智絵里「大好きな場所、大好きなあなたと」 (20)

地の文ありです。
よろしくお願いします。

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「それじゃあ……いってきます」

「いってらっしゃい。短い時間だろうけど、大切にね」

前日までの緊張感が嘘のように今朝のホテルは静まり返っていた。昨夜のライブの熱気も感じられない
今年開催されている事務所主催の全国ツアー
この大阪での公演は金曜・土曜の二日間開催だったため、日曜日は大半のメンバーがオフスケジュールとなっていた

そのため帰りの新幹線の時間まで観光を楽しんだりライブの疲れを癒やしたりとそれぞれ思い思いの時間を過ごしている

そして、私は……


・・・・・・

ひとり電車に揺られていると東京へ行った日のことを思い出す
あのときは緊張と不安でいっぱいで何もかも怖くてしかたなかった
今はもう乗り換えだって迷わない。これもひとつの成長……かも?


何度か電車を乗り継いで着いたのは都会の喧騒とは無縁の静かな町
駅のホームを降りた先にはビルはもちろん、ロータリーも、コンビニだってない
私は生まれ育った町に帰ってきた

すこし前までよく見慣れた景色はどこも変わっていないはずなのに、なぜだかずっと小さく思えた
感慨とちょっぴりの寂しさを覚えながら辺りを見渡す。――駅まで車で迎えにきてくれる約束だった
路上に停められている車はたった一台。すぐに見つけられた
あの頃は毎日目にしていたけれど、乗ったことはほとんどなかった気がする

私は駆け足で車のほうへむかった。最初の一言はもう決めてある

「ただいまっ」

車に乗り込んだときと同じ言葉で玄関に一歩足を踏み入れる
漂う香りは変わりなくて懐かしい心地がした
ごくありふれた2階建ての一軒家
けれどそれは、小さい私がひとりで過ごすにはあまりに大きかった

車の中で会話はあまりできなかった
お父さんからは、お母さんはご飯の準備をしているとか、何時に帰らないといけないのかとか、それくらい
私もそれに相槌をうつだけで
もともと寡黙な人なのだ。私もお仕事でいろんな男の人と話すようになったけど、一対一ではまだ緊張してしまう
それがお父さんだと……なおさら

けれど
「昨日の、お疲れ様」
ぽつりと言ってくれたその一言がすごく嬉しかったよ

真っ先にお母さんに顔を見せたくてキッチンへ
お母さんはサラダを盛り付けているところだった
料理のほうはもうほとんど完成しているようで、火にかけられた鍋からはみりんの甘い香りがする

「何か手伝えることある?」

「もうすぐできるから大丈夫よ。向こうで待ってて」

「それじゃあ、私の部屋を見てきてもいい?」

「いいわよ。ご飯が出来上がったら呼びに行くから」

「うん。わかった」

一緒にご飯が作れなくてちょっぴり残念だったな

2階にある私の部屋は、寮へ送った小物がないくらいで、ベッドも、勉強机も、家を出たときとなにも変わっていなかった
なのに前より広々としているように感じたのは、たぶん寮の部屋より広いからってだけじゃない
綺麗に整頓された部屋はなにか大切なものがぽっかり抜け落ちてしまっているかのような、そんな気がした

そこでふと私はベッドの横にひとつ真新しい本棚が増えていることに気づいた

「どうしたんだろう……これ。――!」

本棚には私のCDやコラムを連載している雑誌、
それに数冊のスクラップブックがしまわれていた
スクラップブックを開くと、そこにはインタビュー記事の切り抜きが貼られていた
デビューしたばかりの頃のごく小さなものまである

嬉しさと気恥ずかしさで胸の奥が熱くなる
そのまま熱さがかーっと顔まで広がって、その場にへたり込んでしまった

当時の自分の姿をプロデューサーさんは初々しくていいと励ましてくれたが、こうして見ると顔はややうつむきがちで笑顔もぎこちない
内容だってどれも似たようなことを喋ってる
インタビューを受けたときの記憶まで蘇ってきてますます恥ずかしさがこみ上げてきた

そっか、あの頃の私はこんな風に考えてたんだ

「智絵里、出来たわよ……ってどうしたの床に座り込んで」

お母さんの声で顔をあげる

「あっ、うん。ちょっとね」

へたり込んだまま自分の記事を読みふけってた、なんて言えなくて言葉を濁す

「あの、これ、私の……」

「ああ、それ。丁寧でしょう。全部お父さんがやったのよ」

「嘘……」

信じられなかった。お父さんがわざわざこんなことを……?

「雑誌はお母さんが買ってたのだけど、家が散らかるのは嫌だからって。お父さんそういうの細かいでしょ」

「そうだね。でもすごく嬉しい。あとでもうちょっと読んでもいい?」

「いいけど冷めないうちにご飯にしましょ」

「うん」

スクラップブックを大切に抱えリビングへおりる
肉じゃが、レタスとミニトマトのサラダ、ご飯、お味噌汁
テーブルには料理が並べられお父さんがひとり静かに座って待っていた
背筋をピンと張った佇まいはポージングの参考にしたいくらいだ
お母さんがお父さんの隣に、私はお母さんの向かいに座る

「ちょっと作りすぎちゃったからたくさん食べて」

「こ、こんなに食べきれるかなあ」

「久しぶりだったからどれくらい作ればいいかわからなくて」

久しぶり、なのは私も含めた三人分の量がというだけではないだろう
東京へ行く前から家族みんなでご飯を食べることはあまり多くなかった
それにあの頃はたまに三人そろっても……

「向こうではちゃんと食べてるのか?」

「うん。寮のご飯はおいしいし、よくお友達が手料理を作ってくれるの」

そんな他愛のない会話ひとつひとつが嬉しい
今日はあの頃みたいな緊張感はなかった

「でも私、やっぱりお母さんのご飯が一番好きだな」
気を遣ってると思われちゃうかな。けれど本当にそう思ってるよ

「ごめんなさい。いつも作ってあげられなくて」

「そ、そうだ。寮でのご飯ってすごいんだよ。にぎやかでなんだか学校みたいなの」

「ときどきみんなでお料理したり、お菓子作りしたり。それにね、お菓子を作ったときはいっしょにコーヒーを淹れてくれる子もいるの。私と同い年なのにすごいよね──お母さん、どうしたの?」

「ううん。智絵里がそんな風に話すなんて、お母さんちょっと驚いちゃって」

「あっその、ごめんなさい……」

「そんな謝らないで。もっと聞かせてちょうだい」

それからご飯を食べるのもそこそこにたくさんのことを話した
東京の学校での文化祭のこと、絵本カフェでの撮影のこと、
そして、昨日のライブでたくさんの人にお祝いしてもらえたこと

お母さんが私の話すことに嬉しそうに相槌をうってくれるのが私も嬉しかった

「お母さん、もうひとつ準備したものがあるの。ちょっと待ってて」
そう言ってお母さんが席を立つ

リビングにはお父さんと私、ふたりきり
勇気を出して声をかける
今度こそ、私から

「お父さん……これ」

スクラップブックをそっと差し出してみる
お父さんの様子は変わらない

「お父さんが作ったって、お母さんが……」

「……智絵里、アイドル楽しいか?」

「えっ……うん! 私、アイドルになってよかったよ」

「そうか」

「父さんも智絵里のこと応援してるから」

お父さんの短い言葉の中にたしかに優しさを感じて胸があたたかくなった

「智絵里、お誕生日おめでとう」
大皿を持ってお母さんがリビングに戻ってきた
あれ……この香り……
「バナナケーキなんて本当に久しぶりだったから美味しく作れているかわからないけれど」

「あっ……ああ……」
お母さんの手作りのパウンドケーキ
記憶の扉の鍵が開く音が聞こえた

生クリームをたくさんのせて、のせすぎちゃだめよってお母さんに注意されて
けれど注意するお母さんは優しく微笑んでいて
お父さんはそんな私たちにカメラを向けていて
今よりずっと前、いつかの私の誕生日の風景
……ずっと忘れてた。私の大切な思い出

「やっぱりケーキ屋さんのケーキのほうがよかったかしら」

「ううん。違うの……嬉しくて」

視界が滲んで全身が熱い
泣き虫には今はひっこんでいてほしかったのに

「ちっちゃい頃もこんな風にお祝いしてくれたよね……それを思い出しちゃって……」

「そうね。智絵里ったら生クリームが大好きで、たくさんケーキにのせて」

「うん……うん、覚えてるよ」

生クリームをひかえめにのせてケーキをひとくち口へ運ぶ
懐かしい甘さが口いっぱいに広がり、また涙がこぼれた
「おいしい。すっごくおいしい」

「食べきれない分はラップに包むからよかったら向こうに持って帰って」

「ありがとう……」

「あのね、お母さん」

「なあに」

「よかったら、お母さんの料理のレシピを教えてほしいな」

「寮でみんなでご飯作るときがあるって話したでしょ。それで、お母さんの料理、私も作れるようになりたいなって」

「……レシピなんてしっかりしたものじゃないけど、わかった。後で送るわね」
そう言ったお母さんは口元をおさえていた

「そろそろ時間だな。駅まで送る準備をしてくるよ」

「もうちょっとゆっくりできたらよかったのにね」

「ごめんね。明日からまたお仕事だし、学校もあるから」

「大変なことがあったらいつでも帰ってきていいのよ」

「大丈夫。私はちゃんとアイドルやれてるよ」

「……でもまた帰ってきたときにはおかえりって言ってほしいな」

「もちろんよ」

私のことを待ってくれている人がいるから
この場所からまた一歩踏み出そう

「それじゃあ……いってきます」

以上で終わりとなります。
2年前の大阪でのライブを思い返しながら書きました。
智絵里、誕生おめでとう。

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