白坂小梅「め、目を瞑ってみて…」 (30)

小梅「そ、それがこの世で、い、一番深い闇、です…」

モバマス;師匠シリーズのクロスだけど
小梅はほとんど出てこないので注意



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白坂小梅(13)

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"あの子"



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師匠から聞いた話だ。



大学一回生の冬のことだった。
僕は白い息を吐きながら警備員のバイトに精を出していた。
といっても、表面上やることはなにもない。
背後の建物から聞こえてくる音楽や歓声を聴くともなしに聴きながら、ただ退屈な時間を過ごすだけのことだ。

アイドルのライブ会場の警備員。
とても退屈だ。
こういうときは大好きなオカルトのことを考えるに限る。

貯水池で車に乗り合う女性。
トランプマジックに固執した声だけの霊。
年末にあった旅館での出来事。

どれもはらわたを金属に変えられてしまったかのような底冷えのする感覚にとらわれたものばかりだ。
僕はその経験からなにかを得られているのだろうか。
それとも。

――深淵を覗き込むとき、深淵もまた我々を覗き込んでいるのだ――

そのときだ。
軽い耳鳴り。
なにか近くにいるのか。気配を探ってみるがライブ会場は活気に満ちていて、霊的なものはいそうになかった。
ライブはどうやら終わったらしい。
時間を確認。客がはけるまではここに突っ立っていなければならない。

オカルティックな話をしていると、オカルト現象が寄り集まってくる、なんて典型的なオカルト話なのだが、
僕がそんなことを考えているだけで幽霊が近づいてきたというのだろうか。

そうこうしているうちに大勢の観客が帰っていったようだった。
さっさと貰うものを貰って帰ろうと、会場内の廊下を歩いていく。

「ぉ、お疲れ様……です」

「お疲れ様でーす」

すれ違いざまにかけられた声に、脊髄反射的に会釈を返したが、「今のって」と思って振り返る。
とてとてと小走りに遠ざかっていく少女は、華々しい衣装をまとっていた。

「あれが、」

アイドルか。

単純にラッキーだと思った。
同い年くらいの子ならばもっと良かったのだが。
なんてことを考えながら向き直ると同時に、

「っ!?」

どんな音とも形容できない強烈な耳鳴りが僕を襲った。
狭い通路をみっしりと埋め尽くして凶悪な欲望の奔流が地鳴りとともに迫ってくる、
錯覚。
なんだこれ。
ぶわ、と脂汗が浮かんだ。

うおおおおおおおおおおおおおおおお

怒号のような悲鳴のようなその声が通り抜けていく。
その間、僕は目を閉じることも耳をふさぐこともできずに、ただただその純粋な悪意のようなものに対する吐き気を抑えていた。

耳鳴りが収まった。
僕は肩で息をしながら背後を見遣った。

……子供がいた。

異様な存在感で、にこにこと笑っていた。
そんなに大したことない僕の本能が絶叫している。
この子供は、人間じゃ、ない。

やばい。
やばいやばいやばい。
そう思っているのに一歩も足が動かない。

子供がにっこりと笑う。
その向こうをアイドルが歩き去っていく。なんなんだ、あれは。
僕は圧迫感に押し潰されそうになって自分のつま先をじっと見つめるしかなかった。

ふと気付くと、さっきの子供は消え去っていた。
それから僕は給料を受け取った帰りに、ちらっとさっきのアイドルを見かけた。
アイドルの隣にはあの子供が立っていた。

バイトの帰りに、僕はオカルトの師匠の家へと寄っていた。

「こんにちは」

「よお」

師匠はこたつに半纏にみかんという色気もへったくれもない格好で迎えてくれた。
わりあい機嫌がよさそうだと思ったが、部屋に入ったとたんに師匠は眉根にしわを寄せた。

「お前、なんか臭い。なにかと行き遭ったか?」

ものすごい感覚である。
というか、そんなに縁がついているのか。勘弁してくれ。

「バイト中に、すごいのに遭いまして」

僕がさきほどのことを説明すると、師匠はなんだかあまり気乗りしない風だった。

「そのアイドルってあれだろう。ちっこくて、片目が前髪で隠れてる……」

「よく知ってますね。実はアイドル好きなんですか」

「んなワケあるか」

だと思いました。

僕はアイドルの隣にいた子供のことを説明した。

「子供?」

「はい」

ふうん、子供ねえ。師匠はそういいながら首をひねった。

「あの子、アイドルに憑いてるんですかね?」

「さあ」

「ねえ、見に行きましょうよ。次のライブにもあの子供がいたら、アイドルに憑いてるってことでしょう」

「いやだよめんどくさい」

「そこをなんとか」

蛇に睨まれた蛙というか、身動きのできないあの圧迫感も師匠ならなんとかなるだろうと思っていたのだが、
オカルト大好きな師匠がここまで反応が悪いと逆に気になってくる。

「ふーん。あの子が怖いんですか」

「あぁ? 挑発してるつもりか」

「いいえ? ちょっと安心してるんです。師匠にも怖いものがあるんだって」

「怖いわけじゃない。いやな感じがするだけだ」

「子供のいいわけですか」

「うるせえな。わかったよ、行けばいいんだろ」

よっしゃ。
僕は小さくガッツポーズをした。

「その代わり、チケットとかもろもろはお前が出せよ」

「えっ」

とんだ出費だったが、友人に協力してもらってかのアイドルのライブチケットを入手できた。
友人には「お前に小梅ちゃんの良さがわかるとはな! どっちかってーと涼ちゃん派だと思ってた」と言われたが、
まさかそのアイドルに幽霊が憑いてるからとは言えなかった。

そしてライブ当日。
いつもの野球帽をかぶった師匠と並んで僕はライブ会場に入った。
圧倒的に男が多いかと思っていたが、予想以上に女性客もいるようだ。
そういえばバイトのときも女性客をけっこう見た気がする。

ライブが始まって、なんとなく場の雰囲気に流されて盛り上がっていると、

「おい、いないぞ」

そう師匠に言われて目的を思い出した。

「そういえばそうですね。袖とかにいるんですかね」

「よし」

ひとつ頷くと師匠はすいすいと人の群れを掻き分けて歩いていってしまう。
僕も慌てて追いかけたが、そんなに上手く歩けないので遅れてしまった。

師匠は観客席の両サイドにある狭い通路に入っていく。
『関係者以外立ち入り禁止』という注意もまるで意に介していない。
なんとか追いついた僕に師匠はなにかを投げてよこした。

「それ付けてろ」

それは『STAFF』と書かれた名札入れだった。
言われたとおりに首から提げる。師匠も同じものを付けているようだった。
……用意周到だ。

続いてふたりして適当なダンボールを抱える。

「どこに行くつもりなんですか」

「袖」

やっぱりか。
舞台の方向へ歩いていくと、何人かのスタッフとすれ違ったが、誰もがばたばたとしていて僕らを疑う余裕はなさそうだった。

と、

「!」

師匠が足を止めた。
僕もそれに従う。
僕らの前にあの子供がいた。

「こいつが"あの子"か」

緊迫した師匠の声に肯定を返す。
子供はにこにこと笑っている。

「師匠」

「黙ってろ。こいつが子供だって? そんなわけないだろ」

ぶつぶつと呟くような師匠の言葉に疑問を覚える。
子供じゃないのか?
いつかのお通夜で出会った少女のように、その姿のままではないではないということか。

どろどろと滲みだすように、子供の頭上に暗闇が広がる。
ぼお。ぼお。
暗闇が呻く。気持ち悪い。頭ががんがんする。
なんだあれは。
あれが子供の正体なのか?

ぼお。ぼお。
暗闇からずるりと真っ黒な腕が三本垂れ下がる。
子供がぼうんやりとそれを見上げた。
すると、

ぼお。ぼおお。ぼおおお!
めしゃめしゃといやな音を立てて腕がひしゃげる。
さらに苦悶の声を漏らす暗闇自体がばらばらに引き千切れて四散した。

「師匠」

「雑魚だ」

ちらりと横を見ると師匠は鉄でも斬れそうな目つきで子供を睨んでいる。
その子供はそんな師匠に、にこっと笑いかけると、――ふっと羽虫でも追い払うような仕草をした。

「!?」

がくっと師匠が膝をつく。

「てめえ……!」

炎を吐き出すような師匠の声。
僕は思わずその肩に手をかける。

「君!」

後ろから声がかかる。
振り返ると、スーツ姿の男がこちらに歩いてきていた。

「だいじょうぶ? 体調崩したら医務室に、」

「すいません、だいじょうぶです」

師匠が応えた。
背後を盗み見るが、もうあの子はいない。

「そう? 気をつけてな」

「はい。ありがとうございます。これを運んだら医務室に行っておきます」

そう言って、ダンボールを抱えなおした師匠と連れ立って、僕らはそこから足早に立ち去った。

「小梅。準備はいいか?」

「う、うん……。がんばる……っ」

振り返ると、さっきの男とあのアイドルが話していて、少女の後ろで"あの子"がうっそりと微笑んでいた。
僕らはライブ会場からほうほうの体で逃げ出した。

そこらへんの喫茶店に入って、僕たちは腰を落ち着けた。
と、突然師匠が胸元に手を突っ込んだ。

「なっ、しっ師匠っ?」

ずるりとその手が引きずり出したものを、師匠はテーブルの上に放った。
紙? これは――札か。

「あのガキ……」

「それ、"あの子"が?」

「たぶんな。なんだあいつ」

コーヒーと紅茶を運んできた店員が汚いものを見るような目で札を見て、そのまま無視した。
僕はその札に手を触れないようにして観察してみる。

大きさは紙幣くらいで、それよりも少し細長いか。
全体的に古びた感じで、くすんだ赤色で文字か模様か判然としないものが書かれている。

「なんなんです、これ」

「これは魔除け……だな。クソが。バカにしやがって」

どういうことなのかまったく理解が追いつかない。
憎々しげな顔つきで師匠はコーヒーをがぶがぶ飲んだ。

「師匠、どういうことなんですか? "あの子"の正体がわかったんですか?」

「うるせえな」

めちゃくちゃ機嫌が悪い。
僕はおとなしく黙って紅茶に口をつけた。
おもむろに師匠が灰皿を引き寄せて、その上で札に携帯していたライターで火をつけた。
謎めいた紙は一瞬で灰になった。

「お前、あのアイドルについて何を知ってる」

「え。名前は白坂小梅、13歳で……」

僕は友人のメモを取り出して読み上げた。

「3月28日生まれ、兵庫県出身。趣味がホラー・スプラッタ映画鑑賞と心霊スポット巡り」

師匠は目を閉じている。

「『本人も霊感があるようで、いろいろ見えるらしい。"あの子"という幽霊の友達がいる』……これって」

やっぱりあのアイドルに憑いてる幽霊なのか。というか幽霊と友達ってどういうことだよ。
本当に見えているのか…?
アイドルだし演技じゃないのか。でも"あの子"がいることは僕もこの目で見ている。
と、師匠が

「ちょっと電話してくる」

そう言い残して席を立った。
僕はぬるくなった紅茶を飲み干し、おかわりを注文した。

ウェイトレスが二杯目の紅茶を持ってくると同時に師匠も席へ戻ってきた。
メモを持っている。

「あ、コーヒーおかわり」

ぞんざいな師匠にウェイトレスがかしこまりました、とのたまった。
僕は師匠のつまんだメモを見ようと目を凝らすが、

「待て」

と犬のように指示されて座りなおした。

「なにかわかったんですか」

「まあな。確証にいたるほどじゃないが……ひとつの仮説は立った」

「ほんとですか」

「まあ落ち着けよ」

そうは言っても、気になるものは気になる。

「で、お前はアレがなんだと思う?」

「……幽霊、でしょう? あのアイドルに憑いている」

「違う」

コーヒーカップを受け取って、師匠はにやりと笑った。

「少なくとも、人が死んだあとの姿ではない」

「じゃあ、なんなんです?」

師匠はコーヒーに口をつけて、あち、と言った。

「意富加牟豆美命って、知ってるか」

「おおかむ…なんですって?」

「おおかむずみのみこと。古事記に出てくるんだが、お前宗教芸術専攻じゃなかったか」

僕の専門は仏教美術です。

「まあなんでもいいけど。
 迦具土神(かぐつちのかみ)を生んで火傷を負った伊弉冉尊(いざなみのみこと)はそれが原因で死んでしまうんだけど、
 夫である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は奥さんにもう一度会いたくて黄泉の国に行くんだな。
 でも伊弉冉尊はもはや醜い姿となっており、伊弉諾尊は怖くなって逃げてしまう。それに怒った伊弉冉尊が黄泉醜女(よもつしこめ)という
 鬼みたいなやつを仕向けて伊弉諾尊を追わせる訳」

ずいぶんと日本の神話っていうのはどろどろしてるんだな。

「で伊弉諾尊は逃げるんだけど、黄泉比良坂(よもつひらさか)という黄泉の国の入り口で桃を投げて黄泉醜女を撃退するんだ。たしかこんな調子で。

 ここに御佩せる十拳劒を拔きて、後手に振きつつ逃げ來るを、なほ追ひて、黄泉比良坂の坂本に到りし時、
 その坂本にある桃子三箇を取りて、待ち撃てば、悉に逃げ返りき。
 ここに伊耶那岐命、その桃子に告りたまひしく、
 「汝、吾を助けしが如く、葦原中國にあらゆる現しき青人草の、苦しき瀬に落ちて患ひ惚む時、助くべし。」と告りて、
 名を賜ひて意富加牟豆美命と號ひき」

僕は突然始まった神話の暗誦に驚いていたが、なんとか口を開いた。

「僕の理解が間違ってなければ、そのなんたらっていうのは桃のことなんですよね?」

「そうだ。まぁそういう訳で、意富加牟豆美命という退魔破邪の力を持った桃――というか神様なんだが――がいるんだ」

「ちょっと待ってください。桃が"あの子"だっていうんですか? なんか、突飛すぎませんか」

「そうでもないぞ。意富加牟豆美命はいくつかの神社で祀られているが、そのひとつに桃島神社というのがある」

桃の神を祀る神社だから桃島神社とはずいぶん安直だ。
笑ってしまいそうになったが師匠はまじめそのものの顔をしている。

「この桃島神社、『延喜式神名帳』にも載っているらしい」

どうやらさっきの電話は長野教授に確認するためだったらしい。

「で、これが兵庫にあるんだ。さっきお前、あのアイドルの出身地が兵庫だっていったよな」

「え…、はい」

まさか。
さっきまでの御伽噺のような神話が一気に現代のアイドルまで接続されるのか。
僕はなんだか胸が弾むような思いを抱いた。

「この桃島神社は裏手に小山があるんだが、『式内社調査報告』じゃ向山や氏神山とも記されてるんだそうだ。
 氏神っていうのは知ってるだろ?」

「ええと、その土地を守る神様…ですよね」

「そう。江戸時代の頃から産土神とほとんど同じものになってしまったわけだけど、もともとは氏族の、つまりその家系の守護神だったんだ。
 柳田國男は氏神は祖先神だというけど、そうでないこともある。
 『常陸国風土記』に出てくる行方郡の箭括氏麻多智(やはずのうじまたち)は夜刀神を祀るわけだけど、これはヘビの、しかも害を成す神なんだ。
 氏神は、氏族で祀られることによってその家を守護する神なんだ。
 桃島神社の氏神山というのがその神奈備(かむなび)であり、意富加牟豆美命が氏神として祀られているとすれば?
 意富加牟豆美命はその家の者を守る役割を持っているはずだ」

師匠はコーヒーをすすった。
一方、僕は固唾を呑んでいる。

「あのアイドル、白坂小梅とかいったな、あの娘、どうやらかなり"見える"らしい。
 もし古い形の、本来の巫女、巫覡として神降ろしの依憑(よりわら)となるほどであれば、それはそこらの霊どもが放っておかない。みんな取り憑こうとするだろう」

それから守っているというのか。
"あの子"が。

「意富加牟豆美命は破邪の神だからな」

かちゃ、と師匠がカップを戻した。

「あのアイドルがつけてたピアス、見たか」

気がつかなかった。
というかあの一瞬でそんなとこまで見てたのかこのひとは。

「あれも相当力の強い退魔の道具だぞ。追いかけてきた伊弉冉尊を食い止めた大岩、名を賜いて曰く道返之大神(ちかへしのおほかみ)の力を得ているのかもしれない。
 それから、意富加牟豆美命がなぜ子供の姿に見えるのか。
 そもそも日本の神っていうのは目に見えないもんなんだ。それ故の神籬(ひもろぎ)だからな。それが見えるっていうことはおそらくそういう風に『見せている』んだろう」

なめやがって、と師匠は獰猛に笑いながら店を出る。
冬の冷たい風が僕らの頬を撫でた。

「師匠」

師匠は左目の下をそっと人差し指で掻いていた。

「なんだか最近おとなしいと思っていたら、あんなカミサマが来てたからだったのか。
 あいつがいなくなったら、この街は狸寝入りから目を覚ますぞ」

嬉しそうに、待ち焦がれるように、師匠は災厄を呼んだ。

「師匠、師匠は"あの子"に何をされたんですか。あの札はなんだったんです」

横断歩道を渡りながら、師匠はくるりと振り返った。

「札はただのサインだ。『近付くな』っていう意味のな。そんで、"あの子"は悪いものから娘を守ってる。だからわたしは祓われたんだ」

落ちていく夕陽に背を向けて、逆光の中、師匠は悪夢のようにきれいな笑顔だった。

「――わたしは、ビョーキだからな」




(完)

ありがとござましたー

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