モバマスSS。地の文風味。
ミスチルの同曲をモチーフとした既婚者Pと周子のお話です。
次から投稿していきます
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──何を犠牲にしても守るべきものがあるとして。
あたしにとって今、貴方がそれにあたると思うんだよ。
愛すべき人よ、貴方に会いたい。
例えばこれが恋とは違くても──
あたしが愛した人はあたしのプロデューサーだった。
そして、その人の左手の薬指には──
──キラキラと輝く指輪がもう既に嵌っていたのだった。
◆◇◆
Pさんとの出会いはあたしにとって衝撃的だった。
守るべきものがなく、夢も持たず、ただの文字通りの旅路の果てであった東京で、あのように出会ったのだから。
そもそものきっかけは父親との喧嘩が原因だった。
曰く『働かざる者食うべからず』。
高校を出て大学も行かず、手伝いの店番も適当にやっていたあたしに突き付けられたのは、家を継ぐか家を出るかの二つの選択肢だった。
多分これはいわゆる不自由な選択肢ってやつで、父親は『家を出る』という出来もしない選択を加えることで、家を継がせるつもりだったのだろう。
いや、それすら建前で、もうちょっとだけ生活を改めて欲しかっただけなのかもしれない。
ただし、今でこそ分かるそんな意図も、当時のヒートアップしたあたしには全く読み取れなかった。
売り言葉に買い言葉。たったそれだけで、へそくりの諭吉さんを枚数も数えず手に取り、着の身着のまま家を出たのだ。
とりあえず新幹線に乗って、東京へ。東京なら何かしらできると思っていたのだ。あては全くなかったが。
しかし現実は非情だった。
結構あると思っていたへそくりの諭吉さんは意外とおらず。
仕事をしようにも住所がないと面接にすらありつけず(正確には京都にあるが……)
そうこうしている内に今日泊まる宿すら無くなっていく。
全くの世間知らずだったあたしは一人、東京の街で取り残されてしまったのだ。
残された手段はそう多くない。
そして、精神的にも肉体的にもすっかり憔悴しきっていたあたしは、その中から最悪の選択肢を選んだのだ。
つまり、それは身一つで稼ぐこと。
自慢じゃないが、見た目は良い方である。
そういう経験はないが、まあ何とかなるだろう。逆にその方が価値が高いとも聞く。
お金を貰って、あわよくば泊めてもらう。そう何人も転々とするのは色々と大変なので、できれば長期間、関わってくれる人。
そんな理想的な人がいるかどうかはわからないが、これを基準に探してみよう。
できれば誠実そうな人で。家出少女を買うような人に誠実な人がいるかどうかは知らないが。
途中で何人かから声をかけられたが、全部無視する。
声をかけてくる連中は足元を見てる。こんな奴らについていったら大変なことになるのが目に見えてる。
逆に何人かに声をかけてみた。
大変勇気のいる行為だったし、勇気を出したにも関わらず、全員空振りだった。
最後なんて、警察を呼ばれそうになったので全力で逃げた。
そうやって逃げた先がこの公園。そこのベンチで黄昏てる。
人通りが少ないから警察が追ってくることはないだろう。
逆に泊めてくれそうな人も見当たらないのが玉に瑕だが……。
どれほど、そうしていただろうか?
いっそここで一夜過ごすのも悪くはない。そんな風に思っていたら、急に声をかけられた。
「大丈夫ですか? どうかしましたか?」
優しい、こちらを気遣うような暖かい声。
ふと視線を上げると一人の男性が目の前に立っていた。
スーツ姿の中肉中背。顔は良く言えば優しそう、悪く言えばヘタレそう、普通に言えば真面目そうな顔をしていた。
……もう、この人でいいや。
疲れ果てて捨て鉢になったあたしの思考は至極単純なものであった。
交渉術も何もなく、ストレートに本題を話す。
「ねぇ、貴方。あたしを買ってよ」
「は?」
「あたし家出しててさ、お金もないし泊まるとこもないの。だから家に泊めてくれない? この体を好きに使っていいからさ」
「……」
「貴方に買ってもらわないと多分どっかで野宿する羽目になる。そしたら、もしかしたらレイプとか犯罪に巻き込まれるかも」
「…………」
永遠に思える沈黙。彼の回答次第であたしの運命が決まる。
どっちにしたって最悪だろうが、よりマシな方を選びたいというのが人情だ。
「……分かった。お前を"買った"」
結局、どれだけ沈黙が流れていただろうか? 最後には彼の方から沈黙を破ってくれた。
実際にはそんな時間が経っていないかもしれないが、あたしの運命が決まるとなればそんなの関係なかった。
そして、あたしの運命は多少はマシな方に動いたらしい。
「ありがと。助かったよ。じゃあ早速お家まで案内してよ」
「なに言ってんだ、ホテルに向かうぞ」
「え? なに、そういうこと? ……まぁ一日だけでも宿があるのはありがたいけどさ」
「違う、そういうホテルでもない。普通のホテルだ」
「……え? じゃあ、なんで?」
「俺はこういうものでな」
そうやって彼は懐から名刺を取り出しこちらに差し出した。
「アイドル事務所の……プロデューサー……?」
「あぁ、そうだ。簡単に言えばアイドルになってもらいたい。そういう意味で『お前を買った』と言った」
「なれるの? あたしがアイドルに?」
「なれるさ、その気さえあれば、な」
「ふーん……。まぁ、宿無し金無しだし拒否権はないようなもんだよ。やるよ、アイドル」
「良かった。じゃあ、明日一緒に事務所に行こう。そのためにもまずはホテル探さないとな」
「え? 明日一緒に行くの? じゃあホテルをわざわざ探すのめんどくさくない? 貴方のお家で構わないよ」
「そういう訳にはいかない」
「なんで? あ、さっきも言った通り、あたしの身体は好きにしてくれてもいいよ? 元々そういう覚悟だったんだし」
「自分の身体は大切にしなさい」
「……。じゃあ、そういうこと無しでもいいからさ。とにかく泊めてよ」
「あー……。悪いがそれはできないんだ……」
「なんで」
「だって──」
そこで彼は左手の薬指を右手で撫でた。
「──俺の家には嫁さんがいるもんでな……」
愚かで、愚かすぎるあたしは、そこで初めて彼の左薬指に光る指輪に気が付いたのだった。
◆◇◆
結局その日は本当にホテルへ泊まった。勿論一人で。
翌日、ホテルを出ると昨日の彼があたしを待っていた。そして二人で彼の事務所に向かった。
そっからはトントン拍子で手続きが進んで、あたしは正式にアイドルになった。
寮完備、給料も出るという、家出娘には至れり尽くせりの環境だった。
勿論、追い出されると困るので、そこでは色々と努力した。
レッスン、挨拶回り、営業、ライブ、ラジオトーク、テレビ出演、エクセトラエクセトラ。
努力って言葉はそんな似合わないしゅーこちゃんだったけど、頑張ったおかげかそこそこの成果が出た。
「周子は何でもできるな! 流石だ! アイドルの才能があるじゃないか?」
そうやって手放しで喜んでくれるPさん。その姿を見て嬉しくならないはずはない。
誰かから褒められるなんて、今までの人生の中でなかなか無かった出来事である。
その上、仕事の間はずっと一緒にいてくれてサポートしてくれてるのである。
そんなPさんに褒められたら褒められた分だけ頬が緩んでしまう。
多分、その頃が一番幸せな時間だったのだろう。
そういう時こそ、大切なことが解りづらくなってしまうのである。
どうして気づかなかったんだろう。
どうして気が付いてしまっただろう……。
◆◇◆
あたしが異変に気が付いたのは、実は特にきっかけがあるわけではなかった。
ただ急に、自覚して、『あぁ、なるほどなぁ……』と納得しただけである。
その変化とは、一言で言えば、恋。
言ってしまえばPさんに惚れてしまったのだ。
だって無理もないだろう。
さっきも言った通り、あたしがアイドルをやってる間はずっと一緒にいるのである。
あたしのことを一番に考えてくれて。
あたしが成功したら、自分の事のように喜んでくれて。
あたしが怒ったら、何とか宥めて機嫌を取ってくれて。
あたしが泣いたら、そっとその胸で泣き顔を隠してくれて。
あたしが仕事を終えたら、いの一番に褒めてくれて。
そして、あたしが困ったら、ヒーローのように助けてくれて。
そんな人がずっと一緒に傍に居たら、好意を持つのは自然なことだろう。
しかも相手は命の恩人なのである。
もしPさんと出会わなかったら、今頃どこかの風呂で仕事をしてるか、顔にも脛にも傷がある男の愛人にでもなっていただろう。
少なくとも日の当たる場所にはいられなかったに違いない。
それが、今やどうした。立派なアイドルとして、文字通りスポットライトが当たる表舞台に立っている。
あの時Pさんが拾ってくれたからこそ、今のあたしがある。
今のあたしはPさん抜きでは語ることができなくなっていた。
つまるところ、結局あたしはそんなPさんに惚れたのだ。
命を救ってもらった上に、今の生活の大部分を占めている存在なのだから、これはごくごく自然なことだった。
まぁ、他に身近な適齢期の男性もいなかったことだしね。
だからこそ、あたしもそう自覚しても『あぁ、なるほどなぁ……』で済んだのである。
でも相手は既婚者、既に恋人がいる。
今、告白をしても、きっと断られるだけだろう。
そして、担当プロデューサーが変わり、Pさんとは会えなくなる。最悪アイドルを辞めさせられるかもしれない。
だから今は我慢していた。
この思いはあたしの心の中だけに秘めることにしたのである。
そんな日課のような内省を行いながら、今日も事務所へと向かう。
Pさんに車で現場に送ってもらうためだ。
駐車場で見慣れた車を見かけ、それに乗り込む。
昔は後部座席に乗っていたが、今は積極的に助手席に乗っている。
Pさんはそれについて特に何も言わなかった。
「さぁ、もう行くか。今日も忙しくなるからな」
「はいよー、安全運転、よろしゅーこ」
チラッと横のPさんの顔を見る。やっぱカッコ良いな。
そして、そう感じて、あたしはやっぱ恋をしているんだろうなと再認識した。
そうこうする間に車は動き出す。日の当たる舞台へと進むために。
◆◇◆
そんな感じで、あたしは心中に秘めたる思いを抱きながらアイドル活動を続けていった。
Pさんが言う通り、あたしにアイドルの才能があったのか。
それともPさんが敏腕プロデューサーだったのか。
はたまた恋の力がそうさせたのか。
あたしは相変わらず、そこそこの成果を出し続けた。
……いや、あれをそこそこなんて言ってはPさん始め、全ての関係者に悪いだろう。
何たって、アイドル・一般人関係なく誰もが憧れる、あの『シンデレラガール』にあたしは輝いたのだから。
だから、もうそろそろ良いだろう。
ここまで登り詰めたのだから、あたしの願いを叶えてもらっても良い頃だろう。
「周子、シンデレラガール、本当におめでとう! 流石は俺が見込んだ周子だ。周子も頑張ったな!」
「いやーそれほどでもー、って言いたいとこだけど、結構頑張っちゃったかな? でもPさんが支えてくれたからこそだよ」
「そうかな?」
「そうだよ。仕事っていう点もそうだけど、やっぱり色々と相談に乗ってくれたことが大きいかな? お陰で弱音さらしたり、愚痴をこぼしたりできたし」
「そうなのか? 意外だな……。周子は交友関係が広いから、そういう相手ならいくらでもいると思ってたよ」
「わかってないなー、Pさんは。あたしは飄々としたキャラで売ってるんだよ? 愚痴や弱音を言われることはあっても、言う側のキャラじゃなかったんだよ」
「あー……そういうことか」
「そ、そういうこと。だからこそ、Pさんの存在があたしにとって大きかったんだよ」
そう、それはあたしが恋してしまうくらいにはね。
既に別に好きな人がいるPさんを好きになってしまうくらいには。
「うーん……そういってもらえるならプロデューサー冥利に尽きるな。でも今回はやっぱり周子が頑張ったおかげだと思うぞ」
「そう? じゃあ、なんかご褒美でも貰おうかなー?」
「おう! いいぞ! なんたってあのシンデレラガールになったんだ。何でも叶えてやるよ!」
「え? 何でも?!」
「えっ……。いや、その、何でも……というか……出来る範囲で、お願いします……」
"何でも"と聞いて目を輝かせたあたしを見て、Pさんがしどろもどろになりながらそう付け加える。
ちぇっ……。本当に"何でも"だったら、あんなことやこんなことをしてもらおうと思ったのに……。
まぁ、いいや。"出来る範囲"でも充分。今のあたしにとってはそれで充分。
そう思いながら、ご褒美の内容をPさんに伝える。
「じゃあ、デートしてよ」
「は?」
「あたしと二人きりでデート。次のオフ、一日丸々二人っきりで過ごすの」
「……いや、それは……」
流石に戸惑うPさん。そりゃそうだよね。Pさん既婚者だもん。
戸惑ったPさんはあたしの目を見る。冗談でも言ってると思ったのだろう。
でもあたしは全くもって真剣な目でPさんを見つめる。
そのせいでPさんは直ぐには拒否できなかった。拒否させなかった。
その隙をあたしは逃さない。
たじろぐPさん相手に、畳みかけるように無慈悲な一言を伝える。
「それとも、これ程度でも『出来る範囲』じゃない?」
あたしはPさんの痛みを見て見ないふりをして、シレッとそう要求した。
◆◇◆
「Pさん、待ったー?」
集合時間ぴったし。あたしはPさんに声をかける。当たり前だけど私服のPさん。
今まで色んなとこに行ったり、ご飯を集ったりしたけど、全部スーツ姿だった。
今日もスーツ姿だったら殴ってやるところだった。ひとまずは殴らずにすんで良かった。
「いや、いま来たとこだ」
そう、お決まりの台詞を吐くPさん。この嘘つきめ。
本当はきっちり十五分前から居るのを確認している。
実はあたしは三十分前から、集合場所が見えるとこに隠れて観察していたのだ。
「なら良かった。ギリギリだったから悪いなって思ってたの」
そうシレッと言うあたし。あたしも充分嘘つきだ。
嘘つき同士、お似合いだったりしてね。
「ん……。まぁ丁度良かったってことで。それじゃあ、行くか?」
新鮮な私服姿のPさん。あたしが知っているようで知らないPさん。きっと奥さんにはいつも見せているPさんの姿。
そのPさんを、今日一日だけはあたしが独占する。
「勿論! 早速行こ!」
このPさんと一緒にいる時間は一分一秒たりとも無駄にできない。
そう覚悟を決めながら、あたしはPさんの腕をグイグイ引っ張っていくのであった。
◆◇◆
「で、言われたままに連れてこられたのがここ、と」
Pさんとのデートに選んだのは、とある高層ビルの商業施設。
まずは、そこに併設されている水族館に来ていた。
「うわぁ……。Pさん、Pさん! 凄いよこれ! 見て見て!」
「おぉ、凄いな。こんな都会の真ん中にあるのに本格的なもんだよな」
「うん! 凄く綺麗……」
ホントは前に奏ちゃんが担当プロデューサーさんと行ってた水族館が良かったんだけど、万が一誰かに着いて回られると困るので、断念したのだ。
あの海月が幻想的に舞っている光景も良いが、目の前に映る光景もそれに負けないくらい幻想的だった。
……そう思えるのは、もしかしたら隣にPさんがいるからなのかも?
乙女チックな思考回路があたしの頭の中で巡る。この時のあたしは完全に浮かれてた。
「そういや、もうそろそろイベントがあるはずだぞ。このまま進めば丁度いい時間のはずだ」
そんな浮かれているあたしを現実に引き戻すPさんの声。
「ん? そうなの?」
「そのはずだ。確かアシカのショーがあるはずだ」
「ふーん、良く知ってるね。Pさん」
あたしが何気なく言った言葉にPさんは『しまった』という顔をする。
ただ、それも一瞬のことで、その次の瞬間には笑顔のPさんに戻ってた。
「あ、いや……。パンプレットを見たら、そんなことが書いてあったからさ。今の時間なら丁度いいかなって思って」
「……ふーん、そんなんだ」
一瞬、ある疑惑が頭を過ったけど、今を全力で楽しむために、あたしはその疑惑を頭の隅へと追いやった。
◆◇◆
結局午前中いっぱい使って、水族館を鑑賞した。
『狭くて暗い上に人も多くて逸れそうだから』という理由でPさんに引っ付けたのも良かった。
実に実りの多い最初のスポットだった。
それからは、いい時間だったのでレストラン街でランチにした。
その後はちょっと引き返して、リラックスできるソファで鑑賞できるプラネタリウムへ。
終わったら、休憩がてら、有名スイーツ店でお茶とデザートを堪能。
英気が養われたら、映画館に行って、今一番話題となってる作品を鑑賞。
そして、感想を言い合いながら、ディナーのために都会を一望できる高層階のレストランへ。
色んなものが全部一つの所にまとまってる商業施設ならではの、ちょっとすれば詰め込みすぎのスケジュール。
それでもあたしはPさんと全部行きたかったのだ。どれかを選ぶことなんてできない。むしろ足りないくらいだ。
ただ、施設を巡る度にPさんの様子がおかしくなっているのに気が付いた。
次の施設に行く度にちょっとずつ、ちょっとずつではあるが……。
そして、Pさんはそれをあたしに悟らせないようにしている。
が、そのいじらしいまでの献身こそが、逆にあたしのセンサーに引っかかったのだ。
あたしは都会の夜景を横目にデザートを食べながら、頭に思いついてしまったある考えを述べてしまう。
「Pさんってさ、もしかしてさ……」
「……」
Pさんは、この期に及んで隠そうと黙ったままだった。
「ここ、一度来たことある場所だった?」
「…………」
Pさんは嘘をつくのが下手だね。だって何も答えないってことは答えを言ってるようなもんだもん。
適当に友達と来たことあるとでも言えばいいのに……。奥さんと来たってことがバレバレ。
……じゃあ、次行くとこも被ってるかも。いや絶対被る。だってあそこは絶好のスポットだし。
まぁ、いい。それならそれでもいい。逆にそうと分かってた方がやりやすい。
Pさんの思い出、あたしが上書きしてやろうじゃないの。
◆◇◆
あたし達が最後に来たのは、この高層ビルきってのデートスポットの展望台。
レストランからも夜景は見えたが、やはり解放感と迫力が全く違う。
幸い、雲一つない夜空で、都心の夜景の光に負けずに瞬く一等星の星達がいくつも見えた。
まぁ、星の数は沢山あるというけど、あたしが手に入れたい星は一つだけだけど。
星達が夜空に輝く一方で、Pさんの顔色は今までで一番暗くなっていた。
そりゃそうだよね。ここに遊びに来たら、最後は展望台へ来るに決まってるもんね。
もしかしたら、Pさんは昔、ここで愛の言葉を囁き合ったのかもしれない。
というかこんなところ、カップルか、もしくはカップルになる前の男女しか来やしない。
ましてや夜のこんな時間。周りにはカップルと思わしき二人組ばかりが目に入った。
あたしとPさんも……。そんな得体のしれない思考が頭をもたげる。
そんなことを考えてたら、ふと、あたしの中にいたずら心が芽生えた。
一度芽生えてしまったそれはあたしの心の中でムクムクと育っていく。
『聞かない方が良い』、そんな警告をする理性的なあたしを敢えて無視して口を開く。
「ね、Pさん? 今のあたし達って他の人からどう見えるのかな?」
「…………きっと、アイドルとプロデューサーだろ……。……ってそれじゃ、困るか。じゃあ、なんだろな、仲の良い会社の先輩、後輩とかだろ」
「えー、お互い私服なのに?」
「……私服だろうとスーツだろうと、俺はお前のプロデューサーであるつもりだよ」
「いけずー。そこは『恋人じゃないか?』っていうことじゃない?」
「……プロデューサーとして、そんな言葉、死んでも吐けるか。精々、仲の良い兄妹か従兄妹が限界だろ」
そんなPさんにとって気まずい会話をしているとPさんの携帯が鳴る。
Pさんにとっては救いの、あたしにとっては最悪の着信音だった。
「ちょっとすまん」
そう言ってPさんは中座して携帯をチェックする。
着信音の回数から言って、電話ではなくメッセージの類だろう。
メッセージを確認したであろうPさんの顔が、急に苦虫をつぶしたような顔になる。
「どうしたのー?」
「あー……なんか仕事でドラブったらしい……。これから事務所に行かなきゃいけなくなった。すまんな周子……」
そう言って謝罪するPさん。このまま解散の流れにするつもりらしい。
でも、あたしの目は誤魔化せないよ。
確かにPさんの携帯に急に連絡が入ったのは事実だ。でもあたしは見てしまったのだ。
Pさんの触ってたそれが社用ではなく、個人用であったことを。
連絡先はきっと業を煮やした奥さんであろうことも。
Pさんはやっぱり嘘をつくのが下手だよね。そんなPさんのことも好きだけど。
でも、その着信のせいであたしとPさんの時間が邪魔されたと思うと急に腹が立ってきた。
これは仕返しされたって構わないよね?
「んー……そっか。しょうがないね。じゃあ、もう十分だけ時間頂戴? 急に中止にするんだから、それくらいワガママ言ったっていいでしょ?」
有無を言わさない口調でPさんを足止めした。足を止めさせた。
さぁ、ここから十分があたしの最後の勝負所だ。
◆◇◆
「なんだ、周子。さっきも言った通り、トラブルだからなるべく早く事務所に行きたいんだが……」
「うん、そうだよね。Pさんはいつもあたしを一番に考えてくれる」
「当たり前だろ。俺はお前のプロデューサーなんだから」
「うん、そうだよね。Pさんはあたしのプロデューサーだもんね」
そこで一旦、あたしは言葉を止める。
暫くの間、二人の沈黙が流れる。
段々、Pさんが焦れていくのが目に見えて分かる。
そんなに奥さんのことが大事なんだ。ホント、妬けるよ。
ついに堪え切れなくなったPさんが、焦ったように口を開く。
「周子、どうしたんだ。何かあるのか? さっきも言った通り、俺は早く行かなきゃいけないんだ」
「どこへ?」
「どこへって……お前、そんなの事務所に決まって……」
「それ、嘘でしょ」
「なっ……?!」
そう糾弾した瞬間、Pさんの顔から色が消える。
今度はPさんが言葉を止める番だった。
また二人の間に流れる沈黙。
今までずっと一緒にいて、沈黙が流れることも少なくはなかったけど、その中でも最悪の空気だった。
Pさんはみるみる顔色が悪くなっていく。
でも何も言うつもりはないようだった。
仕方がない、今度はあたしから沈黙を破るしかないか。
「さっき見たよ。連絡が入ったって言った携帯、仕事用のやつじゃなくて私用のやつでしょ」
「……それは……急だったから、私用の方に連絡が来て……」
「事務所の人が私用の連絡先を知ってるの? ずっと一緒にいるあたしすら知らないのに?」
「……そ、れ……は……」
「仕事でトラブったっていうのも嘘でしょ。そんな大事な要件、私用の携帯に連絡するわけないじゃん」
「…………」
「ま、嘘ついたことは赦してあげるよ」
「……周子……悪い……」
赦されると分かったからか、目に希望の光が灯るPさん。
でも赦されるからといって罰がないわけではない。これから罰を受けてもらおう。
その場合、今度はあたしが赦されなくなるかもしれないけど。
「いいって、いいって。Pさんとあたしの仲なんだからさ」
「本当に悪い……。この埋め合わせは必ずするから」
「あー、それなら今度じゃなくて今が良いかな?」
「今? 時間がないのは本当だから、今できることなんてほとんどないが……」
あたしの言葉にPさんは疑問で応える。
そりゃそうだよね。すぐに帰らなきゃいけないのに何ができるんだって話。
でも大丈夫。今のPさんでも充分できることだからさ。
「さっき十分だけ時間頂戴って言ったでしょ? それで勘弁してあげる」
あたしの真剣な眼差しを見て、硬直するPさん。
あたしの本気度は伝わってるでしょ? だからもういいよね?
あたしは一つ、深呼吸して、言葉を綴る。
「あたしね、Pさんの事が好きなんだよ。一人のオトコとして、一人のオンナとして」
言った。言ってしまった。
もう後には戻れない。でも今言わなければ、もう一生言えない言葉。
真剣さが伝わったのか。はたまたあまりの衝撃で頭がフリーズしているのか。Pさんからの返事は全くなかった。
こんな時までそんな態度を取る。じゃあ、もうこっちからいくしかないじゃん。
「返事……聞かせてほしいな?」
三度流れる沈黙。
でもさっきと違って最悪の沈黙ではなかった。
何故ならPさんもまた、真剣に考えていることが伝わったからだ。
どれほど時間が経っただろう。
約束の十分はもう過ぎているのかもしれない。過ぎてないのかもしれない。
体感時間がおかしくなった空間に、あたしとPさんだけが取り残される。
永遠にも思える時間。でも覚悟を決めたのか、Pさんは一つ長い息を吐く。
さぁ、Pさんの回答は如何に?
「………………お前の気持ちは嬉しい。だがその想いに応えることはできない」
「理由、聞かせてよ」
「…………」
あたしは簡単には引き下がらず、追撃をかます。
それにPさんはまた沈黙で応える。
そっちがその気なら、言わせてやる。こっちから言ってやる。
そう決意したあたしはPさんの沈黙を破りにいく。
「あたしがアイドルで、Pさんがプロデューサーだから?」
「違う」
「あたしのことが嫌いだから?」
「違う!」
「あたしみたいな小娘は恋愛対象外だから?」
「……違う」
「じゃあ──」
一つずつ理由を潰していく。
Pさんの退路を潰していく。
行きつくとこまで行かないと。
行きつくとこまで行かせないと。
きっとPさんは本音を言わないだろうから。
「──どうしてなのかな?」
「それは……」
「それは?」
「それは……俺にはもう既にこの世で一番守るべき人がいるからだ」
今まで見たことない苦しそうな表情でそんな台詞を吐く貴方。
その言葉があたしを傷つけると思ってるんだろうね。お優しい。
そこまで悩むんだったら、そんなこと言わなきゃいいのに。
まぁ、言わせてるのはあたしなんだけど。
そんなPさんの珍しい表情も直ぐに切り替わる。
あたしを慮る表情から、一人のオトコとしての、愛するべき者がある人の表情へ。
「その人は……自分を犠牲にしても、いつでも、守るべきただ一つのものなんだ」
「……ふーん、そっか。そっかそっか」
返ってきた回答は予想はしていた回答で、望んではいなかった回答だった。
でもPさんは自分の気持ちを正直に吐いたんだ。こっちも正直に吐かせてもらう。
「勿論知ってたよ、そういう人がいるのは。でも、もしかしたら、万が一、仮に何かの間違いだったとしても、あたしを選んでくれないかなぁーって。そう思っちゃってさ」
万が一。そう万が一、Pさんがあたしを選んでくれたら──
「Pさんが何を犠牲にしても手にしたいものがあるとして、それをあたしと思ってくれたなら……。もうPさんの好きなようにしてくれたっていいと思ったの」
──そしたら、どれほど幸せなことだっただろうか。
「……周子」
「いいの、いいの。どうせアイドルなんて徒花みたいなもので、いつ終わるかも分からない代物ものだし」
パッと咲いてパッと散る。
むしろ散り際こそ、それは最も美しいのかもしれない。
「だから、Pさんは……あたしが落ちぶれたら、迷わずあたしなんていう古い荷物を捨てて、新しいドアを開けて進めばいいんだよ」
「……そんなことはない。俺は周子を落ちぶれさせたりなんかしない……。それに見捨てたりなんかしないさ……」
「じゃあ、あたしと一緒になってくれる?」
「…………」
「無理だよね、知ってる。そんな矛盾をPさんが抱えるのも知ってるよ」
きっとそれも人なんだろう。
いや、人だからこそ、嘘や矛盾から逃れられないんだろう。
そんなことを悟りながら、あたしは言葉を続ける。
「だから、Pさん。もう終わりなんだよ。あたしはPさんを愛してる。Pさんは他の人を愛してる。それでこの話は終わり」
「でも、ありがとうPさん。あたしの茶番に付き合ってくれて。あたしの告白に付き合ってくれて」
「愛してるよ、Pさん」
それだけ言って、あたしはその場を去る。
Pさんは何も言わず、あたしが去るのを止めもしない。
きっと掛ける言葉も見つからないのだろう。
このままあと少しだけはあたしのことを想ってくれて、途方に暮れてくれればいいな。
あたしはそう思いながら、ぼやけ出した視界をハッキリさせるために両目を拭った。
◆◇◆
良く晴れた日の朝、あたしの足は事務所へと向かっていた。
今日の現場まで車で送ってもらうために一旦事務所に集合するためだ。
事務所に辿り着くと目的の人物は見当たらなかった。
ちひろさん曰く、もう準備ができたので駐車場で先に待っているとのこと。
準備がよろしいことで……と心の中で毒付く。
あたしもササっと準備をして駐車場に向かう。
駐車場に入ると目立つ場所にいつもの営業車が停まっていた。
「おはよう、Pさん」
「あぁ、おはよう、周子」
そんな風にPさんに挨拶する。そして流れるように助手席に乗る。
Pさんは一瞬、眉を顰めたが、結局は何も言わずにいた。
あの告白の後、Pさんはあたしの担当から降りようとした。
まぁ、当然の反応だろう。あたしの想いを知って、尚且つそのままプロデュースなんてできないと思ったのだろう。
だが、あたしはそれを無理やり止めた。
『Pさん以外の人がプロデューサーになるなら、その日でアイドルを辞める』と脅して。
人気アイドルが突如即日引退する。それはスキャンダル以外の何物でもないだろう。
Pさんを脅したのは悪いと思ってる。
でも、あたしには何を犠牲にしても守りたいと思うものがあったのだ。
あたしにとって、それにあたるのはPさんだったのだ。
愛すべき人、Pさんに会いたかったのだ。
……例えば、それが恋とは違くても。
幸運なことにあの告白のことはあたしとPさんしか知らない。
当人たちが黙っていればバレることはないのだ。
かなり綱渡りだったが、最終的にあたしはPさんとこうやって会う機会を守ることができたのだ。
Pさんもあたしにちゃんと接してくれている。あくまでアイドルとプロデューサーという関係の上でだけど。
「さぁ、もう行くか。今日も忙しくなるからな」
「はいよー、安全運転、よろしゅーこ」
そうして車は動き出す。日陰から日向へ。目に入ってきた日の光が眩しくて、思わず顔を背けてしまった。
日の光から逃げたついでに、チラっと運転しているPさんの手を見る。
あたしが愛した人はプロデューサーだった。
そしてその人の左手の薬指には──
──Pさんの幸せを象徴するかのようにキラキラと輝く指輪が嵌っていた。
おわり
以上です。ありがとうございました。
ミスチルの同曲はその歌詞、発表時期などから様々な解釈がされておりますが、そのうちの一つを自分なりに解釈してみました。
もし皆さんの琴線に触れたなら幸いです
最後にこの曲の動画を置いておきます
こちらはミスチル公式チャンネルに上げられているライブでの動画です
https://www.youtube.com/watch?v=EoQVLCwtBvI
元曲から若干アレンジがあります
なのでこちらと元曲どちらも聞いていただければ嬉しいです!(宣伝)
このSSまとめへのコメント
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