ものの陶器を割ったらおおごとだろうが、
量販店で売っている大量生産のものなど、いくら割ろうが買い足せば済む話だ。
そんなことより、ヒビの入りかけて自重で崩れそうな器を大切にケースで保護するほうが
何倍も何十倍も何百倍も、大切に決まっているのに。
この男はそのケースを被せる腕をたたき落としにやってきた。そういうことか。
「――お前は、世界でたった一人しかいねえだろうが!」
世界でたった一人しかいねェ大事なものなンて、一つしかないに決まってンだろォが――!!
「今からお前を助けてやる。お前は黙ってそこで見てろ」
助ける?
それは、悪者から被害者を救うときの文句のはずだ。
じゃあその廉価の陶器一個を壊すのと引き換えに、
一方通行の手のひらの中にある大切な大切な一個が無残に壊れてもいいと言うのか。
これだから、馬鹿は話になンねェンだよ……!!
身をたわめて突っ込んできた少年に向かって、一方通行は残念な気持ちで一歩を踏み出した。
破裂音というのは種類がある。
空気を詰めた袋を叩いたような音から、地中の地雷が爆裂する音まで様々だ。
その中でも極めて重い音を立てながら、
角の立った砂利が人体を跳ね返すほどのエネルギーで少年に向かって発射される。
「遅っせェなァ」
無様に弾きとばされた目の前の高校生の様に、御坂美琴のことをふと思い出す。
足に触れた操車場のレールを細かく振動させてボルトを弾きとばした。
的に当てやすいよう武骨なレールたちをきっちり並べると、
脳内に乱れのない数式を弾きだし、指先でかつんとレールを弾く。
「そンな速度じゃ一〇〇年遅せェっつってンだよ!」
飼い主の言うことを愚直なまでに遂行する犬のように、レールが次々発射され、
地面へ這いつくばる男を串刺すために轟音を立てる。
超電磁砲のぬるい攻撃に合わせる必要はない。
引き込み線の多い操車場だ。届く限りの鉄骨をブチ抜き、動きをシミュレートして打ち出す。
鉄骨そのものよりも、それによって地面からはねとばされる瓦礫の飛び散り方を予測する。
咄嗟の直感や、死に直面したときの動体視力だけで逃げ回る的の思考をうまくかいくぐり、
鉄骨をはね上げ懐にぬるりと忍びこんだ。
右手を叩きつければ表皮にダメージを与えることなく、狙った通りに内臓を破裂させられる。
生命活動に直接かかわらない部分を破裂させる。
痛みを引き延ばしじわじわといたぶるつもりだった。
何の不安もなく、気安げに伸ばされた一方通行の腕に、男はギクリと身を引いた。
「……ッ!」
ばちん、と腕に衝撃。
「!!」
たたき落とされた腕はじんわりとその衝撃を受ける。
命綱をプツリと切られたような心細さが一瞬で激昂に変わり、
地団太を踏むように足の裏を地面にたたきつけた。
顎にぶち当てた鉄骨のせいで脳震盪でもおこしたのだろうか?
ふらふらと後退した男は背後のコンテナに背を当てた。
反射は、と一方通行は周囲にぴりぴりと神経を張り巡らせた。
正常だ。
興奮と怒りのあまり気が抜けて反射を解いてしまったのだろうか?
何てザマだ。
ぞっとする。
その瞬間に銃や爆弾で攻撃されればひとたまりもない。
隙を作りだしていたことに背筋が冷え、頭の芯は逆に熱を帯びた。
背後のコンテナをぼんやり見上げる目の前の人間が異物に見える。
「おら、余所見たァ余裕だなオイ!」
のろりと振り向いた顔がとび蹴りをしかけた一方通行の脚を見て目の色を変えた。
靴底に触れれば急行電車に飛び込んだように真っ赤な霧になれる。
咄嗟に転がって避けたせいで、それは背後のコンテナに吸いこまれ
整然と積み上がったコンテナが一気に雪崩をうって襲いかかる。
反射を解くことなどあってなはらない。
それさえあれば、こんな鉄塊の雨ですら凪に変わる。
だから、全身に神経を張ったまま、逃げまどう目の前の生き物に両腕を伸ばした。
焦ったように砂利を蹴りつける少年に舌打ち混じりに先ほどから繰り返した砂利の
炸裂を見舞ってやると、逃げることなくそれを全身に浴びた。
むしろその反動でコンテナの転がって降ってくる危険地帯から脱出をはかる。
何もくりだしてこない少年に、役に立たない弱小能力者か、もしや無能力者風情かと思ったが
どうやら街にたむろするスキルアウトよりは頭を使っているようだ。
それとも、先ほどからのちょこまかとした逃げようからして予知能力や読心能力者か――
だったとしても相当な低レベルだ。
高能力者ならもっと慣れた様子で完璧に逃げていてもいい。
そんなことをつらつらと思い、一方通行は周囲に漂い出した白い粉末の匂いを嗅ぎつけた。
「中身は小麦粉だったみてェだが……」
だが気にいらない。
許可して反射を解いたわけでもないのに、この体に触れた目の前の生き物に
今から何が起こるかを丁寧に説明してやる。
あたふたと青ざめ逃げる背中に嘲笑を浴びせながら一方通行はまた
靴のずれを直すかのようにつま先をとんと地面にたたきつけ、コンテナを夜空に舞わせた。
「なァ、オマエ。粉塵爆発って言葉ぐれェ、聞いた事あるよなァ?」
弾ける火花がヂヂッと低く鳴くような音を立て、一瞬で周囲のすべてが炎に包まれる。
燃焼と空気の膨張でどっと溢れるように衝撃が咲き、振動は空気を裂いて満たした。
「ッ!」
いきなり水に沈められたように息が苦しくなる。
呼吸をしているはずが、首を絞められたような感覚に、ちかちかと目の前が瞬いた。
全身はあらゆるすべての感覚とベクトルの情報を脳に伝え、それが跳ね返って脳を満たす。
そうだ、酸素の燃焼――
舌打ちのための暇さえ惜しい。
足元を蹴って高くはね上がり、上空の酸素をわななく肺胞に染み込ませる。
「はァっ……、くそ、馬鹿か俺は……」
そこらじゅうで爆炎がちろちろと残った貨物を舐める中
一方通行は獲物の逃げだした方へ足を進めた。
首を振って周囲の空気を掻きわける。
ようやく周囲の空気と混じり合い、冷めて酸素を孕んだそれをすっと吸いこむ。
「酸素を奪われるとこっちも辛いンだっつの。あァ死ぬかと思った」
こんなことで、と付け加えると、獲物は反抗的な目をして一方通行を睨んだ。
「こりゃ核を撃っても大丈夫ってキャッチコピーはアウトかなァ?」
困ったことに。
そう眉を上げるが、目の前の生き物はただ震える膝で身構えるだけだ。
一方通行の能力は――
核よりも性質の悪い、個人としての人間に持たせるには大それ過ぎた力だ。
石を蹴り飛ばして人の脳天を撃ち抜ける、そんなことは、拳銃だけで事足りる。
そうではない、「触れただけで人を殺せる異能の力」。
反射だけではない、そんな単純で詰まらない力の使い方ではない。
殴っただけで相手を気絶させる格闘家は居ても、
指先で触れただけで人を破裂させられる人間など学園都市でも指折りだ。
だからこそ
「――だから、イイ加減楽になれ」
一方通行は遠くからその少年をしとめることはなかった。
胸元に飛び込み、凶器など一切持たない、ただのやさしげな手のひらを持って。
超能力者の、いや、第一位とそれ以外の強烈なまでの違いを持ってして、絶命させる。
「あ、あああああああああ!」
目の前の獲物が、目を瞑る。
反射で骨まで砕かれそうな拳が握られる。
ぐしゃり、と何かが一方通行の顔面に突き刺さった。
ここまでで。
今晩もご協力ありがとうございました。
この辺読み返すと改めて上条さんの肉体は頑丈ですね。
それではまた!
>>1です。
なんとか書き直しおわりました。
うーん、保守とかコメントについては別に、まあいい方が悪いけどどうでもいいです。
自分がかきこまなかったせいで途中でスレ落ちるのはちょっと決まり悪いから
それで月一くらいでは顔出してるだけだし。
他の人のレスはどっちでもいいかなあ。
好きなおにぎりの具の話とか他スレの話は少し困るけれども。
sage進行なのは最近ほとんど更新できてないからひっそりやっとくかーってだけで
別に他の人がageる分には構わないよ。晒しage以外ならば。
1000まで行ったら次スレくらい立てるので、そこそこ自由にやってください。
ただのSSスレだし。
感想とか保守とか読んでますし嬉しいよ、どうもありがとうございます。
それじゃ投下していきます。
錘が取れて、水底から浮き上がるように、一方通行の意識が覚醒していく。
脳がそれほどゆっくりと覚醒するのは不眠症の帰来がある一方通行には珍しかった。
耳に少しずつ音が聞こえてくる。
まぶたが重い。
もっと眠りたかった。
脳が重みを増したように、泥のような眠気に沈み込んでいる。
「でも……号は」
「そもそも動かさない方がよいのではないでしょうか、と」
「ならば一晩ここに? 不用心ですね」
「とミサカは」
ミサカ。
未練がましいまぶたを無理にこじ開けると、覗き込んでいたカラメル色の瞳が見開かれた。
「あっ」
自分の生白い右手が、彼女のまだ乳臭い胸の膨らみに
しっかりと押し当てられていることに、一方通行はぎょっとした。
「……にしやがるっ!」
腕を取っていた両手を振りはらって身を起こすと、ぐらりと目眩がした。
「あっ、あ、急に起きてはいけませんよ、とミサカは手を貸し……」
「触ンな!」
反射が切れていることに気付いたのはそれからだった。
「……大きい声、出るなら大丈夫です、よね。脳波や心拍も異常ないように思いますし
と、ミサカは同意を求めるのですが」
「先ほどの計測結果に異常が見られないという意味でしたら、ミサカも同意します」
「いや、しかし一方通行の平常時の脳波が分からない以上、
やはり専門機関に精密検査を依頼すべきだとミサカは慎重な判断を要求します」
「ミサカは本人に自覚症状がないならばむしろ住み慣れた家に早く帰宅させる方が
より人道的ではないかと思いますが? と、ミサカは精神的ショックを優先させます」
「今晩の実験が遂行されなかった以上、まずは研究所に指示を仰ぐべきです。
一方通行を伴ってまずそちらに顔を出しましょう、とミサカは提案します」
「は……?」
一方通行は少々混乱した。
周囲をぐるりと取り囲んで覗き込んでは妹達は無機質な音声でさやさやと言い交わす。
そのうちに、一方通行の傍に屈んで腕を取っていた一体が、
おっかなびっくりという様子でその眼前にぱたぱたと手をかざした。
「気分は悪くありませんか? 頭とか、お腹、痛いとか、あの、病院に行きたいですか?
と、ミサカは本人の意思を確認するべくコミュニケーションをはかるのですが……」
「……あ?」
「一方通行? 聞こえていますか? どうしましょう、やはり異常があるのでは……
おーい、おーい。と、ミサカは呼びかけます。ちっちっちちち……」
猫の子を呼ぶように舌を鳴らす妹達から視線を反らし、一方通行は額に手をやった。
「痛っ、」
何か言おうと唇を動かすと、唇か頬の内側か、どこかがびりっと痛んだ。
顔をこすると、固まった鼻血がぼろぼろと落ちた。
「あぅ、やっぱり病院に……」
「病院なンざ行かねェよ」
「……一方通行、注射はしないと思います、とミサカは慰めの言葉をかけます。
それに、注射は我慢するとおやつが貰えるのですよ。
と、ミサカはいちごミルクキャンディが好みであることを暗に主張します。あれは美味しい」
「暗じゃねェじゃねえか」
ずきずきと疼くような鈍痛に息を吐くと、また他の個体が横に膝をついた。
スカートのプリーツの間から地味なハンカチを取り出して
ペットボトルのミネラルウォーターをそこへ少々染み込ませる。
「一方通行、その顔ではどこへも行けませんよ。反射を切ってください。痛みはありません」
冷たいハンカチが顔に飛び散った血や砂埃を拭き取ろうと伸びてくる。
「触ンじゃねえ……! どういう神経してンだオマエら!」
フラッシュバックのように、先ほどまでの映像が脳裏をよぎる。
「……今何時だ」
「午後十一時二十一分ちょうどです。とミサカは正確な時刻を告げます」
実験開始から約三時間。
荒れ果てた様子の操車場には、いつも通りの妹達のほか、何もいなかった。
「お姉様は10032号と一緒にタクシーで病院へ。
あの少年は、少し離れた場所まで運んでから救急車で、彼も同じ病院に搬送されました」
「……何で俺にンな事」
「知りたそうでしたから。とミサカは余計なことを口走ったかと反省するふりをします」
「あの、一方通行も運んだほうがいいか、今相談していたところなのです。
おそらく脳震盪だと思われますが、その割には長く眠っていたので……」
「起きるまで様子をみるなどとまどろっこしいことをしていないで運ぶべきでした。
と、ミサカは判断ミスを主張します」
「やはり病院に」
「病院は行かねェっつってンだろ!!」
ぴたり、と全員が口を閉ざした。
「帰る」
脈打つように痛む頭を無理に回転させて、一方通行は砂利を蹴った。
十数メートル向こうにあるコンテナに飛び移ると、疲れからか、
それとも妹達の言うように、ショックのせいなのか、少し演算結果とズレがあった。
体にかかる重力を軽減してぽんと飛び上がる。
操車場にぱらぱらと立っている細い影は人影というよりも何かの装置や部品に見えた。
いくつかが、去っていく一方通行に手を振った。
学区間を流れる河を飛び越しかけて、つま先で水面を二度蹴る。
ぱしっぱしっ、と石を水切りしたときのような音を立てた。
三度目で派手な水柱が立つほどに衝撃をかけてはね上がる。
静かな夜だった。
夜更かしの学生が多いから、まだ窓に明かりは多い。
それでも、奇妙に静かに感じられた。
ぼうっとした気分に耽っていたために自宅を通り越しかけて、一方通行は慌てて減速した。
自室のベランダに着地しようとして、勢い余ってガラスに激突する。
痛みはなく、ガラスも割れるほどではなかったが、大きな音がした。
隣の部屋が窓を開けたままだったらしい。
小さく「何だ?」と声が聞こえた。
-9 ぼくじゃない 妹達・前編
疲れていた。
ここ数カ月のうちのどの疲れとも違う。
もしかしたら、数年感じたことのない疲れかもしれなかった。
どろどろとした正体のないだるさではない。
明確に節々が痛み、細かい怪我がひりつき、筋が強張った、肉体的な疲れだ。
靴を揃える気にもならず、ベランダの窓をきっちりと閉めることも忘れた。
いつも通り風呂に向かってはいるが、服をきちんと洗濯機に入れることはできなかった。
脱ぎ散らかした汚れものを点々と散らかしたまま、風呂場のシャワーのコックをひねる。
昼の間に熱いアスファルトと外の水道管の中で暖められたぬるい水がざっと溢れた。
ベランダのボイラーがごうん、と音を立てて、徐々に暖かくなっていく。
頭から被ると、砂と汗と、酸っぱい血の臭いが湯気に乗って広がった。
痺れるように痛む傷口に湯が沁みる。
厚ぼったく重いまぶたに逆らいながら、溜息をついた。
代わりに、その生ぬるい臭いの湯気を吸いこんだ。
人間臭い。
それがボディーソープなのか、シャンプーなのかも確かめないまま
一方通行は全身にぬめる洗剤をなすりつけて洗いたてた。
シャワーの水が混じった大粒の泡が飛び散る。
髪といわず顔といわず、手当たりしだいグチャグチャと忙しなく塗ったくった泡が
細かい傷にビリビリ沁みて、少しくすんだ色に染まった。
なかなか泡立たないそれを流して、また新しく手にとってこすり洗うことを何度か繰り返した。
きゅっと音を立てて蛇口を閉める。
ぞんざいに汚れを落として風呂を出ると、脱衣所に服が散らばっていた。
下着もタオルも用意していなかったことに気がつかなかった。
舌打ち混じりにびたびたと足跡をつけてクロゼットに向かい
やっとのことで下着だけ身につけると、一方通行はふらりとベッドに倒れ込んだ。
毛布を引きあげる。
すっと吸い込むと、窓から射した陽に晒されていたからか、少しだけ日向くさかった。
まぶたを持ち上げようと何度も努力したが、そのときは一度もその通りにはならなかった。
溜息のようにふっと息を吐いて脱力した途端、ことんと落っこちるように眠りについた。
泥のように、奇妙に気持ちのいい不思議な眠りだった。
誰かに覗きこまれたような気がして、一方通行は目を開けた。
「……あ?」
体が動かない。
びしびしと強張って、重く、指一本動かしただけで全身の筋肉が軋んで悲鳴を上げた。
しばらくの間詰めていた息をそろそろと吐き出すと、できるだけゆっくり動きだした。
寝る前に風呂に入ったことは覚えていたが、なんとも間の抜けたことに下着一枚だ。
心もとない。毛布を巻きつけて室内をうろつく。
ちらりと洗面所の鏡に映った姿を見ると、髪が濡れたまま眠ったせいで
真白い髪はくしゃくしゃに傷んでほうぼうに跳ね散らかっていた。
夕陽がカーテンの隙間から射しこんで、フローリングの床を温めている。
適当に見つくろったカーテンがさわさわと揺れた。
窓も閉めていなかったらしい。
一方通行は冷蔵庫のコーヒーを無視して、小さな製氷皿を覗いた。
作りっぱなしでちびた氷をビニル袋に詰めて、一番熱い頬の部分に当ててみる。
昨晩やっておけばよかったのに、今更遅かった。
全身に疲れと痛みがずしりと居座っている。
目を閉じ、体中の血のめぐりを良くして老廃物を押し流して怪我の修復を早めてみる。
が、それで劇的に治るわけではない。
一方通行は万能ではない。
便利な魔法でもないし、何もかも思い通りにすることはできない。
面倒な痛覚を感知しないように押しやって、目立ちそうな皮下出血をとりあえず分解した。
見た目上、そう取り繕うことは解決にならなかった。
ただ、殴られた痕をつけて街を歩けるほどのサンドバッグ志願者ではないだけのことだ。
ぽんと投げ出すように枕元に置いてある黒い二つ折りの携帯電話が
着信があったことを知らせにちかちかと明滅していた。
留守電は入っていない。
代わりに本文なしの添付メールが入っていた。
絶対能力進化の関係者しか知らないパスで保護された添付テキストに本文が長々とあり
要するに、一方通行に研究機関への召喚と説明を求めるものであった。
妹達に説明を一任するというような意味のメールを返す。
実験の無期限中止号令がすぐさまやってきた。
回りくどいことをせずに、最初から用済みだと言えばいいとも思う。
二文字の了承メールを返す。
落ち付かなかった。
部屋は普段と違った様子だからだろうか。
普段の気味の悪い殺風景さは、一方通行は部屋を散らかすことを知らないからだ。
一時的にものを放り出すことはあっても、後で気づいた時にはもとの場所に戻してしまう。
だから散らかることがない。
それは他所事で忙しいという経験がないからで、一方通行にとっては自然なことだった。
時間が有り余っているのだ。そしてその自覚がない。
そもそも、もの自体が少ない。
のろのろと床に脱ぎ散らかった服を片づけた。
窓を閉める。カーテンがふわりと揺れて、そして静かになった。
水滴の痕がついた床をタオルで拭き、洗濯機を回し、風呂場の換気扇をつけた。
携帯電話を拾い上げて、ポケットへしまおうかと迷い、また元の所へ戻す。
連絡してくる人間がいないことに気がついた。
もう、実験予定日の定期連絡は、ない。
カードと紙幣しか入っていない薄い財布を代わりにねじ込んで、一方通行はドアを開けた。
ざっと、風が吹く。
まだ八月だ。
夏になってからずいぶん経つ気がしていた。
暑さに困らされることなどないから、気にしていなかっただけで、ずっと暑かったのだ。
それを知らされてから、まだ十八時間程度のことだった。
玄関から出るのは久しぶりな気がした。
靴をつっかけて、つま先をとんとんと叩きつける。
夕暮れの西日が強く街を照らしていた。
くるくると回転する風力発電のプロペラがやんわりと風を受け止める。
薄く目を閉じると、その場に満ちる全ての力場が曲線形で解析されゆっくりとグラフを描いた。
何かが変わった気がする。
ただ何が変わったのか、分からなかった。
「……バッカじゃねェの」
玄関の脇にあるガスメーターの戸を蹴ると、薄い金属がわずかにへこんだ。
それから一週間と少しの間、一方通行はがらんどうな日々を過ごした。
泥のように深い眠りについたのはあの夜だけで、相変わらず薄く、悪夢を希釈したような
ドロドロと浅く気持ちの悪いまどろみが続いて、それも生活の半分を占めていた。
夜にすることもなくなった。
見たくもないテレビをチャンネルをばちばち切り替えながら何時間も眺め、疲れて眠る。
昼過ぎまで、濃度の定まらない粗雑な眠りが居座っていく。
舌触りの悪いざらざらした不快感で時間をたっぷりと満たす。
時間だけは、余裕があった。
昼過ぎからシャワーを浴びて、理由もなく街の裏通りをうろつき
暇つぶしにごろつきに手を出されては、片っ端から跳ね返してやった。
殴りかかる拳を跳ね返せることが確認できると、少し、気分が良かった。
それを安心と呼ぶことは知らなかった。
あるいは、跳ね返せない者がほかに存在するのか、確かめたい気持ちも、あった。
自覚ができていないだけで。
能動的にやり返しては過剰防衛で厳重注意の対象になることを一方通行は知っていた。
だからごく消極的に、反射に任せてぼうっと突っ立っているにすぎなかった。
一度は折れた手首に戦意を削がれた者も、時間が経つと忘れてしまうらしい。
喉元が短すぎると一方通行は思った。
コンビニ前のガードレールに腰かけて季節外れの中華まんにかじりついている最中に
アクセルをベタ踏みしたバンで背後から衝突されたときは流石の第一位も驚いた。
びっくりして取り落とした中華まんをしげしげ眺めた。
いくら食物に関して突飛な学園都市とはいえ、こんな時期だ。
中華まんを二つも三つも蒸しているコンビニはない。ラス1だった。
「……俺の」
麻婆豆腐まんに未練があるわけではないが、面白くない。
文句の一つでもくれてやろうと振り向くと、道の向こうの信号機に
バックで追突した格好で間抜けなバンが止まっていた。
どうやら、一方通行はもうこの街の第一位ではなくなってしまったらしかった。
七年かけて築き上げた最強はそのへんの自動販売機よりも価値が暴落しているらしい。
暇だからちょっと試しにバットで殴ってみよう、うまくいったらもうけもの
というアトラクションになり下がった。
だからといって一方通行の能力が弱体化したわけではない。
もっと強いものが出てきて、それがたまたま、無能力者だっただけだ。
そのたまたまは多くの人間にとってやすやす信じられる代物ではなかっただけで。
今までは、まだ楽だった。
棒立ちのままの一方通行を最初の一人が殴る。
殴った方が腕を押さえてのたうちまわる。
それを見て、周りの仲間たちはためらいを見せる。
ためらうことは、怯えることだ。怯えると力が入らない。
叩く力が弱くなる。すると反射の結果も伴って、結局大怪我は免れる。
だがこのところの襲撃はそうはいかなかった。
一人が倒れても、目もくれずに殴りかかり、刺しかかり、能力を向けてくる。
それぞれはきっと気付いていないのかもしれないが手にするものも
鉄パイプからコンクリートブロックへ、スタンガンから飛び出しナイフに変わっていた。
知らずのうちに、それで一方通行を倒すイメージができていないのだろう。
もしも成功したら、そのとき目の前に転がっているのは
頭をつぶされたり腹を刺されたりした一方通行の死体である。
本当に殺せるビジョンを思い描けないからいつまでたっても無能力者なんだ
と、一方通行は舌打ちをした。
もっとも、あの無能力者が同じ獲物を持って現れたら
そのときは本当に血だまりの中に無様に転がる羽目になる。
そうなることを期待しているのか、いないのか、並み居る襲撃者たちは今や
一人倒れたくらいでは怯まなかった。
もしかしたら俺のときだけうまく行くかも。
もしかしたら今だけは大丈夫かも。
宝くじの一等に当たった奴がいるだけで、自分もそうなれると思いこんでくじを買う。
人間というのはそういうところがあるものかもしれない。
無能力者にとってのシンデレラストーリーを耳にして浅ましく
襲撃を繰り返す者たちにとっては、かえって辛い結果をもたらした。
反射は向きしか変換しない。
弱い力で殴りかかればそれだけ軽く済むところを
全身全霊、渾身といった全力で殴りかかったために怪我が酷くなる。
骨がぱきりと折れてしまうくらいならいい。
だが力が強いとそうはいかなかった。
骨というのは折れると鋭いものだから、複雑骨折ということになる。
となれば肉を突き破る。飛び出せばまだいい。
内出血で腕を倍ほどの太さに腫らして
ショックで痙攣する馬鹿の面倒を週に何度も見るのはごめんだった。
「だから目立たねェようにわざわざ路地裏歩いてやってンの、わっかンねェかなァ……」
こそこそと人通りの少ない路地を歩いているとしても、それは最強でなくなったからではない。
まだ「一方通行」が健在だからそうしているのだ。
「わっかンねェよなァ、オマエらバカだもンなァ……無能力者なンざァそンなモンかねェ」
はああ、とわざとらしく溜息をつくと、目の前で角材を構えていた男の小鼻が膨らんだ。
「馬……ッ鹿にしやがってっ!」
細い手首の骨がボギンと折れる音がした。
「事実じゃねェか、バァカ」
つま先で路地裏に転がる体を隅に寄せて、一方通行は青白い光を漏らす表通りへ曲がった。
コンビニエンスストアの自動ドアをくぐると、深夜勤務の店員が忙しそうに動き回っている。
顔も見ずに挨拶されるくらいの距離感は丁度良かった。
ガシャガシャとコーヒーをあるだけカゴに突っ込んでいると
菓子の詰まった段ボールを抱えた店員が立ち止まった。
「在庫まだありますけど、出しましょうか?」
それが誰に何の話をしているのか理解するのに、
学園都市の最高峰といわれる頭脳は数秒を要した。
無言でぐいぐいと首を振る。
「そうですか、失礼しました」
大学生だろうか、店員はそのまま欠伸を噛み殺しながら店の裏に回っていく。
何勝手に話かけてきやがる、バイトの分際で客驚かせるンじゃねェよ、と
食いしばった歯の内側だけで悪態をついた。
レジにコーヒーのがらがらと入ったカゴとクレジットカードを投げ出すように置いてやる。
何だか気恥ずかしいような気分でそそくさとコンビニを出ると
目の前の街灯にはめ込まれた時計は、丁度0時を指していた。
完全下校時刻など当の昔だというのに
路地裏で根気よく一方通行を探しているのは一組だけではないらしかった。
コンビニから数十メートルも離れないうちに、背後からぎゃんと悲鳴が聞こえ
次々に殴りかかられ切りつけられるのを立ち止まって付き合ってやる。
もう今晩買い物に出てからこれで三度目だった。
別に立ち止まってやる必要もないのだが、歩きっぱなしではかえって邪魔くさい。
どうせ数分で静かになるのだからと休憩がわりに足を留めている。
ちょっと、優しすぎだった。
一方通行はふと顔をしかめる。
その後頭部に護身用と言うには攻撃的すぎるフォルムのメリケンサックがぶちあたり
跳ね返って持ち主の指の骨を粉々に砕いた。
気が付けば、辺りはまたすすり泣きと呻き声だけになり、一方通行は路地を出る。
「あー、違うよなァ……」
ぐしゃぐしゃと、能力のせいで一筋の傷みもうねりもない化け物色の髪をかきまわす。
「牙を剥いた馬鹿を見逃すなンて俺の人格じゃねェよ……」
一方通行は軽く首を傾けた。
正解は導き出せない。
「何なンだっつの、このやる気のなさは」
くだらねえ、と心中吐き捨てて、一方通行は人通りの少ない道につま先を滑り込ませた。
児童公園の横を通り、駐車場を横切り、寮の中庭を突っ切った。
スキルアウト以外にも、この時期は夜更かしな学生たちをパラパラと見かけるのだが
今日に限ってはそれもほとんど見かけなかった。
不思議に思いはしたが、一方通行には関係ないことだ。
静かな夜だから、かえって学生寮から漏れてくる痴話喧嘩や自身の足音が響いた。
薄らと簡単に構築した演算式を張り巡らして、音を遮断する。
静かになってみれば、悪くない夜だった。
煩いのは好きではない。
テレビのように勝手に喋っているのは、好きだ。
だが、あれはどこか遠い場所のものだからいいのであって
生きた生身の人間の声はそれほど得意ではなかった。
音楽も好きではない。
一方通行の部屋にあるコンポセットは、昔過ごしたあの実験室に合わせて
ただおいてあるだけのものだった。
聞くのは、あの単調にクリック音の続く開発用リズミックや、二重旋律のα波刺激用の
いわゆる学園都市の開発教材程度のものだ。
そんなものは別に好きでも何でもない。
わずかなスモッグと、街の明かりの照り返しでくすんだ夜空を見上げて歩く。
音を、と言うよりも、振動を反射して受け付けなかった一方通行の意識に
わずかに雑音めいたものが混じった。
「あァ?」
肩越しに小さく振りかえると、何かゴミのようなものがついて来ていた。
野良イヌか、と一方通行はいぶかしんだ。
あれは、フライドチキンを買って帰ろうとすると唐突に現れて付いてくることのある生き物だ。
昔は、これは一方通行にとっては思い出すこともほとんどない記憶だが
ゴミ箱に放り込まれた鶏の骨を取り合っていた時代もあるくらいだから、気持ちはわかる。
あれを噛んで食べようとすると尖った所で口の中を切るから、わけてやらないことに決めている。
コーヒーしか買っていないのに妙なこともあるもんだ、と指先で追い払おうと見下ろすと
驚いたことに犬ではなかった。
空色だ。
毛布である。
人、それも、子どもの背丈だった。
それが口をぱくぱくを開閉させて、ひょこひょこ上下に大げさな揺れを加えながら
何かを必死に訴えているらしかった。
物乞いだろうか。この学園都市で、珍しい。
それとも置き去りか何かだったら余計に面倒そうだった。関わりたくない。
けれども、一方通行は試しに聴覚の反射を一旦緩めた。
「いやーなんというかここまで完全完璧無反応だとむしろ清々しいというか
でも悪意を持って無視しているにしては歩いてるペースとか普通っぽいし
これはもしかして究極の天然さんなのかなーってミサカはミサカは首を傾げてみたり」
早口で、平坦で、一方通行の乏しい判断によるとおそらく女児のものと思われる
甲高い声がズキンと耳を刺した。
「さっきからこっちをチラチラ見てるってことは見えてるのかな?
あーひょっとして幽霊か何かだと思われてたりするのかな、それは困るよーって
ミサカはミサカはプラズマによる謎の浮遊発光体ではないことを証明するプランを練ってみる」
何を言っているのか理解ができない。
話していることはわかる。だが意味が掴めない。
一体何をベラベラ話しているのだろう、この怪しい人物は。
小さい。その上毛布だ。怪しい。
怪人チビ毛布はぺらぺらと良く喋った。
「まさかシーツお化け的な古典的怪奇現象がこの科学の街で発生していると思われてたり
いやいや流石にそこまでの天然さんってこの街にいるのかな?
もしやあなたって普段から霊とか見えちゃう不思議ちゃんタイプだったりしてって
ミサカはミサカは意外とオカルティックが似合う風貌であることに感嘆の声を上げてみる!おおー!」
懐からナイフでも取り出してブスっと差し込んでくれば「ああいつもの手合いか」と
済ませることができるのに、いつまでたっても毛布は話かけるばかりである。
反射できるような攻撃をしてこないから黙らない。
こいつは一種の精神攻撃か何かか、と一方通行は顔をしかめた。
「……くっだらねェ」
足を留めるだけ無駄というものだ。
留めている間に勝手に自爆して地面でも舐めてくれればいいのだが
きっとこの毛布は一緒に立ち止まってベラベラと続けるだけだろう。
「おーいおーい、ミサカイズヒア、応答願うって、ミサカはミサカは救援を求めてるんだけど?」
「……待て、ミサカだと?」
街灯と街灯の丁度中間あたり、空色のはずの毛布が濃い灰色にしか見えない暗がりで
一方通行がその毛布を引きはがすのに十数秒もかからなかった。
「ふあああああああ!!
いくらなんでもミサカにだって羞恥心は存在するんだってミサカはミサカは主張してみる!」
一方通行は取り返した毛布をしっかりと体に巻きつける少女の顔をまじまじ覗き込んだ。
小さい。まだ10歳に届くかどうかといったところだ。
「しっしかも、よりにもよって一応お嫁入りもしてない生物学的にfemeleに属するお肌を
まさかさまかあなたに路上でチェックされるとは思ってもみなかったというか
そもそもそんな事態を想定するのって変態さんって
ミサカはミサカは軽率なあなたに苦情を申し立てるんだけど」
顔は御坂美琴のそれである。少しつり気味の目に、ややぽってりとした唇。
頬や鼻は子どもっぽい丸みがあるが、特徴的な明るい髪の色はオリジナルとも妹達とも
遜色のない明るさをしている。
「異性の、女の子のハダカ見ちゃったときってもうちょっとアフターケアがあって
しかるべきじゃないのかなってミサカはミサカはブロークンハートだったり……」
ちらり、と伺うような視線が一方通行を見上げた。
物言いたげに尖らせた唇は「何とか言え」と要求しているようだ。
一方通行は溜息と舌うちに留めておいた。
「気にするようなモンじゃねェだろ」
「それはセクシャルハラスメント的な意味を含んだ発言? ってミサカはミサカはジト目発動」
肌を見せて恥ずかしいような相手でも、見せられて慌てる相手でもないだろう
という意味で口にしたつもりだったので、一方通行は首を傾けた。
このクローン体は、何故自分のようなものに見られて羞恥などするのだろうか。
外見は、と軽く体を見下ろす。ぱっと見は、今のところ男に見える、ということだろうか。
どちらともつかない気味の悪い体に育ててしまった気でいたが、どうやらそうではないらしい。
自分の出自と要求をずらずら並べる打ち止めの話を聞き流しながら
一方通行はその足音の出所を眺めた。
「オマエ、足、」
「ん? なぁに? ってミサカはミサカは文字通り傾聴の姿勢をとるんだけど」
ぺたぺとと柔らかい肉の音を立てて付いてくるのはほっそりとした素足だ。
真夏に毛布を巻き付けていても、その姿は妙に寒そうだった。
アスファルトに素足というのは、見た目よりもずっと辛い。
冬は刺すように冷気が上がってくるし、夏は夜になっても溜めこんだ熱が足の裏を炙る。
どれほど整備された学園都市であっても、小石や砂は取り除ききれないし
人間の皮膚は思ったほど強くない。
傷ができても歩かないわけにはいかないから治る前にまた傷ができる。
砂をすりこまれる痛さをじんわりと思い出して、一方通行は鼻の頭に皺を寄せた。
「ンでもねェよ……」
「えと……あ、一応お姉様には及ばないけれど、ミサカも電磁波で周囲の障害物は
探知できるから、小石を踏んだりはしなくてすむのだって、ミサカはミサカはこれでも
エレクトロマスターのはしくれなのよってえへんぷい」
「あァっそォ」
「うわーい! 全然聞いてくれないのねってミサカはミサカはいっそのこと清々しかったり!」
その場でぴょこぴょこと跳ねるようにしてから、少女はついと一方通行の横にかけ寄った。
「あなたって素足で街を歩いたことがあるのねって、ミサカはミサカは意外な共通点に
シンパシーを感じてみる。小さい頃は結構おてんばさんだったりしてって、んぶっ」
小うるさい頭を掴んで下にぐいと押し下げると、打ち止めは短い両腕で一方通行の手を
押し上げようと拮抗した。
「ううううう強制的に黙らせるのは酷いっていうか、このやり方は横暴すぎるって、
ミ、サ、カ、あぶううう……一体この細腕のどこにこんな力があるのー?」
マンションまでついてきた少女は、ちゃっかり泊まるつもり満々で足音を軽くさせていた。
泊めると言っても、一方通行の部屋にはベッドなど一つしかない。
いかにクローンと言っても、横で他人を眠らせるつもりは毛頭なかった。
床にでも転がってくれればまだいいか、と一方通行はろくでもないことを考えた。
キッチンマットがあればそこで寝ることくらい許してやるが、生憎そんなものはない。
マット一枚あるかないかでどれだけ寝心地が違うのか、よく知っている。
そんなことを考えながら一番奥にある部屋を伺うと、出かけたときとは何か違う。
「あァ……?」
数日前に腹立ち紛れに蹴飛ばしたガスメーターの戸は
相変わらず浅くへこんだままだったが、横のドアはその数倍は被害をこうむっていた。
工具か何かで無理やりこじあけられたのだろう。
素直にピッキングしてくれていればまだ良かったものを
白い塗料が剥げるほどの引っかき傷とひしゃげたような痕が目立っている。
ひょっとすると工具などではなく何かの能力でも使ったのか。
かけてあった鍵は引きちぎられてノブごと転がっていた。
上書きするようにスプレー塗料で殴り書きしてあったのは、街の路地裏や標識の裏などに
点在するスキルアウトの縄張りを誇示するための署名らしきマークに見えた。
「おいおい、何だこりゃあ」
生活のための部屋がそうでないものに変わるのに、そう時間はかからないらしかった。
夕食を食べに出てコンビニに寄り戻ってくるまでの間に、じりじりと時間をかけて再現した
一方通行の「あの檻」は再び取り上げられている。
「うっわー、何だかすごいことになっちゃってるって、ミサカはミサカは絶句してみたり」
一つ一つカタログやネット情報などを漁りつくして記憶の中そっくりの部屋に造り上げた。
あの木原数多の研究所と同じ作りの部屋は、失ってみるとあまりのあっけなさに
失望や悲しみすら湧いては来なかった。
もしかすると、元々愛着などなかったのかもしれない。
手慰みに作ったレプリカが本物でないことも、それが戻ってこないことも知っている。
それでも、そういう形の檻が一番くつろげる場所だったことだけは確かだった。
家財はすべて取り壊され、床には割れたキャビネットのガラス片が散らばっている。
パキリと音がしたので足をどけると、開発用のクリック音源CDが砕けていた。
わざわざ貼り変えさせた壁のクロスははがれて垂れさがり
大きく切り裂かれたカーテンの裂け目から下の街灯の白っぽい明りが漏れて見えた。
「……くっだらねェ」
一方通行という能力は最強だ。
最強の盾であり、矛でもある。
だが、その盾が守れるのは一方通行を行使するその肉体一つで
離れた場所にあるものは何一つ、守ることはできない。
その瞬間、目の前に、手の届くところにあるものだけしか、一方通行は守ることができない。
手の届かないものは壊されるままにしておくほかなかった。
中綿とウレタンのはみ出した合皮のソファにどさっと身を投げると
打ち止めは器用に床のガラス片を飛び越えて顔を覗き込んだ。
「通報したりとかってしないの? って、ミサカはミサカは通常一般的とされる緊急時の対応に
あなた、全然当てはまってないんだけど大丈夫かなって首を傾げてみる」
「ドコに届けたところで大したことにはなンねェよ。助けてくれるヒーローなンざいねェンだ。
助けてやるってデケェ看板かかげちゃいるが、警備員だの連中は食い扶持稼ぎだしなァ。
付き合っちゃいられねェっつンだよ、面倒くせェ」
吐き捨てるようにそう言うと、打ち止めは反対側に首を傾げた。
「じゃあじゃあ、別のところに泊まったりしないの? って、ミサカはミサカはけっこうお家が
好きなのねってあなたはもしかしてインドア派かなって思ってみるんだけど」
「この時間にまたホテルなンざ取れるかよ」
「お友達のお家に転がり込むとか?」
「確かにこの家にまだ居座るぐれェなら、スラムのド真ん中で大の字になって寝てたほうが
まだ安全ってところだろうがよ、俺には知ったこっちゃねェってことも分かってンだろ」
「うーん。それはそうなんだけども……」
もじもじと毛布の裾をいじくる打ち止めに
一方通行はソファの肘かけに預けていた頭を持ち上げて舌打ちをした。
「オマエにここにいろなんて言った覚えはねェよ。どこにでも行って、よそでくたばれ」
「でも、ミサカはここにいたいな……
っていうか、そもそもミサカの存在を肯定してくれる人で接触が限られていない人って
あなただけなのよってミサカはミサカはミサカの顔の狭さにびっくりしてみる」
「あ? 肯定どころか、否定以外のことをした覚えがねェよ。
都合のイイ脳味噌してンじゃねェぞ、欠陥品」
「あなたは今までもミサカを一応ミサカ個人という人間として対話を試みてくれたわけだし
そういう扱いをするのはとっても限られた人なんだけどってミサカはミサカは解説したり」
勝手にしろ、そう言うと、空色毛布は嬉しそうにその場で上下に揺れてから
スプリングが飛び出している一方通行のベッドに上がり込んだ。
「うん、全然ふかふかってミサカはミサカは満足である!」
「地面で寝てりゃどんなベッドだってマシに思えンだろ」
一番マシな寝床を見つけてシーツをたぐると、顎を引いて一方通行のほうを伺った。
「一応言っておくけど、寝込みを襲うのはNGなんだからっ」
「寝ろ!」
首をすくめてすごすご横になるのを見届けてから、一方通行はまぶたを閉じた。
やろうと思えば寝込みなど襲わなくても二秒でペーストにしてやれる。
だから、躍起になって追い出す必要もない。
そういう言い訳を唇の内側でひとしきり並べ立てているうちに
とろとろと柔らかい眠気がやってきた。
思えば、邪気のない相手と話したのは久しぶりな気もする。
手首の骨を折りにくるスキルアウトや、あの操車場の少年のような
刺すような緊張感はそこには存在しなかった。
マニュアル対応の店員や、実験のことしか喋らない妹達とも、どこか違った。
違うといっても、何が違うのかはわからない。
邪気がないのはわかる。
だが、一体何が違うのかは、わからない。
それを自問するつもりもなかった。
「ねえ、あなた」
「寝ろ」
「うん……ねえ、でも、あなたって、地面で一晩寝たことあるのって
ミサカはミサカはこっそり尋ねてみたり」
「……寝ろ」
「はぁい」
一晩だったら、こんな思いはしていない。
埃くさいソファにすり寄るように体を丸める。
打ち止めが咳き込む音が徐々に遠くなって、そして、ぷつりと何も聞こえなくなった。
ここまで。
量はどうあれコンスタントには書きためて行きますので。
よろしくです。
それでは。
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