神崎蘭子「高垣楓伍番勝負っ!」 (68)



神崎蘭子は激怒しかけたが、ちょっとだけ考えて、やっぱりやめておいた。
でも、何とかして、あの世紀末歌姫をぎゃふんと言わせなくちゃいけないと決意した。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1620541093



時折したためている日記を今宵も書き付けている最中の事だ。


土曜の今日は昼前から夜までお仕事であった。
元気に事務所へ顔を出した蘭子はそのもちもちのほっぺたを高垣楓からつつかれ、
やや疲れを滲ませながら事務所へ戻って来た蘭子はそのぷにぷにのほっぺを楓につつかれた。

二回である。
蘭子は一日にして二回もそのもちぷにのほっぺっぺを楓からつつかれてしまったのだ。
蘭子のほっぺは楓からつつかれるためにもちもちしている訳ではない。
ただ、健やかに育っていたらもちもちしていた。それだけである。


圧倒的な年齢差と身長差に物を言わせ、蘭子の頬をつつくのが楓の生き甲斐であった。
だが、いつまでも黙って頬プニされるがままの蘭子ではない。
無論、毅然とした態度で抗議の意を楓の鼻先へと突きつけた。

ところがそれを見るや楓は、
チョコレートケーキやマドレーヌや栗羊羹や苺大福を揺らして見せるのである。
これはまこと卑劣な手管であり、
さしもの蘭子とて二つに結んだ銀のくるくるを揺らしながら甘味に舌鼓を打つ他に無い。


日記帳へとガラスペンを踊らせているうち、頬に指先の感触が蘇る。
ふつふつと湧き上がる衝動に任せ、
蘭子は今にもソファの上をぴょんこぴょんこと暴れ回りそうな心地であった。


 「にゃ、むぅ……ポルニィ……ふふ。もう、食べられません……」


ローテーブルに突っ伏すアナスタシアが呟いたのはそんな時である。
彼女の寝顔は蘭子にとって世界平和の象徴であり、
折を見てニューヨークは国連本部前に飾っておけないかなと常々考えていた。

 「ダッツ……? ニェート……ダッツは脇腹、です……むゅ……いいんです……」

喉元までこみ上げていた感情がゆっくりと帰ってゆくのを感じると、
蘭子は静かにペンを置いて勉強机から腰を上げた。
ローテーブルの向かいにしずしずと座り込み、夢見る彼女を眺めるばかりである。
アーニャの寝顔は何を置いても優先されるべきものであるから、
蘭子とて憤怒に身を任せている場合などではない。


そして憤怒の代わりに顔を出したのは、僅かばかりの義憤であった。


新田美波に三船美優。
楓の猛威に身を晒されているのは、ただ蘭子のみではない。
なれば、誰かが立ち上がらねばならないのだ。
今ここであの指先を食い止めねば、遠くない内に蘭子の頬が餅と化してしまうのは明らかである。

蘭子は、些か純粋過ぎる所があった。
心に決めたまま行動へ移す身軽さは、放たれた矢と見紛う程である。


 「……ラグナロクの刻は、来たれり」
 (決着を、つけなきゃ……!)


クローゼットの前に立った蘭子は、ゆっくりと扉を開く。
そして決戦の刻に備え、戦支度に入るのであった。


天使な堕天使こと神崎蘭子ちゃんと世紀末歌姫こと高垣楓さんのSSです


http://i.imgur.com/yVxElOj.jpg
http://i.imgur.com/IqJgCai.jpg

前作とか
モバP「楓さんが猫かもしれない……」 ( モバP「楓さんが猫かもしれない……」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1601809934/) )
高垣楓「風向き良し」 ( 高垣楓「風向き良し」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1556978069/) )
アナスタシア「流しソ連」 神崎蘭子「そうめんだよ」 ( http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1501850717 )


第10回シンデレラガール総選挙、好評開催中


  ◇ ◇ ◆


 「あら、蘭子ちゃん。おはようございます」

 「世紀末歌姫! 汝が天運を知りなさいっ!」
 (楓さん! お話がありますっ!)


土曜の事務所へ着くなり両の指を解しながら歩み寄って来る楓を掌で制す。
機先を制され小首を傾げる楓の前で、白ゴスに身を包んだ蘭子はオペラグローブを抜き去った。
そして楓の胸めがけ投げ付けようとしたが、ちょっとだけ考えて、やっぱりやめておいた。

割と上等なサテン生地製だったので、手荒に扱えばすぐに解れてしまうからである。
とてとてと歩み寄ってから、皿を作っていた楓の掌の上へグローブをそっと載せた。

 「世紀末歌姫よっ! 此処に尋常なる血闘を申し込むわ!」
 (楓さんっ! 私と勝負してくださいっ!)

 「血闘……ですか?」

 「うむ。汝の悪魔がごとき非道も潰えよう……今日こそ、審判の日!」
 (楓さんが私の頬を良い気でつっつけるのも、もうおしまいですっ!)

良い感じのポーズを取りつつ高笑う蘭子へ、
楓は実に触り心地の良い手袋をさわさわしながら鸚鵡返す。


 「クク……欠伸を漏らす暇も無く決しては、つまらぬ。伍番勝負と往こうではないか」
 (言い訳もできなくなっちゃうくらい、楓さんをやっつけます!)

 「なるほど……それで、どういった勝負を?」

 「我とて慈愛の心の欠片ならば持ち合わせている……三度の悪あがきを認めましょう」
 (ふふ……五本中、三本は楓さんが決めていいですよ?)

 「あら、蘭子ちゃんったら太っ腹♪」

 「……ふっ、太く……ない……」

存外、楓は乗り気で両手を合わせる。
脳裏を先週の体重計の数値が過ぎり、蘭子は慌てて首を振った。

これも、数々の甘味で魔王を堕落せしめんとする世紀末歌姫の所為である。
蘭子はそう断じた。

 「えーと、勝負なら審判が必要ですね」

 「ふむ……断罪者か」
 (あっ、確かに。うーんと……)

唐突に幕を開けようとしている血闘を見届けてくれる者など、そうは居ない。
唐突に幕を開けようとしている血闘を見届けてくれそうな者が、ちょうど小会議室から出てきた。

 「……む! 蒼き灰被りよ!」
 (あっ! 凛ちゃーんっ!)

 「ん」



 「審判やって!」

 「急に何?」



かくかくしかじかなの。
ちゃんと説明しなさい。


蘭子の簡潔な説明を渋谷凛の簡潔な舌鋒が切って捨てた。
魔法の言葉を取り上げられた蘭子がネゴシエイトを開始する。

 「いや、もう帰るとこだったんだけど……事務所へはちょっと寄っただけ」

 「む……むむ……」

 「ちなみに、凛ちゃんのこの後のご予定は?」

 「え? ハナコの散歩兼ランニングと……勉強」

高校3年生という身分と切っても切り離せないのが、受験なるとびきりの鉄鎖である。
アイドルとして今を時めく渋谷凛とて、またその例外ではない。
本番はまだ先とは言え、早めに戦支度を整えておいて損を拾う事も無いだろう。

 「凛ちゃんっ……!」

 「……」

楓から見えないよう、蘭子はばちんばちんと可憐なウィンクを送る。
楓は楓で蘭子から見えないよう、ぱちんぱちんと華麗なウィンクを見舞ってくる。


きっと凛ちゃんなら――『私』を贔屓してくれる筈。


両者の瞳に籠められたそんな強い意志がはっきりと見て取れて、
凛は小さく溜息を吐いた。
今ここできっぱりと首を横に振れば、蘭子はともかく、楓は絡んでくるだろう。
それはもう、この上なく絡んでくるのは間違い無い。
場合によってはアルコールも混ぜ込んでくるだろう。

凛はもう一度、今度は大きな大きな溜息を吐いた。


 「……はぁ。分かった。付き合ってあげる」

 「さっすが凛ちゃん♪ シンデレラガールは気風が良いですね♪」

 「はいはい。すぐ終わるんでしょ?」



 「うむ! 伍番勝負を執り行うわ!」
 (うん! 五本勝負!)

 「やっぱ帰っちゃ駄目?」



  ◇ ◇ ◆


 ■チャンネル【シンデレラガールズ】が生放送”高垣楓伍番勝負”を開始しました。


 『お』 00:00:02

 『?』 00:00:02

 『勝負?』 00:00:03

 『1』 00:00:03

 『通知から』 00:00:05

 『楓さん?』 00:00:06

 『1』 00:00:06

 『お』 00:00:06

 『なんかはじったぞ』 00:00:07

 『凛ちゃんだ』 00:00:07

 『蘭子かわいいです』 00:00:09


  ◇ ◇ ◆



 【壱番】


 「これでいいの? えっと……こんにちは。審判……審判……? の、渋谷凛です」


三脚へ据え付けられ、ノートパソコンに繋がれたビデオカメラ。
そのレンズに向け、若干首を傾げながらも凛は挨拶を投げた。

 「今回は、えーと……高垣楓、伍番勝負……を、やる、みたい?」

 「うむ!」

 「やっちゃうみたいです」

後ろに控えた蘭子と楓を振り返る。
二人は頷くばかりで、一切の補強は無いようだった。
横目で助けを求めると、いつもの気持ち良い笑顔が画面内に現れる。


 「その通り! 今回の突発企画こそ、蘭子ちゃんと楓さんの直接対決。その名も――」

いつの間に用意したのかも知れぬフリップをどこからともなく取り出してみせる。
アイドル達がアイドル達なら事務員も事務員だなと、
凛は千川ちひろの営業スマイルを眺めながらぼんやりと考えるばかりであった。

 「――じゃんっ♪ 『高垣楓伍番勝負』! 先に3本取った方の勝利です!」

 「えっと……いいけど……いやいいのかな……勝つとどうなるの?」

 「フフ……愚問! 敗者は勝者の命令を甘んじて享受するのみ!」
 (簡単です! 勝った方が負けた方に言う事を聞かせるんです!)


もはや自信しか感じ取れない笑みを浮かべ、高笑いを零す蘭子。
隣で頷いている楓を見るに、合意は既に交わされているようであった。

 「そんな事言って……いいの? 蘭子。楓さんが勝ったら――」

 「諄いっ! 魔王に二言は無いわ!」
 (大丈夫。勝つもんっ!)

 「ほら、凛ちゃん。蘭子ちゃんもこう言っている事ですし」

 「……まぁ、二人がいいなら、いいんだけどさ」

頬を掻きつつ、ノートパソコンの画面を見やる。
日曜の午前に突如始まったにも関わらず、夥しい量のコメントが流れては消えてゆく。
案外この世には暇人が多いなと、凛は一度だけ頷いた。

 「さぁ、世紀末歌姫よ。賽を放るがよい……凋落への賽を!」
 (最初のお題は楓さんが決めてください)

 「あら。ふふ……さぁ、どんなお題にしましょうか」

 「あ、お二人とも。お題はアイドルっぽいものでお願いしますね?」


 「……ちひろさん」

 「どうかしました?」

悩ましげに頬へ手を添える楓に、不敵な笑みを絶やさぬ蘭子。
そんな両者をちひろは何処か楽しげに見守っている。
ともすれば無邪気にも見える笑顔を前に、凛は疑問を投げ掛けた。

 「何でWEB中継するの、こんなの」

 「こんなのなんて。お二人とも、とっても楽しそうじゃありませんか♪」

 「まぁ、それはそうですけど……流す理由が分からなくて。いまいち」

 「理由……そうですねぇ、幾つかありますけれど」

立てた指を、順に折り畳みながら数え上げる。


 「アイドルとして常に見られている立場だって実感してほしいですし、
  定時放送以外のゲリラ生にどれくらい需要があるのかも調べたかったし、
  好評なら今後の番組にも似たようなコーナー組み込んでみたいし……」

 「わ、分かった。分かりましたから」

 「まぁ、一番はあれです。私のシナリオと楓さんのシナリオは、多分同じなので」

 「……? それは、どういう」

 「じゃあ、後はお任せしますね、凛ちゃん? さーお仕事お仕事♪」

並べ立て終えて満足したのか。
ご機嫌な様子で通常業務へ復帰していったちひろを見送り、凛は振り向く。
どうやら第一のお題は定められたようだった。


  ◇ ◇ ◆


 「第一のお題は『食レポ』でいきましょう」

 「ほう」


食レポ。雑誌のコラムでも地上波の一コーナーでも定番と化したジャンルだ。
この事務所で特筆すべきなのは日野茜の雑誌連載、『一行カレー』であろう。

『牛肉が柔らかいです! おいしいです!!!』
『玉ねぎがたくさん入ってます!!! ちょっと辛いですね!!!』
『おいしい!!!!!』

といった具合の、比喩表現の一切を廃した食レポは読者からの好評を博している。

 「構わぬが……贄は何処に?」
 (食べるものはどうするんですか?)

 「そうですね……事務所のお茶菓子でもあれば」

 「おはようございまーす♪ 買いたてのプリンはいかがですかー……って、あれ?」


 「約束の女神……」
 (あ、茄子さんっ!)

 「あら……茄子さん。とてもとても良いところに」

弾むような鼻歌と共に鷹富士茄子が事務所へ顔を出した。
手に提げられた紙袋にはレタリングされた『Pastel』のロゴが煌めいている。
何やら喧々諤々していたらしい楓と蘭子を前に、茄子はとりあえず微笑んで見せる。


勝利の女神がどちらへ微笑むのかは知れなくとも、鷹富士茄子はみんなに微笑むのだ。


 「なんだか楽しそうな事をしてますね~」

 「……」

 「それはもう。ますます楽しくなってきた所で」

親し気に歓談を交わす二人を他所に、蘭子の視線は茄子の揺らす紙袋へ釘付けであった。
先程の言葉が幻聴の類でなければ、そこにあるのはプリンが幾つか。
そう。蘭子にとってもう一つの因縁とも言える存在、プリンである。


蘭子はプリンを愛しているが――プリンは蘭子を愛していない。


何故かと問い質すのは野暮天窮まりない。
神は世界をそう創り給うたというまでだ。

蘭子がプリンをしまっておく。
何やかんやあって蘭子はプリンをおいしく食べられない。

この間に疑問の差し挟まる余地は最早残されてはいないのだ。
事実、今季の蘭プ率(蘭子がプリンをおいしく食べられる確率)は二割を下回っている。

蘭子は今季に入ってから既に12個のプリンを買い求めている。
うち2個は絶対に抹茶プリンの気分だったのに何故かいちごプリンが入っており、
うち1個はほろ酔いのまま事務所へ立ち寄った楓が誤って食べてしまい、
うち7個はレッスン後にどうしてもプリンを食べたい気分だったアーニャが食べてしまった。


この事務所において、『蘭子ちゃんのプリン』とは「とても儚いもの。また、その様」を意味する。


 「なるほどー。確かにそういう事ならちょうどいいですね♪」

 「蘭子ちゃんもそれでいいですか?」

 「……クク……うむ、構わぬ。どうであれ、結末は既に記されている」
 (だ、大丈夫です……負けません……よ?)


プリンを食べる。甘くて美味しい。そして勝負に勝つ。


簡単な事だ。大魔王たる蘭子にとって、その程度は造作も無い戯れ。
微かに震えていた指先をお尻の辺りにぺしぺしと叩き付け、蘭子は不敵に笑う。

 「先手は譲るわ。精々足掻いてみせる事ね」
 (じゃあ、楓さんがお先にどうぞ)

 「あら。今日の蘭子ちゃんはサービスが良いですね……では、お言葉に甘えて」

 「はい、どうぞー。あ、凛ちゃんもどうぞ♪」

 「ん……ありがとうございます」

お行儀良くテーブルへ就いた楓の前にプリンの容器が一つ、そっと差し出された。
パステルの看板商品、なめらかプリン。
商品名として謳われる程の柔らかな舌触りで名高い一品である。
小さなスプーンを握り、楓がカップを持ち上げる。

 「では、いただきます」


一面の卵色に何の抵抗もなくスプーンの先が沈んでゆき、すぐに一塊を掬い上げた。
ふるん、と一度その黄色を揺らしながら微笑むと、楓はそっとスプーンを口元へ運んでゆく。

 「……はむっ」


蘭子が喉を鳴らした。


 「……やっぱり、何度食べても美味しいですね。ここのプリンは」

そう言いながら再びスプーンを差し込み、すぐに二口目。
しっかりと味わい、こくん、と飲み下してから、先程の感想に言葉を継いでいく。

 「最近はしっかりとした……焼きプリンに近いプリンが再評価されていますけれど、
  それでも私はこの滑らかな舌触りに微笑んでしまうんです。あまくて、とろける。
  スプーンからお腹まで、するするーっと甘さが染み渡るこの感覚。堪りませんね」

言い終えてから、またスプーンを動かしていく。
もく、もくと静かにスプーンを進めては、時折穏やかな笑みを浮かべて。
自分のものを食べ進めていた凛も茄子も、しばしその様子に見惚れてしまう程であった。

 「ご馳走様でした」

そして、楓は食レポを終えた。


 「……えー、以上、楓さんの食レポでした……なんか、まともだったね」

 「凛ちゃん、たまに私に厳しいですよね。くすん」

 「それでは続いて……蘭子、お願い」

 「うむっ!」
 (はーい!)

何処からか取り出したハンカチで目元を拭う楓を尻目に、凛が蘭子の出番を告げる。
するするーっ、と楓が呟いて、凛は尚聞こえない振りを貫いていた。

 「……我が血肉の糧となるがよい」
 (いただきまーす)

握手会でファン達が口を揃え「ちっちゃかった」と評する手にスプーンを握る。
掬い上げた黄色は微かに震えているようにも見えた。
甘美なる景色に見惚れる事暫し、蘭子は徐にスプーンを口へ運ぶ。


 「……はむ」


――ジャンガリアンハムスターを思い出すんです。蘭子ちゃんが何か食べていると。


かつて楓がそう語っていたのを、凛はふと思い出していた。


もく、もく、もく。

一口ごとに蘭子の瞳が輝きを増していく。
対戦者である楓も、審判者である凛も、その侵し難い光景をただ見守るばかりである。

 「……プリンだぁ♪」

一ヶ月半ぶりの甘さに、蘭子も思わず頬に手を添えた。非常にぷにっとしていた。

 「……はっ」

甘美なるをひととき堪能し終え、蘭子が我を取り戻す。
レースに縁取られた手巾で口元を拭い、こほんと咳払いを一つ。
大魔王に相応しい余裕の笑みを湛え、ところで先程までの勇姿は全世界へ生中継されていた。

 「羽毛が如き軽やかさにて我が舌の上を舞い踊るようね」
 (ふわふわしてて、とってもおいしいです)



 「……」

 「待ち受ける黄金の海、降り注ぐ白磁の雫。奏でられるシンフォニアは飽くまでも嫋やか」
 (えっと……卵の風味と牛乳の風味のバランスが良くて、くどさを感じませんし)

 「……」

 「……これ以上は無粋というもの。この魔王を小さな聖杯は手懐けてみせたわ」
 (ん、っと……えと……私はこのプリン、好きです。ごちそうさまでした)



あの。おわりです。


魔王のごく控えめな声が終幕を告げる。
それでも尚、周りに集う誰も彼もが黙っていたので蘭子は凛へ視線を向ける。
一方の楓もやはり、その色違いの瞳を凛へと向けていた。

 「楓さんの勝ちで」



 「な、何故っ……!」
 (……なんでぇっ!?)

 「ん、伝わりやすさ」



 【壱番】 ●神崎蘭子 ― 高垣楓○



  ◇ ◇ ◆


 『残当』 00:12:39

 『草生えるわこんなん』 00:12:41

 『草』 00:12:41

 『これはクール代表渋谷凛』 00:12:43

 『wwww』 00:12:45

 『草』 00:12:48

 『蘭子ちゃんにとってプリンはどういう立ち位置なん』 00:12:48

 『当然の結果なんだよなぁ……』 00:12:50

 『蘭子かわいいです』 00:12:51

 『伝わりやすさは重要だもんな』 00:12:53

 『まだ勝てる』 00:12:54


  ◇ ◇ ◆



 【弐番】


 「我が難題は『火の魔術』!」
 (私からのお題は『お料理』ですっ!)


蘭子が高らかに宣言し、第二の対決、そのテーマが明らかにされた。
アイドルらしさ全開である。

少し考えてから、蘭子は手招きをしぽんやりとしていた楓を連れ出す。
二人の背を追うように、凛もカメラを拾い上げてその後へと続いた。


 「……ここ、給湯室……だよね」

 「うむっ!」

 「給湯室……って、こんな部屋だったかしら……」



横に二口並んだガスコンロ。
五十嵐響子が勝手に持ち込んだ調理器具。
五十嵐響子が勝手に設置したファミリー向け冷蔵庫。
五十嵐響子が勝手に運び入れた食器類。


城であった。
休日食堂を主催するために女子寮の炊事室を我が物とするだけで飽き足りる響子ではない。
その魔の手が事務所へ向かうのも、もはや運命とさえ言えるであろう。

 「えっとー……」

楓の見守る前で蘭子が冷蔵庫の扉を開く。
肉、野菜、魚、牛乳、その他諸々。
一般的なカレー程度であれば難無く完成させられるであろう品揃えを誇っていた。

 「響子、大丈夫かな……受験のストレスとか溜まってるのかな……」

 「つまり、ここにある食材で美味しい料理を作った方の勝ち……という事ですね」

 「フフ……賢しき者は嫌いではないわ」
 (その通りです)


戦友の身を案じる凛を余所に、二人は話を進めてゆく。


 「ふむ……」

冷蔵庫の中身を検分し終え、楓が細い顎に指先を添えた。

 「また先攻を頂いても?」

 「構わぬが……我を打ち斃す秘策を?」
 (大丈夫ですけど……どうして?)

 「ふふ、”蓋を開けてみてのお楽しみ”、ですよ」

 「まぁ、よい。此処は譲りましょう」
 (ふーん……? いいですよー)

 「有難き幸せ」

恭しく腰を折った楓に、大魔王は小さく舌を出してみせた。



 「──では、第二のお題『火の魔術』、始めていきましょう」


ハートマーク特盛のエプロンを締め、楓はぽんと手を叩いた。


誤解を招かぬよう言葉を置くが、特段楓の趣味という訳ではない。
朝の情報番組の人気コーナー、『五十嵐響子のまごころごはん♪』。
メインキャストの響子が毎回欠かさず着用する由緒正しきモデルである。

そこに例外は無いのだ。
ハートマーク特盛垣楓を涼しい顔で眺めている凛。
風邪でダウンした響子の代役として凛が急遽出演した際、彼女ももちろん着用している。
特別回として放映された『渋谷凛のまごころごはん?』のキャプ画は根強い人気を誇っている。


 「鍋のお湯が沸くまでに下拵えをしちゃいましょう」

カメラによく映るよう、楓が手に掲げてみせたのは一本の大根。
楓の脚よりも蓋周りは太い、実に立派な大根だった。

 「まずは輪切りにしていきます。厚さはお好みですが、厚過ぎると味が染みにくいかも?」

とん、とん、と小気味良いリズムで大根が短くなってゆく。
合わせるように楓が鼻歌を奏で、画面上に流れるコメントの数が凄い事になっていた。


後に『だいこん』と題され、数々の人気動画を生み出した名素材の誕生である。


 「皮は厚めに剥いてくださいね。筋っぽさが無くなって食べやすくなります」

手慣れた包丁捌きで皮を剥き、十字の隠し包丁を入れていく。
そうしている内に湯気が漂い、昆布の優しい香りまで立ち昇ってきた。
すんすんと鼻をならす蘭子を、凛のカメラは逃さず捉えていた。

 「では、下拵えした大根をお鍋の中に並べて……後はしばらく炊けば完成です」



 「……え、これだけ?」

 「これだけですよ?」

特に言及こそされていないものの、必然試食役となる凛が不安気に楓を見やる。

 「あ、もちろん味付けはしますから安心してください」

 「はぁ……」

 「それに蘭子ちゃんの調理時間もありますから。ということで蘭子ちゃん、どうぞ」

 「うむ!」
 (はーいっ!)

楓とお揃いのハートマーク特盛エプロンを締め、蘭子が元気良く登場した。
画面上に流れるコメントの数が凄い事になっていた。


 「──我が手が生み出す数々の奇蹟、とくとその眼に焼き付けるがいいわ」
 (腕によりを掛けて作っちゃうからね!)

楓とは対象的に、狭いシンク上に様々な食材が並べられている。


 「まずは卵を贄に捧げます」
 (最初に卵を茹でます)


料理のコーナーと意識し過ぎたせいか、若干崩れ気味の口調で解説を加える蘭子。
このブレもまた彼女の魅力である。

ふつふつと踊るお湯の中へ静かに卵を割り落とす。
瞬く間に白く丸い繭状になったのを確認し、よしっ、と蘭子は小さくガッツポーズを決めた。
ファン達は蘭子の後頭部の丸さについて口々に褒め称えるコメントを流し続けている。

 「呆けている暇は無いわ。クロノスは短気で名高い神よ」
 (茹で上がるまでに色々と済ませちゃいます。スピード命です!)

半分に切ったイングリッシュマフィンをオーブンへと放り込む。
油を敷いたフライパンにベーコンを載せ、大きなボウルに熱湯を注ぎ込んだ。

 「手際いいね」

 「この程度、造作も無いわ」
 (えへへ)

凛の称賛に、魔王も思わず笑みを零す。


言うまでも無い事だが、蘭子は褒められて育つ娘である。


熱湯に小さなボウルを浸け、バターを湯煎し溶かしてゆく。
レモン汁や卵黄などを加えてよく混ぜ終えた所でオーブンが焼き上がりのチャイムを鳴らした。

 「我が魔術の真髄よ! 全ての混沌よ、一なる秩序に!」
 (仕上げの時間です!)

焼き上がったベーコンは同じく焼き上がったマフィンの上に。
更にその上へポーチドエッグを載せ、駄目押しのオランデーズソースを掛ければ――


 「――これぞ我が秘術! 『教皇の黄金』!」
 (エッグベネディクト、完成ですっ!)


蘭子の料理は、無闇矢鱈と楽しい。


 「えーと、どっちから食べようかな……」

 「蘭子ちゃんの方から食べてあげてください。私のは冷めませんから」

 「なら、蘭子のエッ…………えー」

 「『教皇の黄金』!」
 (エッグベネディクト!)

 「……『教皇の黄金』から頂くね」


勘違いされがちではあるが、凛は基本的に優しい。


凛の前に立派なエッグベネディクトが置かれる。
黄色のソースの綺麗さは画面越しにもはっきりと分かる程で、凛は見た目に百点を付けた。

 「いただきます」

楓と蘭子に続き、凛もしっかりと両手を合わせた。
アイドルたるもの、礼節を弁えるのは基本である。


 「……ん、良い半熟具合」

ポーチドエッグにナイフを入れた途端に橙色がとろけて流れ出した。
マフィンとベーコンを切り分け、黄色と橙色を絡めて頬張る。

 「うん、おいしい」

頷きながらフォークを動かし、丁寧に食べ進めていく。

 「……あの、凛ちゃん」

 「ん?」

 「食レポは……?」

 「え、要るの? さっき二人がやってたし……私のは別に」

 「やって!」

蘭子がぶんぶんと手を振り、促す。
隣の楓へ視線を移せば、真似をするように彼女もぶんぶんと手を振っていた。
まこと楽しそうな光景である。


 「……結構バターが効いてて、朝ごはんっていうよりはブランチ向けかな」

期待されるとつい答えてしまうのが凛の美点であった。
これぐらいのサービス精神と冷静さがなければ、とてもクールな面々をまとめる事など叶わない。


本当に叶わない。本当にである。
凛も凛で、普段から色々と大変なのだ。

 「ちょうどブランチの時間だし、ぴったりだけどね。ベーコンに胡椒振っても良かったかも」

 「む……我とした事が」
 (ふむふむ)

 「でも、うん、美味しいよ。ごちそうさま……これぐらいでいい?」

 「うむ! 蒼き魂よ、大義だったわ!」
 (うん! ありがとね、凛ちゃん!)

 「さて……では、私の番ですね」

凛の背後のコンロでふつふつと炊かれ続けていた鍋の火を止める。
鍋の蓋を開けばたっぷりと湯気があふれ、数秒遅れてカメラが曇り出した。


 「ん……良い香り」

 「お皿に盛り付けて……さっき作っておいた味噌だれを掛ければ」

教皇の黄金と入れ替わるように、凛の前へ器が差し出される。


 「お待ちどうさまです、凛ちゃん。楓特製、ふろふき大根をどうぞ♪」

 「あ。ふろふき大根って言うんだっけ、これ。食べるの久々かも」

蘭子の一皿ほど華やかではないが、凛は素朴な料理も嫌いではなかった。
凛の母は彩りよりも栄養を重視する質であり、故に渋谷家の食卓はやや、茶色い。
いつか父が夕食を作った時は洒落たメニューでびっくりしたなと、凛はふと思い出していた。

 「いただきます……へぇ、柔らかくなってるね」

 「地獄の業火にその舌を灼かれぬよう」
 (ヤケド、気をつけてね)

 「ん……ふー、ふー……あむ」

箸で切り分けた大根に味噌だれをつけ、蘭子の助言に従い、冷ます。
来世は大根になりたい。そんなコメントが俄に増えていった。


 「もく……うん? 味が染みてて美味しいけど、ちょっとしょっぱいかも」

 「ほう……? 漆黒の雫に支配されているようね」
 (味噌だれ、けっこう濃そうですもんね)

 「ちょっとご飯がほしくなるかな」

 「ふふ……二人とも、お楽しみはこれからですよ」

首を傾げている二人を前に、楓が不敵な笑みを零す。

 「実はこのふろふき大根、単品ではなくセットでちょうどよくなる味付けをしてみました」

 「セット?」

 「ええ……じゃーん。こちらです♪」


ごとり、と四合瓶がテーブルの上に置かれた。
ラベルには行書体の筆文字が踊っている。


 「純米吟醸酒の『田酒』です」

 「……」

 「このお酒は淡白なお魚と合わせたりする事が多いんですが、濃いめの味にも良く合うんです」

 「……」

 「まぁまぁ。騙されたと思ってまずは一口試してみてください。すぐに――」

 「……あの、楓さん」

 「なぁに? 凛ちゃん」

 「私、まだ未成年です」



 「……………………あっ……」



 「美味しかったから蘭子の勝ちね」

 「わぁい」
 (やったー)



 【弐番】 ○神崎蘭子 ― 高垣楓●



  ◇ ◇ ◆


 『割と致命的なミスで笑う』 00:55:58

 『wwwwwwwwwwww』 00:55:59

 『こんなん笑うだろ』 00:55:59

 『自分草いいすか』 00:55:59

 『あっではない』 00:55:59

 『世界は楓さを中心に回っているからな』 00:55:59

 『自らスキャンダルを仕掛けにいくアイドルの鑑』 00:55:59

 『台本書いた人攻めるなー』 00:56:00

 『蘭子はかわいいですね』 00:56:00

 『未成年飲酒は)いかんでしょ』 00:56:00

 『自分がちょい飲みしたかっただけ定期』 00:56:00


  ◇ ◇ ◆



 【参番】


 「次のお題は『駄洒落』です」



 「あの、楓さん」

 「アイドルらしいですよ。すごくアイドルらしいんです」

 「……まぁ、蘭子が認めるならいいんですけど……いいの、蘭子?」

 「フッ! 敵城へ攻め入り、屠ってこそ魔王の名も冥府に轟くというもの! 不足は無いわ!」
 (うんっ! だって、私が勝てば問題無いんでしょ?)

 「なら……いいんだけどね、うん」


これにて両者合意の上である。
二十五歳児という闇の渾名は伊達ではない。

 「縛りは……そうですね、広めの『アイドル』にしましょうか」

 「フフ……心得たわ」
 (分かりましたー)

 「……一応聞いておきますけど、面白いか上手い方が勝ち……でいいんですよね」

 「ええ。つまり、私が勝ちます」


これほどのやる気を漲らせている楓を、凛は事務所に入ってから初めて目の当たりにした。
凛は少し複雑そうな面持ちを浮かべる他に無かった。


 「……あっ、はいっ! 凛ちゃん、私からでもいい?」

 「うん。じゃあ蘭子、お願い」

 「うむっ!」

凛からくるりと向き直り、蘭子は楓をじっと見上げた。
年齢も身長も一回り上だが、蘭子に臆した様子は見受けられない。

 「世紀末歌姫!」
 (楓さんっ!)

 「はい、えっと……私ですか?」



 「闇に飲まれよっ! 無闇に飲まれるな!」
 (お疲れさまです! お酒はほどほどにしてくださいね!)



 「……おー」

凛が小さな拍手を贈る。当の楓も小さく拍手していた。

 「アイドルって縛りにも合ってるね」

 「なかなかやりますね、蘭子ちゃん」

 「えへへ……」


繰り返すが、蘭子は褒められるとよく伸びる。もちもちだ。


 「でも、私が負けることはありませんよ……凛ちゃん」

 「ん。じゃあ、楓さんもどうぞ」

 「しぶしぶリンゴを差し出すしぶりん」



 「……」

 「しぶしぶリンゴを差し出すしぶりん」

 「聞こえてます」

 「あら失敬。ふふ……言葉も出ませんでしたか」

 「蘭子の勝ちで」



 「……………………えっ」

 「蘭子の勝ちで」

 「やったー」
 (わぁい)

 「…………ど、どうして……」

 「え、蘭子の方が普通に面白かったから……」



 【参番】 ○神崎蘭子 ― 高垣楓●



  ◇ ◇ ◆


 『楓さん・・・』 01:07:11

 『これもう蘭子ちゃんの勝ちやろ』 01:07:12

 『体育座りのまま動かなくなってから四分経過』 01:07:13

 『こんな分かりやすく凹む大人はじめて見たな』 01:07:13

 『蘭子かわいいです』 01:07:13

 『嘘みたいだろ 人気アイドルなんだぜこの人』 01:07:15

 『ぜんぜん動かんな』 01:07:16

 『ドクターストップするべきでは??』 01:07:16

 『作戦ミスってこんな痛々しいんやなって』 01:07:17

 『楓さん弱くない?よわい』 01:07:18

 『凛ちゃんがもっとビブラートに包まないから』 01:07:18


  ◇ ◇ ◆



 【肆番】


 「あの、楓さん……大丈夫ですか? 続けますか?」

 「だいじょぶです つづけます」

 「オレンジジュース飲みます?」

 「うん」


ちゅごご、とストローでオレンジジュースを啜り終え、何とか楓は立ち上がった。

どんなアイドルにも挫けそうな瞬間はある。
それがたまたま今日この日だったに過ぎない。

 「それで次のお題は……蘭子の番だっけ。何にするの?」

 「うむ……蒼炎の剣士よ、そなたは魔獣を配下に従えているわね」
 (それなんですけど……凛ちゃんはワンちゃんを飼ってますよね)

 「うん、ハナコ。写真見る?」

 「ううん、いい」

 「後で見る?」

 「ううん、いい」

 「そう」


凛は隙あらばハナコの写真を見せようとするきらいがあった。
後でねと言ったら絶対に後で見せてくる。めちゃくちゃ見せてくる。
凛はそういう女の子であった。


 「象徴たる偶像とは得てして魔獣も平伏す程のオーラを纏っているもの」
 (いいアイドルっていうのは、動物にも好かれちゃうって比奈さんが言ってました)

 「出どころが若干……だいぶ怪しいけど……つまり?」

 「知れた事。次なる難題は――『魔獣のテイム』よっ!」
 (ふふ……『どっちが動物に好かれるか』対決です!)

蘭子は知識欲旺盛で、かつ純粋過ぎるところがあった。
そんな少女がシンデレラガールズプロダクションに入ればどうなるかは容易に想像がつくだろう。
この通りである。

 「動物、って言っても……今日はハナコなんて連れてきてないよ」

 「魔獣なら其処に居るではないか」
 (ちょうどそこにいますよ?)



 「え? ……雪美、いつからこの教育に悪い収録見てたの」

 「…………楓が……お酒の瓶を抱えてたくらい……から」

 「一番教育に良くない所を……」

 「にゃう」

蘭子が指差す先に彼女は居た。
佐城雪美。年端もゆかぬ身でありながら獰猛な魔獣、ペロを従える強力な魔女が一人である。
少なくとも蘭子はそう主張している。


 「……えっと……ペロに懐かれた方が勝ち、ってこと?」

 「言うに及ばず!」
 (うんっ!)

 「だ、そうですけど……楓さんもそれでいいですか?」

 「うん」

 「オレンジジュースおかわり要ります?」

 「ちょうだい」


ちゅごごご。


 「じゃあ、四番目の対決を始めます……雪美、いいの?」

 「うん……」

 「見れば分かるけど、二人とも大人げないよ?」

 「……でも…………二人とも、楽しそう。楽しそうなのは……いいこと」

 「にゃあ」


向けられる曇りなき眼から、凛は視線を逸らしてしまった。
願わくば、この少女の未来に幸多からんことを。


 「ルールは……分かりやすく、ペロが最初に駆け寄っていった方の勝ちでいい?」

 「異存は無いわ」
 (大丈夫です!)

 「ええ、それで大丈夫です」

自信満々の蘭子と、すっかり平静を取り戻した楓が頷き合う。

 「それじゃあ……よーい、スタート」

 「ペロ……いってらっしゃい…………」

 「……みゃ?」

抱きかかえていた腕から床へと下ろし、雪美がペロを送り出す。
ペロはしばらく雪美をじっと見上げていたが、やがて彼女が指差す方へ顔を向けた。

 「ペロちゃーん、こっちですよー、こっち」

 「魔獣よ! 我が玉座は至高の心地ぞ!」
 (ペロ! 私の方だよー!)

 「…………?」

何故か必死に呼び掛けてくる二人を見比べ、ペロは明らかに困惑している様子であった。
うろ、うろと数歩だけ彷徨い歩いては、主人である雪美へ困ったように鳴き掛ける。


 「だいじょうぶ…………ペロが……好きな方に、いけばいい……から」

 「にゃ…………」

戸惑いながらもペロが数歩だけ二人の傍へ歩み寄り、そこで脚を止めた。
只ならぬ気配を纏わせるアイドル達を前に、円い瞳を更に円くするばかりである。



 「――おいでにゃん」



 「……っ!?」

先手を取ったのは楓であった。


シンデレラガールズプロダクションは猫アイドルの総本山と言っても過言ではない。
少なくとも前川みくはしつこいぐらいそう主張している。


だが彼女の言もこじつけ一辺倒という訳でもない。
ここに居る凛は勿論のこと、
双葉杏や島村卯月と言った古参メンバーには軒並みネコミミの着用経験がある。

蘭子とてその例外ではなかった。
みくに僅かでも隙を見せれば最後。
瞬く間にネコミミを生やされ、突然のにゃんにゃんゲームに引き摺り込まれることとなる。
最も、魔王たる彼女が闇のゲームを征せぬ道理など無かったのだが。


 「世紀末歌姫ッ……!」
 (楓さんっ……!?)

 「ペロちゃん、こっちにゃあ♪」


楓はそうした魔の肉球から逃れ続けている数少ないアイドルであった。
考え無しに猫要素を見せびらかすのは軽薄。
ここぞという場面で、必殺の一撃にこそ活用すべき。
彼女はそんな事をぽんやり考えながらお酒を飲んで楽しく日々を過ごしていたのだ。


そんな楓が遂にカードを切った。紛れも無い本気の証である。
彼女は十も歳下の少女を全力で迎え撃とうとしていた。


 「くっ……ええい、ままよっ!」
 (こうなったら……こっちも本気ですっ!)

 「その言葉使う人、本当に居たんだ……」

逆に感心したようにすら聞こえる凛の一言も意に介さず、蘭子もポシェットから切り札を取り出す。
みくとアーニャから常に携帯するよう強く勧められた二本のネコミミバンド、その一振り。
アニバーサリーパーティーで着用したそれと同型の、黒猫モデルであった。


 神崎にゃん子 対 猫垣楓――


勝負はまたも振り出しに戻った。
携帯でハナコの動画を見返していた凛以外の誰もがそう考えた、その瞬間の事である。


一瞬の空隙を突き、楓がポケットから取り出したちゅ~るの封を切って開けた。


 「あっ」

 「にゃ~ん……!!!」

 「ふふ、いいこにゃあ」


段ボール箱とちゅ~るには勝てぬ。
猫口に膾炙するその金言を誰よりも正しく理解していた彼女に、軍配は上がった。


 「こんな事もあろうかと、ポケットにちゅ~るを忍ばせておいて正解でしたね」

 「にゃあ……♪」

 「楓さんは普段から何を考えて生きてるの……?」

 「おぉよしよし。たっぷり味わってくださいね」

聞こえないふりを貫き、楓は上機嫌にペロの顎を撫でさする。
溜息をつく凛の隣で、ふるふると大魔王が震えていた。

 「ず……ずるいっ! ノーカン! やり直しーーっ!」

 「え、蘭子もネコミミ使ってたじゃん」

 「ずる、」



 「……」

 「……」

 「…………ぐぬぬ……」

 「その言葉使う人、本当に居たんだ……」

 「ペロ……よかったね…………」



 【肆番】 ●神崎蘭子 ― 高垣楓○



  ◇ ◇ ◆


 『汚いなさすが楓きたない』 01:25:20

 『猫垣楓のポテンシャルを感じる』 01:25:20

 『ちゅーるの開封手慣れ過ぎてて草』 01:25:20

 『大人の階段登ったな』 01:25:21

 『争いは同じレベルのうんぬん』 01:25:21

 『ねこ要素いいぞもっと推してほら』 01:25:22

 『蘭子はかわいいですね』 01:25:23

 『それにしてもこの高垣、ノリノリである』 01:25:23

 『まぁ二人とも実質猫みたいなとこあるし…』 01:25:23

 『さっきから米にアーニャいない?』 01:25:23

 『蘭子ちゃん結局無駄に猫耳生やしただけでは?』 01:25:25


  ◇ ◇ ◆


 【伍番】  ―― 大一番


ここまでの四戦を乗り越え、互いに二勝二敗。
全ての明暗はこの一戦にて決する。

 「蘭子ちゃんがこんなに粘るとは、正直に言うと予想外でした」

 「フフ……奇遇ね、歌姫よ。我が意と一言一句違わぬとは」
 (それはこっちの台詞です!)


そろそろハナコの散歩に行きたい凛は、二人の会話をただ黙って聞いていた。


 「さぁ、蘭子ちゃん。決着をつけましょう」

 「うむ。我が勝利を刻む碑を用意せねば」
 (そうですね。私の勝ちっていう決着を)

 「言いますね、蘭子ちゃん」

 「クク……我が言霊は全てが汚れなき真実よ」
 (本当の事しか言わないもーん♪)

 「では、第五の――最後のお題を発表しましょう」


どこからか取り出したフリップに楓が何事かを書き付けていく。
勝者の笑みを浮かべたまま、蘭子は余裕の構えを崩さない。

 「さっき、蘭子ちゃんは言っていましたね。魔王に二言は無い、って」

 「うむ」

 「そして、三度の悪あがきを認めてくれると」

 「うむ!」

 「あと、ちひろさんはアイドルっぽいお題でお願いしますとも言ってました」

 「うむっ!」


凛はこの時点で何となく察したが、ハナコの散歩を考えてやっぱり黙っていた。


 「アイドルに重要な要素、そして私、高垣楓がかなりの自信をもっているお題」

 「ほう」

 「それは――こちらです」


楓がフリップを裏返す。



 『背比べ (高いほうの勝ち?)』



 「……」

 「はい、勝負開始です」

 「……待っ」

 「魔王に二言は無いんですよね?」


 「アイドルに重要な要素、そして私、高垣楓がかなりの自信をもっているお題」

 「ほう」

 「それは――こちらです」


楓がフリップを裏返す。



 『背比べ (高いほうの勝ち♪)』



 「……」

 「はい、勝負開始です」

 「……待っ」

 「魔王に二言は無いんですよね?」


 「…………り、凛ちゃん……」

 「……」

 「た、確かにアイドルは……身長も大切だけ……あの、なんで腕時計ちらちら見てるの……?」

 「……」

 「あの、あのね。私……いつも、凛ちゃんってカッコイイなぁ、って思ってるんだ……」

 「二人とも、背中つけてそこに並んでみて。一応」



 「はーい♪」

 「り」

 「並んでみて」



 【伍番】 ●神崎蘭子 ― 高垣楓○ 



  ◇ ◇ ◆


 『流石に蘭子ちゃんかわいそう』 01:33:50

 『たぶん勝負ではない』 01:33:50

 『やっぱり楓さんには勝てなかったよ…』 01:33:50

 『凛ちゃん早く切り上げたそうで微笑んでしまう』 01:33:50

 『これは紛うこと無き世紀末歌姫』 01:33:50

 『仕方ないね』 01:33:50

 『でも魔王に二言はないから・・・』 01:33:50

 『まだ勝てる 蘭子ちゃんを信じろ』 01:33:50

 『いま向かいます』 01:33:50

 『もうやめようよ 蘭子ちゃん涙目じゃん かわいい』 01:33:50

 『隙を見せた蘭子ちゃんサイドにも問題がある』 01:33:50


  ◇ ◇ ◆



 「はぁ……はぁっ……!」


魔王の正当な抗議は終ぞ届く事は無かった。
一方の楓はと言えば、
どこからか拾ってきた『人生の勝者』という襷を掛けてくるくると徒に舞い踊るばかりである。

 「ふふ……勝つというのは気分が良いものですね」

 「ずっこぉ……!」

 「ズッコ……?」

 「ずるい人の意味だ、ってアーニャちゃんが言ってましたよ」

 「ロシア語?」

 「いえ、方言だそうです。北海道の」

和気藹々と歓談を交わす二人と、無力さに打ち拉がれる一人のもとに、ヒールの足音が近付く。
プロダクションきっての有能アシスタントは相変わらず気持ちの良い笑みを湛えていた。



 「皆さん、お疲れ様でした! 視聴していた方々もとっても盛り上がっていましたよ♪」

 「し……新緑の堕天使っ……!」
 (ち、ちひろさ~ん……っ!)

はっと顔を上げた魔王は、堕天使が降臨するや否やその美脚にしがみついた。


 「わ、我が言霊を聞け……!」
 (ちひろさんっ! 聞いてくださいっ……!)

 「大丈夫ですよ、蘭子ちゃん。お仕事の合間にちゃーんと観ていましたから。ね?」

 「……! じゃ、じゃあ、最後の勝負は無効に……!」

 「あっ、それはダメです♪ 蘭子ちゃんが仕掛けた勝負ですから」



 「……」

 「……♪」

 「……最後の」

 「ダメです♪」

 「はい」


ちひろが白を黒と言えば、それは黒なのだ。
蘭子とてそれくらいは弁えている。


気持ちの良い笑顔の足元で、魔王がすんすんと半べそをかき始めた。


 「さて、凛ちゃん。この勝負の約束を覚えていますか?」

 「確か……負けた方が買った方の言う事を一つ聞く、でしたっけ」

 「その通り。ということで……蘭子ちゃーん♪」

楓の猫撫で声にびくりと身を震わせ、蘭子が伏せたままの顔を袖口で拭う。
それからようやく上げた面は今にも決壊しそうな有様であった。

それは魔王の意地か矜持か。
ぷるぷると恥辱に身を震わせながらも、蘭子は笑みを浮かべてみせる。

 「……フ、フフ……いずれ迎える滅びもまた強者の必定か……」
 (……ま、まぁ、たまには負ける事もあるもんね……!)

 「流石は蘭子ちゃん。潔い覚悟です」

 「フハハ! 我を討ち斃し勇士よ! 此の身、煮るも焼くも好きにするがよい!」
 (さぁ、何でも命令してください!)

 「じゃあ、ぎゃふんって言ってください」



 「えっ」

 「ぎゃふんって言ってください。あっ、なるべく小動物ちっくに♪」



  ◇ ◇ ◆


 『有能』 01:38:02

 『これは有能』 01:38:02

 『有能』 01:38:02

 『有能』 01:38:02

 『支持します』 01:38:02

 『これはトップアイドル高垣楓』 01:38:03

 『有能』 01:38:03

 『顧客の求めていたもの』 01:38:03

 『有能』 01:38:03

 『有能』 01:38:03

 『高垣楓再評価路線乗ったな』 01:38:03


  ◇ ◇ ◆



馬鹿な。
何故。
こうなる筈では。
何処で運命の歯車が狂った。


魔王は玉座の裏にまで追い詰められていた。
喉元に勇者の剣の切っ先まで突き付けられている状態でだ。

何かがおかしい。
元々はこの世紀末歌姫をぎゃふんと言わせるための、大義ある戦だった筈だ。なのに。
これまで通り頬をつつかれ、果てはぎゃふんと鳴いてみせろと言うのか。


最早、魔王に配下は一人たりとて残されていなかった。
楓も、凛も、ちひろも、爆速で収録スタジオから駆けつけたお陰で汗みずくのアーニャも。
皆が皆、生暖かさを感じさせる笑みを浮かべているばかりだ。


 「…………ぎ」


凛がしっかりとカメラを固定し直している。
あぁ。お父さん、お母さん、ごめんなさい。
けれど、出来る事ならば。
ばかな娘だと、どうか笑ってやってください――


齢十七にして、蘭子は殉教者の笑みを浮かべてみせた。




 「…………ぎゃふん」



  ◇ ◇ ◆


 【番外】  ―― 討ち斃されし魔王の復活


『ぎゃふん』が六時間以上に渡り日本のトレンド一位に君臨した一夜が明け、その翌日。
気の早い夏模様が世界を焦がす月曜日のことだ。

世界史と数学の中間考査を午前で終えた蘭子は、
女子寮へ帰るや否やクローゼットを引っ掻き回した。

烏羽のミニハット。
下ろし立てのゴシックドレス。
お気に入りのレザーブーツ。
ちょこっとだけ甘めのポシェット。

それから変装用にカラーレンズを入れた丸眼鏡を掛け、蘭子は颯爽と街へ駆け出してゆく。


全ては昨晩の悪夢と、暗澹たる出来だった午前の答案用紙を忘れるために。


ところで、日本には『魔王御用達店』が幾つか存在している。


発端は帰省の際、蘭子が手作りの札を洒落で贈った、とある馴染みの店だ。
店主がその写真をSNSへ投稿したところ、その出来栄えと真心に感心し、
彼女を知る店のオーナー達は「我が居城にもその名を戴く栄誉を」と名乗りを上げた。

今では熊本に四店舗、北海道に一店舗、東京に三店舗。
魔王御用達店の輪はごく静かに、だが着実な広がりを見せている。


 「いらっしゃいま――店長を喚んで」


今日蘭子が訪れたここ、バックスタブコーヒー原宿店もその内の一つだ。
魔王御用達店としては東京第一号の指定となった聖地である。
東京でただ一人蘭子の注文を完璧に捌き切る店長が常駐するこの店舗は、
『魔王の訪れるコーヒー屋さん』と名高く、地域随一の繁盛店として親しまれている。


 「――これは我らが魔王陛下。煩わしい太陽ですな」
 (いらっしゃいませ蘭子様。今日も暑いですね)

 「全く煩わしい太陽ね。月はあれ程までに静謐を愛しているというのに」
 (こんにちはー。夜はまだ過ごしやすいんですけどね)


人好きのする笑みを弾ませ、口髭を蓄えたロマンスグレーが現れた。


 「血も凍て付く甘露から骨灼き焦がす苦杯まで。今宵はどちらを?」
 (ご注文を伺います)

 「目覚めの種子を漆黒の供物と共に捧げ、氷の秘術を以て乳白の迷宮へ。泡沫の夢など棄てよ」
 (トールアーモンドミルクノンホイップダークモカチップクリームフラペチーノをください)

 「この右手と左手との間に在る全てを賭して」
 (かしこまりました)

 「あ、千円でいいですか?」

 「はい。395円のお釣りです、どうぞ」

 「確かに」
 (どうも)

 「クロノスの尻を蹴飛ばして参ります」
 (少々お待ちください)


注文を済ませ、受け取りカウンターへ。
店長が魔王の所望する一杯を組み上げてゆく淀みない所作を何とは無しに見つめていると、
騒がしい店内のそこかしこから、魔王を畏れるような声が漏れ聞こえてくる。


ぎゃふんの――
ぎゃふんって言ってた――
昨日のぎゃふん――


騒がしい店内のそこかしこから、魔王を畏れるような声が漏れ聞こえてくるのだ。
魔王がそんな些事にその耳を傾ける筈も無く、ただ全身をぷるぷると震わせるのみである。


 「――ご所望の一杯です。どうかお小言は後ほど怠惰なるクロノスへ」
 (お待たせいたしました。
  ご注文のトールアーモンドミルクノンホイップダークモカチップクリームフラペチーノです)

 「至高のアーティファクトよ」
 (ありがとうございまーす)

 「勿体なきお言葉を」
 (どういたしまして)

いつもの事ながら、疾く、そして正確な仕事であった。
すっかり気を良くした魔王は意気揚々とカップを揺らし、通りの見えるカウンター席に腰を下ろす。

火照った喉を潤そうと、カップにストローを差し込んだ時だ。
万事控えめな彼にしては珍しく、カップの側面にメッセージが添えられているのに気付く。
ほほうと楽しげに独りごち、蘭子はくるりとカップを回転させた。



 『泡沫の夢とて、かの福音、しかとこの耳に刻まれております』
 (昨晩のぎゃふん、大変可愛らしゅうございました)



蘭子は激怒した。


おしまい。


志を果たして いつの日にか かえらん

第10回シンデレラガール総選挙、好評開催中
楓さんと蘭子ちゃんと凛ちゃんと鷺沢さんとアーニャちゃんと肇ちゃんへの投票をお願いします


ちなみに微課金なので総選挙セットはちょびっと買うのが限界です
誰か助けてくれ

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