高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「9月5日のその後に」 (21)

――おしゃれなカフェ――

抹茶ラテをかき混ぜる音が規則的に聞こえる、午後6時過ぎ。

かすかな夕暮れの色を残し、浅い夜が広がる外の様子を、加蓮ちゃんは何かを探しているような目で見ていました。

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レンアイカフェテラスシリーズ特別編です。

<過去作一覧>
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「カフェテラスで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「膝の上で」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「最初にカフェで会った時のこと」

~中略~

・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「夏休みのカフェで」
・高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「残暑模様のカフェで」
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「雨上がりのカフェで」(+高森藍子「加蓮ちゃんと」北条加蓮「また毎日が始まる日のカフェで」)
・北条加蓮「藍子と」高森藍子「曇天のカフェテラスで」

かち、かち、と時計の音が聞こえます。
緩やかな時間を教えてくれるカフェの音も、今日だけは、今日という日が終わるまでのカウントダウンをしているように聞こえてしまいます。

「……加蓮ちゃん」
「……、」

私が名前を呼ぶと、頬杖をつく加蓮ちゃんは左目だけをちらりとこちらへ遣って、だけど何も返してはくれません。
ここに来てから30分ほど。
ずうっと外を見続けている加蓮ちゃんと、抹茶ラテをかき混ぜている私。
……今日をもって、また同じ年になったとは思えないほど大人びた横顔を眺めているだけの時間は、嫌いではありません。できることなら、カフェが閉まっちゃう時間までずっと見ていたいくらい。

だけど……お話しなくてもいい時間は、そろそろ終わりにしなきゃ。
本当に何かに悩んでいる時、加蓮ちゃんは何も話さなくなって、本当に何か辛いことがあった時、加蓮ちゃんは目も合わせなくなってしまいますから。

……加蓮ちゃんだって、話したがっているハズだから。

「……みんな、おめでとう、って言ってくれましたよね」
「……そだね」
「途中から、大はしゃぎで、いつものパーティーみたいになっちゃいましたけれど。でも加蓮ちゃん、いっぱいプレゼントをもらいましたよね」
「……ん」

加蓮ちゃんが、主役の日――9月5日。
今日は、朝から事務所で誕生日パーティーをやって、同じ事務所のみなさんがいっぱい集まってくれて……。
クラッカーを鳴らしたり、加蓮ちゃんにお祝いの言葉を言ったり、色とりどりにラッピングされた大小さまざまな箱を渡してあげたり。
少ししてからは、ただのパーティーになってしまって。大人のみなさんは、お昼なのにお酒を飲んでしまっていたりしました。酔い潰れてしまっている人もいましたっけ……。
「ちょっと抜け出したら、いつ気付かれると思う?」なんて、加蓮ちゃんがイタズラっぽく言ったのは、確か3時になるちょっと前。

それから――時間が経つにつれて、加蓮ちゃんの口数が、だんだんと減っていきました。

みなさんも、加蓮ちゃんと同じくらいに活躍するアイドルだから、1日ずっと事務所にいる訳にもいきませんでした。
パーティーのはじまりの時には多くの人が集まってくれましたが、それから時間が経つにつれ、ちょっとずつお仕事やレッスンで抜けていって。
午後5時を過ぎた辺りで、食べ物や飲み物もほとんどなくなってしまったこともあって、お開きに。
後片付けをしていると、加蓮ちゃんが私の服の袖を摘んで、囁くように言ったんです。

この後、少しいい? って。

モバP(以下「P」)さんもいいって言ってくれたから、残りの片付けはお任せしてしまって、私と加蓮ちゃんは一緒に事務所を出ました。
それから、特にお話することもなく、なんとなく歩いて、歩き続けて。
お互いに示し合わせることもなく、ここに到着していました。

席に着いてからも、何かを話すことはなく、2人分の抹茶ラテだけを注文して、そして――今の時間に、繋がります。

「加蓮ちゃん」
「何?」
「加蓮ちゃん、途中から不思議そうな顔をしていましたよね……」
「……やっぱり気付いてた?」
「なんとなく。たぶん……他には気づいていた人、そんなにはいないと思いますよ?」
「そっか」

抹茶ラテを啜ります。
ひと口。もうひと口。
口の中に、渋さと苦味が広がります。甘さを求めて、舌が歯をなぞります。
内唇に付いた小さな泡を舐め取って、未使用のおしぼりで口元を拭いてから、半身分だけ左に擦りました。

「……」
「……、」

正解を探す会話なんて、あんまり好きじゃありません。でも今は、糸をたぐるようにして、言葉を探していきます。
加蓮ちゃんが言ってほしいこと。お話してほしい話題。
曖昧な答えを見つけたその時、加蓮ちゃんの方から口を開きました。

「誕生日さ。……楽しみだったんだよね」

空の上にいる誰かへのような言葉を、向かい側の私が受け止める。

「平静を装ったフリしてたけど。実は毎日ワクワクしてて」
「はい」
「みんなからも、プレゼントいっぱいもらえるって期待してたし」
「はい」
「あと、ほら。また藍子と同い年じゃん」
「そうですねっ」
「これでお姉ちゃん面されずに済むし」
「お、お姉ちゃん面……?」
「……」
「……」

抹茶ラテを飲み終えた頃には夕焼けが地上のどこからも見えなくなってしまって、じわりじわりと夜が色濃くなっていきます。

>>6 2行目を修正させてください。
誤:空の上にいる誰かへのような言葉を
正:空の向こうにいる誰かへのような言葉を


「……変だった」

右手の人差し指だけを丸めて、加蓮ちゃんは言います。

「ううん。今も変なの。おかしいの。おめでとうって言われる度に、プレゼントをもらう度に、どんどん変な気持ちが大きくなっていく」
「……」
「嫌な気持ちなんかじゃなくてさ……。むしろ逆。すごく嬉しい気持ち。だけど……それ以上に、変な感じ」
「……」
「私のことをみんなが見てくれて、私のことをみんなが祝ってくれて。私が……」
「……私が?」
「……私が、その瞬間だけ。世界の中心にいることが、すごく、変」

カフェの入り口の方から、からんからん、と乾いた鐘の音がしました。
これできっと、私たちが今日最後のお客さん。

都会の夜は、決して暗すぎることはないのに。
私と加蓮ちゃんを真ん中に、光のない夜が広がっているように思えてしまう。

「藍子は知ってるでしょ? 昔の私が、誰からも見られていなかったこと」
「……」
「周囲の人間は私のこと、ただの子供とか、患者としてしか見てくれなくて。"北条加蓮"として見てくれる人なんて、世界のどこにもいなかった。きっと……私のお母さんとお父さんも」
「……」
「……アイドルになってから、Pさんが私を育ててくれて、藍子が私の目を見続けてくれて。たくさんのファンが、あたたかい声で私を迎え入れてくれた」
「……」
「それは……割とすぐ慣れることができた。手を振って、応えてあげることも。ありがとうって言うことも。だって……」
「だって加蓮ちゃんは、心からアイドルだから?」
「たぶんね。……今日、アイドル仲間の――そして、それだけじゃないみんなが見てくれて、祝ってくれて」
「……」
「錆びた歯車が無理に動き続けてるみたいな、そんな気持ち悪さが……。今も、ここに少し残ってるかも」

左手で喉元に軽く触れる加蓮ちゃん。ようやく正面を向いてくれたその顔は、寂しそうに笑っていました。

「……受け入れることが、できませんか?」
「ううん」
「みんな愛されるようになった自分のこと、嫌ですか?」
「……そんなことないよ。でも、やっぱり変だな、って――」
「それなら、よかったっ」
「え?」

きょとん、とした表情。つい表情が緩みそうになっちゃう。
やっと、少しだけ。いつも通りに戻れた気がして。

「もしも加蓮ちゃんが……変わってしまった自分のことを、受け入れられなかったり、嫌だって言ったら……なんて言葉をかければいいか、わからなかったから」
「……あははっ。その時は……かける言葉もない、とか?」
「くすっ。そうなってしまうかもしれませんね。何も言えないまま、じ~、って、加蓮ちゃんを見続けてしまうかもしれません」
「やめてよー。今はちょっと……その、あんまり見られたくないし」
「やめません。今、私が加蓮ちゃんのことを見なかったら、誰が加蓮ちゃんのことを見てくれるんですか?」
「それは……。店員とか?」
「それなら、私と店員さんの2人で、加蓮ちゃんをじっくり見ちゃいますね」
「もーっ」

わざとらしく手をばたばたさせる加蓮ちゃん。シンプルな柄の、だけど夜道の中でも目を惹きそうなネイルの色が、サイリウムのように残像を作ります。
私も、肩を揺らしてしまって。お互いに、いつものように笑い合いました。
変なの、って言って。変だね、って返されて、また下唇を緩めて。

気持ちが落ち着いてから、加蓮ちゃんは大きく大きく息を吐きました。

「変わってしまった私、か」
「はい。だって、私も加蓮ちゃんもまだ――」

こうしていると忘れてしまいそうになります。私たちはまだ子どもなんだってこと。アイドルをやっているのと、加蓮ちゃんがすごく大人っぽいからかもしれません。
今のおふざけや、いつもの冗談でさえ、素の加蓮ちゃんというよりも、本当はもっと大人の加蓮ちゃんが子どもを演じているような、そんな風にさえ錯覚してしまいます。
加蓮ちゃんもまた、自分が子どもなんだって思い出したのでしょうか。
あははっ、と。破顔して。
テーブルの上で両手を枕の形にして、顎を軽く乗せてから、窓から外の、星のない空を見上げます。
私に、目を見せないようにして。

「ちっちゃい頃は、こんな私なんて……って、何度も思ったのにさ。変わったら変わったで、変な感じなんだね」

背中を丸め、身じろぎ1つ取らない姿は、まるで殻の中に閉じこもっているみたい。

私は思わず手を伸ばしていました。
今は、くくることなく降ろして、何の髪型にもしていない――何も形成していない、そのままの加蓮ちゃんの髪に、触れて、撫でて。
冷たさと……ほんの少しのあたたかさが、指先を昇ってきます。

……ときどき、分からなくなってしまいそう。

すごく大人っぽい加蓮ちゃんだけれど、本当はまだ子ども――
ううん。ちいさい頃の自分が、内側に眠っている。そういうことなのでしょうか。
撫で続けていると、加蓮ちゃんがぎゅっと腕に力を入れて、よりいっそう丸くなってしまいました。
頭のてっぺんをつついて、手を離します。のろのろと顔を上げる加蓮ちゃんの目は、何か遠い幻影を見ているようでした。

「ねえ、加蓮ちゃん」

ずっとずっと前に言った1つの言葉が、思い出の底から浮かび上がってきます。
その時は、なんだか嫌な気持ちが生まれてしまって、言い淀んだ言葉――
ううん。嫌ってだけではなかったハズ。
口に出すことでもう1回確認して、よかったね、っていう……嬉しさというよりも、安心の気持ち? あとは、加蓮ちゃんに知ってもらいたいっていう気持ちも。
いろいろなものが混ざりあった、1つの事実。

「この世界には、加蓮ちゃんが思っているよりも……加蓮ちゃんのことを知っていたり、ちゃんと見ていたり――愛している人は、きっと、いっぱいいるんですよ」

加蓮ちゃんが好かれること、愛されること。私にとっては、すごく嬉しいことです。
それが加蓮ちゃんにとって、幸せの礎になるもので――
きっと、ちいさい頃の加蓮ちゃんが、心から求めていたことだから。

だけど、心の隅の隅に、ほんの、ほんの少しだけ……。

だって。

「……藍子、ずっと前にも言ってくれたよね。それ」
「覚えていたんですか?」
「うん。……でもその時は、愛している人、とまでは言ってくれなかったかな」
「ふふ。どうでしたっけ。たぶん?」
「昔の加蓮ちゃんは愛されなかった訳だ?」
「そういうことを言う加蓮ちゃんだから愛されなかったんですよっ」

加蓮ちゃんがおどけて言うものですから、私までお返ししてしまいました。すぐにハッとなって、さすがに……その、言葉にしちゃ、駄目だったかな? って。
気がついたけれど、訂正する前に加蓮ちゃんが起き上がります。

「今は愛してくれてる、かー。……これがファンのみんなからなら、簡単に受け入れられるんだけどね」

そしてまた、空を見上げる加蓮ちゃん。

かけたい言葉が次々と浮かんで、罪悪感を上塗りしていきます。

「加蓮ちゃん」
「何?」
「愛される自分に、慣れましょうっ」
「……慣れる?」

店員さんが近くを通りかかって、加蓮ちゃんが慌ててカップを手に取ります。
そして手つかずだった抹茶ラテを一気に飲み干します。急いで飲まなくてもいいのに……。
私と店員さん、目を合わせて苦笑い。
それから加蓮ちゃんの口の周りが泡だらけだったので、拭いてあげて。加蓮ちゃんの分と、それから私の分の空のカップを店員さんに渡します。
店員さんはちょっぴり演技の入った一礼をして、それから加蓮ちゃんの方へと身体ごと振り向いて、ポケットから無地の小箱を取り出しました。

「え……?」
「ふふっ。加蓮ちゃん。今日最後の誕生日プレゼントですね♪」
「わ……」
「あっ。加蓮ちゃんのお母さんやお父さんの分があるから、今日最後の、ではないのかな?」
「……あ、ううん、両親からは朝もらったけど――」
「じゃあ、店員さんが一番最後の番ですねっ」

最後にプレゼントを渡す番、って、なんだか特別な感じがしませんか? だからつい、店員さんにおめでとうございますって言っちゃいました。
そうしたら店員さんは、祝われるのはそちらの……と、ちょっぴり微妙な顔をしちゃいました。
あはは……。確かに。
誤魔化すのも込めて、おめでとう、と加蓮ちゃんに。
あっ。これで、今日最後にお祝いの言葉を言ったのって、私ってことになるのかな?
……なんだか、事務所の皆さんに抜け駆けしちゃった気分です。……えへっ♪

「イヤリングだ……。これ、つけやすいし結構お手軽なヤツだよね」
「きっと、加蓮ちゃんが気遣わないように選んでくれたんですね♪」
「っと。どう、藍子。似合う?」
「すっごく似合いますっ」
「こういうのつけると、またヘアメイクしたくなるね。今日はもうやらないけど……」
「今日はもう、そのままにしちゃいましょうか」

一度つけたイヤリングを慎重に外し、改めて店員さんにお礼を言って――店員さんが重ねておめでとうございますって言うので、それに上書きするように慌てて「加蓮ちゃん、おめでとう」って言ったら、加蓮ちゃんからへんてこりんなものを見る目を向けられてしまいました。うぅ……。

「……こうして話す前は、藍子のことが嫌いで。ちょっと前は、藍子がずるいって思ってた」

足を組み直して、加蓮ちゃんがぽつりと呟きました。

「へ?」
「藍子っていろんな人から好かれるじゃん。そういうタイプなんだっていうのは分かるんだけど……。それに、自分がそれの真反対にいるってことは知ってるんだけどさ」
「そんなことないですよっ。加蓮ちゃんだって――」
「ごめん。最後まで聞いて? ……考えてることが違うとか、私と藍子は違う子だって言い訳してたけど、今は、藍子みたいになりたいって思ってる」
「私みたいに……」
「いろんな人に好かれて、愛されて、そして……それを、素直に受け止められる人に」

頬をつりあげただけの笑みが、おかしな声を上げる。

「この前店員さんにお礼言ったじゃん。私」
「言いましたね。あの時、加蓮ちゃんも店員さんも、すっごく嬉しそうでした♪」
「……それを見てた藍子まで、今みたいに嬉しそうだったよね。私よく覚えてるよ」
「そうでしたか?」
「そうでした。……思ってることとか感じたことを素直に言っていけば、みんな今よりもっと、私のことを愛してくれるのかなって。そしたら、私も慣れることができるのかなって……そう、思うの」
「…………」

変わってしまった自分に戸惑いながらも、なりたい自分を見つけて、変わろうとしている加蓮ちゃん。
今も、離しながらときどき目を伏せて、これでいいのかな、って悩むように、唇を曲げるだけの笑みを浮かべています。
加蓮ちゃんは……昔のことがあるからこそ、自分、っていう存在がすっごく大きくて、だからこそ変化への違和感も大きくなってしまうのではないでしょうか。
もし、私で良ければ。
思いっきり背中を押してあげて、そして向かい合ってほしい。
きっとその方が、今より素敵な加蓮ちゃんに――今より素敵な女の子になるから。

その結果、もし……私にとって、嬉しくないことが起きたとしても。私は、加蓮ちゃんにもっと、笑ってほしい。

「♪」
「え、何その嬉しそうな顔?」
「えへへ……。加蓮ちゃんのその考え、とってもいいと思いますよっ」
「そっか。うん。……店員さんにお礼を言った時の反応が……その……割と結構嬉しくて」
「うんうんっ」
「言って良かったな、って思ったの。あと、店員さんホントに贔屓してなかったんだなーって」
「それは加蓮ちゃんが言い続けてただけですからっ」
「いや、やっぱり多少の藍子びいきはあると思うけど」
「ありませんよ~っ」

ものすごく真剣な表情でおかしなことを言うのは、今に始まった話じゃないですっ。

「誕生日のお祝いだって、プレゼントだって……変な感じはしたけど、でもやっぱり嬉しかったし」
「うんうんっ」
「あとさー……逃げてきてから言うのもなんだけど、あんまり"ありがとう"って言えなかったな、って」
「それはドンマイですよっ」
「私にはきっと――」
「……きっと?」
「来年も、ちゃんとあるんだし……」

来年も……。うんっ。来年も、その先も、ずっとずっとあるんですよ。
幸せな時間は続いていくんです、加蓮ちゃん。

「ってことで、藍子の言う"慣れる"為に何からすればいいか分からないけど……。まずはお礼から言ってみよっかなって。あーでもやっぱり照れくさいから藍子がいる時だけ! いや、藍子がいる時の方が照れくさくなるのかな……?」
「誰かに言いたくなったら、いつでも呼んでくださいね。すぐ駆けつけちゃいますからっ」
「ったく。相変わらず藍子は。……じ、じゃあさ」
「はいっ」
「そのー……。とりあえず帰って……お母さんとお父さんに、言ってみる。……隣にいてくれる?」
「はいっ!」

午後7時を過ぎて、8時になった頃。夜なのに外は明るくて、なのに静かで、都会の光景と田舎の夜みたいな風景がミックスされた感じ。
すみませーん、という言葉が、私と加蓮ちゃんとで重なりました。私たちは見合って、ついおかしくなって、いっぱい笑いました。やってきた店員さんもつられて、ひかえめな笑顔を見せて……。
それから何か注文しようとしましたけれど、ちょっと考え直します。

せっかくの誕生日の夜ですから、加蓮ちゃんも、晩ご飯はお母さんやお父さんと一緒に食べた方がいいんじゃないかな?
……さっき、隣にいてほしい、って言われましたけれど、これ私お邪魔なんじゃ?

「……期待を持たせて突き放すんだ。へぇー?」

うぐっ! それ一番言われたくない、そして加蓮ちゃんに思ってほしくない言葉っ……!
だけど加蓮ちゃんの口調はすっごく軽かったから、傷ついていないことが分かりました。
冗談にしてもきつすぎます、って無言で抗議をしたけれど、ごめんね? と軽く返されちゃいました。
加蓮ちゃんが注文したのは、お持ち帰り用のクッキー、一袋分。
店員さんが厨房へ向かったそのすぐ直後、加蓮ちゃんは立ち上がって、そして、にこっ、と笑います。

「行こ。お母さん、もう来てくれてるんだって」
「え? ……い、いつの間に連絡を?」
「藍子がちょっと目を離した隙に」
「む。離してませんっ。今日は私、ずっと加蓮ちゃんを見ていました。事務所にいた時からずっと!」
「嘘ー。さすがに藍子でもずっと見続けるなんてできないでしょ」
「見てました~っ」
「じゃー今度は私が藍子のことずっと見てやる!」

つられて立ち上がると、肩から力が抜けていきます。……あぁそっか。加蓮ちゃん、もうすっかりいつも通りなんだ。
思わず座り直そうとしたけれど、私たちは今から帰るんですよね。なんだか名残惜しい。
ううんっ。今から加蓮ちゃんの家に行って、残り5時間くらいの9月5日を過ごして……。
まだまだ、今日という日は終わりませんっ。

「……あー、と」

それから数分が経って。店員さんから小袋入りクッキーを受け取って、会計も済ませちゃってから。
ぽんっ、ぽんっ、と言葉を軽くしていた加蓮ちゃんが、急に立ち止まりました。

「加蓮ちゃん?」
「いやほら。お母さんが来てて……」
「それは聞きましたよ。ほら、行きましょ?」
「うん……」
「……あの。何か、怒られることをしちゃったんですか?」
「違うしっ。……ほら、お礼を言うって話じゃん」
「はい」
「こういうのっていきなり来ちゃうよねー……って」

……決意しても、その時が来ると二の足を踏んでしまうのも、いつもの加蓮ちゃん。
こういう時は、無言で待ちましょう。
大丈夫。そのまま殻に閉じこもり直すほど、弱い子ではありませんから。
無言で、じ~っと見て……そうしたら加蓮ちゃん、余計に緊張してしまったみたいで、目が泳ぎ始めちゃいました。
違うんですっ。プレッシャーをかけるつもりではなくて……!

「……うんっ。覚悟決めた! 行こ、藍子」
「あ、はいっ。行きましょ、加蓮ちゃん♪」

店員さんに見送られ、カフェから出ます。途端に全身を包み込む、秋の始まりの涼しさ。
少し歩いた先の表通りに1台の車が止まっていて、開いた窓から加蓮ちゃんのお母さんが手を振っていました。
それを見て、またもう1回だけ、加蓮ちゃんは立ち止まり――
だけどすぐに、歩き始めます。
私の服の袖をそっと摘む手を、繋いであげて。

「お母さんっ! あのさ――」


【おしまい】

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