小さな小さな素粒子はワープが可能らしい。
完全に仕切りで遮っても通過するようだ。
そして確率論から言えば、それは何も素粒子の世界に限った話ではなく、等身大のこの世界においても可能性はゼロではなかった。
「というわけだけど、どう思う?」
「まったくもって馬鹿らしいと思うよ」
別に量子力学を専攻しているわけではなく、ネットで知った情報を語ったところ、クラスで一番頭の良い女子に鼻で笑われてしまった。
「でも可能性はゼロじゃないんだろう?」
「たしかにゼロではないね」
「なら、試してみる価値はある」
「やめておいた方がいいと僕は思う」
「なんでだよ」
「可能性はゼロではないと言っても限りなくゼロに近いことは理解出来るだろう? ダッシュで壁に激突して君の頭がこれ以上クルクルパーになったらどうするつもりだい? 大学受験はおろか、進級出来るかどうかも危うくなるよ?」
留年。浪人。フリーター。ヒキニート。
次々と負の連想が脳裏をよぎり、意気消沈。
たしかに自分は馬鹿であり、この頭の良い僕っ娘の言うことは正しいのかも知れない。
けれど馬鹿には馬鹿なりの思い切りの良さがあり、たとえ目に見えた結果であってもそこに飛び込むのが馬鹿としての矜持であった。
「脳震盪を起こしたら、あとは頼む」
「僕は忠告したからね」
「ああ、ありがとよ」
すっかり呆れ果てた様子の頭の良い僕っ娘であったが、その口元には笑みが浮かんでおり、何だかんだ言っても馬鹿な振る舞いを見るのが好きらしい。
ならばその期待に応えてみせようではないか。
「んじゃ、ちょっと壁の向こうに行ってくら」
「行ってらっしゃい。怪我しないでね」
なんて軽い調子で壁に突っ込んだところ。
「おっ?」
スルリと壁をすり抜けて、マジびびった。
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「すっげー!」
マジか。マジだった。マジですり抜けた。
量子力学パナイ。アインシュタイン涙目。
何が神はサイコロを振らないだ。馬鹿め。
世界には計算外のことだって起こるのだ。
誰もなし得なかった偉業を俺は今成し遂げた。
「でも、なんで誰も居ないんだ?」
壁の向こうは、なんだか荒れ果てていた。
まるで大きな爆発によって破壊されたように。
建築物はおろか、草木一本生えていない。
「おっかしいなぁ……ガス爆発か?」
首を捻りながら気づく。自分が全裸なことに。
「うおっ! 恥ずかしい!?」
流石に服までは壁を通過出来なかったらしく、産まれたままの姿で立ち竦み、とりあえずもう一度壁の向こうに戻って散乱しているであろう自分の服を取りに戻ろうとして、愕然とした。
「壁、どこいった……?」
振り向くとそこに壁はなく。
破壊され尽くした世界が広がっている。
先述した爆心地のような有様というのはあながち的外れな表現ではなかったようで、ここを中心に地平線の彼方まで荒地が広がっていた。
「もしかしてここ、異世界じゃね?」
人間はあまりに信じられない事態に陥ると脳が理解を拒んで現実逃避することがあり、まさにそれと同じようにファンタジー的な何かが自分の身に起こったのだと解釈して、ここを異世界だと思い込むことにした。
「どこまで荒地が続いてんだろ」
ぼけっと地平線の彼方へと目を向けても、その果ては視認するとこは出来なかったので。
「とりあえず行けるとこまで行ってみっか」
そんな軽い気持ちで歩き始めて早丸一日。
「すっかり夜になっちまった……ここで休もう」
夜まで歩き続けても何もなかった。
ひたすらに荒地が続いているだけの世界。
こんなのファンタジーでもなんでもない。
するとここはどこだろう。まさか地獄とか。
「ははっ……そんなアホな」
乾いた笑みで馬鹿な考えを笑い飛ばす。
第一、まだ死んでないし。生きてるし。
しかし、本当にそうだろうか。
もしかしたら俺はあの時、壁に頭部を強打して脳挫傷を負って死んでしまい、そしてこの地獄に落ちたのではなかろうか。
そう考えると、全てに説明がつく気がして。
「やめだやめだ! アホらしい!」
窪地に溜まった水で顔を洗い気を取り直すと。
「はあ……腹減ったなぁ」
ぐぅと、腹が鳴り空腹を嘆き、生を実感した。
「すげー星空」
荒れ果てた大地に寝転がり、夜空を見上げる。
周囲に光源がなく快晴なので、満点の星空だ。
窪地に水が溜まっていたし、裂けた大地には川も流れていた。きっと海だってあるだろう。
ならば魚も居るはずで、食うには困らない筈。
こんな状況下でも飯の心配をしている自分に気づいて、生存本能とはこれほどまでに強烈なものであると思い知った。
「あいつ、今頃どうしてるかな……」
異世界に来る前に最後に言葉を交わした僕っ娘に想いを馳せて、一抹の不安を覚えた。
もしも現状が自分ひとりの問題ではなかったとして何らかの理由であの瞬間に世界が崩壊したとするならば、果たして彼女は無事だろうか。
そもそも、ここは本当に異世界なのだろうか。
見覚えのある星々や元の世界とそっくりな半分に欠けたお月様に問いかけても、その疑念に対する答えはついぞ返ってこなかった。
「状況を整理してみよう」
あれからほどなくして海に辿り着き。
獲った魚を食いながら、状況を整理した。
もちろん火などなく魚は生のまま踊り食いだ。
とりあえず海はあった。魚もいた。良かった。
しかし、他の動植物は存在しない。
大地は荒れ果てていて建築物も見当たらない。
どうやらこの世界には陸上生物が存在しない。
「でも、魚はいるんだよな」
海には魚がいた。アジやサバが泳いでいた。
ならば進化論の観点から陸上生物が存在していないのはおかしい。進化論なんて知らんけど。
「ちょっと雑草が生えはじめたな」
荒れ果てた大地にも植物の芽が生えてきた。
つまり、もともとは存在していたのだ。
ならば恐らく、動物も人間も居たのだろう。
「大量絶滅ってやつか?」
荒れ果てた大地。爆心地。大量絶滅。
そこから連想するのは大質量隕石の衝突。
ここは異世界ではなく滅んだ地球なのでは。
しかし、だとしたら何故自分は生きている。
あの日あの時、壁を通り抜けたあの瞬間。
空から馬鹿デカイ隕石が降ってきたとして。
ならば何故、自分だけが生き残ったのか。
「さっぱりわからん」
学のない俺には難問すぎる。
こんな時に頭の良い僕っ娘が居てくれたら。
そう思いつつも、ひとまず現実逃避からは抜け出し、ここは滅んだ地球であると仮定出来たことがこの日唯一の収穫であり、それに満足して。
とりあえず腹は膨れたので、糞をして眠った。
「インターネットは……通じるわけないよな」
あれからしばらく考えたが結論を出せず。
グーグル先生に頼ろうとしたが、ネットはおろか、通信端末だってどこにもありゃしない。
もしかしたら中空にWi-Fiが飛んでるやも知れんが、いかんせんそれを受信する術がなかった。
「やっぱり、アレが原因だろうな」
何度目かの夜にやっと自らが原因だと認めた。
色々と他の要因も考えてみたのだが、何かのせいにするにはあまりにタイミングが良すぎた。
恐らくあの壁抜けをした瞬間、世界は滅んだ。
だとしても何故。そこがわからない。
確立的にはゼロではないワープ。
それが成功したとして、何故こうなった。
「質量保存の法則……とか?」
小学校の理科で習った仕組みを口にして。
馬鹿馬鹿しいとは思いつつも考察した。
壁に覆われた密室内で自分の存在が消えたのならば、その分の質量が損失したと言えよう。
自分の体重が60キロ強だと仮定して。
それをかの有名なア博士がこの世に残したエネルギーと質量の物理関係式であるE = mc?に当て嵌めると確かに地球はこんがり丸焼けとなる。
要するに、エネルギーとは、質量かける光の速度の二乗に等しいのだ。
どうして光の速度を二乗したし。
そんなの世界が滅ぶに決まってんだろうが。
「せめて俺の体重が5キロ未満ならなあ」
壁を通り抜けたのがりんご3個分の体重しかないキティちゃんならば、世界は滅びはしなかったかも知れないのに。
「いやいや、流石に世界は滅びないだろ」
セルフツッコミをして、考え直す。
爆発のエネルギーは放射状に広がる。
指向性はなく、全周囲に拡散するのだ。
そして地球は丸いので全周には伝わらない。
故に質量欠損で世界が滅んだわけではない。
ならば、あと考えられる要因は。
「反物質が生成されちゃったとか?」
反物質。もう響きだけで格好いい。
質量の200パーセントをエネルギーに変換することが出来るめちゃくちゃすごいやつ。
これならば世界を丸焼きに出来るのでは。
ちょっと想像してみよう。
壁を通り抜けた瞬間に自分と全く同質量の反物質が誕生して、周囲の物質と対消滅を起こし、世界が滅んだあとに取り残された自分。
「どうして自分が対消滅しなかったし……!」
真っ先に消滅する筈だった自分だけが壁の向こうに逃れ、運悪く質量とスピンが同じで構成しる素粒子の電荷なんかも全く同じな反粒子の俺と出くわした僕っ娘が代わりに対消滅してしまったのだとしたら悔やんでも悔やみきれない。
「あいつに悪いことしたな……」
『やめておいた方が良いと僕は思う』
彼女は忠告していた。やめておけと言われた。
それは主に壁に激突して頭がクルクルパーになることを危惧しての発言であったと推察しているが、仮に成功したとしても頭の良い僕っ娘はこうなることを予期していたのかも知れない。
「またお前に会って、叱られたいよ……」
だから言ったのにと彼女に叱って欲しかった。
「悔やんでいても始まらない」
ひとまずの結論を導き出した翌日。
ひとしきり泣いて亡き僕っ娘を弔ってから。
とりあえず行動を起こしてみることにした。
「もしかしたら、全部逆なのかも知れない」
こんな世界は間違っている。実に非科学的だ。
というか、自分の理論や計算は穴だらけだ。
頭の良い僕っ娘が見たら鼻で笑われるだろう。
なので自分の考えが間違っていると仮定する。
「俺はあの時誕生した反物質で、物質世界に戻れなくなったのだとしたら、なんとかなる」
我ながらアホらしい理屈だとは思う。
しかし、これ以外に希望はなかった。
自分は反物質でここは反物質の世界。
常に消滅を繰り返すこの世界には何もない。
せいぜい伝達速度が遅くなる海中にしか生物が存在しないような、反物質の世界。
そこから元の物質世界に帰るには、当然。
「もう一度、壁をすり抜けよう」
そう決意して、いざ実践しようとしても。
「壁がどこにもない!?」
右を見ても、左を見ても、荒地しかなかった。
「だったら石でもなんでも積み重ねてやる」
その日から来る日も来る日も荒地に転がる石ころを積み重ねては崩し、積み重ねては崩しを繰り返して、賽の河原で石を積むのはこんな感じなのだろうかと思えてきた頃、ようやくそれなりの高さの石山が出来上がった。
「うお……登ってみると案外高いな」
この世界に壁はない。だが、地面はあった。
「垂直に落下すれば、地面だって壁だ」
要はベクトルの問題だ。エネルギーの向き。
横からなのか上からなのかの違いに過ぎない。
だからきっと、上手くいく。じゃなきゃ困る。
「でも、もし失敗したらクチャッてなるよな」
クチャッと地面にキスする羽目になる。
そう考えるとなんだか怖くて小便を漏らした。
するとなんだかスッキリして、決意を固めた。
そうさ。こんな世界に未練はない。
クチャッてなったら、それまでだ。
それでおしまい。その方が幸せだ。
尿降って、決意固まるとはこのことである。
「よし……いくぞ」
壁をすり抜ける可能性はゼロじゃない。
2連続で成功する可能性もゼロじゃない。
もう一度見せてやるよ、アインシュタイン。
神が振る、サイコロってやつをよ。
「Let's! 対・消・滅!」
我ながらひどい掛け声だとは思うけれど。
来た時と同じ爆心地めがけて積み重ねた石山からダイブした俺は、地面に激突する瞬間に物質世界に横たわる自分自身の姿を幻視した気がして、そして落下の衝撃で意識を失った。
「ちょっと! 大丈夫!?」
「ん……僕っ娘か?」
「良かった。すごい音がしてぶっ倒れたから、死んでしまったんじゃないかと思ったよ」
目を開けると僕っ娘に膝枕をされていて。
口は悪くても心配してくれたらしく、不安で今にも泣きそうになっている彼女の顔を見て、ああ、元の世界に帰って来たんだなと思った。
「またお前に会えて嬉しいよ」
「……なにカッコつけてるのさ」
「別にいいだろ、こんな時くらい」
今思うと、全て夢だったのかも知れない。
あんな非科学が世界が現実である訳がない。
実際のところ壁をすり抜けることに失敗して、したたかに頭を打ち、昏倒して体感的に数週間に及ぶ悪夢を見ていたに過ぎないのだろう。
その方がずっと現実的だ。
きっと、そうなのだろう。
それならそれで良かった。
「お前にまた会えて、俺は嬉しい」
こうして僕っ娘とまた会えるなら何でもいい。
同じ台詞を繰り返し、ただ喜びを噛みしめる。
それだけで、良かった。それが、嬉しかった。
それ以外のことなど、全て瑣末な問題だった。
「そう言って貰えると、僕も嬉しいけどさ……」
「なんだよ」
「どうして君は全裸なんだい?」
言われて気づく。俺は全裸だった。しかし。
「それがどうした?」
「ひ、開き直るんだ……というか」
「なんだ?」
「さ、先っぽが濡れてるんだけど……」
「そんなことは瑣末な問題だ」
「全然瑣末な問題じゃない! 漏らしたの!?」
やれやれ、口で言わないと伝わらないか。
「ああ、そうだ。俺は尿を漏らした。そしてついでに、尻からは反物質が漏れ出ている」
「きゃあっ!? 汚い!」
「おいこら、貴重な反物質を汚いとは何事だ」
「道理で臭いと思ったんだよ! 最低!」
「フハッ!」
「嗤って誤魔化すな!?」
「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
盛大に愉悦をぶちまけ、高らかに哄笑しつつ、自分の名誉の為にこれだけは言わせて貰う。
「お前と再会出来たのが嬉しくてつい、な」
「脱糞の言い訳に僕を利用しないで!」
「量子だけに利用するなってか?」
「上手いこと言うな! 対消滅しろ反物質男!」
量子を利用して恋仲になろうと目論んだ企みは、残念ながら上手くいかなかったようだ。
それでも反物質の俺は心からしみじみと思う。
愛する僕っ娘が対消滅しなくて良かった、と。
【反物質男と対消滅女】
FIN
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