「あんたさぁ、ムカつくんだよね」
この多様化を肯定するご時世、クラスにひとりくらいおかしな生徒が混じっているのが普通になっているが、ご多分に漏れず、あたしのクラスにもおかしな生徒が存在している。
「聞いてんのかよ、田中ァ!」
田中、なんといっただろうか。あたしを含めてそいつの下の名前を知っているクラスメイトは少ない。というか誰もいないかもしれない。そのくらい地味で存在感のない生徒だ。
「ちょっとちょっと、朝からなにキレてんのさ? しかも相手は田中ってどゆこと?」
怒鳴り散らしているのは山田。山田とよくつるんでいる佐竹が事情を聞く。クラスメイトも聞き耳を立てて、この騒動の原因を探る。
「どうもこうもないっての。こいつ、裏でコソコソ高橋先輩と会っててさ。昨日キスしてるとこを見たんだよ。気持ちわりー」
衝撃的な事実にクラスがざわめく。高橋先輩ってのは下級生から絶大な人気を誇るイケメンな先輩だ。山田がその高橋先輩に惚れているというのは周知の事実で、会えばよくきゃあきゃあ言っていた。そんな山田がよりによって愛しの高橋先輩のキスシーンを目撃してしまった。これは絶対絶命、どうする田中。
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「マジ? 田中、それほんと?」
「……はぁー」
佐竹が事実確認すると田中はため息を吐いて辟易した様子でやれやれと首を振りながら。
「高橋先輩にも困るよね。僕は誰かに見られたら困るからやめてって言ったのにさ」
「っ!? てめっ……!」
「ちょ、ちょっと山田ストップストップ!」
殴りかかろうとする山田。それを止める佐竹。そんな2人を眺めながら、田中は煽る。
「高橋先輩さ、山田のことは眼中にないんだって。良かったじゃん早めに知れてさ。いつまでも告白しないで片想いしてんのは疲れるでしょ? むしろ感謝して欲しいくらいだよ」
「うっせぇ! この、男女!!」
男女。その響きにクラスがしんとなる。だんじょ、ではなく、おとこおんなという響き。
田中は変わった生徒だ。男子の制服を着ている女子。しかし、実際のところどうだろう。
女顔の本物の男子生徒かも。定かではない。
「高橋先輩はさ、どっちでもいいんだって」
「っ……きしょいんだよ!」
「うん。そうだね。だから振ってやったよ」
「は……?」
冷や水を浴びせられたように鎮まった山田に向かって、田中はこう吐き捨てた。
「どっちでもいいとかきしょいですねって」
意味がわからん。誰にも理解出来なかった。
「また僕のことを観察してたの?」
放課後、帰り支度をしていると田中にそう囁かれた。普段からお喋りをする間柄ではないけれど、揉め事があるといつも絡まれる。
「田中って山田が高橋先輩のこと好きって知ってたでしょ?」
「そりゃあ、あれだけ好き好きオーラ出してたらね。もちろん知っていたよ」
「あんたさ、いつか刺されるよ」
「一応キスも寸止めだったんだけど……」
「そんなの関係ない」
帰り道に率直な感想を述べると、田中はさも困ったように腕を組みつつ、提案してくる。
「明日からスカート穿いたほうがいい?」
「その辺、こだわりないんだっけ?」
「まあ、どっちでも。本来、今日みたいな諍いを減らすためにズボン穿いてるわけだし」
どうだか。結果的に拗れて悪化しているとしか思えない。素直に女生徒として登校していれば、反感を買うこともないだろうに。
「まあ、僕はかわいいから仕方ないね」
「その僕ってのやめな。きしょいから」
「でもこれが男連中には効くんだよね」
知らんがな。げんなりしていると、不意に。
「心配してくれて、ありがとう」
こいつは本当に。確かに田中は可愛かった。
「あの、高橋先輩。遅刻しちゃいますよ?」
「頼む、田中! もう一度だけ!」
翌朝。登校中にコンビニの裏から声がして覗いてみると、今度はあたしが田中のキスシーンを目撃しそうになった。
「……何やってんですか」
「うわ!? な、なんでもねーよ!」
思わず口を挟むと、高橋先輩はびっくりして立ち去った。まるで発情期の犬や猫だな。
今日はスカートを穿いている田中に訊ねる。
「先輩のこと振ったんじゃなかったの?」
「なんかしつこくてさ。今度はぶん殴る」
「強らなくていい。震えてんじゃん」
「だって、スカート……寒いから」
飄々としていてもわかる。怖かっただろう。
「女子の制服だからムラムラしたとか?」
「あーたしかに。やっぱ着替えてくるよ」
来た道を引き返す田中。久しぶりのスカート姿。田中はかわいい。高橋先輩が発情してしまうのも納得だ。眼福とばかりにその後ろ姿を目に焼き付けてから、登校した。
「今朝はありがとう」
遅刻してズボンを穿いた田中に感謝を告げられたので、あたしは尊大な態度で応じる。
「ん。以後、気をつけたまえ」
「有栖川って、カッコいいよね」
「まあな」
「苗字がね」
「羨ましいのか?」
「お嫁さんにして欲しいくらいには」
あたしの苗字はカッコいい。田中は可愛い。
「有栖川、一緒に帰ろう!」
「ん。よかろう」
あれ以来、田中との距離が縮まった。もともと人間観察するあたしから、田中は自分が客観的にどう見えているのかを聞き出すことはあったが、別に友達ではなかった。
「田中、お前は暖かそうだな」
「予備のスラックスがあるから有栖川も穿いて登校する?」
「あたしは生足に自信あるからいい」
現在繰り広げられているこの頭の悪い会話も以前とは距離感が縮まった証拠と言えよう。
「おそろがいいよ、ね? 穿いてきて」
「生足を隠すなんて人類の損失だ」
「誰も有栖川の生足なんて興味ないよ」
「なん……だと……?」
親しき中にも礼儀あり。というか傷ついた。
「田中も興味ないの?」
「へ? ぼ、僕はまあ……それなりに。えへ」
なんで焦る。なぜ照れる。あたしも照れる。
「や、休みの日とかなら……考えてもいい」
「マジで? いいの? 休日ズボンデート?」
「デ、デートじゃないし!」
「スカート禁止だからね! 絶対だよ!!」
なんだろうこれ。とにかく週末が楽しみだ。
「お、おまたせ……」
「田中、あんた遅すぎるって……え?」
休日デート当日。振り返るとそこには肩出しニットワンピースを着た美少女が佇んでおり、そんな童貞を殺すような服を着ているのが田中であると脳が認識した瞬間、あたしはスマホを取り出して激写した。
「うっわ! うっわぁー! えぐっ! えぐすぎる! なんなんその格好! 下手したら捕まるってか、通報するよ!? おまわりさーん!!」
「あ、有栖川、騒ぎすぎ。ほら早く行くよ」
自然に手を取って歩き出す。ドキドキする。
「あ、有栖川もその格好……カッコいいね」
「そ、そう?」
不意打ちで困った。オーダー通りにパンツルックで適当にジャケットを合わせただけだ。
髪をアップにしてるのが新鮮かもしれない。
「うん。苗字だけじゃなく、カッコいい」
「……アホか」
くそかわいいなもう。まずいよ落とされる。
「ていうか、あんた寒くないの?」
「寒いけど……こないだ、有栖川の生足論を聞いたからね。今日は痩せ我慢してみるよ」
「ふーん」
ニット自体はあったかいんだろうが、露出が多すぎる。映画とか飯を食ってる時は平気そうだけど、外を歩くには寒かろう。
「ほら、羽織って」
「いいの?」
「周囲の男どもにとって目に毒だからな」
「ありがとう」
ジャケットを貸すと嬉しそうな田中可愛い。
「あ、あのさ……」
「ん?」
「ほんと、有栖川って……カッコいいよね」
「べ、別にそんなことないって」
「そんなことあるよ」
照れて鼻をかくあたしを見つめて田中はいつになく真剣な表情と声音で語り始めた。
「仲良くなる前から気にしてくれたでしょ」
「そりゃあ、田中は変わってたから……」
「僕が何か問題を起こすたびに、心配そうに見てくるのは有栖川だけだった」
そうだろうか。ただの野次馬だよあたしは。
「別にあたしは田中を助けたわけじゃない」
そう。何もしてない。助けたわけじゃない。
「あんたが困っててもただ見てるだけだった。あんたがあたしに話しかけてから、会話をするような薄情者だ」
自分で言って惨めになる。初めて口にする。
「……ごめん」
謝罪するとすっきりした。すると、田中は。
「有栖川は何もわかってない」
「……え?」
「僕は別に普通に過ごそうと思えば出来た。山田の好きな高橋先輩に色目使って騒ぎを起こしたのは僕の意思だよ」
「んん? どゆこと?」
「有栖川の人間観察の対象になるために、他人の恋路を利用したってわけ」
利用したのか。それは良くない。でも何故。
「あ、有栖川と、仲良くなりたかったから」
「あー……なるほど」
それならあたしが悪いな。なんたるこった。
「ま、まあ、経緯はどうあれ、結果オーライじゃん? そういうことにしとこう、うん」
「嫌いにならない?」
そんな風に上目遣いするな。卑怯だぞ田中。
「……嫌われないように、気をつければ?」
「うん……わかった。ありがとう」
そんな風にほっとするな。可愛いぞ、田中。
「今度はあたしがその格好するから貸して」
「ええ~えっち」
「なんでよ!?」
うちのクラスには田中という変わった生徒がいる。あたしはこいつが気に入った。これからはちゃんと助けてやろうと思う。だって。
「……あたしもあんたに嫌われたくないし」
「ん? 何か言った、有栖川?」
「別に。ていうかあんた結局、女なの?」
「ふふふ……内緒だよ」
どっちでもいいなど詭弁だ。どっちも好き。
【結局、あたしは下の名前を知らない】
FIN
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