佐々木「はあ……えっちしたいなぁ」キョン「え?」 (11)

「雄雌が存在する生命において生殖本能が存在するのは自然の摂理であり、思春期を迎えた際に多かれ少なかれ異性に興味を抱くものだが、興味本位で生殖行動に及べるほどに我々が暮らす社会は単純な構造をしていない点が人々を恋愛から遠ざけている一因だね」

中学の頃、俺には佐々木という友人が居て、同じ塾に通っていたこともありそれなりに親しい間柄だったのだが、思い起こせば佐々木と色恋について語り合う機会は少なかった。

「そもそも生物には生存本能というものがありその優先順位が生殖本能よりも上であることがこのジレンマを生み出しているわけだ」
「ジレンマ、ねぇ」
「本来ならば群れを形成することは自らの保身を図る手段であるのに人類が構築した社会システムは群れを維持するのに向いてない」

たしかに言ってしまえば家族は群れであり、互いに支え合うことで自分の身を守ることに繋がらなければおかしい。それが大前提だ。

「そこで僕は考える。子を生すことでその後の生活が保証されるようにしなければならないと。そうすれば本能の赴くまま、人々は子を作り、社会は恒久的に繁栄するだろうと」
「宇宙棄民まっしぐらだな」

総人口が100億人突破して人類が地上を埋め尽くした結果、政府が宇宙に建設したスペース・コロニーに人々を捨て始めた宇宙世紀を引き合いに出すと佐々木はくつくつ嘲笑い。

「やれやれ。そう上手くいかないものだね」
「むしろ少子化こそ生存本能の結果かもな」
「はあ……えっちしたいなぁ」
「え?」

佐々木の小さな呟きに、思わず耳を疑った。

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「なんだい、キョン?」
「いや……今お前、えっ」
「言ってない」

ああなるほど。そうかそうか。わかったよ。

「すまん。空耳だったようだ」
「うん。わかればいいんだよ」

俺は空気を読める男なので聞き流してやる。

「さて、話を戻そうか」
「そうだな」
「キョンはどんな女の子が好きなんだい?」

ん? そんな話だったかと思いつつも答える。

「そうだな……やっぱり笑顔が可愛い子が」
「それは難しい注文だ」
「え?」
「人には向き不向きというものがある。もちろん気持ちはわかる。僕もキョンの子供っぽい笑顔に何度胸を撃ち抜かれたことやら。とはいえ、それを僕に望むのはあまりに酷だ。残念だけど諦めてくれ。いや諦めるべきだ」
「待て待て。人の好みを否定するなよ」

諦めるように諭された俺が困惑して遮ると、佐々木はまるで捨てられた犬のような目で。

「キョン……お願い。別のに変えて」
「そうだな。じゃあ、スタイル抜群で……」
「キョン!?」

両手で机を叩いて立ち上がった佐々木が詰め寄り、端正に整った顔を歪ませて懇願する。

「生まれ持った性格や体型は変えられないってことくらいキミだってわかるだろう!?」
「でも努力すれば……」
「でもじゃないの!」

わかったわかった。仕方ない。こうしよう。

「変わり者で、捻くれているわりには基本的に良い奴で尚且つポニテが似合う子が……」
「ふん。最後のは余計だよ」

そのくらい頑張れよ。髪なら伸ばせるだろ。

「簡単に言うけどね、髪を長く伸ばすのは才能が必要なんだよ。僕にはその才能が乏しいけれど、まあそこまで言うなら伸ばすのもやぶさかではない。せいぜい感謝したまえよ」

案外チョロかった。さてここで立ち戻ろう。

「ところで何故そこまでしてお前に俺の好みを寄せなければならないんだ?」
「そのほうが都合が良いからさ」
「都合ねえ。まあ、否定はしないけどな」

漠然とそう口にすると佐々木は頬を染めて。

「都合の良い女というのは存外嬉しいね」

いかんいかん。思わず、見惚れてしまった。

「なあ、佐々木」
「なんだい、キョン」
「ちなみにお前はどんな奴が好きなんだ?」

初めて訊く質問に、佐々木は斜め上を見て。

「そうだね。まずイケメンが大前提で……」
「俺が悪かったから真面目に頼む」
「うん。わかればよろしい。察したまえよ」

シニカルに微笑みながら察したまえなんて台詞をいつか言ってみたいもんだと、思った。

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「良い友人であればあるほどに、その人が大切であると思うほどに、恋愛対象から遠ざけようとするのは人の臆病さの表れであり、生殖本能よりも生存本能が勝っている証左だ」

達観した佐々木の物言いに、俺は大袈裟だと感想を抱いた。別にそいつに振られたからって死ぬわけではないのに、深く考えすぎだ。

「人は過去でも未来でもなく今を生きていて、その積み重ねが過去であり未来である。
要するに、今この瞬間を生きたいという強い衝動こそが本当の生存本能で、だから僕は」

えっちがしたいのだと。

その先を口にしない佐々木は果たして臆病だろうか。何も言わずに耳を傾けているだけのスカした俺こそが臆病者のチキン野郎ではないのか。この罪悪感に似た感情は不誠実なのだろうか。誠実であるならば懊悩せずに生きていけるのだろうか。疑問に対する答えを探してそれでも前向きに今を生きるなら俺は。

「それだけが全てじゃないさ」
「ほう? 是非ともご教示願いたいものだね」

そんな立派なものじゃない。ただ俺は示す。

「人間の感情ってのは複雑怪奇だ。本能に抗うことで得られる悦びもある。たとえば俺はさっきからずっと糞がしたかったわけだが」
「は?」
「まあ、ケツ論を急ぐなよ。まずは訊いてくれ。糞をしなければ人は死んでしまう。そんなのは当たり前のことだ。しかし時と場所と場合が肝心だ。人前で糞を漏らせば社会的に死んでしまう。するとそこにジレンマが生じる。生物学的な死か、社会的な死か。その狭間から糞は顔を覗かせる。さあ、どっちを選択するのかと迫ってくる。だから俺は仕方なくスカした顔をしてスカをしたってわけだ」
「……えっ」

パチクリ大きな瞳を瞬かせつつ首を傾げて。

「えっとつまりキミは大事な話の最中に」
「大丈夫だ。大事ない。大をしただけさ」

俺はいま、シニカルに嗤えているだろうか。

「やれやれ。今にも泣きそうな顔をして強がるのはよしてくれ。怒るに怒れないだろう」

呆れたように首を振りつつも、ハンカチを取り出して、俺の額のあぶら汗を拭いながら。

「酷い顔だね。今にも死にそうに見えるよ」
「佐々木……」
「いいかい、キョン。もしもこれで百年の恋が冷めるようなら、それはただの一時の気の迷いであり、精神病の一種に過ぎないのさ」

両手で優しく頬を挟んで、正面から優しく諭す佐々木の口調に、俺は落ち着き癒された。

「ありがとな、佐々木」
「帰ったらちゃんと洗濯するんだよ」

改めてやれやれと首を振って、くつくつと喉を鳴らす格好良い佐々木に俺は妄言を吐く。

「今度はお前の排泄も見せてくれよ」
「キョン……少しは反省したまえよ」
「精神病じゃないことを証明したいんだ」
「ふうん……物は言いようだね」

なるほどねと納得しながら、佐々木は囁く。

「つまりキミは百年の恋を証明するために、僕のおしっこを飲んでくれるわけだ」
「フハッ!」
「やれやれ。キョン、よだれが垂れてるよ」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「まったく。僕の懊悩が馬鹿らしくなるよ」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

佐々木とのやり取りの積み重ねが過去であるなら、今この瞬間の愉悦こそが未来を作るのだろう。高らかに嗤いながら肩を抱くと、佐々木もくつくつと愉しげに肩を揺らし、満更でもなさそうな顔をして腰に手を回した。

「たしかにえっちが全てではないようだね」

仲の良い友達以上の関係が、心地良かった。


【佐々木の懊悩】


FIN

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